ダーク・ファンタジー小説
- Re: 宵と白黒 ( No.61 )
- 日時: 2022/04/02 01:23
- 名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)
「そんなこと、言われたって……」
蓮の、逆光で一段と暗くなった黒い瞳が泳ぐ。じわりと寒気が身体を這い上がって、きつく手を握りしめた。
若干弁明するような語調を帯びてしまったことに気づいて、それを嫌悪するように口を引き結ぶ。それを良しとしないような、克明な鋭さをもって華恋は彼を見つめていた。
何を言えばいいかなど、その時の蓮にはわからなかった。わからなかったから、感情のままに吐露してしまったのだろう。
薄い闇のなかで、わずかな光を反射して瞳がきらりと光った。
「そんなの分かんないですよ! 僕だって華鈴さんに消えてほしくなんてなかった、大好きだった! でも止められなかった、……好きだから止めるわけには行かなかった」
突発的に強く溢れ出てきた感情は、思い返して言語化すれば腑に落ちた。
それを聞いた華恋もまた、同じような表情を浮かべていた。すとん、と両手の力が抜けて、少年の肩の上から畳に落ちる。うっすら埃が舞った。
その姿勢のまま、顔を俯けて彼女は問いかける。
「なにか言ってた? 姉様は」
「好きだ、って」
蓮の予想に反して、華恋はその言葉にあまり驚いてはいないようだった。
ふ、と唐突に顔を上げた彼女は、そのまま小さな声で呟く。ほかには、と。記憶を辿るように、蓮の黒い瞳が閉じられる。
「あと、ありがとうって」
うすく目を開けた蓮が、そう言った。
「そう……」
短く落ちた華恋の言葉を最後にして、だだっ広い部屋の中を静寂が満たした。
なにか考えるように目を瞑っていた華恋は、ふっと唐突に笑みを浮かべた。それは花が咲くようなものではなくて、例えば厚い雲の合間からぼんやりと陽光が漏れるようなものだった。消えてほしくないとこちらに願わせるのにも関わらず、ゆっくりとどこかに消えてしまう。
声が落ちる。
「羨ましい」
「……はい?」
「姉様は、恋が出来たのね。私には出来なかったこと……」
華恋は何かを惜しむような笑みを浮かべた。するりと畳の上を白い指先が滑って、暗い青さに沈む部屋の中でぼんやりとひかる。肩口で揺れる緑の髪を、もう片方の手が鬱陶しげに払い除けた。
恋。刹那、好きだよ、という言葉が、蓮の脳裏に蘇る。夕焼けも、初秋の空気の香りも、指先を掠めていった髪の感触も。
なにもつかめないような、空虚さが胸を満たした。
「恋、って……、相手のことを好きっておもうこと、でいいんですか」
「そうに決まってるじゃない」
「好きなら、なんで……」
胸の奥、それはこびりついて離れない。諦めていたもののようで、ずっと手に握りしめていたもののような。
恋と知ってしまえば、それは明確な形を成して重くおもく伸し掛るのだろう。
「姉様の心の中なんて私は知らない。でも、きっと姉様はあなたのことが好きだったんだと思うわ。というか、そんな嘘を吐く質ではないでしょう?」
「そうですね。……そう、だったんですね」
僕にはわからなかった、と仄暗い調子で蓮は言う。
「ならこれでお相子よ」
先程の笑みから、少し雲が吹き払われたような表情で、華恋は呟いた。なんの事か分かっていないのだろう、彼は徐に首を傾げる。
「残されるのは、私も同じなのにね。……きっと、あなたが一番だったんだわ」
ゆっくりと華恋は、蓮に目を合わせる。何かを惜しむように、そこに何かを見出そうとするかのように。
数瞬が過ぎて、彼女はふっと表情を消した。
「僕が、一番だった」
その時間があってすら、意味を咀嚼できなかった。それほどまでに衝撃だったのか、蓮はそのまま呆然としている。ああ、と呟いた。
恋なんかわからなかった。だが今、明確に示されてしまえばどうだろう。色んな感情がぐちゃぐちゃに混ざりあって、絵の具を全部混ぜたら黒になるみたいに、蓮の瞳から涙がこぼれ落ちる。
その涙にどんな意味、あるいは気持ちがこもっていたのかは、それをまっすぐ見続けていた華恋ですら分からなかった。
彼女は、ゆっくりと息を吐く。
「時間を取らせてしまってごめんなさい。───ありがとう」
「──こちらこそ、ありがとうございました」
絞り出すような、嗚咽混じりの掠れた声だった。
そのあとどうやって立って、どうやって歩いて境内を出たのか、蓮は覚えていない。
ただ、屋敷の中から抜けて、まだ山の端にかすかに残る夕日の橙を目にした時、意識が一気に鮮明になったのを覚えている。
雨が上がったあとのような、爽やかさだけが頭に残っていた。
しばらく境内を歩いていけば、常緑樹の森と大きな赤い鳥居が目に入る。風雨に晒され続けてなお、その厳粛な赤を保てているのは、やはりここが神を祀る場所だからか。
社の方へ一礼して、蓮は鳥居をくぐった。その瞬間、すこし苦しくなる。
それは先程これをくぐったときのようなざらつきではない。昔と同じ、まだあのひとと話していたい、帰りたくないという、ある種子供じみた感情だった。
それ以上でも以下でもなかった。ただ、どこか救われた気はしていた。
「また来ますね、華鈴さん」
そちらに向けて、呟く。
ふわり、常緑樹の森を、なにか囁くように揺らして。やわらかく、どこか冬の入り口にしてはあたたかい風が吹いた。
二話:現下、あなたに
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