ダーク・ファンタジー小説
- Re: 宵と白黒 ( No.56 )
- 日時: 2021/07/27 23:43
- 名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)
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半ば転ぶようにして、三人は一階に降り立った。それはちょうどエントランスの受付の真横であり、外の道路がよく見える場所である。
「こんなとこにドアあるの、知らなかった……」
シュゼが呆然とそう呟いた。
外とこちらを隔てるガラスの自動ドアは全開にされ、正面には警察の車が止まっている。シュゼの瞳と同じような色をした青いライトが、夜の闇を打ち払っていた。
エントランスの中央付近には、ビル内に残っていたらしい数名の社員の姿がある。それと同じように、ビルの前には多くの人が集まっていた。
通報を受けてやって来ていたのだろう、警察の制服を纏った男性がこちらへ走り寄ってくる。
「ありがとうございます。───はい、ごめんなさい……。アレンさんの力で───そうです、多分ルクスさんが爆発させたんだと思うんですが」
ここは一族の人間である双子に任せた方が良いだろう、と一歩引いて見つめていると、リュゼの悲鳴のような声が耳を刺した。
「まだ……まだ、上に人がいるんです!」
入口の前で、ざわりと人々の声がにわかに大きくなる。何事だと一瞬その場の全員分の意識がそちらに向いて、野次馬たちの声が聞き取れた。
「落ちてくるぞ!」
「ふたりだ、なんだあれ……子供か!?」
そんな叫び声がする。
はっと三人が一様に目を見開いて、シュゼが真っ先に走り出した。制止を促す警察官の声など耳に全く入らないかのように、少女は駆け去っていく。リュゼが一瞬トワイの方を振り返ってから後に続いた。
「もしかして、さっき黒髪の子が言っていた──!?」
警察官の声だ。
「ああ! まさか飛び降りるとは……!」
思わなかったが、と語尾に溶かして、青年も双子の後に続く。ふたりを心配する思いは濃くなる一方で、レンを見捨ててきてしまったことの罪悪感はじわりじわりと薄れてきていた。
罪悪感。
そんなものを自分は抱けるのだと、トワイは小さく笑みをこぼす。果たしてそれが喜ぶべきことなのか、その時の彼には判断がつかなかったが、それでもその笑みに嘲りは含まれていない。
外へ飛び出すと、夜の空気が肌を撫でる。夜独特の、トワイにとっては馴染み深い澄んだ香りは、周りにいる人によってか環境によってか、どこか薄汚れていた。そこにどうしても消しきれない仄暗い香りが混ざっていないあたりが、彼にとっては新しい。
これが都会というやつか、と改めて実感する暇もなく、シュゼの声が耳に届いた。
「レン!?」
彼女の目に入ったのは、互いに寄り添うように倒れ込んだリフィスとレン。それだけ聞けば恋人たちのようであって、でもシュゼにはそれは違うのだと理解出来る。
だって彼らは向き合っていない。
お互いに違う方を向いて──背を向けあって──倒れている。
辺りは街灯と、林立するビルの中から漏れ出てくる光によって、あまり暗いわけではない。が、それ故に暗い部分はより闇が深く、レンたちが倒れている場所もまたちょうどビルの影となって判然としない。そこには、白い肌のみがぼんやりと浮かび上がっていた。
その場全体に視線を滑らせると、ぬらりと光る、明らかに地面ではないなにかが目に入る。奥に倒れているレンよりもさらに後ろだ。よく見れば、それと同じような物質が彼らにもまとわりついている気がしてならない。
少し鳥肌が立つのを感じながら、さらに駆け寄ろうとした少女を、警察官が押しとどめる。
ば、と黄色い規制線が張られ、救急車が到着した音がする。その場に踏み止まりながらも、シュゼは右手の人差し指を伸ばして口を開いた。
「なんだろう、あれ」
「分からない……。でも、息、してるみたいに見えるよ」
救急隊員たちに運ばれていくレンとリフィスの胸は、しっかりと上下しているようだった。その事に気づいて安堵の息を零しながら、リュゼはトワイを振り仰ぐ。
「トワイさん?」
リュゼは何か言いたげな彼の様子を察したのだろう。シュゼもそちらに目を向ける。
「なんて言えばいいんだろうな、その……幸せそう、だと思って」
困ったように眉を下げて、手で頭を掻きながら。ストレッチャーで運び込まれていく寸前に見えたその顔を思い返して、そう言語化する。幸せそう、という形容が正しいのかは分からないが、少なくともトワイはそう思った。
「そうだね。なんというか、満足してそうというか」
ゆっくりと口元を緩めながらシュゼは言って、その場から救急車が走り去って行くのを見届ける。
「トワイさんも嬉しそうな顔してますね」
「オレが?」
あなた以外に誰が居るんですか、と笑って、リュゼはゆるりと目を閉ざした。
「トワイさん、すごい笑えるひとじゃん。表情豊かっていうのかな」
シュゼにも立て続けにそう言われて、トワイは瞬いた。
笑える、か、と。今まで幾度も笑顔を浮かべたことはあるはずだが、彼女たちが言うのはそれではないのだろう、と察する。
「確かに。……理由に関して思い当たる節は、あるからな」
今まで殺してきたひとたちの血が、怨嗟が、身体に染み込んでいる気さえしていた。
だから自分は幸せになるべきではないとも思っていた。否、今も思っている。それが優しさというものに由来するのならば、それを知ってしまった己はもう『殺し屋』というものは出来ないのだと悟ってもいた。自分がなお苦しむと分かっていて続けられるほど、正義を頂く綺麗な仕事ではないからだ。
今まで経験したことのない、選択。
「リュゼたち……、は、さ。オレにどうあってほしい?」
曖昧な問いになってしまうことを咎める者は、きっといないだろう。なぜなら、彼はこんなにも、瞳を揺らして問うのだから。
「笑っててほしいです。好きなひとには笑っててほしいじゃないですか。あなたという人間に、笑っていてほしい」
さらりと風が吹いて、目線を合わせようと顔を上げた彼女の髪をすくいあげては放り出す。
自分の言葉が、果てしない傲慢であるとリュゼは理解していた。彼が過去に何をしてきたか知った上でそう言うのは、過去をなかったことにしようと、向き合おうとしていた彼の思いを踏みにじるも同義だからだ。
だが、それでも少女はそう望む。
たとえ何と言われようとも、彼のあの笑顔を美しいと思うから。命には終わりがあることを知っているからこその、どこか儚さの滲む笑顔を美しいと思うから、笑っていてほしいと願うのだ。
シュゼはなにも言わなかった。ただ目を閉じて、リュゼと同じように笑う姿が、肯定を示している。
「そっか。ありがとう」
答えが端的になってしまったのは、震える語尾を悟られないようにするため。目を外してそっぽを向く風になったのは、泣きそうな表情を見られないようにするためだった。
「ああ」
リュゼが、シュゼが。彼女らがそう望むのならば、自分はそうあろう、と。それは彼なりの恩返しであり、礼であった。
その答えに、リュゼが明確に笑う。
ため息がこぼれそうになる。今まで一度も見た事のなかったその笑顔に、強く惹かれる。命はまだまだ先があって、これからもずっと続いていくと信じている人間の、永劫を照らす太陽のような笑顔にひどく憧れる。うつくしい、と感じざるを得ない。
「ありがとう」
宵の口はもうとうに過ぎて、夜がしっとりと深くなっていく。でもまた陽は昇るのだ。
警察官に呼ばれてそちらへ歩いてゆく三人の姿が、ゆっくり雑踏に溶けていった。
───後にトワイは、「あの時告白したつもりだったんですが」と、リュゼに困惑されることになるのだが、それはまた別の話。
次章:エピローグ
《Essential-Self》
1話:追憶、あなたを
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