ダーク・ファンタジー小説
- 『Chika』 ( No.14 )
- 日時: 2021/03/18 12:55
- 名前: 厳島やよい (ID: l/xDenkt)
- 参照: https://www.kakiko.info/upload_bbs/index.php?mode=article&id=6580&page=1
4.『愛の部品』
※
はじまりはいつだっただろう。中学二年生になった頃かな。同じ組の、雨宮千嘉という男の子のことが気になりだしたのは。
わたしは彼のことをあんまり知らない。陸上部のレギュラーで、生徒会の会計で、好きな給食のメニューは揚げパンとカレーライス、コーヒー牛乳で、いつも成績がいいけどじつは暗記科目が苦手で、ちょっと歳の離れた弟さんがいることくらいしか知らない。話したこともほとんどないと思う。
いつだったか、小学生の頃からの親友が「話したこともないくせに、相手のことを何も知らないくせに好きになるなんて、信じられない」と言っていたのを思い出したので、となりの班にいる彼女には秘密にしていた。
わたしは人付き合いがとても苦手で、友人と呼べる存在もいまのところ彼女しかいなかった。二学期になってもクラスメートの名前が曖昧だし、校則の強制入部でしかたなく選んだ美術部からも、いつのまにか足が遠退いている。
冬のほのかに暖かい日差しに当たりながら、まどろんでいるような。灰色がかってぼんやりとした毎日だ。
三年ほど前、つまり小学五年生の頃に母に捨てられた父とわたしは、あの人の出ていったマンションで二人暮らしをしている。父は離婚後しばらく仕事ばかりの毎日で、最後に会話をしたのがいつか覚えていないほどだったのだけど、去年の秋ごろ、珍しく連れていってもらったファミリーレストランで、知らない女の人を紹介された。
初対面ゆえにきちんとしてくれているのだろうという点を差し引いても、母とはまったく異なる系統の出で立ちで、歳も母より一回り近く下に見えた。ゆくゆくは父の新しい妻になると、彼は言う。
ふざけるなと思った。
母がいなくなって、すこしは大変だったけれど平穏な日々を手に入れることができた。勉強と部活を頑張りながら、父の分まで家のこともして、ふたりだけの静かな生活を作り上げてきて。いきなりそこに部外者がやってきて「あなたと家族になりたい」?
わたしが寝不足になりながらも、このちいさなちいさな世界を守り続けてきた間、父は仕事と言いながらこいつと何をしていたんだろう。考えるだけで胃液がせり上がってくる。運ばれてきた大好きなドリアも当然喉を通らず、わたしは当たり障りのない笑顔と言葉を使い、すぐにひとりで帰った。
それから半年後。こどものわたしに拒否権なんてあるはずもなく、ふたりはめでたく入籍する運びとなった。義母は当然のようにわたしたちのマンションの一室に移り住み、以前は母と父の寝室だったそこに、新しく彼女の荷物が運び込まれた。
わたしよりも下手くそな料理を食卓に並べ、父と楽しそうに話しこんでいる姿を見ていたら、心の奥底がひどく冷えてきて、喉がつまって、家の中ではだれとも話せなくなってしまった。けれどもまあ、学校ですらほとんど他人とは話さないし、とくに困ることもない。
「ねえ、真幌も英徳が志望校なの?」
二年生になってしばらくした頃、何度目かの校内模試のあとで雨宮くんが話しかけてきた。十月にしてはだいぶ寒い、体育の、ソフトボールのとき。久々の男女合同授業だ。
わたしは珍しく生理が重くて、貧血ぎみだったので保健室前でカイロ片手に見学していた。雨宮くんも風邪気味だからと、わたしの隣で地面に座って、クラスメートたちの試合を眺めていた。はじめてきちんと会話をした、しかも二人きりの場面だったと思う。
「う、うん。併願だけど。あと二つは滑り止め、用意しとくつもり」
「そっかー、もうそこまで考えてんのか。すげえな」
「そんなことないよ。部活なんてほとんど行ってないし、委員会とかも入ってないもん。もしかして、雨宮くんも英徳?」
「そうだよ。母親に言われるがままって感じだけど、点数的にもこのまま成績を維持すればいいだけだし、べつにいいかなって。ちょー惰性ですよ」
「こども想いのお母さんだね」
「そうか? ちょっと点落ちるだけでマジギレすんだぜ」
笑った勢いで咳きこんでしまっている。本当は家で寝ているほうがいいのだろうに、内申に響くからと休めない、もしくは休ませてもらえないのだろう。
わたしは、大丈夫? と訊かれることも、訊くことも苦手だ。大丈夫、と返されることを前提とした、最終的にはそうとしか答えさせない意図の透けた質問なのが大嫌いで。だから、苦しむ彼を黙って見ていることしかできない。
「風邪ひいたのも、自己管理がなってないってさ。こっちは毎晩遅くまで机に向かって、朝から部活もやって、生徒会の仕事までやってんのに。管理する暇がねえっつーの」
「あんまりしゃべんないほうがいいよ。喉痛めちゃうから」
「……真幌は優しいな」
ばこん、と、ボールの打つ音が響いた。うちのクラスがヒットを打ったらしい。
わたしたちも、黙って、球の行方とランナーたちを目で追った。
セーフ。一塁を踏んで息を切らしている男子生徒が、こちらに向かって叫んでくる。
「千嘉ァア、打ったぞー! 見てたかこのヤロー!」
そんな彼の姿に、みんなくすくすと笑っている。雨宮くんも手を振って応えてあげていた。
自分でも、ちゃんとは、わからないけど。そうだ、あのときからわたしは。
- 『Chika』 ( No.15 )
- 日時: 2020/12/19 21:33
- 名前: 厳島やよい (ID: l/xDenkt)
相変わらず部活はさぼりがちだったものの、父に頼んで塾に通い始めると、肌に合っていたのかぐんと成績が上がった。その後の入試でも無事合格することができ、わたしは晴れて第一志望校に進学することが決まったのである。
卒業間近のころ、雨宮くんも英徳に受かったと本人から知らされた。本当は県内一の公立が本命だったのだけど、落ちてしまったらしい。それを聞いて、英徳に受かったくらいで大喜びしていた自分が恥ずかしくなったけれど、雨宮くんと同じ高校に通えることのほうがずっと嬉しかった。しかしその後、高校ではクラスが離れ、これまでのようには話せなくなってしまった。彼もわたしのことなんて早々に忘れてしまったと思う。
幸いわたしにも新しく友人ができて、放課後にはアルバイトなんかもするようになった。
それでも。わたしは、ずっと密かに雨宮くんに憧れつづけていた。
何人か、彼の恋人が入れかわり続けていた間もずっと。
「あ、もしかして真幌?」
「そうだよ。久しぶり」
だから彼と同じ大学に進学して、同じサークルに入った。
それからも、ずっと。また新しい女の子とくっついては離れていくのを傍らで見ていた。
彼女らのうちのひとりと、短い間だけれど交際していたことがある。そのとき、どうして雨宮くんと別れたのか訊いて、その理由に愕然としてしまった。
そういうのって、小説や映画の中だけでの出来事だと思っていたから。
「ああいうの、メンヘラっつーの? もうドン引きだよ。ちょっとは好きだったんだけどなー」
独り暮らしのワンルームマンション。わたしの部屋で、徒歩三分のコンビニで買ってきた発泡酒を呷る彼女がぼやく。その膝に寝転んで、絡めたきれいな手指に無意識に歯を立てながら、思ってしまった。
うらやましいなと。そして少しだけ、怖いなとも。
どっちが、だろうな。
「深幸はそんなこと言わないっしょ?」
「……言わないよ」
その頃には既に、千花とも知り合いになっていた。
千花は、わたしとは縁遠い人間に見えて、じつはわたしにだいぶ近いタイプの子だった。ただの知り合い程度だった間柄が、どうしてこんなに変化したのかはあまりよく覚えていない。たぶん共通の知人たちで飲みに行ったとか、そういうきっかけからだろう。
小学生の頃に父親が家を出ていき、それから母親ともうまくいかず、高校進学と同時に独り暮らしをはじめたらしい。本当は他人と関わるのも苦手なのだと言っていた。彼女の場合、それより寂しさや依存心が大きく勝ってしまって、相手をとっかえひっかえする羽目になっているのだけど。体力のある人だなと思う。
それから何度か、夜中に自殺をほのめかすような電話を掛けられることがあった。あくまでもフラットに相手をしつづけていたので、幸か不幸か、わたしの立ち位置はずっと据え置きだった。大抵の人間はそこで嫌気がさして付き合いをやめるらしいから、わたしはよほどの変わり者なのかもしれない。
月に一度は会って、サティなんかで一日中ふらふらと遊んで、ご飯でも食べてからなんとなく解散する。そんな軽い付き合いだ。大人しそうに見えて男遊びの激しい(個人的な感想だ)彼女の愚痴を聞かされつづけても、ふとした瞬間に夥しいアームカットの痕を見てしまっても、時折ひどく荒くなる気性を目の前にしても、わたしは特になんとも思わなかった。だれにでも裏の顔があるのは当然だから。
わたしにだってある。
こどもの頃から漠然と死にたいなと考えているし、基本的に他人に興味がない。人間らしく振る舞おうと頑張っているけど、本当は世界のことなんかどうだっていい。現実ならまあともかく、物語の中で人や犬が死んだくらいで泣く奴も正直めちゃくちゃキモいと思う。嫌いだ。
自分がとても恵まれている人間なくせに、その自覚もなく、悲劇のヒロインぶる奴も大嫌い。
だからわたしは、自身のことはもちろん、そんなわたしによく似た千花のことも大嫌い。
ならばどうして彼女から離れないのかと問われそうなものだが、べつに、嫌いな奴と仲良くしちゃいけないなんて決まりはないし、目的を達成するためにそうしているだけなのだし。だから、それから五年弱、わたしは千花を好きな振りをつづけた。雨宮くんへの想いも封じ込めて。
そして、二十四歳の秋。中学も大学も同じだったのに、互いを認識すらしていなかった千花と千嘉を、引き合わせた。わたしといっしょに、死にたがりなみんなで地獄に落ちてもらうために。
彼の願いを、わたしなら叶えてあげられるのに、彼はわたしを選んではくれなかったから。
嫉妬みたいな、復讐みたいな、痴情みたいな。
ぎりぎり死なない程度に千花に怪我をさせて、ふたりを絶望に突き落としてやるつもりだった。なのに、一回目、あっさりと失敗して。二回目、千嘉があいつをつけてきて、身を呈してまで庇おうとして。
ナイフが彼を切り裂いたとき、めちゃくちゃ後悔した。死にたくなった。
だから、わたしは。
人は死ぬとき、聴覚だけが最後の最後まで残るらしいと、どこかできいたことがある。
「うらやましい」
小さなちいさな声が、聞こえた気がした。幻聴だったのかもしれない。
「わたしも、今の深幸くらいに自己中になれたらよかった」
雨宮くんに告白する勇気もなかったくせにね。
自分でも思うよ。わたしってちょー身勝手な奴だったなあって。
※
- 『Chika』 ( No.16 )
- 日時: 2020/12/20 22:12
- 名前: 厳島やよい (ID: l/xDenkt)
「千嘉、気づいてたんじゃない?」
「何に」
帰り道、電車に揺られている間はお互いにずっと黙っていたけれど、最寄り駅からわたしのアパートに向かって歩き出したら、幾分か空気にゆるみが生じた。どちらともなく手を繋いで、白い息を吐きながらだれもいない夜の住宅街を進んでいく。
わたしたちが、目の前で自殺した女の子の死体を知らんぷりして帰ってきたなんて、だれが想像できるだろうか。千嘉のコートの背中にできた裂け目を見たって、大抵そんな結論には至らないだろう。
「深幸ってさ、中学の頃から千嘉のこと、好きだったんでしょう」
「ああ……そう、だね」
彼は気まずそうに視線を逸らした。べつに浮気を疑ったりなんてしないけど、彼なりの事情だとか思いがあってのこれまでの行動だったのだろうと考えると、少しだけ、彼のきれいな手の甲に爪を立ててしまいたくなるのだ。明日切るつもりだったのでだいぶ伸びている。痛いだろうからやめておいた。
「さっきやっと思い出したの、深幸とも中学が同じだったこと。あの子、三年のとき生徒会で書記をやってたよね。千嘉は会長になってたっけ」
ふたりが話していたとき、やっと思い出したのだ。似たような光景を、当時一度は見たことがあったから。やっぱり人間の記憶力は侮れないなー。
「でもたぶん、そういうんじゃないよ」
「え?」
「恋愛感情としての好き、じゃないと思う」
千嘉はそれから、わたしの部屋に着いてふたり分のコーヒーを淹れるまで、ずっと黙っていた。
「自分で言うのもなんだけど、崇拝されてたんじゃないのかな」
やっと発せられたその言葉が、外でのつづきなのだと理解するのに少々時間を要した。具体的には十三秒。
すー、はい。吸う灰? いや、噎せるか。
「崇拝?」
まあ確かに、色々とできる人ではあるけど。宗教でもあるまいし、そんな言い方って。
わたしの部屋にはテレビが無い。だからかよけいに合間合間の静けさが増幅する。とりあえず、生きて帰ってこられて、よかった……のかなあ。最悪の事態も想定していたので、ちょっぴり力が抜けてしまった。
スボンのポケットに忍ばせていたカッターナイフを、そっとペン立てに戻した。また穏やかな毎日を築きあげていかないと。明日から、また仕事も再開しないと。落ち込めるほど実感も湧かないし。
空になったマグカップをデスクにおいて、千嘉の座るとなり、ソファがわりのベッドに腰をおろした直後だった。一切の無駄なく、軽い力で肩を押されて。視界には、数センチの距離にある千嘉のきれいな無表情と、見慣れた天井だけが収まっていた。
「友達も親も恋人もみんなそうだった。優等生で明るくて優しい"雨宮千嘉"っていう表の顔ばっかり見て、求めて、期待して。それだけならまだ良かったよ。でも、少しでも冷たい"俺"の本性を見せれば勝手に失望して離れていく。中学のときさぁ、真幌だけは違うのかなーって思っちゃったの。でもやっぱそんな訳なかった。わかっちゃうんだよねえ、こいつ俺のこと美化したなとか、嫌な意味で好かれちゃったなとか。自意識過剰かな、それって」
このたった二ヶ月ほどでも、千嘉のことはいろいろと知ってきたつもりだ。
幼い頃から天才肌だけど、高校受験ではじめての挫折を経験したこと。そのとき落ちた高校に、自分より成績の劣るはずの弟が通っていたこと。じつは両親とうまくいっていなかったこと。そんなふたりが、四年前に事故で亡くなっていること。彼はその事故に巻き込まれたものの、なんとか弟と生き残ったこと。そのときの後遺症で、大好きなスポーツが思いきりできなくなったこと。外ではいつも他人に頼られ大きな責任を背負い、期待されつづける彼だって、ただの甘えたがりの、寂しがりの男の子だということ。
千嘉にとってわたしは、たぶん、数少ない──ひょっとしたら初めての──ほかとは違うひとりなのかもしれない。
「簡単に言っていいことじゃないと承知の上で言うけど、わたしにも少しだけわかるよ、その気持ち」
本当は、もっと大きく頷きたい。すごくわかるよ、頑張ってきたんだねと抱き締めたい。彼自身をまるごと肯定したい。でも、全部を知っているわけじゃないから。彼とは違う世界を生きてきたんだから。
重い鎧を着て戦いつづけてきた彼と、早々にそんなものは脱ぎ捨て、拗ねてひねくれて戦うことを放棄したわたしとは、同じわけがないのだから。
千嘉はわたしの耳のそばに顔を埋めて、しばらくじっとしていた。頭や背中をなでてやることくらいしかできない。
「……真幌は、わざわざいまになって俺を千花に引き合わせた。最初からそうするつもりだったのかもしれない。全部、わかってて、こうしたのかも」
そうか。深幸は、わたしなんかよりずっとずっと千嘉のそばにいたんだもんね、中学のときから。
「ねえ、千花は」
ゆっくりと顔を上げてわたしを見つめてくるその表情は、二十四年分の悲しみが滲む、いまにも泣き出してしまいそうな色をしていた。
「おれといっしょに死んでくれる?」
そんな彼を少しだけ、具体的には二秒だけ、見つめてから。
わたしは頷いた。
しあわせ。しあわせ。しあわせ。しあわせ。いたい。くるしい。うれしい。かなしい。しあわせ。うれしい。かなしい。くるしい。くるしい。こわい。こわい。いたいよ、くるしい、こわいこわいいたい、こわい、くるしいこわい、くるしい、こわい、こわい、こわ、れ