ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.262 )
日時: 2021/10/29 23:23
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: pgLDnHgI)

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 姉ちゃんの方を振り返ると、既にボクから目を背けてさっきの四人と何か話しているらしかった。そのことに少々嫉妬心を抱きつつ、この場に留まり続けても少なくともすぐには不審がられないと判断して、ボクは耳を傾けた。

「彼女は確かに君たちを信用してはいるけれど、気を許している訳では無い。むしろ君たちがそばにいることで心が休まるということは無いだろう。そしてそのことは私よりも君たち自身がよく分かっていることなのではないかな?」

 気を許している訳では無い? それはどういう意味だろう。

「うん、わかった。じゃあ私たちはこのまま帰るよ。それでいいよね、リュウ?」

「……ああ。でも、たまに見に来てもいいかな?」

「もちろん。彼女もそれを望んでいるだろうしね」

 ボクの脳内で、キィンと不快な高音が鳴った。

 え? いや、おかしくないか? だって。

 話し方が、砕けたものになっている。
『生徒と学園長』の関係であるはずなのに。確か、姉ちゃんは学園長に対してあまり敬語を使わないということは知っていた。けれど、あの三人は違うだろう? どういうことなんだ?

 違うのか?

『生徒と学園長』では、ないのか?

 そうだとしたら、なんなんだ、どういう関係なんだ? まさか学校外で接点でもあるのか?

 わからない。

 わからない。

「やあ、朝日君。今から帰りかい?」

 思考に意識を向けていたせいで、学園長が近づいていたことに気づけなかった。学園長は右手を軽く振り上げて、ボクを現実へ引き戻した。
「聞いているかもしれないけど、日向君はしばらく帰らないと思うよ」
「は?」
 ボクが反射的に言うと、学園長は苦笑した。
「……聞かされていなかったんだね」
 そして、なんでもないことのように説明を始める。
「今日のことを含め、日向君の体には相当の負担がかかっているだろうからね。学園が再開するまでの間はここで休むように言ってみたら、良い返事が返ってきたんだよ」
 でも、ボクにとってはなんでもないことではない。

「なにそれ」

 低い音が喉を震わせ、ボクは首を捻って姉ちゃんがいた場所に視点を合わせた。
 しかし、既にそこに姉ちゃんはいなかった。それなりの人数いた兵士たちも何組かに分かれて、移動を開始している。

「なに、それ」

 もう一度、同じ言葉を繰り返す。

 姉ちゃんに会えない。これから、しばらく。

 ぐっと歯を噛んだ時、ギリっと小さく音がした。爪が手の平に喰い込む。
 まだ遠くには行っていないはずだ。最終手段として気配を探って見つけ出すという手もある。今から行けばまだ間に合う。姉ちゃんの元へ、行きたい。

 でも。

 ボクは首を正面に戻した。進行方向を変えることなく、元々予定していた通りに足を進める。

「あれ、帰るの?」
 スナタがボクに近づいて、そう声をかけた。特に意図らしい意図は見受けられない。偽っても仕方の無いことなので、ボクは頷くことで肯定の意を示す。
「そっか。もう夕方だもんね」
 言葉を告げつつ表情を笑顔へと変えて、スナタは言った。

「また会えるといいね」

 何か引っかかりを抱きながら、その正体を掴めなかったボクは肯定的な返事をした。

「はい。では、またいつか」
_____

 バケガクを出てから十数分。広大な面積を誇りかなり離れた場所からでもその姿を見せるバケガクがようやく見えなくなってきた頃、ボクは呟いた。

「出てきていいよ」

 肩から提げた鞄がごそごそと震え出し、中から小さな小さな手が覗いた。
 黄や黒が入り交じった、跳ね毛だらけの髪がぴょこんと飛び出し、牙が四本生えた口は盛大なため息をついた。

『あーッ! 疲れたああ!!!』
「悪かったよ」
『悪かったよ、じゃねえよ! 息が詰まって死ぬかと思ったんだからな!』

 針葉樹のように鋭い、黒い瞳を宿す目がさらに眼光を鋭くしてボクを睨んだ。
「仕方ないだろ。あの場に誰がいたか、分かってる?」
『わーってるよ。オレサマだって死にたいわけじゃない。お前がオレサマを出さなかったとか以前に、オレサマが出ていかなかったんだ。だけどな』

 とにかく文句を言いたいらしいビリキナは、体を完全に鞄から出した。陽炎のようにゆらゆらと不安定に揺れる黄色の羽根がボクの視界を横切る。

『あんなにずっと誰かと一緒にいることないだろ?! 少しくらいオレサマが出られる時間を取れよ!「ボクが良いって言うまで出てこないで」っていうから前半大人しくしておいてやったら、後半はお前はちっとも一人にならなかったし! 何考えてんだよ!』

 ビリキナが気まぐれを起こしてくれて助かった。たまに言うことを聞いてくれるんだよな。このうるさいのがある中でのバケガク侵入は不可能だったに違いない。

「機嫌直してよ。新しいお酒開けてあげるから」

 精霊という生き物には、それぞれ食べられるものが決まっている。それは自らを回復させるための力を補給できる食べ物が定められているからだ。だから、別にそういった食べ物しか口に入れられないということではなく、単に味を楽しむことを目的として食べることももちろんある。ビリキナの場合、『食べなければいけない食べ物』はぶどうだが、好物はワインらしい。ちなみにワインがぶどうから作られているということで、ワインからでも微量ながら自身を回復させる力を補給できるらしい。

『へえ。お前からそう言うなんて珍しいな』

 先程の一言ですっかり機嫌を直したビリキナは、ボクの肩に腰をおろした。

 酒は、ジョーカーがたまに持ってくる。未成年であるボクが酒を買うことは難しいからだ。それと、ビリキナ曰く、ジョーカーが持ってくる酒の方が、ボクがわざわざ他大陸へ行って買ってくる酒よりも美味しいんだそう。そんなことを言われたら長時間かけて買いに行く気も失せてしまって、ボクの手持ちにはジョーカーから貰った酒しかない。

『そうと決まればさっさと帰ろうぜ!』
「急かさないでよ」

 ギャーギャーとビリキナが喚くものだから、ボクはほうきを飛ばす速度を徐々に上げた。夕日が完全に沈んでしまう前には自宅に到着し、鍵を開けて中に入る。

『ほらさっさと開けろよ、酒を』
 玄関に立った瞬間にビリキナが言った。
「ちょっと待って。確認しておきたいことがあるんだ」
『あ? ああ、どうせあれだろ? 早く済ませるぞ!』
「わかったから」

 手洗いとうがいを済ませてから、二階の自室に戻る。ベッドの上に鞄を置いて、クローゼットに隠してあった大きな直方体の箱を取り出す。目算二十五センチほどの箱を勉強机の上に置いて、がちゃがちゃと各部をいじって蓋を開ける。

「やあ」

 ボクは中にいた二人に声をかけた。返事はない。当然だ。

 一人は卵型の半透明の闇色をしたカプセルに入っている、小さな女の子。容器の中には特殊な液体が満ちており、それに浸された状態だ。クリーム色の髪は僅かに肩から浮き上がり、毛先は少し黒に染まりつつある。白い肌もやや黒ずんできており、表情は苦痛にゆがめられて、目は固く閉じられている。本当なら緑の瞳にも色に変化があるのかどうか確認したいけれど、叶いそうにないかな。ああでも、羽根の変化が見られた。淡い緑の羽根はだらんと垂れて、輝きを失っている。

 もう一人は、捕まえた時と変わらず拘束具をつけていることとこの箱に閉じ込めていること以外には特に何もしていない。けれど食べ物も何も与えていないから、衰弱しきっている。紫色の髪はボサボサで、ところどころに抜けてしまった数本の毛がばらまかれていた。琥珀色の瞳からは光が抜け落ち、カサカサに荒れた口はヒューヒューと渇いた息を吐いていた。

 二人とも、言葉を発する余裕なんてないだろう。

「うーん。
 ビリキナ、魔力を流してもらえる?」
『わかった』
 ボクが言い終わるよりも前に、ビリキナはリンの前まで飛んで手をかざした。
『こんなもんかあ?』
 カプセルの周りに浮く黒い粒子が一定数増えたのを見て、ビリキナは魔力の供給を止める。
「いいんじゃないかな。じゃ、行こうか」
 蓋を閉めて、再び箱をクローゼットにしまう。
『あーあー、お前も堕ちたなー』
 面白そうに言うビリキナに、ボクは言い返した。

「これは全部、ボクの意志だよ」

 第一幕【完】