ダーク・ファンタジー小説
- 『夢の花売り』 ( No.25 )
- 日時: 2021/01/28 02:45
- 名前: 厳島やよい (ID: l/xDenkt)
おや、お客さんかい。久しぶりだなあ。いんやねぇ、この街にはあんまりたくさんお店があるものだから、こんな地味でぼろっちいところはもう見向きもされないんだ。最初から存在しないみたいに、だれの視界にも入らない。
ああ、ここはねえ、こう見えて花屋なんだ。でもただの花屋じゃないよ。一輪一輪が、風や川のながれに漂う、ひとの記憶の小さなかけらを養分にして育つんだ。花が満開を迎えたとき、鉢植えや花瓶を枕元に置いて眠ると、だれかの人生の一片を、物語を、夢に見ることができる。人の価値観も経験もいろいろだからな、悪夢じゃねえって保証はできない。そこは頼むぞ。
物語が、この星に住むやつらからきれいさっぱり忘れられちまったとき、花は枯れる。だからこの花たちは、死んだ人の生まれ変わりだとか、魂が宿るなんて勝手に噂された時代があるんだよ。
ほら、よく言われているだろう? 人間は二度死ぬって。一度目は、肉体的な死。二度目は、忘却による死。すべての人から存在を忘れ去られたとき、そいつは死んじまう。その言葉を体現したような花だってな。
でもな、お客さん。俺ぁそうは思わねえんだ。…………あぁ? 天国なんざ信じちゃいねーよ。この世が既に地獄だからな、はっはっは。冗談だよ、半分。
人は、人の想いは、三度目、文化や伝統が失われたときにほんとうに死ぬんだと思ってんだ。この広い広い世界の、長い長い歴史の中で、数えきれねえほどの人々が築き上げ、愛し、守ってきたものだろう。魂が宿るとしたらそっちなんじゃねえかなあ。そう信じてぇんだ。なんだかんだで俺は、この世界が大好きだからよ。
まあそんなわけで、創業二五〇年を迎えたこの商売の伝統を守るためにもどうだい、一輪からでも。おすすめ? お客さんのすぐそばにある、そう、その鉢のピンクの花なんてどうだ。綺麗に咲くぞ──そいつにすんのかい、毎度あり!
もう店はたたんで、どこか別の国で新しく花屋を開こうかと思っていたが、もう少しだけここで暮らしつづけてもいいかもなあ。
ああそうそう、花たちが見せる夢には、ときどきこの世界のもんじゃねえのが混じってるからな。
俺たちよりちょっと不便な世界に住む、俺たちよりちょっと不器用なやつらの物語だよ。
🌼おしまい🌼