ダーク・ファンタジー小説
- Re: Jet black- Butler&Lady ( No.5 )
- 日時: 2020/08/12 13:04
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
03 「その執事、女王の思惑に」
「おはようございます、お嬢様。今日は晴れていますよ」
ノックをして入ってきたキールはカーテンをザっと音を立てながら開ける。
優しく微笑んでいるがさっき、レーブが言った通り、少し張り詰めた空気を漂わせていた。
わたしはゆっくり、と起き上がり瞼を擦る。窓から差し込む光に眩しく眼を瞑る。
「………おはよう、キール。今日の予定は?」
ふわぁっと欠伸をしてしまう。
彼はそんなわたしに微笑を浮かべて、モーニングティーを用意しながら答える。
「今日はこの朝食の後、ヴィクトリア女王と会う事になっています、何やら話があるそうで」
難しげに眉間に皺を寄せたキールはわたしに新聞紙とティーカップを渡してくれる。
短く礼を言い、新聞紙を開き、紅茶を一口飲む。
「……これは…アールグレイかしら………?」
匂いを嗅ぎ、紅茶の味を味わう。
そのわたしの言葉に大きく頷いて、洋服をベッドに出してくれる。
「それでは着替えの方はメイドが来るので、外で朝食の用意をして参りますね」
恭しく背を向けて出ていったキールの淹れたまだ温かい紅茶を飲みながら新聞紙を読む。
興味が湧く見出しに息を呑む。
最も大々的に取り上げられていたのはロンドンの至る外壁に『Where's the boy whose stomach was torn』と書かれていた。
直訳すると、腹を切り裂かれた少年はどこだぁ?という文面になる。
奇妙で恐ろしい。
これが至る外壁に、と思うとぞわっとする。
警察が調べてみたところ、その言葉の通り、腹を切り裂かれた少年が死体で発見された。
…………連続少年殺人事件。
いずれも少年は孤児で身元もない、食べるものに困った生活を送っていた、という。
その時。
「お待たせしました〜!お着替えに参りました、専属メイドのマルシェと申します」
専属メイドのマルシェは雀斑に栗毛を結ってメイドの服を着こなした陽気な雰囲気が漂う女性だった。
笑顔を浮かべた彼女は手際よくパジャマを脱がせてくれてしっかり、上から着せてくれる。
黒と赤が基調となったゴシックのドレス。
記憶を失う前のわたしはこのようなデザインが好きだったのか、クローゼットには似たような服が並んでいる。
金がアクセントカラーになった可愛いドレス。
パジャマもフリルのついたものだしファッションには拘りがあったのだろうと思う。
『——————周りの人間を簡単に信じちゃ駄目だ、お姫様』
レーヴのあの日目覚めようとしたときに言われた言葉。
何か彼、彼女の言葉には意味がありそうで何か引っかかる。
含みのある口調に張り付けたような笑みが頭の中に浮かんでくる。
周りの人間、執事で傍にいてくれる唯一無二のキールも、マルシェも?
考え込んでいるとマルシェが目を輝かせて話し掛けてくる。
「今日は女王陛下と会うそうですね!大変にお美しい御方なんですよぉ〜!」
彼女の言葉からは心から支持していることが判った。
本当に素晴らしい女王なのだと、思う程に国民の彼女への支持は厚いようだ。
喋りながらも寝癖のついた深緑の髪をマルシェは優しい手触りで櫛で梳かす。
何回も梳かしているうちにいつもと同じのわたしになっていく。
マルシェは慣れているようで耳の横で二つに結ってからくるくる、と周りに巻き付けていく。
「いつもより高めにしますね、イメージチェンジも良いでしょうから」
親しみのある笑みを浮かべたマルシェに頷き、任せる。
髪型が結い終わった直後、ノック音が響き渡る。
——————コンコン。
「朝食が出来ましたのでお迎えに上がりました、マルシェ。終わっていますか」
マルシェに確認を取ったキールは入ってくる。
わたしに会釈をしてから近付くとフッと微笑んだ。
「いつもと違って団子の位置が高いですね」
結いたての髪型を見て、マルシェに話し掛ける。微量の差も判るのか、と呆気に取られてしまう。
マルシェは頬をほんのりと染めてから、ハイっと頷く。
「キールさんも可愛いと思うでしょう?」
その言葉にキールは表情を緩めて、首を縦に振る。
「はい、とても可愛らしいです…………」
キールの濁りのない言葉にわたしは目を見開いた。
他でもない傍にいてくれるキールに言われるだけで嬉しくなる。
わたしは笑みを溢した。
*
栄養バランスの良い朝食を摂って馬車に乗り、女王陛下の住まう城に到着する。
鼓動が速くなり、頬に血が集まったわたしは込みあがってきた唾を飲み込む。
「……緊張されているのですか?」
わたしの心境を察したキールが心配そうに顔色を窺ってくる。わたしは大丈夫だと、深呼吸をしながら頷く。
キールはそれでも心配そうに端正な顔を歪める。
「大丈夫、どんなことがあってもわたしは此処にいる。記憶を失っても伯爵の位についているから与えられたことはちゃんとする、だから——」
下唇を噛み締め覚悟を決めてから、表情筋を動かす。
「———……キール。貴方だけは絶対に、何があってもわたしの元から離れないで」
わたしはキッと眼を鋭くさせる。
『——————周りの人間を簡単に信じちゃ駄目だ、お姫様』
レーヴ、解ってる。
記憶を失って他人から見たら何もかも信じ込ませることが出来る無防備な子供—————それが私。
胸倉を掴んではぁっと息を吐く。
—————彼だけは信じたい、信じることがしたいんだ————。
一歩踏み出すと同時に誰かが音を立てる。
わたしが振り向くとキールが恭しく頭を下げて跪いていた。
「畏まりました、マイレディ」
その声に、その言葉に。
聞き覚えのある言葉が脳裏を過ぎる。
『—————小さなマイレディ———』
でも、思い出せない。
誰が言っていたのか、それは多分、キールかもしれない。
記憶を失う前によくわたしに言っていたのかもしれない。
多分そうだ、だから聞き覚えのあるんだ。
そうわたしは勝手に解釈する。
踵を返して、城に入っていく。
白が基調となって碧色がアクセントとなる城だった。謁見の間に着くまで芸術作品を見ているような気持ちなった。
顔が映り込む程の大きなドアと塵一つない鏡張りの窓。
謁見の間には白い燕尾服を着た黒髪を三つ編みに結って蛍光瞳で猫目の眼鏡を掛けた少年が立っていた。
「やぁ。“久し振り”だね〜って噂では記憶を失っているんだっけ」
“久し振り”ということは面識があるのだろう。
相手の言葉にわたしは頷き、「記憶がないです」と答える。
「……んじゃ、自己紹介するね。ボクはザーシャ・カルティア。仕事はキール君達と同じかな、ちょっと戦闘が多いだけで」
彼は弧を描くように唇を結ぶ。
後ろで尾いてきていたキールに手を振ると、大きなドアにノックをしてから入っていく。
ザーシャさんの後ろに尾いていく。
煌びやかな装飾のある大きな一室の真ん中には小さな女性が微笑んでいた。
その女性は長いオフホワイト色の髪と白薔薇を髪飾りにし、その顔立ちに映えるブルネットの瞳が特徴的な、花嫁のようなドレスに身を包んでいた。
————嗚呼、この御方だ————。
女王と呼ぶように相応しい気品が漂ってくる。吸い込まれるような赤い瞳に見惚れてしまう。
「…………姫、御身体の方は大丈夫なの?心配していたのよ」
心配げに眉を下げる女王にわたしは頭を下げる。
「御心配の言葉、ありがとうございます……っ陛下」
彼女の顔を見るだけでドキドキした。
緊張を隠せないわたしに女王はくすり、と笑う。
「そんなに畏まらなくて良いのよ、私と姫の付き合いでしょ……一応、自己紹介をするわね。英国女王であるヴィクトリアと言うわ」
ヴィクトリア女王は玉座から身を乗り出して太陽も怯むような笑みを向けて下さってくれた。
その笑みにかぁっと赤面してしまうわたしが一人。
「病み上がりでしかも……記憶を失ってしまった直後で失礼するわ、でも、解決してほしいことがあるのよ」
—————解決してほしいこと?
わたしは小首を傾げる。その様子にヴィクトリア女王は口を動かす。
「まぁ、あのキールが伝えていないなんて信じられないわね………代々、貴女が当主を務めるグランヴィル伯爵家は国王の悩み事や気になることを解決して取り締まってきたの、それがまずグランヴィル伯爵家だけの王から与えられる仕事なのよ」
グランヴィル伯爵家はそんなことまでするのか、と思ってしまう。
「では今回の悩み事や気になることとは……」
そう、と女王は難しい表情と頷く。
「今日の新聞の見出しにあった最近、続いている不可解な少年連続殺人のことよ。犯人は同じらしくターゲットは12歳くらいの少年を残酷な手口で殺害しているみたいなのね…………これが国民の不安の元となっているのよ……」
女王はその白い柔肌に冷や汗を伝わせる。
彼女自身で国民の不安を取り除きたくても出来ない事なのだろう、滅多に外出を許されず国務に励んでいる彼女は外で何が起こっているのか知りえない為、新聞で確かめているのだろう。
それが偶々、今日の朝わたしが読んだ連続殺人。
「危険な事と解っているわ、そして私はこれからもこのようなことを頼むわ。姫を危険な目にも遭わせたくない、矛盾しているって一番解っているの。でも警察も頭を抱えているこの事件の真相が知りたい、だから捜査を行うにあたって姫とキールだけじゃ心配だから……」
そう言いかけた彼女は隣で黙って話を聞いていたザーシャに扉の向こうに行かせる。
「もう一人の守護を執り行う秘書兼執事を遣わせることにするしたわ」
ザーシャの後ろに尾き、入ってきたのは赤みがある金髪に翡翠の瞳を持つ少年。
同い年くらいだと思うがまだ、幼さの抜けていない顔つきにわたしの一つ、二つ下だろうと思う。
「彼は今は亡きグランヴィル家前当主であるジョージア・グランヴィルの姉であるルージュ・ノルマンディーの息子です」
紹介された少年は周りに笑顔を向け、わたしに視線を滑らせた。
—————従弟となるのか、じゃあ、一回くらいは会ったことがある?
ザーシャやヴィクトリア女王に向けられる温かな眼差しとは打って変わってわたしに向けられる眼差しは何故か冷たく見えた。
「ルーカス・ノルマンディーです」
ルーカスと名乗った彼は、キールと対照的な態度を示していた。
黒い燕尾服は少し着崩して面倒臭そうにふうっと息を吐いていた。
次に入ってきたのは扉の向こう側で、待っていたキールだった。
キールは珍しく怒っているように見えた。
栄光のある敬わなければいけない女王をキッと怒りに燃えあがる獣のように睨み付ける。
「どういうことですかッこのルーカス・ノルマンディーはお嬢様の護衛もろくにしようとせず、溜息を吐くような礼儀作法のなっていない無礼な男ですよ!!」
女王にあり得ない言葉の口調で咬み付く。
対してヴィクトリア女王は叱られているのにも関わらず余裕の笑みを浮かべていた。
「不満はそれだけなの?キール・アレスター」
恐ろしく、そして優美な彼女の声に怯むことなくキールはルーカスを睨む。
「不満?そうじゃない、お嬢様は原因不明の記憶喪失で二週間も寝込んでいた。それなのに、殺人事件の捜査に向かわせるだけでなくまともな守護をしない奴を寄こしてくる、ただの足手まといになるだけだと解っていますよね!!!?」
その止めることのできない怒りの炎に唖然としてしまう。
キールはルーカスの事をこれほどまでに嫌がるのか、と小さな疑問が胸を過ぎる。
「それまでだよ、キール・アレスター。流石に聞くに堪えないよ。女王陛下にそんな言葉を言うなんて女王陛下が御怒りになければ、ボクは容赦なく君の首を刎ねていた」
鋭い剣先をキールの首元に向ける。
不機嫌に眉を寄せたザーシャの瞳は砕けた親しみやすさの欠片もなかった。
キールはザーシャを睨み、邪魔だとばかりに剣を剥こう抜こうとする。
そしてキールの怒りの元となっているルーカスは我お構いなしに溜息を吐きながら顔を背けていた。一方の女王は劇でも見るように満面の笑みを浮かべ眺めていた。
しどろもどろに不安がっているのはわたしだけ、という事になる。
ルーカスを見つめて助けを訴えかけるがチラリと見るだけで行動してくれそうにない。
「刎ねれるものなして見て下さい。自分の主はヴィクトリア女王陛下ではなく、ベルデ・グランヴィル伯爵……お嬢様です。自分の命など、これから危ない目に遭いに行くようなお嬢様を思えば棄てられます」
その言葉にザーシャは鼻で笑う。
「へぇ……その揺るがない忠誠心には感嘆の言葉を贈りたいけど、それが反逆心だと見なされ命取りになるからね。キール・アレスター」
交戦を今にも始めそうな張り詰めた空気に耐え切れずに声を上げる。
「止めて!!キールッッ!!!」
キールは石造のように固まって目を丸くする。そして心配そうに眉を吊り下げ、わたしを凝視する。
「……はぁッッはぁッッ……ゴッ、……ゴホッッゴホッッゴホッッゴホッ!!!!!!」
久し振りに出した大声に苦しくなって咳き込んでしまう。
喉が燃えるよう熱く、そして苦しくになって胃酸と唾が一緒になって込み上げてくる。
吐きそう、気持ち悪い。
カタカタ、震える指先を伸ばすと黒い手袋を着けた大きな手が握り返してくれる。
腰の力が入らなくなって倒れそうになるところを支えてくれる。
—————キールだ。真っ先に来て謝ってくれる反省した甘い声、言葉。
安心する。信じられる。
「出過ぎた真似、すみませんでした……お許し下さい、お嬢様、女王陛下」
恭しく跪くキール、それを光のない眼で見つめるザーシャにルーカス。
キールの態度に対して女王は。
「……解ったわ。姫にとって貴方は必要不可欠な存在、夢だと思って水に流すことにするわ」
その寛大で穏やかで包容力があり、心優しい大聖母のような性格に涙ぐんでしまう。
いまだに痙攣が収まらなく口の中いっぱいに広がる酸っぱい味に顔をしかめているわたしを心配して帰ろうとするキールを女王は引き留める。
「キールは残ってくれるかしら。姫とルーカスは帰って良いわよ」
言われるがまま城、謁見の間と出たわたしとルーカスは馬車に乗る。
- Re: Jet black- Butler&Lady ( No.6 )
- 日時: 2020/08/10 16:27
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
04 「その女当主、執事と確執あり」
言われるがまま謁見の間と出たわたしとルーカスは長い廊下を歩く。
あの一人残ったキールの悲しげな顔が瞼の裏に張り付いて離れなかった。
「…………キール」
指を絡め、頼まれた事件を見ると同時にキールの事を考えていた。
廊下を歩く音だけが静かに響く。
ルーカスは口を開く気もない様子だった。
何か話題をつくらなくては、と思ったわたしは恐る恐る声を出す。
「あの………いッ、良い天気ね……」
そう話し掛けてみたらルーカスは目線を逸らして。
「言われなくても判っています。世間話は必要ありません、貴女様は女王陛下の悩みを解決する家の当主様です。国民を不安に陥れるものを取り締まる為、私情を廃し冷徹でいなければなりません」
わたしは目を見開く。
「慣れ合いを求めてはいけません」
突き放された感じがした。確実にいや、突き放された。
——————“関わってくるな”と。
「まぁ。御心配なく誠心誠意、貴女様の護衛を務めさせて頂きます」
わたしは首を小さく縦に振る。
ルーカスは凛と引き締まった表情で私の眼を真っ直ぐに、強く見つめ続けた。
「……、……なんてね。キール君が言えば決まるんでしょうがこのような言葉は俺……私には合いませんね」
はぁっと張り詰めた空気に溜息が漏れる。
「……というかあの異常なくらいに周囲の気配も把握できていた“あの”伯爵様がそれすらも出来なくなっているのですね」
にこっと初めて笑い掛けてくれたルーカスはわたしに手を伸ばす。
腰をグイッと寄せられわたしは声を上げる、そして、守るようにわたしを後ろに隠す。
「護られてるからって油断していたら後ろからグサッと刺されてしまいますよ」
甘い吐息と言葉が耳に掛かり、思わず頬を赤くしてしまう。
そうしていたら鋭い風切り音がわたしの耳元を通り過ぎる。
慌てて振り返ると、若い優しそうな夫人の顔の横に鋭いナイフが突き刺さっていた。
突然飛来したナイフに驚いたのだろうか。
夫人は明らかに不審な動きで廊下の壁に張り付いている。
わたしはナイフを飛ばしたルーカスを凝視する。
少しでもずれていたら夫人は大怪我どころではなかった。
「貴女様が自分の身を自分で護れないから私が居るわけです。私の管轄外であれば何の問題もないですが今何かあれば女王陛下に私の首が飛ばされます故」
そう丁寧に説明したルーカスは夫人に近寄る。
綺麗な微笑みを浮かべながら話し掛ける。
「さてミセス。この区域は立ち入りが制限されているんですが知りませんか?」
夫人は表情を険しくしてわたしの手を握る。
「グランヴィル伯爵の御姿が見えましたから———……伯爵、記憶喪失って本当なのでしょうか?わたくしの事も忘れてしまったのですか?」
わたしは申し訳ない気持ちをいっぱいにして大きく頷く。
そんな、と声を上げる夫人に対し、ルーカスは目を見開いて呆気にとられた表情で夫人を凝視する。
「え……どうして知っているんですか。他言無用と口止めされている筈なのに」
ルーカスの驚きの言葉に夫人は俯く。
そして、口を動かす。
「もう噂になってます。記憶喪失になった伯爵が所有する会社はどうなるのだろう、取引は、と」
顎に手を添えた夫人は絵になった。
ルーカスが傍により、話を真剣な表情で聴く。
「人の口には戸が立てられないってことですね……」
はぁっと溜息を吐くとわたしを見つめる。
暫くの沈黙が続き、わたしは夫人に話し掛ける。
随分と親し気にわたしを話し掛けに来たこの方は誰なのだろう、と思い訊ねる。
「えっと、貴女は……?」
夫人はわたしの質問にあッ、と口を開き、悲し気に眉を下げる。
「わたくしはアイビー・エインズワースです。是非、アイビーとお呼びになって下さい。一応、伯爵とはお茶をしたりショッピングに行ったりする仲でした」
悲しげに微笑む夫人を見てわたしは心が締め付けられた。
前のわたしと仲が良かったのだろう。
「解りました。これから宜しくお願いしますね」
そのやり取りを見ていたルーカスにキッと目を向ける。
「……でもルーカス様が伯爵の護衛なのには納得できません……多分、“キール様”も反対だと思います」
キール、と口に出した彼女をわたしは凝視する。
反対していたのは事実だし何故、そのようなことを思うのか不思議でたまらなかった。
「どうしてこのような男を………やっぱり、伯爵の元婚約者だからですか?」
濁りのない言葉にわたしは声を上げる。
「こッ、婚約者……ッッ!!?」
知らなかったんですか、とでも言うようにアイビーは小首を傾げる。
ルーカスを見ると息を吐いて面倒臭そうに眼を逸らして口を開く。
「元、ですから」
ルーカスは吐き捨てるように呟く。今までのわたしに対するルーカスの行動と反応をつなげてみるとよい関係だと言えなかった、と思う。
わたしが不安げな顔をしているとアイビーは眉を吊り上げる。
「とにかく伯爵、その男を簡単に信用してはなりません。護衛に就く前だってまともに仕事をしなかった男ですから」
と言うと可愛らしく上品なドレスを恭しく翻し去っていく。
「……、……彼女の言う通り、私を信用しなくて結構ですからね。此処で生き残りたかったら他人と深くかかわらない事。信用しているふりをして決して他人を信用しない事です」
笑顔で言う彼の口からはこのイギリスに対する真っ黒な毒が吐き出されたような気がした。
王室に。
わたしに、キールに女王に、ザーシャに。
対する毒。
『——————周りの人間を簡単に信じちゃ駄目だ、お姫様』
突然、あの日言われたレーヴの言葉が脳裏を過ぎる。
真剣で見たことのない笑顔のない表情に声。
そう揃いも揃って同じような言葉を、同じような表情になって言われると黙り込んでしまう。
「記憶を失った貴女様の藁にも縋りたい気持ちは解りますが忠告はしましたから……そのうち、解ることでしょう」
彼の皮肉気な含みのある笑顔にわたしは背筋を凍らす。
此処は彼が見限ってしまうような人間が集まるところなのか。
そんな場所なのか。
何かあったのか、と訊けばルーカスは面倒臭そうにする。
「……全く質問ばかりですね。前の貴女様とはまるで違う、考える事もしないで。私にはそこまで御答える義理も義務もありません、少しは御自分で御考えになってはどうですか?」
そうしてわたしを見つめ、笑う。
「結構、頭の体操になるんですよ……まぁ出来れば貴女様がこの私に話し掛けても良いという権利が無くなって欲しいですね」
簡単に告げる彼から伝わる敵意がわたしを襲う。
以前、わたしは彼を傷付けるような酷いことを言ったのかもしれない。
今のわたしには推測しか出来なかった。教えて貰う事も出来ない。
でも、前のわたしがしたことであって今のわたしは何も知らない。
理不尽だ、前と今のわたしは別人でしかない。
「……ベルデ様。いいえ、聡明なベルデなら答えて下さい。正直に話すと私は貴女様が記憶喪失であることを疑っています、無傷でそれも都合良く記憶を失って……」
一体さっきから何なのだろう、と沸々と煮えあがる怒りの感情が心を覆っていった。
我知らず下唇を噛み締め、爪を立てながら拳を握り、募る怒りを抑える。
「記憶喪失のふりをしてわたしが何を得するの?」
わたしの棘のある言い方に皮肉な笑みを浮かべる。
「楽しんでいるんじゃないか、って私のような者の慌てふためく姿を見て」
楽しむ?
そんな残酷で冷徹な人間だったのか、わたしは怒りに燃えあがる。
アイビーの言葉からはそんな感情は籠っていなかった。
前のわたしはルーカスにだけそのような態度を取っていたのか、疑問は増えるばかりだ。
「……まあ、私はキール君の言う貴女様が倒れて記憶を失う現場に残念ながら立ち遭わせてはなかったので何とも言えませんが」
投げやりな言葉にわたしは呆気にとられる。
そんなわたしの間抜けな顔にルーカスは息を吐く。
「……良いんじゃないですか。そんな些細なことを気にしなくても、貴女様にとって本当に些細なことだと思います」
歩きながら話していて城の門に近づく。
城から出ると黒い馬車が待っていた。
「さあ、乗って下さい。……此処からは世間話ではなく例の事件の話をしましょう」
言われるがまま、わたしは馬車に乗る。
込みあがってきた唾を飲み込み、ルーカスの言葉に頷いた。
今の会話でアイビーとキールがルーカスに反対する理由が解った気がした。
わたしの事を素で疑うルーカスを護衛には、と考えるのには納得した。
疑っているから仕事もちゃんとしないと思う。だからキールがあんなにも怒った。
「……」
反省した。自分を心配して女王に怒鳴り散らしたキールを理由も聞かないで怒ってしまった。
キールが帰ってきたら謝ろう、そう思った。
- Re: Jet black- Butler&Lady ( No.7 )
- 日時: 2020/08/05 18:30
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
05 「その女当主、事件の捜査を始める」
「さて、まずは事件の名前でも決めてしまいましょうか」
密室の馬車の中、ルーカスの切れの良い声が響く。
わたしは大きく頷き、新聞紙を読んで考えを言う。
「この事件は至る外壁に『Where's the boy whose stomach was torn』と書かれていたことが特徴的だから……『Where's the boy whose stomach was torn』事件と簡単に命名をするのはどう?」
すると、ルーカスは反論することもなく「それでいいと思います」と賛成する。
顎に手を添えて外に目を向けながら話す。
「では、事件について纏めていきましょうか」
新聞を読む。
「犯人は至る外壁に『Where's the boy whose stomach was torn』と書き今まで4人もの少年を腹を裂き殺害した。それは鋏で相手が苦しむのを見て、楽しんでいた……精神異常者だと考えられる。また事件の傾向として深夜に出歩いている貧困に苦しむ少年を狙って殺害現場に近い外壁に書いている」
短く纏められ、わたしの考えも察したルーカスの言葉にわたしは頷く。
そして、ある疑問が浮かび上がってきた。
「その犯人は……身長や利き手として……」
ルーカスはその言葉に目を見開き、皮肉気な笑みを浮かべる。
「利き手は左、そして性別も身長も何も利き手以外は判らない。けれども少し気になるのは斬ってもない頬に不自然な血が付いているところです。ほら見て下さい」
と見せてきたのは少年が無残に殺され、頬に血が付いている写真が印刷されたわたしの持っている新聞と別の新聞会社が作った新聞だった。
「………どうして?遺体に触れるだけでも……証拠が残るのに……」
わたし達は首を傾げた。
楽しんで殺した筈、その事は間違っていないと思う。
現に一番苦しむよう鋏で腹を切り裂き、外壁には腹を切り裂かれた少年は誰だぁ?と言う隠れたものを楽し気に口外しているように感じる。
なのに、どうして。
これからも少年を殺害したい筈だ、解らない。故意に証拠を残すのが。
殺害対象の少年にも不可解なことがあった。
わたしはその写真を見つめる。
淡い金髪で青緑色の瞳を持つ幼さが抜けない少年、それも見た目が12歳くらいに限られた殺害対象。
その意味に何か理由がある。
直感しても理由が解らない。頬を血の付いた手で触る理由が、解らない。
考えれば考えるほど謎は増えるばかりだった。
ルーカスは難しげな表情で新聞を見つめ、額から頬にかけて冷や汗を流すだけ。
そうしていくうちに馬車が止まる。
窓を覗くと森林に囲まれ、小さな湖と花々が咲き誇る緑色の屋根の大きな屋敷が見えた。
——————着いた。グランヴィル家の屋敷だ。
ルーカスは頷き、参考資料を纏める。
「着きましたね。事件の話はキール君も交えて話し合いましょう、そして警察に話を聞いたり現場捜査をしたりして真相を突き止め、女王陛下が満足する結果に辿り着きましょう」
先に降りたルーカスは、馬車の扉を開き、わたしに手を差し伸べる。
気に入らないところもある、だけど。
彼はそれ以上に優しいことは解った。
わたしはその手を掴み、握り締め、馬車をゆっくり降りる。
自室に入ったわたしは息を吐く。
「………」
鏡に映った自分の姿を見つめた。
思った以上に複雑で裏のある事件に困惑しているとは女王にとてもじゃないが言えない。
どうすればいいのだろう。
こんな時ヒントでも誰かがくれたらいいのに、と考える。
キールだってルーカスだって真相を知らない。
ヒントなんか与えられるわけがない。
何を考えているのだとベッドに寝転ぶ。
ルーカスの城での言葉が蘇ってくる。
『私にはそこまで御答える義理も義務もありません、少しは御自分で御考えになってはどうですか?』
嫌味のある呆れたような言葉。
質問ばかりをしていたのだから言われてしまっても仕方がないと今、思った。
くよくよ、悩みに悩む自分の頬を抓る。
そして気持ちを切り替えようとしたとき、今、最も必要としていた声が頭の中に響いた。
《……やあ、お困りのようだね。女王に頼まれた事件のヒントが知りたいんだ?へぇ……じゃあ、こっちに来て》
いつ会っても面白げな彼の言葉に溜息を吐きながらも頷き目を伏せる。
意識が飛ぶような気がしてわたしは流れに沿っていった。
* * *
眼を開けるとそこは前、レーヴと初めて対面したときの真っ白な世界だった。
慣れてしまって恐怖も湧き上がらなくなっていた。
裸足で歩く皮膚が擦れたような音がして振り向くと、そこには自分と瓜二つの容姿をして白いワイシャツを身に着けた少年が立っていた。
—————レーヴだ。わたしが創り出したという道しるべ。
《やっぱり、此処で話した方がいい。集中出来る、ヒントを与えるに当たって条件を出そうと思う》
その言葉にわたしはえ、と首を傾げた。
すると、含みのあるいつもの笑いを浮かべた。
《……そうだな、3つ提示しよう。1つ、必ずしもそのヒントが当たっているとは限らない、あくまで手助けに過ぎない。だけどそれがまるっきり嘘とは限らない、真実が隠されてる》
不利でしかないがわたしは受け入れた。
ヒントがないよりは在った方がいい、誰しもそう考えると思う。
《2つ、今回出すヒントの数は3つにするよ。その他のヒントは現実世界により独りの時、僕を「レーヴ」と呼び出してくれ。必ず独りの時だ》
何故、独りに拘るのか解らなかったがわたしは頷いた。
さっきのように呼び出しが出来たのならもっと早くに気が付けば良かったと思う自分がどこかに居た。
《3つ、僕は質問されたこと以外、答えない。例え犯人を知っていても、僕はベルデが自分で事件を与えられたヒントを使って解決するところが見たいんだ》
そう親のような眼をしてわたしの頬を触るレーヴは高みの見物、と言ったところで楽しそうだった。
わたしは頷き、さっそく質問を始めた。
「犯人は同じような容姿をした少年を殺害したの?そこには何かしらの理由があると思うんだけど」
質問にレーヴはへぇ、と声を漏らす。
《その定義は合っていると思う。まあ、本人に訊かなくちゃ解らないんだけど》
合っているんだ、とホッと安堵した。
わたしは次の質問をした。
「犯人は少年の腹を切り裂く事に意味が在った?」
レーヴはまた、笑い出し、頷く。
《うん、無いとは言い切れない》
わたしはその曖昧な返答に眉を顰める。
《何?返答が気に入らなかった?今までの事は全部本当さ、無いとは言い切れない。衝動的に殺ってしまったかもしれない、それは本人に訊かなくちゃ解らないんだよ》
遠回しな言い方からは質問を変えろ、と言う言葉が見えた。
わたしは大きく頷き、最後の質問をする。
《犯人は最後、何で必ず少年らの頬を触るの??》
またもやレーヴは笑い出す。
いい線をいっているかのように物語る表情はわたしに大きな自信をつけてくれた。
《意味があるみたい。誰かに重ねているんだ、と思うよ……これで以上かな》
小首を傾げ、わたしを見つめる眼には好奇心の色があった。
《さっきから、さ。キールの事が気になるの?ずっと彼の事を思ってる。……じゃあ、元婚約者って判ったルーカスの事は?》
そう詰め寄り訊いてくるレーヴにわたしは眉を顰める。
図星を突かれ冷や汗が頬を伝る。
彼はわたしの周りの人間の事までお見通しなのか、何でだろう、と疑問に思う。
《何で2人の事を知っているのかって?君は僕だって言ったでしょう、君が見て感じることは僕が解る》
彼の話を聞いていると誤魔化すように彼はあッ、と形の良い小さな口を開く。
《キールが城から帰ってベルデの部屋に入ってきたよ。早く行かなくちゃね、心配そうな表情だ》
あー大変だ、とレーヴは言葉を言う声には合わない表情で背を向けた。
わたしはその言葉に合わせて心の中から覚めた。
- Re: Jet black- Butler&Lady ( No.8 )
- 日時: 2020/08/06 11:17
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
06 「その女当主、疑問に思う」
心の中から覚めてゆっくり、と起き上がる。
清潔で柔らかなシーツが肌に溶け込んでいた。
「……」
レーヴの話によるとあと少しでキールが部屋に入ってくるんだろう。
それか誤魔化す為、嘘を言ったのか。
でも、今のわたしにはどうでもいいことだった。
起き上がったが力が抜けてまた、倒れ込むように寝転がる。
此処は前のわたしが当主を務めて住んでいた屋敷。
会社も設立して多くの企業と取引していたらしい。
女王の要望にも応じていた。
何が嘘で真実なのか、判断したくとも頼るべき記憶がない。
事件も行き詰っている。
ヒントは貰ったけどその先が、考えられない。
はぁっと息を吐いてまた、起き上がる。
テーブルには昼食が用意されていた。
マルシェが持ってきてくれたのだろう、美しい字のメモがあった。
スプーンを手に取って一口、食べてみる。
「美味しい……」
疲れのあった身体に沁み込んでいく。
————この部屋は塵一つ、それより置いている家具も少ない。
クローゼットを開けてみた。
中にはゴシック調のドレスばかり。
でも。
隠すように一着だけ、可愛らしいフリルがいっぱいついた桃色のドレスが有った。
街で歩いているような愛らしい少女が着ているようなそんなドレス。
彼女の好みからはかけ離れているように感じた。
わたしは黙ってからもっと自分を知る品はないか、ドレッサーの引き出しも開けてみる。
「これは……?」
アクセサリーの収納部らしく、指輪や綺麗な石が並んでいた。
いくつか試してみるとどれも吸い付くように指にはまる。
きっと、わたしのものだ。
中にはゴテゴテした装飾のアクセサリーもあり、少し自分のセンスを疑ってしまう。
聞いていたわたしとは想像できない意外な一面を発見したような気がして嬉しくなる。
思わず、独りで笑顔になっていた。
しかし結局、この部屋にはアクセサリー以外の目ぼしい物はなかった。
再び事件などの現実の沼に引き戻された気がした。
すると、次の瞬間……控えめなノック音がした。
「どうぞ」とわたしは返事をして大きなドアから入ってくる青年を見つめた。
少し緊張した面持ちのキールが遠慮がちに部屋に入る。
「あの後、大丈夫だったの?」
わたしはキールに近づき、そう訊ねる。
心配しているのか、という顔でわたしを凝視する。
キールは微笑を浮かべ軽く頷く。
「御心配には及びません、少し世間話をしただけです……それに私なんかの心配などしないでお嬢様は御自分の事を御考えになって下さい………でも、御心配してくれてとても嬉しく思います」
彼は頬をほんのりと桃色に染めて柔らかく微笑む。
そして表情を固まらせて、声の大きさを小さくした。
何の話だろう、と首を傾げる。
「……あの少し言い方に語弊がありますが……他言無用と女王陛下が仰ったにも関わらずお嬢様が記憶喪失という話は広まっています。グランヴィル家を狙う組織の耳にも入った事でしょう」
彼の言葉にわたしはゾクッと背筋を凍らす。
そして難しい表情で俯く。
「決して決めつけではないのですが……噂話をしている者はそれと同じという事だと私は思います……勿論、本人達に自覚はない事でしょう」
不安になる。
何も解らず、そういう者と親しくしてしまったら自分だけでなく家や女王の足まで引っ張ることになるのだろうか。
とても、想像しただけで恐くなることだった。
「………お嬢様が不安になられることはありません……そうならない為に私は貴女様に仕え、護っている……いつだって御傍にいるので」
わたしの気持ちを汲み取った言葉に驚く。
そこまで解ってしまうのか、と思う。
まるでレーヴのようだと。
「何だか………キールはわたしの心を見透かしているようみたいね」
その言葉にキールは驚きを隠せないようで眼を逸らし、冷や汗を額から頬にかけて伝わせる。
そして、口を動かす。
「……いや……まだまだです……心が解れば不安も取り除け、もしかしたら……記憶喪失にならなくて済んだかもしれません……全ては……きっと私の力不足なのでしょう」
キールの重々しい顔と声に冗談ではなく本気でそう思い言っていることが解る。
目覚めてから短い付き合いながら十分に承知しているがそれでも気恥ずかしくなってしまう。
「事件の真相もまだ掴めていない事ですし明日は先代の当主である旦那様が頼りにしていた情報屋に話を聞いて見ましょう」
——————情報屋?
その単語にわたしは動きを止める。
「明日は早起きですよ」
キールの甘く囁いた声が広い部屋の中を響き渡った。
* * *
赤い夢を見る。
暗い室内。
鏡張りの外からは霧がかった月が見える。
唯一の灯りである蝋燭が円卓の上に置かれ、周囲には複数の男女が集まっている。
男女は詩のようなものを叫ぶ。
わたしはただ、「嫌だ……離して……!!!」と叫ぶだけ。
何も出来ない。
犬のように吠え、子供のように喚き泣くしか出来ないそんな弱虫。
——————ただの子供だった。
どうしてこんな事になってしまったのだろう。
いくら考えても答えは見つからない。
堂々巡り。
「××に××を捧げよ!!」
低い男の声が、蝋燭の炎を揺らす。
蝋燭の炎を宿し鈍く光る各々の双眸が、一斉にわたしを見た。
わたしは次の言葉を口の中に留める。
言えば終わってしまう。
だが。
その叫びを、楽し気に、高みの見物と見る周囲の視線がそれを許さなかった。
どうか、殺さないで。
連れていかないで。
助けて。
とは、とてもじゃないが言えなかった。
彼らの思う壺になるんじゃないか、と言えなかった。
どうしても。どうしても。
乾いた唇からは消え入りそうな蚊の鳴く声しか出てこなかった。
「………やめて……っどうか……っ」
どこからか入ってきた蛾が、蝋燭の炎に焼かれ、死に墜ちた。
わたしの瞳からは涙が一筋、静かに零れた。
- Re: Jet black- Butler&Lady ( No.9 )
- 日時: 2020/08/06 11:46
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
07 「その女当主、記憶の中に堕ちていく」
「!!……ま、またあの夢……!!」
目が覚めると、掌から砂が滑り落ちるように夢の内容が消えていく。
脂汗が自分の毛穴から噴き出していた。
恐い。
酸素が上手く吸えないのか、肺がきゅっと萎むような感じがして胸倉を掴む。
心臓が痛い。
明らかに自分は今、過呼吸になっている。
危ない状態にあると分かった。
いつかの誰かの言葉が脳裏から水泡のように上がってくる。
* * *
『あら……っ!酷い熱ね……今日のピクニックは、残念だけどまたに……、しましょうか』
心配げな女性の声。脳裏に浮かぶ情景。
それでキュッと下唇を噛み締めた。
どうやらこの子は、何かを言い出せない時や悔しい時、怒っている時、感情を抑える為下唇を噛み締める癖があったようだ。
『心配なんだ、身体が弱く人一倍アレルギーが多い………当主には少し荷が重すぎるんじゃないかって』
その会話を聞いてしまいその日は泣きながら寝た。
何かの記憶が、誰かの記憶が、鮮明に蘇ってくる。
強い頭痛と心痛に襲われ、倒れ込んでしまう。
頭痛だけじゃなく後頭部が叩き割れるように痛くなる。
—————その時、聞きたかった声が頭の中に響いた。
《大丈夫か、ベルデ……!深呼吸するんだ、落ち着いて………僕が傍にいる!!》
いつもとは違う慌てふためく声。
信頼、していると言えばキールの前に信じている人物の声。
それで少し、痛みが和らいだ気がした。
《そうだ……その調子……、メイドの……いいや、キールを呼ぶんだ。部屋の扉の前にいる、彼なら身体の薬の居所も知っている筈だ》
時間が勝負なのか、《急げ》と急かすレーヴの言葉に従って壁の一面に張り巡らせられた手摺に掴まりながら扉を叩く。
目覚めたばかりで自分のアレルギーの事、身体の事、交友関係の事、何も分からない自分よりは信じられると思う。
レーヴを信じた。
キールは異変に気が付いたらしく、扉の前で倒れそうだったわたしの身体を抱き抱える。
そして、囁いた。
「御身体に触れる事、今だけ許して下さい……!」
そう言ってベットに寝転がすと急いで水と薬らしきものを持ってくる。
渡してくれた水で薬を飲む。
「大丈夫ですか……これまでこんなに激しい症状が出なかったのに……」
キールは何か言いたげな表情で背中を摩ってくれる。
頭痛などの痛みは薬の効果で和らぎ、一緒に痛んだ後頭部も普通になっていた。
過呼吸も収まっていた。
どうして、急にこんな事になったのだろう?
《負担だ………ルーカス・ノルマンディーなどの過激な言葉、そして何より、心配や過労などの疲れが原因で耐えていた身体も壊れそうになり悲鳴を上げたって言う事だよ》
答えるように頭の中を響く。
彼はあの約束を憶えていないのか、独りきりじゃないのに喋りかけてくれる。
《約束?憶えているに決まっているだろう、でも、君の……ピンチだから関係なく話しているんだ!此処ではキールがいる姿を鏡に映せられないがまあ、良いと思ってる……此処からでも君の身体や様子は把握できるからね》
本当に心配してくれているのだと思う。
彼の視点からはわたしが見えているようでわたしの日常、様子を把握できるみたいだった。
満足気な、それでも不服そうな、そんな曖昧な声が返ってくる。
「白湯でも飲んで、身体を休めてくれ……本当に」
そう言い残したキールは外に出る。
わたしは自分の身体を摩った。
どうして、こんなにも身体が弱いのだろう、と疑問に、嫌に思う。
* * *
『どうしてこんなにも身体が弱いのかなぁ………?嫌だよぉ……こんな身体……』
子供の、声。
ぐすぐず、と鼻水を啜り咳き込む。
ふかふかの布団の中で悲し気に目を伏せる。扉の向こうを見つめた。
—————また視点が変わる—————。
ふらふらと重心の安定しない身体で部屋に張り巡らされた手摺に掴まりベランダを出る。
『わたしも……行きたかったなぁ……いっつもそうだよぉ……』
大きな音を立てて家を出ていく誰かを見つめて、呟く寂し気な少女の、声が響いた。
冷たい風が頬を触れていく。
ほろり、と音を立てて涙を流す。
——————………この声は、さっきから聞こえる言葉は……。
パーツの破片が一つ、見つかったような気がした。
掌に戻ってきたように思う。
小さな、小さな、あっと言う間に割れてしまうような記憶の破片。
あれはいつだっただろうか、いつかの日。
幼い、わたしの視点から見た家族の形だった。
……存在。
いつも病に罹り催し物には連れていかれなかった。
孤独で、暗闇の中に独りぼっちのような気分。
聞こえる言葉は誰かがわたしに掛けた言葉。
《……デ。ベルデ、それ以上は思い出さなくて良い……今の君の身体は辛い過去に、記憶に耐えられない》
レーヴは何かを知っているようだった。
でも。
教えてくれない、それはわたしの事を思っての事だろう。
一刻も記憶を取り戻したい。
その気持ちは在る。
だけど。
少しずつ積み上げていけば良いと思った。
ギュッと掌を丸め、握り締め、心の中で返事をした。
- Re: Jet black- Butler&Lady ( No.10 )
- 日時: 2020/08/10 15:32
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
08 「その女当主、執事らの新しい一面を見つける」
『————その血は?』
そう訊かれ、答えに戸惑う。
高貴な彼女の為だから、それは合ってる。
だけど、間違ってると思うのは何故だろうか?
「大丈夫、心配しないで。これは………返り血だから」
彼はわたしの言葉を聞くと目を見開く。
そして、声を潜める。
『……また、殺したのか?××の為に?』
わたしは頷く。
彼女の為。
「あんなに××を困らせてかき乱していた人なのに最期はね、泣き出して命乞いをしたのよ?」
『………、別に……殺す必要はなかったと思う』
後には引けない。
わたしの役目。
「……邪魔な者を排除するのがわたしだけの役目よ、それを嫌だと思うの?」
今日も、明日も、これからも。
ずっと幸せに暮らせると思った。
“幸せ”と“普通”が簡単に壊れることも知った。
立て直すまで苦労もした。
あんな屈辱、もう、したくない。
—————あの頃にはもう、戻れない。
それを知る度に、口にする度に心が締め付けられ、痛む。
「ねぇ、わたし達。あの頃にはもう、戻れないのよ」
* * *
「……また」
長い髪が汗で張り付き、頬には涙の跡があった。
酷く、胸が痛い。
今までは思いだしたくても思い出せなかったのに、あの日から。
記憶の破片を取り戻したあの日から。
夢の一部を鮮明に覚えてる。
「赤い、……血……っ」
会話で聞いたようなことを、わたしはしたのだろうか。
あの返り血を浴びた人間はわたしなのだろうか。
思いだしそうで恐い。
所詮は夢だ。
現実ではないとそう自分に言い聞かせる。
コンコン!
弾んだようなノック音が部屋を響く。
「どうぞ」
返事をした数秒で、大きな鏡のようなドアから入ってくるこの女性は自分の専属メイドだ。
マルシェは二ッと陽気な微笑みを浮かべていた。
「お嬢様、おはようございます!今日のお召し物と……いいものを見せようかと思いまして急いで来ちゃいました!」
鼻歌交じりの声を漏らしながら、ドレスを選び、ベッドの上に置く。
慣れた手つきでパジャマのボタンを外していって、頭から服を着ていく。
——————いいもの?
わたしは永遠と考えていた。
何のことだろう、そう顎に手を添えたその時、着替えが終わったようでマルシェはわたしを見つめる。
「……いいものっていうのは……執事などが行う朝練です。特にキール様とルーカス様の模擬戦は物凄い迫力なので御見せしたかったんです……説明をしましたので早速行きましょうか」
全て話をされたわたしは曖昧に頷く。
朝練と言うのは言葉の通り、精神力と体力を養うことみたいだ。
わたしが寝ている間に2人でそんなことをしているなんて知らなかった。
ちょっと知らなかった自分が恥ずかしく思う。
主人である自分は暢気にふかふかの布団の下で寝ていたことが。
執事である2人は朝練をしていたこの差が。
下唇を噛み締めた。
* * *
「ここですよ〜!」
歩いて数分、目的の場所に着いた。
屋敷内とは違う凛とした空気が張り詰めている。
多くの人が剣を交えて、汗を流していた。
「凄い………っ」
感嘆の声が漏れる。
すると、マルシェが急に手を優しく握ってきて、愛くるしいその栗色の丸い瞳で見つめてきた。
「……お嬢様もご活躍されていたんですよ。お嬢様は国家の騎士にも勝てる強さを持っていました、剣の名手と呼ばれるほどです」
その眼にはわたしを懐かしむ色が見えた。
俯いてしまう。
「誰が何と言おうと私には御立派な……旦那様や奥様が御亡くなりになってもこの伯爵家を立て直した当主の姿に見えていました」
全く想像出来なかった。
ルーカスからは酷く言われたのに、アイビーやマルシェ、そしてキールからは優し気な尊敬の言葉。
何が真実か、嘘かなんて解らない。
何を頼ればいいのか。
——————わたしは一体、どんな人物だったのだろう。
知りたい。何をして何を思っていたのかを。
でも。
教えてはくれない。
皆、はぐらかすばかり。
隣のマルシェは首を振り、誰かの姿を探していた。
多分、キールとルーカスだろう。
わたしはそう解釈し、マルシェの視線を追うと、広場の一部をぐるり、と囲むように人垣が出来ていた。
—————キィィンッッッ!!
激しく刃の混じり合う音に合わせて、感嘆の声が上がる。
背伸びをしても中々、中心を見ることが出来ない。
すると、マルシェがにこっと笑う。
「んもぉ〜遠慮をしていちゃ駄目です!」
そう言ったマルシェは人垣を上手に押し分けてくれた。
そのおかげで最前列まで来ることが出来たのだった。
「!」
異常な速さで剣を振る2人の動きはとても模擬戦とは思えなかった。
全力で打ち込まれた双方の刃から青白い火花が散る。
—————!!?あの剣は……!
「まさか、……真剣で??」
わたしは驚きで固まった表情をマルシェに向けると、一方のマルシェは微笑む。
「槍やナイフの日もありますよ〜」
そう言う事じゃない。
真剣はいい加減や遊び半分でなく本気なことを意味する。
そして、木刀・竹刀と違い本物の刃を持つ剣だ。
万が一、模擬戦だとしてキールやルーカスのどちらかに当たってしまったら……と考えると背筋が凍った。
にこっと微笑みを浮かべる彼女に対して強い目眩を覚えながら視線を2人に戻す。
その直後に、キィインッ!という鈍い金属音が響いた。
キールの剣とルーカスの剣が激突した音だった。
「っ……」
キールとルーカスは至近距離で睨み合いながら、武器を押し合っていた。
キールは涼しい顔で目つきを鋭く、ルーカスはいつもの切って貼りつけたような皮肉屋の笑みを浮かべていた。
力だけを比べた場合、ルーカスが上のように見えた。
溜まり切れぬと踏んだキールが押す力を抜いた。
相手の体勢を崩せば隙が出来ると踏んだのだろう。
対するルーカスは予め予想していたかのように間断なく追撃を仕掛けた。
「……っ……」
下段を防ぐと見せかけた剣を突きに切り替え、攻撃に転じる。
目線、行動共に完璧なフェイントだった。
「甘いな」
呟かれたその言葉に対し、涼しい表情を浮かべていたキールは当然の事のように口を動かす。
「……やはり、引っ掛かりませんか」
打ち合い、流れ、離れ。
また。
絡み付くように刃と刃が合わさる。
どちらかが少しでも判断を誤れば決着は一瞬でつくそんな判断力が試される勝負。
ぶつかる気迫と気迫に周囲はいつの間にか静まっていた。
わたしはただ、固唾を呑んで2人を見守っていた。
「あのぉ……私、仕事が……っ。連れ出しておいてすみません、それでは失礼致しますっ!」
マルシェが申し訳なさそうに一礼をして、パタパタと足音を立て観衆を掻き分けながら仕事に戻っていく。
何合目かの打ち合いでルーカスの剣が手から剣が弾き飛ばされた。
「チッ」
軽く舌打ちして、キールを睨み付ける。キールの剣がルーカスの首を掠めて止まる。
「そ、そこまで!」
審判として見守っていた青年が緊張した顔で腕を上げる。
審判役から静止の合図を示されると、周囲からの歓声の声と拍手が2人に向けて送られる。
息を吐いたキールがルーカスに向き合う。
「正直言って最後は冷や汗をかきました。もし、……あれが決まっていたら俺の負けでした」
首に伝った汗を手の甲で拭い、何とも言えない表情を浮かべた。
いつもと違う一人称に、堅苦しさもない声にわたしは瞬きをする。
キールの言葉にルーカスは顔をわざとらしく逸らす。
「嘘吐け、お前、最後まで余裕だったろ?最後のあの苦しそうな顔、フェイクだったくせに」
座り込んでいたルーカスは皮肉屋の笑みを浮かべながら立ち上がる。そして、キールの肩に手を組む。
「ルーカスさんもですけど」
へらっと表情を緩めたキールに対し、ルーカスは苦虫を噛み潰したような顔する。
「だといいんだけど」
2人の会話に少しの友情が感じられた。
いがみ合っているけど、手を取り合っている姿が見え、息を呑む。
終わった。
魅入って、夢の事など忘れていた。良い気分転換になった。
去り際にタイミングが良いのか悪いのかルーカスと目が合う。
それまで緩んでいた表情も引き締まって真顔になる。
声を漏らす。
眼を逸らすが2人に見つかった以上、意味はないと思い直ぐに戻す。
すると、ルーカスがキールを連れて歩み寄ってくる。
「何故……ベルデ様が此処に?今は寝ている時間じゃありませんか?」
ルーカスは何かに気づいたようにしどろもどろになる。
わたしの名を呼んだことでざわめきが静まり周囲の視線が全てわたしに注がれる。
「……ベルデ様って事は……伯爵?」
まさか、と使用人達は目を見開く。
わたしは思わず作り笑いを浮かべてぐるり、と見渡した。
「!」
直ぐにその視線が好奇心ではなく、疎んだり忌ね嫌った意を持っていることに気が付く。
その視線に後退りをしてしまう。
「見世物じゃないです。解散して下さい」
わたしを隠すように前に出たキールはキッと眼を鋭くする。
手を叩きながら続くようにルーカスが解散を促すと、それぞれ返事をしてその場から離れていった。
「……しかし、まさかベルデ様が見ていたなんてね。予想外だったな、キール君」
大きく頷き、キールが返事をする。
「我々の手合わせ、どうでしたか?」
その質問に戸惑ってしまう。
2人は凄かった。
「キールは……フェイントの仕方がとても上手だと思った」
その言葉に頬を染めて、嬉しそうに唇を結ぶ。
「お褒め頂き光栄です」
ルーカスはつまらなそうに顔を背ける。
自分は褒められないとでも思ったのだろう、とても拗ねているように見えた。
「ルーカスは剣の振り、力が凄いと思った。2人、比べられないくらい凄いよ」
そう褒めるとルーカスは顔を正面に向けてわたしに言う。
「褒めても俺からは残念ながら何も出ませんよ」
怒ったように言ったルーカスは今まで見る顔よりも嬉しそうに見えた。
これがルーカスなりの感情表現なのだと勝手に解釈する。
* * *
「こうやって毎日、手合わせをしているの?」
そう訊くと端正な顔を歪ませ、アメジストの瞳を伏せる。
「いいえ。そう度々手合わせしていましたら体が持ちません。ルーカスさんの腕前はかなりのものですから」
キールは結構、謙遜したけど当の本人は汗だくで倒れ込んでいた。
ルーカスと比べると随分余裕があるように見えた。
「どうして真剣で手合わせをしていたの」
と、訊いてみるとキールは何でもない曖昧な表情でルーカスを見る。
ルーカスは友人の使用人に水を与えられ飲んでいた。
「ルーカスさんがそう言うので、彼の希望でしていました」
わたしはその返答に目を見開いてあたふたしてしまう。
胸の中に不安が広がっていく。
わたしが口を挟む事ではないと解っているが言わずにはいられなかった。
「危ないことをしないで、お願いよ!」
心配しているのか、と眼で訴えてくる。
それに対し、わたしは大きく頷く。
——————心配してるに決まってる。
アメジストの瞳にわたしを映し、俯き、花も綻ぶような微笑を浮かべた。
「有難うございます。……こんな私を心配してくれて……」
その透き通る綺麗な瞳に光るものが見えた。
「でも、私は負けませんよ。……負けたら私は貴女様を護れなくなる」
朝日に照らされたキールは眩しいと思うほど綺麗だった。
信頼できる。
そう思っていく。
- Re: Jet black- Butler&Lady ( No.11 )
- 日時: 2020/08/11 14:22
- 名前: 雪林檎 ◆iPZ3/IklKM (ID: w1UoqX1L)
09「その女当主、不思議で愉快な謎の多い情報仕立て屋に会う」
「……昨夜、御話した通り今日はグランヴィル家代々利用の情報屋に会いに行く予定になっております」
着替えたキールは淡々と予定を話す。
わたしは頷き、遅れて摂っていなかった食事を口に運ぶ。
「その情報屋なのですが……少々何というか言葉で説明できない人なのですが……」
キールもこのような顔をするのか、と驚いてしまう。
増々、気になった。
情報屋と言う人がどんな人なのか。
* * *
本郷から馬車に乗り、首都ロンドンに行く。
キールのようにルーカスも情報屋の事を訊いてみると青ざめた顔をした。
何かあったの、と訊くと拒絶される。
そんなこんなで馬車から街の中心部で降ろされる。
「どこに情報屋がいるの?」
キールは曖昧な顔でわたしのドレスを見ると口を動かす。
「実はお嬢様の召されているその御洋服なのですが、例の情報屋が仕立てたものなのです。本来、情報屋として活動していますが副業で洋服屋もしています」
衝撃の事にわたしはゴシック調のドレスを凝視してしまう。
女性なのか、男性なのか判らない状態で謎が深まった。
「街の表じゃなくて路地裏に店を構えているんです。本業柄でもあるしあの人は研究が大好きで人に言えない秘密もあるって言っていましたからね」
ルーカスは呆れた様子で店と店の間の路地を指さすと、ルーカスが足を進める。
「まあ、無駄に考えるよりも会った方が早いですよ」
行きましょうと手を2人に差し伸べられ、わたしは掴み取る。
* * *
路地裏を真っ直ぐ進んでいくと何本もの分かれ道があった。
けれどもルーカスとキールは迷うことなく真っ直ぐに進むよう促してくる。
「ねぇ曲がらなくていいの?」
と訊きやすいキールに訊いてみると、キールは苦笑交じりで答えてくれる。
「情報仕立て屋は用心深いんです。本業柄、恨まれる存在で……身の危険もありますから、あの分かれ道は全部フェイクでその先を行くと落とし穴など……酷い目に遭いますから」
絶対行かないで下さい、と釘を刺してくる。
その絶望したような表情を見るとそんな酷い目に遭ったことがあるのかと考えてしまう。
彼の手を見ると小刻みに震えていた。そして、妖艶で形の良い唇が妙に青く見えた。
ルーカスもキールも足を進めるごとに表情が硬くなっていくような気がした。
すると、今まで前線で進んでいたルーカスが立ち止まる。
キールはルーカスのアイコンタクトに頷き、わたしに囁いてくる。
「着きました、此処が目的地です」
その情報仕立て屋の店は少し怪しい雰囲気が漂っていて、でも、グランヴィル家代々当主が頼りにしていたという事実がある程、古い感じがした。
ドアを恐る恐る、叩いてみる。
ギィッと耳に障る音が響き鴉の鳴き声がした。
「……っ……」
中から誰かの笑い声がする。
少し古いドアから深い、青色の眼が見え、中からお洒落なローブを着た女性、なのか男性なのか判然出来ない美しい人が出てくる。
「伯爵〜っ!!吾輩の事を憶えているカイ?」
前触れもなく、わたしに訪い掛けながら抱き付いてくる。
あたふた慌てていると、キールとルーカスが割って入ってくる。
「お嬢様に自己紹介を、状況は昨日話した筈です」
キッとアメジストの瞳で睨むと情報仕立て屋さんと思われる人は呆れたように頭を抑える。
「相変わらず、執事クンは厳しいネ」
異国のような話し方にこのイギリスの出身の人じゃないな、と思う。
「吾輩はグランヴィル家代々利用してきた情報仕立て屋ダヨ〜今後ともどうぞ御贔屓ニ〜」
何とも美しく、色素の薄い情報仕立て屋はニッと唇を三日月形に結ぶ。
わたしは瞬きも忘れてしまうほどだった。
「さて。早速本題に入るけどサ、伯爵、笑顔を見せてヨ。それが今回の情報提供料にするかラ」
ルーカスは笑い出す。キールはわたしの肩を摩る。
笑え?
出来ない、笑う事なんて人に言われて出来るものじゃない。
それに、2人に見せることにもなると思うと恥ずかしくて岩のように固まってしまっていた。
「そ、それは……」
後退りすると、情報仕立て屋はガシッと逃げられないよう肩を掴む。
「にっこォ〜ってするだけじゃないカ。折角吾輩の仕立てた可愛い洋服を着ているのに笑わないなんて勿体無いヨ」
そう言うと物凄い迫力のある笑顔をわたしに向ける。
無理だ、いくら表情筋を吊り上げてみても何か拘りがあるのかやり直しをするようになる。
ルーカスは腹を抑えて笑い転げ、キールは苦笑していた。
もう、我慢できない。
「キール達、外に出て!!!」
わたしはキール達の腕を掴むと、店の外に出させ、勢い良くドアを閉める。
2人きりになったら集中できる。
と、思っていたら情報仕立て屋は話しかけてくる。
「……伯爵ってば変わったネ。前の君とは似ても似つかなイ、気になるんだろウ?」
わたしは息を呑む。
正直に言って、気になる。
「……いいヨ、教えてあげる。ダカラ、拒まないでくれヨ。ソレが最悪の一部だったとしてモ」
含みのある言い方にゾッと体を震わせる。
でも。
それ以上に知りたいと叫ぶ自分の気持ちが勝っていた。大きく頷く。
「……君はネ、恐れられていた。女王に絶対服従でとしても“社会の規律”や“ブラッティマイレディ”とも呼ばれていたほどニ。女王の為なら人殺しも躊躇しなかった。全ては家の為だとしてモ」
だからか、と思ってしまう。
今朝見た。
忌ね嫌う視線の理由が。あの中にはわたしが殺めた家族もいたのではないか、いつだってこの命を狙われているんではないかと思ってしまう。
……いや。
思ってしまうんではなく、本当にいたのかもしれない。
そうなったら恨み、嫌われるのも不思議じゃない。
—————『誰が何といおうと私にはご立派な……旦那様や奥様がお亡くなりになってもこの伯爵家を立て直した当主の姿に見えていました』
マルシェ。
それは本当の言葉なの?
—————『……いつだって御傍にいるので』
キール。
貴方だけは信じたい、でも、解らない。
疑心暗鬼になっていく自分に嫌悪を抱く。はぁっと息を吐いて情報仕立て屋に向き直る。
「……一部でも教えてくれてありがとう」
そうお礼を告げる。
すると、情報仕立て屋は長い睫毛で隠れていた碧眼を見開く。
そして、いつもの顔に戻る。
「その顔だヨ〜、伯爵の自然に出た笑顔が見たかったんだヨ〜!」
近くにあった積み上げられた資料を手に持つとスッと明るい瞳の光が失われ、鋭い眼光をわたしに向けた。
「……事件の情報を今から話していくヨ。しっかり記憶して、再度は言わないからネ」
資料を読み上げていく情報仕立て屋の話をよく聴いて頭の中で纏める。
「その殺された少年なんだけど、よくうちの仕立て屋に来ていたヨ。冬服を仕立ててくれ、と頼まれて吾輩、御駄賃はどうするんだヨと言ったんだ」
その言葉にわたしは目を見開く。
食べるものもない、貧困に苦しむ少年が何故、仕立て屋に頼めるのだと疑問が湧いてくる。
『御駄賃はどうするだヨ。吾輩は仕立て屋で仕事にしているんダ、無料では出来ないヨ?』
吾輩の言葉に一人目の事件の被害者・チャーリーは笑うんだ。
『最近、僕らに手を差し伸べてくれた若い奥様がいるんだ。だから、大丈夫!使用人としても働かせているし、ご飯も貰ってるからお金は持ってくるよ!』
—————若い奥様—————。
それがこの連続少年殺人事件について最大の疑わしい人物だと思われル。
働かせて金もくれ、彼らの眼には大聖母のように映ったダロウ。
そんな良い話、可笑しいと思わないカイ?
被害者はその第一被害者が勧誘していた人物、噂を聞きやってきた少女と違い、育ち盛りの一番金の掛かる少年らを笑顔で迎い入れていた事も耳にしたんだヨ。
その奥様。
何が目的なのだと、考えるんダ。
鋏で腹を切り裂くほど殺人を楽しんでいる精神異常者だと思われる人物像に着目してみるとその恐ろしい真意が解るんだヨ。
「……ターゲットを身近に入れる為……?」
わたしは震える喉を抑えて声を出す。
情報仕立て屋は硬い表情で大きく頷く。
「そうだヨ。犯人の狙いは、ターゲットを身近に入れ、誰の目を気にしないで夜、殺せるという点だネ。そうなるとその夫人だけでなく家全体がグルだって事だヨ。12歳くらいの少年、それでも夫人1人では運べないだろう、だから吾輩はこの予想が正しいと思っタ」
犯人は1人だけじゃない、確かに成人女性だとしても無理だと思う。
育ち盛りの少年を1人で殺害現場から運べるわけがない。
その時、勢い良くドアが開いた。
「……黙って聞いていればどういうことですか」
キールとルーカスが外で聞き耳を立てていた。
冷や汗をかいている、ということは一部始終聴いていたのだろう。
「聴いていた通りサ。全く、2人共……我慢できなくて盗み聞きとはシュミが悪いんだネ」
茶化すような嫌な笑みを浮かべながら、ルーカスの頬を突く。
すると。
「あんなに小さかった坊チャンは少し反抗期かナ?」
その言葉にルーカスは苦虫を食い潰したような顔をし、手を払う。
「止めろよ、鬱陶しい」
ルーカスはふんっと顔を背ける。
「……まあ、取りあえず吾輩は情報を提供したからネ。伯爵、また吾輩の仕立てた可愛い洋服を着て遊びにおいでヨ。伯爵なら大歓迎だからネ」
妙に青白い掌を振りながらニッと笑う。わたしはこくん、と曖昧に頷き店を出る。
「……お嬢様。情報仕立て屋と話して大丈夫でしたか」
心配そうに傍に寄って話し掛けてきたキールにわたしは笑顔を向ける。
「大丈夫。……情報は手に入れたし、……今晩、現場に行くわよ」
犯人のターゲットは少年。
「え、でも……お嬢様は……女性ですが」
不可解そうな2人の声にわたしはフッと息を吐いてから向き直る。
「だったら男性の格好をすればいいわ」
人よりも少し幼い容姿はわたしだけが持っている。2人には出来ない役目。
犯人をおびき出す唯一の方法、これしかないと思う。
驚いたように目を見開いてから、キールとルーカスは口元を緩める。
普通の伯爵令嬢がしない、普通の少女がしない事をわたしは女王の為にする。
それはわたしだけの役目であり使命だった。