ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.260 )
- 日時: 2021/10/28 22:10
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: iTqIkZmq)
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少しした後、ボクも第一グラウンドに向かった。長くて滑りやすい廊下を早足で駆けて校舎から出ると、ガヤガヤと騒がしい声を耳にした。目的地に近づくにつれてその声は大きくなっていく。
なぜ騒がしいのかはともかく、主だった騒がしさの元はなんだろう? 騒がしくなって当然の出来事が今日は大量にあったから、その中のどれなのかが分からない。
鬱蒼としげる木々の海を抜けると、一気に景色が変わる。建物らしい建物はなく、広がる地面と転がされた負傷者達──と言っても、外傷を負った者はほとんど居ないから、姉ちゃんの魔法の被害者達と言った方が正しいのかな。非常事態に使用される大量のシーツのようなものがひかれ、その上に仰向けに寝かされている。おそらく安静にさせておくというよりかは、待機させていると形容した方がいいのだろう。魔法障害はその種類によるけど、盲目は別に寝かせておく必要はないだろうから。
広いはずの第一グラウンドも、無数の兵士達でぎちりと埋め尽くされている。その中で立っている人は僅かで、逆に目立っている。
姉ちゃんは、偉そうな男と話しているようだった。時折激昂して怒鳴る男をうんざりしたような目で見つつ、何かを告げている。
密集された人達を誤って踏まないように気をつけながら、姉ちゃんに近寄った。すると、こんな声が聞こえてきた。
「なんなんだよお前! 白眼だし訳の分からん魔法使うし! バケモノ! バケモノ!!」
白眼? 姉ちゃんのことか?
声の主はやはり姉ちゃんと話していた男だった。半ば狂乱状態に陥って、頭を抱えて喚いている。ついさっきまで普通に話していたはずなのに、どうかしたのかな。
「あっ」
ボクは気づいた。いや、思い出した。母さんのこと、ばあちゃんのこと。姉ちゃんと関わって精神を病んだ大人たちのことを。
子供は違う。精神を病む前に、トラウマを抱く前に、何に恐怖すべきなのかを理解していないから。白眼も『珍しい』と捉え、大きな魔法を使うところを見ても『すごい』で終えられてしまう。
心を壊すのは、常に大人だった。
母さんやばあちゃんだけじゃない。親戚のおじさんやおばさんたちも段々とおかしくなっていっていた。普段は何ら変わりなく過ごしているが、姉ちゃんを前にすると、ひどい場合は震え出す人もいた。『何を恐れるべきか』を理解しているボクと同年代の子で、気弱で敏感な子は、恐怖で失神する時もあった。
姉ちゃんを怖がらない大人なんていなかった。父さんやじいちゃんだって例外じゃない。あの人たちは姉ちゃんを愛そうとしてはいたものの、恐怖を拭い去れはしなかった。心の奥底に恐れを抱き、常に姉ちゃんと接していたのだ。
ボクはため息を吐いた。姉ちゃんを恐れる理由なんて大してないのに。そりゃ、怖いときはある。昔ボクを『白眼の弟』と罵っていじめていた子供に、姉ちゃんはトラウマを植え付けた。と言っても、姉ちゃんがしたことといえばあいつらを睨みつけて「次やったら三倍にして返すよ」と脅したくらいだ。けれど、あの時の姉ちゃんは空虚な目に氷水に浸しておいたナイフのような眼光を宿し、感情を直接向けられていないボクでさえ、生きた心地を感じさせないほどの恐怖を与えられた。
でも、それだけだ、あの時くらいだ。姉ちゃんを『恐い』と思ったのは。普段の姉ちゃんはとても静かで、本当の姉ちゃんは賢くて強くてとてもすごい。それに美人だ。周囲の人間は姉ちゃんを、そして姉ちゃんを姉に持つボクを羨んでもいいと思う。妬んでいいと思う。それをしないことが理解できない。
ふと視界を広く捉えてみると、怒りを隠そうともしない笹木野龍馬が目に入った。額に浮き出た血管が見え、眉間にはシワが寄っている。「何言ってんだこいつ」というセリフが良く似合う、他人を見下したような表情をしながら男を睨む。話をする二人に気を使っているのか距離が空いていることと、両脇で東蘭とスナタがなだめつつ押さえ込んでいることで奇襲をかけずにはいるものの、今にも襲い掛かりそうな勢いだ。
もうあの男はだめだと理解したのだろう。姉ちゃんは屈んだ男の頭に右手をかざした。
「お や す み な さ い」
姉ちゃんの唇がそう動くのが見えた。そして、男の目から全ての『色』が消え、体の端から端まで力が抜け切ったのが遠目からでもわかった。
『相手を眠らせる闇魔法』、【喪神】は、昔から姉ちゃんがよく使っている魔法だ。そしてこの魔法を使うとき、姉ちゃんは決まって「おやすみなさい」と口にする。しかし、特に意味があって使っている言葉という訳ではないらしい。
姉ちゃんは笹木野龍馬たちがいる方向とは真逆を向いた。その方向には指示を待っている動ける兵士たちが整列して立っている。姉ちゃんと目が合ったほとんどが身を震わせる中で、数名、冷然と佇まいを崩さない者がいた。姉ちゃんはその数名『のみ』に意識の焦点を合わせ、言う。
──聞こえない。もっと近くに寄ろう。
そう思って止まっていた歩を進めた。一歩一歩進むにつれて、姉ちゃんの声が耳に入ってくる。
「一晩あれば、ここにいる全員を治せます。なので、一晩彼等をここに滞在させる許可と彼等に治療を施す許可をください」
その言葉を聞いた兵士たちは息を呑み、目を見開いた。
「それは、どういうことですか?」
先頭の中央に立っていた青年が言った。困惑の表情を向けられた姉ちゃんは首を傾げ、言葉を繰り返した。
「一晩あれば、治せる」
「それがどういうことかを聞いているんです。魔法障害を治す? 失明を治す? 魔法障害が治ることは無いとされていますし、失明は組織そのものが死滅しているという話です。失礼ですが、直せるとは思えません。なにか『治せる』という証拠があるのでしょうか?」
なんだよあいつ。鬱陶しいな。確かに疑問に思うかもしれないけれど、既に姉ちゃんは人間離れした魔法を使って見せた。それが充分証明になるだろうに。
姉ちゃんはすごい人だ。それがわからないのかな。
「もちろん、人間である私には出来ません」
しかし、ボクが思っていたこととは裏腹に、姉ちゃんは呆気なく不可能を肯定した。兵士たちも疑問符を浮かべた顔をお互いに見合わせ、訝しげに姉ちゃんを見る。
「ベル、おいで」
姉ちゃんの右肩に乗っていたベルが背中の羽を微弱に振動させて宙を飛び、兵士たちの前に進んだ。自身の姿を現したのだろう。青年が目を見張り、兵士たちも僅かにどよめいた。
「この子は私の契約精霊であり、精霊の中でも特殊な立場にあります。先程の魔法もこの子の助けを借りて行いました。
当然簡単にとはいきませんが、時間さえあればここにいる大半は完治させることが可能です。そして完治出来なかったとしても、八割から九割の回復が予想されます。信じられませんか?」
「……方法をお伺いしても?」
「私はどうしても治療させて欲しいと思っている訳ではありません。信用していただけないのも理解出来ますし、私はそれでも構わないと思っています。ただ、このような状況にしたのは私なので、その責任を取ろうとしているまで。その必要が無いと仰られるのであれば、それで結構です」
そりゃそうだ。警告を聞かなかったのはこいつらじゃないか。姉ちゃんは何も悪くない。責任なんて取る必要が無い。魔法障害を治せる人なんて、たとえ人でなくてもこの世のどんな種族でもどんな魔法でも不可能だろうから、こいつらはこの機会を逃せば一生このままだ。でも、そんなの知ったことじゃない。
青年は言葉に詰まり、悩んでいるようだった。さっさと断れよ。時間の無駄じゃないか。
そういえば、悩んでいるということは姉ちゃんの提案を受けるかどうかの決定権はこいつにあるということか? となると、それなりに高い地位を持っているのかな。ま、どうでもいいけど。
「では、私と私の信用のおける者数名も滞在することをお許し願えますでしょうか。もちろんあなたを疑っているわけでは」
「なら、【契約】を結んでもらいます」
姉ちゃんは相手の言葉を遮り、淡々と言った。
「【契約】、ですか?」
「一晩またぐと『明日』になってしまいますので。貴方たちが神に誓ったのはあくまで『今日』バケガクで起きたことを口外しないということです。
貴方が私を信用していないように──私が彼等に危害を加える恐れがあると思っているように、私も貴方たちを信用していません。かといって連日神に誓いを立てるわけにもいかないですし」
神に誓いを立てるということは『神に自身の言葉を聞き入れてもらう』ということで、連日に渡る神への誓いは『自身の言葉をいつでも聞き入れてもらえる』という考えの表れらしく、それは烏滸がましいとして神の怒りを買うことになるそうだ。
これは以前姉ちゃんが教えてくれたことだ。
魔法をかけられることに抵抗を感じているのであろう数名に冷ややかな眼差しを数秒向けた後、姉ちゃんは言った。
「滞在するのはどなたですか?」
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