ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.235 )
日時: 2021/08/10 10:38
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: taU2X.e0)

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 って、うわっ! ボク、どれくらい気を失っていたんだ?!
 と思ってかなり焦ったが、実際は気を失ってなんかいなかった。まだ体は重くてだるいが、目はしっかり覚めている。
 ただし気は遠くなっていたから、その間にあそこまで移動したんだろうなと、小さくなった笹木野龍馬の背をぼんやりと見つめながら思った。

 あいつ、幻影魔法を張ったって言ってたか? なら、ここから【百里眼】を使えるんじゃ! 姉ちゃんが大事にしてる人なら、この場面で嘘なんてつかないだろう。なんとなく幻影魔法の魔力も感じるし。うん!

 ただ、いくらなんでもこの状態で使うのは危険なのはわかっている。【百里眼】を使って【聴域拡大】も使うわけだし。魔力は魔法石のものを使うからいいとして、体力が心配だ。笹木野龍馬が到着していないなら、まだ焦る必要は無い。

 そう思うと一気に疲れが押し寄せ、ボクは体を休めるために目を閉じた。
__________

 母さんは醜い人だった。急に癇癪を起こしては姉ちゃんに当たり散らして気を失ったように寝込む日々。その精神疾患のせいで仕事も出来なくなり、家に引きこもるようになった。

 父さんは弱い人だった。母さんがそんな状態になった時はいつも仕事に行っていて、肝心な時に居ない。後から何があったかを知っても姉ちゃんやボクに謝るばかりで、実際に行動を起こしたりはしなかった。

 姉ちゃんは強い人だった。最悪な家庭環境で育ったのに、一言も弱音を吐いたことがない。母さんが癇癪を起こした時は部屋からボクを力ずくでも放り出して、巻き込まれないように守ってくれていた。ボクに勉強や魔法を教えてくれたのも姉ちゃんだった。

 その日は雨が激しい日だった。雷がゴロゴロと空を走り、家の中はじめじめと暗かった。

「朝日!」
 そんな日は母さんの癇癪がいつにも増して酷くなる。不穏な空気を感じ取った姉ちゃんは俺の名を呼んで、外に出るように促した。
「待ちなさい、朝日」
 だけど、しっとりと冷たい母さんの声が俺をその場に留めた。
「貴方はこいつのことを慕っていたわね。この悪魔の姿をよく見なさい」

 ザシュッ

 人の肉を裂く音が、鈍く鈍く頭の中で木霊した。母さんの手は真っ赤に染まり、握る包丁の先端には紅い液体が滴っていた。姉ちゃんの鮮やかな金髪に紅がさびのようにこびりつく。大きな大きな紅色の水溜まりの中に姉ちゃんが浮かんでいる。

「はっ、はっ、はっ、はっ」

 動機が乱れて、不規則な息が喉を乾かせた。
「朝日」
 痛みに震える様子を見せない姉ちゃんは、先程とは違い小さく俺を呼んだ。
「部屋の、外へ」

 そして、鋭く叫ぶ。

「早く!」

 母さんが姉ちゃんに暴行するところは何度も見てきた。でも、こういう風に体を傷付けるところは見たことがない。いつもなら殴る蹴るの後に刃物を持ち出すので、その前に俺は逃げるのだ。始めから刃物を振るうのは初めてかもしれない。俺は初めて見る人の血にパニックになって、その場から動けなかった。
 それを察したのか、姉ちゃんは魔法を使って止血をし、既に流れてしまった血も消した。

 金色の光が暗い部屋に差し、そして溶けると、母さんは悲鳴を上げた。
「この悪魔! 怪我もすぐに治る! 人間じゃないわ!」
 こんな速度で怪我を治す回復魔法なんて、姉ちゃん以外は使えないだろう。しかも今の姉ちゃんは怪我をしていて体力を奪われている。悪魔は言い過ぎだとしても、母さんの言いたいことは多少は分かった。

「朝日!」

 俺はガタガタと震える手でドアノブに触れ、それを回そうとした。けれど上手く手を動かせず、なかなか開かない。

 ザシュッ

 また、肉を裂く音。

 ザシュッ ザシュッ ザシュッ

「お前なんか! お前なんか!」

 母さんは同い年の女性と比べても貧弱で、魔力も衰えてきている。姉ちゃんなら、反抗くらい出来るはずだ。なのにあえて逆らわず、動かず、されるがままになっている。

『なあ、なんで姉ちゃんは母さんから逃げないんだ? 家出とか考えねえの?』
『カゾクは、大事にするべき』
『あんなの家族じゃないだろ』
『それに、朝日がいる。朝日は優秀だし私とは違って瞳の色も桃色だから私ほどの冷遇は受けないだろうけど、母さんから生まれた子だから、一族からは蔑視される可能性がある。それに、いつ母さんが朝日にも手を出し始めるか分からない』
『俺なんてほっとけよ!』
『私が嫌』

 そんな会話を、いつだったかしたことがあったっけ。
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 両親が死んだことは、大して問題じゃなかった。あの時、自分が何を思っていたのかはもう覚えていない。覚えていることは、両親あいつらが死んだという事実と、それから──

 うん、充分体は休まっただろう。そろそろ、行動に移そう。

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