ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.228 )
- 日時: 2021/08/07 11:07
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: Mj3lSPuT)
0
ボクの何がいけなかったの? わかっていたなら、教えてよ。知っていたんでしょう? ねえ。
仕方ないじゃないか。ボクはこうすることしか出来なかったんだ。ボクはあの日──
1
「姉ちゃん! 学園から便りが来てるよー」
家の手紙受けに入っていたプリントを持って、リビングに居る姉ちゃんに渡した。
姉ちゃんの、天使と見違う輝かしい金髪が、朝の爽やかな光に当てられてキラキラと光る。まるで光の精霊が祝福しているかのような神々しい光景は、八年ぶりに再び暮らし始めたばかりのボクの目にはまだ慣れない。
そしてその輝きの中、不釣り合いとも呼べるほど虚ろな青と白の瞳が、ボクを見た。
「うん」
姉ちゃんはボクからプリントを受け取ると、五秒後にボクに返した。
「朝日も、目を通しておいて」
「わかった」
驚くことなんて何も無い。姉ちゃんは十歳の頃、千ページに及ぶ魔法専門書を一日で読破したことがある。始めこそ驚いていたものの、次第に姉ちゃんが様々な面において優れた、いわゆる『天才』であることを知り、なんとも思わなくなった。
姉ちゃんは自身が優れていることを周囲に知らせたがらないが、ボクには今みたいに包み隠さず見せてくれる。それが嬉しくもあり、同時に姉ちゃんを周りに自慢出来ないのが時々悔しい。
プリントの内容は、二週間バケガクを閉鎖する、というものだった。一週間ほど前にバケガクが所有する敷地内に存在すると建物のほとんどが崩壊するという事件があり、それから生徒は自宅待機をするよう知らされ、ようやくこれからどうするかなどの詳細が決まったらしい。
なんでも、生徒会長である北国の王太子の左腕がその事件の中で失われたらしく、主に政治絡みや責任があるどうのこうのといった話でなかなか会議が速やかに行われなかったらしい。ただでさえバケガクというのは世界中から、平民から王族、さらには多種族の生徒が集まる学園なので各国の重役と話を進めなければならないので、こういった大規模な問題が起こると解決に時間がかかるらしい。
これは同じクラスの、えーっと、友達もどきから聞いた話だ。こういう時、噂というものは距離や時間などお構い無しに広がるものなのだと再認識させられる。
……八年前、いや、九年前のあの事件も、あっという間に世界中に浸透したなあ。
「あ、そうだ! 姉ちゃん、これ」
そう言いつつ、ボクは姉ちゃんに手紙を渡した。白い封筒にバケガクのエンブレムを模した封蝋が押された手紙だ。表には『花園日向様』と記されている。
「じゃあ朝ごはんの用意するね」
「うん」
本人は何も言ってくれないけれど、あの事件に姉ちゃんは直接関わっている。ボクはそれを知っている。多分内容は当事者から直接話を聞きたいだとか、そんなところだろうか。もしそうだとしたら、アイツも……。
『大丈夫』
ボクは口だけを動かして、心臓が激しく脈を刻む前に、狂う感情を収めた。
2 >>229
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.229 )
- 日時: 2021/08/07 19:11
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /GGwJ7ib)
2
「ご馳走様」
姉ちゃんが言うと、ボクはすかさず質問を投げかける。
「美味しかった?」
返ってくる返事は分かりきっているけれど、それでも、聞きたいと思ってしまうのだ。
「うん」
「へへ、嬉しい!」
今日は焼き魚や白ご飯や漬物なんかで皿の数が多いのだけど、姉ちゃんは全く音を立てずに自分が使ったお皿を流し台へ運んだ。昔、どうしてそんなに綺麗に運べるのかと尋ねたところ、数秒首を傾げ、「無意識」とだけ教えられた。
「出掛ける」
洗い物を終えた姉ちゃんはそう言ってボクの返事を待たずに、出掛ける準備をするため自室へ戻っていった。
どこに行くのかは、教えて貰えないんだ。まあ、知ってるけどさ。
姉ちゃんが出掛ける行先は、例外を除いて、冒険者ギルド、ダンジョン、そして時々バケガクの、計三つに絞られる。さっきの手紙から察するに、今日はおそらくバケガクだろう。流石の姉ちゃんもあんな大きな事件に関する呼び出しを無視することはしないらしい。
五分後。家の中から姉ちゃんの気配が消えた。姉ちゃんは普段から気配を消しているらしいけど、家の中ではたまに消さないでいるらしい。なんでも気配を消していると、急に現れた時にボクがびっくりしてしまうからなんだとか。つまり今こうしてボクが『姉ちゃんの気配が家から消えた』と感じたことは、裏を返せば『姉ちゃんがボクに出かけたことを伝えた』ということになるのだ。
「あれえ? 行かないの?」
まあ驚いていたのは昔の話で、今は『コイツ』の影響で随分慣れたものだけれど。
「行くに決まってるだろ。『アイツ』も居るかもしれないんだから」
コイツ──ジョーカーは、ボクがこの家にまた住み始めるようになってからも度々こんな風に突然現れる。姉ちゃんが結界を張っているはずなのに、だ。しかも自分がここに来た形跡を残さずに去る。認めたくはないが、ジョーカーが姉ちゃんよりも強いことはなんとなくわかる。まあ、どうでもいいことだけど。
「それならいーや。何があったかはちゃんと報告してね」
「は? それって例の件に関係あるの?」
ボクが言うと、ジョーカーは胡散臭い笑みを崩さずに言う。
「だから、君が関わっている件以外にも組織は色んなことしてるんだって。日向ちゃんとバケガクの学園長との関係はこっちでもあまり分かってないからさ。こっちとしては日向ちゃんが何をしに行くのかは、欲しい情報なんだよ」
そして、ボクに手紙を渡した。開封済みの手紙──さっきボクが姉ちゃんに渡した、バケガクからの手紙だ。
「いつの間に……姉ちゃんの部屋に入ったのか?!」
ボクが睨むと、ジョーカーは苦笑した。
「失礼だなぁ。変なことはしてないよ。それに君だって気になってたでしょー?」
悔しいが、事実だ。ボクは大人しく手紙を受け取り、中を見た。
『花園君へ
前置きは省いて、簡潔に記すよ。今日、学園まで来て欲しい。出来るだけ早く』
手紙に書かれていた文言は、たったこれだけだった。
「読めたぁ?」
ジョーカーはボクの返事を聞く前に、手紙に触れた。その瞬間、ボロボロと手紙はボクの手の中で崩れた。
「あれあれ? こんなことで驚いているのかなあ? 朝日くんも案外可愛いところあるね」
「うっさい」
大体、ボクは手紙が消えたことに驚いたんじゃない。姉ちゃんが、帰ってきた時に手紙がないことを訝しむんじゃないかと、心配しただけだ。
「だからあ、そこが可愛いって言ってるんでしょ」
「きも。心の中読まないでくれる」
「ひどいなあ。なんで君達姉弟はボクに対してそんなに辛辣なんだろうね。
あの手紙には、元々、対象の人物以外が読めない魔法と誰かが手紙を読んでしばらくしたら消滅する魔法が並列してかけられていたんだ。一つ目は術式を分解して、二つ目は発動を遅らせていたんだよ。だから手紙は消してもなんの問題もない」
術式を『破壊』するのではなく『分解』し、そして発動を『止める』のではなく『遅らせる』。確かにその方法なら術者に術式に手を加えたことを知られにくい。しかしその分高度な技術が必要となる。なんでこんなやつにそんなことが出来るんだろう。
「チッ」
「そういうことは誰も見てないところでしようね」
3 >>230
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.230 )
- 日時: 2021/08/08 09:03
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /GGwJ7ib)
3
あれから急いで支度をして、ボクはバケガクに向かっていた。姉ちゃんの飛行速度は速いから、ボクが追いつくことは無いだろう。
「ん?」
ボクは一度止まった。簡易な柵でバケガクの所有する敷地がぐるりと囲われていたのだ。柵の向こうには、無惨に破壊し尽くされた森の木々と、ぼんやりと遠くに見える崩壊し放置された元々壁であったり屋根であったりした瓦礫があった。
柵の前には点々と見張りらしき人が立っている。そのほとんどが屈強な男で、それ以外でも、新聞でたまに見かけるどこかの国の騎士団に所属する間違えても下っ端ではない面々が揃っていた。上空には見るからに魔法により生み出された鳥の形をした仮想生物(本当の生物ではない、形と役割だけを持った魔力の塊。役割は形作る魔力によって異なる)が大量に飛び交っている。あれで情報疎通を行っているようだ。
「……ふうん」
随分と大層な守りだ。何かあるのは間違いない。
まあそれは後でわかるだろうと自分の心に区切りをつけて、ボクは前進を再開した。
ボクは今、ジョーカーに渡された無色の魔法石を持っている。これは術者が自分の魔力を込めて用途を定めるタイプのもので、仮想生物とよく似ている。仮想生物はその形から作らなければならず、その上特定の魔力のみで作る必要がある。魔法石は元から存在する物に魔力を込めるだけでいいが、その魔法石が耐えられる量・種類の魔力を込める必要がある。どちらが難易度が高いのかと言われると悩ましいところで、「時と場合による」が正当だろう。
ブレザーの内ポケットの中から、安っぽいビーズのような大きさと形の魔法石を取り出した。手のひらに乗せてみると、確かに、微かにではあるが魔力を感じる。これを受け取った当初は何も感じなかったが、最近になってようやく魔力を感じ取る力が着いてきた。
『知ってるかい? この地上に住む魔法使いと、魔法使いを超越した存在が使う魔法の違い』
ジョーカーは、姉ちゃんを相手に行動するなら直接的な魔法の使い方だけではなく魔法や魔力の根本の仕組みなんかも学んでおいた方がいいと、ボクが聞いてもいないことをペラペラと喋る時がある。
『え、わからない? 魔法の量を操るか、魔法の質を操るか、だよー。魔法の質を操ることが出来たらそれはもう、神様の域だよねぇ。
まあ、それが出来ないカミサマも一人……いや、これはまだ早いね。機会があれば話してあげるよぉ』
それにしても、この守りの中誰にも気付かれずに入れるだなんて、ね。自分で大口叩くだけあるや。
この魔法石には、【意識阻害】【百里眼】【聴域拡大】の三つの魔力が込められている。【意識阻害】は今のように自分の存在を周りに認知されない力。【百里眼】は【千里眼】をいじったもので、一キロメートル範囲内であれば自由に視界を操作できる力。【聴域拡大】は視界に収まる距離、正確には意識的に目に入れてる範囲の音を拾える力。三つもの魔力、しかもこの大人数に通用する魔力にこんなちっちゃな石が耐えているのかと思うと、半ば信じ難い心境に駆られる。
『見て分かると思うけど、ボクはかなりの手練だからねぇ。そんじょそこらの奴にはその石の効果をガード出来ないよぉ。まあ万が一バレても【意識阻害】は誰でも使えるような初歩的な魔法だし、他の二つは正式に世に認知されてないから問題無し。だいじょぶだいじょぶ。
あ、でも、流石に日向ちゃんとかりゅーくんとかは長時間は無理だよ? あー、りゅーくんは大丈夫かな? あまり彼のこと知らないんだよねぇ。ま、よろしくー』
この魔法石は何かと便利に使える。ジョーカーの手を借りているという事実は癪だけど、今回もお世話になるだろうな。
4 >>231
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.231 )
- 日時: 2021/08/08 21:30
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: a0p/ia.h)
4
【スキル・魔力探知・波動パターン識別・発動】
見渡す限り瓦礫、瓦礫、瓦礫。始めは目星を付けて探していたものの、痺れを切らしてスキルを使うことにした。
ボクの使うこのスキルは一般的なものとは少し違う。本来の【魔力探知】は自分の魔力を周囲に満たし、他者の魔力の波動を感じ取ることで『何処に何がいるのか』を把握するもので、特定の人物を探すに至るまではかなりレベルを上げなければならない。だけどボクのスキル【魔力探知・波動パターン識別】は『自分が記憶した魔力の波動パターン』を探ることにより、『特定の一人』を見つけ出すことが出来る。ただしこれは裏を返せば一人一人のパターンを完璧に記憶しなければ使えない裏技なので、ボクは姉ちゃんを探すことにしか使えない。
意識を『一人一人が放つ魔力』に集中させるために、ボクは目を閉じた。この時に言う魔力というのは『魔法を使うために世界にアクセスする力』ではなく『精霊を寄せつける力』のことで、これは魔法を使えない種族にも備わっている。これはどうしてかというと、生物であろうと無生物であろうとこの世に存在する全てのものは創造神の創造物であるから、創造神の生み出した精霊の庇護下にあるんだとか。
ちなみにこの魔力は質とか量とか、強いとか弱いとかはなく、ただ波動のパターンが人によって違うというだけらしい。しかしそのパターンを覚えるのは至難の業で、それは人が寄せつける精霊の種類は数千万に及ぶためだ。故に複数人のパターンを覚えようとすると情報過多で頭がショートしてしまう。
でも、姉ちゃんなら。姉ちゃんなら、色んな人のパターンを覚えていたりするのかな。このスキルを教えてくれたのも姉ちゃんだったし。
こういったスキルを発動するのに使うのも、この魔力だ。ボクは魔力を『満たす』のではなく全域に『飛ばし』、数多の波動パターンの中から姉ちゃんのものを探し始めた。
本来のものであれば魔力は『触覚』として扱うのだが、ボクの場合は『視覚』として扱う。感覚的に探すといった面では共通しているので具体的にこの違いを説明するのは難しい。姉ちゃんは「意識の違い」と言っていた。そんなことできちんと発動するのかと、昔のボクは思ったのだが、杞憂だった。
本来のスキルは自分よりもレベルの高い人には発動したことを気付かれてしまうことが多いのだが、ボクの使うスキルだと気付かれにくい。これが何故かと言うと、『触覚』だと触られた感覚がして気付きやすいけど、『視覚』だと触られるよりかは気付きにくい、らしい。しかも凝視するわけでなくサラッと見て回るだけなので、余計に分かりにくいんだとか。
【魔力探知】は『視る』数が多いと情報の量に頭が耐え切れなくなるのでかなりの経験を積む必要があり、実際に使えるようになるにはレベルは少なくとも5に達していないと使えない。しかし【魔力探知・波動パターン識別】は違う。数はあまり問題とせず、ただ目的の波動パターンを探せばいい。
「……いた」
かつてのバケガク本館よりも敷地の奥にある図書館の中に、姉ちゃんはいる。そうか、図書館や特別倉庫なんかは無事なんだっけ。確か重要な物が保管されている場所には特別な結界が張られているらしいから、そのお陰で?
噂だと、光魔法の使い手が魔法障壁を張ったって聞いたけど。結界は確かに今の技術じゃ再現出来ないほど強力だけど、古代の魔法を用いて張られたものだから、同じ古代の存在である悪魔、しかも『大罪の悪魔』相手だといくら結界でももたないからと周りの「危険だ」という警告を無視した男子生徒がいるらしい。
その時、水柱を大量に出現させた術者が大罪の悪魔の契約者だとは分かっていなかった。真白が誰かに話していない限り、戦闘になっていた場所にいた姉ちゃんと笹木野龍馬と学園長と真白の四人、そして真白をけしかけたボクくらいしか、バケガク内であの魔法が大罪の悪魔の魔力によるものだということを知る者はいなかったはずだ。
つまりその男子生徒は、魔力から術者を特定したということ。そんなことが出来て、かつ大罪の悪魔の力に対抗する魔法障壁を展開できる奴なんて──おそらく、東蘭。あいつならそれが出来るんだろう。あいつは同じ天陽族ということもあって幼い頃から色んな噂が流れてきた。一族きっての才児だとか神童だとか、かと思えば一族の力【解呪】を操れずに落ちぶれたとか。それでもあいつの力はとにかく強く、気性に合っている魔法であれば制御も完璧に行えるらしい。
「……」
『大丈夫』
ボクは大丈夫だ。ボクは姉ちゃんさえいればいい。
そうだろう、ボク?
5 >>232
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.232 )
- 日時: 2021/08/09 11:08
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: a0p/ia.h)
5
ボクは正門の上をほうきで通ると、人影の少ないところで降りた。【意識阻害】はあくまで他者の意識を自分に向けにくくするだけで、自分自身が透明になったり存在そのものが無くなったりする訳では無い。歩けば足音が鳴るし、魔力の流れも感知される。
こうした守りに当てられる人材は五感や魔法感覚に限らず色んな感覚が研ぎ澄まされていることが予想される。確かにボクは動けば何かしらの音を鳴らす。音なく長距離を移動出来るような技術は備わっていない。けれど意識して気をつける程度なら出来る。ほうきで移動すると嫌でも魔力が流れてしまう。ボクが見張りよりも圧倒的に経験や技術が劣っている以上、こうした場面では自分自身の体で、魔法やスキルなしで動いた方がいいのだ。
ほうきを『アイテムボックス』にしまい先に進む。瓦礫は大きいものも多く、また、さっきの柵を越えて侵入してくるような輩はいないだろうと想定されているのか、数値的な人数はそこそこあるものの、配置としては一人一人の間隔が大きく、人目を避けることは容易だった。ただし見つかれば仮想生物の鳥を伝って一気に情報が拡散されるだろうから、油断は出来ない。
うーん。一応制服で来たけど、動きやすい格好の方が良かったかなあ? そういえばボクって金髪で目立つしなー。帽子くらい持ってきても良かったかも。
まあ今更後悔しても遅い。どうせ一旦家に戻るなんて出来ないんだし、頑張ろう。
「わあ、蝶がいる!」
えっ?!
「ぅ」
ボクは驚きのあまり声を出しそうになり、慌てて両手で口を押さえた。
は? 誰だ? 全然気配を感じなかった。音だって聞こえなかったし、なによりさっきまで周りには誰もいなかったじゃないか!
「あれ、これって仮想生物かー。侵入者を見つけるためのものかな? そっか、仮想生物って基本的に一つの命令しか下せないもんね。だから見張り用は情報伝達用とは別に用意しないといけないんだね」
ボクとそんなに年の変わらない女の子の声だった。元気が良くて姉ちゃんとは真逆のタイプ。なのにどうしてか不快にはならない、不思議な声だ。
「ああ、行っちゃった。頑張ってねー!」
ボクは物陰からそっと様子を伺った。女の子は向こうを向いていて顔は見えないが、ボクはひと目でそれが誰なのかわかった。
淡い、少し灰色の混ざったような桜色の髪──スナタだ。
なんであんな独り言を言ってるんだろう。癖なのか?
……ボクに見張り用の仮想生物がいることを教えたのだろうか。そんな、まさかね。
でも、ボクはあの蝶に気付いていなかった。ボクの瞳と同じ色をした萩色の蝶。見張りなだけありボクと同じ【意識阻害】を掛けられているようだ。効力はボクのものよりは劣るがそれなりに強い。認識出来れば次からは見えるようにはなるが、今のことがなければ気付かなかったかも。
まて。ということはスナタは蝶の【意識阻害】を破ったのか?
予想外だった。姉ちゃんのそばに居る三人の中で唯一一般人の平均並みの魔力や知能、そして身体能力を持った、良くも悪くも『普通』だったから、警戒対象から除外していたのだけれど。
一応ボクは昔から優秀だった。多分じいちゃんの血を素直に受け継いだのだと思う。新入生だからIVグループだけど、来年度からはⅢグループに昇級するだろうと先生にも言われたし。
なのに、そんなボクでも分からなかった蝶をスナタは気付いたのか? ボクはIVグループでスナタはⅢグループ。でもそれは在籍日数の違いじゃないのか?
「さーて、早く行かないと。多分わたしが最後だろうしね。学園長は何するつもりなのかな? まあ、大体検討は着くけど」
認めたくはないが、なんとなくスナタはボクにも気付いている気がする。でも、どうして? 媒体を通してではあるがジョーカーの魔法だぞ? 姉ちゃんとは違ってスナタは本当に魔力が一般平均くらいしかないからⅢグループなんだろうし、ジョーカーの魔法を破れるとは到底思えないんだけど。
ジョーカーなら何か知っているのかな。また聞いてみよう。
6 >>233
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.233 )
- 日時: 2021/08/09 15:01
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: a0p/ia.h)
6
わざわざ図書室に近寄らずとも、【百里眼】が使用可能になるエリアまで行けばそれでいいと思っていた。
でも!
蝶の数が多い!
人の配置がまばらだったのは、この蝶の存在が大きかったのだろう。意識して確認してみれば、鳥の倍近くの数の蝶が飛んでいる。瓦礫に隠れても蝶が近くにいるからすぐに移動しなければならない。しかも蝶そのものが小さく何処にいるのか瞬時に把握するのは少し難しいから常に気を張っておかなければならず、そろそろ疲れてきた。
けれど図書館に近付くにつれて蝶はおろか鳥の数も減っていき、代わりに人の数が増えてきている。
どうしてだろう。ここで姉ちゃんたちが話しているのなら、ここが一番警戒するべきところじゃないのか? さっきのスナタの言葉からしてもそれは予想される。人が増えるのは分かるが、蝶や鳥の数を減らす理由がわからない。
図書館とバケガク本館は中間に森がある。かなり大きい森で上空から見ると長細い形をしているが、真っ直ぐに横断しようとしても十分以上かかる。隠れながら進むので二十分はかかることを想定して進んでいる。
「く、あああぁぁ〜」
「おい、あくびなんかすんなよ!」
「そうだよ、もっとしっかりしなきゃ」
ボクが進んできた方向から三人組の男達が歩いてきた。軽装の兵服を着ているので、おそらく騎士団の下等兵かそこらだろう。
「あくびしたくもなるだろ。誰もいないのにずっと警戒し続けないといけないんだから」
「それが俺達の仕事だろうが!」
「まあ、言ってることはわかるけどね。でもここは鳥や蝶が近寄れないらしいから仕方ないよ。
でも、さっき入ってきた情報だとあと一時間か二時間で終わるって話だし、もうちょっとだよ」
これは、もしかすると何か情報が得られるかもしれない。もう少しここに居てみよう。
ずっと顔を出して三人の姿を見続けるわけにもいかないので、ボクと三人の距離は聞こえてくる足音だけで判断することにする。
「げぇぇ、あと二時間もあるのかー。
というかなんで仮想生物が近寄れないんだよ。結界があるのはあの建物だけで、ここら一帯に貼られてるわけでもないんだろ?」
「はあ?! お前、話聞いてなかったのか!」
「まあまあ、落ち着きなよ。喧嘩してるとまた上官に怒られるよ?
上官の話によると、自然と他人の魔力を弾く『膜』を展開してしまう魔法使いがいるらしいんだ。仮想生物は言ってしまえば魔力の塊だから、その『膜』の影響をもろに受けているんだろうね」
あれ、これって姉ちゃんの話じゃないか? でもおかしいな。姉ちゃんは普段その力を抑えているはずなのに。
「へえ、凄い奴もいるもんだな。それってつまり今回動員された魔術師の奴ら全員の魔力を弾いてるって事だよな? ということは魔術師以上の実力持ちか。」
「ってことは〔邪神の子〕か光障壁の才児のどっちかってことか! 確かにあの二人ならそのくらいのことやってのけそうだな!」
「光障壁の子って、それって東さんのこと? いや、違うと思うよ。対一人ならともかく、騎士団魔術師部隊の一隊全員の魔力を弾くなんて、それは魔道士クラスの実力がないと不可能だよ。でも、改めて考えてみるとそんな人いたかなあ?」
は?! 姉ちゃんとあの二人を一緒にするなよ!!
「今日ここに来た重要人物といえば、えーっと、学園長とスナタって女の子と光障壁の東くん? と白眼の花園日向だっけ? あれ、まだ〔邪神の子〕が来てないんだな」
「ああ、そういやさっき来たな、白眼。思い出しても気味わりぃや。なんであんな奴がいるんだろうな。いや昔の事件で存在することは知ってたけど、まさか会うことがあるとはなー」
「ちょっと! 誰が聞いているかわからないんだからそういうこというのはよしなよ!」
……。
落ち着け。今出て行けば今までの苦労が水の泡だ。元からああいうことを思っている人しかいないことはわかっていた事だ。
ボクは爪が食い込んで血が流れるまで強く、両手を握りしめた。
「いや、誰が聞いているかわからないってのはないだろ。そもそもここまで辿り着ける奴なんているのかねえ」
「そうだそうだ! それにこうやってちょくちょくガス抜きしねえとやってらんないしな」
「そんなのわからないじゃないか。もしかしたらこういう木の後ろに隠れているのかもしれないし」
木の後ろ?
っ、しまった!! あいつらの言葉の気を取られて距離を確認するのを怠った! ボクが背を預けている木ではないだろうが、足音からして三人のうち一人が近くの木に近付いて来るのがわかる。いくらこの森が深いとはいえ見つかる可能性は高い。
どうしようどうしよう。もう移動が出来る距離じゃない。
一か八か、飛び出して魔法で口封じをするか? それくらいならボクは出来る。でも魔法の兆候や痕跡を隠す術はまだわからない。侵入者の発覚は避けられない。
いや、ここで捕まるか後で捕まるかの違いだ。いま抵抗しなければ確実に捕まるが、後のことは後になってみないとわからない。
なら、賭けに出よう。
ボクは肩から提げた小さな鞄から、杖を取り出した。白みがかった半透明の六角形の水晶が先端に取り付けられた一番流通量の多い種類の杖だ。ボクは水晶に光の魔力を溜め、発動の準備を整えた。
7 >>234
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.234 )
- 日時: 2021/08/09 21:43
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: taU2X.e0)
7
「こんにちは」
突然、あの三人以外の、勿論ボクでもない人の声が重くのしかかった。
「見回りお疲れ様です。ところで随分と私の知り合いのことを悪く言っていたようですが、気の所為でしょうか?」
ボクはこの声を知っている。こんな声音は聞いたことがないが、聞き間違えるはずがない。
笹木野龍馬だ。
「え、あ、ははは……」
「いや、その、はい、気の所為で……」
「も、申し訳ありません!!!」
笹木野龍馬の威迫に圧されたのか、三人はしどろもどろになって答えになっていない言葉を各々で口にする。
「肯定と否を言っている方がいらっしゃるようですが、事実はどちらなのでしょう? まさか真逆の事実が二つ存在するとでも? おかしいですね。未来はいくらでも枝分かれしますが、我らの辿る過去はただ一つであると他のどなたでもない神々が定めたのですから」
静かな怒りを前面に出したような、空気が痺れる錯覚を感じさせる声が、この場を支配していた。いくらカツェランフォートの吸血鬼であり自分よりも長い年月を生きてきた人物を相手にしているとはいえ見た目だけではまだ子供の少年に怯えているようで、騎士団の兵士が務まるのだろうか。
「お、おい、さっさと謝れよ」
「はあ? お前だって止めなかっただろうが」
「ちょっと二人とも、今はそんなこと言ってる場合じゃ」
ない、と最後の一人が言い切る前に、それは起きた。
まず、ずしりと上から重圧が辺り一帯に掛けられた。それだけではなく、心做しか息苦しさも感じる。手足が痙攣し、自由に動かせなくなった。視界もかすみ、次第に体がふわふわと浮くような錯覚がし、触覚が正常に機能しなくなったように感じる。
「あれ、どうかしましたか? かなり顔色が悪いようですが。私なら楽になれる場所まで運んで差し上げられますがいかがでしょう」
「た、すけ、て……」
「あ、かはっ、がっ……」
「すみま、せ……」
やや離れた場所にいるボクでさえこれだけの影響を受けているのだ。魔法の対象とされたあの三人は、これ以上に苦しい目に合わされているのだろう。声から察して、もはや死にかけている。
どくんどくんと、心臓がゆっくり大きく異常な脈を刻んだ。[黒大陸]の住民は冷酷非情。それが今、実際に体験させられている。
怖い、恐い、こわい、コワイ。恐怖という名の氷がボクの体を埋めつくし、急激に体温を奪っていく。この震えはきっと、魔法による痙攣だけではないはずだ。
「まあ、と言ってもこの場所はいま私の魔法が上手くコントロール出来ない状態にあるので、もしかすると案内し損ねるかもしれませんけど、ね。その時は寛大な心でお許し頂けると幸いです」
「……」
「はい? なんですか?」
「コロ……サ、ナイ、デ……」
「え?」
数秒の沈黙の後、笹木野龍馬は変わらぬ落ち着いた声で言った。
「ああ、失礼しました。知らず知らず紛らわしい言い方をしてしまっていましたね。ご安心ください。殺しはしませんよ。いくら私が吸血鬼だからといって誰も彼も襲うわけではありませんし、殺すわけでもありません。
ただ、闇の中に飲み込むだけです」
その声はむしろ穏やかさすら感じさせるほど、冷たい怒りで満たされたものだった。体中を這いずり回すような不快感に包まれ、気を抜けばすぐにでも意識が飛んでしまいそうだ。
「闇の中では死ぬことはありません。ひたすら無限の時の中感覚を忘れ、記憶を忘れ、そして自分を忘れます。ね? 楽になれるでしょう?
……あれ?」
数歩分の足音がした後に、ふっと魔法が解かれた。その瞬間ボクはその場に倒れ、パキパキと枯葉が割れる音がした。
「次はないと脅すつもりだったのにな。気絶してる。そんなにやりすぎたのかな、自覚ないや」
朦朧とした意識の中聞こえたその声は、もう怒りはなかった。
「君も、えっと、誰かは知らないけど、巻き込んでごめんね。まさか森の中に隠れてるなんて思わなかったからさ。お詫びになるか分からないけど、この辺に幻影魔法敷いておくから、調子が戻ってきたらここから出ることをおすすめするよ。そう時間がかからないうちに大規模な魔法がバケガク全域に渡って発動される予定だから」
ああ、笹木野龍馬にも破られたのか。でも、スナタよりも正確に破れてはいない、みたい、だ、な……。
8 >>235
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.235 )
- 日時: 2021/08/10 10:38
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: taU2X.e0)
8
って、うわっ! ボク、どれくらい気を失っていたんだ?!
と思ってかなり焦ったが、実際は気を失ってなんかいなかった。まだ体は重くてだるいが、目はしっかり覚めている。
ただし気は遠くなっていたから、その間にあそこまで移動したんだろうなと、小さくなった笹木野龍馬の背をぼんやりと見つめながら思った。
あいつ、幻影魔法を張ったって言ってたか? なら、ここから【百里眼】を使えるんじゃ! 姉ちゃんが大事にしてる人なら、この場面で嘘なんてつかないだろう。なんとなく幻影魔法の魔力も感じるし。うん!
ただ、いくらなんでもこの状態で使うのは危険なのはわかっている。【百里眼】を使って【聴域拡大】も使うわけだし。魔力は魔法石のものを使うからいいとして、体力が心配だ。笹木野龍馬が到着していないなら、まだ焦る必要は無い。
そう思うと一気に疲れが押し寄せ、ボクは体を休めるために目を閉じた。
__________
母さんは醜い人だった。急に癇癪を起こしては姉ちゃんに当たり散らして気を失ったように寝込む日々。その精神疾患のせいで仕事も出来なくなり、家に引きこもるようになった。
父さんは弱い人だった。母さんがそんな状態になった時はいつも仕事に行っていて、肝心な時に居ない。後から何があったかを知っても姉ちゃんやボクに謝るばかりで、実際に行動を起こしたりはしなかった。
姉ちゃんは強い人だった。最悪な家庭環境で育ったのに、一言も弱音を吐いたことがない。母さんが癇癪を起こした時は部屋からボクを力ずくでも放り出して、巻き込まれないように守ってくれていた。ボクに勉強や魔法を教えてくれたのも姉ちゃんだった。
その日は雨が激しい日だった。雷がゴロゴロと空を走り、家の中はじめじめと暗かった。
「朝日!」
そんな日は母さんの癇癪がいつにも増して酷くなる。不穏な空気を感じ取った姉ちゃんは俺の名を呼んで、外に出るように促した。
「待ちなさい、朝日」
だけど、しっとりと冷たい母さんの声が俺をその場に留めた。
「貴方はこいつのことを慕っていたわね。この悪魔の姿をよく見なさい」
ザシュッ
人の肉を裂く音が、鈍く鈍く頭の中で木霊した。母さんの手は真っ赤に染まり、握る包丁の先端には紅い液体が滴っていた。姉ちゃんの鮮やかな金髪に紅が錆のようにこびりつく。大きな大きな紅色の水溜まりの中に姉ちゃんが浮かんでいる。
「はっ、はっ、はっ、はっ」
動機が乱れて、不規則な息が喉を乾かせた。
「朝日」
痛みに震える様子を見せない姉ちゃんは、先程とは違い小さく俺を呼んだ。
「部屋の、外へ」
そして、鋭く叫ぶ。
「早く!」
母さんが姉ちゃんに暴行するところは何度も見てきた。でも、こういう風に体を傷付けるところは見たことがない。いつもなら殴る蹴るの後に刃物を持ち出すので、その前に俺は逃げるのだ。始めから刃物を振るうのは初めてかもしれない。俺は初めて見る人の血にパニックになって、その場から動けなかった。
それを察したのか、姉ちゃんは魔法を使って止血をし、既に流れてしまった血も消した。
金色の光が暗い部屋に差し、そして溶けると、母さんは悲鳴を上げた。
「この悪魔! 怪我もすぐに治る! 人間じゃないわ!」
こんな速度で怪我を治す回復魔法なんて、姉ちゃん以外は使えないだろう。しかも今の姉ちゃんは怪我をしていて体力を奪われている。悪魔は言い過ぎだとしても、母さんの言いたいことは多少は分かった。
「朝日!」
俺はガタガタと震える手でドアノブに触れ、それを回そうとした。けれど上手く手を動かせず、なかなか開かない。
ザシュッ
また、肉を裂く音。
ザシュッ ザシュッ ザシュッ
「お前なんか! お前なんか!」
母さんは同い年の女性と比べても貧弱で、魔力も衰えてきている。姉ちゃんなら、反抗くらい出来るはずだ。なのにあえて逆らわず、動かず、されるがままになっている。
『なあ、なんで姉ちゃんは母さんから逃げないんだ? 家出とか考えねえの?』
『カゾクは、大事にするべき』
『あんなの家族じゃないだろ』
『それに、朝日がいる。朝日は優秀だし私とは違って瞳の色も桃色だから私ほどの冷遇は受けないだろうけど、母さんから生まれた子だから、一族からは蔑視される可能性がある。それに、いつ母さんが朝日にも手を出し始めるか分からない』
『俺なんてほっとけよ!』
『私が嫌』
そんな会話を、いつだったかしたことがあったっけ。
__________
両親が死んだことは、大して問題じゃなかった。あの時、自分が何を思っていたのかはもう覚えていない。覚えていることは、両親が死んだという事実と、それから──
うん、充分体は休まっただろう。そろそろ、行動に移そう。
9 >>236
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.236 )
- 日時: 2022/06/13 20:48
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: ZZRB/2hW)
9
ボクは目を閉じたまま、【百里眼】を発動した。視界は厳重な警戒をすり抜けて、図書館の入口を通過する。図書館の中にも見張りは当然居たが、スルー。本の森を通って、二階への階段を上がる。それを繰り返して、四階まで。
魔法石をもらったとき、ジョーカーから【百里眼】は酔いやすい魔法だから注意するように言われたっけ。でもボクは【百里眼】で酔ったことは無い。そもそも馬車なんかに乗っても乗り物酔いを体験したことがないので、おそらく酔いに強いのだろう。
一階には管理人がいなかったが、ここにはいるようだ。あまり人を近付けたくないのか、見張りが一人たりとも居ない。
「ほお、そんなことをしようとしているのか。流石学園長だ。無茶をさせるね、まったく」
「予想ですけどね。送られてきた手紙の内容はただ自分を呼び出すだけの文言しか書かれていませんでしたから」
「いやいや、いかにも学園長が考えそうなことだ」
四階では、笹木野龍馬と老人が仲良さげに話していた。
「引き止めて悪かったな。ほかの全員はもう揃っているよ」
「いえ、楽しかったです。ありがとうございました。では、失礼します」
そう言って、笹木野龍馬は老人が背を向けている奥の扉へ消えていった。その扉の上には、『第一読書室』と書かれてある。
これが、噂の。
図書館には、自習にも使われている個室で読書が出来る場所がある。図書室は静かだとはいえ周りに人がいるというだけで読書に集中出来ないという感覚が鋭敏な人もいるらしく、そういった人のために用意されたものなんだとか。
個室は『第一読書室』、『第二読書室』、『第三読書室』、『第四読書室』、『第五読書室』まであり、それぞれ使うことの出来るクラスが分けられている。グループではなくクラスであることが学園長の指示だそうで、理由はグループだと昇進が難しいが、クラスなら在籍日数や授業態度などの実技(魔法だけに限らない)以外の成績で昇進可能なためらしい。
第五読書室を利用可能な生徒はGクラス以上(つまり全校生徒)、第四読書室を利用可能な生徒はCクラス以上……といった調子で第二読書室を利用可能な生徒はAクラス以上となる。
ボクは利用したことがないので詳しくは知らないが、数字が小さくなるごとに部屋の中身が読書に適した環境が整えられていくらしく、部屋の広さも大きくなっていくらしい。そのため複数人で一つの部屋を借りて読書会や勉強会を開いたりする生徒も多数いるんだとか。
第一読書室は特別扱いで、他の読書室が最低二十部屋用意はされているのに対し、一部屋しか用意されていない。最上階に保管されてある持ち出し禁止の本を、一冊ずつであるとはいえ唯一部屋の外に持ち出して良いとされている部屋がその第一読書室なのだ。
そのため他の読書室は図書館の横にある別館に設置されているのだが、第一読書室だけは図書館内に置かれている。位置は『番人』と呼ばれる、最上階のみの担当管理人である老人が座る受付台の後ろだ。
ここに、姉ちゃんたちがいるんだ。
ボクが第一読書室の中を見るために視界を動かすと、老人が口を開いた。
「誰だ」
その声は笹木野龍馬と話していた時とは比べ物にならないほど、重々しいものだった。
「いくら魔法を使おうとも、わしの眼は誤魔化せんぞ。ここに留まるくらいなら許してやるが、わしの管理下にある場所に踏み込むんじゃない」
ちょっと、ジョーカー! どうなってるんだよ! こんな老人にすら魔法が破られてるじゃないか!
「ん? ……ああ、君は大丈夫みたいだね。悪意は見えるが、それは暴力的じゃない。この場所に危害を加えるような悪意じゃなければ、問題は無いよ。
入室の手順を知らなかったんだね。少し待ちなさい」
そう言うと、番人はサラサラと手元の紙に何かを書いた。
「はい、いいよ。本当なら申告書が要るんだけど、まあ、あれは別に体裁を繕うためのもので特に意味は無いものだから、気にしなくていい」
これは、入ってもいいということなのだろうか。
「気を付けなさい。今のままだと、君の悪意は君を滅ぼす。少しでも早く罪を吐き出し、考えを改め神に祈りを捧げた方がいい。老いぼれからの忠告じゃ」
視界を移動させて番人の後ろを通ろうとすると、ふとそんなことを言い出した。
神、か。神なんて、いるわけないじゃないか。くだらない。それにもう、手遅れだよ。ボクは──
うるさいうるさい。何も考えるな。
とにかく中に入ろう。後のことは後で考えれば良いんだから。
10 >>237
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.237 )
- 日時: 2021/08/13 18:07
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: XyK12djH)
10
「諸君、よく集まってくれたね。礼を言うよ」
中はあまり豪奢な雰囲気ではなくむしろ質素で落ち着いた印象を受けた。広いといえば広いが『個室』と称するに相応しい程度には小さい。ただし日光を遮るためか窓が一枚もない。ちょっとした興味で壁の中に入ってみると、かなり分厚かった。
姉ちゃんたちは椅子や机を脇に避け、立って対峙していた。
「花園君。君が真白君と戦う時、私が何とお願いしたのか覚えているかい?」
「真白の身柄の確保、バケガクの修復」
学園長の言葉に間髪入れず、姉ちゃんは即答した。へえ、そんなこと頼まれてたんだ。
「よくわかっているじゃないか。でも前者は果たしてくれなかったよね?」
「わかってる。ちゃんと修復はする」
「言い訳しないところが君らしいね」
バケガクの修復? どういうことだ? いや、姉ちゃんを疑うわけじゃないけど、バケガクというのはまずとてつもなく広大だ。建物の被害はというと、バケガク本館は全壊、バケガク別館の方は八割が破壊されて、それ以外にも食堂や森も尋常ではない有様だ。
「何を言い出すのかは薄々予想は着いていたけど、ねえ日向、大丈夫なの? そんなこと出来るの?」
スナタの言い分はもっともだ。姉ちゃんの力は知っているが、それでも不安になる。
姉ちゃんは淡々と言った。
「もちろんいつもみたいに余裕を持って行えることではない。でも失敗しないから、大丈夫」
「いや、そうじゃなくて、日向自身のことだよ! 魔法じゃなくて!」
「私?」
「だって今回の魔法って、【創造魔法】でしょ? いくら日向でも、今の体で最上級魔法をこんな広範囲に発動すれば、まず急激な魔力の減少による副作用とか、魔法の過剰行使による身体的な体の負担とか、色々あるじゃない。だって、日向がやるんでしょ?」
なんだろう。今のスナタの言葉が、なにか引っかかる。でも、それが何なのかわからない。違和感の正体が掴めない。
「平気。流石に終えたばかりだと動けないかもしれないけど、すぐに回復する」
「ほんと?」
「うん」
姉ちゃんとスナタの会話が一段落すると、学園長が言った。
「今回のことは四人全員に協力してもらうよ。
笹木野君と東君は、万が一花園君に何かあったときのために備えておいてほしい。
スナタ君は、変な魔法が入り込んでいないか確認してほしい。
出来るね?」
有無を言わさぬ声に、それぞれ反応した。
「黒と白じゃなくて、闇と光ってのが心配だけどな」
「それはもうどうしようもないだろ。黒も白もおれ達は操れないんだから」
「頑張る!」
その言葉に学園長は満足気に頷き、
ボクを見た。
え?
「じゃあそろそろ取り掛かろうか。人払いをしよう。スナタ君、悪いけど下に行って一人だけ馬に乗ってるデカい男に結界を発動させることを伝えてくれるかい?」
「わあああっ!!」
スナタが返事をする前に、ボクの体が宙に浮いた。違う、第一読書室の中に転送されたんだ。え、どうして?! なんでバレたんだよ、どうなってるんだ!?
体がぼんやりと白い光に包まれ、ゆっくりと床に降ろされた。けれど急なことに体が対応しきれず、がくんと膝を着いてしまう。
「じゃあ行ってきまーす!」
「よろしくね」
ボクが居ることに誰も不思議に考えることをせず、まるで始めからボクがここにいたかのように振る舞う。
え、なに、どういうこと?
「さて、花園君──紛らわしいな、朝日君。君のことだから日向君が何をするのか気になるだろう? 特等席を用意してあげるからさあおいで」
「え、は、わ、なんですか?!」
「いいからいいから。後で色々説明してあげるからさ」
学園長はボクを無理やり立たせ、背中を押した。助けを求めて姉ちゃんを見たけれど、姉ちゃんは何故だか辛そうな表情をしていて、そちらの方が気になった。なんだか疲れているような、しんどそうな雰囲気。ボクのことなんか見ないで、少し息を荒くしてぼんやりと何も無い空間を見つめている。「大丈夫か?」などと笹木野龍馬が心配そうに声を掛けている。
姉ちゃんに近付くなよ!
そう思うが学園長の力は案外強く、ボクは逆らうことが出来ずに第一読書室の外まで連れ出された。
「あの、何処に行くんですか?」
「ん? 特等席と言っただろう?」
だから、それが何処なのかと聞いているんだって!!
11 >>238
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.238 )
- 日時: 2021/08/13 18:09
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: XyK12djH)
11
特等席、というのはつまり、『通達の塔』のことらしい。チャイムや緊急事態のアナウンスが流れる塔で、バケガク内に点々とある。ただ、『通達の塔』は立ち入り禁止で、内部がどうなっているのか、アナウンスの声が誰のものなのかは明らかにされていない。
アナウンスといえば、今も鳴らされている。学園内に居る見張りの兵や少数の教師たちに向けて、大規模な魔法が行われることを知らせ、避難を促すアナウンスだ。
「あの、ボクがはいってもいいんですか?」
塔の中にある長い螺旋階段を登りながら学園長に訊くと、学園長は笑った。
「だから『特等席』なんじゃないか。でも秘密だよ。学園長に贔屓されてるなんて言われたくないだろ?」
「そう、ですね」
「さあさあ着いたよ! ここが塔の最上部。今まで誰も見たことがない、訳では無いけれど、特別な人以外でここを見せるのは君が初めてだ」
階段は天井まで続いていて、天井は手動で開けられるようになっていた。重そうな扉を不快音を奏でながら学園長は涼しい顔で開く。扉が開くごとに差し込む光が強くなっていく。
「おいで」
学園長の声に従い、開いた扉をくぐると、そこには──
二人の子供がいた。女なのか男なのかわからない。見た目の年はボクよりも少し幼いかな。見た目は瓜二つで、白い髪に白い瞳、白い肌に白い布を巻き付けた子と、それを黒くした子。
ボクはまさかと思い白髪の子の額を見たが、水晶はない。〈呪われた民〉ではないのか。
「驚いたかい? 信じられないと思うけど、この二人は仮想生物だよ。各塔にそれぞれ置かれている」
「えっ!」
この二人が仮想生物だって? 仮想生物というのは単なる魔力の塊で、鳥に見えたり蝶に見えたりしたとしても、それはただ形がそう見えるだけで、実際には生物ですらない。ただ役割を持っただけの道具に過ぎない。
でも、この二人にはどう見ても髪と肌の区別が着く。目や鼻や口、耳や手足があるし、布を巻き付けただけとはいえ服を着ているじゃないか!
「これはこの学園の秘密の一つだ。詳しくは教えてあげられないけど、そうだね、この真っ白な子は白子、こっちの真っ黒な子は黒子って名前だよ」
どうでもいいよ!
「代わりにこっちを教えてあげよう。ここはこんなに開放感があるけど、外からは何も無いように見えるんだ。強い結界が張られているからね。図書館よりも強くなっているんじゃないかな」
「強く、『なっている』?」
ボクの問いに学園長は答えず、不敵に笑った。
この場所は四方八方が見渡せる。四本の柱が円錐状の屋根を支えているだけで、他に視界を遮るものがないのだ。
「そろそろ準備をしててもらえるかい? もうすぐで全員移動が完了しそうだ」
『わかったわ』
そう言って、姉ちゃんの契約精霊であるベルが学園長の懐から飛び出した。
「なんでベルがここにいるの?」
ボクが尋ねると、ベルはふわりと微笑んだ。
『日向は学園長さんの合図を受け取れないから、代わりにわたしが貰うために着いてきたの。学園長さんが「良し」と言ったらスナタの所に確認しに行って、リュウ達の状態を確認して、それから日向のお手伝いをしに行くの』
「お手伝い?」
『それは内緒』
ベルは両手の人差し指を交差させ、それを自分の口の前に持っていった。
「魔法陣の用意完了。学園の外界からの隔離も完了。さすがは魔導師部隊だね。仕事が早くて丁寧だ。仮想生物も消滅してる。
もういいよ。私が確認すべきことは終わった。スナタ君のところへ」
『ありがとう』
ベルはそう言って、金粉を散らしながら飛び立った。
「というわけで、私がするべきことは無くなったわけで、魔法が実行されるまでの間、暇が出来たわけだ」
学園長はゆらりとボクを見た。
「どうして頑丈な守りであった学園に侵入したのか、じっくり話を聞かせてもらおうか」
12 >>239
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.239 )
- 日時: 2021/08/14 11:12
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 8AM/ywGU)
12
学園長の表情は穏やかな笑顔で、それ自体はいつもと変わらない。何を考えているのかを悟らせないのも普段通りだ。
ただし雰囲気が違う。心臓を直接撫でられるような不快感がボクを襲った。
「姉ちゃんが学園に呼び出された理由も知りたかったし、なにより笹木野龍馬も来ると思ったから。
方法は教えない。対策されたら嫌だから」
「えっと、色々聞きたいことはあるんだけどまず、私は学園長で君は生徒。敬語を使おうとは思わないのかい? ましてやこの状況で」
「必要ないと思うから」
「ああ、そうだったそうだった。君は日向君の弟なんだっけ……」
それってボクと姉ちゃんが似てるってこと? 嬉しい。
「次に、どうして笹木野君が来ると思ったから来たんだ?」
「だって、絶対姉ちゃんのこと友達以上に見てるから。何か変なことしないか見張るために」
「彼らは友達ですらないんだけどね。まあ心配する気持ちも分からないことはないかな。あの二人の間の感情は、異常ではあるからね」
は?
「どういう意味?」
「ひ、み、つ」
学園長は人差し指を口の前にかざし、茶目っ気たっぷりにウインクをした。
「チッ」
「まあまあ。
それからさ、君、鈍感ってわけじゃないよね? なのにどうして私の『圧』を正面から受けて平然としてるのかな? こう見えて魔力だけは大量にあるんだけど」
そう。先程学園長を取り巻く雰囲気が変わったのは、学園長から魔力が放出されたからだ。他人の魔力が自分の体の周りに満たされたことにより、魔法使いだけが感じる独特の不快感を与えられたのだ。
魔力濃度が濃ければ濃いほど、その不快感は増し、耐性のない人は体調を崩すことすらある。魔法酔いとか、魔力酔いとか呼ばれている。
ボクの家系はエクソシスト。悪魔の『気』を敏感に感じ取らなければならない職業だ。そしてボクはその力を正常に受け継いでいる。悪魔を祓ったことはまだないが、『悪意』に成長する前の『邪気』を祓ったことなら何度もある。正確には祓わされたんだけど、ね。
「うーん、なんでだろ?」
誤魔化している訳ではなく、本当に分からない。昔はもっと過敏に反応してしまっていたんだけど。慣れたのかな。
「ふむ」
学園長は腕を組んでなにやら考えているようだ。しかし数秒後、すぐにボクに尋ねた。
「君、感情が欠落しているんじゃないか?」
「……え?」
「前からなんとなく思っていたんだよ。君が笑うとき、どこか空虚な感じがして。上手く言えないんだけどね。
と言っても完全に無くしている訳ではないみたいだ。さっき私が【転移魔法】で部屋に入れた時驚いていたみたいだしね。
でもこの真冬に寒そうな素振りひとつ見せないし」
「……」
「なにか条件があるのかな。ねえ、どう思う?」
「……」
「返事くらいして欲しいな」
「……わからない」
「そうか。なら憶測で語らせてもらうけど、日向君が関係するんじゃないかな?」
「!」
ヒヤリと背中に嫌な汗が流れた。
「多分、感情の優先順位があるのかな。日向君のことを考えている時はそれでいっぱいいっぱいになって、感情なんか感じてる場合じゃないんだよね。
でも、自分の核心を突かれたときは取り乱す。今みたいに。何か間違えているかい?」
「……」
「九年前、君たち姉弟にとって運命の日となった『白眼の親殺し』の事件当日、何があったのかは全て知っている。人が、しかも実の両親が目の前で死んでしまえば、精神がおかしくもなるよね。だから君は自分を保つために日向君に依存することを決めたんだ。多少人格はおかしくなってるけどね。昔は自分のことを『俺』と言っていたし、話し方も違っていた。君は忘れてしまったかもしれないが、随分と昔に授業参観で君と私は会ったことがあるんだよ。
なのに周囲の人間は君と日向君を引き離した。依存対象から離されて会うことも許して貰えない生活の中で君の人格はさらにねじ曲がった」
「……」
「その証拠に、君は実の祖母と祖父を殺しているだろう? 方法は単純。祖母は命を繋いでいる契約精霊を引き剥がして衰弱死。祖父は君が間接的にとはいえ祖母を殺したことを知り絶望し、衰弱しきったところで毒殺。全く、日向君は弟になんてことを教えているんだ」
「姉ちゃんを悪く言うな!」
「すまない、そんな気はなかったんだ。でもその様子は、図星だね」
「なんでわかるんだよ、そんなことが……!」
13 >>240
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.240 )
- 日時: 2021/08/14 23:31
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: QT5fUcT9)
13
__________
「日向、朝日!」
庭にいた父さんがボクが開けようとしていた扉から現れた。しかしそれ無視して、母さんは鍵付きの箱から剣を持ち出した。鍵は特定の人物が魔力を流すと開くタイプのもの。がちゃんがちゃんと音を立てて出てきたのは全長一メートルほどの両手剣で、鉄製のどこの市場でも出回っているようないわゆる粗悪品だ。箱に鍵が着いているのは泥棒に護身用に使われないためで、保管するためではない。そんな価値はあの剣にはない。
「これならいくらお前でも……」
包丁を投げ捨て、剣を構える。カランと音がして、包丁がくるくる床を滑る。
大して鍛えていない母さんはふらふらと足もとがおぼつかず、頼りなく剣を振りかざした。
「彩! それを早く降ろ……」
ザクッ
また、嫌な音がした。視界が紅に覆われる。
一体、何が起こったんだ?
それを俺が知る前に、姉ちゃんがよろよろと立ち上がり、そばによって正座し、自分の胸に俺の顔を埋めた。
「見たら、だめ」
小さく、声が聞こえた。
「あ、そんな……」
か細い、母さんの声。なにが、あったんだろう。
ガタンッ
ゴッ
何かにぶつかる音と、昔俺が階段から転げ落ちて頭を打った時の音に似た音がした。
「ね、え、ちゃ……」
姉ちゃんは、さらに強く俺を抱きしめた。姉ちゃんから流れる血が、温かくて冷たい。
「大丈夫。大丈夫。大丈夫。私が守るから。大丈夫」
「大丈夫だよ、姉ちゃん」
・・
ボクはそう言って、姉ちゃんの体を押して、にこっと笑った。
姉ちゃんの向こうの世界では、紅が満ちていた。暗い部屋に紅が上塗りされた世界。黒と赤の二つの色で支配された世界はあまりにも醜くて、ボクは顔をしかめた。
母さんは頭から血を流していた。机の角にぶつけたらしく、当たりどころが悪かったらしい。血を流しながら座り込んだようで、机に血の跡があり、机の上に出来た血溜まりが血の跡を伝って垂れて、倒れた母さんの体に落ちている。
父さんは首から血を流していた。大動脈を切ったようで出血が酷い。こちらはまだ息があるのか、腹部が上下に小さく動いている。ぶつぶつと何かを呟いているけれど、ボクには関係の無いことだ。
こんなに醜いのに。それなのに。
それなのに、どうして姉ちゃんはこんなにも美しいんだろう。
「ボクなら、平気だか、ら」
一滴、冷たい雫が姉ちゃんの頬を伝い、床に流れる姉ちゃんの血に吸い込まれた。それを見たボクは──
顔が笑みに歪むのを自覚した。初めてだった。初めて姉ちゃんの涙を見た。どうして泣いたのかはわからないけど、そんなことはどうでもよかった。『ボクが』『姉ちゃんの』『表情を変えた』ということだけが重要だった。
もっと、色んな顔が見たいなあ……。
姉ちゃんはまたボクを抱きしめた。
「ごめんなさい」
微かに震えながら、強く強く、そして儚く。何度も何度もボクに謝り続けた。
__________
14 >>241
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.241 )
- 日時: 2021/08/15 09:39
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: lQjP23yG)
14
「バケガクの学園長なんて役職に着いていると、それはもういろんな生徒を見てきたんだよ。つまり、経験だね。今だって精神を病んだ生徒は大量に在籍している。不登校の生徒もいれば、君みたいに悪意を秘めて生活している生徒だってたくさんいるよ」
「そんなのボクには関係ないね。ボクとそいつらは違う人間なんだから」
「君がどうしてわかるんだって聞いたんだろう?」
「ああそうかい! もういいよわかった!」
「不貞腐れられてもなあー」
学園長は苦笑いをしてくしゃりと軽く頭をかいた。
「聞きたいことはないし、君のこともわかったし、初犯だし、一年生だし、実害はないし、そもそも君が侵入してるってことはわかっていたし、今回は見逃してあげよう。でも、本当なら牢屋に入れなければいけないようなことを自分がしたってことを自覚して、ちゃんと反省するんだよ。いいね?」
「……はい」
「拗ねない拗ねない。ほら、そろそろ始まるみたいだよ」
学園長が指さした方向を、バケガク本館があった場所を見るが、ぼんやりと瓦礫の色が広がっているように見えるだけで、他には何も見えない。ここからの距離が遠すぎるのだ。
「【百里眼】を使わなかったのは偉いね。今はいいけど結界が発動されたら魔法反射の影響でとんでもないことになるよ。彼女の魔法反射は凄まじいからなあ」
そうしみじみと語る学園長を見て、ボクは何かあったのだろうかと思った。
「さ、一度目を閉じて。見えるようにしてあげるから」
ちょっと待って! なんで【百里眼】の名前を知ってるの?! 魔法を使って覗いていたことはわかっても、魔法の名称、しかも公認されていない魔法の名称がわかるわけないじゃないか!
そう質問しようとするが、その前に両手で目を塞がれた。
「すぐ済むから、大人しくしなさい。
……はい終わり、いいよ」
学園長は言葉通り、三秒ほどでボクを解放した。
そして目を開けると、
視界がまるっきり変わっていた。
見えているものは変わらない。変わったのは、視界の明晰度だ。さっきまでぼんやりとしか見えていなかったものまでがハッキリと視界に映っている。
視力が、上がってるのか?
「私の視界の情報を君の頭に直接流しているんだ。【百里眼】は視界を直接その場所に持っていく魔法だけど、私のこれは【視力強化】。魔法の効果を結界の中に入れるわけじゃないから魔法反射は行われない。
ただし、この魔法を実際に自分で使うと目への負担が酷いから、朝日君は使わない方がいいね。生半可な鍛え方をしても耐えられない。私の体は『おかしい』から問題ないんだけどね」
「あの、さっきから言ってる『結界』ってなんのことですか?」
ボクが疑問をぶつけると、学園長は言った。
「地面に黒い文字が刻まれているのが見えるかい? 歩いてきたときは気づかなかっただろうけど、こうして遠くから見たら、何かわかるだろう?」
うーん? なんだろう。
あっ!
「魔法陣だ!」
そういえばベルに「魔法陣の用意完了」とか言ってたっけ。これのことだったのか。
それにしても大きな魔法陣だ。なんと書いてあるのかわからない、見たことの無い文字が円状に敷地をぐるりと囲み、それが何重にも連なっている。
そしてその中心、破壊し尽くされたあの場所の中で唯一無事だった『四季の木』の元で、姉ちゃんが佇んでいた。
『四季の木』って無事だったんだ。気づかなかった。それにしてもどうして無事だったんだろう。本当に不思議な木だな。
見ると、姉ちゃんの傍にベルがいる。そうか、これを見て「そろそろ始まる」と言ったのか。
姉ちゃんとベルは何かを話している。けど、もちろん聞こえないからその内容まで分からない。今のボクは二人の唇の動きまで見えているけれど、読唇術なんて使えないし。
そんなことを考えている間に二人の会話は終わったらしく、ベルが何か唱えた。するとベルの体が光に包まれ、そしてその光の中にベルが溶けた。光はさらに姉ちゃんを覆い、姉ちゃんの体が発光しているみたいな状態になった。
そこから魔法陣が発動するまでは、本当に一瞬の出来事で、ボクは何が起こったのか、すぐに理解することは出来なかった。そんなことは不可能だったのだ。
15 >>242
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.242 )
- 日時: 2021/08/16 11:57
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: zpQzQoBj)
15
ごおおぉぉおおうううぅぅぅうっっ!!!!!
強烈な轟音と共に、災害級の竜巻を連想させるほどの突風強風が吹き荒れた。それは魔力によって引き起こされる錯覚で、例えば木々がなぎ倒されるだとか、建物の屋根が剥がれるだとかの物理的な被害は何も無かった。しかしこの場にいた人々の六割は占めるであろう魔法適性を持つ人(魔法使いでない人も含む)は、突然起こった魔力の風をもろに受け、魔力酔いで倒れる人が続出した。
ボクはあまりそういう体調の変化は感じないが、それはそういった感情がないだけで、実際には身体は負荷を受けているはずだ。なんせ魔力の源は姉ちゃんだ。学園長なんか比べ物にならないくらい魔力濃度は濃いに決まってる。
今は良くても、後から反動が来るだろうな。それに、不調は感じなくても風は感じるので、ボクはあまりの強い向かい風に身体を浮かされそうになった。風自体は濃密な魔力による錯覚ではあるが、魔導師クラスの魔力は術者が意識していなくても周りに物理的・身体的・精神的な影響を及ぼしてしまう。なので魔法耐性のない人は、風を感じずただ急に自分の体を投げ飛ばされたという感覚に陥っていることだろう。
柱に掴まった学園長がボクの腕を掴んだので、なんとか塔から投げ出されることは免れた。
次に、猛烈な白銀の濃密な光が視界を貫いた。ボクは直視する前に学園長に目を塞がれたけれど、目をやられた人はかなりの量いるんじゃないだろうか。
その白銀の光の中に、黒い文字がうっすらと浮かび上がった。魔法陣に記されていた、あの文字だ。黒く見えているのは元から黒い文字が光を吸い込んでいるかららしい。文字そのものが黒い何かを放っているわけでは無さそうだ。
そう思ったのに。
いきなり、黒い炎が文字から噴き出した。
魔法陣が発動したのだ。
魔法陣の文字一枚一枚が地上からめくれ上がり、そして剥がれ、ふよふよと空を舞う。そのそれぞれがある一点でピタリと止まり、それは魔法陣を底面とした巨大なドームを形作っていた。
そう。結界の完成だ。
手当たり次第に吹き荒れていた風も、四方八方に襲いかかっていた光も、それでようやくおさまった。
……というのは、後から理解したことだ。これらが一瞬のうちに行われ、そして終了した。ボクはしばらく唖然とし、改めて自分の姉が常識外の至高の存在であることを再認識した。
結界の中には光が満ちていて、大きなスノードームみたいだと呑気なことを思った。
「やりすぎだ」
学園長はポツリとこぼした。
「今ので魔法障害と失明を負った者は数知れない。元から警告していたが、ここまでのものとは誰も想定していなかったろう……頭が痛いな」
魔法障害とは、その名の通り魔法により引き起こされる障害のことで、滅多に起きないことでもある。主に魔法が使えなくなったりだとか、多属性使いなら一部の属性魔法が使えなくたったりする。しかしそれ以外にも、手足の痙攣、脳の機能の損失、五感の内のいずれか、もしくは複数稀に全て機能しなくなるといった身体的な障害や、パニック障害や統合失調症、てんかんなどの精神的な障害なんかも引き起こしてしまう。これは人が他人の血液に拒否反応を示すこととよく似ていると言われているが諸説あり、具体的な原因、対策方法、治療法などは確立されていない。
「警告って、どういうことなんですか?」
頭を抱えていた学園長だったけど、ボクが質問すると、苦々しい顔を取り繕うこともせず、しかしきちんと答えてくれた。
「警備に来てくれた連中には、事前に私達が、正確には花園君がだけど、今日何をするのかを説明し、人体に影響が及ぶ可能性があることを知らせてあったんだよ。でも誰がそれをするのかは教えていなかったからね。多分ほとんど笹木野君か東君がバケガクの修復をすると思っていたろうから、主に魔導師は油断していただろう。あの二人の魔法使いのランクは『魔術師』だから。
始めから日向君が術者だと知っていればそれこそ油断してしまうと思ったから敢えて伝えなかったんだけど、ここまで力を解放するとは思わなかった。失敗した。
ちなみに、朝日君にはさっきの風の影響は少ないはずだよ。君の場合感情がないから自覚しにくいだろうが、この塔にはさっきも言った通り結界が張ってあるからね。それよりスナタ君が心配だな。ほかの二人にガードしてもらっているだろうけど、あの三人も予想外の威力だったろうから」
光は目を閉じて発光源の逆法を向いていればある程度被害を抑えられる。事前に何が起こるのか分かっていれば対応も出来ただろうし、他の奴らとは違って姉ちゃんの力のことを理解しているから、起こる出来事を甘くも見なかっただろう。
でも風の方は対応のしようがない。魔法耐性が足りない人は影響が及ばないところまで避難する必要があるが、『あれ』を免れるほど遠くへなんて、移動する時間がなかったはずだ。それにさっき学園長は、バケガクを外界から隔離したと言っていた。おそらく魔力の影響が街に及ぶ可能性を懸念したからだろう(単純に、魔法を人に見られると困るという理由もある)が、ということはつまり逃げられる範囲に限りがあるということ。ならば下手に逃げずに十分な魔法耐性がある魔法使いに守ってもらった方が確実ということだ。
最後の言葉に納得しつつ、無視しがたい言葉が聞こえたので、さらに質問を重ねた。
「あ、あの。魔法の術者が姉ちゃんだって知られているんじゃないですか? だって、笹木野龍馬も東蘭も他の人達から見える場所にいるんですよね? 隠れたりしてませんよね?」
少なくとも、そんな指示をしているようには見えなかったし、そんなところも見ていない。
「ああ、そうだね。彼等の仕事は日向君の魔法が万が一被害を被った時に備えることだから。下手に隠れて対応に遅れたりなんかされたらたまったもんじゃない。日向君の魔法はその名の通り規格外だからね。魔法士とか魔術師とか魔導師とか、そういうランク以前の問題だ。今回日向君が使うのは【創造魔法】。スナタ君が言っていた通り最上級魔法だ。魔力を全解放した日向君の魔法に対抗出来る存在なんて、少なくとも私が用意出来る人材ではあの二人しかいない。
あー、厳密に言うと、あの二人が一緒になってやっと対抗できるんだけどね。ギリギリで。
君は日向君の力が世間一般に知られることを懸念に思っているんだろうけど、問題は無いよ。今日来てもらった全員に、神の御前で誓いを立ててもらったから。『今日この日に聖サルヴァツィオーネ学園で見たことは、第三者に口外しない』とね。契約ではなく誓いだから、破られることは決してないよ」
神の御前。神の。神、ねぇ。
神への誓いは、村や街など、一つの居住地区に必ず一つはある祭壇の前に跪き、そして両手を組み、そこで自分がすること、守ることを宣言することだ。誓いを破れば神に偽りを告げたことになり、神に逆らうことになる。なので神から神罰が下る。破るというか、破る直前とか、破ろうとする意識を持った時点で神罰が下るので、実際に『誓いを破る』という行為が成立することはありえないことなのだ。
つまり、姉ちゃんの力が外部に漏れることは防げると、そういうことだ。
でも、なあ。
「どうした? なんだかいまいちピンとこないって顔をしてるけど。日向君のことだから、神のことについては色々聞いていると思っていたんだが、違うかい?」
学園長の問に対し、ボクは首を横に振ることで応え、そして昔姉ちゃんが嫌という程ボクに聞かせ、そして覚えてしまった言葉を口にした。
「神とは全てに等しく、優しく厳しい存在。加護という名の飴を与え、試練という名の鞭を与える。そして神々は傍観者。神罰は与えるが決して救いはもたらさない。加護も祝福もあくまで助力であり後押しであり、直接的な助けの手を差し出すことは無い。そういう意味ではとても勝手な存在で、だけど我々下界人は神には逆らえず、そして逆らってはならない。間違ってはならない。神は我らの母であり父であり、そして冷酷な支配者。自身の子供だと認識しているうちはまだまだ甘いが、敵とみなせば容赦はしない。だから神々は神罰を下し、救いの手は差し出さないのだ」
ボクが言い終えると、学園長は苦笑した。
「うん、日向君らしいね。その長文を覚えてしまうほど繰り返したんだ。なんともまあ、過保護だね。
それも無駄に終わったようだけど」
ボクは眉を潜めた。
「どこまで知ってるんだ?」
「さあね。それに君は知らなくていいことだ。神への冒涜への罰は神の仕事。私が告げ口をするまでもなく、じきに神は君のしでかした罪を知るだろう」
そして、ぽつりと言葉をこぼす。
「彼女は、悲しむだろうね」
かな、しむ? 姉ちゃんが?
そっか、それなら、ボクがしたことは……
何も、間違っていなかったんだね。
16 >>243
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.243 )
- 日時: 2023/05/05 05:28
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: YC5nxfFp)
16
風も止み、光もだんだんと収まってきた。一時的な失明から回復した僅かな数の人がざわざわと騒ぎ始めている。
ボクは【聴域拡大】を使って、彼等の会話を聞くことにした。
「一体、何が起こったんだ?!」
「わからない……うっ、気持ち悪い……」
「誰か、回復魔法を!」
「駄目だ、魔導師や魔術師は皆意識を失ってる!」
「なんだとっ!?」
「おそらく、魔法感覚が鋭敏な分影響を強く受けてしまったのかと」
「魔術師達どころか魔導師達まで気絶させてしまうなんて有り得るのかっ?!」
「一人ならまだしも全滅させてしまうなど、聞いたことがありません!」
「ええい! この際魔法士でも構わん! 誰かいないのか!」
「試しましたが無理です! どうやら魔法障害を引き起こしているらしく、回復魔法が効きません! 失明も、組織が死滅しているようで、完治させるのは不可能です!」
「なんだとっ!?
っ、そうだ! 確か今日呼び出されていた学園の生徒で魔術師が二人居たな。その二人の無事を確認して来い!」
これはつまり、『あの』二人のことだろう。そういえば、笹木野龍馬たちは何処にいるのだろうか。学園長の口ぶりから察するに他の奴らとは違って無事ではあるだろうが。
【聴域拡大】は、あくまで意識的に視界に捉えている範囲。視界の中にあの三人がいたとしても、ボクがその場所を把握していなければ声を拾うことは出来ない。
どこだろう、と全体を見渡してみると、案外簡単に見つかった。森からすぐ脇の、結界の魔法陣の縁辺りに三人で固まって何かを話しているようだった。
「び、っくりした。いまのなに?」
「いままで抑えていた魔力を一気に解放したから起きたことだと思うけど……いやはや、流石だな」
「でも、このままだと本当に魔力切れするんじゃないか? 心配だな」
不安そうに結界の向こうを見やる笹木野龍馬に東蘭は言った。
「どうせあいつに何かあってもおれたちは中に入れないんだから、とりあえずそこはおいておこうぜ。心が乱れると魔法も乱れるんだし。
ああ、そうだ。スナタ、気分悪いとかあるか? まさかこんなに強い衝撃が来るとは思ってなかったから、防ぎきれてなかったかもしれない。一応必要以上にガードの強度はあげてたけど」
「うん、平気だよ。やっぱりすごいね、二人は」
そう言うスナタの表情は、なんとなく、暗かった。
まあそうだよな。四人の中で一人だけ平凡そうだし。いや、でも、ジョーカーの魔法を破ったんだよな。姉ちゃんのそばにいるってことは、やっぱりスナタも何か持っているんだろうか。
むしろスナタは、あの中で一番謎の多い人物かもしれない。
17 >>244
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.244 )
- 日時: 2021/08/19 08:56
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: y3VadgKj)
17
「ねえ、向こうの人たちの様子を見に行ってもいい? 多分混乱してると思うし、それと、今の魔力量と濃度を直撃して魔法障害を起こした人って多いと思うの」
「うーん、確かに人手は必要になってるかもな。それに結界の近くにいるよりは離れた場所にいる方が安全……いや、おれたちのそばにいた方が良いのかな? なあ、リュウ。どう思う?」
笹木野龍馬は数秒間思考を巡らせた末に、きっぱりと言い放った。
「スナタには向こうに行っていてもらいたい。おれたちが大きな魔法を使うとなったら、スナタを気遣いながらだと厳しいから。特に、相手にするのは日向の魔法だ。おれたちに余裕はない」
きっぱりと、しかしどこか申し訳なさそうにそう言う笹木野龍馬に、スナタは笑顔を見せた。
「うん、わかった! 二人共頑張ってねー!!」
先程の様子から見て、スナタは劣等感を抱いているらしかった。故に今見せている笑顔が本心なのか偽物なのか、その区別はボクにはつかなかった。
たったったとそこそこ速い足で離れていくスナタの背を見つめると、東蘭がボソッと言った。
「スナタって、不思議だよな」
「ん?」
「だって、おれたちや日向とは、事情が違うだろ? おれはあまりスナタのこと知らないから、スナタにもなにかしら『ある』とは思うけど。
でもほら。希少だよな」
ぼんやりと呟くようなその言葉を受けて、笹木野龍馬は目を伏せた。
「ああ、そうだな」
そして、噛み締めるように、そう言った。
「おれたちからしてみれば、他の人たちよりもスナタがおれたちに近い。だけどスナタからしてみれば、おれたちは紛れもない『バケモノ』だ。一般人に『成れる』可能性があるのは、おれたちの中で唯一、スナタだけだと思う」
その声に自嘲や卑屈などは感じられず、ただ淡々と事実だけを笹木野龍馬は並べ立てる。その姿にボクは、一瞬とはいえ姉ちゃんを重ねてしまった。
「チッ」
すっかり身に染み付いてしまった汚い動作を行って、ボクは気持ちを切り替えた。
「……リュウ」
「ん?」
「もしも、さ。もしも、スナタがおれたちから離れることを望めば、その時はどうなるんだろうな」
「え?」
笹木野龍馬が目を見開き、唖然としたあと、ゆっくりと口を開いた。
「そ──」
「えい」
「わあっ!?」
急に目の前が真っ暗になった。学園長に目を塞がれたのだろう。視界にあの二人を捉えられなくなったせいで、いかにも重要そうな笹木野龍馬の言葉を聞くことが出来なかった。
「何するんだよ!」
ボクが怒鳴ると、学園長はやれやれといった調子でボクに言った。
「気づかない方も悪いからしばらく様子を見ていたけれど、それ以上はだめだ。君には少なくとも、まだ早い」
「そんなの」
知らない、とボクが言う前に、学園長はボクの目に当てていた両手をずらして頬を挟み、ぐっとボクの顔を無理やり上に向かせて目を合わせた。
「聞きなさい。理解しなさい。これは注意じゃない。警告だ。この世界には、誰しも一つは知ってはいけないことがあるんだよ」
ゾク、と、背筋に悪寒が走った。今回は魔力によるものでは無い。あんな子供だましではない。
本物の、『気迫』。
「チッ」
「舌打ちが癖なのかは知らないけど、止めた方がいいよ」
舌打ちは、母さんの癖だった。直したいけどなかなか直らない。癖というものは厄介だ。
「うるさい」
そう吐き捨てると、ボクは身を捩って学園長の手から逃れた。
苦笑のような表情を浮かべて溜息を吐く学園長を尻目に、スナタが向かったと思われるさっき騒いでいた兵士たちの所へ視点を移した。
「……ですから、二人とも回復魔法は使えません! 蘭は治癒魔法系統の魔法は苦手ですし、闇属性の回復魔法は外傷にのみ適応されるんです! 王国の騎士団なら知っていらっしゃるでしょう?!」
何やら揉めているようだ。偉そうな男とスナタが言い争っている。内容は、あの二人に回復魔法を使わせるか否か、ってところかな。
「苦手ってことは使えないことは無いんだろう? こんな事態だ、贅沢は言ってられない。魔法障害は素早い応急処置が肝心なんだ。時間が経過してしまうと本当に治らなくなってしまう。わかってくれ」
「魔法障害に時間も何もありません! なってしまったらそれで最後、治ることは奇跡でも起こらない限り治らないんです! それに失明だって、組織が死滅してる人のものは治りません! 【蘇生】は禁術中の禁術ですよ!? 適性がある人だってほとんどいないのに!」
「やってみなければ分からないだろう? 頼む、君から彼等を説得してくれないか?」
あー、いるんだよな、こういう魔法不適応者。魔法を奇跡と勘違いして、なんでも出来ると思ってて、なおかつ魔法使いを道具かなんかだと思ってる奴。そしてそういう奴に限って、魔法に関する知識が乏しい……というか、間違った情報を信じている場合が多いんだ。
魔法というのは何も知らない人からしてみれば確かに奇跡に近いものだ。けれど魔法には限界がある。属性という縛り、魔力という縛り、禁術という縛り。人によって使えない魔法や、神によって禁じられた魔法が存在する。魔法はどこまでいっても魔法で、『奇跡』には成れないのだ。
偉そうな男はスナタの「苦手」という言葉を聞いてすっかり安心したのか、さっきまでの焦りはまるで見えない。むしろ道具には気を使う必要などないとでも言うように、話を聞かずに主張ばかりをしている。
「第一、結界が作動する前に、君が『二人は万が一のために離れた場所で待機している』と言ったんだろう? これが万が一でなくて、何が『万が一』なんだ?」
話を聞く気がない男に対し、スナタからは苛立ちが垣間見えた。
「結界の破損や、それに伴う高濃度の魔法爆発です。もしそうなった場合、その土地一帯、そしてわたし達は無へと還ります」
何かが『切れた』スナタは、これまでとは打って変わって静かに言った。しかしそんなスナタの様子に気づかない男は、鼻で笑って言葉を放つ。
「そんなことが有り得るわけ……」
「魔法を甘く見ないでください下手をすればわたし達は死すら許されない空間に飛ばされるんです日向が行っている【創造魔法】はそれほどまでに危険な魔法なんですそりゃあそうでしょうだってバケガクですよバケガクはただ修復すればいいってもんじゃありません知っているはずですバケガクというものはそもそも歴史的価値が高いために建設当時のまま後世に残す必要があるんですだからわたし達が駆り出されたんですわたしはほとんどおまけのようなものですけれど日向の魔法を抑え込めるのは今日この場にいるたくさんの人の中で蘭とリュウしかいないんです魔法使いはランクが全てじゃありませんというかあなたは魔法使いをなんだと思っているのでしょうか魔法をなんだと思っているのでしょうか一度世の中のことを勉強し直してきた方がよろしいのでは?」
スナタのそのいきなりの豹変ぶりに、場にいた面々の顔が驚愕の一色に染まった。そして、ボクも。
何かを知っているらしい学園長だけが、楽しげに口元に弧を描いていた。
18 >>245
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.245 )
- 日時: 2021/08/18 22:58
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: fIcU8FL5)
18
なんだ、あれ。二重人格? それとも、今まで猫を被っていて、あれが本性なのか? いや、二重人格は別人が一つの体に入っている状態のことだから違うだろうし、猫を被るような奴と姉ちゃんが仲良いわけない。でも、だとしたらなんだ? ただ怒っているというだけには見えないけど。
「おやおや、あの状態のスナタ君を見るのは久々だなあ」
あくまで面白そうにしみじみとそう言う学園長に、ボクは尋ねた。
「あれって、どうなってるんですか?」
すると学園長はクスッと笑い、説明を始めた。
「スナタ君はね、感情が一定以上溜まると自分の感情を抑えられなくなるんだ。そしてあんな風に、人格が変わったかのように口調や雰囲気が変わるんだよ。二重人格と間違われることが多いけど、厳密には違うかな」
つまりは感情によって起こるってわけか。魔法が暴走しない分まだましだな。世渡りは下手そうだけど。
「な、な、な……魔法使いのくせにその口の利き方はなんだ! しかもお前は魔術師ですらない魔法士じゃないか! 兵器としての役割もこなせない奴が偉そうにッ」
「わたしとしては、どうして魔法も使えない不適応者が『自分たちの方が上だ』なんて思っているのか理解出来ないですけどね。もちろん魔法が全てではありませんが、わたしたちの生活を守っているのは魔法です。我々魔法使いを『兵器』と称している時点で、魔法使いを兵力として認識していると、魔法の力をあてにしていると思うのはわたしの気のせいですか?」
「なっ、なっ……」
先程とは立場が逆転し、今度は男が顔を真っ赤にしている。スナタの目は完全に冷えきっていて、変わらぬ無表情で男を射抜く。
感情に任せて男が怒鳴ろうとしたところで、姉ちゃんが張った結界に変化があった。
ゆっくりと、やわらかな光が押し寄せた。結界が発動した時のような唐突で強烈な光ではない。
ぼんやりとした光。
その表現が正しいと思われる程の、穏やかな光だった。
「とうとう始まるみたいだね」
ぽつりと学園長が音を零した。表情を見てみると、真剣な中に僅かに『楽』がチラチラと顔を出していた。しかしやはり緊張感が漂う、何とも言えない表情だ。
そう言うボクも人のことは言えない。言葉にして表すことの出来ない高揚が心臓を包み込み、無意識に両手を握りしめていた。
大きな魔法を行うには、準備が必要となる。魔法陣や結界なんかの『下準備』とは別に、精神を安定させたり術式を組み立てたり長い詠唱を行ったり。【創造魔法】がどのようなものなのか、詳しいことはボクは知らないけれど、姉ちゃんでも簡単にこなすことの出来ない魔法だってことくらいは分かる。
これから何が起こるのか分からない。だからこそ未知のものに対する恐怖と不安、一抹の興奮がザワザワとボクの中で複雑に絡まりあっている。
「姉ちゃん、頑張って」
気付かない内に漏れていたその言葉を、ボクは自覚しないまま、じっと結界を見守っていた。
19 >>246
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.246 )
- 日時: 2021/08/19 21:46
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: y3VadgKj)
19
結界の中を漂っていた雪のような純白の光の粒は、だんだんと金粉へと変わっていった。やがて白と金の比率が等しくなった頃、ボクは金粉の発生源に気がついた。
それは、ボロボロに崩れた瓦礫や、なぎ倒された木々だった。個体であるはずのそれらは春風に連れられるかのように金粉と化して白を彩る。
サラサラと砂のように空気に溶けだす金粉はふよふよとさまよった後に消えてしまうものもあるし、複数の金粉が合わさって、一つの淡い光になるものもある。
その光はまるで、精霊使いが稀に見せる可視化された〈媒体精霊〉によく似た──
まさか。
「くうかん、せいれい?」
震える口から乾いた息が吐き出された。
いや、そんなわけない。そんな魔法があるわけが無い。物体を『最小の単位』まで【分解する魔法】なんて……。
いや。
空間精霊。それは物質を構成しているとされている最小の単位。『精霊を寄せ付ける力』にも関係したものとされているが、それはあくまで一説であり仮説。しかし現段階で一番有力な説でもある。
物質を構成しているもの。それと【創造魔法】が無関係であるわけが無い。それを何故、今の今まで忘れていたのだろうか。【創造魔法】が難しいと言われる所以。それは『確実でない説を信じ、いかに自分のものとするか』が問われるからだ。立証されていないということは、正解が定められていないということ。いくら書物を読んでも無いものは無いのだ。そのため、自分の中で穴のない完璧な理論を組み立てる必要がある。それは本を読んだり人から習うだけで満足するような魔法士や魔術師には出来ない所業で、魔道士ですら自分で理論を組む──オリジナル魔法を開発することが出来る者はほんのひと握りだと聞く。ちなみに姉ちゃんはそれを昔から平然とやってのけていたのですごい人なのだ。
今現在一般に知られている【創造魔法】の方法は、『決まった空間精霊を決まった位置関係で組み合わせて形を作り性質を与える』というもの。空間精霊の種類は数億にのぼると言われており、決まった種類や組み合わせを覚えるなど常人には出来ない。これはボクが【魔力探知】で姉ちゃんしか探せないのと同じような理由。この世のありとあらゆるものの構造を空間精霊のレベルまで覚えていては脳が情報に耐えきれないのだ。だから【創造魔法】で作り出されるものには小岩や造花などの比較的小さなものが多い。また、魔法の理屈が同じなため、錬金術もこれに分類すると記された魔法書が多い。
「朝日君」
ボクは思考に耽っていたが、学園長の呼び掛けにより現実世界に戻った。反射的に素早く学園長を見ると、何故か目を伏せていた。
「もう気づいているかもしれないけれど、日向君が行っている魔法は【創造魔法】だけでは無い。日向君のオリジナル魔法【分解魔法】があの中で行われているんだ」
学園長は、何を言おうとしているのだろうか。
うっすらと開かれたその目は姉ちゃんがいる方向を向いているが、意識はボクに向いている。どうしてだかボクは鋭い視線を学園長から感じ、足に力を入れて身構えた。
「【分解魔法】は【創造魔法】の発想を逆転して生み出された魔法。そして、おそらく日向君にしか扱えないであろう特殊な魔法だ。
朝日君。日向君からの頼みでね、君が望むようなら今日日向君が行う魔法のことを教えてやって欲しいと言われている。君のことだから、ノーなんて言わないだろう?」
目がボクに向いていないため、学園長には見えないと知りながら、ボクは大きく頷いた。
そんなの知りたいに決まっている。ボクは姉ちゃんの全てが知りたい。そのために生きているんだから。
ボクが頷いたのを見ていたはずはない。しかし学園長はボクの反応を確認する素振りもなく、静かに語り始めた。
20 >>247
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.247 )
- 日時: 2021/08/20 23:50
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 0.f9MyDB)
20
「この聖サルヴァツィオーネ学園が、どうして歴史的価値が高いのか知っているかな?」
どうやら学園長は順序立てて話そうとしているようだ。ボクは頷き、ボクの知るバケガクの価値についてを口にした。
「今のBの時代よりも前の時代に出来た、利用を続けられている唯一の建築物だからですよね」
バケガクは、建築当時の状態を極めて綺麗に保ち続け、改築なども行われたことがないため、『奇跡の遺跡』だとも呼ばれている。ただ、世間の大多数は「そんな建築物が存在するわけが無い」という意見を持っている。それもそうだ。数多の種族が生息するこの世界にも、流石に百万年生きる種族は存在しない。建築当時を知る者が一人もいなく、Bの時代より前の時代の文献もほとんど残っていない。証拠が残っていないのだ。
「そうだね。君がそれを信じているのかは知らないが、それは真実だ。しかしそれだけでは無い。この学園は、文字通り神の創造物なんだよ」
「は?」
思わず声を出してしまった。なんだ、どういう意味だ? 神の創造物?
「何故作られたのかは分からないけれどね。神がその手で造ったんだ。この世界に存在する遺跡は古代の『人々』が建造した物がほとんど。神が作成したと分かっている創造物は少ないから、そういった意味でも価値が高いんだ」
そこまで聞いた時、ボクはとある疑問が浮かんだ。
「あの、学園長はどうしてそんなに物知りなんですか? 他にも色んなことを知っているみたいですし」
「年の功さ」
学園長は即答した。それはなんだか用意していた言葉を伝えられたようで、ボクはその言葉を全く信用出来なかった。そしてそのことを察したのか学園長は苦笑した。しかし、それだけだった。
「だから、後世にも『建築当時のままの状態』で残す必要がある。なのにバケガクは壊れてしまった。そんなことになれば、普通なら業者に頼んで修繕してもらうところだが、バケガクではそうもいかない。破壊されてしまえば、『破壊される前の状態』に、『完璧に』直さなければならない」
ボクはゾッとした。学園長が言おうとしていることを、言われる前に、理解したからだ。そしてそれは、とんでもないことだった。
「言う前に分かったみたいだね」
そう言ってボクに体ごと目線を向けた学園長は、仄かな白い光に当てられて、右半身が白く染まり、反して左半身は影が落ちていた。視界から色彩が失われ、白と黒が『色』を侵食していく。
身体中が震え、力が抜けていき、立っていられなくなる。そしてとうとう、がくんと膝をついた。かなり痛みが走ったようだけれどそんなどうでもいいことに構っていられるほどの余裕はボクにはなかった。
思い出したんだ。
ずっと昔、家族全員が大好きなんだと思っていたくらいの幼い頃に、姉ちゃんがボクに話してくれたこと。その頃からボクは姉ちゃんに魔法のことを教えてとねだり、そうして教えてもらったことの一つだった。
例えば一つの石があったとして、【創造魔法】でその石そっくりの石を作ったとする。けれど元の石と魔法によって作った石は別物だと。しかし唯一、元の石と全く同じ石を作る方法がある。
『その石を構成している空間精霊と同じ空間精霊を用いて、寸分の違いもない構成で石を作り上げる』。そうすればその石は完璧なコピーとなる。しかしそれは不可能に近いのだとも、姉ちゃんは言っていた。
当時のボクにはその話は難しすぎて理解出来ず、そのため今の今まで忘れていたのだ。
何故不可能なのか。その理由は簡単だ。『魔力がもたない』からだ。
数億にのぼるのは、あくまで空間精霊の『種類』であり、空間精霊の『総数』ではない。総数の話になればその数は無限大になる。その無限大の数の中から一つ一つを区別することなんて……
『難しい』んじゃない。
『不可能』なんだ。
そんなの魔力だけの問題じゃない。複雑な魔法を使い続ける精神的疲労と体の負担で心身共に影響が出る。
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」
喉に水分を奪う熱い風が吹いた。バクバクと心臓が肉を食い破ろうとして、ドクドクと血管が破れるくらいに脈を乱す。頭がぼうっとしているのに意識はしっかりとしていて、嫌な考えばかりが頭の中でぐるぐると回る。
姉ちゃんは『不可能に近い』と言った。不可能だと、断言した訳では無いのだ。
姉ちゃんを疑うわけじゃない。逆だ。姉ちゃんならそれが出来かねないから、不安なんだ。
姉ちゃんは確実に、『完璧にバケガクを修復する』ことが出来るだろう。
たとえ、命を落としたとしても。
姉ちゃんがバケガクに命を賭けるほど思い入れているなんて思わないけれど、ボクはあまりにも姉ちゃんを知らない。こんなに大きな魔法まで使えるなんて知らなかった。『使える』という事実に違和感は感じなかったが、実際に目に見るまで、『知らなかった』のだ。
吐き気がする。気持ち悪い。くらくらする。
「か、はっ」
吐瀉物は出なかった。代わりに胃酸が喉を逆流し、口からは出ずとも喉を焦がした。冷えきった手で喉を抑えても熱はいっこうに引かず、火は勢いを増していた。
息が出来なくなり、四肢の感覚も薄れてくる。脳は収まりきらない恐怖に押しつぶされて、ぐしゃぐしゃに破壊されそうだった。
死にはせずとも、急激な魔力の損失による魔法障害を引き起こすかもしれない。姉ちゃんに何かあったらボクは生きる意味を失う。ボクは姉ちゃんがいないとだめなんだ。母さんも、父さんとも、じいちゃんもばあちゃんもいない。ボクには姉ちゃんしかいないんだ。そうでないといけないんだ。ボクは──
あああああぁあああああぁああああああああああああああああああぁぁぁああああぁああああああああああああぁぁぁあぁああああああああああああああぁぁぁあぁあああああぁああああああああああああぁぁぁああああぁあああああぁああああああああああああああぁぁぁあああああぁあああああぁああああああああああああああああああぁぁぁああああぁああああああああああああぁぁぁあぁああああああああああああああぁぁぁあぁあああああぁああああああああああああぁぁぁああああぁあああああぁああああああああああああああぁぁぁあああああぁあああああぁああああああああああああああああああぁぁぁああああぁああああああああああああぁぁぁあぁああああああああああああああぁぁぁあぁあああああぁああああああああああああぁぁぁああああぁあああああぁああああああああああああああぁぁぁあああああぁあああああぁああああああああああああああああああぁぁぁああああぁああああああああああああぁぁぁあぁああああああああああああああぁぁぁあぁあああああぁああああああああああああぁぁぁああああぁあああああぁああああああああああああああぁぁぁ
21 >>248
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.248 )
- 日時: 2021/08/21 08:55
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: ZgzIiRON)
21
「…………く……」
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
「あさ……ん」
ボクには姉ちゃんしかいないんだ。姉ちゃんがいないこの世界なんて何の価値もない。
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う
『ボクは不幸なんかじゃない』
『ボクは不幸だ』
『心を病んだ母親と弱気な父親』
『違う違う違う違う違う違う』
『姉だって人間離れした力を持っていて不気味で』
『やめろ』
『それでいていつも無表情なのが異様で』
『姉ちゃんはボクの光だそんなこと言うな』
『だってそうじゃないか』
「あ……ぁ、あ、あ」
『姉がいなければ、ここまでひどいことにはならなかった』
「やめろ」
「あさひくん」
『頃合だろ? 目を覚ませよ、ほら……』
「朝日君!」
「うるさい!!」
ボクは喉から叫んだ。途端に痛みが勢いを増して、喉を焼いた。痛い、熱い、苦しい、寒い。
震える身体を必死で抱いて、それでも冷えは治まらない。気温も関係しているのだろうか。心臓は烈火のごとく熱いのに、体は氷漬けにでもされたように冷たい。中と外の温度差が気持ち悪い。
「煩いんだよ黙れよ。俺だってわかってるよ。姉ちゃんが……自分が狂っていることくらい。仕方無いじゃないかこうでもしないと俺は気がおかしくなってたんだから」
ぶつぶつと俺が唱えていると、学園長がもう一度俺の名を呼んだ。
「朝日君!!」
その瞬間に目が覚めて、頭の中の靄が晴れた。目を二、三回瞬きして、呆然と学園長の顔を見る。
「あ、あれ?」
俺は一体何をしていたんだろう。意識ははっきりしているけれど、記憶が曖昧だ。えっと確か、バケガクに来ていて……なんでだっけ。ああそうだ、ここに姉ちゃんが来ているから──笹木野龍馬が来ているから、アイツが姉ちゃんに変なことをしないか見張るためだ。
なぜ?
別にいいじゃないか。姉ちゃんが誰と親しくしていようが。一人たりとも友達を作らず、俺以外に話し相手すらまともにいなかった姉ちゃんに大事な人が出来たんだ。むしろ喜ぶべきことで、二人を邪魔する必要は無い。
『だめなんだ』
どうして?
アイツと一緒にいる姉ちゃんは、他のどんな時よりも幸せそうだ。無表情を貫いてはいるけれど、俺ならわかる。言葉では説明しづらいけれど、アイツがそばに居ると、いつもの糸がピンと張っているような雰囲気が緩んでいるのだ。
『姉ちゃんには、ボクだけがいればいいんだ!』
違うだろ。姉ちゃんが俺を大事なのは、俺が弟だからだ。それ以上でも以下でもない。姉ちゃんは俺に依存してはいない。だからお前も、早く目を覚ま──
『うるさいうるさいッ! ボクは姉ちゃんの唯一の家族だ。ボクと姉ちゃんは姉弟なんだ、他人の笹木野龍馬なんかに姉ちゃんが取られてたまるか!』
俺は神の怒りを買ったんだ。懺悔するなら今のうちだ。神は敵には容赦しない。いつまでも姉ちゃんに依存しているようじゃ、九年前のあの事件から成長出来ないんだ。分かっているんだろ?
『だまれ! だまれだまれ! 神がなんだ! そんな奴いない、ボクは神なんて信じない!』
ああ、いないだろうな。もし神様がいるのなら、俺たちがこんなに不幸になる理由がわからない。俺たち姉弟が何をしたって言うんだ。
『違う、ボクは不幸じゃない! だって姉ちゃんがいる! 姉ちゃんがいればボクは幸せで──』
ああもう、仕方ないな。
俺は脳内の押し問答を、無視という形で無理矢理終わらせた。
ふと目を向けると、学園長が興味深そうに俺を見ていた。
「君は……今の君は、過去の朝日君かい?」
俺は学園長が何を言っているのかわからず、眉間にしわが寄るのを感じた。
「は? 何を言っているんですか?」
すると今度は「ふーん?」と意味深に首を傾げ、ぼそりと独り言を口にした。
「そういう訳では無いのか。じゃあ、一時的に自己暗示が取れた状態ってことかな」
それは確かに独り言で、俺への問いでは決してなかった。しかし俺は苦笑して、学園長の言葉に対し、苦笑気味に返事をする。
「はい、そんな感じですね。ここまで意識がはっきり分かれていると二重人格と称しても良さそうですけど」
そう。『ボク』ではない『俺』は、『俺』としての意識をしっかりと持っている。『ボク』とは自己洗脳をかけて作り上げた仮の人格であり、本来の『花園朝日』は『俺』だ。
だけど、『俺』も『ボク』も根本は同じだ。『俺』だって姉として姉ちゃんを慕っていたし、慕っている。『ボク』は姉ちゃんを『依存対象』として意図的に向ける感情を膨張させてしまっているため性格が歪んでしまっているが。『ボク』になる前から姉ちゃんの魔法を真似して使っていたし、姉ちゃんから避けられていた。俺がしつこく食い下がっていたから、割と一緒に過ごす時間は長かったような気もする。
『俺』と『ボク』は同じ人格だ。精神状態により多少性格にズレが生じるタイプ、スナタさんと似ているかな。だから、俺は二重人格ではない。
「君は、君自身のことをきちんと理解しているのかい?」
「それは、俺が犯した罪の話ですか?」
学園長が頷くのを見て、俺は肩を竦めた。
「はい、知っています。祖父母を殺したことはもちろん、『他人の精霊に手を出した』ことも」
神の眷属である精霊に対する違反は、この世界における大罪だ。なぜならそれは、神に背くということだから。
今は『俺』に『ボク』を『被せているような状態』だけど、そのうち『俺』は消滅するんだろうな。
そうなる前に、『ボク』が正気に戻ってくれるといいんだけど。と言っても、『ボク』という人格を形成したのは俺自身なんだけどな。
俺は再度、苦笑した。
22 >>249
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.249 )
- 日時: 2022/07/31 21:36
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: VmDcmza3)
22
「ん? というか、どうして『俺』が出てきたのがわかったんですか?」
学園長の「今の君は、過去の朝日君かい?」という言葉は、明らかに『俺』と『ボク』を区別した言い方だった。『俺』と『ボク』の違いは一人称と口調。しかしその違いに気づける人はそうそういない。違和感を感じたとしても、まさか『人格が入れ替わった』なんてわかるはずないだろう。
学園長は何者なんだ? 知っているはずのないことばかり知っている。気味が悪い。
「うーーん」
学園長は腕組みをして唸った。と思えば急にクスッと笑い、俺に言った。
「では、ヒント。
私は、とある『権限』を持っている」
権限? なんだ、それ。
「これ以上は教えないよ。というよりも、教えられない。私にも事情というものがあるんだ。これで満足してくれ」
それなら、これだけでも教えてくれたことに感謝すべきかな。
「わかりました。ありがとうございます」
そう言って頭を下げる俺を見て、学園長はうんうんと頷いた。
「君はいい子だね」
ああそうだ。『俺』は元々普通だった。異常な家庭で生まれ育った身だけれど、精神が歪むことは九年前のあの事件までなかった。それ以降も『ボク』という殻で『俺』を守ることで、俺は正気を保っている。
だけど──
「学園長」
「ん?」
「学園長は、教師──先生ですよね?」
俺の問いに対し首を傾げた学園長は、数秒してから頷いた。
「ああ。一応そういうことになっているね。どちらかと言えば職員だけど。それがどうかしたのかい?」
『俺』は、もう二度と表に出てくることは無いだろう。俺の中のもう一つの、『ボク』とはまた違った、俺が殺した『狂った俺』がもうすぐで混ざる。そうなるとこの『花園朝日』という人間は破滅へと向かうことだろう。二重の殻を使わなければ正気を保てなかった弱い『俺』なんて、すぐに消えてなくなるだろう。
歯車は揃った。今更運命に逆らう気は無い。そんな気力は残っていない。そりゃあ、あわよくば九年前より前に、姉ちゃんと俺の二人だけでも、戻れたらいいなとは思うけど。
「なら、聞いて欲しいです」
『ボク』は、姉ちゃんしか見えていない。見ようとしていない。なら、俺が『俺』であるうちに、花園朝日としての人生に、少しでも悔いが残らないようにしたい。
「学園長」
助けの手を、求めたい。
出来る限りのことをしておきたい。
「俺……」
涙は、出ないな。最後に泣いたのっていつだっけ。昔から全然泣かない子だったと、母さんは言っていたな。
「……生まれてきたく、なかったです」
なあ、『ボク』。もっと本心を口に出せよ。
辛いなら、そう言えよ。
姉ちゃんなら、きっと、助けてくれたはずなのに。
23 >>250
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.250 )
- 日時: 2021/08/22 11:57
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: OWyHbTg8)
23
ゴゴゴゴゴゴッ
視界が急に大きく揺れた。学園長の姿が二つや三つに分かれる。足元が振らついて、立っていられない。慌てて柱に掴まりなんとか体勢を維持する。
「あー。ちょっと危ないかなあ」
そんな呑気な声が聞こえ、次に、パチンと指を弾く音がした。
何かの魔法を使うつもりなのかと目を見張ったけれど、何も起きない。ボクは拍子抜けして体の力を抜いた。
「さあ! お仕事だっ!!」
しかし、目を爛々と光らせた学園長が叫ぶと、バケガクのあちこちで真っ白な光の柱が現れた。気を抜いていた分驚きで体が硬直する。光が現れたそれらの位置は確か、ここと同じ『通達の塔』があった場所だと思う。光は大きな弧を描いてこちらへ向かい、最終的に学園長の手の中に集結した。間近で目を潰すような強い光がバチバチと火花を散らし、この空間を支配する。
「色は……白でいいかな」
そうボソッと呟いたかと思うと、暴れていた光が指先一点に集中した。直径一センチの球状になったことにより、光からは瞼を貫通して突き刺すような強さが失われた。
右の手のひらの三本の指を折り、残った人差し指と親指を立てる。人差し指を結界へ向け、ブレないようにするためか、左手を右手首に添える。
『……!』
見たこともないような楽しげな顔で、聞いたことの無い呪文を口にした。球状だった光が直線に変わり、真っ直ぐに結界に向かう。
光は結界に直撃すると、結界の表面を包み込むように覆った。ぼんやりと光っていた結界がほんの一瞬閃光の如く輝いた。あまりにも突然のことで目がやられ、しばらく目の前が真っ白になり、そして暗闇に染まった。
やがてそれが収まった頃、気付けばバケガク本館・別館、それから森やその他建築物等はすっかり元の状態に戻っていた。
パチパチと瞬きを数回繰り返した後、ボクは学園長に詰め寄った。
「一体何をしたんだ?!」
すると学園長は慌てるどころか爽やかな笑顔を浮かべて、表情全てで「楽しい」と語った。
「結界を補強したんだよ。大丈夫、通常の結界なら外部からの干渉を受けると基本的には力を跳ね返してしまうけど、展開したのは日向君だし、私の力は特殊だから。
厳密には私自身の力ではないんだけどね!
そして日向君は強化されたことを察知し、このままいけば魔法が失敗すると悟ったんだろう、一気に魔法を終了まで持っていったんだ! その結果がこれさ! うんうん、さすがだね」
にこにこと満面の笑みを向けられて、ボクは学園長を不気味に感じた。なんだよ気色悪い。雰囲気違いすぎだろ。
ボクの毛虫を見る目に気づいたのか、学園長はどこか焦点の定まらないぼんやりとした瞳にボクを映した。
「ふふふ。不思議そうだね、気になるかい? 私は久々に役目を果たせて上機嫌だから、特別に教えてあげよう!」
ちょうど聞こうと思っていたから構わないけれど、学園長はボクが(まだ)聞いてもいないことをペラペラと話し出した。
「私はこのバケガクを管理・維持するためだけに作られた者でね。その役目を果たすことに快感を感じるよう精神をいじられているんだ。感情を失った訳では無いしどうすれば自分が楽しめるのかがはっきりとわかるからそこに不満はないよ」
そして右手で拳を作り、甲の部分を額に当て、
「いやあ、いい汗をかいたよ!」
全く汗をかいていない顔でそう言うのだった。
24 >>251
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.251 )
- 日時: 2021/08/23 20:41
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: lU2b9h8R)
24
作られた? それってどういう意味だろう。
ボクが質問しようとした直前に、学園長が結界を指した。
「結界が解け始めたよ」
そう言われて結界に視線を向ける。
キラキラとした光で満ちていた結界は、だんだんとその幻想的な姿を失いつつあった。光のせいで白く霞んで見えていた建築物はくっきりと輪郭を現し、元のあるべき姿に戻っている。結界の範囲を示していたドーム状の半透明な壁も、頂点から、溶けるようにして無くなっていった。黒色の魔法陣も地面に吸い込まれていき、魔法の痕跡が消えていく。
昔のボクは、この光景が好きだった。魔法が失われていき、自分が現実へ引き戻されてしまうこの感じ。切なくて名残惜しく、けれども儚い。なんともいえないこの気持ちが、昔のボクは好きだった。
いつの間にか視力は元の状態に戻っていたので、姉ちゃんの様子は分からない。
だから。
「アイテ──むぐっ」
アイテムボックスからほうきを取り出し、姉ちゃんの元へ行こうとした。
なのに、学園長に口を塞がれて詠唱を強制的に中断させられた。
「な、何をっ」
「すまないが、日向君の元へ行くのはやめてほしい」
「なんでだよ!?」
「わからないのかい?」
「……ッ」
……わかるに決まってる。八年間離れていたとはいえ、ボクは誰よりも長く姉ちゃんと過ごした自信がある。
きっとボクが行けば、姉ちゃんに心労を与えることになる。昔からそうなんだ。ボクといるとき、姉ちゃんは無理をしてる。自分が異常者であることを自覚し、そのことでボクが姉ちゃんに対し不安感を抱かないように、ボクへの接し方を常に考えて、異常な家庭環境に押しつぶされないように、ボクを守って。
わかってる。わかってるんだ。あんな大きな魔法を使ったあとだから、姉ちゃんは心身ともに疲れきっているはず。ボクは行かない方がいい。
「チッ」
わかってるよ。そんなこと。
「よし。なら、一緒に行こうか。本館も復活したことだし、全員を移動させないといけない」
学園長はそう言って、ガコッと足元の扉を開けた。来る時も思ったけれど、重そうな鉄製のようなのに、どんな腕力をしているんだろう。全く重そうに見えない。
「さ、入って」
自分が閉めるからということだろう、ボクを先に階段に行かせ、学園長は後に続いた。
「これからもお務め頑張ってね」
黒子と白子(だっけ?)に声を掛けて、ギギッと不快音をたてながら扉を閉める。しっかりとした石造りの階段を下る。特に弾む会話もないまま数分歩くと、目の前に木製の扉が現れた。
「ここから出たら別行動だ。スナタ君が君を日向君の所まで案内してくれる。到着する頃には日向君は眠っているだろうから、会うかどうかは好きにしてくれていい。帰るなら帰ってもいいし」
「わかった」
ボクが頷くのを確認すると、学園長は扉を押し開けた。キイッと軽い音が鋭く響き、暗かった空間に光が溢れる。
「じゃあね。鍵は気にしなくていいよ」
それだけ告げて、どこへともなく学園長は消えた。
ボクは、ふう、と息を吐いた。どうやら疲れが溜まっていたらしい。それもそうか、あの学園長は得体がしれない。警戒心が知らず知らず高まっていたようだ。
しばらくぼうっとして、ふと、呟く。
「行くか」
塔の外へ足を踏み出すと、じゃり、という砂の感覚を足が感じた。改めて感じたこの感覚は、不思議と懐かしく思う。
先程吐いた息を今度は大きく吸い込む。肺が凍るような冷たい空気が心地良い。
もう一度、息を吐く。白い息が空へ溶けていくのを見届けて、ボクはスナタを探し始めた。
25 >>252
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.252 )
- 日時: 2021/08/24 21:24
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: .lMBQHMC)
25
「あ、いたいた!」
スナタもボクを探していたのだろう、ボクに気付くと声を上げ、ボクへ合図を送るように大きく手を振った。
今いる場所は図書館の近く。兵士がわらわらと集まっている場所で、遠目に学園長が見える。おそらく、ボクがまだ学園長と一緒にいるとでも思って、学園長がいる場所付近を探していた、というところか。
「ごめんねー。探すの時間かかっちゃった」
駆け足でボクに近付いたスナタはそう言ったけれど、実際はそんなことはない。塔のまわりで数分うろうろしてから、人が沢山いるところにいるのでは、と思いたってここへ来て、三分もかからずに見つけられた。もちろん、気配を消していたなんてことは決してない(そもそもボクはそんなこと出来ない)から、見つけにくいということはなかったはずだ。しかし、それにしても早すぎる気がするのは気のせいではない。
「いえ、大丈夫です」
ボクのその言葉を聞くと、スナタはホッとしたように表情を緩めた。
「じゃあ、行こっか」
そしてボクに背中を見せて、スナタは歩き出した。速いとも遅いとも感じないちょうどいい歩幅とスピード。
気を使っているのかな。
「朝日くんは、おしゃべりは嫌い?」
無言で歩き続けるのは気まずいという意味だろうか、スナタはこんなことをボクに尋ねた。
「いえ、そんなことはないです」
別に好きというほどでもないけど。人と話すことについては、何とも思ったことがない。話すことがあれば話すし、話すことがなければ話さない。人付き合いにおいて対話は重要な役割を果たすので、必要であれば自分から話しかけることもあるけれど。
「えっと、なら、質問ね!
好きな食べ物ってなに?」
「チョコレート、ですね」
「甘いものが好きなの?」
「それもありますけど、面白いじゃないですか。甘いのに苦いし、苦さにも種類がありますし」
「なるほどねー。ちなみに、なんのチョコが一番好き?」
「うーん、カカオ含有率が二十パーセントから三十パーセントのものですね」
「つまり、『普通くらい』ってことか。私はミルクが好きだよ」
「スナタさんも甘いものが好きなんですか?」
「うん、大好き! でも一番好きなのは柑橘系かな。みかんが好き。ほら、朝日くんの家にも置いてあるでしょ? たくさん」
ボクは一度首をひねって、頷いた。
「はい。戸棚に置いてあります」
スナタは照れ隠しのように苦笑した。
「あはは。最近は行ってないけど、前までよく日向の家に遊びに行っててさ。私が来た用にたくさん置いてくれてるの。いまは日向の契約精霊さんが食べてるらしいけどね」
これは、チャンスかもしれない。
「姉ちゃんは、どんなことをしてスナタさんと過ごすんですか?」
「え? えーっと、何したっけ」
うーんうーんと唸りながら記憶を掘り起こすスナタの様子を辛抱強く見ていると、「あ、そうだ」と、何か思い出したらしいスナタが呟いた。
「勉強会とかは、頻繁に開いてたかな」
ボクは少しガッカリしつつ、食い下がってみた。
「遊んだりしないんですか?」
姉ちゃんが遊んでいるところを、ボクは見たことがない。いつ見ても、本を読んでいるか家にいないかの二パターンしかなく、意外な一面、というものに遭遇したことがない。
「日向が遊ぶところなんて、想像出来る?」
クスクスと笑うスナタの姿を見て、ボクは姉ちゃんとスナタが一緒に『遊び』をしたことがないことを悟る。
「何度か街や王都へ行こうって誘ったんだけどね。祭りとかにも一緒に行きたいってせがんだけど、全敗。日向って変なところで頑固なんだもん」
愚痴のように話しつつも、その表情は柔らかい。
どこか遠い目をして語るスナタの横顔は、なぜだかとても、神秘的に思えた。
26 >>253
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.253 )
- 日時: 2021/08/25 19:50
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: .bb/xHHq)
26
森を抜けると、ほんの数十メートル離れた場所にバケガク別館がある。ついさっきまで半壊以上の状態だったとは思えないほど綺麗で、しかし新品同然という程でもない。壊される前のそのままに、まるで何事も無かったかのように構えている。
石の質感もほんのわずかな石と石のズレ具合も、寸分の違いもない。質感もズレ具合も完璧に記憶している訳では無いが、覚えている限りのものと照らし合わせて見ても、全く違和感を感じないのだ。
「すごいなぁ……」
小さく聞こえたその言葉は、どうやら呟きらしかった。スナタの口から落ちた珠のような言葉は、地面を転がり、ボクの足にコツンと当たる。
「すごいですよね」
ボクもたった今思っていたことを口にする。するとスナタは寂しげに微笑んだ。
「すごいよね」
すごいの繰り返しをやり取りする。それはまるで、悩みを言葉にするのをためらうような、思いを言葉にすることに不安を抱いた者の話し方に感じられた。
「スナタさんは、どうして姉ちゃんと仲良くなったんですか?」
滑らかに喉をすり抜けてきた言葉を耳にし、ボクは驚いた。そりゃあ、あれほど人と関わりを持とうとしない姉ちゃんが何故スナタ達と親しくしているのか、その理由をいつかは聞こうと思っていたけれど。それにしても、まだ早い。三人のうち誰か、情報を与えてくれそうな奴ともっと近づいてから聞くつもりだったのに。
「それを聞いちゃうかー」
あはは、と、空気を吐くような笑い声を上げたあと、スナタは言った。
「仲良くなった理由は、なんだったっけ。朝日くんって確か、東蘭って人、知ってるんだよね? 日向とは、あの人からの紹介で知り合ったんだ」
スナタの言う通り、ボクは昔から東蘭とは面識があった。それも、まだ両親が生きていたあの頃から。
きっかけは知らないけれど、姉ちゃんと東蘭はいつからか親しくなっていた。同じ天陽族の名家同士だから会う機会もそれなりにあったし、〔白眼〕と〔半端の才児〕という疎まれ者同士、何かと気が合うのだろうと大人たちが嘲笑混じりに言ったことがまだ記憶にある。
ボクも何度か姉ちゃんにせがんで会わせてもらったことがある。〔白眼〕と罵られている姉ちゃんがすごいのだから、姉ちゃんとも気が合うのから東蘭もさぞかしすごい人物なのだろうと思ったのだ。姉ちゃんはボクがせがむとちょっとだけ嬉しそうにして、大人の目を盗めるタイミングで東蘭のところまで連れて行ってくれていた。
東蘭は、人の好き嫌いが激しく、人によって当たりを強くするような性格のため周囲の人間からは好かれていないようだった。けれど嫌う理由がきちんとしているし、嫌なことは嫌だとちゃんと言う人だったため、はっきりしている東蘭が、ボクは好きだった。
いまは、どうだろう。十年以上会っていないから、わからないや。
「東さんとは、仲がいいんですか?」
質問の方向を変えてみる。スナタはふわ、と微笑んだ。
「うん。仲良くしてくれてる。教室も同じだし、寮暮らしなのも同じだし。一緒にいることが多いかな」
やはり、スナタは劣等感が強いように思う。友人に対して、仲良くして『もらっている』なんて、普通は思わないんじゃないだろうか。
「わたしたち二人とも、他に友達なんていないしね」
苦笑が混じったその笑みには、寂しそうな雰囲気は感じられなかった。
27 >>254
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.254 )
- 日時: 2021/08/26 21:57
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KVjZMmLu)
27
「朝日くんはどう? 仲のいい人っているの?」
自分に友達が少ない理由を詮索されたくないのか、スナタは矛先をボクに向けた。直後に、自分が訊かれたくないことをボクに尋ねたことに罪悪感を抱いたらしく、バツの悪そうな顔をする。
別に気にするようなことではない。ボクにとってスナタに友達がいないことなんてどうでもいいことだし、この質問も特に拒否する必要もない。
「一人だけ、よく話す相手はいますね」
他は情報収集の道具にしか使っていない。それなりに遊びにも付き合ったりしているので、ウィン・ウィンの関係を保っている。良くも悪くもそれだけだ。
「少ない友達を大事にするタイプなの?」
「いえ、そういうわけではありません。昔はたくさんいましたし」
昔は、じいちゃんの名前に釣られたやつばかりが寄って集って来た。じいちゃんの孫は姉ちゃんとボクだけで、姉ちゃんに近寄りたい奴はいなかったから、その分ボクに集中したのだ。その中でも根元から良い奴はそれなりにいて、そこそこ良い関係を築けていたと思う。というか、じいちゃんの家にいた一年程前まで仲良くしていた。縁が切れたのは、バケガクに入学してからだ。八年前から何かと「朝日はおかしい」「朝日は変だ」と言い出して、ついに我慢の限界が来たとでも言いたげに離れていった。ボクも人との友好関係を煩わしいと思っていたのでちょうど良かった。バケガクに入学して半年くらいは、姉ちゃんとの接触もなかったし独りで過ごしていたけれど、ある日ボクに話しかけてきた人──怪物族の女がいた。最近ではあの人とよく過ごしている。
「そうなんだ」
『四季の木』を周ってバケガク本館の入口を通り、突き当たりを右に曲がる。
「もしかして保健室ですか?」
「うん。よくわかったね。
って、わかるか。校内で横になれる場所なんて限られてるもんね」
保健室なら、もうすぐで着く。今歩いている廊下を奥まで歩けばそこにある。
学園長は、ボクが辿り着く頃には姉ちゃんは寝ているだろうと言っていた。スナタもそれを分かっているようで、会話など一つもなく、足音すらも抑えて静かに保健室の前まで歩いた。
コンコン
目的地に着くと、スナタは扉を控えめにノックした。
「入るよ」
返事を待たずに、音をたてぬようゆっくりと扉を開く。キッ、キッ、と時々小さな音は鳴ったけれど、気にするほどのものではない。
部屋の中に明かりは一切なく、カーテンもきっちりと閉められていた。カーテン越しに届く淡い光しかない部屋に、二つだけ、息を呑む程に綺麗な『蒼』があった。その蒼は暗い部屋に違和感すら感じさせるほど存在を主張していて、しかし部屋の中に溶け込んでいた。
笹木野龍馬は吐息も感じさせないくらい、時が止まったかのように静寂に、それでいて穏やかに、眠る姉ちゃんを見ていた。ベッドの傍にある丸椅子に腰掛け、静かに。
その光景を見て、知らず知らずのうちに息を止めていたらしい。ふう、と息を吐くと、それに気付いたのか笹木野龍馬がボクを見た。
「ああ、来たのか」
そして目の焦点をずらし、スナタを見る。
会話もないまま立ち上がり、最後に優しい眼差しを姉ちゃんに向け、真っ直ぐにこちらへ来た。
「あと一時間は目覚めないと思う。目が覚めたら、おれたちは第一グラウンドの方にいるって伝えてほしい」
ボクが頷くと、笹木野龍馬は、スナタと一緒に部屋から出ていった。
扉が閉まると部屋は更に闇を濃くし、カーテン越しの光がより強く感じた。
ボクは笹木野龍馬が座っていた椅子に座った。本当は他の椅子に座りたかったけれど、そのためには椅子を移動させなければいけない。物音をたてるのは避けたかったのだ。
28 >>255
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.255 )
- 日時: 2021/08/28 22:43
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: MHTXF2/b)
28
カーテンの色が緑みの強い青なため、姉ちゃんを照らす光の色も、同じ色になる。いつもの眩い輝きは、いまは月のような静けさを感じさせる。青い光の中で白い肌が幻想的に浮かび上がり、妖精のような雰囲気を醸し出していた。
眠っている姉ちゃんを見るのは、いつぶりだろう。幼い頃なら何度かあったが、成長するにつれてその回数は減っていった。それに、こんなに無防備な姉ちゃんを見るのは初めてだ。姉ちゃんは寝ていてすらなお張り詰めた空気を維持し続け、ボクが少し動いただけでも起きそうだった。なのにいまは、何をしても起きる気配がない。
生きているのか、不安になるほど。
ボクは姉ちゃんの口元に手を運んだ。鼻に手をかざし、ホッと一息吐く。よかった、息はしている。生きてる。
「やあ、朝日くん。調子はどうだい?」
耳に息が吹きかかり、ボクの体はビクッと跳ねた。
「あはっ、驚いたぁ? 最近は慣れちゃって張り合いがなかったから嬉しいなー」
「静かにしろよっ」
普段と同じ声量で話すジョーカーに、ボクは小声で怒鳴った。
「へーきへーき。起きないって。日向ちゃんは慣れないことして疲れてるんだから」
ジョーカーはヒラヒラと手を振り、遠くにあった椅子を移動させてボクの隣に腰掛ける。わざとらしく音を立てるなんて下卑た真似はしなかったが、音を立てないように、という気遣いは欠片ほども感じなかった。
「チッ」
「君のその癖は治らないねぇ」
ニヤニヤと笑うジョーカーに向かってボクは吐き捨てた。
「姉ちゃんの前に出てきていいの?」
折角姉ちゃんと二人きりでいたのに。さっさと出て行ってくれないかな。
「ボクもそのつもりはなかったんだけどね」
ジョーカーは目をスウッと細め、姉ちゃんを見た。
「ここまで緊張を解いたヒメサマを見るのは、初めてだからさ」
ヒメサマ? 姫様、ってことか?
ジョーカーは、姉ちゃんと決して薄くない関係があるらしい。語る言葉の端々で、それが理解できる。だけど、どこでそれを築いたんだろう。姉ちゃんからジョーカーのことを聞いたことがないし、出会うタイミングだって限られている。昔からよく遠方のダンジョンに行っていたから、もしかしたらそこかな? でも、コイツがダンジョンに行く理由なんてあるのか? 確かに、ボクが一人きりになると大抵現れるから暇ではあるのだろうけれど。随分前に、することがないのか、と訊くと、「ボクには悠久の時間があるからねぇ」と言われた。そういえば、コイツは何の種族に分類されているんだろう。
「皮肉だよね。ボクとヒメサマを繋ぐ糸は限りなく強いはずなのに、ボクはヒメサマの全てを知っているのに、ヒメサマはボクに対してすごく冷たい。なのにこんな魔力切れなんかで簡単に隙だらけな姿を晒すなんて」
ねっとりと絡みつくような視線を姉ちゃんに向けるジョーカーから感じるのは、いつものようなふざけた雰囲気ではなかった。
「まあ、いいんだけどね。そんなこと。ボクはヒメサマの狂った姿が好きなんだから。ヒメサマの目がボクに向かなくたってどうでもいい」
いつの間にかボクの向かい側に立っていたジョーカーが、手を姉ちゃんの顔に伸ばした。
「姉ちゃんに触るなッ!」
そう言いながら立ち上がろうとしたけれど、体が動かない。魔法だ。
「チッ」
人形のようにただそこにいる姉ちゃんの頬を、ジョーカーの指がなぞる。それを見ているだけで虫酸が走り、言いようのない嫌悪に襲われた。
「やっぱり、りゅーくんが原因なのかなぁ。ヒメサマはおかしいよ。あまりにも人間らしくなっちゃって」
手は固定したまま、顔をボクに向けて、ジョーカーは言った。
「知ってる? 日向ちゃんの放つ本来の狂気は、それはそれは美しいんだよ。飛びっきりの笑顔で血の海に溺れる姿は艶やかで……」
ジョーカーはそこで言葉を切った。
29 >>256
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.256 )
- 日時: 2022/02/10 16:56
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 0j2IFgnm)
29
「うーん、思ったよりも早かったなぁ」
ゆっくりと姉ちゃんから手を離して、ジョーカーはいつものようにニヤニヤと笑った。研ぎ澄まされたナイフのような、モノクロの狂気が消えていく。部屋から色彩が戻り、青い光が満たしていった。
「そんなに鈍っていないみたいだね、彼女も」
もう少し力が弱まっていると思っていたんだけど。そんなことを楽しそうに呟いて、ベッドに手をついた。ぎしりとベッドがきしみ、ジョーカーは姉ちゃんの額にキスをした。
気持ち悪い。
まただ。また、この感情が頭の中を塗りつぶす。嫌悪に憎悪。嫉妬と、それから……。
だけど、違う。なんなのだろうこの情は。ざわざわと背筋に虫が走るようなこの感覚。無意識に体が痙攣し、脳が麻痺したように思考が冷えきり、なのにうるさいくらいに警報が鳴り響く。
恐れ、怖れ。すっかり忘れてしまっていたその感情が呼び起こされる。
畏れ。
畏敬。
三音の言葉が、脳裏にこびり付いた。
頭で確立した結論を、心臓が拒否する。そんなはずはないと、神にすら抱いたことの無いこの感情を、あろうことかこんな訳の分からない男に向けるだなんて。
「おい」
喉が震えるくらいの低音が、腹の底から響いてきた。
「姉ちゃんに、触るなよ」
ボクは今、どんな顔をしているんだろう。アイツを睨んでいるのかな。笑ってはいないと思うけど、どうだろ。わかんないや。
ジョーカーはクスッと笑って、体を起こすとボクに言った。
「触るなよ、かあ。日向ちゃんは朝日くんのものでは無いでしょぉ?」
音もなくボクに近寄り、目というよりも穴と称する方が相応しいような真っ黒なそれで見下ろす。
「というか、不可能じゃない? 君は近いうちに神に裁かれるんだから。日向ちゃんの傍に居続けることは出来ないんだから。日向ちゃんを独占することは叶わないよぉ」
コイツも姉ちゃんも、何故神が存在することを疑わないのだろう。他の人とは違い、『絶対である』と信じているのではなく、『それが当然である』と考えている印象を受ける。
「勘違いしない方がいい。日向ちゃんはボクらのものだ。他の誰でもない、ボクらの。言葉には気をつけなよぉ。ボクは頭がやわらかいから見逃すけど、彼は冗談が通じないからねえ」
彼? 彼って誰だ?
「ま、君が彼に会うことはないかもね」
今まで見たことの無いような、見る者に恐怖心を植え付ける笑みを浮かべ、言い聞かせるようにジョーカーが言う。
「神は慈悲深い。君は彼ではなく神に罰せられることを感謝すべきだ。優しい易しいカミサマは、甘い判決を言い渡すだろうからねぇ」
ボクらなら、そうはいかないよ。
警告するように、ボクに言葉を突き刺した。
それはナイフではなく杭のようなもので、言葉をボクの中に留めるものだった。
「チッ」
知るか、そんなもの。
「ボクは神を信じない」
「とんだ姉不孝、者だねぇ、君は」
「ッ!」
ギリ、と奥歯を噛み締める。自覚がある分言い返せない。姉ちゃんは昔から、あれだけ神の怒りだけは買うなと言っていたのに、ボクはこの世界における禁忌を犯した。そしてそれを姉ちゃんは知っている。ボクから言ったことは無いけれど、時折見せる悲しげな表情が全てを語っている。
でも、仕方ないじゃないか。
ボクが大罪を犯す度。
姉ちゃんはその顔を悲しみに染めるのだから。
30 >>257
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.257 )
- 日時: 2021/10/02 17:07
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: NGqJzUpF)
30
「ああそうだ。このことも話しておこうかな」
ジョーカーはボクに自分の腕を見せた。
「なに?」
ジョーカーの腕なんて見たくないんだけど。
「我慢して少しの間だけ見ててねぇ」
もう片方の手で、腕をなぞる。肘から手首にかけて、ぐるりと一周するように。
色を失ったような真っ白な腕を見ていると、突然、模様が表れた。大量の黒い糸が絡みつくような不気味なそれは、吐き気がするほど気持ち悪いものだった。見れば腕をなぞる手や顔、身体中のあらゆる部分からその模様が浮かび上がっていた。
「なに、これ」
「この学園に仕掛けられた魔法だよぉ。魔力の供給元は学園長。日向ちゃんに危害が加わった時にその原因を潰したり、日向ちゃんの魔法の助けをしたりする。まあ、条件が厳しいからあまり作動することはないんだけどねぇ」
つまり、学園長の魔法ということか? 姉ちゃんを守ったり、助けたりする?『生徒』ではなく?
というか、潰れてないじゃん。潰れればいいのに。学園長の魔力を、ジョーカーが上回っているという考えでいいのかな。
「学園長についてはかなり謎なんだよねぇ。大体の検討は着くんだけど、そうする理由がわからないんだあ。本名すらもわかんないしねえ」
ジョーカーの言う通り、学園長は謎に包まれている。名前どころか種族すらも明かされていない。魔法を含めた個人の能力は、主に『種族』と『家系』に左右される。もちろん例外(おそらく姉ちゃんも例外に当てはまると思う)は存在するが、大抵はそうだ。現にボクは天陽族という『悪に対抗する種族』の生まれで、エクソシストの家系だ。故にボクは、光属性の魔法を得意としている。
しかし、学園長のような特殊な魔法に長けた種族も家系も思い浮かばない。もしかしたら姉ちゃんと同じ『例外』なのかな。
それだけじゃない。少なくともボクが聞いたことがある限り、バケガクの学園長を務めた人が、今の学園長以外にいないのだ。およそ十歳の頃から通っていたらしい(具体的な時期は教えてもらっていない)姉ちゃんも、今の学園長以外知らないそうだ。姉ちゃんは学園長のことを「理事長」と呼ぶから、昔は理事長とは別に学園長がいて、何らかの事情で学園長に役職が変わったのかと思ったけど、姉ちゃん曰くそんなことはないとのこと。ちなみに、昔は知らないけれど、いまのバケガクに『理事長』なんて役職はない。それに加えて、ボクは学園長室に何度か入ったことがあるけれど、そこの壁には本来飾られているはずである歴代の学園長の絵が無かった。もちろん何らかの事情があるのなら話は別。だけど。
もし、これまでに学園長を務めた人が居ないのだとしたら──
「まあ、そんなに重く考える必要はないよお。向こうも隠している様子はなさそうだから、そのうち分かるだろうしねえ」
思考に耽っていたボクにジョーカーが言った。模様の浮き出た腕を擦りながら、ニヤニヤと不気味に笑っている。
「それにしても、やけに早かったなぁ。見つからない自信すらあったのに」
なんて言っていると、ふとなにかに気づいたように顔を上げ、数秒後、ボクをみた。
「ねえ、もしかして、日向ちゃんのことヒメサマって呼んだ?」
「え? ああ、うん」
なんだ、もしかして気づいていなかったのか? 意図的にそう呼んでいるのかと思っていたのに。というか間抜けだな。自分が何を言ったのかすら把握していないなんて。
「失礼だなぁ。無意識ってやつだよ」
「心の中を読むなよ」
「どーりで早いわけだよ。まさかボクがミスしていたなんてねぇ」
まるで自分が間違いを犯さないとでも言いたげなセリフを吐いたあと、ジョーカーはボソッと呟いた。
「これは……少しマズイかもな」
? 何の話だろう。
ジョーカーは何故か姉ちゃんを睨んだ。いや、睨んだと言うよりも、その瞳に宿す感情が強過ぎるあまりに睨んだように見えたと言う方が適切だろうか。ただ、その感情が何なのか、ボクにはわからなかった。執着のような、嫉妬のような、何か。
「彼がなんて言うか……」
また、彼。それは誰のことを言っているんだろう。ジョーカーの話す様子からして、少なくとも姉ちゃんと無関係という訳では無さそうだ。それなら、気になる。
そう思ったボクはジョーカーに「彼」のことを尋ねようとした。
けれど。
「なっ」
ジョーカーは、知らぬうちに姿を消していた。今の今まで目の前にいたはずなのに、立ち去る気配も感じなかった。
「チッ」
まあ、いい。これでやっと姉ちゃんと二人きりになれた。
ボクは姉ちゃんを見た。蒼い光は仄かに夕日の色を帯びている。青から赤に変わった光は、姉ちゃんをボクの手の届く場所に引き戻し、ボクが存在する空間と姉ちゃんが存在する空間とを繋げた。
立ち上がり身を乗り出して、左手をベッドにつく。ギシッと音がしたけれど、ボクはそれを無視する。ゆっくりと、先程ジョーカーが触れた部分の頬に触れ、少しずつ手の位置をずらし、顎へ、そして首へと右手をかけた。
──このまま起きなくてもいいのにな。
とく、とく、と、微かな振動を感じる。一拍一拍の感覚は一秒よりは僅かに長い。
生きてる。
姉ちゃんに「生」を感じたのは、これが初めてかもしれない。
31 >>258
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.258 )
- 日時: 2021/10/28 21:46
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: iTqIkZmq)
31
カーテンの色が濃い橙色に染まる頃に、姉ちゃんは目を覚ました。意識が覚醒したと同時に体を起こし、少し辛そうに顔の左半分を手で覆う。
しかしそれもわずかな時間のこと。すぐに手を外し、顔を上げる。
「……」
姉ちゃんは何も言わない。いつものように虚ろな目をどこかに向けて、沈黙を貫く。先程まで感じていた「生」が段々と遠ざかっていくことを自覚して、ボクは堪らず手を伸ばした。
オレンジ色の光は姉ちゃんの顔を暗くした。暗い色の中で、青色の瞳が静かに輝く。
白く華奢な、慌ただしい人生に似合わない綺麗な手がボクの指と絡まる。
一瞬よりもやや長い時間、姉ちゃんは視線だけをボクに向けた。そして視線を正面へ戻し、意識だけをボクに留める。
「どうしたの?」
握った手は握り返されない。無気力に開かれたままの姉ちゃんの手を見ながら、呟くように言葉を零す。
「えっと、大丈夫?」
「なにが?」
ぎゅう、と、強く姉ちゃんの手を握る。姉ちゃんの言葉は、決して冷たくはなかった。なんの温もりも感じなかったけれど、冷たくも重くもなかった。けれどそれが、苦しいくらいに、悲しい。
握り返されることを期待してはいない。でもそれでも、願望はあって。
「えっと」
口に出したい言葉なら、溢れるように出てきた。
あんな強い魔法を使って、体に異常はないのか。学園長とどんな関係なのか。ボクに何を隠しているのか。たくさん、たくさん。
でも、言葉は形を成さなかった。姉ちゃんは頑なにボクを視界に入れない。どうやっても、手を握り返さない。それが、辛い。
言葉を出せば、求めれば、どんな答えが返ってくるのだろう。突き放されたりしないかな。昔からなんだかんだいってボクに甘かった姉ちゃんだけど、今日のこれは触れてはいけない気がする。姉ちゃんの、心の奥底、触れられない場所、ボクが、辿り着けない場所。
「ねえちゃ」
声はそこで途切れた。
姉ちゃんがボクの手を解いた。
心が冷える。
心が冷める。
色彩が消える。輪郭がぼやける。世界が堕ちる。
待って、お願い、待って。手を握ってどうかお願い。
置いていかないで。絶望は怖い。アレは怖い。コレは恐い。
怖い怖い恐い恐イこわいこわいコわいこわイコワいコワイコワイコワイ──
「大丈夫」
耳元で、平均よりも少し低いであろう声が囁いた。ボクの視界には、辛うじて姉ちゃんの肩が映るだけで、その他の部位は見えない。目で感じられない代わりに、全身で。姉ちゃんという存在を、姉ちゃんという実感を感じる。細い体は生気を失ったかのように冷たくて、けれど暖かくて。小さな心拍音が肌を通して微かに伝わる。
ボクを包む力は強くはない。大切そうに、といった様子も伝わらない。ただひたすらに不器用に、姉ちゃんはボクを抱きしめていた。
九年前のあの日と同じように。
「心配かけて、ごめん」
感情がまるでこもっていないと、何も知らない人ならばそう言うだろう。
でもボクは知っている。
静かである以外に何も持たないような言葉の中に、確かなボクへの『想い』があることを。
期待していなかった。期待してはいけないと、思い込んでいた。そうするようにしていた。だって期待なんかしたって、それが実ることは無いと分かっていたから、知っていたから。後で傷つくことになると、知っていたから。だから一方的な片想いで終わればいいと、それでいいのだと自分に言い聞かせてきた。どうせボクは長く生きる気がなかったから。罪を犯したボクはいつか正義を貫く誰かに捕えられて罰を受けるのだから。姉ちゃんと離れ離れになることが確実となったその時に、死ぬ気でいたから。その時は遠くはないだろうから。そう思って、そう思って。
「ボ、ボク、ずっと、不安で」
だから尚更。期待していなかったから、それが──姉ちゃんの中にボクが宿ることが叶って、ボクは高揚した。涙は出ないが、声は震える。今までの寂しいとか、この瞬間の嬉しいとかの感情がぐちゃぐちゃに絡まってほつれて、心臓を締めつける。
「大きな魔法を使って姉ちゃんが死んだらどうしようとか、そうじゃなくても魔法障害を引き起こしたらどうしようとか、色々……いろいろ!」
ボクは居たんだ。姉ちゃんの中に居たんだ。
夢だったら覚めないで欲しい。もう離れないで欲しい。ずっとこのままでいて欲しい。
だらんと下げていた手で姉ちゃんの制服を掴んだ。すると姉ちゃんは、ボクを抱く力をやや強めた。感じ取るのが難しいほどではあったけれど、確かに強めてくれた。
「ごめんね」
なんの温度も持たない声が、無性に暖かく感じる。
「朝日」
姉ちゃんが、ボクの名前を呼ぶ。
「話を、しようか」
普段なら感情を込められることの無い姉ちゃんのその声からは、何故か微量の『覚悟』を感じた。
32 >>259
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.259 )
- 日時: 2021/10/28 21:54
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: iTqIkZmq)
32
話? 何の話だろう?
「どこから、話そうか」
ボクを抱きしめたまま、姉ちゃんは呟く。
「まず、私は、魔法障害にならない」
そして唐突に、そんなことを口にした。
到底信じられることではなかった。そんな話は聞いたことがない。魔法障害というものは、人の体が限界を越えた時に起こるものだ。いくら姉ちゃんでも限界はある。限界を迎えることが滅多にないというのならまだしも、限界を迎えることが無いなど、ありえないのだから。
そんなの、人間じゃない──この世の生物ではない。
「でもそれは、何もおかしなことではない。誰も彼もが私を異常で異様だと言うけれど、私からしてみれば、私でなくても今の私に辿り着くことが出来るように思う。私は少し特別だけれどそれだけで、他に何も持ち得ない。私は私の持つ物を、上手く活用しただけの、ただの人間。ただそれだけのこと」
皮肉にも聞こえるような、理解しにくい言葉の後に、姉ちゃんは一つ一つ説明を始めた。
「魔法障害は、二つ以上を重ねて引き起こすことは無いということは知ってる?」
ボクは頷いた。とは言っても抱きしめられた状態でだったから、実際には少し頭を動かした程度に収まったけれど。
しかし頷いたとはいっても、その情報の信憑性はあまりない。『魔法障害は並行して引き起こされない』ということそのものが最近発見された物事であり、その原因はまだ仮説すら立てられていない状況だ。そもそも魔法障害自体が研究があまり進んでいない未知の領域なのだ。
「私が魔法障害にならない理由は、それ。私は既に、一つ魔法障害を持っている」
その言葉を耳が脳へ伝え、そして脳が理解したその瞬間、ボクの心臓はどくんと跳ねた。脳をも揺らさんばかりのその拍動に、ボクの意識は一瞬途切れる。
「え?」
ほぼ無意識に音が出た。脳が正しく機能しない。それほどまでに姉ちゃんが言った言葉は、突然で、理解し難い言葉だった。
「髪や瞳の色は、各個人の体内の魔力によって決定される。朝日はまだしっかりとは習っていないだろうけど、一般常識としてなんとなくは知っているんじゃないかな」
ゆっくりと紡がれる声を聞くにつれて、ボクは姉ちゃんの言わんとすることを予測し始めた。
「髪や瞳の色が遺伝するのもそれが理由。魔力が遺伝するから、自然と色は親に似る」
どれだけ飛び出た才能を持って生まれても、どれだけ親とかけ離れた魔法の才を持って生まれても、魔法を構成する体内の魔力の基礎は親から遺伝する。
「けれど何事にも例外はある。
……その例外のうちの一つが、私。」
そんなはずはない。だって、説明の仕様がない。
『生まれついての魔法障害』なんて、聞いたことがない。
「待ってよ……だって、姉ちゃんの白眼は生まれつきなんじゃ……」
「私はその昔、とても大きな魔法を使った。【分解魔法】や【創造魔法】の比では無い、【禁術】の中にさえ含まれない禁忌の術。私はその魔法を使ったことにより、片目の色素を構成する分の魔力を失ったの」
囁くように、呟くように、ぽつりぽつりと零れる言の葉は、まるで懺悔のように聞こえた。冷たい熱がこもった声はなんとなく苦しげで、ボクは嫌な汗を握った。
「私は朝日を責められない。その資格を、私は持っていない。朝日を『そう』したのは私だから。朝日の罪は私の罪、だけど私は朝日の罪を償えない。それは許されていない。責任が取れない、その権利を私は持ち得ない。カゾクは大切にしようって決めていたのに……ごめんなさい」
罪悪感も後悔も、自責の念も背徳感も、何も感じない。あるのは深い歓喜、ただそれだけ。
ボクの中には濃密な快楽のみが強く埋め込まれていた。姉ちゃんがボクを想って謝罪している。『気にしなくていい』と慰めることだって出来る。『姉ちゃんのせい』だと罵ることも出来る。ボクの言葉次第で姉ちゃんを癒すことも傷つけることも出来るという今の状況に、ボクは酔っていた。
「朝日を責める気持ちは断じてない。この結末を防げなかったのは私で、全ての責任は、いずれこうなることを予想してなお過ちを犯した私にある。それなのに償うことをしない私を、許して欲しいなんて言わない。でも……だから、ごめんなさい」
静かに、冷たく、けれど優しく、人間らしく言葉を連ねる姉ちゃんを、ボクは再度抱きしめた。
なんと言うのが正解なのだろう。なんと言えば、姉ちゃんは新しい表情を見せてくれるのかな。
「姉ちゃん」
何を言おうとしていたのか、よく分からないうちにボクは口を開いた。
この時ボクが何を告げようとしたのかは、誰も知り得ないことだった。
突然、姉ちゃんの体が輝いた。暖かく柔らかく、それでいてどこか排他的な印象を受ける光が、姉ちゃんを中心として室内に充満した。不思議と眩しいとは感じない。後光のような輝きだった。
やがてその光は姉ちゃんの胸の辺りに一点に集まった。そして小さく人の形を作る。そのシルエットはひどく見慣れたもので、そうであるからこそ、ボクは驚くのではなく不思議に思った。驚くということなどは、既に今更のことだから。
輝きは徐々にシルエットに器を与えた。ふわりと風になびく金糸の髪が徐々に形を成し、服とも言えないような布を重ねた衣が現れる。金の色は白に近い薄橙に変わり衣から飛び出た肌を表す。顔には新芽色をした瞳が覗く。背にモルフォ蝶の羽根を生やし、美しい精霊は姉ちゃんの手の平に降りた。
「あら?」
ベルはちょこんと首を傾げた。体のサイズも相まって、小動物のような雰囲気を醸し出す。
「なにか話をしていたの? 邪魔をしてしまってごめんなさい」
申し訳なさそうに控えめに笑うベルに、姉ちゃんは淡々と言った。
「行くよ」
呆然とその様子を見ていたボクと、さっさと毛布をたたんで出入口に進む姉ちゃんを、数回交互に見たあと、ベルは「はい」と返事をした。
「朝日」
姉ちゃんは扉に手をかけ、振り向いてボクを視界に入れた。空虚な青と白の瞳がボクを見る。
自分の行先はわかっているのだろう、笹木野龍馬達がいる場所を尋ねるのではなく、姉ちゃんは言った。
「カミサマには、逆らわないで」
先に行ってる、と言い残して去る姉ちゃんを、ボクはモヤモヤとした気持ちで見送った。
姉ちゃんのことを知れたはずなのに、教えてもらったはずなのに、前よりも距離が開いたような気がする。
33 >>260
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.260 )
- 日時: 2021/10/28 22:10
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: iTqIkZmq)
33
少しした後、ボクも第一グラウンドに向かった。長くて滑りやすい廊下を早足で駆けて校舎から出ると、ガヤガヤと騒がしい声を耳にした。目的地に近づくにつれてその声は大きくなっていく。
なぜ騒がしいのかはともかく、主だった騒がしさの元はなんだろう? 騒がしくなって当然の出来事が今日は大量にあったから、その中のどれなのかが分からない。
鬱蒼としげる木々の海を抜けると、一気に景色が変わる。建物らしい建物はなく、広がる地面と転がされた負傷者達──と言っても、外傷を負った者はほとんど居ないから、姉ちゃんの魔法の被害者達と言った方が正しいのかな。非常事態に使用される大量のシーツのようなものがひかれ、その上に仰向けに寝かされている。おそらく安静にさせておくというよりかは、待機させていると形容した方がいいのだろう。魔法障害はその種類によるけど、盲目は別に寝かせておく必要はないだろうから。
広いはずの第一グラウンドも、無数の兵士達でぎちりと埋め尽くされている。その中で立っている人は僅かで、逆に目立っている。
姉ちゃんは、偉そうな男と話しているようだった。時折激昂して怒鳴る男をうんざりしたような目で見つつ、何かを告げている。
密集された人達を誤って踏まないように気をつけながら、姉ちゃんに近寄った。すると、こんな声が聞こえてきた。
「なんなんだよお前! 白眼だし訳の分からん魔法使うし! バケモノ! バケモノ!!」
白眼? 姉ちゃんのことか?
声の主はやはり姉ちゃんと話していた男だった。半ば狂乱状態に陥って、頭を抱えて喚いている。ついさっきまで普通に話していたはずなのに、どうかしたのかな。
「あっ」
ボクは気づいた。いや、思い出した。母さんのこと、ばあちゃんのこと。姉ちゃんと関わって精神を病んだ大人たちのことを。
子供は違う。精神を病む前に、トラウマを抱く前に、何に恐怖すべきなのかを理解していないから。白眼も『珍しい』と捉え、大きな魔法を使うところを見ても『すごい』で終えられてしまう。
心を壊すのは、常に大人だった。
母さんやばあちゃんだけじゃない。親戚のおじさんやおばさんたちも段々とおかしくなっていっていた。普段は何ら変わりなく過ごしているが、姉ちゃんを前にすると、ひどい場合は震え出す人もいた。『何を恐れるべきか』を理解しているボクと同年代の子で、気弱で敏感な子は、恐怖で失神する時もあった。
姉ちゃんを怖がらない大人なんていなかった。父さんやじいちゃんだって例外じゃない。あの人たちは姉ちゃんを愛そうとしてはいたものの、恐怖を拭い去れはしなかった。心の奥底に恐れを抱き、常に姉ちゃんと接していたのだ。
ボクはため息を吐いた。姉ちゃんを恐れる理由なんて大してないのに。そりゃ、怖いときはある。昔ボクを『白眼の弟』と罵っていじめていた子供に、姉ちゃんはトラウマを植え付けた。と言っても、姉ちゃんがしたことといえばあいつらを睨みつけて「次やったら三倍にして返すよ」と脅したくらいだ。けれど、あの時の姉ちゃんは空虚な目に氷水に浸しておいたナイフのような眼光を宿し、感情を直接向けられていないボクでさえ、生きた心地を感じさせないほどの恐怖を与えられた。
でも、それだけだ、あの時くらいだ。姉ちゃんを『恐い』と思ったのは。普段の姉ちゃんはとても静かで、本当の姉ちゃんは賢くて強くてとてもすごい。それに美人だ。周囲の人間は姉ちゃんを、そして姉ちゃんを姉に持つボクを羨んでもいいと思う。妬んでいいと思う。それをしないことが理解できない。
ふと視界を広く捉えてみると、怒りを隠そうともしない笹木野龍馬が目に入った。額に浮き出た血管が見え、眉間にはシワが寄っている。「何言ってんだこいつ」というセリフが良く似合う、他人を見下したような表情をしながら男を睨む。話をする二人に気を使っているのか距離が空いていることと、両脇で東蘭とスナタがなだめつつ押さえ込んでいることで奇襲をかけずにはいるものの、今にも襲い掛かりそうな勢いだ。
もうあの男はだめだと理解したのだろう。姉ちゃんは屈んだ男の頭に右手をかざした。
「お や す み な さ い」
姉ちゃんの唇がそう動くのが見えた。そして、男の目から全ての『色』が消え、体の端から端まで力が抜け切ったのが遠目からでもわかった。
『相手を眠らせる闇魔法』、【喪神】は、昔から姉ちゃんがよく使っている魔法だ。そしてこの魔法を使うとき、姉ちゃんは決まって「おやすみなさい」と口にする。しかし、特に意味があって使っている言葉という訳ではないらしい。
姉ちゃんは笹木野龍馬たちがいる方向とは真逆を向いた。その方向には指示を待っている動ける兵士たちが整列して立っている。姉ちゃんと目が合ったほとんどが身を震わせる中で、数名、冷然と佇まいを崩さない者がいた。姉ちゃんはその数名『のみ』に意識の焦点を合わせ、言う。
──聞こえない。もっと近くに寄ろう。
そう思って止まっていた歩を進めた。一歩一歩進むにつれて、姉ちゃんの声が耳に入ってくる。
「一晩あれば、ここにいる全員を治せます。なので、一晩彼等をここに滞在させる許可と彼等に治療を施す許可をください」
その言葉を聞いた兵士たちは息を呑み、目を見開いた。
「それは、どういうことですか?」
先頭の中央に立っていた青年が言った。困惑の表情を向けられた姉ちゃんは首を傾げ、言葉を繰り返した。
「一晩あれば、治せる」
「それがどういうことかを聞いているんです。魔法障害を治す? 失明を治す? 魔法障害が治ることは無いとされていますし、失明は組織そのものが死滅しているという話です。失礼ですが、直せるとは思えません。なにか『治せる』という証拠があるのでしょうか?」
なんだよあいつ。鬱陶しいな。確かに疑問に思うかもしれないけれど、既に姉ちゃんは人間離れした魔法を使って見せた。それが充分証明になるだろうに。
姉ちゃんはすごい人だ。それがわからないのかな。
「もちろん、人間である私には出来ません」
しかし、ボクが思っていたこととは裏腹に、姉ちゃんは呆気なく不可能を肯定した。兵士たちも疑問符を浮かべた顔をお互いに見合わせ、訝しげに姉ちゃんを見る。
「ベル、おいで」
姉ちゃんの右肩に乗っていたベルが背中の羽を微弱に振動させて宙を飛び、兵士たちの前に進んだ。自身の姿を現したのだろう。青年が目を見張り、兵士たちも僅かにどよめいた。
「この子は私の契約精霊であり、精霊の中でも特殊な立場にあります。先程の魔法もこの子の助けを借りて行いました。
当然簡単にとはいきませんが、時間さえあればここにいる大半は完治させることが可能です。そして完治出来なかったとしても、八割から九割の回復が予想されます。信じられませんか?」
「……方法をお伺いしても?」
「私はどうしても治療させて欲しいと思っている訳ではありません。信用していただけないのも理解出来ますし、私はそれでも構わないと思っています。ただ、このような状況にしたのは私なので、その責任を取ろうとしているまで。その必要が無いと仰られるのであれば、それで結構です」
そりゃそうだ。警告を聞かなかったのはこいつらじゃないか。姉ちゃんは何も悪くない。責任なんて取る必要が無い。魔法障害を治せる人なんて、たとえ人でなくてもこの世のどんな種族でもどんな魔法でも不可能だろうから、こいつらはこの機会を逃せば一生このままだ。でも、そんなの知ったことじゃない。
青年は言葉に詰まり、悩んでいるようだった。さっさと断れよ。時間の無駄じゃないか。
そういえば、悩んでいるということは姉ちゃんの提案を受けるかどうかの決定権はこいつにあるということか? となると、それなりに高い地位を持っているのかな。ま、どうでもいいけど。
「では、私と私の信用のおける者数名も滞在することをお許し願えますでしょうか。もちろんあなたを疑っているわけでは」
「なら、【契約】を結んでもらいます」
姉ちゃんは相手の言葉を遮り、淡々と言った。
「【契約】、ですか?」
「一晩またぐと『明日』になってしまいますので。貴方たちが神に誓ったのはあくまで『今日』バケガクで起きたことを口外しないということです。
貴方が私を信用していないように──私が彼等に危害を加える恐れがあると思っているように、私も貴方たちを信用していません。かといって連日神に誓いを立てるわけにもいかないですし」
神に誓いを立てるということは『神に自身の言葉を聞き入れてもらう』ということで、連日に渡る神への誓いは『自身の言葉をいつでも聞き入れてもらえる』という考えの表れらしく、それは烏滸がましいとして神の怒りを買うことになるそうだ。
これは以前姉ちゃんが教えてくれたことだ。
魔法をかけられることに抵抗を感じているのであろう数名に冷ややかな眼差しを数秒向けた後、姉ちゃんは言った。
「滞在するのはどなたですか?」
34 >>261
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.261 )
- 日時: 2021/10/29 23:23
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: pgLDnHgI)
34
「少し待ってください」
青年は後ろに控えていた兵士を見て、比較的近くにいた数名に声をかけた。ボソボソと会話をしたあと、改めて姉ちゃんと視線を交わす。
「私、カイヤ=ブライティアと、ルキオ=ウィスタス、イヴ=ディファーとユバ=ディファーの、以上四名です」
名前と容姿から判断するなら、きっちりと整えられた藤色の髪と青い瞳の男がルキオ、灰色の長い髪を後ろで一つに束ねた、前髪で目が見えない同じような風貌の二人がイヴとユバか。
ルキオはいわゆる大男で、二メートルに迫るほどの高身長であると同時に肩幅も広く、盛り上がった筋肉が顔を見せていた。色白の顔は体に不釣り合いで、ぼんやりと浮いているような錯覚がした。
それに対してイヴとユバは小柄で華奢で、女のようにも男のようにも見える。髪から飛び出した耳はボクより(つまり人間より)大きく、握りこぶし一つ分くらいの大きさだった。とりあえず人間ではないらしい。体の一部が発達している種族は沢山あるので種族名は特定出来ないが、おそらくその中のどれかだろう。
「わかりました」
姉ちゃんは頷くと、四人に向けて右手の平を向けた。四人に向けてということはつまり整列していた兵士たち全員に向ける形になるということであり、後ろに控えていた兵士たちは一斉に脇へ避けた。
闇色の光を放つ黒い粉が、姉ちゃんの手を中心として渦を巻いた。その渦はどんどん大きく速くなり、やがてその魔力は具現化され、『鎖』に姿を変えた。ざわざわと不快な音色を奏でる風が姉ちゃんの金色の髪を静かに揺らす。
「【闇魔法・桎梏の鎖】」
風に乗って聞こえてきた微かな声は、そう言っているようだった。
姉ちゃんの手から四本の幻覚の鎖が放たれる。襲い来る猛獣の鉤爪のごとく大きな孤を描き、四人に絡みついた。四人は一瞬だけ、おそらく本能で抵抗する素振りを見せた。しかしそれをすぐに押さえ込み、体勢を元に戻す。
契約内容を告げずに一方的に契約を結ぶ、【鎖の契約】の進化版、【桎梏の鎖】。それは主に大昔、有能な人物を国内へ縛り付けるために各国の国王がこぞって使用していたとされる魔法で、現在は『道徳に反した魔法である』として禁じられている魔法だ。けれどそれは神により禁じられた【禁術】ではなくただ単に法により定められているだけなので当然破る者は居て、現在は奴隷契約の際に使用される魔法となっているらしい。
この魔法の知名度は低いけど、職業柄、ここにいる人たちの大半は知っていたようで、醜い化け物でも目の前にしたように姉ちゃんを見た。いつものことだ。意図してなのか偶然なのかは分からないけれど、姉ちゃんはこういった人受けの悪い魔法を使うことが多い。
でも、少し考えてみればすぐに分かるはずだ。いくら道徳に反する魔法とはいえ【桎梏の鎖】は上級魔法。それを同時に四人に対して使えるという事実は素晴らしいこと。姉ちゃんは本当に、いい意味で規格外の人物であると、なぜ気づかないのだろうか。
なぜ、虫けらでも見るような目で──
「朝日」
姉ちゃんに名前を呼ばれた瞬間に、ボクの頭は晴れた。弾かれるように足を持ち上げ、駆け寄る。
「なに? 姉ちゃん」
姉ちゃんは、ゆっくりと言葉を紡いだ。声が響き、脳内を侵食されるような感覚が心地良い。
「そろそろ、帰った方がいい。私はここに残る」
「えっ」
ボクは息を吐いた。
「なんでっ? ボクも残るよ! 明日、一緒に帰ろうよ!!」
なんとなく、そう言われる気はしていたけれど、抗議しない選択肢はなかった。だって、家は一人だ。もしかしたらジョーカーが顔を覗かせに来るかもしれないけれど、ボクはそんなこと望んでない。むしろ拒否権があるならそれを使いたいくらいだ。意味もなく訪れることは無いからそれだけが救いかな。あいつは用事があるときにしか来ない。
それはともかく。ボクは姉ちゃんと一緒にいたい。別に寂しがり屋とかではない。そのはずだ。単純に、ボクにはタイムリミットがある。ボクの罪は遠くない日に裁かれる。ボクが犯した罪の全てを知っているジョーカーがボクを売らない保証なんてどこにもないのだから、その日はボクが思っているよりも近いのかもしれない。そのいつだか分からない日までに、どれだけの時間姉ちゃんと一緒にいられるのか。
わからない。
「だめ」
「なんでっ!!」
「朝日」
ボクの名前を呼びながら、姉ちゃんはボクの頭を優しく撫でる。
「言うこと聞いて」
むっとした空気を絶えず出していたけれど、流石にこれには逆らえない。ふわふわと浮くような高揚感に浸されて、もやもやしていた気分は消し飛んだ。
「わかったよ」
ボクは呆気なく引き下がり、姉ちゃんに背を向けた。
ただ、ほんの少しだけ嫌味を投下しておく。
「いつも隠し事ばっかり」
わざと聞こえるように顔をやや後ろに向ける。これくらいは許して欲しい。
予想通り、姉ちゃんは何も言わなかった。別にそれで構わない。何かを期待して放った言葉ではないのだから。
特に何かを思った訳では無いけれど、ボクは視界にあの三人を入れた。どうやら学園長と話しているらしい。真剣な、そしてどこか寂しげな面持ちで会話する様子を見ると、その内容は気にならないと言えば嘘になる。そうは言っても特別気になるという訳でもないので、すぐに前を向いて全身を再開した。
しかし。
「花園君は、無理を重ねすぎている」
学園長のこの言葉が、ボクをその場に縫い止めた。
35 >>262
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.262 )
- 日時: 2021/10/29 23:23
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: pgLDnHgI)
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姉ちゃんの方を振り返ると、既にボクから目を背けてさっきの四人と何か話しているらしかった。そのことに少々嫉妬心を抱きつつ、この場に留まり続けても少なくともすぐには不審がられないと判断して、ボクは耳を傾けた。
「彼女は確かに君たちを信用してはいるけれど、気を許している訳では無い。むしろ君たちがそばにいることで心が休まるということは無いだろう。そしてそのことは私よりも君たち自身がよく分かっていることなのではないかな?」
気を許している訳では無い? それはどういう意味だろう。
「うん、わかった。じゃあ私たちはこのまま帰るよ。それでいいよね、リュウ?」
「……ああ。でも、たまに見に来てもいいかな?」
「もちろん。彼女もそれを望んでいるだろうしね」
ボクの脳内で、キィンと不快な高音が鳴った。
え? いや、おかしくないか? だって。
話し方が、砕けたものになっている。
『生徒と学園長』の関係であるはずなのに。確か、姉ちゃんは学園長に対してあまり敬語を使わないということは知っていた。けれど、あの三人は違うだろう? どういうことなんだ?
違うのか?
『生徒と学園長』では、ないのか?
そうだとしたら、なんなんだ、どういう関係なんだ? まさか学校外で接点でもあるのか?
わからない。
わからない。
「やあ、朝日君。今から帰りかい?」
思考に意識を向けていたせいで、学園長が近づいていたことに気づけなかった。学園長は右手を軽く振り上げて、ボクを現実へ引き戻した。
「聞いているかもしれないけど、日向君はしばらく帰らないと思うよ」
「は?」
ボクが反射的に言うと、学園長は苦笑した。
「……聞かされていなかったんだね」
そして、なんでもないことのように説明を始める。
「今日のことを含め、日向君の体には相当の負担がかかっているだろうからね。学園が再開するまでの間はここで休むように言ってみたら、良い返事が返ってきたんだよ」
でも、ボクにとってはなんでもないことではない。
「なにそれ」
低い音が喉を震わせ、ボクは首を捻って姉ちゃんがいた場所に視点を合わせた。
しかし、既にそこに姉ちゃんはいなかった。それなりの人数いた兵士たちも何組かに分かれて、移動を開始している。
「なに、それ」
もう一度、同じ言葉を繰り返す。
姉ちゃんに会えない。これから、しばらく。
ぐっと歯を噛んだ時、ギリっと小さく音がした。爪が手の平に喰い込む。
まだ遠くには行っていないはずだ。最終手段として気配を探って見つけ出すという手もある。今から行けばまだ間に合う。姉ちゃんの元へ、行きたい。
でも。
ボクは首を正面に戻した。進行方向を変えることなく、元々予定していた通りに足を進める。
「あれ、帰るの?」
スナタがボクに近づいて、そう声をかけた。特に意図らしい意図は見受けられない。偽っても仕方の無いことなので、ボクは頷くことで肯定の意を示す。
「そっか。もう夕方だもんね」
言葉を告げつつ表情を笑顔へと変えて、スナタは言った。
「また会えるといいね」
何か引っかかりを抱きながら、その正体を掴めなかったボクは肯定的な返事をした。
「はい。では、またいつか」
_____
バケガクを出てから十数分。広大な面積を誇りかなり離れた場所からでもその姿を見せるバケガクがようやく見えなくなってきた頃、ボクは呟いた。
「出てきていいよ」
肩から提げた鞄がごそごそと震え出し、中から小さな小さな手が覗いた。
黄や黒が入り交じった、跳ね毛だらけの髪がぴょこんと飛び出し、牙が四本生えた口は盛大なため息をついた。
『あーッ! 疲れたああ!!!』
「悪かったよ」
『悪かったよ、じゃねえよ! 息が詰まって死ぬかと思ったんだからな!』
針葉樹のように鋭い、黒い瞳を宿す目がさらに眼光を鋭くしてボクを睨んだ。
「仕方ないだろ。あの場に誰がいたか、分かってる?」
『わーってるよ。オレサマだって死にたいわけじゃない。お前がオレサマを出さなかったとか以前に、オレサマが出ていかなかったんだ。だけどな』
とにかく文句を言いたいらしいビリキナは、体を完全に鞄から出した。陽炎のようにゆらゆらと不安定に揺れる黄色の羽根がボクの視界を横切る。
『あんなにずっと誰かと一緒にいることないだろ?! 少しくらいオレサマが出られる時間を取れよ!「ボクが良いって言うまで出てこないで」っていうから前半大人しくしておいてやったら、後半はお前はちっとも一人にならなかったし! 何考えてんだよ!』
ビリキナが気まぐれを起こしてくれて助かった。たまに言うことを聞いてくれるんだよな。このうるさいのがある中でのバケガク侵入は不可能だったに違いない。
「機嫌直してよ。新しいお酒開けてあげるから」
精霊という生き物には、それぞれ食べられるものが決まっている。それは自らを回復させるための力を補給できる食べ物が定められているからだ。だから、別にそういった食べ物しか口に入れられないということではなく、単に味を楽しむことを目的として食べることももちろんある。ビリキナの場合、『食べなければいけない食べ物』はぶどうだが、好物はワインらしい。ちなみにワインがぶどうから作られているということで、ワインからでも微量ながら自身を回復させる力を補給できるらしい。
『へえ。お前からそう言うなんて珍しいな』
先程の一言ですっかり機嫌を直したビリキナは、ボクの肩に腰をおろした。
酒は、ジョーカーがたまに持ってくる。未成年であるボクが酒を買うことは難しいからだ。それと、ビリキナ曰く、ジョーカーが持ってくる酒の方が、ボクがわざわざ他大陸へ行って買ってくる酒よりも美味しいんだそう。そんなことを言われたら長時間かけて買いに行く気も失せてしまって、ボクの手持ちにはジョーカーから貰った酒しかない。
『そうと決まればさっさと帰ろうぜ!』
「急かさないでよ」
ギャーギャーとビリキナが喚くものだから、ボクはほうきを飛ばす速度を徐々に上げた。夕日が完全に沈んでしまう前には自宅に到着し、鍵を開けて中に入る。
『ほらさっさと開けろよ、酒を』
玄関に立った瞬間にビリキナが言った。
「ちょっと待って。確認しておきたいことがあるんだ」
『あ? ああ、どうせあれだろ? 早く済ませるぞ!』
「わかったから」
手洗いとうがいを済ませてから、二階の自室に戻る。ベッドの上に鞄を置いて、クローゼットに隠してあった大きな直方体の箱を取り出す。目算二十五センチほどの箱を勉強机の上に置いて、がちゃがちゃと各部をいじって蓋を開ける。
「やあ」
ボクは中にいた二人に声をかけた。返事はない。当然だ。
一人は卵型の半透明の闇色をしたカプセルに入っている、小さな女の子。容器の中には特殊な液体が満ちており、それに浸された状態だ。クリーム色の髪は僅かに肩から浮き上がり、毛先は少し黒に染まりつつある。白い肌もやや黒ずんできており、表情は苦痛にゆがめられて、目は固く閉じられている。本当なら緑の瞳にも色に変化があるのかどうか確認したいけれど、叶いそうにないかな。ああでも、羽根の変化が見られた。淡い緑の羽根はだらんと垂れて、輝きを失っている。
もう一人は、捕まえた時と変わらず拘束具をつけていることとこの箱に閉じ込めていること以外には特に何もしていない。けれど食べ物も何も与えていないから、衰弱しきっている。紫色の髪はボサボサで、ところどころに抜けてしまった数本の毛がばらまかれていた。琥珀色の瞳からは光が抜け落ち、カサカサに荒れた口はヒューヒューと渇いた息を吐いていた。
二人とも、言葉を発する余裕なんてないだろう。
「うーん。
ビリキナ、魔力を流してもらえる?」
『わかった』
ボクが言い終わるよりも前に、ビリキナはリンの前まで飛んで手をかざした。
『こんなもんかあ?』
カプセルの周りに浮く黒い粒子が一定数増えたのを見て、ビリキナは魔力の供給を止める。
「いいんじゃないかな。じゃ、行こうか」
蓋を閉めて、再び箱をクローゼットにしまう。
『あーあー、お前も堕ちたなー』
面白そうに言うビリキナに、ボクは言い返した。
「これは全部、ボクの意志だよ」
第一幕【完】