ダーク・ファンタジー小説

Re: T.E.A.R.【短編集】 ( No.3 )
日時: 2020/07/15 17:34
名前: 美奈 (ID: cO3So8BN)

#3 Wanna be A子さん?

出会いは突然に、って多分こういうことを言うのかもしれない。

「だっ!」

深夜にコンビニで買い物をして帰ろうとしたら、車の歯止めにつまずいた。車は止まっていなくて、そのまま前にコケて。袋の中身が派手に散らばってしまった。
…漫画かよ。夜でよかった。人も少ないし、失態は見られてないはずだ。さっさと中身をしまって帰ろう。
そう思ってから中身を探そうとしたのに、散らばったはずの物がなくなっていた。…盗られた?

「どこで転んでんの」

頭から低い声が降ってきて、見上げると超怪しい人がいた。深夜にマスクでメガネしてる男性に声かけられるのめっちゃ怖い。しかも私、コケたままだから無防備この上ない。…ヤバいじゃん。

「…っ!!!」

運動音痴の自分には信じられない速さで起き上がって、そのまま家へとダッシュした。でも何せ足が遅い。家が遠くに感じられる。

「ねぇ、待ってよ!これ忘れてっから!」

さっきの人はもう、私のすぐ後ろにいて。「ほい」と、私がさっき買った袋を手渡した。わすかな重みを感じて、あぁ、中身を集めて入れてくれたんだな、と悟る。
なんだ、良い人だったのか。

「ありがとう、ございます…」

「今2時だよ?女の子が1人で出歩くなんて、危ない危ない。家どこ?」

えっと、家…家はですね……え、待って、家?!
いくら良い人でも、この時間に出会った人だ。しかも顔全然見えないし。安易に教えたらまずい。私の油断に漬け込んで、家に上がり込まれて、そこできっと犯罪が…っていう想像が一瞬で頭を支配する。
黙っていたら、その人はあっけなく質問を諦めて、スタスタと歩いて行った。ついて行きたいわけじゃないのに、足は追いかける形になってしまっている。

「え、なんでついてくんの」

「いや、あの、ここ…」

まさか。マンションが一緒だったなんて。しかもその人が開けているポストを確認したら、私の真上に住んでいる人だった。

「なーんだ、住人さんだったんだ。俺、この前ここに越してきたばかりで。よろしくです」

彼も私も互いに名乗ることはなく、お礼と挨拶だけをして別れた。



私は職業柄、帰りがどうしても遅くなる。だからコンビニに行くのは、大抵2時になる。
彼もそうだったみたいだ。出会った日から、私は彼と遭遇する機会が増えた。
それから、歳の近い私たちが互いの家を行き来して仲良くなるのは、割とあっという間のことだった。

「璃子」

「ん?」

「あのさ…俺、璃子のこと好きだよ」

「え?」

私の思考回路が一瞬フリーズする。違う絵が脳に映し出される。

「ねぇ璃子、今何か別のこと考えてたでしょ!」

「え…バレた?」

「何考えてたの?」

「考えてたっていうか…イメージが、浮かんでて」

「イメージ?」

「…電車の、中吊り広告……」

彼は1人でお腹を抱えて笑った。

「まじか!よりによってそこ?!もうほんと、意外なとこ突いてくるよね…まぁ、でも分かるよ、璃子の気持ちは。けど俺の気持ちは、変わらない。もう決まってんだ」

目を伏せる私に、彼は囁いた。

「ねぇ璃子。俺のA子さんになってくんない?」



ー若手のカメレオン俳優、檜山省吾が一般女性のA子さんと熱愛か。
私は”A子さん”になった。璃子ではなく、”A子さん”に。
私は週刊誌に、勝手に名前を付けられた。


でもそれはもう、3年も前の話。

「俺のA子さんになってくんない?」

今思えば、なんて陳腐な告白の言葉だったのだろう、と思う。そんな言葉に頷いて、彼の女になった自分を情けないとすら思う。
元々テレビもネットも見ない私は、何も知らなかった。省吾の出演作品はもちろん、彼の噂についてだって、何も。
彼が稀代のプレイボーイだなんて、知らなかった。
多分私はアルファベットの最初のAではなくて、Jくらいの立ち位置だったのではないかと思う。きっと私はJ子さん。



通勤電車の中吊り広告に、派手な見出しを見つけた。夏の特別号の、トップニュース。

『檜山省吾、一般女性A子さんと熱愛か?ー1年半の極秘通い愛に迫る』

”A子さん”なんて、世の中には腐るほどいる。アルファベットは使い回しの証。
この「通い愛」の女は、私の後に使い回されているんだ。
そんなことを思って、新たな”A子さん”を勝手に哀れむ。嫉妬と区別しがたい、うねるような感情を抱えて。

なぜ、固有名詞を捨てなければならないのだろう。
省吾にとって私は、一体何だったのだろう。



「通い愛」の女に問いたい。

あなたは本当に、”A子さん”になりたいの?