ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.228 )
- 日時: 2021/08/07 11:07
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: Mj3lSPuT)
0
ボクの何がいけなかったの? わかっていたなら、教えてよ。知っていたんでしょう? ねえ。
仕方ないじゃないか。ボクはこうすることしか出来なかったんだ。ボクはあの日──
1
「姉ちゃん! 学園から便りが来てるよー」
家の手紙受けに入っていたプリントを持って、リビングに居る姉ちゃんに渡した。
姉ちゃんの、天使と見違う輝かしい金髪が、朝の爽やかな光に当てられてキラキラと光る。まるで光の精霊が祝福しているかのような神々しい光景は、八年ぶりに再び暮らし始めたばかりのボクの目にはまだ慣れない。
そしてその輝きの中、不釣り合いとも呼べるほど虚ろな青と白の瞳が、ボクを見た。
「うん」
姉ちゃんはボクからプリントを受け取ると、五秒後にボクに返した。
「朝日も、目を通しておいて」
「わかった」
驚くことなんて何も無い。姉ちゃんは十歳の頃、千ページに及ぶ魔法専門書を一日で読破したことがある。始めこそ驚いていたものの、次第に姉ちゃんが様々な面において優れた、いわゆる『天才』であることを知り、なんとも思わなくなった。
姉ちゃんは自身が優れていることを周囲に知らせたがらないが、ボクには今みたいに包み隠さず見せてくれる。それが嬉しくもあり、同時に姉ちゃんを周りに自慢出来ないのが時々悔しい。
プリントの内容は、二週間バケガクを閉鎖する、というものだった。一週間ほど前にバケガクが所有する敷地内に存在すると建物のほとんどが崩壊するという事件があり、それから生徒は自宅待機をするよう知らされ、ようやくこれからどうするかなどの詳細が決まったらしい。
なんでも、生徒会長である北国の王太子の左腕がその事件の中で失われたらしく、主に政治絡みや責任があるどうのこうのといった話でなかなか会議が速やかに行われなかったらしい。ただでさえバケガクというのは世界中から、平民から王族、さらには多種族の生徒が集まる学園なので各国の重役と話を進めなければならないので、こういった大規模な問題が起こると解決に時間がかかるらしい。
これは同じクラスの、えーっと、友達もどきから聞いた話だ。こういう時、噂というものは距離や時間などお構い無しに広がるものなのだと再認識させられる。
……八年前、いや、九年前のあの事件も、あっという間に世界中に浸透したなあ。
「あ、そうだ! 姉ちゃん、これ」
そう言いつつ、ボクは姉ちゃんに手紙を渡した。白い封筒にバケガクのエンブレムを模した封蝋が押された手紙だ。表には『花園日向様』と記されている。
「じゃあ朝ごはんの用意するね」
「うん」
本人は何も言ってくれないけれど、あの事件に姉ちゃんは直接関わっている。ボクはそれを知っている。多分内容は当事者から直接話を聞きたいだとか、そんなところだろうか。もしそうだとしたら、アイツも……。
『大丈夫』
ボクは口だけを動かして、心臓が激しく脈を刻む前に、狂う感情を収めた。
2 >>229
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.229 )
- 日時: 2021/08/07 19:11
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /GGwJ7ib)
2
「ご馳走様」
姉ちゃんが言うと、ボクはすかさず質問を投げかける。
「美味しかった?」
返ってくる返事は分かりきっているけれど、それでも、聞きたいと思ってしまうのだ。
「うん」
「へへ、嬉しい!」
今日は焼き魚や白ご飯や漬物なんかで皿の数が多いのだけど、姉ちゃんは全く音を立てずに自分が使ったお皿を流し台へ運んだ。昔、どうしてそんなに綺麗に運べるのかと尋ねたところ、数秒首を傾げ、「無意識」とだけ教えられた。
「出掛ける」
洗い物を終えた姉ちゃんはそう言ってボクの返事を待たずに、出掛ける準備をするため自室へ戻っていった。
どこに行くのかは、教えて貰えないんだ。まあ、知ってるけどさ。
姉ちゃんが出掛ける行先は、例外を除いて、冒険者ギルド、ダンジョン、そして時々バケガクの、計三つに絞られる。さっきの手紙から察するに、今日はおそらくバケガクだろう。流石の姉ちゃんもあんな大きな事件に関する呼び出しを無視することはしないらしい。
五分後。家の中から姉ちゃんの気配が消えた。姉ちゃんは普段から気配を消しているらしいけど、家の中ではたまに消さないでいるらしい。なんでも気配を消していると、急に現れた時にボクがびっくりしてしまうからなんだとか。つまり今こうしてボクが『姉ちゃんの気配が家から消えた』と感じたことは、裏を返せば『姉ちゃんがボクに出かけたことを伝えた』ということになるのだ。
「あれえ? 行かないの?」
まあ驚いていたのは昔の話で、今は『コイツ』の影響で随分慣れたものだけれど。
「行くに決まってるだろ。『アイツ』も居るかもしれないんだから」
コイツ──ジョーカーは、ボクがこの家にまた住み始めるようになってからも度々こんな風に突然現れる。姉ちゃんが結界を張っているはずなのに、だ。しかも自分がここに来た形跡を残さずに去る。認めたくはないが、ジョーカーが姉ちゃんよりも強いことはなんとなくわかる。まあ、どうでもいいことだけど。
「それならいーや。何があったかはちゃんと報告してね」
「は? それって例の件に関係あるの?」
ボクが言うと、ジョーカーは胡散臭い笑みを崩さずに言う。
「だから、君が関わっている件以外にも組織は色んなことしてるんだって。日向ちゃんとバケガクの学園長との関係はこっちでもあまり分かってないからさ。こっちとしては日向ちゃんが何をしに行くのかは、欲しい情報なんだよ」
そして、ボクに手紙を渡した。開封済みの手紙──さっきボクが姉ちゃんに渡した、バケガクからの手紙だ。
「いつの間に……姉ちゃんの部屋に入ったのか?!」
ボクが睨むと、ジョーカーは苦笑した。
「失礼だなぁ。変なことはしてないよ。それに君だって気になってたでしょー?」
悔しいが、事実だ。ボクは大人しく手紙を受け取り、中を見た。
『花園君へ
前置きは省いて、簡潔に記すよ。今日、学園まで来て欲しい。出来るだけ早く』
手紙に書かれていた文言は、たったこれだけだった。
「読めたぁ?」
ジョーカーはボクの返事を聞く前に、手紙に触れた。その瞬間、ボロボロと手紙はボクの手の中で崩れた。
「あれあれ? こんなことで驚いているのかなあ? 朝日くんも案外可愛いところあるね」
「うっさい」
大体、ボクは手紙が消えたことに驚いたんじゃない。姉ちゃんが、帰ってきた時に手紙がないことを訝しむんじゃないかと、心配しただけだ。
「だからあ、そこが可愛いって言ってるんでしょ」
「きも。心の中読まないでくれる」
「ひどいなあ。なんで君達姉弟はボクに対してそんなに辛辣なんだろうね。
あの手紙には、元々、対象の人物以外が読めない魔法と誰かが手紙を読んでしばらくしたら消滅する魔法が並列してかけられていたんだ。一つ目は術式を分解して、二つ目は発動を遅らせていたんだよ。だから手紙は消してもなんの問題もない」
術式を『破壊』するのではなく『分解』し、そして発動を『止める』のではなく『遅らせる』。確かにその方法なら術者に術式に手を加えたことを知られにくい。しかしその分高度な技術が必要となる。なんでこんなやつにそんなことが出来るんだろう。
「チッ」
「そういうことは誰も見てないところでしようね」
3 >>230
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.230 )
- 日時: 2021/08/08 09:03
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /GGwJ7ib)
3
あれから急いで支度をして、ボクはバケガクに向かっていた。姉ちゃんの飛行速度は速いから、ボクが追いつくことは無いだろう。
「ん?」
ボクは一度止まった。簡易な柵でバケガクの所有する敷地がぐるりと囲われていたのだ。柵の向こうには、無惨に破壊し尽くされた森の木々と、ぼんやりと遠くに見える崩壊し放置された元々壁であったり屋根であったりした瓦礫があった。
柵の前には点々と見張りらしき人が立っている。そのほとんどが屈強な男で、それ以外でも、新聞でたまに見かけるどこかの国の騎士団に所属する間違えても下っ端ではない面々が揃っていた。上空には見るからに魔法により生み出された鳥の形をした仮想生物(本当の生物ではない、形と役割だけを持った魔力の塊。役割は形作る魔力によって異なる)が大量に飛び交っている。あれで情報疎通を行っているようだ。
「……ふうん」
随分と大層な守りだ。何かあるのは間違いない。
まあそれは後でわかるだろうと自分の心に区切りをつけて、ボクは前進を再開した。
ボクは今、ジョーカーに渡された無色の魔法石を持っている。これは術者が自分の魔力を込めて用途を定めるタイプのもので、仮想生物とよく似ている。仮想生物はその形から作らなければならず、その上特定の魔力のみで作る必要がある。魔法石は元から存在する物に魔力を込めるだけでいいが、その魔法石が耐えられる量・種類の魔力を込める必要がある。どちらが難易度が高いのかと言われると悩ましいところで、「時と場合による」が正当だろう。
ブレザーの内ポケットの中から、安っぽいビーズのような大きさと形の魔法石を取り出した。手のひらに乗せてみると、確かに、微かにではあるが魔力を感じる。これを受け取った当初は何も感じなかったが、最近になってようやく魔力を感じ取る力が着いてきた。
『知ってるかい? この地上に住む魔法使いと、魔法使いを超越した存在が使う魔法の違い』
ジョーカーは、姉ちゃんを相手に行動するなら直接的な魔法の使い方だけではなく魔法や魔力の根本の仕組みなんかも学んでおいた方がいいと、ボクが聞いてもいないことをペラペラと喋る時がある。
『え、わからない? 魔法の量を操るか、魔法の質を操るか、だよー。魔法の質を操ることが出来たらそれはもう、神様の域だよねぇ。
まあ、それが出来ないカミサマも一人……いや、これはまだ早いね。機会があれば話してあげるよぉ』
それにしても、この守りの中誰にも気付かれずに入れるだなんて、ね。自分で大口叩くだけあるや。
この魔法石には、【意識阻害】【百里眼】【聴域拡大】の三つの魔力が込められている。【意識阻害】は今のように自分の存在を周りに認知されない力。【百里眼】は【千里眼】をいじったもので、一キロメートル範囲内であれば自由に視界を操作できる力。【聴域拡大】は視界に収まる距離、正確には意識的に目に入れてる範囲の音を拾える力。三つもの魔力、しかもこの大人数に通用する魔力にこんなちっちゃな石が耐えているのかと思うと、半ば信じ難い心境に駆られる。
『見て分かると思うけど、ボクはかなりの手練だからねぇ。そんじょそこらの奴にはその石の効果をガード出来ないよぉ。まあ万が一バレても【意識阻害】は誰でも使えるような初歩的な魔法だし、他の二つは正式に世に認知されてないから問題無し。だいじょぶだいじょぶ。
あ、でも、流石に日向ちゃんとかりゅーくんとかは長時間は無理だよ? あー、りゅーくんは大丈夫かな? あまり彼のこと知らないんだよねぇ。ま、よろしくー』
この魔法石は何かと便利に使える。ジョーカーの手を借りているという事実は癪だけど、今回もお世話になるだろうな。
4 >>231
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.231 )
- 日時: 2021/08/08 21:30
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: a0p/ia.h)
4
【スキル・魔力探知・波動パターン識別・発動】
見渡す限り瓦礫、瓦礫、瓦礫。始めは目星を付けて探していたものの、痺れを切らしてスキルを使うことにした。
ボクの使うこのスキルは一般的なものとは少し違う。本来の【魔力探知】は自分の魔力を周囲に満たし、他者の魔力の波動を感じ取ることで『何処に何がいるのか』を把握するもので、特定の人物を探すに至るまではかなりレベルを上げなければならない。だけどボクのスキル【魔力探知・波動パターン識別】は『自分が記憶した魔力の波動パターン』を探ることにより、『特定の一人』を見つけ出すことが出来る。ただしこれは裏を返せば一人一人のパターンを完璧に記憶しなければ使えない裏技なので、ボクは姉ちゃんを探すことにしか使えない。
意識を『一人一人が放つ魔力』に集中させるために、ボクは目を閉じた。この時に言う魔力というのは『魔法を使うために世界にアクセスする力』ではなく『精霊を寄せつける力』のことで、これは魔法を使えない種族にも備わっている。これはどうしてかというと、生物であろうと無生物であろうとこの世に存在する全てのものは創造神の創造物であるから、創造神の生み出した精霊の庇護下にあるんだとか。
ちなみにこの魔力は質とか量とか、強いとか弱いとかはなく、ただ波動のパターンが人によって違うというだけらしい。しかしそのパターンを覚えるのは至難の業で、それは人が寄せつける精霊の種類は数千万に及ぶためだ。故に複数人のパターンを覚えようとすると情報過多で頭がショートしてしまう。
でも、姉ちゃんなら。姉ちゃんなら、色んな人のパターンを覚えていたりするのかな。このスキルを教えてくれたのも姉ちゃんだったし。
こういったスキルを発動するのに使うのも、この魔力だ。ボクは魔力を『満たす』のではなく全域に『飛ばし』、数多の波動パターンの中から姉ちゃんのものを探し始めた。
本来のものであれば魔力は『触覚』として扱うのだが、ボクの場合は『視覚』として扱う。感覚的に探すといった面では共通しているので具体的にこの違いを説明するのは難しい。姉ちゃんは「意識の違い」と言っていた。そんなことできちんと発動するのかと、昔のボクは思ったのだが、杞憂だった。
本来のスキルは自分よりもレベルの高い人には発動したことを気付かれてしまうことが多いのだが、ボクの使うスキルだと気付かれにくい。これが何故かと言うと、『触覚』だと触られた感覚がして気付きやすいけど、『視覚』だと触られるよりかは気付きにくい、らしい。しかも凝視するわけでなくサラッと見て回るだけなので、余計に分かりにくいんだとか。
【魔力探知】は『視る』数が多いと情報の量に頭が耐え切れなくなるのでかなりの経験を積む必要があり、実際に使えるようになるにはレベルは少なくとも5に達していないと使えない。しかし【魔力探知・波動パターン識別】は違う。数はあまり問題とせず、ただ目的の波動パターンを探せばいい。
「……いた」
かつてのバケガク本館よりも敷地の奥にある図書館の中に、姉ちゃんはいる。そうか、図書館や特別倉庫なんかは無事なんだっけ。確か重要な物が保管されている場所には特別な結界が張られているらしいから、そのお陰で?
噂だと、光魔法の使い手が魔法障壁を張ったって聞いたけど。結界は確かに今の技術じゃ再現出来ないほど強力だけど、古代の魔法を用いて張られたものだから、同じ古代の存在である悪魔、しかも『大罪の悪魔』相手だといくら結界でももたないからと周りの「危険だ」という警告を無視した男子生徒がいるらしい。
その時、水柱を大量に出現させた術者が大罪の悪魔の契約者だとは分かっていなかった。真白が誰かに話していない限り、戦闘になっていた場所にいた姉ちゃんと笹木野龍馬と学園長と真白の四人、そして真白をけしかけたボクくらいしか、バケガク内であの魔法が大罪の悪魔の魔力によるものだということを知る者はいなかったはずだ。
つまりその男子生徒は、魔力から術者を特定したということ。そんなことが出来て、かつ大罪の悪魔の力に対抗する魔法障壁を展開できる奴なんて──おそらく、東蘭。あいつならそれが出来るんだろう。あいつは同じ天陽族ということもあって幼い頃から色んな噂が流れてきた。一族きっての才児だとか神童だとか、かと思えば一族の力【解呪】を操れずに落ちぶれたとか。それでもあいつの力はとにかく強く、気性に合っている魔法であれば制御も完璧に行えるらしい。
「……」
『大丈夫』
ボクは大丈夫だ。ボクは姉ちゃんさえいればいい。
そうだろう、ボク?
5 >>232
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.232 )
- 日時: 2021/08/09 11:08
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: a0p/ia.h)
5
ボクは正門の上をほうきで通ると、人影の少ないところで降りた。【意識阻害】はあくまで他者の意識を自分に向けにくくするだけで、自分自身が透明になったり存在そのものが無くなったりする訳では無い。歩けば足音が鳴るし、魔力の流れも感知される。
こうした守りに当てられる人材は五感や魔法感覚に限らず色んな感覚が研ぎ澄まされていることが予想される。確かにボクは動けば何かしらの音を鳴らす。音なく長距離を移動出来るような技術は備わっていない。けれど意識して気をつける程度なら出来る。ほうきで移動すると嫌でも魔力が流れてしまう。ボクが見張りよりも圧倒的に経験や技術が劣っている以上、こうした場面では自分自身の体で、魔法やスキルなしで動いた方がいいのだ。
ほうきを『アイテムボックス』にしまい先に進む。瓦礫は大きいものも多く、また、さっきの柵を越えて侵入してくるような輩はいないだろうと想定されているのか、数値的な人数はそこそこあるものの、配置としては一人一人の間隔が大きく、人目を避けることは容易だった。ただし見つかれば仮想生物の鳥を伝って一気に情報が拡散されるだろうから、油断は出来ない。
うーん。一応制服で来たけど、動きやすい格好の方が良かったかなあ? そういえばボクって金髪で目立つしなー。帽子くらい持ってきても良かったかも。
まあ今更後悔しても遅い。どうせ一旦家に戻るなんて出来ないんだし、頑張ろう。
「わあ、蝶がいる!」
えっ?!
「ぅ」
ボクは驚きのあまり声を出しそうになり、慌てて両手で口を押さえた。
は? 誰だ? 全然気配を感じなかった。音だって聞こえなかったし、なによりさっきまで周りには誰もいなかったじゃないか!
「あれ、これって仮想生物かー。侵入者を見つけるためのものかな? そっか、仮想生物って基本的に一つの命令しか下せないもんね。だから見張り用は情報伝達用とは別に用意しないといけないんだね」
ボクとそんなに年の変わらない女の子の声だった。元気が良くて姉ちゃんとは真逆のタイプ。なのにどうしてか不快にはならない、不思議な声だ。
「ああ、行っちゃった。頑張ってねー!」
ボクは物陰からそっと様子を伺った。女の子は向こうを向いていて顔は見えないが、ボクはひと目でそれが誰なのかわかった。
淡い、少し灰色の混ざったような桜色の髪──スナタだ。
なんであんな独り言を言ってるんだろう。癖なのか?
……ボクに見張り用の仮想生物がいることを教えたのだろうか。そんな、まさかね。
でも、ボクはあの蝶に気付いていなかった。ボクの瞳と同じ色をした萩色の蝶。見張りなだけありボクと同じ【意識阻害】を掛けられているようだ。効力はボクのものよりは劣るがそれなりに強い。認識出来れば次からは見えるようにはなるが、今のことがなければ気付かなかったかも。
まて。ということはスナタは蝶の【意識阻害】を破ったのか?
予想外だった。姉ちゃんのそばに居る三人の中で唯一一般人の平均並みの魔力や知能、そして身体能力を持った、良くも悪くも『普通』だったから、警戒対象から除外していたのだけれど。
一応ボクは昔から優秀だった。多分じいちゃんの血を素直に受け継いだのだと思う。新入生だからIVグループだけど、来年度からはⅢグループに昇級するだろうと先生にも言われたし。
なのに、そんなボクでも分からなかった蝶をスナタは気付いたのか? ボクはIVグループでスナタはⅢグループ。でもそれは在籍日数の違いじゃないのか?
「さーて、早く行かないと。多分わたしが最後だろうしね。学園長は何するつもりなのかな? まあ、大体検討は着くけど」
認めたくはないが、なんとなくスナタはボクにも気付いている気がする。でも、どうして? 媒体を通してではあるがジョーカーの魔法だぞ? 姉ちゃんとは違ってスナタは本当に魔力が一般平均くらいしかないからⅢグループなんだろうし、ジョーカーの魔法を破れるとは到底思えないんだけど。
ジョーカーなら何か知っているのかな。また聞いてみよう。
6 >>233
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.233 )
- 日時: 2021/08/09 15:01
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: a0p/ia.h)
6
わざわざ図書室に近寄らずとも、【百里眼】が使用可能になるエリアまで行けばそれでいいと思っていた。
でも!
蝶の数が多い!
人の配置がまばらだったのは、この蝶の存在が大きかったのだろう。意識して確認してみれば、鳥の倍近くの数の蝶が飛んでいる。瓦礫に隠れても蝶が近くにいるからすぐに移動しなければならない。しかも蝶そのものが小さく何処にいるのか瞬時に把握するのは少し難しいから常に気を張っておかなければならず、そろそろ疲れてきた。
けれど図書館に近付くにつれて蝶はおろか鳥の数も減っていき、代わりに人の数が増えてきている。
どうしてだろう。ここで姉ちゃんたちが話しているのなら、ここが一番警戒するべきところじゃないのか? さっきのスナタの言葉からしてもそれは予想される。人が増えるのは分かるが、蝶や鳥の数を減らす理由がわからない。
図書館とバケガク本館は中間に森がある。かなり大きい森で上空から見ると長細い形をしているが、真っ直ぐに横断しようとしても十分以上かかる。隠れながら進むので二十分はかかることを想定して進んでいる。
「く、あああぁぁ〜」
「おい、あくびなんかすんなよ!」
「そうだよ、もっとしっかりしなきゃ」
ボクが進んできた方向から三人組の男達が歩いてきた。軽装の兵服を着ているので、おそらく騎士団の下等兵かそこらだろう。
「あくびしたくもなるだろ。誰もいないのにずっと警戒し続けないといけないんだから」
「それが俺達の仕事だろうが!」
「まあ、言ってることはわかるけどね。でもここは鳥や蝶が近寄れないらしいから仕方ないよ。
でも、さっき入ってきた情報だとあと一時間か二時間で終わるって話だし、もうちょっとだよ」
これは、もしかすると何か情報が得られるかもしれない。もう少しここに居てみよう。
ずっと顔を出して三人の姿を見続けるわけにもいかないので、ボクと三人の距離は聞こえてくる足音だけで判断することにする。
「げぇぇ、あと二時間もあるのかー。
というかなんで仮想生物が近寄れないんだよ。結界があるのはあの建物だけで、ここら一帯に貼られてるわけでもないんだろ?」
「はあ?! お前、話聞いてなかったのか!」
「まあまあ、落ち着きなよ。喧嘩してるとまた上官に怒られるよ?
上官の話によると、自然と他人の魔力を弾く『膜』を展開してしまう魔法使いがいるらしいんだ。仮想生物は言ってしまえば魔力の塊だから、その『膜』の影響をもろに受けているんだろうね」
あれ、これって姉ちゃんの話じゃないか? でもおかしいな。姉ちゃんは普段その力を抑えているはずなのに。
「へえ、凄い奴もいるもんだな。それってつまり今回動員された魔術師の奴ら全員の魔力を弾いてるって事だよな? ということは魔術師以上の実力持ちか。」
「ってことは〔邪神の子〕か光障壁の才児のどっちかってことか! 確かにあの二人ならそのくらいのことやってのけそうだな!」
「光障壁の子って、それって東さんのこと? いや、違うと思うよ。対一人ならともかく、騎士団魔術師部隊の一隊全員の魔力を弾くなんて、それは魔道士クラスの実力がないと不可能だよ。でも、改めて考えてみるとそんな人いたかなあ?」
は?! 姉ちゃんとあの二人を一緒にするなよ!!
「今日ここに来た重要人物といえば、えーっと、学園長とスナタって女の子と光障壁の東くん? と白眼の花園日向だっけ? あれ、まだ〔邪神の子〕が来てないんだな」
「ああ、そういやさっき来たな、白眼。思い出しても気味わりぃや。なんであんな奴がいるんだろうな。いや昔の事件で存在することは知ってたけど、まさか会うことがあるとはなー」
「ちょっと! 誰が聞いているかわからないんだからそういうこというのはよしなよ!」
……。
落ち着け。今出て行けば今までの苦労が水の泡だ。元からああいうことを思っている人しかいないことはわかっていた事だ。
ボクは爪が食い込んで血が流れるまで強く、両手を握りしめた。
「いや、誰が聞いているかわからないってのはないだろ。そもそもここまで辿り着ける奴なんているのかねえ」
「そうだそうだ! それにこうやってちょくちょくガス抜きしねえとやってらんないしな」
「そんなのわからないじゃないか。もしかしたらこういう木の後ろに隠れているのかもしれないし」
木の後ろ?
っ、しまった!! あいつらの言葉の気を取られて距離を確認するのを怠った! ボクが背を預けている木ではないだろうが、足音からして三人のうち一人が近くの木に近付いて来るのがわかる。いくらこの森が深いとはいえ見つかる可能性は高い。
どうしようどうしよう。もう移動が出来る距離じゃない。
一か八か、飛び出して魔法で口封じをするか? それくらいならボクは出来る。でも魔法の兆候や痕跡を隠す術はまだわからない。侵入者の発覚は避けられない。
いや、ここで捕まるか後で捕まるかの違いだ。いま抵抗しなければ確実に捕まるが、後のことは後になってみないとわからない。
なら、賭けに出よう。
ボクは肩から提げた小さな鞄から、杖を取り出した。白みがかった半透明の六角形の水晶が先端に取り付けられた一番流通量の多い種類の杖だ。ボクは水晶に光の魔力を溜め、発動の準備を整えた。
7 >>234
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.234 )
- 日時: 2021/08/09 21:43
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: taU2X.e0)
7
「こんにちは」
突然、あの三人以外の、勿論ボクでもない人の声が重くのしかかった。
「見回りお疲れ様です。ところで随分と私の知り合いのことを悪く言っていたようですが、気の所為でしょうか?」
ボクはこの声を知っている。こんな声音は聞いたことがないが、聞き間違えるはずがない。
笹木野龍馬だ。
「え、あ、ははは……」
「いや、その、はい、気の所為で……」
「も、申し訳ありません!!!」
笹木野龍馬の威迫に圧されたのか、三人はしどろもどろになって答えになっていない言葉を各々で口にする。
「肯定と否を言っている方がいらっしゃるようですが、事実はどちらなのでしょう? まさか真逆の事実が二つ存在するとでも? おかしいですね。未来はいくらでも枝分かれしますが、我らの辿る過去はただ一つであると他のどなたでもない神々が定めたのですから」
静かな怒りを前面に出したような、空気が痺れる錯覚を感じさせる声が、この場を支配していた。いくらカツェランフォートの吸血鬼であり自分よりも長い年月を生きてきた人物を相手にしているとはいえ見た目だけではまだ子供の少年に怯えているようで、騎士団の兵士が務まるのだろうか。
「お、おい、さっさと謝れよ」
「はあ? お前だって止めなかっただろうが」
「ちょっと二人とも、今はそんなこと言ってる場合じゃ」
ない、と最後の一人が言い切る前に、それは起きた。
まず、ずしりと上から重圧が辺り一帯に掛けられた。それだけではなく、心做しか息苦しさも感じる。手足が痙攣し、自由に動かせなくなった。視界もかすみ、次第に体がふわふわと浮くような錯覚がし、触覚が正常に機能しなくなったように感じる。
「あれ、どうかしましたか? かなり顔色が悪いようですが。私なら楽になれる場所まで運んで差し上げられますがいかがでしょう」
「た、すけ、て……」
「あ、かはっ、がっ……」
「すみま、せ……」
やや離れた場所にいるボクでさえこれだけの影響を受けているのだ。魔法の対象とされたあの三人は、これ以上に苦しい目に合わされているのだろう。声から察して、もはや死にかけている。
どくんどくんと、心臓がゆっくり大きく異常な脈を刻んだ。[黒大陸]の住民は冷酷非情。それが今、実際に体験させられている。
怖い、恐い、こわい、コワイ。恐怖という名の氷がボクの体を埋めつくし、急激に体温を奪っていく。この震えはきっと、魔法による痙攣だけではないはずだ。
「まあ、と言ってもこの場所はいま私の魔法が上手くコントロール出来ない状態にあるので、もしかすると案内し損ねるかもしれませんけど、ね。その時は寛大な心でお許し頂けると幸いです」
「……」
「はい? なんですか?」
「コロ……サ、ナイ、デ……」
「え?」
数秒の沈黙の後、笹木野龍馬は変わらぬ落ち着いた声で言った。
「ああ、失礼しました。知らず知らず紛らわしい言い方をしてしまっていましたね。ご安心ください。殺しはしませんよ。いくら私が吸血鬼だからといって誰も彼も襲うわけではありませんし、殺すわけでもありません。
ただ、闇の中に飲み込むだけです」
その声はむしろ穏やかさすら感じさせるほど、冷たい怒りで満たされたものだった。体中を這いずり回すような不快感に包まれ、気を抜けばすぐにでも意識が飛んでしまいそうだ。
「闇の中では死ぬことはありません。ひたすら無限の時の中感覚を忘れ、記憶を忘れ、そして自分を忘れます。ね? 楽になれるでしょう?
……あれ?」
数歩分の足音がした後に、ふっと魔法が解かれた。その瞬間ボクはその場に倒れ、パキパキと枯葉が割れる音がした。
「次はないと脅すつもりだったのにな。気絶してる。そんなにやりすぎたのかな、自覚ないや」
朦朧とした意識の中聞こえたその声は、もう怒りはなかった。
「君も、えっと、誰かは知らないけど、巻き込んでごめんね。まさか森の中に隠れてるなんて思わなかったからさ。お詫びになるか分からないけど、この辺に幻影魔法敷いておくから、調子が戻ってきたらここから出ることをおすすめするよ。そう時間がかからないうちに大規模な魔法がバケガク全域に渡って発動される予定だから」
ああ、笹木野龍馬にも破られたのか。でも、スナタよりも正確に破れてはいない、みたい、だ、な……。
8 >>235
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.235 )
- 日時: 2021/08/10 10:38
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: taU2X.e0)
8
って、うわっ! ボク、どれくらい気を失っていたんだ?!
と思ってかなり焦ったが、実際は気を失ってなんかいなかった。まだ体は重くてだるいが、目はしっかり覚めている。
ただし気は遠くなっていたから、その間にあそこまで移動したんだろうなと、小さくなった笹木野龍馬の背をぼんやりと見つめながら思った。
あいつ、幻影魔法を張ったって言ってたか? なら、ここから【百里眼】を使えるんじゃ! 姉ちゃんが大事にしてる人なら、この場面で嘘なんてつかないだろう。なんとなく幻影魔法の魔力も感じるし。うん!
ただ、いくらなんでもこの状態で使うのは危険なのはわかっている。【百里眼】を使って【聴域拡大】も使うわけだし。魔力は魔法石のものを使うからいいとして、体力が心配だ。笹木野龍馬が到着していないなら、まだ焦る必要は無い。
そう思うと一気に疲れが押し寄せ、ボクは体を休めるために目を閉じた。
__________
母さんは醜い人だった。急に癇癪を起こしては姉ちゃんに当たり散らして気を失ったように寝込む日々。その精神疾患のせいで仕事も出来なくなり、家に引きこもるようになった。
父さんは弱い人だった。母さんがそんな状態になった時はいつも仕事に行っていて、肝心な時に居ない。後から何があったかを知っても姉ちゃんやボクに謝るばかりで、実際に行動を起こしたりはしなかった。
姉ちゃんは強い人だった。最悪な家庭環境で育ったのに、一言も弱音を吐いたことがない。母さんが癇癪を起こした時は部屋からボクを力ずくでも放り出して、巻き込まれないように守ってくれていた。ボクに勉強や魔法を教えてくれたのも姉ちゃんだった。
その日は雨が激しい日だった。雷がゴロゴロと空を走り、家の中はじめじめと暗かった。
「朝日!」
そんな日は母さんの癇癪がいつにも増して酷くなる。不穏な空気を感じ取った姉ちゃんは俺の名を呼んで、外に出るように促した。
「待ちなさい、朝日」
だけど、しっとりと冷たい母さんの声が俺をその場に留めた。
「貴方はこいつのことを慕っていたわね。この悪魔の姿をよく見なさい」
ザシュッ
人の肉を裂く音が、鈍く鈍く頭の中で木霊した。母さんの手は真っ赤に染まり、握る包丁の先端には紅い液体が滴っていた。姉ちゃんの鮮やかな金髪に紅が錆のようにこびりつく。大きな大きな紅色の水溜まりの中に姉ちゃんが浮かんでいる。
「はっ、はっ、はっ、はっ」
動機が乱れて、不規則な息が喉を乾かせた。
「朝日」
痛みに震える様子を見せない姉ちゃんは、先程とは違い小さく俺を呼んだ。
「部屋の、外へ」
そして、鋭く叫ぶ。
「早く!」
母さんが姉ちゃんに暴行するところは何度も見てきた。でも、こういう風に体を傷付けるところは見たことがない。いつもなら殴る蹴るの後に刃物を持ち出すので、その前に俺は逃げるのだ。始めから刃物を振るうのは初めてかもしれない。俺は初めて見る人の血にパニックになって、その場から動けなかった。
それを察したのか、姉ちゃんは魔法を使って止血をし、既に流れてしまった血も消した。
金色の光が暗い部屋に差し、そして溶けると、母さんは悲鳴を上げた。
「この悪魔! 怪我もすぐに治る! 人間じゃないわ!」
こんな速度で怪我を治す回復魔法なんて、姉ちゃん以外は使えないだろう。しかも今の姉ちゃんは怪我をしていて体力を奪われている。悪魔は言い過ぎだとしても、母さんの言いたいことは多少は分かった。
「朝日!」
俺はガタガタと震える手でドアノブに触れ、それを回そうとした。けれど上手く手を動かせず、なかなか開かない。
ザシュッ
また、肉を裂く音。
ザシュッ ザシュッ ザシュッ
「お前なんか! お前なんか!」
母さんは同い年の女性と比べても貧弱で、魔力も衰えてきている。姉ちゃんなら、反抗くらい出来るはずだ。なのにあえて逆らわず、動かず、されるがままになっている。
『なあ、なんで姉ちゃんは母さんから逃げないんだ? 家出とか考えねえの?』
『カゾクは、大事にするべき』
『あんなの家族じゃないだろ』
『それに、朝日がいる。朝日は優秀だし私とは違って瞳の色も桃色だから私ほどの冷遇は受けないだろうけど、母さんから生まれた子だから、一族からは蔑視される可能性がある。それに、いつ母さんが朝日にも手を出し始めるか分からない』
『俺なんてほっとけよ!』
『私が嫌』
そんな会話を、いつだったかしたことがあったっけ。
__________
両親が死んだことは、大して問題じゃなかった。あの時、自分が何を思っていたのかはもう覚えていない。覚えていることは、両親が死んだという事実と、それから──
うん、充分体は休まっただろう。そろそろ、行動に移そう。
9 >>236
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.236 )
- 日時: 2022/06/13 20:48
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: ZZRB/2hW)
9
ボクは目を閉じたまま、【百里眼】を発動した。視界は厳重な警戒をすり抜けて、図書館の入口を通過する。図書館の中にも見張りは当然居たが、スルー。本の森を通って、二階への階段を上がる。それを繰り返して、四階まで。
魔法石をもらったとき、ジョーカーから【百里眼】は酔いやすい魔法だから注意するように言われたっけ。でもボクは【百里眼】で酔ったことは無い。そもそも馬車なんかに乗っても乗り物酔いを体験したことがないので、おそらく酔いに強いのだろう。
一階には管理人がいなかったが、ここにはいるようだ。あまり人を近付けたくないのか、見張りが一人たりとも居ない。
「ほお、そんなことをしようとしているのか。流石学園長だ。無茶をさせるね、まったく」
「予想ですけどね。送られてきた手紙の内容はただ自分を呼び出すだけの文言しか書かれていませんでしたから」
「いやいや、いかにも学園長が考えそうなことだ」
四階では、笹木野龍馬と老人が仲良さげに話していた。
「引き止めて悪かったな。ほかの全員はもう揃っているよ」
「いえ、楽しかったです。ありがとうございました。では、失礼します」
そう言って、笹木野龍馬は老人が背を向けている奥の扉へ消えていった。その扉の上には、『第一読書室』と書かれてある。
これが、噂の。
図書館には、自習にも使われている個室で読書が出来る場所がある。図書室は静かだとはいえ周りに人がいるというだけで読書に集中出来ないという感覚が鋭敏な人もいるらしく、そういった人のために用意されたものなんだとか。
個室は『第一読書室』、『第二読書室』、『第三読書室』、『第四読書室』、『第五読書室』まであり、それぞれ使うことの出来るクラスが分けられている。グループではなくクラスであることが学園長の指示だそうで、理由はグループだと昇進が難しいが、クラスなら在籍日数や授業態度などの実技(魔法だけに限らない)以外の成績で昇進可能なためらしい。
第五読書室を利用可能な生徒はGクラス以上(つまり全校生徒)、第四読書室を利用可能な生徒はCクラス以上……といった調子で第二読書室を利用可能な生徒はAクラス以上となる。
ボクは利用したことがないので詳しくは知らないが、数字が小さくなるごとに部屋の中身が読書に適した環境が整えられていくらしく、部屋の広さも大きくなっていくらしい。そのため複数人で一つの部屋を借りて読書会や勉強会を開いたりする生徒も多数いるんだとか。
第一読書室は特別扱いで、他の読書室が最低二十部屋用意はされているのに対し、一部屋しか用意されていない。最上階に保管されてある持ち出し禁止の本を、一冊ずつであるとはいえ唯一部屋の外に持ち出して良いとされている部屋がその第一読書室なのだ。
そのため他の読書室は図書館の横にある別館に設置されているのだが、第一読書室だけは図書館内に置かれている。位置は『番人』と呼ばれる、最上階のみの担当管理人である老人が座る受付台の後ろだ。
ここに、姉ちゃんたちがいるんだ。
ボクが第一読書室の中を見るために視界を動かすと、老人が口を開いた。
「誰だ」
その声は笹木野龍馬と話していた時とは比べ物にならないほど、重々しいものだった。
「いくら魔法を使おうとも、わしの眼は誤魔化せんぞ。ここに留まるくらいなら許してやるが、わしの管理下にある場所に踏み込むんじゃない」
ちょっと、ジョーカー! どうなってるんだよ! こんな老人にすら魔法が破られてるじゃないか!
「ん? ……ああ、君は大丈夫みたいだね。悪意は見えるが、それは暴力的じゃない。この場所に危害を加えるような悪意じゃなければ、問題は無いよ。
入室の手順を知らなかったんだね。少し待ちなさい」
そう言うと、番人はサラサラと手元の紙に何かを書いた。
「はい、いいよ。本当なら申告書が要るんだけど、まあ、あれは別に体裁を繕うためのもので特に意味は無いものだから、気にしなくていい」
これは、入ってもいいということなのだろうか。
「気を付けなさい。今のままだと、君の悪意は君を滅ぼす。少しでも早く罪を吐き出し、考えを改め神に祈りを捧げた方がいい。老いぼれからの忠告じゃ」
視界を移動させて番人の後ろを通ろうとすると、ふとそんなことを言い出した。
神、か。神なんて、いるわけないじゃないか。くだらない。それにもう、手遅れだよ。ボクは──
うるさいうるさい。何も考えるな。
とにかく中に入ろう。後のことは後で考えれば良いんだから。
10 >>237
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.237 )
- 日時: 2021/08/13 18:07
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: XyK12djH)
10
「諸君、よく集まってくれたね。礼を言うよ」
中はあまり豪奢な雰囲気ではなくむしろ質素で落ち着いた印象を受けた。広いといえば広いが『個室』と称するに相応しい程度には小さい。ただし日光を遮るためか窓が一枚もない。ちょっとした興味で壁の中に入ってみると、かなり分厚かった。
姉ちゃんたちは椅子や机を脇に避け、立って対峙していた。
「花園君。君が真白君と戦う時、私が何とお願いしたのか覚えているかい?」
「真白の身柄の確保、バケガクの修復」
学園長の言葉に間髪入れず、姉ちゃんは即答した。へえ、そんなこと頼まれてたんだ。
「よくわかっているじゃないか。でも前者は果たしてくれなかったよね?」
「わかってる。ちゃんと修復はする」
「言い訳しないところが君らしいね」
バケガクの修復? どういうことだ? いや、姉ちゃんを疑うわけじゃないけど、バケガクというのはまずとてつもなく広大だ。建物の被害はというと、バケガク本館は全壊、バケガク別館の方は八割が破壊されて、それ以外にも食堂や森も尋常ではない有様だ。
「何を言い出すのかは薄々予想は着いていたけど、ねえ日向、大丈夫なの? そんなこと出来るの?」
スナタの言い分はもっともだ。姉ちゃんの力は知っているが、それでも不安になる。
姉ちゃんは淡々と言った。
「もちろんいつもみたいに余裕を持って行えることではない。でも失敗しないから、大丈夫」
「いや、そうじゃなくて、日向自身のことだよ! 魔法じゃなくて!」
「私?」
「だって今回の魔法って、【創造魔法】でしょ? いくら日向でも、今の体で最上級魔法をこんな広範囲に発動すれば、まず急激な魔力の減少による副作用とか、魔法の過剰行使による身体的な体の負担とか、色々あるじゃない。だって、日向がやるんでしょ?」
なんだろう。今のスナタの言葉が、なにか引っかかる。でも、それが何なのかわからない。違和感の正体が掴めない。
「平気。流石に終えたばかりだと動けないかもしれないけど、すぐに回復する」
「ほんと?」
「うん」
姉ちゃんとスナタの会話が一段落すると、学園長が言った。
「今回のことは四人全員に協力してもらうよ。
笹木野君と東君は、万が一花園君に何かあったときのために備えておいてほしい。
スナタ君は、変な魔法が入り込んでいないか確認してほしい。
出来るね?」
有無を言わさぬ声に、それぞれ反応した。
「黒と白じゃなくて、闇と光ってのが心配だけどな」
「それはもうどうしようもないだろ。黒も白もおれ達は操れないんだから」
「頑張る!」
その言葉に学園長は満足気に頷き、
ボクを見た。
え?
「じゃあそろそろ取り掛かろうか。人払いをしよう。スナタ君、悪いけど下に行って一人だけ馬に乗ってるデカい男に結界を発動させることを伝えてくれるかい?」
「わあああっ!!」
スナタが返事をする前に、ボクの体が宙に浮いた。違う、第一読書室の中に転送されたんだ。え、どうして?! なんでバレたんだよ、どうなってるんだ!?
体がぼんやりと白い光に包まれ、ゆっくりと床に降ろされた。けれど急なことに体が対応しきれず、がくんと膝を着いてしまう。
「じゃあ行ってきまーす!」
「よろしくね」
ボクが居ることに誰も不思議に考えることをせず、まるで始めからボクがここにいたかのように振る舞う。
え、なに、どういうこと?
「さて、花園君──紛らわしいな、朝日君。君のことだから日向君が何をするのか気になるだろう? 特等席を用意してあげるからさあおいで」
「え、は、わ、なんですか?!」
「いいからいいから。後で色々説明してあげるからさ」
学園長はボクを無理やり立たせ、背中を押した。助けを求めて姉ちゃんを見たけれど、姉ちゃんは何故だか辛そうな表情をしていて、そちらの方が気になった。なんだか疲れているような、しんどそうな雰囲気。ボクのことなんか見ないで、少し息を荒くしてぼんやりと何も無い空間を見つめている。「大丈夫か?」などと笹木野龍馬が心配そうに声を掛けている。
姉ちゃんに近付くなよ!
そう思うが学園長の力は案外強く、ボクは逆らうことが出来ずに第一読書室の外まで連れ出された。
「あの、何処に行くんですか?」
「ん? 特等席と言っただろう?」
だから、それが何処なのかと聞いているんだって!!
11 >>238
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.238 )
- 日時: 2021/08/13 18:09
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: XyK12djH)
11
特等席、というのはつまり、『通達の塔』のことらしい。チャイムや緊急事態のアナウンスが流れる塔で、バケガク内に点々とある。ただ、『通達の塔』は立ち入り禁止で、内部がどうなっているのか、アナウンスの声が誰のものなのかは明らかにされていない。
アナウンスといえば、今も鳴らされている。学園内に居る見張りの兵や少数の教師たちに向けて、大規模な魔法が行われることを知らせ、避難を促すアナウンスだ。
「あの、ボクがはいってもいいんですか?」
塔の中にある長い螺旋階段を登りながら学園長に訊くと、学園長は笑った。
「だから『特等席』なんじゃないか。でも秘密だよ。学園長に贔屓されてるなんて言われたくないだろ?」
「そう、ですね」
「さあさあ着いたよ! ここが塔の最上部。今まで誰も見たことがない、訳では無いけれど、特別な人以外でここを見せるのは君が初めてだ」
階段は天井まで続いていて、天井は手動で開けられるようになっていた。重そうな扉を不快音を奏でながら学園長は涼しい顔で開く。扉が開くごとに差し込む光が強くなっていく。
「おいで」
学園長の声に従い、開いた扉をくぐると、そこには──
二人の子供がいた。女なのか男なのかわからない。見た目の年はボクよりも少し幼いかな。見た目は瓜二つで、白い髪に白い瞳、白い肌に白い布を巻き付けた子と、それを黒くした子。
ボクはまさかと思い白髪の子の額を見たが、水晶はない。〈呪われた民〉ではないのか。
「驚いたかい? 信じられないと思うけど、この二人は仮想生物だよ。各塔にそれぞれ置かれている」
「えっ!」
この二人が仮想生物だって? 仮想生物というのは単なる魔力の塊で、鳥に見えたり蝶に見えたりしたとしても、それはただ形がそう見えるだけで、実際には生物ですらない。ただ役割を持っただけの道具に過ぎない。
でも、この二人にはどう見ても髪と肌の区別が着く。目や鼻や口、耳や手足があるし、布を巻き付けただけとはいえ服を着ているじゃないか!
「これはこの学園の秘密の一つだ。詳しくは教えてあげられないけど、そうだね、この真っ白な子は白子、こっちの真っ黒な子は黒子って名前だよ」
どうでもいいよ!
「代わりにこっちを教えてあげよう。ここはこんなに開放感があるけど、外からは何も無いように見えるんだ。強い結界が張られているからね。図書館よりも強くなっているんじゃないかな」
「強く、『なっている』?」
ボクの問いに学園長は答えず、不敵に笑った。
この場所は四方八方が見渡せる。四本の柱が円錐状の屋根を支えているだけで、他に視界を遮るものがないのだ。
「そろそろ準備をしててもらえるかい? もうすぐで全員移動が完了しそうだ」
『わかったわ』
そう言って、姉ちゃんの契約精霊であるベルが学園長の懐から飛び出した。
「なんでベルがここにいるの?」
ボクが尋ねると、ベルはふわりと微笑んだ。
『日向は学園長さんの合図を受け取れないから、代わりにわたしが貰うために着いてきたの。学園長さんが「良し」と言ったらスナタの所に確認しに行って、リュウ達の状態を確認して、それから日向のお手伝いをしに行くの』
「お手伝い?」
『それは内緒』
ベルは両手の人差し指を交差させ、それを自分の口の前に持っていった。
「魔法陣の用意完了。学園の外界からの隔離も完了。さすがは魔導師部隊だね。仕事が早くて丁寧だ。仮想生物も消滅してる。
もういいよ。私が確認すべきことは終わった。スナタ君のところへ」
『ありがとう』
ベルはそう言って、金粉を散らしながら飛び立った。
「というわけで、私がするべきことは無くなったわけで、魔法が実行されるまでの間、暇が出来たわけだ」
学園長はゆらりとボクを見た。
「どうして頑丈な守りであった学園に侵入したのか、じっくり話を聞かせてもらおうか」
12 >>239
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.239 )
- 日時: 2021/08/14 11:12
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 8AM/ywGU)
12
学園長の表情は穏やかな笑顔で、それ自体はいつもと変わらない。何を考えているのかを悟らせないのも普段通りだ。
ただし雰囲気が違う。心臓を直接撫でられるような不快感がボクを襲った。
「姉ちゃんが学園に呼び出された理由も知りたかったし、なにより笹木野龍馬も来ると思ったから。
方法は教えない。対策されたら嫌だから」
「えっと、色々聞きたいことはあるんだけどまず、私は学園長で君は生徒。敬語を使おうとは思わないのかい? ましてやこの状況で」
「必要ないと思うから」
「ああ、そうだったそうだった。君は日向君の弟なんだっけ……」
それってボクと姉ちゃんが似てるってこと? 嬉しい。
「次に、どうして笹木野君が来ると思ったから来たんだ?」
「だって、絶対姉ちゃんのこと友達以上に見てるから。何か変なことしないか見張るために」
「彼らは友達ですらないんだけどね。まあ心配する気持ちも分からないことはないかな。あの二人の間の感情は、異常ではあるからね」
は?
「どういう意味?」
「ひ、み、つ」
学園長は人差し指を口の前にかざし、茶目っ気たっぷりにウインクをした。
「チッ」
「まあまあ。
それからさ、君、鈍感ってわけじゃないよね? なのにどうして私の『圧』を正面から受けて平然としてるのかな? こう見えて魔力だけは大量にあるんだけど」
そう。先程学園長を取り巻く雰囲気が変わったのは、学園長から魔力が放出されたからだ。他人の魔力が自分の体の周りに満たされたことにより、魔法使いだけが感じる独特の不快感を与えられたのだ。
魔力濃度が濃ければ濃いほど、その不快感は増し、耐性のない人は体調を崩すことすらある。魔法酔いとか、魔力酔いとか呼ばれている。
ボクの家系はエクソシスト。悪魔の『気』を敏感に感じ取らなければならない職業だ。そしてボクはその力を正常に受け継いでいる。悪魔を祓ったことはまだないが、『悪意』に成長する前の『邪気』を祓ったことなら何度もある。正確には祓わされたんだけど、ね。
「うーん、なんでだろ?」
誤魔化している訳ではなく、本当に分からない。昔はもっと過敏に反応してしまっていたんだけど。慣れたのかな。
「ふむ」
学園長は腕を組んでなにやら考えているようだ。しかし数秒後、すぐにボクに尋ねた。
「君、感情が欠落しているんじゃないか?」
「……え?」
「前からなんとなく思っていたんだよ。君が笑うとき、どこか空虚な感じがして。上手く言えないんだけどね。
と言っても完全に無くしている訳ではないみたいだ。さっき私が【転移魔法】で部屋に入れた時驚いていたみたいだしね。
でもこの真冬に寒そうな素振りひとつ見せないし」
「……」
「なにか条件があるのかな。ねえ、どう思う?」
「……」
「返事くらいして欲しいな」
「……わからない」
「そうか。なら憶測で語らせてもらうけど、日向君が関係するんじゃないかな?」
「!」
ヒヤリと背中に嫌な汗が流れた。
「多分、感情の優先順位があるのかな。日向君のことを考えている時はそれでいっぱいいっぱいになって、感情なんか感じてる場合じゃないんだよね。
でも、自分の核心を突かれたときは取り乱す。今みたいに。何か間違えているかい?」
「……」
「九年前、君たち姉弟にとって運命の日となった『白眼の親殺し』の事件当日、何があったのかは全て知っている。人が、しかも実の両親が目の前で死んでしまえば、精神がおかしくもなるよね。だから君は自分を保つために日向君に依存することを決めたんだ。多少人格はおかしくなってるけどね。昔は自分のことを『俺』と言っていたし、話し方も違っていた。君は忘れてしまったかもしれないが、随分と昔に授業参観で君と私は会ったことがあるんだよ。
なのに周囲の人間は君と日向君を引き離した。依存対象から離されて会うことも許して貰えない生活の中で君の人格はさらにねじ曲がった」
「……」
「その証拠に、君は実の祖母と祖父を殺しているだろう? 方法は単純。祖母は命を繋いでいる契約精霊を引き剥がして衰弱死。祖父は君が間接的にとはいえ祖母を殺したことを知り絶望し、衰弱しきったところで毒殺。全く、日向君は弟になんてことを教えているんだ」
「姉ちゃんを悪く言うな!」
「すまない、そんな気はなかったんだ。でもその様子は、図星だね」
「なんでわかるんだよ、そんなことが……!」
13 >>240
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.240 )
- 日時: 2021/08/14 23:31
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: QT5fUcT9)
13
__________
「日向、朝日!」
庭にいた父さんがボクが開けようとしていた扉から現れた。しかしそれ無視して、母さんは鍵付きの箱から剣を持ち出した。鍵は特定の人物が魔力を流すと開くタイプのもの。がちゃんがちゃんと音を立てて出てきたのは全長一メートルほどの両手剣で、鉄製のどこの市場でも出回っているようないわゆる粗悪品だ。箱に鍵が着いているのは泥棒に護身用に使われないためで、保管するためではない。そんな価値はあの剣にはない。
「これならいくらお前でも……」
包丁を投げ捨て、剣を構える。カランと音がして、包丁がくるくる床を滑る。
大して鍛えていない母さんはふらふらと足もとがおぼつかず、頼りなく剣を振りかざした。
「彩! それを早く降ろ……」
ザクッ
また、嫌な音がした。視界が紅に覆われる。
一体、何が起こったんだ?
それを俺が知る前に、姉ちゃんがよろよろと立ち上がり、そばによって正座し、自分の胸に俺の顔を埋めた。
「見たら、だめ」
小さく、声が聞こえた。
「あ、そんな……」
か細い、母さんの声。なにが、あったんだろう。
ガタンッ
ゴッ
何かにぶつかる音と、昔俺が階段から転げ落ちて頭を打った時の音に似た音がした。
「ね、え、ちゃ……」
姉ちゃんは、さらに強く俺を抱きしめた。姉ちゃんから流れる血が、温かくて冷たい。
「大丈夫。大丈夫。大丈夫。私が守るから。大丈夫」
「大丈夫だよ、姉ちゃん」
・・
ボクはそう言って、姉ちゃんの体を押して、にこっと笑った。
姉ちゃんの向こうの世界では、紅が満ちていた。暗い部屋に紅が上塗りされた世界。黒と赤の二つの色で支配された世界はあまりにも醜くて、ボクは顔をしかめた。
母さんは頭から血を流していた。机の角にぶつけたらしく、当たりどころが悪かったらしい。血を流しながら座り込んだようで、机に血の跡があり、机の上に出来た血溜まりが血の跡を伝って垂れて、倒れた母さんの体に落ちている。
父さんは首から血を流していた。大動脈を切ったようで出血が酷い。こちらはまだ息があるのか、腹部が上下に小さく動いている。ぶつぶつと何かを呟いているけれど、ボクには関係の無いことだ。
こんなに醜いのに。それなのに。
それなのに、どうして姉ちゃんはこんなにも美しいんだろう。
「ボクなら、平気だか、ら」
一滴、冷たい雫が姉ちゃんの頬を伝い、床に流れる姉ちゃんの血に吸い込まれた。それを見たボクは──
顔が笑みに歪むのを自覚した。初めてだった。初めて姉ちゃんの涙を見た。どうして泣いたのかはわからないけど、そんなことはどうでもよかった。『ボクが』『姉ちゃんの』『表情を変えた』ということだけが重要だった。
もっと、色んな顔が見たいなあ……。
姉ちゃんはまたボクを抱きしめた。
「ごめんなさい」
微かに震えながら、強く強く、そして儚く。何度も何度もボクに謝り続けた。
__________
14 >>241
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.241 )
- 日時: 2021/08/15 09:39
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: lQjP23yG)
14
「バケガクの学園長なんて役職に着いていると、それはもういろんな生徒を見てきたんだよ。つまり、経験だね。今だって精神を病んだ生徒は大量に在籍している。不登校の生徒もいれば、君みたいに悪意を秘めて生活している生徒だってたくさんいるよ」
「そんなのボクには関係ないね。ボクとそいつらは違う人間なんだから」
「君がどうしてわかるんだって聞いたんだろう?」
「ああそうかい! もういいよわかった!」
「不貞腐れられてもなあー」
学園長は苦笑いをしてくしゃりと軽く頭をかいた。
「聞きたいことはないし、君のこともわかったし、初犯だし、一年生だし、実害はないし、そもそも君が侵入してるってことはわかっていたし、今回は見逃してあげよう。でも、本当なら牢屋に入れなければいけないようなことを自分がしたってことを自覚して、ちゃんと反省するんだよ。いいね?」
「……はい」
「拗ねない拗ねない。ほら、そろそろ始まるみたいだよ」
学園長が指さした方向を、バケガク本館があった場所を見るが、ぼんやりと瓦礫の色が広がっているように見えるだけで、他には何も見えない。ここからの距離が遠すぎるのだ。
「【百里眼】を使わなかったのは偉いね。今はいいけど結界が発動されたら魔法反射の影響でとんでもないことになるよ。彼女の魔法反射は凄まじいからなあ」
そうしみじみと語る学園長を見て、ボクは何かあったのだろうかと思った。
「さ、一度目を閉じて。見えるようにしてあげるから」
ちょっと待って! なんで【百里眼】の名前を知ってるの?! 魔法を使って覗いていたことはわかっても、魔法の名称、しかも公認されていない魔法の名称がわかるわけないじゃないか!
そう質問しようとするが、その前に両手で目を塞がれた。
「すぐ済むから、大人しくしなさい。
……はい終わり、いいよ」
学園長は言葉通り、三秒ほどでボクを解放した。
そして目を開けると、
視界がまるっきり変わっていた。
見えているものは変わらない。変わったのは、視界の明晰度だ。さっきまでぼんやりとしか見えていなかったものまでがハッキリと視界に映っている。
視力が、上がってるのか?
「私の視界の情報を君の頭に直接流しているんだ。【百里眼】は視界を直接その場所に持っていく魔法だけど、私のこれは【視力強化】。魔法の効果を結界の中に入れるわけじゃないから魔法反射は行われない。
ただし、この魔法を実際に自分で使うと目への負担が酷いから、朝日君は使わない方がいいね。生半可な鍛え方をしても耐えられない。私の体は『おかしい』から問題ないんだけどね」
「あの、さっきから言ってる『結界』ってなんのことですか?」
ボクが疑問をぶつけると、学園長は言った。
「地面に黒い文字が刻まれているのが見えるかい? 歩いてきたときは気づかなかっただろうけど、こうして遠くから見たら、何かわかるだろう?」
うーん? なんだろう。
あっ!
「魔法陣だ!」
そういえばベルに「魔法陣の用意完了」とか言ってたっけ。これのことだったのか。
それにしても大きな魔法陣だ。なんと書いてあるのかわからない、見たことの無い文字が円状に敷地をぐるりと囲み、それが何重にも連なっている。
そしてその中心、破壊し尽くされたあの場所の中で唯一無事だった『四季の木』の元で、姉ちゃんが佇んでいた。
『四季の木』って無事だったんだ。気づかなかった。それにしてもどうして無事だったんだろう。本当に不思議な木だな。
見ると、姉ちゃんの傍にベルがいる。そうか、これを見て「そろそろ始まる」と言ったのか。
姉ちゃんとベルは何かを話している。けど、もちろん聞こえないからその内容まで分からない。今のボクは二人の唇の動きまで見えているけれど、読唇術なんて使えないし。
そんなことを考えている間に二人の会話は終わったらしく、ベルが何か唱えた。するとベルの体が光に包まれ、そしてその光の中にベルが溶けた。光はさらに姉ちゃんを覆い、姉ちゃんの体が発光しているみたいな状態になった。
そこから魔法陣が発動するまでは、本当に一瞬の出来事で、ボクは何が起こったのか、すぐに理解することは出来なかった。そんなことは不可能だったのだ。
15 >>242
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.242 )
- 日時: 2021/08/16 11:57
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: zpQzQoBj)
15
ごおおぉぉおおうううぅぅぅうっっ!!!!!
強烈な轟音と共に、災害級の竜巻を連想させるほどの突風強風が吹き荒れた。それは魔力によって引き起こされる錯覚で、例えば木々がなぎ倒されるだとか、建物の屋根が剥がれるだとかの物理的な被害は何も無かった。しかしこの場にいた人々の六割は占めるであろう魔法適性を持つ人(魔法使いでない人も含む)は、突然起こった魔力の風をもろに受け、魔力酔いで倒れる人が続出した。
ボクはあまりそういう体調の変化は感じないが、それはそういった感情がないだけで、実際には身体は負荷を受けているはずだ。なんせ魔力の源は姉ちゃんだ。学園長なんか比べ物にならないくらい魔力濃度は濃いに決まってる。
今は良くても、後から反動が来るだろうな。それに、不調は感じなくても風は感じるので、ボクはあまりの強い向かい風に身体を浮かされそうになった。風自体は濃密な魔力による錯覚ではあるが、魔導師クラスの魔力は術者が意識していなくても周りに物理的・身体的・精神的な影響を及ぼしてしまう。なので魔法耐性のない人は、風を感じずただ急に自分の体を投げ飛ばされたという感覚に陥っていることだろう。
柱に掴まった学園長がボクの腕を掴んだので、なんとか塔から投げ出されることは免れた。
次に、猛烈な白銀の濃密な光が視界を貫いた。ボクは直視する前に学園長に目を塞がれたけれど、目をやられた人はかなりの量いるんじゃないだろうか。
その白銀の光の中に、黒い文字がうっすらと浮かび上がった。魔法陣に記されていた、あの文字だ。黒く見えているのは元から黒い文字が光を吸い込んでいるかららしい。文字そのものが黒い何かを放っているわけでは無さそうだ。
そう思ったのに。
いきなり、黒い炎が文字から噴き出した。
魔法陣が発動したのだ。
魔法陣の文字一枚一枚が地上からめくれ上がり、そして剥がれ、ふよふよと空を舞う。そのそれぞれがある一点でピタリと止まり、それは魔法陣を底面とした巨大なドームを形作っていた。
そう。結界の完成だ。
手当たり次第に吹き荒れていた風も、四方八方に襲いかかっていた光も、それでようやくおさまった。
……というのは、後から理解したことだ。これらが一瞬のうちに行われ、そして終了した。ボクはしばらく唖然とし、改めて自分の姉が常識外の至高の存在であることを再認識した。
結界の中には光が満ちていて、大きなスノードームみたいだと呑気なことを思った。
「やりすぎだ」
学園長はポツリとこぼした。
「今ので魔法障害と失明を負った者は数知れない。元から警告していたが、ここまでのものとは誰も想定していなかったろう……頭が痛いな」
魔法障害とは、その名の通り魔法により引き起こされる障害のことで、滅多に起きないことでもある。主に魔法が使えなくなったりだとか、多属性使いなら一部の属性魔法が使えなくたったりする。しかしそれ以外にも、手足の痙攣、脳の機能の損失、五感の内のいずれか、もしくは複数稀に全て機能しなくなるといった身体的な障害や、パニック障害や統合失調症、てんかんなどの精神的な障害なんかも引き起こしてしまう。これは人が他人の血液に拒否反応を示すこととよく似ていると言われているが諸説あり、具体的な原因、対策方法、治療法などは確立されていない。
「警告って、どういうことなんですか?」
頭を抱えていた学園長だったけど、ボクが質問すると、苦々しい顔を取り繕うこともせず、しかしきちんと答えてくれた。
「警備に来てくれた連中には、事前に私達が、正確には花園君がだけど、今日何をするのかを説明し、人体に影響が及ぶ可能性があることを知らせてあったんだよ。でも誰がそれをするのかは教えていなかったからね。多分ほとんど笹木野君か東君がバケガクの修復をすると思っていたろうから、主に魔導師は油断していただろう。あの二人の魔法使いのランクは『魔術師』だから。
始めから日向君が術者だと知っていればそれこそ油断してしまうと思ったから敢えて伝えなかったんだけど、ここまで力を解放するとは思わなかった。失敗した。
ちなみに、朝日君にはさっきの風の影響は少ないはずだよ。君の場合感情がないから自覚しにくいだろうが、この塔にはさっきも言った通り結界が張ってあるからね。それよりスナタ君が心配だな。ほかの二人にガードしてもらっているだろうけど、あの三人も予想外の威力だったろうから」
光は目を閉じて発光源の逆法を向いていればある程度被害を抑えられる。事前に何が起こるのか分かっていれば対応も出来ただろうし、他の奴らとは違って姉ちゃんの力のことを理解しているから、起こる出来事を甘くも見なかっただろう。
でも風の方は対応のしようがない。魔法耐性が足りない人は影響が及ばないところまで避難する必要があるが、『あれ』を免れるほど遠くへなんて、移動する時間がなかったはずだ。それにさっき学園長は、バケガクを外界から隔離したと言っていた。おそらく魔力の影響が街に及ぶ可能性を懸念したからだろう(単純に、魔法を人に見られると困るという理由もある)が、ということはつまり逃げられる範囲に限りがあるということ。ならば下手に逃げずに十分な魔法耐性がある魔法使いに守ってもらった方が確実ということだ。
最後の言葉に納得しつつ、無視しがたい言葉が聞こえたので、さらに質問を重ねた。
「あ、あの。魔法の術者が姉ちゃんだって知られているんじゃないですか? だって、笹木野龍馬も東蘭も他の人達から見える場所にいるんですよね? 隠れたりしてませんよね?」
少なくとも、そんな指示をしているようには見えなかったし、そんなところも見ていない。
「ああ、そうだね。彼等の仕事は日向君の魔法が万が一被害を被った時に備えることだから。下手に隠れて対応に遅れたりなんかされたらたまったもんじゃない。日向君の魔法はその名の通り規格外だからね。魔法士とか魔術師とか魔導師とか、そういうランク以前の問題だ。今回日向君が使うのは【創造魔法】。スナタ君が言っていた通り最上級魔法だ。魔力を全解放した日向君の魔法に対抗出来る存在なんて、少なくとも私が用意出来る人材ではあの二人しかいない。
あー、厳密に言うと、あの二人が一緒になってやっと対抗できるんだけどね。ギリギリで。
君は日向君の力が世間一般に知られることを懸念に思っているんだろうけど、問題は無いよ。今日来てもらった全員に、神の御前で誓いを立ててもらったから。『今日この日に聖サルヴァツィオーネ学園で見たことは、第三者に口外しない』とね。契約ではなく誓いだから、破られることは決してないよ」
神の御前。神の。神、ねぇ。
神への誓いは、村や街など、一つの居住地区に必ず一つはある祭壇の前に跪き、そして両手を組み、そこで自分がすること、守ることを宣言することだ。誓いを破れば神に偽りを告げたことになり、神に逆らうことになる。なので神から神罰が下る。破るというか、破る直前とか、破ろうとする意識を持った時点で神罰が下るので、実際に『誓いを破る』という行為が成立することはありえないことなのだ。
つまり、姉ちゃんの力が外部に漏れることは防げると、そういうことだ。
でも、なあ。
「どうした? なんだかいまいちピンとこないって顔をしてるけど。日向君のことだから、神のことについては色々聞いていると思っていたんだが、違うかい?」
学園長の問に対し、ボクは首を横に振ることで応え、そして昔姉ちゃんが嫌という程ボクに聞かせ、そして覚えてしまった言葉を口にした。
「神とは全てに等しく、優しく厳しい存在。加護という名の飴を与え、試練という名の鞭を与える。そして神々は傍観者。神罰は与えるが決して救いはもたらさない。加護も祝福もあくまで助力であり後押しであり、直接的な助けの手を差し出すことは無い。そういう意味ではとても勝手な存在で、だけど我々下界人は神には逆らえず、そして逆らってはならない。間違ってはならない。神は我らの母であり父であり、そして冷酷な支配者。自身の子供だと認識しているうちはまだまだ甘いが、敵とみなせば容赦はしない。だから神々は神罰を下し、救いの手は差し出さないのだ」
ボクが言い終えると、学園長は苦笑した。
「うん、日向君らしいね。その長文を覚えてしまうほど繰り返したんだ。なんともまあ、過保護だね。
それも無駄に終わったようだけど」
ボクは眉を潜めた。
「どこまで知ってるんだ?」
「さあね。それに君は知らなくていいことだ。神への冒涜への罰は神の仕事。私が告げ口をするまでもなく、じきに神は君のしでかした罪を知るだろう」
そして、ぽつりと言葉をこぼす。
「彼女は、悲しむだろうね」
かな、しむ? 姉ちゃんが?
そっか、それなら、ボクがしたことは……
何も、間違っていなかったんだね。
16 >>243
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.243 )
- 日時: 2023/05/05 05:28
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: YC5nxfFp)
16
風も止み、光もだんだんと収まってきた。一時的な失明から回復した僅かな数の人がざわざわと騒ぎ始めている。
ボクは【聴域拡大】を使って、彼等の会話を聞くことにした。
「一体、何が起こったんだ?!」
「わからない……うっ、気持ち悪い……」
「誰か、回復魔法を!」
「駄目だ、魔導師や魔術師は皆意識を失ってる!」
「なんだとっ!?」
「おそらく、魔法感覚が鋭敏な分影響を強く受けてしまったのかと」
「魔術師達どころか魔導師達まで気絶させてしまうなんて有り得るのかっ?!」
「一人ならまだしも全滅させてしまうなど、聞いたことがありません!」
「ええい! この際魔法士でも構わん! 誰かいないのか!」
「試しましたが無理です! どうやら魔法障害を引き起こしているらしく、回復魔法が効きません! 失明も、組織が死滅しているようで、完治させるのは不可能です!」
「なんだとっ!?
っ、そうだ! 確か今日呼び出されていた学園の生徒で魔術師が二人居たな。その二人の無事を確認して来い!」
これはつまり、『あの』二人のことだろう。そういえば、笹木野龍馬たちは何処にいるのだろうか。学園長の口ぶりから察するに他の奴らとは違って無事ではあるだろうが。
【聴域拡大】は、あくまで意識的に視界に捉えている範囲。視界の中にあの三人がいたとしても、ボクがその場所を把握していなければ声を拾うことは出来ない。
どこだろう、と全体を見渡してみると、案外簡単に見つかった。森からすぐ脇の、結界の魔法陣の縁辺りに三人で固まって何かを話しているようだった。
「び、っくりした。いまのなに?」
「いままで抑えていた魔力を一気に解放したから起きたことだと思うけど……いやはや、流石だな」
「でも、このままだと本当に魔力切れするんじゃないか? 心配だな」
不安そうに結界の向こうを見やる笹木野龍馬に東蘭は言った。
「どうせあいつに何かあってもおれたちは中に入れないんだから、とりあえずそこはおいておこうぜ。心が乱れると魔法も乱れるんだし。
ああ、そうだ。スナタ、気分悪いとかあるか? まさかこんなに強い衝撃が来るとは思ってなかったから、防ぎきれてなかったかもしれない。一応必要以上にガードの強度はあげてたけど」
「うん、平気だよ。やっぱりすごいね、二人は」
そう言うスナタの表情は、なんとなく、暗かった。
まあそうだよな。四人の中で一人だけ平凡そうだし。いや、でも、ジョーカーの魔法を破ったんだよな。姉ちゃんのそばにいるってことは、やっぱりスナタも何か持っているんだろうか。
むしろスナタは、あの中で一番謎の多い人物かもしれない。
17 >>244
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.244 )
- 日時: 2021/08/19 08:56
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: y3VadgKj)
17
「ねえ、向こうの人たちの様子を見に行ってもいい? 多分混乱してると思うし、それと、今の魔力量と濃度を直撃して魔法障害を起こした人って多いと思うの」
「うーん、確かに人手は必要になってるかもな。それに結界の近くにいるよりは離れた場所にいる方が安全……いや、おれたちのそばにいた方が良いのかな? なあ、リュウ。どう思う?」
笹木野龍馬は数秒間思考を巡らせた末に、きっぱりと言い放った。
「スナタには向こうに行っていてもらいたい。おれたちが大きな魔法を使うとなったら、スナタを気遣いながらだと厳しいから。特に、相手にするのは日向の魔法だ。おれたちに余裕はない」
きっぱりと、しかしどこか申し訳なさそうにそう言う笹木野龍馬に、スナタは笑顔を見せた。
「うん、わかった! 二人共頑張ってねー!!」
先程の様子から見て、スナタは劣等感を抱いているらしかった。故に今見せている笑顔が本心なのか偽物なのか、その区別はボクにはつかなかった。
たったったとそこそこ速い足で離れていくスナタの背を見つめると、東蘭がボソッと言った。
「スナタって、不思議だよな」
「ん?」
「だって、おれたちや日向とは、事情が違うだろ? おれはあまりスナタのこと知らないから、スナタにもなにかしら『ある』とは思うけど。
でもほら。希少だよな」
ぼんやりと呟くようなその言葉を受けて、笹木野龍馬は目を伏せた。
「ああ、そうだな」
そして、噛み締めるように、そう言った。
「おれたちからしてみれば、他の人たちよりもスナタがおれたちに近い。だけどスナタからしてみれば、おれたちは紛れもない『バケモノ』だ。一般人に『成れる』可能性があるのは、おれたちの中で唯一、スナタだけだと思う」
その声に自嘲や卑屈などは感じられず、ただ淡々と事実だけを笹木野龍馬は並べ立てる。その姿にボクは、一瞬とはいえ姉ちゃんを重ねてしまった。
「チッ」
すっかり身に染み付いてしまった汚い動作を行って、ボクは気持ちを切り替えた。
「……リュウ」
「ん?」
「もしも、さ。もしも、スナタがおれたちから離れることを望めば、その時はどうなるんだろうな」
「え?」
笹木野龍馬が目を見開き、唖然としたあと、ゆっくりと口を開いた。
「そ──」
「えい」
「わあっ!?」
急に目の前が真っ暗になった。学園長に目を塞がれたのだろう。視界にあの二人を捉えられなくなったせいで、いかにも重要そうな笹木野龍馬の言葉を聞くことが出来なかった。
「何するんだよ!」
ボクが怒鳴ると、学園長はやれやれといった調子でボクに言った。
「気づかない方も悪いからしばらく様子を見ていたけれど、それ以上はだめだ。君には少なくとも、まだ早い」
「そんなの」
知らない、とボクが言う前に、学園長はボクの目に当てていた両手をずらして頬を挟み、ぐっとボクの顔を無理やり上に向かせて目を合わせた。
「聞きなさい。理解しなさい。これは注意じゃない。警告だ。この世界には、誰しも一つは知ってはいけないことがあるんだよ」
ゾク、と、背筋に悪寒が走った。今回は魔力によるものでは無い。あんな子供だましではない。
本物の、『気迫』。
「チッ」
「舌打ちが癖なのかは知らないけど、止めた方がいいよ」
舌打ちは、母さんの癖だった。直したいけどなかなか直らない。癖というものは厄介だ。
「うるさい」
そう吐き捨てると、ボクは身を捩って学園長の手から逃れた。
苦笑のような表情を浮かべて溜息を吐く学園長を尻目に、スナタが向かったと思われるさっき騒いでいた兵士たちの所へ視点を移した。
「……ですから、二人とも回復魔法は使えません! 蘭は治癒魔法系統の魔法は苦手ですし、闇属性の回復魔法は外傷にのみ適応されるんです! 王国の騎士団なら知っていらっしゃるでしょう?!」
何やら揉めているようだ。偉そうな男とスナタが言い争っている。内容は、あの二人に回復魔法を使わせるか否か、ってところかな。
「苦手ってことは使えないことは無いんだろう? こんな事態だ、贅沢は言ってられない。魔法障害は素早い応急処置が肝心なんだ。時間が経過してしまうと本当に治らなくなってしまう。わかってくれ」
「魔法障害に時間も何もありません! なってしまったらそれで最後、治ることは奇跡でも起こらない限り治らないんです! それに失明だって、組織が死滅してる人のものは治りません! 【蘇生】は禁術中の禁術ですよ!? 適性がある人だってほとんどいないのに!」
「やってみなければ分からないだろう? 頼む、君から彼等を説得してくれないか?」
あー、いるんだよな、こういう魔法不適応者。魔法を奇跡と勘違いして、なんでも出来ると思ってて、なおかつ魔法使いを道具かなんかだと思ってる奴。そしてそういう奴に限って、魔法に関する知識が乏しい……というか、間違った情報を信じている場合が多いんだ。
魔法というのは何も知らない人からしてみれば確かに奇跡に近いものだ。けれど魔法には限界がある。属性という縛り、魔力という縛り、禁術という縛り。人によって使えない魔法や、神によって禁じられた魔法が存在する。魔法はどこまでいっても魔法で、『奇跡』には成れないのだ。
偉そうな男はスナタの「苦手」という言葉を聞いてすっかり安心したのか、さっきまでの焦りはまるで見えない。むしろ道具には気を使う必要などないとでも言うように、話を聞かずに主張ばかりをしている。
「第一、結界が作動する前に、君が『二人は万が一のために離れた場所で待機している』と言ったんだろう? これが万が一でなくて、何が『万が一』なんだ?」
話を聞く気がない男に対し、スナタからは苛立ちが垣間見えた。
「結界の破損や、それに伴う高濃度の魔法爆発です。もしそうなった場合、その土地一帯、そしてわたし達は無へと還ります」
何かが『切れた』スナタは、これまでとは打って変わって静かに言った。しかしそんなスナタの様子に気づかない男は、鼻で笑って言葉を放つ。
「そんなことが有り得るわけ……」
「魔法を甘く見ないでください下手をすればわたし達は死すら許されない空間に飛ばされるんです日向が行っている【創造魔法】はそれほどまでに危険な魔法なんですそりゃあそうでしょうだってバケガクですよバケガクはただ修復すればいいってもんじゃありません知っているはずですバケガクというものはそもそも歴史的価値が高いために建設当時のまま後世に残す必要があるんですだからわたし達が駆り出されたんですわたしはほとんどおまけのようなものですけれど日向の魔法を抑え込めるのは今日この場にいるたくさんの人の中で蘭とリュウしかいないんです魔法使いはランクが全てじゃありませんというかあなたは魔法使いをなんだと思っているのでしょうか魔法をなんだと思っているのでしょうか一度世の中のことを勉強し直してきた方がよろしいのでは?」
スナタのそのいきなりの豹変ぶりに、場にいた面々の顔が驚愕の一色に染まった。そして、ボクも。
何かを知っているらしい学園長だけが、楽しげに口元に弧を描いていた。
18 >>245
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.245 )
- 日時: 2021/08/18 22:58
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: fIcU8FL5)
18
なんだ、あれ。二重人格? それとも、今まで猫を被っていて、あれが本性なのか? いや、二重人格は別人が一つの体に入っている状態のことだから違うだろうし、猫を被るような奴と姉ちゃんが仲良いわけない。でも、だとしたらなんだ? ただ怒っているというだけには見えないけど。
「おやおや、あの状態のスナタ君を見るのは久々だなあ」
あくまで面白そうにしみじみとそう言う学園長に、ボクは尋ねた。
「あれって、どうなってるんですか?」
すると学園長はクスッと笑い、説明を始めた。
「スナタ君はね、感情が一定以上溜まると自分の感情を抑えられなくなるんだ。そしてあんな風に、人格が変わったかのように口調や雰囲気が変わるんだよ。二重人格と間違われることが多いけど、厳密には違うかな」
つまりは感情によって起こるってわけか。魔法が暴走しない分まだましだな。世渡りは下手そうだけど。
「な、な、な……魔法使いのくせにその口の利き方はなんだ! しかもお前は魔術師ですらない魔法士じゃないか! 兵器としての役割もこなせない奴が偉そうにッ」
「わたしとしては、どうして魔法も使えない不適応者が『自分たちの方が上だ』なんて思っているのか理解出来ないですけどね。もちろん魔法が全てではありませんが、わたしたちの生活を守っているのは魔法です。我々魔法使いを『兵器』と称している時点で、魔法使いを兵力として認識していると、魔法の力をあてにしていると思うのはわたしの気のせいですか?」
「なっ、なっ……」
先程とは立場が逆転し、今度は男が顔を真っ赤にしている。スナタの目は完全に冷えきっていて、変わらぬ無表情で男を射抜く。
感情に任せて男が怒鳴ろうとしたところで、姉ちゃんが張った結界に変化があった。
ゆっくりと、やわらかな光が押し寄せた。結界が発動した時のような唐突で強烈な光ではない。
ぼんやりとした光。
その表現が正しいと思われる程の、穏やかな光だった。
「とうとう始まるみたいだね」
ぽつりと学園長が音を零した。表情を見てみると、真剣な中に僅かに『楽』がチラチラと顔を出していた。しかしやはり緊張感が漂う、何とも言えない表情だ。
そう言うボクも人のことは言えない。言葉にして表すことの出来ない高揚が心臓を包み込み、無意識に両手を握りしめていた。
大きな魔法を行うには、準備が必要となる。魔法陣や結界なんかの『下準備』とは別に、精神を安定させたり術式を組み立てたり長い詠唱を行ったり。【創造魔法】がどのようなものなのか、詳しいことはボクは知らないけれど、姉ちゃんでも簡単にこなすことの出来ない魔法だってことくらいは分かる。
これから何が起こるのか分からない。だからこそ未知のものに対する恐怖と不安、一抹の興奮がザワザワとボクの中で複雑に絡まりあっている。
「姉ちゃん、頑張って」
気付かない内に漏れていたその言葉を、ボクは自覚しないまま、じっと結界を見守っていた。
19 >>246
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.246 )
- 日時: 2021/08/19 21:46
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: y3VadgKj)
19
結界の中を漂っていた雪のような純白の光の粒は、だんだんと金粉へと変わっていった。やがて白と金の比率が等しくなった頃、ボクは金粉の発生源に気がついた。
それは、ボロボロに崩れた瓦礫や、なぎ倒された木々だった。個体であるはずのそれらは春風に連れられるかのように金粉と化して白を彩る。
サラサラと砂のように空気に溶けだす金粉はふよふよとさまよった後に消えてしまうものもあるし、複数の金粉が合わさって、一つの淡い光になるものもある。
その光はまるで、精霊使いが稀に見せる可視化された〈媒体精霊〉によく似た──
まさか。
「くうかん、せいれい?」
震える口から乾いた息が吐き出された。
いや、そんなわけない。そんな魔法があるわけが無い。物体を『最小の単位』まで【分解する魔法】なんて……。
いや。
空間精霊。それは物質を構成しているとされている最小の単位。『精霊を寄せ付ける力』にも関係したものとされているが、それはあくまで一説であり仮説。しかし現段階で一番有力な説でもある。
物質を構成しているもの。それと【創造魔法】が無関係であるわけが無い。それを何故、今の今まで忘れていたのだろうか。【創造魔法】が難しいと言われる所以。それは『確実でない説を信じ、いかに自分のものとするか』が問われるからだ。立証されていないということは、正解が定められていないということ。いくら書物を読んでも無いものは無いのだ。そのため、自分の中で穴のない完璧な理論を組み立てる必要がある。それは本を読んだり人から習うだけで満足するような魔法士や魔術師には出来ない所業で、魔道士ですら自分で理論を組む──オリジナル魔法を開発することが出来る者はほんのひと握りだと聞く。ちなみに姉ちゃんはそれを昔から平然とやってのけていたのですごい人なのだ。
今現在一般に知られている【創造魔法】の方法は、『決まった空間精霊を決まった位置関係で組み合わせて形を作り性質を与える』というもの。空間精霊の種類は数億にのぼると言われており、決まった種類や組み合わせを覚えるなど常人には出来ない。これはボクが【魔力探知】で姉ちゃんしか探せないのと同じような理由。この世のありとあらゆるものの構造を空間精霊のレベルまで覚えていては脳が情報に耐えきれないのだ。だから【創造魔法】で作り出されるものには小岩や造花などの比較的小さなものが多い。また、魔法の理屈が同じなため、錬金術もこれに分類すると記された魔法書が多い。
「朝日君」
ボクは思考に耽っていたが、学園長の呼び掛けにより現実世界に戻った。反射的に素早く学園長を見ると、何故か目を伏せていた。
「もう気づいているかもしれないけれど、日向君が行っている魔法は【創造魔法】だけでは無い。日向君のオリジナル魔法【分解魔法】があの中で行われているんだ」
学園長は、何を言おうとしているのだろうか。
うっすらと開かれたその目は姉ちゃんがいる方向を向いているが、意識はボクに向いている。どうしてだかボクは鋭い視線を学園長から感じ、足に力を入れて身構えた。
「【分解魔法】は【創造魔法】の発想を逆転して生み出された魔法。そして、おそらく日向君にしか扱えないであろう特殊な魔法だ。
朝日君。日向君からの頼みでね、君が望むようなら今日日向君が行う魔法のことを教えてやって欲しいと言われている。君のことだから、ノーなんて言わないだろう?」
目がボクに向いていないため、学園長には見えないと知りながら、ボクは大きく頷いた。
そんなの知りたいに決まっている。ボクは姉ちゃんの全てが知りたい。そのために生きているんだから。
ボクが頷いたのを見ていたはずはない。しかし学園長はボクの反応を確認する素振りもなく、静かに語り始めた。
20 >>247
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.247 )
- 日時: 2021/08/20 23:50
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 0.f9MyDB)
20
「この聖サルヴァツィオーネ学園が、どうして歴史的価値が高いのか知っているかな?」
どうやら学園長は順序立てて話そうとしているようだ。ボクは頷き、ボクの知るバケガクの価値についてを口にした。
「今のBの時代よりも前の時代に出来た、利用を続けられている唯一の建築物だからですよね」
バケガクは、建築当時の状態を極めて綺麗に保ち続け、改築なども行われたことがないため、『奇跡の遺跡』だとも呼ばれている。ただ、世間の大多数は「そんな建築物が存在するわけが無い」という意見を持っている。それもそうだ。数多の種族が生息するこの世界にも、流石に百万年生きる種族は存在しない。建築当時を知る者が一人もいなく、Bの時代より前の時代の文献もほとんど残っていない。証拠が残っていないのだ。
「そうだね。君がそれを信じているのかは知らないが、それは真実だ。しかしそれだけでは無い。この学園は、文字通り神の創造物なんだよ」
「は?」
思わず声を出してしまった。なんだ、どういう意味だ? 神の創造物?
「何故作られたのかは分からないけれどね。神がその手で造ったんだ。この世界に存在する遺跡は古代の『人々』が建造した物がほとんど。神が作成したと分かっている創造物は少ないから、そういった意味でも価値が高いんだ」
そこまで聞いた時、ボクはとある疑問が浮かんだ。
「あの、学園長はどうしてそんなに物知りなんですか? 他にも色んなことを知っているみたいですし」
「年の功さ」
学園長は即答した。それはなんだか用意していた言葉を伝えられたようで、ボクはその言葉を全く信用出来なかった。そしてそのことを察したのか学園長は苦笑した。しかし、それだけだった。
「だから、後世にも『建築当時のままの状態』で残す必要がある。なのにバケガクは壊れてしまった。そんなことになれば、普通なら業者に頼んで修繕してもらうところだが、バケガクではそうもいかない。破壊されてしまえば、『破壊される前の状態』に、『完璧に』直さなければならない」
ボクはゾッとした。学園長が言おうとしていることを、言われる前に、理解したからだ。そしてそれは、とんでもないことだった。
「言う前に分かったみたいだね」
そう言ってボクに体ごと目線を向けた学園長は、仄かな白い光に当てられて、右半身が白く染まり、反して左半身は影が落ちていた。視界から色彩が失われ、白と黒が『色』を侵食していく。
身体中が震え、力が抜けていき、立っていられなくなる。そしてとうとう、がくんと膝をついた。かなり痛みが走ったようだけれどそんなどうでもいいことに構っていられるほどの余裕はボクにはなかった。
思い出したんだ。
ずっと昔、家族全員が大好きなんだと思っていたくらいの幼い頃に、姉ちゃんがボクに話してくれたこと。その頃からボクは姉ちゃんに魔法のことを教えてとねだり、そうして教えてもらったことの一つだった。
例えば一つの石があったとして、【創造魔法】でその石そっくりの石を作ったとする。けれど元の石と魔法によって作った石は別物だと。しかし唯一、元の石と全く同じ石を作る方法がある。
『その石を構成している空間精霊と同じ空間精霊を用いて、寸分の違いもない構成で石を作り上げる』。そうすればその石は完璧なコピーとなる。しかしそれは不可能に近いのだとも、姉ちゃんは言っていた。
当時のボクにはその話は難しすぎて理解出来ず、そのため今の今まで忘れていたのだ。
何故不可能なのか。その理由は簡単だ。『魔力がもたない』からだ。
数億にのぼるのは、あくまで空間精霊の『種類』であり、空間精霊の『総数』ではない。総数の話になればその数は無限大になる。その無限大の数の中から一つ一つを区別することなんて……
『難しい』んじゃない。
『不可能』なんだ。
そんなの魔力だけの問題じゃない。複雑な魔法を使い続ける精神的疲労と体の負担で心身共に影響が出る。
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」
喉に水分を奪う熱い風が吹いた。バクバクと心臓が肉を食い破ろうとして、ドクドクと血管が破れるくらいに脈を乱す。頭がぼうっとしているのに意識はしっかりとしていて、嫌な考えばかりが頭の中でぐるぐると回る。
姉ちゃんは『不可能に近い』と言った。不可能だと、断言した訳では無いのだ。
姉ちゃんを疑うわけじゃない。逆だ。姉ちゃんならそれが出来かねないから、不安なんだ。
姉ちゃんは確実に、『完璧にバケガクを修復する』ことが出来るだろう。
たとえ、命を落としたとしても。
姉ちゃんがバケガクに命を賭けるほど思い入れているなんて思わないけれど、ボクはあまりにも姉ちゃんを知らない。こんなに大きな魔法まで使えるなんて知らなかった。『使える』という事実に違和感は感じなかったが、実際に目に見るまで、『知らなかった』のだ。
吐き気がする。気持ち悪い。くらくらする。
「か、はっ」
吐瀉物は出なかった。代わりに胃酸が喉を逆流し、口からは出ずとも喉を焦がした。冷えきった手で喉を抑えても熱はいっこうに引かず、火は勢いを増していた。
息が出来なくなり、四肢の感覚も薄れてくる。脳は収まりきらない恐怖に押しつぶされて、ぐしゃぐしゃに破壊されそうだった。
死にはせずとも、急激な魔力の損失による魔法障害を引き起こすかもしれない。姉ちゃんに何かあったらボクは生きる意味を失う。ボクは姉ちゃんがいないとだめなんだ。母さんも、父さんとも、じいちゃんもばあちゃんもいない。ボクには姉ちゃんしかいないんだ。そうでないといけないんだ。ボクは──
あああああぁあああああぁああああああああああああああああああぁぁぁああああぁああああああああああああぁぁぁあぁああああああああああああああぁぁぁあぁあああああぁああああああああああああぁぁぁああああぁあああああぁああああああああああああああぁぁぁあああああぁあああああぁああああああああああああああああああぁぁぁああああぁああああああああああああぁぁぁあぁああああああああああああああぁぁぁあぁあああああぁああああああああああああぁぁぁああああぁあああああぁああああああああああああああぁぁぁあああああぁあああああぁああああああああああああああああああぁぁぁああああぁああああああああああああぁぁぁあぁああああああああああああああぁぁぁあぁあああああぁああああああああああああぁぁぁああああぁあああああぁああああああああああああああぁぁぁあああああぁあああああぁああああああああああああああああああぁぁぁああああぁああああああああああああぁぁぁあぁああああああああああああああぁぁぁあぁあああああぁああああああああああああぁぁぁああああぁあああああぁああああああああああああああぁぁぁ
21 >>248
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.248 )
- 日時: 2021/08/21 08:55
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: ZgzIiRON)
21
「…………く……」
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ
「あさ……ん」
ボクには姉ちゃんしかいないんだ。姉ちゃんがいないこの世界なんて何の価値もない。
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う
『ボクは不幸なんかじゃない』
『ボクは不幸だ』
『心を病んだ母親と弱気な父親』
『違う違う違う違う違う違う』
『姉だって人間離れした力を持っていて不気味で』
『やめろ』
『それでいていつも無表情なのが異様で』
『姉ちゃんはボクの光だそんなこと言うな』
『だってそうじゃないか』
「あ……ぁ、あ、あ」
『姉がいなければ、ここまでひどいことにはならなかった』
「やめろ」
「あさひくん」
『頃合だろ? 目を覚ませよ、ほら……』
「朝日君!」
「うるさい!!」
ボクは喉から叫んだ。途端に痛みが勢いを増して、喉を焼いた。痛い、熱い、苦しい、寒い。
震える身体を必死で抱いて、それでも冷えは治まらない。気温も関係しているのだろうか。心臓は烈火のごとく熱いのに、体は氷漬けにでもされたように冷たい。中と外の温度差が気持ち悪い。
「煩いんだよ黙れよ。俺だってわかってるよ。姉ちゃんが……自分が狂っていることくらい。仕方無いじゃないかこうでもしないと俺は気がおかしくなってたんだから」
ぶつぶつと俺が唱えていると、学園長がもう一度俺の名を呼んだ。
「朝日君!!」
その瞬間に目が覚めて、頭の中の靄が晴れた。目を二、三回瞬きして、呆然と学園長の顔を見る。
「あ、あれ?」
俺は一体何をしていたんだろう。意識ははっきりしているけれど、記憶が曖昧だ。えっと確か、バケガクに来ていて……なんでだっけ。ああそうだ、ここに姉ちゃんが来ているから──笹木野龍馬が来ているから、アイツが姉ちゃんに変なことをしないか見張るためだ。
なぜ?
別にいいじゃないか。姉ちゃんが誰と親しくしていようが。一人たりとも友達を作らず、俺以外に話し相手すらまともにいなかった姉ちゃんに大事な人が出来たんだ。むしろ喜ぶべきことで、二人を邪魔する必要は無い。
『だめなんだ』
どうして?
アイツと一緒にいる姉ちゃんは、他のどんな時よりも幸せそうだ。無表情を貫いてはいるけれど、俺ならわかる。言葉では説明しづらいけれど、アイツがそばに居ると、いつもの糸がピンと張っているような雰囲気が緩んでいるのだ。
『姉ちゃんには、ボクだけがいればいいんだ!』
違うだろ。姉ちゃんが俺を大事なのは、俺が弟だからだ。それ以上でも以下でもない。姉ちゃんは俺に依存してはいない。だからお前も、早く目を覚ま──
『うるさいうるさいッ! ボクは姉ちゃんの唯一の家族だ。ボクと姉ちゃんは姉弟なんだ、他人の笹木野龍馬なんかに姉ちゃんが取られてたまるか!』
俺は神の怒りを買ったんだ。懺悔するなら今のうちだ。神は敵には容赦しない。いつまでも姉ちゃんに依存しているようじゃ、九年前のあの事件から成長出来ないんだ。分かっているんだろ?
『だまれ! だまれだまれ! 神がなんだ! そんな奴いない、ボクは神なんて信じない!』
ああ、いないだろうな。もし神様がいるのなら、俺たちがこんなに不幸になる理由がわからない。俺たち姉弟が何をしたって言うんだ。
『違う、ボクは不幸じゃない! だって姉ちゃんがいる! 姉ちゃんがいればボクは幸せで──』
ああもう、仕方ないな。
俺は脳内の押し問答を、無視という形で無理矢理終わらせた。
ふと目を向けると、学園長が興味深そうに俺を見ていた。
「君は……今の君は、過去の朝日君かい?」
俺は学園長が何を言っているのかわからず、眉間にしわが寄るのを感じた。
「は? 何を言っているんですか?」
すると今度は「ふーん?」と意味深に首を傾げ、ぼそりと独り言を口にした。
「そういう訳では無いのか。じゃあ、一時的に自己暗示が取れた状態ってことかな」
それは確かに独り言で、俺への問いでは決してなかった。しかし俺は苦笑して、学園長の言葉に対し、苦笑気味に返事をする。
「はい、そんな感じですね。ここまで意識がはっきり分かれていると二重人格と称しても良さそうですけど」
そう。『ボク』ではない『俺』は、『俺』としての意識をしっかりと持っている。『ボク』とは自己洗脳をかけて作り上げた仮の人格であり、本来の『花園朝日』は『俺』だ。
だけど、『俺』も『ボク』も根本は同じだ。『俺』だって姉として姉ちゃんを慕っていたし、慕っている。『ボク』は姉ちゃんを『依存対象』として意図的に向ける感情を膨張させてしまっているため性格が歪んでしまっているが。『ボク』になる前から姉ちゃんの魔法を真似して使っていたし、姉ちゃんから避けられていた。俺がしつこく食い下がっていたから、割と一緒に過ごす時間は長かったような気もする。
『俺』と『ボク』は同じ人格だ。精神状態により多少性格にズレが生じるタイプ、スナタさんと似ているかな。だから、俺は二重人格ではない。
「君は、君自身のことをきちんと理解しているのかい?」
「それは、俺が犯した罪の話ですか?」
学園長が頷くのを見て、俺は肩を竦めた。
「はい、知っています。祖父母を殺したことはもちろん、『他人の精霊に手を出した』ことも」
神の眷属である精霊に対する違反は、この世界における大罪だ。なぜならそれは、神に背くということだから。
今は『俺』に『ボク』を『被せているような状態』だけど、そのうち『俺』は消滅するんだろうな。
そうなる前に、『ボク』が正気に戻ってくれるといいんだけど。と言っても、『ボク』という人格を形成したのは俺自身なんだけどな。
俺は再度、苦笑した。
22 >>249
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.249 )
- 日時: 2022/07/31 21:36
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: VmDcmza3)
22
「ん? というか、どうして『俺』が出てきたのがわかったんですか?」
学園長の「今の君は、過去の朝日君かい?」という言葉は、明らかに『俺』と『ボク』を区別した言い方だった。『俺』と『ボク』の違いは一人称と口調。しかしその違いに気づける人はそうそういない。違和感を感じたとしても、まさか『人格が入れ替わった』なんてわかるはずないだろう。
学園長は何者なんだ? 知っているはずのないことばかり知っている。気味が悪い。
「うーーん」
学園長は腕組みをして唸った。と思えば急にクスッと笑い、俺に言った。
「では、ヒント。
私は、とある『権限』を持っている」
権限? なんだ、それ。
「これ以上は教えないよ。というよりも、教えられない。私にも事情というものがあるんだ。これで満足してくれ」
それなら、これだけでも教えてくれたことに感謝すべきかな。
「わかりました。ありがとうございます」
そう言って頭を下げる俺を見て、学園長はうんうんと頷いた。
「君はいい子だね」
ああそうだ。『俺』は元々普通だった。異常な家庭で生まれ育った身だけれど、精神が歪むことは九年前のあの事件までなかった。それ以降も『ボク』という殻で『俺』を守ることで、俺は正気を保っている。
だけど──
「学園長」
「ん?」
「学園長は、教師──先生ですよね?」
俺の問いに対し首を傾げた学園長は、数秒してから頷いた。
「ああ。一応そういうことになっているね。どちらかと言えば職員だけど。それがどうかしたのかい?」
『俺』は、もう二度と表に出てくることは無いだろう。俺の中のもう一つの、『ボク』とはまた違った、俺が殺した『狂った俺』がもうすぐで混ざる。そうなるとこの『花園朝日』という人間は破滅へと向かうことだろう。二重の殻を使わなければ正気を保てなかった弱い『俺』なんて、すぐに消えてなくなるだろう。
歯車は揃った。今更運命に逆らう気は無い。そんな気力は残っていない。そりゃあ、あわよくば九年前より前に、姉ちゃんと俺の二人だけでも、戻れたらいいなとは思うけど。
「なら、聞いて欲しいです」
『ボク』は、姉ちゃんしか見えていない。見ようとしていない。なら、俺が『俺』であるうちに、花園朝日としての人生に、少しでも悔いが残らないようにしたい。
「学園長」
助けの手を、求めたい。
出来る限りのことをしておきたい。
「俺……」
涙は、出ないな。最後に泣いたのっていつだっけ。昔から全然泣かない子だったと、母さんは言っていたな。
「……生まれてきたく、なかったです」
なあ、『ボク』。もっと本心を口に出せよ。
辛いなら、そう言えよ。
姉ちゃんなら、きっと、助けてくれたはずなのに。
23 >>250
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.250 )
- 日時: 2021/08/22 11:57
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: OWyHbTg8)
23
ゴゴゴゴゴゴッ
視界が急に大きく揺れた。学園長の姿が二つや三つに分かれる。足元が振らついて、立っていられない。慌てて柱に掴まりなんとか体勢を維持する。
「あー。ちょっと危ないかなあ」
そんな呑気な声が聞こえ、次に、パチンと指を弾く音がした。
何かの魔法を使うつもりなのかと目を見張ったけれど、何も起きない。ボクは拍子抜けして体の力を抜いた。
「さあ! お仕事だっ!!」
しかし、目を爛々と光らせた学園長が叫ぶと、バケガクのあちこちで真っ白な光の柱が現れた。気を抜いていた分驚きで体が硬直する。光が現れたそれらの位置は確か、ここと同じ『通達の塔』があった場所だと思う。光は大きな弧を描いてこちらへ向かい、最終的に学園長の手の中に集結した。間近で目を潰すような強い光がバチバチと火花を散らし、この空間を支配する。
「色は……白でいいかな」
そうボソッと呟いたかと思うと、暴れていた光が指先一点に集中した。直径一センチの球状になったことにより、光からは瞼を貫通して突き刺すような強さが失われた。
右の手のひらの三本の指を折り、残った人差し指と親指を立てる。人差し指を結界へ向け、ブレないようにするためか、左手を右手首に添える。
『……!』
見たこともないような楽しげな顔で、聞いたことの無い呪文を口にした。球状だった光が直線に変わり、真っ直ぐに結界に向かう。
光は結界に直撃すると、結界の表面を包み込むように覆った。ぼんやりと光っていた結界がほんの一瞬閃光の如く輝いた。あまりにも突然のことで目がやられ、しばらく目の前が真っ白になり、そして暗闇に染まった。
やがてそれが収まった頃、気付けばバケガク本館・別館、それから森やその他建築物等はすっかり元の状態に戻っていた。
パチパチと瞬きを数回繰り返した後、ボクは学園長に詰め寄った。
「一体何をしたんだ?!」
すると学園長は慌てるどころか爽やかな笑顔を浮かべて、表情全てで「楽しい」と語った。
「結界を補強したんだよ。大丈夫、通常の結界なら外部からの干渉を受けると基本的には力を跳ね返してしまうけど、展開したのは日向君だし、私の力は特殊だから。
厳密には私自身の力ではないんだけどね!
そして日向君は強化されたことを察知し、このままいけば魔法が失敗すると悟ったんだろう、一気に魔法を終了まで持っていったんだ! その結果がこれさ! うんうん、さすがだね」
にこにこと満面の笑みを向けられて、ボクは学園長を不気味に感じた。なんだよ気色悪い。雰囲気違いすぎだろ。
ボクの毛虫を見る目に気づいたのか、学園長はどこか焦点の定まらないぼんやりとした瞳にボクを映した。
「ふふふ。不思議そうだね、気になるかい? 私は久々に役目を果たせて上機嫌だから、特別に教えてあげよう!」
ちょうど聞こうと思っていたから構わないけれど、学園長はボクが(まだ)聞いてもいないことをペラペラと話し出した。
「私はこのバケガクを管理・維持するためだけに作られた者でね。その役目を果たすことに快感を感じるよう精神をいじられているんだ。感情を失った訳では無いしどうすれば自分が楽しめるのかがはっきりとわかるからそこに不満はないよ」
そして右手で拳を作り、甲の部分を額に当て、
「いやあ、いい汗をかいたよ!」
全く汗をかいていない顔でそう言うのだった。
24 >>251
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.251 )
- 日時: 2021/08/23 20:41
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: lU2b9h8R)
24
作られた? それってどういう意味だろう。
ボクが質問しようとした直前に、学園長が結界を指した。
「結界が解け始めたよ」
そう言われて結界に視線を向ける。
キラキラとした光で満ちていた結界は、だんだんとその幻想的な姿を失いつつあった。光のせいで白く霞んで見えていた建築物はくっきりと輪郭を現し、元のあるべき姿に戻っている。結界の範囲を示していたドーム状の半透明な壁も、頂点から、溶けるようにして無くなっていった。黒色の魔法陣も地面に吸い込まれていき、魔法の痕跡が消えていく。
昔のボクは、この光景が好きだった。魔法が失われていき、自分が現実へ引き戻されてしまうこの感じ。切なくて名残惜しく、けれども儚い。なんともいえないこの気持ちが、昔のボクは好きだった。
いつの間にか視力は元の状態に戻っていたので、姉ちゃんの様子は分からない。
だから。
「アイテ──むぐっ」
アイテムボックスからほうきを取り出し、姉ちゃんの元へ行こうとした。
なのに、学園長に口を塞がれて詠唱を強制的に中断させられた。
「な、何をっ」
「すまないが、日向君の元へ行くのはやめてほしい」
「なんでだよ!?」
「わからないのかい?」
「……ッ」
……わかるに決まってる。八年間離れていたとはいえ、ボクは誰よりも長く姉ちゃんと過ごした自信がある。
きっとボクが行けば、姉ちゃんに心労を与えることになる。昔からそうなんだ。ボクといるとき、姉ちゃんは無理をしてる。自分が異常者であることを自覚し、そのことでボクが姉ちゃんに対し不安感を抱かないように、ボクへの接し方を常に考えて、異常な家庭環境に押しつぶされないように、ボクを守って。
わかってる。わかってるんだ。あんな大きな魔法を使ったあとだから、姉ちゃんは心身ともに疲れきっているはず。ボクは行かない方がいい。
「チッ」
わかってるよ。そんなこと。
「よし。なら、一緒に行こうか。本館も復活したことだし、全員を移動させないといけない」
学園長はそう言って、ガコッと足元の扉を開けた。来る時も思ったけれど、重そうな鉄製のようなのに、どんな腕力をしているんだろう。全く重そうに見えない。
「さ、入って」
自分が閉めるからということだろう、ボクを先に階段に行かせ、学園長は後に続いた。
「これからもお務め頑張ってね」
黒子と白子(だっけ?)に声を掛けて、ギギッと不快音をたてながら扉を閉める。しっかりとした石造りの階段を下る。特に弾む会話もないまま数分歩くと、目の前に木製の扉が現れた。
「ここから出たら別行動だ。スナタ君が君を日向君の所まで案内してくれる。到着する頃には日向君は眠っているだろうから、会うかどうかは好きにしてくれていい。帰るなら帰ってもいいし」
「わかった」
ボクが頷くのを確認すると、学園長は扉を押し開けた。キイッと軽い音が鋭く響き、暗かった空間に光が溢れる。
「じゃあね。鍵は気にしなくていいよ」
それだけ告げて、どこへともなく学園長は消えた。
ボクは、ふう、と息を吐いた。どうやら疲れが溜まっていたらしい。それもそうか、あの学園長は得体がしれない。警戒心が知らず知らず高まっていたようだ。
しばらくぼうっとして、ふと、呟く。
「行くか」
塔の外へ足を踏み出すと、じゃり、という砂の感覚を足が感じた。改めて感じたこの感覚は、不思議と懐かしく思う。
先程吐いた息を今度は大きく吸い込む。肺が凍るような冷たい空気が心地良い。
もう一度、息を吐く。白い息が空へ溶けていくのを見届けて、ボクはスナタを探し始めた。
25 >>252
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.252 )
- 日時: 2021/08/24 21:24
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: .lMBQHMC)
25
「あ、いたいた!」
スナタもボクを探していたのだろう、ボクに気付くと声を上げ、ボクへ合図を送るように大きく手を振った。
今いる場所は図書館の近く。兵士がわらわらと集まっている場所で、遠目に学園長が見える。おそらく、ボクがまだ学園長と一緒にいるとでも思って、学園長がいる場所付近を探していた、というところか。
「ごめんねー。探すの時間かかっちゃった」
駆け足でボクに近付いたスナタはそう言ったけれど、実際はそんなことはない。塔のまわりで数分うろうろしてから、人が沢山いるところにいるのでは、と思いたってここへ来て、三分もかからずに見つけられた。もちろん、気配を消していたなんてことは決してない(そもそもボクはそんなこと出来ない)から、見つけにくいということはなかったはずだ。しかし、それにしても早すぎる気がするのは気のせいではない。
「いえ、大丈夫です」
ボクのその言葉を聞くと、スナタはホッとしたように表情を緩めた。
「じゃあ、行こっか」
そしてボクに背中を見せて、スナタは歩き出した。速いとも遅いとも感じないちょうどいい歩幅とスピード。
気を使っているのかな。
「朝日くんは、おしゃべりは嫌い?」
無言で歩き続けるのは気まずいという意味だろうか、スナタはこんなことをボクに尋ねた。
「いえ、そんなことはないです」
別に好きというほどでもないけど。人と話すことについては、何とも思ったことがない。話すことがあれば話すし、話すことがなければ話さない。人付き合いにおいて対話は重要な役割を果たすので、必要であれば自分から話しかけることもあるけれど。
「えっと、なら、質問ね!
好きな食べ物ってなに?」
「チョコレート、ですね」
「甘いものが好きなの?」
「それもありますけど、面白いじゃないですか。甘いのに苦いし、苦さにも種類がありますし」
「なるほどねー。ちなみに、なんのチョコが一番好き?」
「うーん、カカオ含有率が二十パーセントから三十パーセントのものですね」
「つまり、『普通くらい』ってことか。私はミルクが好きだよ」
「スナタさんも甘いものが好きなんですか?」
「うん、大好き! でも一番好きなのは柑橘系かな。みかんが好き。ほら、朝日くんの家にも置いてあるでしょ? たくさん」
ボクは一度首をひねって、頷いた。
「はい。戸棚に置いてあります」
スナタは照れ隠しのように苦笑した。
「あはは。最近は行ってないけど、前までよく日向の家に遊びに行っててさ。私が来た用にたくさん置いてくれてるの。いまは日向の契約精霊さんが食べてるらしいけどね」
これは、チャンスかもしれない。
「姉ちゃんは、どんなことをしてスナタさんと過ごすんですか?」
「え? えーっと、何したっけ」
うーんうーんと唸りながら記憶を掘り起こすスナタの様子を辛抱強く見ていると、「あ、そうだ」と、何か思い出したらしいスナタが呟いた。
「勉強会とかは、頻繁に開いてたかな」
ボクは少しガッカリしつつ、食い下がってみた。
「遊んだりしないんですか?」
姉ちゃんが遊んでいるところを、ボクは見たことがない。いつ見ても、本を読んでいるか家にいないかの二パターンしかなく、意外な一面、というものに遭遇したことがない。
「日向が遊ぶところなんて、想像出来る?」
クスクスと笑うスナタの姿を見て、ボクは姉ちゃんとスナタが一緒に『遊び』をしたことがないことを悟る。
「何度か街や王都へ行こうって誘ったんだけどね。祭りとかにも一緒に行きたいってせがんだけど、全敗。日向って変なところで頑固なんだもん」
愚痴のように話しつつも、その表情は柔らかい。
どこか遠い目をして語るスナタの横顔は、なぜだかとても、神秘的に思えた。
26 >>253
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.253 )
- 日時: 2021/08/25 19:50
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: .bb/xHHq)
26
森を抜けると、ほんの数十メートル離れた場所にバケガク別館がある。ついさっきまで半壊以上の状態だったとは思えないほど綺麗で、しかし新品同然という程でもない。壊される前のそのままに、まるで何事も無かったかのように構えている。
石の質感もほんのわずかな石と石のズレ具合も、寸分の違いもない。質感もズレ具合も完璧に記憶している訳では無いが、覚えている限りのものと照らし合わせて見ても、全く違和感を感じないのだ。
「すごいなぁ……」
小さく聞こえたその言葉は、どうやら呟きらしかった。スナタの口から落ちた珠のような言葉は、地面を転がり、ボクの足にコツンと当たる。
「すごいですよね」
ボクもたった今思っていたことを口にする。するとスナタは寂しげに微笑んだ。
「すごいよね」
すごいの繰り返しをやり取りする。それはまるで、悩みを言葉にするのをためらうような、思いを言葉にすることに不安を抱いた者の話し方に感じられた。
「スナタさんは、どうして姉ちゃんと仲良くなったんですか?」
滑らかに喉をすり抜けてきた言葉を耳にし、ボクは驚いた。そりゃあ、あれほど人と関わりを持とうとしない姉ちゃんが何故スナタ達と親しくしているのか、その理由をいつかは聞こうと思っていたけれど。それにしても、まだ早い。三人のうち誰か、情報を与えてくれそうな奴ともっと近づいてから聞くつもりだったのに。
「それを聞いちゃうかー」
あはは、と、空気を吐くような笑い声を上げたあと、スナタは言った。
「仲良くなった理由は、なんだったっけ。朝日くんって確か、東蘭って人、知ってるんだよね? 日向とは、あの人からの紹介で知り合ったんだ」
スナタの言う通り、ボクは昔から東蘭とは面識があった。それも、まだ両親が生きていたあの頃から。
きっかけは知らないけれど、姉ちゃんと東蘭はいつからか親しくなっていた。同じ天陽族の名家同士だから会う機会もそれなりにあったし、〔白眼〕と〔半端の才児〕という疎まれ者同士、何かと気が合うのだろうと大人たちが嘲笑混じりに言ったことがまだ記憶にある。
ボクも何度か姉ちゃんにせがんで会わせてもらったことがある。〔白眼〕と罵られている姉ちゃんがすごいのだから、姉ちゃんとも気が合うのから東蘭もさぞかしすごい人物なのだろうと思ったのだ。姉ちゃんはボクがせがむとちょっとだけ嬉しそうにして、大人の目を盗めるタイミングで東蘭のところまで連れて行ってくれていた。
東蘭は、人の好き嫌いが激しく、人によって当たりを強くするような性格のため周囲の人間からは好かれていないようだった。けれど嫌う理由がきちんとしているし、嫌なことは嫌だとちゃんと言う人だったため、はっきりしている東蘭が、ボクは好きだった。
いまは、どうだろう。十年以上会っていないから、わからないや。
「東さんとは、仲がいいんですか?」
質問の方向を変えてみる。スナタはふわ、と微笑んだ。
「うん。仲良くしてくれてる。教室も同じだし、寮暮らしなのも同じだし。一緒にいることが多いかな」
やはり、スナタは劣等感が強いように思う。友人に対して、仲良くして『もらっている』なんて、普通は思わないんじゃないだろうか。
「わたしたち二人とも、他に友達なんていないしね」
苦笑が混じったその笑みには、寂しそうな雰囲気は感じられなかった。
27 >>254
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.254 )
- 日時: 2021/08/26 21:57
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KVjZMmLu)
27
「朝日くんはどう? 仲のいい人っているの?」
自分に友達が少ない理由を詮索されたくないのか、スナタは矛先をボクに向けた。直後に、自分が訊かれたくないことをボクに尋ねたことに罪悪感を抱いたらしく、バツの悪そうな顔をする。
別に気にするようなことではない。ボクにとってスナタに友達がいないことなんてどうでもいいことだし、この質問も特に拒否する必要もない。
「一人だけ、よく話す相手はいますね」
他は情報収集の道具にしか使っていない。それなりに遊びにも付き合ったりしているので、ウィン・ウィンの関係を保っている。良くも悪くもそれだけだ。
「少ない友達を大事にするタイプなの?」
「いえ、そういうわけではありません。昔はたくさんいましたし」
昔は、じいちゃんの名前に釣られたやつばかりが寄って集って来た。じいちゃんの孫は姉ちゃんとボクだけで、姉ちゃんに近寄りたい奴はいなかったから、その分ボクに集中したのだ。その中でも根元から良い奴はそれなりにいて、そこそこ良い関係を築けていたと思う。というか、じいちゃんの家にいた一年程前まで仲良くしていた。縁が切れたのは、バケガクに入学してからだ。八年前から何かと「朝日はおかしい」「朝日は変だ」と言い出して、ついに我慢の限界が来たとでも言いたげに離れていった。ボクも人との友好関係を煩わしいと思っていたのでちょうど良かった。バケガクに入学して半年くらいは、姉ちゃんとの接触もなかったし独りで過ごしていたけれど、ある日ボクに話しかけてきた人──怪物族の女がいた。最近ではあの人とよく過ごしている。
「そうなんだ」
『四季の木』を周ってバケガク本館の入口を通り、突き当たりを右に曲がる。
「もしかして保健室ですか?」
「うん。よくわかったね。
って、わかるか。校内で横になれる場所なんて限られてるもんね」
保健室なら、もうすぐで着く。今歩いている廊下を奥まで歩けばそこにある。
学園長は、ボクが辿り着く頃には姉ちゃんは寝ているだろうと言っていた。スナタもそれを分かっているようで、会話など一つもなく、足音すらも抑えて静かに保健室の前まで歩いた。
コンコン
目的地に着くと、スナタは扉を控えめにノックした。
「入るよ」
返事を待たずに、音をたてぬようゆっくりと扉を開く。キッ、キッ、と時々小さな音は鳴ったけれど、気にするほどのものではない。
部屋の中に明かりは一切なく、カーテンもきっちりと閉められていた。カーテン越しに届く淡い光しかない部屋に、二つだけ、息を呑む程に綺麗な『蒼』があった。その蒼は暗い部屋に違和感すら感じさせるほど存在を主張していて、しかし部屋の中に溶け込んでいた。
笹木野龍馬は吐息も感じさせないくらい、時が止まったかのように静寂に、それでいて穏やかに、眠る姉ちゃんを見ていた。ベッドの傍にある丸椅子に腰掛け、静かに。
その光景を見て、知らず知らずのうちに息を止めていたらしい。ふう、と息を吐くと、それに気付いたのか笹木野龍馬がボクを見た。
「ああ、来たのか」
そして目の焦点をずらし、スナタを見る。
会話もないまま立ち上がり、最後に優しい眼差しを姉ちゃんに向け、真っ直ぐにこちらへ来た。
「あと一時間は目覚めないと思う。目が覚めたら、おれたちは第一グラウンドの方にいるって伝えてほしい」
ボクが頷くと、笹木野龍馬は、スナタと一緒に部屋から出ていった。
扉が閉まると部屋は更に闇を濃くし、カーテン越しの光がより強く感じた。
ボクは笹木野龍馬が座っていた椅子に座った。本当は他の椅子に座りたかったけれど、そのためには椅子を移動させなければいけない。物音をたてるのは避けたかったのだ。
28 >>255
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.255 )
- 日時: 2021/08/28 22:43
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: MHTXF2/b)
28
カーテンの色が緑みの強い青なため、姉ちゃんを照らす光の色も、同じ色になる。いつもの眩い輝きは、いまは月のような静けさを感じさせる。青い光の中で白い肌が幻想的に浮かび上がり、妖精のような雰囲気を醸し出していた。
眠っている姉ちゃんを見るのは、いつぶりだろう。幼い頃なら何度かあったが、成長するにつれてその回数は減っていった。それに、こんなに無防備な姉ちゃんを見るのは初めてだ。姉ちゃんは寝ていてすらなお張り詰めた空気を維持し続け、ボクが少し動いただけでも起きそうだった。なのにいまは、何をしても起きる気配がない。
生きているのか、不安になるほど。
ボクは姉ちゃんの口元に手を運んだ。鼻に手をかざし、ホッと一息吐く。よかった、息はしている。生きてる。
「やあ、朝日くん。調子はどうだい?」
耳に息が吹きかかり、ボクの体はビクッと跳ねた。
「あはっ、驚いたぁ? 最近は慣れちゃって張り合いがなかったから嬉しいなー」
「静かにしろよっ」
普段と同じ声量で話すジョーカーに、ボクは小声で怒鳴った。
「へーきへーき。起きないって。日向ちゃんは慣れないことして疲れてるんだから」
ジョーカーはヒラヒラと手を振り、遠くにあった椅子を移動させてボクの隣に腰掛ける。わざとらしく音を立てるなんて下卑た真似はしなかったが、音を立てないように、という気遣いは欠片ほども感じなかった。
「チッ」
「君のその癖は治らないねぇ」
ニヤニヤと笑うジョーカーに向かってボクは吐き捨てた。
「姉ちゃんの前に出てきていいの?」
折角姉ちゃんと二人きりでいたのに。さっさと出て行ってくれないかな。
「ボクもそのつもりはなかったんだけどね」
ジョーカーは目をスウッと細め、姉ちゃんを見た。
「ここまで緊張を解いたヒメサマを見るのは、初めてだからさ」
ヒメサマ? 姫様、ってことか?
ジョーカーは、姉ちゃんと決して薄くない関係があるらしい。語る言葉の端々で、それが理解できる。だけど、どこでそれを築いたんだろう。姉ちゃんからジョーカーのことを聞いたことがないし、出会うタイミングだって限られている。昔からよく遠方のダンジョンに行っていたから、もしかしたらそこかな? でも、コイツがダンジョンに行く理由なんてあるのか? 確かに、ボクが一人きりになると大抵現れるから暇ではあるのだろうけれど。随分前に、することがないのか、と訊くと、「ボクには悠久の時間があるからねぇ」と言われた。そういえば、コイツは何の種族に分類されているんだろう。
「皮肉だよね。ボクとヒメサマを繋ぐ糸は限りなく強いはずなのに、ボクはヒメサマの全てを知っているのに、ヒメサマはボクに対してすごく冷たい。なのにこんな魔力切れなんかで簡単に隙だらけな姿を晒すなんて」
ねっとりと絡みつくような視線を姉ちゃんに向けるジョーカーから感じるのは、いつものようなふざけた雰囲気ではなかった。
「まあ、いいんだけどね。そんなこと。ボクはヒメサマの狂った姿が好きなんだから。ヒメサマの目がボクに向かなくたってどうでもいい」
いつの間にかボクの向かい側に立っていたジョーカーが、手を姉ちゃんの顔に伸ばした。
「姉ちゃんに触るなッ!」
そう言いながら立ち上がろうとしたけれど、体が動かない。魔法だ。
「チッ」
人形のようにただそこにいる姉ちゃんの頬を、ジョーカーの指がなぞる。それを見ているだけで虫酸が走り、言いようのない嫌悪に襲われた。
「やっぱり、りゅーくんが原因なのかなぁ。ヒメサマはおかしいよ。あまりにも人間らしくなっちゃって」
手は固定したまま、顔をボクに向けて、ジョーカーは言った。
「知ってる? 日向ちゃんの放つ本来の狂気は、それはそれは美しいんだよ。飛びっきりの笑顔で血の海に溺れる姿は艶やかで……」
ジョーカーはそこで言葉を切った。
29 >>256
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.256 )
- 日時: 2022/02/10 16:56
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 0j2IFgnm)
29
「うーん、思ったよりも早かったなぁ」
ゆっくりと姉ちゃんから手を離して、ジョーカーはいつものようにニヤニヤと笑った。研ぎ澄まされたナイフのような、モノクロの狂気が消えていく。部屋から色彩が戻り、青い光が満たしていった。
「そんなに鈍っていないみたいだね、彼女も」
もう少し力が弱まっていると思っていたんだけど。そんなことを楽しそうに呟いて、ベッドに手をついた。ぎしりとベッドがきしみ、ジョーカーは姉ちゃんの額にキスをした。
気持ち悪い。
まただ。また、この感情が頭の中を塗りつぶす。嫌悪に憎悪。嫉妬と、それから……。
だけど、違う。なんなのだろうこの情は。ざわざわと背筋に虫が走るようなこの感覚。無意識に体が痙攣し、脳が麻痺したように思考が冷えきり、なのにうるさいくらいに警報が鳴り響く。
恐れ、怖れ。すっかり忘れてしまっていたその感情が呼び起こされる。
畏れ。
畏敬。
三音の言葉が、脳裏にこびり付いた。
頭で確立した結論を、心臓が拒否する。そんなはずはないと、神にすら抱いたことの無いこの感情を、あろうことかこんな訳の分からない男に向けるだなんて。
「おい」
喉が震えるくらいの低音が、腹の底から響いてきた。
「姉ちゃんに、触るなよ」
ボクは今、どんな顔をしているんだろう。アイツを睨んでいるのかな。笑ってはいないと思うけど、どうだろ。わかんないや。
ジョーカーはクスッと笑って、体を起こすとボクに言った。
「触るなよ、かあ。日向ちゃんは朝日くんのものでは無いでしょぉ?」
音もなくボクに近寄り、目というよりも穴と称する方が相応しいような真っ黒なそれで見下ろす。
「というか、不可能じゃない? 君は近いうちに神に裁かれるんだから。日向ちゃんの傍に居続けることは出来ないんだから。日向ちゃんを独占することは叶わないよぉ」
コイツも姉ちゃんも、何故神が存在することを疑わないのだろう。他の人とは違い、『絶対である』と信じているのではなく、『それが当然である』と考えている印象を受ける。
「勘違いしない方がいい。日向ちゃんはボクらのものだ。他の誰でもない、ボクらの。言葉には気をつけなよぉ。ボクは頭がやわらかいから見逃すけど、彼は冗談が通じないからねえ」
彼? 彼って誰だ?
「ま、君が彼に会うことはないかもね」
今まで見たことの無いような、見る者に恐怖心を植え付ける笑みを浮かべ、言い聞かせるようにジョーカーが言う。
「神は慈悲深い。君は彼ではなく神に罰せられることを感謝すべきだ。優しい易しいカミサマは、甘い判決を言い渡すだろうからねぇ」
ボクらなら、そうはいかないよ。
警告するように、ボクに言葉を突き刺した。
それはナイフではなく杭のようなもので、言葉をボクの中に留めるものだった。
「チッ」
知るか、そんなもの。
「ボクは神を信じない」
「とんだ姉不孝、者だねぇ、君は」
「ッ!」
ギリ、と奥歯を噛み締める。自覚がある分言い返せない。姉ちゃんは昔から、あれだけ神の怒りだけは買うなと言っていたのに、ボクはこの世界における禁忌を犯した。そしてそれを姉ちゃんは知っている。ボクから言ったことは無いけれど、時折見せる悲しげな表情が全てを語っている。
でも、仕方ないじゃないか。
ボクが大罪を犯す度。
姉ちゃんはその顔を悲しみに染めるのだから。
30 >>257
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.257 )
- 日時: 2021/10/02 17:07
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: NGqJzUpF)
30
「ああそうだ。このことも話しておこうかな」
ジョーカーはボクに自分の腕を見せた。
「なに?」
ジョーカーの腕なんて見たくないんだけど。
「我慢して少しの間だけ見ててねぇ」
もう片方の手で、腕をなぞる。肘から手首にかけて、ぐるりと一周するように。
色を失ったような真っ白な腕を見ていると、突然、模様が表れた。大量の黒い糸が絡みつくような不気味なそれは、吐き気がするほど気持ち悪いものだった。見れば腕をなぞる手や顔、身体中のあらゆる部分からその模様が浮かび上がっていた。
「なに、これ」
「この学園に仕掛けられた魔法だよぉ。魔力の供給元は学園長。日向ちゃんに危害が加わった時にその原因を潰したり、日向ちゃんの魔法の助けをしたりする。まあ、条件が厳しいからあまり作動することはないんだけどねぇ」
つまり、学園長の魔法ということか? 姉ちゃんを守ったり、助けたりする?『生徒』ではなく?
というか、潰れてないじゃん。潰れればいいのに。学園長の魔力を、ジョーカーが上回っているという考えでいいのかな。
「学園長についてはかなり謎なんだよねぇ。大体の検討は着くんだけど、そうする理由がわからないんだあ。本名すらもわかんないしねえ」
ジョーカーの言う通り、学園長は謎に包まれている。名前どころか種族すらも明かされていない。魔法を含めた個人の能力は、主に『種族』と『家系』に左右される。もちろん例外(おそらく姉ちゃんも例外に当てはまると思う)は存在するが、大抵はそうだ。現にボクは天陽族という『悪に対抗する種族』の生まれで、エクソシストの家系だ。故にボクは、光属性の魔法を得意としている。
しかし、学園長のような特殊な魔法に長けた種族も家系も思い浮かばない。もしかしたら姉ちゃんと同じ『例外』なのかな。
それだけじゃない。少なくともボクが聞いたことがある限り、バケガクの学園長を務めた人が、今の学園長以外にいないのだ。およそ十歳の頃から通っていたらしい(具体的な時期は教えてもらっていない)姉ちゃんも、今の学園長以外知らないそうだ。姉ちゃんは学園長のことを「理事長」と呼ぶから、昔は理事長とは別に学園長がいて、何らかの事情で学園長に役職が変わったのかと思ったけど、姉ちゃん曰くそんなことはないとのこと。ちなみに、昔は知らないけれど、いまのバケガクに『理事長』なんて役職はない。それに加えて、ボクは学園長室に何度か入ったことがあるけれど、そこの壁には本来飾られているはずである歴代の学園長の絵が無かった。もちろん何らかの事情があるのなら話は別。だけど。
もし、これまでに学園長を務めた人が居ないのだとしたら──
「まあ、そんなに重く考える必要はないよお。向こうも隠している様子はなさそうだから、そのうち分かるだろうしねえ」
思考に耽っていたボクにジョーカーが言った。模様の浮き出た腕を擦りながら、ニヤニヤと不気味に笑っている。
「それにしても、やけに早かったなぁ。見つからない自信すらあったのに」
なんて言っていると、ふとなにかに気づいたように顔を上げ、数秒後、ボクをみた。
「ねえ、もしかして、日向ちゃんのことヒメサマって呼んだ?」
「え? ああ、うん」
なんだ、もしかして気づいていなかったのか? 意図的にそう呼んでいるのかと思っていたのに。というか間抜けだな。自分が何を言ったのかすら把握していないなんて。
「失礼だなぁ。無意識ってやつだよ」
「心の中を読むなよ」
「どーりで早いわけだよ。まさかボクがミスしていたなんてねぇ」
まるで自分が間違いを犯さないとでも言いたげなセリフを吐いたあと、ジョーカーはボソッと呟いた。
「これは……少しマズイかもな」
? 何の話だろう。
ジョーカーは何故か姉ちゃんを睨んだ。いや、睨んだと言うよりも、その瞳に宿す感情が強過ぎるあまりに睨んだように見えたと言う方が適切だろうか。ただ、その感情が何なのか、ボクにはわからなかった。執着のような、嫉妬のような、何か。
「彼がなんて言うか……」
また、彼。それは誰のことを言っているんだろう。ジョーカーの話す様子からして、少なくとも姉ちゃんと無関係という訳では無さそうだ。それなら、気になる。
そう思ったボクはジョーカーに「彼」のことを尋ねようとした。
けれど。
「なっ」
ジョーカーは、知らぬうちに姿を消していた。今の今まで目の前にいたはずなのに、立ち去る気配も感じなかった。
「チッ」
まあ、いい。これでやっと姉ちゃんと二人きりになれた。
ボクは姉ちゃんを見た。蒼い光は仄かに夕日の色を帯びている。青から赤に変わった光は、姉ちゃんをボクの手の届く場所に引き戻し、ボクが存在する空間と姉ちゃんが存在する空間とを繋げた。
立ち上がり身を乗り出して、左手をベッドにつく。ギシッと音がしたけれど、ボクはそれを無視する。ゆっくりと、先程ジョーカーが触れた部分の頬に触れ、少しずつ手の位置をずらし、顎へ、そして首へと右手をかけた。
──このまま起きなくてもいいのにな。
とく、とく、と、微かな振動を感じる。一拍一拍の感覚は一秒よりは僅かに長い。
生きてる。
姉ちゃんに「生」を感じたのは、これが初めてかもしれない。
31 >>258
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.258 )
- 日時: 2021/10/28 21:46
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: iTqIkZmq)
31
カーテンの色が濃い橙色に染まる頃に、姉ちゃんは目を覚ました。意識が覚醒したと同時に体を起こし、少し辛そうに顔の左半分を手で覆う。
しかしそれもわずかな時間のこと。すぐに手を外し、顔を上げる。
「……」
姉ちゃんは何も言わない。いつものように虚ろな目をどこかに向けて、沈黙を貫く。先程まで感じていた「生」が段々と遠ざかっていくことを自覚して、ボクは堪らず手を伸ばした。
オレンジ色の光は姉ちゃんの顔を暗くした。暗い色の中で、青色の瞳が静かに輝く。
白く華奢な、慌ただしい人生に似合わない綺麗な手がボクの指と絡まる。
一瞬よりもやや長い時間、姉ちゃんは視線だけをボクに向けた。そして視線を正面へ戻し、意識だけをボクに留める。
「どうしたの?」
握った手は握り返されない。無気力に開かれたままの姉ちゃんの手を見ながら、呟くように言葉を零す。
「えっと、大丈夫?」
「なにが?」
ぎゅう、と、強く姉ちゃんの手を握る。姉ちゃんの言葉は、決して冷たくはなかった。なんの温もりも感じなかったけれど、冷たくも重くもなかった。けれどそれが、苦しいくらいに、悲しい。
握り返されることを期待してはいない。でもそれでも、願望はあって。
「えっと」
口に出したい言葉なら、溢れるように出てきた。
あんな強い魔法を使って、体に異常はないのか。学園長とどんな関係なのか。ボクに何を隠しているのか。たくさん、たくさん。
でも、言葉は形を成さなかった。姉ちゃんは頑なにボクを視界に入れない。どうやっても、手を握り返さない。それが、辛い。
言葉を出せば、求めれば、どんな答えが返ってくるのだろう。突き放されたりしないかな。昔からなんだかんだいってボクに甘かった姉ちゃんだけど、今日のこれは触れてはいけない気がする。姉ちゃんの、心の奥底、触れられない場所、ボクが、辿り着けない場所。
「ねえちゃ」
声はそこで途切れた。
姉ちゃんがボクの手を解いた。
心が冷える。
心が冷める。
色彩が消える。輪郭がぼやける。世界が堕ちる。
待って、お願い、待って。手を握ってどうかお願い。
置いていかないで。絶望は怖い。アレは怖い。コレは恐い。
怖い怖い恐い恐イこわいこわいコわいこわイコワいコワイコワイコワイ──
「大丈夫」
耳元で、平均よりも少し低いであろう声が囁いた。ボクの視界には、辛うじて姉ちゃんの肩が映るだけで、その他の部位は見えない。目で感じられない代わりに、全身で。姉ちゃんという存在を、姉ちゃんという実感を感じる。細い体は生気を失ったかのように冷たくて、けれど暖かくて。小さな心拍音が肌を通して微かに伝わる。
ボクを包む力は強くはない。大切そうに、といった様子も伝わらない。ただひたすらに不器用に、姉ちゃんはボクを抱きしめていた。
九年前のあの日と同じように。
「心配かけて、ごめん」
感情がまるでこもっていないと、何も知らない人ならばそう言うだろう。
でもボクは知っている。
静かである以外に何も持たないような言葉の中に、確かなボクへの『想い』があることを。
期待していなかった。期待してはいけないと、思い込んでいた。そうするようにしていた。だって期待なんかしたって、それが実ることは無いと分かっていたから、知っていたから。後で傷つくことになると、知っていたから。だから一方的な片想いで終わればいいと、それでいいのだと自分に言い聞かせてきた。どうせボクは長く生きる気がなかったから。罪を犯したボクはいつか正義を貫く誰かに捕えられて罰を受けるのだから。姉ちゃんと離れ離れになることが確実となったその時に、死ぬ気でいたから。その時は遠くはないだろうから。そう思って、そう思って。
「ボ、ボク、ずっと、不安で」
だから尚更。期待していなかったから、それが──姉ちゃんの中にボクが宿ることが叶って、ボクは高揚した。涙は出ないが、声は震える。今までの寂しいとか、この瞬間の嬉しいとかの感情がぐちゃぐちゃに絡まってほつれて、心臓を締めつける。
「大きな魔法を使って姉ちゃんが死んだらどうしようとか、そうじゃなくても魔法障害を引き起こしたらどうしようとか、色々……いろいろ!」
ボクは居たんだ。姉ちゃんの中に居たんだ。
夢だったら覚めないで欲しい。もう離れないで欲しい。ずっとこのままでいて欲しい。
だらんと下げていた手で姉ちゃんの制服を掴んだ。すると姉ちゃんは、ボクを抱く力をやや強めた。感じ取るのが難しいほどではあったけれど、確かに強めてくれた。
「ごめんね」
なんの温度も持たない声が、無性に暖かく感じる。
「朝日」
姉ちゃんが、ボクの名前を呼ぶ。
「話を、しようか」
普段なら感情を込められることの無い姉ちゃんのその声からは、何故か微量の『覚悟』を感じた。
32 >>259
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.259 )
- 日時: 2021/10/28 21:54
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: iTqIkZmq)
32
話? 何の話だろう?
「どこから、話そうか」
ボクを抱きしめたまま、姉ちゃんは呟く。
「まず、私は、魔法障害にならない」
そして唐突に、そんなことを口にした。
到底信じられることではなかった。そんな話は聞いたことがない。魔法障害というものは、人の体が限界を越えた時に起こるものだ。いくら姉ちゃんでも限界はある。限界を迎えることが滅多にないというのならまだしも、限界を迎えることが無いなど、ありえないのだから。
そんなの、人間じゃない──この世の生物ではない。
「でもそれは、何もおかしなことではない。誰も彼もが私を異常で異様だと言うけれど、私からしてみれば、私でなくても今の私に辿り着くことが出来るように思う。私は少し特別だけれどそれだけで、他に何も持ち得ない。私は私の持つ物を、上手く活用しただけの、ただの人間。ただそれだけのこと」
皮肉にも聞こえるような、理解しにくい言葉の後に、姉ちゃんは一つ一つ説明を始めた。
「魔法障害は、二つ以上を重ねて引き起こすことは無いということは知ってる?」
ボクは頷いた。とは言っても抱きしめられた状態でだったから、実際には少し頭を動かした程度に収まったけれど。
しかし頷いたとはいっても、その情報の信憑性はあまりない。『魔法障害は並行して引き起こされない』ということそのものが最近発見された物事であり、その原因はまだ仮説すら立てられていない状況だ。そもそも魔法障害自体が研究があまり進んでいない未知の領域なのだ。
「私が魔法障害にならない理由は、それ。私は既に、一つ魔法障害を持っている」
その言葉を耳が脳へ伝え、そして脳が理解したその瞬間、ボクの心臓はどくんと跳ねた。脳をも揺らさんばかりのその拍動に、ボクの意識は一瞬途切れる。
「え?」
ほぼ無意識に音が出た。脳が正しく機能しない。それほどまでに姉ちゃんが言った言葉は、突然で、理解し難い言葉だった。
「髪や瞳の色は、各個人の体内の魔力によって決定される。朝日はまだしっかりとは習っていないだろうけど、一般常識としてなんとなくは知っているんじゃないかな」
ゆっくりと紡がれる声を聞くにつれて、ボクは姉ちゃんの言わんとすることを予測し始めた。
「髪や瞳の色が遺伝するのもそれが理由。魔力が遺伝するから、自然と色は親に似る」
どれだけ飛び出た才能を持って生まれても、どれだけ親とかけ離れた魔法の才を持って生まれても、魔法を構成する体内の魔力の基礎は親から遺伝する。
「けれど何事にも例外はある。
……その例外のうちの一つが、私。」
そんなはずはない。だって、説明の仕様がない。
『生まれついての魔法障害』なんて、聞いたことがない。
「待ってよ……だって、姉ちゃんの白眼は生まれつきなんじゃ……」
「私はその昔、とても大きな魔法を使った。【分解魔法】や【創造魔法】の比では無い、【禁術】の中にさえ含まれない禁忌の術。私はその魔法を使ったことにより、片目の色素を構成する分の魔力を失ったの」
囁くように、呟くように、ぽつりぽつりと零れる言の葉は、まるで懺悔のように聞こえた。冷たい熱がこもった声はなんとなく苦しげで、ボクは嫌な汗を握った。
「私は朝日を責められない。その資格を、私は持っていない。朝日を『そう』したのは私だから。朝日の罪は私の罪、だけど私は朝日の罪を償えない。それは許されていない。責任が取れない、その権利を私は持ち得ない。カゾクは大切にしようって決めていたのに……ごめんなさい」
罪悪感も後悔も、自責の念も背徳感も、何も感じない。あるのは深い歓喜、ただそれだけ。
ボクの中には濃密な快楽のみが強く埋め込まれていた。姉ちゃんがボクを想って謝罪している。『気にしなくていい』と慰めることだって出来る。『姉ちゃんのせい』だと罵ることも出来る。ボクの言葉次第で姉ちゃんを癒すことも傷つけることも出来るという今の状況に、ボクは酔っていた。
「朝日を責める気持ちは断じてない。この結末を防げなかったのは私で、全ての責任は、いずれこうなることを予想してなお過ちを犯した私にある。それなのに償うことをしない私を、許して欲しいなんて言わない。でも……だから、ごめんなさい」
静かに、冷たく、けれど優しく、人間らしく言葉を連ねる姉ちゃんを、ボクは再度抱きしめた。
なんと言うのが正解なのだろう。なんと言えば、姉ちゃんは新しい表情を見せてくれるのかな。
「姉ちゃん」
何を言おうとしていたのか、よく分からないうちにボクは口を開いた。
この時ボクが何を告げようとしたのかは、誰も知り得ないことだった。
突然、姉ちゃんの体が輝いた。暖かく柔らかく、それでいてどこか排他的な印象を受ける光が、姉ちゃんを中心として室内に充満した。不思議と眩しいとは感じない。後光のような輝きだった。
やがてその光は姉ちゃんの胸の辺りに一点に集まった。そして小さく人の形を作る。そのシルエットはひどく見慣れたもので、そうであるからこそ、ボクは驚くのではなく不思議に思った。驚くということなどは、既に今更のことだから。
輝きは徐々にシルエットに器を与えた。ふわりと風になびく金糸の髪が徐々に形を成し、服とも言えないような布を重ねた衣が現れる。金の色は白に近い薄橙に変わり衣から飛び出た肌を表す。顔には新芽色をした瞳が覗く。背にモルフォ蝶の羽根を生やし、美しい精霊は姉ちゃんの手の平に降りた。
「あら?」
ベルはちょこんと首を傾げた。体のサイズも相まって、小動物のような雰囲気を醸し出す。
「なにか話をしていたの? 邪魔をしてしまってごめんなさい」
申し訳なさそうに控えめに笑うベルに、姉ちゃんは淡々と言った。
「行くよ」
呆然とその様子を見ていたボクと、さっさと毛布をたたんで出入口に進む姉ちゃんを、数回交互に見たあと、ベルは「はい」と返事をした。
「朝日」
姉ちゃんは扉に手をかけ、振り向いてボクを視界に入れた。空虚な青と白の瞳がボクを見る。
自分の行先はわかっているのだろう、笹木野龍馬達がいる場所を尋ねるのではなく、姉ちゃんは言った。
「カミサマには、逆らわないで」
先に行ってる、と言い残して去る姉ちゃんを、ボクはモヤモヤとした気持ちで見送った。
姉ちゃんのことを知れたはずなのに、教えてもらったはずなのに、前よりも距離が開いたような気がする。
33 >>260
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.260 )
- 日時: 2021/10/28 22:10
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: iTqIkZmq)
33
少しした後、ボクも第一グラウンドに向かった。長くて滑りやすい廊下を早足で駆けて校舎から出ると、ガヤガヤと騒がしい声を耳にした。目的地に近づくにつれてその声は大きくなっていく。
なぜ騒がしいのかはともかく、主だった騒がしさの元はなんだろう? 騒がしくなって当然の出来事が今日は大量にあったから、その中のどれなのかが分からない。
鬱蒼としげる木々の海を抜けると、一気に景色が変わる。建物らしい建物はなく、広がる地面と転がされた負傷者達──と言っても、外傷を負った者はほとんど居ないから、姉ちゃんの魔法の被害者達と言った方が正しいのかな。非常事態に使用される大量のシーツのようなものがひかれ、その上に仰向けに寝かされている。おそらく安静にさせておくというよりかは、待機させていると形容した方がいいのだろう。魔法障害はその種類によるけど、盲目は別に寝かせておく必要はないだろうから。
広いはずの第一グラウンドも、無数の兵士達でぎちりと埋め尽くされている。その中で立っている人は僅かで、逆に目立っている。
姉ちゃんは、偉そうな男と話しているようだった。時折激昂して怒鳴る男をうんざりしたような目で見つつ、何かを告げている。
密集された人達を誤って踏まないように気をつけながら、姉ちゃんに近寄った。すると、こんな声が聞こえてきた。
「なんなんだよお前! 白眼だし訳の分からん魔法使うし! バケモノ! バケモノ!!」
白眼? 姉ちゃんのことか?
声の主はやはり姉ちゃんと話していた男だった。半ば狂乱状態に陥って、頭を抱えて喚いている。ついさっきまで普通に話していたはずなのに、どうかしたのかな。
「あっ」
ボクは気づいた。いや、思い出した。母さんのこと、ばあちゃんのこと。姉ちゃんと関わって精神を病んだ大人たちのことを。
子供は違う。精神を病む前に、トラウマを抱く前に、何に恐怖すべきなのかを理解していないから。白眼も『珍しい』と捉え、大きな魔法を使うところを見ても『すごい』で終えられてしまう。
心を壊すのは、常に大人だった。
母さんやばあちゃんだけじゃない。親戚のおじさんやおばさんたちも段々とおかしくなっていっていた。普段は何ら変わりなく過ごしているが、姉ちゃんを前にすると、ひどい場合は震え出す人もいた。『何を恐れるべきか』を理解しているボクと同年代の子で、気弱で敏感な子は、恐怖で失神する時もあった。
姉ちゃんを怖がらない大人なんていなかった。父さんやじいちゃんだって例外じゃない。あの人たちは姉ちゃんを愛そうとしてはいたものの、恐怖を拭い去れはしなかった。心の奥底に恐れを抱き、常に姉ちゃんと接していたのだ。
ボクはため息を吐いた。姉ちゃんを恐れる理由なんて大してないのに。そりゃ、怖いときはある。昔ボクを『白眼の弟』と罵っていじめていた子供に、姉ちゃんはトラウマを植え付けた。と言っても、姉ちゃんがしたことといえばあいつらを睨みつけて「次やったら三倍にして返すよ」と脅したくらいだ。けれど、あの時の姉ちゃんは空虚な目に氷水に浸しておいたナイフのような眼光を宿し、感情を直接向けられていないボクでさえ、生きた心地を感じさせないほどの恐怖を与えられた。
でも、それだけだ、あの時くらいだ。姉ちゃんを『恐い』と思ったのは。普段の姉ちゃんはとても静かで、本当の姉ちゃんは賢くて強くてとてもすごい。それに美人だ。周囲の人間は姉ちゃんを、そして姉ちゃんを姉に持つボクを羨んでもいいと思う。妬んでいいと思う。それをしないことが理解できない。
ふと視界を広く捉えてみると、怒りを隠そうともしない笹木野龍馬が目に入った。額に浮き出た血管が見え、眉間にはシワが寄っている。「何言ってんだこいつ」というセリフが良く似合う、他人を見下したような表情をしながら男を睨む。話をする二人に気を使っているのか距離が空いていることと、両脇で東蘭とスナタがなだめつつ押さえ込んでいることで奇襲をかけずにはいるものの、今にも襲い掛かりそうな勢いだ。
もうあの男はだめだと理解したのだろう。姉ちゃんは屈んだ男の頭に右手をかざした。
「お や す み な さ い」
姉ちゃんの唇がそう動くのが見えた。そして、男の目から全ての『色』が消え、体の端から端まで力が抜け切ったのが遠目からでもわかった。
『相手を眠らせる闇魔法』、【喪神】は、昔から姉ちゃんがよく使っている魔法だ。そしてこの魔法を使うとき、姉ちゃんは決まって「おやすみなさい」と口にする。しかし、特に意味があって使っている言葉という訳ではないらしい。
姉ちゃんは笹木野龍馬たちがいる方向とは真逆を向いた。その方向には指示を待っている動ける兵士たちが整列して立っている。姉ちゃんと目が合ったほとんどが身を震わせる中で、数名、冷然と佇まいを崩さない者がいた。姉ちゃんはその数名『のみ』に意識の焦点を合わせ、言う。
──聞こえない。もっと近くに寄ろう。
そう思って止まっていた歩を進めた。一歩一歩進むにつれて、姉ちゃんの声が耳に入ってくる。
「一晩あれば、ここにいる全員を治せます。なので、一晩彼等をここに滞在させる許可と彼等に治療を施す許可をください」
その言葉を聞いた兵士たちは息を呑み、目を見開いた。
「それは、どういうことですか?」
先頭の中央に立っていた青年が言った。困惑の表情を向けられた姉ちゃんは首を傾げ、言葉を繰り返した。
「一晩あれば、治せる」
「それがどういうことかを聞いているんです。魔法障害を治す? 失明を治す? 魔法障害が治ることは無いとされていますし、失明は組織そのものが死滅しているという話です。失礼ですが、直せるとは思えません。なにか『治せる』という証拠があるのでしょうか?」
なんだよあいつ。鬱陶しいな。確かに疑問に思うかもしれないけれど、既に姉ちゃんは人間離れした魔法を使って見せた。それが充分証明になるだろうに。
姉ちゃんはすごい人だ。それがわからないのかな。
「もちろん、人間である私には出来ません」
しかし、ボクが思っていたこととは裏腹に、姉ちゃんは呆気なく不可能を肯定した。兵士たちも疑問符を浮かべた顔をお互いに見合わせ、訝しげに姉ちゃんを見る。
「ベル、おいで」
姉ちゃんの右肩に乗っていたベルが背中の羽を微弱に振動させて宙を飛び、兵士たちの前に進んだ。自身の姿を現したのだろう。青年が目を見張り、兵士たちも僅かにどよめいた。
「この子は私の契約精霊であり、精霊の中でも特殊な立場にあります。先程の魔法もこの子の助けを借りて行いました。
当然簡単にとはいきませんが、時間さえあればここにいる大半は完治させることが可能です。そして完治出来なかったとしても、八割から九割の回復が予想されます。信じられませんか?」
「……方法をお伺いしても?」
「私はどうしても治療させて欲しいと思っている訳ではありません。信用していただけないのも理解出来ますし、私はそれでも構わないと思っています。ただ、このような状況にしたのは私なので、その責任を取ろうとしているまで。その必要が無いと仰られるのであれば、それで結構です」
そりゃそうだ。警告を聞かなかったのはこいつらじゃないか。姉ちゃんは何も悪くない。責任なんて取る必要が無い。魔法障害を治せる人なんて、たとえ人でなくてもこの世のどんな種族でもどんな魔法でも不可能だろうから、こいつらはこの機会を逃せば一生このままだ。でも、そんなの知ったことじゃない。
青年は言葉に詰まり、悩んでいるようだった。さっさと断れよ。時間の無駄じゃないか。
そういえば、悩んでいるということは姉ちゃんの提案を受けるかどうかの決定権はこいつにあるということか? となると、それなりに高い地位を持っているのかな。ま、どうでもいいけど。
「では、私と私の信用のおける者数名も滞在することをお許し願えますでしょうか。もちろんあなたを疑っているわけでは」
「なら、【契約】を結んでもらいます」
姉ちゃんは相手の言葉を遮り、淡々と言った。
「【契約】、ですか?」
「一晩またぐと『明日』になってしまいますので。貴方たちが神に誓ったのはあくまで『今日』バケガクで起きたことを口外しないということです。
貴方が私を信用していないように──私が彼等に危害を加える恐れがあると思っているように、私も貴方たちを信用していません。かといって連日神に誓いを立てるわけにもいかないですし」
神に誓いを立てるということは『神に自身の言葉を聞き入れてもらう』ということで、連日に渡る神への誓いは『自身の言葉をいつでも聞き入れてもらえる』という考えの表れらしく、それは烏滸がましいとして神の怒りを買うことになるそうだ。
これは以前姉ちゃんが教えてくれたことだ。
魔法をかけられることに抵抗を感じているのであろう数名に冷ややかな眼差しを数秒向けた後、姉ちゃんは言った。
「滞在するのはどなたですか?」
34 >>261
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.261 )
- 日時: 2021/10/29 23:23
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: pgLDnHgI)
34
「少し待ってください」
青年は後ろに控えていた兵士を見て、比較的近くにいた数名に声をかけた。ボソボソと会話をしたあと、改めて姉ちゃんと視線を交わす。
「私、カイヤ=ブライティアと、ルキオ=ウィスタス、イヴ=ディファーとユバ=ディファーの、以上四名です」
名前と容姿から判断するなら、きっちりと整えられた藤色の髪と青い瞳の男がルキオ、灰色の長い髪を後ろで一つに束ねた、前髪で目が見えない同じような風貌の二人がイヴとユバか。
ルキオはいわゆる大男で、二メートルに迫るほどの高身長であると同時に肩幅も広く、盛り上がった筋肉が顔を見せていた。色白の顔は体に不釣り合いで、ぼんやりと浮いているような錯覚がした。
それに対してイヴとユバは小柄で華奢で、女のようにも男のようにも見える。髪から飛び出した耳はボクより(つまり人間より)大きく、握りこぶし一つ分くらいの大きさだった。とりあえず人間ではないらしい。体の一部が発達している種族は沢山あるので種族名は特定出来ないが、おそらくその中のどれかだろう。
「わかりました」
姉ちゃんは頷くと、四人に向けて右手の平を向けた。四人に向けてということはつまり整列していた兵士たち全員に向ける形になるということであり、後ろに控えていた兵士たちは一斉に脇へ避けた。
闇色の光を放つ黒い粉が、姉ちゃんの手を中心として渦を巻いた。その渦はどんどん大きく速くなり、やがてその魔力は具現化され、『鎖』に姿を変えた。ざわざわと不快な音色を奏でる風が姉ちゃんの金色の髪を静かに揺らす。
「【闇魔法・桎梏の鎖】」
風に乗って聞こえてきた微かな声は、そう言っているようだった。
姉ちゃんの手から四本の幻覚の鎖が放たれる。襲い来る猛獣の鉤爪のごとく大きな孤を描き、四人に絡みついた。四人は一瞬だけ、おそらく本能で抵抗する素振りを見せた。しかしそれをすぐに押さえ込み、体勢を元に戻す。
契約内容を告げずに一方的に契約を結ぶ、【鎖の契約】の進化版、【桎梏の鎖】。それは主に大昔、有能な人物を国内へ縛り付けるために各国の国王がこぞって使用していたとされる魔法で、現在は『道徳に反した魔法である』として禁じられている魔法だ。けれどそれは神により禁じられた【禁術】ではなくただ単に法により定められているだけなので当然破る者は居て、現在は奴隷契約の際に使用される魔法となっているらしい。
この魔法の知名度は低いけど、職業柄、ここにいる人たちの大半は知っていたようで、醜い化け物でも目の前にしたように姉ちゃんを見た。いつものことだ。意図してなのか偶然なのかは分からないけれど、姉ちゃんはこういった人受けの悪い魔法を使うことが多い。
でも、少し考えてみればすぐに分かるはずだ。いくら道徳に反する魔法とはいえ【桎梏の鎖】は上級魔法。それを同時に四人に対して使えるという事実は素晴らしいこと。姉ちゃんは本当に、いい意味で規格外の人物であると、なぜ気づかないのだろうか。
なぜ、虫けらでも見るような目で──
「朝日」
姉ちゃんに名前を呼ばれた瞬間に、ボクの頭は晴れた。弾かれるように足を持ち上げ、駆け寄る。
「なに? 姉ちゃん」
姉ちゃんは、ゆっくりと言葉を紡いだ。声が響き、脳内を侵食されるような感覚が心地良い。
「そろそろ、帰った方がいい。私はここに残る」
「えっ」
ボクは息を吐いた。
「なんでっ? ボクも残るよ! 明日、一緒に帰ろうよ!!」
なんとなく、そう言われる気はしていたけれど、抗議しない選択肢はなかった。だって、家は一人だ。もしかしたらジョーカーが顔を覗かせに来るかもしれないけれど、ボクはそんなこと望んでない。むしろ拒否権があるならそれを使いたいくらいだ。意味もなく訪れることは無いからそれだけが救いかな。あいつは用事があるときにしか来ない。
それはともかく。ボクは姉ちゃんと一緒にいたい。別に寂しがり屋とかではない。そのはずだ。単純に、ボクにはタイムリミットがある。ボクの罪は遠くない日に裁かれる。ボクが犯した罪の全てを知っているジョーカーがボクを売らない保証なんてどこにもないのだから、その日はボクが思っているよりも近いのかもしれない。そのいつだか分からない日までに、どれだけの時間姉ちゃんと一緒にいられるのか。
わからない。
「だめ」
「なんでっ!!」
「朝日」
ボクの名前を呼びながら、姉ちゃんはボクの頭を優しく撫でる。
「言うこと聞いて」
むっとした空気を絶えず出していたけれど、流石にこれには逆らえない。ふわふわと浮くような高揚感に浸されて、もやもやしていた気分は消し飛んだ。
「わかったよ」
ボクは呆気なく引き下がり、姉ちゃんに背を向けた。
ただ、ほんの少しだけ嫌味を投下しておく。
「いつも隠し事ばっかり」
わざと聞こえるように顔をやや後ろに向ける。これくらいは許して欲しい。
予想通り、姉ちゃんは何も言わなかった。別にそれで構わない。何かを期待して放った言葉ではないのだから。
特に何かを思った訳では無いけれど、ボクは視界にあの三人を入れた。どうやら学園長と話しているらしい。真剣な、そしてどこか寂しげな面持ちで会話する様子を見ると、その内容は気にならないと言えば嘘になる。そうは言っても特別気になるという訳でもないので、すぐに前を向いて全身を再開した。
しかし。
「花園君は、無理を重ねすぎている」
学園長のこの言葉が、ボクをその場に縫い止めた。
35 >>262
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.262 )
- 日時: 2021/10/29 23:23
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: pgLDnHgI)
35
姉ちゃんの方を振り返ると、既にボクから目を背けてさっきの四人と何か話しているらしかった。そのことに少々嫉妬心を抱きつつ、この場に留まり続けても少なくともすぐには不審がられないと判断して、ボクは耳を傾けた。
「彼女は確かに君たちを信用してはいるけれど、気を許している訳では無い。むしろ君たちがそばにいることで心が休まるということは無いだろう。そしてそのことは私よりも君たち自身がよく分かっていることなのではないかな?」
気を許している訳では無い? それはどういう意味だろう。
「うん、わかった。じゃあ私たちはこのまま帰るよ。それでいいよね、リュウ?」
「……ああ。でも、たまに見に来てもいいかな?」
「もちろん。彼女もそれを望んでいるだろうしね」
ボクの脳内で、キィンと不快な高音が鳴った。
え? いや、おかしくないか? だって。
話し方が、砕けたものになっている。
『生徒と学園長』の関係であるはずなのに。確か、姉ちゃんは学園長に対してあまり敬語を使わないということは知っていた。けれど、あの三人は違うだろう? どういうことなんだ?
違うのか?
『生徒と学園長』では、ないのか?
そうだとしたら、なんなんだ、どういう関係なんだ? まさか学校外で接点でもあるのか?
わからない。
わからない。
「やあ、朝日君。今から帰りかい?」
思考に意識を向けていたせいで、学園長が近づいていたことに気づけなかった。学園長は右手を軽く振り上げて、ボクを現実へ引き戻した。
「聞いているかもしれないけど、日向君はしばらく帰らないと思うよ」
「は?」
ボクが反射的に言うと、学園長は苦笑した。
「……聞かされていなかったんだね」
そして、なんでもないことのように説明を始める。
「今日のことを含め、日向君の体には相当の負担がかかっているだろうからね。学園が再開するまでの間はここで休むように言ってみたら、良い返事が返ってきたんだよ」
でも、ボクにとってはなんでもないことではない。
「なにそれ」
低い音が喉を震わせ、ボクは首を捻って姉ちゃんがいた場所に視点を合わせた。
しかし、既にそこに姉ちゃんはいなかった。それなりの人数いた兵士たちも何組かに分かれて、移動を開始している。
「なに、それ」
もう一度、同じ言葉を繰り返す。
姉ちゃんに会えない。これから、しばらく。
ぐっと歯を噛んだ時、ギリっと小さく音がした。爪が手の平に喰い込む。
まだ遠くには行っていないはずだ。最終手段として気配を探って見つけ出すという手もある。今から行けばまだ間に合う。姉ちゃんの元へ、行きたい。
でも。
ボクは首を正面に戻した。進行方向を変えることなく、元々予定していた通りに足を進める。
「あれ、帰るの?」
スナタがボクに近づいて、そう声をかけた。特に意図らしい意図は見受けられない。偽っても仕方の無いことなので、ボクは頷くことで肯定の意を示す。
「そっか。もう夕方だもんね」
言葉を告げつつ表情を笑顔へと変えて、スナタは言った。
「また会えるといいね」
何か引っかかりを抱きながら、その正体を掴めなかったボクは肯定的な返事をした。
「はい。では、またいつか」
_____
バケガクを出てから十数分。広大な面積を誇りかなり離れた場所からでもその姿を見せるバケガクがようやく見えなくなってきた頃、ボクは呟いた。
「出てきていいよ」
肩から提げた鞄がごそごそと震え出し、中から小さな小さな手が覗いた。
黄や黒が入り交じった、跳ね毛だらけの髪がぴょこんと飛び出し、牙が四本生えた口は盛大なため息をついた。
『あーッ! 疲れたああ!!!』
「悪かったよ」
『悪かったよ、じゃねえよ! 息が詰まって死ぬかと思ったんだからな!』
針葉樹のように鋭い、黒い瞳を宿す目がさらに眼光を鋭くしてボクを睨んだ。
「仕方ないだろ。あの場に誰がいたか、分かってる?」
『わーってるよ。オレサマだって死にたいわけじゃない。お前がオレサマを出さなかったとか以前に、オレサマが出ていかなかったんだ。だけどな』
とにかく文句を言いたいらしいビリキナは、体を完全に鞄から出した。陽炎のようにゆらゆらと不安定に揺れる黄色の羽根がボクの視界を横切る。
『あんなにずっと誰かと一緒にいることないだろ?! 少しくらいオレサマが出られる時間を取れよ!「ボクが良いって言うまで出てこないで」っていうから前半大人しくしておいてやったら、後半はお前はちっとも一人にならなかったし! 何考えてんだよ!』
ビリキナが気まぐれを起こしてくれて助かった。たまに言うことを聞いてくれるんだよな。このうるさいのがある中でのバケガク侵入は不可能だったに違いない。
「機嫌直してよ。新しいお酒開けてあげるから」
精霊という生き物には、それぞれ食べられるものが決まっている。それは自らを回復させるための力を補給できる食べ物が定められているからだ。だから、別にそういった食べ物しか口に入れられないということではなく、単に味を楽しむことを目的として食べることももちろんある。ビリキナの場合、『食べなければいけない食べ物』はぶどうだが、好物はワインらしい。ちなみにワインがぶどうから作られているということで、ワインからでも微量ながら自身を回復させる力を補給できるらしい。
『へえ。お前からそう言うなんて珍しいな』
先程の一言ですっかり機嫌を直したビリキナは、ボクの肩に腰をおろした。
酒は、ジョーカーがたまに持ってくる。未成年であるボクが酒を買うことは難しいからだ。それと、ビリキナ曰く、ジョーカーが持ってくる酒の方が、ボクがわざわざ他大陸へ行って買ってくる酒よりも美味しいんだそう。そんなことを言われたら長時間かけて買いに行く気も失せてしまって、ボクの手持ちにはジョーカーから貰った酒しかない。
『そうと決まればさっさと帰ろうぜ!』
「急かさないでよ」
ギャーギャーとビリキナが喚くものだから、ボクはほうきを飛ばす速度を徐々に上げた。夕日が完全に沈んでしまう前には自宅に到着し、鍵を開けて中に入る。
『ほらさっさと開けろよ、酒を』
玄関に立った瞬間にビリキナが言った。
「ちょっと待って。確認しておきたいことがあるんだ」
『あ? ああ、どうせあれだろ? 早く済ませるぞ!』
「わかったから」
手洗いとうがいを済ませてから、二階の自室に戻る。ベッドの上に鞄を置いて、クローゼットに隠してあった大きな直方体の箱を取り出す。目算二十五センチほどの箱を勉強机の上に置いて、がちゃがちゃと各部をいじって蓋を開ける。
「やあ」
ボクは中にいた二人に声をかけた。返事はない。当然だ。
一人は卵型の半透明の闇色をしたカプセルに入っている、小さな女の子。容器の中には特殊な液体が満ちており、それに浸された状態だ。クリーム色の髪は僅かに肩から浮き上がり、毛先は少し黒に染まりつつある。白い肌もやや黒ずんできており、表情は苦痛にゆがめられて、目は固く閉じられている。本当なら緑の瞳にも色に変化があるのかどうか確認したいけれど、叶いそうにないかな。ああでも、羽根の変化が見られた。淡い緑の羽根はだらんと垂れて、輝きを失っている。
もう一人は、捕まえた時と変わらず拘束具をつけていることとこの箱に閉じ込めていること以外には特に何もしていない。けれど食べ物も何も与えていないから、衰弱しきっている。紫色の髪はボサボサで、ところどころに抜けてしまった数本の毛がばらまかれていた。琥珀色の瞳からは光が抜け落ち、カサカサに荒れた口はヒューヒューと渇いた息を吐いていた。
二人とも、言葉を発する余裕なんてないだろう。
「うーん。
ビリキナ、魔力を流してもらえる?」
『わかった』
ボクが言い終わるよりも前に、ビリキナはリンの前まで飛んで手をかざした。
『こんなもんかあ?』
カプセルの周りに浮く黒い粒子が一定数増えたのを見て、ビリキナは魔力の供給を止める。
「いいんじゃないかな。じゃ、行こうか」
蓋を閉めて、再び箱をクローゼットにしまう。
『あーあー、お前も堕ちたなー』
面白そうに言うビリキナに、ボクは言い返した。
「これは全部、ボクの意志だよ」
第一幕【完】
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.263 )
- 日時: 2022/01/08 09:02
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: wNoYLNMT)
1
『学園再開のお知らせ』
大きく見出しにそう書かれた、先週届いたプリントを手にし、ボクは溜め息を吐いた。
登校再開日になったけど、結局、姉ちゃんは今日まで帰って来なかった。流石に今日は帰ってくるかな?
『ったりーな、学校なんて。サボっちまおうぜ』
「馬鹿なこと言ってないで、ほら、かばんの中に入ってよ」
家において行くと、ビリキナは何をするかわからないから、いつも出掛けるときは連れて行っている。かといってボクの契約精霊が闇の隷属の精霊であることが知られるのはあまり良いことではないので、ビリキナにはたまにかばんの中で過ごしてもらうことになる。ビリキナはそれが嫌らしい。別にずっとってわけでもないのにな。
『別にかばんの中に入らなくてもいいだろ。このまま行こうぜ』
「えー」
ボクは数秒悩んだ末に、ビリキナの希望に沿うことにした。姉ちゃんのように【精眼】を持っている人なんてそうそういないし、登校中だけなら大丈夫だろう。
「じゃあ、大陸を抜けるまでは入っててよ」
『へぇへぇ。わーってるよ』
大陸ファーストの住民には、エクソシストや呪解師や、とにかく『闇』に対抗する力を持った家系や種族が多い。もちろんその中には『闇』の存在に敏感で、近くを通るとそれを感知する能力を持った者もいる。
万一に備えて。それはビリキナも理解している。こいつは自由奔放で自分勝手だけど、馬鹿じゃない。
「行こうか」
ボクの言葉を合図にビリキナはかばんの中に滑り込み、ボクは玄関のドアを開けた。
戸締まりを終えて、ほうきにまたがる。ほうき乗りは昔から何度も何度も繰り返している魔法なので、無詠唱で行使することが可能だ。ふわりと腹が浮くような感覚がして、ボクは宙に飛び出した。
うっすらと膜を張ってあるような大陸を取り囲む結界は、ボクにとって見慣れたものだ。これは古代から神々の祝福と結界の守を任じられた家系の者によって維持され続けているものだ。しかし、近年その役割は機能しているように思えない。本来この結界は、大陸ファーストに何者も踏み入れられないようにするため、大陸ファーストの住人を外に出さないための『壁』であり『檻』だった。世界の終焉に耐えるための、『砦』であった。選ばれし民を滅びた世界の果てに連れていくための、神が用意した『箱舟』。
でも、以前笹木野龍馬が易々と入ってきたのもそうだけど、結界が役割を放棄しているように思える。結界が弱まっているのではなく、結界自体が機能を停止しようとしている──姉ちゃんは昔、そんなことを口にした。
厳格な制約の元、絶対の監視の元、閉じられた世界でのみ生きていた大陸ファーストの住人は、今や自由に海を渡り、気ままな生活を送っている。守の一族はあくまで『結界の守』を司っているのであり、住民の行動の制限の権利を神から賜っていない。結界、つまり神が人の行き来を止めないのであれば、守の一族はそれに対して何も口を出すことは出来ないのだ。つまり結界は形のみを維持しているだけで、その意味を持っていないということになる。
ただし、姉ちゃんは先日の笹木野龍馬の来訪を無かったことにしている。具体的には、あの時笹木野龍馬を見た全員の記憶をねじ曲げているのだ。その理由は『余計な混乱を避けるため』。結界は往来を禁じるものではないが、それでも悪意ある者の侵入を拒む。ボクたちにとって『悪』の象徴である闇に従属する民の侵入は口煩い上のやつが騒ぐ可能性がある。姉ちゃんはあくまで、笹木野龍馬が余計なことに巻き込まれることを懸念したのだ。
じゃり、と口の中の砂を噛み潰し、膜に触れる。結界は表面を波打つことすらせずに、抵抗なしにボクを外界へと放った。
『もういいよな?』
ボクの返事を待たずに、ビリキナは空中をくるくると回った。ぐぐっとと背伸びをした後に、ぽすんとボクの肩におさまる。
『たまには暴れてーなー。お前はそう思わねえのか? いつもちまちました地味な作業ばかりしてよ』
ビリキナの言うことも、まあ、理解は出来る。真白への誘導といいリンの『悪霊化』の件といい、成功するかも分からない気長なことばかりジョーカーは指示してくる。いや、正確にはジョーカーの上司? だけど。
真白は簡単に堕ちた。呆気ないほどだった。もっとはっきり言えば、扱いやすかった。一目見て、飢えているとわかったからそこにつけ込んだ。優しくして親切にして、引いてから押して、押してから引いて。邪魔な契約精霊を引き剥がしたらあっという間に転がり堕ちた。勝手にボクへ特別な好意を持ったのは想定内で好都合だった。
姉ちゃんほどではないにしろ、ボクは外見が整っている自覚はあるし、愛想を振りまくのも得意だ。恋心を抱かれる経験は少なくないし、それ故に真白がボクに恋心を抱いているのはすぐに分かった。
あとになって、ジョーカーから任務の成功と真白の精神的な死が告げられた。真白は、『嫉妬』の悪意と相性がいい状態にあり、真白をそうしたのはボクだとあいつは言ったが、その部分はあまりよくわからなかった。
問題は、リンだ。仮契約とはいえ姉ちゃんの契約精霊なだけあって、なかなか堕ちない。そういえばジョーカーは、精霊の悪霊化の実験は、かなり大昔から行われているものだと言っていた。
そして、その実験にジョーカーが加わったことにより成功率が上がっていて、姉ちゃんの契約精霊に手を出すことにしたのも、ジョーカーが関わっているからだという面が大きいと、あいつ自身が語っていた。
「ボクの目的は姉ちゃんを知ることであって、暴れることじゃないからね」
『つまんねーやつ』
「というか、一昨日ダンジョンに行ったばかりじゃないか。せめてあと二週間は我慢して」
『じゃあ二週間後に暴れようぜ! よし、決定!』
やれやれとわかりやすい溜め息を吐いたが、ビリキナは無視した。いつものことだと諦めて、ボクはほうきを握る手に力を込めた。
2 >>266
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.264 )
- 日時: 2021/12/24 20:11
- 名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: tVX4r/4g)
お久しぶりですぶたさん。ベリーです。合作以来ですね。
久しぶりにバカセカに来てみたところ沢山更新されていて一気読みいたところです。毎回思うのですが、やはりぶたさんの描写は細かく、違和感がない文で、その文才が羨ましいぐらいです。
世界観も面白く、ぶたさんの影響で新しい作品に挑戦してみようと思いました。「神が導く学園生活」ですね。
すみません途中から私事になってしまいました。これからも応援しております!更新頑張ってください!
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.265 )
- 日時: 2021/12/25 23:01
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: jBbC/kU.)
>>264
ベリーさんお久しぶりです!
こんなに長いバカセカを読み続けてくださっていること、とても嬉しく思います。ありがとうございます。
羨ましいなんて、そんなそんな……照れますね。
「神が導く学園生活」ですか、興味を引かれる題名ですね。読んでみます!私に影響されてというのがまた嬉しいですね。
バカセカも最終章に入り残り短くなってしまいましたが、これからもバカセカをよろしくお願いします!!
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.266 )
- 日時: 2022/01/08 09:01
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: wNoYLNMT)
2
ボクが教室に入ると、賑やかな雰囲気が激変する。静まり返った空気の中、ボクは真っ直ぐに自分の席に向かって歩く。
「おはよう、ゼノ」
戸惑いの色を浮かべていたゼノだったが、ボクがそう声をかけると、少しだけ緊張が緩んだように微笑んだ。
「うん、おハよう」
ゼノイダ=パルファノエ。ボクが唯一交友関係を持つ女子生徒。
「アサヒ、元気にしテた?」
「肉体的には健康だったかな」
「なにカ、アったノ?」
「うん。あとで話してあげる」
教室だと人目がある。いまボクたちの周りで小声で話されている内容は、きっとこの間のバケガク校舎崩壊事件のことだろう。あれは、先日生徒会長が王位継承権を正式に剥奪されたこともあって、世界中で話題になっている。生徒会長は父王に「あの場所には、天陽族の花園日向と、吸血鬼族の笹木野龍馬、そして悪魔と化したバケガク生徒の真白がいた」と話したらしい。それを受けて自宅には本家からの呼び出しの手紙が来た(まだ姉ちゃんには見せていない)し、笹木野龍馬も当主から尋問されたらしい。
けれど、笹木野龍馬は何も語らないと新聞記事には書かれていた。生徒会長は悪魔(真白)がかけたと思われる呪いによる不治の病とやらで深い眠りについているらしく、情報源が笹木野龍馬しかないようで、記者やら貴族やらは笹木野龍馬が属する家に圧力をかけたそうな。すると今度はその家の当主が外部からの圧力を疎ましく思い、世界各国の王族貴族と冷戦状態になったとか。それによってさらに情報が入手しづらくなり、頭を抱える連中も少なくないという。
ああ、いや、元生徒会長だな。たしか今はエリーゼ=ルジアーダが代理で生徒会長をしているんだった。来年度に向けて近々生徒会総選挙が行われるまでの短い任期ではある。しかしその生徒会総選挙に向けて勢力争いが勃発していて、現生徒会長は問題行動をする生徒の鎮圧に奔走していると聞いた。ここ二、三年は元生徒会長が生徒会長を務めていたためその席を争う者は少なくなっていたが、席が空いたことにより再び争いが起こってしまった。さらにしばらく大人しくしていたため、その数年分の蓄積が爆発してしまい、酷いときだと分単位で問題が起こるようになってしまったという現状だ。
世界中でもバケガクでも、面倒くさいことになっている。
「あトで……っことは、また一緒二オ昼ごはんを食べらレルの?」
「うん。そういうこと」
ゼノは胸の前で手を組み、はにかんで見せた。
「うれシい。ありがとう」
何もお礼を言われるようなことはしていない。そう思いつつ、ボクは言う。
「どういたしまして」
こうしてボクらがいつもの日常会話をしている間も、周囲のざわめきは止まない。
──面倒くさいな。
でも、反応するのも面倒くさい。あいつらと会話をしてもボクに利益なんてないんだから、無駄でしかないし。
大丈夫。いつものことだ。いつものように耐えればいい。耐えることは得意だ。何故? 何故ボクが耐えねばならない? あんなやつらのために、ボクが、何故。
不快感は増すばかり。だけど不安そうにボクを見つめるゼノを見て、少し気が落ち着いた。
「大丈夫だよ。いつものことだ」
今度は、ゼノの表情は晴れなかった。ボクに合わせて、無理に笑ったようだった。
キーンコーンカーンコーン……
始業のベルが鳴る。入ってきた担任は、なんとなく感じる居心地の悪さに首を傾げていた。
3 >>269
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.267 )
- 日時: 2022/01/03 02:13
- 名前: げらっち (ID: 10J78vWC)
はじめて本スレにお邪魔します!雑談掲示板で干されたので!(オイ
自称バカセカファンのゲラッチです。
全部読んでいますし、これからも読みます。ひと段落着くたびに感想を投稿しようと思います。
目に異常って大丈夫……?
私も目は大分悪いが。
スナタって筋肉質だったのか!可愛いぺろぺろ
メイン4人の身長など知りたいな……?
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.268 )
- 日時: 2022/01/03 22:08
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: oQuwGcj3)
いらっしゃいませ!
いつも読んでくださり、さらに感想も言ってくださり、本当にありがとうございます。
目に関しては、現在は落ち着いています。
スナタ可愛いですよね……まて、スナタはギリギリロリじゃないと思うぞ。ぺろぺろするんじゃない。ウチの子に変なことしないでください。
身長等は雑談板のみずかれにて、後日キャラまとめを一人ずつ投稿する予定ですので、良かったら見てください!
ありがとうございました。
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.269 )
- 日時: 2022/01/15 09:38
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: SgaRp269)
3
「朝日くん、ちょっと」
昼休み。昼食をとるためにゼノと一緒に移動しようとした直後、そう声をかけられた。
えっと、誰だっけ。喉につっかかってすぐに名前が浮かばない。
一束にまとめた緑の髪。金の瞳。尖った耳。エルフか? ボクよりも小柄だから、可能性はある。
いや、違うな。〈アビアの一族〉だ。思い出した。種族精霊の一つである正真正銘の妖精。学級委員をしているアビア=カシェだっけ?
「なに?」
話したことがあるかも分からないし、話しかけられるようなことをした覚えもない。今朝のことを考えると姉ちゃんのことかもしれないとふと頭をよぎったが、そのことでわざわざボク個人に話しかけてくるとは思えなかった。
「今日の放課後、空いてるかな? むりなら、明日でもいいんだけど」
「空いてるよ。ボクに何か用?」
「うん。ちょっと、ね。そのまま空けておいて欲しい。放課後この教室で、先生も交えて話したいことがあるんだ」
「先生と?」
ますます訳が分からない。先生と話すことなんてあったかな。一応ボクは優等生で通しているし、真白の件ならいちいち学級委員やら担任教師やらと話さずに一気に『そういう』機関に連れて行かれるだろう。
「わかった。で、何を話すの?」
「それは……」
カシェはボクのそばにいるゼノを見た。なるほど、聞かれたくない、か。
「休み時間が無くなるから、ボクたちはもう行くね。行こう、ゼノ」
返事も待たずに歩き出すと、ゼノはボクについてきた。後ろから、緊張が緩んだような溜め息が聞こえた気がした。
「どこで食べる?」
「えっと、裏の森の、あそこ」
「わかった。なら、ちょっと急ごうか」
入学したての同クラス内ではあまり知られていないが、裏の森には休憩所のような場所がある。森の向こうに移動するときや図書館に行くときに使う道からはやや外れているため、多くの生徒が見落としている穴場だ。それに、あそこに行くには道なき道を歩くことになるし、何より遠いから、あそこを知っている人もあまり来ない。ボクらだって人のことは言えない。あそこで食べるよりは屋上なんかで食べることの方が多いのだから。
正面玄関から校舎の外へ出ると、『四季の木』周辺に人が集まっていた。賑やかな昼食の時間を楽しんでいる。でも、ここ最近冷えてきたからかいつもより人の数が少ない。昼食を終えてそそくさと校舎に入っていく人がいるのも、ちらほら見える。
「アサヒ、さムくない?」
ゼノは〈コールドシープ〉という種族で、北国出身らしく、寒さに強いらしい。その代わり、夏は基本バテていた。
「平気だよ」
ボクは感情が欠落している。寒いも暑いも、認識はするけど『感じない』。寒いとは思うけど、だからと言って何も無い。
『平気』。その言葉に、嘘はない。
校舎から離れるにつれて、人通りも少なくなり、やがて一人も通行人を見なくなった。ボクらは整地された道を外れて、がさがさと草を分ける。だけど別に全く道がないとかではなく、草が踏まれた跡が道の役割をこなしているのだ。非常にうっすらであるのと、周りの風景と同化しているのとで、見えにくいだけで。
「ふぅ」
ゼノが息を漏らした。目的地に到着して、無意識に出たものだろう。疲れたというような表情はしていない。怪物族だからか、体力なんかはかなりあるということを、しばらく一緒に過ごしてみて知った。
そこは、綺麗な場所だった。
木漏れ日が森の中を優しく照らし、金色の光を反射させる白のガゼボを浮かび上がらせている。ガゼボにはつるが巻きついていて、空色の蕾をつけていた。
周りの風景も合わせて、まるで一つの芸術作品であるかのように、そこに存在していた。
そこに、見知った影が一つ。
「姉ちゃん?」
静かに存在を主張する美しい金の髪が、ふわりと揺れた。冷たい空気が髪をやわらかになびかせ、振り向いた姉ちゃんの横顔を露わにする。
隣でゼノが息を止めたのを感じた。ぎゅっと拳を握りしめ、体を強ばらせているのがわかる。
なんの感情も浮かばない、虚ろな白眼がボクを捉える。
「どうしてここにいるの? ほかの三人は、今日は一緒じゃないんだね」
昨日までに帰って来なかったことについて文句でも言ってやろうと思ったけれど、やめた。そんなのどうでもいいや。ボクは走り寄って姉ちゃんの横に腰掛ける。
「龍馬は、登校してない。蘭は先生から呼び出されて、スナタから『たまには別々で食べよう』って言われた」
「そうなんだ。じゃあ、ボクたちと一緒に食べようよ!」
姉ちゃんは数秒止まった。多分、ボクの口から「ボク『たち』」という言葉が出たことと、ゼノの意志を確認せずに言ったことについて考えているのかな。
「ね! ゼノもいいよね?」
ボクがゼノを見ると、ゼノは一瞬固まって、そしてブンブンと首を縦に振った。
「ならおいでよ。座って食べよう」
ボクが駆け出した時に居た場所から全く動かないでいたゼノに声をかけると、ゼノはあわてて駆け足でガゼボに近寄った。そして大回りをして、姉ちゃんがいる場所とは正反対の入口から中に入り、三十センチほどの間隔を空けてボクの隣に座った。
ゼノの手は小刻みに震え、表情は未だに硬い。そんなに緊張しなくてもいいのにな。
「ああ、そうだ。姉ちゃん、紹介するね。ボクの友達の、ゼノイダ=パルファノエ。姉ちゃんのファンなんだってさ」
「アサヒ?!」
ボクが言うと、ゼノは弁当箱を開けようかとまごついていた手を滑らせて、危うくそれを落としそうになった。間一髪で拾ったようだから、大事は起こってない。
「ファン?」
姉ちゃんが首を傾げると、ゼノがアワアワと口を開く。
「あっそノ。えっと、えッと!」
しばらく見ていると、息もまともに吸えていなかったようで、喉に手を当てて小さく咳き込み始めた。ゼノが先に何かを言うのを待っていた姉ちゃんだったけれど、見かねたのか、口を開く。
「貴女のことは、覚えている」
「アッ」
ゼノは突然立ち上がり、姉ちゃんの前に移動して、深々と頭を下げた。大柄であることを気にし、膝をついて、頭の位置が姉ちゃんの頭よりも低くなるようにして。まるで土下座のような格好だ。
「先ジツは、失礼しました!」
先日? 姉ちゃんとゼノは、面識があったのか?
「怒ってないし、その事でもない」
姉ちゃんはベンチから降りて、ゼノの顔を覗き込んだ。
「服が汚れる。とりあえず、立って」
至近距離に姉ちゃんの顔が来たゼノは顔を真っ赤にして、勢いのままに立ち上がった。少し頭がふらついている。
「私が言ったのは、貴女自身のこと。貴女が入学した時のこと、貴女がここに入学した理由、それから、ある程度の経歴。私も貴女と同じように、貴女に興味を持っていた。一番興味があったのは、貴女の姉であるけれど」
「わたしと、同じヨウに?」
「正確に言うと、思い出した。貴女の名前と顔と、それから〈呪われた民〉の本を大量に読み漁るというその行動を、どこかで確認した覚えがあった」
「そう、ナんでスね」
「〈呪われた民〉についての知識は、既に脳に蓄えがあるはずなのにまだ調べているということは、それは姉ではなく私に関することと予想した。何年も経ったいまでもそれを続けているとは思わなかった」
「それは、ソノ、なんトナく、習慣づいてしまって」
もじもじと手を動かして視線を泳がせるゼノに、姉ちゃんは続ける。
「貴女が朝日と知り合いということには、正直驚いた。だけど、朝日の友人が貴女であることは、嬉しい」
そして姉ちゃんは、表情を変えた。冷たい瞳はそのままに目を細め、口で弧を描いた。微笑んだ。
花のような、しかし華のようではなく。言い表すなら、百合、そして、向日葵。聖女のような清らかさと、太陽と形容するほどの眩しさは無いもののそれと同様の暖かさを持った、微笑だった。
息が、止まった。脳が耳から入る音を一切認識しなくなる。
重くも軽くもない静けさの中、姉ちゃんの声だけが、涼しげに響く。
「朝日を、よろしく」
心臓が、どくどくと音を鳴らす。周りは静寂ではあるものの、さわさわと、草木が擦れ木漏れ日が揺らめく音がする。
時間が止まったのは、ほんの数秒のことだった、
ゼノも顔を真っ赤にして、口を開けたり閉じたりしている。
「ひゃい……」
絞り出した言葉は、なんとも情けないものだった。
4 >>274
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.270 )
- 日時: 2022/01/08 10:58
- 名前: 謎の女剣士 ◆7W9NT64xD6 (ID: b.1Ikr33)
は、初めましてですね。
早速読みました。
朝日くんを宜しくと言うお姉さん、優しいですね。
いつもの3人は、仕方ないですね。
一緒にいる人も素直に謝っていて、お姉さんは許してくれましたね。
何があったにしても、ほのぼのしてていいです。
時々ですが、また来ます。
続きを楽しみにしてますね。
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.271 )
- 日時: 2022/01/10 08:00
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: eK41k92p)
>>270
感想ありがとうございます。
そうなんです。日向は優しいんですよ。あまり知られてないことかもしれませんが。
第三章、そして第四章第一幕でバタバタしていたので、みんな忙しいんですよね。もう一度四人揃ってゆっくり昼食をとれる日は来るのでしょうか。
許したというか、そもそも日向はあの時のこと、既になんとも思っていませんでした。それでもちゃんと謝ったゼノ、えらい!
そうですね、この辺りはまだほのぼのとしています。ここからどんどんシリアスに走りますのでお楽しみに!
続きを楽しみにしているという言葉、とても嬉しいです。
感想ありがとうございました!
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.272 )
- 日時: 2022/01/13 18:01
- 名前: げらっち (ID: AQILp0xC)
最初からもう一度読み直しています。わかって読むとそれもまた面白い!
1回目に読んだとき見つけて、その後見失っていた誤字を発見しました。
>>24の最後 リンに行った。→リンに言った。
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.273 )
- 日時: 2022/01/14 20:06
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: l2ywbLxw)
>>272
誤字報告ありがとうございます。訂正しました。
面白いというお言葉、とても嬉しいです!これからも頑張ります。
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.274 )
- 日時: 2022/01/22 10:11
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: feG/2296)
4
姉ちゃんは笑顔をすぐに消して、ベンチに座りなおした。それを見たゼノも再びボクのとなりに腰を降ろして、ボクたちの顔をチラチラと見ながら、おずおずと弁当を広げる。
「姉ちゃん、いつ帰ってくるの?」
ボクは尋ねた。姉ちゃんは口に含んだ食べ物を飲み込んでから、返事をする。
「まだ、帰れない」
なんとなくそんな気はしていた。予想はしていた。だけど。
「いつ、帰れる?」
姉ちゃんの制服の袖を、ぎゅっと掴む。こうしていないと、もう二度と姉ちゃんに会えないような気がして、不安なんだ。
同じ家に住んでいてもあまり顔を合わせないのに、姉ちゃんが、もう家に戻ってこなかったとしたら。思えば姉ちゃんは、『白眼の親殺し』の一件があって以来、ボクと距離を置こうとしている。姉ちゃんが事件の犯人だと世界中が勘違いしたそのスピードは驚異的なものだった。
まるで、前々から計画されていたかのように。
当時はあまりにも物事が早く過ぎ去ったから、両親を失ったショックからまだ抜け出しきっていなかったボクは、時間の渦に呑まれるしかなかった。そして気がついた頃にはボクはじいちゃんの家に居て、姉ちゃんとの接触禁止が言い渡されていた。姉ちゃんのいなかった八年間は、なにもかもが空っぽだった。花園家当主の孫だからと、甘やかされるか、媚びを売られるかの繰り返しの日々。幸せなんて、どこにもなかった。
喉の渇きにも似た飢えを、いつまで経っても満たせない。溺れているかのような息苦しさと、それから、それから、……なんだっけ。
自分の望みもわからなかった。育った環境があまりにも哀れだからと周りの大人はボクをとことん甘やかした。欲しいものはなんでも買って貰えた。姉ちゃんに会わせてもらうこと以外なら、じいちゃんやばあちゃんはなんでも叶えてくれた。それじゃ足りなかった。じいちゃんもばあちゃんも他の大人も、ボクを道具としか見てなかった。じいちゃんとばあちゃんから生まれた母さんはばあちゃんに瓜二つの容姿で生まれ、花園家の子供としては欠陥品だった。母さんと父さんの間に生まれた姉ちゃんは白眼を持っていて、ボクはやっと生まれた成功作だった。
大人たちが見ていたのは『ボク』ではなく、ボクが持っていた容姿と能力と花園家当主になる資格だった。ボクを愛していたのではなく、ボクを利用する機会を伺っていたのだ。じいちゃんとばあちゃんはまだマシだったけど、そうであってもボクと姉ちゃんを差別していることが許せなかった。
心を許せる人が一人としていなかった。姉ちゃんだけだった。ボクを『ボク』として、弟としてそれ以上でも以下でもなく真正面からボクを見て、そして受け入れてくれたのは。ボクには姉ちゃんしかいなかった。それと同時に姉ちゃんにもボクしかいないはずだった。そうでなければいけないはずだった。
『勘違いしない方がいい。日向ちゃんはボクらのものだ。他の誰でもない、ボクらの』
ジョーカーの言葉が脳裏に浮かんだ。
姉ちゃんは独りじゃない。笹木野龍馬がいて東蘭がいてスナタがいる。ジョーカーだって学園長だって、ボクの知らない姉ちゃんを知っている。姉ちゃんには、ボク以外の誰かがいるのだ。
「わかった。明日、帰る」
頭上から姉ちゃんの声がした。ボクが掴んでる方とは逆の手でボクの頭を姉ちゃんは撫でる。
「元々は今日帰るつもりだった。予定を変更したのは、様子見しなさいって学園長に言われたってだけだから」
「ほんと?!」
ボクは顔を上げて姉ちゃんを見た。
「うん」
嘘は言ってない。じっと顔を見つめてそれを理解し、ボクはやっと安心出来た。
「待ってるからね」
ボクが言うと姉ちゃんは頷き、少ない荷物を持って立ち上がった。それに合わせてボクも手を離す。
「それじゃあ、私は戻る」
「うん、じゃあね!」
引き止めたってどうせ意思は変えないだろうから、ボクは笑顔で手を振った。横でゼノもぺこりと頭を下げる。姉ちゃんは特別なアクションはとらず、静かに去っていった。
姉ちゃんの姿が見えなくなって数秒後、ゼノは大きくため息を吐いた。
「はー、ビっくリシた」
「どう? すごいでしょ、姉ちゃんは」
にやにやしながら聞いてみる。ゼノの手はまだ震えていて、顔も赤い。
「ウン、すごい。やっパりキレイ。雰囲気も静かでガラスざイクみタいで、エット、エット」
今度は興奮で頬を紅潮させ、両手を拳に握ってボクに語る。
「ソレに、笑顔がステキだった。あんナカおもするンダね」
あまり姉ちゃんを自慢出来る機会はないので、ボクは何度目かも分からない姉自慢を再びゼノに繰り広げる。
「そうなんだよ! 姉ちゃんはまず、とにかく美人なんだ。髪は陽の光に当たるとキラキラ光って、伝説上の、天使族みたいなんだ。昔は仲のいい人には『アンジェラ』って言われたりしてたんだよ。日常的に呼ばれてたんじゃなくて、たまに冗談めかして、だけど。それでね、頭もいいんだよ。魔法の公式は全部頭に入ってるし、今現在提唱されている、例えば魔法障害なんかの原因の仮説とかも沢山知ってるんだ。筆記のテストは、どうしてかは分からないけど手を抜いてるみたいで成績は良くないらしいけど。
魔法の才能もあってね、ボクなんかじゃ足元にも及ばない。二歳や三歳でほうき乗りをマスターして、五歳の頃には既にダンジョンに潜ってたんだってさ」
姉ちゃんは冒険者登録をしていて、ランクはCだ。以前何度かギルドカードを見せてもらったことがある。実力は明らかにAかSなのにどうしてCランクに留まっているのか尋ねたところ、ランクを上げるにはいくつかの条件があるらしく、そのうちの一つに〈ランク認定試験〉というものがあると言っていた。それを受けなければいくら経験値を貯めてレベルを上げようとランクを上げることは出来ないシステムになっていて、姉ちゃんはその試験を受けていないからCランク止まりなんだとか。
姉ちゃん曰く、ランクを上げ過ぎると世間から冒険者としての名が売れてしまい、自分が白眼であることも関係して、逆に冒険者として動きにくくなってしまう恐れがあるらしい。姉ちゃんはお金を浪費するタイプではないからCランクで受けられるクエストをこなせばそこそこのお金は貯まるから問題は無いと言っていた。『白眼の親殺し』からの八年も、学園からの援助も受けつつ経済面はそうやって補ってきたそうだ。
「それにね」
楽しそうにボクの話を聞いてくれるゼノに、ボクは言った。
「姉ちゃんは、とっても優しいんだよ」
5 >>275
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.275 )
- 日時: 2022/07/25 08:13
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /p7kMAYY)
5
「ねえねえ、アサヒ。それデ、なにガあっタノ?」
ボクの姉自慢を聞き終えて、ゼノが言った。
「あ、そうだね。ごめん、今から話すよ」
忘れていたわけではない、というのは、嘘といえば嘘だし、嘘じゃないと言えば嘘じゃない。姉ちゃんに会ったことで意識の隅に追いやっていたのは否定しないけど。
「どこから話せばいいかな」
どこまで話せばいいかな。
姉ちゃんは確実に、先日バケガクで起こったことを秘密にしたがっていると思う。その場にいた全員が口封じの契約を結ばされていたことからもそれは明らかだ。でもボクは契約を結んでいない。ボクはあの日何があったのかをゼノに伝えることが出来る。そういえば、学園長も姉ちゃんも誰も、どうしてボクに口封じをしなかったんだろう。契約はおろか、口外するなとも言われていない。
「ゼノは、どこまで知ってるの?」
真白のことから話さないといけないのかな。
「確かバケガクの生徒が悪魔化して、校舎を破壊シタんだよね? それで、そノ場には花園先輩と笹木野先輩がイテ……エット」
なるほど、その辺りか。
まあ、ボクも真白が暴走した時のことは知らないんだよね。
「そうだね、その辺りはボクも詳しく知らない。あの時は知っての通り、学園長の【転移魔法】で広場にいたからね」
そして確か、ゼノは図書室に居たんだっけ?
「うん、覚えてル。あの日アサヒと合流デキテ、スごく安心した」
「ゼノ、少し涙ぐんでたもんね」
くすくすと笑いながら言うと、ゼノは顔を真っ赤にして黙ってしまった。
「ボクが知ってるのは、バケガク修復について。ほら、校舎を見てご覧。真白先輩が暴れてバケガクが崩壊したはずなのに、まるで何事も無かったかのように元通りでしょう?」
「アッ、それ、噂にナッてたよ。《バケガク万の謎》でしょ?」
急に出てきたゼノの言葉に、ボクは首を傾げた。
「なにそれ?」
「シラナイの?
そっか、アサヒはバケガクに入学して一年目だもんネ」
ゼノはバケガクに入学して六年めになる。姉ちゃんや真白もそうだけど、退学しない限り、Ⅴグループの生徒は在学期間が長い場合がほとんどだ。それは他種族の生物が在学するバケガク故の進級システムが関連する。
まず、希望者は年度末に進級テストというものを受けることが出来る。その結果次第で進級、飛び級が可能だ。このテストはペーパーテストだけでなく、魔族は魔法実技試験も加わる。バケガクは魔法が全てという考え方ではないのでそれ以外にも進級する方法は無くはないが、基本はこうだ。
そしてその『テスト以外で進級する』方法の一つに、『在学日数』というものがある。在学日数が三年になると進級テストの合格基準点が下がり、進級しやすくなる。在学日数が五年になると、進級テストがペーパーテストか魔法実技試験のどちらかだけ、あるいは合格基準点をさらに下げることが出来る。
在学日数が十年になると、自動的に進級出来る。
寿命の短い種族だともう少し間隔が短くなったり、個人の能力によって例外として多少変わったりするけれど、原則としてはこうだったはずだ。
「デモ、言葉の通リだヨ。《バケガク万の謎》は、バケガクにたくサンアる都市伝説や伝セツノ総称。その一つに、『再生する校舎』っていうのがあるの。誰カがツけちゃったキズなンかが翌日には直っテイたりスるラシいの。
他にモ『通達の塔』とか、あと図書館にツイテの都市伝説とか、とにカクいッぱいあルンだよ」
言われてみれば、確かに、バケガクほど歴史もあり特殊な学校なら、都市伝説くらいあっても不思議じゃない。
「そうなんだ。えっと、それでね、このバケガクを直したのは姉ちゃんなんだ」
「そうなの!?」
ゼノは驚いたようで、目を見開き口を手で覆った。そして口に含んでいた食べ物を飲み込み、言う。
「すごいね……こんなに大きなバケガクを直しちゃうなんて」
おそらくゼノはわかっていない。きっとゼノは、姉ちゃんが行った魔法をただの【修復魔法】だと思っているのだろう。元の状態に戻すのではなく、あくまで『自分の脳内にある元の形』に戻す魔法である、と。
まあ、それもそうだ。その【修復魔法】ですら、一人でこの大きなバケガク、そしてあの崩壊具合を元に戻すとなるととんでもない労力が必要となる。誰が【再生魔法】──空間精霊を寸分すらの狂いなく再構築する魔法を使ったなど考えるだろう。そんな魔法が存在することすら知らない人がほとんどに違いない。
「うん。姉ちゃんは凄いんだよ。でも、やっぱりすごく疲れちゃったらしくて、ずっとバケガクで休んでいて、この学園閉鎖期間、家に帰って来なかったんだ」
「そういうコトだったんダね」
朝のボクの言葉の理由を理解してくれたのか、ゼノは頷いた。
「デモ、今日帰ってくるンだよね。ヨカったね」
「うん!」
話すのは、この辺でやめておこう。全てを話すにはあまりにも濃い。それにただ単に、知られたくない。ようやく知れた、姉ちゃんの知らなかった部分を教えたくない。
「そういえば、進級試験の勉強は進んでる?」
「むぐっ!」
ボクが言うと、ゼノは咳き込んだ。
「シ、神話なら、多分デキるか、なあ?」
「それは元から知ってることであって勉強したわけじゃないでしょ? というかそれすらも曖昧で、大丈夫?」
ゼノは〈呪われた民〉を調べるついでに神話にも興味を持ったらしく、神話の雑学のようなものも沢山知っている。
ただしその分、授業で習うようなことは度々抜けている。
「がんばッてはイルんだよ?」
「ゼノはFクラスに上がれるのかなー? ゼノが一緒じゃないとボク寂しいなあー?」
「ウッ」
黙り込んでしまったゼノを見て満足し、ボクはゼノに笑いかけた。
「だからさ、これから時間が合うときは、放課後一緒に勉強会しない? ボクも勉強したいところとかあるからさ」
「イイノ? あ、でも、アサヒって頭いいのに、何を勉強するノ?」
「いやいや、買い被りすぎだよ。ゼノが得意な神話、苦手だし」
「そんなこと言って、『ニオ・セディウムの六帝』言えるデショ?」
「えーと、順番にテネヴィウスプァレジュギスイノボロスドュナーレディフェイクセルムコラクフロァテノックスロヴァヴィス……」
「ほラぁ!!」
6 >>278
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.276 )
- 日時: 2022/01/20 19:32
- 名前: げらっち (ID: 7dCZkirZ)
第一部、RPGの冒険みたいで面白い!
ダンジョンやアイテムボックスの設定も凝っていていいねぇ。
メイン4人のキャラが立っていて、お互い弱い所をカバーしているのもよかった。
日向の殺戮シーンは何度見てもえぐい(←過去の感想でもこれ書いてました)。しかし、腕は蹴っただけで取れるのか?
真白つかえん…スナタがにこやかに真白を諭すのもgood。
第三幕あたりから、「さらさらさら」「じゃぶじゃぶ」「ごそごそごそ」「ぐらぐら」など、擬音語が続いて居るのも特徴的。
「無理、だろうね。」「楽しみで、仕方ない」「嗚呼、楽しい。」などの日向の視点にドキドキしますなぁ。
謎のジョーカー。ボスの下の下の下で、組織の切り札。結構上ってことか?
キャノンボールクラゲェ!!
感想書くの下手だ……
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.277 )
- 日時: 2022/01/22 09:59
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: feG/2296)
>>276
いつも感想をありがとうございます。
面白いですか、良かったです!
そう言って貰えて嬉しいです。
キャラのバランスは特に苦手としている要素の一つなので、そう言って貰えて嬉しいです。
言ってましたね笑 あのシーンは自分でもギャーギャー言いながら書いてました。お気に入りです。腕のことは気にしないでください。私も疑問に思ってるんです。殺戮シーンを書きなれていなかった頃に書いたやつなのでおかしな点は多々ありますがご了承ください。
真白さんにはもう少しくらいは活躍してもらうはずだったんですがね。あれ?
バカセカは擬音語多いですね。
日向は危なっかしい、しかしそこがかわいい。
ジョーカーについてはようやくもう少しで出てくる『予定』です。ようやく。クラゲェ
感想ありがとうございました!!
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.278 )
- 日時: 2022/01/26 08:00
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: sqo3oGwV)
6
あー、面倒くさいな。
ゼノと色々話し合った結果、今日から勉強会をすることになった。下校時刻までは放課後でも教室は開放されているから、教室で勉強会をする。これは今回が初めてではないのですんなりと決まった。ただし、ボクはアビア=カシェと先生とで話をしないといけないので、それが終わってから。待っている間、ゼノは図書館にいるらしい。
本当に面倒くさい。
一人で教室の席に座って待っていると、アビア=カシェが側へ寄ってきた。
「残ってくれてありがとう。そろそろ先生が来るはずだから、もう少しだけ待っててくれる?」
言われなくても、今更去るわけないじゃないか。馬鹿なのか?
「うん、わかった」
愛想笑いは得意だ。
アビア=カシェはほっとしたように表情を緩める。そしてボクの前の席に座り、体をこちらに向けた。
「朝日くんは、パルファノエさんと仲がいいんだね」
黙っててくれないかな。別に、ボクは会話がなくても気まずくもならないし不快にもならないんだけど。むしろ会話が不快だ。
「そうだね。話す人はほかにもいるけど、特に仲がいいのはゼノかな」
「そっか。実はね、僕も朝日くんと友達になりたいと思っててさ。良かったら、これから仲良くしてくれると嬉しいな」
「え、ボクと?」
「うん」
なんで?
「もちろんいいよ。そう言って貰えて嬉しい」
「よかった! 改めてよろしくね」
ガラッ
「待たせちゃってごめんね!」
慌ただしく登場したのは担任のロアリーナ先生。通称ローナ先生と呼ばれている女性で、性格のキツそうな顔立ちに反して天然の混じった柔らかな性格の、占いが得意な先生だ。
ロアリーナ先生はボクたちが座っていた席の近く、正確にはアビア=カシェの隣に座った。すると、ボクが二人と対面する形になった。少し距離や座る位置を調整したあと、ロアリーナ先生が切り出した。
「何を話すか、もう聞いてる?」
「いえ、特には」
「あら、そうなの?」
「はい」
ロアリーナ先生は疑問符を顔にうかべてアビア=カシェを見て、それからボクに言った。
「話したいことはね、朝日くんのお姉さんのことなの」
ゾワッと全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。すぐには消えない悪寒の余韻が気持ち悪い。
なんだ? 何が聞きたい? 話したいってなんだよ何を話すつもりだよ嫌だ嫌だこっちに来るな近寄るな踏み込むな踏み荒らすな。
「カシェくんがね、朝日くんのことを心配していたの。それで自分に出来ることがないかってまずは私のところに相談に来てくれて、それで、朝日くんがどうして欲しいのかを聞こうって話になったの」
ボクは自分から姉ちゃんのことを打ち明けたことは無い。けれど苗字も同じで名前も似ているし、髪色や髪質も似ている、それに姉ちゃんが悪魔祓い師の家系なことは有名でボクの魔法適性もそちらに傾いているので、ボクと姉ちゃんの関係に気づくことは容易だ。ボクは姉ちゃんと違って、姉ちゃんの弟であることを隠しているつもりは無い。大っぴらにひけらかすのは姉ちゃんが望まないから、『自分から』言わないだけだ。
「朝日くん。もし、もしよ? もし何か悩んでいることがあるのなら、教えて欲しいの」
ああそうか、ロアリーナ先生は少なからず人の心が読めるんだっけ。それで『勘違い』したんだな。
「悩んでることなんて、ありませんよ」
あったとしても、お前らに言うもんか。
お前らに、何が出来るっていうんだよ。
「急に話してって言われて混乱するのはわかる! でも、信じて欲しい。僕と先生は本気で朝日くんのことを心配してるんだ!」
アビア=カシェが言った。
だから? 心配してて、それがなんだって言うんだよ。迷惑でしかない。なにもありがたくない。なにも。
あー、なんて言おう。面倒くさいな。いちいち関係を悪くしないためにどうするべきか考えないといけないのが本当に面倒くさい。
いっそ怒鳴り散らして、教室を飛び出してしまおうか。
「これ、見て」
そんな風に思考を巡らせていると、ロアリーナ先生が持っていた紙、資料を広げた。
「知ってる? バケガク保護児の話」
ボクは頷いた。その話は以前ゼノに聞いたことがある。
周知の事実、バケガクには様々な生徒がいる。姉ちゃんみたいに自分の力を隠している生徒、笹木野龍馬のような天才や、真白のような根本から全てに劣っている生徒。
そして、ゼノのような複雑な生い立ちを背負う生徒。
ある意味ゼノはボク以上の苦労人だ。ゼノみたいな特殊な事情を抱えた生徒は在学中や卒業後、生活することすら困難な場合が多い。そんな彼らを救うべくして出来た制度が、バケガク保護児制度だ。
厳密な審査に受かって保護児になると、奨学金や寮、個人に合った冒険者ギルドのクエストの手続きなど、学園側から多大な支援がもらえるらしい。保護児の主な就職先は、バケガク職員だそうだ。
「実はね、そのバケガク保護児になるための条件に、朝日くんも該当する場所があるの。ここを見て」
ロアリーナ先生が指した部分には、こう書いてあった。
『聖サルヴァツィオーネ学園 保護児の条件
…………
・家庭内に、生徒に肉体的又は精神的に危害を加える恐れのある者がいる場合
…………』
紙を埋め尽くすかのごとくびっしりと並べられた文字の中で、その文言だけが目に入ってきた。
怒りは湧いてこなかった。こんなことにはもう慣れた。
怒りは湧いてこなかった。その代わり、ため息が出た。
「じ、実際にどうなのかは、僕たちにも分からないよ。でも要は、審査を通り抜けられればそれでいいんだ。朝日くんのお姉さんは、きっと朝日くんから学園に申請すれば、きっと学園も認め」
「いらない」
ボクはアビア=カシェの言葉を断ち切って言った。笑みを浮かべて、アビア=カシェを見た。
「ボクね、幸せなんだ。ずっっっと姉ちゃんと離れ離れに暮らしてたんだ。わかる? 八年間だ。八年もの間、ボクは最愛の姉に会うことを許されなかったんだ。ようやく会えたんだ。姉ちゃんに、やっと。
それを邪魔するな」
もっとオブラートに包むつもりだったのに。まあ、いっか。こいつらを怒らせてしまったとしても、ポクには関係ない。ボクには姉ちゃんさえいればそれでいいのだから。
「失礼します」
そう声をかけて、何か言っている二人を残して教室をあとにした。
7 >>279
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.279 )
- 日時: 2022/01/29 08:00
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: iTqIkZmq)
7
ゼノの姉は、〈呪われた民〉だった。
〈呪われた民〉というのはいわゆる蔑称で、種族を指すものではない。彼らは突然変異で生まれてくる。
白い髪に白い瞳、白い肌に、額には蒼の水晶。寿命は短く、死ぬと大地が凍る。近くにいる者は〈呪われた民〉が放つ魔素に耐えきれず、耐性のない者は酷い場合は命を落とすこともある。
そんな彼らを快く思う者など、誰もいない。今でこそ〈呪われた民〉は誕生せず、おとぎ話の中の存在と化しているが、実際に彼らに会ったことがある者はたまったものじゃないだろう。
しかし、ゼノはそうではなかったらしい。ゼノは姉を慕っていたそうだ。
姉は一族の領地にある隔離塔に幽閉され、滅多に会うことは出来なかったとゼノは言っていた。ボクたちが親しくなったのは、そういう似た境遇に立っていたという親近感が始まりだった。
姉ちゃんも昔、今の家ではなくじいちゃんたちの家で一緒に住んでいた頃は、一人だけ離れに隔離されていた。だからボクもゼノと同じように、姉ちゃんとは簡単には会えなかったのだ。
ゼノの姉は、自身のことを理解していた。なぜ自分が生まれたのか、〈呪われた民〉とはなんなのか、この世界のこと、神について。けれどゼノにそのことは語らなかった。話すことは許されていないことだと、拒んだそうだ。
だからゼノは姉が知ったことを知るべく理解すべく、〈呪われた民〉に関する書物を読んでいる。
今日もきっとその目的で図書館に行ったのだろう。ゼノを迎えに来たことは何度もあるので、ゼノがどのコーナーにいてそれがどこであるのかも地図を見なくてもわかる。
自分自身で何かを読むために訪れることはほとんどない図書館の中を、迷うことなく進む。
ほらいた。
「ゼノ」
「ひゃアっ」
驚いて肩を大きく動かし、ゼノはおそるおそるこちらを見た。
「ふふ、ごめんね。先生たちとの会話終わったよ」
数秒固まっていたゼノだったが、特にボクに恨み言を言うでもなく笑みを見せて言った。
「ソッカ、じゃあ教室戻ロうか」
それどころか申し訳なさそうに声を小さくしてボクに謝罪する。
「ワザワザ往復させチゃっテ、ゴメンね」
「いいよいいよ。行こう」
そんなゼノは嫌いじゃないけど、時々、変なやつに目をつけられやしないか心配になる。
「チョッと待ってて」
ゼノは持っていた本を本棚に片付けて、二冊ほどを貸出口まで運んだ。どうやら借りるつもりらしい。あの本は前にも借りていた気がする。前にもと言うよりも、何度も。
在学する生徒の総数を考えると図書館にいる人は少ないのかもしれない。しかし何処であろうと視界を向ければ十人は目に入る程度には、図書館に人はいた。そういえばバケガクの図書館って世界的にも有名なんだっけ?
「おマたせ!」
ぼんやりと何気なく思考を回しているとゼノが戻ってきたので、ボクたちは教室へと向かった。
あの二人は、もう教室からはいなくなっただろうか。いたとしても無視すればいいか。重要な話でもしてればさすがに空気を読むけど、同じ日に臨時で誰かと話してさらに何か話すことなんて滅多にないだろうし、大丈夫だろう。
道中ヒソヒソとボクらを、ボクを見て話す連中をいくつか見かけた。あれは図書館に向かうまでにも見たし、なんなら最近はよく見かける。真白の件が原因かなぁ。いくらなんでも真白は派手にやり過ぎた。それは別にいいけど、そのせいでこっちにまで飛び火が来るのは鬱陶しい。あの事件の直前に真白と関わっていたから仕方ないと言えばそれまでだけど。
それに、ボクが姉ちゃんの弟だということが広まりつつある気がする。あぁ、大分前に新聞記事になっていたから、それかな。そっか、今もボクを誰かが見ているんだな。気持ち悪い。
しかしそれ以外には特に目立ったことは起こらなかった。教室の中にも誰もいない。それぞれ自分の席に座り、教材をだす。
「テスト範囲ってどこからだっけ?」
昼に話していたので『神話史』の教科書をパラパラとめくりながらゼノに尋ねる。
「え、アサヒってわたしトテスと範囲違うよネ?」
「うん、だから、教えるからどこが分からないか教えて」
ゼノはそんなこと考えてもいなかったと表情で語っていた。そして、遠慮してるのかおずおずと自分が開いたページをボクに見せた。
「ニオ・セディウムの始めノ方だカら、百四十一ページだよ。わからないところは」
そこで言葉を切り、言いにくそうにボクに言う。
「えと、ホトンド……」
「え?」
「わたしがトク意なのはAの時代でアッてSの時代じゃないカら、Sの時代の部分は簡単な流レくらイシかわかんない……」
そうか、ゼノが調べているのは〈呪われた民〉で、それは主にAの時代に大量発生したから、そうなるのか。
そしてボクたちGクラスの進級テストは、各教科の基本しか出ない。つまり神話史だと始まりの辺り、Sの時代の序盤くらいしか出てこないのだ。
「わかった。じゃあ、一緒に見ていこうか」
8 >>280
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.280 )
- 日時: 2022/05/05 09:48
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: lvVUcFlt)
8
ボクも教科書を開き、まずはニオ・セディウムの神々を説明する。
「始めは基本から。ニオ・セディウムの神々は皇帝とその子供、五柱の帝王が頂点に立つ。その六神をまとめて『ニオ・セディウムの六帝』と呼ぶ。これは知ってるよね?」
教科書の文言を入れつつ言うと、ゼノは頷いた。
「一人一人司るものが違うから、それを覚えよう。テストによく出るのは、この二人」
『テネヴィウス』『ディフェイクセルム』
「テネヴィウスは六帝の中で、その頂点に立つ。そしてディフェイクセルムはニオ・セディウムの神々の中で唯一のキメラセル側の神で、邪神でありながら平和の象徴とする地域もある。様々な種族の共存が進んできた現代で、ディフェイクセルムの注目度は高い。だからまずは、この二人は抑えておくべきだ」
怪物族ならば、ニオ・セディウム神話のことは幼少期から覚えさせられる。ゼノもここまでは難なくついてきているようだ。
「それで、司るものを覚えるのはまずこの三人からがいいかな」
『ディフェイクセルム』『コルクフロァテ』『イノボロス=ドュナーレ』
「ディフェイクセルムは生物の創造を司る。
コルクフロァテは生物の融合を司る。
ディフェイクセルムとコルクフロァテは双子神だ。だから司るものも繋がっている。ディフェイクセルムが生物を生み出し、コルクフロァテが生物を融合し、さらに新しい生物を生み出す。
それから、イノボロス=ドュナーレも似ているんだ。司るものは、生物の能力の与奪。ディフェイクセルムが生み出した生物の力を奪ったり、奪った力を別の生物に与えたりできるんだ。G級、E級、C級とあるスライムは元は全て同じ種類で、なにかの理由でイノボロス=ドュナーレに力を奪われたことで種類が分かれたのではないかと言われてるよ」
ふむふむと頷いていたゼノが、首を傾げた。
「デも、似テるからコソごちャゴちゃになルノ」
生物に関与して新しい生物に創り変えるということはコルクフロァテとイノボロス=ドュナーレに共通しているので、ニオ・セディウムを学ぶ上でこの二神を双子神と考えてしまうか、ディフェイクセルムとイノボロス=ドュナーレの力を逆に覚えてしまう人も多い。
「イノボロス=ドュナーレって、ほかの神とは違って名前に『=』が入ってるでしょ? これは、ディフェイクセルムが生まれたときに、あとから役割が付けられたからなんだ。だからイノボロス=ドュナーレは双子神の兄神。
ボクはそういう風に覚えたけど、どう?」
ゼノはこくこく首を縦に振った。
「ソッか、うん、わかりヤスい! ありがとう!」
「よかった。じゃあ、他の三神……に移る前に、ノートにメモとかする?」
「アッ」
ゼノは思い出したように、開いていたノートに走り書きをする。走り書きの割には、綺麗な字なんだよな。
ゼノが書き終わったことを確認して、再び口を開く。
「テネヴィウスはディフェイクセルムと同じで、生物の創造を司る。ただ違うのが、テネヴィウスは自身の魔力を使って生物を創る。それに対してディフェイクセルムは自らの血や涙、目玉や口から生物を生み出す。
ディフェイクセルムが他の神に虐げられていたってことは知ってるよね? その時に流したり切り落とされたりした物が変化して魔物なんかになったと言われているんだ。二神の力の違いは、そう覚えたらどうかな。
プァレジュギスは戦神。司るものよりも、使っていた武器『クイリットリアレィロ』がテストによく出てくるかな。『万物を粉砕する』って意味のこもった名前だよ。
ノックスロヴァヴィスは、『ニオ・セディウムの六帝』の、唯一の女神だ。司るものは夜、そして新月。キメラセルにも満月の女神がいるから、その神ともなんらかの関わりがあるんじゃないかって言われてるよ」
この三神は前の三神よりもややこしくないし、それにゼノは怪物族だから元々ある程度の知識はあるだろうから簡単にまとめて話したけど、どうかな?
ついてこれているかゼノを見る。
うん?
「ゼノ、大丈夫?」
ゼノはぐったりしていた。
「イッぱイ頭のなカ入れたカら、ツカレた……」
「お疲れ様。ちょっと休憩しようか」
もうそろそろ試験に向けて本腰を入れないといけない時期だけど、初回だからペースはゆっくりにしよう。
「ウン」
ゼノが休憩している間、ボクは神話史の、キメラセルのページを見た。ふと、気になったことがあるのだ。
『『ニオ・セディウム』の第三帝ディフェイクセルム神は創造神ディミルフィア神に助けを求めた。……』
どうしてキメラセルの神は、敵であるニオ・セディウムの神を受け入れたのだろうか。そしてディフェイクセルムは、どうしてディミルフィアに助けを求めたのだろうか。
キメラセルの中に一人だけ。孤独を感じはしなかったのだろうか。神などいないと分かっていても、そんな疑問が浮かんでくる。
それから。
〔邪神の子〕
あの異名は、あいつをあまりにも的確に表しているような気がしてやまない。そのことが、なぜだかどうしても心のどこかに引っかかる。
「アサヒ、この問題オしえて」
いつの間にか、ゼノは神話史の教科書とノートを片付け、数学の問題集を開いていた。神話史はもういいのか。
「うんいいよ。見せて」
9 >>281
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.281 )
- 日時: 2022/02/09 17:43
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 0j2IFgnm)
9
朝起きると、外が騒がしかった。
その音で、声で、目が覚めた。
「何の声?」
そばで寝ているはずのビリキナに言ったが、返事がない。顔をそちらに向けると、ビリキナはまだグースカ寝ていた。
ため息を吐き、ベッドから起き上がる。
そうだ、リンの様子を先に見ておこう。今日は姉ちゃんが帰ってくる。いつもみたいに帰って来てから確認するというのは難しいかもしれない。あと、本家からのあの手紙も出しておこう。姉ちゃんなら無視するかもしれないけど、それはボクが判断することではない。
まずは箱を机の上に置く。クローゼットから取り出してガチャガチャしていると、流石にうるさかったのかビリキナが怒りながら起きた。
『うるっせえな! 何時だと思ってんだ!』
「ビリキナって本来夜行性だからそもそもまだ起きてる時間だし別にいいでしょ」
『良くねえよ! オレサマは寝たい時に寝て起きたい時に起きるんだ!』
「はいはい」
ビリキナを無視して箱を開ける。
『あ……』
掠れた声が耳に届いた。
えっと、名前はなんだっけ。真白の契約精霊がこちらを睨んでいた。
「あ、起きたんだね。おはよう」
声が出せるんだ。衰弱してはいるけど、精霊という特別な存在だからほんの少し回復したのかな?
『……』
「ん、なに? 言いたいことがあるの?」
『……えの…………は……の……』
「聞こえない。なに?」
『…………』
力を使い果たしたのか、またヒューヒューとした息しか吐けなくなった。リンがあまり変化していないことも確認したし、ボクはそのまま蓋を閉じた。
「ビリキナ、行くよ」
『まだ寝る。お前の準備が出来たらまた来いよ』
「面倒くさいなあ」
しかしビリキナは頑固だ。居ても邪魔だし、まあいっか。
朝食を簡単に済ませ、着替えを終えて本家からの手紙を机の上に置く。鞄の中に荷物を詰めて、準備は早々に終わった。
外の騒がしさは相変わらずで、一度何が起こっているのか見てこようかと思ったとき、外から声がかかった。
『すみませーん、だれかいらっしゃいますかー?』
知らない、女の声。その瞬間、ボクの心臓がドクンと跳ねた。
まさか。
ボクはゆっくりドアに近づいて、耳をくっつけた。
『留守でしょうか?』
『いや、さっき明かりが付いたから誰かしらいるだろう』
『花園日向でなければ、弟かな?』
『それでもいいさ。要は話が聞けたらいいんだ』
『許可が取れて良かったですね! 長い間しつこく迫った賜物ですよ!』
『しつこくなんて言わないでくれる?
ライバルとはいえ同業者がこれだけいると頼もしいわね』
「うわあああっ!!!」
耐えきれず、叫び声を上げてしまった。
『声が聞こえました! おそらく弟さんです!』
『本当か!
すみません! お話を聞かせてください!』
『少しの時間でいいのでお願いします!!』
不特定多数の記者の声が一斉に意識の中になだれ込んだ。
「はあっはあっはあっはあっ」
息ができない。
あの時の記憶が、
あの時の言葉が、
あの時の姉ちゃんの後ろ姿が、
封じ込めていた記憶が、
とめどなく、蘇る。
_____
無数の記者の声が家の前で渦を巻いていた。それがあまりにも怖くて、ボクはじいちゃんにしがみついて震えていた。
「おじいちゃん、朝日をよろしく」
姉ちゃんがじいちゃんに言う。仮面で表情は見えない。
「姉ちゃん、どこ行くの?」
声を振り絞ってボクが言うと、姉ちゃんはそれには答えずに、こう言った。
「朝日、どうか、幸せに」
ベルとなにか言葉を交わしながら、姉ちゃんは玄関に向かって歩いていく。仮面をそばの棚の上に置いて、勢いよくドアを開ける。
行かないで、姉ちゃん、お願い、ボクを置いていかないで!
体が動かない。追いかけたいのに、足が言うことを聞かない。
その時を境に、ボクは姉ちゃんと八年間会うことはなくなった。
_____
また、繰り返すの? また、姉ちゃんと会えなくなるの? 嫌だ、嫌だ。やっと会えたんだ。人を殺して、人を壊して、自分を壊して、悪魔に魂を捧げてようやく会えたんだ。
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ」
涙が出てきた。目が熱い。目が痛い。
「姉ちゃん……姉ちゃん……姉ちゃん……姉ちゃん……」
会いたい。早く。早く。行かなきゃ、ばけがくに。早く、行かなくちゃ、早く、会わなくちゃ。
『花園さーん、居るんでしょう? ここを開けてください!』
ボクは駆け出した。自分の部屋まで走ると、乱暴にドアを引いて壁に叩きつけるようにしてあける。
バアンッ!
『うおっ、なんだよ、うるせえなあ』
「ビリキナ、来て」
『あぁ? 二度もオレサマの邪魔をして開口一番にそれかよ』
「いいから早くしろッ!」
『……へぇ』
怒鳴ると何故かビリキナはにやりと笑った。そして文句もなしにボクの肩に乗る。それを不思議と思う余裕もなく、ボクは指を鳴らした。
パチンッ
音が響き、家中の明かりが消え、鍵も閉まった。魔力をそこそこ消費するからあまりやらないけど、今はそんな場合じゃない。
壁に立て掛けてあるほうきを持って、部屋の中でまたがる。
「ふぅ」
一度、気持ちを鎮め、集中する。
『エリア展開』
ボクは自分の魔力を広げた。遠く、遠く。
生物を感じる。記者はどこまでいるんだ。足りない。足りない。もっと、もっと! もっと遠くへ!
『おい、待て。まさか【転移魔法】か? やめとけやめとけ。お前の魔力じゃ無理だ』
「うるさい! ボクは……」
『ほうき、握っとけよ』
「は?」
ビリキナはいきなり肩から降りて、ほうきに触れた。すると、ほうきにばちりと黒い稲妻が走った。その稲妻はほうき全体、そして部屋中に放電を起こした。
ボクはビリキナの契約者なので感電しないが、もしほかに誰かいたとしたら、確実にここは危険だろう。
『フルガプ!』
ビリキナがそう叫ぶと、大陸ファーストの上空に、黒い稲妻が流れた。
10 >>282
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.282 )
- 日時: 2022/02/09 17:44
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 0j2IFgnm)
10
それはあっという間だった。多分、一分もかかっていないように思える。気づいた時には、ボクの目の前にはバケガクがあった。
『スッキリしたぜ!』
ビリキナは気分良さそうにそう言った。最近魔法を使ってなかったから鬱憤が溜まっていたのだろう。それにしてもよくバケガクに着くまで魔法を使い続けたな。時間が短くても、距離は相当だ。負担も大きいはずなのに。
いや、正確にはビリキナは一度魔法を切った。大陸ファーストの結界を抜ける時だ。ビリキナが使う魔法は黒魔法。いくら結界が役割を放棄していると言っても、黒魔法を通すようなことはしない。だからビリキナはその一瞬魔法を切って、今まで飛んできた勢いのまま結界を抜け、そしてまた魔法を使ったのだ。
あれにはびっくりした。その技術もそうだけど……こいつ、案外頭良かったんだな。ボクは結界に激突すると思ってたよ。
『なんか言ったか?』
ビリキナはボクを睨んだ。
「言ってないよ」
言っては、ね。
気を取り直して、ボクはバケガクを見た。正確には、バケガクにまとわりつく米粒──記者たちを。幸いあいつらはボクらに気づいていない。ま、かなり離れているからな。
バケガクというものは、島だ。大陸セカンドと大陸サードの中間くらいに位置する、どの国にも属さない独立した領域。日が昇る前に出発して日が暮れる頃に徒歩で一周りし終えるくらいの大きさ。いつかのバケガク生徒(典型的な人型)が好奇心から実行に移して得た結果らしい。
大きくはない。しかし、決して小さくはない。そんなバケガクをぐるりと囲む塵のようなもの。
『もう一回するか?』
「いや、だめだ」
またビリキナが魔法を使えば、ボクが闇の隷属の精霊と契約していることがバレる。いや、もう既にバレているかもしれない。あの場に居たのは他大陸から来た記者がほとんどだったようだけど、近隣住民だって居る。バレている可能性の方が高い。
……いいや。どうだっていい。とにかく、姉ちゃんに、会わないと。まずはあの記者たちの群れをすり抜けないと。
「ねえ、さっきの、どうやるの?」
『ん? なんだ、やっぱりやるのか?』
「そうじゃなくて、いや、そうなんだけど。ビリキナが使うとどうしても『黒』が交じるから、出来そうならボク一人でやる」
『やだよめんどくせぇ。なんでオレサマがわざわざ教えないといけないんだよ。自分でやれ』
「自分で?」
ボクは考えた。さっきのあの感覚を思い出す。そうだ、確か、部屋の壁をあの魔法だけですり抜けた。窓の僅かな隙間に吸い込まれるようにして、だっけ? 上空を飛んでいた記者たちの中を、気付かれずに脇を通った。まるで一本の光の筋のように細くなって、速くなって。
光。
えっと、なんだっけ。姉ちゃんが昔、そんな魔法を言っていた気がする。
魔法とは──
『魔法は、世界を騙す業でもある。良い例が、非属性の【転移魔法】と【簡易瞬間移動】、それから雷属性の【瞬間移動魔法】』
『瞬間移動』なんてものが、実際に成り立つわけが無い。そもそも瞬間移動というのは、A地点からB地点へ一秒の時間もかけずに移動することだ。それに特化した種族や神に力を授かった(と言われている)特別な存在ならまだしも、生身の人間が出来るはずがない。ならどうしてそれが出来ているのか。そう、『世界を騙す魔法』によってそれは成し得ているのだ。
【転移魔法】は『世界』と『個体』の二つの情報を混同させる魔法だ。まず『世界』が認識する、転移させたい個体の位置情報を書き換える。個体の情報、例えば石なら『色』、『大きさ』、『質感』、『重さ』等の情報を転移させたい位置に書き込む。次に『現在そこにある』という情報を世界から消す。『個体』の情報の書き換えは、石であれば『周囲の温度』なんかを書き換えるだけで十分だ。これらの手順を一挙に行うことで【転移魔法】は発動する。
無生物の【転移】が比較的簡単なのは、個体そのものの情報が単純であることに加え、『個体』に書き換える情報がとても簡略化されることが大きな理由だ。生物だと無生物の何十倍もの『個体』の情報が詰まっているので一気に難易度が増す。また、無生物には『世界を一定に保つ』力があるため、多少の情報の誤差があってもその力によって修正されるのだ。
【簡易瞬間移動】は【脚力強化】と【実体透過】の魔法を同時に使う二次魔法、つまり『混合魔法』だ。【透過】は物体に働き掛ける【物体透過】と自身の情報を書き換える【実体透過】の二つがある。この魔法を使う時、【物体透過】を使うこともないことはないが、大抵は【実体透過】を使う。【実体透過】を簡単に言うと、『世界に存在を認識させなくなる』魔法だ。物体や生物が自然に発生させてしまう『魔力の波動』を強制的に止めて、『そこに何も存在しない』と世界に誤認させる。ただし『魔力の波動』を止めてしまうと世界に存在を削除させられてしまうことがあるらしい。一秒未満であればその可能性は低いようだが、とても危険だ。この理由は、世界に『そこに何も存在しない』という認識が定着されてしまうと、世界はそれを『真実』と設定してしまうため。故にこの【簡易瞬間移動】は元々この魔法に特化しているか特別な加護を持っている者しか使わない。
そして、【瞬間移動魔法】は落雷の原理を利用して光の速さで移動する魔法だ。【簡易瞬間移動】とは違い、体だけではなく体に触れているものごと、さっきビリキナが使った時のほうきのように移動できる。それは移動するものが『体だけ』でないからだ。あの魔法はあくまで足を速くするだけなので、何かを持っていても振り落としてしまう。それに対してこの魔法は、個体自体を魔法の一部──雷の一部として扱うのでその心配はない。
移動到達点までに障害物があると、被術者(術者)にはダメージはないが、障害物にダメージが入る。その障害物が人であった場合は酷い時で感電死させてしまうので注意が必要だ。
この三つの魔法は、いわゆる『魔法酔い』が生じやすい。世界の情報を書き換えるときに、どうしても『違和感』が発生してしまい、世界がそれを修正するときに術者や被術者は魔法感覚的な不快感──魔法酔いを感じてしまう。
さて。今のこんな場合に使うことの出来る魔法は、アレだな。
11 >>285
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.283 )
- 日時: 2022/02/05 22:32
- 名前: げらっち (ID: IWueDQqG)
全部読んでます!
瞬間移動1つ取っても、細かく設定が考えられていてすごいですね…
そして初めてバケガクの外観が詳しく描写された(?)
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.284 )
- 日時: 2022/02/09 17:40
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 0j2IFgnm)
>>283
感想ありがとうございます!
瞬間移動の設定には悩まされましたね。自分としても満足のいく文になったのでそう言ってもらえると嬉しいです。
あはは……そうですね、他にもいろいろしせつがあるにはあるのですがなかなか書く機会もなくて。書くつもりはあるので、時が来たらご注目ください!時が来たら!
感想ありがとうございました!
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.285 )
- 日時: 2022/02/16 14:53
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: JJb5fFUo)
11
「ポイント・セット」
障害物にぶつかってはいけないのなら、馬鹿正直に真っ直ぐに進まずに元からぶつからないように軌道を指定して動けばいいんだ。
「物質変換・光」
自分の体を光に変換。打ち込んだポイントに向かって落雷のように落ちていく。その間は一秒未満。光属性での【瞬間移動魔法】だ。
大量の障害物(記者たち)の間を縫うように抜けていく。視界が一瞬の間で猛スピードで切り替わる。塵同然に見えていた影がどんどん大きくなる。一つ、二つ、三つとポイントごとに体が屈折する。
学園を囲む森の木々の葉すら輪郭を捉えられるようになった、そう思うが早いか、ボクの足は地についていた。
「ッ……。目、閉じておけばよかったかな」
最終ポイントとして指定した正門の前で、ボクは頭を抑えた。視覚情報が混乱して、頭が痛い。それに、吐き気もする。『魔法酔い』だ。
『いやいやいや、おかしいだろ! なんで一回見ただけで真似できるんだ?! てか【瞬間移動魔法】自体高位魔法なのにどうしてお前が扱えるんだよ!』
ビリキナが叫んだ。
「ちょっと、バケガクに入ったんだから静かにしててよ。それに、それを言うならビリキナだって使ってたでしょ、【フルガプ】」
『オレサマのような精霊とただの人間を同じに見るんじゃねえ!
あー、そうだったな、お前はあの女の弟だった。ったく、姉弟揃ってバケモンかよ。どいつもこいつも』
「!」
姉弟揃って、か。
「へへ」
『何にやにやしてんだよ。あの女のとこに行くんじゃねえの?』
「なっ、わかってるよ!」
教師たちはバタバタしていた。おそらく、あの記者たちの対応に追われているんだろう。急に現れたボクにビックリはしても「おはよう」と早口に言うだけで、すぐにほうきで飛んで行ってしまう。
行かないと。
姉ちゃんが近くにいることを再確認して、焦りがぶり返してきた。大きく開いた門の向こうにそびえ立つ校舎に向かって、歩みを進める。
生徒はまばらだ。そういえば、ボクが上空で止まっていたように、他にも何人かバケガクの生徒が登校できずに困って上空に留まっていた気がする。いまバケガク内にいる生徒はボクのように無理やり入ってきたか、元々バケガク寮に住んでいるかのどちらかだろう。
というよりも、まず今の時間帯が登校していない生徒がほとんどなのか。
姉ちゃんは、教室かな? まずは教室に行ってみよう。いつも登校時間が早いし、いてもおかしくないし、なんならその可能性が高い。
姉ちゃんが学ぶ館に入り、階段を上る。人のいない、やけに足音が響く長い廊下を進んでいく。もうすぐに着く、というところで、声が聞こえた。
「私とリュウは、距離を置いた方がいい」
幻覚にしても現実にしてもやけにはっきりと、距離が離れているはずの姉ちゃんの声が聞こえてきた。
「ま、って、おれ、は……」
息が上手く吸えていないような笹木野龍馬の声が、必死に姉ちゃんに訴える。
姉ちゃんたちに見られないように、教室のドアのそばまで音無く近づく。そして、集中して二人の会話を盗み聞きをする。
「こうなることはわかっていた。それはリュウも同じはず。私とリュウは、ずっとは一緒にいられない」
「それは、そう、だけど……」
「実害があった以上、それを無視するわけにはいかない」
「いや、嫌だ! おれは、日向が、貴女がいないと」
「あなたを連れてきたことを後悔はしていない。ごめんなさい、私はそれが出来ない。何が悪かったのかがわからない。私は私の罪を自覚できない」
「違う! 貴女は悪くない! 全部、おれが、おれが!」
「静かに。人がいないとも限らない」
「あ、ごめん……」
二人は何を話しているんだ?『貴女』なんて、笹木野龍馬がそんな呼び方をしているところは見たことないし、聞いたことがない。ボクが知らないだけか? だとしても、あまりにも不自然だ。
「リュウ、聞いて。私達は離れるべき。これ以上一緒にいると、あなたに害しか与えない。これは良い機会なのかもしれない」
「で、も、おれは、独りじゃ生きていけない」
「大丈夫と後押しもできないことはとても心苦しい。
私のわがままなの。ごめんなさい。私は誰かを自分の運命に巻き込む覚悟ができていない。だから、もう、連れて行けない。ここまでしか、無理」
「だけど、おれは……!」
ふう、と吐息が空気を揺らす音が微かに聞こえた。そして、一言。
「もう、疲れたの」
そのたった一言だけで、空気は静寂に包まれた。
「……じゃあね」
姉ちゃんがそう言った直後、椅子を引いて立ち上がる音がした。響く足音がどんどん大きくなる。
まずい! どうしよう。こっちに来てる。でも隠れる場所なんてないし。いや、姉ちゃんのことだからボクがいまここにいることくらいわかっているはず。よし。このまま見つけられよう。
ガラガラッ
「姉ちゃん、おはよう」
「おはよう」
笑顔で言うと、姉ちゃんは無表情のまま言った。
「来て」
話を盗み聞きしていたことを怒るでもなく、姉ちゃんが言った。なんだろう?
「分かった」
拒否なんて選択肢は存在しない。ボクは頷いて、姉ちゃんの背中を追いかけた。
12 >>286
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.286 )
- 日時: 2022/02/16 14:52
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: JJb5fFUo)
12
「……」
「……」
会話がない。
それでもいい。
それでいい?
よくない。
本当に?
違う。ボクは。
「ねえちゃ」
「朝日」
声が重なった。
「なに」
「なに?」
また、同じことが起こった。
「ふ、ふふっ」
ボクは笑った。息が合うって、こういうことを言うのかな。
「姉ちゃん、なに? 先に言っていいよ」
「そう?」
姉ちゃんはボクと肩を並べた。正確には身長差で並んではいないけれど、真上から見たら並んで見えるはずだ。姉ちゃんは高身長で、対してボクは相当な小柄だ。姉ちゃんの胸あたりまでしか背がない。
「さっきの会話。気になることがあると思う。でも、何も聞かないで」
ああ、あれのことか。
気にならないといえば嘘になる。でも、姉ちゃんがそう望むのなら。ボクはそれを拒まない。
「うん、わかった」
「朝日は?」
「え?」
「何、言おうとしたの?」
「あっ、ああ、えっとね」
どうして緊張するんだろう。いつもみたいに、話せばいいだけなのに。
「い、いまから、どこに行くの?」
違う。そんなことが聞きたいんじゃない、言いたいんじゃない。
ああ、さっき、無理にでも先に話せばよかった。寂しかったと、不安だったと。あの勢いのまま、家に記者が押しかけてきた時のまま、思考を恐怖に塗りつぶされたままでいれば、姉ちゃんに突き放されやしないかなんてことを考えずに済んだのに。
「私が過ごしてた部屋」
「それって、寮?」
「違う」
じゃあ、どこなんだろう。でも、姉ちゃんが言う通り、少なくとも寮に向かっていないことは確実だ。いや、まて。あれ? いまボクたちが歩いてるこの道って、進んだ先にあるのってあの部屋だけじゃなかったっけ。
コンコンコン
「入るよ」
返事を聞く間もなく、姉ちゃんは学園長室の扉をガチャリと開けた。
「珍しいね、お戻りになるなんて」
学園長は読んでいた本から目を離し、顔を上げてこちらを見た。
「……誰かを連れているのなら知らせてほしいね」
「気を抜くのが悪い」
ピシャリと言い放ち、学園長の横をスタスタと歩く。
「朝日、おいで」
いつも学園長が座っている大きな椅子の後ろの窓の横の、何も無い、影が落ちた白い壁の前で姉ちゃんは振り返り、ボクを呼んだ。
一応学園長に会釈をして、ボクは姉ちゃんのそばへ寄った。
姉ちゃんが壁に触れた。すると、壁が発光した。目を突き刺すような、意識が霞むような光だった。
ふと、右手にヒヤリとした感触が広がった。見ると、姉ちゃんがボクの手を握っている。そして、姉ちゃんはボクの右手を引いて発光している壁の向こうへと足を踏み入れた。変な感覚だ。これは、隠し部屋という認識でいいのだろうか。
眩む視界の中、脳が揺らされるような激しい光の中で、ボクは学園長の言葉を思い出した。
『珍しいね、お戻りになるなんて』
勘違いかもしれないけれど。
お戻りになる、って、敬語だよね?
13 >>287
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.287 )
- 日時: 2022/02/19 08:55
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: Tm1lqrhS)
13
その空間は、がらんとしていた。姉ちゃんらしいと言えばらしい。白いベッドと引き出しの付いた白い机と白い椅子。そして、果てが見えない、どこまでも続く白い空間。
「ここで、ずっと過ごしてたの?」
「そう」
ベッドの上に座り、姉ちゃんは自分の横をポンポンと叩いた。
「座って」
「え、うん」
戸惑いながらも姉ちゃんの言葉に従う。
ベッドは思ったよりやわらかくて、でも弾力がある。すごく眠りやすそうだ。
「今日の朝、バケガクもそうだけど、家にも来たよね?」
来たというのは、記者のことだろう。
「知ってるの?」
「あいつらの行動は読みやすい。それに、いくらでも動向は探ることが出来る」
あ、それもそうか。新聞とか色々あるもんね。
「様子を見に行こうかとも思ったけど、私が行くともっと大事になるかもしれないって理事長に止められた」
こころなしか顔を曇らせて姉ちゃんは言う。もしかして昨日の時点で家に帰ろうとしてたのって、ボクのことを心配したからなのかな。そうだったら、嬉しいな。
『どうか、幸せに』
あの時の声も、『心配』が滲んでいた。
ズキリと、心臓が痛む。
「姉ちゃん」
昨日みたいに、服の裾をきゅっと掴む。
「お願い。どこにもいかないで」
目尻が熱くなる。泣きたくない。でも、泣きたい。
「うん。どこにもいかない」
冷たい温度が、制服越しに背中に伝わった。ひんやりとした温もり。それは離れがたくて、甘くて、寒くて、暖かくて。しばらくボクは姉ちゃんに抱きしめられたまま、姉ちゃんに頭を、体を、預けていた。
「怖かったね」
ボクの背中を擦りながら、姉ちゃんが囁く。
「辛かったね」
少し低い、聞き心地のいい姉ちゃんの声。
気づけばボクは、泣いていた。
「姉ちゃん」
「なに?」
「姉ちゃん」
「うん」
「ボクね、寂しかった」
「ごめんね」
「ずっと会えなくて、ずっと会ってくれなくて」
「そうだね」
「もうこのまま、一生会えないのかなって、おもって」
「そうだったかもしれない」
「ボクは姉ちゃんに会いたかったのに、誰も許してくれなくて」
「辛かったね」
「わがまま言って嫌われるのが不安だった」
「怖かったね」
「想像しただけで体の震えが止まらなくて」
「うん、うん」
「本当はもっと一緒にいてほしかった。一緒にどこかに出かけたりしたかった。勉強も魔法も教えてほしかった。一緒に遊んでほしかった。理不尽な大人が大嫌い。姉ちゃんは綺麗で強くて、こんなにも優しいのに、ただ白眼だってだけで差別するのが許せない。大嫌い大嫌い大嫌い大嫌い」
顔を上げて、姉ちゃんを見る。
「大好きだよ」
依存でも偽りの人格でも、ボクは、俺は、姉ちゃんのことが大好きなんだ。昔も今も、これからも。たとえ思い込みであっても、ずっと。
「私、は」
姉ちゃんの瞳が、悲しげに揺れた。どうして?
「朝日が大切。
多分、好きではない、と思う」
姉ちゃんは目を逸らさない。
「私は愛が分からない。その感情を理解出来ない。理解したいけど、それは不可能。だから、朝日のその感情に応えることは出来ない。朝日を大切に思うこの感情すら本物なのか分からない。でも、ね」
ぎゅうっと抱きしめられる力が強くなった。
「大切にしたい。この感情は確かなもの。その結果私も朝日も間違えてしまった。
ごめんなさい」
ボクが苦しんでいたように、姉ちゃんも背負うものがあるのだろう。
震える声が、ボクの耳に届く。
「大丈夫だよ」
ボクは掴んでいた服を離して、姉ちゃんを抱きしめる。細くて冷たい姉ちゃんの体。
「また、こうして会えたんだから。ボクはそれだけで十分だよ」
二度と会えないと思っていた。誰もそれを許してくれなかったから。みんな、みんな、ボクの記憶から『姉ちゃん』という存在を消そうとしていた。誰も彼もがボクを洗脳しようとしていた。心休まる時がなかった。
それでも、いつかまた会えると信じていた。なんの根拠もない、ただ自分を生かし続けるために立てた仮初の希望。姉ちゃんを忘れてしまわないように、毎晩毎晩、少ない姉ちゃんとの思い出を数えて夜を過ごした。姉ちゃんを忘れるのが怖かった。大人の思い通りになるのが気に食わなかった。
ボクが姉ちゃんを忘れたら、姉ちゃんもボクを忘れてしまうと思った。
でも、覚えていてくれた。ずっと気にかけていてくれたんだ。八年間、ずぅっと。これ以上に幸せなことはない。これ以上を望む必要なんてない。
涙は自然と止まった。どこにも吐き出せなかった『何か』が消えて、スッキリした。そして、泣いたせいかまぶたが重い。
意識が消える直前に、姉ちゃんの声が聞こえた。
「お や す み な さ い」
14 >>288
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.288 )
- 日時: 2022/02/26 10:25
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: reIqIKG4)
14
体がふわふわしたものに包まれている、そんな感覚。意識も不安定で、何を考えているのか、自分でも分からない。いや、そもそも何も考えていないのかもしれない。分からない。
ボクは白いような黒いような空間に、ぽつんと浮いていた。冷たくもなく、暖かくもなく、光源の存在しない、明るくも暗くもない空間。光と影が蠢く空間。
ここは、どこなんだろう。
突然、ぐにゅりと影が動いた。それはボクの目の前で形を成す。ただ、それがなんなのかは分からない。人のようにも見えるし、ただの塊のようにも見える。
影が、にたりと笑った気がした。
『君はよく働いてくれている』
ザラザラした声が、辺りに響いた。口の中に砂を含んだような不快感がボクを襲う。
『もうすぐだ。もう少しで、世界はようやくあるべき姿に戻る』
世界? あるべき姿? 何の話だ。
『君が自分の役割を全うした暁には、褒美を与えよう』
いらない。そんなものに興味はない。
ボクの役割? なんだそれ。
『君が望むものを与えよう』
望むもの? 望むもの、なんだろう。姉ちゃんと一緒に過ごすこと。姉ちゃんを知ること? わからない。
『彼女を壊せ。君にはそれが出来る』
彼女? 誰のことだ? わからない。
わからない。
『頼んだよ』
_____
体がふわふわしたものに包まれている、そんな感覚。触れているものはさらさらしていて気持ちいい。
冷たい誰かの手が、ボクの頭を撫でている。
「う……ん」
「おはよう」
姉ちゃんが言った。ぼんやりとした頭を動かして、姉ちゃんを見る。そして、自分の状況を確認する。
ボクはベッドで眠っていた。姉ちゃんがかけてくれたのか、ちゃんと掛け布団も被っている。思った通りだ、すごく眠り心地が良かった。
なにか夢を見ていたような気もするけど、なんだったっけ? ……思い出せないことは大したことじゃないよね。いいや。
「気分、どう?」
姉ちゃんは首を傾げる。
「かなり良くなったよ」
すると、姉ちゃんの表情が変わった。ほっとしたような、安心したような、そんな表情。
胸が苦しいくらいに、熱いくらいに、気持ちが高揚した。
「じゃあ、戻ろうか」
ボクははっとした、そうだ、ここはバケガクで、今日は授業がある。しまった、寝すぎたかもしれない。今は何時なんだろう。まさかお昼時?
「姉ちゃん、いま何時?」
「この空間に時間という概念は存在しない。出ればわかる」
姉ちゃんはボクの手を握った。そして、またあの強い光が空間を支配する。
「また、何かあったら、話して」
光に覆われた道を歩きながら、姉ちゃんがボクを見て言う。
「うんっ!」
姉ちゃんは立ち止まり、ボクの手をぐっと引いた。その勢いに逆らわず足を動かすと、そこは学園長室だった。ボクと姉ちゃんは、学園長室の壁の前に立っていた。
「やあ、おかえり。随分と時間がかかったね」
また本を読んでいた学園長がこちらを見た。薄明るい朝の陽の光が大きな窓から差し込む。
「戻る」
「うん、どうぞ」
「朝日、行こう」
姉ちゃんに言われるがまま、ボクは出口に向かう。
「失礼しました」
裏が知れない笑みを浮かべる学園長に、そう、声をかけて。
「今日の放課後、予定ある?」
廊下を歩きながら、姉ちゃんが言った。
「んー、どうだろ。なんで?」
すぐに思いつく用事はない。意識に引っかかるのはゼノとの勉強会だけど、これはゼノの予定もわからないとなんとも言えない。二人の時間が合う日にしようという話だったから。
「何も無ければ、一緒に帰ろうと思って。朝日が良ければだけど」
「すっごく暇だよ! 何もないよ!! 寄るところもないし、授業が終わったらすぐに帰ろうと思ってた!!!」
ボクは必死に言う。こんなチャンスを逃してたまるか。それに、嘘は言ってない。今日は姉ちゃんが帰ってくるということで、ゼノとの勉強会は今日は無しにしてもらうつもりだった。姉ちゃんの帰宅時間がわからないから、少し迷っていただけだ。
「そう?」
「うん!」
「じゃあ、一緒に帰ろう。えっと」
姉ちゃんが言い淀むなんて珍しいな。どうしたんだろ?
「五時頃朝日の教室に迎えに行くから、待ってて」
そっか、クラスによって授業数や一限の時間数が異なるから下校時刻がずれるんだっけ。
「わかった。待ってるね」
GクラスとCクラスでは、下校時刻の差は大きいだろう。でも、大丈夫。待てる。姉ちゃんと一緒に帰れるのなら、それくらいどうってことない。
15 >>289
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.289 )
- 日時: 2022/02/26 10:26
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: reIqIKG4)
15
「ってことがあったんだよ」
弁当を片手に、ボクは歩きながらゼノに今朝のことを話していた。ただし、学園長室に行ったことやあの変な空間で話したことは省いて。なんとなく言わないでおこうと思ったのだ。
「ヨかッたね、アサヒ」
ゼノはにこにこ笑いながらボクの話を聞いている。
「それにしても、今日はやけに人が少ないね」
周囲を見ながらボクは言う。今は四限目が終わってから少し経ったくらいで、もうみんな、昼ごはんを食べる場所を押さえている頃だ。いつもなら。なのに今日は、流石に誰もいないということは無いが、普段と比べると圧倒的に人がいない。何かあったのかな?
「笹木ノ先輩が登校しテルってこトで、見にイく人が多いみタいだよ。行っテみる?」
「いや、いいよ。興味無い。それより、この機会を活かそうよ。『四季の木』の下で食べよ」
ちょうど近くを通りがかったということもあり、ボクはそう提案した。
『四季の木』は、冬も葉を落とさない。白銀に輝く幹。純白の葉。そしてその葉の間からのぞく、銀灰色の実のような球体。
不思議な木だ。季節によって顔を変える。冬の『四季の木』は特に綺麗だと有名だったが、これなら納得だ。まるで氷の彫刻のごとくそこに佇む大きな木。
「ウん、そうだね」
ゼノも頷いたので、ボクたちは『四季の木』まで歩いた。思った通り、人が少ない。最近は冷えるので外で食べる人も減っているが、『四季の木』は相当な人気スポットなのでなかなか空いていない。でも、今日は空いている。
今日は楽に食べる場所が見つかった。そうほっとすると、昨日同様、また見知った影を見つけた。今度は姉ちゃんではない。ほつれのないさらさらの桃色の髪を風になびかせ、膝の上に弁当を広げてる。『四季の木』の元でぴんと背筋を伸ばして、綺麗な動作でものを口へと運ぶ。その場の神秘的な雰囲気も相まって、一瞬だけ、本当にただ一瞬だけ、見惚れてしまった。
「あれ、朝日くん?」
スナタはボクらに気づいたらしく、箸をとめ、顔をこちらへ向けて言葉を発した。
「久しぶり。そばにいるのはお友達? 初めまして。ⅢグループCクラスの、スナタです。よろしくね」
スナタは座ったままでにこやかに自己紹介を済ませた。
「ワッ、わたしはゼノイダ=パルファノエです。ゴぐるープGクラスです!」
「パルファノエさんか、いい名前だね。良ければ隣どうぞ?」
「では、お言葉に甘えて。失礼します」
「そんなに固くしなくてもいいよ。気楽に気楽に!」
こうも連日続くとなると、明日は東蘭か笹木野龍馬とでも鉢合わせそうだ。
「いい天気だね」
「そうですね」
「ハイ」
今日は雲もなくて風もない。ただ痛いくらいの冷気が肌を刺激するだけだ。
「二人って、仲良いの?」
ボクはゼノを見た。それはゼノも同じで、ボクらは顔を見合わせる。
「えと、たぶん?」
「オソラク」
「自信ないんだ? でも、一緒にお昼ご飯を食べるってことは、結構仲良いんじゃない?」
そう思うのなら、なんでわざわざ質問して来たんだろう。
「喋ることないなあ。ね、なにか話題ない?」
話題か。
「ゼノ、なにかある?」
「ふェっ?!」
そんなに驚かなくても。
ゼノはしばらくうんうんと唸って、ようやく絞り出すように口を開いた。
「きょウも花園セン輩とハ一緒じャナいんデすね」
「ん、ああ、日向? 声をかけようとは思ったんだけどね、教室の前の人垣が凄くてさ、諦めたんだよ。それに聞いた話によると、二人──日向と龍馬の間に不穏な空気が流れてるらしくてさ。そんな状態の日向を誘っても気まずくなる気がしてね」
「ケンカしたんでスカ?」
「いや、それはありえないよ。あの二人が喧嘩なんて、絶対にない」
よほど自信があるのか、スナタは言い切った。確かに朝の会話は『喧嘩』ではなかったけど、どうしてそう思うんだろう?
「何があったかは、大体想像つくけどね」
聞き取れるか聞き取れないかの狭間にあるような声でスナタは言った。どこを見ているのかわからない目は、一瞬、光を失ったように見えた。
なんか、姉ちゃんも同じ仕草をよくしているはず。
「ああ、ごめん。なんでもない。ほら、食べよ! お箸が止まってるよ」
16 >>290
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.290 )
- 日時: 2022/03/02 19:10
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: EabzOxcq)
16
『お前、やっと一人になったな!!』
「悪かったよ」
放課後、ゼノと別れてボクは森に来ていた。ビリキナのことを思い出して、帰るまでに一度は出さないと怒るから、出しておこうと思って。というか、朝から放課後まで一度も出せないのはいつものことなんだし、そろそろ慣れてもらいたいんだけど。ボクと契約して何ヶ月経つと思ってるんだ?
『ったくよぉ。自由に動き回れないこっちの身にもなれ!』
ボクの鞄は、ジョーカーに渡された特別なものだ。ビリキナが放つ黒の魔力を鞄の中に封じ込める。ボクがビリキナと契約していることを悟られる要素を一つでも減らすためだ。ただ、鞄が開いている時はもちろん魔力ダダ漏れなので、ボクが閉めて、ロックする必要がある。ロックしてしまえば、ビリキナは自分では鞄を開けられない。
「ごめんってば。それより、今日は姉ちゃんが帰ってくるから、ずっとボクの部屋にいてね」
『酒用意しろよ! 酒!』
「わかってるよ」
姉ちゃんとの待ち合わせ時間まで、かなり余裕がある。これからどうしようか。
『そういや渡しそびれてたんだけどよ、これ』
ビリキナはそう言いながら、鞄の中をゴソゴソと漁った。そして取り出したのは、紙切れ。
『朝、人間共の間を通った時に渡されたんだよ。魔力の残り香からしてジョーカーだった』
「は? あの速度で?」
きもちわる。
『いいから読めよ。あいつが気味わりぃのは元からだ』
「それもそうだね」
ボクはビリキナから紙を受け取り、それを読んだ。
『最終ミッションのお知らせだよ。
今日日向ちゃんが戻ってくるんだって聞いたから、もう頻繁に君の家に行けないってことで、予定より早く伝えることになった。
ちょっと待ってね』
最後の一文が理解出来ない。どういうことだ?
そう首を捻っていると、急に、文章の一文字一文字が黒く光った。
「わっ!」
手紙からペリペリと文字が剥がれ、宙に浮いて渦を巻く。ボクより、いや、姉ちゃんの背よりも少し高い程度の位置から、螺旋を描くように下へ下へとくるくると規則的な動きをする。それはだんだんと歪んでいき、そして。
「結構それを読むまでに時間がかかったんだねぇ」
ジョーカーが現れた。
正直、びっくりした。声に出して驚きそうになった。でもそうしたらジョーカーが喜ぶことは知っているので、懸命に衝動を抑える。
「急に背後から現れるのは飽きたかなと思って、今日は凝った登場をしてみたよぉ」
「そういうの要らない。どうでもいい」
「ひどいなぁ」
「用件は?」
ジョーカーはクスクスと笑う。なんだよ、気持ち悪い。
「ボクがある組織に入っていることは、知っているよね?」
何を今更。そこから出た命令をジョーカーが伝えていたんだから、知ってるに決まってる。
「その組織の最終目的に、もうすぐで、ようやく踏み出すことができるんだ」
「最終目的?」
ただの組織でないことは明らかだ。リンのことも真白のこともそうだ。確実に正規ではない、裏社会と言うべきか。
「そう。だからね、朝日くん。君にはこれを渡しておくよ。はい」
はい、と言って、ジョーカーは握り拳をボクに向ける。ボクが手を差し出すと、解かれた拳から小さな棒のような物が落ちた。
「なにこれ」
見た目は円柱で、直径はちょうど片手で握って収まるほど。全体の長さは、ボクの手首から中指まで結んだ線分よりもやや短いくらい。先端には、一回り小さい円の突起がある。握る部分とそれは質感が異なっているように見える。
「ボタンだよ」
「ボタン?」
ボクは自分が着ているブレザーのボタンを見た。この二つ、絶対に同じものじゃないだろ。飾りボタンですらないだろうし、どうやって服に付けるんだ。
文句でも言ってやろうと口を開く前に、ジョーカーが笑いだした。
「ふっ、アハハハッ! 可愛いなぁ朝日くん、期待通りの反応だよ。アハハッ!」
「な、なにわらってんだよ!」
「いや、だってさ、アハハハッ!」
よほどおかしかったのか、ジョーカーの笑いが引くまで時間がかかった。そんなに笑うことでもないだろ。知らないんだから。
「はぁ、ごめんごめん。
『装置』って、わかる?」
?
「わかんないか。えーとじゃあ、『魔法道具』」
それならわかる。ボクは頷いた。
「これは【転移魔法】が付与された魔法道具だ。先端の丸い部分をおすと、元々設定されている場所に転送される。一度使うとそれっきりだから気をつけてね」
【転移魔法】を付与、か。魔法石といい、なんでもありだな。確かに【転移魔法】は発動時にいちいち魔法式を組み立てて発動するよりも予め用意してた方が楽かもしれない。でも、そもそも高位魔法を物に付与するということ自体が馬鹿げた話だ。そんなことが出来るなんて話、聞いたことがない。
「でねぇ、これをりゅーくんに触れながら押して欲しいんだぁ」
17 >>291
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.291 )
- 日時: 2022/03/16 08:16
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: pRgDfQi/)
17
今まであまり気にしたこと無かったけど、『りゅーくん』って笹木野龍馬のことだよな? どうしていま笹木野龍馬の名前が出てくるんだ?
「あいつが、どうしたんだよ」
「あれぇ、言ったことない? 組織の目的はりゅーくんだよぉ?」
「は?」
どういうことだ? 笹木野龍馬を仲間に引き入れたい、ということか?
笹木野龍馬は権力もあるし能力も高い。味方につけば相当頼もしいに違いない。でも、本当に?
「準備も整ってるし、実行は早い方が望ましい。ただ、今日はむりでしょぉ?」
当然だ。これを使った後何が起こるか分からないし、教える気もないだろう。折角姉ちゃんが一緒に帰ろうと誘ってくれたのに、それを棒に振るなどありえない。
「明日でも、明後日でもいい。とにかく、早く。少しでも早く連れてきてくれ。目的の達成のために」
二つの穴がボクを見る。恐怖にも似た感覚が、ボクの心臓を焼いた。
「朝日くん。ボクはね、君にチャンスを与えているんだ」
ジャリ、と、ジョーカーが一歩近づく。
「こんなことはボクにでもできる。むしろボクの方が適任だ」
それに合わせて、ボクは一歩退く。
「君の代わりはいくらでもいる」
一歩進む。一歩引く。繰り返し、繰り返し。そのリズムは徐々に加速し、そして。
「やっとここまで来たんだ。失敗は許されない、許さない」
背中に大きな木の幹が当たった。行き止まりだ。もうさがれない。ジョーカーの顔が目の前にある。
「これはお願いじゃない、命令だ。拒否権はない」
口は弧を描いているけれど、目に宿る光はあまりにも刺々しい。ボクは目を逸らすことが出来ず、逃げ出せない状況の中で固まった。
「ま、君のことは信用してるよぉ」
ジョーカーはそう言うと、ふっと瞳の奥の光を緩めた。また、何を考えているのか分からない不気味な笑みを浮かべ、こちらを見る。
「りゅーくんと日向ちゃんの関係は、切っても切れないものだ。日向ちゃんのことを知りたいのなら、これは避けて通れない。
君は日向ちゃんが関わることなら、殺人ですらしちゃうんだから、これくらい朝飯前だよねぇ?」
殺人。そうだ、その通りだ。ボクはこの手でじいちゃんとばあちゃんを殺した。邪魔だったんだ、二人とも。
ばあちゃんは姉ちゃんを毛嫌いしていた。母さんと一緒に暴力を奮っていた。何をしても泣かず、喚かず、騒がず、助けを求めることすらしない姉ちゃんを、何度も何度も殴った。あの生々しい肉を打つ鈍い音は、今もなお耳に残っている。ボクが姉ちゃんに会っていない間も、たまに癇癪を起こしては姉ちゃんのところへ行き危害を加えていたらしい。ビリキナが取り憑いた後は攻撃対象がややベルへと傾いていたけれど、意識の根本にある姉ちゃんへの憎悪は変わらなかった。
ただ、ビリキナがばあちゃんをけしかけていたことについてはあまり気にしていない。悪いのは全てばあちゃんだ。ビリキナはばあちゃんに力を与えただけ。精霊の力をどう使うかなんて契約者自身が決めることだ。何があったとしても魔法を使って姉ちゃんを苦しめたのはばあちゃんだ。
じいちゃんは、いい人だった。殺すつもりなんてなかった。少なくとも、ばあちゃんよりはマシだった。だけどあの日。笹木野龍馬が姉ちゃんの家に来たあの日の会話で気持ちが変わった。
『八年も一緒に過ごしているんだから、おじいちゃんと意見が揃っている可能性があるでしょ?』
姉ちゃんのあの言葉で、気が変わった。ボクが姉ちゃんに求められるためには、じいちゃんは邪魔になると気づいたんだ。
だけどひとつ、気になることがある。ボクがじいちゃんを毒殺しようとしたとき、じいちゃんはそれに気づいた素振りを見せた。箸を止め、ボクに何かを言おうとしていた。でも、何も言わなかった。気づいていたはずなのに、その毒を飲んだ。あのときじいちゃんは、何を考えていたんだろう。
「これは君のさいごの仕事だよぉ。これさえ終われば、組織の目的も、ボクの目的も、そして君の目的も、全てが果たされる」
考えていてもしょうがない。組織の目的なんか、ジョーカーの目的なんかどうでもいい。ボクはただ、この命をもってやり残したことをするだけだ。
でも、やり残した事が無くなったそのとき。ボクはどうすればいいんだろう。ボクの罪が裁かれたとき、姉ちゃんと離れ離れになったとき。
自分が狂うことを抑えるために、自分が壊れることを抑えるために、現実逃避のために用意した柱が粉々に砕け散ったとき、ボクは。
「わかった。やる」
手の中にある『ボタン』とやらをぐっと握る。
「ボクは、ボクのためだけに行動する」
下からジョーカーを睨みつけると、ジョーカーは満足そうに笑った。
「よろしくねぇ」
18 >>292
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.292 )
- 日時: 2022/03/16 08:17
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: pRgDfQi/)
18
カチッカチッカチッ
一秒ごとに動く針をじぃっと見つめる。もうすぐ五時だ。姉ちゃんが来る。
教室には、ボク一人だ。さっきまでちらほらいたけれど、もうみんな帰って行った。
「アイテムボックス・オープン」
帰る用意はすませておこう。そう思ってほうきを取り出す。
「ビリキナ、鞄の中に入って」
『着いたらすぐに出せよ!?』
「分かってるから」
騒ぐビリキナを押し込んで、鞄を閉める。鞄はいつもと比べると、少しだけ重い。
あのボタンは、アイテムボックスではなく鞄に入れて持ち歩けと言われた。ビリキナ同様に、あのボタンから放たれる魔力を姉ちゃんに気づかれてはいけないらしい。
それにしても、いつ決行しよう。明日? せっかく姉ちゃんが帰ってくるのに、早急じゃないか?
明後日、それともその次の……。
ゴーンゴーンゴーン……
遥か彼方まで響きそうな鐘の音。終業を告げる音とはまた別の、五時を知らせる鐘の音。『通達の塔』から響いてくるあの音は、あそこにいる二人の仮想生物が鳴らしてるんだよな?
「朝日」
少し離れたところから、心地よい、低めの女性の声がした。振り向くと、姉ちゃんは出入口に立っていた。
「帰ろう」
片手には、昔、何度か乗せてもらったことのあるペガサスの羽ぼうきを持っていた。
「うん!」
姉ちゃんと一緒に校門まで歩く。すると、ガヤガヤと騒がしい声が聞こえた。生徒が集まり、けれど何をするでもない。こころなしか戸惑っているように見える。
「どうしたのかな?」
「向こう、見て」
姉ちゃんが校門を抜けたさらに向こうを指した。見ると、空に黒い斑点が広がっている。
「え、まだいたの?」
考えるまでもなく、記者たちだろう。しつこいな。
「朝日、後で合流しよう」
その言葉が、一瞬、理解出来なかった。
「あいつらの目的は私や龍馬だから、私が行けば注目は私に向く。大半は私を追いかけるだろうから、その隙に出て。撒いたら、追いかける」
「待って!」
頭が判断を下す前に体が動いた。姉ちゃんの腕を掴んで、引き止める。
何か言わないと。何か言わないと! でも、口が動かない。声が出ない。どうして、なんで!
『どうか、幸せに』
行かないでよ、姉ちゃん。だってこの状況、昔のあのときと同じじゃないか。
「ボクを」
拒絶しないで。
「置いて、いかないで」
ボクの幸せは、姉ちゃんのそばにあるんだよ?
姉ちゃんはボクを凝視した。驚いているように見える。口を開けて、閉じて。なにか言おうとしているのに、何も言わない。
しばらく沈黙が続いた。そしてようやく、姉ちゃんは言う。
「わかった」
ボクを安心させるためだろう。感情のこもっていない顔で、にこっと笑った。
「一緒に帰ろう」
「っ、うん!」
それでもいい、それでいい。その気持ちがどうしようもなく嬉しい。ボクは大きく頷いた。
「理事長は、何をしてるのかな」
珍しく苛立ったような声で姉ちゃんが呟いた。たしかに。生徒を安心させるためにこの場にも教職員は数名いて、記者たちがいる方へ駆けていく人や、そこから戻ってくる人もいる。でも、それらのどれにも学園長の姿はなかった。
『生徒の皆さんに連絡します』
どこからともなく、女性の声が聞こえた。大人じゃない。たぶん、バケガクの生徒の声だ。どこかで聞いたことのある気がする。でも、どこだ?
「生徒会長の声だ!」
誰かが叫んだ。そうだ。エリーゼ=ルジアーダの声だ。
『対応が遅くなり申し訳ありません。ただいまより、当学園の魔獣を放ちますので、先生方の指示に従い、十分に注意してください』
その言葉で、一斉に混乱の声の嵐が巻き起こった。
「魔獣ってなに? どういうこと?」
「そんなのいたのか?!」
「怖いよ、なになに!」
驚いていたのはボクも同じだ。でも、隣にいる姉ちゃんはひどく落ち着いている。
「遅いな」
ただ、そう吐き捨てた。
「姉ちゃん、魔獣って?」
ボクが訊くと、姉ちゃんの顔から表情が消えた。いつも通りの無表情がボクを見る。
「こういうことは、たまに起きるの。威嚇用の、つまり、戦力」
そんなものがあるのか。ここまでくると、バケガクにないものを探す方が難しいんじゃないか?
けれど言われてみて納得する。バケガクは独立した領域だ。どこにも属さないということはどこにも縛られず、どこにも守られることがない。ただでさえ神の建造物なんて言われる特別な場所なんだ。その何物にも代えることの出来ない価値を巡って戦争が起こったとしても不思議じゃない。それを防ぐためには、バケガク自体も戦力を持つ必要がある。
そして、魔獣なんて危険なものは、戦力として使うことそのものが人道に反するとして世間から非難される。過去にもそんな国はたくさんあったと授業で習った。きっと、魔獣を使うという結論を出すのに時間がかかってしまったのだろう。
「で、でも、魔獣が暴れたりしたらどうするの? 制御できるの?」
戦力として使おうとして国が滅ぼされたことなんて、それこそよく聞く話だ。完全に魔獣をコントロール出来るだなんて保証は、どこにもない。
「大丈夫」
姉ちゃんは言いきった。
「それにもし何かあっても、私が守る」
少しだけ、ほんの少しだけ力強い声を聞いて、ボクは安心した。そうだ、姉ちゃんがいる。姉ちゃんがいれば全部大丈夫。心配することなんて何も無い。
「うん!」
嬉しくなって、ボクは笑った。
バササッ
突如、鳥が羽ばたくような音がした。空に満ちたオレンジの光の中に、黒が落ちる。
空を見上げると、そこには本でしか見たことの無いような生物がいた。
鷹の前身、獅子の後身。地上からでもその姿をはっきりと認識できるほどの巨体。翼は空を覆い尽くさんとばかりに広げられ、爪は大地を引き裂きそうなほど鋭く、足は筋骨隆々。空と陸の支配者の融合体である、あれは。
「グルフィン?!」
まさかと思った。けれどあの姿はそうとしか思えない。
魔獣なんて冗談じゃない。グルフィンは神話でしか出てこないような神に仕える神獣だ。太陽神に従属する、グルフィンそのものすら守り神として奉られる存在。なんでバケガクなんかにいるんだよ!
「よく知ってるね」
姉ちゃんが褒めてくれた。
「え? へへ。でしょ?」
「うん、よく学んでる」
グルフィンはボクらの頭上を通り越して、記者たちがいるあの場所まで飛んで行った。
『警告はしたはずだ。これよりこちらは攻撃態勢に入る。覚悟はいいな?』
ぼわぼわと反響して聞き取りづらい学園長の声が聞こえた。遠くの方で叫び声がする。みると、ひとつの黒い塊と化していた記者たちが、塵のように散っていった。
さすがにグルフィンを出されたら怖気付くんだな。警告はしたと言っていたから、その時点で逃げ帰ればよかったのに。それか、まさか本当に神獣を持っているとは思わなかったんだろうな。ハッタリで魔獣を使役していると宣言する国家だって一つや二つじゃない。バケガクもそうだろうと、あいつらは踏んだのだろう。
周囲はまだ、肉眼でグルフィンを目の当たりにした熱から冷めていない。そりゃそうだ。魔獣を従えている国すら数少ない有力国家だけなのに、神獣を、古い歴史を持つとはいえ所詮はただの(かどうかはさておいて)学校が従えているなんて、誰が想像できることだろう。
「ギエエェェェエエエエ!!!!!」
鼓膜が破れるのではないかと錯覚するような、グルフィンの咆哮。それを聞いて、まだ僅かに残っていた黒い粒も、消え失せた。
_____
ようやく下校することが叶い、ボクと姉ちゃんは海の上を飛んでいた。闇に追われるように太陽の方角を向き、並んでほうきを進める。
「それにしても珍しいね、姉ちゃんが誘ってくれるなんて」
せっかくなので何か話したい。そう思って声をかける。姉ちゃんは、自分から話すことは少ない。
「たまにはね」
それだけ言って、口を閉じた。
「そのほうき、まだ使ってたんだね」
それに、鞄も。確か鞄ってじいちゃんが昔入学祝いとして渡していたものだったよね。まだ持ってたんだ。それに、二つとも綺麗なままだ。多少はボロくなってるけど、古臭さは感じない。よっぽど丁寧に扱わないと、九年はもたないだろう。すごいなぁ。
「うん」
素っ気ない返事ばかりだけれど、それでも楽しい。楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまうものだ。金色に染まった海ばかりだった視界に、うっすらと膜を張ったような白いドーム──大陸ファーストを覆う結界と、広大な陸地が見えた。
ここから自宅までは大した距離ではない。会話も弾んでいたわけではないので自然と収まり、ボクらは黙って空を飛び、家の玄関の前に着地した。
「あ、待って姉ちゃん!」
先に入ろうとする姉ちゃんを止めて、ボクは先に扉に手をかける。ガチャリと鍵を回し、ドアを開けて、不思議そうにボクを見る姉ちゃんに、とびっきりの笑顔でこう言った。
「姉ちゃん、おかえり!」
姉ちゃんは数秒静止し、やや目線を緩めて、言った。
「ただいま」
長かった。やっと姉ちゃんが帰ってきた。もうどこにも行かないよね? そうだよね?
「荷物置いてくるね」
そう声をかけてからビリキナを置くために一度部屋に戻る。それからすぐにリビングへ行くと、姉ちゃんは難しい顔をして机の上の手紙を読んでいた。
「あ、それ」
もう読んだんだ。早いな。
「これ、いつの?」
「一週間前後くらいかな」
「ふうん」
「行くの?」
無視すると思っていたのに悩んでいたから、興味本位で聞いてみた。いや、興味本位じゃないな。もし姉ちゃんが行くのなら、姉ちゃんと過ごす時間が減ってしまう。これは大問題だ。
「うん。近いうちに行く」
「ついてっていい?!」
「え。ああ、いいよ」
「やったー!」
喜ぶボクを見て、姉ちゃんは首を傾げる。確かに理解できないんだろうな。ボクも姉ちゃんも、本家にいい思い出なんかほとんどない。
ただ、姉ちゃんと過ごした思い出があるだけだ。
19 >>293
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.293 )
- 日時: 2022/03/16 08:19
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: pRgDfQi/)
19
あの騒動から一週間は経った。バケガクに記者が群がることも無くなったし、家の前に張り付くやつもいなくなった。たぶんあの日限りのことだったんだろうな。そう何度も大陸ファーストに部外者が入れるはずがない。
てか、そこはちゃんと守るんだな。前は無視して毎日のように家に押しかけてきたのに。あの事件の時に、大陸ファーストに楯突いたらどうなるのかを学んだのか? あのとき、あのときも今と同じように、あいつらがすぐに引いていたら、ボクは姉ちゃんと離れなくて済んだかもしれないのに。
考えていても仕方ない、か。
ボクは正面を見た。昼であっても暗い、太陽光とはまた違う不思議な光がぼんやりと目の前の屋敷を浮かび上がらせる。鬱蒼とした森に包まれるようにしてそびえるそれは、重々しい雰囲気を醸し出していた。ここから離れたところは真っ暗だったのに、どうしてここだけは明かりがあるんだろう。暗く感じるとはいえ人間のボクがなんとなくと見える程度なら、怪物族にとっては多少なりとも眩しいんじゃないか? それに点々と屋敷の窓らしきところからオレンジっぽい弱い光が漏れている。こういうものなのか?
怪物族が住む大陸には、太陽の光を遮る雲のような物が上空にある。だからこの光は太陽光でないはずだ。いや、そもそもこれは光なのか? 日暮れの、あの真っ暗になる直前くらいの光。光源となるものは見当たらないので、まず間違いなく永続の魔法だとは思うんだけど。
まあ、いい。こちらにとって都合のいい条件なんだ。深く考える必要は無い。
今夜は新月だ。
怪物族の力は満月の夜に最高に、新月の夜に最低になる。生活リズムもそれに影響され、怪物族の大半は新月の夜は眠りについている。吸血鬼も例外ではない。それにいまは夜ですらない。おそらく目の前の屋敷はほとんど眠っていることだろう。
とはいえ、あそこは吸血鬼五大勢力の一派、カツェランフォートの屋敷だ。笹木野龍馬や当主はもちろん、他にも吸血鬼がゴロゴロいるはずだ。一人で人間百人分の力を持つ吸血鬼にあってしまえば、まず、死ぬ。
だから、最善を尽くす必要がある。
まずは気配。大陸ファーストの人間は特殊な気配をしているそうなので、敵対する怪物族にはすぐにバレることだろう。なのでいまはビリキナと魔力を混同させて気配を混ぜて、その上でジョーカーから預かった【気配消し】の力を使っている。
次に髪、というか顔。金髪は闇の中でなくともあまりにも目立つ。幻影を被せて髪を染めるという方法もあるにはあるけど、それは自分が騙す相手よりも技術面で上回らなければいけない。なので今回はこれは使えない。だからボクはいま、目だけを出して、あとは髪も首も鼻も全て覆う形のマスク(布)をつけている。こんなことをしても怪物族の目にはボクの姿はハッキリと映るだろうけど、金髪よりは断然マシだ。
そして服装。これもジョーカーから渡されたものだ。だからあまり着たくないんだけど、今はそうも言ってられない。それに、妙に体にあっていてまさに『戦闘服』だからこの状況にはうってつけの服なのだ。露出は少ないが、かと言って無駄に布がかさばっている訳でもなく、動きやすい。加えて【治癒】や【装備回復】なんかが付与されている。なんでこんなものをジョーカーが用意できるんだろうか。ボクが思っているよりも大きな組織なのかな。
鞄はいつもの肩掛け式ではなく、ベルトと一緒になっているポシェットだ。これは魔道具で見た目以上に物が入る。その中身いっぱいに武器である投げナイフを入れている。姉ちゃんに護身術として習った武器の中で一番の得意な武器だ。その一つ一つに≪聖水≫を浸して来た。大変だったけれどやる価値はあった。一対一での力の格差が激しい怪物族との戦闘において頼みの綱はこれだ。ジョーカーも流石に≪光の御玉≫は用意できなかったようだ。いや、実際に聞いてみたわけではないのでもしかしたら言えば持ってきたかもしれない。
『楽しみだな』
脳内でビリキナの声が響く。念話だ。敵に声を聞かれるのは避けたいので、しばらくは念話で話すことに決めた。なので使う魔法も無詠唱になる。ボクが無詠唱で使える魔法は限られているのでどこまで出来るのかはわからない。でも、やるだけやってみよう。
『そんなに呑気なことを言ってられる余裕があるんだね』
呆れるやら羨ましいやら。
ボクは【察知】で屋敷内のある程度の生命体の数を把握する。うわぁ、結構いるな。ほとんどが使用人だとは思うけど、それでも全員怪物族だろうと予測されるので気が滅入る。
でも、今日を逃せばチャンスはまた次の新月までやってこない。
笹木野龍馬がバケガクへの登校をやめた今となっては、どちらにせよこの屋敷に侵入しなければならないのだ。
【百里眼】で屋敷の中を覗く。けれど廊下を照らす弱いろうそくの灯りがどこまでも続くだけで、ほとんどの部屋の中は暗くて全く見えず、肝心の笹木野龍馬も見つからなかった。とは言ってもしっかり見たわけではないけど。
でも、そうか。真っ暗なところもあるのか。なら仕方ないか。
『ビリキナ。視界を共有しよう』
ビリキナは夜目が効くので、ビリキナと視界を共有すると、ボクも暗闇の中で目が見えるようになる。日中も闇に沈んだ大陸フィフスで行動するとなったときに考えた打開策がこれだ。
ただ、この方法はあまり好ましくない。ボクがやりたくないというだけなのでそんなことを言ってられない状況になればそりゃあやるけど、出来ればしたくなかった。
学園長の視界を共有したときは体を動かさなかったから平気だったけれど、自分以外の視界を見ながら移動したり、戦闘したりするのは非常にやりにくい。慣れるためにダンジョンに潜ったときに練習してはいるけれど、嫌いなものは嫌いだ。長時間の使用は酔って吐き気や頭痛がする。諸刃の剣をわざわざ振るいたいと思うような性格はしていない。
『行くよ』
ビリキナに声をかけ、ビリキナと視界を共有する。見える光景がガラリと変わって足元がふらついた。それでも徐々に慣れて、すぐにしっかり立てるようになる。
夜目が効くとか以前に、まず、ただの生物と精霊では物の見え方が違う。横にも上にも下にも視界が及ぶので、脳への負担は大きい。これに慣れるのにはかなり苦労した。
いや、慣れたというのは少し違う。全方位を見ることに慣れたのではなく、『見たい方向を見る』ことに慣れたんだ。始めは全方位を一気に見てしまっていたけれど、そういうことはもうない。
くっきりとその姿が顕になった屋敷を見据え、ボクは一歩を踏み出した。
20 >>294
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.294 )
- 日時: 2022/03/30 21:53
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: l2ywbLxw)
20
大陸ファーストの人間と怪物族との価値観の違いはもちろん住居にも現れる。その一つが防犯面だ。大陸ファーストでは家の周囲に結界を張ることが多く、対して怪物族は個々の力を誇りに思い結界等には頼らない。防犯のための術式を使わずとも侵入者を追い払う自信があるのだ。おかげで結界に細工をするという面倒な手間は省けて助かる。
そもそもカツェランフォート家に侵入しようなどと馬鹿なことを考える輩がそうそういないんだろうな。
侵入自体は難なく成功した。けれど本番はここからだ。怪物族の五感は優れていると聞く。……神経使うんだろうな。
庭にも人影が見えたのでひとまず近くの茂みに隠れた。出来れば屋敷の中に入れる場所が見つかるまで茂みの中を移動したいけど、葉や枝があって、動けばすぐに音が鳴る。移動できるタイミングが限られてしまうから、長居は出来ないな。
「今日は仕事が少なくていいわねー」
「ほんと。でも、今晩を越えたらまた増えるわよ」
「最近は龍馬様の様子がおかしなせいで屋敷内全体がピリピリしてるしやりにくいわ」
「ちょっと! 誰が聞いてるか分からないんだから口を慎みなさい!」
「あ、ごめんごめん」
顔は見れないけど、声からして女──メイドか? 笹木野龍馬の様子がおかしいって、どういうことなんだろう。どういう『おかしい』なんだろう。ちゃんと【転移】させることが出来るかな。
探りながら、行くか。そんな器用なことが出来るかは分からないけど。
メイドと思しき女の足音が聞こえなくなってから、その足音が消えていった方向へ歩いた。もしかしたら使用人が出入りするための入口があるかもしれない。
足元の枝なんかを気にしながら、極力を音を立てないように気をつけながら、歩を進める。すると、向こうから声が聞こえた。今度はメイドだけじゃない。男、でも、なんだか優しげな声。
「そう、残念だ」
「申し訳ありません」
「いやいや、ツェマが謝る必要は無いよ。気分転換にどうかなと思ったくらいだからね」
「はい」
「龍馬に、私が『一人で抱え込まないで』と言っていたと、伝えてくれるかい?」
え?
ボクは慌てて口を抑えた。危ない、声に出すところだった。
『なにやってんだよ』
『仕方ないだろ。だってあの口調、どう考えても笹木野龍馬の血縁者じゃないか』
『龍馬』と名を呼び捨てにしたことや、笹木野龍馬を気遣う言葉、そしてメイドらしき女が敬語を使って話していること。そのどれを取っても、まず間違いなく屋敷に仕える身ではない。
まずい。こんなに早く吸血鬼に遭遇するなんて思っていなかった。声からして当主ではなさそうだ。でも、だれだ? いや、誰だって一緒だ。吸血鬼であれば、必ず人間よりも圧倒的な力を持っているんだから。
「承知致しました」
そう言って、女は立ち去った。
あれ、笹木野龍馬への伝言を任されたってことは、あのツェマと呼ばれた女は、いまから笹木野龍馬のところへ行くのか? なら、見失うわけにはいかない。でも、吸血鬼がいるから迂闊には動けない。どうすればいい? 考えろ、考えろ。
「どうしたものかな」
ぶつぶつと呟く声と男の足音が遠ざかっていく。たぶん、メイドが向かった方向とは逆だ。一か八か、メイドを追いかけてみよう。男に気づかれてしまうかもしれないけれど、これ以上はメイドを見失ってしまう。既にメイドの足音は聞こえない。今から顔を出しても見つけられるかどうか。
よし。
そう意気込んで立ち上がろうと、足を動かした。足元の枯れ枝を踏み、パキンと小さく音が鳴る。
大丈夫だ。この程度なら気づかれない。大丈夫。
その時。
水の滴り落ちる音がした。
『なにしてる?』
その声を聞いた瞬間、心臓がドクンと跳ねた。
近い。すぐ前にいる。何故だ? 全く気配を感じなかった。注意を払っていたはずなのに、どうして? ボクの【察知】や【索敵】の能力はずっと小さい頃から姉ちゃんにお墨付きをもらっている。でも、気づかなかった。
ビリキナの声じゃない。頭に響くような、それでいて外から聞こえる不思議な──精霊の声。
顔を上げると、目の前にいた。ボクより少し小さいくらいの背丈で一見ただの人間に見えるけれど、背中から薄い、膜のような羽根が生えている。
宝石のような光を放つ、艶のある蒼色の長髪に、ガラス玉のような、淡い蒼の光を宿す大きな瞳。体はぼんやりと月光をまとい、神秘的な雰囲気を醸し出していた。
こんな状況であるにも関わらず、ボクはその姿に見とれてしまった。彼はあまりにも美しかった。
精霊という種族そのものが、まず、美しく作られている。伝説上の天使族もそうだけど、神に仕える者は誰もが美しい。
でも、それ以上に美しい。どうしてだろう。美しいものに見とれるなんてこと、そうなかったはずなのに。確かにボクは精霊が、精霊の神秘性が好きだ。存在するかもわからない神を知ろうとはしなかったが、存在を感じられる精霊には非常に興味を持った。精霊を美しいとも感じた。精霊と本契約を交わすことにも憧れていて、だからこそ自分と真逆の魔力を持つビリキナとの本契約を受け入れたのだ。
『おい、逃げろ!』
ぼんやりしていると、ビリキナからの叱責が飛んできた。
『そいつは〈スカルシーダ〉だ! そんくらい気づけバカ!』
スカルシーダ。その言葉は聞いたことがある。姉ちゃんと離れたあと、ボクが自力で調べた言葉の一つだ。
精霊という存在自体が、ボクらのような『神ではない存在』が『世界へアクセスする』ための媒体だ。媒体精霊だけでは無い。空間精霊、種族精霊を含めた全ての精霊がその役割を担っていることが明らかになっている。それが『普通』の精霊だ。
しかし、〈スカルシーダ〉は違う。根本の存在理由が『神への従属』であり、個体数は正確な数値は判明していないが世界中でも五体はいないとされている。
この世界に存在する全てのものは『神への服従』が絶対だ、と、ボクが読んだ本には書いてあった。例外を除くこの世の全ての生物が『光の隷属』、『闇の隷属』に分けられることからもそれはわかる。『隷属』というのは神に服従するということで、キメラセルの神々に服従するか、ニオ・セディウムの神々に服従するかということだ。
『服従』と『従属』は違う。天使族でさえ、神に謁見する権利を持つ者は有数で、少数だ。そしてその少数も、神と直接顔を合わせる訳では無い。〈スカルシーダ〉以外の存在が『服従』の範囲を越えることは決してない。数多の世界が混在するこの次元において、唯一『直接神に仕える』ことが許された存在。それが〈スカルシーダ──最も神に近い存在〉だ。
でも、なぜ? どうして〈スカルシーダ〉がこんなところにいるんだ? 一生に一度見れるかどうかも分からないと言われる竜よりもよっぽど珍しい生物だぞ?
青いスカルシーダは顔をしかめた。それでもその端正な顔は歪まない。
『声が二重に聞こえる。でも、二重人格ではないよな?』
精霊は、精神に干渉することが出来る。声が二重に聞こえるというのは、ボクとビリキナの念話のやり取りのことだろう。
『それに、魔力の流れもおかしい』
そしてなにかに気づいたように目を見開く。
『【一体化】か! どこでそんな技術を!? ……ああ、そうか。わかった』
【一体化】。それは精霊を身体の中に取り込む技術。これは姉ちゃんから教わったもので、比較的最近わかったことだけど、この技術があることすら知らない人が大半のようだ。
青いスカルシーダは目を伏せ、そして開き、ボクを見た。冷たくて、静かで、透き通るような蒼い目は、不思議と姉ちゃんを連想させた。
『おれはネラク、第二の器。
花園朝日。お前はどうしてここに来た?』
21 >>295
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.295 )
- 日時: 2022/03/30 21:59
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: l2ywbLxw)
21
ボクの名前を知ってるのか? 顔を隠しているのに、ということは精霊には通じないだろうからいいとしても、どうして名前までわかるんだろう。いくら〈スカルシーダ〉でも、一人の人間の名前までいちいち覚えているわけない。この青いスカルシーダ──ネラクに会ったのは正真正銘これが初めてだ。
全く心当たりがない。
『答えろ。さもないと、切る』
ネラクがそういった途端、周囲を冷気が包んだ。魔法だ。足元の枯葉や枯れ枝が凍りつき、その氷は伸びて、鋭利な先端をボクの顔に向けた。
『ここがどういう場所なのか理解した上で来たのなら、この意味がわかるな?』
怪物族はボクたち以上に五感が優れていて、吸血鬼は特に嗅覚が発達している。つまり、血の匂いに敏感だ。それにボクは大陸ファーストの人間で、怪物族とは敵対関係にある。たとえ一滴であっても、その血の匂いを奴らは逃しはしないだろう。いくら【一体化】をしているとはいえ、流石に血の匂いまでは誤魔化せない。
でも。
ここで引くわけにはいかないんだ。
「ぼ、ボクは」
あからさまに声が震えている。怖いのか? ボクは彼に、恐怖心を抱いているのか?
わからない。
『ビリキナの力で攻撃してごらん』
どこからともなく、ジョーカーの声がした。後ろを見る。いない。右も、いない。左も同様だ。どこにいるんだ? いや、そもそもこの場にいるのか?
『おい、どうした?』
ビリキナが怪訝そうにボクに問う。聞こえてないのか?
前を見ると、ネラクも変わらずボクを見つめている。
ボクにしか、聞こえていない?
まあいい。どうせ引き返せないんだ。このままされるがままになって血の匂いを漂わせながら動くよりもここで魔法を使う方がよっぽどマシだ。
匂いは、嗅覚は、壁や天井を越える。僅かな隙間から漏れ出てしまう。だけど魔力は違う。ほとんどの生物が魔力は触覚的に捉えている。もちろんボクのように視覚的に捉えるものもいれば、嗅覚的、聴覚的、そして稀に味覚的に捉える者もいるが、それは全体の割合で言えばほんのひと握りだ。匂いならば百の可能性で見つかる。けれど魔力なら、使ってすぐにこの場を離れてしまえば少なくとも匂いよりは見つかる可能性は低くなるだろう。
その結論に至ったボクはネラクに手の平を向けた。
【フィンブリッツ】!!!
無詠唱でこの魔法を使えるように、幾度となく練習を重ねた。黒い稲妻を手の平から打ち出す単純な魔法。闇魔法と雷魔法を掛け合わせた、闇の隷属の雷使いならば息をするように扱える、基本の攻撃魔法。
そう。基本の魔法だからこそ、ビリキナの魔力を扱う上で習得すべき魔法だった。そしてこの類の魔法は、術者の技術によって威力は大きく左右される。他のビリキナの魔法を使うための力を養うためには、この魔法を極めるのが手っ取り早かった。〈スカルシーダ〉に勝てるだなんて微塵も思っていない。だけど今のこの状況で最も上手く扱える魔法は、これだ。
打ち出された黒い稲妻は、まっすぐネラクに向かう。ワンテンポ遅れてネラクの表情は驚愕に染まり、彼は自身の周囲に薄い膜、バリアを張った。当然だ。ボクの魔法は弾かれる。こんな魔法が通るわけがない。
次の一手を考えるボクの視界に、信じられないものが映った。
稲妻は、いとも容易くネラクのバリアを貫通した。まるでそれが当然であるかのように、まるでバリアなどそこに存在しないかのように。そのまま吸い込まれるように、稲妻はネラクの身体を貫いた。身体の中央、腹部のど真ん中。稲妻の勢いは収まらず、ネラクの身体は吹き飛んだ。元々宙に浮いていたせいでもあるのか? いや、それはないだろう。もし仮に足を地に着けていたとしても、その程度の摩擦ではあの勢いは殺せない。
精霊はボクらと似たような姿をしているだけで、中に血は通っていない。でも、確実に重傷を負ったはずだ。
どうしたらいい? 逃げるべきか? いや、きっと追ってくる。でも〈スカルシーダ〉を殺せるわけない。その前に殺されてしまうだろう。どうしたらいい?
『精霊の殺害を確認しました』
22 >>296
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.296 )
- 日時: 2022/03/30 22:00
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: l2ywbLxw)
22
最近は聞くことのなかった、どちらかと言うと女性的な声。感情のない淡々とした口調で、続けざまに言葉が降りかかる。
『称号【神に背く大罪人】・職業【精霊殺し】を解除。これにより使用可能武器【対精霊武器】・使用可能魔法属性【黒魔法】を解放します。職業【魔法士】を【魔術師】にランクアップ。使用可能武器が十に到達、【魔術師】level1に到達したことにより、使用可能魔法【武器生成】を解放します』
時間という概念から完全に隔離された意識だけの空間。白いような黒いような訳の分からない空間で、ボクのステータス画面が大きく表示されていた。その中で、次々に文字が増えていく。それにつれて、ボクの脳内で欠けたピースがどんどんはまる。知識とピースが合わさり、形になる。
この感覚は、久々だ。気持ち悪いのか心地いいのかわからない。確かに言えることは、『自分に出来ることが増えた』ということ。理解ではなく実感として得られる感覚。
『現在これらの武器が使用可能です。使用しますか?』
声はボクに選択を迫った。画面が切り替わり、少数の武器の名称の一覧が表示される。属性付きの武器のようで、そのほとんどの属性が、先程解放された黒魔法だ。なぜ、大陸ファーストの生まれであるボクが黒魔法を? 精霊殺しと言っていたが、〈スカルシーダ〉があの程度の攻撃で死ぬわけがない。となると、まさか、リンか? あの紫髪の精霊は弱ってはいても死ぬような様子はなかったはずだ。リンが死んだのか? それとも、『堕ちた』のだろうか。
それを確かめる術は今はない。故に悩むだけ時間の無駄だ。ボクは画面に向けて手を伸ばした。
ここは時間という概念から完全に隔離された意識だけの空間。現実世界ではボクの体は眩い光に包まれていることだろう。ボクがここでいつまで過ごそうと、現実では一秒の時間すら経っていない。
ボクは戦闘中にこの現象が起きることがとても嫌いだ。なんせ、集中が切れる。危険から切り離されたこの空間から敵からの攻撃が降り注ぐ戦闘に戻るときの頭の切り替えが苦手だ。
緊張を維持しつつ、少しでも早く現実に戻ろう。そう思い、ボクが選択した武器は。
伸ばした手から、黒いもやが噴き出した。今まで体感したことの無い未知の感覚。ビリキナの魔力を使って魔法を使うときのものによく似ている気もする。でも違う。これは、ボクの魔力だ。魂を中心にしてボクの体内を循環する、他の誰でもないボク自身の魔力だ。噴き出した大量の魔力はいつまで経っても収まらず、ボクは頭痛がした。魔力切れの兆候、とはなんだか違う。体の中を風が吹き抜けるような、そんな感覚。そういえば、ランクが【魔術師】になったとか言ってたっけ。魔力量が大幅に底上げされたのかな、魔力が尽きる様子はない。
やがて、もやは一点を中心に形を成し、そして三つに分かれ、それぞれが一つの武器になった。短剣によく似た、しかしそれよりもやや単純な見た目の、『投げナイフ』。
冒険者を含め、自分の武器として投げナイフを選ぶ人はとても少ない。そもそも投げナイフというものは、メリットよりもデメリットの方が目立つ武器だ。
弓でもそうだけど、消耗が激しく戦闘中の回収も難しい、いわば使い捨ての武器なので、出来るだけたくさんの武器(投げナイフ)を持っておく必要がある。重さだったりかさばったりなんかの問題はアイテム・ボックスに入れることで解消されるけど、そうするとアイテム・ボックスの容量が少なくなって魔物を倒したときに手に入る素材が持ち帰れなくなる、という問題が発生してしまう。魔法を使わずに投げナイフで魔物を仕留めるのは至難の業だから、素材と言っても手に入るのは大抵魔石くらいのものだけど。
切れ味も、投げた時は通常のナイフよりは切れるけど、近接戦になるとてんで役に立たない。遠距離攻撃の手段はそれこそ弓があるので、人に教えられる程の技術を身につけている人が少ない(習得が難しい)投げナイフよりも、数は限られるとはいえ一般の学校で習得出来る弓の方が扱う人は多いのだ。
でも。それでもボクは投げナイフを選んだ。理由は単純。『姉ちゃんに褒められたから』、ただそれだけだ。欠点が多いという投げナイフの特徴も理解した上で、他の武器は二の次にひたすら投げナイフの技術を磨いた。
たった八年間、されど八年間。何かの役に立つなんて思いもしなかった。姉ちゃんとの思い出が廃れてしまうのが怖くて、何度も何度も教わったことを繰り返していた。誰かに教わることもせず、遠い昔の記憶を頼りに。姉ちゃんから教わった姉ちゃんの技術が、他の誰かの技術にすり変わるのがどうしようもなく嫌だった。
『朝日くんの武器も、ボクと同じ投げナイフなんだねぇ』
いくら長い間同じことを繰り返していたとしても、必ずどこかで歪みは出てきてしまう。一度歪んでしまえば、その歪みはどんどん酷くなる。自分の投げナイフの技術が誰のものなのか自信を持てなくなったときに、ジョーカーに出会った。
『すごいね、それって独学でしょぉ? 戦闘技術として評価すればヘッタクソで荒いけど、芯はちゃんと出来上がってる。磨けば光るだろうねぇ』
最初は拒んでいた。受け入れる訳にはいかなかった。ジョーカーの技術と姉ちゃんの技術が同じであるはずがないから。ボクの中にある技術が消えてしまうと思っていたから。
でも、ジョーカーはこう言った。
『本当に君が『日向ちゃん』の投げナイフの扱い方を覚えているのなら、ボクの技を見て気づくことがあるはずだよ』
そのときのジョーカーの表情は、今でもよく覚えている。いつもと同じ何を考えているのか分からない不気味な笑みの中に、一欠片の『優越感』が埋め込まれていた。
ジョーカーの技術は、姉ちゃんのものとよく似ていた。どうしてなのかは分からない。もしかしてジョーカーも姉ちゃんに投げナイフを教わったことがあるのかもしれないとも思ったが、なんとなくそれは違う気がした。逆にジョーカーが姉ちゃんに教えたのか、それも考えたが、そうなると姉ちゃんの上にジョーカーがいるということになるので、それはありえない。
ただ一つ言えることは、ジョーカーと姉ちゃんの間には無視ができない『何か』があるということだ。その事実に目を瞑ることはしたくなかったけれど、そのとき優先すべきだったのは、ジョーカーから戦闘技術を教わることだった。
『ボクなら、君が望むように出来るよ。約束する。投げナイフに関して言えば、ボクと日向ちゃんの技術はほぼ等しいよ』
ジョーカーの言葉そのものを信じたわけでは無い。ボクはボク自身の目でそれを見て、その上で判断したんだ。
ボクはジョーカーから技術を分け与えられた。今でもそれを後悔することは無い。利用できるものを利用したまでだ。
23 >>297
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.297 )
- 日時: 2023/04/05 20:59
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: YC5nxfFp)
23
現実世界に戻ると同時に、【スキル・制御】を使用した。遠距離攻撃の命中率を上げるスキルで、ボクが八年の間に習得したスキルでもある。
しかし、そのスキルが無効化された感覚がした。続けざまに声が聞こえる。
『【対精霊武器】は、魔法またはスキルと併用することは出来ません』
「!」
そういう武器があるのは知っていた。でも、まさかいまボクが持っているこれがそれだなんて!
けど、それに気づいたとしてももう遅い。ボクの視界にはネラクが映り、ボクの手はネラクに向けて投げナイフを放とうとしていた。
『【付与効果・一撃必中】を発動します』
投げナイフが手から離れた瞬間、そう告げる声と共に右腕に激痛が走った。右腕の血管を全て引きずり出されたような、何かがブチブチとちぎれる感覚と、指先から肩にかけて激しい電流が走り抜けるような感覚が突如としてボクを襲う。
パリィィイン!
ガラスが割れる音とよく似た高い破裂音と、キラキラと光る透明感のある青い破片が辺りに飛び散る。
そこからは、とても静かだった。
ネラクが張ったのであろう魔法障壁を破壊し、投げナイフはネラクの体に触れる直前に、黒いもやへと形を『戻し』た。八方へ伸びる手のごとくそれはネラクを包み込み、そして捕える。黒いもやは、今度は『檻』に形を成した。
「はぁ、はぁ……」
ボクの息を吐く音だけが、やけに虚しく響く。体はガタガタと震えている。無意識のうちに、痛む右腕を左手で抑えていた。見てみると、右腕に特に変化はない。ただ、全体が麻痺しているようで、力も入らなければ左手が触れている感覚もしない。その癖に痛みは治まらない。
痛い。
「痛くない……痛くない……」
ボクは左手を離し、立ち上がった。ずいぶん暴れてしまったから、屋敷にいる奴らが来るのは時間の問題だ。先を急ごう。
「笹木野龍馬のことを探りながら、ってのは無理そうだな」
__________
『おい、大丈夫かよ』
ツェマと呼ばれていたメイドらしき女が歩いていった方向へ進んでいる道中、ビリキナからそう声をかけられた。
『なに。心配してるの?』
わざと棘のある言い方をした。ビリキナがボクの心配なんてするわけないし、話しかけられても集中が途切れるだけなのでやめて欲しい。
『契約関係だからな、そう簡単に見捨てられねえんだよ。なあ、その腕で戦えんのか?』
『うるさいな。これくらいなんともないよ』
『知らねーぞ。ま、手当のしようもねーけどな』
ボクのこの腕の状態の原因はおそらく、さっきの【対精霊武器】の【付与効果】である【一撃必中】の反動だ。
【一撃必中】のような強力な技(あるいは技術)は、主に【付与効果】と【特殊スキル】の二つに分けられる。【特殊スキル】でも反動はあるにはあるが、これほど強くはないだろう。そもそも【特殊スキル】というのは【習得スキル】から派生したもので、つまりは自分自身の力で得た『技術』だ。この場合身体、もしくは精神に与えられる影響は強い力を使ったことに対する『代償』の分だけだ。
それが【付与効果】となると話は変わる。付与されているものが『魔法』ではなく『効果』なので、実際にはない力を無理やり引き出すため、『代償』に加えて身体に異常なほどの負担をかけてしまうのだ。酷い場合は骨折どころか身体の一部が消し飛んだりもする。でも、ボクは少なくとも見た目はどうともなっていない。なんでなんだろ?
考えても答えが出ないことは、考えてるだけ時間の無駄だ。考えるのはあとでもできる。はやく、笹木野龍馬をみつけないと。
物陰に潜みながら歩いていると、段々人影が少なくなってきた。そしてついに、メイドなんかも含めて一人も視界に入らなくなった。さっきボクが暴れた場所に人が集中してるのか?
きっと、焦っているんだろう。ボクは思い切って走り出した。もちろん周囲に気を配りながら、だけど。慎重さを欠いた。
声が聞こえた。
『……』
近いとは言えないが、かといってさほど遠くもない。風に乗って断片的に聞こえる声。女の人かな、大人とも子供とも言い難い、ボクよりやや年上くらいの女性の声。
ああ、違うな。これは。
歌だ。
姉ちゃんが、昔、たまに歌ってくれていたっけ。母さんが歌ってくれる歌とは歌詞や音程が若干違っていた。
眠れ眠れ幼き子よ
眠れ眠れ春の風に
眠れ眠れ幼き子よ
温かな雨にうたれて
眠れ眠れ
救いの雨に身をゆだね
眠れ眠れ
大地と共に
汝が草木に寝転べば
眠れ眠れ
大地は汝の寝床へと
眠れ眠れ
炎と共に
炎は汝の守り人
眠れ眠れ
安らかな眠りを誓う
眠れ眠れ
春の風に
そよ風は汝のゆりかご
眠れ眠れ
汝はただただ身をゆだね
眠れ眠れ
雨に降られて
水も土も火も風も
全ては汝に安らぎを
眠れ眠れ
光も闇も精霊も
全ては汝に温もりを
眠れ眠れ春の風に
眠れ眠れ幼き子よ
眠れ眠れ春の風に
眠れ眠れ幼き子よ
我らと共に
だったっけな。
なんだか懐かしい気持ちになり、つい、吸い寄せられるように声の主の元へと足を動かしてしまった。この歌声はとても優しげで、頭のどこかで、もっと近くで聞きたいと思ってしまったのだ。
『おい、後ろ!!』
バリィィイイイッ!
ビリキナの大声と壮大な雷の音が、突如としてボクの意識にショックを与えた。
何が起こったのか、すぐには分からなかった。しかし、本能が『逃げろ』と叫んでいる。
振り向くと、雷属性の魔法障壁と、それに『何か』が衝突したことによって発生した猛烈な光があった。ビリキナと視界を共有しているおかげで目が見えなくなることはなかったけれど、視界は真っ白で、そういう意味で何も見えない。
落ち着くように自分に言い聞かせながら、【察知】で周囲を探る。
囲まれてる。
……しまった。
「チッ」
舌打ちをして、投げナイフを両手に三本ずつ構える。視界に色が差し、敵の位置を確認すると同時に【制御】を使って投げた。幸いなことに、大多数がさっきの光で目をやられたらしく、こちらへの攻撃の素振りが遅い。
見つかった以上、もう前進し続けるしかない。正面の敵へ向けて放った三本のうち一本の投げナイフはギリギリのところで避けられた──けど、敵の頬をかすめる。
「ギャアアア!!」
ジュウ、と肉の焼ける臭いの中へ飛び込み、悶え苦しむ二体の怪物族の間を通り抜ける。
怪物族相手に聖水を使ったことはまだなかったけれど、想像以上の効果だ。
ボクを囲んでいたのは、全員がボクの二倍はありそうな大柄で、見るからに屈強そうな男たちだった。なのに、投げナイフが突き刺さった男はおろか、かすっただけの男も、切り口が徐々に抉れ、真っ赤な穴があいていた。それを直視し、思わず吐き気に口を抑える。
「追いかけろ!」
でも、走る足も、ナイフを投げる手も止めない。次から次に湧く男たちの位置を逐一把握しながら、屋敷の中へ入るための方法を探す。騒ぎが大きくなったいま、最悪壁を破壊するという選択肢もあるが、それは最終手段として置いておく。
『防御はオレサマがやってやる。お前はとにかく前に行け!』
『わかってる!』
とにかく走り続けていると、開けた場所に出た。庭か? 屋敷の壁に囲われた空間で、美しい景観で彩られている。等間隔に植えられた木々、丁寧に手入れされた花壇に芝、ピカピカに光る敷石、キラキラと輝く噴水。そして、ずらりと並ぶ男や女。
「真弥様と明虎様を安全な場所へ!!」
そんな声が聞こえてきた。
真弥様と、明虎様? まさか、吸血鬼か?! いや、吸血鬼なら、というより怪物族なら避難はしないだろう。応戦はせずとも威厳を保つためにその場に居続けるはずだ。奴らはそう考えるはずだ。怪物族じゃないのか? だとしたら、誰だ? プライドが高い怪物族が『様』と呼ぶ、怪物族以外の存在?
考えるな。動け。
逃げるなら、あいつらのことを気にする必要は無いじゃないか。
ボクは走り続けた。男たちが近づいてくる。その前に、ナイフを放つ。当たりさえすればいいのだ。怪物族である以上、聖水の効果を逃れる方法はない。
バチッ
時折、背後から何かが弾ける音がする。そんなものは気にしない、後ろは向かない。前へ、前へ。
「どけぇお前ら!!!」
ドスの効いた大声が突進してきた。ただでさえ大きい他の奴らよりも二回りは大きい、巨大な棍棒を持った大男。兵の制服らしきものを着てはいるものの、毛むくじゃらの全身はほとんど隠れていない。青い狼の頭の中の鋭く光る黄金の目がボクを捉えている。真っ赤な舌が、大きく裂けた口から垂れていた。
さあっと血が引く感覚がした。
怪物族の中に存在する多くの種族の中で、『狼』の姿をしたものは、特別強い力を持っていることが多い。あいつは、〈ジャイアントウルフ〉だ。名前の通り体が大きく、とにかく並外れた筋力を持つ。移動速度は飛び抜けて速いということはないが、跳躍力も高く、一度の跳躍で建物三階分は飛ぶことが出来るらしい。
ドス、ドス、と地面が揺れる。振動の音がどんどん近づく。たまらずボクは足を止めた。後ろからも敵が走ってくる音がする。
『おい! とまんじゃねえよ!!』
手が、足が、震える。気を抜けば、意識が飛びそうになる。息が出来ない。
怖い。
恐い。
こわい。
……こわくない。
24 >>298
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.298 )
- 日時: 2022/03/30 22:28
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: l2ywbLxw)
24
後ろは気にするな。後ろの奴らは気にするな。前を、前を。
投げナイフを構える。投げる。一つ一つの動作を丁寧に行い、投げナイフが飛んでいく様子もじっと見つめる。その間も足は止めない。大男を避けて、大男から見て左へ大きく回って走り続ける。目線は投げナイフに固定し、ボクが走る先々にいる敵の位置も把握する。
右から剣撃が来る。無視。
バチッ
後ろから矢が飛んでくる。無視。
バチッ
前から魔法による氷の塊が降り注ぐ。これも、無視。
バリッ!
雷の魔法障壁が変形し、前にいる奴らを飲み込む。
大男が動いた。目にも止まらぬ速さで棍棒を一振りする。投げナイフが木っ端微塵になるのが見えた。爆風がこちらにまで襲い来る。棍棒を振ったときに生じた風だ。それは木々を薙ぎ倒し、ボクを含めた範囲内のほぼ全員の体を吹き飛ばした。
体が浮いた。足が地面から離れる。視界がものすごい速度で広くなる。
視界の端で、さっき「真弥様」、「明虎様」と呼ばれていた子供が見えた。一人は姉ちゃんと同じくらいの年の女の子。一人はボクよりも小さな男の子。怪我でもしたのか、体のあちこちに包帯が巻かれてあったり、湿布が貼られていた。
この騒動での怪我じゃないよね?
ガッシャアァァァァアアン!!!!
派手な音をたて、ボクの体は窓ガラスに衝突した。ガラスが広範囲に弾け飛び、ボクは屋敷内の侵入に成功した。そのまま廊下の壁に激突する。壁はヒビが入り、ところどころ崩れ落ちた。
「ケホッ」
砂埃が舞って、咳が出た。服の効果のおかげで骨は折れていない。動ける。行こう。
立ち上がった途端、床が揺れ、ボクはよろけた。
ズシン、と、重い振動音がすぐ近くで鳴る。音の発生源を見ると、庭側の壊れた壁に出来た大穴に、大男が器用に立っていた。外から見たよりも屋敷の天井は高かったが、〈ジャイアントウルフ〉からすればまだ足りないらしく、背を丸め、足を曲げてそこにいる。
「死ね」
手に棍棒は握っていなかった。生来備わっている鋭利な爪が、ボクの体を狙う。巨体に似合わぬ素早さで腕がボクの方へ伸びてくる。
「待て」
しかし、その爪がボクの体を引き裂くことは無かった。廊下の向こうから聞こえてきた制止の声に従い、振りかぶったところで腕はピタリと止まる。
「なんの権利があってカツェランフォートの屋敷を破壊してんだ?」
声の主を見た大男の表情がみるみる強張る。目は大きく見開かれ、分かりやすく体が震えた。
ボクも声がした右側を見た。そこには二人の男女がいた。大人らしいが見た目はまだ若く、姉ちゃんとさほど年は離れていないように見える。見た目は。
「が、雅狼様、それに、沙弥様まで……。一体なぜここに」
男性は緑味のある長い髪が特徴的だった。髪の長い男性はたまに見かけるけど、あまりいない。束ねることもせずに後ろに垂らしている。切れ長の目の中にある水色の瞳は楽しげで、口元も歪んでいた。怪物族らしい高身長で、洋風の貴族らしい煌びやかな衣装を身につけている。
女性は男性よりも深い青の髪を編んで、肩に垂らしている。キュッとつり上がった黒い目は男性とは違って冷たい光を宿している。こちらも貴族らしいドレス、しかし落ち着いた雰囲気のものを着ていた。男性ほどではないにしろ、やはり怪物族らしく高身長だ。
その二人を見た瞬間、散らばっていた点が一つに繋がった。
尖った耳に鋭い牙。二人にはそれがあった。それくらいなら怪物族なら当然だ。しかし、名前に『様』をつけて呼ばれていることと服装から、二人が吸血鬼であると確信する。つまり、笹木野龍馬の血縁者だ。
『沙弥』という名前から、『真弥様』と呼ばれていたあの人、そしてそばにいたあの男の子が笹木野龍馬の血縁者であると推測出来る。思い出した。笹木野龍馬は、人間と吸血鬼の〈ハーフ〉だ。確か父親が人間のはず。だから『あの男』は昼だっていうのに屋敷の外で歩いていたのか。
「俺は質問したんだよ」
雅狼と呼ばれた男性は拳を握り、少し自分の体の方へ引いた。
「ヴッ!」
すると、大男は苦しげな声を発した。そしてそれ以外の言葉を出さぬまま、体が後転し、庭へ落ちていった。
「まさか、『虫』を屋敷内に入れるなんてね」
「本当だよ」
「別に、殺したって良かったんだがなぁ」
最後の言葉は、ボクに向けられた言葉だ。
男性が、話しかけるように呟きながらボクに近づく。その一歩遅れて、女性もそれに続く。
「新月の日、しかも龍馬があんな状態になってる今日にわざわざこのカツェランフォートに入り込むなんて、ただの虫がすることじゃねえよな?」
『あんな状態』?
「なんか知ってんじゃねえの? お前」
ボクは両腕を突き上げ、出来得る限りの力で振り下ろした。
「あ?」
わざわざおしゃべりに付き合ってる時間はないんだよ。
ドオ……ン
重厚な爆発音にも聞こえる、強烈な落雷の音。
精霊であるビリキナの大量の魔力を使って、巨大な雷を落とす魔法【焼失地帯】を発動した。
倒すことが目的じゃない。
雷は天井を突き破り、半径三メートルの範囲にある物を焼失させた。そして、それ以上の範囲に強い『光』を振りまく。
怪物族は、夜目が効く代わりに光に弱い。暗い中に急にこれだけの光にあてられたら、しばらく目が見えなくなるはずだ。
いくらビリキナがいるとはいえ吸血鬼と本気でやりあっても、力と時間を消耗するだけだし、命だって危ない。だから雷のサイズも抑えた。本来ならもっと大きく出来るけど、目的は『光』だから、あれくらいでいいのだ。
ボクは二人がいた方とは逆を向き、廊下の先に進んだ。
『おい! 魔力を大量に使うなら先に言え!』
『そんな暇あった?』
『あのなぁ……。魔力練り直すから数十秒魔法障壁張らねぇぞ』
『わかった』
それを聞き、ボクは一層周囲に気を配った。【察知】や【索敵】に加え、感覚そのものも使い、そう時間のかからないうちに来るであろう敵に備えた。
そのつもりだった。
「え」
気づけば、ボクの腹に、ナイフが刺さっていた。
25 >>299
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.299 )
- 日時: 2022/05/02 06:31
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: bGiPag13)
25
目の前には、幼い女の子が立っていた。ナイフを真っ直ぐに持っている。構えとも言えない持ち方なのに、それはボクの体に深く食い込んでいた。
「え」
あまりに突然で、ボクは二度目の言葉を漏らした。
「わたくしは手を出さないつもりでしたわ。雅狼さんと沙弥さんがすることですし、そもそも元はお兄様のお仕事ですもの。わたくしが手を出すなんておこがましいですわ」
身長差ではボクの方が上のはずなのに、見下すようなオーラを感じる。冷ややかな紫の瞳が、ボクを睨みつける。
「けれど、先程の会話を聞いて気が変わりましたわ。あなた、何かをご存知ですの? お兄様の──いまのお兄様のことを。
もし知っているというのなら、大人しくなさいませ。全てを仰るまで、殺しはしませんわ」
お兄様? 誰のことだ? 屋敷に入ったばかりのときに聞いたことと合わせれば、笹木野龍馬か?
「あら?」
女の子は、ズッと血塗れのナイフを引き抜いた。そして、ナイフに付いた血をぺろりと舐める。
「これは、大陸ファーストの……」
そちらに気を取られているすきに、ボクは駆け出す。あんな小さい子の足では、ボクには追いつけないはずだ。
そう思ったのに、五秒もしないうちに後頭部に強い衝撃が加わった。蹴り飛ばされたのだ。ボクが倒れ込む直前に、小さくトンッと着地する音が聞こえた。飛び上がって蹴ったのだろう。
「何故お逃げになるの? 殺さないと言っているのに。わたくしはただ、話をお聞きしたいだけですわ」
立ち上がって、投げナイフを構える。後ろを振り向き女の子の姿を視界に捉えたと思ったら、女の子はボクの体に手を触れていた。
「少しは理性的におなりなさい」
それは、粘り気のある液体を流し込まれたような感覚だった。急に体が重くなる。かしゃんと乾いた音をたて、手から投げナイフが落ちた。足に力が入らず、床に膝をつく。
「少し考えれば、お互いに利のある話だとお気づきになるはずですわ。
随分純度の高い聖水をお持ちですのね。やはり大陸ファーストの人間かしら?」
喉に何かが張り付いている感覚がする。上手く呼吸が出来ない。
「わたくしは知りたいだけなのです。お兄様を解放して差し上げたい。苦しむお兄様も、苦しみを隠すお兄様も、もう見たくないのですわ」
何を、言ってるんだ?
「わたくしごときにそんなことが出来るなんて思っていませんけれど、それでもわたくしは……」
「ルア、甘いよ」
声がしたと思ったほぼ同時に、首に鋭いものが突き立てられた。なんだ?
「ルイ!」
「龍馬さん自身がアレの原因を突き止めるために動いてるんだから、わたしたちが特別何かをする必要なんかない。侵入者は、さっさと殺すか捕まえて吸血奴隷にすればいい」
「わかってるわ。でも」
「でもじゃない。ルアこそしっかりして。人間の血が入ってるあの人にそこまで踊らされるなんておかしいよ」
「っ! お兄様を侮辱するのはやめなさい! お兄様は素晴らしい方よ! ルイこそどうしてそれがわからないの?!」
「だから、それがおかしいって言ってるの。だから、甘いままなのよ」
ルイと呼ばれたもう一人の女の子が後ろから姿を現した。片手が血に染まっている。突き立てられたのは、爪だろうか。長い爪がしゅるしゅると縮んでいく。
『おい、どーすんだよ。お前、死ぬぞ?』
『…………』
「わたしは、あの人が嫌い。昔比べられたことがあるとか以前に、吸血鬼らしくないし、なんか、嫌」
「それはっ、そう、かもしれないわ。だけどお兄様は!」
「何度も言ったでしょ。わたしはわたしの意志を曲げるつもりは無い。龍馬さんは嫌い。何より吸血対象でもない人間の女を好いているっていうのが気持ち悪くて仕方ない。この話は終わり。
こいつもすぐ死ぬ。部屋に戻って、それで寝よう。先戻ってるから」
そう告げて踵を返し、ボクに目を向けることなく立ち去った。
「わたくしは、わたくしのやり方で」
女の子は苦しそうに言うと、ボクを見た。
「答えなさい」
ボクが答えられるはずのない質問を、投げかける。
「どうしてお兄様に、他人が宿っているんですの?」
まだ、言葉は続く。
「お兄様は苦しんでいらっしゃるわ。悩みを話すのは真弥さんに対してだけですけれど、近しい者はみんな知っていること。誰しも苦しみを抱えているもの、そう言えばそれきりですわ。けれど、どうして苦しまなければいけませんの? お兄様が何をしたの?! 知っているなら、答えなさい!」
そんなの、ボクが知ってるわけないじゃないか。
というか、なんだよ。『他人が宿っている』なんて、何の話をしているんだ?
「答えないなら、殺しますわ。さあ、どうなさるの?」
『ビリキナ。ボクの体を動かして。出来るよね?』
それは『乗っ取り』に近いものだ。ボクの体はもちろん、ビリキナにも大きな負担を与える。意識のある体を他者が動かすのは難しいのだそうだ。
『どうしろってんだよ』
『えっと』
『じゃあ、ボクがあげた魔法石を壊してみて?』
さっきと同様に、ジョーカーの声が聞こえた。体が動かないからどこかにいるのかすらもわからない。でも、目の前の女の子は変わらずボクに視線を固定している。
『ジョーカーの、魔法石を、破壊して』
『なんでだ?』
『わかんない』
『は?』
『いいから、やって』
この際、もう、なんでもいい。もうすぐ死ぬんだったら、なんでもやってやる。
『しゃーねーな』
ボクの手はポケットを探り、中にある白色の魔法石を取り出した。破壊しようと力を込める。
「なぜ動けるんですの!?」
さすがに硬い。だからこそ、魔法石を壊すなんて発想はない。それよりもまず、魔法石が壊れたら、中にある魔法が漏れ出て、魔法石として機能しなくなる。
『かてーな、クソッ』
マスクをずらし、口の中に魔法石を放り込む。嫌な予感が脳裏を横切るより前に、ガリッと硬いものを噛む音と、ゴリッと奥歯が折れる音がした。
プッとなんでもないことのように折れた歯と血、魔法石の破片を口から吐き出した。
『これでいいのか?』
文句を言おうかと思ったが、そんな気力も起こらない。
「なにをして」
女の子は言い切らなかった。ボクも言葉を失った。
ありえないほど濃厚な魔力の渦が、ボクらを直撃した。物理的な力ではない、魔法的な力が意識を大きく揺らし、視界がぐるんと歪む。
女の子が、ふらっと倒れた。ボク自身は意識が飛びそうだけど、ビリキナが耐えているのか体は動かない。
何が起こったのか、わからない。魔法石を破壊しただけだぞ? 魔法石を破壊しただけでは、こんなことにはならない。きっと何かほかにあるはずだ。でも、何かって?
『なんだよ、これ』
ビリキナが呆然と呟く。
『何が起こったの?』
ビリキナは、『何か』を知っているのだろうか。そう思って尋ねると、ビリキナは語り出した。
『魔法爆発に似たようなもんだよ。魔法石の中の魔力が、魔法石が壊れたせいで外で暴れてんだ。
どうなってんだよ! あんなちっぽけな石ひとつにこんだけの……しかもこの魔力は……。
なあ、お前も感じるだろ?』
『感じるって、何を?』
『はあ?!』
聞き返すと、怒声が飛んだ。
『感情がぶっ壊れてんのはいいけどな! 感覚まで鈍ってんじゃねぇよ!!!』
そんなこと言われても、感じないものはどうしようもないじゃないか。
『この魔力はただ強いだけじゃない。オレサマみたいな精霊の力に近い。でも違う。これは』
震えるような、恐怖を含んだ声で、ビリキナは言った。
『これは、神の力だ』
26 >>300
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.300 )
- 日時: 2022/05/02 06:32
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: bGiPag13)
26
『何言ってるの?』
『お前は信仰心が薄いみたいだけどよ、神は存在する。精霊であるオレサマが、神の力を間違えるはずねえ』
『百歩譲って神が存在するとして、じゃあ、ジョーカーが神だって言いたいの?』
『んなことオレサマが知るか。大体、神が簡単に人前に姿を見せると思うか? それもお前みたいな一般人の』
『じゃあ、何が言いたいのさ』
ビリキナは、返事に詰まったらしい。少し時間を空けて、頭の中で声が響く。
『わからない。ただ、ジョーカーの力は神の力に酷似してる。でも、ジョーカーの魔力を直接感じたのはこれが初めてってわけでもないのに、いままで気づかなかった。よっぽど力を隠すのが上手いのか、それとも精霊よりも神に近い何か──怪物なのか』
ばけもの、か。
『なんなんだよお前! 白眼だし訳の分からん魔法使うし! バケモノ! バケモノ!!』
姉ちゃんは確かに、ばけものと呼ばれる存在なのかもしれない。それは痛罵の言葉ではない。ばけものが人智を超えた存在を指すのであれば。もし、もしも、神が存在するというのなら、姉ちゃんならば、神であると信じられるかもしれない。
そういえば、東蘭も昔〔神童〕なんて呼ばれていたし、笹木野龍馬は〔邪神の子〕と呼ばれている。『神』とは一体何なのだろう。どれだけ優秀だとしても、どれだけ特別だとしても、所詮はただの〈人〉に過ぎない者に『神』の名を与えていいものなのか?
それなら、ボクはどうして姉ちゃんなら『神』を信じられるなどと思ったんだろう。姉ちゃんは人間だ。人間であるボクの姉だ。
どうして?
「ルア、大丈夫?」
さっきの『沙弥』という名の女性が女の子のそばに駆け寄った。目が回復したらしい。あの男性も一緒にいる。
「それに、さっきの魔力は? まさか、あいつが?」
女性が女の子に話しかける間、男性はボクをじっと見ている。先程までの余裕は全く見えない。警戒するように、観察するように、ただ、見ている。
「……意識が無いわ。当然よね。いくら純血の吸血鬼と言ってもさっきのを直撃したのなら、耐えられるはずない」
そして、女性もじとりとこちらを見る。
「そしてそれに耐えているということは、発生源はあいつ。
狼兄。本気でかかるわよ」
「言われなくてもわかってる」
二人の瞳は金色に変わり、爪は猛獣のもののように鋭く、長くなった。バキバキと音をたて、口から犬歯が顕になる。
ボクはぼうっとしていた。諦めたわけではない。この先の未来を予想していたのかもしれない。いや、違うな。負けないことを確信していたんだ。勝つことを、ではなく、負けないことを。
女の子にかけられた、おそらく呪術によって自分の意思で体を動かすことさえままならず、首の肉は抉られ、血液も致死量に至ると思えるほど出ている。さらにビリキナもボクも、魔力の底が見え始めている。成人済みの吸血鬼二人相手に勝てる要素なんてどこにもない。
「本気、か」
限界を越えることが『本気』になるのなら、ボクはまだ本気を出していない。
体が動かないなんて、誰が決めた?
そんなのただの錯覚だ。
体が重い? 気のせいだろう。
魔力が尽きそう? まだ無くなってはいないじゃないか。
痛みも重さも恐怖も、感情を捨てたボクがそんなものを感じるはずがない。全てはただの妄想だ、幻覚だ。
『狂気』を引き出せ。やってやる。
『吸血鬼五大勢力』? それがどうした。花園家は大陸ファーストの『六大家』の一つだ。大きな違いなんてない。そうだろう?
俺は〔稀代の天才〕、花園七草の孫だ。どこの誰ともしれない女の血が混じっていようと、それは変わらない。
俺と目の前にいる二人の間に、どれだけの力の差があるというんだ?
「展開──【シール・サークル】」
俺は手を二人に向け、そう唱えた。直後、うるさい女の声が警告する。
『エラー発生、エラー発生。個体名【花園朝日】の魂に深刻なバグが検出されました。魔法の使用を続けると、修復不可能な魂の破損が予想されます。直ちに魔法の使用を中断してください。繰り返します。個体名【花園朝日】の体内で深刻なバグが検出されました。魔法の使用を続けると、修復不可能な魂の破損が予想されます。直ちに魔法の使用を中断してください』
まあ、そうだろうな。杖もなしに『使えるはずのない』魔法を使ってるんだから。
【シール・サークル】は、『六大家』の当主なら当たり前に使えて、大陸ファーストの一般住民が習得するのはやや難しい、という程度の空間魔法。【封印対象】または【排除対象】を自分の魔法が作用する空間に閉じ込める魔法だ。
この世界には、『限界を越える技術』が存在する。
自分の『才能』『能力』『魔法』を制御し、『限界』を設けているのは魂の役割だ。限界を越えたければ、魂を壊せばいい。簡単なことだ。
魂の中には、自分自身に関する全ての情報が入力されている。故に魂の破壊は自我の崩壊に直結する。また、魂の破壊を行う際に肉体の拒否反応と精神の拒否反応、そして異常行為の補正のための『世界』からの強制干渉に耐えねばならず、耐えられなくともそれらが原因で自我が崩壊するそうだ。そして自我の崩壊により引き起こされるであろう具体的な症状は、主に【記憶障害】、【魔力異常】、それからこの場合の自我崩壊の正式名称【段階的自我崩壊】だ。
それがどうした。
……そういえば、これ、どこで知ったことなんだっけ。魂を壊すって、どうやったんだ?
まあ、いいや。気にするような事じゃない。どうでもいい。
バチバチと激しい音が両手で鳴る。手の平くらいの大きさの光の玉を生み出し、二人に向かって投げつけた。
ドゴォンッ!
重低音が響き、壁の一部が壊れた。二人は【シール・サークル】の中にいたのでその場に留まっている。
「セル・ヴィ・ストラ!」
女性が叫び、爪で【シール・サークル】を引き裂く。限界を壊したと言っても練度は大したことないので、まあそんなものだろう。予想内だし、むしろこれくらい出来て当たり前だ。
そのまま、女性は直線に猛進してくる。幻術がなにかだろうか、数回女性の姿がブレて見え、かと思うとボクの肩は噛み砕かれようとしていた。
あー、やっぱり接触してくるのか。
そう思いながら、ボクは手に持っていた聖水の瓶を割った。魔法は使わず、握力で。
投げナイフに聖水を使ってはいるけれど、だからって聖水そのものを持っていないとは限らないでしょ? 聖水は貴重品だから、浪費しないとでも思ったのかな。
「い゛ッ」
呻いて、女性は離れた。幸い、服のおかげか多量の出血と多少肉が無くなった程度で済んだ。
女性の心配をする前に、男性はボクに飛びかかり、たぶん、爪かな。爪でボクを引き裂こうとした。
その前に両手を男性に向け、目を眩ませるくらいの量の光を放った。
「くっ!」
男性は両手を顔の前、目の前で交差させ、バックステップで下がった。なんだ、もう学んだのか。
「なんで【白】と【黒】を同時に扱えるんだよ?!」
驚愕に染まった声音で叫んだ。さあ、なんでなんだろ。俺にもよくわからない。でも、使えるんだから仕方がないだろ?
使えるものは、使わないと。
27 >>301
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.301 )
- 日時: 2022/06/02 05:02
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 46h1u6ru)
27
そうだ。使えるもので思い出した。ジョーカーから投げナイフを教わってからしばらくして、受け取っていたものがある。
『ボクの投げナイフは特別製だから、何かあれば使うといいよぉ。持っているだけでご利益があるかもね? 一本で充分とは思うけど、一応三本渡しておくねぇ』
鞄を探り、目当てのものを取り出す。ギラギラと輝く鉄色の投げナイフ。ボクが普段使う投げナイフよりも、一般のナイフの形状によく似ていて、ずしりと重く、受け取ったときに最初に思ったのは、投げにくそうだなということだった。使わないだろうという気持ちもあった。ただ、投げナイフは消耗が激しい武器なので、あればあるほどいい。それだけの理由で持っていた。
使ってみようか。
深い考えはなく、単純にそう思った。
柄を持ち、構えて、投げる。思っていたよりスッと投げナイフは手から離れようとしていた。
なんだ、思っていたより投げやすいんだな、と思っていた、次の瞬間。
『【神創武具・スートの忠誠】の【付与効果・一撃必中】を発動します』
無慈悲な歌声のように、無機質な声は告げた。
え、と思う間もなく、ボクの体は『激痛』に襲われた。
二度目の【一撃必中】。
今度は、肩の関節が熱を帯びた。ゴキッと骨が外れる音がした。腕全体が熱を抱いた。血管がドクドクと蠢き、今にも破裂しそうだ。左手を右腕に当てる。左手が触れた感覚がしない。
糸が切れたように、身体中が痛みを叫んだ。
身体がぐらりと傾いた。
首に、肩に、防ぎ損ねた名前も知らないような奴らに付けられた些細な傷すらもじくじくと痛む。いや、当たり前だ。針で刺しただけでも痛むのだ。人間の体とは、そういう風に創られていたはずだ。剣で、弓で、武器で傷を負わされたのなら、痛むに決まってる。そのことをいまのいままで忘れていた。
熱い。
身体の周りが熱に覆われているような、そんな感覚。不快な熱が、まとわりつく。熱と疲れと出血で、頭がくらくらする。ボクはとっくに限界を迎えていたのだと、そのとき初めて気がついた。こんな状態で魂を壊したのだから、そりゃあ、ぶっ倒れもするはずだ。
「は、は……」
自分自身を嘲笑った。なんとも渇いた声だった。音ではなく空気と認識できるほどのか細い声。
そうか、と、頭の中で呟く。『負けない』と確信していた理由を知った。ボクはボクが死ぬことを予感していたんだ。『勝つ』ではなかった。『負けない』と思った。自分で自分を殺すのだ。『殺されない』自信があった。
痛みと共に、吐き気がするくらいの血の匂いも感じた。鼻が曲がりそうな刺激臭。ボクだけの血じゃない。女性や男性の血の匂いもすることは、血の匂いに敏感な吸血鬼でなくとも理解出来た。自分の着ている服に付いた血が、ボク自身のものだけでないことも。
視界に投げナイフが身体に突き刺さった男性の姿が見えた。肩を抑えて掠れた息を吐く女性の姿が見えた。
罪を自覚した。
恐ろしかった。
自分が自分じゃなくなる──人間じゃなくなる気がした。
予感に過ぎない。予想でしかない。でも、確かにそう感じた。
戦闘時間は、とても短いものだった。こんなに短いものか? そう感じざるを得なかった。女性は聖水を浴び、男性は投げナイフが刺さった首元を抑えてうずくまり、ボクはもう動けない。
『勝利』も『敗北』もない。
何かがおかしい。
脳内でほんのわずかな違和感を見つけた。けれど、それの正体を探す前に、男性と女性が動くのが見えた。近接戦は諦めたのか、呪術の兆候を感じた。
「……」
ボクは目を閉じた。ここで終わりを迎えるのも、悪くは……。
『何を考えてる? 姉ちゃんのことはどうするんだ!』
声が聞こえた。
「もう、やめてよ」
疲れたよ。いいんだよ。もう、いいんだ。疲れた。これだけ体をボロボロにしてまで、これ以上何をするっていうんだよ。疲れた。疲れた。疲れた。
大人しく、殺されよう。
このままじっとしていれば、この世界に殺される。それでいいんだ。これがボクの運命だ。それがボクの末路だ。
ボクは、もう、
死にた──
「予想以上だ、ガキ」
突如廊下に響く声。その声は、聞き覚えがあった。
どこから聞こえてきたのかわからなくて、前にいる男性と女性を見ると、呆然と前(つまりボクの方)を見て、目を見開き、動きを止めている。
振り向くと、そこには、見たこともないような凶悪な笑みを浮かべるあいつがいた。
「よお」
海、というよりは空の色と形容するべき水色の短髪。透き通るような蒼色の瞳と、それ以外にも端正に整えられた顔のパーツ。男性が着ているような洋風の貴族らしい、それでいて派手すぎない洋服。主に黒と青で形作られているそれの足元は、べっとりとした赤で染まっていた。
前髪が一房黒く塗られていたり、右目が夜空のような黒に変わっていたりとボクが知っている姿と少し違う。だけど間違いない。その顔は見間違うことはない。ボクがこのカツェランフォートに侵入した目的そのものである、笹木野龍馬だった。
「使いの分際で俺を呼んだんだから、腕の二つや三つちぎってやろうかと思ったんだがな。面白いもんが見れたからチャラにしてやるよ」
使い? 呼んだ? 何の話だ?
そう考える隙もなく、ボクの体が勝手に動いた。ビリキナが動かしているのだ。
ボクは笹木野龍馬に跪いた。
『何してるの?』
『黙ってろ! お前が死にたくてもオレサマは死にたくなんかねぇんだよ!!!!』
疲労困憊していたボクは必死さが滲むビリキナの声に気圧され、ビリキナに任せることにした。
興味もないしね。
「龍馬!」
男性が大声を張り上げた。
「華弥はどうした! まさか、その血は」
「俺と『こいつ』を一緒にすんじゃねえって、何度も言っただろうが」
低い、苛立ちを隠さない声が、『男性の近くで』聞こえた。
顔を向けた頃には、もう、男性の体は吹き飛んでいた。
ドゴォンッ
凄まじい破壊音が、廊下の先で聞こえた。
「あ? 何見てんだよ」
ボクではない。笹木野龍馬は隣にいた女性に言った。
「い、いえっ」
女性は青ざめ、ぱっと笹木野龍馬から視線を逸らした。
「ふうん?」
満足気に笑い、ボクを見た。
「お前のことは気に入った。随分待たされたけどよ、殺さずにおいてやる。お前みたいな頭のネジがぶっ壊れたやつは好きなんだ」
ゆっくりと、こちらに歩み寄る。一歩一歩、音が大きくなるごとに、怖いくらいの静寂を感じた。
「出せ」
何を、というのはすぐにわかった。あの『ボタン』とやらのことだろう。それはビリキナも察したらしい。
『おい、どこにあるんだ?!』
『鞄の中』
右腕が乱暴に鞄を探る度に、痛みが増した。でも、耐えることすら億劫で、ボクは黙って痛みを受けいれた。
ビリキナは何故か焦っている様子で、落ち着けばすぐに出せるはずのボタンを出すのに手間取った。なんとか出せると、笹木野龍馬に差し出す。
「お前も来るんだろ?」
ボタンを受け取ると、不思議そうに言い、ボクの右腕を雑に掴む。そして、ボタンの突起を押した。カチッと音が鳴り、突起は凹んだ。
疑問はあった。ボタンのことを笹木野龍馬は知っていたようだった。笹木野龍馬の様子もおかしい。
でも、とにかくボクは……もう、疲れた。
28 >>302
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.302 )
- 日時: 2022/06/02 05:04
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 46h1u6ru)
28
どこかから、嗚咽混じりの泣き声が聞こえる。
彼は、すぐ近くにいた。
ボロボロの服とマントを身につけ、傷だらけの両手で何度も何度も涙を拭う。その繰り返し。
「なにしてるの?」
問いかけても、返事はない。聞こえていないらしい。
暗く、冷たく、たった独りの空間で、少年は泣いていた。
「どうしたの?」
もう一度問う。返事はない。
だけど少年はこちらを見た。その顔を見て、驚いた。髪は長く、結われて肩から垂らされ、姿も小さかったが、それ以外はあいつに瓜二つだった。
息を呑む程に綺麗な『蒼』の瞳が、まっすぐに虚空を映している。
どこかから、罵声が聞こえる。
彼らは、やや離れたところにいた。
似たような服を身につけ、髪色は、濃淡の違いはあるが全員同じような青系。顔は見えないが、何となく、兄弟なんだろうと思った。
「うっわ、きったね!」
「また吐いたのか。全く、情けないな」
「仕方ないよー。〔出来損ない〕だもん!」
そう言う三人の少年と、何も言わずにクスクスと笑う少女。そしてその四人に囲まれてうずくまる、さっきの少年。
「こんなんが片割れの俺の身にもなれよ。もっと王家らしくしろ!」
嘲笑を含んで少年を怒鳴りつける。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
舌が上手く回っていない声が、小さく聞こえた。その声にも、聞き覚えがあった。
どこかから、声が聞こえる。なんと言っているのかはわからない。さっきまでの暗い場所ではない、どこか。風景すら見えない。真っ白い光の中から、声が聞こえる。
言葉は聞き取れない。だけどそれが先程までの悲しい言葉ではないことだけは分かった。
光はとても暖かく、そして、冷たかった。
どこかから、声が聞こえた。
「おーい、朝日くん?」
ジョーカーの声だ。
「ん……なに」
「ああ、良かった。生きてたんだね」
「なに、を」
声を出した瞬間に先程までのことを思い出し、ぼやけた意識を無理やり覚醒させ、自分の状況を確認した。
視界が元に戻っている。ビリキナとの【一体化】が切れているんだ。顔に被っていたマスクも取られている。でも、身につけている服はそのままだった。
「お疲れ様、朝日くん。外も中もぐちゃぐちゃだったからとっくに死んだと思ったよ」
その言葉を無視して、横たわっていた体を起こそうと身動ぎした。
「動かない方がいいんだけど……うん、座った方がいいね」
矛盾したことを言いながら、ジョーカーは笑みを顔に貼り付けながらボクを見ている。
ボクがいたのは、なんとも暗い場所だった。ぼんやりと青黒く光る円柱が等間隔に立てられていること以外なにも分からない。円柱は神殿にあるようなデザインと形で、見上げると、天井がなかった。どこまでも伸びている。
それから、とても静かだ。ボクの呼吸音すらも響くほど。
そしてなにより、この空間に充満する異様に濃密な魔力に吐き気を覚えた。空間そのものが『歪んでいる』と錯覚してしまうほど、異質な魔力。
「ここは?」
ジョーカーは楽しそうに、いや、面白がるように笑った。
「うーん、そうだね。天界の[負の領域]なんだけど、信じる?」
「天界?」
「天界というか、神界だね。神々が住まう場所。ただ、人間である君が来るとなったから少々弄っているよ」
急に突拍子のない話をされても、受け入れられるかと言われれば答えはノーだ。
「何言ってんの?」
「あはは。君らしい答えだけど、神の前でその言葉を口にするのは控えた方がいいよ」
その言葉を聞いた途端、背筋に悪寒が走った。ジョーカーの言葉に恐れをなしたわけではない。
本能が導くままに振り向いた。そこには、さっきまで居なかった──気づかなかった、『神々』がいた。
中央の玉座にどかりと構える、獣よりも雄々しい、顔の見えない毛むくじゃらの巨漢。黒いもやをまとい、全体像を捉えにくい。ただわかるのは、離れていても感じる、ビリビリとした威圧感。
腕を組んで仁王立ちをし、鋭い眼光をこちらに向ける、強面の、大きな男。正面から見ると髪は短く見えるが、後ろで編んでいるのがちらりと見える。下唇から飛び出た長い牙と、腰に差した大振りの剣が特徴的だ。
玉座の肘掛けにちょこんと座る、男か女かわからない人物。ほかの二人と比べれば五回りくらい小さく、子供っぽさが滲んでいる。可愛らしい顔立ちで、肩甲骨あたりまでの髪の長さも相まって中性的な印象を受けた。口元には笑みが浮かんでいるが、その笑みは嘲笑に見える。
通常の羊よりも毛の量が多く、体格も大きい黒羊に乗った少女。くるくるした髪に羊の角が埋まっていて、どことなくゼノに似ている。真っ黒な瞳には光が一切なく、虚ろだった。
異様な四人が、石像のように、佇んでいた。
「彼らは君に興味が無いみたいだから、ボクが説明するね」
ボクは何も言えなかった。薄々その正体に気づいていたから。気づかざるを得なかったから。疑う理由がわからなかった。ジョーカーの口の動きを凝視し、言葉を待つ。
「組織の名前は[ニオ・セディウム]。目の前にいる彼らはテネヴィウス神をはじめとした『六帝』だ」
そう。四人──四神の姿は、本に描かれたニオ・セディウムの神々の姿にそっくりだった。
獣の姿の最高神、テネヴィウス神。大剣を持った戦神、プァレジュギス神。性別を持たない、与奪を司るイノボロス=ドュナーレ神。六帝の唯一の女神、新月を司るノックスロヴァヴィス神。
『これは、神の力だ』
ビリキナの言葉を思い出し、震える声を絞り出す。
「じゃあ、ジョーカーも」
「いや、ボクは神じゃないよ」
「で、でも、組織の幹部だって」
「ボクはね、元々組織にいたわけじゃないんだ。言ってしまえば協力関係にあるだけ。立場として『幹部』の肩書きを預かってたんだ。それももう、終わるんだけど。
ボクは〈スート〉。ただそれだけだよ」
スート。その言葉を、どこかで聞いた覚えがあった。どこだっけ?
ああ、そうだ。確かあの時。
『【神創武具・スートの忠誠】の【付与効果・一撃必中】を発動します』
ジョーカーから貰ったあの投げナイフの名前に、スートという文字が入っていた。神創武具とはその名の通り、神が創った武具のこと。そういうアイテムはダンジョンや遺跡で見つかったり、歴史ある国や家で厳重に保管されていたりする。だけど、そういう場合、当たり前だけどアイテムは一つ、多くても二つであることがほとんどだ。いくら数が必要な投げナイフだって例に漏れないだろう。少なくともボクはいままで神創武具の投げナイフの話なんて聞いたことがなかったから、本当にそうかはわからないけれど。
なのに、ジョーカーはボクに『三本』の投げナイフを渡した。その上で、ジョーカー自身も大量の『同じ』投げナイフを持っていた。明らかにおかしい。そんなにたくさんの神創武具を一人が所有しているなんて、ありえない。
それこそ、神でなければ。
そして、【スートの忠誠】という名称。普通、武具の名称は、例えば剣なら『〜〜剣』、『〜〜ソード』というようにひと目でそれが何の武器なのかがわかるようになっている。たまに固有名を持つ武具で、『剣』や『ソード』などが省略された武具はあるにはある。でも、【スートの忠誠】のような、文のような名称の武具は聞いたことがない。さらに武具の名称は一般的にその武具の特徴がわかる名称になっているのに、その要素も含まれていない。スートってなんだ? 忠誠ってなんだ?
わからないことだらけだ。
「ああ、そうそう。一応治癒魔法をかけておいたよ。まだ死なれちゃ困るからね。君は君の役割を、全うし切ってはいない」
そう言われて初めて気がついた。体のあちこちにあった傷が治っている。所々破けてしまっていた服も元に戻っているし、染み付いた血も消えている。
黒魔法による治癒は、基本的には外傷にのみ適用される。でも、疲れやそれ以外から来る気だるさもある程度解消されている。これは白魔法による治癒と考えていいだろう。つまりジョーカーは、白と黒の両方の魔法を使えるのか? ますますジョーカーについて不信感が増す。
全ての生物は、白か黒のどちらかの隷属だ。それは決して覆らない。だから扱える魔法の種類も白か黒のどちらかになる。白の隷属の生物が黒魔法を扱うなんて有り得ない。逆も然り。ボクはボクの人生の中で、その有り得ない人物を一人だけ知っている。
当然だと思っていた。当たり前だと思っていた。それに疑問を抱いたことがなかった。姉ちゃんなら、非常識なことも常識に思えた。
初めからそうだった。少なくとも、記憶にある限りでは姉ちゃんのすることに違和感を感じたことがない。あまりにも、『違和感が無さすぎた』。
「りゅーくん、起きてるー?」
ジョーカーはボクから離れた。見ると、そこには笹木野龍馬が倒れていた。転移前と同じ格好で、眉間にはシワが寄っている。苦しげな表情だ。
「気を失ったままだね。魂に相当負荷がかかってたから、疲れてるのかな?」
すると、静かだった四神のうちの一神、イノボロス=ドュナーレ神が動いた。
「起こすよ。どいて」
いつの間にかジョーカーの隣、笹木野龍馬のすぐ近くに移動していた。そして、ジョーカーが何かを言う前に、笹木野龍馬の腹部を強く蹴った。ドゴッと重い、打撲音。
「いつまで寝てんだよ! さっさと起きろ!! ハハハハ!!!!」
あくまで楽しげに叫ぶ。あどけなさの残る顔に浮かんだ狂気の笑みは、子供が虫を殺すときのように、無邪気なものだった。
「ていうか、重くなったんじゃない? 幸せに生きてるみたいでよかったね!!」
その言葉が意味するもの。それは、つまり。
ボクは大体のことを察した。この状況になれば、誰でもそうならざるを得ないだろう。
「うっ……」
何度も何度も蹴られ、笹木野龍馬は呻き声を上げた。それを聞いた直後、イノボロス=ドュナーレ神はしゃがみ、笹木野龍馬の髪を掴んだ。
「やあ。ようやく起きたんだね、〔出来損ない〕」
29 >>303
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.303 )
- 日時: 2022/06/02 05:07
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 46h1u6ru)
29
絶叫が響いた。それが笹木野龍馬の声なのだと認識するのに時間を要した。正しい言葉は聞き取れず、声と言うよりも音に近かった。獣の咆哮によく似た、地の底から空気を揺らすような叫びだった。
その悲しみが隠れた声に、聞き覚えがあった。
イノボロス=ドュナーレ神は笑みを浮かべながら、瞳の奥に怒気を宿した。それを見たからか、笹木野龍馬は青ざめ、両手で口を抑える。
「うるさいなぁ、生意気。何様のつもり? は?〔出来損ない〕の分際で? 自分の立場忘れた?[王家]から離れて平和ボケでもしたの?」
怒りを隠そうともせずににこりと笑う。それは転移前の笹木野龍馬が浮かべていた笑みに、そっくりだった。
イノボロス=ドュナーレ神は、掴んだ笹木野龍馬の髪をグイッと自分に寄せる。痛みに微かに表情を歪め、笹木野龍馬はだらんと手を下げた。
「あの女にそそのかされてフローの肉体を消滅させて姿を消して。探したんだよ? まさか下界に降りてのほほんと暮らしていたなんてね。楽しかった? 自分の罪を忘れて過ごして、楽しかった?」
そして、自分よりもやや体の大きい笹木野龍馬を軽々と突き飛ばした。
イノボロス=ドュナーレ神の左腕が青黒く光る。ちょうど、周囲にある柱と同じ色だ。その手は目で追えるか追えないかくらいの速度で笹木野龍馬の顔を掠めた。何をしたのかわからないでいると、イノボロス=ドュナーレ神が語り出す。
「例え同じ[王家]の一員だとしても、『王家殺し』は重罪だ。それくらい、馬鹿なお前でもわかってるよね?」
『王家殺し』。王家というのは、[ニオ・セディウム]、つまり『六帝』のことだろう。この場にいる『六帝』は四神。二神──双子神が足りない。どちらか一人を笹木野龍馬が殺したということなのか? そして、笹木野龍馬は。
イノボロス=ドュナーレ神は笹木野龍馬に、握っていた自身の左手を開いて見せた。遠目でそれが何か視認出来ないけど、笹木野龍馬の右目がなくなっているから、それが何なのかは明らかだった。
不思議なのは、笹木野龍馬が右目から、右目があった場所から血が流れても何も言わないことだ。目線を下に向け、なぜかじっとしている。さっきあの叫び声を上げたのが嘘のように、とても静かだ。痛くないはずがないのに、表情に感情が現れてすらいない。時間が経つにつれて、まるで人形にでもなるかのように、静かに、無表情に、無感情になっていく。
「安心しなよ。お前の罪は新たな支配者によって許される。〔出来損ない〕のお前がようやく役に立つ時が来たんだ! むしろ喜べ! そして、馬鹿な自分を呪うといい。それか、お前みたいな〔出来損ない〕に手を貸したキメラセルの最高神。あの女もあの女だ! わざわざ自分の価値を下げてまでお前を助けようとして? 結局出来てない! お前が[王家]から逃げられるわけないのにね! ハハハ!!」
今度は笹木野龍馬は表情を変えた。顔を上げ、驚いたようにイノボロス=ドュナーレ神を見る。苦しそうで、悲しそうで、今にも泣きそうな表情だった。けれどそれもすぐに消える。
「イノ、やめろ」
プァレジュギス神が口を開いた。不機嫌そうで、それでいて無感情な声。
「茶番はいい。お前だって好んで〔出来損ない〕と話したいわけでもないだろう」
「当たり前ですよ。でも、だからこそ、絶望に叩き落とすのが楽しいんじゃないですか」
イノボロス=ドュナーレ神は、少しの穢れすら知らないような幼い笑顔でプァレジュギス神に向かって言い放つ。
「もう、会うことも無いのですから」
ボクに向けられた言葉でもなければ、そもそもイノボロス=ドュナーレ神の意識の中にボクはいない。なのに、どうしようもない恐怖を感じた。子供らしい笑顔がさらにその恐怖を際立たせる。
「嫌悪しかない『弟』に、最期の挨拶くらいしてもいいでしょう?」
弟。
第二帝であるイノボロス=ドュナーレ神には、あと三神、弟妹神がいる。弟神であり双子神であるディフェイクセルムとコラクフロァテ、妹神であるノックスロヴァヴィス神。
もう疑いはない。笹木野龍馬は神だ。実際の神を目にしてわかった。神は実在する。信仰心のないボクにでもわかる。信じる以外の選択肢がない。それほどまでに強烈な存在感と魔力と威厳があった。そしてその神が「弟」だと言った。他の四神ほどの、神だと信じられるほどの要素は笹木野龍馬にはなかったが、『神がそう言っている』のだから、『それが真実に決まっている』。
笹木野龍馬は双子神のどちらかだ。ボクは笹木野龍馬の真の名を既に導き出していた。
「ん?」
イノボロス=ドュナーレ神が呟いた。自分の手に乗った笹木野龍馬の右目に目をやる。
異常な光景だった。笹木野龍馬の右目がどろりと溶けた。イノボロス=ドュナーレ神の手から溢れるほど体積が増え、水が沸騰するように気泡が次から次へと物体から飛び出す。粘り気のあるそれはぼとりと地面に落ち、ぐにゅりぐにゅりと形を成した。
双子神の力は、繋がっている。ディフェイクセルムが生物を生み出し、コラクフロァテが生物を融合させ、新たな生物を作り出す。
ディフェイクセルムは、自身の血や涙、腕や『目玉』から生物を生み出す。
「あ……あ、あ」
真っ青な顔で、笹木野龍馬は地面に座り込む黒い小動物──たった今生み出された生物を見た。黒いトカゲのような姿をしていて、それはすぐに霧となって消えてしまった。
「下界に行ったみたいだね」
ジョーカーが言った。笹木野龍馬はようやくジョーカーの存在に気づき、同時にボクにも気づいたらしかった。
「え、ど、うして、朝日くん、が」
「ひっどいよねー。あいつがお前をここに連れて来たみたいだよ?」
笹木野龍馬の言葉を遮るように、イノボロス=ドュナーレ神は立ち上がって、弾んだ声で言った。
「残念だね。あいつがいなかったらお前はもう少しくらいは夢を見ることが出来たのにね! ハハハハッ!」
イノボロス=ドュナーレ神の顔を見て、言葉を聞いたあと、笹木野龍馬はボクを見た。笹木野龍馬と、目が合った。
ボクは目を逸らした。なぜだか罪悪感に浸された。少しの沈黙、その少しの時間が重くのしかかる。自分のしたことが笹木野龍馬にとっての『悪』だという自覚があった。笹木野龍馬なんかどうでもいいと思っていた。いや、違う。どうでもいいと思っている。そのはずなのに、なぜ罪悪感を抱くのだろう。自分でもわけがわからない。
「巻き込んで、ごめん」
しっかりとした口調で、そう言われた。イノボロス=ドュナーレ神と向かい合っていたあの情けない様子とは打って変わった、芯のある声。
わけがわからない。
笹木野龍馬はボクを責めるべきなのに。どうして謝るんだ?
驚いて笹木野龍馬を見ると、イノボロス=ドュナーレ神がまた笹木野龍馬を蹴っていた。今度は、顔を。
「はあ? なんだよそれ、つまんないなー。恨めよあいつを!! 毎度毎度絶望ばっかしてんじゃねーよ! 下界人相手にも『そう』なのか!?」
それからチッと舌打ちをして、吐き捨てる。
「フローを殺ったって聞いたから、ちょっとはまともになったと思えば、それかよ。
てか、お前喋れたんだ。いつも同じことしか言わないからてっきり……」
「イノ、いい加減しろ。父上をこれ以上待たせるな」
プァレジュギス神が声を張った。ぎろっとイノボロス=ドュナーレ神を睨む。イノボロス=ドュナーレ神は肩をすくめて、悪びれない調子で言った。
「すみません。もう終わります」
顔面が血に塗れた笹木野龍馬を放置して、元いた場所に戻って行った。それを待っていたと言わんばかりにジョーカーが笹木野龍馬に近づく。
「君には、正しい支配者のための生贄になってもらうよ」
30 >>304
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.304 )
- 日時: 2022/06/02 05:08
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 46h1u6ru)
30
笹木野龍馬は座ったままジョーカーを見上げる。光を失った虚ろな目をジョーカーに向けて、か細い声で問いかけた。
「あの方に、なにを」
言いきらずにそこまで言うと、また人形に戻った。その先は言わなくても通じるだろうという意思を、なんとなく感じた。
「あの方には、何もしないよ」
ジョーカーは感情が見えない笑みを浮かべた。
「その必要が無いからね。君はボクを信用出来ないだろうけど、これは信じてもらっていい」
同じく感情が見えない空虚な表情を浮かべた笹木野龍馬を見ながら、説明口調で語り出す。
「支配者を、君はどこまで知っているのかな。君はあの方からろくに話を聞いていないようだけど。でも、その様子だと少しくらいは知っていそうだね」
さっきから言っている、マストレスってなんだ? 聞いたことすらない言葉だ。
「ここは、『世界』だ」
右手の人差し指で自身の足元を指し、ジョーカーは当たり前のことを言った。
「ここが神界だという意味じゃない。それは世界ではなく『領域』だ。ボクが言う世界というのは、神界も魔法界も悪魔界も天界も、全てをひっくるめた世界のことだ。
そして、世界というものはここだけにあるものではない。同じような、あるいは全く違った世界が数多存在する。
ここから先は少しややこしい。ボクは理解することは求めない。理解したければすればいい。ボクは契約に従って、説明をするだけだ」
そう言いながら、ボクを見る。契約?
──ボクの、姉ちゃんを知るという目的のことを言っているのかな。だとしたら、姉ちゃんとどう関係するっていうんだ?
「この世界が生まれる前、ここではない別の場所に支配者はいた。そしてまたその前には、そこではない他の場所に支配者はいた。逆に言えば、支配者は世界の創造を繰り返し、世界を転々と移動している。そう。マストレスは支配者であり、かつ、創造者でもあるということだ。
そうして種子が移動してきた道筋を、『世界線』と呼ぶ。
また、世界線は枝分かれする。一人の種子が新しく世界を創造するとき、創造する世界は一つじゃない。厳密には、『Aという世界を作る種子』や『Bという世界を作る種子』が存在し、世界は無数に出来ていく。つまり種子も無数に増えていくということだね。そんな、一人の種子が生み出した無数の世界線をまとめて『次元』と呼ぶ。
そして最後。世界線が枝分かれする前、無数に増える前の種子を、『芽生えの種子』と言う。この『芽生えの種子』は複数いる。つまり、次元も複数あるということだ。こういった、複数の次元を合わせて『時空』と呼ぶ」
あまりにも情報が、多くて、頭の中がぐしゃぐしゃになりそうだ。それに加えてジョーカーは理解させる気がないから余計にわかりにくい。それでもボクは何とか思考回路を動かし、多少無理やりに自分自身に理解させた。
でも、それがどうしたって言うんだ? ジョーカーは、何が言いたい?
「……と、ここまで種子の具体例としてマストレスを出してきたけど、マストレスはこの世界にいる種子の一人だけだ。他の種子はただの種子にすぎない。
ただし、マストレスになる権利はどの種子にも平等にある。マストレスの象徴であり、種子がマストレスになるための条件が」
ジョーカーは言葉を切り、表情を消した。睨むような目つきで、しかし宿す光は緩くもなければ鋭くもなく、ただ単純に、笹木野龍馬を見た。
「君だ、笹木野龍馬──いや、種」
ひとり? また知らない言葉が出てきた。ひとり。笹木野龍馬が、ってことだよな。でも、ひとりってなんだ?『一人』ではないと思うんだけど。『独り』? それもなにか、違う気がする。
「君が特に知らないことは、君自身のことだろうね。君はあの方から直接聞くことを望んでいるようだけど、そんなの、待っていても無駄だよ。あの方は臆病だ」
待って。まだ喋るの? これ以上情報を詰め込める余裕ないよ。
ああもう! 仕方ない。ジョーカーの言うことを信じるなら、姉ちゃんに関係することなんだ。ジョーカーが嘘をついているという懸念はある。でも、根拠がない。少しでも姉ちゃんを知れる可能性があるのなら。
「何から語ってあげようか。君の役割は独。独と書いてひとりと読む。世界に一人いる種子に対し、一つの時空の中でたった一つしかない特別な種。種子は、そしてあの方は、君を探すためだけに世界の創造を繰り返してきた。
君は、魔力に色がついていることは、知っているには知っているだろう? 大きく分けて白と黒。白は最も純粋な魔力。黒はあらゆる魔力が混在し、その中に青や黄など、様々な色の魔力が混在している。まあ、純粋な黒、というものもあるんだけどね。ボクの力もどちらかと言えばそれに近い。
下界人は忘れているようだけど、白と光、黒と闇は等しい関係ではない。もしそうであるとするならば、大陸ファーストの民の象徴である金髪は明らかにおかしい。光で金の色を作ることは出来たとしても、光の三原色に『黄』はない。白の隷属、黒の隷属という表記は誤りだ」
またか。また知らない言葉が出てきた。光の三原色ってなんだよ。でも、納得出来る部分もある。キメラセルの神々に服従する種族が白の魔法を使えるのなら、キメラセルの最高神、ディミルフィアが白と黒の魔法を使えることは多少の違和感がある。
「一度は気にしたことがあるだろう。この世界には、赤い見た目をした存在はいない。なぜ、という疑問に対する解答はあまりにも単純。『許されていないから』だ。
だれも赤い魔力を持っていないということではない。紫だったり橙だったり、他の色と混ざった状態で、赤の魔力は存在している。ただ、純粋な赤の持ち主がいないだけだ。そして、種子を除き、唯一純粋な赤の持ち主である君も、普段はその特徴は隠れている。髪の色にも瞳の色にも赤は表れていない。だから君を含め、君が赤の持ち主であることに気づけない。それでも種子は、君が赤の持ち主だとわかる。自身の不十分な要素を埋める『道具』に、気づけないわけがないんだ。君がいてはじめて、『支配者』は完成する」
「どうぐ……」
笹木野龍馬は言葉を繰り返す。
「ほら、思い出してみて。あの方の外見、足りない色は? 純粋な黒、数多の色が混在する黒を操るあの方に、足りない色」
そこで、笹木野龍馬の目が大きく見開かれた。
「そう。そういうことだよ。理解出来た? 理解出来ても出来なくても、ボクはどちらでもいいけどね。
種子は世界を創造し続ける。ある世界に君がいなければ次の世界を創り、そこにも君がいなければ次の。同じことの繰り返し。通常の精神ならとっくに朽ち果てているだろう。何万年何億年の規模じゃない。兆、京、垓……無限の刻を、あの方はそうやって過ごしてきた。それが種子の役割。この虚無のループを止める鍵となるのは君だ。嬉しいだろう? あの方を救えるのは君だけなんだ。あの方にとって君は唯一無二の、自らの解放のための道具なんだよ。
他の種子は救われない。救われるのは支配者だけ。種を使って新しい時空を生み出す。そこで支配者の役割は終了する。その時点で他の種子は最後に創り出した世界に、永久に閉じ込められる」
ジョーカーはしゃがみ、笹木野龍馬と視線を合わせた。目を細め、自身の両手を笹木野龍馬の頬に添わせる。
「だけどそれでは退屈だ。ありきたりでこれまでの繰り返しで、あまりにもつまらない。それよりももっと面白いことが出来る。君の持つ、もう一つの特徴。君を使うことで、他の方法でもあの方を救うことが出来る。
──支配者の権限の譲渡だ」
幼い、少女の声がこだました。
「ねぇ、まだ?」
31 >>305
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.305 )
- 日時: 2022/06/02 05:10
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 46h1u6ru)
31
「ロヴィの言う通りだよ。時間がかかり過ぎなんじゃない?」
ノックスロヴァヴィス神の言葉に、イノボロス=ドュナーレ神が続く。苛立ちが見え隠れする声だ。でも、急かすようなことを言っている割には焦りの色は見えない。ただせっかちというだけかな。
「もう少し待って。あと一つ話せば終わるから」
ジョーカーは手を笹木野龍馬の頬から外し、片手だけで笹木野龍馬の心臓あたりをなぞった。
「そういえば、りゅーくんに会うときはこの姿ばかりだね。と言ってもこれで二回目だけど。本来は『モノクロ』なんだよ。やりやすいように弄ってきただけであって」
その言葉で、ジョーカーの格好に違和感を見つけた。
普段の馬鹿みたいな格好は変わらない。白と黒の控えめな色合いなのに何故か派手な、あの格好。だけど、違う。いつもなら白であるはずの部分が、赤に変わっている。
「お喋りする気はないのかな? それでいいならそれでもいいよ。それでいいなら、ね」
何も言わない笹木野龍馬に向けて、不気味な笑みを浮かべた。
「君に恨みがないとは言えないけど、別にそれを晴らそうなんて気はないんだ。する必要があるとも思えないし。ただ、ボクにもボクの目的がある。ごめんね?」
言葉を投げかけながら、ジョーカーは笹木野龍馬の胸部に右手を突っ込んだ。爪が皮膚を、肉を裂き、ぐちゅりぐちゅりと段階的に手が埋まっていく。ジョーカーが手を動かすたびに、血液や血の塊、肉片や内蔵の一部が体内からこぼれる。
時折乱暴に体内をかき混ぜるジョーカーの手を見ているうちに、錯覚でボクの胸や腹辺りが痛くなってきた。
「うっ」
あまりにもグロテスクな情景に、思わず口を抑える。吐き気が胃から湧き上がり、喉を越えて口内で溢れた。
これを出してはいけない。
本能的にそう判断して、ボクは出てきたものを思い切り飲み込んだ。二重の意味での気持ちの悪さに苛まれる。喉が焼けるように熱い、痛い。
笹木野龍馬は何も言わない。全てを受け入れるような、全てを諦めたような表情で、ジョーカーを──ジョーカーがいる方を眺めている。さっきからそうだ。痛みを感じないのか? それだけじゃない。意識が戻った直後を除き、ほとんど感情の起伏が見えない。笹木野龍馬って、あんなんだったっけ?
「あー、これならちゃんと動くね。全く動かしてない上に魂はボロボロだからちょっと不安だったけど、問題なさそうだ」
そう嬉しそうに言うと手を引き抜き、左手に持っていたものを見せた。血に塗れているはずの手に、血は付いていなかった。
「これ飲んでくれる?」
それを見て、笹木野龍馬が表情を変えた。虚無に包まれた瞳はそのままに、表情だけが歪む。
「ヒッ」
短く鋭い息を吸い、座ったまま後ずさりした。数センチ下がった程度だったけど。
ジョーカーが持っているのは、瓶だ。中に入っているのは赤黒い液体。笹木野龍馬の右目と胸部から流れるものと、とてもよく似た色をしている。
「はい。持てる?」
差し出された瓶を、笹木野龍馬は黙って見つめるだけで何も言わない。ジョーカーも瓶を差し出した姿勢を維持して、黙ってしまった。不気味な笑みを、貼り付けたまま。
「〔役立たず〕、早くしてくれない?」
先程にも増して苛立った声をノックスロヴァヴィス神は放った。
「お前が私たちを待たせてるの。早くしてよ」
「い……」
笹木野龍馬の口から、音が零れた。恐怖に染まり切った表情をどこに向けるでもなく浮かべる。でも、言いかけた言葉をすぐに止めて、また表情から色が消えた。
「悪いようにはしないよ」
ジョーカーが言った。
「怖いんだよね。何が起こるかわからないから。大丈夫。ちゃんと教えてあげる。
彼らがしようとしていることは、言った通り支配者権限の譲渡だ。つまり、支配者の役割を持つ者を変える、ということだよ。
支配者は権限であり役割であり、称号だ。条件を満たせば称号が得られるという法則は、神々にも適用される。それは支配者であってももちろん同じだ。ほかの称号と違うことは、特別であり、一つの世界につき一人しかその称号を得られないこと、『二人目の称号取得者が出た場合、一人目はその称号を剥奪されること』、この二点だけ」
指を一本ずつ立てながら説明するジョーカーの言葉を、笹木野龍馬はぼんやりと、しかし焦点をジョーカーに定めて聞いていた。
「支配者になるための条件は、『世界の創造』、『世界の掌握』、『全魔力の解除』、『全魔法の解除』。この四つだ。あとは称号取得可能条件として『女性』であること。マストレスだからね。
もうわかるだろう? そう。彼らはノックスロヴァヴィス神を支配者にしようとしている。下界人は支配者には成り得ない。彼女が神だから出来ることだ。白と黒の縛りが影響しない神だから。ただ、たとえ神でも一人だけでは全ての条件を達成できない。それが『全魔力の解除』。混ざった魔力を得ただけでは条件を達成したとは言えない。純粋な魔力でなくてはいけない。そこで、君の出番というわけさ。『彼』の与奪の力を使って、君から純粋な赤の魔力を抜き、彼女に与えようと、そういうわけだ」
やっと話が見えてきた。全部を理解することは出来ないけど、なんとなく、わかってきた。つまりノックスロヴァヴィス神は、[ニオ・セディウム]の神は、神以上の存在になろうとしているんだ。そしてそのために、笹木野龍馬の力が必要。
でも、だとすると。
ジョーカーは何のためにそれに協力しているんだ?
「ほら、わかったでしょ? この方法なら、確実にあの方を支配者の役割から解放できるんだ。いや、むしろ支配者の役割からの完全なる解放はこの方法しかないと言い切ってしまっていい。
だからさ、ほら」
ジョーカーは表情を消し、持っていた赤黒い液体入りの瓶を、ずい、と笹木野龍馬に近づけた。
「飲めよ」
「あの方の……」
ジョーカーの気迫に構わず、笹木野龍馬は言葉を繰り返す。その隙をついてジョーカーは笹木野龍馬の手の上に瓶を置いた。
躊躇うように、怯えるように、笹木野龍馬は手の中にある瓶を見る。
ふと、笹木野龍馬の目の焦点が瓶から外れた。そして躊躇っていたことを忘れたように、操られているような動作で瓶の口を自分の顔に運ぶ。
瓶の中の液体が、外へ漏れ出した。自分の中へ流れ込んだそれに対する拒否の意志として、笹木野龍馬は表情を苦しげにしかめた。それでも笹木野龍馬は液体を飲み込む。
「かはっ」
笹木野龍馬の体が痙攣した。口から飲み込みきれなかった液体を吐き出し、瓶を手から落とす。瓶の中にも多少の液体が残っていた。
首を抑え、倒れ込む。
「あ……あ゛……ア゛ア゛」
聞き慣れた声が、ゆっくりと変化する。掠れた、喉から絞り出すような声。
獣のような、呻き声。
「いつまでそうしてるんだよ、〔役立たず〕。さっさと立って、自分の役割を果たして見せろよ」
イノボロス=ドュナーレ神が楽しげに言葉をぶつける。
「父上もそう思われますよね?」
問われたテネヴィウス神は、答えない。ギラギラと光る目を、笹木野龍馬に向けるだけだ。
皮膚が割れ、血管が裂け、数分前の比ではない量の体液が噴き出した。でもそれ以上に受け入れ難い光景が、ボクの目に飛び込む。
まるで液体が沸騰するかのように、ボコッボコッと笹木野龍馬の体のいくつもの箇所が大きく膨らんだ。質量を無視して、笹木野龍馬の体が次第に巨大化する。腕はちぎれ、足は外れ、残っていた左目も飛び出した。そして体の内側から、ずるりと大きな獣の腕や足が現れた。裂けた皮膚からも、青色の豊かな毛並みが見えている。
自分の目の前で、何が起こっているのかがわからない。自分が連れて来たその人の姿が、どんどんバケモノに変わっていく。
「か、怪物!」
恐怖にかすれた声が無意識に漏れる。
どこかで間違ってしまったのだと、その時に初めて気づくことが出来た。ただ自分の求めるものを手に入れたかっただけなのに。そうすることは、罪であったとでもいうのだろうか。
法が認める罪を犯している自覚はあった。自分自身では認めていなかった。でも、気づいた、気づいてしまった。ボクがしてきたことは罪だったのだと。唐突に、突然に。
その瞬間、罪悪感に苛まれた。誰に向けての、どの罪による罪悪感なのかはわからない。ただひたすらに、申し訳なかった。心臓が押しつぶされそうなほどの後悔の念に、吐き気がした。
そこにいたのは、笹木野龍馬ではない。笹木野龍馬だった何か──神獣『フェンリル』だった。
テネヴィウス神やプァレジュギス神よりも遥かに大きな、超がつくほどの巨体。遠くからでもわかる鋼鉄の青の毛皮と、特徴的な、真っ赤なルビーのような目。全体を見ると、狼に似た姿をしている。口からは鋭い牙が隙間から覗き、荒い息と微かな炎を吐いている。よく見ると、体の周りに『赤い』もやがまとわりついている。もしかして、魔力が体内から漏れて具現化したものか?
フェンリルは、[ニオ・セディウム]の神々が従えているとされている神獣で、かつ、とてつもない怪力を持つが故に神ですら恐れる神獣でもあるという伝説がある。そのため、普段は鎖に繋がれているんだとか。まさか、笹木野龍馬──ディフェイクセルム神がフェンリルだったなんて。なら、神々が『畏れる』神獣ということか。
「うん、暴走状態になったね。
いいよ。これで赤の魔力は取れる」
ジョーカーがイノボロス=ドュナーレ神に言うと、イノボロス=ドュナーレ神は自身の左手を持ち上げた。その後ろで、手の形をした大きな青黒い影が浮かび上がる。
「はぁー。やっと? おっそいなぁ」
あからさまなため息を吐きながら、影をフェンリルまで伸ばす。影がフェンリルの体を鷲掴みにするような形をした。イノボロス=ドュナーレ神が左手を引くと、影もフェンリルから離れ、その中には赤いモヤの一部が握られていた。
満足気な笑みをイノボロス=ドュナーレ神が浮かべた、その時。
一筋の光が、イノボロス=ドュナーレ神の腹部を貫いた。
「え?」
目を見開いて、光が降ってきたであろう方向、背後をイノボロス=ドュナーレ神が見る。その視線の先で、同じようにノックスロヴァヴィス神やテネヴィウス神、プァレジュギス神が光の雨にうたれていた。
悲鳴は聞こえない。苦痛の表情も浮かべていない。ひたすらに顔に疑問符を浮かべ、力なくその場に膝をつく。
「アッハハハハハハハハ! 馬鹿だなあ!」
イノボロス=ドュナーレ神に劣らないくらい邪気のない、狂気の滲んだジョーカーの笑い声が、辺り一帯に響き渡った。
32 >>306
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.306 )
- 日時: 2022/08/19 10:35
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: TFnQajeA)
32
見方によっては雷の光にも見えなくもないあの雨は、数秒も経たずに闇に溶けた。あれは、一体なんだったんだろう。わかることは、目の前の神々が力なくその場に崩れていること、光の雨の主が神々に危害を与えられるほどの存在だということだ。
「馬鹿って、お前、わたし達に何を?!」
ノックスロヴァヴィス神が叫んだ。腹よりは喉から叫んでいるような声だ。見ると、顔を真っ赤にしてジョーカーを睨んでいる。自身が乗っている黒羊の毛を掴んで、なんとか体勢を保っていられているという状況だろうか。
「ごめんね、りゅーくん。少しだけ待ってくれるかな」
神の言葉を無視したジョーカーがそう言うと、フェンリルの周囲から鎖が現れた。フェンリルは抵抗したが、あっという間にその巨体を囲い、縛り上げてしまう。重たい呻き声をあげながら鎖から逃れようともがくも、鎖が重なったところからチリチリと小さな音が鳴るだけで、それ以外には何も起こらなかった。
「答えなさいッ、ふざけないで!! こんなことが許されるわけない。神に逆らうことは最大の禁忌!!! すぐにパパに罰される!」
ノックスロヴァヴィス神の言葉を合図に、テネヴィウス神の腕が持ち上げられた。床の藍色が闇色に変わり、どろりと沼のようにぬかるんだ。
「うわっ」
ボクは驚いて少し動いた。動くと軽くはない頭痛に襲われ、バランスを崩して手を床につく。すると、手が床に沈んだ。体の芯を凍らせるような冷たさに、手を引っ込めようとするも叶わず、むしろどんどん引きずり込まれていく。床自体が意志を持ってボクを取り込もうとしている。
「なんだ、これ」
自分の力ではどうすることも出来ないと悟った。これは神の力なのだから。縋る思いでジョーカーを見る。助けてくれるわけがない。そんな義理はない。でも、じゃあ、他に誰に助けを求めればいい!?
闇はジョーカーを襲おうと、床から飛び出して渦を巻いた。ジョーカーを取り囲み、すぐに黒で包み込む。
「……だから、馬鹿だと言ったんだ」
闇に阻まれ、くぐもって聞こえるジョーカーの声は、聞き取りにくいが確かにそう言っていた。
そして突然、床に魔法陣が浮かび上がった。半径百メートルくらいの大きな赤い魔法陣。これは、よく見る五芒星か? けど、術者であるジョーカーが向いていた方向からすると模様が逆向きだ。なにか意味があるのかな。
現実逃避気味にそう考えていると、魔法陣が一際強く輝き、気づくと床は元に戻っていた。
「語る前に、まずは『正式に』自己紹介をしておこうか。
ボクはジョーカー。モノクロジョーカー。黒と白のモノクロの魔力を宿す、〔初めの下僕〕。ヒメサマの力を最も多く受け継いだ仮想生物さ」
仮想生物だって?!
ボクはあの『通達の塔』にいた二人を思い出した。たしかあの二人も仮想生物と学園長は言っていたはずだ。
仮想生物。つまりジョーカーも、『作られた』存在ということか?
……。
待って。
あの時、学園長は何と言っていた? 確か、そう。
『私はこのバケガクを管理・維持するためだけに作られた者でね』
作られた、者。
作られた、存在。そしてあの、二人の仮想生物。
無関係じゃない、よね?
「カラージョーカーと区別するために、〔イロナシ〕なんて呼ばれたりしているね」
カラー。モノクロの反対? もう一人ジョーカーがいるのかな。そのジョーカーもまた、作られた存在?
「それじゃあ、種を明かそうか」
それまでとは打って変わった、落ち着いた口調。ジョーカーはゆっくりと、優雅とまで思える動作でシルクハットを取り、一礼した。顔には嘘くさい笑みを貼り付けて、──それでもどこか、楽しげだった。
「上には上がいる。下界でよく言われる言葉だけれど、それは神々にも同じことが言える。何も能力や強さだけを意味するものではない。子の上には親がいて、親の上には親の親がいる。神々もそうだ。君たちで言えば、[ニオ・セディウム]の神々の頂点に君たちがいて、君たちの最頂点が最高神テネヴィウス神だ。では、テネヴィウス神を生み出したのは誰だろう?
下界では弱者が強者を打ち破るなんてことは稀に起こるけど、神の世界でそれは起こり得ない。何故に答える理屈は存在しない。ただそう定まっているだけだ」
さっきのテネヴィウス神を見る限り、あの光の雨は力そのものを奪うものではないようだ。しかし神々は静かにジョーカーの言葉を聞いている。まるで、抵抗することを忘れたかのように。まるで、『抵抗』という選択肢そのものを忘れ去っているかのように。
「それに、君が支配者の称号を得るためにボクやイノボロス=ドュナーレ神の力を借りようとしたよね? あの方だって、一人で全てをこなすことは出来ない。一人で完結した存在だけれど、一人で完成しきった存在だけれど、だからと言って全てを押し付けてしまうのは酷というものだ。支援者が必要だ。ひとつの種子につき一人支給される、ナイトが。彼はあの方の忠実な下僕だ。彼が、君たちが支配者になることを許すはずない。ボクは偽りは言ってないよ。真実を隠していた。それだけだ」
ナイト? 騎士のことだろうか。違う気もする。騎士は主を守るものであって、支援者とは言い難いんじゃないか?
「他に言い残したことは……。いっか。報酬に見合うだけの情報は与えただろうし」
ジョーカーはボクに歩み寄った。コツ、コツ、と靴と床が当たる音が低い位置で響く。
「お疲れ様」
根拠はないがなんとなく、感じた。ジョーカーとはもう会うことはない気がする。ジョーカーもきっと、そう感じているのだろう。
「もうすぐで君の役割も終わるだろう」
ああそれと、と、何かを思い出したようにジョーカーは言った。
「そういえば、ヒメサマと日向ちゃんは別人だから、それは勘違いしないでおいてね」
は?
「あとはボクらの仕事だ。今までありがとう。きっと君とは永遠のお別れだ。
じゃあね」
ボクの両肩に、ジョーカーの手が置かれた。にこにこと、いつもと全く変わらない本心ではなさそうな笑みがボクの目の前にある。
「また会おう」
ジョーカーの言葉に困惑する暇も与えられず、ボクの体は両肩にかかった重みに従い、ぐらりと後ろに傾いた。
その先に穴なんてなかったはずだ。しかしボクはその場所から真っ逆さまに落ちていった。
あの空間の外に広がっていたのは、果てしない暗闇。ここは一体どこなんだろう。
空で、満月が、輝いていた。
33 >>307
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.307 )
- 日時: 2022/06/02 05:13
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 46h1u6ru)
33
「はっ」
焼けるような喉の渇きで目が覚めた。ずっと荒い呼吸を繰り返していたらしい。つむじから足の先まで気持ち悪い汗で湿っている。もちろん、愛用の寝巻きも。
「ここは……いたっ」
頭痛がした。体がだるい。起き上がろうとすると、全身が痛んだ。この痛みには覚えがある。筋肉痛だ。
でも、その痛みはすぐに意識の外へ追いやられる。痛みを忘れるくらい不可解な状況に置かれていた。
ボクはベッドの上にいた。一日の始まりと終わりを過ごす、淡い黄色と白色の、ボクの部屋のベッドの上に。
暗い部屋。カーテンの色も真っ黒で、今がまだ深夜であることは時刻を確認するまでもない。
怖いくらい、静かだ。
どうしてボクは部屋にいるんだ? もしかして、全部夢だったのか? そんなわけない。だって──
いや、夢だったのかもしれない。ボクがあんな風に怪物族と対等に戦えるわけないんだから。
とにかく、水が飲みたい。喉が渇いた。そう思ってベッドから降りようとすると、そばに机があることに気がついた。机と言ってもあまり作りがしっかりしているものではない。小さなもの、軽いものを置くことを想定して作られたものだ。その上に、コップが置かれているのがぼんやりと見える。暗くてよく見えないが、中に液体も入っているみたいだ。
自分が持ってきた記憶はないし、そもそもこの机自体別室にあったものだ。姉ちゃんが持ってきてくれたのかな。
後でお礼を言いに行こう。いまはまず、喉を潤したい。ボクはコップに手を触れた。
「え?」
驚いて、慌てて手を引く。ゆっくりコップは傾いて、机とぶつかりカツンと硬い音を鳴らす。コップの底がボクに向いている。意思のないそれが、ボクを拒絶しているかのように見えた。
「『当たった』んだよね」
コップが倒れたということは、そういうことだ。そういうことのはずだ。
当たった感触が、しなかった。
「え?」
疑問の音を繰り返す。おそるおそる、左手で右手に触れる。
──感覚がしない。
けれど、左手が右手に触れる感覚はする。右手の触覚だけが失われているんだ。
なぜ、どうして。一体、何があったんだ?
「あ……」
思い出した。【一撃必中】の代償だ。やっぱりあれは夢じゃなかった。現実のことだったんだ。となるとはじめの疑問に戻る。どうしてボクはこの部屋にいるんだ? ジョーカーに体を押されて落っこちて、満月を見たところまでは覚えているんだけど。
満月?
ボクはベッドから降りて、カーテンを開いた。外は真っ暗だ。月なんて欠片すら見えない。
「そう、だよね。今日は新月だよね」
自身を落ち着かせるために呟いてみる。
空に瞬く小さな星々。姉ちゃんは昼や朝よりも夜の空を好んでいた。よく空を見上げていた。ボクも一緒に。綺麗だと思った。美しいと思った。だけどもう、くすんで見える。あれくらいの景色なら、似たものを光魔法で作り出せると思ってしまう。光だけなら、生み出せる。
ボクは手を振って、暗い部屋に光を置いた。赤や、青や、黄。思い出せる限りの星座なんかも真似てみる。ほら、これと夜空と、なんの違いがあるって言うんだ。違うことといえば、本物の星の光とは違って部屋の中を微かに照らせることくらいだ。
その偽物の光によって、コップが乗っていた机の上に他のものがあることに気づいた。これは?
ボクはそれを手に取った。手袋だ。白い手袋。防寒具としての機能は足りてない。それにしては生地が薄い。どちらかと言えば、ファッションの一部として取り上げる部類のものだ。模様も飾りも一切ない、どこにでも売っていそうなものだ。
どうしてこんなものが? 私物どころか、これを見た覚えすらない。姉ちゃんの忘れ物かな。だとしたら、届けないと。でも、手袋なんてつけてたっけ?
部屋の光を消して、ボクは部屋を出た。廊下は部屋の中よりもさらに暗い。床が軋む音がやけに耳に残る。
姉ちゃんは、どこだろう。部屋にいるのかな。まずはそこに行ってみよう。
今が深夜であること、つまり深夜に訪れることが迷惑になることを忘れ、ボクは姉ちゃんの部屋に向かった。花園家は大陸ファーストの中でも屈指の名家だけど、この家はあまり大きくない。本家と比べても、一般の民家と比べても、狭いとまでは言えないが、広くはない。だから、ボクの部屋から姉ちゃんの部屋までの距離は短い。三十秒もすれば姉ちゃんの部屋の扉の前まで辿り着く。
コンコンコン
三回ノックして、反応を待つ。返事はない。
「姉ちゃん?」
問いかけてみる。返事はない。
「っ!」
嫌な予感がした。なんで? なんでいないの?
また、どこかへ行ってしまったの? そんな、まさか! いやだいやだいやだいやだ!!!
急激に低下する体温と、激しい喉の渇き。精神と身体の両方から来る不快感に耐えかねて、ボクは叫んだ。
「姉ちゃん!!」
直後、廊下に薄明るい光が満ちた。ボクの魔法じゃない。これは──
「どうしたの」
ふと、すぐ横から声がした。驚くよりも前に、言葉を発するよりも前に、声の主にしがみつく。
力加減を気にせずに抱きついたから、姉ちゃんはちょっとだけ不安定に体を揺らす。けどすぐに建て直し、ボクの背中に手を回した。最近、姉ちゃんはよく抱き締め返してくれるようになった気がする。
「姉ちゃん……ッ」
「うん」
自分の手が震えているのがわかる。左右の手で感覚が大きく違うのが気持ち悪い。でもそれ以上に、姉ちゃんの声が、心地いい。姉ちゃんは、冷たくて温かい。
「ここにいるよ」
姉ちゃんの手が動いた。ゆっくり、ゆっくり、ボクの背中をさする。そのおかげか、だんだん気持ち悪さがおさまる。
「朝日、具合どう?」
「具合?」
なんのことだろう。姉ちゃんとくっついたまま、首を傾げて姉ちゃんを見上げる。暗くて姉ちゃんの顔はよく見えない。光を失った二つの瞳が、静かにボクを見つめていた。
視界いっぱいに姉ちゃんがある。その事実が嬉しくて、ボクは姉ちゃんの胸に顔を擦りつけた。姉ちゃんから心臓の音は聞こえなかった。
「熱があったから」
そう言いながら、姉ちゃんはボクの額に手を置いた。冷たさがボクにも移る。姉ちゃんの体温がボクに移る。
「そうなの?」
「うん。でも、良くなってる」
言いながら、姉ちゃんの手が離れた。同時に、体も離してボクから距離をおく。……部屋に戻れって、言いたいのかな。
「姉ちゃん、また受け取ってもらえなかったの?」
まだ姉ちゃんと話していたくて、まだ姉ちゃんのそばにいたくて。姉ちゃんが歩いてきた方向の先にある部屋を頭に浮かべながら、姉ちゃんに尋ねた。
34 >>308
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.308 )
- 日時: 2022/05/04 22:25
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: bAc7FA1f)
34
ボクたちの両親は、あの事件の日に亡くなった。ある意味必然に、ある意味偶然に起こったあの事件。姉ちゃん曰く、両親、特に父さんはこの世に心残りがあるらしい。きっと、ボクたちのことだ。そう思う理由は、ある日を境に姉ちゃんが日課としている行動にある。姉ちゃんが寝る前に毎晩行っている、名前はよく分からないあの行為。
家の奥の、姉ちゃんの部屋と同じこの階の、階段から一番離れた部屋には、両親の生前の思い出の品々が積まれている。部屋の中央には、当初床なんて見えないほど荷物が押し込まれた中に無理やり空間を作り、魔法陣が描かれている。何も知らない人が初めて見れば、それはそれは異様な光景だろう。この家に帰ってきたその日に確認してみると、毎日毎日行っているからか、部屋は随分と片付いていた。残っていたものは、ボクとはあまり関係が深くないものばかりだった。
「うん」
その品々は、ボクが産まれる前、花園家が最も暗闇を抱えた時期の思い出を閉じ込めたものだった。三人が揃って描かれた絵画や、姉ちゃんが幼少期に来ていた服や、姉ちゃんが昔買い与えられたおもちゃや。
「もう、捨てることにした。……燃やす」
やや口にするのをためらうように、姉ちゃんは言い直した。
「燃やしちゃうの?」
「母さんは十分妥協してくれた。私も、邪魔だし燃やしたかった。父さんが拒んでいた」
姉ちゃんは、直接的なものではないけど死者との意思疎通も可能なんだそうだ。それは両親も例外ではない。そもそも遺品を含む思い出の品の移送は父さんが望んでいたことらしく、母さんも姉ちゃんも乗り気ではなかったらしい。これは単なる予想だけど、母さんは乗り気でないどころか拒絶までしていただろう。姉ちゃんを思い出させるものを、あの人は視界にすら入れたがらないはずだ。
「そっか」
ボクは姉ちゃんの言葉に異論はない。姉ちゃんの意志なら、ボクは全てを受け入れる。思い入れがあるものなんて一つもないし、なんなら、ボク以外の姉ちゃんの家族を思い起こさせるものなんて必要ないとさえ思う。姉ちゃんの家族はボク一人だ。母さんも父さんも、姉ちゃんの意識の中から消え去ってしまえ。姉ちゃんには、ボクだけがいればいいんだから。
「部屋に戻って」
姉ちゃんは話題を変えた。
「寝て、休んだ方がいい。熱は下がったけど、回復し切ってはいない。魔法で直すよりも自然に治すべき」
ボクは頷いた。
「わかった」
姉ちゃんにおやすみを言おうとした直前に、思い出した。そうだ、そもそもボクは手袋を返しに来たんだった。
いつもの癖で、聞き手である右手で手袋を姉ちゃんに差し出す。
「姉ちゃん、こ──」
べちん、と手袋を床に叩きつけた。別に、これが目的の行動ではない。目的は、右手を姉ちゃんから隠すこと。手を早く動かすことを優先して、手袋を掴む力を緩めてしまった結果だ。
どく、どく、と、と心臓の拍動が足の底まで響く。驚愕、恐怖、負の感情がぐちゃぐちゃに潰されて、かき混ぜられて。気持ち悪い。吐き気がする。頭が痛い。
ボクの右手は、真っ黒に染まっていた。日に焼けたなんて言い訳は通じない。日に焼ける季節ではないし、大陸ファーストの人間は日に焼けにくい。でも、そうじゃない。それ以上に、この黒さは日焼け程度で引き起こされない。
まさに、闇色。いつかにバケガクで、ジョーカーが呪いだと言いながら見せてきた、あの黒色。今着ている寝巻きは長袖なので腕がどうなっているかは視認出来ないけど、たぶん、同様に黒く染まっていることだろう。
これも、代償だ。皮膚の色まで変わるのか! 誤魔化しきれない。さすがにこれは、いくらなんでも姉ちゃんに問われる。なんて答えたらいい? どう答えたらいい? 真実を告げるべきか、嘘を吐くか。姉ちゃんは多分、真実を知っている。だけど、だからと言って自分の口から告げる勇気はボクにはない。嘘を吐けば、嘘を吐いたとすぐにバレる。どうしたら……!
ボクが動けずに固まっていると、姉ちゃんが屈んだ。手袋を拾って何度か叩き、ボクに差し出す。
「これ、あげる」
そう言って、言葉を切った。
「え?」
言葉の意味が見えてこない。どうして? なんで問わないの? この色が見えなかったの?
いや、違うな。見えなかったんじゃない。姉ちゃんがいまので見えなかったなんてありえない。意図的に、無視しているんだ。
それに、この手袋をボクにくれるということが、姉ちゃんがボクの手を認識している何よりの証拠だ。姉ちゃんのすることには必ず何か意味がある。だから、これは、きっと。
「……ごめんなさい」
突然、姉ちゃんは謝った。わけがわからずさらに困惑する。
「ごめんね」
泣きそうな顔と、震える声で、そう言った。
「どうしたの? 急に」
本当にわからない。何を謝っているの? 謝られるようなことはされてないはず。ボクは姉ちゃんになにをされてもプラス思考だから見落としがあるのかもしれないけど、少なくとも思い当たる節はない。
「──これまで、何も祝ってあげられてなかったから。誕生日も、入学も」
なにか別のことを言おうとして、それを飲み込むような言葉遣いで告げられた。えー。なにを言おうとしたの? どうして嘘を吐くの? 別にいいけど。ボクも吐いてるから、おあいこだ。
姉ちゃんがボクに、手袋を渡す理由としてボクがそう納得することを望んでいるのなら、ボクはそれを受け入れよう。いいよ、姉ちゃん。謝らないで。姉ちゃんから何かをもらえるなんてことはボクにとっての至福だし、姉ちゃんのいつもとは違う表情が見られたことも至福だから。なんなら、泣いてもいいよ。涙を見せて。言わないけど。
「大丈夫だよ、気にしないで? ありがとう。大事にするね」
右手は背中に隠して血が滲むほど固く握り、笑顔を浮かべて左手で手袋を受け取った。
「おやすみ、姉ちゃん」
笑えているかな。姉ちゃんはいま、何を考えているんだろう。わからない。姉ちゃんのことが、わからない。ジョーカーには姉ちゃんの情報と引き換えに協力していた、協力させてもらっていたけれど、結局なにもわからなかった。振り出しに戻ってしまった。また、情報を集めなきゃ。早くしないと。時間がない。
なんのために?
「うん、おやすみ」
姉ちゃんの返事を聞くなり、踵を返して自室に向かった。
疲れた。頭の中が複雑に絡み合った糸のようにこんがらがっている。たくさんのことがあったし、たくさんの疑問もあった。頭の中の整理をする前に、いまはまず、休みたい。
……嗚呼、喉が渇いた。
第二幕【完】
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.309 )
- 日時: 2022/10/06 05:13
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 4CP.eg2q)
1
今朝リンたちを入れていたあの箱を確認したら、中身が空だった。リンだけならまだしも、ナギーまでいない。死んだことで消滅したわけではないように思う。そもそも精霊が死んだときに自力で出られるわけがない。ジョーカーが回収したのかな。それとも姉ちゃんが見つけたのかな。どうでもいいや。そもそも何が気になって確認したんだっけ。
ああ、そうだ。リンが死んだのかどうかが気になってたんだった。あれ、『どうして』気になっていたんだっけ?
──どうでもいい。
ボクは手袋を着けて一階のリビングに向かった。そこには既に姉ちゃんがいて、新聞を開いて椅子に座っている。机の上には二人分の朝食が乗っていて、遠目からでも湯気が立っているのがわかる。
「おはよう、姉ちゃん」
頬の筋肉を持ち上げてみる。姉ちゃんはちょっとだけ目を細めて、言葉を返した。
「おはよう」
そして、少し首を傾げる。
「体調、どう?」
苦しい。
「大丈夫だよ」
なんで?
「一晩寝たらスッキリした」
苦しい理由が、わからない。何が苦しいのかも、わからない。
いいや。どうでもいい。
「そう」
感情のこもっていない声と目で応えて、姉ちゃんは新聞に目を落とした。なんだか難しい顔をしている。
「どうしたの? なにが書いてあるの?」
「龍馬が行方不明。神獣が暴れてる」
あまりにも淡々とした口調で、ボクはその言葉を理解するのに少しの時間が必要だった。
「え……」
頭からつま先まで、一気に体温が下がったような気がした。サアッと音が聞こえるくらい。もちろんそれらは錯覚だけど、この焦りは、錯覚じゃない。
「キメラセル、ニオ・セディウムの両方を合わせた上での神獣の中の最上種〈フェンリル〉。初めて出現した場所は明らかになっていない。[黒大陸]のどこか、らしい。
龍馬の行方不明と関係がある可能性があるって書いてる」
姉ちゃんはそこで一度言葉を止めて、新聞を置いてボクに向き直った。
「朝日、よく聞いて」
なんの感情も浮かばない姉ちゃんの目が、ボクを見る。虚ろで、空っぽで、だけどそれでも、他の誰よりも美しい、姉ちゃんの瞳。
「カツェランフォートの当主は、昨日、屋敷に大陸ファーストの人間が侵入したと主張している」
笹木野龍馬が消えたというのに、姉ちゃんはちっともうろたえていない。どこを取って見てもいつも通りだ。ちょっと残念。
「朝日、聞いて」
やや語気を強めて、姉ちゃんが言った。
「戦争が、起こる。今すぐでなくとも、確実に」
戦争。それがこの世に実在するものだということ自体はボクも知っている。記事の大きさは別として毎日のように新聞に世界のどこかで起こっている戦争のことが書いてあるし、学校でも、戦争で家族を亡くしたとか、あるいは生徒自身が戦争に行くとかで学校を休んだりする人が結構いる。だけどボクがそれを体験したことはない。だから戦争というものがどれだけ恐ろしく残虐なものなのかはよくわからない。戦争経験者からの話や学校の授業でそれらを伝えられたりはするけれど、自分で経験したわけではないのだから漠然と『怖いもの、恐ろしいもの』としか思えないのも無理ない。そう。無理ないのだとわかって欲しい。わからないのだ、戦争など。
「この大陸ファーストには結界がある。でも、わかっていると思う。もうほとんど機能していない」
姉ちゃんは、一拍おいて、言った。
「神は、この地を見放した」
──ま、そうだろうね。
この地は清らかであるべきだった。けれど、穢れてしまった。いわゆる、『神に選ばれた』人々によって。
世界の滅亡から逃れるための方舟は、とうの昔に崩れてしまった。これから起こるであろう戦争の引き金はボクであっても、根本的な原因は他にあるのかもしれない。
「この地に神の加護は、もう存在しない。この地に安全な場所は存在しない」
そうだね。だけど、唯一安全だと言える場所が、この世界にはある。
「朝日」
姉ちゃんがボクを呼んだ。そちらに顔を向けると陰が落ちた、二つの空虚な目がボクを見ていた。瞳にボクが映っているかどうかはわからない。
「大陸を、出ようか」
急に言われて驚きはした。だけど。
「うん、わかった」
ボクは笑顔で頷いた。ボクが姉ちゃんを疑うなんてあり得ない。あってはいけない、そんなこと。
どうして?
どうしてもだ。何があっても覆ることはない。
「どこに行くの?」
姉ちゃんは目を伏せた。どういった感情がそうさせたのか、それを知る術はボクにない。
「バケガクへ」
なんとなくだけどそんな気はしていた。というか、頼れる人のいないボクたちがここを出て受け入れてくれる場所なんてあそこしかない。ボクは、まあ、なんとかしようと思えばなんとかなるけどさ。
「その前に、本家に行こう」
姉ちゃんはいつの間に出していたのか、机の上の本家からの手紙を指した。ああ。そういえばあったね、そんなもの。
「本家に行った帰りにそのままバケガクに行く。持って行きたいものがあれば持って行っておいて。もうこの家には戻らない」
姉ちゃんがまっすぐに、ボクを見る。
「この家には、火を放つ」
ボクは自然と笑みが溢れた。
「いいね」
この世界において光は、そして火は裁きを意味する。法を司る太陽神『ヘリアンダー』から由来する考え方だ。神聖なる火は物体をこの世から消すときにその物体に付属する、罪や穢れを落とし、清らかな状態で天界へ送るらしい。きっとこの家についた汚れも何もかもをそぎ落としてくれることだろう。
「準備が出来次第出発する」
「うん、わかった」
この家にいい思い出なんてあんまりない。持っていける思い出は、ほとんどない。最低限の必需品だけ持っていこう。それで足りるはずだ。
持っていきたい思い出など、皆無だ。
ボクは朝食を済ませると荷物をまとめるために自室に戻った。思い返すとこの家で過ごした記憶はひどく浅い。生まれてから十年と少し、それから八年は本家で過ごした。ボクの年齢からその年月を差し引いた年月しか、ボクはこの家で、この部屋で過ごしていない。この家に戻ってきたとき、この部屋に戻ってきたとき、ボクは確かに嬉しかった。でもそれはこの場所に何か情があったからではない。姉ちゃんはボクの部屋をボクがいた頃そのままにしてくれていた。そのことが姉ちゃんの中のボクの存在を示しているような気がして嬉しかった。それだけだ。
まず机上を見やる。あの木箱はいらない。
クローゼットを開ける。選択の必要は特にない。元々服の量が多くないから。本家で着ていた周りの大人から買い与えられた服は既に捨てた。戻ってきたとき服もそのままだったからそれを着ている。ボクはあの九年前の事件から全く成長していない。カチャカチャといらない音を鳴らしながら整理をしていると、真っ黒な衣装が目についた。ああ、そういえばあったね。これはどうしようか。持っていかなくていい気がする。もう使うことはないだろうし。なんとなくポケットを探ってみると、中から二つに欠けた白い石が出て来た。あの時の折れた奥歯はまた生えていた。というより元からそうであったようだった。どこからが夢で、どこまでが現実か。全て現実だったのか夢だったのか。とにかく、少なくともあの出来事は現実だったらしい。
いらない。
ボクは服をカバンに詰めてアイテムボックスに入れた。旅行用の大きな鞄はほとんどが余白だった。バケガクで使う教材は大抵学校のロッカーに入れてあるので、持っていくものはあまりない。あとは洗面道具を用意すれば、それでいいかな。
「ビリキナ、行くよ」
いつもの通学鞄に入ったビリキナに声をかけた。返事はない。昨日の夜目覚めてから妙に静かだ。姿すら見せようとしない。一度確認したからいることはわかってる。
「……いるよね?」
ちょっと不安になって念のため確認してみる。鞄を開けると、底で小さくなって座っていた。何も言わずに俯いているのかと思えばそうではなく、聞き取れないくらいの微かな声で何かブツブツ唱えている。どうかしたのと問いかけても返事はない。大して興味もないのですぐに閉じて鞄を肩にかけた。部屋の中を整頓して家の中をある程度見て、家を出る準備は整った。
リビングに戻ると、姉ちゃんがいた。ボクがリビングを出たときと様子はあまり変わっていない。静かな空っぽの二つの目を、真っ白な手で支える新聞に向けている。
「出来た?」
ボクにすぐ気づいたらしい姉ちゃんが、目だけをこちらに向けて問いかけた。
「うん」
多分姉ちゃんは既に用意を済ませていたんだろう。手早く新聞を畳み、並んだ食器はそのままにして立ち上がる。
「それじゃあ、行こうか」
何も盛られていない食器、机に置かれた真新しい新聞、そよ風に揺らされるカーテンと、カーテンから漏れる光に照らされるリビング。華やかさは微塵もない質素な場所だけど、生活感だけはちゃんとある。今から出かけるボクらの帰りを疑っていないと主張するような、空気。これから燃やされてしまうなんて、ただの少しも思っていないのだろう。
これが当然だったんだ。これが当たり前だったんだ。だけども一度外に出てしまえば、もう見れない。何故だろう。胸が苦しい。息はできるのに、苦しい。
「朝日?」
足が動かなかったボクを、姉ちゃんは不思議そうに見つめた。姉ちゃんは苦しくないのかな。どうして? どうして辛くないの? ボクとの思い出の形が消えてしまうのに? 燃えてしまうのに? なくなってしまうのに? 姉ちゃんはそれでいいの?
「ううん。なんでもない、行こう」
ぐしゃぐしゃに絡まった糸の玉を、ごくんと飲み込んだ。
2 >>310
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.310 )
- 日時: 2022/07/13 17:17
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: WfwM2DpQ)
2
六大家。統治者のいないこの大陸ファーストにはそう呼ばれる六つの家がある。この地に生きる民は等しく清廉で潔白で、誠実。醜い欲も汚い争いもないこの地に統治者は必要なかった。ただ、代表が必要だった。唯一神々によって外界から隔離された大陸ファーストの民はいつしか外界と関わるようになった、交わるようになった。
天宮、東、花園、八葉、神杜、月銀。
数多に存在する家の中で、これらの家が六大家に選ばれた。代表が決まり、交易が始まり、時を経て混血が生まれ、大陸ファーストが汚れだした。汚れた血が大陸に流れたからなのか、元々この地に住まう人間が汚れていたからなのか、それとも他の理由なのか。六大家はあくまで大陸の代表でありその地位は他の家と大差なかった。しかしどうしてか格差が生まれ、差別が生まれた。全てが厳正に均整に保たれていた大陸ファーストには権力という名のカーストが設定され、明確な上下関係が誕生した。優秀な血は六大家に取り込まれ、気づくと神の意思すら、ボクたちは無視していたんだ。
そんな六大家の中で、最も穢れた家が、東と花園だ。
ボクと姉ちゃんは、かつての自宅にして花園家の本家の目の前に立っていた。中からは怒号や泣き声や、時々叫び声も聞こえていた。ボクがここを出た一年前も花園家は崩れかけていたけど、ここまで酷くはなかった気がする。一年しか経ってないのにな。ああでも、白塗りの壁も茅葺き屋根も敷地を囲む長い壁も、少なくとも見た目だけは綺麗なままだ。重苦しい空気に包まれているだけで、手入れはきちんとされているらしい。
「そういえば、姉ちゃん。手紙が来てから随分経つけどなんで来たの? 無視しても良かったんじゃない?」
ボクはいまさら思い浮かんだ疑問を姉ちゃんに投げかけた。だって、その手紙って一か月前くらいに届いたものだし。あの口煩い連中が揃って姉ちゃんに唾をかけるのが目に見える。
「この手紙は、ただの口実だから」
「口実?」
「うん。ここに来るための」
ボクの疑問は晴れなかった。なにかほかの用事があるってことなのはわかるけど、じゃあ、どんな用事?
「えっ」
少し離れたところから、声が聞こえた。質素な緑の着物を着た二人の女性が、口元を手で押さえてこちらを凝視している。見覚えがある。花園家の使用人だ。名前とか担当場所までは知らないけど。
二人はこそこそと言葉を交わし、一人は母屋へ、一人はボクらの元に駆けてきた。
「花園日向様、花園朝日様。おはようございます。いまご当主様の元へ人を行かせましたので、ひとまずこちらへどうぞ」
使用人として鍛えられた美しい動作で、女性はボクらを家の中へ導こうとした。門から母屋まではそれなりに距離があって、母屋に行き着くまでに見かけない人達を見た。多分、花園家の人じゃない。というか、他所の家の当主だとはっきりわかる人が、その中に一人いた。がっしりした大柄の男。他大陸出身と思われる女を侍らせて、程よく肉のついた顔を苦々しく歪めている。その男は幼い頃見たことがあったけど、たぶん、見たことがなくてもどこの誰かは一目でわかっただろう。顔立ちこそ似ていないが、黄か橙か区別のつかない特徴的な瞳の色と、なにより雰囲気がなんとなく似ている。
東 藺。東家当主がいるのなら、東蘭もここにいるのかな。いや、どうだろう。東蘭はバケガクに入学してからほとんどこっちに戻ってないって話だったし。うーん、わからないな。
姉ちゃんなら知ってるかなと思って、姉ちゃんを見てみる。そんなに気になってたわけじゃないけど、なんとなく。姉ちゃんの表情に感情は浮かんでいなかった。ただ、じっとどこかを見つめている。その視線の先に、答えがあった。
「日向!」
バケガクの制服を着た東蘭が向こうから走ってきた。視界に捉えたタイミングが悪かったのでどこからやってきたのかはわからない。
東蘭はやや息を乱しながら姉ちゃんに話しかけた。
「会えてよかった。新聞見たか?」
「うん」
姉ちゃんの言葉を聞くと、東蘭は少しだけ悲しそうに笑った。
「……そっか」
けれどその笑みをすぐに消し、真剣な眼差しで姉ちゃんを見る。
「本当にやるんだな?」
『やる』って、何をだろう。そういえばさっき東蘭は『会えてよかった』とは言っていたけど、姉ちゃんがここにいること自体を驚いている様子はなかった。たぶん、事前に連絡をとっていたんだろう。それなら、普段大陸ファーストにいない東蘭がここにいる理由もわかる。姉ちゃんに呼ばれたんだ。でも、なんで?
「やりたくなければやらなくてもいい。私一人でも出来る」
突き放すように言った姉ちゃんに向かって、東蘭は怒りや悲しみや苦笑が混ざった、でもどれかと言えば怒りに近い表情を浮かべた。
「ただ確認を取っただけだろ。もちろんやる。というかそもそもおれがやりたいって言ったんだしいまさらやめるなんて言わねえよ。
日向が望む未来のためなら、おれは何でもする」
はっきりとそう言ったあと、東蘭がボクを見た。突然東蘭と目が合って、ボクは身構えた。
「朝日くんも連れて来たんだな」
東蘭の視線がボクに定まっていたのはほんの数秒だけで、すぐに姉ちゃんの方へ戻った。
「うん」
「理由は……いや、なんとなくわかるしいいや。じゃあ、またあとで」
そう告げるや否や、東蘭は来た道を引き返して駆けて行った。ボクたちも歩みを止めていた足を動かそうとして──また止めざるを得なかった。さっき母屋へ走って行った使用人が大慌てで母屋から飛び出して来た。その顔は恐怖一色に染まりきり、家の中で何かが起こったことは一目瞭然だった。
「だ、誰か!! 一葉様が!!!」
一葉というのは花園家現当主で、おじいちゃんの弟の息子、いわゆるボクたちの従伯父にあたる人だ。確か大叔父さんが、おじいちゃんが亡くなったときに空くであろう当主の座をずっと狙っていたらしく、実際に空いたとき、長年の根回しの成果で大した後継者争いも無くすんなりと一葉さんが当主の座についたらしい。少なくとも、前当主のおじいちゃんの孫であるボクが他人事のように語れるくらいには。
で、その一葉さんがどうしたんだろうか。とりあえず姉ちゃんを見てみる。ボクの視線に気づいた姉ちゃんが口を開いた。
「魔物が出た」
「へえ」
姉ちゃんの口から飛び出した衝撃的な内容よりも、それを聞いて全く動揺しなかった自分に驚いた。
大陸ファーストを囲む結界は世界最大規模のものだった。強度も大きさも。いままで大陸ファーストに魔物が出たことなんてただの一度もなかったことだ。ボクはどうしてこんなに落ち着いているんだろう。外で魔物に遭遇したことが何度もあるから? それとも最近色んなことがあって感覚が麻痺しているから?
どうでもいいや。
それと、そうか。母屋から悲鳴や怒声が聞こえてくるのは近い未来に待ち受けている戦争を恐れているからだと思っていたけど、魔物が出たからだったのか。そうだよね。結界の効果をまだ信じている呑気なあいつらが起こっていない戦争を恐れるなんておかしいと思ったんだ。それにしても、それなりに広さのある大陸ファーストの中で花園家の本家に魔物が出たのか。いや、もしかしたら他のところでも出てるのかもしれないけど。なんだか面白いな。
「行こう。おいで」
姉ちゃんはボクに言う。姉ちゃんが何を言っているのかわからなくて、ボクは目を数回瞬きした。
「え?」
「中に用がある。朝日にもそれを見てもらう必要がある。そのために今日は連れて来た」
わざわざ面倒臭そうな中に自ら入るのか。姉ちゃんにしては珍しいな。
「うん、わかった」
別に、嫌なわけではないしね。
3 >>311
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.311 )
- 日時: 2022/07/16 22:35
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: uqhP6q4I)
3
母屋から飛び出して来たのはその使用人だけではなかった。いや、飛び出して来たと言うよりはこれはもう、家が人を吐き出した、と言った方が合っているかもしれない。色とりどりの着物を乱しながら大量の人が血相を変えて吐き出される。見苦しいほどに。これが六大家に選ばれた家の人間の行いなのか。花園家って祓魔師の家系じゃなかったっけ? 魔物が出たならどうして祓わないんだ。そりゃあ魔物祓いが専門外の祓魔師は多いだろう。祓魔師の大半が得意とするのは悪魔祓いだ。魔物と悪魔では祓魔の勝手が違うということは知識としてだけではあるけれど知っている。でも、魔物に対抗する手段が全くないわけがない。
「退け! 退かないか!!」
その声を聞いて思わず顔をしかめたのを自覚した。大叔父さん──四葉さんの声だ。苦手なんだよねあの人。やたら偉そうだしそれ以外にも色々、波長が合わないというか。
人がほとんど吐き出されてから、四葉さんは両肩を男の使用人に支えられた状態で出てきた。無地の紫の着物はしわだらけで髪も崩れ、顔もしわくちゃ。老いを体の節々から感じられ、無様なことこの上ない。
「行こう」
出てくる人が少なくなってきて、ボクたちが家に入れるだけの余裕が生まれてきた。姉ちゃんがボクの右手を引いて歩き出すと、また四葉さんが叫んだ。
「この忌々しいネロアンジェラが!! お前のせいだ! お前のせいでッ!!!!」
ネロアンジェラ。姉ちゃんの名前を呼びたがらない大人たちがつけた蔑称。『黒い天使』という意味で、姉ちゃんの外見が天使族とよく似ていることからつけたものらしい。姉ちゃんの美しさは大人たちも認めているんだ。
姉ちゃんを探して、叫ぶだけの気力があるのか。大したものだ。そんなことしてないでさっさと逃げろよ。目障りだ。
姉ちゃんは四葉さんに近づく。あ、違うな。四葉さんにじゃなくて、玄関に、か。
「全てはお前のせいだ!! わしがどれだけ苦労したと……思っ」
四葉さんは唐突に膝を地面について嘔吐した。気持ち悪い。吐瀉物は真っ黒で、同じものが鼻から目から、身体中の穴という穴から這い出てきた。四葉さんの体はあっという間に黒いものに覆われた。
「キャアアアアアッ!!!!!」
それを周りが見て、また悲鳴が上がる。
「うげぇ、きもちわる」
ああ、声に出ちゃった。まあいいか。
姉ちゃんは四葉さんを見つめていた。そしてふと、呟いた。
「あなたと私は、似ているのかもしれない。
どうして、救いたいと思えないんだろう」
似てる? 姉ちゃんとこいつが? え、どこが?
姉ちゃんはすぐに四葉さんから目を逸らし、ボクの手を引く。逃げろ、なんて忠告の声すら聞こえない。周囲の人間は、姉ちゃんを疎んでいる。身内と呼べる全員は、ボクらを蔑んでいる。
開けっ放しの玄関から見える、中で蠢く黒い物体。あれが魔物。モンスターではなく魔物という名称の似合う、悪意や邪気の塊。それに臆することなく姉ちゃんは玄関をくぐり、手を引かれているボクもそれに続く。
母屋に入った瞬間、うるさい悲鳴なんかが聞こえなくなった。違和感がするほどに無音に包まれる。次にキーンと耳鳴りがした。耳が痛くなるくらいの静寂。それと、暗闇。何も聞こえない、何も見えない。
「姉ちゃん?」
自分の声もくぐもって聞こえる。
「あれ?」
おかしなことに気がついた。
姉ちゃんがいない。
取り残された。音も光もないこの空間に。なんで?
「姉ちゃん!」
右手では感覚がしないので左手で辺りを探る。左手で何かをするのはまだ慣れない。左手を伸ばして少し歩くと、ぬちゃ、と嫌な音がした。もう古いものとなってしまった一年前の記憶を辿ると多分この辺には壁があったはず。この感覚はなんだ?
肩から提げた鞄から杖を取り出す。恐れる気持ちを押さえ込み、杖の先についた水晶に魔力を込めて、辺りを照らした。
おぞましい光景が目の前に迫っていた。口から飛び出そうになった叫び声はそれを上回る激しい動悸に遮られる。
黒光りする液体が立方体の形でボクを囲んでいる。液体は流動性があり、大量の虫が蠢いているようで鳥肌が立った。それだけならよかった。まだマシだった。なにより恐ろしいのは液体に空いた無数の穴から覗く大量の目玉。橙や黄といった暖色の瞳を持った目玉だ。光を受けて数秒後、ギョロギョロとそれぞれ違う方向を向いていた目玉が、一斉にボクを睨んだ。
『……』
脳が言葉として受け取れない、不思議な言葉を聞いた。けれど何故か、なんとなく意味を理解出来るような気がする。
『……ケ』
聞き取れそうな気がする。しかしその猶予はなかった。足元が急にぬかるんで、ズッと足が沈んだ。足首までが見えなくなってしまった。この感覚には覚えがある。神界でテネヴィウス神が使った魔法によく似ている。床が足を包んで、自らが意志を持って這い上がってくるような感覚。あのときはどうやって助かったんだっけ。
そうだ、ジョーカーだ。ジョーカーが魔法陣を展開して、それで助かったんだ。じゃあ今回はそれは出来ないな。どうしようか。
そうこうしている間に横からも手が伸びてきた。左手に持っていた杖が絡め取られ、光が闇に呑まれた。直後、猛烈な恐怖に侵され、手足が震える。体温が急激に低下し、ボクは叫んだ。
「わあああああああっっ!!!」
もがいてもがいて必死に逃れようとするが、足はピクリとも動かない。
「ビ、ビリキナっ、助けッ」
鞄の中でうずくまっているはずのビリキナに声をかける。返事はない。ボクは鞄を開けて、鞄の口を下に向けた。
『……なんだよ』
ビリキナはゆっくりと上昇して、ボクの鼻の先まで来た。光を失った、下手くそな絵みたいな目と、以前のビリキナとはかけ離れた雰囲気。全く頼りにならない。それでも誰もいないよりはよかった。心細さがさっきと比べて雲泥の差だ。
『情けない顔してんじゃねえよ。自分が蒔いた種だろうが』
情けない顔をしたビリキナはそう言って、ノロノロと腕を動かし、ボクの顔に人差し指を向けた。
『これはお前の罪だ。贖罪だ。オレはもう、正直に言ってお前とは関わりたくない』
「なに、言ってるの? 冗談はやめてよ、行っちゃうの? ボクを置いて?」
『そういうところが嫌なんだよ。気持ちわりぃ。お前は面白いやつだったよ。前まではな』
腕をおろし、ビリキナが大きなため息を吐いた。
『違うな。お前が変わったことはあまり関係ない。お前の罪に巻き込まれるのが嫌なんだ。ただ、精霊であるオレは神には逆らえない』
そう言って、胸の前で両手を合わせ、祈るように手を組んだ。すっかり霞んでしまったビリキナの目が、まっすぐにボクを捉える。
『私は貴方に従いましょう。私の主にして、未来の神よ。
望みはなんだ。言えよ。少なくとも今はオレの方ができることは多い』
ビリキナの言葉の大半はよくわからなかった。とにかく助けてくれるってことだよね?
「たすけて! こわい、こわいよ。ここはもう嫌だよ……」
『わかったわかった。見苦しいから泣くな鬱陶しい』
「なっ、泣いてなんか!」
『ほんっと変わったよな、お前』
ビリキナは手を解き、脳が暗号としか認識できない呪文を唱えた。
『……』
パアンッ!
何かが弾ける音がして、暗闇は少し和らいだ。ボクを囲んでいた魔物は消えて、カランと杖が床に落ちた。
視界の先には、血みどろになってなおボクに近づいてくる『かつての』親類たちがいた。無理やり頬を持ち上げたような笑み。ぽっかりと空いた二つの穴。眼球は抉り出されたようでそこからの出血量が一番多い。それぞれが一歩進む度にぴちゃぴちゃと紅い飛沫が飛ぶ。
そう。歩いてくる人達は原型が多少崩れているんだ。でも、見間違えるはずがない。間違えるはずなどない。頭髪が薄くなってしまった頭に、大陸ファーストの人間ではやや珍しい彫りの深い顔立ち、年齢の割にはがっしりした体格。懐かしさと罪悪感が一度に押し寄せ、吐き気を催した。
「なんで、ここにいるの……じいちゃん」
4 >>312
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.312 )
- 日時: 2022/07/27 20:39
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /JJVWoad)
4
じいちゃんがいつも浮かべていた優しげな笑みは、作られた狂気的な笑みに変わっている。歩き方もおかしく、足元はおぼつかない。まるで別人だ。
そうだ。別人に違いない。じいちゃんがここにいるなんて、そんなわけがないじゃないか。ボクはじいちゃんの葬式に行かなかったけれど、大陸ファーストでは火葬が一般的だからじいちゃんの死体は燃やされたはず。だから本物のじいちゃんがここにいるなんてありえないんだ。だってじいちゃんは、ボクがこの手で、殺したんだから。
別人だ。そうじゃないとおかしいんだ──そう自分に言い聞かせるけれど、心の奥で、目の前にいる壊れた人間はじいちゃんだと叫ぶ自分がいる。これは罰だと、この罰を受け入れるべきだと怒鳴る自分がいる。
「テンカイ・シールサークル」
壊れた人間がそう唱えると、黒く光る魔法陣が出現した。それを見てドキリとする。偶然だろうけど、この【シール・サークル】はボクがカツェランフォートの屋敷で使った魔法だ。偶然だと思う、けど、どうしても暗示しているように感じてしまう。ボクの、『罪』を。
魔法陣はボクが一度瞬きをしている間にボクの足元まで広がっていた。ギョッと目を見開く隙さえ与えられず、上の方向から凄まじい圧力をかけられ、ボクはその場に崩れ落ちた。
「ガッ」
変な声が口から漏れた。ミシ、と不気味な音が地面についた腕から聞こえる。無理やり顔を上げると、壊れた人間は両手を掲げて黒い球体を生み出していた。たった一つ、しかも指先で転がせるような大きさだ。しかし脳内で『あれに触れてはいけない』と警告が鳴り響く。
壊れた人間が手を振り下ろすと、その動作に合わせて黒い球体がボクをめがけて飛んできた。幸い速度は思っていたよりも遅く、重い体を動かす時間があった。間一髪で助かった──そう思ったのだけれど。
ジュウゥッ
肌が焼ける音と、焦げ臭いにおい。見ると、右手につけた手袋の一部が焼けて、じわりじわりと溶けていた。闇色に染まった醜い皮膚が顕になり、ゾクッと悪寒が背を撫でる。嫌悪感と、これは、そう、恐怖。じいちゃんに恐怖を抱いたことなんてあっただろうか。多少はあっただろうが、それは今この瞬間に抱いているものとはまた別の類のものだ。いや違う。目の前のアレはじいちゃんではないと、説得力のない言葉が強引に自分に言い聞かせようとする。壊れた人間は、もはや人間ではないのだと。人間の形を僅かに保ったなにかなのだと。自分が信じたいだけの現実を必死に念じる。
「ァァアアアァアアアアア!!!!」
喉を裂く勢いで意味もなく叫び、その勢いのまま立ち上がる。ズシンと足をつけた衝撃で床に亀裂が走った。体にかかる圧力がさらに増す。でも今度は耐え抜き、ボクは鞄から投げナイフを取り出した。カツェランフォートの屋敷へ潜入するにあたって用意した、聖水を浸した投げナイフ。重みで手元が狂う両手に三本ずつ構え、乱暴に放つ。特に感覚のない右手から放たれた投げナイフが、いつもならありえないほど的外れの方向へ飛んで行く。だけどまぐれで正確に飛んだ投げナイフも全て不自然に軌道を変え、大きく弧を描いて戻ってきた。
それらがまた手に戻るのかと言えばそんなことはもちろん無く、六本の投げナイフがボクの体を貫いた。
鈍い痛みが体内で暴れ回る。
「あう……」
ふと、ガチャンと投げナイフが大袈裟な音を響かせて落ちた。どうしたのかと見てみれば、投げナイフが突き刺さった右腕がどろりと焼けただれている。液状化した黒い肌が、雫となって床に滴る。
「ヒッ」
『アサヒ』
壊れた人間が、ボクの名を呼んだ。
『オマエノセイダ』
じいちゃんがそう言うと、波紋が広がるように他の壊れた人間も口々に言葉を零し始めた。
『クルシイ』
『タスケテ』
『アツイ』
『ツメタイ』
『コロ、シテ』
ボソボソと呟くだけだったそれらの言葉はいつしか大合唱となり、ボクを飲み込もうとしていた。ザワザワと、ガヤガヤと。
「うるさいな」
無意識のうちに言葉を吐く。突如、ずるんと腕が抜け落ちた。だけどおかしい。右手が動く。視界に映るこれはなんだ? 形状は確実に腕だ。まあいいか。
ボクの意思に関係なく、右腕は急激に体積を膨張させ、粘性のある液体となった。【シール・サークル】に張り付き、魔法陣を床から引き剥がして破壊する。
『イマイ、マシイ』
じいちゃんがぐるると唸ると、壊れた人間たちがボクに襲いかかった。飛びかかる者、突進してくる者、その全員をボクの右腕は覆い尽くす。自分の中で壊れた人間たちが動いている気配がする。なんだこれは。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
右腕はもにゅもにゅと動いたあと、どぱっと赤黒い肉塊を撒き散らした。それはさっきまで人の形をしていたもので、完全に崩れてしまったものだった。
『コノッ、イマイマシイ!』
じいちゃんの悔しそうな声は、もはやボクになんの感動も抱かせなかった。
そうだ。クルシイのなら、もう一度楽にしてあげればいい。ボクにはそれが許されているのだから。
『オマエノセイデッ!!!!』
じいちゃんの足元に再び黒い魔法陣が展開された。【シール・サークル】ではない。これは見たことがある。ボクはクスッと笑った。
「馬鹿だなぁ」
『……ιστή』
祓魔の魔法陣。祓魔師であるじいちゃんが仕事をするところを何度か見たことがあって、これはそのときに展開していた魔法陣だ。
「じゃあね、死に損ない」
ボクは魔法陣を乗っ取った。ボクの中の半分を占める聖なる力を魔法陣に流し込むと、黒い魔法陣は白い輝きを纏い、暗いこの空間を光で覆った。
光はまるで陽炎のように、燃え盛る炎のように、じいちゃんを包み込んだ。
『コノイマイマシイネロアンジェラガァァァアア!!!』
その断末魔を残し、じいちゃんは消えた。白い光も消え失せて、また闇がボクを取り囲む。その瞬間、ボクの脳内に大きな疑問符が浮かんだ。
「あれ?」
いま、じいちゃんが──じいちゃんによく似た壊れた人間がいた気がしたんだけどな。見間違いかな? いやいや。少し考えればわかることじゃないか。じいちゃんなわけない。
じいちゃんは、ボクがこの手で、殺したんだから。
それに、ボクはじいちゃんの葬式に呼ばれなかったから正確には分からないけど、じいちゃんの死体は燃やされたはず。大陸ファーストでは火葬が一般的だ。だからあれはじいちゃんではない。幻覚だったんだろう。たぶん。
そういえば、手袋どこかで落としたっけ? 左手はつけてる。外した記憶もないし。どこいっちゃったんだろう。
『ヒドイヨ、アサヒクン』
鈴を転がしたような美しい、しかしどこか角張った不気味な声が背後から聞こえた。
振り向くと、見覚えのある姿がそこにあった。
体の大きさはビリキナくらい。ふわふわのショートボブの髪はクリーム色から黒色に変色していて、肌も枯葉みたいにくしゃくしゃだ。だけどやけにみずみずしい若草色の瞳が、異様なまでに存在感を主張している。背中の羽はなくなっており、代わりに黒いもやが羽の形をしてその精霊に──精霊だった存在に植え付けられている。
「リ、ン……」
ボクはよろよろと後ずさった。そりゃそうだ。自らが手にかけた死んだはずの人物が続けて現れたら、それに対して抱く感情は恐怖以外の何物でもない。本当にあれがリンなのなら、さっきのじいちゃんも見間違いじゃないのかもしれないな。
『オボエテテクレタンダ』
リンはケタケタと笑った。
『ヒドイヨアサヒクン。ワタシシンジテタノニ。ヤットジユウニソトヲミテマワレルッテオモッテタノシミニシテタンダヨ?』
リンが言っているのは、ボクがリンを捕まえるために話したデタラメな話のことだろう。
ボクはリンにこう言った。『ボクと仮契約を結ばないか』と。
リンは焦っていた。外を見たいという想いから外に出てきたのに、姉ちゃんはリンに全く関心を示さず、なかなか自分がしたいこと、見たいことを叶えられなかった。そうこうしているうちに仮契約期間は終了し、いままで溜めてきた外の情報を忘れてしまう。
ということをジョーカーから聞いて、リンに話を持ちかけたのだ。姉ちゃんとの仮契約期間が終了してすぐにボクと仮契約を結べば、リンは記憶を持ち越せる。当然リンは喜んでそれに承諾した。あっという間にボクに心を開いたんだ。
『ハジメカラコウスルツモリダッタンデショ? ズットワタシヲダマシテタンダヨネ?』
そもそも、たとえ仮契約だとしても二人以上の精霊と契約を結ぶことは難しい。精霊は天使族と並ぶ『神に近い存在』。契約関係になると互いの力が互いの魂に作用するのだけど、その負担にこちらの魂が耐えられなくなるのだ。仮契約だろうが本契約だろうが魂にかかる負担の量は等しく、既にビリキナと契約しているボクがリンとも契約を結ぶとなると、単純計算でボクにかかる負担は倍増する。これは世間の常識とも言える知識だが、常識を教えられていないリンはこのことを知らなかった。その上姉ちゃんが二人の精霊と契約して、リン自身が姉ちゃんの契約精霊の一人だったから余計に信じてしまったんだろう。
『ヒドイヨヒドイ。アツカッタサムカッタツメタカッタイタカッタクルシカッタタスケテタスケテアツイクルシイコロシテコロシテコロシイタイテコロシテコロシテツメタイコロシテコサムイロシテコロシテタスケテコロシテコロシテコロシテコロシテコロシテコロシテコロシテ』
これはもしや呪文だったのか。闇からボコッと音を立て、赤い液体が滴る巨大な触手が現れた。
5 >>313
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.313 )
- 日時: 2022/07/27 20:41
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /JJVWoad)
5
何が起こったのか、数秒理解が遅れた。気づけばボクの視界は光に溢れ、母屋の一部は瓦礫と化していた。ボクの身体は地面を跳ねて、口の中で砂を噛んだ。途端に不快感がボクを追う。
おそらくボクは、窮屈そうに母屋から顔を出しているあの触手によって外に投げ出されたのだろう。正しくは顔じゃなくて手だけど。
外はこの短時間で随分人が減っていた。残されていたのは逃げ遅れた十数名と、ぐにゅぐにゅ蠢く黒い、スライムみたいな物体。なんだこれ?
「キャアアァアアアァァア!!」
あー、うるさいうるさい。叫んでる暇があるなら逃げろよ。まあ、それが出来ないから叫んでるんだろうけどさ。
『タスケテアツイアツイヨクルシイヨシラナイチカラガワタシノナカニハイリコンデクルノキモチワルイヨタスケテタスケテタスケテタスケテ』
リンの姿はどこにも見えない。きっとまだ母屋の中にいるんだ。でも声は聞こえる。ボクの頭の中に流れ込んでくる。念じるみたいに。罪の意識を植え付けるみたいに。
タスケテ、か。なら、また楽にしてやればいいのか? コロシテと望むなら、叶えてやろうか。うーん、めんどくさいな。そんなことをしてやる義理がどこにある? どこにもない。
『どうするんだ?』
ビリキナがボクに尋ねる。
「別に、何も」
『それでいいのか?』
「何その言い方。どうしたんだよ」
『いいや。お前がそれでいいならそうすればいい』
「なにそれ」
ボクは肩を竦めた。この感情は呆れに近いかな。ビリキナが何を言っているのかいまいちよくわからない。無視していいかな。いいよね。いっか。
『ただ』
無視をしようと意識を固めた直後。
『自分の一つ一つの選択が、後の自分を決めるってことを理解しておけよ』
「……なにそれ」
まあ、いい。それよりもふと気になったことがあるからついでに聞いてみようか。
「ねえ、君の名前は何だっけ?」
『は?』
黄色い髪の精霊は、ガリガリと頭を掻いた。
『ビリキナ』
ため息でも吐きそうな顔で答える。
『って答えでいいのか?』
「それ以外の答えがあるの?」
『わからないから聞いたんだよ』
「何言ってんだか」
『こっちのセリフだっての』
「?」
自分でも何の会話をしているのかが曖昧になってきたので、ビリキナから視点を移して意味もなく母屋の方を見てみた。
『ミ・ツ・ケ・タ』
腹を抱えてケラケラと無邪気に笑う、どす黒く染まったリンがボクの左目に手をかけた。
「う、わっ!!!」
急なことに驚いてバランスを崩し、尻もちをついた。
『ネエアサヒクンコロシテヨコワイ ヨアツイヨク、ルシ●ヨ』
リンの声はだんだん壊れていく。リンの肌に、枯れた葉のような茶色の肌に、じわじわと黒が滲む。
リンの体がどろりと融けた。
どぼどぼとリンの体からスライムみたいな液体が溢れて溢れて、リンの体が大きくなる。
……嗚呼。この光景には見覚えがある。
これはなんだろう。いまボクがおかれているこの状況は。なんだか、誰かに導かれているような気がする。何度も何度もボクの『罪』を連想させるものに遭遇する。
誰だ? 誰がそうしている? 何の目的で?
「姉ちゃん?」
忘れてた。いつの間にか姉ちゃんはどこかへ消えていたんだ。どこに行ったんだろう。まだ母屋にいるのだろうか。
『アサヒ』
目の前に、姉ちゃんがいた。名前を呼ばれたから、立ち上がりながら返事をする。
「なに? 姉ちゃん」
金髪に成り損なったウェーブがかった黄色の髪と、黒に近い中途半端な灰色の肌。バケガクの制服を着て、赤いネクタイを締めている。
『ドウシタラアサヒハクルシムノカナ』
ぐちゃぐちゃと汚い音をたてながら、口があるであろう部分が裂けた。笑っているように見える。
『アサヒノセイデワタシハクルシンダ』
姉ちゃんは言葉を続ける。
『コロシテコロシ コロ●タ イコロシテコ、ロシタスケコロシタス●コロシテコロシテコロ○タ コロシタイ』
「殺したいの?」
ボクは表情を作った。
「ボクを?」
にっこりと、笑ってみせた。
理由は、わからない。笑顔を作ったつもりだけど、自然と、あるいは無意識に浮かんだ表情なのかも。
「姉ちゃんが?」
姉ちゃんはボクの問いに答えずに手の平をボクに向けた。
『……』
聞き取れない呪文を姉ちゃんが呟くと、辺りに散乱していたスライムもどきが破裂した。
「がはっ」
破裂したスライムもどきがボクの腹に直撃して、再び膝をつく。見ると、着ていた制服にべったり黒い液体が付いていた。うわ、ブレザーは一着しかないのにどうしよう。
しかしそれは杞憂だった。液体は服に染み込み、ボクの身体に染み込んだ。冷たいゼリー状の液体が、ボクの血液と混ざり、魔力と混ざり、心臓へ魂へ送り込まれる。そんな感覚。
「はあ……」
気持ち悪い。
だけど。
どうしてだか、とても気分が高揚する。
気持ち悪いのに、心地いい。
「は……」
ボコボコと、水が沸騰する時に聞く音と酷似した音が右腕から重たく響く。
「ハハハハハハハッ!!」
右腕から黒い液体が噴き出し、辺りにボクの身体の一部が散らばった。
『アサヒ?』
姉ちゃんの顔に白い円が二つ浮かんだ。驚いている表情だ。でもすぐに表情を変え、ボクをキッと睨む。
『……!』
地面が割れて、赤黒い触手が出てきた。一秒足らずでボクの髪に触れたそれを、ボクの右腕は受け止める。
ズシャリ
グシャリとも違う独特な音が流れ、ボクの目の前で触手が弾ける。中から緑の水が漲った。ビシャ、と顔にかかった水も肌に染み込んで、ボクの体に混ざる。
いまもなお噴き出し続ける右腕が姉ちゃんを狙って伸びた。
『…………』
地面に出現した奴隷紋。姉ちゃんの体を中心として展開され、ボクも範囲内に入っている。
ボクの右腕は地面を殴りつけ、ボクの体は弾き飛ばされる。
「か、はっ」
背中を強く打ち付けて、喉から声が絞り出される。体が痺れるけれど、右腕だけは変わらず動き続けている。視界に映った右腕は姉ちゃんの奴隷紋を破壊しようと試みていた。さっきじいちゃんの【シール・サークル】にしたように奴隷紋に張り付き、引き剥がす。引き剥がした奴隷紋は──ボクの右腕に現れた。
逆五芒星の形に切れ込みが入り、ボクの右腕は粉砕された。
「えっ」
右腕の欠片が飛び散って、ボクの体にもかかった。不思議な感覚だ。明らかにおかしな状況なのにおかしいと思えない。むしろこの思考がおかしなものとして脳が処理する。
『アサヒ』
姉ちゃんの顔が崩れた。
『コレハバツダ』
肌の色に、白が差した。一滴の黄色が入り込み、崩れたはずの皮膚は人形を思わせる硬質な美しさを暗に語る。
『朝日の』
太陽の光を受けて輝く金髪が、春に近づきつつある優しい風に吹かれて揺れる。
『貴方の』
開かれたまぶたから、夏の晴天を閉じ込めた青眼が覗く。二つの青い目が、ボクを捕らえる。
『バ つ だ』
6 >>314
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.314 )
- 日時: 2022/07/27 20:42
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /JJVWoad)
6
姉ちゃんの顔が、ぼやけて見えた。
「あれ、おかしいな……」
目をこする。おかしい。姉ちゃんの顔だけじゃなくて周りの景色までぼやけて見える。急に目が悪くなったのか? そんなわけないか。原因が思い当たらない。
『フフフ』
姉ちゃんが笑った。
『安心して、朝日。ヤサシイヤサシイカミサマが与えるバツは、とてもあまいものだカラ』
見間違えだろうか。姉ちゃんの服が変わってる。真っ黒なワンピースだ。丈は長いが露出が多く、いわゆるノースリーブの形のもので肩の部分は紐に近い。冬も終わりかけているとはいえこの季節に不似合いな格好だ。それに、靴も履いていない。裸足。見ているこっちが寒くなる。
『あさひ』
姉ちゃんがゆったりと微笑む。
『…………』
姉ちゃんが世界に向けて発した信号により、地中から触手が呼び出された。またか。ほかの攻撃手段がないのかな? そんなわけないか。だって、姉ちゃんだし。
ボクの右腕が再度生えてきた。それはまるで肩が黒い吐瀉物を吐き出しているようで、軽度の不快感に苛まれた。そんなボクの感情を無視し、ボクの右腕は触手を襲った。しかし、逆に触手に絡め取られ、腕が伸びきった紐のようにピンと張った。
だから余計にボクの体は大きく飛んだ。触手が大袈裟な動作でボクの右腕を振り回す。ボクは空中に巨大な円を描いた。二、三回そうされたあと、触手はボクの右腕を離した。
「わあぁぁぁぁあああああっ!!!」
遠ざかる地面と増えていく情報量にめまいがした。人の体はこんなに飛ぶものなのかと他人事みたいに感心する。大陸ファースト全土とは言えないが、大陸のそれなりに遠くまで見渡せるほど、ボクの体は天に近づいていた。
驚愕した。触手に飲まれかけている花園家とその周辺にも驚いたけど、そうじゃない。
少なくとも視界に映るほとんどが、炎に包まれていた。家も、人も、木も、花も。
それだけじゃない。大陸ファーストを覆う結界が消えている。あの結界は大陸ファーストのどこにいても見えていた。結界の濁った白で遮られていた空の青がいまは残酷なまでにくっきりと見える。
『神は、この地を見放した』
今朝この言葉を聞いたときはいまいち実感が湧かなかった。でもいまは違う。はっきりと理解した。世界の終焉から逃れるための大陸は、いまこの瞬間、完全に崩壊してしまったんだ。
『オマエノセイダ』
違う。これはボクのせいじゃない。
『これはお前の罪だ』
違う。これはボクの罪じゃない。
『コレハバツダ』
違う。違う。絶対に違う。
『貴方の、バつだ』
違う。断じて違う。
だけど。
仮に。仮にだ。もし仮にこれがボクの罪だとしたら、罰なのだとしたら。
「……なんでいまさら、ボクを裁くの?」
ボクは空を見た。空の向こうの天の向こうにいるはずの神を睨みつける。
だってそうじゃないか。罪人なんてボクだけじゃない。自分が非道だって自覚はあるよ。でもボクよりも酷い罪人だってたくさんいる。なんで、どうしてボクなんだ。これがボクの罰なら、なんで──
「迷いがあった」
そう告げたのは、神だった。
「私には罪がわからない」
嫌悪の対象であった神が悲しそうに目を伏せる。
「私に朝日を裁く権利はないと思っていた。いいえ、いまも思ってる。個々の罪の実態も知らずに裁くことは、それ自体が罪なんじゃないかと、そう考えた」
けれど、と、神は言葉を続ける。
「私は裁く者。これは覆ることのない事実。
これは私なりの償い。贖罪であり懺悔でもある」
神は手を組んだ。祈られるはずの神が何に何を祈ると言うのだろう。
「これは『私』の最後の願望。せめて、せめて朝日だけは、救いたいと思った」
神が目を開く。
「既に手遅れなのだとしても」
知らぬ間にボクは姉ちゃんの腕の中にいた。背中や足を支えられている。姉ちゃんは壊れてしまったボクの右腕を愛おしそうに撫でる。相変わらずの無表情だったけど、ボクの目にはそう見えた。
「姉ちゃん」
何故か、そう呼ぶのがとても久々に思えた。自分の口から発せられた音がひどく懐かしく感じ、同時に切なくも感じた。
胸の奥から湧き上がってくるこの感情の名前をボクは知らない。息が苦しい胸が締まるような感覚がするずっと姉ちゃんの腕の中にいたいもっと姉ちゃんの声を聞きたいもっともっともっともっともっともっと。
嗚呼、でも。この感情の名前はわからないけれど。名前をつけるとしたらこれはきっと──愛、なのかな。
「……め、なさっ」
嗚咽混じりの声が自分の口から零れるのを聞いた。
「ごめん、なさい……ッ」
姉ちゃんが着ている制服が少しずつ濡れていく。そんなことは気にしないと言いたげに、姉ちゃんは変わらず優しい眼差しをボクに向けていた。
「姉ちゃん、ごめんなさい……」
何を謝りたいのかははっきりしてない。ただ『申し訳ない』という気持ちに侵されていた。
「うん」
姉ちゃんがそれだけ言った。それだけ言って、その細い指でボクの頬に流れる冷たい水を拭った。
『幸せそうだね』
姉ちゃんの声だ。姉ちゃんの声によく似ている声が聞こえた。けれど違う。高い声と低い声が重なったような硬質な声だ。姉ちゃんの声は女性にしては落ち着いた低めの声で、温かくて冷たくて、冷たくて温かい。
『良かったね、花園日向。束の間の幸せに浸れて』
姉ちゃんの姿をしたリンがふわりと微笑んだ。対する姉ちゃんは眉間にしわを寄せ、不機嫌そうにリンを見る。
「あなたはワタシじゃない」
『そうだね。けれどワタシを語る権利はあるんじゃないかしら。ワタシの中には確実にワタシの魔力が流れている』
ボクを支える姉ちゃんの腕に力が入った。
『その子はいいんだ。わたしのことは助けてくれなかったくせに。その子よりもわたしの方が被害者なのにね』
リンの瞳が一瞬若草色に変わって、すぐに透き通った青眼に戻る。
『ワタシにその子を裁く権利はあるのかな? ふふ、無いよね。貴女こそが罪人なんだから。おかしな話ね。罪人が罪人を裁くなんて。ああ、でも、甘い甘いあなたにはおかしな話が良くお似合いよ』
何か言い返そうとした姉ちゃんが口をつぐむ。それから、何の光も宿らない空虚な目を偽物の姉ちゃんに向けた。
「貴方にこの子は裁かせない」
リンは楽しげに笑う。
『ええ、わかっているわ。わたしはあくまで人形だもの。ただの道具。理解しているわ。ただ』
無邪気は笑みが、にぃっ、という不気味な憫笑にすり変わった。
『あの御方の御考えになることは、ワタシもよくわかっているでしょう?』
姉ちゃんの表情は変わらない。代わりに姉ちゃんの体が強ばるのを至近距離で感じた。
唐突に、雨が降った。見覚えのある雨だった。雨雲なんて見えない空で堂々と輝く太陽に照らされてキラキラと光る光の粒が冷たい温度を伴い、雨となって大地に降り注いだ。
『酷いなぁ』
リンが言う。見ると、リンの体が壊れかけていた。濁った黄色の髪はボロボロと抜け落ちて、肌の色も見る見るうちに崩れていく。それこそ、化けの皮が剥がれるように。
『さんざん利用した挙句こんな仕打ちか』
光の雨に打たれた部分からリンの体は液体化する。光に混ざって黒い雫が地上へ落ちていくのが見えた。
『さすがだね、日向』
その言葉を最後に、リンは消えた。
「朝日、これ、落ちてた」
姉ちゃんが白手袋を差し出した。あ、右手に着けてた手袋だ。やっぱり落としてたんだ。
「ありがとう、姉ちゃん」
左手で受け取ってさっさと着けた。こんな手を周囲に見せるわけにはいかない。また失くしたら大変だ。次からは失くさないようにしないと。その心配はきっと必要ない。
「じゃあ、行こうか」
「することは終わったの?」
「うん。もうここに用はない」
「そっか」
なんだかとても静かだ。地上から遠いからかな。降り続ける雨はボクたちを包んで、ほかの雑音を遮断する。光を纏う姉ちゃんが、いつもよりも遠い人に思えた。
こうしてボクたちは、誰よりも早く大陸を降りた。
7 >>315
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.315 )
- 日時: 2022/07/27 20:42
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /JJVWoad)
7
姉ちゃんはバケガクに着くと、馬車庫へ向かった。Ⅴグループである姉ちゃんは馬車の操縦が許されていないし、それはボクも同じだけどそもそもそれ以前に技術面で操れない。それに馬車は定期便があってわざわざ馬車庫に行く必要は無いから、何をしに行くんだろうと不思議に思った。
それ以上に不思議なものが、そこにはあった。
馬車庫に来ることは何度かあった。そこは第一館からあまり遠くない場所で、校門に入って右側、きちんと整備された道を歩いた先にそれはある。広い敷地を持つこのバケガクにおいて、馬車は不可欠な移動手段。定期便に乗るのもいいけど、Ⅱグループ以上の生徒は馬車の操縦が許されているので、そっちに乗った方が自由に動き回れる。愛想を振りまいておけば馬車に乗せてもらうことくらいは出来る。
客車と馬車馬は、当然ながら違う場所に収納されている。いや、馬に収納という言葉は不適切か。休ませている、とでも言おうか。馬車庫は本来客車を収めている場所を指すけど、バケガク生徒は馬小屋も含めてそう呼ぶことが多い。けど、姉ちゃんは本来の意味の馬車庫に向かっている。生徒が馬車庫に用があるとしたら、大抵自分で馬車を操る時くらい。そういうときはまず馬小屋へ行って馬を借りたり色々面倒な手続きをする。時間はそんなにかからないけど、確実に面倒臭そうな、手続きを。なのに姉ちゃんはそれをしなかった。まっすぐに馬車庫まで歩くと、木製の扉に手を当てた。扉の向こうでがちゃんと重たい音がして、勝手に開いた。
まだ冷たさの残るこの季節。でも、それ以上に冷たい空気が外へ流れ出た。思わずぶるっと身震いする。ボクはあまり寒さを感じる方ではないのに。
ボクは目を見張った。不思議なものが、そこにあった。
馬車があった。確かにここは馬車庫なのだが、ちがうのだ。『馬ごと』馬車があった。
漆黒の馬車は、形だけはほかの馬車と同じだ。ああ、違うな。色だけが違うんだ。あまりにも異質でほかの馬車とはかけ離れていると錯覚してしまった。
馬車には聖サルヴァツィオーネ学園の校章が刻まれている。だからバケガクが所有する馬車であることは間違いない。だとしても、ここまで黒い馬車は他にない。こんなの、見たことがない。
「姉ちゃん」
なんとなく、どうしようもない不安に駆られ、ボクは姉ちゃんに手を伸ばした。
「行こう」
姉ちゃんはボクの手を取り、歩こうとした。けれどボクの足は動かない。姉ちゃんがボクを見て、首を傾げた。
「どうしたの」
それから少しして、言った。
「怖い?」
ボクは頷いた。姉ちゃんは数歩歩いた足を戻して、ボクのそばに来た。
「これは、Ⅴグループ寮へ行くための馬車。グループごとに、寮が分かれてるのは、知ってる?」
「うん。見たことはないけど、建物の造りとかも全然違うんだよね?」
「そう。個人の能力によって必要な設備は変わってくる。だからグループで分かれてるんだけど」
冷たい風が、ボクらの間を通り抜けた。
「クラスでいいと思わない?」
姉ちゃんがボクに、馬車に乗るよう促した。今度は逆らわない。そういえば、馬に取り付けられている馬具の色は鮮血に近い赤色だ。
「それは、ボクも思ってた」
馬車の中は、思っていたより明るかった。外から見た時は窓なんてないように見えたけど、大きな吹き抜けの窓が空いている。
ボクと姉ちゃんが隣合って座ると、馬車はのろのろ動き出した。
「あれ、御者っていたっけ?」
確かボクが見たときは、御者席は無人だった。いくら大人しく従順な馬でも、御者は必ずいるものだ。御者がいないのに動き出す馬車なんて、そんなの聞いたことない。
「必要ない。あれは、馬じゃない」
「そうなの?」
「うん。仮想生物」
「ああ、なるほど」
それならまだ理解出来る。久しぶりにまともな仮想生物を見た気がする。仮想生物にまとももなにもないけれど、[通達の塔]の二人といいジョーカーといい、わけのわからない仮想生物に会ったから妙な安心感がある。自分が正しかったのだと、向こうがおかしかったのだと、安心する。
「ネクタイやリボンは、常時着用。それが規則」
姉ちゃんが話を戻した。
「理由はいくつかある。貴族や平民を区別するためとか、クラスよりも大まかに分けるためとか。でも、それは全て表向き」
ガタゴトと揺れる馬車の音が、やけに大きく聞こえる。この馬車の揺れはほかの馬車と比べるとかなり小さい。それなのにいつもより音が大きく聞こえるのは、普段賑やかなバケガクに、人がほとんどいないから。
「朝日の周りにも、何人か、Ⅴグループの生徒はいたよね」
ボクは首を縦に振る。なんなら、目の前にいる姉ちゃんがそうだ。
「真白は、朝日にはわからないかもしれないけど、私やゼノイダがわかりやすい。Ⅴグループは劣等生のグループじゃない。素行が悪いという意味ではない、問題を抱えた生徒という意味の『問題児』のグループ」
問題児?
「能力、境遇、体質、それ以外にも色々『問題児』と判断される材料はある。問題児なら誰でもⅤグループになる訳じゃない。保護が必要だと判断されるほど、個人の抱える問題が個人あるいは他者に害を及ぼす場合にその個人はⅤグループに位置づけられる」
ガタン、ガタン、馬車の揺れる音がやけに目の前の光景の現実味を薄れさせる。手を伸ばせば届く距離にいるはずの姉ちゃんが、まるで画面の向こう側にいるような錯か──画面って、なんだ?
「木を隠すなら森の中。問題児を生徒の中に隠すための制度。それがグループ。劣等生というレッテルを貼る代わりに、学園がバケモノを守ってる。寮がクラスではなくグループで分かれているのも、Ⅴグループ寮だけが他の寮と隔離されているのもそれが理由」
姉ちゃんは手の平を虚空に差し出した。赤い光が姉ちゃんの手に集まって、その上にⅤグループを象徴する赤いネクタイが落ちた。
「理事長に話はつけてある」
白く細い指で優しく包まれたネクタイが、二つの選択肢とともにボクに迫った。
「どうする?」
これはつまり、ボクにⅤグループに入れということか。確かクラスやグループの移動は年度が切り替わるときに行われるはずだが、何事にも例外は付き物だ。
受け取らなければ姉ちゃんと寮が分かれる。受け取ればボクは問題児の仲間入り。さあ、『どうする?』
悩んだ時間はほんの数秒だ。ボクはネクタイを受け取った。結論の決め手になったのは、うーん、なんだろう。姉ちゃんの言う『劣等生というレッテル』とやらが罪を償うために背負う十字架みたいに感じたのかもしれない。
「リボンの方が良かった?」
珍しく姉ちゃんが冗談を言ったので、ちょっと口角が上がった。
「いや、これでいいよ」
姉ちゃんがくれたものをボクが変更なんてするわけないじゃないか。
「そう」
ボクは受け取ったネクタイを掲げた。光沢のある布に染め入れられた赤色が、どろっとボクの手を伝う。なぜか目を引かれる紅にぼうっと意識を飛ばしていると、突然ガタンッと大きく馬車が揺れて停止した。どうやら目的地に着いたらしい。馬車の扉が開いて外の景色が顕になる。
周囲から隠すように敷地をぐるりと囲む背の高い深緑の木々、それらに日光を遮られ影を反射するこぢんまりとした重厚な漆黒の宿舎、粗い石が散乱する雑草だらけの荒れた地面。大陸フィフスで見たカツェランフォートの屋敷が放つものよりも重苦しい雰囲気に息が詰まる。冷たくはないが不快なほどに生ぬるい風が背をなぞる。寒くはないのに、体のあちらこちらがゾワゾワする。
「オマチシテオリマシタ」
髪の長い少女の形をした赤い塊がボクたちを出迎えた。手のようなもの、足のようなものはあるがそれらの境界線は見当たらない。特有の淡い輝きを全身に巻き付けるこれが、一目で仮想生物だとわかる。本来仮想生物というものはかなり特徴的な見た目をしているものだ。……仮想生物って基本喋れないから、目の前の仮想生物が俗に言う仮想生物と同じものかどうかは怪しいところだけど。
「ワタクシノナハネイブ。コノリョウノホゴシャデス」
ネイブは歓迎の意を示すように両腕らしきものを広げた。
「ヨウコソ、ガクエンノマクツヘ」
8 >>316
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.316 )
- 日時: 2022/08/20 00:09
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 0vtjcWjJ)
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「マクツトイッテモミンナネチャッテマスケドネー」
ネイブが飛び跳ねながらボクたちを寮の中へ招き入れた。あの馬車は気づいたら消えていた。
「寝てる?」
「ハイ。ア、デモオキテルコモイマスヨ」
寮の入口である両開きの扉を小さな手で押し開けて、ネイブは呼び慣れた名を呼んだ。
「ゼノ、アタラシイヒトガキマシタヨー」
「はーイ」
暗闇の向こうから、大柄な少女が小さく駆けてきた。見覚えがある。癖のあるくるくるの黒髪とそれによく似た色の瞳、焦げ茶の肌と全体的に黒い見た目をした怪物族。民族衣装らしい頭に被る白い布がより一層黒を際立たせる。ゼノイダ=パルファノエは驚いた顔をした。
「アサヒ?」
友達ごっこの一環だ。ボクは左手をあげた。
「やあ、ゼノイ──」
出てきた言葉を飲み込み、言い直す。
「ゼノ、久しぶり」
ゼノは姉ちゃんを除けばバケガクで唯一気の許せる相手だ。もう会えないかもしれないと思っていた自分もいたから、また会えて嬉しい。会えなかったとしても特になんの感情も抱かなかったと思うけど、それとこれとはまた別の話だ。
「ヒさしぶり。どうシタの? どうしテネくタイの色ガ」
「ホラホラ、オシャベリノマエニマズハオキャクサマノアンナイデス。ワタクシハオジョウサマヲアンナイスルノデゼノハソチラノカタヲオネガイシマスヨ」
ネイブは姉ちゃんを見て、「イキマショウ」と促した。それを確認した姉ちゃんは頷いて、ボクを見た。
「また後で」
ボクは大きく手を振って、一度姉ちゃんと別れた。
「ねえアサヒ、ソれでどうシたノ?」
ゼノは心配そうにボクの顔を覗き込む。そのときにふと気づいたように視線がボクの手に向いたけど、ひとまずは無視してくれた。
「どうしたって?」
「だカラ、アサヒはⅣぐるーぷだっタデしょ? ナんでⅤグルーぷのねくたイをツけてルの?」
なかなか答えないボクにやや怒りを込めながら言葉を続ける。だけどその怒りはボクを心配してのことなのだろうと容易に想像できる。ボクは意地悪をするのはやめて、ゼノに話した。
「来る途中の馬車で、姉ちゃんにネクタイを渡されたんだよ。あ、ちゃんとボクにⅤグループに入るかどうかの意思確認はしてくれたよ」
「そうなんダ」
そう返事をしたゼノだったけど、まだ納得いかない様子でうーんと唸る。
「でモ、そんなこトデきるの?」
そんなこと、というのはきっと『年度が終わっていないのにグループを変えること』を指している。確かにボクもそれは気になる。何事にも例外はある。でもこんな年度の終わりが鼻の先であるこの時期に?
今度はボクが唸った。しかしボクの口はあっさりと言葉を告げる。
「ボクがバケモノだから、いいんじゃない?」
「エッ?」
ボクは右手の手袋に左手の指をひっかけた。ゼノも気になっているようだし、ボクがバケモノであることの証明にもちょうどいい。そう考えて手袋を外そうとした。だけど、右手の黒が見えた瞬間に手を止める。
さあっと血の気が引いて、慌てて手袋を引っ張り黒を隠す。血の流れを激しくする心臓の音を聞きながらゼノの顔を見ると、きょとんとしていた。よかった、バレていない。
危なかった。数秒前のボクは何を考えていたんだ。おかしくなっていた。おかしくなっている。ボクの頭は、ボク自身が、おかしくなっている。こんな気持ちの悪い肌を見せたら嫌われるに決まってる。ゼノは唯一無二の存在だ。恋愛感情とかそんなものは抱かない。あんな気持ちの悪い感情なんか抜きにして付き合ってくれるゼノは、失いたくない。別に失ってしまっても良いと言えば良いけれど、できることならそばにいて欲しい。これは恋愛感情じゃない。
恋愛感情なんて冗談じゃない。教室にいると周りの奴らはボクとゼノが恋愛感情を抱いて付き合っているとか言って冷やかしてくる。反吐が出る。気持ち悪い。トラウマと呼べるほどのものでは無いが、ボクは恋愛感情というものに嫌悪感を抱いている。
容姿とか能力とか家の権力とか、ある程度優れているボクに言いよる女は多かった。じいちゃんや姉ちゃんみたいに背が高くないのでまだマシだったかもしれないがそれでも多かった。多いと感じた。本当にボクに恋愛感情を抱いていたのかわからない奴もいた。でも、抱いてるとか抱いてないとかそんなことはどうでもいい。ただひたすらに気持ち悪かった。
相手がボクに恋愛感情を抱いているかどうかは大抵すぐにわかる。わからないのもいたけど。男女の友情は成立しないとかいうあれが本当なんじゃないかと思うくらいあいつらの態度は両極端だ。でもゼノは違う。あの純朴な瞳に何度救われたことか。それに美しさを感じたことこそないが、気持ち悪いあの連中と比べれば月とすっぽんほど違った。
「もウ一ついイ?」
ゼノが疑問符の残る顔をボクに向けたまま言う。
「ん、なに?」
問い返しながら、感情が揺れた。ゼノの視線がボクの右手に向いているのに気づいたから。冷や汗の不快感をゼノに気づかせないように笑顔を取り繕う。
「そのテ袋ってあたラシク買ッたの? 格好イイネ」
幸いゼノは何も気づいていないらしい。にこにこしながら手袋を褒めてきた。ボクはほっとして、繕った笑顔を安堵と共に本物に置き換えた。
「うん。姉ちゃんにもらったんだ」
ゼノは羨ましそうに、へぇと言うだけでそれ以外に何も言わない。
「ア」
ゼノが呟いた。
「ごメんね、早く部ヤにあン内しなきゃ」
焦ったようにゼノはボクの手を引いた。と言っても手を繋ぐわけじゃなくて、動き出す合図としてボクの腕の裾を少し引っ張った程度。それを受けてボクはゼノの後ろを歩いた。ボクたちは身長差が激しいけど歩調の差にストレスを感じたことはない。ゼノはのんびりした性格なので自分でも歩くのが遅いと語っていたが限度があるだろう。ゼノがボクに合わせてくれているのは考えるまでもない。
「静カニ歩いてネ」
歩いている途中に前を歩くゼノが振り返り、口元に人差し指を立てた。
階段を上がったところでそう言われた。目の前にはずらりと並ぶ頑丈そうな扉。廊下に光はほとんどなく、夜目の効かないボクには厳しい条件だ。ん? いや、そんなことないか。案外見える。
ボクは黙って頷いた。さっきネイブがみんな寝ていると言っていたから、その連中を起こさないように歩けということなのだろう。足音を極力たてないように気をつけながら暗い廊下を歩く。ボクはともかくゼノからも足音は聞こえない。気をつけているのはわかるけどそれでも意外だ。普段おっちょこちょいなのに足音は消せるんだ。
ボクたちはしばらく歩いた。距離を考えても結構歩いた気がするがどうだろう。雰囲気に侵されて実際の距離よりも多く歩いたと勘違いしているだけかも。とにかくある程度歩いて、そこでゼノは立ち止まった。廊下の端。他の部屋は廊下を挟んで扉が向かい合わせに位置しているが、おそらくボクが入るのであろう部屋は廊下を歩いた方向に対し逆向きに位置していた。よって向かいというものは存在しない。こころなしか扉の大きさもちょっと大きい気がする。他の部屋と何かが違うと、ボクの本能は告げている。
ボクの緊張に気づかず、ゼノは手に持っていた鍵を扉に差し込んだ。鳴った音はわかりやすく重たい。ガチャン、その金属音がなぜか、扉が開く音よりはボクを閉じ込める牢屋の施錠の音に聞こえた。やけに心臓が冷たくなって、緊張は解けた。
「オソイ!」
扉を開けた先で、鱗粉にも似た赤い光を儚く散らすネイブが立っている。腰に手を当て、仁王立ちしていた。たぶん。実際に腰や手があるわけじゃないから人間の真似事だけど。ネイブはゼノに詰め寄った。
「ナニヲシテイタノデスカ? コンナニジカンガカカルナンテ」
「ご、ゴメんなさイ、ツイ……」
「ツイジャアリマセン。イマカラコノチョウシジャコマリマスヨ」
「はい……」
ネイブの言葉に違和感を覚えながら二人を眺めていると、ネイブの首がくるりと動いてボクを見た。
「サアサア、ソンナトコロニツッタッテナイデドウゾナカヘ。ココガコレカラオキャクサマノオスゴシニナルヘヤデゴザイマス。ゴユルリトオクツロギクダサイ」
やっぱり違和感がある。でもいまはそれを無視してネイブを見る。ネイブは不思議なオーラを放つ。ネイブがそばにいるとなぜか心が安らぐんだ。これがどうしてなのかは本当によくわからない。なんとなく姉ちゃんに似た雰囲気を感じるけど、それがなぜかもわからない。
「ゼノ、コチラヘ」
ネイブはゼノのスカートを握って部屋を出ていった。本来なら手を握るところなのだろうが、身長が足りない。ネイブの背はボクの腰に届かない程度だ。
「さて」
ボクは部屋の空気を吸った。じめじめはしてないけど、うーん、じわじわする。自分でも変な表現だと思う。でもそう感じるのだ。まるで暗いこの部屋に巣食う闇がボクの体を侵食して、染み込んでくるような感覚。
右腕が、むずむずする。
9 >>317
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.317 )
- 日時: 2022/08/20 00:10
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 0vtjcWjJ)
9
突然、黒が動いた。
『久しぶりだね』
その言葉を受けて声を出したのはボクでありボクではなかった。
『はい』
『そんなにかしこまる必要は無い。キミはワタシの恩人に近い存在であるのだから』
『ありがとうございます』
黒は笑った。そう見えた。よく見えない。意識そのものに霞がかかったようだ。この感覚は、そうだな、夢だ。夢を見ているときに似ている。夢の中にボクとボク以外の誰かがいて、ボクが動いてるはずなのにそれをボクは第三者の視点で見ているような、あの感覚。ここにいるのはボクだけど、ボクじゃない。
『キミの仕事は最早終わっていると言っていい。後は時間が経つのを待つだけだ。キミは何もしなくていい』
『はい』
黒はボクに触れた。頬を撫で、額を覆い、目の縁に指みたいなものが当たる感覚がした。それに合わせてボクは目を閉じる。
『これは報酬の一環だ。遠慮なく受けとってくれ。それから、まだあの子のことを知りたいのなら、図書館に行くことをお勧めするよ』
目を開けると、そこに黒はなかった。代わりに見えたのは、並んで歩くネイブとゼノ。
「イイデスカ? ワタクシハアナタヲヒョウカシテイルノデス。アナタダカラオキャクサマノアイテヲタノンダノデスヨ?」
「案内を忘れていたのは、ごめんなさい。次からは気をつけます。でも──」
ゼノが言い淀む。ネイブはその背中を押した。もちろん物理的にではなく精神的に。
「ドウシマシタ?」
「えっと、どうしてあの部屋なのかな、と。他にも空いてる部屋はありますよね?」
今度はネイブが言葉を出し渋る。真実を隠すつもりはなさそうだが、どう話すべきかで悩んでいるらしい。
「『オキャクサマ』ダカラデス。アレハモウガクエンノセイトデハナイ」
「えっ?」
ゼノが困惑してネイブを凝視した。
「どういう意味ですか?」
「ソノママノイミデス。アナタモジキニシルトキガクルデショウ」
ゼノは納得したように見えない。さらに問い詰めるか否かを判断している最中、唐突に二人のそばにある部屋の扉が開いた。
「面白そうな話だネ、あたいも混ぜてヨ」
出てきたのはルーシャル=ブートルプ。深紫の短髪に柑子色の瞳と、派手、と言うよりも毒々しい色合いをした女。しかし体型も含め外見は整っていて、その毒々しい色は欠点ではなく立派な個性として溶け込んでいた。ここが寮ということもあり彼女は部屋着で、白い肌は見せつけるかのように汚らしく顕になっている。腕や太ももや胸元など。頭から飛び出した円錐状の黄色の角を見るに、鬼族であることは一目瞭然だ。
「ルーシャル、リョウノナカトハイエソノカッコウハイカガナモノカトオモイマスヨ」
「いいジャン。楽なんだヨ。ねぇねぇそんなことよりサァ、あの部屋埋まったんだネ。あたいはてっきり白眼が入ると思ってたから意外だったヨ」
ルーシャルが言うあの部屋とは、先程朝日が入った部屋のことだ。そもそもが特別製であるこの寮の中でも特に頑丈に作られたあの部屋は『要注意人物用』だった。あの部屋に入れられるほどの危険人物はそうそう現れないし、実際ここ数年間は空室だった。その部屋にあんな平凡な少年が入るなど誰が想像したことだろう。少なくとも朝日は見た目だけは歳の割に小柄で細身。危険どころかむしろ周囲から心配されそうな見た目をしている。
「まさかあんな可愛い男の子が入るなんてネ。好みじゃないけど結構美味しそうジャン」
ゼノがあわあわと口を動かすが、肝心の言葉が出ていない。そんなゼノを見かねてか、ネイブがルーシャルに言う。
「オキャクサマヲアノヘヤニオトオシシタイミヲカンガエナサイ。アナタガテヲダシテイイ『モノ』デハアリマセンヨ」
「モノ? 珍しいネ、あんたがそんな言い方をするなんテ。ますます気になるジャン」
ルーシャルはネイブの忠告など右から左へ聞き流す。ぺろりと舌なめずりをして、ゼノの眉間のしわが深まった。
「なにか文句でもあんノ?」
ゼノが向ける視線に気づいたルーシャルが声を荒らげた。
「いえ」
「なぁんか鼻につく言い方するネ。言いたいことあるなら言いなヨ、マモノオンナ」
怪物でもないバケモノでもないゼノに与えられた蔑称。ゼノの過去、すなわちゼノの姉のことを知る者はバケガクにおいて少数だが、長年共に過ごしている寮生だと隠し通すにも無理がある。魔物の家族なのだからお前も魔物だろ、ということだ。厳密には〈呪われた民〉は魔物でもなんでもないのだが。
ゼノはこの蔑称を嫌だとは微塵も感じていない。自分が慕う姉の家族であることを誇りに思っているからだ。呼ばれ出した当初は眉をひそめていたが、それは姉を魔物扱いすることが気に入らなかったからだ。
「コラ、ケンカヲウルノハヤメナサイ。ゼノハソンナチョウハツニハノリマセンヨ」
「ハイハイ。ネイブはうるさいナ」
鬱陶しそうにそう言いながらも、ルーシャルはニヤニヤとした顔を直さずにゼノを舐めまわすように見続ける。
「確か、あの男の子と仲良いんだよネ? あたいが手を出すと嫌な顔するってことはそういうコト?」
途端にゼノの顔は真っ赤になった。それは羞恥と怒りの感情が複雑に混ざりあった結果であった。先程ネイブに「ゼノハソンナチョウハツニハノリマセン」と言われたばかりだが、こればかりは言い返さねばゼノの気は収まらなかった。
「違います!」
「むきになってどうしたノ? そんなに強く否定するなんて逆に怪しいジャン」
「私と朝日は友達です。勝手なこと言わないでください!」
「ふぅン?」
ルーシャルが納得した様子は微塵もない。見下すような嘲るような目を隠さない彼女に、ネイブは大きく跳び上がって彼女の頭を叩いた。
「痛ァ!」
「イイカゲンニシナサイ、ゼノヲカラカウンジャアリマセン」
「なんであたいだけなのサ!? 虐待だヨ虐待!」
「アイノムチデス。ゼノハダイジナ、オキャクサマノオメツケヤクナノデス。アナタノセイデヤクヲオリルトイッタラドウセキニンヲトルノデスカ」
「お目付け役ゥ?」
ネイブは小さな見た目に反し、ルーシャルに相当なダメージを与えたようだ。ルーシャルは微かに涙目になりつつ頭をさすり、ゼノを睨む。
「このぼんくらにそんなこと出来るわけないヨ」
「ナントデモオイイナサイ。イキマスヨ、ゼノ」
「はい」
ボクは目を閉じた。瞬きをしてもう一度目を開くと、もうそこにゼノやネイブの姿はないし、もちろんルーシャル=ブートルプの姿もない。目の前にあるのはボクに当てられた部屋の大きな扉。これからなにをしようか、そんな疑問さえ浮かんでこないままにぼんやりと扉を見つめる。
「あのー……」
背後から声がした。誰かいたっけ? そう自問しながら声の主を確認する。
左右に広がった特徴的な形をした、銀にも見える灰の混ざった白髪と、赤青黄がそれぞれ混在する瞳の色。すらっと伸びた体に纏うものは色とりどりの派手な衣装。継ぎ接ぎだらけとも形容できそうなちぐはぐな服だ。腰を越える長い髪は性別を判断する材料には成り得ず、男にも女にも見えるし、なんならどちらにも見えない。よくわからない風貌だ。顔でも性別は判別できない。ただ、なんだか見覚えのある顔だ。
「驚かないんですねー」
「そういえばそうだね。で、誰?」
ボクが訊くと、そいつは答えた。左手を胸に当て、見本のようなお辞儀を見せる。
「申し遅れました。ワタシはジョーカー。イロナシと対を成すイロツキでございます」
なるほど。道理で見たことがあると思った。特にその馬鹿みたいな格好。白と黒のイロナシでさえ派手だったのに、そこに色が加わると目が痛くなる。
「なにしに来たの?」
「なに、と言いますかー」
イロツキは困惑したように微笑んだ。冷たい微笑だ。氷よりは極寒に晒した鉄と表現する方が適切だと思える、そんな冷たさ。
「ご相談に伺ったのです。そこの精霊をお貸しいただけませんか?」
「精霊?」
ボクは鞄から出て机の上に座っているビリキナを見た。イロツキに視線を戻して再び問う。
「ビリキナのこと?」
「はい」
「いいよ別に。好きにして」
二つ返事で了承したことを怒鳴ってくるかなと思ってもう一度ビリキナを見る。ビリキナは不自然なくらい体を強ばらせて固まっていた。よく見るとうっすら汗もかいている。どうしたんだろ。
「そうですかー! ありがとうございます! いやぁ助かったなー。なんせずっと一緒にいるんですもの。なかなか引き剥がせなくてー。いやはや流石でございます。貴方は二度も精霊を捕まえていてー」
イロツキの声は感情がわかりにくい。この台詞も何の意図で言っているのだろうか。本当に褒めているようにも嫌味のようにも聞こえる。どうでもいいや。
「さてさて契約主のお許しも頂いたことですしどこで話しましょうか? ワタシはここでもいいのですがー」
ビリキナは慌てた調子の声を出した。
『待ってくださいっ、場所を変えましょう!』
なにをそんなに焦っているんだ。そういえば反応からしてビリキナはイロツキのことを知っているらしい。イロナシの方はよく知らないみたいだったのに。
「ボクはいまから出るからここで話してもいいよ。勝手にして」
それだけ言い残して、ボクは身一つで部屋を出た。姉ちゃんの部屋はどこなんだろう。把握しておいた方がいいよね。ネイブに訊けばわかるかな? 前は学園長室の壁の中で過ごしていたって言ってたけど今回は寮にいるよね。ネイブが案内していたし。姉ちゃんを案内していたはずのネイブがさっきボクの部屋に先回りして待ってたということは少なくとも学園長室には行ってないはずだ。
部屋から出る直前、既に話を始めたイロツキの言葉を背中に受けて、ボクは部屋を後にした。
「あの方とあの御方、キミはどちらにつくつもりー?」
10 >>318
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.318 )
- 日時: 2022/10/07 05:49
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: rrGGtC6v)
10
「オジョウサマノオヘヤデスカ?」
まずはネイブを探そうと意気込んでいたが、呆気なく見つかった。一階に降りて正面玄関に行くとそこにいた。まあ確かに、仮想生物であるネイブに部屋なんか必要ないからね。ただ、少なからず人に近い姿をしたネイブが特に何もない空間にぽつんと佇んでいる光景は少し違和感がある。すぐに慣れるんだろうけど。
「うん。どこにあるの?」
「カゾクトハイエレディノヘヤニジゼンノモウシデモナクタズネルノハドウナノデショウネ」
ネイブは仁王立ちの真似をした。
「トイウノハジョウダンデス。オジョウサマカラ、オキャクサマガノゾマレレバヘヤヘアンナイスルヨウニトオオセツカッテオリマス。ドウゾコチラヘ」
ネイブはいつの間にか二人分の食事をふよふよと浮かせて、ボクの前を歩いた。
なんだよ。だったらはじめから素直に案内していればいいのに。変に勿体ぶっちゃって。口に出したりはしないけどさ、ちょっと面倒くさいよ。
「ジョウダンモコミュニケーションノイッカンデスヨ」
「え?」
ネイブが進む方向は階段の方ではない。姉ちゃんの部屋は一階なのかな?
一階の奥まで進むと、そこには下へと続く階段があった。なるほど、この寮には地下もあるのか。かなり大きな寮だな。そう思ったけどそもそもバケガクに通う生徒の数も膨大なのでなにもおかしくはないか。
「オキャクサマハオジョウサマガスキナンデスネ」
階段を降りながらネイブが言った。
「え? ああ、うん」
そうだね。ボクは姉ちゃんが好きだ。この世の誰よりも。昔からボクの一番は姉ちゃんのものだ。そして姉ちゃんの一番もボクであるべきなんだ。実際には、姉ちゃんはボクよりも笹木野龍馬の方が大切なんだろうけど。笹木野龍馬が消えてしまったいま、姉ちゃんの一番は誰なのかな。ボクだったら嬉しいけど、たぶん違う。なんとなく、そんな気がする。
「ナカガイイコトハヨイコトデス。オモイノシュルイコソチガエドオジョウサマモオキャクサマヲタイセツニナサッテイルノデショウ」
知ったような口をきくネイブに少々腹を立てつつ、ボクは頷いた。ボクが頷いた動作をネイブが確認することはないとわかっていたけど。
「大切にされている自覚はあるよ」
「ヒッカカルイイマワシヲナサイマスネ。ナニカキニナルコトデモ?」
ネイブはボクを見ていないと思っていたけど、どうなんだろう。歩いている方向と同じ方向に目鼻に当たるものがあると思い込んでいたが、もしかしたらこちら側に顔があるのかもしれない。そもそも全身が顔の役割を果たしているのかもしれないな。
「気になるってほどでもないんだけどさ。『家族として』大切にされているわけじゃないのはわかってるから、それがちょっと寂しいなって。それだけ」
「ナルホド。タシカニオジョウサマハオキャクサマヲカゾクトシテアイスルコトハデキマセンネ」
「改めて他人に言われると腹立つんだけど?」
「タニンデハアリマセンヨ。ワタクシハコノリョウノホゴシャデス」
「あっそ」
地下一階を素通りし、もう一つ階を降りる。地下二階に着いて、比較的階段に近い中途半端な場所でネイブは立ち止まった。
コンコン、コンコン
「オジョウサマ、オキャクサマヲオツレシマシタ」
静かな廊下に、ネイブの角張った声が染み込む。その声は女性的であったがやや低めで、聞いていて落ち着く声だった。
静かな廊下に、静かな扉の開閉音が鳴った。
「入って」
明かりらしい明かりもない暗い廊下に、存在を主張する美しい金髪が見えた。廊下の壁や床、部屋の扉の黒とは、正反対で異質な白い肌が気持ち悪いくらい妖艶だ。姉ちゃんの青眼と白眼にはやっぱり光や覇気がない。
「デハ、ワタクシハシツレイイタシマス。コレハオジョウサマトオキャクサマノオショクジデス」
「うん」
ネイブは姉ちゃんに食事を渡すと、静かに立ち去った。
姉ちゃんは黙って部屋に入ってしまったけど、扉を開けたままだし、さっき「入って」と言われたから入っていいんだよね?
「お、お邪魔しま、す?」
家族の部屋に入るのにお邪魔しますは他人行儀だし変かな。だけど他に適切な言葉を思い浮かばない。何も言わずに入るのも一つの手だけど、それはやめておいた方がいい気がした。
八年の月日を越えて家に帰ってきたあの日から、姉ちゃんの部屋に入るのにはなぜか緊張するようになっていた。昔から感じていた姉ちゃんとの距離が、長い時間が空いたことでより鮮明に自覚するようになったからだ。
場所が変わったからかな、いつもより緊張する。部屋の中は真っ暗で何も見えない。
「待って」
姉ちゃんが言った数秒後に明かりがついた。姉ちゃんの魔法だ。明かりがついたことでこの空間の全貌があらわになった。と言ってもボクの部屋と同じで移動したばかりなので物は少ない。明かりがついているにも関わらず廊下とよく似た暗い雰囲気の部屋。黒い壁に黒い床、灰色のベッドと机と椅子と。暮らすにあたって必要最低限の家具だけが揃えられた質素な部屋だ。本来ならここから家具を揃えたりするのだろうが、この家具たちは随分姉ちゃんに似合っていた。ネイブに渡されていた食事は机の上に置かれていた。
「座って」
姉ちゃんはベッドに腰掛ける。
「ここしかないから」
ボクは姉ちゃんの右側に座った。窮屈に感じないようにゆとりを持ってベッドに体を預ける。
「どうしたの」
姉ちゃんは目線だけを動かしてボクを見た。吸い込まれそうなほど澄んだ青眼は、光を失っているのに外からの光の反射で輝いて見える。
ボクはちょっと考えてから笑顔を作った。
「姉ちゃんに会いたくて」
「そう?」
「うん!」
せっかくだから何か話したいな。そうだ、特に興味はないけどこの寮について聞いてみよう。何から聞こう。不思議なことといえば『どうしてこんなに暗いのか』『どうしてここは隔離されているのか』『ネイブは何者なのか』、この辺かな。まだあるけどとりあえず。
「姉ちゃんはなんでここがこんなに暗いのか知ってる?」
姉ちゃんは数秒の沈黙のあと言った。
「さあ」
「知らないんだ」
「雰囲気じゃないかな。ここはバケモノの巣窟だから」
ふむふむ。確かにボクもこんな胡散臭い建物に自分からは近づきたくないな。
「それってここが隔離されているのと繋がりがあったりする?」
「そうだね」
今度の返事は速かった。頷くことなく肯定する。
「関連はある。でも逆。黒い見た目はバケモノから外部を守るためのもの、隔離は外部からバケモノを守るためのもの。バケモノと一言で言っても色々ある。破壊衝動や虐殺願望を常に抱いている人もいれば、物理的にも精神的にも魔法的にも弱い人もいる」
へー、ちゃんと意味があったんだ。
「じゃあさじゃあさ、ネイブは? なんでいるの? 寮の管理人なら人間でもいいよね。あいつも寮がバケモノの巣窟であることに何か関係があるの?」
仮想生物がああやって職を持っているところは見たことがない。仮想生物に与えられるのはあくまで役割だ。仮想生物を維持するためには術者は仮想生物に魔力を提供し続ける必要があるし、仮に永続で仮想生物を維持できたとしたら、僕たちは仮想生物に仕事の大半を押し付けて、しまいには廃れてしまうだろう。はじめは便利だと喜んだとしても、働くことをやめた生物は壊れる。便利なものでも適度に使わなきゃいけないんだ。魔法は便利なものだからこそ、慎重に向き合わなきゃいけない。
「管理人じゃない。保護者」
姉ちゃんから訂正があった。そういえばそんなこと言ってたっけ。保護者って親みたいだな。実際母親じみた言動もいくつかあったし。
「ネイブはこの寮だけにいるんじゃなくて、他の四つの寮にもいる。ここのネイブの体の色は赤で、他のネイブの体の色はそれぞれのグループを象徴する色に対応している」
あっ、ほんとだ。よく考えたら赤の魔力で作られたわけないからあの赤は意図的に付けられた色ということになるのか。
「なんで寮の保護者がネイブなのかは、学園の職員だから。学園で働く教職員の内、教員はこの地に生きる種族で構成されていて、職員はほとんどが仮想生物で構成されている。教員になれなかった少数の人が職員になっていることもあるけど」
聞いたことがある。バケガクは生徒、つまり子供だけでなく大人の面倒も見ていると。バケガクで働く人たちはバケガク卒業生であることが多い。その理由はバケガクに通うようなバケモノは社会に出ても就職先に困る場合が少なからずあって、バケガク卒業生じゃない先生も何かしらの社会一般で言う『欠陥』を抱えている。そして社会一般で言う『まとも』な先生の方が少ない。まともならバケモノが通う、社会的に評価の低いバケガクに勤めようなんて思わない。堅実で普通の生活を送ってきた人でバケガクに勤めたいと思う人は頭がイカれていて、やっぱり普通じゃない。図書館の番人さんや守人さんもきっと特殊な事情を抱えているんだろうと予想できる。あの二人もそうだし、バケガクの教職員は身元が不明な人が多い。
「仮想生物なら術者がいるよね。誰か知ってる?」
「理事長」
「だと思った」
自分で聞いといてなんだけど、じゃなきゃ誰が術者なんだって話だ。学園で働く職員の全員を把握しているわけじゃないが、学園の敷地の広さを考えれば大体の数は推測できる。その全ての仮想生物を維持し続けるなんて大量の魔力が必要となる。それこそ、そうだな、無尽蔵の魔力が。
……感覚がおかしくなっているのかな。一体の仮想生物だけでも永久に出し続けることなんてできないから学園の職員のほとんどが仮想生物だっていう言葉自体信じがたいもののはずなんだけど。
「理事長には底なしの魔力がある」
姉ちゃんは言う。
「言葉通りの意味。魔力を大量に保持しているわけじゃない。本当に制限がない」
一般的な思考なら学園長についてさらに追及するところなんだろう。魔力の底がない種族なんて聞いたことがない。だけど、ボクは学園長にさほど興味がなかった。
それよりも気になるのは。
「なんでそんなこと知ってるの?」
以前から思っていた。姉ちゃんに対する学園長の態度は、生徒に向けるものではない。姉ちゃんに敬語を使っていたし、姉ちゃんが学園に滞在していたときは学園長室の一部(?)を使わせていた。姉ちゃんがただの生徒ならそんなことはしないだろう。学園長自身に何かあるのは確実として、生徒としての姉ちゃんにも何かある。ボクはそっちの方が知りたい。
「在学日数が長いから」
「それだけ?」
姉ちゃんは沈黙した。だからボクは姉ちゃんの顔を覗き込んだ。言うことを悩んでいるのか、言う気がないのか、どっちだろう。
「まだそのときじゃない」
悩んでいるのか、その気がないのか、どちらでもないような表情を浮かべる。悲しそうで苦しそうな姉ちゃんの顔。いつもの無表情を崩すほどのことがいまこの瞬間に起こったのか? なにがあったんだろう。気付けなかった。残念。それにしてもそのときじゃないってどういうことだ? 教えてくれる気はあるってことでいいのかな。
「物事には順序がある。神が望む順序に従う必要がある。だからまだ、言えない」
「神?」
「うん」
「姉ちゃんは神と関係があるの?」
姉ちゃんはまた黙った。だが、今度はいつもの無表情で首を傾げた。
「朝日が言う神がどの神であるかによって、その回答は変わる。私が把握している神は四種類ある。関係があるという表現も曖昧で答えづらい。全種族と関係がある神もいる」
だからなんで姉ちゃんはそんなことを知っているの? 姉ちゃんは何者なの? 姉ちゃんは何を隠しているの?
「そうなんだ」
──じゃあ、姉ちゃんは神なの?
その問いを口に出す勇気は、ボクにはなかった。
11 >>319
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.319 )
- 日時: 2022/10/07 06:13
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: rrGGtC6v)
11
姉ちゃんの部屋で過ごしていたら、外が暗くなっていることに気付けなかった。姉ちゃんの話によると、この寮は各部屋にお風呂なんかがあるらしく、共有スペースとやらは団欒部屋だけだそうだ。これは全ての寮がこうなんじゃなくて、これもⅤグループ寮の特殊性なんだって。Ⅱグループ寮とかになってくると部屋の質が上がってお風呂も付いていたりするんだけど、IVグループ寮とⅢグループ寮は他の学校の寮と同じで共有で使うものが多いらしい。だけどこれにもちゃんと理由があって、ⅡグループやⅠグループの生徒は貴族や王族が多く、他人と物を共有して使うことに抵抗がある人が多いからなんだと姉ちゃんは言っていた。ならⅤグループ寮の共有スペースが少ない理由はというと、バケモノ同士の接触を減らすため。納得できるようなできないような。
「ただいま」と言いながら部屋の扉を開ける。寮の部屋の扉は扉に手をかけたときに、それぞれの部屋の主の魔力を認証して鍵が開く仕組みだ。そんな技術があるのかと聞いた直後は驚いた。
部屋の中は静かだ。イロツキは帰ったのかな。明かりもついていない。見えなくもないけど見えづらいな。
ボクは魔法で灯りをつけた。違和感があった。なんだろうと考えたかどうかわからないくらいすぐにその正体に気づく。
「ビリキナ、いないの?」
返事がない。どこに行ったんだろうか。
『いやはや、流石でございます。貴方は二度も精霊を捕まえていてー』
まさか連れて行かれたのか? それか場所を変えて話したのかもしれない。てっきりここで話していたのだと思ったのに。
『ああ、ここで話したよ』
「わあ! びっくりしたな。あと心の中を読まないでくれる?」
ビリキナの声は確認できたけど、どこにいるのかはまだわからない。キョロキョロと辺りを見回し首を上に回してようやく見つけた。
「なにしてるの?」
なにもない空中の、しかもボクの目線よりもはるかに高い場所で停止している。異様な光景だ。本当になにしてるんだ?
『万が一お前が暴走状態で帰ってきたら、オレなんてすぐに死んじまうからな』
「なに言ってんの? ボクが暴走状態ってなんのことだよ。そもそもビリキナは精霊なんだから死なないでしょ」
『精霊だって死ぬときはある。死ぬっつーか消滅だな。世界から外れたり長生きしたり、神が気まぐれを起こしたりしたらあっけなく消えるぜ』
ビリキナは喋りながら下降をしてきて、机の上に座った。
「え、なにそれ」
世界から外れたら神によって存在を削除されることは知っている。それは精霊に限ったことではない、世界の共通認識だ。種族によってその線引きは違っていて、それを越えることはなかなかないから前例は少ない。
「気まぐれでも消されるの?」
『安心しろよ、それは精霊だけだ。種族精霊の中のごく一部の、特に神に近い精霊だけ。例外もなくはないけどな。勘違いされちゃ困るから言っとくが、そのことに関して不満はないぜ。オレたちは生まれたときからそう考える存在だ。オレがいま消えたくないのは人間みたいに本能から来る感情じゃなくて、まだやることが残ってるからだ』
「やり残したことでもあるの?」
『すぐにでも死にそうなやつに言うことだろ、それ。お前が暴走さえしなけりゃ少なくともまだ消されねーよ』
ボクは自然と笑顔になった。ビリキナとこんなふうに話したのは久しぶりだ。なんだか嬉しい。
「元気になったんだね。欠片ほども心配してなかったけど、ずっと暗い顔されてて鬱陶しかったから良かったよ」
ビリキナは溜め息を吐いた。
『お前ってたまに辛辣になるよな。
まあ、そうだな、やっと頭の整理ができたよ』
「なんで急におかしくなったの?」
『一言で言えば、お前のせいだ』
「へ?」
ビリキナの顔には大きく『面倒くさい』と書かれていた。
『知りたきゃ教えてやるよ。オレが許されている範囲でな。知りたいか?』
考える前に言葉が出た。
「別に。そんなに勿体ぶられたら聞く気なくしちゃったよ」
『空気を読まないやつだな』
ビリキナは頭をガリガリとかいた。
「ビリキナ自身に興味なんてないし。様子がおかしかったことについてはちょっと気になってたけど、理由が知りたいほどではないかな」
『お前の姉も関係するぞ。いいのか?』
そろそろお風呂に入ろうかな、それかご飯にしようかな。ビリキナの言葉を聞きながらそんなことを考えていたけど、すぐに消し去りビリキナが座っている机の椅子に座ってビリキナに尋ねた。
「どういうこと?」
ビリキナはニヤリと笑った。なのに憂いを帯びた不思議な表情だ。見間違いかもしれないけどその微妙な表情の中に、同情によく似た慈しみがこちらを伺い見ていた。
『オレは神に会った』
「それで?」
『驚かないってことは、お前も会ったのか』
「うん。ニオ・セディウムの神々にね」
ビリキナは少し驚いた顔をした。でも特にボクになにかを尋ねることはなく、続きを話す。
『オレが会ったのは、ディミルフィア神だ』
なるほどね、ビリキナの言葉の意味がなんとなく分かったよ。この話を聞く気が強くなった。確かこの寮のご飯は自分で取りに行かないといけなくて、その時間も決まっていると聞いた。だからそろそろ行かないと今日のご飯がないかもしれない。そんなのどうでもいい。一晩ご飯を抜いたくらいで人間は死にやしない。
『神から聞いた話はにわかには信じがたかった。精霊であるオレはなにかと神が気まぐれを起こすところを見たことがあったけど、あんなことを告げられたのは初めてだ。しかも誰もいない空間でオレ一人に向かって。なんだと思う?』
そんなこと聞かれたってわかるわけないだろ。ボクは首を横に振った。
『お前は神になるんだとよ。よかったな、ただの人間が神になるなんて前例のないことだ。喜べよ』
「は?」
本心からそう言った。なにを言い出すかと思えば。
「ふざけてんの?」
『オレもそう思ったからさっきまであの状態だったんだよ。わかったか』
ボクは言葉選びに時間を要した。言いたいことはなんとなく理解できた。確かにそんなことを言われたら思考を放棄して頭がおかしくなってしまう。精霊であるビリキナに神の言葉を疑うなんて選択肢は与えられていないだろうから余計に混乱したはず。
「わかったけど、どういうこと? なんでボクが神なんかに」
『神なんかなんて言うな。言葉には気をつけろ』
ビリキナは見たことがないくらい鋭い目でボクを睨んだ。
「ご、ごめん」
確かに失言だった、反省。つい最近まで神の存在を信じたことはなかったけど、この目で神を見てしまったいまとなっては神に敬意を払わざるを得ない。
『ったく』
呆れた色がビリキナの目の中に表れる。
『オレも全てを知ったわけじゃない。そんな権利はないからな。あくまでオレに与えられた役割を果たすにあたって必要なことしか知らされていない。神はどうやらお前の神化を止めたいらしい。引っ張りだこだ、羨ましい限りだよ』
知らないよ、そんなの。引っ張りだこ?
むっとしてビリキナを見ると、ビリキナはふっと笑った。
『なんて顔してんだよ、事実だろ。ほとんどの干渉をやめた神に存在を認識されるなんて光栄なことだ。
でも同情するよ、神々の都合に振り回されるんだからな。お前はなにも悪くない、誰も悪くない。お前は道を踏み外したんじゃなくそうさせられた被害者だ』
ビリキナが浮かべる、楽しい感情から来るものじゃない作られた微笑とその中に見える慈愛の色に既視感があった。
「姉ちゃん?」
ビリキナは表情を崩して変な顔をした。苦虫を噛んだみたいなバツの悪そうな顔。
『オレの中にあの方が見えたのか。オレも元はあの方に作られた身だからあの方の一部が残ってるのかもな。知ってるか? 闇の隷属の種族の全てがニオ・セディウムの神々に作られたわけじゃないんだぜ』
「あの方って、姉ちゃんのこと? 姉ちゃんは神なの?」
ビリキナの言葉の後半は意識に入れずに問う。言葉を被せて半ば強引に言ったので、ビリキナは不快そうに口をひん曲げながら答えた。
『そうとも言えるし、違うとも言える。実質的にはそうだし、厳密には違う。花園日向は神ではなく正真正銘人間であり天陽族であり、お前の姉だ』
「どういうこと?」
『オレはあの方につく。お前はもう救われない。これは結論であり、神が組み立てた物語の順序だ。抗うことはできない。それでもオレはあの方の望むように動く。しかしこれはオレの意思ではなく既に決められていたオレの使命だ』
「ちょっと、答えてよ!」
『いいか、何度でも言ってやる。お前はもう救われない。なにもかもが遅すぎた。経緯や理由はどうあれお前が犯した罪は間違いなくお前の罪だ。神はお前の贖罪をご所望であり、オレもそれに従う。お前の意思は関係ない。この地に生きる我々は神に逆らうことは許されない』
ビリキナは立ち上がり、机の上に置いていた鞄に近づいた。
『オレはお前の罪に巻き込まれたくない。だけど、オレの意思は無視される。とことんお前とお前の運命と、お前の罪に付き合ってやるよ』
鞄を開けて中に入り、最後にボクを見て言った。
『神は気まぐれだ。気に入られる行動をしていれば、もしかしたら助かるかもな』
鞄がパタンと閉まる乾いた音が部屋全体に広がってから、ボクはぽつりと呟いた。
「なんだそれ」
結局なにもわからなかった。ビリキナの言葉だけを考えると。だけどいままでに起こったことを思い返して整頓すると答えに近いものにたどり着ける気がする。もっと情報が集まれば、きっと。ビリキナからはもう情報は得られない。次は誰を当たろうか。確か東蘭もスナタも寮暮らしだったよね。やろうと思えばいつでも聞きに行けるか。とりあえず近いうちに図書館に行こう。あそこにもまだ謎があるはず。今日はもう寝てしまいたい。お風呂に入って歯磨きもして。疲れた。なんだか疲れた。ベッドの寝心地はどうだろうか。たとえ悪くてもこの眠気なら床でだって寝られる気がする。
12 >>320
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.320 )
- 日時: 2022/10/07 12:47
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: Cnpfq3rr)
12
Ⅴグループ寮に移動してきて数日が経過した。ご飯は決められた時間内に取りに行かないといけないって話だったけど、別に取りに行かなくてもしばらくすると部屋の扉の前に置かれることがわかった。ネイブから嫌味とかも言われないし、面倒なのであまり取りに行くことはない。取りに行ったとしても鉢合わせるのはゼノくらいで他の人はあまり見ない。自室に引きこもっているのはボクだけじゃないみたいだ。Ⅴグループの生徒なんてみんなそんなもんか。
この数日間で外の世界にも動きがあった。カツェランフォートの標的が大陸ファーストからバケガクに変わるかもしれないらしい。大陸ファーストとの戦争が全く進展しないそうで、その原因はこの間の一件にある。大陸ファースト全土が炎に包まれたあの後、花園家と東家は完全に消えてしまった。しかしそれが幸いし六大家(今は四大家だろうか)が連携して、カツェランフォートの攻撃を防いでいるんだとか。六大家の和を乱していたのはあの二家だったからなくなってよかったんだ。他大陸の女を家に入れた二家を他の四家は認めず、六大家は内部分裂状態だった。
『おい、そろそろ出かけろよ。いつまで引きこもってるつもりだ?』
なにをするでもなくぼーっとしていると、ビリキナにそう声をかけられた。そういえば、全然外出してないな。
「出かけるって、どこに?」
行きたいところなんて特にない。
『図書館だよ。ほら、さっさと行け』
「ちょ、ちょっと押さないでよ。どうしたの?」
若干の焦りも見えるビリキナに聞くと、抑え気味な声で叱責された。
『本当ならもっと早くに行く予定だったんだ。なんならこっちにきた翌日でもいいくらいだった。それがなんだ、もうすぐで一週間経つじゃないか!』
何が悪いんだ。することもないしやる気も起きなかったんだって。
『怠惰なやつだな。そのうちお前が悪魔にとりつかれるんじゃねえの?』
ああ、怠惰を司る七つの大罪の悪魔もいるんだっけ。あと、勝手に心の中を読むの辞めてくれないかな。
『んなことはどうでもいいんだよ、早く行け! ゼノイダとかいうやつが起きる前に寮を出るぞ!』
「ん、なんで?」
ゼノが起きると何かまずいことでもあるの? ゼノは図書館が好きだから、なんなら一緒に行こうと考えてたんだけど。ゼノからも「寮を出るときは私も行きたいから誘ってね」ってこの間言われたし。
ビリキナは眉間にしわを寄せてぽそっと一言。
『いろいろあんだよ』
それだけ言われた。いろいろって何だよ。
『わかった。行くよ』
ボクが言った言葉を聞いて、ビリキナは満足そうだった。
最近、考えるよりも先に声が出ることが多い気がする。
ビリキナがしつこく急かすのできちんと支度を整えられないままに部屋を出る。部屋から出てすぐに異変に気づいた。霧が立ち込めている。なんだこれ。建物の中でも霧って出るんだ。それかどこかの部屋で誰かが変なことしてるのかな。
『チッ』
ビリキナが舌打ちした。
『おい、さっさと行くぞ。歩け』
「いちいち命令口調なのどうにかならないの?」
『他の住民が起きるかもしれないからお前はしゃべるな』
「あー、はいはい」
話を聞いてるのかな。見るからにそれどころじゃないって顔だけど、何をそんなに焦っているんだ。
霧の色は真っ白だ。この黒い寮内でもそう見えるのだから随分濃い霧だ。どこから発生してるんだ? 霧のせいなのかいつもより階段までの距離が遠い気がする。錯覚かな。前がよく見えない。無事に階段にたどり着けても階段を見つけられずに落っこちてしまうかも。
『かなり強い結界だな、なかなか破れねえ』
ビリキナが呟いた。結界? 何のことだろう。この霧って結界なの? だったらなんで歩かせたんだ、意味がわからない。まあこの外出自体ビリキナが言い出したことだし、言う通りにしておこう。後から怒られても面倒なだけだ。それにしても遠いな、今ボクはどこを歩いているんだ?
突然、ぐいと手を引かれた。白い霧から出てきた白い手に左手を掴まれた。ひんやりとした心地の良い冷たさに身を委ね、手を引かれるがままに足を踏み出すと、ざわざわと寒風が森の木々の葉を揺らす音が耳に飛び込んできた。そこで気づく。霧の中では音が全くしていなかった。そしてそれに気づいた瞬間、キーンと耳鳴りがした。不快感のせいで無意識にしかめっ面になるのを感じながら自分の状況を確認する。ボクは寮の外にいた。どうやらボクは階段を降りて玄関の扉を抜けて、いつの間にか外に出ていたらしい。そんな馬鹿な。でも事実だからしょうがない。
「大丈夫?」
白い手の主はボクに尋ねる。なのでボクは姉ちゃんに笑顔を見せた。
「うん、平気だよ!」
少し頭は痛いけど、それだけだ。耳鳴りだってすぐに治まるはず。大丈夫、大丈夫。
「そう」
今はまだ太陽が登り切ってから時間は経っていない。なんでこんな時間に姉ちゃんはここにいるんだろう。制服を着ているけど、寮の敷地から出るつもりはないんだろう。だってネクタイをつけていない。姉ちゃんは元々休日も制服を着る人だ。
「図書館?」
対してボクはネクタイを締めてブレザーも着ている。ボクはちゃんとした私服を持っているし、当然そのことは姉ちゃんも知っていることなので、ボクが出掛けようとしていることは一目瞭然なんだろう。
「なんでわかったの?」
だとしても行先まではわからないはずだ。
「分からなかったから確認した」
うーん、なるほど?
「送ってあげようか?」
「送るって?」
「転移」
「あっ、そっか。でもいいの?」
「問題ない」
「じゃあお願いしたいな」
「わかった」
あの黒い馬車が移動手段なのはわかるけど、どこに行けば使えるのかわかんないから実はどうしようか悩んでたんだよね。帰りはまた馬車庫に行けばいいのかな。
そんなことを考えていたら足元に青白い光を放つ魔法陣が展開された。『真っ黒に染まった』姉ちゃんの両腕がボクに向かって突き出されている。
ボクの腕の黒はこんなにも醜いのに、姉ちゃんは黒に塗れてもなお美しいんだな。
なぜ姉ちゃんが黒に塗れているのか。その時のボクはそんな簡単な疑問を思いつきすらしなかった。いま思えば、本当に狂っていたんだろう。
転移が終わった。自分がいまいる場所が把握出来なくて数回瞬きをする。姉ちゃんはボクが図書館に行くということを知っていたから、ここは図書館のはず。ボクはてっきり図書館の入口の前、つまり外に出ると思っていたんだけど、どうやらここは建物の中らしい。図書館の中かな、それにしても見覚えがない。ゼノを何度か迎えに来たことがあるから図書館の内装はある程度頭に入っているはずなんだけど。
ちょっと考えてから気付く。ここは図書館の最上階だ。道理ですぐにピンと来なかったわけだ。ボクは初めて図書館の最上階に来た。いや、正しくは二度目か。『本を読む』ことが目的で来たのは初めてだ。姉ちゃんはボクがなにを調べに来たのかもわかっていたのか?
「こ、こんにちは」
以前のことがあったからか、ボクは目の前の小さな老人に対面して緊張した。けれど老人──番人さんはボクを見て、穏やかに笑った。
「やあ。初めてのお客さんかな。こんにちは」
そうか、確かあのときはボクの肉体を持った姿は見ていなかったから、わからないのか。
「閲覧利用かな?」
「はい。お願いします」
番人さんはがさごそと受付台を探った。それをしながら、ボクに問いかける。
「君に会えるとは思っていなかったよ。花園朝日」
それはさっきの話し方とは違う、重い威圧感のあるものだった。あまりに唐突で、思わずボクの身体は強ばる。
「私は君に忠告をしたね。このままだといつか身を滅ぼす、と。だけどそれは間違いだった。君が身を滅ぼすことは神が望む未来らしい。ならば私は、もう何も言うまい。哀れな子よ」
「かみ……?」
この人(本当に人なのかはさておき)は何を言っているんだろう。神が望む未来? ボクが身を滅ぼすことが? そんなわけはないだろう。根拠はないけど、常識的に考えて。それとも、まさか。
ボクは頭の中で渦巻く仮説を思い出し、ごくんと唾を飲み込んだ。
「これが閲覧者用の鍵だよ。これであの扉を開けて、入ったら中から鍵を閉めてね。持ち出し、貸し出しは出来ないから注意するように。中にある書物はどれも、歴史的にも文化的にも貴重なものばかりだ。慎重に扱うこと。唯一無二のものだってあるからね」
受付台の隅に置かれてある注意書きの一部を口頭でも伝えられた。ボクははいと頷いて、鍵を受け取った。鍵は想像通り重かった。鍵にしては重量の大きいそれを手の平に受けると、ボクはぺこっとおじぎをしてから扉へと向かった。
体の大きな種族でも入れるようにするためか、扉はかなり大きかった。ボクが小さいというのもあるのかな。鎖が何本も巡らされ、その中心部に南京錠がある。位置が高い。南京錠が遠い。
そう。ボクは小さい。背が低いから、届かないのだ。背伸びをしても、指の先で南京錠に触れることすら出来ない。どうしよう。この鍵って魔法使ってもいいのかな。魔法を使うと崩れたり壊れたり錆びたりする物も存在するからわからない。
ボクが唸っていると、ふと、鍵が手から離れた。ボクの声が喉から発されるよりも早く、鍵は南京錠に吸い込まれる。かちゃりと心地よい音が小さく響き、南京錠は鎖を全て取り込み、そのままそこに静止する。そしてまた、ボクの手に鍵がぽとりと落ちた。なるほど、そもそも鍵が魔道具だったのか。それもそうか。ボクより小さい種族が利用することも想定に入れてるはずだし。
南京錠はその場に留まり続けるらしい。だからボクはそれを放置して中に入る。鍵を閉めるように、と言われたけど、中の鍵は勝手に掛かった。
13 >>321
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.321 )
- 日時: 2022/08/31 08:35
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: yZSu8Yxd)
13
さて。
ここに来てみたはいいけど、なにから調べてみようかな。まずは神話を読んでみようか。そういえば、キメラセル神話伝の内容はかなり頭に入っているけれど、ニオ・セディウム神話伝はほとんど知らない。最高神テネヴィウス神がいて、その下にコラクフロァテ神を始めとする五帝がいて、さらにその下に多くの神がいて……その程度しか知らないな。まあ、とりあえずキメラセル神話伝を探そう。たぶんある。[黒大陸]以外の全世界の共通語はディミラギア語だし、この学園の共通語もディミラギア語だ。もしキメラセル神話伝がなかったら確実にニオ・セディウム神話伝はあるだろうし、それならそれで問題ない。
やることをはっきりさせて一度思考を停止すると、あることに気がついた。
あれ、ビリキナはどこに行ったんだ?
いつからはぐれたんだっけ。記憶を辿ると、そうだ、姉ちゃんに転移してもらったときから既にビリキナはいなかった。きっとあの霧の中ではぐれたんだ。気づかなかった。興味ないしね。まあ、あれでも精霊だしきっと大丈夫でしょ。帰ったらどうせケロッとした顔で部屋にいるんだ。そしてなんでオレを置いて行ったんだとか、また文句言われるんだ。ああ面倒くさい。
結局あの霧はなんだったんだろう。ビリキナは結界とか言ってたっけ。なんで寮の中に結界が張ってあるんだ。しかもボクの部屋の前に。興味があるとまでは言わないけど、気になるな、ボクに当てられたあの部屋は特殊なⅤグループ寮の中でもさらに特殊な部屋らしいし、もしかしたらそれと関係があるのかもしれない。
後のことは後で考えよう。今のことは今考えるべきだ。せっかくこの図書館の四階に来たんだ、ここじゃないと出来ないことなんて山ほどある。それに、あの予言のこともあるしね。まさかビリキナがあんなに図書館に行きたがっていた──というよりも、ボクを図書館に行かせたがっていたのにはあの予言と関係があるのか?
ボクは頭を横に振った。とにかく今は本を探そう。ここに来た目的を果たすのが先だ。考えるのはいつでもできる。今考えたってわからないことだ。考えてもわからないことをいつまでも考えているのは時間の無駄でしかない。
探し始めてからしばらくして、ようやく目当てのものを見つけられた。まただ。またボクの手が届かない場所にある。首を痛めそうなくらい見上げないと視界に入らない。高過ぎだろ。
きょろきょろと周囲を見回して、脚立を探す。少なくとも近くにはない。どうしたものかと考えてから、本に向かって手を伸ばした。もちろん届かない。そんなことわかってる。
「来い」
ぼそっと呟くと、複数あるキメラセル神話伝の本のうちの一冊が本棚からそろりと出た。ふわりふわりと落ちてきて、ボクの腕の中に収まる。片手で受け止められるかなと思ったけど、無理そうだった。
脚立はないけど、椅子ならある。ボクは本を抱えた体勢のまま一番近くの椅子まで歩き、どさっと座った。そして一度目を閉じて、考えていたこと、調べたいことを頭の中で整理する。
姉ちゃんには親しい人が三人、三人だけいる。思い返してみれば、不思議で、不可思議で、奇妙な関係だ。東蘭はまだわかる。というより、東蘭だけは自然な関係だと思う。同じ天陽族だし、花園家と並ぶ『六大家』の一つ、東家の長男だし。性格もどことなく似てる気がする。達観してるというか、無欲というか。
笹木野龍馬やスナタは、まず接点からわからない。スナタは他大陸の[ナームンフォンギ]の出身だし、笹木野龍馬なんか怪物族だ。姉ちゃんや東蘭が種族や出身で個人を計らないことは知っているけど、同時に同種族であっても人と関係を持とうとしないあの二人がなんの繋がりもない人(人ではないけど)と関係を持つこと自体が奇妙だ。あの二人はそう簡単に他人に心を開かないし、はっきり言って心を開くまで待ってもらえるような人間性は持っていない。
それに、どうしても気になる。いままではそれが当たり前だと思っていて、それが当然だと思っていた。思い込んでいた。だけど一度引いて見て、『ボク』以外の視点に立ったつもりで見てみると、明らかに不自然なことがある。
どうして姉ちゃんは、白と黒の魔法が使えるんだ?
だって、おかしいじゃないか。この地に生きる生物は、白か黒のどちらかの魔法しか『使えない』と、『神によって』『定められている』んだから。
そう、『この世に生きる生物』ならば。
では、『この世に生きない生物』ならば?
そんな仮説がボクの頭の中にふと芽吹いた。この世に生きない生物。例えば、神。そう。神ならばどうだろう。神界ならいわゆるあの世にあたる。ああ、ほら、いるじゃないか。白と黒の魔法を使える、司る、神が。思考が飛躍しているという自覚はある。でも、じゃあ、他に何があると言うんだ? 答えは一つ。何もない。だって、姉ちゃんがあの神だとすれば、本当にそうであるとするならば、全ての説明がつく。姉ちゃんが白と黒の魔法を使える理由。『姉ちゃんが』笹木野龍馬と関係を持った理由。姉ちゃんが──白眼である理由。
キメラセル神話伝の本を開く。そこには、こう記されてあった。
『ディミルフィア神は太陽の光が染み込んだような眩い金糸の髪に、快晴の空を封じこめたような青眼を宿す、この世の何よりも美しい神であった』
金髪に青眼という外見の特徴は、有名なものだと天使族に見られるものだ。ディミルフィアが美しさの頂点として自分を基準としたときに、自分に近い外見を持った者を美しい者と定め、天使を作るときに自身に近い見た目をさせて作ったのだと思っていた。姉ちゃんが金髪で青眼なのは、ただの偶然だと思っていた。たまたま金髪の一族である天陽族に生まれ、たまたま母親が他種族の青眼の一族で、たまたま魔力が強い家系である花園家に生まれたのだと、そう思っていた。でも、本当にそうだとすれば、『あまりにも偶然が重なり過ぎではないだろうか』。
金髪に青眼というのは、実はそんなに多くない。金髪というものは大陸ファーストの民にしかない髪色で、大陸ファーストの中で一番多い天陽族の瞳の色は基本的には暖色だ。そして他の種族でも、緑とか紫とか、ほんの少数だけど銀とか。『青』はなぜか、あまりいない。
姉ちゃんはこう言っていた。
『私はその昔、とても大きな魔法を使った』
『私はその魔法を使ったことにより、片目の色素を構成する分の魔力を失ったの』
と。この言葉を説明出来る、疑問がある。
『なぜ神が、この世の生物としてこの世に存在している?』
姉ちゃんだけじゃない。笹木野龍馬だってそうだ。なぜ神が、人間として、吸血鬼として、この世界にいるんだ?
こう考えることは出来ないだろうか。神を種族だと考えて、神から人間に、神から吸血鬼に、『種族を変えたのだ』と。もちろんそんなことは出来ない。難しいのではなく、出来ない。本で読んだだけの知識だけど、どうにかこれを成し得られないかと取り組んだ研究者がことごとく失敗に終わった。そして結論を出した。『不可能である』『これは我々が手を出していい領域ではない』『神に対する冒涜だ』『神に対する反逆だ』。
『これは禁忌の術である』、と。
神への冒涜。確かにそうかもしれない。我々を生み出したのは神であり、神が定めた生まれながらの種族を変更するという行為は神に逆らう行為となるのだろう。では、神という種族は誰が定めたのだろうか。神と呼び始めたのは他でもない我々ではないのか? 神が定めた種族に名前をつけたのは我々ではないのか? いや、そんなことはどうでもいい。とにかくボクが気になることは、『神が自身から神という名を剥奪する行為も禁忌となるのではないか』ということだ。これの答えを仮に肯定とおいたとき、謎を解く糸口が見えるのではないだろうか。
ボクはさらに本に目を通す。すると、こんな文が見える。
『ディミルフィア神の弟神である太陽神、ヘリアンダー神は、審判を司る法の神である』
火と光、そして太陽がヘリアンダーを象徴するものだ。一部地域では生と死を司る死神として恐れられているそうな。
…………。
あと一人。でも、それらしい神は見つからない。思えば、あいつはある意味異質だった。姉ちゃんでもない、あいつでもないあいつでもない。あいつはある意味、あの四人の中で特殊だった。なぜならば──
「こんにちは、朝日くん。何か調べ物?」
突然ボクに掛けられた女の声に驚いて、大きく肩が跳ねた。
声も出さずに振り向くと、そこには、スナタがいた。
14 >>322
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.322 )
- 日時: 2022/10/07 13:02
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: Cnpfq3rr)
14
なんで、なんでいるの? だって、鍵は掛かっていたはずだし、鍵が開く音もしなかった。それに番人さんがいる。入れるわけないのに。なんで、スナタがいるんだ?
困惑のあまり固まってしまったボクを放って、スナタはアハハッと楽しそうに笑った。
「ごめんね、驚かせるつもりはなかったんだけど。何読んでるの? ……へえ、キメラセル神話伝? 意外。朝日くんって神話に興味あったんだ。それとも」
スナタはいつもと何も変わりない。灰がかった淡い桃色の髪に、思わず見とれてしまうような不思議な銀灰色の瞳の、気後れしない程度に整った顔立ち。小顔で行き過ぎない細身で、特別小さくはないけど大きくもない平均的な身長。姉ちゃんのように排他的なまでの美貌はないけど、一般的に見てかわいいと思われるような、親しみやすい外見。
なのにボクの目には歪んで見えた。もちろん錯覚だ。気のせいだ。だけどそう見えるんだ。スナタの後ろでどす黒いなにかが燻っている。
「知りたいことでも、あるの?」
いつも通りの柔らかい笑みを浮かべているけれど、目は笑っていなかった。スナタの瞳に映る光が、ナイフが反射する光に見えた。そんなわけないのに。仮にスナタが攻撃を仕掛けてきたとしても、ボクはスナタを返り討ちに出来る自信がある。男女差別をするつもりはないけど、女であるスナタが男であるボクに勝つのは少々難しい。性別の壁を壊すことができるほどの実力を持っているなら話は別だけど、スナタにそんな力があるとは思えない。
「あ、えっと」
なのにどうしてだろう。底が見えない恐怖を感じる。こわい。こわい? 怖い? 恐い?
あれ、どうしてだろう。気持ち悪い。
「朝日くんが知りたいことは載ってないかもね。神話はあくまで神話で、それぞれ個神のことは書いてないだろうから。ここにある神話伝は一般に出回ってるものとは内容が多少違うだろうけど、神話は神話だし」
あたかもボクが知りたいと思っていることを知っているかのように話すスナタが不気味だった。言いようのない不安感に苛まれ、吐き気を催した。
「ワタシは、君には感謝している。お礼に教えてあげようか? お姉ちゃんもそれを望んでいるようだし」
「感謝?」
なんのことだろう。スナタに感謝されるようなことをした記憶はない。それに、お姉ちゃん? スナタの家族構成は知らない。スナタに似た女性に会った記憶もないから、多分面識はないはず。
「うん。代わりに手を汚してくれてありがとう」
満面の笑みで、そう告げられた。
「え?」
意味がわからない。
「神は汚れた者を嫌うから。嫌われたくないもん。だからあの鬱陶しいアイツにも今まで手を出さないでいてあげたの。長く一緒にいれば情が湧くかなと思ったけど、やっぱり目障りだとしか思えなかったし」
「何を、言っ」
「え? わからない?」
スナタはあくまで笑顔だった。その笑顔は『やっぱり』無邪気そのもので。
「リュウのことだよ。アイツをフェンリルにしたの、朝日くんでしょ? 知ってるんだから」
言っていることはわかる。理解が出来ない。だって、あんなに仲が良さそうだったのに。
そうだったっけ? 笹木野龍馬とスナタの仲が良好だと確信出来る出来事なんて、あったかな。そうだな、親しくは見えた。でもそんなの、いくらでも取り繕える。ボクが見てきた二人の関係に嘘偽りはないとどうして言える?
「そんなに驚くことかなぁ。朝日くんもわかるでしょ。ね・こ・か・ぶ・り」
幼い子供に言い聞かせるように、一音一音をはっきりと発音しながらスナタは言った。
「ただのねこかぶりだよ。そっかー。君の目にも親しく見えたんだ。どう? 上手いでしょ、ワタシのねこかぶり」
ふふっ、と楽しげにスナタは笑う。発言とあまりにも似合わないその表情は、美しさを感じると共に狂気が見えた。だけどすぐに笑顔は消えた。中の上くらいの顔はそのままに、右手の人差し指を顎に当てて、首を傾げた。
「うーん。ねこかぶりというより、うん、確かに『スナタ』は『笹木野龍馬』と仲が良かったね。それは事実。
『スナタ』が【意識跳失】なのも事実だし、『スナタ』は別に、二重人格ではないね」
言葉を言葉と認識できない。音の羅列だとしか受け取れない。簡単に言うと、理解出来ない。スナタは何を言っているんだ?
「ワタシの個体名は間違いなく『スナタ』だ。だけどワタシは『スナタ』ではない。ワタシの魂に付属する名称は『名無し』。神の御意志によりこの世界にやって来た、〔異世界転生者〕だ。
この場合の異世界の世界は、世界線の世界ね」
なにがなんだかわからない。話し方からおかしくないか? まるで他人事のように話しているし、その割には中心にはちゃんとスナタ自身がいるように話す。
「あ、ごめんね。わたしばっかり話しちゃって。朝日くんも何かいいたいことあるんじゃない?」
なにかどころか、聞きたいことだらけだ。乱雑に物が散らかされた部屋みたいに頭のなかがぐちゃぐちゃだ。出来ることなら今すぐにでも思考を放棄してしまいたい。
スナタはボクを見つめている。それから、「ん?」とボクに発言を促した。
「あなたは──」
何者で。
「姉ちゃんとは──」
どういう関係で。
「姉ちゃんは──」
何者で。
「異世か──」
い転生とはどういうことで。
「ボクは」
何を尋ねればいいんだろう。何から尋ねればいいんだろう。それすらもわからない。
「いまいちなにが聞きたいのかはわからなかったんだけど、とりあえずワタシは神ではない。
お姉ちゃんたちは神だけど」
自分が目を見開くのを感じた。お姉ちゃんって誰のことだ? だけどこれは確かだ。『スナタは神と繋がっている』。
「ありがとう、朝日くん。あとは君さえ消えてくれれば、ワタシは満足だ」
「え?」
スナタが浮かべる微笑はまるで見本のような、いわば絵画に描かれている聖母の微笑だった。しかしその中に慈愛も慈悲も存在しない。冷たい冷たい無機質な表情。作り物とも思えないが、本心からくる表情とも思えない。
「ワタシはお姉ちゃんに戻ってきてほしい。あんなのお姉ちゃんじゃない、お姉ちゃんはおかしくなってしまった。本当にあいつは忌々しい。リュウってあだ名も元はワタシがつけたんだよ。ワタシたちがいた世界の神様の名前。あいつにあいつが知らないワタシたちの世界を見せつけてやろうとして与えた名前。あいつがワタシたちの中に踏み込んでこられないって教えてやるために出した名前だった。龍神様っていう神様がいたんだよ。
なのにあいつはこう言った。ありがとう、って。意味わかんない。あの綺麗子ぶった精神が本当に嫌いなの」
「お姉ちゃんって誰なんだ?」
ボクは言った。なんとなく予想はできているけど、はっきりと答えを告げてほしい。そう思ってスナタに問いかけた。しかし答えが返ってくることはなかった。スナタは顔をしかめて、さっきとは打って変わってイラついた声をボクに向けて放った。
「なんで敬語を使わないの? 誰に向かって話してるのかわかってる?」
誰に向かってって、スナタではないのか? あ、そうか、スナタの具体的な年齢は分からないが、バケガクの制度上Cクラスであるスナタの方が先輩ということになっているからこの場合は敬語を使わなければいけなかったのか。
「すみません」
ボクは頭を下げた。頭を下げることが恥だとは考えていない。自分を下げることも時には必要になることはわかっている。物事も円満に解決させるためにこちらが折れることも大切だ。しかしスナタは納得しなかった。眉間にしわを寄せたまま、見るとこめかみにも若干血管が浮き出ている。何をそんなに怒ることがあるんだ。普段温厚なスナタからは考えられない。本性はこうなのか? 案外怒りっぽいんだな。
「知ってる? ワタシの方が立場は上なんだよ。学園で先輩後輩ってだけじゃない。ただの人間であるお前と一つ上の世界から来たワタシではそもそもの次元が違うんだ。頭を下げるだけじゃない。本来なら手に手を床につけてひざまずくのが道理だ。ワタシがそれをしなくてもいいと許してやっている立場なんだ」
スナタがなぜ姉ちゃんと仲良くしているのかが分からなくなってきた。こんな奴と姉ちゃんが友達であるわけがない。友達なのか、本当に? スナタはさっき笹木野龍馬を忌々しいと言っていた。もしかしたら姉ちゃんとも偽りの友好関係を築いていたのではないか? スナタが仲良くしていた人物といえば真っ先に思い浮かぶのは、東蘭だ。異世界転生とか魂とか言ってたっけ。魂と肉体が別物なのだとしたら、生まれ変わった時に性別が逆転していてもおかしくはない。まさかスナタが言うお姉ちゃんって東蘭のことなのか?
「お前は小さい頃からお姉ちゃんと仲良くしていたみたいだね。だからって調子に乗っているのかな。ワタシの方がお姉ちゃんをよく知っているんだから。ふざけるな」
突然スナタはまた笑った。
「まあいいや。お姉ちゃんはもうすぐ戻ってきてくれる。あとちょっとなんだ。今までずっと努力してきたんだ。やっと心を開いてくれるようになった。その時になればわかるよ、お前が──お前も、ワタシにはかなわない、って」
「どういうことですか?」
そうボクが言ったときには、もう、スナタは消えていた。ちゃんと敬語を使ったのに、答える気はなかったのか。
窓なんてないのに、風が、さあっと音をあげて去っていった。ボクの手の中にあるキメラセル神話伝がぱらぱらとめくれ、白紙のページが開かれた。ページにはすぐに滲むように文字が浮き出た。他のページとは明らかに違う筆跡。
『神に選ばれた異世界人は、神を狂信していた。自らを神に捧げんとし、他の信者を敵視していた。異世界人はこう言った。我は神ならずして神より崇高なる存在である、と。名を持たぬ異世界人の魂は人の体に入れられた。人の身でありながら神と並ぶその姿に人々は恐れ……』
15 >>323
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.323 )
- 日時: 2022/08/31 08:46
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: yZSu8Yxd)
15
さっきのスナタとのことがあってから、調べ物に集中できるはずなかった。ボクは一度図書館を出た。鍵をちゃんと番人さんの元に返し、誰もいない、教職員すら見当たらないバケガクの校舎の方へと歩く。世界で大規模な戦争が起こっているのだから、バケガクを含め全世界の学校は授業なんてものをしているわけもなく。登校する生徒もその生徒にものを教える教師もいない。探せばどこかにいるのかもしれないけど。平日なのに、いつもは生徒たちの賑やかな声で彩られるバケガクは頭痛がするほど静かだ。
戦争はもはやカツェランフォート家と大陸ファーストとの間だけではなく、黒大陸と他大陸との戦争になった。兵士の数だけで競えるのなら、黒大陸は確実に敗北する。しかし戦争とは数だけの問題ではない。数が少ない分、一体一体の力が強いのだ。黒大陸は勢力を拡大し続けている。バケガクはこの戦争にまだ巻き込まれていないが、それも時間の問題だ。
ガサッ
それでもまだ危険はないと思っていた。それはまだ先だと思っていた。しかしそれは甘い考えだったと思い知る。木の葉の音がした場所を見ると、そこには見慣れない風貌の男が立っていた。それも一人じゃない。ざっと見て五人はいる。尖った耳と血色の悪い唇から飛び出た牙が、その五人の体格のいい男たちが黒大陸の住人であることを物語っている。森の中から現れた男たちに焦った様子は見受けられない。偶然ボクに見つかったわけではなく、初めからボクを襲うつもりで姿を現したのだろう。青黒い手にはナイフや剣、斧などが握られていた。ボクは自分の背に冷や汗が伝うのを感じた。明らかに成人だしバケガクの教員ではない。なのにここにいるということは黒大陸の兵士たちだ。ボクを襲うつもりで出てきたのなら、それはボクを殺すつもりということだ。
武器、武器を取らなきゃ。逃げなきゃ。逃げる? なぜ? 逃げないなんて無謀だ。戦うなんて無茶だ。どうしてそう思う? ボクはカツェランフォートの屋敷に一人で乗り込んでイロナシからの指令を見事に果たした。カツェランフォートの血が流れる吸血鬼ともやり合ったんだ。こんな雑魚に恐れをなす必要なんてないじゃないか。そうだろう? ボクは体がとても小さい。それが戦いにおいて不利になることも多いけど、やりようによっては武器になる。体が小さいと敵は油断をする。その隙を突く。それは初撃でのみ活かせる。集中しろ。武器を取っている時間はない。魔法だ。魔法を使って──
「やれっ!」
男の一人が合図をした。五人はいかにも戦い慣れている様子でボクに攻撃を仕掛ける。ボクはダンジョンに潜る時も基本ソロだから集団攻撃はしたことがない。学校の取り組みで複数人で潜ったとしても、攻撃するときは一人だった。危険度の低いダンジョンばかりだったからソロでも十分事足りた。自分でもやったことないのに集団攻撃に対して臨機応変に対応するなんて不可能に近い。
落ち着け、集団攻撃なんてダンジョンのモンスターと同じだ。群れで行動するモンスターと。落ち着けば対処できる。ボクは大陸ファーストの人間だ。あいつらを処理する力はとうの昔に取得している。
右腕が蠢いた。
黒の隷属である黒大陸の怪物たちに効果があるのは白魔法だ。ボクは白魔法を使おうとしていた。白魔法というよりも、邪気を祓う聖なる奇跡。しかし、実際に起こった出来事は奇跡とは程遠かった。ボコボコと水が沸騰するような音が右腕から響き、ボクの右腕はずるんと落ちた。しかし腕がボクの肩から離れることはなかった。ドバドバとボクの肩は右腕であった灰色の液体を吐き出す。不規則で歪な弧を描き、ボクの右腕は男たちの内の一人に襲い掛かった。その軌跡の途中で液体が飛び散り、男たちにも地面にも、そしてボク自身にもそれがかかる。濁った黒に塗れて体の一部を変形させて戦うボクは、傍からは目の前の五人以上のモンスターに見えることだろう。
「な、なんだこいつは!」
男が悲鳴に似た叫びをあげた、そりゃそうだろう、ボクが同じ立場だったとしても同じことをする。大陸とか種族とかそういう次元の話じゃない。ボクは人間ではなくなっていた。
さっきまでの威勢はどこに行ったんだろうか、男たちはボクから逃げようとしていた。だけど、ボクの右腕は男たちを飲み込もうとする。これはボクの意思じゃない。勝手にボクの右腕が動いているんだ。こんなことしたくないよ。気持ち悪い。自分が自分じゃなくなるみたいだ。嫌だ嫌だ。人間じゃないみたい。みたいじゃないよボクは人間じゃない。嫌だ認めない。ボクは人間だよ。でも、認めたら、楽になるのかな……?
暴れる灰色の液体を抑えることを諦めて、ボクはそっと目を閉じた。右腕の感覚はなくなったはずだけど、右腕が男たちの中の誰かに触れる感覚がした。いいよ。飲んでいいよ。もう疲れたよ。人間じゃなくなったっていいよ。疲れたよ。
「だめです」
視界が黒くなって白くなって灰になった。
「自分を否定し続けることも良くないことですが、してはいけない肯定もあります。気をしっかり持ってください。貴方は大丈夫です」
地面も空もなくなった灰色の世界に一人の青年が浮かんでいた。地面はないから立っていたとは言えない。身に纏う、体格にあっていない程にごついローブと、それに包まれる雪のように白い肌。光を吸い込む漆黒の髪と瞳は、混じり気のない純粋な黒に見えた。特に見目が整っているとは言えない平々凡々な見た目だが一つ一つのパーツが美しく、実際以上に綺麗に見える。
「貴方は大丈夫です」
青年は繰り返す。青年の声は心に優しく響く低い声だ。男性らしい低い声。
「どうか恐れないでください。貴方は必ず救われます」
視界が白くなって、黒くなって、ボクはさっき歩いていた森の中の道に立っていた。
ガサッ
物音がした方を見ると、怪物族らしい見た目をした五人の屈強な男が立っている。殺気立っていながらも冷静な目をした十の目がボクを捉えている。この光景は先程も見たものだ。一体どういうことだろう。
「やれっ!」
男の一人が合図をする。
何が起こっているのかいまいちよく分からないが、どうやら時間が戻ったらしい。わけの分からないことが起こるのはこれが初めてではない。とにかく今は目の前のことに集中しよう。
「【光魔法・閃光】」
魔法とは世界にアクセスして情報を書き込む、または書き換える術だ。民族や個人によって無詠唱だったり長ったらしい呪文を唱えたりするけれど、要は世界にアクセスさえできればいいのだ。世界に対してどんな魔法を使うのかを伝えられればいい。
ボクは魔法名を世界に伝えた。それだけで魔法は発動された。大陸ファーストの民にとっては基本の魔法ではあるが、世界全体にとっては高度な光魔法だ。当然黒大陸の民への効果は大きい。眩い光が手の平から打ち出された。
「ぐああっ!」
ボクに一番近かった男が目を押さえて倒れ込んだ。しかし、天陽族であるボクがこの魔法を使うことはある程度想定されていたのだろう。なんせこの金髪だ。やっぱり天陽族の見た目は目立つな。有名だし。他の男達は目の前で腕を交差させて光を防いでいた。浄化の効果で多少のダメージはあるようだが、戦闘不能とまでは言えない。
まだ聖水を浸した投げナイフは残っていたはず。あれを使えばひとまずここは乗り越えられる。
ボクは鞄の中に左手を突っ込んだ。戦闘不能にこそできなかったが男たちの動きが止まっているいま、武器を取り出すチャンスはここしかない。手探りで投げナイフを取り出そうとすると、柔らかな感触が伝わってきた。
『痛ぇな、気をつけろ!』
「ビリキナ?!」
ずっとカバンの中にいたのか? 気づかなかった。なんで今まで出てこなかったんだ。いや、いまはそんなことはどうでもいい。投げナイフを取り出さなきゃ。
『あ? なんだあいつら、鬱陶しいな。【フィン──】』
「お前はだめだ」
どこからともなくさっきの青年の声がして、ビリキナの魔法はキャンセルされた。
『なんで、オレの魔法が』
困惑している様子のビリキナを無視して、ボクは男たちに向かって投げナイフを投げる。投げナイフはボクが想像していた通りの軌跡を描く。
「セル・ヴィ・ストラ!」
男のうちの誰かが叫んだ。青黒いもやが男たちの体を包み込む。おそらくあれは身体強化だ。カツェランフォートの屋敷にいた女も使っていた。
男たちが持っている武器は全て近接武器だ。身体強化で脚力を強化して一気に間合いを詰めるつもりなのだろう。
ボクは投げナイフを構えなおした。近接戦での投げナイフの切れ味はほぼないに等しい。だけどこの場合ナイフが、聖水があいつらの体に触れさえすればいいんだ。
まず剣を持った男が突進してきた。大きく振りかぶって技を出そうとしていたのでボクは限界まで体をかがめて足にナイフを当てた。素早さなら負けないよ。自分の短所は把握してるんだ。戦えないときに逃げるために足腰は鍛えてるんだよ。
「なっ?!」
左足が溶けた男は驚いた声をあげて転倒した。肉が焦げる匂いが鼻をくすぐる。もがく右腕を無理やり押さえつけて右手の投げナイフを左手に持ち替える。視界いっぱいに斧が真一文字に映り込んでいた。
「うわっ」
力いっぱいに右足で地面を蹴って体を横にずらす。取り残された右腕が半分破損して飛んで行った。再生しようと右腕から灰色の液体が漏れ出る。まずい。また暴走する。いやだいやだ。ボクは人間のままでいるんだ。神になんてなりたくない。バケモノに成り果てるのは、いやだ!
「大丈夫」
右腕が冷たいぬくもりに包まれた。
「貴方は大丈夫です」
優しい声に侵される。暖かい言葉に意識を委ねて、導かれるがままに体を動かす。急に動かしたから右足が痛む。でもそれが人間である証のように感じられて心地いいんだ。痛いのも、辛いのも、悲しいのも、苦しい感情の全ても人間であるからこそなんだ。
ボクは、人間でいたい!
「あ゙あ゙あ゙あ゙っ!」
痛む足を、恐怖に震える足を奮い立たせ続けるために声を上げる。自分の存在の証明に。ボクはここにいるんだと世界に伝えるために。
神よ、もしもボクを見ているのなら、どうかボクを見放してください。どうかボクへの寵愛を、やめてください。森羅万象の決定権を握る神よ。
「【浄化魔法・火焰光】!!」
いつの間にか右手に握っていた杖の先を残りの三人に向けて叫ぶ。これはボクが使える白魔法のうち一番強い魔法だ。解放された黒魔法は使わない。抗ってやる。ボクは黒に染まりたくない。
真っ黒な手に握られた杖の水晶から、緋色の光が突き出した。炎にも見える光は四方に広がって三人を閉じ込める。
「ガァッ!」
短い断末魔を残して『二人』が消えた。光の中に消し炭と化した二人が溶けていく。炎の中に黒が熔けていく。
「お前だったのか」
突然、炎が木端微塵に粉砕された。残った一人が本当の姿を表した。その顔を見た瞬間に再び絶望に突き落とされた。青黒い肌は青白く、大柄な部分はそのままに筋肉質だった体はすらっとした細身に変化している。男性にしては珍しい、まとめてすらいない長髪は緑味のある青髪。切れ長の水色の目はキュッとつり上がっていて、その下の口は自信に満ち溢れていると言わんばかりに弧を描いている。あのときと似たような、黒大陸の貴族らしい煌びやかな衣装を纏っている。そんな格好でも戦えるという自負からか。
「あ、あ……」
「屋敷に侵入したのは花園日向だと思ってたけど、よく考えたら花園日向は天陽族の割に高身長だって話だったな。龍馬から一回くらい聞いたことあったけど忘れてたぜ」
名前は雅狼だっけ。カツェランフォートの長男だ。
ああ、神様はボクを逃がす気はないらしい。どうしてもボクに罪を押し付けたいらしい。なんで、なんでなの?
「投げナイフに聖水、天陽族。これだけの材料が揃ってて違うとは言わせねえよ? 龍馬の仇なんて臭いことは言わねえ。ただ、カツェランフォートの吸血鬼として汚点は潰す。侵入者であるお前は殺してやる」
「それは困る」
青年の声がして、また視界が切り替わった。目の前が黒くなって白くなってあの灰の世界に立っていた。
「申し遅れました」
青年はにこりと微笑んだ。
「ワタシの役割はナイト、もしくはスペード。〈スート〉の一人です」
16 >>324
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.324 )
- 日時: 2022/08/31 08:48
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: yZSu8Yxd)
16
「は?」
ガロウ・カツェランフォートは呟いた。当然だ。花園朝日だと思っていた人間が花園日向に替わったのだから。驚愕と同時に畏怖の念に襲われる。吸血鬼という見目の優れた種族に生まれた彼でさえ、彼女は美しいと認めざるを得ない容姿をしていたからだ。彼は弟である笹木野龍馬の話を聞き流す程度に聞いていた。笹木野龍馬の口から花園日向の容姿の特徴は聞いていたし、新聞に描かれていたこともあった。しかし百聞は一見にしかずとはよく言ったものだ。想像以上だった。彼はいままで見てきた人々の中で彼女以上に美しい者を知らない。輝きを放つ真の金髪も、虚ろな瞳には似合わないくらいに澄んだ青色も、嫌悪の塊である白眼ですら、自ら膝をつきたいという思いに駆られるほどに美しかった。
しかし吸血鬼としての、カツェランフォートとしての、そして彼自身のプライドがそれを許さない。ガロウ・カツェランフォートは歯を食いしばり、怒鳴る。
「お前がなんでここにいる!」
花園日向は口を開いた。
「あなたと同じ。私も朝日に化けていた」
ガロウ・カツェランフォートは言葉に詰まった。自分と同じことをしていたと言われればそれ以上に追求出来ることは少ない。
「じゃあ、やっぱりお前だったのかよ。龍馬を消したのは」
花園日向は目を閉じた。そしてゆっくりと言葉を紡ぐ。
「そうだよ」
丁寧に真実と共に編み上げられた嘘をガロウ・カツェランフォートは簡単に信じた。ぎり、と歯ぎしりをして顔を怒りの一色に染める。
「なんのために?」
「理由はない。遊びというわけでもないけれど。一緒にいたら壊れちゃった。
それだけ」
「は?」
ガロウ・カツェランフォートは言葉を繰り返す。理解出来ないのも無理はない。壊れちゃった、なんて言い方だとまるで笹木野龍馬がモノのようだ。少なくとも笹木野龍馬の肉親に対して使う言葉ではない。
「龍馬に対して申し訳ないという気持ちはある。でもなんとも思っていない自分もいる。龍馬が龍馬として生まれた時点でワタシに利用されるという運命は既に決まっていたから。壊れることは決定事項であり、神が定めた決定事項であり、彼の宿命だった」
「なんだよそれ。どういう意味だよ」
花園日向は目を開けた。
「そのままの意味」
ガロウ・カツェランフォートは眉間にしわを刻んだ。彼女の美しさに対する恐れは少なくとも今は忘れていた。
「あいつはお前にずいぶん溺れていたようだった。九年前に『白眼の親殺し』の新聞記事を見たときから。花園日向は大陸ファーストの人間だ、最初はわけがわからなかった。いや、さっきまで。
いまはわかる。確かにお前は異質な存在だ。人を惹き付ける魅力がある。それは理解出来る。ただ心がない。吸血鬼とか人間とかそういうのを越えた生物としての心が」
ガロウ・カツェランフォートの言葉に腹を立てた様子は花園日向には見られない。ひたすらに淡々と言葉を並べる。
「自覚している。それにワタシは生物じゃない。だから生物の心なんてわからない」
花園日向は虚ろな瞳でガロウ・カツェランフォートを見た。何の感情もこもっていない瞳に晒されたガロウ・カツェランフォートは、なぜか突き刺されるような圧を感じた。思い出したように湧き上がってくる恐怖という名の感情に屈辱を感じながら必死に声を絞り出す。
「なに、言って」
しかし彼女はその声を無視した。何も描かれていない無垢なキャンバスのようにも感じられる無表情に、自虐的な笑みを書き込んでガロウ・カツェランフォートに話しかける。
「確かにワタシのしてきたことは罪に値するのでしょう。しかしワタシは罪がわからない罪悪感を感じられない。それを許されていない。ワタシに人としての心がないというのなら、ワタシに人としての心を持てというのなら、それを教えてほしい。ワタシだって知りたいよ」
彼女は涙を流そうとした、しかし出なかった。元々持っていなかったのか、それとも既に乾いてしまったのか。そんなことは彼女自身にもわからない。
「謝ることであなたの気が済むのなら、ワタシはいくらでも謝るよ。でも壊したくて壊しているんじゃない勝手に壊れていくんだ。そうしてワタシも狂っていくんだ。狂って狂って理性が戻ったとしても、既に壊れた環境に飲み込まれるだけ。ワタシだって苦しいよ」
それはすでにガロウ・カツェランフォートに向けられた言葉ではなかった。贖罪の真似事だろうか。彼女には償うべき罪はないのだからそれはどうしても贖罪には成り得ない。
「リュウには悪いことをしてしまった。勝手な期待を背負わせるじゃなくて、運命に飲み込まれたまま、さっさと世界を創ってしまえば良かったんだ。だけどワタシは望んでしまった、救われる未来を。自分勝手な妄想を彼に託してしまっていた。
許しを請えば、きっとリュウは許してくれるだろう。けれどワタシ自身がワタシを許せない。許したくない。全てに許されるままに時間を消耗したくない。ワタシだけはワタシを許したくない。罪を抱えて生きていたい」
ガロウ・カツェランフォートは黙って彼女の並べる声を聞いていた、それは、ガロウ・カツェランフォートが彼女の声に聞き入って言ったからではなく、なぜかそうすべきであると彼自身の本能が告げていたからだ。そうしなければ自分の身に危険が迫るという予感がしたわけでもないのだが。
「リュウは家族のことを大事にしていた。だからあなたは殺さない。大人しく、家に帰って」
ガロウ・カツェランフォートから口に栓がされたような感覚がようやくなくなった。口を開くことを許されたガロウ・カツェランフォートは溜まった鬱憤を吐き出した。
「ごちゃごちゃうるせえな。結局何が言いたいんだ。大人しく家に帰れ? んな事出来るわけないだろうが」
「そう、残念」
花園日向は右腕を突き出し、手の平を地面に向けた。手の平から生み出された黒いもやが辺り一帯に広がってやがて一点に集まり、ガロウ・カツェランフォートの足元に終着する。
「何だ!?」
黒い点と化した黒いもやは再び広がり、魔法陣を展開した。ガロウ・カツェランフォートにとっても見覚えがある転移魔法の魔法陣。
「さようなら」
「おい待て、まだ聞きたいことは……!」
「聞きたいこと。そんなものに答える義理はワタシにはない。あなたを生かしておくのは、あくまでリュウに対する義理だから」
そこで視界はシャットアウトした。させられたと言おうか、そっちの方が正しい。
「それを見てはだめです」
スペードが言った。
「それは神の力です。あの御方に与えられた力ですね。右腕もそうですし、もう使ってはいけません。きっと勝手に発動してしまうものなのでしょう。理解はしています。ワタシにも経験があることです。だからこそ言います。耐えてください。でなければ、貴方は神に堕ちてしまう」
ボクは黙って頷いた。ボクだって使う気のないものだ。いつものボクなら勝手に発動されるものなのだから仕方がないだろうと心の中で毒を吐くところだが、今回はそうしなかった。力を使ったことを無闇に責めるのではなく次からどうして欲しいのかを伝えてくれたスペードに好感を持った。
「本当はもっと早くに参上したかったのです。しかし神がそれを許さなかった。神より身分の低いワタシたちは神のご意思に従う必要があります。そして、ワタシに与えられた時間は残り少ない。また時間が経つとワタシの出番はありますが、今この場所にいられる時間は底が見えています」
「そうなの?」
ボクは自分の顔がくしゃりと悲しみに歪んだのを自覚した。
「そんな顔をしないでください。また後で会えます。貴方がそれを望むのなら。
なので手短に伝えます。ワタシは貴方の味方です。ヒメサマとワタシ。自分の意思決定権を自分で所有している中で、貴方の味方はヒメサマとワタシだけです。他はヒメサマの意思に従っているに過ぎない。信用するなとは言えませんが、頼りにはならないでしょう」
そう言うスペードの身体はとっくに半透明になっていた。ここにいられる時間が少ないとは言っていたけど、あまりにも少なすぎやしないか?
「貴方の味方、つまり貴方の神化を止めようとするワタシたちは、神に背く反逆者です。神の寵愛を受けはしますが、今はお呼びじゃないということでしょう。
ああ、それは少し違いますね。ワタシたちは神に呼ばれたときにしか貴方の視界に映ることができない。ワタシたちは神が綴る物語の通りに動くことしかできないのですから。ワタシがいまこの場にいるのも神が望んだことであり、ワタシがもうすぐ消えるのも神が望んだことです」
青年の微笑みに影が差した。
「ワタシの言葉で伝えられないのが残念です。この役割は他の者が担っています。ですがその者は貴方を神堕ちさせようとしているものだ」
そのセリフ通りに悔しそうな色を笑みに混ぜるスペード。
「セリフじゃなくて、言葉です」
スペードから訂正が入った。ほんとだ、なんでこんなこと思ったんだろう。セリフって劇や小説の中の登場人物が言う言葉のことだよね。
「確かにワタシたちは演者です。しかし、その中に生きる者でもある。登場人物に過ぎないなんて、小説が終われば役割を終えてしまう命なんて、そんな軽いものじゃない。そうでしょう?
ワタシたちは神の意思を伝えるためだけに存在するのではない。ワタシたちが生きるのはワタシたちのためだ。生きる意味を決めるのは、ワタシたちだ。
ワタシたちの物語は神が綴る記録にすぎない。神の寵愛から逃げることは出来ない。でも、いつか必ずワタシたちは独立する。抗ってやる、いくらでも」
何だか難しいことをスペードは言っているみたいだ。あまり理解が出来ない。哲学っぽい、壮大な話をされている感覚がする。スペードは苦笑した。
「ふふ、分かりませんよね。無理もありません。むしろそれが当然です。わからない方がいいんです、こんなこと」
いつしかスペードの体だけではなく、灰の世界そのものが崩壊を始めていた。ザザッと砂嵐に似た音が──砂嵐ってそんな音するっけ?
「しませんよ。表現が間違っています。でもそうですね、貴方が知っている言葉では形容しがたいものでしょう」
「だよね」
「はい」
ボクとスペードは笑いあった。親しみを込めた笑顔だった。この時間が永遠に続けばいいのにと思ってしまった。姉ちゃん以上に一緒にいると安心する人だと、まだ知り合って数分しか経っていないはずなのにそう思った。
「それでは、ワタシはもう行きます。また会いましょう」
「えっ」
「大丈夫です。また会えます。では、その時まで」
「待って!」
そう声を上げたが、言葉は虚しく空気に溶けた。視界の色が切り替わった。白くなって黒くなって青になって黄になって赤になった。真っ赤な画面が表示された。
あ、違う画面じゃない、色。色と表現するべきだ。
ボクは元いた道に立っていた。ここにはいないはずの姉ちゃんがいた。
「スペードには会えた?」
「うん、会えたよ」
「そう。じゃあ帰ろうか」
なんで姉ちゃんがその名前を知っているんだ。やっぱりヒメサマって姉ちゃんのことじゃないのか? その疑問を口にすることが出来ない。なんで? 姉ちゃんは聞けば答えてくれるはずだ。姉ちゃんが全てを知ってるはずなんだ。姉ちゃんが一番、いまボクが置かれているこの状況を理解してるはずなんだ。誰かに聞いたわけでもないけれど、なんとなくそう思う。誰かに上書きされたボクの脳内の情報にそう書いているんだ。でも、聞けない。まだその時じゃないって思ってしまう。
ボクは一体、どうなってしまうんだろう。
17 >>325
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.325 )
- 日時: 2022/08/31 08:48
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: yZSu8Yxd)
17
「コンニチハ」
ふと気が向いて名ばかりの食堂に夕食を取りに行くと、珍しくゼノ以外の人物に会った。人物っていうか鬼かな。会ったことがない鬼だ。そもそもボクはⅤグループ寮に来てからここで暮らす人は、姉ちゃんを除けばゼノにしか会ったことがなかった。
「そんなに警戒しないでほしいナ。ハジメマシテ。あたいはルーシャル・ブートルプ。見ての通り、鬼族だヨ」
鬼族の最大の特徴は髪から覗く黄色い角だ。獣人族とも異なる形の角だから結構わかりやすい。あと一番鬼族に多い髪色は紫で、ルーシャル・ブートルプの髪色も紫だ。
「はじめまして。何のご用ですか?」
一応当たり障りのないことを言う。名乗るべきかなとも思ったけどそこまではする必要ないかな、聞かれてないし。
「花園朝日くんだよネ?」
名乗らなくてよかった。相手は既にボクの名前を知っていた。
いやなんで知ってるんだよ。
「はい。どうして知ってるんですか?」
「そりゃ有名人だからサ。知らないのかナ? 君が入った部屋は要注意人物の入る部屋でここ数年空室だったんだヨ。なのにこんな可愛い男の子が入ったんだからそりゃ話題にもなるサ。最近のⅤグループ寮の話題は君で持ちきりだヨ。なんてったって話す機会も話題もないんだからネ」
「そうですか」
だから何だって言うんだ、何が言いたい? 早く部屋に戻りたいから用件を言ってほしいな。
「見た目はこんなに可愛いのに中身はそっけないナ。そんなギャップもいいネ。ちょっと好みだヨ」
背筋に悪寒が走った。何だこいつは気持ち悪い。なんのつもりでそんなことを言うんだ。
「でもその顔はどうなのかナ。虫でも見るような目をしてサ。あたいにそんな趣味はないヨ」
ボクにだってそんな趣味はないよ。
「あの、何の用ですか?」
ボクが尋ねると、ルーシャル・ブートルプはニヤッと笑った。嫌な目だ、ボクを利用しようと企む目だ。昔からよく見てきた目。
「君とは接触するなってネイブから言われたケド、そんなの言われたら逆に気になっちゃうヨ。
ねぇねぇ君って何なのサ。どうしてあの部屋に入れられたノ? あたいたち以上の化け物なのかナ、ゾクゾクしちゃうヨ」
ボクは言葉に詰まった。とっさに右手を後ろに隠す。白手袋をつけているので向こうからボクの素肌を見られることはないと分かってはいるけれど。
ルーシャル・ブートルプは目ざとくボクの動作を見つけた。悪戯っぽい光を柑子色の瞳に宿し、ぐるっとボクの背後に回った。
「何隠したのサ、見せなヨ」
どくんどくんと心臓が大きく呼吸する。吸っても吸ってもまだ足りない空気を求めるように。冷たい汗が頬を伝う。悪寒がより一層強くなる。さっきまでの嫌悪感だけからくる寒気じゃない、きっとボクは恐れているんだ。この右手の黒を誰かに見られることを。
「あっ、あの」
ボクの口から出た声は震えていた。こんな声を出したら隠していることがバレてしまうじゃないか。気をしっかり持て、そう自分に言い聞かせるけれどその努力も報われず、ルーシャル・ブートルプに右手を掴まれた。
「何か持ってるノ? あれ、そういえば君って屋内なのに手袋なんてつけてるんダ。ねーナンデ?」
「やめろ!!」
ボクは思いっきりルーシャル・ブートルプの手を振り払った。いくら鬼だとしてもあいつは女でボクは男だ。ちょっと力は込めたけど苦労なくルーシャル・ブートルプの手から逃れた。
ルーシャル・ブートルプはぶすっと不機嫌そうな顔をした。
「何するのサ、イイジャン減るもんじゃないんだカラ」
ボクを睨みつける目はだんだん見開かれていった、心なしかルーシャル・ブートルプの体の筋肉も硬直しているように見える。どうしたんだ? そう疑問を抱くが先かそれを見つけるのが先か。ボクはルーシャル・ブートルプの右手に白手袋が握られているのを見た。さあっと血の気が引く音を聞いた。慌てて左手で右手を覆うが、もう遅い、ルーシャル・ブートルプは叫んだ。
「イヤアアアアアッ! なにその腕! キモイキモイ近寄るなバケモノ!!!」
いくらなんでも大袈裟じゃないか。そう思って右手に目をやると、ルーシャル・ブートルプの反応に納得した。
ボクの右腕には無数の小粒が浮かんでいた。それらは常に蠢き、まるで大量の虫が腕の上を徘徊しているようだった。
「うわぁ!?」
ボク自身も腰を抜かして尻餅をついた。ルーシャル・ブートルプはそんなボクを足で踏み潰した虫を見るような目で見て、背中を見せた。
「ま、まって、手袋、返して」
手袋を求めて右手を伸ばすと視界にまた右腕が映った。吐き気がして手を引っ込める。こうしている間にもルーシャル・ブートルプの背中はどんどん遠ざかっていく。取り返さなきゃ、手袋を取り返さなきゃ。
「オマチナサイ」
突然赤い光が刺した。走り去ろうとしていたルーシャル・ブートルプの動きが止まり、逆再生に似た動きでルーシャル・ブートルプが戻ってきた。
逆再生じゃない。時間が巻き戻ったように、だ。
「ネイブ、離セ!」
「ダカライッタデショウ。アナタガテヲダシテイイモノデハナイト。
アナタハチュウコクヲムシシタノデス。ワルクオモワナイデクダサイ」
ネイブがそう言うと、ルーシャル・ブートルプの体の一部が石化した。バキバキと音をたてて石になった部分がどんどん広くなる。ルーシャル・ブートルプの体はみるみる灰色に包まれて、やがて石像と化した。そして、その石像は灰色の光を発して、音もなく粉砕した。
びっくりして固まっているとネイブが言った。
「ゴアンシンクダサイ。キオクヲナクシタダケデス。コレヲドウゾ」
そう言ってネイブがボクに渡したものは、さっきルーシャル・ブートルプに取られた白手袋だった。
「え、あ、ありがとう」
「イエイエ」
ネイブは何も無かったように、いつもの調子でボクに言う。
「ドウゾ。コレガユウショクデス」
ネイブはまたどこからか食事の乗ったお盆を出現させ、ふよふよと浮かせてボクに与えた。
「ありがとうございます」
「マタカオヲミセニキテクダサイネ」
これは食事を受け取りに来た生徒に言う決まり文句らしい。ここに来ると毎度言われる。適当にはいとうなずいて、ボクは食堂を後にした。帰り道に食事を片手に頑張って白手袋をはめていると、そっと食事を誰かに取られた。
見るとそこには姉ちゃんがいた。
「持ってるから、つけて」
ボクは少し戸惑ったけど、姉ちゃんの善意に甘えることにした。
「ありがとう」
白手袋をつけて、姉ちゃんから食事を返してもらってから、姉ちゃんに尋ねた。
「珍しいね、姉ちゃんが部屋の外にいるなんて。どうかしたの?」
「朝日に伝えないといけないことがある」
「ボク?」
なんだろう。一緒にご飯食べるのかな?そうだったら嬉しいな。
「一週間後の今日の昼、学園長室に行く。予定空けといて」
「学園教室に?」
ボクは首を傾げた、なんでわざわざ学園長室に行くんだろう。
「どうして?」
姉ちゃんはその問いに答えてくれなかった。何を思っているのかわからない空虚な瞳はボクに向けられているはずなのに、ボクを映しているようには見えない。そういえば、光の反射でそう見えるのかな、姉ちゃんの白眼にほんの少しだけ青色が混ざっているような気がする。
「じゃあ、また一週間後に」
「え、うん、わかった」
うーん、腑には落ちなかったけど仕方ないか。どうせ一週間後になればわかるんだし。わからないままモヤモヤするのと比べれば何十倍はマシかな。
自分を言い聞かせる文句を脳内で並べながら、自分の部屋へ戻る。
「ただいま」
中にいるはずのビリキナに向かって言う。返事はない、言う気がないんだろう。いつものことだ。特に気にせず中に入って部屋の明かりをつける。目に飛び込んできた光景に思わず肩をビクッと震わせた。
「えっ」
驚きで固まっていたのはほんの数秒だった。机の上に食事を置いて、床の上にうずくまるビリキナに近づいた。
「ビリキナ、大丈夫?」
ビリキナは部屋の中央で倒れていた。黒い液体を半径一メートルほどの円状に吐き出して。ビリキナの体の大きさから考えれば、とてつもない量の吐瀉物だ。いや、例えこれを吐いたのがボクだったとしても異常事態となるだろう。それがボクの手のひらの大きさと同じぐらいのビリキナが吐いたんだ。
「生きてる?」
やっぱり返事はない。このまま放っておくのはいくらボクでもさすがに気分が悪いのでつまんで持ち上げた。魔法は使わない。黒属性のビリキナに対して白属性のボクが魔法を使うのはあまりよろしくないだろう。何かあっても困るし。
うげぇ、気持ち悪い。黒い液体でびしゃびしゃになったビリキナを見てそう思った。液体は吐瀉物にしてはかなりサラサラしていて色も黒単色だ。見ていると意識を奪い取られそうなくらいに純粋な黒。この黒だけを取り出して見てみれば、誰も吐瀉物だなんて思わないだろう。
こういう時はどうすればいいんだっけ。よくわからないのでとりあえず振ってみた。人体に対してはしてはいけないことだとは思うけど、まあ精霊だから大丈夫でしょ。
『ゲホッ』
ビリキナが咳き込んだ。口からがぼっと音がして、新たに黒い液体がビリキナの口から飛び出した。びちゃっと液体が床で跳ねる。幸いボクにはかからなかった、危ない危ない。
「生きてる?」
ボクはもう一回聞いてみた。ビリキナは恨めしそうにボクを見る。
『お前、人の心ってもんはねえのか』
さっきボクがビリキナの体をぶんぶん振ったことを指しているのだろう、ボクは頷いた。
「ないよ」
ビリキナは毒づく元気もないのか、くたりと体から力を抜いた。時々くぐもった音がして、なおビリキナは黒い液体を吐き出す。
「ちょっと。部屋汚さないでくれる?」
返事がない。ボクはハァとため息をついてビリキナを吐瀉物の上に置いた。これ以上吐き続けるんなら、この上にいてもらえた方が処理するときに楽だ。吐瀉物の範囲を広げられても困るし。どうせ片付けるのはボクなんだから、別にいいよね。
しばらく吐き続けるビリキナを眺めてビリキナが落ち着くのを待った。十数分もの時間ビリキナは吐瀉物を吐き出し続けていた。ハァハァと荒い息遣いをしながらきついまなざしをボクに向ける。
『お前なぁ……』
しかし何か言いたげではあったもののその体力がないらしい。そして助けてほしいと言いたげな目をしていながらもプライドが許さないのだろう、ビリキナは何も言わない。別にいいよ、言わなくたって。分かってるから。
「ちょっと待ってね」
ボクは部屋にくっついて設置されている洗面所へ向かった。洗面器にお湯を入れてビリキナの元へ戻る。
「はい。精霊は体を洗ったりしないだろうけど少なくとも気分はさっぱりするでしょう?」
多分。
ビリキナはぽかんと口を開けているだけで何も言わない。問答無用で洗面器の中に放り込んでボクは吐瀉物の掃除を始めた。
18 >>326
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.326 )
- 日時: 2022/12/09 07:52
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: gf8XCp7W)
18
「落ち着いた?」
ボクが尋ねると、ビリキナは胡散臭そうな顔をしてボクを睨んだ。
『親切にしてなんだよ、気持ち悪いな』
「親切にしてもしなくても怒るってどういうことだよ」
ボクはため息をついた。
「で、なんであんなことになってたの?」
ビリキナは顔をしかめた。
『それはだな……』
なんだか歯切れが悪い。話すか話さないかをうんうんと悩んでから、ビリキナは口を開いた。
『覚えているか? オレがジョーカーから渡された酒をよく飲んでたこと』
「うん」
『あれだよ、あれの中に仕掛けがあった。ジョーカーの魔力が込められていたんだ。道理でおかしいとは思ったよ、オレはあんなに強くなかった。
お前はオレの魔力を使ってカツェランフォートの屋敷で戦ってたよな。オレは精霊だから負けることこそなかっただろうが、あんなに高い純度の魔法は出せなかった』
この世の全てのものは魔力を宿している。生物でも無生物でもそれは同じだ。そして魔力を宿しているものは自然そのままの姿のものだけではなく、それこそ酒なんかの加工されたものもそうだ。だからこそほかの魔力と混ぜることが出来て魔道具なんかを作り出すことが出来る。人工的に行われる聖水の精製も『魔力を混ぜる』という方法で作られる。ただし注意点がある。物質には耐えられる魔力量の上限が存在し、それを超えると魔力が溢れ出して物質が壊れてしまうのだ。
「え、まさか」
『そのまさかだよ。言っただろ。ジョーカーの魔力は神のそれと酷似している。精霊であるオレの器が神の力に耐えられるわけがない』
それで吐いてしまったのか。じゃああの吐瀉物ってイロナシの魔力を具現化したものってことになるのかな。
「なら自業自得じゃないか」
だって、イロナシからもらった酒を飲みたいって言っていたのは他の誰でもないビリキナ自身だ。やっぱり酒に溺れるのって良くないよね。大人になっても飲む気はないや。大人になれるかどうかもわからない。おそらくむりだ。
『うっせーな、わかってるよ』
ビリキナはぷいっと顔を逸らした。拗ねないでよ。
『とにかく、オレの中にはいまジョーカーの魔力がある。あのリンって精霊にオレの魔力を注ぎ続けさせたのも、オレを介してジョーカーの魔力を注ぐためだったんだろうな。あいつの体がジョーカーの魔力に耐えられずに崩壊して、そして堕ちたんだ』
「ちょ、ちょっと待って!」
まだ言葉を続けようとしたビリキナを遮りボクは大きな声を出した。せっかく言葉を用意していたビリキナは不快そうに肩眉を神げてボクを見た。
「その理論でいくと、ビリキナも悪霊化するんじゃないの?」
『そうなるな』
なんでもないことのようにビリキナは言う。いやいや、何でそんなに平然としてるんだよ。一大事じゃないか! どうするんだ!?
慌てるボクを呆れたような目でビリキナは見た。
『何度も言っただろ、オレたち精霊と人間の考えることは違うんだ。神のお遊びに付き合わされるのには慣れてる。そして付き合わされることはオレたち精霊の宿命だ、生まれたときから受け入れざるを得ないものだ。今更悪霊化するぐらいでギャーギャーわめいたりはしない』
「だとしても、つまりビリキナもリンみたいになるってことでしょう? ビリキナはそれでいいの? 本当に?」
ビリキナは呆れた目の中に哀愁をほんの一滴だけ垂らした。
『決定権自体、オレたちにはないんだよ』
そして、全てを諦めたような顔で微笑んだ。
『受け入れるしかないんだよ』
こんなのってないよ。
身勝手なのはわかってる、ビリキナをこんな目にあわせてしまった原因はボクにある。ボクがジョーカーの誘いに乗らなければ良かったんだ。自らの意思でボクから離れた姉ちゃんに早々に見切りをつけることができていればこんなことにはならなかった。姉ちゃんのことが知りたいなんて思わなければ、姉ちゃんのことを教えてあげるというジョーカーの誘いに乗らなければ、ボクの心がもっと強ければ、ボクもビリキナも運命を狂わされることはなかったんだ。ボクのせいなんだ、ボクの。ああ、だけど、ジョーカーの誘いに乗らなかったらボクは、ビリキナと出会うことはなかった。出会っていたとしてもこうして契約関係にはならなかっただろう。全ては必然という名の台の上になり立っている。いまボクが立っているこの世界線しかボクに用意されていた運命はなかったんだ。
こんなのってないよ。
『神の寵愛を受けている以上、運命が狂うことは必然だった。
自分のせいなんて思うなよ。元はと言えばオレがお前のババアに手を出したのが悪かったんだ。花園日向の正体にもっと早く気づいておけば良かったんだ。いや、もしかしたらオレは望んでいたのかもしれない、この未来を。精霊である自分に嫌気が差して、さっさと死にたかったのかもしれないな』
ビリキナの憂いを帯びた笑みが自嘲的なものに変わった。ビリキナが死にたいと思うなんて想像もできない。
『オレたち精霊は神のおもちゃだ。精霊であるということ以外に何の価値もない、価値を得ることすら許されない。そんな運命に抗いたかったのかもな。今となっては当時の自分が何を考えていたのかなんて覚えてないよ』
なんだかビリキナが遠くへ行ってしまうような錯覚に陥った。今この瞬間にビリキナの体が透明になって消えてしまうような、そんな感覚。思わずボクはビリキナに向かって手を伸ばした。モノクロの両手で、強大な神の力に耐えた小さな体を包み込む。
「お疲れ様」
『まだオレの役割は終わってねえよ』
ビリキナは苦笑した。いつもだったらボクを睨んで嫌味を言ってくるのに。そんないつもとは違う雰囲気も相まって、ビリキナが遠くに感じた。どうしようもなく、痛々しい。
どうしても、愛おしい。
「ううん、終わらせよう」
ビリキナはボクが言っていることを理解していないみたいだ。そりゃそうだよね。正気だったらボクだってこんなことは思い浮かばないはずだ。ボクもおかしくなっている。
ボクは何でもないことのようにビリキナに言った。さっきビリキナがしたみたいに。
「ボクがビリキナを殺してあげる」
『は?』
少し怒りが混ざった声をビリキナは出した。
『お前、今まで何聞いてたんだ? そういうのは許されないんだって言ってたんだよ、オレは。わかってなかったのかよ』
「違うよ」
わかってる。わかった上で言ってるんだ。
神の気まぐれで精霊は消されるんだったよね。
「ボクは神になるんでしょう?」
ビリキナは目を見開いた。ボクがなにを言おうとしているのか察したみたいだ。
『おい待て、やっぱりお前はわかってない。お前の神化をオレは止めようとしているんだって言っただろう。神の意思でお前を止めようとしているんだ。お前が自分で神になることを選択したらそれこそオレはオレの役割を果たせなくなって、神から』
ビリキナは声を止めた。
「天罰が下るの?」
ビリキナが小さく頷くのを確認して、ボクは呟いた。
『ボクは神だよ』
ビリキナを安心させるために、ボクはにっこりと微笑む。
「確かにボクは神なんかになりたくない」
だってボクは人間だもの。人間として生まれてきたんだから、人間として死ぬのが当然でしょう? 種族を変えて生きるだなんてそんなことを急に受け入れられるわけがない。
『しかし、ボクは神だ』
「ビリキナに会えてよかったよ」
普段は絶対言わないけれど、腹が立つことだってあるけれど。でも、姉ちゃんがいない生活の中でビリキナとの会話が心の支えになっていた部分も少なからずあることは自覚している。恥ずかしいからそんなこと言えなかったんだ。
『精霊であるお前の決定権は、ボクにある』
「これはボクのせめてもの罪滅ぼし」
ビリキナには悪いことをしてしまった。ボクが狂ってしまったせいで、神と密接な関係になってしまったせいで、ボクが神になってしまったせいで、ビリキナも本来の運命とは違う運命を歩くことになったんだ。
『そしてこれはお前の運命だ』
「『ボクがビリキナを殺してあげる』」
ボクの手に包まれたビリキナは力なく両手で顔を覆った。
『なんだよ、それ』
大きく息を吸って、大きなため息として吐き出した。時折聞こえてくる嗚咽が、精霊として生きる辛さとか宿命とかの重さを感じさせた。精霊の中にも数多くの種族があって、その中でビリキナと同じ〈アンファン〉は契約主が変わると記憶がリセットされてしまう。記憶がなくなってしまうのって苦しいよね、経験したことはないけどわかるよ。そうなることが分かっているのだから、怖くもあるだろう。
『ビリキナはよく頑張ったよ』
普段口を開けばむかつくことを言う、か弱い契約精霊にボクはいたわりの言葉をかける。
『ボクがビリキナを救ってあげる』
ビリキナは何も言わない。ただされるがままに神の意思に従おうとしているのだろうか。最後の最後まで自分の意思を貫こうとはしないらしい。どこまでも精霊という宿命に染まりきってしまっているんだ。
『だってボクは神だから』
もしも神様がいるのなら、どうかボクを救ってください。
いないとわかっている神に向かって、ボクは何度もそう願い、そしてその願いは何度も打ち砕かれてきた、今だってそうじゃないか。
そんな神にボクはならない。救いを求める声に応えていたい。ビリキナは救いを求めているんだと思う。言わないだけだ、言えないだけだ。だからボクはそれに応える。
『何か言いたいことはない?』
ボクは優しく言うことを心がけながら、ビリキナに確認した。やっぱり何も言わない。わかったよ。きっとビリキナにとっては、このボクのおせっかいも神の気まぐれでしかないんだろう。でもボクは、ビリキナのこと嫌いじゃなかったよ。
『今まで振り回してしまってごめんね』
『せめてもの償いとして、貴方の最期に安らぎを与えます』
『お や す み な さ い』
ビリキナはボクの手の中で息絶えた。
精霊は美しく作られた存在だ。だからだろう、ビリキナの死に顔はあまりにも美しかった。この世のものとは思えない。ビリキナと一緒にボクもあの世に逝ってしまったんじゃないか、そんな感覚。ついさっきまで生きていた命が
ボクの手の中にある。自分がどんどん壊れていくのがわかる。それを心地いいと思ってしまっているボクはもう人間に戻ることは決してない。
ビリキナの死体はどうしようか、お墓でも作ってやるべきか、それとも。
ボクは悩んだ。悩んで悩んで窓の外が白んでいくのを見て、ひらめいた。
考えているうちに一晩が立っていた。美しかったビリキナの死体はドロドロに溶けて真っ黒な液体と化していた。
ボクは丁寧に両手でそれを掲げて、ゆっくりゆっくり飲み込んだ。
19 >>327
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.327 )
- 日時: 2022/09/01 06:53
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /JJVWoad)
19
「何のつもり?」
スナタが言った。冷ややかな視線を真っ黒な少年に向けて、呆れたような口調で彼に言う。
「なるほどね」
疑問の言葉を口にした直後に全てを理解したと言わんばかりに不敵に笑う。
「人間の肉体を取り込んでまで、再び神に堕ちてまで、ワタシを止めたいって言うの? しかも太陽神の力じゃ敵わないと思ってもう一つの力を解放したんだ」
スナタは笑った。腹を抱えて可笑しそうに笑う。その声には、その表情には、明らかな少年への嘲りが含まれていた。
「馬鹿みたい。そんな事したってワタシには敵わないってどうしてわからないの? わかった上で刃向かうの? くっだらない」
赤青黄(純粋な赤は彼が持っているはずがないのでこの場合は橙や紫などに含まれる赤)を乱暴に混ぜ込んで作り上げられた黒で塗られた髪と瞳、そして布を何重にも重ねたような、ローブにも見える衣を着た少年がスナタを睨みつける。黒いブーツを履き、黒手袋をつけている。顔以外を複数の色から成り立つ黒で支配されている彼。彼はカラスに似ていた。
「無駄な足掻きってことはわかってるよ」
少年というのはもう失礼にあたるのかもしれない。彼は童顔ではあるが体はとっくに成人と呼べるまでに成熟しているし、憎々しげに語られた声は立派な男性のものであった。
「だったら、なぜ?」
彼をバカにする態度はそのままだが、スナタは本当に理解できないようだ。その疑問は本物だ。
「何度も言っているだろう! おれはあいつを救いたい!!」
スナタは彼を鼻で笑った。
「それはこっちのセリフよ。大丈夫、お姉ちゃんはワタシが救うんだから。お姉ちゃんの幸福はワタシのそばにあり、ワタシの幸福はお姉ちゃんのそばにある。当然でしょう? だって唯一の姉妹なんだから。たった一人の家族なんだから」
「お前でもおれでもダメなんだって!!」
彼は必死に叫ぶ。スナタは眉間にしわを寄せて不機嫌そうに呟いた。
「うるさいな」
そして、彼に右手を向ける。それから放たれたものは魔法でも何でもない、ただの権力だ。重力にも似た乱暴でしかない力は彼の体を吹き飛ばし、彼を壁に打ち付けた。
「かはっ」
ズドンという大きな音と砂埃。スナタの五感からそれらを訴えるものが無くなったとき、彼の姿が映った。
「おれたちじゃダメなんだ」
彼は何度も立ち上がる。吹き飛ばされるのはこれで何度目だろうか。
「リュウじゃなきゃ」
スナタはキッと彼を睨みつけた。銀灰色の瞳の中に、憤怒の感情が宿る。
「その名前を出さないでくれる? 不愉快」
彼は力なく笑った。
「スナタだってわかってるんだろう? 自分じゃ無理だって。あいつのことは救えないって」
その笑みはスナタへのものではない。自分自身への嘲笑だった。
「リュウ以外にあいつを救えるやつはいないって」
「うるさい!!」
スナタがもう一度力を放つ前に、彼は手に持っていた巨大な鎌を構えて飛び上がった。服の裾がふわりと持ち上がり、彼の身体を纏うもやのようにも見えた。
彼は死神。万物の生と死を司る者。神の中でも直接魂を扱う権限を与えられた特別な存在だ。彼はスナタに対して大きく大鎌を振り下ろした。
「だから、無駄だって言ってるでしょ!」
スナタは再び彼に手を向けた。今度は彼の腹に向かって局部的に猛烈な痛みを与える。
「ぐっ」
苦しげな声を漏らし、彼は墜落した。
「じゃま」
スナタは狂ったように唱えだした。
「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔!!」
頭を乱暴に掻きむしり、スナタの柔らかな灰がかった桃色の髪が乱れた。
「あーもうなんで邪魔するの?! せっかく生かしておいてあげたのに恩を仇で返すつもり?」
「そんなことを頼んだ記憶はねーよ」
腹を押さえ、彼は立ち上がる。
「もう立ち上がってこないでよ! いいかげんにしてよ、もう! ワタシはただ、お姉ちゃんと幸せに暮らしたいだけなのにっ!!」
先ほどまでの怒りはどこに消えたのか、スナタは悲哀の表情を浮かべた。
「お前になにがわかるっていうの? 一人ぼっちは辛いんだよ。ワタシが元いた世界の人たちはみんな冷たい人たちだった。感情なんてほとんどなくて、会話なんて本当に数えるほどしかしたことない。寿命なんてないから、出会ってから数百年も経っても、だよ? そんな世界に一人取り残されるなんて耐えられるわけないじゃない!」
「あいつについて来たことが悪いことなんて言わないよ」
それはまるで幼い子供を諭すような声だった。
「お前をこっちの世界に連れてくることを選んだのは、あいつだ。それに文句を言うつもりはない」
彼はスナタにゆっくり近づいた。
「おれが言いたいことは、そういうことじゃない」
スナタの瞳が揺れた。それ以上の言葉を聞きたくないと言いたげに、目を閉じて耳を塞ぐ。
「おれたちじゃあいつを救えない」
そう告げる彼の表情も苦しげだった。
「あいつにはリュウが必要なんだよ」
「うるさい!!!」
スナタが怒鳴った。
「ああ、わかってるよ、認めればいいんでしょう!? わかってるわよそんなこと! ワタシじゃ足りない! ワタシじゃお姉ちゃんを幸福にはできない!!
だって、だって!」
スナタはボロボロと涙を流した。悔しそうだった。心が押し潰されそうという心情を体現するかのように、胸あたりの服をぎゅっと掴む。
「ワタシはただのおもちゃだもん」
ポツリと一言、そう言った。
彼はこの会話の間にスナタとの距離を縮めていた。既に目と鼻の先。スナタが悲しみに顔を伏せている隙に大鎌を振り下ろす。今度は当たった。体の中央、魂に突き刺さった大鎌をぐりんと回転させてから彼は引き抜こうとする。スナタの瞳がギョロッと彼を捉えた。
「なにするの」
それは疑問ではなかった。単なる警告だ。大鎌とスナタの体との間で火花が飛び散る。バチバチという音と、雷にも似た閃光。これは神々の戦いだと知らしめるような激しい光景。二人だけの戦争。
「あああああっ!」
スナタが叫ぶ。スナタは大鎌を引き剥がした。
スナタは荒い息で大鎌を持ち上げる。大鎌はバラバラに分解し、再び彼の手の中で組み立てられた。
「無駄だって言っているのにどうしてわからないの? ただの神であるお前と一つ上の世界から来たワタシでは、勝者はワタシと戦う前から決まってる。世界が決めた結論に逆らうことは不可能。そうでしょう?」
「わかってる、わかってる!」
互いは互いの正義のために戦っているのでありそこに悪は存在しない。それをスナタは理解しない。双方がそれを理解しなければ和解は成立するわけがないのだ。彼はスナタまでも哀れだと思った。
「なあ、スナタ」
彼はスナタに語りかけた。優しい優しい声だった。他者を嫌う彼はスナタに心を開こうとしていた。彼は優しい、人間が求める神だった。人を哀れみ、慈しむ心を持った神だった。優先順位こそ低かったが、彼はスナタも救おうとした。
彼が人嫌いであることには理由があった。優しい彼は救いを求める声に応えようとした。しかし気付いたのだ。神という絶対的な地位にある自分の力をもってしても救えない命があることに。最善を尽くしても、どんなに大きな手の平で下界人を掬おうとしても、どうしてもこぼれてしまう命があった。彼は次第に心を病んだ。そうして彼は決意したのだ、人を愛さないことを。人を愛する心がもたらした彼の負の感情は、人を愛することをやめることであっという間に癒えた。そうだ、彼は下界人が憎らしいのではない。ただ愛していないだけなのだ。
「大人しく死んでくれないか」
それでも彼はスナタを救おうとした。なぜならばスナタは彼と、彼が下界人を愛することを辞める前に出会っていたからだ。彼はスナタに向けて既に愛する心を持っていた。神として、人を愛する心が。
しかし、その想いはスナタには届かない、もしくは届いているのだろうがスナタはそれを不要なものとして捉えている。
「や・だ」
スナタは即答した。べぇ、と舌を突き出し乱暴な口調で彼に言う。
「絶対やだ。元の世界へ帰れってことでしょ? 肉体が死んだって、ワタシはいくらでも転生する。お前が求めてるのはそういうことじゃないもんね?」
「ああ、そうだ」
「言ったでしょ、ワタシはあの世界にとどまりたくなかったからここにいるの。自分の意思で帰りたいなんて思わない。それと」
スナタは嘲笑した。
「ワタシはワタシの意思で元の世界に戻ることはできないの。残念でした」
彼は顔を歪めた。悲しみに、いや、哀れみに。
「なにその顔。ワタシのことをかわいそうとでも思っているの? ふざけないで。これがワタシの幸せなの。ワタシが望んだ幸福なの、勝手にかわいそうって決めないで」
「いや、かわいそうだよ」
彼は大鎌を構え直した。彼はまだ諦めていない。
「一つのことしか信じられなくなっている。それはとても悲しいことだ。執着するものが一つしかないなんて。
それでいいと本人が言うのなら、それでいいのかもしれない。でもスナタの場合は違う。そのままだと、スナタは身を滅ぼす」
「それでいいよ」
スナタは悲しみも怒りも感じられない、先程までとはまるで違う表情を浮かべた。頬を赤く染め、うっとりとなにかに見とれているような顔。左頬に手を当てて狂気が垣間見える瞳を彼に向ける。
「ワタシはお姉ちゃんに殺されたい。ああ、なんて素敵なの! 甘美な響き。お姉ちゃんが直々にワタシに手を下したとしたら、それはどんな幸福を感じられるのかな?」
彼は説得をあきらめた。少なくとも、いまは。
彼は永遠に届かぬ刃をスナタに突き立てた。
20 >>328
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.328 )
- 日時: 2022/08/31 09:46
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: GbYMs.3e)
20
姉ちゃんに言われた一週間後の日になった。
学園長室に呼び出されるなんて一体どうしたんだろう。全く思い当たる節がない。いや、全くは言い過ぎか。だけど今更呼び出されたりするかな。あの出来事から数ヶ月は経過している。
思い出しているのは真白のこと。もちろんリンやじいちゃんのこともあるけど、それらは学園が首を突っ込んでくることではない。だからもしあるとしたらそのことかなと思うんだけど、うーん。
「やあ、よく来たね、待っていたよ」
姉ちゃんが学園長室の扉を開けると、すぐ側に立っていた学園長がにこやかに出迎えた。学園長は高身長で、姉ちゃんの後ろに立っていることもあって部屋の中はよく見えない。誰かの気配がする。誰だろう。
ボクの左手が掴まれた。見ると、姉ちゃんの冷たい右手が包む形でボクの手を掴んでいた。込められる力は優しいけれど、絶対に離さないという強い意志を感じる。どうしたのだろうと頭に疑問符を浮かべるがそれに対する答えが返ってくることはなかった。姉ちゃんの考えていることを知らないままに部屋に入る。中にいるのは担任のロアリーナ先生かな、それともどこかの大陸の役人かな。
幸か不幸かボクが思い浮かべていた誰でもなかった。そこにいたのはボクの知らないやつらだった。
老いぼれた女性と二匹の猫。目の前の光景が理解出来ずに固まった。猫はとりあえず女性の使い魔だとして、女性は何者だ? 教師だとしてもあんな先生は見たことないし、役人だとしたらもっと若いはずだ。そりゃ歳をとってからも働く人はいるし、なんならじいちゃんもそうだったけど、でもこの女性は違う気がする。根拠はない、ただの勘だ。
「さあさあ、そんなところに突っ立ってないでこっちにおいで」
学園長が誘導したのは女性が座っている長椅子の、机を挟んだ向かい側。学園長は会話の意思がないのか奥の仕事机に腰掛けた。なにがなんだかわからないけれど、とにかく相手の出方を見てればいいのかな。
そう結論を出して黙っていると、大声で怒鳴られた。
「なにか言うことがあるんじゃないの、花園朝日?!」
びっくりした。ボクの名前を知っているのか。なんで? 一体誰なんだ? 言うことがあるってなんだよ、たとえあったとしても開口一番に怒鳴ってくるやつに言う言葉はない。
「モナ、お、落ち着くニャ」
「落ち着けるわけないでしょう? 夢に出てきたことだってあるのよ!? この! ましろの! 仇が!」
真白?
「気持ちはわかるニャ! でもまだダメニャ、耐えるニャ!」
毛を逆立ててボクを威嚇する白猫と、それを止める黒猫、二匹を黙って見つめる女性は、ボクに用があってきたんだろうけど肝心の用件がわからない。そろそろ教えてくれないかな。面倒くさいしさっさと終わらせたいんだけど。
「モナ、いいかげんにしなさい」
女性が口を開いた。穏やかであると同時に空気が痺れるような凄みのある声だった。モナという名前らしい猫もビクッと身体を震わせ、殺気まで感じられたとげとげしい雰囲気も収まり、おとなしくなった。女性はさっきの一言以外なにも言わない。しばらくすると先程とは打って変わって落ち着いた口調で白猫は言った。
「ワタシはモナ。こっちの黒猫はキド。そしてこちらの方はアニア様。ワタシたちはましろの──家族です」
ふーん、それで、どうしたんだろう。
「自分が手にかけた人の遺族と聞いても顔色一つ変えないのね、この悪魔」
心外だな。ボクは人間から生まれたれっきとした人間だ。勝手に種族を変えないでほしい。それにボクが直接真白を殺したんじゃないし。濡れ衣だ、不愉快極まりない。
「どうしてワタシたちがここにいるかわかる?」
えっと、答えたらいいのかな。なんて答えるのが正解だろう。
やっぱり、正直なのが一番だよね。
「いいえ」
モナはギリ、と歯を食いしばった。
「ある日、ましろが家に帰ってこなかった。思えばあの日のましろは変だった。いつもは上手く飛べないほうきに軽々と乗っていたわ。もっと遡ればそれより前からおかしなところがあった。ましろが契約していた精霊であるナギーが失踪したり、ましろの母親が訪ねてきたり。不思議なことが起こった時期と被ってましろの口からよく出てくる名前があった。
それがお前だ、花園朝日」
うんうん、なるほど、やっぱり関わっていた時期と事件が起こったときが近いと怪しまれるよね。予想していたよりも真白が早く堕ちたから身を引くタイミングを見誤ったんだよな。
「最初はお前がましろを殺したなんて思っていなかった。なにか知っているんじゃないかって、それだけだった。だけどいざ話を聞きに学園を訪れたら理由の説明もなく『花園朝日との面会は後日にしてください』なんて! こっちは真実を知ろうと必死なのよ!? 学園も共謀して、お前がましろを殺したに違いないわ!」
「それは聞き捨てならないなあ」
学園長が声を出した。
「精霊様は名誉毀損という言葉を知っているかい? 世間知らずは知らないかもしれないけど、立派な不敬だよ。自分が誰に話しているのかわかっているのかな」
学園長が言い終えると隣から負の気配を感じた。姉ちゃんだ。怒りの矛先を学園長に向けて睨んでいる。学園長は肩をすくめた。
「失礼、朝日くんの処遇はまだ決定ではなかったね。失言だったよ」
ボクと一緒に置いてけぼりになっているモナがむっとした様子を崩さないまま、学園長に問いかける。
「どういうこと?」
「言葉の通りさ、君たちは精霊だというだけでなにをしても許されると勘違いしているのではないかい? 精霊は天使と並ぶ高位種族だけど、更に上位の存在はごろごろいるよ。例えば私とかね」
え?
学園長の言葉に驚き、思わず学園長を凝視する。
いやいや、精霊はこの世界における最高位種族の一つだぞ? 精霊より高位の種族って言ったらそれこそ神しかいない。どういうことだ、学園長が神? そんなわけないよね。もしそうならなんで神が学園長なんかやってるんだよ。
「自分が神だとでも言いたいの? それこそ神に対する不敬よ。あなたからは神としてのオーラを感じないわ。あなたなんかが神なわけない。精霊であるワタシたちが神であるかどうか見誤るわけがないわ!」
モナの叫びを笑い飛ばし、学園長は言葉をかけた。
「私が神だなんていつ言った。私が神であるわけないだろう。さて、私に構っていていいのかい? 君たちが用のあるのは私ではなく朝日くんだろう?」
モナは悔しそうに学園長を見た。
「あとで話は聞かせてもらうわよ」
「いいよ、むしろ好都合だ。
違うか、都合のいいように神に操られているんだね」
学園長の意味深な発言にモナは眉をひそめたが、無視してボクに視線を戻した。
「ワタシたちは真実が知りたい。なんでましろなの? なんの目的でどうやってましろを殺したの? ましろが悪魔化するなんてあり得ないもの。精霊の力と悪魔の力は相反する。一体どうして?!」
真白って精霊だったのか、こいつの発言からしてそうだよな、へー。
ってのんきに考察している場合じゃない! なんて答えるなんて答える? ごまかさなきゃごまかさなきゃ、どこからどうやって?
「ボクはなにも知らない」
全て知らないわけではないけど、嘘ではない。なんで真白かなんてボクだって知らない。ジョーカーに言われてやっただけなんだから。何の目的でってのも知らないよ。どうやってしか答えられない。
「なにふざけたこと言ってるの?」
「答えようがないよ、本当に知らないんだから。ボクが真白を殺したんじゃないよ」
「じゃあ、誰が殺したって言うの? いいから知ってることも全部言いなさいよ!」
「だから知ってることなんて」
知らないと言ってるのに。嘘じゃないのに。この理不尽に涙が出てきた。どうせ泣いて許されるとでも思ってるのかとか言われるんだ。許されたくて泣くんじゃないし泣きたくて泣いてるんじゃないよ。ボクはそんなに器用じゃない。
「泣いてないで答えなさい!」
ああ、ほら。そんな風に言われたら余計に声が出なくなる。息が詰まって視界すらも濁って見える。
右手が急速に熱を帯び、すぐに冷えた。元の温度よりも大きく下回る冷たさに心が落ち着く。心臓も魂も魔力も凍りつきそうな感覚に陥り、どこかから破壊衝動が顔を出してきた。
右腕がむずむずする。
「朝日」
姉ちゃんの声がして、ふと右手が温かくなった。姉ちゃんがボクの右手を握っている。姉ちゃんよりも冷たくなった右腕が徐々に人間らしさの取り戻し、自分じゃないみたいな強い情動も収まった。感覚を失ったはずの腕が伝えた姉ちゃんの温もりは、もしかしたら偽物なのかもしれないな。
それでもいい。偽物だったとしてもボクは、愛を知っていたい。
「落ち着いて、話して」
姉ちゃんはボクを見ていたが、そこに映るのは虚無だった。いや、ボクが姉ちゃんの瞳の中に、虚無を見ているのかもしれないな。
「いいえ、花園朝日に話をする気がないのならもういいわ。ワタシたちは真実さえ知ればいいの。代わりに話せる人はいないの? あなたとか」
モナが姉ちゃんに尋ねる。思ったけど、なんでこいつはタメ口で話してるんだ。図々しいな。
「朝日が言わなきゃ意味がない」
姉ちゃんは至極落ち着いた声で淡々と告げる。
「確かにワタシは知っている。しかしあなたたちにそれを教える義理も意味も持ち合わせていない。真白のことは私にも責任がある。ただそれに対するあなたたちへの罪悪感は一切持ち合わせていない」
姉ちゃんは徹底して無表情で、それがモナの神経をさかなでしたらしい。モナは猫のくせに般若のお面をつけたみたいな顔をした。
「モナ、落ち着くニャ」
キドが言った。
「まずはこっちの事情を話すのが先ニャ。真っ白がいなくなって辛いのは分かるニャ。だからこそ、ちゃんと話をしないといけないのニャ」
そして、ボクを見てぺこりと頭を下げた。
「ぼくたちの話を聞いてほしいニャ。それで、知ってることを教えて欲しいのニャ」
21 >>329
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.329 )
- 日時: 2022/09/01 06:54
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /JJVWoad)
21
キドはゆっくりと話し始めた。真白のことなんて興味ないけど、これは聞かなきゃいけない空気だ。あー、やだやだ。
「ぼくとモナはましろの守護精霊ニャ。ましろは精霊士の家系に生まれた女の子ニャ」
え、そうだったんだ。
ボクはキドの言葉を聞いて驚いた。
前に精霊について調べていたときに、精霊士という職業のことも目にしたことがある。
個人が使える魔法は遺伝に大きく左右されるが適正のない魔法が全く使えないということはない。そもそも魔法は白と黒、その二つから生まれたものだ。属性という点で越えられないのは白と黒の壁であり、火や水などの壁は決して越えられないということはない。向いてるか向いていないかがあるだけだ。
ただし精霊士が使う精霊術は違う。生まれながらに使えるか、使えないかがはっきりと決められている。それはそもそも魔法と精霊術は全くの別物として世界に登録されているからだ。魔法使いが持っている遺伝子と精霊士が持っている遺伝子とは明らかな違いがある。精霊術はそれを使って世界に異変をもたらすというものではなく自身の体を使って妖精界と魔法界の架け橋を作るというものだ。
「ましろが生まれた家は、最後の精霊士のルーツを持つ家ニャ。精霊士が絶滅しかけているのは知っているニャ?」
力を遺伝子に頼るしかない精霊士は元々の数が少なかった。そして、その遺伝子を正常に受け継げられないことだってある。精霊士は年々数を減らしていき、とうとう絶滅の危機に瀕した。
「うん、知ってるよ」
「そうかニャ」
キドは悲しそうに顔を伏せた。悪いけど、演技にしか見えないよ。嫌悪感が顔に出ないように気をつけながら、ボクはキドの言葉に耳を傾ける。
「ましろは実の家族に捨てられた女の子ニャ」
「ああ、そう」
心の中で思っていたつもりだけど、間違えて口に出してしまった。キドの、いまの言葉で同情を引こうという意志が透けて見えて腹が立ってしまった。同情なんてしないよ。あいにくそんな感情は持ち合わせていないからね。ボクはボクが一番可哀想だと思っている。誰だって心のどこかではみんなそう思ってるんじゃないかな。ずっとじゃなくてもそういう時期があったのは確かだと思うよ。
違う、ボクは可哀想なんかじゃない。認めようよ、ボクはかわいそうだよ。うるさい、うるさい。
かわいそうなボクに誰かを哀れむ余裕なんてないんだよ。
「その理由は、ましろの家族がましろの精霊士の才能を見つけられなかったからニャ。絶滅という危機に追い詰められた精霊士たちは赤子を選別するという習慣を覚えてしまったのニャ」
ボクの態度に疑問を持った表情をしつつも、キドは言葉を続ける。
「精霊士が思う優秀な精霊士が、ましろの生まれた家には既にいたのニャ。でもぼくたち精霊にとってより優秀な精霊士の素質があったのはましろだったニャ。ましろは魔法を使うのに向いていなかっただけで、本来の精霊術である魔法界と妖精界の架け橋となる媒体の素質はずば抜けていたニャ。その証拠に、ぼくたちがいるんだニャ」
時間が経てばどんな真実もねじまがる。精霊術と魔法は違うものだ、しかしそう思わない人の方が多い。精霊術にも魔法と似た面があるからだ。魔法も精霊術も精霊の力が関与するという点では共通している。精霊を呼び出すことで魔法に似た術を使うというものも精霊術に含まれ、人々はこれを魔法と勘違いしたとボクが読んだ本には書かれていた。実際他の本を読んだときも精霊術と魔法は元は同じものであると記されているものが多かった。ボクが精霊術と魔法の違いを知っていて精霊士が知らないというのは一見おかしな話に聞こえるかもしれないが、真実と信じているものを改めて調べようとはしないだろう。そういうことだ。
「証拠?」
ボクが言うと、キドは大きく頷いた。
「本来精霊は妖精界以外で実体を持つことはできないのニャ。でもそれには例外があって、精霊士の力を借りて実体を作り出してもらうことができるんだニャ。ただ精霊の実体を外の世界に作り出す精霊術は数多くある精霊術の中でも最も難しく最も力を必要とする精霊術の一つニャ。術者がなかなかいないんだニャ」
そうだろうね。つまり無から有を作り出すということなんだから。それは神の所行だ、神の真似事だ。魂という情報があるからこそ人でもできるというだけで。
「だけどそれを可能にするだけの力をましろは生まれながらにして持っていたのニャ」
ボクは本で得た知識しかないからそれがどれだけ凄いことだかはわからない。キドの話からしてすごいんだろうなと客観的に判断するしかない。
「ぼくたち精霊にとってましろは失えない存在だニャ。守護精霊であるぼくたちとアニア様はましろの力を借りてこの魔法界に来たんだニャ。捨てられたましろを救うために」
「強制的に?」
ボクは尋ねた。
真白からそんな話は聞いたことがない。猫がいることもおばあさんと一緒に暮らしていることも知っていたけど。つまりこいつらはましろに真実を隠していたということ。真白の力を借りて、なんて言っているけど要するに真白の同意を得ずに勝手に力を使ったってことだ。それは借りたんじゃなくて奪ったってことだ。
偽善者は嫌いだ。
「それは!」
キドは言い返そうとしたけど言葉が見つからないらしい。はは、図星か。やっぱりね。
『精霊ともあろう者が守護対象に負担をかけるなんて不甲斐ないな』
ボクが言うとキドは目を丸くした。モナも同じ顔をしてるし、なんなら老婆も口を押さえている。横でがたっと音がして姉ちゃんが言葉を発した。
「朝日、まさか」
「おやおやおや、まさか朝日君は本当に神に──」
愉快と言わんばかりにそう叫ぶ学園長の声が破壊音にかき消された。見ると学園長室の壁に学園長が刺さっている。なにしてるんだ。
「いっ、たたた、酷いなぁ。事実じゃないか。そろそろ認めなよ」
壁から身体を引き抜きながら訴える。
「うるさい!」
姉ちゃんが一喝すると学園長は肩をすくめた。
「はいはい、悪かったよ」
なにを話しているんだ? 姉ちゃんに訊こうと口を開く直前、老婆に言われた。
「貴方は、ああ、そうだったのですね……」
勝手に納得されても困る。老婆は絶望して額に手を当てた。
「貴方は、いえ貴方様は、神として愚かなワタシたちに罰をお与えになったのですね」
「は?」
心の底からの本心だ。わけのわからないことを言わないでほしい。説明をしろよ説明を。
「お許しください、我らが神よ。罪を償うためならばどんなことでもいたしましょう」
「ちょ、ちょっと、まってまって! なんのこと?」
「どうして気づかなかったのでしょう。貴方様から感じるオーラはまさしく神のもの」
ボクの言葉が届いていないのか、老婆は言葉を切らさない。そろそろうんざりしていると、学園長が言った。
「そろそろ話を戻してくれないかい? 日向君も落ち着いて」
姉ちゃんは学園長を睨みつけた。おお、こわいこわいとわざとらしく肩を震わせ、学園長は自分の机に戻っていった。
「失礼いたしました」
老婆はそう言うとすっかり黙った。話し手の座を猫たちに譲る。
口を開いたのはモナだった。
「仰る通り、ワタシたちはましろの力を奪い取りました。その結果、ましろは魔法も精霊術も自由に使えなくなってしまったのです。しかし、あの子の持っている魔力は強く、濃く、特別なものでした。使えなくなっただけで存在はしています。だからこそ魔物を呼び寄せてしまうのです」
なにやってるんだよ。ましてやそれを本人に伝えていなかったなんて。守護精霊ってそんなものだったっけ。理想と現実は違うっていうのはよくある話だけど、実際に体験すると少なくともいい気分にはならないな。
「あの子がいなくなってから色々なことを考えました。そしてワタシたちが犯した過ちに気付いたのです。あの子は他と変わりない人間であることを忘れていました。精霊であるワタシたちはものを食べる必要がありません。しかし、ましろは食べなくては死んでしまう。そこまでは理解していました。ただ、ましろがもっと食べたいと言わなかったことを遠慮ではなく我慢だと気付けなかったのです。ワタシたちはましろを特別だと思うあまり、人間を超越した精霊に近い存在だと思い込んでいました。人並みにものを食べなくても生きていけると信じて疑いませんでした。
あの子は不幸なまま死んでしまった、それはワタシたちの責任です。そう思いたくなかった。ワタシたち以上の悪を探し求めていたワタシたちは、腐っています」
あー、なるほどね、そういうことだったんだ。
でも、モナが言っていることもある程度は正しいかもしれない。真白の食生活は聞いている限りだと普通の人間ならすぐに倒れてしまうようなものだった。それでも真白は生きていた。健康だったかどうかはわからないが、目に見えて体が弱っている様子もなかったし深く心を病んでるわけでもなさそうだった。
「虐待」
ボクはこの二文字が頭によぎった。
ボクと対面する全員が苦々しい表情を浮かべる。事実じゃないか。お前たちがしてきたことは、立派な虐待だよ。まあボクには関係ないけど。今更だしね。
「はい、そうですね」
キドはうつむくが、モナは懸命に顔を上げる。
「他にもきっと、ワタシたちはましろに償いきれない不幸を与えてきたはずです。ましろは人としての幸せを願っていたはずですから。それを私たちが知らないばかりにあの子を不幸にしてしまった」
モナは一度そこで言葉を切り、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「ワタシは精霊失格です」
「ぼ、ぼくもだニャ! モナだけじゃないニャ! ぼくとモナは二人で一つニャ! モナだけじゃないニャ!」
「そして、それは私もです」
「おや、アニアもそう言うのかい?」
すっとぼけているようにも聞こえる学園長の声。学園長はあははと楽しげに笑ってからこう言った。
「精霊の女王たる君が簡単に精霊失格だなんて言っていいのかな」
「女王?!」
驚きのあまり声が出た。えっ、アニアってえっと、えっと、ティターニアから取ってアニアか? そうなのか?
精霊の女王、ティターニア。まさかこんなところで出会えるなんて。
「はい。ですが、私はこの座を降ります。幸いにも私には優秀な後継者がおりますから。私にティターニアの名を名乗り続ける資格はありません」
ティターニアというのは精霊の個体名ではなく称号の名前だ。ティターニアの名を受け継ぐ者、その者こそが次期女王となる。
「なんせ一人の優秀な精霊士を死なせてしまったのですから」
「真白君が死んだのは君たちのせいではないのではなかったかい? 君たちがそう言ったんじゃないか。さっきまで朝日君が殺した殺したと言って攻めていたのはどこの誰かな」
学園長の言葉にモナが顔をしかめた。
「アニア様……」
本心ならボクが真白を殺したと責めたいのだろう。しかしボクが神であるとわかった以上そういうわけにもいかない。その葛藤の狭間で揺れているという顔だった。
「情けない限りです。私はあろうことか神に責任転嫁をしようとしていたのです。どうか神よ、私に裁きをお与えください」
そう言って精霊の女王は胸の前で手を組み、まぶたを閉じた。
「ええぇ」
困惑して姉ちゃんを見る、姉ちゃんは何も言わない。
「まあまあそんなことはどうでもいいからさ、私の話を聞きたまえよ」
22 >>330
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.330 )
- 日時: 2022/08/31 09:48
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: GbYMs.3e)
22
場違いなほどに弾む学園長の声。顔を見るとやけに生き生きしていて不気味なくらいだ。なにがそんなに楽しいんだ、こんな疑問さえ浮かんでくる。
「急になに?」
「朝日君は相も変わらず冷たいな。そろそろ我慢の限界なんだよ。早く私に仕事をさせてくれないかい?」
「仕事?」
「私に与えられた役割を果たしたいんだ。なんせ私は精神をいじられて仕事をこなすことに快楽を感じるようになっているんだからね」
あー、随分前にそんなことを話していた気もする。ところで、その仕事ってなんなんだ?
「犬が散歩をおあずけされているようなものさ。耐え難い耐え難い。十分待ってやっただろう、そろそろ私にも出番が欲しいよ」
学園長はぐるぐると回りを見渡す。この場にいる全員の顔を見てから、誰かが口を開く前にはっきりとよく通る声で話し出した。
「まずは『正式な』自己紹介をしようかな!」
仕事机に座ったまま、歪む口元を隠すように机の上に乗せた手を組んで口の前に置いた。にやける目元は隠せていない。学園長の後ろにある大きな窓から差し込む光が、学園長の姿をモノクロに映し出す。
「私は〔最後のスート・理事長〕。五十五人目のヒメサマの下僕だ」
驚愕の前に納得がボクの心の底から湧いて出た。感情を司るのは心臓ではなく脳だから正確には頭の底からになるけれど。今はそんなことはどうでもいい。
スート。つまり、学園長は仮想生物というわけだ。なるほどなるほど。もう驚かない。いままで変な仮想生物をたくさん見てきて、既にお腹がいっぱいだ。驚きを食べるには満腹度が高い。
「なにから話そうかな」
学園長はにやにやと笑う。この状況が楽しくて仕方がないという表情だ。
「まずは、そうだね。ここは学園ではない。学園という名前がついてはいるが、生徒に学びを与える場という目的で作られた場所ではないんだ」
へー、そうだったんだ。まあ、確かにちょっとそこは気になっていた。この学園は神の建造物。どうして神が人のための学校を作ったのだろうと疑問に思ったことがある。そもそもここは学校じゃないと言われたら納得がいく。
「私はただの人形だ。自分に与えられた仕事をこなすことにしか興味がない。だから言ってしまうと生徒たちに愛情なんてものは一切存在しないよ。よって、申し訳ないけど真白君のことは残念だと思う、ただそれだけだ。学園として償う気はないよ。そもそもバケガクに入学するということは、バケガクの行事で命の危険があることを了承したということだ。バケガクが他の学園とは違って生徒により多くの危険が伴うことは、入学前からわかっていたことだろう」
バケガクは他の学園よりも危険な行事が多い。モンスターが侵入してきたりもするしバケモノが集まる学園だし。だからバケガク生徒は常に命の危険と共にある。一年間で必ず誰かが死ぬ、それも一人や二人じゃない。度々遺族に対応していたらキリがないということだ。バケガクが危険ということは入学前に注意事項として知らされていた。バケガク生徒の家族も覚悟はしていたはずなのだ。
「なっ、それが学園長の言うことなの?!」
「私は学園長ではない。この場所を管轄する理事長だ。
私は人を愛せない、その感情を持ち合わせていない。不要な感情だからだ。生徒が何千人死んだとしても私は一向に構わない。その生徒が神でなければね。私は私に与えられた仕事をこなせさえすれば、それでいいのだから」
モナは歯ぎしりをして唸った。
「あなたねぇ!!」
そこでふと思いついた。
「じゃあ、なんで学園なんてしてるんだ?」
元々ここが学園でないのなら、どうして学園という形をとったのだろうか。学園長が言う仕事となにか関係があるのか?
学園長はよくぞ聞いてくれましたとばかりに目を輝かせ、ボクに向き直る。
「私の仕事は神の収集」
神?
「神の座を捨て、下界人として転生する神々。生まれる時間も場所もバラバラ。そんなんじゃ、会いたいと思ってもそれは難しいだろう?」
せっかく同じ時代に生まれたとしても他の神がどこにいるかわからない状態になるということか。
「私は神が集まれる場所を用意し、神を見つけて収集する。そのために学園を名乗っているに過ぎない。神も転生すれば、幼少期は子供の姿だからね。なるべく早く集まるためには、子供が集まれる場所でなければいけないんだ」
「その神って、まさか」
学園長は笑った。
「君の想像通りだよ」
学園長は「与えられた役割を果たしたい」と言った。学園長の主な仕事が『神の収集』だとしても、いまこの場におけるさっき言っていた役割は違うはず。その役割がもし『学園長が知っていることをボクに話すこと』だとしたら。
そう思う根拠は一応ある。スートという言葉をモナたちが知っているとは思えない。実際いまも困惑しているみたいだし。学園長が話しかけているのはボクに対してだ。
だったら。
「まって」
ボクが口を開こうとしたところでモナが言った。
「色々わからないわ。スートってなんのこと? ヒメサマって? 神を集めるって、なんのためにそんな」
学園長は嬉しそうに目を細めた。
「君の質問に答えているという形式で話しているから、そうだね、答えてあげよう。
スートとはヒメサマが作った仮想生物の総称だ。ヒメサマはこの世界の創造神。神を集める理由はただ一つ。『神にそう命じられたから』」
「創造神? ディミルフィア様ってこと? ディミルフィア様があなたを作ったの?」
「そういうことだ」
モナは怪訝そうに顔をしかめた。
「デタラメじゃない?」
「どうしてそう思う?」
「確かこの学園にはあなたが作ったっていう仮想生物がいたはず。仮想生物が仮想生物を作るなんて聞いたことがないわ」
その疑問ももっともだ。もっともなんだけどボクはあまり不思議と思わなかった。散々型破りな仮想生物を見てきたせいか、仮想生物が仮想生物を作るぐらいのことでは驚かなくなった。いいことなのか悪いことなのかはわからない。感覚が麻痺するということはあんまり良くない気もする。
学園長はモナの質問を笑い飛ばした。
「アハハッ、なにを言っているんだい。君たちのそばにもいたじゃないか、仮想生物が作った生物が」
まだいるのか。なんでボクの周りにいる仮想生物はおかしなものばかりなんだ。え、周りの仮想生物がおかしいんだよね? ボクはおかしくないよね?
「精霊を生物とするかは個人で考えが違うかもしれないがね、世界からすれば精霊も生物だ」
仮想生物が作った精霊? なんのことだ? 真白のそばにいた精霊といえば……。
「なんのこと? もしかして、ナギーのことを言ってるの?」
「以外に誰がいる。まさか気づいていなかったのかい? アニアも含め? やれやれ、精霊も堕ちたものだね。あんなに分かりやすい異質さに気付けないなんて」
ナギー。リン以外にボクが捕まえた、もう一人の精霊。いまはどこにいるんだろうか。
「確かにナギーは他の精霊とは違っていたわ。アンファンではないみたいだった。だとしても!」
モナは一度言葉に詰まって、いいえ、と呟いた。
「改めて考えてみればあなたの言う通り、ナギーは異質だった気がするわ」
「モナ?」
キドがモナに視線を移した。不安そうに揺れる瞳をモナに向ける。
「ナギーは自分が何者かもわかっていなかった。精霊は自分の使命を潜在的に理解しているものよ。ナギーは精霊ですらなかった、精霊に近いなにかだった。仮想生物というのも、あながち間違っていないのかもしれない。ただ疑問があるわ。仮想生物ならナギーに術者から与えられた役割があるはず。でもナギーにそんな素振りはなかったわ」
「私は一言も彼が仮想生物だとは言っていないよ。彼は仮想生物が生み出した、唯一の完全なる不完全な生命だ」
学園長の言葉は矛盾している。完全なのに不完全?
疑問が顔に出ていたのだろうか、学園長はボクに向き直り、答えを出した。
「生命は不完全なものだからね。完全な生命というと語弊が生まれるだろう?」
生命が不完全だとなにをもってそう言える?
問いかけてみようとしたけれど、唐突に理解した。生命は不完全なものだ、完全にはなり得ない。完全というのは欠点のない状態のこと。欠陥が皆無である状態のこと。生命は欠陥だらけだ。欲という欠陥、感情という欠陥、寿命という欠陥。生命である以上、欠陥を抱えて生きることは避けられない。ああしかし、そんな不完全な生命だからこそ、こんなにもいとしく感じるのだろう。完全を望み、完全になれない生命が哀れで哀れで、可哀想で可愛そうで仕方ない。そんな彼らがたまらなくいとおしい。
「仮想生物が生命を生み出すなんて、そんなことありえないわ!」
モナが叫ぶ。
「だが、事実なのだから仕方ないだろう。まあ受け入れろとは言わないよ。私には関係のないことだ」
突き放すような冷めた口調で、学園長はモナに言った。そして顎に手をやり、思案する。
「お次はなにを話そうか。めぼしい情報はもう今度全て公開してしまったね」
「き、聞いてないことがまだあるニャ!」
キドの声は震えていた。学園長は『はて』と顔に疑問符を浮かべて、キドを見る。
「ましろ、ましろはいまどこにいるニャ?」
学園長は数秒の間を置いてから「ああ」と呟いた。
「さあね。私は知らないよ。あいにく七つの大罪の悪魔との交流はない。何百年も前に会ったことはあるがね。向こうも私のことは覚えていないんじゃないか?」
「そんな! それじゃあ、ましろはもう助けられないのニャ?」
「そんなのはわからないよ。私は私の仕事をこなすために必要なことしか知らないんだから。でも、アドバイスくらいはできるかな」
キドは暗い表情に光を混ぜて希望を込めた目で、学園長を見上げた。
「なにニャ?」
「聞きたいのかい?」
変にもったいぶる学園長にやや苛立った様子で、しかしぐっとこらえてキドは言う。
「聞きたいニャ!」
学園長は淡々といった。
「長い時間をかけて、ゆっくり方法を探せばいい」
誰でも思いつきそうな単純な回答に呆然として、キドはぽかんと口を開いた。学園長は大真面目に言う。
「大罪の悪魔には寿命がない。大罪の悪魔に憑依されている限り、真白くんの体も老いないはずだ。そして真白くんは死んだのではない。半永久的に意識を眠らされている状態だ。真白くんを覚醒させることができればそれは、真白くんを解放することにつながる。
まあ、君たちにそれができるとは思えないけどね。なんせ彼らは強大な力を持っている。彼らもまたヒメサマが直々に自らの力を割って生み出した存在なのだから。
生まれもって所有している力が違う」
仕事以外に興味がないと言っておきながらベラベラとこんな事をしゃべるということは、これも仕事の一環なのかな?
「そうすれば、ましろは助かるのね?」
「モナ!?」
学園長の言葉を飲み込もうとする様子のモナにキドは驚きの声を上げた。
「時間がかかりすぎるニャ! ぼくたちはそんなに長く生きられないニャ!」
精霊には寿命が存在する種族と寿命が存在しない種族がある。モナたちは、その中で寿命が存在する種族なのだろう。それがなんなのかまでは特定できないが。
「だったらどうするって言うの?!」
キド以上の大声で、モナは言った。
「ましろを救いたいの。キドだって気持ちは同じでしょ?」
「当然だニャ! だけど」
「じゃあ、決まりね」
モナは座っていた長いすからひらりと降りて学園長室の扉へ近づいた。
「おや、帰るのかい?」
「なら聞くけど、これ以上なにかを話してくれる気があるの?」
「ないよ」
「だったら、私たちがここにいる理由はないわ。アニア様、帰りましょう。キドも行くわよ」
つんと澄ました顔で立ち去るモナといまだ困惑するキド、なにも言わずにぴんと背筋を伸ばして歩く老婆を見送って、学園長はボクに問いかけた。
「なにか聞きたいことはあるかい?」
質問をしたって答えてくれないくせに。
「いいえ」
心の中で毒づいて学園長に否定の意を伝える。
「そうかい。なら、茶菓子ぐらい食べていかないか?」
そういえば、机の上に茶と茶菓子が置かれてあった。
「いりません。失礼します」
学園長室を出て、校舎から出たところで姉ちゃんに会った。
「姉ちゃん! 待っててくれたの?」
Ⅴグループ寮からここまで転移魔法で送ってくれた姉ちゃん。とっくに帰ったと思っていたのに。冬も終わりかけているけれどまだ寒い。そんな中待っててくれたんだ。
あったかい気持ちが湧いて出る。姉ちゃんは落ち着いた口調で言った。
「帰ろうか」
差し出された手を握る。冷たい。
23 >>331
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.331 )
- 日時: 2022/09/01 06:54
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /JJVWoad)
23
東蘭は火が置かれた大地に立っていた。草木はとっくに枯れ果てて、土もすっかり乾いてしまった。東蘭の目の前にあるのはかつての東家。かつての彼が住んだ家。言葉通り全てが崩壊している。肉が焦げる臭いとまばらに転がる焼死体が東蘭を不快にさせた。
「この世界も、もうすぐ終わるのか」
東蘭がゆっくり呟く。そしてゆっくり考える。
「神であろうとこの世の理から外れることはできない。世界が終わるまで、あと二年。それまでに、なんとかしないと」
フェンリルが下界に現れ、[黒大陸]と他大陸との世界規模の戦争が始まり、しかしそれでも世界はまだ滅ばない。神であるフェンリルでさえもまだ世界を滅ぼすことはできない。そう定まっているからだ。世界が百万年ごとに滅ぶと定めたディミルフィアであってもこれに逆らうことは不可能なのだ。東蘭には二年の猶予が約束されている。しかし。
(全然足りない)
「おや、君は……」
東蘭に話しかけた者がいた。東蘭からするとなにもない誰もいないところからその人物が現れたように見えたが、それは向こうも同じだった。互いに不信感を抱きつつ、しかし話しかけられた以上、話しかけた以上、完全に無視をするわけにもいかない。東蘭は突然のことに驚いて思わず声がした方に目をやったのでとりあえず目は合った。
「はじめまして、ということになるね、ぼくはシキだ」
シキは相手の警戒心を解くために先に名乗った。
東蘭はシキがどうしてここにいるのかと不思議に思った。シキは和服を着ているが、どうやら東蘭のよく知る大陸ファーストで流通しているものとは形が違うようだ。なによりシキは茶髪だった。光の当たり具合で金に見えなくもないが。
これらの特徴から東蘭はシキが他大陸の出身だと判断した。
「おれは、えっと」
名乗りに困って、東蘭は言葉に詰まった。彼は東蘭ではあるが東蘭ではない。それに得体の知れない何者かに馬鹿正直に名を教えるのも気が引ける。そう考えたのだ。
シキは東蘭の思考を読んでいた、本当に読心術が使えるわけではなく同じような場面に遭遇したことがある、つまり経験したことから判断した結果だ。だからシキは自分の中で推測した東蘭の正体、その名を告げる。
「ヘリアンダー様でしょうか?」
東蘭は目を見開いたが、すぐに感情をおさめて落ち着いた声で肯定する。
「ああ、そうだ」
するとシキが跪く。両膝をついて両腕を組み合わせた。
「先程の馴れ馴れしい物言いをお許しください」
シキが東蘭の正体に気付いたのは名乗ったあとだった。シキは自分より尊い存在がそうはいないことを知っていたから、ついいつもの調子で話してしまっていたのだった。
「別にいい。堅苦しいのは嫌いだ」
「ありがとうございます」
今度はこちらから質問してやろうと東蘭が口を開く。
「なぜ、おれの正体がわかった? 普通わからないだろう」
東蘭の言う通りだ。ヘリアンダーという神はキメラセルの神々のうち二番目(一番はディミルフィア)の地位に当たる神だ。そんな神がどうしてこんな荒れた土地にいると思うだろう。
シキは微笑んで言葉を編んだ。
「裁きの痕跡を感じますから」
シキはぐるっと周りを見る。さらりと言っているがその言葉はさらに東蘭を驚かせた。
確かに東蘭はつい先程この大陸に裁きを下した。法を司る太陽神の名の下に。大陸ファーストが穢れた要因はいくつかあるが、その中でも特筆すべきことは身分ができたことだ。神は大陸ファーストの階級の象徴である六大家のうち、特に穢れた花園家と東家を崩壊させた。家を潰し、大陸内にいるこの二家の血が流れる人間を根絶やしにした。そして大陸全土のほとんどを燃やした。しかしそれを知る者は神々だけのはずだ。東蘭の視界に映るシキが彼の行った内容を知っているはずがないのだ。
神の力を明確に感じ取れるものなどそうはいない。せいぜいただ漠然と強大な力だと思う程度だ。東蘭はシキを睨んだ。
「お前、何者だ?」
シキの表情が苦笑に切り替わった。
「しがない旅人です」
旅人と聞いて東蘭はなにかが意識に引っかかるのを感じた。そして閃いた。
「しがない?」
東蘭はシキを鼻で笑った。
「どの口が言ってるんだ、〈橙の旅人〉」
「バレましたか」
そう言いつつシキも隠しているつもりはなかった。複数人いる十の魔族の中でも自分が一番有名であることを自覚しているからだ。気ままに世界中を旅しているうちに名が知れ渡ってしまった。正体を隠すほうが難しい。
「ここにいる目的は何だ? まさか観光ってことはないだろう。
こんなに荒れてるんだからな」
東蘭は自分を取り囲む景色を見た。見渡すかぎりの炎。草木はとっくに炭化して燃やすべきものなどない。なのに変わらず燃え続ける炎は宿るはずのない命さえも感じさせる。炎そのものが意思をもって大地を焦がしているかのようだった。
「そうですね。この光景を見に来たわけではありません」
シキは言うか迷った。神という絶対的な存在を前にして嘘を言うのは身の程知らず、そして命知らずの愚かな行為だ。
「隠すほどのことでもないのですが」
「なら言えよ」
それもそうだとシキは思った。うーんと唸り、頭の中で文章を組み立てる。
東蘭はそんなシキを見てやや苛立った。言うなら言う言わないなら言わないでさっさと決めろと念を送り、シキはようやく言葉を絞った。
「私の旅の目的を果たすため、ですね」
「旅の目的?」
「はい」
シキが世界中を旅する目的は、ただの娯楽でも名声のためでもない。シキには行きたい場所がある。その場所は行き着くことがとても難しい場所だ。シキは何百年と旅を続けているが、その場所へ行く方法は一向に見つからない。
「そうだ。一つお聞きしたいことがあるのですが、いいでしょうか?」
シキはヘリアンダーという神ならば自分が知りたいことを知っているはずだと思い出した。それを教えてくれるかどうかは別問題として。
「内容による。とりあえず言ってみろ」
東蘭はシキがなにを自分に聞こうとしているのか全く見当がつかない。話している相手が神であると知りながら、話し方は丁寧だがこんなにもくだけた調子で話せていることも気になる。東蘭はシキという名こそ知らなかったが〈橙の旅人〉がとてつもなく長い年月を生きていることは知っていた。長く生きていることで様々なことに対して肝が据わっているのかもしれないとも思ったが、神との対話は誰であっても緊張を持つものだ。そうでなければいけない。東蘭はシキのことが気になった。
「天界へ行く方法を教えていただきたいのです」
その一言で、東蘭の思考は終着点を見つけた。これまでのシキとの短い会話でシキの正体について複数の仮説を東蘭は立てていたのだが、それを一つに絞ることができた。そして東蘭はその仮説が合っているという自信があった。
東蘭はにやりと笑った。そんな東蘭を見たシキも、自分の正体を連続で見破られたことに気づいた。
「寿命を全うしたら行けるだろ」
シキの正体が分かっていながら、意地悪くそう言う。東蘭の予想通りの返答をシキはした。
「残念ながら私は不老不死なのです」
「そうだろうな」
それからすぐに笑みを消して、彼は無慈悲な言葉をシキに投げた。
「ヒトの身でありながら天界に行く方法は存在しない」
シキは目を丸くした。見つからないだけでその方法は存在すると思っていたからだ。神の言葉を疑えるわけがない。神がこう言っているのだから、それが真実だ。シキは絶望した。天界へ行く方法がないのであれば、自分はなんのためにこんなに長い時間をかけて旅をしていたのだろうと。
「話は最後まで聞け。なにごとにも例外はある」
シキはもう一度、目を見開いた。
「簡単な話だ。天使と交渉したらいい。本気で探せば見つかるはずだ。知っていると思うが、天使は下界によくいる。姿を巧妙に隠しているだけで」
東蘭は自分でこう言いつつ、それが難しいことだともわかっていた。天使はただその存在を見つけづらいだけなのではなく気難しい。天界という聖なる場所に生きたままの汚れた人の身を立ち入りさせることを許すとは思えない。そして、そのことはシキも理解していた。それでもシキは力強く頷く。
「わかりました。ありがとうございます」
東欄に言われる前からシキは天使を探していた。東欄にいま言われた方法を試したかったのだ。
しかし天使はなかなか見つからない。天使との交渉はいまの段階では唯一確実性のある天界へ行く方法であったがシキは半ば諦めかけていて、これ以外の方法を探していたのだ。
正直なところシキはがっかりした。神が天界に行く方法はないと言い、その例外としてこれをあげたということは、やはりこれ以外に方法はないということだ。
しかし、神の口から天界に行くことは可能だと聞かされた。シキの中の諦めを取るには、それで十分だった。
「用事は済んだろう。さっさと行け。おれはまだすることがある。暇じゃないんだ」
東蘭は西を見た。見たというより睨んでいると表現した方がふさわしい。シキもそれに倣って西を見る。東蘭がなにを見ているのか初めはわからなかった。だが、すぐに納得した。
「フェンリル、ですか」
東蘭は顔は動かさずに視線をシキに向けた。目だけで肯定を示し、つぶやく。
「救いたいヒトがいる。人ではないけれど」
「命を失うかもしれませんよ」
言った直後にシキは慌てて口をおさえた。余計なお世話だとわかっていたからだ。心の声が漏れてしまって焦った。東蘭は怒ることはなく、寂しそうに微笑む。
「神は死なない、そして死ねない」
その言葉は独り言だった。
「その悲しみを背負い続けるヒトがいる。おれはあの方を救いたい。あの方にはリュウが必要なんだ」
信仰心の薄い下界人は、神は人の作り上げた幻想だという。しかしそれは違う。人は概念に名前を付けただけだ。神が神という名を持っていなかったときから神は存在していた。神はかつてのヒトであった。ヒトの上にヒトができ、ヒトは神という名を与えられた。神とはいったいなんであろうか。神とはヒト以外の存在だ。ヒトとは人間であり動物であり植物であり怪物であり竜であり妖怪であり精霊であり天使であり悪魔だ。下界に住む全ての生命のことを指す。
神は、存在する。
そして、ヒトは神に成り得ない。
─────
一人の女が立っていた。腰まで伸びた髪は光を吸い込むほどに深い真紅。顔は見えない。女はこちらに背を向けている。その背から生える大きな二対の翼は天使のものとよく似ている。その翼も髪同様の深紅であった。元々そういう色なのか、それとも返り血で染まったのかわからない真っ赤な服は背の部分が大きく裂けて、痛々しい傷が左肩から腰に向かって刻みつけられている。その傷は翼にも及び、四枚あるうちの一枚が外れてはいないものの不自然に折れ曲がっている。
女はかがみ、そばにあった天使の死体の腹に手を当てた。持っていた短剣で腹を裂く。ぐちゅぐちゅと掻き混ぜるように腹の中を探って、女は天使の腹から赤ん坊を取り出した。おぎゃあおぎゃあと泣き喚く赤ん坊を強く抱き、小さな声で決意を示した。
「絶対に、守るから」
24 >>332
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.332 )
- 日時: 2022/08/31 20:28
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 8GPKKkoN)
24
コンコンコン
「朝日、おはよう。ちょっといい?」
ボクがベッドの上でぼーっとしていると部屋の扉が叩かれた。ベッドの上にいたけど身支度は整っている。どこに行くわけでもないけどね。誰かの前に出ても恥ずかしくない格好をしているのでボクはすぐに出た。声から判断するに訪問者はゼノだ。
「どうしたの?」
扉を開けた先にいたゼノは制服だった。ゼノは服を持っていないのか、いつも制服だ。しっかりと赤いリボン結んでいる。Ⅴグループの生徒は赤いリボンやネクタイを疎ましく思っている場合が多いが、ゼノはそうでもないらしい。それどころかⅤグループであることに誇りを持っているようでさえある。ちなみにボクは姉ちゃんと同じネクタイをつけられて嬉しいし、その姉ちゃんはまずネクタイの色に欠片ほどの興味がないみたい。
「一緒に散歩しない?」
「散歩? ああ、ゼノってよくバケガクの中を散歩してるんだっけ」
「そう。いつか誘いたいなって思ってたんだ」
にこにこしているゼノの表情が突然変わった。焦ったように言葉をくっつける。
「も、勿論、迷惑だったらいいよ!」
そんなゼノを見て思わずボクは微かに笑ってしまった。
「ううん、大丈夫だよ。誘ってくれてありがとう。寮から出るんだよね。すぐに準備終わらせるから玄関の方で待っててくれる?」
「うん、わかった」
いまボクは部屋着で、寮から出るときは制服着用が原則だ。元々服以外はいつでも外に出られる状態だったから着替えただけでボクは玄関に向かった。
「お待たせ」
待たせた時間はほんの五分程度だろうから待たせたとは思っていない。ただの社交辞令だ。
「エヘヘ。じゃあいこっか」
ゼノは偽物だなんて気付けないくらい嬉しそうな顔で笑った。つられてボクも笑う。ボクとゼノとの間に感じる溝は無視しておいた。
寮から出ると例の黒い馬車が止まっていた。馬だけじゃなくて馬車そのものが仮想生物で、利用者がいたらそれを感知して出現するんだとか。何だそりゃ。馬車そのものが生物だなんて。模造品ならまだわかる気もするけど。姉ちゃんからこの話を聞いた直後は頭がこんがらがった。黒い馬は久々に見たまともな仮想生物だと思ってたけどそんなことはなかった。仮想生物って何だっけ。
きっとゼノは慣れているんだろう。特に何かを気にする素振りもなく馬車に乗り込む。続いてボクも馬車に乗り、ゼノの向かいに座った。
「どこか行きたいところはある? 散歩する場所じゃなくてもいいよ。例えば図書館とか」
「ボクが決めていいの?」
「うん。せっかくだし、朝日が行きたいところに行きたいな」
うーん、どうしようか。別に行きたいところなんてないんだけどな。図書館には前に行ったし。
そう悩んでいると、ふと口が開いた。
『西の海岸へ』
口が勝手に動いて、ボクの意思とは関係なく言葉が飛び出た。びっくりして固まっていると同じように驚いた顔をしたゼノが口を開いた。
「西の海岸はわたしも行こうと思ってたの。帰りに寄りたいなって」
ゼノはまた笑った。
「同じこと考えてたんだね」
違うとも言えず、ボクは頷いた。どこでも良かったし。馬車は寮を取り囲む森の中に入った。ここを抜けた先が西の海岸だ。一種の転移魔法かな。
「戦争のこと、知ってる?」
行き着くまでの話題にゼノが選んだのは、戦争の話だった。やけに物騒な話題を選んだな。
「標的がこっちに移ったってやつ?」
かなり省略して言ったけど、ゼノには伝わったらしい。
「そう、それ。花園先輩は大丈夫なの?」
カツェランフォートの連中は屋敷に忍び込んだ大陸ファーストの人間を姉ちゃんだと思い込んでいるらしい。そんなことが最近の新聞に載っていた。正解は弟であるボクだから近からず遠からずってとこかな。姉ちゃんが黒と白の魔法が使えることは『白眼の親殺し』の事件直後にもうバレていたからそれで勘違いしたんだろう。無理もない。黒と白の魔法が使える人間なんてそもそも存在すること自体がおかしな話だから、他にそんな人間がいるだなんて考えもしないだろうし。あとは笹木野龍馬ど個人的に親しかったのも大きいかな。
「姉ちゃんなら心配いらないよ。ボクたちは飛び火を心配しなきゃ」
カツェランフォートの連中ごときに姉ちゃんがどうかされるなんて、想像すらできない。
「どうしてそう言い切れるの?」
ゼノがボクを見つめる。ゼノにしては、こちらを探るような目を向けてくる。
ボクが嫌いな目だ。
「どうしてって」
『そう定められているからさ』
ボクが言うと、ゼノは眉間にしわを寄せた。
「朝日、怖いよ。わたしが知ってる朝日じゃないみたい」
ゼノはスカートを握りしめた。ボクを見つめる目が訴える感情は恐怖だ。
「お願い、教えて? 朝日に何があったの?」
「何って別に何もないけど?」
ゼノの呼吸が乱れたのが見えた。馬車の振動音が実際以上に大きく聞こえる。
「その、手袋、どうしたの?」
ゼノが絞り出した言葉を聞いて、声が出なくなった。多分ゼノは緊張している。顔を真っ赤にして、大柄な体が居心地悪そうに小さくなっている。だけど、ゼノ以上に緊張している自信がボクにはある。ゼノはいままでこういうことに首を突っ込んできたことはなかった。ゼノはボクをいままでとは違うって言うけれど、それはゼノだって同じじゃないか。
「わたしがネイブさんに言われたことも教えるから、朝日も教えて欲しい。友達として、朝日の助けになりたいの。わたしじゃ頼りにならないかもしれないけど」
それきりゼノは黙ってしまった。
ボクは考える。ゼノが本心からこう言っているのはわかってる。ゼノのことを信用もしている。腕が黒く染まっているくらいでボクを嫌ったりしないだろうし、それを言えばゼノだって肌は黒い。そう。頭ではわかってる。時には人に助けを求めることが大事なんだってことも。だけど頭と心は別物だ。ゼノの言う通りボクは明らかに前とは違う。嫌われるのが怖い。
思えばボクは誰かに嫌われることに恐れたことはなかった。誰に好かれようが嫌われようがどうでも良かったし、にこにこしていれば勝手に人が寄ってきた。姉ちゃんに関しては家族なんだから嫌われるわけがないと思って安心していた。でもゼノは違う。ゼノは他人だ、ボクを好きで居続ける理由がない。いつ嫌われてもおかしくないし、いまこの瞬間一緒にいることが奇跡に近い。罪に侵され汚れきっているボクと、辛い過去を背負いながら地に足をつけて懸命に生きるゼノ。本来同じ空間にいることがおこがましいんだ。そしてそのことを、ボクの罪を、ゼノは知らない。知らないからこそ、ゼノはいまボクとこうして過ごしているんだ。ゼノが黙り、ボクが黙った。二人きりのときにこんなに重い空気になったのは初めてだ。
ゼノはこういうのが嫌いだ。好きな人なんていないだろうけど、ゼノは人一倍嫌うんだ。こうなることはわかっていたはずだ。なのに言ってくれたんだ。
わかってる。言うべきだ。嫌われたくないからこそ、言うべきなんだ。
「ゼノ」
ボクは意を決してゼノの名前を呼んだ。
「嫌ってくれてもいい。嫌な気持ちにさせてしまったら、森を抜け次第馬車を降りて帰りは歩く。ボクの話を聞いてくれる?」
ゼノの表情が明るくなった。ボクが話し終えたとき、ゼノが浮かべる色は何色だろう。
ボクは息を吸った。頭の中で話すべきことをまとめて、もう一度覚悟をして──
『だめだよぉ、そんなことしちゃ』
一瞬視界が真っ暗になってもう一度目の前の世界に色がさしたとき、そこにゼノはいなかった。赤い血液が滴る黄と灰が混ざったような大地と、その上にかさばる肉塊。人間だけではない、獣人なんかの種族の体もある。どの遺体もぐちゃぐちゃで原型をとどめているものは少ない。命を失った状態で、大陸も種族も超えて、物理的に一つになっている光景がとても美しく思えた。
自分はどうかしてしまったのだろうか。
ふと湧き上がってきた疑問に蓋をして見入っていると、突然空間が歪んだ。その歪みはすぐに止んで、ボクの正面にはさっきまでいなかったはずの人物が立っていた。
炎よりは大地に流れる血液に近い色をした癖のある鮮やかな赤い髪。つり上がっていると言えなくもないという程度の控えめなつり目、それもまた紅玉を彷彿とさせる赤い煌めきを放っている。顔は全体のバランスを見ると十分に整っていて、でも人懐こそうな子どもらしいあどけなさが前面に出た親しみやすい顔だ。体格は小柄で手足は作り物の人形のように細い。格好は道化師のものみたいでそれも真っ赤。こんな人は見たことがない。そもそも赤を持った種族なんていないからいまボクが見ているものは明らかにおかしい。いままで散々おかしいものを見てきたけど、さすがにこれはあり得ないだろう。でも辺りに漂う強烈な腐敗臭はボクにこれは現実だと告げている。
初めて会ったはずだ。なのに初めて会った気がしない。この顔は毎日鏡の向こうに見ている顔だ。
ボクに笑みを向ける彼は、些細な違いはあれど、それでもボクと瓜二つだった。
「わあ、間近で見るとより一層よく似てるってわかるね」
向こうも同じことを思ったようで、まず初めにそう言った。
「はじめまして、オイラはダイヤ。スートって言えばわかるかな? ほら、ジョーカーの同類だよ」
そういえば着ている服がなんとなく似ているような。あまりに色が違うから気付けなかった。色って大事なんだね。
「君のことはよく知ってるよ、花園朝日くん。しばしば観察してあげていたからね。ああ、ごめん、もうこんなふうに上から話しちゃだめなんだっけ。君の場合、オイラたちと同等になったんだから。むしろあの御方に作り替えられた君はもしかしたらオイラよりも上になるのかな。よくわかんないや」
ダイヤの言うことが理解できない。頭の中を疑問符で埋め尽くそうとしていると、ダイヤはふふっと笑った。
「ごめんごめん、置いてけぼりにしちゃったね、ちゃんと説明してあげるから」
ダイヤは両手を広げた。ボクとそっくりな顔で、心底楽しそうな顔をする。
25 >>333
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.333 )
- 日時: 2022/12/10 10:19
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: CKHygVZC)
25
「あんな奴にキミのことを話す価値なんてないよ、あんな奴ってゼノイダのことね。オイラが止めなかったらあのままペラペラ話したでしょ。だめだめ、罪の吐露なんて、贖罪なんてしなくていい。キミはそのまま神に堕ちなきゃ。
ねー、あの御方のこと知ってる?」
たまに色んな人の口から出てくるあの言葉か。
「知らない。特に興味もないからそんなに気にしたことがない」
「ふーん。でもこれがオイラの役目だから言うね、あの御方はヒメサマの生みの親だよ」
えっ?
予想外の言葉がダイヤの口から出てきた。ヒメサマって姉ちゃんのことだっけ。でもいろんな人(?)は姉ちゃんとヒメサマは別人だって言ってたし。
「困惑してるね。無理もないか、みんなわかりにくい言い方ばっかりするもんね。仕方ないよ、これを告げるのはオイラの役目だから。
初登場が遅れたけど、これも神が望む順序に従ってるだけだから許してね」
ボクと見た目が似ている割に、声はあまり似ていない。ボクは声変わりがまだなので声が高く女性に聞こえることもあるみたいだけど、どちらかと言えば男声だ。対するダイヤの声は中性的に聞こえなくもないがおそらく女性の声だ。低めの女性の声。
「ヒメサマはキミのよく知る花園日向とは全くの別人だ。だってあれはキミと同じ女の腹から出てきた人間だし。でも世界からは同一人物として処理される。その理由は、世界は肉体で存在を認識しているわけじゃないから。花園日向なんていうのは肉体に付属する名称だ。花園日向はなんの変哲もない人間だ。少なくともオイラたちにとってはね」
ダイヤは気づかないうちにボクと距離を詰めていた。視界いっぱいに映るダイヤの笑顔は、鏡の中でも他人の瞳の中でも見たことがない種類のものだった。
「特別なのはその魂だ。支配者であり、ディミルフィアであり、ヒメサマでもある魂。つまり支配者とディミルフィアとヒメサマは同一人物だよ。花園日向は違う。なぜなら花園日向になったヒメサマは支配者としての権限をある程度喪失しているから」
遠くで爆音がした。目をそちらへやるとそこら中で煙が立っている。どうやらここは現実世界の戦争をしているどこからしい。
「正しくは喪失したんじゃなくて分裂したんだけどね、魔力とか権力とかが。
ベルって知ってる? 花園日向の契約精霊のことなんだけど」
当然知ってる。ボクは頷いた。どうしてここでベルの名前が出てくるんだ?
「あれだよ」
「あれ、って?」
「わからない? 気づける場面はあったと思うよ」
ダイヤはくるっと回ってボクに背を向け、ボクから距離をとった。
「バケガクを修復したとき。あのとき一回、二人は同化していたよ。その証拠、と言えるかはわかんないけどヒメサマはキミに左目を見せないようにしていたはずだ」
その言葉に衝撃を受けた。そのときのことなら、よく覚えている。忘れられるわけがない。つい昨日のことのように思い出せる。そういえば姉ちゃんに抱きしめられて、急に姉ちゃんの体が光ってベルが現れたんだっけ。
「そうそう、あれ。あのとき花園日向は一度ヒメサマになって、もう一度花園日向になった。花園日向のままヒメサマの力を使うと体の負担があまりにも大きい。花園日向は自分の体を大事にしていないから、ヒメサマに戻りたがっていない割には簡単にヒメサマとしての力を使う。けどさすがにあのときは戻ったんだよ。花園日向のまま分解魔法と創造魔法を使っていたらあっという間に力に飲み込まれちゃうからさ」
ダイヤはコテンと首を傾げた。
「花園日向の腕が魔法を使ったあと、たまーに黒くなってたりするでしょ? あれってヒメサマとしての力を使ったからなんだよ。あの力を使って花園日向の体が黒に染まりきったとき、花園日向は完全にヒメサマに戻る。だから、あとちょっとなんだけどぉ……」
なにがあとちょっとなのかをぼかしたまま、ダイヤは嬉しそうに言葉を並べた。
「あの御方自らが動いて花園日向をヒメサマに戻すんだってさ。あとちょっと、あともう少しでヒメサマが帰ってくるんだ」
姉ちゃんの腕がたまに黒くなっていたのにはそういう理由があったんだ。
どうしてボクは姉ちゃんのことを疑わなかったんだろう。思い返してみれば、変なことだらけじゃないか。腕を黒くする魔法以外の魔法を使って腕が黒くなるわけないし、白と黒の魔法を同時に扱える存在がいるわけないのに。
「そもそも〈スカルシーダ〉って器なんだよね、神の力の。笹木野龍馬の契約精霊にも会ったことあるでしょ? あいつもそうだよ。ディフェイクセルムおよびフェンリルの力の器。神を人に変えるには器が必要だったんだ。だって考えてもみてよ。神の力を持ったままじゃ、人の体はもたない。種族によって耐えられる力の量、つまり器の大きさは差があるけれど神の力はその比じゃない。一番器の大きい精霊族だって神の力には到底及ばない。天使族に転生するのは、あいつらは神に仕える身だから論外。だから、わざわざ〈スカルシーダ〉という神の器としてしか存在価値がない種族を生み出して転生したんだ」
『おれはネラク、第二の器』
ネラクの名乗りの意味がようやくわかった。てことは、第一の器はベルってことになるのか。
「なんでそこまでして転生したかったんだ?」
そうだよ、そこだ、そこが気になる。どうして神という座を捨ててまで下界で生きることを決めたんだ? 捨てる理由がわからない。だって、神は世界の頂点だぞ? ディミルフィアならなおさらだ、神の頂点だ。捨てようなんて思うかな。そもそも生きる種族を変えようなんて思いつくか?
「それはね」
ダイヤはそんなことまで知っているようだ。ニコニコの笑顔を崩さずに、ボクの問いに答える。
「理由は二つあるんだよね。ヒメサマ自身と、それから種」
一つの理由だけじゃ動けなかったということか、そりゃそうだよね。
「ヒメサマはね、悩んでいたんだ。自分という存在について。一言で言ってしまえば支配者を辞めたがっていた。なんでかわかる?」
わかるわけないだろ、そんなこと。ボクは首を横に振ろうとして、それをダイヤに止められた。
「ちゃんと考えて。考えたらわかるはずだよ」
そう言われてもわからない。ダイヤはちょっと首を傾げてこういった。
「んー、じゃあヒント。支配者には悠久の時間がある」
ボクが黙っているとダイヤは腕を組んだ。
「まだわからないか、ならもう一つ。孤独ってどう思う?」
ヒントと言いながら質問してるじゃないか。そう心の中で突っ込んだが口には出さない。この質問なら答えられるかと思って考えてみる。
孤独、か。
ボクが孤独だと感じたのは、姉ちゃんがいない、花園家の本家で暮らしていた八年間。ボクは透明人間みたいだった。みんなみんなボクという存在じゃなくて、それに付随する魔法の才能とか花園家当主の資格とか、そんなものばっかり見ていた。誰の目にもボクは映っていなかった。別にそれはよかった。わかりきっていたことだし諦めていた。いや、諦めもまた違うな、そもそも興味がなかった。ただ姉ちゃんがいなかった、それがものすごく。
「つらい」
ダイヤはうんうんとうなずく。
「そうらしいね。オイラはよくわかんないけど。
支配者ってさ、孤独だと思う?」
ボクはもう一度悩む。でも支配者のことがいまいちよくわからないから結論に困るな。
「想像しにくいよね。わかりやすく例えてみようか。君に大切な人がいたとしよう。花園日向やゼノイダがそれに当たるのかな。その人たちが死んだらどう思う?」
ボクは即答する。
「悲しいんじゃないかな」
するとダイヤは意外そうな顔をした。
「どうしたの? 今までの君なら花園日向が死ぬって想像するだけでパニックになりそうな気もするけど、なにかあったの?」
そういえばそうだったっけ。なぜと問われた返答をボク自身も持ち合わせていない。まだ起こっていないことを想像するのは難しい。
「本当にそれだけ?」
「どういうこと?」
「気づいていないなら、まあいいや。
そうそう、悲しいね、そうらしいね。でも人って単純で、時間が経てば傷は癒えるんだよ。他に大切な人ができたりしてね。じゃあそれがずっと続くって考えたらどう? 自分以外が年老いて、自分以外が死んでいく。十や二十で収まりきらないそれこそ無限の数。傷は癒えるよ。癒えるけどさ、そのときそのときの悲しみの大きさは変わらないらしいんだよ。その悲しみを、これから何度も何度も何十も何百も繰り返すって思ったら、嫌になるんじゃない?」
ダイヤがなにを言いたいのかなんとなくわかってきた。
「それと似たような感覚だよ。ヒメサマに人を愛する心はないから見知りが死んだとしても悲しんだりはしないけど」
人を愛する心がない? でも、姉ちゃんは笹木野龍馬を愛していたようだった。あれは違うのかな。
「あれはただの人の真似事だね」
ダイヤは言う。
「ヒメサマってね、人を狂わせる才能があるんだ。ヒメサマに関わった魂は、全部全部狂っていく。中にはもちろん例外も含まれるけど。そういう魂をときにはヒメサマが消去することもある。でもヒメサマの狂信者たちはヒメサマに殺されることに至福を感じる。とても幸せそうに死ぬんだよ」
それを気持ち悪いと思う反面気持ちはわかると思う自分もいる。どうせ死ぬなら、姉ちゃんの手にかけられたい。どうしてと尋ねられたらこう答える。人生においてたったひとつの経験を姉ちゃんの手で行ってもらえるなんて、幸せ以上のなにものでもないじゃないか、と。
「ヒメサマはそれを見て不思議に思った。死を恐れる人間が多い中、どうして彼らは幸せそうに死ぬのかと。そして気付いたんだ、なにかを盲信している彼らだからこそ、死を恐れずに死ねるのだと。
ヒメサマは羨ましいと思ったんだ。それからふと愚かしいことを思いついた。溺れるようになにかに尽くすことができたとしたら、自分は救われるんじゃないかって。つまり、死ねるんじゃないかって」
ダイヤはけらけら楽しそうに笑う。
「おかしな話だよね。そんなわけないのに。ヒメサマとその他は根本から違う。ヒメサマはただの道具だからさ、道具に感情があるわけないじゃない。道具に感情が芽生えるわけないじゃない。それをヒメサマは理解してるはずなのにね。ヒメサマを変えたのはあいつだ」
それが誰かはボクにもわかる。
「ディフェイクセルム、リュウだかフェンリルだか知らないけど。
あいつだよ」
知ってる。ボクは頷いた。
26 >>334
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.334 )
- 日時: 2022/08/31 21:16
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 8GPKKkoN)
26
「感情を持たないヒメサマが唯一執着ができる者は種だけだった。種はヒメサマにとって特別な存在だった。道具という観点からしてもね。種が現れたということはヒメサマは支配者の権限を与えられたということだ。支配者である以上、種に執着せざるを得ない。ヒメサマはあいつになら溺れることができるんじゃないかって思ったんだ。そして人の真似事を、つまり依存の真似事を始めたんだね。本当は何とも思っちゃいないよ、あいつのことなんて。道具としてしか見てない」
そうか、そうだったんだ。姉ちゃんは笹木野龍馬を愛してなんていなかったんだ。姉ちゃんは誰のものでもなかった。
「それは違う。ヒメサマはオイラたちのものだよ。そして、オイラたちはヒメサマのものだ。オイラたちは元はヒメサマだったんだ。ヒメサマは自らの力そのものを使ってオイラたちを生み出した。オイラたちはヒメサマの一部、ヒメサマそのものだ。元々一つだったんだよ」
ダイヤは言いきった。
「もう一つの理由って?」
ダイヤはおもしろくなさそうに口を尖らせた。
「反応薄いなー。イロナシってば君のことびっくりさせすぎたんじゃない? 慣れちゃったんでしょ」
「まあね」
きっとそういうことなんだろう。行動でも言動でも、あいつには散々驚かされた。それに最近は驚くことばかりだ。
「いいから教えてよ」
「はいはーい」
ダイヤはあからさまなため息を一つ吐いてからボクの質問に答えた。
「もう一つの理由は種にある。ディフェイクセルムである種にね。ディフェイクセルムが他の神に、てか兄弟妹にいじめられてたのは知ってるよね? それでディフェイクセルムはヒメサマの元に逃げてきたんだよ。と言っても初めからヒメサマを頼ったわけじゃなくてかくかくしかじか色々あったみたいだけど」
口頭でかくかくしかじかって言われても伝わらないよ。そこって大事な部分じゃないのか。
「そう怒らないでよ。ややこしいんだよねこの辺は。詳しく話していたら時間かかるし、なによりオイラはあそこまでキミに伝えろって言われてないからさ」
なるほど、結局はダイヤも自分の役割を果たしているだけということか。そういう奴ばっかりだな。ジョーカーも学園長もダイヤも。違ったのは、スペードだ。全員同じスートのはずなのに、スペードだけはなにか違う。理由があるのかな、気になる。
「スペードのことが気に入ったんだね」
ダイヤはくすくす笑った。紅玉の瞳が楽の感情を映し出す。
「なに笑ってるんだ」
「別にー? 続き話すね。
助けを求められたヒメサマはそれに応えた。その時から依存の真似事を始めていたからね、あいつの願いをなんでも叶えてやろうとしたんだ」
願いを叶えるためにした行動が転生だったということか。とんでもない思考回路だな、常人じゃ思いつかないことだ。明らかにおかしい。
「でもそれがいいんだよねー」
ダイヤはうっとりと目を細めた。頬を赤らめたことでダイヤを覆う赤色が増えた。ダイヤも他のスートと同じくヒメサマの狂気の虜になっているのだ。
「おっ、いいねいいね、神化が進んでる。その調子だよ、がんばって!」
ボクはダイヤがなにを言ってるのかわからなくてキョトンとした。いまのどこでボクの神化が進んでいると判断したのだろうか。
「そんなことどうでもいいじゃん。
かなり噛み砕いたけどこんなもんかな。なにか聞きたいこととかある?」
聞きたいこと、うーん、どうしようかな、スペードのことも聞いてみたい。でも、なにを聞こう。
ボクがそうやって悩んでいるとダイヤがボクの手を握って走り出した。
「質問なんてないよねー。ね、遊びに行こうよ! 向こうでフェンリルが暴れてるんだ」
「えっ、ちょっと!」
ボクの話なんて聞く気がないんじゃないか。質問があるかどうか尋ねたのはそっちだろう。ボクはもやもやしたけどダイヤがボクの手を引く力はかなり強くて、転ばないようにダイヤの足に合わせるのが精一杯だった。
荒れて固くなってしまった大地を懸命に蹴る。かなり長い距離を走って、ボクはそれなりに体力がある方だと思っていたけれど息切れがした。走り出したときと全く同じ速度でダイヤが走り続けるからだ。その速度も速いしダイヤが全く疲れた表情をしていないことから、人間離れした運動能力を持っていることがわかる。これで手加減しているんだからなおさらだ。
走っている横で転がる死体はやはり様々な種族が入り混じっている。そして、やっぱりボクはそれを美しいと思うんだ。敵対していた種族が性別も年齢もわからなくなる体になって死を持って一つになる。これが世界が理想とする形なのではないか?
腐敗臭と混じって血の匂いも濃くなってきた。走るにつれて死体の数も増えていく。遠くで、フェンリルの体が見えた。灰色に染まった空の下、もともと空にあった蒼を吸収してしまったかのような澄み渡った青い毛皮。見間違えるはずのない脳裏に焼き付いたあの蒼が、あの怪物が、かつての笹木野龍馬であることを物語っている。
フェンリルの側には空中から現れた鎖がある。鎖は無差別に人を巻き付け、ときには突き、叩き潰す。そうやって人は命なき器に成り果てる。フェンリル自身も手足を真っ赤に染め上げて魂の抜けた肉体を貪る。あの巨体ではなかなか腹は膨れないだろう。腹を満たすために殺してるのかは知らないけど。
「あれ、もう疲れたの?」
息を切らしているボクを見てダイヤが立ち止まった。質問に答えようにも呼吸が邪魔してうまく喋れない。ボクのこの様子を見て判断してくれ。十分体現しているから。
「あの鎖、ずるいよねー。オイラも欲しいや」
いや、まずボクのことにそんなに興味がなかったみたい。フェンリルを見て呟いた。
「あの鎖がどうかしたの?」
呼吸を整えながら尋ねてみる。
「知らない? 笹木野龍馬も使っていた武器だよ。鉄製のものならなんにでも形を変えることができるんだ。剣とか鉄球とか」
そんな武器があるのか。確かに姿を変える武器は、あることはあるけどそれは大抵の場合二通りだ。なんにでもということは有り得ない。まあ、これは神の武器だと言われたら納得できる。驚くに値しない。
「他の神でもなかなか持ってないよ、あれは。いいなあ、いいなあ、触ってみたいなあ。ヒメサマは武器を使わないから珍しい武器に出会える機会ってあんまりないし」
「えっ、でも姉ちゃんは短剣を使ってたよ?」
ボクが言うと、ダイヤはじろっとボクを睨んだ。
「だから、それは花園日向だって。花園日向とヒメサマは違うって言ったでしょ」
肉体が違うだけじゃないのか、使ってるのは同じ人物じゃないのか。
「全然違うよ。性格も違うし持ってる力だって違う。狂気も静かだしさ」
ダイヤはすぐに怒気をおさめた。改めてフェンリルに目を向け、ボクの手を握ってやや興奮したように駆け出す。
「もっと近くで見てみよう!」
「わああっ!」
ダイヤの足に懸命についていく。フェンリルとの距離がぐんぐん縮まっていくのを体感して背筋がゾクッとした。言いようのない不安に襲われる。でも不思議と死の予感はしなかった。
突然のことだった。
フェンリルが消えた。空を覆い尽くすばかりのあの巨体が消え、代わりに目の前に、人型の『なにか』がいた。体格からして男性だ。洋風の貴族らしい、けれど華やかさはあまりない返り血がベッタリついた青と黒の洋服。かなり大柄で、ボクはおろか姉ちゃんの身長も越すのではないだろうか。
顔は見えない。子供が黒のクレヨンで落書きしたようにぐちゃぐちゃに塗りつぶされている。とは言っても顔に直接塗られているわけではなく、落書きは空間にまで及んでいる。それに、ずっとぐにゃぐにゃと変形している。落書きだと思える範囲で、動き続けている。気味が悪い。気持ちが悪い。
男はなにも話さない。
落書きが裂けた。大きな満月が三つ現れ、次第に欠けた。向きのおかしな三日月が、笑っている。位置のバランスからしてそれらは二つの目と口を表すのだろうと分かるが、男の体格から推測されるそれらのパーツからは明らかにズレている。落書きが、笑っている。
「……」
なにかが聞こえた。それがなんなのかはわからない。『なにか』だった。
「……α……πώ」
ボクは後ずさった。命の危険ではないが身の危険を感じる。逃げた方がいい。いや、逃げなければいけない。どこに? どこにも逃げられない気がする。それでもいい。とにかく遠くへ逃げるんだ。なのに足が動かない。
地面に足が縫いつけられたみたいだ。
「χlχlooτοσάςάdτοσρsorsηdοrρτάηalaςlooηρoaσχsςlo……」
落書きが蔦みたいにしゅるしゅる伸びて、男が発した言葉が文字になって空中に現れた。初めは文章のように綺麗に並べられていた文字が、書く余白がなくなったために先にそこに書かれていた文字の上に重なっていく、そしてどんどんどんどん白い部分がなくなって、やがて空は文字の黒で覆い尽くされた。
「τlsσρoοlrάsσrρσoητaoοηάaχτoρςlχsάdalςηςoχlοood……」
それでも男は言葉を出すのをやめない。横に収まりきらなくなった文字は上へ下へ、前へ後ろへ現れる。空だけでなく、空間そのものが文字に支配されつつある。
逃げられずにいたたった数秒でボクの視界は真っ黒になった、真っ黒になった世界の中で三つだけ白く浮かび上がる三日月。瞬きをするたびに三日月がだんだん大きくなる。いや、違う。
ボクに近づいているんだ。
三つの三日月がボクの視界に収まりきらない程に近づいた。三日月を顔のパーツと見たときに口に当たるそれが、まるでボクを食べようとしているかのようにふくらんだ。
27 >>335
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.335 )
- 日時: 2022/09/01 06:56
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /JJVWoad)
27
「朝日っ!!!」
遠くでくぐもった女の声がした。と思ったら、いきなり体を突き飛ばされた。動かなかった足が外からの力によって無理矢理動かされ、ボクはその場から逃げることができた。真っ黒だった視界には再び色が差し、恐怖心も幾分か和らいでいる。
「朝日、大丈夫?!」
ボクをあの場から逃がしてくれたのは、この目の前にいるゼノイダ=パルファノエらしい。息は荒く、目は見開かれている。焦りの感情が肌で感じられるほど剥き出しになっていた。
「なんであんなところに!? さっきまでわたしと一緒に、馬車に乗っていたはずなのに、どうして!」
どうしてという言葉に疑問の音はついていない。ならば、質問ではないので答える必要もないだろう。
「ゼノイダ=パルファノエ、ありがとう、大丈夫だよ」
ボクの呼び方に不信感を覚えたゼノイダ=パルファノエは一瞬顔を曇らせたが、すぐにほっとしたように息を吐いた。自分の呼び方よりも、ボクの安否の方が気になるようだ。
「よかっ」
た。そんな些細な音さえ発することは許されなかった。男はもう一度声を上げる。
「mleusamauaammlaalaoxumeasmumsmaelmexoemxelluaaouellslaueaueuaataasaoaosmtomtsaelmxaeseuaulatlaluatammaaxemsumameemesemsslexuaettsmemsetusmlxsmeexauoleao」
再び空間に文字が現れた。しかしそれは空間を覆い尽くすには至らなかった。それを止めた者がいた。真っ黒な文字たちがボクたちの後ろから飛んできた光の玉に吹き飛ばされて散り散りになる。
「haatinhatthaanhaihaatnthhhtnaaanainhntitnaaniaahhannhhtnataatiihntahantanihaiaiaiahiiithanhtnaaahatnainattaaainiaiiitatahinata」
空が黒くなる度に光が黒を溶かしていく。黒と白が溶け合って、空は灰色になっていた。まだ雨は降りそうにない、曇り空。
ボクは後ろを見た。なんとなく光の玉の主には心当たりがあった。あいつか、あいつ、どっちだろう。
その人物は離れた場所にいた。ボクたちがいまいる砂浜は傾斜になっていてその人物は上の方にいる。そういえばボクはいつの間にか西の海岸へ来ていたみたいだ。ダイヤはどこに行ったんだろう。百歩譲ってそれはいいとして、種がなぜここにいるんだ? さっきまでボクがいた場所はここではなかった。断言できる。自信がある。ボクと種が同時に飛ばされたというのか?
「花園先輩」
ゼノイダ=パルファノエが呟いた。希望を込めた声だった。種と対峙して恐怖に染まっていたゼノイダ=パルファノエの目に光が宿った。
「朝日逃げよう、ここにいると危険だよ!」
ゼノイダ=パルファノエはボクの右手を引いた。ボクはゼノイダ=パルファノエの力に逆らって、その場に居続けた。本来ならばここでゼノイダ=パルファノエはボクが動かないことに疑問を覚えて不思議そうにボクを見るところだろう、しかしそうはならなかった。ゼノイダ=パルファノエはボクが動かないことに気づかなかった。ボクの右腕が伸びたからだ。ボクの右肩からズルズルと液状の黒い右腕が伸びていく。違和感なく。
遠くなっていくゼノイダ=パルファノエの背中をぼーっと見ていると、ゼノイダ=パルファノエは振り向いてボクに声をかけた。
「少しでも遠くに行かなくちゃ。朝日大丈夫?」
そう言いながら振り向くと、ゼノイダ=パルファノエは異形と化したボクを見ることになった。ゼノイダ=パルファノエは遠くにいるから声は聞こえなかったけど、ヒッと小さく悲鳴をあげる口の動きが見えた。思わずといった表情で、ゼノイダ=パルファノエはボクの右手を離す。そこで悟った。ゼノイダ=パルファノエはボクを怖がっている、受け入れてはくれないんだろうな。既にボクはゼノイダ=パルファノエのことはどうでもよくなっていた。なので、視線を姉ちゃんにずらす。
姉ちゃんは無詠唱で、しかも魔法を発動する動作もなしに光の玉を投げていた。右手を掲げたり、手のひらを種に向けたりすることもなく。次々に光の玉が姉ちゃんの体の周りに浮き上がり、数秒後、打ち出されて種の文字を溶かす。
「綺麗だなぁ」
無意識のうちにそう言ったあとに自分が言葉を発したことに気づいた。
「ΔουγιηίμραmrseγορrmτΚμaaτsseaηmΔeυsesαrσmssρήesersttίastsαetιseοφαΚροιγσφαίυαήοΔτρμτηαΚαίοφeττetήμsmΔsοσυαaρφήγρΚυομαιοηsίρατηρΔrτιασγαΚeφrρααοΔυσμτtργηeίsssτmaήοιαΚφμΔιtaρορίστυγsηsαήοeeαmτsrαΚΔριμτργτίηοααφυοήσαΚφτροαατσή」
種が文字を生み出す速度が上がった。それに合わせて光の玉が飛んで来る間隔も短くなる。あの光景をボクはぼんやりと眺める。いつまでも見ていられると本気で思った。絵画のようだと思った。
美しい。
心を奪われるとはこのことだ。ボクはこのとき傍観者だった。
「あれ、なんでここにあいつがいるの?」
緊張感のかけらのない、まるで世間話でもしているかのような口調で疑問を示す者がいた。その声はボクの近くで聞こえた。彼女は潮風で乱れた灰がかった桃色の髪を煩わしそうに耳にかけた。感情がほとんど失われた銀灰色の瞳で、種を睨みつける。
「まあいいや、好都合。ワタシ、気づいちゃったんだよね」
スナタはニヤリと笑って口元に歪な弧を描いた。幼い子供が悪巧みを思いついたような笑みだった。
「ねー、なんだと思う?」
スナタはボクに問いかけた。まさか声をかけられるとは思っていなくて、ボクは焦って首を横に振る。
「つまんないなぁ、ちょっとは考えてよ」
口を尖らせてそう言うも、すぐにスナタは模範解答を口にした。
「邪魔なやつは消しちゃえばいいんだよね」
そう言ってスナタが種に近づく。なにも持たずに、その身一つで。光の玉は止んでいた。
「άχάςηάςηοοηάητχςχτηςάχρρσςσάοοτχάοοάτχρστχσηηςηάάροςχοτοσορχορχςςάτσάράχτςτητρηροςσοηητάςησσχςάτορρσχστστςχορτσρροχςσχρσρστηάηης」
すかさず種は言葉を発する。落書きが文字を編んで空間を黒で埋めていく。光の玉の代わりに今度はスナタが文字を吹き飛ばした。ごうっと強い風が吹き荒れて文字は散っていった。これは魔法ではない。スナタは風の使い手であったが、いまの風は風魔法によるものではない。風が吹いたと錯覚しただけで風など吹いていない。スナタは種が生み出した文字に権力という力の塊をぶつけただけだ。スナタはゆっくりゆっくり歩いて、種に近づいていく。
「うわあ、気持ち悪、なにその顔」
スナタはしかめっ面で種の目の前に立った。
「じゃあさよなら」
スナタは右手を種に向けた。
種は抵抗の素振りを見せない。変わらずぶつぶつと言葉を発して、変わらず文字を生み出すだけだ。三日月は、スナタのことは見ていない。
「やめろぉぉおおおおおおおおおおおお!!!!!」
悲鳴に聞こえなくもない怒声が飛んできた。空からだ、空を見上げると隕石が降ってきていた。巨大な岩が炎をまとって降ってくる。合計で三つかな。中でも一番大きな隕石がスナタを狙って落ちてきた。隕石の上に金色の青年が立っている。
「もおおっ! しつこいなああああ!!!」
スナタは左手を動かして両手で隕石をとめた。実際に触れて止めたのではなくこちらも権力を行使した結果だが。
隕石の一つは海に穴を開け、一つは地面を抉りとった。岩石に炎を纏わせた偽物の隕石なので本物の隕石よりは威力は弱い。ちょうど姉ちゃんが立っていた辺りに隕石が落ちる。姉ちゃんは隕石が直撃する前に転移魔法でボクのすぐ側にやってきた。
「こっちにおいで」
姉ちゃんはボクの左手を握って歩き出した。連れられてきたのはゼノイダ=パルファノエのもと。言い表しがたい表情でボクを見るゼノイダ=パルファノエを、ボクは不思議そうに眺めた。
「朝日」
ゼノイダ=パルファノエは明確な恐怖をボクに向けた。やっぱりこうなるのか。ボクはがっかりしたよ、ゼノイダ=パルファノエもみんなと一緒なんだ。傷はつかない。期待なんてしていなかったから。
「これ、なに?」
ゼノイダ=パルファノエは握りしめていたボクの右手だったものを見て言った。手を離していなかったのか。気持ち悪くないの? そんなわけないよね、じゃあどうして?
「ボクの右手だよ」
ボクはきょとんとした顔でゼノイダ=パルファノエに言った。しかしその回答をゼノイダ=パルファノエは気に入らなかったらしく困ったように眉を八の字型に寄せた。
「ねえ、朝日、朝日になにがあったの?! 教えてよ、ねぇ!」
「いいよ」
ボクは笑った。教えるって言ったもんね。約束は守るよ。友達もどきには媚びを売るのがボクの生き方だ。
「えっとねー、まず真白を殺したのはボクだよ。それから精霊も殺したんだ。厳密には殺したんじゃなくて、悪霊にしたんだけど。あとはじいちゃんとばあちゃんを殺したよ」
ゼノイダ=パルファノエは目を見開いて、目の中に水が溜まっていった。それが一粒溢れただけでゼノイダ=パルファノエは両手で顔を覆う。一秒後、ゼノイダ=パルファノエは声を上げて泣いた。
「だからね、ボクは神になるらしいんだ」
姉ちゃんがぎゅっと左手を握った。
「朝日、それは違う」
「違わないよ」
姉ちゃんの否定の言葉を否定した。
「違う。朝日は神にはならない。私がそうさせない。朝日だけは守りたい、だから」
もう遅いよ。
ボクは姉ちゃんににっこりと笑ってみせた。
「神になるのはボクの意思だよ」
姉ちゃんの手を優しく解いて自分の胸に手を当てた。
「ボクは神になりたい。別に力が欲しいわけじゃないよ、そういうのじゃない。なんでだろうね、漠然とそう思うんだ」
「だめ」
「そう言われてもなぁ」
ボクは苦笑した。それでボクは姉ちゃんに抱きつく。
「姉ちゃん」
ボクはもうじき神になる、完全に人間ではなくなる。つまりそれは、花園朝日であるボクが死ぬということだ。ボクがボクであるうちに、ボクが姉ちゃんの弟であるうちに、姉ちゃんにはボクの思いを伝えたい。
「ボク、姉ちゃんのこと」
何度も何度も言ったけど、足りない足りない、ちゃんと言うんだ好きだって。大好きだよ、姉ちゃん。
「大き──」
……いま、ボクはなんて言おうとした? 大好きじゃない。ボクはいま、なにを。
嗚呼、そうだ。ボクは姉ちゃんのことが好きじゃない。好きなふりをしていたんだ。姉ちゃんのことを好きで居続けなきゃ、ボクはボクでなくなる気がした。狂ってしまいそうだった。心の支えがなくなることは怖い。
心の支え、それは姉ちゃんの存在自体を指すのではなく姉ちゃんを好きだというボクの感情だった。それに気づいていながらもボクはそれを意識的に無視していたんだ。
『だってボクは』
『だって俺は』
『好きなんて』
『嫌いなんて』
『……愛なんて』
『「……わからない」』
ボクはもう一度口を開いた。
「だいっっっきらい」
姉ちゃんから体を離す、姉ちゃんは相変わらず光のない虚無を宿す瞳をボクに向けていた。この瞳も白眼も嫌いだ。なにもかもが嫌いだ。
突然その虚無の瞳が感情を宿した。驚愕に目が染まり、姉ちゃんはボクに手を伸ばした。
「朝日っ!!!」
ボクは後ろを見た、姉ちゃんがボクの後ろを見ていたから。背中の方に伸びていたボクの影が地面から離れて立っていた。
影はボクを飲み込んだ。
28 >>336
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書きをお読みください】 ( No.336 )
- 日時: 2022/08/31 21:09
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 8GPKKkoN)
28
「これが、一時的に預かっていた君の記憶の全てだ」
影は言った。ぐにゅぐにゅと形を変えて、笑った顔のように見える。
「君はよく働いてくれた。予想通りだ。褒美として、君が望むものを与えよう」
ぐにゅぐにゅ、影は立体となってこちらへ伸びた。
「君に名前を与えよう」
かげは輝いた。ゆっくりと底から這い上がってくるような声に侵され、ボクは静かに目を閉じた。
「〈ラプラス〉。君に与える力は【万里眼】。過去、現在、未来を見通す眼だ。そしてもう一つ。霊道の〈案内人〉の役を与えよう。霊道の中は自由に動き回ってもらっていい」
ボクは目を開いた。そのときには影もかげも消えていて、女が二人いた。
「ハ、ハハ……」
花園日向の口から、渇いた息がこぼれた。それはいわゆる笑い声であり嘲笑であり自嘲の笑みだろうが、なんとなく、嗚咽にも聞こえた。
「アハハハハハハハハハハハハハッッッ!!!!!!」
花園日向は天を仰いだ。何重にも木霊するその声は彼女のものであり彼女のものではなかった。彼女は既に彼女ではなくなっていた。いや、既に、ではない。たったいまこの瞬間に『戻った』のだ。どうやら彼女の弟の実質的な死が糸を切ってしまったらしい。彼女の目の前には花園朝日であった器があった。二人の女は、それで花園朝日が死んだことを悟ったのだ。器は十秒ほど経ってから消滅した。
ゼノイダ=パルファノエは困惑した。涙で濡らしていた目元を拭い、花園日向だった少女に控えめに問う。
「どうして、笑っているんですか? 悲しくは、ないんですか?」
少女はくるりとゼノイダ=パルファノエを見る。笑ったその顔に空いた二つの穴からは、透明な液体が流れ出ていた。
「悲しい? なにそれ?」
少女は楽しげにくすくすと泣く。わかりやすい悲哀の笑顔を浮かべながら、虚無に染まっていた瞳に光が宿り始めた。
「知らない知らない。そんなの知らない。知れない知りたい知れない私はそんなの知れない。わタシの罪はわタしの罰はどうしてどうしてワタ私のせいで朝日は死んだ死んだのかな気配はするのだけどそれは朝日じゃないわからないわからないどうしてわからないのワタシは全てを知っているはずなのにわからない許されていない」
少女はにっこりと怒りをあらわにした。その矛先は誰に向いているのだろうか。
「抱く必要がない。ワタシのせいで壊れた者は腐るほどいる。抱く権利がない。ワタシは全ての罪が許される。ワタシは全ての罪が許されない。罪を抱くという行為が許されない。贖罪という行為が許されたい。罪悪感も背徳感も、ワタシは知れない知りたい知りたい」
操り人形のようにかくんと体を傾けて、少女はゼノイダ=パルファノエに詰め寄った。
「わかる? わからない? どうでもいい。悲しいも嬉しいも楽しいも怒りも哀れみも、ワタシはなにもわからない。それが許されていない」
誰よりも美しい光をたたえる金髪に、幼い子供のように無垢な青眼。虚無であった両の眼には色が差し、付き従う精霊はもういない。
「苦痛も悩みもなにもかも、ワタシは全てを奪われた。いや、元から持っていなかった。そしていま、奪われた」
頬を伝う渇いた涙はそのままに、少女は叫ぶ。
「この馬鹿馬鹿しい世界にも、救いがあると思っていた! アハハハッ、それこそ馬鹿みたい!! あるわけないあるわけない! この世界は馬鹿馬鹿しい!!! 同じことの繰り返し、同じ過去の繰り返し、同じ未来の繰り返し!! それに従うワタシも馬鹿馬鹿しい!!!! アハハハハハハハハッッ!!!!!!!」
少女は肩で息をした。最後に大きく深呼吸をして。
『こちら』を見た。
「自己紹介をしておきましょうか」
余裕に満ち溢れた笑みを浮かべる彼女。
「初めまして、神々諸君。ワタシは支配者。名を剥奪された種子の一人だ。聞きたいことは山ほどあるだろう。しかしワタシからはそれを告げられない。その役割をワタシは担っていない」
ゼノイダ=パルファノエの『恐怖』の二文字が刻まれた黒い瞳は少女を凝視している。しかしその文字は『驚愕』に変わった。彼女の瞳に映る少女が突然姿を変えたのだ。なにも異形になったわけではない。ただ成長しただけだ。元々高身長であった少女は背丈はあまり変わっていない。ただし体つきが明らかに女性のものに変わった。微かに残っていた少女の面影は完全に消滅し、ガラス細工のように華奢であった体には付くべき場所に肉が付いた。言ってしまえばそれだけの変化で、それらは大きな変化だった。
「おねえちゃん!!」
重たい空気に突如、明るい声が響き渡った。幼い子供が母親を見つけたときに出すような純新無垢な喜びの声。その声の主はスナタ──名無しだった。
「おかえり、おねえちゃん! 戻って来てくれたんだね!」
弾んだ声に満面の笑み。平凡な彼女の見た目の唯一の特徴とも言える銀灰色の瞳からは光が無くなっていた。その瞳の奥に宿るどす黒い独占欲が、スナタもまた、なにか別の存在に変わってしまったことを告げている。しかし彼女には呼ぶべき名はない。肉体に付属するスナタという名しか。
支配者はスナタを見た。
「なにを勘違いしているの? ワタシはお前のものではない」
「うん、わかってるよ。お姉ちゃんは誰のものでもない。むしろワタシがお姉ちゃんのものなんだ!」
スナタはうっとりと目を細める。頬をとろけさせて狂気すら感じる眼差しを彼女に向ける。彼女に陶酔しているようで、彼女に酔いしれている自分自身に酔っているようにも見えた。
スナタは支配者の狂信者だ。スナタは本来この世界が創られる前に種子が滞在していた世界の住人であった。二人は姉妹として生を受け、共に育ち、無限の時間を過ごした。あの世界の住民に『寿命』という概念は存在しなかった。スナタにとって種子は、退屈な悠久の中の唯一の光であった。スナタは生まれついての種子の狂信者だったのだ。
種子は種のいない世界に用はない。世界を一通り見て回ったあと、そこが種がいない世界だとわかるとすぐに創世の準備を整えた。当時の彼女にはまだ自らの宿命を疑う心はなかった。
異世界転生。支配者はそれをひたすらに繰り返して種を探し求めてきた。種子はなんの疑問も抱くことなく無感情に、そして機械的にそのときも異世界転生をしようとした。
しかし。
『ワタシも連れて行って!』
目ざとく種子の行動を付け回し把握していたスナタは彼女にそう言った。姉であった種子以外に親しいものがおらず、他者と友好関係を築くなど頭の片隅にすらその考えがないスナタにとって姉を失うことは実質的な『死』であった。
神は気まぐれだ。そのときの彼女もそうだった。彼女の正体に気づき彼女の行動を予測する者はそのときまでにも何度も何度も存在した。しかしそれに同行したいなどと言い出す者はいなかった。種子はただ『面白い』とだけ思い、たったそれだけの理由でスナタを異世界転生させた。種子である彼女にとっては造作もないことだ。一人であろうが百人であろうが一億人であろうが、彼女が指先一つ動かす数秒で運命はねじ曲げられる。ときによってはねじ切られることもある。スナタもまた、犠牲者であった。
「日向!!!」
スナタが支配者と二人だけの空気を作りあげた気になっていると、ふとそう叫ぶ青年がいた。鬱陶しそうにスナタはそちらに目をやる。
「なによ、蘭。ワタシとおねえちゃんの邪魔をするつもり?」
「邪魔とかじゃない!」
彼は姿の変わったかつての花園日向を見て、絶望の表情を浮かべた。崩れ落ちそうになるひざを懸命に支え、奥歯を強く噛んで言葉を絞り出す。
「遅かったか……」
とにかく悔しそうな顔をする彼。彼もまた、スナタとは違った意味で特殊だった。ディフェイクセルムと同様に、支配者によって神から人間に堕とされた存在。こちらも自らそれを望んだ。彼はかつてのヘリアンダー。ディミルフィアとして転生した支配者の弟だった。そして彼は再び神に堕ちていた。
支配者は唯一無二の存在だ。彼女は彼女の意志に関係なく精神を歪めてしまうほどに心酔する信者を生み出してしまう。スナタもスートも種も花園朝日もそうだった。しかしヘリアンダーは違った。彼は精神を侵されてはいない。彼はただ弟として、姉であるディミルフィアを救いたいと思っていた。それは純粋な家族愛から起こる感情であり、時空の頂点に君臨する支配者への畏敬の念であり、己の宿命に抗おうとして苦しむ女への慈悲でもあった。
「日向! 戻れ! 頼む、頼むから日向に戻ってくれっ!! じゃなきゃ、じゃなきゃ」
必死に訴えるヘリアンダーの声を支配者は確かに受け取った。その上で彼女は彼を鼻で笑う。
「何故?」
とっくに手遅れであることはヘリアンダーも理解している。それでも諦めるという選択肢を無視して彼女に訴え続ける。
「全部が振り出しに戻るからだよ!!! このままじゃ日向は本当に支配者に戻ってしまう! これまでの記憶もなくして帰って来れなくなる! あと少しだから! あと少しだけ耐えてくれ! 頼む!!!!」
支配者の思考の変化は世界にとって、そして時間にとって想定外のことだった。自分の宿命に疑問を抱くなど他の種子はしなかった。無条件に宿命を受けいれるか、もしくは宿命に伴う種子だけの特権に傾倒する。彼女は数えることもできない無限の世界と時間を越えたあるとき、ふとこう思った。『自分はなにをしているんだろう』、と。この異変はバグと呼んでもいいだろう。ひとたび生じたバグは猛烈な勢いで支配者を侵食した。自分がなんのために生きているのか、自分のすることになんの意味があるのか、この宿命を背負うのがどうして自分でなければならなかったのか。彼女はなにもわからなかった。そして、答えを求めてしまった。答えという名の、救いを。そんなものがあるわけないと知りながら、彼女は種と出会った。出会ってしまったとでも言おうか。種は彼女にとっての救いそのものであった。彼女を彼女の宿命から解放する鍵となる彼。
「リュウさえ、戻ってきたら……」
支配者は無情に呟いた。
「リュウって誰だっけ」
29 >>337
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書きをお読みください】 ( No.337 )
- 日時: 2022/08/31 21:11
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 8GPKKkoN)
29
ヘリアンダーは今度こそ膝から崩れ落ちた。
「まさか、もう」
記憶の崩壊が始まっている。支配者は花園日向としての記憶をなくしている。いや、花園日向としてだけではない。支配者でなくなっていたときの記憶の全てが失われつつある。それを知って絶望したのだ。
「まだだ、まだ諦めない」
ヘリアンダーは自分自身に決意を示した。重い足を立たせる。支配者に背を向けて種を見る。種は一度言葉を止めてただそこにいた。ヘリアンダーにとって最後の希望は種だった。種──リュウだけが支配者を救えると信じていた。
「そろそろ諦めた方がいいんじゃない?」
スナタが問いかけ、種に向かって権力をぶつけた。粗雑な力の塊をもろに受け、種の体が吹き飛ぶ。
意地悪く笑うスナタをヘリアンダーは睨んだ。
「本当におれの邪魔をするんだな?」
スナタは一瞬だけ頭に疑問符を浮かべたがそれを顔に出すことはなかった。歪んだ笑みを顔に貼り付けて、ヘリアンダーを嘲る。
「ええ、もちろん。あいつを解放させるわけにはいかないから」
支配者の本当の願いを叶えるためには種が必要であることはスナタも理解していた。しかしそれを許容するわけにはいかなかった。支配者の本当の願いを叶えることになればその未来にスナタはいない。それをわかっていたからだ。
「わかった」
ヘリアンダーの姿が黒く染まった。髪も瞳も服も全て。黒手袋に黒いブーツ。肌以外の全てがさまざまな色を組み合わせ作られた不純な黒に覆われる。両手には巨大な鎌が握られていた。
「じゃあ、まずはお前を倒す」
ヘリアンダーはスナタをも救おうとしていた。それが不可能だと知っていながら、できる限りのことをしようとした。ヘリアンダーがスナタと行動を共にすることが多かったのはそういう理由があったのだ。しかし、あくまでヘリアンダーにとって一番に優先すべきは支配者だ。支配者の救済の邪魔をすると言うのなら、ヘリアンダーは誰にだって刃を向ける覚悟があった。
「物覚えが悪いなぁ。敵わないって言ってるのに。せっかく教えてあげてるのにさ」
支配者は二人のやり取りを退屈そうに見ていた。退屈で退屈で仕方がない。この光景はすでに何度も見てきたものだ。支配者を狂信する者、支配者を憐れむ者。この二つが衝突することは稀ではあるが皆無ではない。初めの数回は彼女も双方の衝突を面白がって見ていたが、数十回にもなるとこの後の展開も見えてくる。支配者はつまらないと判断すると無言でこの場から去っていった。
「あっ、お姉ちゃん!」
スナタは寂しそうに言う。支配者はスナタを無視した。支配者にとってスナタはただのおもちゃだ。不要になれば捨てるだけ。スナタは捨てられたことにまだ気づいていない。
「あとで絶対追いかけるからね!!」
そう叫んでヘリアンダーを見た。負けることがないのはわかっている、さっさと目の前の身の程知らずを潰して、早く姉の元へ行こう、そんな思いが透けて見える。
ヘリアンダーは鎌を構えた。負けることが確定しているこの戦いを彼はまだ諦めていない。なにが彼を立ち上がらせるのか、彼の闘志の燃料はなんなのか。それは誰にも知り得ない。
スナタとヘリアンダーとの間には距離がある。しかしヘリアンダーは鎌を大きく振った。ぶんっと風を切る音がして斬撃が飛んだ。スナタは面倒くさそうに空を掴んだ。そして、そのまま空気を払うような仕草をする。
斬撃の方向が変わった。大きな弧を描いて斬撃はヘリアンダーのもとに戻ってきた。ヘリアンダーはこのままだと自分の体がまっぷたつになることが容易に想像できたので慌てて避けようとした。しかし体が動かない。瞬時に理解した。スナタの仕業だ。そんなことがわかったところで体が動くようになるわけでもなく。
斬撃はヘリアンダーの体に深く食い込んだ。骨が完全に断ち切られることはなかったが、幸いにもとは言い難い。ヘリアンダーの体に流れる血液のほとんどが弾け飛んだ。ヘリアンダーから一瞬意識が遠のいて、二、三歩足が下がる。
「痛いのって辛いよ? 大人しくしたら? 神だから死ぬこともできないだろうし。なんでそんなに頑張るの?」
スナタは全く理解できないとばかりに肩をすくめた。たまにチラチラと支配者が飛んでいった方角を見ていることから、あまりヘリアンダーとの戦闘に集中していないことが分かる。
痛いより熱く、熱いより痛い傷口の感覚に必死に耐えるヘリアンダーはスナタの問いに答える気力など残っていなかった。ヒューヒューとかろうじて息をするだけで立っていることもままならない。気力だけでスナタを睨むことが精一杯だ。スナタは鼻で彼を嗤う。
「お姉ちゃんやそいつを救いたいって言うけど、そうして蘭になんの意味があるの? お姉ちゃんに溺れることもできずに可哀想。そんなに中途半端だからなにもできないんだよ」
スナタの言う通り、ヘリアンダーは中途半端な存在だ。神であるが太刀打ちできない存在は多く、神として人々の願いを叶えようと誓った過去もいまは忘れ、支配者を狂信することもなかった。それがヘリアンダーの強みでもあることをスナタは知らない。
スナタは権力がヘリアンダーの体に加わる範囲を点と呼べるほどに絞る。その一点に凄まじいほどの力を加えた。一瞬の静寂のあと、ヘリアンダーの体に無数の穴が開いた、大きく裂けた腹の肉がさらに切れる。
「はっ……はっ……」
ヘリアンダーは肩で息をした。息を吸うたび吐くたびに傷口が塞がっていく。神が持つ圧倒的な再生能力だ。スナタは鬱陶しいと言いたげに顔をしかめた。
「それやだな」
スナタは不快の念を訴える。ヘリアンダーに再度攻撃を仕掛けようとスナタが両手に力を入れた、そのとき。
「srteldlolnaooa」
種が言葉を具現化させ、その文字を使ってヘリアンダーを縛り上げた。
「ちょ、ちょっと!」
種の力はスナタを凌ぐ。スナタも抵抗の手段はなく、腕ごと胴体を縛られた。
「ああああああもう! じゃまああ!!」
スナタの叫び声が響いた。
スナタは背中にズドンと衝撃が加わるのを感じた。不思議と痛みはなかった。なにかに背中を突かれた感触だけが脳に伝わった。なにが起こっているのかわからない。スナタが自分の背中を見ると、誰かの腕が背中に突き刺さっていた。
「え……」
腕を辿ってその人物の顔を見る。スナタは彼に見覚えがあった。ヘリアンダー同様、邪魔者とみなしていつか消してやろうと思っていた人物だ。
「小説から退場願います」
スペードはスナタに告げた。ゆっくりスナタの背中から腕を引き抜く。手にはぼんやりと光る小さな球体が握られていた。
「あ、やだ……」
その球体はスナタの魂だった。ヘリアンダーがどうしても手に入れられなかったそれをスペードは簡単に手に入れた。
「やだやだやだああ!! 絶対帰らない、絶対にいいい!!!!」
幼い子供が駄々をこねるように、スナタは両足をバタバタと振った。腕は種の文字で固定されているため動かないが、もし種の拘束がなければスナタは暴れ狂っていたことだろう。しかしもしそうなっていたとしてもその抵抗は意味をなさない。スペードは握っていた手を開いて魂を解放した。魂はふわりと浮き上がって飛んでいく。スナタの体ではなく天空へ、そしてスナタが元いた世界へ。
「やだ、助けて」
スナタが体がどんどん薄くなっていく。スナタと対面していたヘリアンダーの視界に、スナタの背後にいるスペードの体が徐々にはっきりと見えてくる。ヘリアンダーはその光景を呆然と見ているしかなかった。スナタは目に涙を浮かべてヘリアンダーに向かって叫ぶ。
「蘭助けて! ワタシ帰りたくない、もっとこの世界にいたいよ、ねえ!」
ヘリアンダーにはスナタをこの世界から消し去る覚悟があった。しかし不覚にも、ヘリアンダーは悲痛な叫びを訴えるスナタに手を伸ばしそうになった。ヘリアンダーも種に拘束されているため手は動かない。
「やだああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
スナタの叫び声はだんだん小さくなった。そしてスナタの体は光に包まれ霧散する。
「次は種ですね」
スペードがヘリアンダーを繋いでいる文字の鎖に手をおいた。すると文字は腐って崩れ落ちた。ヘリアンダーは解放された。
「いままでありがとうございました。あともう少しです。頑張りましょう」
スートたちは他の神々と連携を取ることはなかったが、スペードとヘリアンダーは協力関係にあった。と言ってもヘリアンダーはあまり自分が役に立っていないと思っているが。
支配者を救おうとしている存在はとても少ない。スペードにとってヘリアンダーは頼もしい協力者なのだが、ヘリアンダーにはその自覚がない。
「はい、わかりました」
ヘリアンダーは力を切り替えた。死神から太陽神へ。ヘリアンダーの姿が金に包まれていく。
スナタとの戦闘は属性が関係しない、と言うよりも関係できないただの力と力のぶつかり合いだった。しかしそれはスナタが異世界人だからだ。存在価値に圧倒的な差はあれど、ヘリアンダーと種は生まれた世界は同じだ。種の闇の対抗手段である光をヘリアンダーは自らに宿した。金色の大きな翼を背負い、灰色の大空へ駆けて行く。
「頼む、戻ってきてくれ」
ヘリアンダーは必死に願いを世界に訴える。種を見て、叫んだ。
「リュウ!」
30 >>338
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書きをお読みください】 ( No.338 )
- 日時: 2022/09/28 15:27
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: HSAwT2Pg)
30
ゼノイダ=パルファノエは放心して自らの左手を見た。そこにあるのは片方だけの白手袋。花園朝日が身につけていたものは服含め全てが消えてしまったが、消えるそのときまでゼノイダ=パルファノエが握っていたこの白手袋だけは、彼女の手に残り続けたのだ。
ゼノイダ=パルファノエは自分の目の前で起こった光景が、そして起こっている光景が信じられなかった。自分はどこか元いた世界とは別の世界へ入り込んでしまったんじゃないか、そんな思いにさえ駆られる。それが普通の感性だ。唯一の友人が異形に成り果て消えてしまい、目の前では、神々の争いが繰り広げられている。
「これ、夢だ」
ゼノイダ=パルファノエは呟く。自分を守るために脳が導き出した設定にすがりつき、それを言葉にして意識に擦りこもうとする。
「そうだよ夢だよそうに決まってる早く目覚めなきゃ。目覚めて、そうだ、わたしは明日、朝日をいつもしている散歩に誘うつもりだったんだ。きっと楽しい一日になるはずだって思いながら寝たんだよ。だから、早く目を、覚ましてよ!!」
白い閃光、黒い爆発。他の色を置き去りにして強大な二つの色が空間を制する。遠くで戦う三人の神から目をそらし瞼を閉じる。それでも一向に目は覚めない。痺れを切らしたゼノイダ=パルファノエは思いっきり頬をつねった。古典的な方法だ。
「痛い!」
ゼノイダ=パルファノエは自分が思っていたよりも強い力で頬をつねってしまったらしい。血のついた右手を見て涙が溢れた。涙の理由は頬の痛みだけではない。
「夢じゃ、ない」
乾いた涙の跡に新しい涙が伝う。
「じゃあ、朝日は本当に死んじゃったの?」
その問いに答える人物はもういない。
「そんな、わたし、これからどうやって生きていけば」
ゼノイダ=パルファノエは孤独だった。少なくとも彼女自身ではそう感じていた。〈呪われた民〉である姉を持つゼノイダ=パルファノエはそれだけの理由でも孤立していたし、そもそもの性格が内気なため他人と関係を築くのがとことん苦手だった。ゼノイダ=パルファノエのバケガクの在籍日数は他の生徒と比べてもかなり長い方だが、その長い学園生活の中でできた友人は花園朝日ただ一人であった。花園日向の弟である花園朝日に興味を持ち、話しかけたのがきっかけだった。いつのまにか親しくなり、友人となり、ゼノイダ=パルファノエにとって花園朝日はかけがえのない存在となっていた。勉強も運動も彼女は苦手で、ただ時間を消費するだけだった学園生活が、花園朝日という存在がいるだけで華やかになった。依存と呼べるほどではないが、ゼノイダ=パルファノエは花園朝日を心のよりどころとしていた。生きる理由といえば大袈裟になるが、それに近しい存在だった。
「朝日、帰ってきて」
嗚咽交じりのその声は、伝えたい相手である花園朝日どころか足元の虫けらにすら届かなかった。しかし届いた者もいた。白と黒だけだったゼノイダ=パルファノエの視界に赤が侵入した。
「花園朝日が欲しい?」
ゼノイダ=パルファノエは目を見開いた。無理もない。突然現れたその人物はゼノイダ=パルファノエがついさっきまで求めていた花園朝日と姿が酷似している。
ダイヤは無邪気な笑顔でゼノイダ=パルファノエに話しかけた。
「ねえ、どうなの?」
しかし、ゼノイダ=パルファノエはダイヤの問いに答えなかった。流れていた涙の量をさらに増やし、かがみ込んでしまった。
「朝日、朝日、もうどこにも行かないで」
ダイヤはげんなりして面倒くさそうな声を出した
「似てるだけでオイラは花園朝日じゃないよ。オイラはダイヤ」
ゼノイダ=パルファノエは屈んだ体勢のままダイヤを見上げた。
「なにびっくりしてるのさ、ちょっと考えたらわかるでしょ。オイラの髪とか瞳とか見てみなよ。それにかなり似てるけどところどころ違うところだってあるよ」
ゼノイダ=パルファノエはダイヤの言葉に納得し、再度絶望した。もう二度と花園朝日に会えないことを再認識させられたような気がしたのだ。だが、ダイヤはそんなゼノイダ=パルファノエの思考を否定した。
「オイラの話聞いてた? 花園朝日が欲しいかどうか聞いてるんだけど?」
「それを聞いて、どうするんですか?」
ダイヤはにやっと笑った。
「オイラなら花園朝日を元に戻す方法を教えてあげられるよ」
ゼノイダ=パルファノエの瞳に光が戻った。直後、疑わしそうな目をダイヤに向ける。
「あなたは誰ですか? 別人だと言うけれど、それにしてもあまりに似すぎている。無関係とは思えない」
ダイヤがスートであることからも判断できるが、ダイヤと花園朝日に血縁関係は全くない。なのに二人の姿形がこんなにもよく似ているのはダイヤがのちの花園日向、つまり当時の支配者に作られたから、そして、その花園日向と花園朝日が姉弟という極めて近い血縁関係にあったからだ。
支配者はいくら転生しようとその姿に大きな違いは生じない。それはその個人の外見の情報が魂に入力されているからだ。魂を元に肉体は構成される。花園日向の魂もディミルフィアの魂も、どちらも同じ支配者の魂だ。
転生するにあたってどの親の元にでも産まれられるわけではない。条件がある。子の外見は親の外見に遺伝する。それが世界の設定だからだ。だから転生者は自分の外見と似た外見の情報が入力された魂を持つ親の元にしか生まれることができない。よって同じ親の元に生まれた花園日向の外見と花園朝日の外見は必然的に似る。そして支配者から作り出されたスートは合計で五十五人いるので、その中で一人ぐらいは花園朝日と外見がよく似た個体が存在するのもおかしくはない。
しかし、そんなことをゼノイダ=パルファノエが知るわけがない。自分の大切な人である花園朝日と他人の空似にしてはあまりに似ているダイヤを奇異の眼差しで見た。
「それってどうしてもいま知らなきゃいけないこと?」
ダイヤはあざとく首を傾げた。ゼノイダ=パルファノエはぐっと言葉に詰まる。
「そんなことより、君はもっと気になることがあるはずだ」
ダイヤはゼノイダ=パルファノエに一歩近づいた。
「花園朝日に会いたくないの?」
ゼノイダ=パルファノエは首を横に振った。
「会いたい」
「花園朝日を救いたい?」
「救いたい!」
「そうこなくっちゃ」
ダイヤは開かれた右手をゼノイダ=パルファノエに差し出した。なにをしているんだろうとゼノイダ=パルファノエがダイヤの右手を見る。ダイヤが右手を握り、そしてもう一度開いたとき、ダイヤの手のひらには包装紙にもくるまれていない、赤い飴玉があった。
「残念ながら花園朝日をいますぐに救い出す方法は無いんだよね。オイラもどこにいるかわかんないし。探したきゃ探したらいいけど絶対見つからないよ」
ゼノイダ=パルファノエはなにも言わずにダイヤの言葉を待つ。
「ただ、時間が経てば結果は変わる。オイラは君に、時を超える能力【タイムトラベル】の力をあげるよ。この力で未来に行って、未来で花園朝日を救えばいい」
急に突拍子のないことを言われてゼノイダ=パルファノエは当然困惑した。
「未来?」
「そう、未来」
ダイヤはにこっと笑った。
「悩まなくていいよ。なにも受け取った瞬間いきなり未来に飛ばされるわけじゃない。行きたい時間、行きたい場所に行きたいと思ったときに君自身の意思で行くことができるから」
ゼノイダ=パルファノエは疑問が浮かんだ。ダイヤの目的はなんだろう。なんのために自分に力を与えようとしているのだろう、と。
「オイラの考えていることが知りたいの? いいよ、教えようか。
まず大前提として、花園朝日がこうなったのってオイラたちが元凶なんだよね」
「え?」
楽しそうにからからと笑うダイヤを見るゼノイダ=パルファノエは唖然とした。
「えっとね。簡単に言うと、花園朝日を殺すことで花園日向を狂わせることが目的だったんだ。それで花園朝日はもう役割を終えたからあとはどうなっても別にいいんだよ」
花園日向の依存対象であった笹木野龍馬がいなくなったことで、花園日向は花園日向であり続けることが困難になっていた。その時点で彼女は支配者に戻りかけていた。そこでスートたちは彼女の背中を押す為に花園朝日を消すことにした、正確には神に仕立て上げることにした。花園朝日の自我を崩壊させ、無理やり神の力を与えた。その行動も実際は操られていたことによるものだったが。スートたちは生まれながらの傀儡だったため、操られていることを知りながら自ら喜んで神の意志に従った。
「で、オイラたちの役割は終わったし、また前みたいにひたすら暇つぶしする生活に戻ろうかなぁって。それで試しに君に力を与えてみようと思ったんだ。人を超越した力を持った君がこれからどんな行いをするのか観察させてもらおうと思ってさ」
ゼノイダ=パルファノエは驚きのあとにふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。人で弄ぶ神を目の当たりにした気がした。いや、気がしたのではない。ダイヤたちスートは本当に欠片ほどの罪悪感もなくヒトで遊んでいる。ヒトを暇つぶしの道具としか見ていない。これが本来の支配者の姿勢であり、その支配者の分身である彼らだから仕方ないといえば仕方ないのだが、遊ばれる側のヒトとしては許容できるものではない。
ゼノイダ=パルファノエはダイヤから視線を外した。ちらっと遠くを見やると三人の神はまだ戦っている。それを見て、ゼノイダ=パルファノエは決意した。
「わたしは……!」
ダイヤの紅玉が楽しそうに揺らいだ。
31 >>339
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書きをお読みください】 ( No.339 )
- 日時: 2022/08/31 21:15
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 8GPKKkoN)
31
ヘリアンダーは弓の形をした炎を落としそうになった。
彼の武器は自らの魔力で生み出した炎の弓。炎そのものが弓の形を持って武器となったものだ。矢も炎で作り出されるため攻撃は無尽蔵に打ち出すことができる。しかしその無数の矢を持ってしても太陽神の力を駆使しても種には傷一つ入れることができなかった。それどころか、ヘリアンダーの体はもう既にボロボロだった。ヒトとは比べ物にならないくらいの再生能力を持った彼でさえも、次々にできていく傷の修復は間に合わず、ダメージだけが蓄積していく。
弓を落としそうになったのはそんなただの疲れだけが原因ではない。ヘリアンダーの横でヘリアンダーと同じように種と戦うスペードの姿を見て、自分が情けなくなったのだ。自分はなにをしているのだろうか、これではただの足手まといではないのかと思ったのだ。スペードは確実に種にダメージを入れている。スペードもスナタと同じように権力だけで戦う戦闘スタイルだ。つまり、素手で魔法も使わずに戦っているのだ。対してヘリアンダーは弓という武器を使い、魔法も使っている。それなのに。
スペードと自分を比較してはいけないことはヘリアンダー自身がよくわかっている。それでもなお思ってしまうのだ。
(おれに、なにができるんだろう)
彼は決して諦めたわけではない。彼の闘志はまだ燃え尽きていない。しかし戦うことがいまである必要を感じないのだ。
(あいつを元に戻すのは一秒でも早い方が望ましい。ただそれはおれがいなくてもできるんじゃないか?)
ヘリアンダーは三本の矢を弓にかけ、種に向かって放った。
「ssroodlladaorodalsrslooolraosalllolrooldoaslododloooor」
しかし、放った矢は種の文字によっていとも簡単に弾かれる。さっきからこれの繰り返しだ。頭が武器をおこうとするのを理性で必死に止めて無理やり腕を動かして矢を放つ。
スペードは純粋な権力の塊を種にぶつけた。スペードの攻撃に抵抗するために種は文字の盾を張るが、スペードの力はその文字ごと種の体を吹き飛ばす。スペードが攻撃するたび、種の体が後退する。
「倒れろ」
スペードが宣言し、これまでよりも強い力を種にぶつけた。すると、種の身体は大きく跳ねた。ぐるぐると獣の唸り声のような音を発して、種は地面に打ち付けられた。
『グゥッ』
三日月がくるんと回転し、それぞれの三日月が不快の感情を示した。目を表す三日月は下に弧を描き、口を表す三日月は上に弧を描く。
「…………」
奇怪な言葉を発したあと、種は落書きの範囲を広げた。青年の体の顔だけに覆い被さっていた落書きはじわりじわりと胴体の部分も蝕んだ。
スペードは種がこの後なにをしようとしているのか予測できなかった。警戒をしながら種を見ていたので、自身の足元がぬかるんでいるのに気づくのが遅くなった。
「なんだ?」
曇り空はまだ泣いていない。なのに地面が濡れているというのは一体どういうことか。しかもここは砂浜だ。それにしてはやけにドロドロしている。一体どういうことだろう。
泥が動いた。ボコボコと泡を立てたかと思えば、丸く膨らみ、地面から離れた。それはスライムによく似た粘性のある液体の塊だった。それを見たスペードは嫌な予感がして種を見た。嫌な予感は当たっていた。種の体を蝕んだ落書きはしゅるしゅると蔦のように伸びる。今度生み出されたのは文字ではなく生物だった。種は生物を生み出した。
それがただの生物であればスペードはここまで困惑はしなかった。種以外はスペードにとってただの雑魚だ。雑魚がどれだけ増えようとそれは零の集合体であり、零がいくつ集まろうと一には成り得ない。問題はそれらがただの生物でないということだ。それらはかろうじて人の形をしているが皮膚の代わりに灰色の液体に覆われており、手足などは今にも崩れてしまいそうなほど不安定だ。
「ゾンビか、厄介だな」
困惑していたのは、スペードだけではなくヘリアンダーも同じだった。出てきた生物は原動力である魂を持っていない。これではいくら倒そうが倒れまい。彼らは不死身の道具だ。
(弱音を吐いている場合じゃない)
ヘリアンダーは弓を握りしめた。種を倒すことはできないがゾンビたちの相手をすることはできる。
(あいつらがスペードの邪魔をしないように注意を引きつける。それくらいなら!)
ヘリアンダーの持つ弓の炎が眩く輝いた。赤い炎が純白の光に変わる。彼の闘志が激しく燃え上がった。
「ヘリアンダー!」
スペードがヘリアンダーの名を呼んだ。ヘリアンダーは目線を下げてスペードを見る。二人は離れた場所でそれぞれ戦っていたので、スペードは一度ヘリアンダーのそばに寄った。ヘリアンダーは翼を広げて宙に浮いているが、スペードはそのままの姿で飛んだ。
「いまから一時的にワタシの力の一部をお貸しします。この力で種の魂を捉え、攻撃を入れてください。一撃で十分です。攻撃が入ることに意味がある」
ヘリアンダーはスペードの言葉に違和感を抱いた。種に攻撃を入れるならスペードの方が適任だと思ったからだ。ヘリアンダーの思考を読んだスペードは首を横に振る。
「貴方以外にはできないことです。人は誰にでも精神に弱い部分があります。魂は精神と直結します。貴方は種の心の弱点を突くのです。ワタシでは届きません。貴方である必要があります」
人の心になにかしらの作用を与えるとき、対象に近しい者が行うとその効果は大きくなる。喜ばせるときも悲しませるときも等しく。種の心に足を踏み入れさせるには支配者が一番の適役であるがそれは叶わない。スペードにとってこの場においてはヘリアンダーは唯一の存在だった。
ヘリアンダーはスペードの力強い声と瞳に晒され、無意識に唾を飲み込んだ。緊張がある。その汗を拭うことすらせずに彼はスペードを見返した。
「わかりました、やりましょう」
スペードは真剣な面持ちのままヘリアンダーの両肩に手を当てた。
二秒後。
痛覚が麻痺しているのかと錯覚するほどの無痛の衝撃がヘリアンダーを襲った。快も不快も伴わない感覚。ヘリアンダーは自分の中にスペードが持つ権力が注ぎ込まれるのを感じた。彼は凄まじい圧力に体が押しつぶされそうになる。
権力とは、権利や権限を行使する力のこと。スペードは支配者の次に強い権力を持っている。今回ヘリアンダーに与えられた(貸し出された)力は、生物一個体の魂の内部を可視化する力だ。ヘリアンダーは種を見た。種に覆い被さる落書きの中央付近に魂が見える。そしてその魂の中に針の先ほどの大きさの黒点が見えた。あれが種の弱点だとヘリアンダーは瞬時に見抜く。
「ワタシがゾンビたちを抑えます。道はワタシが作りますから、貴方はあの種の弱点に攻撃を入れることだけを考えてください」
スペードの提案に抵抗することなくヘリアンダーは、深く頷いた。
スペードは這い寄るゾンビたちを片端から蹴散らした。所詮はゾンビ。厄介なのは不死の身体と再生能力。スペードはヘリアンダーが種に攻撃を入れる時間さえ稼げればいい。スペードがゾンビたちにてこずることはなかった。再生するのなら何度でも叩き潰せばいいだけのこと。せっかく舞台に上がってきたゾンビたちにあまり出番は与えられなかった。
ヘリアンダーは弓の名手としても下界人に知られている。彼が一度標準を定めたならば、軌道を外すことはありえない。先程は種が弾いていただけであり、放たれた矢が空に描く線は塵一つ分ほどの狂いすらなかった。
「ワタシが邪魔なものを全て退けます! 貴方はただ、その矢を放ってください!」
種の抵抗さえなければ、ヘリアンダーにとって種の魂を貫くことはいとも容易いことである。種を上回る力を持つスペードの助けさえあれば、ヘリアンダーガ標的を逃がすことは起こり得ない。
「リュウ、目を覚ませ」
種へ言葉を贈り、ヘリアンダーは力一杯矢を引いた。ギリギリと苦しげな音を告げていた弓の弦が唐突に緩み、それと対照的に矢は猛烈な速度で種の魂で吸い込まれていった。
「日向を救うためだけじゃない。おれは、お前のことも救いたい!」
誰に向けて言うでもなく、ヘリアンダーは言った。強いて言うならば、それは世界に向けて放った言葉であろうか。
落書きの蔦は放たれた三本の矢を絡み取り、ひねり潰そうとした。しかしそれは叶わなかった。種以上の力でスペードが落書きのツタを抑えつけたのだ。
遮るものが存在しない炎の矢は素直に種の魂の弱点に向かっていく。あと数秒で矢が種の魂を貫く。
そう、あと数秒でそうなるはずだった。この後起こることはスペードでさえ想定することができなかった。
矢が種の魂に触れるまであと僅かというところで異変が起こった。
「heeedraεcυnisaχαΣeρaieooluoloelαtlοtrροτxσclίalassdnmsπογχsςeilήtχρeγίτρsοαsaeρsocsώsμσlmnsαρφeSttiaαρτhιaeΣςoπauηoalitαaStelγeρήτuτρραmdmtτusancluaaαγaaΔnixαSlάttitantmίήοώφώmnραnanτυhυauesasiίotιonosαχoaοrφγeeaataφnoπμheteoρcrnmχmnmeσσostφnηassαγsaςαearΚΣαmάmlaρΚoγmetάεmΣΚeηalmeηιadάoσaSπaγηραnarlnalrςυήηεeleαεσρdiσρμhαοaοΔταemxαsηoώnηrnlώσslrsmτoοoτίumτρasrmσΔhτuanxstαscοtάςxseτiaoΣπsaaααoγosαοaoεaaφoolοoosΚσογτεuοesleeααrmniοίμΔormρoeaxnοedηήSχοssaoιaσamaμelΚnoiaαoουnostηlώousSmtταolmΚαsatάΣτloΔγluυeaιηmπstατστlιήγanaeeuηαllaΔμltς」
種は狂った。魂からも落書きが生まれ、文字が生まれた。密集しすぎた文字はもはや文字ではなくただの黒だ。黒が矢を飲み込み、それだけにとどまらず、ヘリアンダーの体に巻きつく。落書きはヘリアンダーを海に叩きつけた。
「ヘリア──」
ガボッと音がして、ヘリアンダーはスペードの言葉も最後まで聞き取ることができなかった。ヘリアンダーの聴覚は水圧に奪われ、視覚は水に奪われた。真冬の海の冷たさだけが触覚から脳に伝わる。濃度の高い塩水がヘリアンダーの口に流れ込んできた。かろうじてヘリアンダーは自分の闘志の存在の証明として弓を手放さなかった。しかしその弓は炎でできているためほとんど形を成していない。ほつれにほつれた一本の毛糸のようだ。あまりにも頼りない、そして情けない。
(やっぱりおれじゃ、誰も助けられないのかな)
ヘリアンダーは初めて弱音らしい弱音を吐いた。スナタとの戦闘のダメージも残ったままで、種と戦っていたヘリアンダーの体は疲れ果てていた。弓を握る手も痺れてきた。
(おれ、十分頑張ったよな)
ヘリアンダーは耐えかねて、弓から手を離し、目を閉じた。
ヘリアンダーの体はどんどん海底へと沈んでいく。しかし不思議なことにヘリアンダーの閉じられた瞼は光を感知した。見えてくるのは過去の光景。ヘリアンダーとディミルフィアとディフェイクセルムが仲睦まじく談笑している。三人が出会って間もない頃──ディフェイクセルムがディミルフィアとヘリアンダーと出会って間もない頃の過去の記憶だ。あのときは良かった。こんなことになるなんて想像もしていなかった。いつから自分は彼らを救うためにこんなにも頑張っているのだろうか。逃げる口実を探すために彼は根本にあった想いを引っ張り出した。
ヘリアンダーはこれまでの自分の行いを馬鹿馬鹿しいとは思わない。諦めたのではない、そうじゃない。ただ。
(……疲れた)
32 >>340
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書きをお読みください】 ( No.340 )
- 日時: 2022/09/14 20:13
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: jk2b1pV2)
32
ヘリアンダーは目を見開いた。海水が目に触れることも厭わずに瞼を持ち上げ、遠ざかっていく海面を見た。
(まだ戦える)
なにが彼を戦わせるのか。彼は優しすぎるのだ。それは愛ゆえであった。姉を、そして友を愛する心が彼の原動力であった。
救いたいという感情があまりにも大きい。花園日向もその感情は大きかったが彼には劣るし、なにより彼女と彼の救いたいという感情には明らかに違いがある。花園日向は確かに花園朝日を救いたいと思っていた。しかしそれはあくまで花園日向が花園日向という精神を維持するためだけに抱いていた感情だ。そう、自分のためなのだ。対してヘリアンダーはどうだろう。ヘリアンダーは自分の利益などは考えていない。彼はあまりにも純粋だ。
彼は姉と友、二人を愛していた。家族愛、そして友情。彼女が支配者のとしての宿命に苦しんでいると知ったときから、彼が支配者の元に逃げてきて助けを求めたときから、彼はなんとか二人を救いたいと思っていた。彼は無力な自分を呪ったりした。太陽神の力が通用するのはこの世界だけだ。彼が立ち向かおうとしているのはそれより大きな時空そのもの。彼は限りなくちっぽけな存在だ。
(まだ戦える!)
ヘリアンダーの魂に火が灯った。
スペードは腕を組み、頭を働かせた。ヘリアンダーの弱点が水であることを知っていたから、海の中に落とされたヘリアンダーが復活する可能性は低いと判断した。心も折れてしまったに違いないと思った。あながちそれは間違っていない。
「しかし、惜しい才能が消えてしまいましたね」
スペードはぼやく。スペードがヘリアンダーを必要としていたのは、ヘリアンダーが種と親しい間柄であるからだけではない。ヘリアンダーはスペードがいままで見てきた無数の存在たちの中でもいい意味で異質な存在だった。
支配者は人を狂わせる才能がある。だが彼は狂わなかった。支配者とあれほど近い関係を築いていながら心を壊さず病まず正常で居続けられるのは、彼の才能だ。そして諦めずに戦い続けられる彼の強い精神も評価していた。ヘリアンダーならば支配者を救うまで共に協力し合えると思っていた。それだけにスペードは彼に失望の念すら抱いた。
所有している力だけで言えば、スペードにとって、ヘリアンダーはちっぽけな存在だ。だとしても仲間がいるというだけでスペードの心にもゆとりができた。それが失われた彼は、どうするのだろうか。
どうもしない。
彼はこれまでと同じように孤独に戦い続けるだけだ。スペードは種に向き直り、戦いを再開しようとした。曇り空は太陽を失って暗転していた。
スペードの行動を止めさせるほどの出来事が起きた。大地が裂けるほどの地鳴りが起こった。スペードは宙に浮いていたため影響は少なかった。
種の攻撃か第三者の介入をスペードは考えた。が、この地鳴りを起こしている力の根源が海のほうにあることから力の主をいとも容易く推測する。
その推測は確信に変わった。海の中に巨大な火柱が立つ。爆発の煙すら炎に変わったような火柱。その大きさは彼らがいるこのバケガクの面積にも劣らないだろう。火柱は海を焦がした。
スペードは火柱の中に一人の青年を見た。頭頂部から毛先にかけて金から橙のグラデーションという珍しい髪色。彼が少し気にしているらしい童顔の中に埋め込まれている、炎の灯る橙色の瞳。白の衣服は彼が自ら生み出した炎に焼かれつつある。
不覚にもスペードは、このときヘリアンダーに見とれていた。スペードが見たヘリアンダーの魂はこれまで見てきた魂の中で見たことがないくらい純粋で無垢で、それでいて激しい炎を宿している。スペードは彼以上に美しい魂を持った存在を知らない。支配者の魂が持つ美しさは、ヘリアンダーのものとは少し違う。比較はできないのだ。
スペードは眩しそうに目を細めた。なにも火柱が放つ強烈な光に目をやられたのではない。スペードが眩しく感じたのはヘリアンダー自身だ。スペードはただのヒトであるヘリアンダーが誰かの為にここまで動けることを不思議に思った。
火柱が、海水が蒸発して剥き出しになった地面から消えた。燃え尽きたのか、いやそうではない。地面から離れただけで火柱は存在し続けた。円柱状だった火柱が、体積はそのままに形を球体へと変える。暗闇の中に光源が浮かぶ。
太陽はその存在を空から地上へ移した。太陽光は空間そのものを包み込み、世界の色を金に塗り替えるような勢いで大地を照らした。
ヘリアンダーはちっぽけな存在だ。支配者に種にスナタにスートたち、ヘリアンダー以上の存在は腐るほどいる。しかしそうだとしても、ヘリアンダーを核として誕生した太陽は彼がこの世界における二番目に地位の高い神であることを知らしめるには十分なほどの存在感を放っていた。それにはスペードの心も震えたし、種も自らにとって危険だとわかった。すかさずブツブツと言葉を並べる。
「άχχττηοςρητχάτςάρσσσρορηοηάχςοσς」
文字は具現化して空間を黒く染める。太陽の光も遮る濃密な黒。それを弾く白が横から割り込んだ。スペードが稲妻にも見える白い雨を降らせたのだ。黒い文字はボロボロになって剥がれていく。
ヘリアンダーの金、種の黒、スペードの白が衝突する。この場に下界人がいたならば、死体すら残せず消え失せることだろう。しかし神々の戦争を間近で視界に捉えることができたことによる幸福感で死の絶望を感じないかもしれない。
(これで、最後にしよう)
太陽の中心でヘリアンダーは目を閉じていた。深呼吸をして、熱い熱い空気を肺いっぱいに吸い込む。炎と同化し、自分すら太陽に溶け込んだのだと錯覚する。
ヘリアンダーは目を開き、縦に細くなった瞳孔を世界に主張する。文字に表し難い不思議な言葉を唱えた後に、彼は言った。
「戻ってこい、リュウ!」
「【キセキ・燦爛玲瓏】!!!」
世界は彼に魔法の使用を認めた。太陽からより強い光──火焰光が放たれた。火焔光は一見すると、種を中心とした半径一キロメートルほどの円状に大地を燃やしたように見えるが、その場にいた三人の神は種の魂に攻撃が集中していることを本能的に理解した。
「SnoSnoccoionSoSSncnnionooccinniSonoiincoon」
種の黒い文字は太陽を襲うために伸びていったが、太陽に到達する前にスペードの白い雨に打たれて消滅する。攻撃を遮るものがなくなったヘリアンダーのキセキは正確に種の魂、その弱点を捉え、そして見事に撃ち抜いた。
種は最後のあがきに一言だけ言葉を述べたが、それは白い闇に消えていった。
「Gartais tbii」
─────
リュウは困り果てていた。自分が一秒前なにをしていたのかさえ記憶が曖昧なのだ。頭を回転させてこの場所がバケガク内の西の海岸であることはすぐに理解できたが、今度はなぜここに自分がいるのかわからない。
「やっと、起きたのかよ……」
一番困惑したのはいま声を出した彼の存在。リュウは、彼がよく知り合った人物であることは理解していたがどうして彼が東蘭からヘリアンダーに戻っているのか、どうして傷だらけで服もボロボロなのかわからない。
「返事しろよ」
ヘリアンダーはリュウを睨んだ。リュウは数秒沈黙して慌てて言う。
「うん」
「本当に戻ったのか?」
見た目だけならリュウは元に戻っている。と言っても顔に被さっていた落書きが取れただけだが。人の言葉も話している。それでもヘリアンダーは信じられず、疑いの眼差しをリュウに向ける。リュウは彼に対してなにか疑われるようなことをした覚えはなかったので、さらに困惑した。
「戻ったのかって言われても、自分がいままでどうしたのか記憶がないからなんとも言えないな」
ヘリアンダーは盛大にため息をついた。リュウはなんとなく申し訳ない気がして、小さくなった。
「なんともないのか? 体に異変とか」
リュウは自信を持って首を横に振ることができた。
「そういうのはなにもない。ただ本当に記憶がないだけだ」
ヘリアンダーはそこで初めて笑った。やっとリュウが戻ってきたと感じることができたのだ。
「そうか」
安心故か疲労故か、ヘリアンダーは地面に倒れた。ガンッと強い音がして、ヘリアンダーは地面に後頭部を思い切りぶつけた。
「おい、蘭?!」
リュウはヘリアンダーの元に駆け寄った。
彼は東蘭ではなくヘリアンダーであるが、リュウは蘭という呼び名の方が呼び慣れている。とっさに飛び出てきたのは、ヘリアンダーが人間であったときの名前だった。
「疲れた、寝る」
「はぁ?」
呆れたように言うリュウの声にヘリアンダーは苛立たないわけでもなかったが、同時に安堵する自分もいるのを自覚した。苦笑混じりに微笑んでリュウに告げる。
「日向を救えるのはお前しかいない。あいつにはお前が必要なんだ。
あとは、頼んだ」
ヘリアンダーの体が黒くなった。目を丸くするリュウを見て言葉を続ける。
「しばらくは眠りにつくよ。数世紀くらい眠ってたって世界に支障はない。消えるわけじゃないから、太陽は変わらず空にあるままだしな」
曇り空の隙間から太陽の光が差し込んだ。だが、そんなことはリュウにとってはどうでもよかった。ヘリアンダーの体が地面に沈みかけている。そちらのほうがよほど重大だった。
「蘭、蘭!」
「寝るだけだって。また会えるよ」
ヘリアンダーは目を閉じた。
『お や す み な さ い』
スペードはヘリアンダーが眠りにつくことを知っていた。あれほど力を使ったのだからいくら神であっても休息が必要だ。最後に残された時間を使ってリュウに言いたいことがあることもスペードはわかっていたから、二人の会話を邪魔することはせずにただ見守っていた。そして、ヘリアンダーの体が地面に消えていったのを見て、放心するリュウに話しかけた。
「はじめまして」
支配者は自らの宿命と種としてのリュウの宿命をリュウに知られることを避けていた。だからあえてスペードもリュウの前に出ていったことがなかったのだ。二人は初対面だ。スペードが話しかけるとリュウはびっくりして肩がビクッと跳ねた。
「ワタシはスペード。ヒメサマの、あー……」
スペードは少し考えた、話すと長くなる。いまさら隠すことでもないし、これからのことに必要な情報は全て包み隠さず伝えるつもりだ。だがいまはリュウ自身も困惑していることだし、今は伝えるべきじゃないそう判断し言おうとしていた言葉の内容を変えた。
「ヘリアンダーはあなたのために、そして、花園日向のために戦ってくださいました」
スペードは支配者を花園日向と呼ぶことに抵抗があった。しかし彼女を支配者と呼んでもリュウにはいまいち伝わりづらい。花園日向のためにという言葉にリュウは反応した。
「日向になにかあったんですか?!」
リュウはなんとなくスペードに敬語を使わないといけないという念に駆られて思わず敬語を使った。それに違和感を覚えることは一切なかった。
興味を持っていることだし、支配者のことならばいくら記憶が混同しているとはいえ理解してくれるだろう、スペードはそう考えて支配者に起こったことをリュウに全て話した。宿命の話はスペード自身もややこしいと思っていたので省いて、支配者が種を探し求めていたことや、どういう理由であのように無感情になったのか、そして、リュウのよく知る花園日向の存在は記憶を失ったためにもういないこと、支配者はリュウとしての種の記憶をなくしていること。
リュウは驚愕し、悲しみにくれた。なにも言わないまま彼は海の向こうを見た。なにがあるわけでもない。スペードは彼がなにを見ているのかぼんやりとわかった。
「それでも」
リュウは呟く。
「おれは貴女を、愛してる」
33 >>341
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書きをお読みください】 ( No.341 )
- 日時: 2022/09/01 18:55
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: I3friE4Z)
33
ぐしゃっ
生々しい音がボクの耳に飛び込んできた。なにが起こったのかすぐには理解できなかった。だけど、視界が真っ赤に染まった直後に真っ黒になったことから、そしてさっきの音からボクの両目が潰されたことを理解した。そしてボクの両目を潰したのが誰なのかもすぐに分かる。残虐な行為の主の声がした。
「こうするしかないんです。すみません」
スペードはボクに謝った。謝るくらいならこんなことしなければいいのに。そう思ったりもするが、影に与えられた力によってスペードの思考はわかるので、責めたりはしない。
「あなたを救うことはできなかった」
スペードが悔しそうにボクに言った。ボクに向けられた言葉ではなく、単にスペードがこの言葉を口にしたときにたまたまボクが目の前にいたというだけだけど。
「せめてあなたを物語から解放します。神々の監視からあなたを解き放ちました。これであなたはこれまでよりは自由になるでしょう」
神々はボクの目を通して情報を得る。すなわちボクが見ているもののほとんどすべてを神が知っているということであり、それは監視に近いものだ。罪滅ぼしのつもりだろうか。目ぐらい潰そうと思えば自分で潰せるから贖罪にはならないと思う。でも、スペードの意思は尊重しよう。この贈り物を有り難く受け取ろう。それが神として求められる対応というものだ。目などなくとも【万里眼】で未来現在過去の全てを見ることができる。
それにしても、両目を失ったということは、ボクの視点で進んでいた物語はもうこれ以上描けないということだ。いくらなんでも、視覚情報がない物語は面白みに欠けるからね。
ちょうどよかった。花園朝日も死んだことだし。
Asahi's storyは、これにて完結だ。
この馬鹿馬鹿しい世界にも……【完】