ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.258 )
- 日時: 2021/10/28 21:46
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: iTqIkZmq)
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カーテンの色が濃い橙色に染まる頃に、姉ちゃんは目を覚ました。意識が覚醒したと同時に体を起こし、少し辛そうに顔の左半分を手で覆う。
しかしそれもわずかな時間のこと。すぐに手を外し、顔を上げる。
「……」
姉ちゃんは何も言わない。いつものように虚ろな目をどこかに向けて、沈黙を貫く。先程まで感じていた「生」が段々と遠ざかっていくことを自覚して、ボクは堪らず手を伸ばした。
オレンジ色の光は姉ちゃんの顔を暗くした。暗い色の中で、青色の瞳が静かに輝く。
白く華奢な、慌ただしい人生に似合わない綺麗な手がボクの指と絡まる。
一瞬よりもやや長い時間、姉ちゃんは視線だけをボクに向けた。そして視線を正面へ戻し、意識だけをボクに留める。
「どうしたの?」
握った手は握り返されない。無気力に開かれたままの姉ちゃんの手を見ながら、呟くように言葉を零す。
「えっと、大丈夫?」
「なにが?」
ぎゅう、と、強く姉ちゃんの手を握る。姉ちゃんの言葉は、決して冷たくはなかった。なんの温もりも感じなかったけれど、冷たくも重くもなかった。けれどそれが、苦しいくらいに、悲しい。
握り返されることを期待してはいない。でもそれでも、願望はあって。
「えっと」
口に出したい言葉なら、溢れるように出てきた。
あんな強い魔法を使って、体に異常はないのか。学園長とどんな関係なのか。ボクに何を隠しているのか。たくさん、たくさん。
でも、言葉は形を成さなかった。姉ちゃんは頑なにボクを視界に入れない。どうやっても、手を握り返さない。それが、辛い。
言葉を出せば、求めれば、どんな答えが返ってくるのだろう。突き放されたりしないかな。昔からなんだかんだいってボクに甘かった姉ちゃんだけど、今日のこれは触れてはいけない気がする。姉ちゃんの、心の奥底、触れられない場所、ボクが、辿り着けない場所。
「ねえちゃ」
声はそこで途切れた。
姉ちゃんがボクの手を解いた。
心が冷える。
心が冷める。
色彩が消える。輪郭がぼやける。世界が堕ちる。
待って、お願い、待って。手を握ってどうかお願い。
置いていかないで。絶望は怖い。アレは怖い。コレは恐い。
怖い怖い恐い恐イこわいこわいコわいこわイコワいコワイコワイコワイ──
「大丈夫」
耳元で、平均よりも少し低いであろう声が囁いた。ボクの視界には、辛うじて姉ちゃんの肩が映るだけで、その他の部位は見えない。目で感じられない代わりに、全身で。姉ちゃんという存在を、姉ちゃんという実感を感じる。細い体は生気を失ったかのように冷たくて、けれど暖かくて。小さな心拍音が肌を通して微かに伝わる。
ボクを包む力は強くはない。大切そうに、といった様子も伝わらない。ただひたすらに不器用に、姉ちゃんはボクを抱きしめていた。
九年前のあの日と同じように。
「心配かけて、ごめん」
感情がまるでこもっていないと、何も知らない人ならばそう言うだろう。
でもボクは知っている。
静かである以外に何も持たないような言葉の中に、確かなボクへの『想い』があることを。
期待していなかった。期待してはいけないと、思い込んでいた。そうするようにしていた。だって期待なんかしたって、それが実ることは無いと分かっていたから、知っていたから。後で傷つくことになると、知っていたから。だから一方的な片想いで終わればいいと、それでいいのだと自分に言い聞かせてきた。どうせボクは長く生きる気がなかったから。罪を犯したボクはいつか正義を貫く誰かに捕えられて罰を受けるのだから。姉ちゃんと離れ離れになることが確実となったその時に、死ぬ気でいたから。その時は遠くはないだろうから。そう思って、そう思って。
「ボ、ボク、ずっと、不安で」
だから尚更。期待していなかったから、それが──姉ちゃんの中にボクが宿ることが叶って、ボクは高揚した。涙は出ないが、声は震える。今までの寂しいとか、この瞬間の嬉しいとかの感情がぐちゃぐちゃに絡まってほつれて、心臓を締めつける。
「大きな魔法を使って姉ちゃんが死んだらどうしようとか、そうじゃなくても魔法障害を引き起こしたらどうしようとか、色々……いろいろ!」
ボクは居たんだ。姉ちゃんの中に居たんだ。
夢だったら覚めないで欲しい。もう離れないで欲しい。ずっとこのままでいて欲しい。
だらんと下げていた手で姉ちゃんの制服を掴んだ。すると姉ちゃんは、ボクを抱く力をやや強めた。感じ取るのが難しいほどではあったけれど、確かに強めてくれた。
「ごめんね」
なんの温度も持たない声が、無性に暖かく感じる。
「朝日」
姉ちゃんが、ボクの名前を呼ぶ。
「話を、しようか」
普段なら感情を込められることの無い姉ちゃんのその声からは、何故か微量の『覚悟』を感じた。
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