ダーク・ファンタジー小説

Re: 宵と白黒 ( No.54 )
日時: 2021/07/18 22:47
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

「ああ」
 
 同じ音が、違う高さでもってレンの口からこぼれおちる。どうしようもなく美しい、と。胸の奥が締めつけられるような、刃で貫かれるような。
 そっとリフィスがしゃがみこんで、ルクスの胸に指先を当てた。狭い領域に、彼女が力を集中させたのだ。なんの音も立てずに、彼の纏っていた服と、肌と心臓とが水と化してゆく。赤い液体がこぼれるが、それは血よりも薄い色合いをしていた。
 円柱状を成してルクスを貫いたリフィスの力が、今完全に、彼を死に至らしめた。
 
「私は最後までここにいる。……ルクス様のあの言葉の意味を、分かっているだろう」
 
 アレンは静かに当然を告げる。強い光を宿した漆黒の目が、確かにリフィスを捉えた。
 
「ええ。……ええ、分かっています。当然、でしょう」
 
 からりとしていながら、どこか押さえつけているような声だった。泣いているわけではない。
 ばちばちと爆ぜながら、炎が白と黒の主従を飲み込んでいきかける。アレンはゆるやかに跪くと、ルクスを見つめて、何事か呟いた。答えがあるはずもないのだが、彼は、満足気な笑みを見せて目を閉ざす。
 
□ △ □
 
「リフィスさん」
「ええ。……私は、生きなくてはならない。もう他に手がないのです、やりましょう」
 
 窓からの飛び降り。炎に包まれた大扉の方へ抜けていくのが不可能となった今、逃げるとするならばもうそこしかありえないのだ。
 一見自殺行為だが、自分とリフィスのチカラを合わせればどうにかなる、とレンは思考する。
 リフィスが全てを出力に注げるよう───それでももう残滓を掻き集めているようにしかならないが───発動するタイミングはレンが操る。
 
「お願いします、リフィスさん」
 
 異能が発動する際に使われている、具体的な器官というものは発見されていない。発見されていないというよりは、無いという方が正しいだろうか。
 レンはそんなことなど知らない。だが、しかと確信している。即ち、自分の力で、強制的に異能を発動させることも可能であると。
 はるか地上で、青い光がちらついている。
 
「───絶対に離さないで!」
「わかってますよ!」
 
 一切の音もなく、リフィスが窓ガラスを溶かした。それと同時に、ふたりで窓枠に足をかける。なるべく空気抵抗が大きくなるように、全身を広げて───窓から、飛ぶ。
 
「りふぃす、さん……!」
 
 目も開けていられない程の激しい風圧、しかしレンはそれを閉ざす訳にはいかなかった。なるべく離れないように、と、軽く繋いだ右手はまだ暖かい。どうして視覚だけを開いておくことはできないのか、と、取り留めもない思考が瞬いた。
 そうしている間にも、重力という名の絶対律が、彼らを地上に戻さんとのしかかる。
 
「あ」
 
 少女が、小さく声を零す。
 とろり、と青が溶けた。それはブランのリボンタイであり、彼女への暗示。する、と手の間を抜ける水のごとき滑らかさで、手首からそれは解けていく。同時、あおいろがゆるやかに雫に変わった。下から吹き上がる風が、それらを全て空へと持ち上げる。
 リフィスを見つめる黒の瞳が、一瞬青に染まった。
 どうしてこのタイミングで、と呟かずにはいられない。それは異能の暴走、リボンタイが解けたのは風圧によるとしても、それが液化した理由は間違いがない。そして意識させられるのは隣の少年。
 
「だいじょうぶ、だから」
 
 途切れ途切れの声が響く。
 それにリフィスは何も言葉を返さなかった。否、返せなかったのである。そして、少女は視界を閉ざした。
 永遠とも思える数瞬だった。ちょうど地面に顔を向ける体勢で落ちてゆくふたりの影が、いよいよ窓際まで到達したらしい炎によって生まれる。

「カウント───!」
 
 耳元で唸る風を、少しの掠れすらもなく貫いて、少年の声が響き渡る。
 
「5!」
 
 レンの瞳がゆるく動いて、地面との距離を測る。遅すぎたら、きっと全身の骨が砕けちる。早すぎてしまっても、液化したコンクリートは彼らを拒絶するだろう。
 
「4」
 
 リフィスが閉ざしていた視界を一瞬開く。伺い見たのは、隣の少年。
 
「3、2──」
 
 目を閉ざす。体内の力を振り絞る。真っ直ぐ伸ばした左手に、それを収斂する。
 体内に、電流が走り抜けた感覚。ぞくり、と総毛立つのを、少女は感じとった。自分の意思に反して、力が漏れ出ていく感覚。これは知っている、と彼女は思う。同時に、昔とは違う、とも。恐怖感と、それを上回るひどくやさしいなにかがそこにあるから。
 いち、という声はない。どぷ、と音を立てて──────二人の体が、水に沈む。否、それは水ではない。水よりも粘性の高い、いわばゲルのような。
 ざ、と音を立てて。あまりの集中によって失われていた周りの喧騒が、一度にふたりへと襲いかかる。それはサイレンの音であり、通行人が囁き交わす音であり、足音であった。
 
「けほ、かは……」
「痛っ、う」
 
 左手から突っ込む形となったリフィスは、思っていた以上の衝撃に顔を歪め、顔面も同時に着水する形になったレンもまた咳き込んでいる。お互い無傷とはいかなかったが、それでも、生きている。炎の中を脱出していくよりも遥かに被害の少ない方法で。
 その事に安堵しながら立とうと、せめてこのゲル溜りから抜け出そうと、力が及んでいない地面に手をかけて這いずり出る。もう一度立ち上がろうと試みた瞬間に、ふらりと全身から力が抜けるのを感じた。
 暗転。