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ダーク・ファンタジー小説
- Re: Nerine ( No.1 )
- 日時: 2020/08/08 07:22
- 名前: 厳島やよい (ID: sNU/fhM0)
わざわざコンビニで水を買うなんて馬鹿らしい、と、昔からよくひとに言われてきた。僕らは家で蛇口をひねれば、美味しい井戸水が実質タダで飲めるのに、というのが彼らの言い分である。
もちろん、子どもの頃は我慢していた。お菓子もジュースもほとんど口にしたことがないくらい、当時はけっして裕福といえない家庭だったし、そんなつまらないことで両親に迷惑をかけられまいと考えていた。けれどもう、自分で稼いだ金をある程度は好きなように使える歳だ。正直、そっとしておいてほしい。法に背いているわけでもないのだから。
そんな思考を、今しがた購入したばかりのミネラルウォーターとともに飲み下す。やはり常温がいい。ただでさえ冬が近づいてきて、今朝も白い息が出るほどだというのに、僕が冷たい井戸水など、はたして自ら飲む気になるだろうか。手洗いへ駆け込む未来しか見えない。
まだ半分以上中味の残っているボトルを閉め、パンやらチョコレートやらがたくさん詰まった袋にしまって、歩き出す。
試験もレポートの提出も終えた。ゆえに登校以外での外出も久々だ。朝日の光が目にささりそうなほど痛いけど、手っ取り早く自由を満喫したくて、ひとまず食料(と呼ぶにはいささかジャンキーだが)調達へと近所のコンビニに足を運んでいたのである。帰ったらまずは、買ってきて以来手をつけられなかった漫画でも読みあさろうか。そのつぎは夜中までひたすらゲームを進めて……。
そこまで考えたところで、足元にぶつかる感覚があった。なにかの破片のようだ。不規則に連なるそれを目で追いかけていくと、正体は、門のそばの割れた鉢植えだった。土と一緒に道までこぼれていきそうな、しおれた植物が生えている。さっきは反対の歩道を通っていて、おまけに携帯を開いていたものだから、まったく気づかなかった。
「あ……ここ、和田さんちだったっけ」
あくまでも過去形なのは、もう住人がこの世に存在していないからだ。二年ほど前まで知り合いの老夫婦が住んでいたのだけれど、奥さんが交通事故で、その後追うように旦那さんも脳溢血で倒れてから、空き家のままなのである。
無責任と言われてもしかたのないことだと、頭ではわかっているのに、飲みかけのペットボトルの蓋を開けていた。幼い頃、ふたりにはお世話になったおぼえがある、だからかもしれない。茎の先にいくつか蕾らしきものもついているし、運が良ければ花の咲いたところを見られるかなともと思った。
根元の乾ききった土に、すこしずつ、すこしずつ、水を流し込む。小学生のときに育てていたアサガオだかヒマワリだかを、水のやりすぎで枯らしてしまったことがあるので、少なすぎると思うあたりで留めておいた。
「元気になれよー、強制はしないけど」
季節的にしかたのないことだが、もう、長らく雨が降っていない。これがひとの手入れを必要とするようなものなのだとしたら、この地域の環境は酷だろう。
よく、ここまで生きてきたねと。気づけば声がもれていた。
計画通りに自由を謳歌しつつ、二・三日おきに謎の植物へ、常温のミネラルウォーター、少量の水やりをつづけていたら、みるみるうちに様子が変わってきた。もちろん、良い意味でだ。
そうして二週間近くが過ぎたころ、ついに、花が咲いた。
「うおー、なんかいきなりだね。すごいや」
遠目にみると、ヒガンバナに雰囲気が似ている。
すっかりこの花に話しかける癖がついてしまったが、信号機が意味をなさないほどに人通りのない田舎町なので問題はない。そういえば、植物に音楽を聴かせながら育てる人もいるとか、どこかで聞いたことがあるな。
「もうすぐ雨が降るんだって。だから、きょうは水、無しだよ」
陽の光にあたると、淡いピンク色のちいさな花びらがきらきら輝いて、とても綺麗だ。露がついているわけでもないのに、どんな仕組みなんだろう。
茎も葉も、みずみずしくまっすぐに緑が伸びている。あの日枯れかけていたのが嘘のように。
近所(自宅から田んぼ四つほどを隔てた先)に住む、幼馴染みのナツミに撮って送ってやろうか、と、手を伸ばしたポケットに携帯電話が入っておらず、軽く落胆してしまう。これでもゲームのメインシナリオ完走で徹夜明けしたばかりなのだ、生憎、わざわざ取りに戻る気力はない。
しょうがないかとあきらめ、僕はいつものようにコンビニへ、きょうのご飯と水を買いにいくことにした。
久々の雨が町に降り注ぎはじめたのは、それから三日後、日曜日のことだ。
- Re: Nerine ( No.2 )
- 日時: 2020/08/09 06:19
- 名前: 厳島やよい (ID: l/xDenkt)
♪
「来ましたよー、か、つ、と、し、くーん」
土地柄、この辺りの家屋はいちいち鍵なんてかけていないので、勝手知ったるなんとやらで遠慮なく扉を全開にする。おととい送っておいたメールの通りに彼の家を訪ねると、ちょうど玄関前の廊下を掃除していたところだった。剣でも構えるようにモップを握っているが、わたしが空き巣かなにかにでも見えるのだろうか。失敬な。
「えっ、きょうだっけ?」
「メールしたじゃん。やっぱり読んでなかったんだねぇ」
わたしもやっとレポートの提出が済んだから、貸しっぱなしにしている漫画を取りに行くよと、言ったのに。今度からは電話をかけることにしよう。
ため息をつきつつ傘の水滴を払い、お邪魔する。わたしと同じく両親と暮らしているそうだけれど、中学に上がって以降、大抵仕事か旅行で家を空けているので、存在感がない。最近はやりの古民家独り暮らしだとか言われても、違和感は皆無である。
「察してくれ。つーか、雨だし濡れるでしょ、いいの?」
「濡れないように、袋用意したから」
手元のビニール袋を揺らしてみせると、カツトシは廊下の奥にさっさと引っ込んでいき、間もなく紙袋をさげて戻ってきた。
全十三冊の詰まったそれに、さらにビニールを重ねる。家までそれほど距離もないし、たいして重いわけでもないので、取りにきて正解だった。最近、急に読み返したくなったから。
「面白かったよ。ありがとうね」
「へー、ちゃんと全部読みきったんだ」
「ナツミよりずっと早く冬休みを手に入れたから」
「もう、いじわる!」
薄暗い玄関、やさしく響く雨の音に、白い息とともにふたりの笑い声がこぼれて、かき消されていく。
子どもの頃からなにも変わらない時間。将来の不安とか、代わり映えしない現状への焦りとか、そういうものを忘れられる、安全地帯。でも、そこに浸りすぎるのも良くないし。そろそろ帰ってわたしも、同級生たちよりすこし早い冬休みを満喫しはじめることにしよう、と、荷物を手に立ち上がったのだけど。
「……ナツ、このあと用事とかある?」
突然なにかを思い出したように、カツトシがたずねてきた。
「うん? とくにないけど」
「じゃあ一旦、それはここに置いていって。見せたいものがあるんだ」
「見せたいもの?」
「すぐそこにあるから」
「なぁに、教えてよ」
「いいからほら、傘差して。わんつーすりー」
なかば無理矢理荷物を床に置かれる。彼も靴箱の脇から傘を持ち出して、いっしょに外へと飛び出すことになった。コンビニや神社のある方面へと、背中を押される形で進んでいく。
なんだろう、見せたいものって。まさか、犬や猫でも拾って世話してるとか言うんじゃないだろうか。小学生の頃、山の神社の裏でそんなことがあったのを思い出して身構えてしまう。結局、親にばれてこっぴどく叱られたしなあ。
「ナツミの好きそうなやつ見つけてさ。ちょっと育てたんだよ」
「育てたって、まじで拾ったの? 病院連れていったんでしょうね?!」
「はあ? 病院って、何を連れて?」
わはは、と笑われたタイミングで、カツトシの手が背中から離れる。
伸び放題になった生け垣、葉の隙間から、空き家の玄関が見えた。砕けた植木鉢やプランター、枯れたままの背丈の小さな木、それらの世話に使われていたのであろう、錆びついた道具たちが放置され、雨に濡れている。そういえば、この前ここに、
「ん、んんー?」
カツトシが、まぬけな声をあげて門の前へ駆けていった。水溜まりがはねるのも気にとめずに。
「どうしたの」
「ここに、花が咲いていたはずなんだけど。葉っぱだけ残して綺麗になくなってんの」
「え」
「枯れそうだったのを育ててたんだよ。最近咲いたからさ、見せてあげたくて。だれか持ってっちゃったかねー」
彼の足下にあったのは、半分近くが割れ、すぐそばに破片の寄せられた、よーく見覚えのある鉢植えだった。
ざあざあと、雨がいっそう強く地面に叩きつけはじめる。吸い込む空気が、ひどくつめたい。
残念だな、と笑うカツトシに、わたしは何も言えなくて。
「雨もひどくなってきたし、帰ろうか。ごめんね、ナツミ」
「ううん、いいの」
慌てて回れ右をしたせいで、水溜まりに足を突っ込んでいる、うへえ。お気に入りのスニーカーなのに汚してしまった。帰ったら洗わないと。
「そんなところにいて、寒くないですかー?」
歩き始めたところで、うしろからカツトシの声が聞こえた。振り向くと、門から乗り出すようにして、敷地内のだれかに話しかけているようだ。
だれか、いるのだろうか。ホームレスとか? そんな人にわざわざ話しかけるようなガラじゃないはずだけど。
「もう少しあっちに歩けば、コンビニありますよー」
「どうしたの」
「いや、見慣れない女の子がいるからさ。だれかの親戚? 迷子なら交番にでも、」
わたしも門の前までやって来ると、どう見ても誰もいない玄関を指差して、そう言った。
嫌な冗談はやめてほしい。そういう季節はもう終わったんだからさ。と、念を込めて彼を睨んでおく。
「…………ごめん、なんでもない。行こう」
カツトシは、不器用に目を泳がせながらわたしを追い越していった。そちらの水泳は今でもカナヅチのままらしい。
うーん。わたし、このまま祟られるのかな。
- Re: Nerine ( No.3 )
- 日時: 2020/08/09 07:03
- 名前: 厳島やよい (ID: l/xDenkt)
また、僕らの町は、雨の降らない町になった。本格的な冬の幕開けだ。
ふぁんたじーでほらーちっくな世界に片足をつっこみかけてから、そろそろ一週間が過ぎようとしている。あのときは目の疲れが出ていたのかもしれない。漫画三昧ゲーム三昧の日々だったわけだし。
あの、ナツミが貸してくれていた漫画を取りに来た日。和田さんの家の玄関先で、座りこんでいた見慣れない女の子はいったいだれなのだろう。僕らよりいくらか年下のようで、でも、仕草や雰囲気はさらに幼くて。声をかけても、ただにこにこと微笑んでいるだけだった。一緒にいたナツミには彼女の姿が見えないようで、怪訝な顔をされたっけ。
いままでだれにも言ったことがないけれど、僕はその類いの話があまり得意でない人種である。さすがに三日間は電気をつけたまま眠った。おかげで寝不足ぎみなのできょうは昼寝でもしようかと、朝起きたそばから考えるあたり、頭もいかれている。しかし、僕は二度寝のできない人種でもあるのだ。しょうがないだろう。
いつものように目覚めたときには母とともに出勤済みの父から、書きおきで頼まれた荷物の受け取りのため、コンビニへ行った帰り道。段ボールと水を小脇に抱えながら、興味本位でふたたび例の空き家をのぞきこむと、やはりそこには微笑む少女が座りこんでいるという、ふぁんたじーな世界が展開されていた。挨拶だけはしてから逃げた。それが、おとといのこと。
きのうはついに醤油をきらしてしまい、車で片道十分はかかるスーパーマーケットも閉店間際だったので、お約束のようにコンビニへ駆け込む羽目になった。チェーン店なので二十四時間営業だ。
「あんれぇ、カツトシくん、最近いつも以上によく来るよねえ」
「そ、そっすねー、ここのパンはおいしいですから」
「そうかい? いつもありがとうね!」
「はーい、おやすみなさい」
そんなわけで醤油と、水と、惣菜パンをいくつか買って、レジ番の店長の世間話からもいい感じに逃れた直後、気持ちばかりの街灯に照らされたあの家をのぞくと、やはりそこには少女が野良猫のように丸まって眠っているというみすてりあすでほらー以下省略。
せっかくの休日だというのに、朝早くから夫婦揃って旅行にいこうと、支度している母に一連の出来事を話したところ、なぜだか涙が出るほど大笑いされたのがきょう、ついさっきのことである。
「やっぱりあんたはあたしらの子なのねえ、うわっははは! じゃー振り込みよろしくね! いってきまぁぁす!」
あとに続いて家を出た父には、犬でも相手にするかのごとく、乱暴に頭をなでられたので、髪がぼさぼさだ。意味がわからない。
「なんなの、まじで……」
洗濯機を回し、自分の部屋に軽く掃除機をかけ、ぼさぼさの頭を直してから、母に託されたメモとお金を握りしめてコンビニへ向かう。ここまで来ると、もう怖いとか自分のカードで払っとけよとすらも思わない。朝だし。晴れだし。きょうはよく鳥が鳴いているし。いいチャンスだ、すべて関係ないけれど。
帰り道、思いきって、元和田邸へと足を踏み入れた。いつもの三和土に姿が見えなかったからだ。何十年も時が止まったままのような、すべてが置き去りにされたこの家の、庭を、物置を、裏庭を、縁側の下もくまなく探した。
二十分ほど経ったころ、屋根のほうからいやな音(安全面上の意味で)が聞こえてきたので、捜索活動と称した敷地内散策は急遽打ち切りとなった。彼女が見つかるのと、役場にクレームが入るのと、どちらが先になるだろうか。
なんだかもう、二度とお目にかかれないような気がする。名前くらい、きいておけばよかったかな。また黙って笑みをうかべるだけなんだろうけど。
肩を地面に落としそうになりながら帰った。部屋に戻ったら眠ってしまおうと考えながら玄関の扉を開い「うわっ」「びゃ!」こんどは肩が吹っ飛びそうになった。
廊下でナツミが膝を抱えて、待ち伏せていたのだ。
「…………あ、水買ってくんの忘れた」
- Re: Nerine ( No.4 )
- 日時: 2020/08/10 07:29
- 名前: 厳島やよい (ID: l/xDenkt)
だれかにとっての幸福の形や、重さや色に口出ししたりする権利はどこにもない。だれのためを思って、なんていう言い訳は、たいてい自分のために並べているだけであって。そんな言葉を、自身の不安や恐怖をまぎらわすために他者の幸せを壊す免罪符とするのは、僕にとって肯定しがたい行為だ。その"他者"が、人間でも、動物でも、植物でも、変わりない。
自分があの花を摘んでいったのだと、ナツミに告白され、謝罪されたときも、怒りだとか悲しみだとか、そういうものは一切感じなかった。孤独に死へ向かっていたところを、たまたま通りがかった僕に気まぐれに水を与えられ生かされたことよりも、清潔な花瓶の中でたくさん愛でられながら、本来よりは少し短い命を終えていくほうが花にとっては幸せかもしれないから。それにそもそも、僕の所有物なわけでもないし。
持ち主のもういない、見たことのないきれいな花を持って帰ったら、その直後に花を咲かせたのが僕だと知り、枯れてからも罪悪感にたえつづけていた。そんな事実を知ったら、申し訳ないとすら思えてくる。仕方のないことだ。子どものように泣きながら、何度もごめんなさいと謝る彼女に、ただ同じように何度も「大丈夫だよ、大丈夫」と繰り返すことしかできなかった。
小学生の頃、親のない子犬を、ふたりで山の神社の裏で拾ったことがある。なんの知識も経験もない僕らは、あのまま、内緒であの子たちを育てようとしていた。
「この子たちの親とか飼い主はさー、いやになったらこうやって、勝手にすてられるじゃん。でもこの子たちは、そーゆーやつをすてられないんだよね。もしすてられても、それじゃ生きてけない。親も飼い主も自分で選べないって、ふこう、だね」
子どもながらに、ナツミのその言葉に共感したのを覚えている。
もちろんほどなくして大人に見つかった。こっぴどく叱られて、話を聞いて、彼女は、あのときもたくさん泣いて謝った。僕は、どうだっただろう。なぜだかナツミばっかり叱られていた記憶で侵食されている。
ずいぶんと大きくなっていた子犬たちは、その後様々な処置を受けてからすみやかに県内の里親へ引き渡され、僕らに、この町に、いらぬ不幸を招く心配もなくなった。そんなこともあったねえ、と、今なら笑っていい思い出なんじゃないか。
あの出来事がナツミの記憶にどう残っているのか、僕にはわからないけど、すくなくとも彼女は笑えないのかもしれない。心当たりならある。
いつも僕の隣にくっついていて、活発な子だったナツミは、それ以来、微妙な距離を置くようになった。性格もおとなしくなっていった。僕の価値観が形成されはじめたのも、あの頃からじゃないだろうか。
ちょっぴり歪んで、ずれてしまったなと思う。いろいろなことが。この程度ならまったく許容範囲内なのだろうけど。
「わたし、まだ全然わがままだ、自分勝手だ。カツトシはもう、ちゃんと大人なのに」
「大人──では、ないよ」
奥の脱衣所からブザーが聞こえてきたので、僕はやっと靴を脱いで、廊下にあがった。
「だって、ナツになんて言うべきなのか、わかんないし」
洗濯物をかごにまとめて部屋へ運びに行くとき、玄関のほうを覗いてみたけれど、もう彼女は帰ってしまったようだった。
とりあえず、と。
ものを片付けてから自室に戻り、携帯電話でブラウザを開く。いまは大抵のことがインターネットで調べられる時代だ。あの花の、名前くらいはせめて知りたくて、連想する限りの単語を打ち込み検索にかけた。数度、その単語を削ったり別の単語を加えたりして、最後におそるおそる「彼岸花?」と付け足してみたところ、見覚えのある画像がヒットする。
ネリネ。別名、ダイヤモンドリリー。
これだ。
画像のサイトへ飛んでみると、ネリネの特徴や生育条件などが丁寧にまとめられていた。太陽に当たると花びらがきらきら光るのも、同じだ。それでダイヤモンドらしい。
とくに植物に詳しいわけでもない、根っからの文系人間には勉強になる(そしてときどき理解不能な)記述ばかりで興味深い。育て方の項目で、球根の増え方まで学んでしまった。
それでまあ、当然なんだけど。
和田邸へ、駄目もとで球根を探しに行ってみることにした。
- Re: Nerine ( No.5 )
- 日時: 2020/08/10 07:58
- 名前: 厳島やよい (ID: l/xDenkt)
★
ひとりぼっちでないていたら、かみさまっていうひとに、あのおうちへいきなさいっていわれたの。
かみさまがおしえてくれたのは、おじいちゃんとおばあちゃんがすんでいる、おはなときがいっぱいのきれいなおうちだった。おともだちもなんにんかいた。
あのおうちをまもるんだよっていって、かみさまは、そっとわたしのあたまをなでてくれた。
おじいちゃんも、おばあちゃんも、こころのやさしいひとたちで、わたしはふたりがだいすきだった。
でも、おばあちゃんがきゅうにいなくなっちゃったの。おかいものにいってくるねって、それっきり。
それからすぐにおじいちゃんも、うらのはたけから、おそろいのふくとぼうしのおにいさんたちにつれてかれて、それっきり。
ふたりをまちくたびれて、おともだちはみんな、いつのまにかきえちゃっていた。
あるひ、みみにかざりをたくさんつけた、おしゃれなおねえさんがおうちにやってきて、わたしをみるなり、わんわんなきだした。ないて、ないて、ないてから、おうちのなかにはいっていった。
おねえさんはすぐにでてきて、またすこしだけ、わたしをみつめて、こんどはどこかにはしっていってしまった。
また、わたしはひとりぼっちになった。
さみしくて、ないているわたしのところに、かみさまがきてくれた。
「違うおうちに、行かないかい」
いやだ。
だれかかえってきたら、おむかえしなきゃいけないじゃない。
「じゃあ、おむかえができるように、少しだけ、きみに魔法をかけてあげようか」
おねがい。
「でも、この魔法が解けるまでにだれも帰ってこなかったら、きみはきみでなくなってしまうし、みんなのことも忘れてしまうよ。それでも、いいかい?」
…………いいよ。
かみさまは、わたしにまほうをかけて、きえてった。
それからながいじかんがすぎた。
わたしはいつのまにか、くたくたになって、ひどくねむくなってしまった。
そろそろ、まほうがとける。そんなきがした、あさ。
しらないおにいさんのこえがした。
「よく、ここまで生きてきたね」
おにいさんは、わたしをげんきにしてくれた。
ちょっといたかったけれど、おねえさんは、いっぱいわたしをかわいがってくれた。
★
元和田邸の取り壊しが始まるらしい、と風の噂に聞いたのは、庭のネリネたちがきれいに咲きだしたころだった。
朝、冷たい井戸水をじょうろに汲み、いつものように、少しずつ花にあたえていく。きらきら輝く花びらを見ていると、二年前のことを思い出さずにはいられない。
あれから、ナツミとはあまり連絡を取らなくなってしまった。僕ができることはたぶん何もないし、こういうことは、彼女自身が整理をつけるか忘れてくれるのを待つしかないのだろう。
さみしくは、ない。
毎日そこそこ楽しいし、学校には友達もいて、家族との関係も悪くはなくて、こうして新たな趣味もできて。
ただ、この景色を、こんどは二人で見られたら嬉しいのになと、考える。
雲の流れていく空に、淡く白い息を吐き出すと、少しずつ、少しずつ、金色に透き通る、やさしい朝日の光があたりに広がって、庭に降り注ぎはじめた。
「おにー、さん」
輝きながら風に揺れる、花の向こうから、ちいさな声がして。
振り向くと、懐かしい笑顔がそこにあった。
「あの時、わたしをよみがえらせて、くれて、ありがとう」
………………そっか。
そっか。そうかあ。
「よかったら、お友だちのおねえさんにも、わたしの球根をわけてあげて」
もう、怖いとは思わなかった。
「うん。そうする」
それからしばらくして、冬を告げる雨が町に降ると、ネリネの花は枯れていった。
彼女の希望通り、鉢の中にできた新しい球根を届けにいくと、久々に顔を合わせたナツミはとても驚いて、けれどもすぐに、とっても嬉しそうに笑ってくれた。
その年以来、女の子の姿は一度も見ていない。声も聞こえてこない。
でも。
見えなくても、聞こえなくても、きっとすぐそばで、あの子は微笑んでいるのだろうと思いながら。僕は毎年、庭でこの花を、ネリネを育てている。
完
物語に登場した花……ネリネ(ダイヤモンドリリー)
花言葉:また会う日を楽しみに
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