ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.121 )
- 日時: 2021/05/21 13:58
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
1
「日向、おはよう」
おれが教室に来る頃には、既に日向がいた。長期休みの明けの初日ということもあり、まだあまり生徒は登校していない。おれも、全体でみれば早い方だ。
「うん」
日向は頷いた。
「放課後、空いてる?」
そして、急にこう言った。
「え? うん」
どうしたんだろ?
ああ、薬の件か。
いまは、少ないながら何人かは教室にいる。あの人たちの前で薬は受け取れないもんな。
『お前ってさ、肝心なところで渇いてるよな。事実だとしても、もうちょっと期待とかしねえの?』
は? 期待? 何をだよ。
『いや、なんでもない』
?
まあいいや。こいつのことなんて気にしても、なんの得もない。
早く放課後にならないかな。
「あの、花園さん」
おずおずと、クラスメイトの松浦さんが、日向に話しかけた。
日向は無言で松浦さんを見た。それだけでは松浦さんは何も言わず、日向はため息を吐きそうな雰囲気を出して、言った。
「なに」
松浦さんはびくっと震えたあと、か細い声で用件を話した。
「は、花園さんに用がある男の子が、教室のドアのところにいて、それで、呼んでほしいって」
「わかった」
日向は礼も言わずに教室の入り口に向かった。
相変わらずだな。
思わずおれは苦笑した。
それにしても、誰なんだろ。日向に用がある男の子って。
いや確かに日向は正直言って愛想は悪いけどそれを補ってあまりあるくらいにかわいいし容姿端麗だしきれいだから一目惚れなんてされてても全く不思議じゃないしだけど日向は《白眼の親殺し》で有名だからそれを知らない方が珍しいからそれを踏まえて好意を持つなんてなかなか無いことだしでもそれでもこんな朝早くの人目が比較的少ない時間帯を狙って日向に会いに来るなんて一体どんな奴……
『だーっ!! うっせえな! そんなに気になるんなら見に行けば良いだろうが!!』
なに言うんだよ。気になるから見に行くなんてそんなガキみたいなことするわけないだろ。
『そうやってうじうじ考え込んでる時点で十分ガキだっつーの! さっさと行け! そして黙れ!』
おれはしばらく悩んだあと、ついに感情に抗えなくなり、日向のもとへ行った。
2 >>122
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.122 )
- 日時: 2021/05/21 13:59
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
2
とはいえ、あからさまに見るのもなんだか忍びなかったので、まずは窓から顔を除かせた。
すると、きれいな金髪が見えた。
男の子はおれに背を見せるような方向を向いて立っていて、顔までは見えない(日向は男の子と対面しているので、つまりこちらを向いているから、すぐに見つかってしまった)。
日向は陽光や月光を浴びると輝く金髪であるのに対し、男の子の金髪は、常に光を放っている。
「なんでここにいるの」
日向が言った。
「なんだよその言い方! 久しぶりの再会だってのに!」
男の子の怒ったような言葉には微塵も動揺せずに、日向は言葉を返す。
「なんのためだと思ってるの。私とあなたが離れたのは、あなたのためだっていうのに」
ん?
なんでだろう、日向の口数が多い。
日向が大事にするのはおれたちで、大事に『しようとする』のは、確か。
「あなたって、なんだよ。
実の弟に対してその言い方はないだろ?!」
家族だ。
日向に直接聞いたことはないけれど、昔、《白眼の親殺し》の新聞記事で、見たことがある。
日向には、年の近い弟がいる、と。
ただし、その名前はわからない。
「私と姉弟だなんて言うのはやめなさい。あなたの汚点になる。ただでさえ、名字と民族が同じだってことで私との関わりを疑われているんだから。
私がなんのために、必死になってあなたの名前だけは公表されないように根回ししたと思っているの」
その記事によれば、日向は当時既に、バケガクの生徒だったらしい。おそらく、学園長に協力してもらったのだろう。
3 >>123
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.123 )
- 日時: 2021/05/21 14:00
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
3
「なに言うんだよ! 姉ちゃんは」
「朝日!」
日向が強く言った。響くような音量ではなかったけど、心底に重くのし掛かるような、そんな声だった。
男の子は、はっと目を見開いて、うつむいた。
「ごめん、姉ちゃん」
「とにかく」
日向は声を重ねて、言った。
「自分の教室に戻りなさい」
男の子は動かない。日向はそれを見て、ため息を吐いた。
「放課後、裏の森で待ってて。場所はわかる?」
「え?」
「あなたがどうしてここに来たのか、とか、聞きたいことがあるから」
男の子は顔を勢いよく上げた。
「姉ちゃんと話せるの!?」
「少しだけだよ」
そう言う日向の声は、どことなく、優しかった。
「姉ちゃん」
男の子の声音が、やや低く、真剣みを帯びた。
「噂で〔邪神の子〕と仲が良いって聞いたよ。どんなやつ?」
「どんなやつ?」
日向は首をかしげ、言葉を繰り返した。
「姉ちゃんは、そいつのこと、どう思ってるの?」
今度は、眉を潜めた。
「そんなこと知って、どうするの」
「教えてよ!」
男の子が荒い声を上げた。
日向と、目があった。つまり、日向がおれを見たのだ。
日向は口を動かした。
『放課後、付き合ってもらっても良い?』
疑問符は勝手に付けたけど、 まあ、合ってるだろ。
おれはすぐさま頷いた。
「森に、その人も連れていくから。
早く帰って。そろそろ、他の生徒が登校する」
男の子は満足したように、大きく、強く、首を縦に振った。
「うん! じゃあ、また夕方に!」
4 >>124
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.124 )
- 日時: 2021/05/21 14:00
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
4
「これ」
だれもいなくなった教室で、二人きりになってしばらくしてから、日向はおれに、薬を渡した。麻布の巾着袋に包まれて。
「ありがとう。いつも、ごめんな」
かしゃりとおれの手のひらで音がするのを確認して、おれは言った。
日向は首を振った。
「巻き込んだのは、私だもの」
「望んだのはおれだよ」
そもそもは、おれの我儘から始まったんだ。
これは、おれが招いた結果だ。
「もう、行ける?」
日向が尋ねた。
「あ、ちょっと待って」
おれは肩から下げていた通学鞄に、巾着袋を入れた。アイテムボックスに入れてもいいけど、いちいち詠唱しなければならないので、このくらいのものなら鞄に入れる方が手間は少ないのだ。
「よし、いいぞ。行こうぜ」
日向は頷き、歩きだした。
森の中に入ったところで、おれはふと、気になった。
「日向、あの子がどこにいるのかって、わかるのか?」
「歩いていれば、じきに向こうから」
日向が言いきる前に、声がした。
「姉ちゃん!」
男の子、朝日くんの姿が見えた瞬間、薄暗かった森の中に、光が差した。
深緑の葉っぱは鮮やかな新緑に変わり、毒々しい気味の悪い模様をしていた幹は、彼を祝福するように、生き生きとしだした。
絵に表せば、彼が歩いた道に、花が咲き誇るような、そんな雰囲気さえ感じさせた。
と思ってみてみれば、何故か動物、しかも、愛でられるタイプの小動物が、朝日くんに寄ってきた。
くりっとした丸い目から覗く濃い桃色の瞳は、嬉しそうに輝いている。
その容姿を一言で表すと、『眩しい』、だった。
5 >>125
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.125 )
- 日時: 2021/05/21 14:02
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
5
「姉ちゃん、何変な顔してんだ?」
朝日くんは日向に近寄り、言った。気にすることではないけど、うん、近い。かなり、近い。足だけで見ると、十センチも離れていない。
眩しそうに目を細めていた日向は、すぐにいつもの無表情(さっきも無表情だったけど)に戻り、朝日くんの肩を押して、距離をとった。
「別に」
なんの動揺もしていないところを見ると、いつもの事なのだろうか。いやまあ、二人は姉弟なんだから、気にすることではない。うん。
『いや、どう考えても気にしてるだろ』
うるせえよ! だまれ!
「朝日、とりあえず、自己紹介」
日向が朝日くんに言った。すると、朝日くんは口をとがらせた。
「えー」
面倒くさがるような、それでいて甘えるような声。
朝日くんは、わかりやすいくらいに、日向のことが好きなんだな。
その証拠に、朝日くんは渋々といった様子を見せつつも(こういう所は姉弟なんだなと思う)、おれに向き直った。日向の言葉に反抗するという選択肢は、はじめから存在しないのだろう。
「ボクの名前は花園 朝日。GクラスのⅢグループの生徒。これ以外に、なにかある?」
日向は少しの間静止して、答えた。
「ない」
そして、日向の目がおれに向いたことを確認し、おれは口を開いた。
「はじめまして、おれの名前は笹木野」
「知ってるよ、そんなこと、言われなくても」
おれはびっくりしてしまった。Gクラスなら、明らかにおれの方が先輩という立場なのだから(バケガクでは、生徒間の上下関係はクラスで分けられる。種族での成長速度の違いを考慮した結果だが、改善点があると言われている)、言葉を遮るのは失礼に当たる。
まあ、それはいい。
おれがびっくりしたのは、その目。
はるか北の国にだけ生息すると言われている『氷の華』のごとく冷たい、冷ややかな目で、朝日くんはおれを見ていた。
6 >>126
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.126 )
- 日時: 2021/05/21 14:02
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
6
だけどそれはほんの一瞬のことで、朝日くんはまた、怒ったように、甘えるように、日向に言った。
「それで! 姉ちゃん、こいつのことどう思ってるの?」
日向は首を傾げた。
「大事」
首を傾げる、という動作はしたものの、その言葉に疑問符は付いておらず、はっきりと言い切る口調で言った。
「なんでなんで! 普段なら他人になんか興味持たないじゃんか! どうしてこいつならいいのさ!」
そうやって駄々っ子のように地団駄を踏みそうな勢いで日向に問いかける朝日くんを見て、おれは、この子は何歳なんだろうと現実逃避気味に考えた。
「どうしたの」
「え?」
「どうしたの」
日向が繰り返し、二回、朝日くんに問いかけた。
「そんな子供みたいなこと、昔の朝日はしなかった」
朝日くんはしばらくぽかんと口を開けて、それから、ぷくうっと頬を膨らませた。
「なんだよ! ボクが子供みたいだって言うの?!」
「そう言った」
「姉ちゃん酷いよー」
絶対おれ、蚊帳の外だよな。おれのこと忘れてないか? うん、まあ、いいけど。
と思っていたら、朝日くんが唐突におれを見た。おれを見た。
「ボクの方が姉ちゃんのことを知ってるんだからな!
『あの事件』のことだって、ボクの方がよく知ってるし!!」
そんなこと言われても、反応に困るな。
そりゃあ朝日くんは実の家族なんだから、おれよりも『日向』のことをよく知っているに決まってる。
「あれ?」
おれがどう答えようかと考えていると、朝日くんは不思議そうに日向を見た。
「姉ちゃん、事件のことこいつに喋ったの?」
もっと訝しげに反応するべきだっただろうか。
日向は厳しい目を向けた。いや、さっきから朝日くんに対して、向けていた。朝日くんと目が合い、その厳しさが僅かに緩んだ。
そして、ゆっくり首を振った。
「言ってない」
言葉を続ける。
「言う必要、無いから」
何の話だ? 事件のこと?
……ああ。
・・・・・・・・・・・・・・
「『両親を殺したのは日向じゃない』ってことか?
・・・・・・
それなら、わかってるぞ」
7 >>127
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.127 )
- 日時: 2021/05/21 14:03
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
7
「は?」
朝日くんに睨まれた。
あー、失言だったかな。
「いや、詳しいことは知らないぞ? ただ、日向が殺したわけじゃないってことをわかってるだけで、死因までは知らない。日向もそのことに関しては何も言わないし」
おれは慌てて言った。あまりにも、朝日くんの目が、なんというか、『冷たかった』から。
おれはこれまで、たくさんの『目』を見てきた。優しい目、暖かい目、冷たい目、空虚な目、醜い目。
それらの経験からして、おそらく朝日くんは、怒らせてはならない人物だ。まあ、この目は『怒り』ではない、『嫉妬』に近いだろうか、そんな感情が宿っている。
「ふーん、へー、そーなんだ」
そう、感情の薄い声がおれの耳に届いたとほぼ同時に、朝日くんの手が小さく動いた。
小さくというのは動作の話で、それに起こった出来事を指すわけではない。
つまり何が言いたいのかと言うと。
「うわっ?!」
どう考えてもおれの顔に直撃するような勢いと方向で、ガラス瓶が飛んできた。
すんでのところで避けられたけど。でも、ぎりぎりだった、本当に。
「朝日?」
日向が問いかけると、朝日くんはにっこりと微笑んで、さらりと言った。
「どうしたの、姉ちゃん」
日向は顔をしかめた。
「どうして聖水を投げたの。それと、どうして聖水なんて持ってるの」
せ、聖水?!
8 >>128
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.128 )
- 日時: 2021/05/21 14:03
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
8
おれは寒気がした。吸血鬼の血が濃いおれにとっては、聖水なんか焼けた鉄同然だ。おれは日光などには耐性がある分、ほかの弱点に対する反応が大きいのだ。
「どうせ当たらないと思ったから」
なぜ持っていたのかは明らかにせずに、朝日くんは言った。
いやいや、当たらなかったけど! 当たりそうにはなったぞ?! おれが避けなかったら当たってたぞ?!
日向は額に手を当て、ため息をついた。
「怒っていいよ」
顔がこちらに向いてはいなかったものの、この場の状況から考えて、おれに言ったことは確かだ。
「え? うーん」
別に怒るような事だとは思っていない。実害はなかったわけだし。
「えっと、じゃあ、次はないよ?」
あのスピードとコントロールに、そう何度も対応出来る自信はないので、とりあえずこれだけ言っておいた。
朝日くんはただにこにこするだけで、何も言わない。
「朝日」
けど、日向が声をかけると、ようやく口を開いた。
「うん、次は別のやつにする」
「いや、そういう意味じゃなくてだな」
「?」
朝日くんは無邪気を装い、首を傾げた。
……おれが警戒しておけばいいか。
諦め半分に、そう考えた。
「それで、朝日」
「なあに、姉ちゃん」
日向に声をかけられ、朝日くんが嬉しそうに目を向ける。
「どうして、バケガクにいるの」
9 >>129
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.129 )
- 日時: 2021/05/21 14:04
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
9
朝日くんは口をとがらせた。
「そんなこと気にする必要ないだろ!」
「あるから聞いてるの」
「ないよ!」
「答えて」
朝日くんはしばらく黙ったまま、日向を睨んでいた。まあ、睨んでいると言っても、小さな男の子が母親にするみたいな、やっぱり、どこか『甘え』を感じさせるような動作だった。
「簡単な話だよ」
朝日くんはため息混じりに言った。
「姉ちゃんに会いたかったから。だって、実の姉弟なのに、八年前のあの日以来、一度も会ってなかったじゃんか」
日向は何も言わない。
「だから、じいちゃんに頼み込んで、入学させてもらったんだ」
「自主希望ってこと?」
入学理由が、ということだろう。
朝日くんはわずか一拍おいて、返事をした。
「うん、そう」
日向は目を細め、じっと、朝日くんを見た。
そして、微かに口を動かし、何も言わずに閉じて、再び開いて、言葉を発した。
「そう」
なにか引っかかると、日向は目で言っていた。
朝日くんは、気づいているのかいないのか、わからない。
ただ変わらず、にこにこと微笑んでいる。
10 >>130
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.130 )
- 日時: 2021/05/21 14:06
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
10
「姉ちゃん、一緒に帰ろうよお。姉ちゃん家に泊まっちゃだめ?」
「だめだし聞きたいことはもうない。早く帰りなさい」
「えー! 姉ちゃん冷たいよ!」
そうやってかわいらしく(幼いという意味で)怒って見せていた朝日くんが、急に、ふっ、と笑った。
「姉ちゃん」
その微笑が、飛びっきりの笑みに変わる。
「あと、ちょっとだよ」
何を言っているんだろう。
日向もわからないらしく、おそらくその言葉の意味を問おうとして、口を開いた。しかし、日向が朝日くんに質問することは無かった。
「じゃあね、姉ちゃん、また今度!」
朝日くんは大きく手を振り、去っていってしまった。
日向はしばらく顎に手を置いて、考え事をしていたらしかった。別に急ぐ用事もないし、少しでも長く日向といたかったので、おれは日向を待った。
『お前さ、いくら心の中とはいえ俺が聞いてるのに、そんなこと言うの恥ずかしくねえのかよ』
は? なにが?
「ねえ」
おれがアイツに言ったほぼ同時に、日向の声がかかった。
何かあるのかと思って日向を見ると、ぎょっとした。
日向はおれを、睨んでいた。
いや、落ち着け。日向がおれを睨むわけが無い。だからつまり。
「なにか、知ってるの」
この問いかけは、『アイツ』に対して。
『知らねえよ』
嘲り笑うような口調と声音で、おれの口から声が漏れた。
その瞬間、背筋に悪寒が凄まじい勢いで走った。
ムカデが背中を這いずり回るような気味の悪さと、胃に氷の塊が唐突に出現したような寒気と、喉に腫瘍が出来たような違和感。
『過剰に反応しすぎだっての』
うるせえ! あたまのなかで響くだけでも嫌だってのに!
自分の口から『アイツ』の言葉が出てきたと言うだけで、虫唾が走る。
「ごめん、リュウ」
けど、申し訳なさそうにうつむく日向の姿を見て、その感情はあらかた吹き飛んだ。
許す。全然許す。
『言っとくけど、お前、かなり気持ち悪いからな』
いいよ。おれの中では日向が正義なんだよ。
『きもちわる』
ほっとけ!
11 >>131
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.131 )
- 日時: 2021/05/21 14:17
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
11
「お帰りなさいませ、龍馬様」
おれが家に帰ると、ツェマが迎えた。いやまあ、それは普段通りのことでなんら問題は無いのだが、いつもと違い、手に新聞を持っている。
これでは、手を体の前においてお辞儀をするという、メイドにとっては必須とも言える動作がとれない。ということはつまり、ツェマにとって、メイドとしての責務よりも、その新聞をおれに見せる方が優先度が高いということなのだろう。
自分の発想になかなか大袈裟な感を感じなくもないが、大まかな部分としては合っているだろう。
「ただいま。どうかしたのか?」
「お疲れのところ申し訳ありません。龍馬様にとっては重要かもしれない記事が、本日の夕刊で載っていましたので、後ほどのお時間が空いたときでも、読んでいただけないでしょうか」
そんな後で読んでもいいようなものを、わざわざ玄関まで持ってくるわけが無い。
「ううん、読むよ。貸してくれ」
おれは靴を脱いでから、ツェマに対して手を差し出した。
「承知致しました」
ツェマは浅く礼をして、おれに新聞を渡した。
その場で読んでも良かったけど、立ちっぱなしで読んでいるとツェマが気にするかと思い、移動することにした。
三分ほど歩いて、いつもの団欒部屋に行った。
「兄ちゃん、お帰り!!」
「ごきげんよう、お兄様」
元気いっぱいの明虎と、眠そうに目を細めたルアが、嬉しそうにおれに顔を向けた。
「ただいま」
無邪気な二人の笑顔に、ついついつられてしまう。
と、そのとき、ふと気づいた。
「あれ、ルイ、もう起きてるのか?」
赤紫のサイドドリルの髪を見つけて、おれは言った。
吸血鬼にしては歳の近い姉妹であるルアとルイだが、性格をはじめ、かなり差がある。似ているところは髪型と、吸血鬼の中でも飛び抜けて優秀であることくらいだろうか。
「何か問題ある?」
顔を向けたルイから発せられた、ぎろ、という効果音がつきそうな、鋭い眼光が、おれに突き刺さる。
「いいや? 珍しいなと思って」
「関係ないでしょ」
突き放すような物言いには、もう慣れっこだ。
おれとは違って、ルアとルイは純血の吸血鬼だ。昔、混血のおれが優秀なのであれば、純血の二人はもっと優秀に違いないと、プレッシャーに近い期待をかけられていた。その後のおれの功績によって、おれが特殊なだけであると、皆には認識を改めて貰ったので、現時点ではその問題は解決した。
しかしやはり、本人たちとしても気になる部分ではあるようだ。ルアはおれに教えを乞うようになり、ルイはおれに敵視を向けるようになった。どちらにせよ、本人たちの向上心を刺激しているようなので、特に気にしたことは無い。
12 >>132
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.132 )
- 日時: 2021/05/30 08:08
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: axyUFRPa)
12
「あら、お兄様、もう記事はお読みになりましたの?」
なぜか不機嫌そうな物言いで、ルアが言った。
「いや? まだだよ。これから」
「そうですの、ではどうぞこちらに」
そう言って、仲良く三人並んで座っていたソファからルアが降りる。
「いや、いいよ。ツェマ」
おれは苦笑して、一緒に部屋に入ったツェマを見た。
「かしこまりました」
ツェマは腰を折ると、部屋の奥へ向かい、すぐにそこそこ大きな椅子を持って戻ってきた。
「どうぞ」
「ありがとう」
おれは礼を述べてから、椅子に座った。
椅子はかなり重厚で、見た目通り、かなり重い。さすがにカツェランフォート家当主である祖父が座るには(これでも)器が合わないが、おれが座るにはいささか背伸びをしている感のある、豪奢な椅子だ。たとえば、ところどころに宝石が散りばめられていたり、たとえば、椅子の肘掛けや足や背もたれのデザインが精巧であったり。
服に着られているならぬ、椅子に座られているという意識がおれの中にあったとしても、誰にも責めないでくれと訴えられる自信が、おれにはある。
『そんな自信要らねえだろ』
う、まあ、それはそうだけど。
ツェマは華奢に見えて怪力……えっと、かなりの力持ちだ。重いだとか、そういうことは気にしてはいないが、その時々でわざわざ部屋の奥まで椅子を取りに行かせることが忍びない。
いや、別に、おれはツェマにこの椅子を持ってくるようにも、ましてやこの椅子に座りたいと思っているわけでもない。しかし、これは祖父に贈られた椅子であり、しかも二つ目なのだ。一つ目は、製作者には悪いが、すこし、いや、かなりデザインに嫌悪感を感じ、ついそれを口にしてしまった。
すると、祖父はその椅子を破棄し、椅子を作った職人や、デザインを考えたデザイナーを解雇にしてしまった。祖父はたいそう怒って、業界からも追放しようかと検討していたらしく、おれはそれを全力で阻止した。
とまあ、この椅子ひとつにかけられた費用も尋常じゃないし、かつてのカツェランフォート家の使用人二人の犠牲もあるし、使わないのも心が痛むので、使う機会があれば、なんの抵抗もせずに素直に使っている。
13 >>133
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.133 )
- 日時: 2021/05/30 08:14
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: axyUFRPa)
13
おれは新聞を開いた。でかでかと一面を飾られている記事は。
「『白眼の親殺しについて』?!」
おれは目に飛び込んできた文字を見て、おもわず大声をあげてしまった。
『お前、どうやったら意識外のそんな小さな文字を認識できるんだよ。どう考えてもトップの記事しか見てなかっただろうが』
その声と重なるように、ツェマが言った。
「流石です龍馬様。一面を飾った、シュリーゴ家の子息の婚約よりも先に反応をお示しになるとは」
「え、シュリーゴの?」
見つけた記事も気になったが、そちらはゆっくり読みたいので、先に一面を確認することにした。
ざざざっと目を通し、把握したという意味を込めて頷いて、目を戻した。
「お兄様、いくらなんでも反応が薄すぎますわ」
呆れたようなルアの言葉。
「へ?」
薄い反応をしたというつもりはなかった(オーバリアクションだったというつもりもないが)ので、間抜けな声が出てしまった。
「記事をよくご覧になりまして? シュリーゴ家は他大陸の貴族、つまり、他種族と婚約を結ぶということですわ。お兄様なら、それが何を意味するかなど、おわかりのはずです」
吸血鬼族は、同種族の者のみが優れた存在であるとする種族だ。他の種族の血を、本当の意味で自分の家系に流すなど、考えられないことなのだ。
そして、シュリーゴ家は、おれたちカツェランフォート家と並ぶ、吸血鬼五大勢力の一つ。
よって今回の婚約は、そんな考えを覆してしまえるほどのものだということ。
それくらい、わかってる。
「でも、おれだってハーフだ。吸血鬼族の意識が変わり始めたってことだろ?」
おれはそれよりも、はやく日向に関係する記事を読みたかった。
14 >>134
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.134 )
- 日時: 2021/05/22 09:16
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: OypUyKao)
14
『八年前、大陸ファーストを騒がせた『白眼の親殺し』。我々は、あの事件の犯人である花園日向のその後を知ることに成功した。
あの事件以来、彼女が悪影響を及ぼしてしまうとして住居をわけられた弟が、長い時間をかけて、姉と共に再び暮らしたいと、引き取り手である祖父母に訴えているそうだ。
彼は今年度より姉と同じバケガクに通い始めているらしい。……』
小さな場所にびっしり埋め尽くされた文字を見て、おれは驚きや怒りが沸いてきた。
日向が一人暮らしなのはもちろん知っていた。弟、朝日くんが祖父母に引き取られていることも。
けど、二人暮らしをするだなんて知らなかった。いや、もしかしたら、日向も知らなかったのかもしれない。だって、日向の様子からして、朝日くんを自分から遠ざけたかったように思える。
その証拠がまさしく、この記事だ。
言葉自体は、『花園日向のその後』となっているが、この記事はどう見ても朝日くんについてだ。つまり朝日くんに関する情報を、日向がガードしていなかったということになる。
つまり日向は、朝日くんに対してなんの干渉もしていなかったのだ。
そして、そうやって日向は、干渉しないようにしていたのに、この記事を書いた記者は、その八年間を壊した。それにその記者は、未だに日向を追い、日向の情報を発信し続けていたのだ。そのことには、怒りしか感じない。
当然、権力を行使して記者を探し当てるような真似も、ましてや業界から追放するような真似もしない。 そういったことは、あまりしたくないのだ。
それに、おれが日向に巡り会えたのだって、何を隠そうこの新聞を発行している会社、そしておそらくこの記事を書いた記者のお陰なのだ。全く恩を感じていないと言えば、それは嘘になる。今回の記事だって、それは同じだ。
そんな、自分はいいけど他人は駄目みたいな、自己中心的な考えが自分の中にあることを自覚して、おれは吐き気がした。これじゃあまるで、『あいつら』と同類だ。
胸糞の悪さを和らげるために、おれは二、三回、胸の辺りを、強く、撫でた。
15 >>135
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.135 )
- 日時: 2022/02/08 09:47
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 4rycECWu)
15
その日の夜。日付が変わった頃、椅子に座って本を読んでいると、不意に、耳に水が滴る音がした。
ピチョン……
その音を合図に、おれは顔を上げた。
「おかえり、ネラク」
月光すら差さない(普通の人間が見れば)暗い部屋に、ぼんやりと、淡い水色の光が満ちる。
おれのすぐ側に、ネラクがいた。後ろで一つに束ねた長い蒼色の髪は、かなり白色の羽にかかっている。
ネラクはなにも言わずに目を閉じ、「ふんっ」と力んだ。
鋭い、針のような光が一瞬だけ部屋を包み、そして、手のひらサイズだったネラクは、大きくなってそこに居た。
大きく、と言っても、おれよ三十センチは小さい。まあ、おれの背が高いというだけなので、今の背丈だと、ネラクは人間で言えば、十五歳くらいに見える。
ぼすっと比較的大きな音を立てながら、ネラクはおれのベッドに座り込んだ。しなやかな指が上質なベッドに食い込み、おれの視点だと両手はほとんど見えなくなる。
短いズボンから露出した細い足を組み合わせ、そして、おれを見た。
状況で言えばおれを睨むような体勢だったが、その瞳に宿る光に鋭利なものは感じない。単におれを見たというだけだった。
『暗いな』
男性にしてはやや高い、それでも女性と比べると低い、中性的とも言える声が、ネラクから発された。
「そうか?」
暗いということは、いや、ネラクが暗いと感じるであろうことは、わかっていた。しかし、おれはわざとすっとぼけた。理由はない。ただの契約関係同士のじゃれあいの一環だ。
部屋にある光源は、わずかに灯る弱いロウソクの炎だけだ。これは夜目があまり効かないネラクのためのもの。
他の吸血鬼は、明るいと見えないと言う奴までいる。おれはそんなことはないので、ありがたい。
16 >>136
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.136 )
- 日時: 2021/08/25 12:21
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: .lMBQHMC)
16
『で、どうしておれを呼んだんだ?』
あの新聞を読んだ直後、おれはネラクを呼び戻した。ネラクは普段、おれが行けないような、例えば古代の遺跡とかに行ってもらっている。理由は、おれの魂から『あいつ』を引き離す方法を探るためだ。
おれたちの関係は『本契約』。日向がベルと結んでいるような契約を、おれたちも結んでいる。
本契約を結んでいると、互いの『意思』を、何処にいようと伝えることが出来るのだ。テレパシーのような類ではなく、音ではなく、あくまで『思念』として、言葉で説明するのは難しいのだが、とにかく、それを使って、おれはネラクを呼んだのだ。
「日向の弟のことは、知ってるか?」
おれが尋ねると、ネラクは左の眉を、やや吊り上げた。
『なんだ、もう知ってるのか?』
おれは首を傾げた。疑問ばかりで話が噛み合わない 。
『花園 朝日だろ? あの人は彼の情報をガードしていたはずなのに、それが漏れているから、何かあったんじゃないかと思ってたんだ。
今回呼ばれたから、ついでにそのことを話そうと思ってたんだよ。まさか呼ばれた理由がそれとはな』
なるほど。
「おれは、今日、朝日くんに会ったんだ。それで、ちょっと気になるところがあってさ」
『と言うと?』
ネラクがおれの言葉を促す。
「日向のことが大好きらしい行動と言動ばかりなんだけど、なんて言うかこう、違和感じゃなくて、しっくりこないでもなくて、えっと……」
おれは意味無く両手を動かしながら、必死に言葉を紡ぐ。しかし、ピッタリと当てはまると思える言葉が見つからない。
『わかった。彼を調べればいいんだな』
その言葉を聞いて、ほっと息を吐いたのを、自覚した。
『なんだよその顔。それくらい通じるよ』
真面目な顔が打って変わり、怪訝そうな目で、ネラクがおれを見た。
「いや。ほんと、よく出来た相棒だなと思ってさ」
『なっ!』
本心から嬉しく、ほぼ無意識に出てきた言葉だった。
みるみるうちにネラクの頬が紅潮し、ネラクがベッドから跳び降りる。実際は元から床に足をつけていたので『跳』んではいないが、そう見えるほど、大袈裟な動作だったのだ。
『べ、別におれは、あの人のためにやるんだからな! 勘違いすんなよ!』
ビシッと人差し指を鼻に突きつけられ、おれはたじろいだ。
「え、あ、うん、わかったわかった」
照れているのだということは一目瞭然なので、笑いながら言ったことは、不可抗力なので勘弁して欲しい。
17 >>137
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.137 )
- 日時: 2021/05/23 12:42
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: o93Jcdrb)
17
翌日、いや、おれは今日寝ていないので、感覚としては、本日ということになるのだろうか、日向は学校を休んだ。
寝ていない理由は、ネラクからこれまでの探索結果と、これからの朝日くんを探る内容を話し合っていたからだ。それらが終わったのは朝の四時だったので、そのまま起きていたのだ。
ちなみに、ネラクは家で休んでいる。長期間働いてもらったので、しばらくはゆっくりさせてやるつもりだ。さすがにすぐに働かせるほど、おれは鬼畜じゃない。
「ねえ、リュウ」
いまは昼休み。今日は正門に入ってすぐの大木の前で弁当を食べている。
ここは学園屈指の昼食スポット。多数の生徒がごった返していて、日向はあまり好きじゃない。けれどスナタがこの場所を気に入っており、たまにここでも食べるのだ。
「どうした?」
おれは笑って、スナタを見た。
スナタはため息をついた。
「もう夏だって言うのに寒いよ。日向がいなくて寂しいのはわかったから、落ち着いて」
「別におれは魔法は使ってないぞ?」
「雰囲気の問題だって言ってるの!」
スナタに怒鳴られて、おれは気圧された。
「だ、だって、日向が学校を休むなんてこれまでなかったことだからさ」
それでもおれは、訴えた。スナタは共感の意を示すように、数回頷く。
「そうだよね。わたしも気になる。リュウのことだから、記事を見たかなんて聞かないけど、たぶん、あれが原因なんだろうね」
「でもさあ」
ずっと黙々と弁当を食べていた蘭が言った。
「あれが原因として、なんでわざわざ休むんだよ。急ぐ問題でもあるのか?」
「どうなんだろう」
おれは首を傾げた。
「答えはわかりきってるけど一応聞くね。メンバーチャットで聞いてないの? ちなみに、わたしたちは聞いてないよ」
おれは右の手で拳を作り、まっすぐにスナタを見て、言った。
「そんなことしたら会いたくなるだろ?!」
「うん知ってた」
苦笑というよりは諦めきったような笑みで、スナタはおれに言葉を返した。
蘭は無視して、また、黙々と弁当を食べている。
18 >>138
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.138 )
- 日時: 2021/05/25 18:58
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: Z.r45Ran)
18
『リュウ!』
おれがほうきで空を飛んでいると、ベルがやってきた。
「おお。よくわかったな」
『近づくリュウに、日向が気づかないわけないでしょ? 日向と交信しながら、探しに来たの』
おれは苦笑した。ついさっき大陸ファーストに入ったばかりだというのに、もうバレたのか。隠していたつもりはないけど。
今日の終礼で、誰かが日向の家にプリント等を届けることになった。先生が行くことも出来るけど、やはり、誰かに行ってもらった方が助かるそうだ。
おれが住んでいる大陸フィフスは、大陸ファーストからは程遠い。その理由は、大陸ファーストには、いわゆるエクソシストだったり呪解師だったり、そういった『闇』に対抗する役職や民族の人が住んでいるからだ。
おれは大陸外にもそこそこ顔が知れてしまっているので、大陸ファーストに行くのは危険だとは思ったが、まあ、特に何かを仕掛けるつもりもないので、怪訝には思われど攻撃はされないだろうと思ったのだ。
なにかされてもねじ伏せられる自信もあるし、なによりほかのやつに日向の家に行ってほしくなかった。
『日向に届け物? 預かっておくから、帰った方がいいわ。いま家に、日向のおじい様がいらっしゃっているから』
日向から、日向の祖父は、強力なエクソシストだと教えられたことがある。
『祓う』だけではなく『封じる』ことにも長けており、かの『七つの大罪』の悪魔を封じたという伝説もあるほど。
さすがは日向の家系だなと、そのときは他人事と思っていたが、いざ対峙するとなると、やはり身がすくむ。
そこまで考えた時、ふと、疑問が生じた。
「あれ? どうして日向のおじいさんが家にいるんだ? 別に住んでるんだろ?」
19 >>139
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.139 )
- 日時: 2022/05/22 08:19
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: bAc7FA1f)
19
そのまま空中に静止しているのもなんだか嫌なので、ひとまずおれたちは、ゆっくり日向の家に向かった。
『それがね、昨日、新聞で、朝日くんが日向と一緒に住みたいって言ってることがわかって、今朝、日向がおじい様の家に問いただしに行ったのよ。わざわざ学校を休んで、どういうことなのか、ってね。だけど、日向と日向のおばあ様を対面させる訳にはいかなくて、日向の家に移動したの』
ベルは肩をすくめた。
『リュウたちには言ったこと無かったけど、隠す必要もないから言うわ。
あのね、日向のおばあ様は、精神に異常をきたしているの。えっと、その、ほら、日向の目。
日向の家系、花園家は、大陸ファーストの民族の中でも、特に優秀な家系なの。リュウなら、おじい様の功績を、小耳に挟むくらいの機会はあったんじゃない?』
おれは頷いた。
『そんな家に、白眼を持った子が産まれれば、批判されるのは、想像することは容易でしょう?』
ああ、そういうことか。
たしか、日向に虐待をしていたのは、母親だったはずだ。
だけど、母親『だけ』が、なんて確証はどこにもない。
『日向のおばあ様はね、天陽族の出身じゃないの。役職は、おじい様と同じエクソシストだけどね。
それで、親戚中から結婚を反対されていたらしいの。でも二人はそれを押し切って結婚して、生まれた子は日向のお母様ただ一人。生まれた子が一人であること、その子が女性であること、容姿が天陽族の象徴である、金髪に萩色の瞳ではなかったこと。おばあ様はどこへ行っても罵詈雑言で叩かれて、精神がおかしくなっていったの。そんな姿を見て育ったお母様もね。
お母様の容姿はおばあ様と瓜二つだったの。黒髪に青眼。とても美しかったけど、そんなの、なんの気休めにもならなかった』
気づけばベルは、すすり泣きながら話していた。
『日向のご両親は、お互いが望んで結婚した訳では無いの。おじい様のこともあって爪弾きにすることも出来ないから、優秀な血を混ぜるために、特に優れた才能を持ったお父様を、お母様と結婚させたの』
ベルは自分で飛んでいたけど、おれは、ベルを手のひらに乗せた。ベルはそのまま座り込んだ。
『それなのに、日向が生まれた、生まれてしまった。その瞬間に、家族は壊れたの。お母様とは違って金髪ではあったけど、青眼はそのまま受け継いでいたし、なにより、白眼を持っていた。黒髪だとか青眼だとか、そんなことを言っていられる場合じゃなくなったの。どこの国でもそうだけど、特に、闇に対抗する、種族であり民族の一つである天陽族から、白眼の子が生まれただなんて、汚点と言うにも優しかったの。
日向本人は全く気にも留めていなかったけど、あんなに強い、というより空虚な精神を、お母様たちは持っていなかった』
その言葉は、日向自身にも何かしらの、言葉だったりを浴びせられていたということだ。そのことを無視する訳にはいかなかったけれど、いまは、ベルの言葉に耳を傾けた。
『それでもお父様は、お母様にも日向にも、堅実に接してくれていたの。
お父様は、優しい人だった。日向を一生懸命愛そうとしてくれていた。それが叶うことは無かったけど、それでも!
あんなに優しい人が、亡くなってしまうなんて!』
溜め込んでいたのだろうか、ベルはわあっと泣き出した。顔を手で覆い、ただ、小さな小さな針の先端のような水滴が、おれの手に落ちた。
20 >>140
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.140 )
- 日時: 2021/05/26 16:44
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: JIUk.xR2)
20
日向の家に到着する頃には、ベルは泣き止んでいた。
そしてなお、言葉を続ける。
『それにね、お父様は、お母様のことも、きちんと愛していたの。本当に優しかったのよ。お父様の優しさに触れて、闇に染まりきっていたお母様の心に、初めて光が差したの。他の誰にも、癒すことが出来なかったのに』
「なにしてるの」
音もなく日向が玄関から姿を現した。その表情は至ってなんの色もなく、ただ淡々と、ベルを見ていた。
「なんで、リュウがここにいるの」
そういえば、ベルはプリントをおれから受け取りに来たんだっけ。
「ひな」
「リュウは悪くない」
おれが謝ろうとしたことを、すぐに気づいたらしく、日向は、ぴしゃりとおれの言葉を遮った。
『ごめんなさい、日向』
ベルはおれの手から降りて、しゅんと項垂れた。
「ベルを責める気もない」
ため息混じりに日向が言うと、ベルはぱっと笑顔になった。
「でも」
しかし、否定の言葉が日向の口から出た途端に、叱られた子犬のような表情をした。
「リュウは、早く帰った方がいい」
えっ。
「ここ、大陸ファースト。プリントは、貰っておくから」
日向が、おれを気遣ってくれていることは、わかる。ここは、おれの敵しかいない。おれの敵になるような人々しか、住んでいない。
立ち去るべきなのは、立ち入るべきではなかったのは、知っている。
でも。
「なあ、日向」
ごめん、日向。
「日向は、ご両親のことを、どう思ってたんだ?」
おれがここに来たのは、日向のことを知りたいから。
日向の家に来れば、もしかしたら、日向のことがわかるのかもしれないと思った。
そんな、下心があった。
日向が干渉を嫌うのは知ってるけど。だけど。
おれは、知りたいんだ。日向のことを。
聞くべきではなかったことだとしても。
『知りたい』という欲に、抗えなかった。
やっぱり、おれは……。
日向はプリントを受け取ろうと上げていた手を降ろした。
「別に、なんとも」
出てきたのは、予想通りの言葉だった。
21 >>141
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.141 )
- 日時: 2021/05/27 17:27
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: zpQzQoBj)
21
日向はそれ以上、何も言わなかった。
『ねえ、日向。話してあげたら?』
おそるおそるといった様子で、ベルが言った。
『ごめんなさい、余計なお世話かもしれないけど。
でも、リュウは知りたいんでしょう?』
控えめにおれを見るベルの目は、不安に揺れていた。
日向は、何も言わない。
おれも、何も言わない。
ただ沈黙のみが、静かに、空間にのしかかった。
『ひな』
ベルは何かを言おうとしたけど、押し留まった。今にも泣き出しそうな顔で、日向とおれを交互に見る。
「知りたいの?」
純粋な疑問の音が、日向の口から発せられた。
おれは少し迷ったあと、頷いた。すると日向は、目を閉じ、そして、すぐに開いた。
「不思議だった」
驚いた。日向は話してくれるらしい。
「私を愛したところで、何も変わらない。なのに、父さんは、私を愛そうとした。
私が愛を感じることはないと、わかっていたはずなのに。
だって、愛そうとして愛するその感情は、有償の愛は、本物じゃない。私はそれを、『知識』として知っている。
リュウも、同じでしょ?」
ああ、そうだ。
おれは、無償の愛がわからない。
家族はおれを愛してくれているけれど、おれは、心でそれを感じることが出来ない。
客観的に見て、愛されているんだろうな、と思う。
それだけだった。
「母さんは、完全に私を無視していた。でも、食事やお金や部屋なんかは与えてくれていた。
母さんたちには、私のステータスを見せたことがあるの。確かにグレーゾーンではあるけれど、私にクエストを紹介してくれたり、魔物の素材を買い取ってくれるギルドだって、私は知っている。そのことも、伝えていた。
なのに、私の存在そのものを、無視することはしなかった。
不思議でしか無かった。むしろ、気味が悪かった。意味の無いこと、する必要のないことをする両親が。
それ以外に、何も感じたことは無かったし、そもそもあの人たちに、興味がなかった」
日向は一度言葉を切って、付け足すように、こう言った。
「母さんからは、虐待を受けていたけど、それについてなにか思うようなことは、微塵もなかったよ」
22 >>142
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.142 )
- 日時: 2022/05/27 07:40
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: AKhxBMxU)
22
視線を感じる。
ぼそぼそと、声も聞こえる。
日向の言葉を受け取り、理解したあと、おれは気配のする方向を見た。
まだ聞きたいことはあったけど、本来聞く気の無かったことを聞くことが出来たんだ。おれはここで、満足するべきなんだ。
「ねえ、もしかして……」
「きっとそうよ……」
そこそこ年を重ねているらしい女性二人と、その子供らしい三人の男の子、それから一人の女の子がいた。
「わー! よそ者だ! よそ者だ!」
「こわいこわい! あれってきっと〔邪神の子〕だ!」
「にげろにげろ!」
「きゃー!」
面白がったように騒ぎ立て、四人の子供たちは、あっちこっちに走り回る。
まずい!
「日向、おれ、かえ」
しかし、おれが言葉を最後まで続けることは叶わなかった。
今にも唸り声を上げそうな、猛獣のようなオーラを、日向は纏っていた。
冷たい目の中に、煮えたぎる真っ赤な炎をちらつかせながら、向こうにいる六人を睨み付けている。
自分に向けられたものではないとわかっていても、恐怖を感じずにはいられない表情だった。おれでさえそうなのだから、無論、あの六人はすくみあがった。
けれど、逃げるようなことはしなかった。
「ママー、こわいよー!」
「よしよし、大丈夫だからね」
「おー、こわいこわい」
わざとらしい声と動作で、おれの目の前で、いや、日向の目の前で、茶番が繰り広げられている。
なんなんだ、この人たちは。
虫酸が走る。
具体的な名称はわからないけれど、おそらくこの人たちは、天陽族にルーツがある種族だ。
大陸ファーストには、悪を『祓う』〈天陽族〉と、悪を『滅する』〈天陰族〉の、大きく分けて二つの種族が共存しており、それ以外の種族も、大抵はどちらかにルーツがある。
天陽族の特徴は金髪とその能力であり、瞳の色は限定されていないと聞いている。赤系統か黄系統……まあ、この世界に『純粋な赤』を持った種族は、例外を除き存在しないので、大雑把に言うと、ピンク、黄、橙や、それに近い色の瞳を持つとされている。
そして、この人たちの瞳の色は、薄桃色だ。朝日くんのような、あめ玉のような透明感のあるピンクではなく、白に近い、白のあの濁ったような感じが強く見られる、そんな色だった。虐げられるのは『混じり気のない白』なので、なんの弊害もないだろうけど。
──あちらの方が、よっぽど醜い。
23 >>143
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.143 )
- 日時: 2021/05/29 11:42
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: fVy8heSC)
23
「日向? なんの騒ぎだ?」
不意に、閉じられていた玄関のドアが開いた。
現れたのは、日向の祖父とおぼしき初老の男性だった。
年故か、それともストレス故か、白く色素が抜け落ちた髪は全体として薄く、頭皮が微かに見えている。
一見ほりの深い、整った顔は、大きなシワが刻み込まれており、人生の苦悩を感じさせる。
体型は年齢に比べると、がっしりしている。けれど、まだ現役だと聞いているので、それもそうかと思う。
男性はおれを見て約二秒後、大きく目を見開いた。
日向はそれを確認すると、おれの手を引いた。
「時間、もらうね」
もちろんおれがそれに逆らうわけがない。されるがままに、おれは日向の家に上がった。
「おじいちゃんも」
日向は男性を横目で見た。
「あ、ああ。わかった」
向こうにいる人たちを気にする素振りを多少見せはしたものの、特になんのアクションをとることもなく、家の中に入り、ドアを閉めた。
「お邪魔します」
とまあ、ほぼ成り行きでこうなったわけだが、おれが日向の家に上がったのはこれが初めてなわけで。
おれはあまり緊張するような質ではないが、さすがにこれは、体がこわばるのは仕方のないことだと言ってもいいと思う。
機会がなかったわけではない。実際、スナタは何度か遊びに来たことがあるようだった。その証拠に、スナタの好物の蜜柑が、日向の家には大量にある。
おれが他大陸の住民であることも、さして問題ではない。おれと日向の隠密行動スキルは、『そういう仕事』をしている人にも引けをとらないと言っても過言ではない。むしろ、そういう人たちの大半を凌いでいるとすら言ってもいい。要は、周りにばれなければいいのだ。さっきは少し注意を怠ってしまったけれど、本来ならば、おれは存在を気づかれることはない。
けれど、おれは、そうしなかった。
日向への過度な干渉を、おれが自ら拒んだのだ。
思い上がりでもなんでもなく、日向はおれなら、どんな頼みごとでも快く引き受けてくれるだろう。おれはそれを知っている。
でも、おれは、日向から語られるのを待った。日向から、『なにか』をしてほしかったのだ。それが叶うことはないとわかっていたけれど。
24 >>144
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.144 )
- 日時: 2022/10/10 22:05
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 9nuUP99I)
24
日向に連れられて、おれたちはリビングに行った。おれの家と比べてしまうと当然小さいが、一般的な広さだと思う。
四人掛けのテーブルには、朝日くんが座っていた。朝日くんの前と、その隣の席、そして朝日くんの向かい側の席に、ティーカップが置かれている。
「なんで、そいつがここにいるの?」
日向を見て笑顔になった朝日くんが、おれを見た途端、顔をしかめた。思わず、というよりかは、故意が混じったような表情だ。
「私が連れてきたの」
おれが口を開く前に、日向が言った。自分が何を言おうとしていたのかはわからない。けれど、おそらく、「ごめん」だとか、そういった類いのものだろう。
「姉ちゃんが? どうして?」
「リュウのことを、近所の人に知られたから。あのまま帰るのは、だめ。
座って。同じのでいい?」
最後の方の言葉は、おれに向けられたものだった。同じの、というのは、飲み物のことだろう。
おれは好き嫌いが全くない。血を飲まないのは、別に味が嫌いなんじゃなくて、単に暴走するのが嫌なだけだ。
なので、特に深い意味もなく、ほぼ無意識に日向のティーカップの中身を確認してから、頷いた。
「ああ、ありがとう」
なんの変哲もない、ただの紅茶だった。
遠慮しすぎるのも失礼なので、おれは男性と朝日くんに断りを言い、勧められた席に着いた。
おれも、あちらも、なにも言わない。沈黙が途切れたのは、日向がおれの分の紅茶を持って、戻ってきたときだった。
「ありがとう」
さっきのとはまた違った意味で礼を述べると、日向はおれと視線を交えた。これが日向の相づちだ。
そしておれは、男性を見た。緊張で心臓が高鳴っていたが、それが声に影響することはなかった。もともとおれは、ポーカーフェイスが得意だ。表情からも、緊張は伝わっていないはず。
「初めまして。私は笹木野 龍馬と申します」
「ご丁寧に、どうも。私は花園 七草です。
日向とは、どのような関係で?」
それは菜草さんも同じなようで、少なくとも、おれには七草さんの感情は計れなかった。
おれは迷った。おれと日向の関係は、かなり複雑だ。主に、おれたちの間にある感情が。
とりあえず、友達ではない。おれと日向が友達なんて、畏れ多い。おれと日向はそんな、『対等な関係ではない』。
かと言って、クラスメイトと言うのも、なにか違う。
そうは言っても、正直に、「具体的に言い表すことの出来る名称がない」と言っても良いものか。
悩んだ末に、待たせるのも良くないと考え、おれは言った。
「すみません。お答えしかねます」
「なに?」
訝しげな表情をした七草さんの瞳の光は、強く、鋭くなった。
言葉を続けようとしたおれを遮ったのは、朝日くんだった。
「なんで言えないのさ! やましいことでもあるの?!」
「朝日」
すかさず日向がなだめに入った。
「続き、あるから」
日向はそれを、察してくれていたようだ。
朝日くんのことが気にはなったが、七草さんが促すようにおれを見ていたので、そちらに意識を向けた。
「日向とは、友達ではありません。けれど、クラスメイトというだけの関係でもありません。おれたちの関係は、名前がないのです」
一人称を変えたのは、意識してしたことだ。さっきは『カツェランフォートの一員』として接していたが、いまは、『笹木野 龍馬』として話している。
七草さんは不思議に思っているような雰囲気を出して、日向を見た。
日向はその視線に気づいていたけれど、質問されていないので、なにも答えない。
さすがは親戚というか、それを良くわかっているようで、一秒だけ時間を空けたあと、七草さんはすぐに日向に対して言葉を発した。
「そうなのか?」
日向は面倒くさそうだった。
「私と龍馬は、互いの認識の仕方が異なるから、なんとも言えない」
25 >>145
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.145 )
- 日時: 2022/10/10 22:09
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 9nuUP99I)
25
「認識が、異なる?」
与えられた情報だけでは理解しきれなかったらしく、七草さんは日向の言葉を繰り返した。
「どういう意味だ?」
「どういう意味もなにも、言葉通り」
日向は腕を組んだ。
「私は龍馬を上に見てるし、龍馬は私を上に見てる。私たちの関係は、対等でもなければ、上下でもない」
その通りだった。そのことは、おれも自覚している。
けれど、こんな感覚は、一般の人には理解できないのだろう。七草さんは相変わらず首を捻っている。
「友達では、だめなのか?」
「だめ」
だけど、と、日向が付け加える。
「でも、それは私たちの認識。第三者から見れば、どうやっても、友人同士にしか見えない。
だから、おじいちゃんがする認識としては、それで良い」
七草さんは頷いた。
「そうか。では日向、龍馬、くんとは、いつ知り合ったんだ?」
言葉を少しつかえさせたのは、きっと、おれの呼び方に悩んだせいだろう。
日向は眉をつり上げた。当然ながら、その端正な顔立ちが崩れることはなかった。当然ながら。
「言う必要がない」
「それはそうかもしれないが、天陽族として、黙って見過ごすわけにはいかない。知り合った経緯だけで良いんだ」
そう言って、浅く頭を下げる。
「姉ちゃん、ボクからもお願い! 教えて!」
日向が大切にしようとする『家族』の枠組みに、祖父が入っているのかはわからない。日向が言葉を発した理由が、七草さんがその範囲に入っていたからなのか、それとも朝日くんが便乗したからなのか、おれは判断できなかった。
「六年前」
それは、おれと日向が『初めて出会った』頃のこと。
「龍馬がバケガクに入学した、六年前の入学式」
日向はそれだけを告げると、再び、口を閉ざした。
26 >>146
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.146 )
- 日時: 2021/05/30 12:59
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: axyUFRPa)
26
六年前のあの日。あのときから、おれの人生は始まったんだ。
おれがバケガクに入学した理由は、日向に会うためだった。実を言うと、おれは、上流階級の吸血鬼たちの通う[タラゴストリー]への入学が決まっていた。おれが望んだわけではなく、じいさまが決めたことだ。じいさまの命は絶対だし、おれも不満はなかった。学校なんてどこでも良かった。学ぶことは嫌いじゃないし、[タラゴストリー]で学べないことは、独学で学べば良いと思っていた。
けれど、おれは、《白眼の親殺し》の新聞記事を見てしまった。
『読んだ瞬間』ではない。『見た瞬間』。そのとき、おれの人生は、おれの進路は、決定した。されたんじゃない、おれ自身が、そう『した』のだ。
__________
「龍馬様」
ツェマに来客だと告げられ、応接間に向かうと、そこには、フロス嬢がいた。
「お久しぶりです、シュリーゴ嬢」
おれが向かいに腰を下ろし、笑い掛けると、フロス嬢は、目を見開いた。その目の中には、『驚き』よりも、『絶望』に近いような、そんな気がした。
フロス嬢がおれに好意を、『そういう意味での』好意を持っていることは知っている。けれどおれは彼女を突き放すために、わざと名字で彼女を呼んだ。
「ええ、久方ぶりですね、龍馬様」
フロス嬢はすぐに顔に笑みを張り付け、おれに挨拶をした。
「本日はどのようなご用件で?」
そんなものはわかりきっていたが、おれはとぼけたふりをした。
フロス嬢は顔をしかめた。
「わたくしたちの、婚約についてお話をうかがいに参りました」
フロス=シュリーゴ。
吸血鬼五大勢力のひとつ、シュリーゴ家の次女。名字の由来として、カツェランフォートは『猫の足』、シュリーゴは『コウモリ』を意味しており、どちらも動物に関係しているので、はるか昔より親交を深めてきた。なんでも、先祖同士が勢力争いの協力関係だったんだとか。他の五大勢力であるロット家とシャヴォーツ家も、同じようだったらしく、それぞれ『赤』と『黒』を示す。そう考えると、ベアンシュタイン家は、どことも協力せずに、吸血鬼たちの頂点に君臨したということになる。故にあの家の人々は、誇り高いというか、悪く言うと高慢な者が多い。
そしておれは、彼女の婚約者『だった』。フロス嬢の父君、グレイド様が、おれがバケガクに入学すると知った瞬間、婚約破棄を言いつけてきたのだ。
入学を決めた側であるおれは、もちろんそのことは承知だったが、フロス嬢はそうもいかない。全てが急に起こったように思えたことだろう。
フロス嬢は、少なからぬショックを受けているはずだ。もうその義理はないとはいえ、無視することは良心が痛む。
「はい。なんなりとお尋ねになってください」
おれはにこやかに、そう言った。
27 >>147
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.147 )
- 日時: 2022/05/27 08:04
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: AKhxBMxU)
27
フロス嬢は、ぎりっと歯軋りをした。
拳を机に叩きつけることはしなかったものの、手はぶるぶると震えている。
「なんなりと?」
低く、唸るような声がした。
「では、何故なんの相談もなく、勝手に[タラゴストリー]への進学をやめ、[聖サルヴァツィオーネ学園]へ入学することを決めたのですか? しかも、この時期になって、突然」
本来であれば、この春から、[タラゴストリー]に通うはずだった。入学を目前とし、急遽進路を変更したとなれば、唐突すぎると考えても、なにも不思議ではない。むしろおれが非常識なのだ。この進路変更は、バケガクにも、[タラゴストリー]にも、じいさまにも、迷惑をかけた。
「実を申し上げますと、私は前々から、御当主様に進路を変更したいという意志を伝えていたのです。もちろんすぐには首を縦に振っていただけませんでしたが、先日、ようやく許可をいただけたのです」
「ですから、どうしてこのような時期に?」
おれは困ったような笑顔を作った。
「簡単な話です。私がしつこく頼んだのです。シュリーゴ嬢の仰る通り、[タラゴストリー]への入学式まで、もう目と鼻の先でしたから、それはもう、必死に」
別に隠すほどのことでもないが、一応はぐらかしておいた。いま、おれとじいさまは、決裂状態にある。屋敷全体もぎすぎすしていて、そこを他家に付け入られるのは、色々とまずい。下手をすると、カツェランフォートの地位が揺らぐかもしれないのだから。
それに、フロス嬢も気づいたのだろう。小さくため息をつき、論点を『何故この時期に進路を変えたのか』からずらした。
「質問を変えます。どうして、そこまでしてバケガクに行きたかったのですか?」
フロス嬢の目から、怒りの感情が消えた。いや、腹の底ではまだ怒っているだろう。しかし、その目に宿る光が、怒りよりも、真意を見極めようとする色の方が強かった。
どういう風に答えようか、少し考えたあと、おれは告げた。
「口外しないというのなら、理由のわずかな部分だけでもよいのなら、そして、これ以上の追求を、この話以外も含めてしないと言うのなら、お話ししましょう」
おれの体から、重く冷たい『闇』が放たれた。
28 >>148
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.148 )
- 日時: 2021/06/01 20:49
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 06in9.NX)
28
「すみません、シュリーゴ嬢のことを疑うわけではないのですが、念のため」
おれから出た『闇』は、薄い布のように、フロス嬢の体に巻き付く。締め付けるというよりは、まとわりつくような動きだ。
【闇魔法・鎖の契約】
吸血鬼が使う魔法は、呪術といった類いのものが多い。それらは全て、何らかの媒介や媒体が必要だ。例えば、吸血鬼が人間を服従させる場合に、吸血を行う必要がある、とか。
しかし、おれが使う『魔術』は、それらを必要としない。厳密に言えば、媒体精霊と呼ばれる精霊の力を借りているが、この場合、それはないと考えて良い。
おれは類い希なる強力な闇魔法の使い手だ。なんの思い上がりでもない。事実だ。そしておれは、魔術だけでなく、吸血鬼本来が持つ呪術も操ることができる。
つまり、『黒魔法』に分類される魔法全てを操ることが出来るのだ。それも、なんの偏りもなく、均一に、強力に。
基本、操ることの出来る黒魔法は、魔術か呪術に分かれ、 適応しないどちらか片方は、操るどころか、発動することすらままならない。
故におれは、〔邪神の子〕と呼ばれているのだ。
ちなみにこの『邪神』とは、公には『ニオ・セディウム神話伝』に登場する、神々の頂点に君臨するとされる『王の一族』の長、『テネヴィウス神』のことであると言われているが、実際には、『才能はあるのにそれを活かさず、宝の持ち腐れだ』と嘲りの意を込めた、『一族の恥・ディフェイクセルム神』のことだと、おれは知っている。
ディフェイクセルム神は、一族の誰よりも強い力を持ちながら、一族の誰よりも長に貢献しない『役立たず』だとされている。
さらに、一族に反抗の意志を持っているくせにとても心が弱い、『誰よりも強く誰よりも弱い闇の神』らしい。
そのことを知ったとき、おれは笑みがこぼれた。
色んな感情が混じって、ぐちゃぐちゃになって、それしか出来なかったのを、いまだに覚えている。
「では、契約です。
『フロス=シュリーゴは、一つの望む回答を笹木野龍馬に与えられる代わりに、笹木野龍馬に、他のいかなる追求もしない』」
おれが契約の内容を告げると、フロス嬢は頷いた。
「契約致します」
すると、うねうねと四方八方に蠢いていた闇は、次々にフロス嬢の胸に入っていった。
「うあっ……」
苦しげなフロス嬢の声。
申し訳ないとは思うけど、こればっかりは、どうしようもない。
そして、フロス嬢の胸に、黒薔薇が咲いた。
パチンッ
おれが指を鳴らすと、黒薔薇は霧散する。
「契約完了です。では、お話し致します」
29 >>149
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.149 )
- 日時: 2021/06/02 21:21
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: CqswN94u)
29
「そんなに緊張しないでください」
おれは苦笑して見せた。
「理由としては単純です。私には、会いたい人がいるんです。その人が、バケガクにいるんです。
それだけです」
「そっ、そんなことで」
フロス嬢の体から、闇が滲み出た。
その事に素早く気づいたフロス嬢は、すぐに居ずまいを正した。
「他の誰にも、理解出来ないでしょうね。理解していただかなくて結構です。御当主様も、最後の最後まで、私の考えを理解してはいませんでした」
けれど、と、おれは言葉を続ける。
「私は、どうしてもその人に会いたかった。いや、いまも会いたいと思っています。その人のためなら、私はどんなことでもやってのけるつもりです」
おれが言っているその人物が誰のことなのか、おおよその見当がついているのだろう。なんせおれは、「『あの一件』以来変わった」と言われているのだ。むろん、言い意味でも、悪い意味でも。
勘違いされると困るので、おれは付け足しておいた。
「ああ、その人とおれは、面識はありませんよ」
フロス嬢は不思議そうな顔をした。けれどおれは、これ以上話すつもりはなかった。だって、無意味なのだから。
もう、おれに、干渉しないでほしい。
「申し訳ありませんが、私がお話しするのはここまでです。お引き取り願えますでしょうか」
「あ、あの!!」
フロス嬢が、控えめに叫んだ。
「『追求』ではなく、『質問』です。この話とはまた別のことなので、質問してもよろしいでしょうか」
質問の形の言葉でありながら、疑問符はついていない。よっぽど、おれに『拒否』という選択肢を与えたくないのだろうか。
「ええ、まあ、ものによっては、お答え致しましょう」
この『契約』の危険性は、フロス嬢も十分理解させられているはずだ。
その末になにかを尋ねたいとするなら、それは、かなり重要なことなのだろう。
おれは構えて、フロス嬢の言葉を待った。
30 >>150
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.150 )
- 日時: 2021/06/03 17:47
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: CqswN94u)
30
「この度の婚約破棄について、龍馬様は、どのようにお感じですか?」
おれは危うく脱力しかけた。
なるほど。そうくるか。
そういえば、フロス嬢がおれを訪ねてきた理由がそれだったっけ。
正直、婚約破棄されると聞いて、特になにも感じなかった。グレイド様は、おれが[タラゴストリー]に入学し、『怠けきった精神』を叩き直し、フロス嬢に見合う男に、と考えていたようだったから、この結果は、言わば当然だ。
フロス嬢に対しては、『吸血鬼として優れた女性』としか認識していなかった。もちろん恋愛感情なんて持ち合わせていないし、というかそもそも、おれはその感情がわからない。
「シュリーゴ家には、申し訳ないと思っております。これは完全なる私個人の私情で行ったことですので」
フロス嬢の瞳に、今度は誤魔化しきれないほど強く、絶望の色が見えた。
だけど、心は痛まない。だって、これは、仕方のないことなのだから。
おれは……。
「わ、かり、ました」
フロス嬢の声は、わかりやすく、震えている。
きつく握りしめた拳に巻き込まれて、黒色のドレスはしわくちゃになってしまっている。
「では、わたくしは、帰ります。失礼致しました」
「玄関まで送りましょう」
「結構です!」
思ったより、拒絶されてしまった。
でも、これでいい。突き放した方が、フロス嬢も、諦めがつくだろうから。
「そうですか。では、お気をつけて」
__________
31 >>151
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.151 )
- 日時: 2021/06/05 00:04
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KG6j5ysh)
31
「はあっはあっはあっ」
カンカンと、おれが床を強く蹴る度に、金属音が、静かな階段に響く。
ギイッ
おれは屋上の扉を開け、ざっと回りを見回す。
「ここでも、ない」
『だーから、来てねえんだって。諦めろよ』
先生が見かけたって言ってたんだ! 今日こそ……。
『それ、ここ最近、毎日言ってるだろ』
うぐっ。
こいつの言う通りだ。
おれは、正式にバケガクの入学が決まり、入学式前でも学校に来てもいいというルールを知ってから、毎日バケガクに通っている。
無論、花園 日向を探すためだ。
しかし、全く、影も形も見えない。
目撃証言はとれるんだけれども。まるで心霊現象だ。
おれは気配で探る、ということも出来るけど、それは、会ったことのある人にのみ適応される。
花園日向には、会ったことがない、気配を知らないのだ。
結局、その日も見つけることは出来ず、おれは帰路についた。
__________
……。
「最後に、生活指導の先生から……」
……。
「以上を持ちまして、九九九一年度、聖サルヴァツィオーネ学園入学式を閉式致します」
生徒はそれぞれ順番に、会場から退場していく。
「あの、笹木野龍馬さん、ですよね?」
もうすぐおれの番というところで、隣に座っていた人に声をかけられた。
「はい?」
その人物は、おどおどした雰囲気の、男の子だった。男の子という言い方をしたけれど、標準である人間年齢で比べると、おれより年上らしかった。
おどおどしているのは、緊張で、のようだ。
「初めまして! おれ、いや、僕、狼族のセルヴァ=パラジアです!」
小声でいるだけの理性は保っているようだが、かなり興奮している。
狼族は、数少ないディフェイクセルム派の民だ。
セディウム教は、『テネヴィウス派』と、『ディフェイクセルム派』が存在する。どちらも『テネヴィウス神』を最高神として崇める点では共通しているが、テネヴィウス派の民族は、ディフェイクセルム神を『堕落した神』として認識している。
対してディフェイクセルム派は、ディフェイクセルム神を、『我らが目指すべき存在の象徴』として認識している。
それは、ディフェイクセルム神がディミルフィア神の味方についたことで、『中立派』としての価値を持っているだとか、彼らを産み出した神がディフェイクセルム神であるだとか、諸説は様々で、本人たちもよくわかっていないようだった。
しかし、理由が明らかではないとはいえ、ディフェイクセルム神に対して敬意を払っているのは、事実だ。
つまり、ディフェイクセルム派は、セディウム教信者でありながら、闘争意識が極端に少ない、希少な存在だと言える。
32 >>152
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.152 )
- 日時: 2022/01/22 17:37
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: FA6b5qPu)
32
『セルヴァ』、か。
名前の音が、ディフェイクセルムの『セルム』に近い。家が、特にディフェイクセルム派としての意識が強いのだろう。
話しかけてきたのも、それが理由だろうか。
「初めまして」
こういったことは初めてではない。おれは慌てることなく、至って無難に挨拶をした。
「えっと」
なんと呼べばいいのだろうか。
「セルヴァとお呼びください!」
即答された。疑問形で尋ねてすらいないのに。というかなんでセルヴァはこんなに敬意を払ってくるんだ。おれとディフェイクセルム神は違うのに。
……。
順番が来た。
「すみません、セルヴァ。実は今日、用事があって、話せないんです」
おれが言うと、セルヴァは明らかに落ち込んで見せた。
うん。ごめん。
「そうですか、わかりました。
あと! 敬語はお止めになってください!」
「じゃあ、お互いにやめようか」
おれは苦笑しつつも承諾し、そのまま退場した。
さて。
会場の出口を通った瞬間、おれはダッシュした。
はやる気持ちを抑えるには、やはり走ることが一番手っ取り早い。
『どこの体育会系だ』
うるせえ。
ん?
おれは急ブレーキをかけた。人の気配がしたのだ。おそらく、教師の。おれがいまいるのは廊下だ。入学早々教師に目をつけられるのは勘弁してほしい。
ついでに、花園日向の居場所も聞いてみよう。
「こんにちは、先生」
曲がり角から現れた女性が教師であることをしっかりと確認し、おれは声をかけた。
おれの進行方向に女性も進んでいたので、女性は振り向いた。
後ろで一つに括られた、赤に近い茶髪がふわりと揺れる。ややつり上がり気味の赤紫の瞳のなかに、おれが映る。
教師にしては少し派手な、赤を基調とした高級感のあるドレスと、色を合わせた魔女帽子がとても目立つ。
「こんにちは。笹木野君」
女性─ライカ先生が、にこりと微笑む。
「今日も花園さんを探しに来たの?」
「はい」
「だったら、さっき、学園長室へ入るのを見かけたわよ。行ってみたらどうかしら?」
「ありがとうございます!!」
おれはさっき意識した『廊下は走らない』という概念を、頭の中から完全に消去した。
この学園の地図は、頭の中に叩き込んでいる。学園長室は、この第一館の最上階だ。
「うおおおおおおっ!!」
おれは実際に雄叫びを上げながら、階段を駆け上がった。摩擦熱が生じるくらいの強さで階段を蹴っていたため、無駄なエネルギーをかなり使っていたのだろうと思うが、そんなことに気を回すだけの余裕はない。
ダァン!!
「うわあっ!」
思った以上に大きく響いた足音に、おれは自分で驚いた。興奮のあまり、階段を上りきった最後の一歩に、力を入れすぎていたらしい。
カチャ
そんなおれとは対照的に、必要最小限の音だけ出して、この階に一つだけしか存在しない部屋、学園長室のドアノブが回された。
キィッと静かに、扉が動く。
その瞬間、おれの心臓はまるで生まれたての赤子のようにはやく鳴り始めた。
扉がついている壁は、いまおれが立っている階段側で、ドアノブは、外から見て左についている。そして外開きの構造をしている。つまり、こちらからは、中から誰が出てくるのか、全くわからないのだ。
ライカ先生の話からして、いま出てこようとしている人物は、紛れもなく。
学校指定のローファーが見えた。ちらりと見えるスカートの端が、ゆらりと揺らめく。
そして、天使が現れた。
そのときは、いや、いまでも、本気でそう思っている。
緩くウェーブのかかった金髪に、光の差さない、深い海底のような青い瞳。人形のように、作られたかのように感じるほど整えられた顔立ち。
体は病的とまではいかなくとも、ほっそりとしていて、それが逆に、彼女の怖いくらいの美しさに、さらに神秘的な雰囲気を足していた。
肌も異様なまでに白く、しかもそれは焼けていないというよりかは、太陽のような、強すぎる光故のような、そんな気さえ起こさせた。
彼女ははじめ、扉を閉めるとき、ちらりと横目でこちらを見ただけだった。しかしすぐに、扉も閉めずにこちらを向く。
そして、おれの位置と彼女の立ち方から見えなかった、彼女の左目が見えた。
透き通るような、綺麗な『白眼』だった。
つまらなそうに閉じかけられていた目を、これでもかというくらい大きく見開いて。
おそるおそる、といったような、怯えるように声を震わせて。
彼女が、日向が、おれの名前を呼んだ。
「リュウ……?」
__________
33 >>153
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.153 )
- 日時: 2021/06/05 22:27
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 7WA3pLQ0)
33
「六年前? そんなに長い付き合いなのか?」
「六年は、長くない」
菜草さんの言葉に、日向がすかさず言い返した。
確かに、おれからすれば六年なんてあっという間だ。何せ、何百何千という単位の時を生きるのだから。
天陽族である日向はそこまで長くは生きないが、それでも、種族としての平均寿命は三百年。単純に計算すれば、六年は人生の約五十分の一。
そのことは菜草さんもわかっていたのだろう。ぐっと言葉に詰まった。
そしてさらにそのことに気づいた日向が、「じゃあなんで言ったんだ」とでも言わんばかりに冷ややかな目を向けていた。
「それもそうだな」
菜草さんはごほんと咳をして、改めて姿勢を正した。
「ひな」
「嫌」
菜草さんが言葉を開いた一秒後に、日向が言った。
「まだなにも」
「どうせ」
吐き捨てるような、声。
「龍馬と関わるなだとか、そういったことでしょう?」
だと、思ったけど。
違った。
声のトーンは明るく、弾むようで。
日向は机に右腕の肘を付け、手のひらに顎をのせた。
その顔にはうっすらと笑みを浮かべて。
おれはそれを見て、ゾクリと寒気がした。
いや、おれだけじゃない。
朝日くんも菜草さんも、顔を青くして息をのんでいる。
「ね? おじいちゃん」
狂気を隠したような、無邪気を装った笑顔で、日向は、小首をかしげた。
34 >>154
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.154 )
- 日時: 2021/06/05 22:26
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 7WA3pLQ0)
34
「ひ、日向?」
「なあにおじいちゃん」
ほぼ菜草さんの言葉に被せるようなスピードで日向が返した。
菜草さんは戸惑いを隠しきれず、というよりは隠そうとすることの余裕さえも失い、しどろもどろ、言葉を続けた。
「日向が怒るのは、当然のことだと思う。しかし」
日向はただ、にこにこと菜草さんを見ている。
「龍馬くんと関わるのは、日向にとって都合の悪いことしかない」
「それってさあ」
笑みを崩さず、日向は言う。
「どの口が言ってんの?」
その声からは、怒りは感じない。
単なる疑問として言っているようだ。
しかし、菜草さんは少なからぬショックを受けている。それが日向の思惑通りだということに、おれはうっすらと気づいていた。
「ねえ、おじいちゃん。おじいちゃんは私に何もくれたことはなかった。せいぜいあるとすれば、朝日を引き取ってくれたことかな。いつもいつも、気にかけていたのは母さんと朝日と、それから少しだけ、父さん。
気づいてないとでも思ってた? あなた『たち』が私を無意識に無視していたことは、わかってるの」
そしていま、このことをおれの前で話しているのは、さっきおれが日向に「日向のことを教えてほしい」と頼んだからだろう。
「それにさ。いまさらなんだよ? そんなこと」
日向は机から腕を離し、腕を組んで椅子にもたれ掛かった。
「むしろ〔邪神の子〕と親しくしていた方が自然なくらいだよ。それとね」
今度は右の手のひらを机に付けて、ぐっと身を乗り出した。
「次、私と龍馬を引き離すようなことを言ったら、おじいちゃんでも、それなりの『手』を打つよ?」
その瞬間、菜草さんの顔から血の気が引いた。
「朝日」
「なあにっ?!」
日向の言葉に、朝日くんが間髪入れずに答えた。
「同居の件、保留にして。だって八年も一緒に過ごしているんだから、おじいちゃんと意見が揃っている可能性があるでしょ?
龍馬。ごめんね長く引き留めちゃって。そろそろ家の外から人がいなくなってる頃だと思うから。玄関まで送るよ」
絶句している二人をよそに、日向はおれを半強制的に(無理矢理という意味ではない)立たせ、玄関まで歩かせた。
「あの! おじゃましました!」
なんとなく急かされているような気がしたので、しっかりと頭を下げて挨拶をする、ということは、叶わなかった。
玄関に着いて、おれは日向に声をかけた。
「日向?」
「なに」
見ると、日向はもとに戻っていた。
「平気か?」
日向は少しだけ間を空け、「うん」と言った。
おれも深くは追求せず、「そっか」と笑って、靴を履いた。
「じゃあ、おれは帰るよ」
「うん」
「日向」
「ん?」
「えっと……」
おれは口ごもった。
おれは、何が言いたかったんだろう。
「また、学校で」
日向は不思議そうに首をかしげた。
「うん」
第二章・Ryu's story【完】