ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.203 )
日時: 2021/07/14 17:15
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 1.h02N44)

 1

「真白、調子はどう?」
「もー。大丈夫だってば!」

 昨日、胸が痛いとうずくまってからというもの、モナはずっとわたしのことを気にしてくれている。すっかり良くなったと何度も言っているのに。

「学校にだって行けるから! じゃあ、行ってきます!」

 わたしはほうきにまたがり、地面を強く蹴った。体がぐんぐん空に近づき、木々のてっぺんより少し高いくらいのところで止まる。いつもなら空に投げ出されてすぐに酔ってしまうのに、今日はそれがない。周りの空気全てがわたしを包み、そして支えているような感覚がする。
 すごい。安定して飛ぶって、無詠唱で飛ぶって、こんなに気持ちがいいんだ。
 下を見ると、モナがびっくりした顔をしていた。こんなふうにほうきに上手に乗れたのなんて、初めてだもん。わたし自身も驚いている。

「ましろがほうきに乗れてるニャ!」

 キドが叫んでいたので、わたしは手を振って見せた。こうやって余裕を見せられたのも、初めてかもしれない。
 とにかく気持ちいい。森の緑を視界の端に追いやり、空の青だけを仰ぎ見る。肺に送られる空気はやけに軽く感じられ、秋の涼しい風は寒さではなく爽やかさを与える。

 それになにより、この体から溢れるばかりの魔力。魂の奥底に感じる『核』のようなものは、確かな『黒い力』を宿している。このことからこの力は悪魔のものなのだと自覚するけれど、それでもいまは、わたしの力だ。これはわたしが、わたしの手で掴み取ったものなのだ。

 ふふ、と、自然に笑みが零れ出る。空の空気と体が同化したような錯覚を覚える。この、神が与えた大自然と一体化するような錯覚を覚える。

『なにやら機嫌が良さそうじゃの』

 頭の髄から、色気のある大人の女性の声がした。

 当然。むしろこれを感じて気持ちよくならない方がおかしいのよ。わたしは正常よ。

『それでよい』

 わたしの声につられたのか、それともまったく別の理由か。その響く声が上機嫌だった理由は、わたしはてんで興味がなかった。

 2 >>204

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.204 )
日時: 2021/07/16 20:39
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: EjFgzOZO)

 2

「そういえばさ」
「はい?」

 いまは昼休み。いつものように朝日くんとお昼を一緒にしている。他愛もない話をする中で、わたしはふと、思い出したことを口にした。

「この世界も、もうすぐで滅ぶんだよね」

 それはほとんど独り言のようなものだった。ぽろりと零れたその言葉は、少しの沈黙を生み出す。
 けれど朝日くんは無視することなく、言葉を返してくれた。

「そう、ですね。あと二年と少しでしょうか」

 悲しそうでも楽しそうでもなく、かと言って虚しそうでも淡々としている訳でもない、不思議な声色で朝日くんは言った。

「秋も終わりかけてるもんね」

 そう。つい最近まで心地よかった秋の空気も、 いまでは時折寒気を感じさせる。バケガクを見下ろす『四季の木』も紅葉を散らし、幹はだんだん白銀に染まりつつある。

「でも、不思議。いまこの瞬間も、誰かがうまれてきてるんだよね、きっと。今日生まれても、二年と少ししか生きられないのに」

 世界が滅んだあと、わたしたちがどうなっているかなんて誰にもわからない。もしかしたら生き残っているかもしれないし、死んでいるかもしれない。だけど少なくとも、世界が滅ぶような出来事が起これば、大半の赤ん坊は死んでしまうだろう。

「わかりませんよ。教会は勇者を召喚するつもりだそうです。世界は滅ばないかもしれません」

 救いに縋るような声とはかけ離れた、先程と同じようになにを思っているのかわからない声音で朝日くんは言う。

「そもそも、いるかもわからない神が定めた『世界の規則』を信じている方が、ボクには理解できません。確かに過去の、Aの時代の文献はほとんど残っていませんが、だからこそ、Aの時代が『滅んだ時代』だなんて証拠はどこにもないですよね?」
「たしかに」

 わたしは素直に同意の意を示した。神様なんていない。それはわたしもよくわかっている。本当に世界が滅ぶなんてことすら疑わしい。

 でも。

「もし滅んだら、わたしたちはどうなっちゃうんだろうね」

 わたしはなにも出来ていない。本当の家族にも会えていないし、なにも手に入れていない。このまま死んでいくのは、あまりに『わたしが可哀想だ』。

 3 >>205

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.205 )
日時: 2021/07/16 20:39
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: EjFgzOZO)

 3

「真白さん」

 教室に戻ると、花園さんが待ち構えていた。表情は見たことがないほど真剣で、それでいてどことなく焦っているようにも見えた。
 え、なに?

「放課後、話したいことがあるの。残れる?」
「な、何を話すんですか?」

 こんなこと、いままでなかった。いま起こっていることがなんだか異常に思えて、わたしは思わず竜の鱗のペンダントを握りしめた。
 花園さんは顔をしかめて、言った。

「聞きたいことがある」

 は? なんで?
 わたしの心に、黒い炎が灯った。その炎は体中に広がり、そして蝕む。
 話の内容も告げずに、自分の都合だけで勝手に言って。

 こんなもの、断ってしまえばいい。

「嫌」

 ぶっきらぼうにそう言うと、花園さんは予想だにしない行動をした。

「お願いします」

 あろうことかわたしに敬語を使い、そして、その華奢な腰を折ったのだ。教室の端で、笹木野さんが驚愕しているのが見える。そして、慌てて花園さんに駆け寄ってくるのも。その笹木野さんの行動が注目を集め、教室にいた大半の生徒の目が花園さんに、『わたし』に向く。

 先程とはまた違った感情が、体の奥から噴き出してくる。熱を持った『核』がじわりじわりと体を温めていく。これは、きっと、

 優越感、だ。

 笹木野さんとしかまともに話すらしない花園さんが、クラス一の劣等生であるわたしに頭を下げている。そのことがたまらなく……あれ、なんだろう。この感情の名前は、なんだろう。

 まあ、いいや。

 口元がわたしの意思に関係なく歪む。嬉しくて楽しくてたまらない。いや、違う。この感情はそんなものじゃない。もっと、上の、『何か』。

「わかりました」

 今度は打って変わって肯定の言葉を返したわたしを、花園さんは、ほっとしたような雰囲気を纏わせた。

 4 >>206

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.206 )
日時: 2021/07/17 11:55
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: EjFgzOZO)

 4

 キーンコーンカーンコーン……

 一日の終わりを告げるチャイムが鳴った。けれどまだ帰れない。花園さんの話を聞かないといけないから。時間が経つごとに面倒になってきたけれど、一度受け入れてしまったのだから、仕方がない。
 花園さんは生徒が教室に残っているうちは話す気がないらしく、時折わたしを見つつ、まだ近寄ってくる様子はない。と同時に、笹木野さんに帰るように言っていた。わたしはてっきり笹木野さんも同席すると思っていたので、ほんの少しだけ意外だった。

 教室を最後に出たのは、笹木野さんだった。と言っても、最後の最後まで渋っていた、という訳では無い。自分が帰らなければ花園さんがわたしと話せないということを理解していたようだ。最後まで残っていたのは単に、少しでも長く花園さんと一緒に居たかったからだろうか。

 ぼんやりとそんなことを考えていると、やや駆け足で花園さんがわたしの元へ来た。
「ごめん、待たせて」
 またもやわたしは驚いた。
「花園さんって、謝れるんですね」
 心の中に留めておこうかとも思ったけど、声に出して伝えた。だって、留める必要なんてないなって思ったから。
「悪いと思えば、謝る」
「悪いって思えるんですね。わたし、そんなこと花園さんは出来ないんだと思ってました」
「……そう」

 イラッとした。
 なんで腹を立てないの? わたし、結構失礼なこと言ったよね?

 花園さんはピクリとも表情を動かさない。顔の筋肉が動いていないのだ。
「先生は、三十分ほどしたら戻ってくる。その間、話す」
「あの!」
 わたしは腹立たしい気分をそのままに、花園さんに言った。
「わかりにくいので、もっと『普通』に話してくれませんか?」
 その言葉を受けた花園さんは、少しばかり目を大きくした。しかしそれをすぐに別の感情で覆った。多分その感情は、『呆れ』、だと思う。

 なんで?

 5 >>207

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.207 )
日時: 2021/07/17 21:41
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: dpACesQW)

 5

「わかった」

 花園さんはあっさり頷いた。近くの席に腰掛けて、わたしにもどこかに座るように言った。

「聞きたいことは二つ。真白さんの契約精霊のことと、ペンダントのこと」
「えっ」

 思わず声が漏れた。
 ナギーがいなくなったことを知っているの? わたしがペンダントを持っていることを知っているの? どうして?
「多分真白さんは両方とも誰にも話していないんだと思う。そんなことを私が知っていることを不気味に思うだろうから、そこも説明しながら、一つずつ質問する。それと、ちゃんと見返りも用意する。ただで聞こうとは思っていない」
 花園さんは本当に言葉遣いに気を使ってくれたようで、普段よりかは聞き取りやすい話し方をしてくれた。

「一つ目、真白さんの契約精霊のこと。私は【精眼】っていう、精霊そのものを見たり、誰が誰と契約しているのか分かったりする『スキル』を持っているの。最近真白さんが契約精霊を連れていないから、どうしたのかなと思って。一応、確認しておきたいだけだから、言いたくなければそれでも構わない」

 なにそれ。【精眼】?
 わたしは、そんなの、持ってない。なにそれ、なにそれ。
 精霊は神聖にして神秘の存在。自らがその姿を見せない限り目に写すことが出来ない不思議な存在。わたしはそう思っている。なのに花園さんの目には、そう映ってはいないということ? わたしとは違う、特別な力を持っているの?

「……ナギーは、ずっと前から行方不明なんです。具体的にいつ頃から、っていうのは覚えていません。でも、こういうことは前からあって、心配ないです」

 少し言葉がおかしかったかもしれない。でも、他のことに頭がいっぱいで、上手く言葉を選べなかった。
 花園さんは僅かに考え込むような仕草を見せたけれど、すぐにわたしに次の質問を投げかけた。

「二つ目、ペンダントのこと。こっちは随分前から気になっていた。その中に、悪魔が宿ってる。おそらく、『七つの大罪』の悪魔」

 心臓が、ドクンと脈打った。色んな疑問が頭の中をグルグルと巡る。どうして悪魔が宿っているだなんてわかるの? どうしてその悪魔が『七つの大罪』の一人だなんてわかるの? それを知ってどうするの? 何がしたいの?

「出来ることなら、今から言うことは他人に言わないで欲しい。
 私は、物に宿る『気』を感覚的に捉えることが出来る。これはスキルと言うよりかは、本能。言葉による説明は難しいけれど、とにかく、ある程度ならそういうものがわかる。だから、今回の場合も分かった。真白さんの持つペンダントには、濃い『黒』がこもっていた」

 ああ、もうわからない。なんなの? 花園さんはわたしと同じ劣等生じゃなかったの? 濃い黒がこもってるって何?
 吐き気が込み上げてくるくらい、気持ちの悪い感情が、頭も心も支配した。


『人間よ、落ち着くのじゃ』

 6 >>208

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.208 )
日時: 2021/07/18 21:17
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: f3ScG69M)

 6

 レヴィアタンの声が響いた。花園さんには聞こえていないようだから、これは心話か。
此奴こやつがなにかを隠しているのは其方そなたも分かっていたことじゃろうて。今更その事に心を動かされているようではこの先が思いやられる』

 その声に呼応するように、ペンダントが熱くなった。実際に触れていたわけではなかったけれど、その熱さは体中に広がって、わたしを覆った。
 もちろんそれは錯覚だ。けれどわたしには明らかな変化があった。心がとても落ち着いている。冷静になったとでも言おうか。先程までのような気持ちの悪い感情はどこへやら。綺麗に消え去っていた。

『それに、考えてもみろ。さっき此奴は、自身の言葉を他人に漏らすなと言ったであろう? つまりそれは、他人に知られると困るということ。其方は一つ、此奴の弱味を握ったことになるのじゃ』

 言われてみればそうだ。わたしはその言葉に直ぐに納得し、すっかり精神状態が元に戻った。
「単刀直入に聞く。そのペンダント、誰からもらった?」
「どうして知りたいんですか?」
 別に、質問に答えるばかりでいる必要は無い。わたしから質問してもいいはずだ。
 花園さんは苦い顔をした。すぐに答えようとしたのか口を開いて、けれどそれを閉じ、どう言おうかと思案しているようだった。それはいかにも人間らしい仕草で、わたしは意外に思った。
 花園さんも、こんな風に迷うんだ。案外、人間らしいところもあるんだな。

「朝日に何かあると、嫌だから。最近真白さんと一緒にいるところをよく見かける」

 つまり、朝日くんが悪魔に関わっていると? 確かにレヴィアタンは朝日くんがくれた竜の鱗のペンダントに宿っているけれど、それとこれは別だ。
「このペンダントは朝日くんからもらいました。でも、悪魔と朝日くんは無関係です」
 花園さんの家は悪魔祓いの家系じゃなかったの? そんな家の人が悪魔と関わるわけないじゃない。
 悪魔と契約を結んでいるのはわたしであって、朝日くんじゃない。

「朝日くん『は』ってことは、真白さんには関係あるの?
 ペンダント、見せてもらうことって出来る?」
「嫌です。大事なものなので」
「……そう」

 花園さんはあまり落ち込んだ様子はなかった。そもそも期待してなかったようだ。
 つまんないの。

 7 >>209

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.209 )
日時: 2021/07/19 21:11
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 5NmcvsDT)

 7

「ありがとう。助かった。色々わかった」
 え、この会話でわかったことなんてあるの?
『知らない、分からない、教えない。そういったことすら『情報』になるのじゃ。他者に情報を与えたくなければ、黙秘するのが最善なのじゃよ』
 ああ、なるほど。何となくわかった。……花園さんがどんな結論を導き出したのかまではわからないけど。

「あと、これはついでだから、教えて貰えなくても構わないんだけど」

 少し迷ったように、花園さんが言った。

「朝日、真白さんといる時、どんな顔してる?」

 わたしの体が強ばった。
 まただ。また、姉ヅラしてる。八年間も朝日くんを放置して、朝日くんから両親を奪って、寂しい思いをさせて。どうしてそんな人が、朝日くんに好かれているの? 慕われているの?
 あれ、『両親を奪って』? 『白眼の親殺し』は、違うんじゃなかったの?

 わからない。わからない。

 壊したい。何もかも、全部。

『壊せば良いじゃろ。何を迷っておるのじゃ』

 レヴィアタンの声が、絡みつくように響いた。耳元での『悪魔の囁き』が、優しくわたしを包み込む。
『お主は妾の力を持っているのじゃ。あんなちっぽけな人間一人、どうってことない。本能のまま、欲望のまま、壊してしまえ』
 そうか。わたしにはこのあくまがついているんだ。

 どろりとした感情が、魂の底から湧き上がるのを感じた。じわりとペンダントが熱を持ち、小さく炎が点った。

「真白さん?」

 花園さんは首を傾げ、それから目を見開いた。そして、チッと舌打ちをする。

「やっぱり、だめだったか」

 ポツリと呟いた声はあまりにも小さくて、わたしの耳はその言葉を拾うことが出来なかった。

 8 >>210

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.210 )
日時: 2021/07/19 21:12
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 5NmcvsDT)

 8

『……』

 わたしの口から、何か、言葉が漏れた。それはわたしの言葉でありわたしの言葉ではなかった。わたし自身も聞き取れず、そして理解できない言葉。
 それはどうやら呪文だったようで、唱え終えると同時に三本の巨大な水柱が教室を貫いた。

 どごおんっ!

 轟音が学園中に響き渡り、壁に、床に、亀裂が走る。机という机が、椅子という椅子がひっくり返り、いくつかが木っ端微塵に砕けて散った。水柱は下から上の流れをなぞるだけで、水が教室を包むことはなかった。
 花園さんは器用に亀裂を避け、しかし逃げることはせず、わたしの目の前に留まっている。何をしているんだろうと思ったけれど、どうでもよかった。

「これ、わたしがやったの……?」

 呆然と呟いた。自然に自分の口が弧を描くのを感じる。ここは階層で言えば三階で、わたしは三階分の長さに及び、一枚の床と三枚の天井をぶち抜く威力を持った水柱を出現させたのだ。いや、もしかすると水柱はさらに上空に伸びているかもしれない。わたしの横を流れる水柱はおよそ直径五十センチ。勢いを衰えさせることを知らず、なおその存在感を強めて主張する。

 こんなに強力な魔法を放ったのは、初めてのことだ。これだけ魔力を使っているのに、目眩なんかの魔力切れを起こす予兆はない。
『当然じゃ。妾の魔力を使っているのじゃからの』
「わたしの力だ、わたしの!!」

「なんの騒ぎだ!??」

 四十路辺りの見た目をした男の先生が入ってきた。えっと、誰だっけ。
 ああ、フォード先生だ。今年入ってきたばかりなのに妙にプライドが高くて、嫌いなんだよね。
「これは、どういうことだ?」
 わたしの水柱を見て唖然と見上げるその表情は滑稽で、わたしは遠慮なく笑いだした。

「あっはははは!!!」

 フォード先生はわたしと花園さんを交互に見た。
「花園! やめろ!」
 あれ? 花園さんがやったと思ってるの? なんで?
 わたしにはこんなの、出来ないと思ってるんだ。花園さんよりも下だって思ってるんだ。へえ。

 わたしは右の手のひらをフォード先生に向ける。
『……』
 また、あの訳の分からない呪文を唱えると、 今度は水柱から大量の水しぶきがとんだ。それらは真っ直ぐにフォード先生に向かっていき、無数の傷を作る。
 フォード先生は慌てて教室から出て壁に隠れるが、水しぶきは壁なんか余裕で貫通する。わたしはその攻撃を続けながら大きな水の矢を十本作り出し、フォード先生がいるであろう場所に、壁越しに当てずっぽうで打ち込んだ。壁は粉々に崩れ落ち、廊下が剥き出しになった。

 9 >>211

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.211 )
日時: 2021/07/20 20:55
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: CWUfn4LZ)

 9

 舞ってしまった砂埃が晴れると、そこにはただ石の瓦礫が積まれているだけだった。しばらく待っても生き物が動く気配はなく、私は首を傾げた。

「いやはや、どうも、やってくれたねえ」

 そう声が聞こえた『あと』に、その人は姿を現した。腰まで届く艶のある黒髪を耳にかけ、つり上がった目は「困ったなあ」とばかりに笑みを浮かべている。その美貌と女性にしては珍しいパンツスタイルが特徴的なその人は、呆れた表情で花園さんを見た。
 いつもの眼鏡は、今日はつけていないらしい。

「これ、どういう状況なのかな?」
「……」

 花園さんはあからさまに目を逸らした。僅かな沈黙が流れた後に、渋々といった調子で答える。

「真白さんが、レヴィアタンと契約した」
「そのようだね」
「わかってたなら聞かないで」
「言質は大事なんだよ」

 至って静かに言い合いをする二人は、完全に私のことを無視していた。そのことがなんだか私を苛立たせる。
 私は鋭い息を吐いて、女性──学園長の周りに青い炎を撒き散らした。
「ん?」
 学園長は顔に疑問符を浮かべていたが、特に何かをしようという気配はない。それに私は違和感を覚えたが、壊してしまえば全て同じだということに気づき、無視した。そしてそのまま、他の三本と同じように巨大な水柱を地下から吹き出させ、炎で囲った部分を学園長ごと貫いた。

 爆音がとどろき、床の一部がガラガラと音をたてて崩れた。

「ふむ、まだ力を使いこなせている訳では無いみたいだね?」

 水柱に呑まれたはずの学園長の声が、私の隣で聞こえた。隣と言ってもすぐ近くではなく、数メートルは離れた距離から聞こえる声だった。
 声の聞こえた先を見ると、学園長は花園さんに話し掛けていた。

「私の【転移魔法】で校内の生徒及び教職員は寮内に居た者も含めて全員、森の向こうの広場に飛ばしてあるから、思う存分暴れてくれ」
 花園さんは無言で学園長を睨んでいたが、すぐにそれを崩した。
「具体的な指示をして」
「真白君を捕らえてこちらに引き渡して、あと学園を修復して欲しい。この水柱はここ以外にも学園中に出現しているんだよ」

 え、そうなの?

 嫌そうな顔をしている花園さんに向けて、学園長はさらに追い打ちをかけた。
「嫌とは言わせないよ。私はただ魔力量が桁外れに多いだけの【基礎魔法】しか使えない大した実力もない魔法使いで、しかも君には貸しがあるんだから」

 貸し?

 10 >>212

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.212 )
日時: 2021/07/21 23:57
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: zvgOH9ns)

 10

「わかった」
 花園さんは頷き、私に顔を向けた。相変わらずその表情は淡々としていて、何を思っているのかわからない。
「真白さん」
 だけど、その声は震えていた。感情は読み取れないけれど、何かを思っていることは確かだ。
 おそらく、嘲笑といったところか。

「なに?」

「一応、言う。降参してほしい」

 は、なんで?
 降参、何に降参しろって言ってるの? まだ何もしていないのに。
『無視しておけ。どうせ彼奴は其方に敵わんのじゃから』
 うん、そうだよね。返事すらする意味が無い。

『……』

 私は空気中の水分を凝縮して水滴に変え、それを一気にまた水分へと変換した。急激に体積が膨張したため、凄まじい速度の風圧が花園さんを襲う。また、風圧によって机や椅子がさらに分解され、そして消し飛ぶ。
 花園さんは悲しそうに目を伏せた。どうしてそんな顔をするの?

 そんなことを考えていたから、私の魔法が消されたことに気づくのが少し遅れた。何の『波』の揺れもなく、ただ静かに、私の魔法と同じ分の魔力を込めた風魔法で相殺されていた。

 そういえば、花園さんが仮契約を結んだ精霊って風属性だったっけ。

 私は一学期に行われた授業を思い出していた。
 契約精霊と契約主の魔法適性は、同じであるか、契約精霊の魔法が契約主の魔法を支える属性関係(契約主が火であれば、契約精霊は土)であることが多い。それ以外にも二パターンはあるけれど、そうなる場合は限りなく少ない。

 まあ、とりあえず、魔法が消されるのは想定内だ。
 私は用意していた別の魔法を畳み掛けるようにして放った。
『……』
 私は空中に水球を浮かべた。その大きさは私の体の四分の三程度の大きなもの。それが二つ。私は水球を打ち込み、さらに上から大量の水を花園さんに被せた。被せたと言っても威力は言葉のようにかわいいものではなく、およそ一トンの水圧をかけている。

 ガシャアアアン!!

 今度は壁に穴が空いた。見ると、隣の教室にも水柱が立っており、中は荒れに荒れていた。
 でも、まだ足りない。おそらくまだ立ち上がってくる。いや、『立ったままでいる』。

 壊せ、壊せ。

 私は戦いたいんじゃない。壊したいんだ。

「水よ」

 私の口が紡いだ呪文は、さっきまで使っていた聞き取ることも出来ない不思議な呪文ではなく、私が慣れ親しんだ呪文だった。

「全てを呑み込み、そして破壊せよ。邪魔者は──消してしまえ!!」

 11 >>213

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.213 )
日時: 2021/07/22 11:48
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: EqqRo75U)

 11

 ごごごっと地鳴りが重く響いた。私達がいた第三館が瞬く間にぼろぼろと、まるで砂のように崩れた。

 時間が、やけに遅く感じた。周りが、やけに遅く見えた。音が、聞こえなくなった。

 体を支える床が無くなったことで、私達はちゅうに投げ出された。床の崩壊から、遅れて私達も落下を始める。
 ペンダントが青く光って、周囲に溢れた。私の視界を全て覆ったよりも少し大きく広がったあと、次はその光はどんどん形を帯びていき、光が凝縮されていった。あまりにも強い光に私は目を閉じた。

『まだお主は戦い慣れておらんな。戦闘とは、後先のことを常に考えるものじゃぞ?』

 レヴィアタンの声が聞こえた。それは心話で聞こえるような頭に響く声ではなく、初めてあったあの日のような、体を包み込むように響く声だった。

 ゆっくりゆっくり目を開けると、私はレヴィアタンの体の上に座っていた。いや、体と言うよりも頭かな?
 レヴィアタンは私を頭に乗せて、さらに空高く舞い上がった。
 えっ、空を飛べるの? 海蛇なのに?!

『今更何を言うておるのじゃ。確かに妾は海蛇じゃが、それ以前に大悪魔なのじゃぞ? 空を飛ぶくらい造作もないことよ』

 レヴィアタンの体はやはり巨大で、それどころか私が部屋で見た時よりも大きくなっている。あの時は部屋にぎゅうぎゅうに押し込められつつもなんとか収まっていたが、いまは学園の上空全域に渡って覆っているように見える。バケガクは世界中を見ても五本の指に入ると言われるほど広大な面積を誇る学校なのに。

 これが本当の姿なのかな?

『そんなことはどうでもよい。それより、ほれ見よ。其方の魔法が完成しつつあるぞ』

 私は第三館があった辺りを見下ろした。レヴィアタンはゆっくりではあるがぐるぐると移動していて、そして第三館は跡形もなく壊れていたので花園さんを見つけるのに手間取った。

「あ、いた!」

 手間取った、けれど、見つけてしまえば簡単だった。『それ』に気づかなかっただけなのだ。
 私の魔法はそれはそれは派手なものだった。

 第三館を貫いていた十数本の水柱がねじれに捻れ、一本の図太い、まるで大きな木の幹のようになっていた。その中心部に花園さんが取り込まれている。表情までは見えない。流石にね。ものすごく遠いから。

 一つになった水柱はどんどん膨れ上がり、次第に極大の水球となった。建物四階分程の大きさで、それは延々と渦を巻いている。そしてその水球の周りを、黒い炎のようなものが取り巻いている。あれは、なんだろう?

『其方の嫉妬の念が具現化されたものじゃ。妾と契約を結んだ場合、嫉妬の念は魔力の質を底上げする。何が思い当たるのではないか?』

 12 >>214

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.214 )
日時: 2021/07/22 21:15
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: jBbC/kU.)

 12

 思い当たるところは、ある。
 私が今使った魔法は、【水応用空間魔法・害物排除】。随分と前に笹木野さんが使った上級魔法だ。
 笹木野さんはたくさんの才能を持っているのに、私には何も無い。そのことがどうしても理不尽に感じてしまえて、あれを見たとき、どうしようもない怒りがわいてきた。

 だけど。

 私が放ったあの魔法は、あの時見た笹木野さんのものよりも二周りほど大きい。
 大丈夫、負けてない。

 それにしても、どうして花園さんは反撃してこないんだろう? もしかして、『出来ない』のかな?
 それもそうか。ただの人間が水の中に閉じ込められれば息も出来ないし、体の自由も効かない。
 じゃあ、もういいか。次はどうしようかな? 何を壊そう。

「えっ、うわああっ!!」

 ぼうっとしていたら、レヴィアタンが急に動いた。その巨体からは想像つかないほどの速さで。私は慌てて頑丈なレヴィアタンの鱗を掴んだ。目で終えないスピードでどんどん変わっていく視界に酔いそうになりながら、なんとかレヴィアタンに声を掛ける。
「ど、どうしたの?!」
『其方はもう少し殺気に気づけるようになるのじゃ!』
 レヴィアタンは、今までに聞いた事のないような焦った声で言った。

 殺気?

『後ろを見よ!』

 後ろ?

 私は振り向いて、レヴィアタンが言っていた殺気の源を探した。殺気ってことは、何か生き物がいるってことだよね?

「えっ……」

 視界が真っ黒に染まった。『何か』の影だ。『何か』、殺気の根源が、私の目の前にいる。

 コウモリのような羽を大きく広げ、青い瞳の瞳孔は猫のように細く、血走った目で私を睨んでいる。大きく右手を振りかぶり、その手には鉄球のついた鎖を握っていた。

「ひっ!」

 背骨が氷のように冷たくなった。いや、違う。氷よりももっと冷たい。感じたことの無いような寒気がするのに、心臓はうるさいくらいに血の巡りを速めている。

 殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される


 その言葉で頭の中が塗りつぶされた。

 13 >>215

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.215 )
日時: 2021/12/22 20:06
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 7xmoQBau)

 13

 何かしないと、殺される。えっと、えっと。

『…………!!』

 私はまたあの不思議な呪文を唱えた。でも、何も変化がない。
 どうして?!

 その人は鉄球を叩きつけた。自分よりも少し大きい、光を反射しない重い黒色の鉄球を風船でも扱うかのように軽々と操る。

 ぶおんっ

 風を斬る音がした。
 けれど、それだけだった。それは私に何の危害も与えることは無かった。
 私の目の前で、空気は波紋を描いていた。空中に停止した鉄球を中心に、まるで池に石を投げ込んだ時に出来るような、『水面に起こるような波』が揺れていた。

 なに、これ。

「チッ」

 その人は舌打ちをして、鎖から手を離した。すると鎖は霧散し、空気の揺れも収まった。

「なあ、真白さん」

 その人は髪をかきあげた。曇った空の隙間から顔を出した太陽の光に反射し、水色の髪が綺麗に光る。

「お前、殺されても文句言うなよ」

 私は、初めて見た。その人──笹木野さんの、本気で怒った表情を。ダンジョンで剣士さん達に怒った時よりも怒ってる。びりびりとした、それでいて静かな熱い空気が伝わる。

 ……いいな。花園さんには、怒ってくれる人がいるんだもの。羨ましい。

『人間よ、一度降りるぞ。空中戦は不利じゃ。妾はひとまずペンダントに戻る。着地は先程の【吸収】でどうにかせよ!』

【吸収】って、さっきの波紋のこと?
 そう質問する暇もなく、私は宙に置いてけぼりにされた。ほんの一瞬前まで学園の上空に悠々と浮いていたレヴィアタンの巨体は消え失せ、代わりにちっぽけな私一人が残された。

「ひゃあああああああああっ!!」

 今度こそ落下する。しかも、いまは第三館が崩壊した時よりも高い位置にいる。このまま地面に叩きつけられたら骨も残らない。粉々に砕けちゃう!

 笹木野さんは私を追ってきた。空気を蹴るような勢いで私に近づき、そして、魔法を放った。

『【黒雨】』

 どろりと血が垂れるような声がぬるりと重く響いた。
 無数の十字架が出現し、私に向かって降ってきた。十字架の大きさはまばらで統一感がない。私の全長と同じくらいのものもあれば、針のように小さなものまである。

 それらが一斉に降り注ぐ。光を吸い込むような闇色の雨。

『……!』

 私はまた呪文を唱えた。着地のことも考えないといけないし、なにより、着地するまでに自分の命があるのかどうかも分からない。
 カタカタと歯が揺れて、音がする。体が震える。ちゃんと呪文を唱えられているのかどうかも分からない。

 14 >>216

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.216 )
日時: 2021/07/23 22:48
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 8S3KaQGB)

 14

 私の目の前に大量の円が広がった。十字架の先端を中心とした円が、無数に、広範囲に出現する。そしてその円はどんどん増えていく。やがて目の前は静止した十字架に埋め尽くされ、真っ黒に塗り潰される。
 私は【吸収】を行った状態を保ち、落下を続けた。
 十字架はこれで大丈夫。よかった。〔邪神の子〕と呼ばれている笹木野さんでも、悪魔の力には適わないんだ。よかった。

 ……。

 ちょっと待って、〔邪神の子〕?

 私はたった今自分が思い浮かべた言葉に、引っ掛かりを覚えた。
〔邪神の子〕。そんな大層な異名は、そう簡単には付けられない。風の噂で蔑称として呼ばれているということは聞いたことがあるけれど、それでも笹木野さんが桁外れな才能を持っているから、という理由も大きいはずだ。

 そしてある地域では、悪魔も鬼も同列に考えられているんだとか。
 笹木野さんは吸血鬼の家系。吸血鬼とは、血を吸う〈鬼〉だ。さらに笹木野さんは、その吸血鬼の一族から見ても飛び抜けて優秀。
 ということはつまり。

 この魔法に対抗する術を、持っている可能性がある。
『そうじゃな、否定は出来ん。そもそもとして魔法とは力こそすべてという概念が根本にある。相性の悪い属性持ち同士が戦っても、その相性の悪さを覆せるほどの力を持っていれば勝利出来るのじゃ』

 レヴィアタンの言葉は、私に届いていなかった。
 何かを言っている。
 それだけを、ようやく理解することが出来た。

 恐怖が少しずつ心に積もっていった。

 いや、大丈夫だ。だって笹木野さんはただの吸血鬼。対してこっちは大罪を司る大悪魔。いくら吸血鬼五大勢力の一つの家系の血が流れているからって、その差は大したことではない。私を脅かす程のものでは無い。

 私の恐怖心が招いたのか、本当に笹木野さんの力が絶大だったのか、それともその両方か、私はわからなかった。
 けれど、起こったことは事実だ。

『…………』

 笹木野さんが呪文を唱えた。それは聞き取れないものであったにもかかわらず、私が使ったものとは別物であるということが本能的にわかったけれど、同時に、私が使ったものと『よく似ている呪文』であるということも、本能的にわかった。

 十字架の先端を中心に描かれていた波紋がおさまり、十字架がカチカチと震え始めた。そしてその震えは次第に大きくなり、そして、

 そらに、ヒビが入った。

 15 >>217

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.217 )
日時: 2021/07/24 11:57
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: JMwG2Hoo)

 15

 ガシャアン!!

 大きな音が辺りにばらまかれ、粉々に砕けた宙の破片は霧散する。
 遮るものが何も無くなった十字架は、今度こそ私を貫くために私に向かってきた。

『……!』

 呪文を叫ぶけれど、何回も何回も宙の破片が散らばるだけで、もう【吸収】が起こることは無かった。

 直線的に、音もなく、巨大な十字架が、私を貫いた。

 場所は腹部。もちろん、血が噴き出した。飛び散った自分の血は足や顔といった端の方まで到達するほどの勢いを持っている。噴き出した血のほとんどは、お腹から背中から、どろりと地上に落ちていく。

 十字架は、今も降り続け、私の体に穴を開ける。

 体に刺さっている部分の十字架から、無数の棘が出てくるのがわかった。それらは肉を刺して血管に潜り込み、血管の中を走る。

 喉が燃えるように熱くなり、ゴポゴポと音をたてて血が逆流してきた。血管が破裂したらしい。不快な鉄の味が口の中に溢れ返り、そしてこぼれる。気管にも入り込んでしまったようで、私は咳き込んだ。

「げほっ、げほっ、うぁ……」

 不思議と痛みは感じなかった。代わりに、何も感じなかった。体に触れる空気の感触も、空気を切る音も。心做しか、視界も霞んで見えてきた。ただ一つ、じくじくとした感覚が身体中に広がっていた。もしかして、これが『痛み』なのかな。

 私、死ぬのかな?
 これだけ血を流せば、人は死ぬよね。悪魔と契約したとはいえ、私自身はただの人間なんだから。

 やっと、楽になれるのだろうか。誰にも愛されず、必要とされず、何も得られなくて、最後には悪魔とも契約してしまったこんな人生が、やっと終わるのだろうか。いや、楽にはなれないだろうな。私はきっと、地獄に堕ちる。

『何を言うておるのじゃ。其方は死なんぞ?』

 え?

『そうじゃな、簡単に言えば、其方は悪魔になったんじゃよ。妾と契約したことによってな。厳密には違うがの。
 悪魔とて死んだり消滅したりすることはある。しかし妾のような大悪魔になれば話は別じゃ。死してなお、妾達は蘇る。喜べ人間よ。其方は恐れるべき『死』というものをもう二度と恐れる必要が無いのじゃ。
 まあ、痛みはするし動けなくなることはあるがの。じゃがそれも些細なことじゃ』

 え?

 じゃあ、私はもう、『死ねない』の?
 何も手に入れられない私には、『死ぬ』しか残っていなかったのに。悪魔と契約しても、笹木野さんに負けているのに。

 …………。

 もう、どうでもいいや。もう、どうにでもなれ。

 私は全てを諦めて、そっと目を閉じた。

 16 >>218

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.218 )
日時: 2021/07/24 23:54
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: JMwG2Hoo)

 16

『白よ、慈愛を。大罪を犯した罪人に、慈悲の雨を』

 凛とした女性らしい声が、静かに聞こえた。その瞬間、辺りが真っ白になった。十字架は、全てその『白』に溶けるように消える。笹木野さんが、驚いたように目を見開いていた。
 血管を巡っていた棘も消えて、ふっと心が軽くなった。

 空も大地も真っ白になり、学園の姿も見えない。全く別の世界に来たのかと思ったけど、体は落下を続けている。どういうことなんだろう?

『宙を水とし浮の力。命を留める優しき手としてかの者を抱きとめよ』

 ワタシは、かなり地面に近づいていたと思う。今は消えちゃったけど、さっきまで学園の壁や窓なんかが見えていたし。だから、もうじき地面に衝突するんだと思っていた。のに。

 体の落下は、ふわりと緩んだ。まるで大きな手に支えられ、そして抱かれているような暖かな感覚がして、とても心が安らいだ。

 そして、誰かの腕の中へ。

 ……だれ?

 花園さんかなと思ったけど、違うみたい。だって、髪の色も瞳の色も全然違う。両方とも、周りと同じ真っ白だ。それになにより、ワタシは花園さんに向けて殺傷性の高い魔法を放った。だからこそ、笹木野さんはあれほどまでに怒ったのだ。

 いや、違う。これは多分、銀色だ。その人は、月のように冷たい、それでいて優しい光を宿した目をワタシに向けている。何故だかお母さんに守られているような安心感を抱き、強ばっていたワタシの体からは、いつの間にか力が抜けていた。お母さんなんて、知らないのに。

 さっきまでとは全然違う意味合いで、意識が朦朧としてきた。心の中にあった黒いモヤモヤが消えてなくなって、すごく気持ちが楽だ。
 このまま眠ってしまえれば、どれだけ幸せなことだろう。
 このまま死ねたなら……

 …………。

 17 >>219

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.219 )
日時: 2021/07/25 11:45
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: JMwG2Hoo)

 17

 口が上手く回らない。けれど、ワタシは言った。
「ど、うし、て、泣いて、る、の?」

 女性は、白色の肌に光の筋を浮かべていた。そして、ワタシのことを抱きしめる。
 女性の体は冷たかったけど、ワタシの心はぽかぽかした。

「ごめんなさい」

 震える声で、女性が言った。
 どうして謝るの?
「私達の争いに巻き込んでしまって、ごめんなさい」
 あらそい?
「貴女である必要はなかったのに。貴女は平穏に生きられたはずだったのに」
 息を殺して、それでも漏れてしまう女性の泣き声を、ワタシは近くで聞いていた。
「過ちを犯しているということはわかっているの。私は道を間違えた。貴女たちのことを愛せなくなってしまった。治そうと思えば思うほどに虚無感ばかりが増してしまうの。そして私は『また』、私のせいで人が不幸になってしまう」

 ごめんなさい、と、何度も何度も絞り出す。苦しそうで辛そうで、ワタシは聞いていたくなかった。

「大丈夫、ですよ」

 何が大丈夫なのか、ワタシ自身にもよくわからない。けれど、泣き止んで欲しかった。
 女性はワタシから体を離した。けれどワタシを抱いた姿勢はそのままに。女性は膝をつき、地面に座り込んだ。それから、右手をワタシの左頬に当てる。

「真白」

 くしゃくしゃに涙に歪んだ顔をして、女性は言った。

「生きててくれて、ありがとう」

 その言葉を聞いて、ワタシまで涙を流してしまった。
「えっ」
 女性のように綺麗には泣けない。ワタシは顔を涙に塗れさせてぐちゃぐちゃに泣いた。
「こんな世界に生まれても、いままでを生きててくれてありがとう。そして、ごめんなさい。私は『また』犠牲者を出してしまった。許してなんて言わないわ。でも、謝らせて欲しい」
 ふわりと冷たい女性の手が、そっとワタシの涙を拭う。

「ワ、タシ、生きてて、よかった、の?」

 何も無い、空っぽの人生を生きてきた。おばあちゃんもモナもキドも居たけど、仮染めの幸せだとしか感じたことがなかった。本物の『幸せ』を感じたことがなかった。
 本当の家族にも会えなくて、誰かに愛されていたとしても、愛を感じられなくて、誰を恨んだらいいのかわからなくて。

「もちろん。私は愛なんてわからないけれど、それでも私は、貴女が生きてきてくれて嬉しい」

 女性は言葉を続ける。

「せめてもの償いとして、貴女の最期に安らぎを与えます」


『お や す み な さ い』


 その声を最後に、ワタシの耳には何も聞こえなくなった。目の前が白い光で満ち溢れ、次第に身体中の感覚が薄れていく。体がふわふわと浮かぶような錯覚を覚え、

 そして『わたし』は……



     その時に、死んだんだ。

 18 >>220

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.220 )
日時: 2021/07/26 00:12
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: aOp/uujw)

 18

「死んだのか?」
「うん……意思は」
「そっか」
「…………」
「ごめん、おれもカッとなって」
「リュウは悪くない。そもそも、真白はあの時点でもう取り返しのつかないところまで来ていたから」
「……そう、だな。そうだよな」
「うん」

 気持ちが悪い。何故いつまでも他人の腕の中に居続けなければならぬのか。
 いや、待てよ。今なら此奴に不意打ちをかけられるのではないだろうか。先程から見ている限り、此奴は暇つぶしにちょうどいい相手に思える。

 妾は白銀の少女の腕を掴み、【吸収】により蓄積していたこれまでのダメージを少女の体に送り込んだ。腕がぼんやりと青い炎に包まれ、そして燃え盛り体全てを覆い尽くす。

「お前っ!」

 吸血鬼が叫んだが、妾は構わず白銀の少女から、飛び上がって距離をとった。どうせあの程度で死にはせん。少しでもダメージを負わせられればそれで良い。
 幸い、地面のようなもの、足をつけられる部分はあったようだ。吸血鬼はその羽で浮いているようだし、この空間は白銀の少女の【支配下】にあるから、もしかすれば無限の底へ落ちてしまうかと思ったが。その時は本来の姿に戻れば良いと思うとったが、その必要はなさそうじゃ。

 しかしやはり、この真っ白な空間は変じゃ。地面はあるし足が地に着けば摩擦も起こる。じゃが、摩擦による音は鳴らなかった。
 まずはこの空間から出る方法を考えねばならんな。

「ふうむ……」

 妾は数秒考えた後、無詠唱魔法により体を浮かせた。地面とそらの区別がつかないほど視界のどこも白いこの場所で足をつけているのは、なんとなく落ち着かない。
 と、魔法を使ったところで気がついた。

 魔法が、使いにくい?

 魔法を発動するときの魔力量に大差はない。ただ、魔法から発される『波』に奇妙な『ノイズ』が混ざっている。まるで妾の魔法から出てくる波とはまた別の波が混ざり合い、不協和音を奏でているような不愉快なノイズじゃ。
 忌々しい。一般的な魔法妨害の魔法は、大抵は消費魔力を増やすことで打ち破れると言うのに。

 まあ、つまりこの少女が『こんな魔法を使うことが出来る』という情報が得られたということじゃ。お陰で確証が持てたのじゃから、ひとまずそれでよしとしよう。

 19 >>221

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.221 )
日時: 2021/08/01 11:33
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: NGqJzUpF)

 19

 青い炎は静かに消えた。白銀の少女は平然とした表情を保ち、それを見る限り、ダメージを負ったようには感じない。
 なるほどな。白銀の少女はダメージを分解したようじゃ。そんなことも出来るのじゃな、面白い。

「む?」

 白銀の少女がキラキラとした光に包まれた。そして『白』が溶けるようにして剥がれていき、元の金髪が顕になる。肌もやや黄色味を帯び、神々しささえ感じさせていた容姿が、一気に人間らしくなった。
 ただし、肌には黒いモヤが絡みついておった。それは先程『器の主』が放った【害物排除】にまとわりついていたものとよく似ている。

 この白い空間も、みるみるうちに溶けて消えていった。妾が自ら壊さずとも、少女に限界がきたようじゃ。
 次第に雲一つ浮かばない青い空が表れた。今にも雨が降りそうだった曇り空がカラリとした快晴になっているのは、この少女の力か、それともただ単に時間が経っただけなのか。
 もはや瓦礫と化した建物には、もう水柱は立っていなかった。解除したつもりはなかったが、先程の空間に取り込まれた時点で外部との接続が強制的に絶たれていたのだろうと仮設すれば納得出来る。
 ただし空気は湿っておった。これならば、まだこの場所は妾に味方しておる。

「ちょうどいい玩具じゃの。暇潰ししてやろう」

 自分の口角が自然に上がるのを自覚した。なんとも、運の良い事じゃ。まさか『神子』に遭遇するとは。
 前々から、うっすらとそうではないかと思っておったが、先程からの出来事によりそれは確証に変わった。

 しかし、変じゃな。彼奴はずっと反撃をして来ぬし、ほとんど言葉も発しておらん。器の主に「降参しろ」と言っておきながら、特に何をするでもなく曖昧に戦いは終了した。

 わからぬ。彼奴は何を思っておるのか。
 ……面白い。ここはひとつ、彼奴の心を揺さぶってみるとしよう。弱点はわかっておる。

 妾はおうぎを【アイテムボックス】から出した。妾の鱗を用いたもので、濃厚な魔力が込められてある。それを広げ、口元に持っていく。うむ、やはりこれがあるとないとでは違うの。これがないと落ち着かぬ。

「のう、お主」

 妾は神子と吸血鬼にほんの少しだけ近づき、神子に向けて、声をかけた。

「其方、『真子まこ』じゃな?」

 20 >>222

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.222 )
日時: 2021/08/01 23:20
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: g./NUPz6)

 20

「確認してるなら、その必要は無い」
 真子が口を開いた。隣の驚いたような──絶望したような顔をした吸血鬼から目を背けるようにして、妾と視線を交える。
「その言葉、肯定と取るぞ」
「それを知ってどうするの」
 真子は至極面倒臭そうな雰囲気を隠すことなく表に出し、立ち上がった。

「妾は長命故に退屈なのじゃ。暇潰しに付き合ってもらおうと思っての。妾の相手を出来る者は限られておる。この機会は是非とも活かしたいのじゃ。
 この器の主の体に慣れるためにもな」

 哀れな娘じゃ。契約書の文字さえ読めていれば、あるいは妾に契約書の内容を聞かせるように言っていれば、こんなことにはならなかったやもしれぬのに。愚かよの。悪魔との契約には代償が付き物であるということを知らなかったのじゃろうか。あの様子だと、そのようじゃったな。

 普段であれば正義感の強い者や器の主と親しい者に憤慨されて激しい魔法のぶつけあいが行われるのじゃが、どうやらこの二人は違ったようじゃ。真子は相変わらず無表情で静かにその場に佇んでおる。吸血鬼は、まあ、それどころではないようじゃな。

「真子? 真子ってなんだ?」

 ぶつぶつと声が聞こえる。どうやら真子は自身のことを吸血鬼に知らせていないようじゃ。
「〔真子〕とは、特別な神子のことじゃ。世界に一人しか存在せぬ。ほかの神子は、皆〔偽子〕と呼ばれておる。其方もそうじゃ。神子がなんたるかくらいは、其方も知っておるであろう?」
 吸血鬼が何かを言う前に、真子の顔色が変わった。意図して伝えていなかったのか。『噂』に聞いていた通りじゃ。真子はあの吸血鬼が『お気に入り』らしい。

 ならば。

「おしゃべりも楽しいのう。もっと妾を楽しませるのじゃ!」

 妾は空高く上がってから、氷の礫を降らせた。そしてその上から氷柱つらら。空気中の水分を凍らせ霜を降ろし、真子たちの視界を邪魔する。

『【闇】』

 首を絞められるような錯覚を覚えさせる声が、耳元で木霊するように囁いた。なんとも不思議な声じゃ。

『【雪室イグルー】!!』

 あの吸血鬼の魔法じゃな。自身の体から吹き出した具現化された黒い魔力を自らに巻き付け、簡易なドームを作る魔法。今回の場合は半径三メートルほどの、術者──吸血鬼の魔力保有量を考えると小さなものじゃった。しかし手を抜いているという訳でもない。強度はなかなかのもので、氷柱が突き刺さってもヒビがはいっているようには見えない。

「ん?」

 妾は『ありえないもの』を見た気がして、目を凝らして『それ』を見た。小型のドームから溢れ出る具現化された大量の黒い魔力のもやから、ほんの少しだけ赤いもやが混ざっている。

 なんと、まさか本当に存在するとは。『あれ』は伝説であるか、そうでなくても『この世界ではない』と思っていたのに。

 21 >>223

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.223 )
日時: 2021/08/02 22:57
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: .bb/xHHq)

 21

 驚愕と興奮が混ざり合う感情の高揚がなんとも心地よい。このような感覚は数百年ぶりじゃ。それも致し方ないことよ。誰が『真子』よりも珍しい『ひとり』に出会えると思うであろうか。
 なるほど。では何故真子が吸血鬼に固執するのかが理解出来る。独とは真子にとって重要な『道具』なのじゃから。失うことの出来ない、大切な、唯一無二の『道具』。

 妾は氷柱を落とすのを止めた。警戒しているのか防御魔法は解除されない。しかしそれは問題ではない。妾はドームに近寄り、それに触れた。ごうんごうんと魔力の渦巻く感触が伝わる。そのくせにドームはやけに冷たく、そして熱い。黒いもやが妾を取り込もうと巻き付いてくる。
 じわりじわりと触れた右手を蛇のように這い上がり、やがてもやは妾の首に到達する──その前に、妾は念じた。

【吸収】

 ぱあんっ!

 大きな破裂音と共に、ドームが弾け飛んだ。驚いた表情をした独であったが、すぐに顔を引き締めあまり動けないらしい真子を庇うように妾の前に立ちはだかった。妾の目的は他でもない独自身であったのじゃが。まあ都合が良いことは確かじゃ。すぐに逃げられなかったことはありがたい。

 妾は少し身体を浮かしたまま、そっと独の両頬に手を触れた。器は全長がやや小さいため、浮かねば手がきちんと届かないのじゃ。

「哀れじゃのお。其方は真子のことをこよなく愛しておるというのに、真子は其方を道具としてしか見ておらん。何を伝えられるというだけでもなく、ただひたすら一方的にに一人を想い続けることがどれだけ苦しいであろう、辛いであろう。其方は名の通り、『独り』なのじゃな」

「ひ、とり……?」

 独は妾の言葉を呆然と繰り返した。心做しかその声は震えている。

「違う!」

 真子が叫んだ。

「道具じゃない! 私は『あんなもの』に興味はない! 私は……私は、リュウだから『ここ』に『連れてきた』の!」

 真子が初めて見せた明確な怒りは、何処と無く必死さを感じさせた。ほんの僅かに目尻に涙を浮かべ、下唇をぐっと噛んでいる。
「言葉ではなんとでも言えるであろう。現に、お主は独に何かを伝えておるのか? 見たところ、隠し事ばかりのように思えるぞ?」
「それは……」
「離れていく一片の不安があるのではないか? そんな『お互いが足を引っ張り合う関係』で、よくもここまで来れたものじゃのお。不思議なこともあるものじゃ」

 22 >>224

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.224 )
日時: 2021/08/03 23:59
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: Z6QTFmvl)

 22

「くくくっ」

 妾は自分の口が笑みに歪むのをこらえきれなかった。どうしてこんなにも分かりやすく表情を変えるのか。独はともかく真子までも。

 嗚呼可笑しい。これほど愉快なことがこれまでにあったであろうか、否。あれだけどんな言葉を投げ掛けても眉ひとつ動かさなかった真子が、こんなちっぽけな独のことになると目に見えてわかるほど動揺しておる。
 いくら真子とはいえあの済ました態度は如何せん気に食わなかった。一泡吹かせたようで気分が良い。そろそろ此奴らも感情に任せて攻撃を仕掛けてくる頃合であろうし、今日のところは引くとするかの。

 そう思い独の頬から手を離したその瞬間に、遠くからおなごの声がした。

「花園君! 救援が来た!」
 彼女は、そうじゃ、学園長であったかの? 会うのは久方ぶりじゃ。この間まで顔など忘れておったわ。この器に出会わなければ思い出すこともなかったじゃろうに。
「とにかく引きなさい! 君の力がバレる前に……」

 おなごの言葉はそこで切れた。無理もない。近距離に居るとはいえこの大罪の悪魔であるこの妾ですらこの『気』には寒気を覚えた。遠く──目算五十メートル向こうの瓦礫の先に居る彼奴はただの、ではないが人間、に近い存在じゃ。おそらく、多分。彼奴は人間ばけものじゃ。この邪悪な気に当てられても不思議ではない。

「……や、だ」
 状況を確認するために邪悪な気の根源である真子の様子を見るよりも先に、妾の喉元に真子の手があった。手には全てを吸い込むような混沌の闇に覆われており、妾の首を締め上げようとしているのはむしろそちらだった。

「ぐ……あ……」
 しまった。油断した。そうであった、真子とは本来こういう『無敵の怪物』じゃ。いくら力が弱まっているとはいえ真子の敗北を他の何でもない『世界』が認めん。

「こ ろ す」

 世界に愛され世界に呪われ、そして世界に囚われた哀れな少女。それが真子じゃ。
 真子の瞳はどす黒い闇に染まりきっておった。いや、実際の色は変わっておらんが、そう錯覚してしまう。真子の本来の力である『黒の力』ではない別の黒い炎の形をした具現化された『何か』が真子の体を覆い尽くし、そして潰そうとしている。真子はそれを拒む素振りなど見せずむしろ受け入れ、そして妾を……殺そうとしている。

 瞳孔は開いておらず──極限まで細まっている。真子は至って平静じゃ。

 嗚呼、そうじゃ。この真子は特別なのじゃ。他者を『虐げる』でもなく『甚振いたぶる』でもなく、『苦しめる』ことを知った、特別な。

 真子たね

 23 >>225

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.225 )
日時: 2021/08/04 23:01
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: sLuITfo7)

 23

「ひ、なた……?」
 独は困惑した様子でぼんやりと真子を見つめていた。が、すぐにハッと我に返り、真子の名を叫んだ。
「日向!!」
 そして伸ばされた独の手を、真子を包む黒いもやは拒んだ。いや、正確には違う。独の手はもやに取り込まれようとしていた。けれど完全に埋もれる前にパチリと火花のようなものが散って、独の手ともやを引き離すのじゃ。

 一瞬だけ驚いたように自分の手を見つめた独であったが、すぐに顔を、そして目を真子に向ける。
「日向、人が来る! 早くここから離れよう!」
 物理でその場から引き剥がすことを諦めた独は、言葉で真子を動かすことにしたようじゃ。
 しかし残念。真子は独の言葉など聞いておらぬ。やけに冷えた、それでいて殺気に満ち溢れた目は妾を捉えたままピクリとも動かない。妾の首にまとわりついたもやは首を締める力を益々強め、首からはミシミシと音が伝わってきておった。

 これはまずい。

 本能なのか直感か、どちらなのかは分からぬが、とにかく妾はそう思った。このままでは殺されることはなくともしばらくの間世界から消されてしまう。折角利用のしがいがある器を手に入れたというのに、それも全てがパーになる。それはいただけない。

「か……あ……」

 掠れた声が僅かに口から溶けては消える。いっそのこと本来の姿に戻ろうか。まだ器に魂が馴染んでいない状態で戻るのは些か不安ではあるが、まあなんとかなるであろう。万が一だめだったとしても、器の代わりなぞいくらでも用意出来る。

 そう思い、妾は魂で念じた。元の姿に戻るように。いまにも身体中に鱗が浮き上がり、そして巨大化し、みるみるうちにこの妾よりも微かに大きな背丈の真子が米粒に変わる──

 はずだった。

 魔力が、無い。

 そんな、まさか! 魔力切れなど有り得ん。此奴ら程ではないにしろ、妾の魔力は底なしに近い。

 となると……おそらく……

 魔力を、吸われた?

 24 >>226

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.226 )
日時: 2021/08/06 08:15
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /48JlrDe)

 24

「はっ」

 乾いた笑いが口から漏れた。いやはや、やられた。
「バケモノ、か」
 魔力を奪われてしまえば、もう妾に勝ち目など残されておらん。なんせ本来の姿に戻れんのじゃから、この器の軟弱な体で丸腰で戦ったところで負けは確定じゃ。
 さて、どうしたものかの。

「尊き風の精霊よ──」

 朦朧としつつあった意識の中で、こんな呪文の一節を聞いた。

「花園君! 避けなさい!」

 その声の直後、剣のように鋭い切れ味を持った風が、妾と真子の間で渦を巻いた。下方から吹き上げる突風は妾の首に伸ばされた真子の手を浅く、そして無数に切り刻み……

 ぱあんっ!

 挙句、右手を吹き飛ばした。どうやらあの魔法が持つ切れ具合はまばらで、良いものもあれば悪いものもあるようじゃ。バラバラになったかつての真子の手から零れた皮膚片や血液がパラパラと上空から落ちてくる。
 銀色を帯びた、月のような弧を描いた風の刃は、いとも容易く真子の手にサクリと吸い込まれた。真子は一つの物事に集中すると周りが見えなくなる性分のようで、自身に迫り来る魔力に気づいていなかったようじゃ。でなければ真子があんな青二才の魔法を防ぎきれないはずがない。

 術者は、まだ若い男子おのこだった。黒に近い焦げ茶の肌に青い瞳、それからよく見かけるような冴えない金髪の、まあ及第点と言える程の容姿を持った男子じゃ。金髪といえば人間界の者達からすれば、見目麗しい者が備え持つ定番の髪色となっておるようじゃが、やはり種族で価値観は違うらしく、妾はこの目の前の真子を除き金髪を美しいと感じた試しがない。真子以外の持つ金髪は『金』ではなく『黄』じゃ。輝きを纏ってこその『金』じゃというのに、人間たちはそれをわかっておらん。

 青二才とは言ったものの、あの男子の体はそれなりに鍛えられているものじゃ。努力をしたものしか得られない筋肉量。努力をするには充実した環境や財力も必要となってくる。現代でそれらを揃えられるのは裕福な商人平民か貴族階級以上の一族のみじゃ。そしてあの魔法。気がそちらに回っていなかったとはいえ真子の手を吹き飛ばす威力を持った魔法を放てるほどの魔力を持っておるということは、おそらく王族じゃ。なによりあの黒い肌。服装などを見る限り、南国の出身の衣装ではないように思える。ああ、そういえば大昔、人間と血を混ぜた魔人の一族があったのう。その末裔か。

 さて片手を失った真子はというと、うむ、ようやく正気を取り戻したようで、黒いもやは収まり、目もどろりと濁った元の状態に戻っておった。更にはこの数分の記憶がないとでも言うように、失われた右手を見て首を傾げている。

「……?」

 真子の手は、綺麗に粉砕されていた。まず手が風の刃に当たり空高く舞い、そしてその後上空の刃に皮膚を裂かれ肉を切られ血管を破かれ、そして骨まで粉々にされた。その間僅か一秒にも満たない、人間にしては見事な攻撃魔法じゃ。まあ魔力は大幅に持っていかれたであろうが。察するところあの男子は学園側の人間であろうから、学園の生徒である真子を救うための不意打ち攻撃といったところか。それを言えば妾も見かけ上は学園生徒である『真白』のものじゃが、なんせ今の妾の纏う気は完全に悪魔のものじゃ。無意識の内に敵と認識されておったのじゃろうて。
 ならどうして真子の手が無くなっているのかという話なのじゃが、それは男子の力不足であり真子の不注意でもある。あのように切れ具合が不規則で広範囲に広がる魔法なら、守りたい者すら巻き込んでしまうし、真子は警告があったにも関わらず妾の首から手を離さなかった。聞こえておらんかったのじゃろうが。

「ひなた……?」

 中身のない空虚な声が、静かに空間に澄み渡った。独じゃ。瞳の中の瞳孔が大きく開かれ、元の青い色の九割が見えなくなってしまっておる。
「術者は、生徒会長、エールリヒ・ノルダン・シュヴェールト……」
 ぶつぶつとしきりに言葉を唱え続けるその姿には、先程の真子とよく似た狂気を感じさせた。

「王家と敵対関係になるのは、避けたい……じゃあ、バレないように……うん、おれなら出来る。それが可能」

 そうか、此奴らは、似た者同士なのじゃな。だからこそ、こうした不安定な仲でも、まるで天秤のように崩れずに保っていられるのじゃ。

「じゃあ、殺すか」

 殺気に溢れた独を見て、妾は無意識下の中で、ふと思った。



 そんな不安定な天秤が、いつまで持つものかのう?

 25 >>227

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.227 )
日時: 2021/08/05 23:34
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /48JlrDe)

 25

 真子はぼんやりと自分の血を浴びた後、ふと気づいたかのように左手を右手にかざした。ふわりと白いような青いような不思議な光が帯びて、その光に吸い寄せられるように、ふよふよと細かな粒子のような純白の光源が現れた。それは次第に真子の右手に集まり、少しずつ少しずつ、真子の右手を形作った。真子が左手を小さく振ると、その動きに合わせて光は消滅し、光源も無くなった。その代わりとでも言おうか、真子の右手は元通りに治っておった。流石は真子じゃ。この程度の回復魔法は無詠唱で行えるのか。
 魔法が正常に行われたかなど確認するまでもないとでも言うかのように、真子は何事も無かったかのように振舞った。いや、それが真子にとっては普通なのじゃろう。

 おっと、悠長に分析している場合ではなかった。真子の手は離れたし、独の意識はあの男子に向いておる。逃げるなら今がチャンスじゃ。妾は暇潰しに命をかけるような愚か者ではない。遊びは勝ちも負けもほとんど意味を為さないのじゃ。

「花園君! 避けなさい!」

 男子が言葉を繰り返した。

 風魔法を使って移動速度を上昇させたらしい男子が瞬く間に至近距離に迫っていた。魔力そのものは黒いもやから逃れたことによりそこそこ回復しておる。元の姿に戻ったり真子や独を相手をしたりするには到底足りないが、今の状態であればこの男子一人くらいならばすぐにねじ伏せられる。
 真子ならばともかく人間から逃げたというのは癪じゃ。妾は男子の剣をかわし男子の手に触れ、体内に含まれる水分を爆発させた。

 ぱあんっ!

 真子の手が破裂した時と同じような高い音が鳴り、男子の左手が消し飛んだ。体を消そうとしたのじゃが、まだ魔力がそこに至っておらんかったようじゃ。

「き、君は……」

 男子の表情が驚愕に歪んだ。そして直後にキッと妾を睨み、怒りのままに吠える。
「真白君、何をしているんだ?!」
 男子は妾が悪魔であるということに気づいていなかったようじゃ。なるほど、これは自己紹介をしておいた方が良さそうじゃ。向こうの方から女子おなごと男子、真子や独とよく行動を共にしていたややくすんだ淡い桃の髪の少女と、頭の頂点から毛先にかけて、赤に近い橙から黄と独特な髪色を持った少年が来た。その二人への自己紹介も兼ねて。

 調子の戻ってきた妾は扇子を広げ、体を上昇させた。口元を扇子で隠し、肌の所々に鱗を顕にする。

「申し遅れた。妾は『七つの大罪』がひとり、『嫉妬の大罪の悪魔〔レヴィアタン〕』。縁あって今はこの『真白』とやらの体に憑依しておる。これ以上の説明は不要であろう? 妾は充分楽しんだ故、これで立ち去ることにする」

 身体中に魔力を巡らせ、バキバキと音を鳴らし鱗が占める面積を増やす。

「さらばじゃ、人間。自らの役割も果たせん未熟者たちよ!」

 真子は民を導いておらず、独は自身のあるべき姿を追求せず、あの二人はおそらく男子がこちらに来るのを食い止めていたのであろうが出来ておらず、そして男子──あの王族は、確か生徒会長を務めていたはずじゃ。学園の生徒が悪魔と契約しそして意思を殺されたことを今まで知らず、そして今も気づいておらん。
 未熟者ばかりじゃ。この世界はもう、これ以上進化を遂げることは無いと言うのに、このままで良いのかのう?

 まあ、それは妾には関係の無いことよ。妾はこれまで通り、気ままな生活を送る。

 米粒同然と化した真子たちをはるか上空から見下ろし、妾は古巣へと飛び立った。

 第三章・Mashiro's story【完】