ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.256 )
日時: 2022/02/10 16:56
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 0j2IFgnm)

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「うーん、思ったよりも早かったなぁ」

 ゆっくりと姉ちゃんから手を離して、ジョーカーはいつものようにニヤニヤと笑った。研ぎ澄まされたナイフのような、モノクロの狂気が消えていく。部屋から色彩が戻り、青い光が満たしていった。

「そんなになまっていないみたいだね、彼女も」

 もう少し力が弱まっていると思っていたんだけど。そんなことを楽しそうに呟いて、ベッドに手をついた。ぎしりとベッドがきしみ、ジョーカーは姉ちゃんの額にキスをした。

 気持ち悪い。

 まただ。また、この感情が頭の中を塗りつぶす。嫌悪に憎悪。嫉妬と、それから……。

 だけど、違う。なんなのだろうこの情は。ざわざわと背筋に虫が走るようなこの感覚。無意識に体が痙攣し、脳が麻痺したように思考が冷えきり、なのにうるさいくらいに警報が鳴り響く。
 恐れ、怖れ。すっかり忘れてしまっていたその感情が呼び起こされる。

 畏れ。

 畏敬。

 三音の言葉が、脳裏にこびり付いた。

 頭で確立した結論を、心臓が拒否する。そんなはずはないと、神にすら抱いたことの無いこの感情を、あろうことかこんな訳の分からない男に向けるだなんて。

「おい」

 喉が震えるくらいの低音が、腹の底から響いてきた。

「姉ちゃんに、触るなよ」

 ボクは今、どんな顔をしているんだろう。アイツを睨んでいるのかな。笑ってはいないと思うけど、どうだろ。わかんないや。
 ジョーカーはクスッと笑って、体を起こすとボクに言った。

「触るなよ、かあ。日向ちゃんは朝日くんのものでは無いでしょぉ?」
 音もなくボクに近寄り、目というよりも穴と称する方が相応しいような真っ黒なそれで見下ろす。
「というか、不可能じゃない? 君は近いうちに神に裁かれるんだから。日向ちゃんの傍に居続けることは出来ないんだから。日向ちゃんを独占することは叶わないよぉ」
 コイツも姉ちゃんも、何故神が存在することを疑わないのだろう。他の人とは違い、『絶対である』と信じているのではなく、『それが当然である』と考えている印象を受ける。
「勘違いしない方がいい。日向ちゃんはボクらのものだ。他の誰でもない、ボクらの。言葉には気をつけなよぉ。ボクは頭がやわらかいから見逃すけど、は冗談が通じないからねえ」
 彼? 彼って誰だ?
「ま、君が彼に会うことはないかもね」

 今まで見たことの無いような、見る者に恐怖心を植え付ける笑みを浮かべ、言い聞かせるようにジョーカーが言う。

「神は慈悲深い。君は彼ではなく神に罰せられることを感謝すべきだ。優しい易しいカミサマは、甘い判決を言い渡すだろうからねぇ」

 ボクらなら、そうはいかないよ。

 警告するように、ボクに言葉を突き刺した。
 それはナイフではなく杭のようなもので、言葉をボクの中に留めるものだった。

「チッ」

 知るか、そんなもの。

「ボクは神を信じない」

「とんだ姉不孝、者だねぇ、君は」

「ッ!」

 ギリ、と奥歯を噛み締める。自覚がある分言い返せない。姉ちゃんは昔から、あれだけ神の怒りだけは買うなと言っていたのに、ボクはこの世界における禁忌を犯した。そしてそれを姉ちゃんは知っている。ボクから言ったことは無いけれど、時折見せる悲しげな表情が全てを語っている。

 でも、仕方ないじゃないか。

 ボクが大罪を犯す度。
 姉ちゃんはその顔を悲しみに染めるのだから。

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