ダーク・ファンタジー小説

Re: 宵と白黒 ( No.60 )
日時: 2022/11/05 01:00
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

 △ □ △
 
 本当に久しぶりに吸った秋津の空気は、どこまでも清涼だった。街の中を歩いてみれば、多少変わっているところはあっても大きく変わったところはないように思える。
 ここはそういうところだったと、蓮は久しぶりに思い出した。ある種厳格な空気で、外部の者を受け入れつつも断として変わらない。決定的な変化を拒んで、緩やかに停滞している。
 それが悪いこととは思わなかったし、暮らしにくいわけではなかったように思う。ただ、今はすこしだけ、この国のそんな気質を恨んでもいた。
 しばらく歩いていけば、命風神社の門前町──即ち、蓮の生まれ育った街に到着する。まっすぐ鳥居まで突き抜ける大通りは、昔と変わらず賑やかだった。
 斜陽は背後からさしているお陰で眩しくはない。が、目をあけていられなくてそれを眇めた。胸の中が擦られる。不意の郷愁だった。
 
「どうしようか」
 
 そう呟きながら、どうにも家があったはずの方へ足が向けられなかった。叔父であり、育ての親でもある楓樹にはとても迷惑をかけてしまったはずだから、すぐに帰らなければならないのは解っているのに。
 ただ、会わなくてはならないと感じた。華鈴には妹がいたはずだったから。
 
 ゆるく傾斜のかかった通りを抜けて、鳥居の前に立つ。それは、記憶と寸分違わぬ赤さを持っていた。
 一礼してそこを抜け、こんな時間になってもまだ参拝客で賑わう境内を抜けていく。どこにいるかなんで分からなかったし、もう宮司となったはずの人に気軽に会えるのかすらわからなかったけれど。
 と、人々に紛れて、緑色の髪が揺れる。
 
「あ──」
 
 息を呑む。無意識に目線が追ってしまう。そこだけ空気が違うような気がしていた。二つ結びにされた長い髪と、白を基調にした着物。華鈴と瓜二つのようで、少しづつ異なっている。
 ふっ、と彼女が、誰かを探すように辺りを見回した。目を離せない。
 その黒い瞳と、一瞬で強烈に目が合う。細められ、すぐに見開かれる。
 
「華恋さん、ですか」
「あなたが井上蓮?」
 
 同時に、互いを問う。
 それは、華鈴とはまた異なった声だった。透き通る冬の夕焼けような、どこか冷たさを纏う声が自分の名前を呼んでいる。

「そうですが……。なぜ、それを知っているのですか」
 
 表情に驚愕をにじませながら、蓮は問い返した。蓮の記憶が正しければ、華恋、即ち華鈴の妹と話したことはなかったはずだから。
 華恋は少しためらったようだった。
 
「姉様が昔、よく話してくれてたの。継承が近くなってからは全然だったけれど。……ついてきなさい」
 
 くるりと背を向けて、彼女は屋敷へと歩んでいく。いつも華鈴と会うのは林の中か、あるいは墓所の中だったから、そこへは向かったことがない。
 ゆるやかに昔を回想しながら、蓮は華恋の背を追った。
 
□  △  □
 
 通された華恋の自室は、冷たく閑散としていた。まるで生活感のない家具たちが、広い畳敷きの上に置かれている。唯一、壁際の本棚だけが埃を被っていなかった。
 西日は、障子を透かして柔らかな光へと変わっている。仄暗い部屋に蓮と華恋の影が濃く滲んだ。
 
「お邪魔します……」
「座って」
 
 言われるがままに腰をおろせば、華恋も向き合う形でそこに座る。
 白い喉が動いて、息を吸ったのがわかった。
 
「慣習は、変わらなかったの?」

 一瞬、蓮は彼女の言わんとするところを掴みかねた。まっすぐに視線が交わる。
 そして理解した。彼女の言う慣習とは何なのかを。なぜ、華恋がそんな遠回しな言い方をしたのかも。
 影はいよいよ濃くなって、日が沈んだあとの薄青さが部屋を満たしていく。蓮の身体に窓からの光が遮られて、華恋の全身がゆるやかに暗くなる。
 す、と蓮は視線を横へ逃した。 
 
「ええ」
 
 端的な返答だった。
 そう、と華恋もまた目線を木張りの天井へ投げる。そのまま口元が引き結ばれて、また開かれた。
 
「私が……私で、よかったの……?」
 
 薄く、物音ひとつでかき消されてしまいそうなほどに弱い誰何だった。
 彼女の握りしめられた両の手が、なにかを抑えつけるように震えた。が、それは叶わなかったようだった。
 音がしそうなほどの強い意志を伴って、目が合う。
 勢いよく、華恋は蓮の方へ身を乗り出した。肩を両手で掴まれる。
 
「消えるのは私だったはずじゃない、ねえ! どうして貴方止めてくれなかったの、姉様は貴方のせいでいなくなったんじゃないの!」
 
 瞬間、激しい感情の塊が、蓮に叩きつけられる。
 先程までは冷ややかで近づき難いような雰囲気を持っていた彼女が、今は明確に感情を顕にしていた。