ダーク・ファンタジー小説

Re: 人畜無害な短編集 ( No.11 )
日時: 2020/08/27 23:26
名前: 神崎慎也 ◆bb6OCCHf8E (ID: .BPVflqJ)

タイトル「魅惑の肉汁うどん」
 

 

 心がボロボロに打ちのめされていた。
 いったい自分の何がいけなかったのか。増田公正(ますだ こうせい)は仕事帰りの人々が集う繁華街を死んだ魚のような目でフラフラ歩いていた。
 頭の中では自分をクビにした上司の顔が離れないでいた。
 中学高校と真面目に勉強し、大学は有名な国立大学へ入学した。成績も常に上位で誰が見てもエリートコースまっしぐらな彼だった。就活も順調で、彼は遂に念願の一流企業に就職することが出来たのだが、そこからは地獄のような日々だった。
 毎日のノルマはきついし、小さなミスでさえ許してはくれないキツイ上司のもとで2年間働いた。正直、すぐにでも辞めたい職場ではあったが増田はその気持ちを飲みこんで自分なりに頑張ろうと心を引き締めた直後のリストラだった。
 もう、人生を諦めていた。
 まだクビになってから数カ月しか経過してないのだが彼にしてみれば年単位で彼を置いてけぼりにするように時間が経過しているような気分だった。
 「「「かんぱーい!」」」
 「……。」
 陽気な晩酌の声がする方を無言で眺める。仕事終わりのビールなんて嗜める時点で随分余裕のある職場なんだなというギスギスした感想しか湧き出ない。
 実際、彼は仕事終わりの晩酌など経験したことは無かった。酒を飲む暇があったら仕事をする。それが彼が務めていた職場のポリシーのようなものだったのだ。
 様々な食べ物の匂いが混ざり合う繁華街を抜け、人気のない通りに出てきた増田だったが、そこにポツリと聳える小さな店を発見する。
 「(こんなところに食い物屋なんてあったっけ?明かりは点いてるみたいだけど随分ボロいな。でもすっげぇ良い匂い。)」
 その店の看板には『うどん』とだけ書いてあった。だが、その看板以上に主張してくるダシの香り。今まで嗅いだことの無い良い香りだった。
 「(ま、今日はここでいいか)」
 そういえばまだ夕食を済ませていなかった増田は香りに誘われるように古臭いスライド式の戸を開ける。
 「いらっしゃいませぇ」
 店の奥から、か細い老人の声が聞こえてくる。声の主は厨房にいる男性。
 店内はカウンター席と厨房が繋がっているタイプの構成で、それ以外に座席はないため狭く、全体的にレトロな印象だった。芸能人の隠れ場っぽいといえば聞こえがいい。
 増田はカウンター席の中央に座る。彼のほかに客はいないようだ。ファミレスのようなメニュー表は無く、壁にぶら下がっているボードに書かれた商品名から選ぶというシステムらしい。
 「(きつねうどん、さぬきうどん……ん?なんだこれ。)」
 一度は聞いたことのある名前が続いたところで一つだけ異質な存在感を放つ名前を見つけた。その名も『魅惑の肉汁うどん』。
 「(いかにもって感じだな。まあ頼んでみっか。)すみません、この魅惑の肉汁うどん一つください。」
 「はいぃ」
 なんでこのメニューを頼んだのかは自分でも不思議だったが、なんとなく惹かれるものがある気がする。
 しばらく待つと5分もしないうちにうどんが運ばれてくる。
 「ハイお待ちぃ」
 うどんを目の前にして気づいたが、さっき店の外にまで漏れていた良い香りの正体は、どうやらコイツだったらしい。
 増田は歯を使って割りばしを割り、うどんを啜った彼はそこでピタリと止まる。
 「(うまい……。なんだこれ、こんなの今まで食ったことない!)」
 そのうどんは、ただ味が良いというだけではなかった。今までの辛かった経験を、それを体験してきてズタズタに引き裂かれた心を優しく包み込んでくれるような優しい味わいだった。
 増田は気づくとガツガツ勢いよくうどんに食らいついていた。これまでの辛かったことを思い出しながら。
 そんな彼の目からは不思議と涙がこぼれていた。
 大袈裟かもしれないが間違いなく増田はうどんに救われた。そして、彼と同じように救われない経験をしている若者は多いのだろう。自分と同じ境遇の奴にも食べてほしい。
 知らなかった。うどんにこんなにも人を救う力があるなんてこと。いや違う、普通のうどんではこんな気持ちにはならない。という事は。
 増田の中に流れ込む思い。それは希望に満ち溢れた温かいものだった。彼がこんな気持ちになるのは久しぶりだった。
 だからこそ、彼が言い放った一言には重みがあった。
 「大将。俺、大将のうどんに救われました……!こんな気持ちは初めてなんです。お願いです、この俺を弟子にしてください……!」
 厨房でなにか作業をしていた大将は、増田の声にピタリと手を止めた。しばらく、手元に視線を落としていたが、のそりと増田の顔に視線を移し、彼の顔を凝視する。そのうち、ゆっくりと口を開いた。
 「ワタシは、弟子は雇わない主義でねぇ。この店も何十年、ずっとワタシが一人で支えてきたんだぁ。だから、弟子はいらんねぇ。」
 増田は驚愕した。たった一人でこの店を何十年も続けてきた。一体そこにはどんな苦労が伴ってきたのだろう。たった一度リストラをくらっただけで全てに絶望しフラフラしている自分なんかとは格段に違う生き方だった。
 力になりたい。世のため人の為ではなく、この大将の力になりたい。
 増田の頭の中には、そんな思いが沸き上がった。だからこそ、増田は引き下がらない。
 「それでも、俺は大将の力になりたいんです。大将のような素晴らしいうどんが作れるようになりたい!そして、自分のうどんで人々に希望を抱かせたい!」
 たとえ怒鳴られて追い出されてこの店を出禁になっても、弟子にしてくれるまで頭を下げようと決意する。
 「ですから、この俺を弟子にしてください!お願いします!」
 増田は立ち上がって深々と何度も頭を下げていた。こんなに心から頭を下げたことがあっただろうか。
 それでも聞く耳をもたない大将に対して増田は、もはや土下座をして頼み込んだ。
 「俺、なんでもします!どんなに辛くても絶対にへこたれません!この通りです!この俺を使ってください!!」
 ピクリと。そこで初めて大将の目が変わった。
 「いま、なんて言ったぁ?」
 「で、ですから。俺、何でもしますから、どうかこの俺を使ってください!」
 その言葉を聞いた大将は、急に今まで増田に見せなかった満面の笑みを見せた。
 「そうそうそうそうぅ!その言葉が聞きたかったんだよぉ。いやぁ、よく言ってくれたねぇ。」
 「そ、それじゃ。俺を認めてくれるんですね……!?」
 「あぁ!そこまで言うなら、御望み通り君を使ってあげましょうぅ!さあさあ、さっそく厨房に来たまえよぉ。」
 「あ、ありがとうございます……!やった!やったああああああああああああああああああああ!!」
 増田は、まるで小さな子供が欲しいオモチャを買ってもらった時のように無邪気に喜んだ。
 ああ。
 こんな自分にもまだ居場所はあったんだと。こんな自分を必要としてくれる人がいるんだと。増田は目に涙を滲ませながら喜んだ。
 その光景を厨房から笑顔で見つめる大将に増田はその場で改めてよろしくお願いしますと頭を下げた。
大将はいつまでも笑顔を崩さなかった。

 
 
 とあるサラリーマンの男性が繁華街を抜けたところに聳える小さなうどん屋を見つけた。その店からとてつもなく良い香りが漂っていた。
 その香りに誘われるようにサラリーマンの男性がそのうどん屋に入店した。
 「いらっしゃいぃ」
 店の奥から、か細い老人の声が聞こえてきた。
 サラリーマンの男性は店内に客がいないのを確認するとカウンターの中央に座った。厨房では大将の老人が"一人"で作業をしているのが見えた。
 「大将、なんかお勧めあるー?」
 「『魅惑の肉汁うどん』なんてどうかねぇ?当店お勧めだよぉ。」
 サラリーマンの男性が陽気に尋ねると、か細い声で返答が帰ってきた。
 そのメニューはサラリーマンの男性は初耳だった。だが、その名前の異質さに惹かれ思わず注文してしまう。
 しばらくすると、うどんが運ばれてくる。
 「わあ。この匂いだったのか!めっちゃいい香りっすね!?これ何でダシとか取ってんすか?」
 サラリーマンの男性が訪ねるが大将は何故か聞く耳を持たない。
 首をかしげながらサラリーマンの男性はうどんを啜ってそこでピタリと止まる。
 「おいしい……!こんなの食べたことない味だ!なんなんだよこれ!」
 その味はこれまでの辛かったことや苦しかったことを優しく包み込んでくれる味だった。
 サラリーマンの男性はしばらくうどんにガッついていた。
 どんぶりを掲げ汁まで飲み干した男性の目には何故か涙が溢れた。
 「(こんなうどん食べたことない。こんなにうどんで人が幸せになれるんだ。今まで仕事は金の為って割り切ってきたけど、そんな自分が馬鹿みたいだ。俺もこんなうどんが作れるようになりたい。うどんで人を幸せにしたい!)」
 気づけばサラリーマンの男性は立ち上がっていた。そして、ゆっくりと頭を下げて一言。
 「感動しました、俺、大将の弟子になりたいです!」
 「ワタシは"弟子を雇ったことがないんだぁ"この店もワタシ"一人で"ずっとやってきたぁ。だから、弟子はいらんねぇ。」
 「それでも、俺は大将と一緒に働きたい!たのんます、俺を使ってくれ!」
 ピクリと大将は目の色を変えた。
 「その一言を待ってたんだよおおおおおおおおおおおぉ!!!!」
 

 大将は満面の笑みを見せた。
 
 
 【終】