ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.102 )
- 日時: 2021/05/01 07:40
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: yV4epvKO)
1
「リュウ」
「わあっ!!」
背後から、急に声をかけられた。
「ここ、図書館」
日向の言う通り、ここは学園内の図書館。大声を出してはならない。
それはわかってる。
「おどかすなよ」
恨めしげに見ることを意識して、日向に言う。
「なんでここにいるんだ?」
「つけてきた」
……わざわざ気配を消してまでか?
言葉にこそしなかったが、おれの目でわかったのだろう。
日向は唐突に本題に入った。
「薬、まだある?」
息が、ほんの一瞬だけ、止まった。
「いまも、飲んでるでしょ。魂の異常はあるけど、精神の状態は、いつもよりも安定してる」
敵わないな、日向には。
「うん、飲んでる。昨日飲んだ」
「何度も言うけど、多用は禁物」
淡々と、感情の無い声で、日向が言う。
だけど、わかる。日向はおれを、心配しているのだ。
くすぐったいような、変な感覚がする。
「わかってる。ちょっと、思考がまとまらなくてさ。気がついたら飲んでた。中毒かもな。はは」
笑って、ごまかそうとするけれど、喉から出た笑声は、これでもかというほどに、渇いていた。
日向は眉を潜める。
「無理も、だめ」
口調が変わった。微かに、強くなっている。
「薬、追加の分、登校再開したら、持ってくる」
苦しそうに、辛そうに。日向の言葉が、おれの中で、小さく響く。
日向には、本当に感謝している。
人は、その場しのぎだと言うだろう。
人は、薬をに頼るなと言うだろう。
人は、耐えろと言うだろう。
日向がおれに与える薬は、おれの身を滅ぼすもの。
医学的にも、害しか与えない。
だけど、薬が与える害よりも、『あいつ』が与える害の方が、おれにとっては、耐え難いものなんだ。
日向は、それを理解してくれている。
だからおれに、薬を与えてくれるのだ。
その場しのぎでも。
苦しくても。
辛くても。
『おれにとっての』最善を。
『おれが望む』、結果を。
日向はおれに、与えてくれる。
2 >>103
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.103 )
- 日時: 2021/05/01 07:40
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: yV4epvKO)
2
「日向、ありがとう」
日向は、おれを見た。
「おれを、否定しないでくれて」
珍しく、日向の瞳が、わかりやすく、揺れた。
学園長とのやり取りのような、ふざけた雰囲気ではない。
真剣な表情の中に、動揺があった。
「リュウが」
日向が言葉を発する。
「私を、否定しないから」
わかりやすく、切なさを感じさせる表情をした。
本気で、おれを想ってくれているのだ。
それだけで、おれの、生きる理由になる。
日向は、おれに、存在理由を与えてくれる。
どさっ
突然、音がした。
本が落ちるような、そんな音。
地面は揺れたりしなかった。本棚から落ちるなんてことはないはずだが。
そう思って、おれは音がした方向へ、振り向いた。
女の子がいた。
ぼさぼさではね毛だらけの黒い髪。
焦げ茶のような肌の色。
おどおどした、漆黒の瞳。
おれよりも少し高い、大柄な体型。
白布のベールからちらっと見える、羊のような、灰色の角。
身に付けるリボンの色は、Ⅴグループの証である、赤。
おれたちの会話を聞いていたのか、顔が真っ赤だ。
うん、端から見れば恥ずかしい会話をしていたのは、認める。
3 >>104
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.104 )
- 日時: 2021/05/01 07:41
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: yV4epvKO)
3
「あっ、あノ、エっと」
あわあわと身振り手振りで盗み見と盗み聞きをした理由を説明しようとして、辛うじて腕のなかに留まっていた本も、足下の本の山の一部と化す。
「あああああ」
この子は、何をやっているんだろう。
拾っては落とし、拾っては落とし。その繰り返し。
さすがにきりがないと、おれが手伝うために歩みだそうとする直前に、日向が動いた。
まっすぐに、彼女のもとへ。
「え」
思わず、声が出た。
日向が誰かのために行動するなんて、いままでなかったことだから。
「えっあっあっ」
驚いたように、怯えるように、あたふたと両手が動く。
無理もない。日向のことは、学園のほとんどが知っている。人殺しと関わるなど、嫌なのだろう。
いつだって、そうだ。
ぐっと唇を噛みしめ、おれも彼女のそばによって、しゃがむ。
「大丈夫?」
さらに顔を赤くしている彼女は、声を絞り出して、答えた。
「はイ! あっアのっあのっ」
「気にしないで。
もし話しにくかったら、自分の国、大陸の言葉で話してもいいよ?」
女の子は、目を丸くした。
「言葉が」
わかるのか、と、訊きたかったのだろう。
「あなたは」
しかし、日向の声に遮られた。
「本の扱いが、酷い」
あくまで冷たく、なんの温度も感じない声で、日向は言う。
そうか、本だ。日向は本のために行動しているんだ。
それもそうだ。面倒くさがりの日向がおれたち以外のために動くなんて、そんなこと、あり得ない。
あるとすれば。
「本は、歴史そのもの。歴史を粗末に扱うことは、神への冒涜」
抑揚のない声なのに、行動だけは妙に感情があって。
「神を敵には、回さない方がいい」
吐き捨てるように、呟いた。
4 >>105
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.105 )
- 日時: 2021/05/02 08:00
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: jBbC/kU.)
4
「それに、紙は木から作られた、森の産物。精霊も、怒ってる」
おれは精霊を『視る』ことはできない。『感じる』ことだけはできるけど。
日向には、それができる。実際にすることはあまりないみたいだけど、会話(念話)のようなものも、しようと思えばできるらしい。
「ご、ごめんなさい!」
女の子は、がばっと頭を下げた。
日向は相変わらずの無表情で、冷たく言い放つ。
「私に謝られても、困る」
全く困ったようすは見受けられない声。
ますます、女の子は赤くなった。
それを日向は無視して、とんっと小さな音だけたてて、大量の本を机に置いた。
その本の題名を目にしても、顔色ひとつ変えない。本当に、すごいと思う。
おれには、無理だ。
『呪われた民の行方』
『追いやられた白の民』
『滅ぼされた悪の根元』
その中のほとんどが、〈呪われた民〉についてのものだった。
おれはそれらを見た瞬間に、さっと顔色を変えたのを、自覚した。
「あっ、ありがとうございます!」
女の子は気づいていなかったようで、と言うよりかは、顔を真っ赤にしてうつむいているのでおれが見えていないのだろう。かろうじて、という雰囲気でお礼を言った。
「別に」
日向は淡々と告げる。
「わたし! ゼノイダ・パルファノエです!」
パルファノエさんは、唐突に叫んだ。
「は?」
訝しげな、日向の声。見ると、二人は視線を交わしていた。一方はなにやら熱がこもり、一方は対照的に冷えている。
「い、いえ、その、名乗らないのは失礼かと……、あっその! 決して花園先輩や笹木野先輩が失礼とかそういうことでは!
あっ! あああまた誤解を招くような言い方を」
一人で問答を繰り返すパルファノエさんを、日向は冷ややかに見つめていた。
5 >>106
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.106 )
- 日時: 2021/05/02 08:01
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: jBbC/kU.)
5
「なん」
日向が呟いた、いや、呟こうとした。
パルファノエさんは一種のパニック状態に陥っていて、それに気づいていない。
「どうした?」
気になったので、おれは日向に尋ねた。
少し間を空け、日向は言う。
「別に」
えー。
知りたいと、顔に出ていたのか、日向はおれの目をじっと見つめた。
真顔で見つめられるのには、やっぱり、慣れない。
「私の」
確信犯か、天然か。
どっちかはわからないけど、少し頬を赤くしたおれを無視して、日向は言った。
「名前を、知っていたから」
なんで知っているのか。
そう、言おうとしたのか。
おれの心を読んだかのようなタイミングと言葉で、日向は言葉を続ける。
「でも、興味ないから」
訊くのをやめた、と。
「リュウは名声、私は悪名。
どちらも、形はどうあれ世界に認知されている」
「そんなことっ!」
ちがう。悪名なんて、そんな。日向の名前は、決して悪名なんかじゃない。
「日向の名前は、悪名に『された』んだ!」
《白眼の親殺し》の一件で、日向は全世界の晒し者にされた。
記者に野次馬、大量の奴らが、日向の個人情報を洗いだし、絞りだし、それまでの過去から家族構成から、日向に関するほとんど全ての情報が、無償(記者の場合は職務なので新聞等の料金はかかったが)で世界に公開された。
そのおかげで日向と巡り会えたということが、なおさら強く、おれに嫌悪感を植え付けていた。
だからおれは、いままでの日向の大半を知っている。その代わりに、おれは自分の個人情報を日向に教えた。日向はそれを拒んだけど、どうしても、知ってほしかった。
「リュウ、ここ、図書館」
「わかってる!」
怒鳴ったあと、はっと我に返った。
こんなの、八つ当たりだ。
絶対しないように、気をつけていたのに。
頭が真っ白になって。
自分が嫌になって。
日向の顔も見ないで、おれはその場を駆け出した。
6 >>107
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.107 )
- 日時: 2021/05/09 00:55
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 6k7YX5tj)
6
「あー、あんなの、ガキじゃねえか」
おれは後悔の念に苛まれていた。
「謝るくらいしろよな」
他人事のように、現実逃避のように、呟く。
おれは、学園内の森にいた。家に帰ることもできたけど、それじゃあ逃げるままになってしまう。
かといって、謝る『くらい』のことすらできない。
「情けねえ」
おれがため息を漏らした瞬間。
『ああ、情けねえな。本当に』
聞くはずのない声。
頭の中で響く声を聴いて、どくんと心臓が跳ねた。
なんで。どうして。
まだ、薬の効き目は切れていないはず!
『よお。起きたぜ。わっかりやすく落ち込んでんな、交代してやろうか』
にやにやと笑う『あいつ』の顔が、脳裏に浮かぶ。
やめろ。
拒絶を示した。
『そう言うと思ったぜ』
言葉が続く。
『久々に寝て起きてみれば、お前はなにやってんだよ。まあたあいつのせいでくよくよしてんのか?』
おれは、ぎりっと歯を食い縛った。
こいつの言葉は、的を射ている。
薬の効果は、本来ならば、短くても三日は持つ。それが二十四時間も経たずに切れてしまったのは、おれの精神状態が原因だ。
『そのとおり。不安定なんだよ、いま、お前は。この意味が、わかるよな?』
は?
『運が良いぜ。こんなに短い期間に二回も乗っ取れるなんて』
おい。
『二回とも原因はあいつに対するお前の精神の揺らぎだしな』
おい!
「やめ」
やめろと言い切る前に、おれは意識を失った。
7 >>108
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.108 )
- 日時: 2021/05/09 00:55
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 6k7YX5tj)
7
…………………………
…………………………
…………………………
いまは、なんだ。
おれは、いま、どうしてる?
ああ、そうか。
乗っ取られたのか。
情けないな。
意識を乗っ取られている間は、おれは、魂だけの存在になっている。
意識は、五感。この間、おれは、外からの刺激をなにも感じることは出来ない。
出来るのは、考えること。
それだけ。
重さも体の輪郭も、なにも感じない。
感じるのは、体があるのだという、錯覚。
目が見えるのだという、耳が聞こえるのだという、錯覚。
それ故に生じる、なにも見えない、聞こえないことへの、不安、虚無感。
それだけ。それだけ。
いまのおれには、何もない。
出来ることは、考えること。
自分の過ちを、ひたすら思い返すこと。
なんで、あんな風に、怒鳴ってしまったんだろう。
決してしないようにしていたのに。
日向にだけは。
日向にだけは。
そうやって、抑えてきたのに。
どうして。
どうして。
どうして。
……嫌われたくない。
日向。日向。
唯一おれに、救いを与えてくれた存在。
唯一おれに、希望を与えてくれた存在。
唯一おれに、光を与えてくれた存在。
日向を失えば、おれは、生きている意味を失うんだ。
もしもいま体があれば、おれは震え出していたに違いない。
恐怖なんて生ぬるい。
日向には、日向にだけは。
嫌われたくない。
8 >>109
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.109 )
- 日時: 2022/03/02 07:52
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: f3ScG69M)
8
一瞬、一秒、一分、一時間、一日……。
時間が流れたという事実だけが、実感ではなく知識としてわかる。
それがどのくらいのものなのかまでは、わからないけれど。
おれの体は、いま、どこにあるんだろう。なにをしているんだろう。
日向は、どう思っているんだろう。
怒っていないのは、知っている。わかっているんじゃなくて、知っているんだ。
いつも、そうだから。
日向には感情が少ない。
日向に感情をもたらすのは、いつもおれたちだ。
ただし、それはおれたちに向けられたものに対して、おれたちが感じたものに対して生じる感情。
自分自身に関するものには、決して感情を抱かない。
そう、誰もが思っている。誰よりも近くにいるが故に、蘭もスナタもそう捉えているし、日向本人すらも、そう思っている。
でも違う。日向は、自分の感情に気づいていないんだ。
気づけないから、その感情を直に受ける。
それがたとえ、ストレスであっても。
日向は誰よりも不器用だ。それ自体には、蘭もスナタもわかっている。
だけど、おれほどには心配していない。おれが心配しすぎなのも、否めないけど。
でも、それだけじゃない。あの二人は、日向に近すぎる。
近すぎるから、理解しすぎているから、全体像を捉えられない。気にしないと見えないほどの細かい部分が、視界から漏れているんだ。
おれは違う。おれは、あの二人とは、明らかな違いがある。
だから、こんな感情が生まれるんだろう。
友情なんてものじゃない。
恋愛感情でもない。
憧れ、とも、なにか違う。
元々は、恩義のようなものだったはずだ。
一直線上にあるようで、全く別次元に存在するこの感情。
言葉のない、他の人のなかにはその概念すらない、この感情。
言い表すことなど出来ない、大きすぎるこの気持ち。
けれど、言い表すとするならば。唯一言い表すとするならば、この、なによりも壮大で、なによりも曖昧な、この言葉。
日向、日向。
おれは。
おれは、日向を、愛してる。
9 >>110
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.110 )
- 日時: 2022/10/06 05:15
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 4CP.eg2q)
9
唐突だった。
意識が戻ったということだけで言えば、そうではなかった、予兆はあった。
でも、それらが一度に起こったのだから、やはり、唐突だったと、感じてしまう。
まず、体があるとすれば、地面がそのまま大きく揺れたような感覚がした。
次に、体があるとすれば、地割れに体が落っこちるような感覚がした。
最後に、体があるとすれば、胸を強く蹴られたような、強い衝撃が加わった。
痛みはない。
意識の真底が痙攣したような、それでいて激しい振動が、突如としておれを襲った。
そして、気づけば、おれの視界には色が差し、おれの耳には森の木々のざわめきが聞こえていた。
こんなこと、滅多にない。
確かにいつも、気づけば意識はもとに戻っていた。
けれどこんな、言葉にすれば乱暴な衝撃と共に『覚醒』するなんて。
ああ、そうか。
『強行突破かよ、ったく』
なんとなく気だるげな声。
強行突破か。
間違いない。
「リュウ、平気?」
瞳の奥を微かに揺らして、日向がおれに問う。
光の差さない、虚ろな目が、まっすぐおれを見ていた。
おれはひざをついていて、日向を見上げる形になった。ひざをついているということは、あいつは日向と戦闘したのかな。そのわりには、おれの体にはどこにも傷はない。
木々の隙間から漏れた日の光が、日向の髪に当たる。逆光で日向の表情はよく見えない。けれど、雰囲気と声で、おれを気遣ってくれているのがわかる。
「うん、平気だよ」
おれがそう答えると、五秒ほどはそのままだったが、不意に、緊張の糸がほどけたように、日向は、ふう、と、ため息をついた。
「そう」
【闇魔法・潜在覚醒】
この魔法は、俗に言う黒魔法。黒魔法と闇魔法は同じものだが、そう言った方がわかりやすい。
なんせ、本来悪魔が使うものなのだから。
人間が奥底に秘める欲求を無理矢理引きずり出し、悪魔はその人間を言葉巧みにコントロールする。
正規の用途は、これだ。悪魔に正規もなにもないけど。
それを日向は、おれの意識を強制的にもとに戻す技として使うことを思い付いた。
魂に干渉する魔法なので、日向はあまり使いたがらない。
余談だが、黒魔法という名称は、この世界の創造神が使っていたとされている。そういえば、前に読んだ書物には、誤りがあった。
それにしても、なんで日向は今回この魔法を使ったんだ?
10 >>111
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.111 )
- 日時: 2021/10/03 19:15
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: OypUyKao)
10
「日向、なにがあったんだ?」
おれは立ち上がり、日向に尋ねた。
「リュウは結構落ち込みやすいから、探してたの。案の定『あいつ』の気配が強まってたし。
放置したら、自己嫌悪のサイクルに陥ると思って」
「ははは。その通りだよ」
おれは肩をすくめた。おどけたように言ったつもりだったけど、声がかたいことが自覚できる。
なんで、日向はこんなにも、おれのことを理解してくれているんだろう。
不意に目尻が熱くなり、慌てて抑える。
「どうしたの?」
不思議そうな、日向の声。
「ごめん、ちょっと待って」
『あーあー、泣くのか? みっともねえなあ』
うるさいだまれ。
いまはやめろ。いまは!
「リュウ」
日向が変わらぬ声で、おれに話しかける。
日向の白い手が、おれの首に順番に回された。
日向は自分の体とおれの体を密接にくっつけて、おれの肩に顎をのせる。
ぼんっと音がしそうなくらいの速度で、おれの全身の血液がめぐった。
それに比例して、体温が急上昇する。
「は、な、え」
声にならない声を絞り出すので精一杯で。
だって、日向が、近くにいる。手を伸ばさなくても触れられる距離に、日向がいる。
おれの体は硬直した。
「気にするな、なんて言わない」
耳元で、声がする。右耳に、息がかかる。
「でもね、リュウ。これだけは言わせて。
私はリュウが大好きだから。絶対に嫌いになったりしないから」
日向の声が、おれの心に浸透する。
「私は、あなたの味方だから」
「私は愛なんてわからないけれど」
「私はあなたを、愛してる」
その瞬間に、おれは泣き崩れた。
声を上げて泣いた、訳ではない。
日向のことを抱き締め返して、ただただ泣いた。
力加減は出来なかった。そこまで頭が回らなかった。
だけど日向はなにも言わずに、静かにおれが泣き止むのを待っていた。
「おれも」
伝えたかった。
これまで何度もこの言葉を交わし続けてきたけど。
「愛なんて、わからないけど」
家族はおれを愛してくれているんだろう。けど、それは知識でわかるのであって、実際に感じているわけではない。
「おれも、日向を愛してる」
この言葉でしか、この感情は表せないから。
心が通じ合うなんて、あり得ない。
言葉にするしか、自分の気持ちを相手に伝えることは出来ない。
だから、何度も何度も、これから先もずっと、おれはこの言葉を口にする。
おれたちの間に、恋愛感情はあり得ない。
友情でも、ない、と思う。
それらとは全く別の、この世界には概念すらない、この関係。この感情。
答えなんて無くても良い。
お互いが、この世界に存在さえしていれば。
おれたちは、それ以上を望まない。
11 >>112
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.112 )
- 日時: 2021/05/09 00:59
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 6k7YX5tj)
11
「日向、もういい」
「うん」
日向はおれから体を離した。
それから、おれの目を見て。
ほんの少しだけ、笑った。
どくんと、心臓が跳ねた。
作り笑顔なのは、わかる。
『あのとき』と比べてしまえば、わずかな違いがおれたちならわかる。
でも、あまりにも穏やかな笑みで。あまりにも優しげな笑みで。
おれはおもわず、見とれてしまった。
日向は最後にもう一度だけおれを抱き締めたあと、言った。
「じゃあ、リュウ、戻すよ」
「ああ、頼む」
それなのに、日向はなにもしない。
「?」
不思議に思っていると、突然、日向の左手が伸びてきた。
ひんやりとした感触が、右目の目元にふわりと感じた。
「っ!」
拭いきれてなかった涙があったのか。
恥ずかしいやら情けないやらで、またおれの心臓の音は大きくなった。
日向の右手が、おれから離れる。
途端に、頭で声がした。
『なあにやってたんだよ、お前らはよお。仲良しごっこか?』
うっせえな。関係ないだろ。
「リュウ」
「大丈夫だ。心配すんな」
日向を安心させるために、笑って見せた。さっきとは違って、うまく笑えているはずだ。
【光魔法・意識鎮静】
先ほど日向が使った【潜在覚醒】に対抗するために『開発』された、対抗魔法。
これを使うことによって、『あいつ』の意識を一時的に沈めることが出来る。ただし、おれたちの場合は特殊なので、術者、つまり日向がおれに触れていないとかからない。まあ、日向だから触れるだけで魔法の効果を発揮できるんだけどな。
12 >>113
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.113 )
- 日時: 2021/05/09 01:00
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 6k7YX5tj)
12
おれたちは図書館に戻ってきていた。てっきり日向はもう帰ると思っていたから、少し驚いた。
「日向も、なにか調べものか?」
「違う。新しい本が入ったから。そのつもりはなかったけど、ついでに」
『情報がすっくねえな、相変わらず』
同感はしたくないけど、同感だ。
まあ、日向と一緒にいる時間が増えたから、嬉しいけど。
「借りるのか?」
「うん」
そんなことを小さな声で話していると、またパルファノエさんに会った。
椅子に座って静かに本を読んでいたようだったが、物音に気がついたのか、こちらを見て、跳ねるように立ち上がった。
「は、花園先輩! と、笹木野先輩。あれ、えっと」
おれは苦笑いした。
「さっきはごめんね。急に走っていったりして」
「いえ! わたしこそ、なんだかごめんなさい。余計なことしてしまいましたか?」
「そんなことないよ。大丈夫」
二人でなにか話したりしたのかな。
そう思って日向がいた場所を見ると、もうそこには誰もいなかった。
ん?
『どっか行ったぜ。本でも取りに行ったんだろ』
わ、わかってるよ、そのくらい。
「あ、あの」
パルファノエさんが、おれに話しかけてきた。
「お二人は、仲が良いんですね」
あれ?
おれは彼女が人見知りだと思っていたので、急にこんなことを言われて、少しだけ戸惑った。
その少しだけ空いてしまった間に耐えられなくなったのか、パルファノエさんは両手で顔を覆った。
「すっすみませんこんなこと突然聞いたりして迷惑ですよねごめんなさい噂で聞いていた通りだったので気になってしまってつい」
「お、落ち着いて。大丈夫だから」
入学理由は、この時折くるパニックかな?
おれはそんなことを、やや現実逃避ぎみに考えた。
13 >>114
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.114 )
- 日時: 2021/05/09 01:01
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 6k7YX5tj)
13
「ううう、すみません」
しょんぼりと肩を落として、パルファノエさんは落ち込んでいた。
「おれは気にしてないから、そんなに気にしないで」
「はい、すみません……」
『こいつ、うじうじしてて気分わりいな』
黙れ。
「リュウ」
いつのまにか戻ってきていた日向が、背後に立っていた。
「用事、あるんでしょ。行ってきたら?」
うーん、それもそうか。この子に構う義理は正直言って、ない。単純におれが放っておきたくなかっただけだ。だけど、このままじゃいつまで経っても用事が済ませられない。
「うん、わかった、行ってくる」
でも、やっぱり気になるから、出来るだけ早く戻ってこよう。
おれは図書館を歩き回った。何度も来ているので、迷うことはない。
この図書館は、フロアごとに置いてある本が大まかにわけられている。
一階には、参考書などといった、生徒が勉強するためのものが置かれている。図鑑なんかもあったりする。
二階は、娯楽もの。小説だったり漫画だったり、とにかく見て楽しむものがそこにある。学習漫画が曖昧なラインで、一階にあったり二階にあったり、定まっていない。
そういえば、日向の口ぶりからして、借りたのは小説な気がする。おれたちがいたのは一階だから、うん、とんでもない速度だな。いまさらだけど。
三階が、一階にある本よりも、さらに詳しく内容が書かれた、専門書などがある。ジャンルも幅広いので、ヲタク……ああ、いや、物事に対する追求心がとても強い生徒に大人気だ。
そして、四階。ここがおれの目当ての場所だ。
「こんにちは、番人さん」
おれは四階用につくられた受付台に座る番人さんに話しかけた。
この図書館の管理は、兄弟でやっているらしい。どっちが兄で弟なのか、それどころか本当の名前すらもわからない、謎の人(なのかも不明)たちだ。見た目通りならば、かなり長い年月を過ごしてきたのだろう。長い髭も、ローブに隠れてよく見えない髪も、真っ白だ。ちなみに、一階にある受付台にいる人は、『守人さん』だ。慣れていないとたまに噛む。
「やあ、笹木野君じゃないか。久し振りだね。閲覧かい?」
番人さんは、真っ白なきれいに整えられた髭を撫でた。
「はい、お願いします」
番人さんは手早く手元の用紙におれの名前を記入した。これを見ていると、若いんだか老いているんだかわからない。
「よし、いいよ。入って」
おれは丁寧にお辞儀した。
「ありがとうございます」
番人さんから鍵を受け取り、鎖でぐるぐる巻き(厳密には違うが、そう見える)にされた扉にある、南京錠の鍵穴に差し込んだ。
かちりと心地よい音がして、南京錠が外れた。
鍵は帰りに返せば良いということになっているので、扉を押し開け、中に入る。
四階は、古代の書物が揃っている。
学園長が、バケガクの生徒のためにうんたらかんたらと各国の国王を押しきり、ここまでの、広い四階を埋め尽くすだけの書物を集めた。こんなところは、世界全体を見ても有数だ。
14 >>115
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.115 )
- 日時: 2021/05/09 01:02
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 6k7YX5tj)
14
おれが知りたいのは、『消えたAの時代』の話。でも、ないんだろうな。
この世界は、なんでもかんでもアルファベットと数字でわかれている。時代も、そうだ。
まず、大まかに、百万年ごとでアルファベット。いまは『Bの時代』。百万年ごとに『世界の終焉』とやらがくると言われている。定期的にくる終焉なんて、終焉なのかどうなのか、微妙なところではあるが。
そして次に、数字。Ⅰ~Ⅹまで、つまり、十万年ごとにわけられる。これは、いまはⅩ。そろそろこの時代も、終わりに近づいてきている。
次に、アルファベット。時代と区別するために、表記は小文字になる。a~jまでの、一万年ごとの十段階。いまは、j。
最後に数字。単位は『世紀』。これは間隔が細かくなり、百年ごとの百段階。いまは九十九世紀だ。
『誰にしゃべってんだよ、お前』
独り言だよ。
さてと、そろそろ探すか。
おれはぼうっとしていた頭を切り替えた。
ここには何度も来ているが、なかなかどこになにがあるか把握しきれない。なんせ、広すぎる。
Bの時代だけでも、これまでの約九十九万年分の書物があるのだ。この場所の存在を知ってから定期的に通っているが、つい最近、ようやく五万年ほど遡れた。自分の知識欲が邪魔してしまい、どうにもスムーズにAの時代を調べられない。
それに、Aの時代の書物があるのかどうかすら不明だ。『消えたAの時代』とまで言われている時代の書物が、ただのとは言えない学校であるこのバケガクにも、さすがにないだろう。
それでも、求めずにはいられない。もしかしたら、その『消えたAの時代』に、こいつをおれから放すヒントがあるかもしれな……
『だから、ねえって。いつまで夢見てんだよ』
そんなこと、わかってる。
わかってるけど。
「探さないよりかは、ましだろ」
早くこいつとわかれたい。
おれがこの世で最も嫌いな、こいつと。
15 >>116
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.116 )
- 日時: 2021/05/09 01:03
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 6k7YX5tj)
15
ん?
『どうした?』
いや、これを見つけてさ。
って、なんでおれはこいつと普通に話してるんだよ!
『なに一人で漫才してるんだよ。
その本がどうかしたのか?』
……。
おれは不本意ながら、会話を始めた。
これだよ。『キメラセル神話伝』。
『なんだ、神話かよ。いまさら神話なんか読んだって意味ねえだろ』
いやまあ、それはそうかもしれないけどさ。やっぱり、気になるんだよ。
『ふうん? まあ、好きにしたらいいだろ。てか、勝手にしろ』
言われなくてもそうするよ!
だんだんとイライラしてきたおれは、そこで会話を切った。他に人もいないので、その場で、分厚い本をめくる。
この世界には、神が存在する。太陽神に月の女神に、死神なんかもいたりする。
そして、『キメラセル神話伝』の中で、その神々の頂点に君臨する神がいる。
それが、『ディミルフィア神』。
万物の創造と破壊を司る神だ。この世も、ディミルフィア神が創ったと伝えられている。終焉の規則性を創ったのも。
この世界には、大きくわけて二つの宗教がある。しかし、どちらの宗教の神話に登場する神々も、全くと言っていいほど、同じだ。つまりは、『どの神を頂点とするか』、これでわかれているのだ。
そこまで考えて、おれは、本を閉じた。ろくに読んでいないけれど、内容は既に頭に叩き込んである。
そして、もう一つの神話、『ニオ・セディウム神話伝』があるのか探し始めた。
これは、ディミルフィア神と敵対関係にある、『テネヴィウス神』を、神々の頂点と崇める神話だ。
『キメラセル神話伝』の近くに置いてあるとは思わないが、もしかしたらあるかもしれない。
おれはキメラセル教信者でも、セディウム教信者でもない。つまり、なんの宗教にも属していないのだ。神を信じていないわけではない。神は存在する。その事を疑ったことは、ただの一瞬としてない。でも、信仰もしていない。
否、したくもない。
16 >>117
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.117 )
- 日時: 2022/06/08 18:15
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: gf8XCp7W)
16
「番人さん、番人さん」
おれは眠っていた番人さんを起こした。かなり気持ち良さそうな寝顔だったけど、おれも帰りたいから。
「ん? ああ、笹木野君か。今日も閲覧かい? えっと、鍵はどこだっけな」
番人さんは、がさごそと受付台の内側を探り始めた。
古代書は貴重なので、貸し出しなんか出来ない。閲覧以外にこのフロアに用事なんかないだろう。
じゃなくて。
「番人さん、逆です。閲覧が終わったので、鍵を返しに来たんです」
番人さんが持つ鍵を除けば、閲覧者用の鍵は一つしかない。無いものを探している番人さんに声をかけると、番人さんは笑った。
「フォッフォッフォッ、閲覧は終わったのか。目当ての本は見つかったかい?」
自分がボケていたことには一切触れず、何事もなかったかのように、番人さんは言った。
「いえ、本来の目的は達成出来ませんでした」
わざわざ指摘することでもない、というか、これはいつものことなので、おれもスルーした。
「ですが、面白いものを見つけました。二つの神話伝が揃っているなんて、珍しいですね」
国ごと、地域ごとにある図書館には、それぞれ一つの神話伝(もとの神話伝を複製・簡略化したもの)しかない。
それは、宗教間の対立を防ぐためだ。宗教は大体国や地域でわかれているので、二つの神話伝を揃えてしまうと、住民の大多数から批判されてしまうのだ。
しかし、あらゆる文化をもつ民族が集まったこのバケガクでは、二つの神話伝が揃っていた。いや、揃えることが出来た、というのが正解か。
大陸フィフスでは、再生と破滅を司るテネヴィウス神を崇めるセディウム教が主流だ。
よって、キメラセル教関連の書物は、なかなか手に入らなかった。
「神話に興味があるのかい? あまり君は、そういったものに関心があるようには見えないが」
おれは苦笑した。
「確かに、おれはどちらの教えの信者でもありませんけどね。でも、興味というか、知りたいとは思いますよ。神々のことを」
もう少し早くここに来れていたら、よかったのかな。
いまさら言っても、しょうがないか。
「じゃあ、番人さん、さようなら。
また来ます」
「ああ、待っているよ」
しわくちゃの手を小さく振って、番人さんはおれを見送った(そのままの意味で)。
17 >>118
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.118 )
- 日時: 2022/06/08 17:14
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: gf8XCp7W)
17
一階に戻ると、何故か、日向とパルファノエさんが話していた。当然ながら、仲良さげに、とはいかないが。
それでも、日向がおれたち以外と話すことは、義務連絡などを除けば、ほとんど無い。
日向の性格もあるが、それよりもまず、誰も、日向に自分から近づこうとはしないのだ。日向に話しかけるとしたら、おれたちを経由したり、逆に、おれたちに用があって、日向にそれを取り持ってもらおうだとか、せいぜい、そのくらいだ。日向本人に用があって話しかける、なんてことは、まずない。
そのはずなのに。
なにを話しているんだろう?
気になり始めると、その感情は止まらなくなり、気づくとおれは、日向に話しかけていた。
「日向、なに話してるんだ?」
日向の背後から話しかけたはずだけど、日向は驚いた様子など全く見せずに振り返り、答えた。
「私がどうしてセディウム語を話せるのか聞かれたから、答えてた」
大陸フィフスを含めた怪物族が住む大陸、[黒大陸]では、言語が統一されている。テネヴィウス神が、生み出した種族に直々に言葉を教え、その種族が世界に散らばったとか、様々な説があるが、どれも確証はない。
余談だが、キメラセル教の民族のなかで最も使われている割合が大きい言語のディミラギア語と、セディウム語はよく似ている。これについても諸説あるが、しっかりとした根拠を示せているものは少ない。
似ているが故に、一方の言語を知っていると、その知識が邪魔をして、わずかにちがうだけの言葉が理解しにくい。なので、意外かもしれないが、この二つの言語の両方を綺麗に話せる者は、少ないのだ。
つまり。
「わたしと同じⅤグループなのに、こんなに上手く二つの言語を話せるなんて、すごいです!」
こういうことだ。
おれは少し身構えた。実際に体を動かしたわけではないが、意識として、だ。
そんなおれとはうって変わって、日向は淡々と告げる。
「実技にも、筆記にも、『セディウム語』なんて科目はない」
そんな科目があれば、セディウム語を普段から使っている生徒に有利すぎるからな。得意不得意以前の問題だ。
バケガクはそこもきちんと配慮されていて、原則として会話や筆記テストはディミラギア語(現代ではキメラセル教信者の方が世界全体でみても割合が大きいため)が用いられているが、会話は強要はされないし、筆記試験に関しても、どうしてもディミラギア語が読めない生徒には、別に試験用紙が用意される。
そのためにはディミラギア語以外の言語が扱える教師が複数名必要で、そのぶん人材費も余計にかかってしまうはずだが、そこは、まあ、学園長の力量というわけだ。
18 >>119
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.119 )
- 日時: 2021/05/21 13:50
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
18
「なにか、勉強のコツとかあるんですか?」
「Ⅴグループの私に聞いても、意味ない」
日向が無表情のまま、言った。
うん、まあ、常識的に考えてそうだよな。成績が悪いからⅤグループなわけだし。
実際にどうかはともかくとして。
「帰る」
日向はおれを見て言った。
「日向の用事は終わったのか?」
この様子を見ると、おれが四階に行ってから、ずっとパルファノエさんと話していたように思える。パルファノエさんを気づかって帰らなかった、なんてことはまず無いし、どうして帰らなかったんだろう。
「うん」
日向の目が、じっと、おれの目を見つめる。
ああ、そうか。
心配してくれていたのか。
「ありがとな」
心の奥で、じわりと、温かいものが広がる。
パルファノエさんの前だから、言うのは少し迷ったけど。
でも、それでも。
伝えたいから。
日向は微かにすら表情を変えずに、ただ一度、浅く頷いて、おれに背を向けた。
「また教室でな」
いつものごとく、返事はないけど。
おれの心は満たされていたので、なにも感じない。
『なににやついてんだよ、きもちわりぃ』
なんで見えてないくせに笑ってるなんて言えるんだよ 。
『頬の筋肉の状態でわかるんだよ』
既にわかっていて、いまさらなことを話していると、パルファノエさんが顔を真っ赤にしているのに気づいた。
「じゃあ、おれも帰るよ」
「へあっ! あ、はい! ありがとうございました!」
「うん」
おれは一応笑顔を見せてから、パルファノエさんに手を振って、その場をあとにした。
19 >>120
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.120 )
- 日時: 2021/05/21 13:53
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
19
「お帰りなさいませ、龍馬様」
「うん、ただいま」
おれは屋内用の靴に履き替えて、ほうきをツェマに渡した。
特に用事もないので、部屋に戻るつもりで、長い曲がりくねった廊下を歩く。
すると、歌が聞こえた。
この声は、真弥姉か?
『……れー、ねーむーれー』
子守唄だ。ということは、明虎とルアに歌って聞かせているのだろうか。
どの部屋にいるのだろうと、おれは耳を澄ませた。
『どこにいようとどうでもいいだろ』
うるさい黙れ。お前の声で歌が聞こえなくなる。
声は、かなり遠くから聞こえているようだった。
これは、屋外だな。
おれは引き返し、玄関に戻った。そこにはまだツェマがいて、おれの靴を片付け終わったところらしかった。
「龍馬さま、どうかいたしましたか?」
「真弥姉が歌ってるみたいだからさ、ちょっと見てくる。靴、出してくれるか?」
おれはこき使っているみたいで申し訳無かったのだが、ツェマはほんの少しも嫌そうにせずに、腰を折った。
「承知いたしました。少々お待ちください」
ツェマはてきぱきと動き、僅か数秒でおれの足元(土足でもいいエリア内ではあるが)に靴を置いた。
「ありがとう」
礼を述べてから、おれは外に出た。
声の大きさで考えて、屋敷の敷地内にはいるはずだ。
声を頼りに探していると、見つけた。
連なって植えられた木々の中の一本に、三人で仲良くもたれ掛かり、真弥姉が中央に座って、眠る二人に歌っている。
『眠れ眠れ幼き子よ
眠れ眠れ春の風に
眠れ眠れ幼き子よ
水も土も火も風も
全ては汝に安らぎを
眠れ眠れ
光も闇も精霊も
全ては汝に温もりを
眠れ眠れ春の風に
眠れ眠れ幼き子よ
眠れ眠れ春の風に
眠れ眠れ幼き子よ
我らと共に』
この歌は、全世界に共通している、最も有名な子守唄だ。
おれも昔、よく真弥姉に歌ってもらっていた。
おれはうまく歌えないけれど。よく明虎に「音痴」って言われていたっけ。
第二幕【完】