ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.263 )
日時: 2022/01/08 09:02
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: wNoYLNMT)

 1

『学園再開のお知らせ』
 大きく見出しにそう書かれた、先週届いたプリントを手にし、ボクは溜め息を吐いた。
 登校再開日になったけど、結局、姉ちゃんは今日まで帰って来なかった。流石に今日は帰ってくるかな?

『ったりーな、学校なんて。サボっちまおうぜ』
「馬鹿なこと言ってないで、ほら、かばんの中に入ってよ」

 家において行くと、ビリキナは何をするかわからないから、いつも出掛けるときは連れて行っている。かといってボクの契約精霊が闇の隷属の精霊であることが知られるのはあまり良いことではないので、ビリキナにはたまにかばんの中で過ごしてもらうことになる。ビリキナはそれが嫌らしい。別にずっとってわけでもないのにな。

『別にかばんの中に入らなくてもいいだろ。このまま行こうぜ』
「えー」

 ボクは数秒悩んだ末に、ビリキナの希望に沿うことにした。姉ちゃんのように【精眼】を持っている人なんてそうそういないし、登校中だけなら大丈夫だろう。

「じゃあ、大陸を抜けるまでは入っててよ」
『へぇへぇ。わーってるよ』

 大陸ファーストの住民には、エクソシストや呪解師や、とにかく『闇』に対抗する力を持った家系や種族が多い。もちろんその中には『闇』の存在に敏感で、近くを通るとそれを感知する能力を持った者もいる。
 万一に備えて。それはビリキナも理解している。こいつは自由奔放で自分勝手だけど、馬鹿じゃない。

「行こうか」

 ボクの言葉を合図にビリキナはかばんの中に滑り込み、ボクは玄関のドアを開けた。

 戸締まりを終えて、ほうきにまたがる。ほうき乗りは昔から何度も何度も繰り返している魔法なので、無詠唱で行使することが可能だ。ふわりと腹が浮くような感覚がして、ボクは宙に飛び出した。

 うっすらと膜を張ってあるような大陸を取り囲む結界は、ボクにとって見慣れたものだ。これは古代から神々の祝福と結界のもりを任じられた家系の者によって維持され続けているものだ。しかし、近年その役割は機能しているように思えない。本来この結界は、大陸ファーストに何者も踏み入れられないようにするため、大陸ファーストの住人を外に出さないための『壁』であり『檻』だった。世界の終焉に耐えるための、『砦』であった。選ばれし民を滅びた世界の果てに連れていくための、神が用意した『箱舟』。

 でも、以前笹木野龍馬が易々と入ってきたのもそうだけど、結界が役割を放棄しているように思える。結界が弱まっているのではなく、結界自体が機能を停止しようとしている──姉ちゃんは昔、そんなことを口にした。

 厳格な制約の元、絶対の監視の元、閉じられた世界でのみ生きていた大陸ファーストの住人は、今や自由に海を渡り、気ままな生活を送っている。守の一族はあくまで『結界の守』を司っているのであり、住民の行動の制限の権利を神から賜っていない。結界、つまり神が人の行き来を止めないのであれば、守の一族はそれに対して何も口を出すことは出来ないのだ。つまり結界は形のみを維持しているだけで、その意味を持っていないということになる。

 ただし、姉ちゃんは先日の笹木野龍馬の来訪を無かったことにしている。具体的には、あの時笹木野龍馬を見た全員の記憶をねじ曲げているのだ。その理由は『余計な混乱を避けるため』。結界は往来を禁じるものではないが、それでも悪意ある者の侵入を拒む。ボクたちにとって『悪』の象徴である闇に従属する民の侵入は口煩い上のやつが騒ぐ可能性がある。姉ちゃんはあくまで、笹木野龍馬が余計なことに巻き込まれることを懸念したのだ。

 じゃり、と口の中の砂を噛み潰し、膜に触れる。結界は表面を波打つことすらせずに、抵抗なしにボクを外界へと放った。

『もういいよな?』

 ボクの返事を待たずに、ビリキナは空中をくるくると回った。ぐぐっとと背伸びをした後に、ぽすんとボクの肩におさまる。

『たまには暴れてーなー。お前はそう思わねえのか? いつもちまちました地味な作業ばかりしてよ』

 ビリキナの言うことも、まあ、理解は出来る。真白への誘導といいリンの『悪霊化』の件といい、成功するかも分からない気長なことばかりジョーカーは指示してくる。いや、正確にはジョーカーの上司? だけど。

 真白は簡単に堕ちた。呆気ないほどだった。もっとはっきり言えば、扱いやすかった。一目見て、飢えているとわかったからそこにつけ込んだ。優しくして親切にして、引いてから押して、押してから引いて。邪魔な契約精霊を引き剥がしたらあっという間に転がり堕ちた。勝手にボクへ特別な好意を持ったのは想定内で好都合だった。
 姉ちゃんほどではないにしろ、ボクは外見が整っている自覚はあるし、愛想を振りまくのも得意だ。恋心を抱かれる経験は少なくないし、それ故に真白がボクに恋心を抱いているのはすぐに分かった。
 あとになって、ジョーカーから任務の成功と真白の精神的な死が告げられた。真白は、『嫉妬』の悪意と相性がいい状態にあり、真白をそうしたのはボクだとあいつは言ったが、その部分はあまりよくわからなかった。

 問題は、リンだ。仮契約とはいえ姉ちゃんの契約精霊なだけあって、なかなか堕ちない。そういえばジョーカーは、精霊の悪霊化の実験は、かなり大昔から行われているものだと言っていた。
 そして、その実験にジョーカーが加わったことにより成功率が上がっていて、姉ちゃんの契約精霊に手を出すことにしたのも、ジョーカーが関わっているからだという面が大きいと、あいつ自身が語っていた。

「ボクの目的は姉ちゃんを知ることであって、暴れることじゃないからね」
『つまんねーやつ』
「というか、一昨日ダンジョンに行ったばかりじゃないか。せめてあと二週間は我慢して」
『じゃあ二週間後に暴れようぜ! よし、決定!』

 やれやれとわかりやすい溜め息を吐いたが、ビリキナは無視した。いつものことだと諦めて、ボクはほうきを握る手に力を込めた。

 2 >>266

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.264 )
日時: 2021/12/24 20:11
名前: ベリー ◆mSY4O00yDc (ID: tVX4r/4g)

お久しぶりですぶたさん。ベリーです。合作以来ですね。
久しぶりにバカセカに来てみたところ沢山更新されていて一気読みいたところです。毎回思うのですが、やはりぶたさんの描写は細かく、違和感がない文で、その文才が羨ましいぐらいです。
世界観も面白く、ぶたさんの影響で新しい作品に挑戦してみようと思いました。「神が導く学園生活」ですね。
すみません途中から私事になってしまいました。これからも応援しております!更新頑張ってください!

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.265 )
日時: 2021/12/25 23:01
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: jBbC/kU.)

>>264
ベリーさんお久しぶりです!
こんなに長いバカセカを読み続けてくださっていること、とても嬉しく思います。ありがとうございます。
羨ましいなんて、そんなそんな……照れますね。
「神が導く学園生活」ですか、興味を引かれる題名ですね。読んでみます!私に影響されてというのがまた嬉しいですね。
バカセカも最終章に入り残り短くなってしまいましたが、これからもバカセカをよろしくお願いします!!

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.266 )
日時: 2022/01/08 09:01
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: wNoYLNMT)

 2

 ボクが教室に入ると、賑やかな雰囲気が激変する。静まり返った空気の中、ボクは真っ直ぐに自分の席に向かって歩く。
「おはよう、ゼノ」
 戸惑いの色を浮かべていたゼノだったが、ボクがそう声をかけると、少しだけ緊張が緩んだように微笑んだ。
「うん、おハよう」

 ゼノイダ=パルファノエ。ボクが唯一交友関係を持つ女子生徒。

「アサヒ、元気にしテた?」
「肉体的には健康だったかな」
「なにカ、アったノ?」
「うん。あとで話してあげる」

 教室ここだと人目がある。いまボクたちの周りで小声で話されている内容は、きっとこの間のバケガク校舎崩壊事件のことだろう。あれは、先日生徒会長が王位継承権を正式に剥奪されたこともあって、世界中で話題になっている。生徒会長は父王に「あの場所には、天陽族の花園日向と、吸血鬼族の笹木野龍馬、そして悪魔と化したバケガク生徒の真白がいた」と話したらしい。それを受けて自宅には本家からの呼び出しの手紙が来た(まだ姉ちゃんには見せていない)し、笹木野龍馬も当主から尋問されたらしい。

 けれど、笹木野龍馬は何も語らないと新聞記事には書かれていた。生徒会長は悪魔(真白)がかけたと思われる呪いによる不治の病とやらで深い眠りについているらしく、情報源が笹木野龍馬しかないようで、記者やら貴族やらは笹木野龍馬が属する家に圧力をかけたそうな。すると今度はその家の当主が外部からの圧力を疎ましく思い、世界各国の王族貴族と冷戦状態になったとか。それによってさらに情報が入手しづらくなり、頭を抱える連中も少なくないという。

 ああ、いや、元生徒会長だな。たしか今はエリーゼ=ルジアーダが代理で生徒会長をしているんだった。来年度に向けて近々生徒会総選挙が行われるまでの短い任期ではある。しかしその生徒会総選挙に向けて勢力争いが勃発していて、現生徒会長は問題行動をする生徒の鎮圧に奔走していると聞いた。ここ二、三年は元生徒会長が生徒会長を務めていたためその席を争う者は少なくなっていたが、席が空いたことにより再び争いが起こってしまった。さらにしばらく大人しくしていたため、その数年分の蓄積が爆発してしまい、酷いときだと分単位で問題が起こるようになってしまったという現状だ。
世界中でもバケガクでも、面倒くさいことになっている。

「あトで……っことは、また一緒二オ昼ごはんを食べらレルの?」
「うん。そういうこと」
 ゼノは胸の前で手を組み、はにかんで見せた。
「うれシい。ありがとう」
 何もお礼を言われるようなことはしていない。そう思いつつ、ボクは言う。

「どういたしまして」

 こうしてボクらがいつもの日常会話をしている間も、周囲のざわめきは止まない。

 ──面倒くさいな。

 でも、反応するのも面倒くさい。あいつらと会話をしてもボクに利益なんてないんだから、無駄でしかないし。
 大丈夫。いつものことだ。いつものように耐えればいい。耐えることは得意だ。何故? 何故ボクが耐えねばならない? あんなやつらのために、ボクが、何故。

 不快感は増すばかり。だけど不安そうにボクを見つめるゼノを見て、少し気が落ち着いた。

「大丈夫だよ。いつものことだ」

 今度は、ゼノの表情は晴れなかった。ボクに合わせて、無理に笑ったようだった。

 キーンコーンカーンコーン……

 始業のベルが鳴る。入ってきた担任は、なんとなく感じる居心地の悪さに首を傾げていた。

 3 >>269

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.267 )
日時: 2022/01/03 02:13
名前: げらっち (ID: 10J78vWC)

はじめて本スレにお邪魔します!雑談掲示板で干されたので!(オイ
自称バカセカファンのゲラッチです。
全部読んでいますし、これからも読みます。ひと段落着くたびに感想を投稿しようと思います。

目に異常って大丈夫……?
私も目は大分悪いが。

スナタって筋肉質だったのか!可愛いぺろぺろ
メイン4人の身長など知りたいな……?

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.268 )
日時: 2022/01/03 22:08
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: oQuwGcj3)

いらっしゃいませ!
いつも読んでくださり、さらに感想も言ってくださり、本当にありがとうございます。

目に関しては、現在は落ち着いています。

スナタ可愛いですよね……まて、スナタはギリギリロリじゃないと思うぞ。ぺろぺろするんじゃない。ウチの子に変なことしないでください。
身長等は雑談板のみずかれにて、後日キャラまとめを一人ずつ投稿する予定ですので、良かったら見てください!

ありがとうございました。

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.269 )
日時: 2022/01/15 09:38
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: SgaRp269)

 3

「朝日くん、ちょっと」

 昼休み。昼食をとるためにゼノと一緒に移動しようとした直後、そう声をかけられた。
 えっと、誰だっけ。喉につっかかってすぐに名前が浮かばない。
 一束にまとめた緑の髪。金の瞳。尖った耳。エルフか? ボクよりも小柄だから、可能性はある。

 いや、違うな。〈アビアの一族〉だ。思い出した。種族精霊の一つである正真正銘の妖精。学級委員をしているアビア=カシェだっけ?
「なに?」
 話したことがあるかも分からないし、話しかけられるようなことをした覚えもない。今朝のことを考えると姉ちゃんのことかもしれないとふと頭をよぎったが、そのことでわざわざボク個人に話しかけてくるとは思えなかった。

「今日の放課後、空いてるかな? むりなら、明日でもいいんだけど」
「空いてるよ。ボクに何か用?」
「うん。ちょっと、ね。そのまま空けておいて欲しい。放課後この教室で、先生も交えて話したいことがあるんだ」
「先生と?」

 ますます訳が分からない。先生と話すことなんてあったかな。一応ボクは優等生で通しているし、真白の件ならいちいち学級委員やら担任教師やらと話さずに一気に『そういう』機関に連れて行かれるだろう。

「わかった。で、何を話すの?」
「それは……」

 カシェはボクのそばにいるゼノを見た。なるほど、聞かれたくない、か。
「休み時間が無くなるから、ボクたちはもう行くね。行こう、ゼノ」

 返事も待たずに歩き出すと、ゼノはボクについてきた。後ろから、緊張が緩んだような溜め息が聞こえた気がした。

「どこで食べる?」
「えっと、裏の森の、あそこ」
「わかった。なら、ちょっと急ごうか」

 入学したての同クラス内ではあまり知られていないが、裏の森には休憩所のような場所がある。森の向こうに移動するときや図書館に行くときに使う道からはやや外れているため、多くの生徒が見落としている穴場だ。それに、あそこに行くには道なき道を歩くことになるし、何より遠いから、あそこを知っている人もあまり来ない。ボクらだって人のことは言えない。あそこで食べるよりは屋上なんかで食べることの方が多いのだから。

 正面玄関から校舎の外へ出ると、『四季の木』周辺に人が集まっていた。賑やかな昼食の時間を楽しんでいる。でも、ここ最近冷えてきたからかいつもより人の数が少ない。昼食を終えてそそくさと校舎に入っていく人がいるのも、ちらほら見える。

「アサヒ、さムくない?」
 ゼノは〈コールドシープ〉という種族で、北国出身らしく、寒さに強いらしい。その代わり、夏は基本バテていた。
「平気だよ」
 ボクは感情が欠落している。寒いも暑いも、認識はするけど『感じない』。寒いとは思うけど、だからと言って何も無い。

『平気』。その言葉に、嘘はない。

 校舎から離れるにつれて、人通りも少なくなり、やがて一人も通行人を見なくなった。ボクらは整地された道を外れて、がさがさと草を分ける。だけど別に全く道がないとかではなく、草が踏まれた跡が道の役割をこなしているのだ。非常にうっすらであるのと、周りの風景と同化しているのとで、見えにくいだけで。

「ふぅ」
 ゼノが息を漏らした。目的地に到着して、無意識に出たものだろう。疲れたというような表情はしていない。怪物族だからか、体力なんかはかなりあるということを、しばらく一緒に過ごしてみて知った。

 そこは、綺麗な場所だった。

 木漏れ日が森の中を優しく照らし、金色の光を反射させる白のガゼボを浮かび上がらせている。ガゼボにはつるが巻きついていて、空色の蕾をつけていた。
 周りの風景も合わせて、まるで一つの芸術作品であるかのように、そこに存在していた。

 そこに、見知った影が一つ。

「姉ちゃん?」

 静かに存在を主張する美しい金の髪が、ふわりと揺れた。冷たい空気が髪をやわらかになびかせ、振り向いた姉ちゃんの横顔を露わにする。
 隣でゼノが息を止めたのを感じた。ぎゅっと拳を握りしめ、体を強ばらせているのがわかる。

 なんの感情も浮かばない、虚ろな白眼がボクを捉える。

「どうしてここにいるの? ほかの三人は、今日は一緒じゃないんだね」

 昨日までに帰って来なかったことについて文句でも言ってやろうと思ったけれど、やめた。そんなのどうでもいいや。ボクは走り寄って姉ちゃんの横に腰掛ける。

「龍馬は、登校してない。蘭は先生から呼び出されて、スナタから『たまには別々で食べよう』って言われた」
「そうなんだ。じゃあ、ボクたちと一緒に食べようよ!」
 姉ちゃんは数秒止まった。多分、ボクの口から「ボク『たち』」という言葉が出たことと、ゼノの意志を確認せずに言ったことについて考えているのかな。

「ね! ゼノもいいよね?」

 ボクがゼノを見ると、ゼノは一瞬固まって、そしてブンブンと首を縦に振った。
「ならおいでよ。座って食べよう」
 ボクが駆け出した時に居た場所から全く動かないでいたゼノに声をかけると、ゼノはあわてて駆け足でガゼボに近寄った。そして大回りをして、姉ちゃんがいる場所とは正反対の入口から中に入り、三十センチほどの間隔を空けてボクの隣に座った。

 ゼノの手は小刻みに震え、表情は未だに硬い。そんなに緊張しなくてもいいのにな。
「ああ、そうだ。姉ちゃん、紹介するね。ボクの友達の、ゼノイダ=パルファノエ。姉ちゃんのファンなんだってさ」
「アサヒ?!」
 ボクが言うと、ゼノは弁当箱を開けようかとまごついていた手を滑らせて、危うくそれを落としそうになった。間一髪で拾ったようだから、大事は起こってない。

「ファン?」

 姉ちゃんが首を傾げると、ゼノがアワアワと口を開く。
「あっそノ。えっと、えッと!」
 しばらく見ていると、息もまともに吸えていなかったようで、喉に手を当てて小さく咳き込み始めた。ゼノが先に何かを言うのを待っていた姉ちゃんだったけれど、見かねたのか、口を開く。

「貴女のことは、覚えている」

「アッ」

 ゼノは突然立ち上がり、姉ちゃんの前に移動して、深々と頭を下げた。大柄であることを気にし、膝をついて、頭の位置が姉ちゃんの頭よりも低くなるようにして。まるで土下座のような格好だ。
「先ジツは、失礼しました!」

 先日? 姉ちゃんとゼノは、面識があったのか?

「怒ってないし、その事でもない」
 姉ちゃんはベンチから降りて、ゼノの顔を覗き込んだ。
「服が汚れる。とりあえず、立って」
 至近距離に姉ちゃんの顔が来たゼノは顔を真っ赤にして、勢いのままに立ち上がった。少し頭がふらついている。
「私が言ったのは、貴女自身のこと。貴女が入学した時のこと、貴女がここに入学した理由、それから、ある程度の経歴。私も貴女と同じように、貴女に興味を持っていた。一番興味があったのは、貴女の姉であるけれど」

「わたしと、同じヨウに?」
「正確に言うと、思い出した。貴女の名前と顔と、それから〈呪われた民〉の本を大量に読み漁るというその行動を、どこかで確認した覚えがあった」
「そう、ナんでスね」
「〈呪われた民〉についての知識は、既に脳に蓄えがあるはずなのにまだ調べているということは、それは姉ではなく私に関することと予想した。何年も経ったいまでもそれを続けているとは思わなかった」
「それは、ソノ、なんトナく、習慣づいてしまって」

 もじもじと手を動かして視線を泳がせるゼノに、姉ちゃんは続ける。

「貴女が朝日と知り合いということには、正直驚いた。だけど、朝日の友人が貴女であることは、嬉しい」

 そして姉ちゃんは、表情を変えた。冷たい瞳はそのままに目を細め、口で弧を描いた。微笑んだ。
 花のような、しかし華のようではなく。言い表すなら、百合、そして、向日葵。聖女のような清らかさと、太陽と形容するほどの眩しさは無いもののそれと同様の暖かさを持った、微笑だった。

 息が、止まった。脳が耳から入る音を一切認識しなくなる。
 重くも軽くもない静けさの中、姉ちゃんの声だけが、涼しげに響く。

「朝日を、よろしく」

 心臓が、どくどくと音を鳴らす。周りは静寂ではあるものの、さわさわと、草木が擦れ木漏れ日が揺らめく音がする。
 時間が止まったのは、ほんの数秒のことだった、
 ゼノも顔を真っ赤にして、口を開けたり閉じたりしている。
「ひゃい……」
 絞り出した言葉は、なんとも情けないものだった。

 4 >>274

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.270 )
日時: 2022/01/08 10:58
名前: 謎の女剣士 ◆7W9NT64xD6 (ID: b.1Ikr33)

は、初めましてですね。

早速読みました。
朝日くんを宜しくと言うお姉さん、優しいですね。
いつもの3人は、仕方ないですね。
一緒にいる人も素直に謝っていて、お姉さんは許してくれましたね。
何があったにしても、ほのぼのしてていいです。

時々ですが、また来ます。
続きを楽しみにしてますね。

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.271 )
日時: 2022/01/10 08:00
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: eK41k92p)

>>270
感想ありがとうございます。

そうなんです。日向は優しいんですよ。あまり知られてないことかもしれませんが。
第三章、そして第四章第一幕でバタバタしていたので、みんな忙しいんですよね。もう一度四人揃ってゆっくり昼食をとれる日は来るのでしょうか。
許したというか、そもそも日向はあの時のこと、既になんとも思っていませんでした。それでもちゃんと謝ったゼノ、えらい!
そうですね、この辺りはまだほのぼのとしています。ここからどんどんシリアスに走りますのでお楽しみに!

続きを楽しみにしているという言葉、とても嬉しいです。
感想ありがとうございました!

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.272 )
日時: 2022/01/13 18:01
名前: げらっち (ID: AQILp0xC)

最初からもう一度読み直しています。わかって読むとそれもまた面白い!

1回目に読んだとき見つけて、その後見失っていた誤字を発見しました。
>>24の最後 リンに行った。→リンに言った。

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.273 )
日時: 2022/01/14 20:06
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: l2ywbLxw)

>>272
誤字報告ありがとうございます。訂正しました。

面白いというお言葉、とても嬉しいです!これからも頑張ります。

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.274 )
日時: 2022/01/22 10:11
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: feG/2296)

 4

 姉ちゃんは笑顔をすぐに消して、ベンチに座りなおした。それを見たゼノも再びボクのとなりに腰を降ろして、ボクたちの顔をチラチラと見ながら、おずおずと弁当を広げる。
「姉ちゃん、いつ帰ってくるの?」
 ボクは尋ねた。姉ちゃんは口に含んだ食べ物を飲み込んでから、返事をする。
「まだ、帰れない」
 なんとなくそんな気はしていた。予想はしていた。だけど。

「いつ、帰れる?」

 姉ちゃんの制服の袖を、ぎゅっと掴む。こうしていないと、もう二度と姉ちゃんに会えないような気がして、不安なんだ。
 同じ家に住んでいてもあまり顔を合わせないのに、姉ちゃんが、もう家に戻ってこなかったとしたら。思えば姉ちゃんは、『白眼の親殺し』の一件があって以来、ボクと距離を置こうとしている。姉ちゃんが事件の犯人だと世界中が勘違いしたそのスピードは驚異的なものだった。

 まるで、前々から計画されていたかのように。

 当時はあまりにも物事が早く過ぎ去ったから、両親を失ったショックからまだ抜け出しきっていなかったボクは、時間の渦に呑まれるしかなかった。そして気がついた頃にはボクはじいちゃんの家に居て、姉ちゃんとの接触禁止が言い渡されていた。姉ちゃんのいなかった八年間は、なにもかもが空っぽだった。花園家当主の孫だからと、甘やかされるか、媚びを売られるかの繰り返しの日々。幸せなんて、どこにもなかった。

 喉の渇きにも似た飢えを、いつまで経っても満たせない。溺れているかのような息苦しさと、それから、それから、……なんだっけ。
 自分の望みもわからなかった。育った環境があまりにも哀れだからと周りの大人はボクをとことん甘やかした。欲しいものはなんでも買って貰えた。姉ちゃんに会わせてもらうこと以外なら、じいちゃんやばあちゃんはなんでも叶えてくれた。それじゃ足りなかった。じいちゃんもばあちゃんも他の大人も、ボクを道具としか見てなかった。じいちゃんとばあちゃんから生まれた母さんはばあちゃんに瓜二つの容姿で生まれ、花園家の子供としては欠陥品だった。母さんと父さんの間に生まれた姉ちゃんは白眼を持っていて、ボクはやっと生まれた成功作だった。

 大人たちが見ていたのは『ボク』ではなく、ボクが持っていた容姿と能力と花園家当主になる資格だった。ボクを愛していたのではなく、ボクを利用する機会を伺っていたのだ。じいちゃんとばあちゃんはまだマシだったけど、そうであってもボクと姉ちゃんを差別していることが許せなかった。
 心を許せる人が一人としていなかった。姉ちゃんだけだった。ボクを『ボク』として、弟としてそれ以上でも以下でもなく真正面からボクを見て、そして受け入れてくれたのは。ボクには姉ちゃんしかいなかった。それと同時に姉ちゃんにもボクしかいないはずだった。そうでなければいけないはずだった。

『勘違いしない方がいい。日向ちゃんはボクらのものだ。他の誰でもない、ボクらの』

 ジョーカーの言葉が脳裏に浮かんだ。

 姉ちゃんは独りじゃない。笹木野龍馬がいて東蘭がいてスナタがいる。ジョーカーだって学園長だって、ボクの知らない姉ちゃんを知っている。姉ちゃんには、ボク以外の誰かがいるのだ。

「わかった。明日、帰る」

 頭上から姉ちゃんの声がした。ボクが掴んでる方とは逆の手でボクの頭を姉ちゃんは撫でる。
「元々は今日帰るつもりだった。予定を変更したのは、様子見しなさいって学園長に言われたってだけだから」
「ほんと?!」

 ボクは顔を上げて姉ちゃんを見た。

「うん」

 嘘は言ってない。じっと顔を見つめてそれを理解し、ボクはやっと安心出来た。
「待ってるからね」
 ボクが言うと姉ちゃんは頷き、少ない荷物を持って立ち上がった。それに合わせてボクも手を離す。

「それじゃあ、私は戻る」

「うん、じゃあね!」

 引き止めたってどうせ意思は変えないだろうから、ボクは笑顔で手を振った。横でゼノもぺこりと頭を下げる。姉ちゃんは特別なアクションはとらず、静かに去っていった。

 姉ちゃんの姿が見えなくなって数秒後、ゼノは大きくため息を吐いた。

「はー、ビっくリシた」
「どう? すごいでしょ、姉ちゃんは」

 にやにやしながら聞いてみる。ゼノの手はまだ震えていて、顔も赤い。
「ウン、すごい。やっパりキレイ。雰囲気も静かでガラスざイクみタいで、エット、エット」
 今度は興奮で頬を紅潮させ、両手を拳に握ってボクに語る。
「ソレに、笑顔がステキだった。あんナカおもするンダね」

 あまり姉ちゃんを自慢出来る機会はないので、ボクは何度目かも分からない姉自慢を再びゼノに繰り広げる。

「そうなんだよ! 姉ちゃんはまず、とにかく美人なんだ。髪は陽の光に当たるとキラキラ光って、伝説上の、天使族みたいなんだ。昔は仲のいい人には『アンジェラ』って言われたりしてたんだよ。日常的に呼ばれてたんじゃなくて、たまに冗談めかして、だけど。それでね、頭もいいんだよ。魔法の公式は全部頭に入ってるし、今現在提唱されている、例えば魔法障害なんかの原因の仮説とかも沢山知ってるんだ。筆記のテストは、どうしてかは分からないけど手を抜いてるみたいで成績は良くないらしいけど。
 魔法の才能もあってね、ボクなんかじゃ足元にも及ばない。二歳や三歳でほうき乗りをマスターして、五歳の頃には既にダンジョンに潜ってたんだってさ」

 姉ちゃんは冒険者登録をしていて、ランクはCだ。以前何度かギルドカードを見せてもらったことがある。実力は明らかにAかSなのにどうしてCランクに留まっているのか尋ねたところ、ランクを上げるにはいくつかの条件があるらしく、そのうちの一つに〈ランク認定試験〉というものがあると言っていた。それを受けなければいくら経験値を貯めてレベルを上げようとランクを上げることは出来ないシステムになっていて、姉ちゃんはその試験を受けていないからCランク止まりなんだとか。

 姉ちゃん曰く、ランクを上げ過ぎると世間から冒険者としての名が売れてしまい、自分が白眼であることも関係して、逆に冒険者として動きにくくなってしまう恐れがあるらしい。姉ちゃんはお金を浪費するタイプではないからCランクで受けられるクエストをこなせばそこそこのお金は貯まるから問題は無いと言っていた。『白眼の親殺し』からの八年も、学園からの援助も受けつつ経済面はそうやって補ってきたそうだ。

「それにね」

 楽しそうにボクの話を聞いてくれるゼノに、ボクは言った。

「姉ちゃんは、とっても優しいんだよ」

 5 >>275

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.275 )
日時: 2022/07/25 08:13
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /p7kMAYY)

 5

「ねえねえ、アサヒ。それデ、なにガあっタノ?」
 ボクの姉自慢を聞き終えて、ゼノが言った。

「あ、そうだね。ごめん、今から話すよ」
 忘れていたわけではない、というのは、嘘といえば嘘だし、嘘じゃないと言えば嘘じゃない。姉ちゃんに会ったことで意識の隅に追いやっていたのは否定しないけど。

「どこから話せばいいかな」
 どこまで話せばいいかな。

 姉ちゃんは確実に、先日バケガクで起こったことを秘密にしたがっていると思う。その場にいた全員が口封じの契約を結ばされていたことからもそれは明らかだ。でもボクは契約を結んでいない。ボクはあの日何があったのかをゼノに伝えることが出来る。そういえば、学園長も姉ちゃんも誰も、どうしてボクに口封じをしなかったんだろう。契約はおろか、口外するなとも言われていない。

「ゼノは、どこまで知ってるの?」
 真白のことから話さないといけないのかな。

「確かバケガクの生徒が悪魔化して、校舎を破壊シタんだよね? それで、そノ場には花園先輩と笹木野先輩がイテ……エット」

 なるほど、その辺りか。
 まあ、ボクも真白が暴走した時のことは知らないんだよね。
「そうだね、その辺りはボクも詳しく知らない。あの時は知っての通り、学園長の【転移魔法テレポート】で広場にいたからね」
 そして確か、ゼノは図書室に居たんだっけ?

「うん、覚えてル。あの日アサヒと合流デキテ、スごく安心した」
「ゼノ、少し涙ぐんでたもんね」

 くすくすと笑いながら言うと、ゼノは顔を真っ赤にして黙ってしまった。

「ボクが知ってるのは、バケガク修復について。ほら、校舎を見てご覧。真白先輩が暴れてバケガクが崩壊したはずなのに、まるで何事も無かったかのように元通りでしょう?」
「アッ、それ、噂にナッてたよ。《バケガクよろずの謎》でしょ?」

 急に出てきたゼノの言葉に、ボクは首を傾げた。

「なにそれ?」

「シラナイの? 
 そっか、アサヒはバケガクに入学して一年目だもんネ」

 ゼノはバケガクに入学して六年めになる。姉ちゃんや真白もそうだけど、退学しない限り、Ⅴグループの生徒は在学期間が長い場合がほとんどだ。それは他種族の生物が在学するバケガク故の進級システムが関連する。

 まず、希望者は年度末に進級テストというものを受けることが出来る。その結果次第で進級、飛び級が可能だ。このテストはペーパーテストだけでなく、魔族は魔法実技試験も加わる。バケガクは魔法が全てという考え方ではないのでそれ以外にも進級する方法は無くはないが、基本はこうだ。

 そしてその『テスト以外で進級する』方法の一つに、『在学日数』というものがある。在学日数が三年になると進級テストの合格基準点が下がり、進級しやすくなる。在学日数が五年になると、進級テストがペーパーテストか魔法実技試験のどちらかだけ、あるいは合格基準点をさらに下げることが出来る。

 在学日数が十年になると、自動的に進級出来る。

 寿命の短い種族だともう少し間隔が短くなったり、個人の能力によって例外として多少変わったりするけれど、原則としてはこうだったはずだ。

「デモ、言葉の通リだヨ。《バケガク万の謎》は、バケガクにたくサンアる都市伝説や伝セツノ総称。その一つに、『再生する校舎』っていうのがあるの。誰カがツけちゃったキズなンかが翌日には直っテイたりスるラシいの。
 他にモ『通達の塔』とか、あと図書館にツイテの都市伝説とか、とにカクいッぱいあルンだよ」

 言われてみれば、確かに、バケガクほど歴史もあり特殊な学校なら、都市伝説くらいあっても不思議じゃない。

「そうなんだ。えっと、それでね、このバケガクを直したのは姉ちゃんなんだ」
「そうなの!?」
 ゼノは驚いたようで、目を見開き口を手で覆った。そして口に含んでいた食べ物を飲み込み、言う。
「すごいね……こんなに大きなバケガクを直しちゃうなんて」
 おそらくゼノはわかっていない。きっとゼノは、姉ちゃんが行った魔法をただの【修復魔法】だと思っているのだろう。元の状態に戻すのではなく、あくまで『自分の脳内にある元の形』に戻す魔法である、と。
 まあ、それもそうだ。その【修復魔法】ですら、一人でこの大きなバケガク、そしてあの崩壊具合を元に戻すとなるととんでもない労力が必要となる。誰が【再生魔法】──空間精霊を寸分すらの狂いなく再構築する魔法を使ったなど考えるだろう。そんな魔法が存在することすら知らない人がほとんどに違いない。

「うん。姉ちゃんは凄いんだよ。でも、やっぱりすごく疲れちゃったらしくて、ずっとバケガクで休んでいて、この学園閉鎖期間、家に帰って来なかったんだ」
「そういうコトだったんダね」

 朝のボクの言葉の理由を理解してくれたのか、ゼノは頷いた。
「デモ、今日帰ってくるンだよね。ヨカったね」
「うん!」

 話すのは、この辺でやめておこう。全てを話すにはあまりにも濃い。それにただ単に、知られたくない。ようやく知れた、姉ちゃんの知らなかった部分を教えたくない。

「そういえば、進級試験の勉強は進んでる?」
「むぐっ!」

 ボクが言うと、ゼノは咳き込んだ。

「シ、神話なら、多分デキるか、なあ?」
「それは元から知ってることであって勉強したわけじゃないでしょ? というかそれすらも曖昧で、大丈夫?」
 ゼノは〈呪われた民〉を調べるついでに神話にも興味を持ったらしく、神話の雑学のようなものも沢山知っている。

 ただしその分、授業で習うようなことは度々抜けている。

「がんばッてはイルんだよ?」
「ゼノはFクラスに上がれるのかなー? ゼノが一緒じゃないとボク寂しいなあー?」
「ウッ」

 黙り込んでしまったゼノを見て満足し、ボクはゼノに笑いかけた。

「だからさ、これから時間が合うときは、放課後一緒に勉強会しない? ボクも勉強したいところとかあるからさ」
「イイノ? あ、でも、アサヒって頭いいのに、何を勉強するノ?」
「いやいや、買い被りすぎだよ。ゼノが得意な神話、苦手だし」
「そんなこと言って、『ニオ・セディウムの六帝』言えるデショ?」
「えーと、順番にテネヴィウスプァレジュギスイノボロスドュナーレディフェイクセルムコラクフロァテノックスロヴァヴィス……」
「ほラぁ!!」

 6 >>278

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.276 )
日時: 2022/01/20 19:32
名前: げらっち (ID: 7dCZkirZ)

第一部、RPGの冒険みたいで面白い!
ダンジョンやアイテムボックスの設定も凝っていていいねぇ。
メイン4人のキャラが立っていて、お互い弱い所をカバーしているのもよかった。
日向の殺戮シーンは何度見てもえぐい(←過去の感想でもこれ書いてました)。しかし、腕は蹴っただけで取れるのか?
真白つかえん…スナタがにこやかに真白を諭すのもgood。

第三幕あたりから、「さらさらさら」「じゃぶじゃぶ」「ごそごそごそ」「ぐらぐら」など、擬音語が続いて居るのも特徴的。
「無理、だろうね。」「楽しみで、仕方ない」「嗚呼、楽しい。」などの日向の視点にドキドキしますなぁ。

謎のジョーカー。ボスの下の下の下で、組織の切り札。結構上ってことか?
キャノンボールクラゲェ!!

感想書くの下手だ……

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.277 )
日時: 2022/01/22 09:59
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: feG/2296)

>>276
いつも感想をありがとうございます。

面白いですか、良かったです!
そう言って貰えて嬉しいです。
キャラのバランスは特に苦手としている要素の一つなので、そう言って貰えて嬉しいです。
言ってましたね笑 あのシーンは自分でもギャーギャー言いながら書いてました。お気に入りです。腕のことは気にしないでください。私も疑問に思ってるんです。殺戮シーンを書きなれていなかった頃に書いたやつなのでおかしな点は多々ありますがご了承ください。
真白さんにはもう少しくらいは活躍してもらうはずだったんですがね。あれ?

バカセカは擬音語多いですね。
日向は危なっかしい、しかしそこがかわいい。

ジョーカーについてはようやくもう少しで出てくる『予定』です。ようやく。クラゲェ

感想ありがとうございました!!

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.278 )
日時: 2022/01/26 08:00
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: sqo3oGwV)

 6

 あー、面倒くさいな。

 ゼノと色々話し合った結果、今日から勉強会をすることになった。下校時刻までは放課後でも教室は開放されているから、教室で勉強会をする。これは今回が初めてではないのですんなりと決まった。ただし、ボクはアビア=カシェと先生とで話をしないといけないので、それが終わってから。待っている間、ゼノは図書館にいるらしい。

 本当に面倒くさい。

 一人で教室の席に座って待っていると、アビア=カシェが側へ寄ってきた。
「残ってくれてありがとう。そろそろ先生が来るはずだから、もう少しだけ待っててくれる?」
 言われなくても、今更去るわけないじゃないか。馬鹿なのか?
「うん、わかった」

 愛想笑いは得意だ。

 アビア=カシェはほっとしたように表情を緩める。そしてボクの前の席に座り、体をこちらに向けた。
「朝日くんは、パルファノエさんと仲がいいんだね」
 黙っててくれないかな。別に、ボクは会話がなくても気まずくもならないし不快にもならないんだけど。むしろ会話が不快だ。
「そうだね。話す人はほかにもいるけど、特に仲がいいのはゼノかな」
「そっか。実はね、僕も朝日くんと友達になりたいと思っててさ。良かったら、これから仲良くしてくれると嬉しいな」
「え、ボクと?」
「うん」

 なんで?

「もちろんいいよ。そう言って貰えて嬉しい」
「よかった! 改めてよろしくね」

 ガラッ

「待たせちゃってごめんね!」
 慌ただしく登場したのは担任のロアリーナ先生。通称ローナ先生と呼ばれている女性で、性格のキツそうな顔立ちに反して天然の混じった柔らかな性格の、占いが得意な先生だ。

 ロアリーナ先生はボクたちが座っていた席の近く、正確にはアビア=カシェの隣に座った。すると、ボクが二人と対面する形になった。少し距離や座る位置を調整したあと、ロアリーナ先生が切り出した。

「何を話すか、もう聞いてる?」
「いえ、特には」
「あら、そうなの?」
「はい」
 ロアリーナ先生は疑問符を顔にうかべてアビア=カシェを見て、それからボクに言った。

「話したいことはね、朝日くんのお姉さんのことなの」

 ゾワッと全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。すぐには消えない悪寒の余韻が気持ち悪い。
 なんだ? 何が聞きたい? 話したいってなんだよ何を話すつもりだよ嫌だ嫌だこっちに来るな近寄るな踏み込むな踏み荒らすな。

「カシェくんがね、朝日くんのことを心配していたの。それで自分に出来ることがないかってまずは私のところに相談に来てくれて、それで、朝日くんがどうして欲しいのかを聞こうって話になったの」

 ボクは自分から姉ちゃんのことを打ち明けたことは無い。けれど苗字も同じで名前も似ているし、髪色や髪質も似ている、それに姉ちゃんが悪魔祓い師の家系なことは有名でボクの魔法適性もそちらに傾いているので、ボクと姉ちゃんの関係に気づくことは容易だ。ボクは姉ちゃんと違って、姉ちゃんの弟であることを隠しているつもりは無い。大っぴらにひけらかすのは姉ちゃんが望まないから、『自分から』言わないだけだ。

「朝日くん。もし、もしよ? もし何か悩んでいることがあるのなら、教えて欲しいの」
 ああそうか、ロアリーナ先生は少なからず人の心が読めるんだっけ。それで『勘違い』したんだな。
「悩んでることなんて、ありませんよ」
 あったとしても、お前らに言うもんか。
 お前らに、何が出来るっていうんだよ。

「急に話してって言われて混乱するのはわかる! でも、信じて欲しい。僕と先生は本気で朝日くんのことを心配してるんだ!」
 アビア=カシェが言った。

 だから? 心配してて、それがなんだって言うんだよ。迷惑でしかない。なにもありがたくない。なにも。
 あー、なんて言おう。面倒くさいな。いちいち関係を悪くしないためにどうするべきか考えないといけないのが本当に面倒くさい。
 いっそ怒鳴り散らして、教室を飛び出してしまおうか。

「これ、見て」
 そんな風に思考を巡らせていると、ロアリーナ先生が持っていた紙、資料を広げた。
「知ってる? バケガク保護児の話」
 ボクは頷いた。その話は以前ゼノに聞いたことがある。

 周知の事実、バケガクには様々な生徒がいる。姉ちゃんみたいに自分の力を隠している生徒、笹木野龍馬のような天才や、真白のような根本から全てに劣っている生徒。

 そして、ゼノのような複雑な生い立ちを背負う生徒。

 ある意味ゼノはボク以上の苦労人だ。ゼノみたいな特殊な事情を抱えた生徒は在学中や卒業後、生活することすら困難な場合が多い。そんな彼らを救うべくして出来た制度が、バケガク保護児制度だ。
 厳密な審査に受かって保護児になると、奨学金や寮、個人に合った冒険者ギルドのクエストの手続きなど、学園側から多大な支援がもらえるらしい。保護児の主な就職先は、バケガク職員だそうだ。

「実はね、そのバケガク保護児になるための条件に、朝日くんも該当する場所があるの。ここを見て」
 ロアリーナ先生が指した部分には、こう書いてあった。
『聖サルヴァツィオーネ学園 保護児の条件
 …………
 ・家庭内に、生徒に肉体的又は精神的に危害を加える恐れのある者がいる場合
 …………』

 紙を埋め尽くすかのごとくびっしりと並べられた文字の中で、その文言だけが目に入ってきた。

 怒りは湧いてこなかった。こんなことにはもう慣れた。
 怒りは湧いてこなかった。その代わり、ため息が出た。

「じ、実際にどうなのかは、僕たちにも分からないよ。でも要は、審査を通り抜けられればそれでいいんだ。朝日くんのお姉さんは、きっと朝日くんから学園に申請すれば、きっと学園も認め」
「いらない」

 ボクはアビア=カシェの言葉を断ち切って言った。笑みを浮かべて、アビア=カシェを見た。
「ボクね、幸せなんだ。ずっっっと姉ちゃんと離れ離れに暮らしてたんだ。わかる? 八年間だ。八年もの間、ボクは最愛の姉に会うことを許されなかったんだ。ようやく会えたんだ。姉ちゃんに、やっと。
 それを邪魔するな」

 もっとオブラートに包むつもりだったのに。まあ、いっか。こいつらを怒らせてしまったとしても、ポクには関係ない。ボクには姉ちゃんさえいればそれでいいのだから。

「失礼します」
 そう声をかけて、何か言っている二人を残して教室をあとにした。

 7 >>279

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.279 )
日時: 2022/01/29 08:00
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: iTqIkZmq)

 7

 ゼノの姉は、〈呪われた民〉だった。

〈呪われた民〉というのはいわゆる蔑称で、種族を指すものではない。彼らは突然変異で生まれてくる。
 白い髪に白い瞳、白い肌に、額には蒼の水晶。寿命は短く、死ぬと大地が凍る。近くにいる者は〈呪われた民〉が放つ魔素に耐えきれず、耐性のない者は酷い場合は命を落とすこともある。
 そんな彼らを快く思う者など、誰もいない。今でこそ〈呪われた民〉は誕生せず、おとぎ話の中の存在と化しているが、実際に彼らに会ったことがある者はたまったものじゃないだろう。

 しかし、ゼノはそうではなかったらしい。ゼノは姉を慕っていたそうだ。
 姉は一族の領地にある隔離塔に幽閉され、滅多に会うことは出来なかったとゼノは言っていた。ボクたちが親しくなったのは、そういう似た境遇に立っていたという親近感が始まりだった。
 姉ちゃんも昔、今の家ではなくじいちゃんたちの家で一緒に住んでいた頃は、一人だけ離れに隔離されていた。だからボクもゼノと同じように、姉ちゃんとは簡単には会えなかったのだ。

 ゼノの姉は、自身のことを理解していた。なぜ自分が生まれたのか、〈呪われた民〉とはなんなのか、この世界のこと、神について。けれどゼノにそのことは語らなかった。話すことは許されていないことだと、拒んだそうだ。

 だからゼノは姉が知ったことを知るべく理解すべく、〈呪われた民〉に関する書物を読んでいる。
 今日もきっとその目的で図書館に行ったのだろう。ゼノを迎えに来たことは何度もあるので、ゼノがどのコーナーにいてそれがどこであるのかも地図を見なくてもわかる。

 自分自身で何かを読むために訪れることはほとんどない図書館の中を、迷うことなく進む。

 ほらいた。
「ゼノ」
「ひゃアっ」
 驚いて肩を大きく動かし、ゼノはおそるおそるこちらを見た。
「ふふ、ごめんね。先生たちとの会話終わったよ」
 数秒固まっていたゼノだったが、特にボクに恨み言を言うでもなく笑みを見せて言った。
「ソッカ、じゃあ教室戻ロうか」
 それどころか申し訳なさそうに声を小さくしてボクに謝罪する。
「ワザワザ往復させチゃっテ、ゴメンね」
「いいよいいよ。行こう」

 そんなゼノは嫌いじゃないけど、時々、変なやつに目をつけられやしないか心配になる。

「チョッと待ってて」
 ゼノは持っていた本を本棚に片付けて、二冊ほどを貸出口まで運んだ。どうやら借りるつもりらしい。あの本は前にも借りていた気がする。前にもと言うよりも、何度も。

 在学する生徒の総数を考えると図書館にいる人は少ないのかもしれない。しかし何処であろうと視界を向ければ十人は目に入る程度には、図書館に人はいた。そういえばバケガクの図書館って世界的にも有名なんだっけ?

「おマたせ!」

 ぼんやりと何気なく思考を回しているとゼノが戻ってきたので、ボクたちは教室へと向かった。
 あの二人は、もう教室からはいなくなっただろうか。いたとしても無視すればいいか。重要な話でもしてればさすがに空気を読むけど、同じ日に臨時で誰かと話してさらに何か話すことなんて滅多にないだろうし、大丈夫だろう。

 道中ヒソヒソとボクらを、ボクを見て話す連中をいくつか見かけた。あれは図書館に向かうまでにも見たし、なんなら最近はよく見かける。真白の件が原因かなぁ。いくらなんでも真白あいつは派手にやり過ぎた。それは別にいいけど、そのせいでこっちにまで飛び火が来るのは鬱陶しい。あの事件の直前に真白と関わっていたから仕方ないと言えばそれまでだけど。
 それに、ボクが姉ちゃんの弟だということが広まりつつある気がする。あぁ、大分前に新聞記事になっていたから、それかな。そっか、今もボクを誰かが見ているんだな。気持ち悪い。

 しかしそれ以外には特に目立ったことは起こらなかった。教室の中にも誰もいない。それぞれ自分の席に座り、教材をだす。
「テスト範囲ってどこからだっけ?」
 昼に話していたので『神話史』の教科書をパラパラとめくりながらゼノに尋ねる。
「え、アサヒってわたしトテスと範囲違うよネ?」
「うん、だから、教えるからどこが分からないか教えて」
 ゼノはそんなこと考えてもいなかったと表情で語っていた。そして、遠慮してるのかおずおずと自分が開いたページをボクに見せた。
「ニオ・セディウムの始めノ方だカら、百四十一ページだよ。わからないところは」
 そこで言葉を切り、言いにくそうにボクに言う。
「えと、ホトンド……」
「え?」
「わたしがトク意なのはAの時代でアッてSの時代じゃないカら、Sの時代の部分は簡単な流レくらイシかわかんない……」

 そうか、ゼノが調べているのは〈呪われた民〉で、それは主にAの時代に大量発生したから、そうなるのか。
 そしてボクたちGクラスの進級テストは、各教科の基本しか出ない。つまり神話史だと始まりの辺り、Sの時代の序盤くらいしか出てこないのだ。

「わかった。じゃあ、一緒に見ていこうか」

 8 >>280

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.280 )
日時: 2022/05/05 09:48
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: lvVUcFlt)

 8

 ボクも教科書を開き、まずはニオ・セディウムの神々を説明する。

「始めは基本から。ニオ・セディウムの神々は皇帝とその子供、五柱の帝王が頂点に立つ。その六神をまとめて『ニオ・セディウムの六帝』と呼ぶ。これは知ってるよね?」
 教科書の文言を入れつつ言うと、ゼノは頷いた。
「一人一人司るものが違うから、それを覚えよう。テストによく出るのは、この二人」

『テネヴィウス』『ディフェイクセルム』

「テネヴィウスは六帝の中で、その頂点に立つ。そしてディフェイクセルムはニオ・セディウムの神々の中で唯一のキメラセル側の神で、邪神でありながら平和の象徴とする地域もある。様々な種族の共存が進んできた現代で、ディフェイクセルムの注目度は高い。だからまずは、この二人は抑えておくべきだ」

 怪物族ならば、ニオ・セディウム神話のことは幼少期から覚えさせられる。ゼノもここまでは難なくついてきているようだ。

「それで、司るものを覚えるのはまずこの三人からがいいかな」

『ディフェイクセルム』『コルクフロァテ』『イノボロス=ドュナーレ』

「ディフェイクセルムは生物の創造を司る。
 コルクフロァテは生物の融合を司る。
 ディフェイクセルムとコルクフロァテは双子神だ。だから司るものも繋がっている。ディフェイクセルムが生物を生み出し、コルクフロァテが生物を融合し、さらに新しい生物を生み出す。
 それから、イノボロス=ドュナーレも似ているんだ。司るものは、生物の能力の与奪。ディフェイクセルムが生み出した生物の力を奪ったり、奪った力を別の生物に与えたりできるんだ。G級、E級、C級とあるスライムは元は全て同じ種類で、なにかの理由でイノボロス=ドュナーレに力を奪われたことで種類が分かれたのではないかと言われてるよ」

 ふむふむと頷いていたゼノが、首を傾げた。

「デも、似テるからコソごちャゴちゃになルノ」

 生物に関与して新しい生物に創り変えるということはコルクフロァテとイノボロス=ドュナーレに共通しているので、ニオ・セディウムを学ぶ上でこの二神を双子神と考えてしまうか、ディフェイクセルムとイノボロス=ドュナーレの力を逆に覚えてしまう人も多い。
「イノボロス=ドュナーレって、ほかの神とは違って名前に『=』が入ってるでしょ? これは、ディフェイクセルムが生まれたときに、あとから役割が付けられたからなんだ。だからイノボロス=ドュナーレは双子神の兄神。
 ボクはそういう風に覚えたけど、どう?」
 ゼノはこくこく首を縦に振った。
「ソッか、うん、わかりヤスい! ありがとう!」
「よかった。じゃあ、他の三神……に移る前に、ノートにメモとかする?」
「アッ」
 ゼノは思い出したように、開いていたノートに走り書きをする。走り書きの割には、綺麗な字なんだよな。

 ゼノが書き終わったことを確認して、再び口を開く。

「テネヴィウスはディフェイクセルムと同じで、生物の創造を司る。ただ違うのが、テネヴィウスは自身の魔力を使って生物を創る。それに対してディフェイクセルムは自らの血や涙、目玉や口から生物を生み出す。
 ディフェイクセルムが他の神に虐げられていたってことは知ってるよね? その時に流したり切り落とされたりした物が変化して魔物なんかになったと言われているんだ。二神の力の違いは、そう覚えたらどうかな。
 プァレジュギスは戦神。司るものよりも、使っていた武器『クイリットリアレィロ』がテストによく出てくるかな。『万物を粉砕する』って意味のこもった名前だよ。
 ノックスロヴァヴィスは、『ニオ・セディウムの六帝』の、唯一の女神だ。司るものは夜、そして新月。キメラセルにも満月の女神がいるから、その神ともなんらかの関わりがあるんじゃないかって言われてるよ」

 この三神は前の三神よりもややこしくないし、それにゼノは怪物族だから元々ある程度の知識はあるだろうから簡単にまとめて話したけど、どうかな?
 ついてこれているかゼノを見る。

 うん?

「ゼノ、大丈夫?」
 ゼノはぐったりしていた。
「イッぱイ頭のなカ入れたカら、ツカレた……」
「お疲れ様。ちょっと休憩しようか」
 もうそろそろ試験に向けて本腰を入れないといけない時期だけど、初回だからペースはゆっくりにしよう。
「ウン」
 ゼノが休憩している間、ボクは神話史の、キメラセルのページを見た。ふと、気になったことがあるのだ。

『『ニオ・セディウム』の第三帝ディフェイクセルム神は創造神ディミルフィア神に助けを求めた。……』

 どうしてキメラセルの神は、敵であるニオ・セディウムの神を受け入れたのだろうか。そしてディフェイクセルムは、どうしてディミルフィアに助けを求めたのだろうか。

 キメラセルの中に一人だけ。孤独を感じはしなかったのだろうか。神などいないと分かっていても、そんな疑問が浮かんでくる。

 それから。

〔邪神の子〕

 あの異名は、あいつをあまりにも的確に表しているような気がしてやまない。そのことが、なぜだかどうしても心のどこかに引っかかる。

「アサヒ、この問題オしえて」
 いつの間にか、ゼノは神話史の教科書とノートを片付け、数学の問題集を開いていた。神話史はもういいのか。
「うんいいよ。見せて」

 9 >>281

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.281 )
日時: 2022/02/09 17:43
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 0j2IFgnm)

 9

 朝起きると、外が騒がしかった。
 その音で、声で、目が覚めた。

「何の声?」

 そばで寝ているはずのビリキナに言ったが、返事がない。顔をそちらに向けると、ビリキナはまだグースカ寝ていた。
 ため息を吐き、ベッドから起き上がる。

 そうだ、リンの様子を先に見ておこう。今日は姉ちゃんが帰ってくる。いつもみたいに帰って来てから確認するというのは難しいかもしれない。あと、本家からのあの手紙も出しておこう。姉ちゃんなら無視するかもしれないけど、それはボクが判断することではない。

 まずは箱を机の上に置く。クローゼットから取り出してガチャガチャしていると、流石にうるさかったのかビリキナが怒りながら起きた。
『うるっせえな! 何時だと思ってんだ!』
「ビリキナって本来夜行性だからそもそもまだ起きてる時間だし別にいいでしょ」
『良くねえよ! オレサマは寝たい時に寝て起きたい時に起きるんだ!』
「はいはい」
 ビリキナを無視して箱を開ける。

『あ……』

 掠れた声が耳に届いた。
 えっと、名前はなんだっけ。真白の契約精霊がこちらを睨んでいた。
「あ、起きたんだね。おはよう」
 声が出せるんだ。衰弱してはいるけど、精霊という特別な存在だからほんの少し回復したのかな?
『……』
「ん、なに? 言いたいことがあるの?」
『……えの…………は……の……』
「聞こえない。なに?」
『…………』

 力を使い果たしたのか、またヒューヒューとした息しか吐けなくなった。リンがあまり変化していないことも確認したし、ボクはそのまま蓋を閉じた。

「ビリキナ、行くよ」
『まだ寝る。お前の準備が出来たらまた来いよ』
「面倒くさいなあ」

 しかしビリキナは頑固だ。居ても邪魔だし、まあいっか。

 朝食を簡単に済ませ、着替えを終えて本家からの手紙を机の上に置く。鞄の中に荷物を詰めて、準備は早々に終わった。
 外の騒がしさは相変わらずで、一度何が起こっているのか見てこようかと思ったとき、外から声がかかった。

『すみませーん、だれかいらっしゃいますかー?』

 知らない、女の声。その瞬間、ボクの心臓がドクンと跳ねた。

 まさか。

 ボクはゆっくりドアに近づいて、耳をくっつけた。

『留守でしょうか?』
『いや、さっき明かりが付いたから誰かしらいるだろう』
『花園日向でなければ、弟かな?』
『それでもいいさ。要は話が聞けたらいいんだ』
『許可が取れて良かったですね! 長い間しつこく迫った賜物ですよ!』
『しつこくなんて言わないでくれる?
 ライバルとはいえ同業者がこれだけいると頼もしいわね』

「うわあああっ!!!」

 耐えきれず、叫び声を上げてしまった。

『声が聞こえました! おそらく弟さんです!』
『本当か!
 すみません! お話を聞かせてください!』
『少しの時間でいいのでお願いします!!』

 不特定多数の記者の声が一斉に意識の中になだれ込んだ。

「はあっはあっはあっはあっ」

 息ができない。

 あの時の記憶が、

 あの時の言葉が、

 あの時の姉ちゃんの後ろ姿が、

 封じ込めていた記憶が、

 とめどなく、蘇る。
_____

 無数の記者の声が家の前で渦を巻いていた。それがあまりにも怖くて、ボクはじいちゃんにしがみついて震えていた。
「おじいちゃん、朝日をよろしく」
 姉ちゃんがじいちゃんに言う。仮面で表情は見えない。
「姉ちゃん、どこ行くの?」
 声を振り絞ってボクが言うと、姉ちゃんはそれには答えずに、こう言った。

「朝日、どうか、幸せに」

 ベルとなにか言葉を交わしながら、姉ちゃんは玄関に向かって歩いていく。仮面をそばの棚の上に置いて、勢いよくドアを開ける。

 行かないで、姉ちゃん、お願い、ボクを置いていかないで!

 体が動かない。追いかけたいのに、足が言うことを聞かない。

 その時を境に、ボクは姉ちゃんと八年間会うことはなくなった。
_____

 また、繰り返すの? また、姉ちゃんと会えなくなるの? 嫌だ、嫌だ。やっと会えたんだ。人を殺して、人を壊して、自分を壊して、悪魔に魂を捧げてようやく会えたんだ。

「やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ」

 涙が出てきた。目が熱い。目が痛い。

「姉ちゃん……姉ちゃん……姉ちゃん……姉ちゃん……」

 会いたい。早く。早く。行かなきゃ、ばけがくに。早く、行かなくちゃ、早く、会わなくちゃ。

『花園さーん、居るんでしょう? ここを開けてください!』

 ボクは駆け出した。自分の部屋まで走ると、乱暴にドアを引いて壁に叩きつけるようにしてあける。

 バアンッ!

『うおっ、なんだよ、うるせえなあ』
「ビリキナ、来て」
『あぁ? 二度もオレサマの邪魔をして開口一番にそれかよ』
「いいから早くしろッ!」

『……へぇ』

 怒鳴ると何故かビリキナはにやりと笑った。そして文句もなしにボクの肩に乗る。それを不思議と思う余裕もなく、ボクは指を鳴らした。

 パチンッ

 音が響き、家中の明かりが消え、鍵も閉まった。魔力をそこそこ消費するからあまりやらないけど、今はそんな場合じゃない。
 壁に立て掛けてあるほうきを持って、部屋の中でまたがる。

「ふぅ」

 一度、気持ちを鎮め、集中する。

『エリア展開』

 ボクは自分の魔力を広げた。遠く、遠く。
 生物を感じる。記者はどこまでいるんだ。足りない。足りない。もっと、もっと! もっと遠くへ!

『おい、待て。まさか【転移魔法テレポート】か? やめとけやめとけ。お前の魔力じゃ無理だ』
「うるさい! ボクは……」
『ほうき、握っとけよ』
「は?」

 ビリキナはいきなり肩から降りて、ほうきに触れた。すると、ほうきにばちりと黒い稲妻が走った。その稲妻はほうき全体、そして部屋中に放電を起こした。
 ボクはビリキナの契約者なので感電しないが、もしほかに誰かいたとしたら、確実にここは危険だろう。

『フルガプ!』

 ビリキナがそう叫ぶと、大陸ファーストの上空に、黒い稲妻が流れた。

 10 >>282

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.282 )
日時: 2022/02/09 17:44
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 0j2IFgnm)

 10

 それはあっという間だった。多分、一分もかかっていないように思える。気づいた時には、ボクの目の前にはバケガクがあった。
『スッキリしたぜ!』
 ビリキナは気分良さそうにそう言った。最近魔法を使ってなかったから鬱憤が溜まっていたのだろう。それにしてもよくバケガクに着くまで魔法を使い続けたな。時間が短くても、距離は相当だ。負担も大きいはずなのに。
 いや、正確にはビリキナは一度魔法を切った。大陸ファーストの結界を抜ける時だ。ビリキナが使う魔法は黒魔法。いくら結界が役割を放棄していると言っても、黒魔法を通すようなことはしない。だからビリキナはその一瞬魔法を切って、今まで飛んできた勢いのまま結界を抜け、そしてまた魔法を使ったのだ。
 あれにはびっくりした。その技術もそうだけど……こいつ、案外頭良かったんだな。ボクは結界に激突すると思ってたよ。

『なんか言ったか?』

 ビリキナはボクを睨んだ。

「言ってないよ」
 言っては、ね。
 
 気を取り直して、ボクはバケガクを見た。正確には、バケガクにまとわりつく米粒──記者たちを。幸いあいつらはボクらに気づいていない。ま、かなり離れているからな。

 バケガクというものは、島だ。大陸セカンドと大陸サードの中間くらいに位置する、どの国にも属さない独立した領域。日が昇る前に出発して日が暮れる頃に徒歩で一周りし終えるくらいの大きさ。いつかのバケガク生徒(典型的な人型)が好奇心から実行に移して得た結果らしい。
 大きくはない。しかし、決して小さくはない。そんなバケガクをぐるりと囲む塵のようなもの。

『もう一回するか?』
「いや、だめだ」
 またビリキナが魔法を使えば、ボクが闇の隷属の精霊と契約していることがバレる。いや、もう既にバレているかもしれない。あの場に居たのは他大陸から来た記者がほとんどだったようだけど、近隣住民だって居る。バレている可能性の方が高い。

 ……いいや。どうだっていい。とにかく、姉ちゃんに、会わないと。まずはあの記者たちの群れをすり抜けないと。

「ねえ、さっきの、どうやるの?」
『ん? なんだ、やっぱりやるのか?』
「そうじゃなくて、いや、そうなんだけど。ビリキナが使うとどうしても『黒』が交じるから、出来そうならボク一人でやる」
『やだよめんどくせぇ。なんでオレサマがわざわざ教えないといけないんだよ。自分でやれ』
「自分で?」

 ボクは考えた。さっきのあの感覚を思い出す。そうだ、確か、部屋の壁をあの魔法だけですり抜けた。窓の僅かな隙間に吸い込まれるようにして、だっけ? 上空を飛んでいた記者たちの中を、気付かれずに脇を通った。まるで一本の光の筋のように細くなって、速くなって。

 光。

 えっと、なんだっけ。姉ちゃんが昔、そんな魔法を言っていた気がする。
 魔法とは──

『魔法は、世界を騙すわざでもある。良い例が、非属性の【転移魔法】と【簡易瞬間移動】、それから雷属性の【瞬間移動魔法】』

『瞬間移動』なんてものが、実際に成り立つわけが無い。そもそも瞬間移動というのは、A地点からB地点へ一秒の時間もかけずに移動することだ。それに特化した種族や神に力を授かった(と言われている)特別な存在ならまだしも、生身の人間が出来るはずがない。ならどうしてそれが出来ているのか。そう、『世界を騙す魔法』によってそれは成し得ているのだ。

【転移魔法】は『世界』と『個体』の二つの情報を混同させる魔法だ。まず『世界』が認識する、転移させたい個体の位置情報を書き換える。個体の情報、例えば石なら『色』、『大きさ』、『質感』、『重さ』等の情報を転移させたい位置に書き込む。次に『現在そこにある』という情報を世界から消す。『個体』の情報の書き換えは、石であれば『周囲の温度』なんかを書き換えるだけで十分だ。これらの手順を一挙に行うことで【転移魔法】は発動する。
 無生物の【転移】が比較的簡単なのは、個体そのものの情報が単純であることに加え、『個体』に書き換える情報がとても簡略化されることが大きな理由だ。生物だと無生物の何十倍もの『個体』の情報が詰まっているので一気に難易度が増す。また、無生物には『世界を一定に保つ』力があるため、多少の情報の誤差があってもその力によって修正されるのだ。

【簡易瞬間移動】は【脚力強化】と【実体透過】の魔法を同時に使う二次魔法、つまり『混合魔法』だ。【透過】は物体に働き掛ける【物体透過】と自身の情報を書き換える【実体透過】の二つがある。この魔法を使う時、【物体透過】を使うこともないことはないが、大抵は【実体透過】を使う。【実体透過】を簡単に言うと、『世界に存在を認識させなくなる』魔法だ。物体や生物が自然に発生させてしまう『魔力の波動』を強制的に止めて、『そこに何も存在しない』と世界に誤認させる。ただし『魔力の波動』を止めてしまうと世界に存在を削除させられてしまうことがあるらしい。一秒未満であればその可能性は低いようだが、とても危険だ。この理由は、世界に『そこに何も存在しない』という認識が定着されてしまうと、世界はそれを『真実』と設定してしまうため。故にこの【簡易瞬間移動】は元々この魔法に特化しているか特別な加護を持っている者しか使わない。

 そして、【瞬間移動魔法】は落雷の原理を利用して光の速さで移動する魔法だ。【簡易瞬間移動】とは違い、体だけではなく体に触れているものごと、さっきビリキナが使った時のほうきのように移動できる。それは移動するものが『体だけ』でないからだ。あの魔法はあくまで足を速くするだけなので、何かを持っていても振り落としてしまう。それに対してこの魔法は、個体自体を魔法の一部──雷の一部として扱うのでその心配はない。
 移動到達点までに障害物があると、被術者(術者)にはダメージはないが、障害物にダメージが入る。その障害物が人であった場合は酷い時で感電死させてしまうので注意が必要だ。

 この三つの魔法は、いわゆる『魔法酔い』が生じやすい。世界の情報を書き換えるときに、どうしても『違和感』が発生してしまい、世界がそれを修正するときに術者や被術者は魔法感覚的な不快感──魔法酔いを感じてしまう。

 さて。今のこんな場合に使うことの出来る魔法は、アレだな。

 11 >>285

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.283 )
日時: 2022/02/05 22:32
名前: げらっち (ID: IWueDQqG)

全部読んでます!
瞬間移動1つ取っても、細かく設定が考えられていてすごいですね…
そして初めてバケガクの外観が詳しく描写された(?)

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.284 )
日時: 2022/02/09 17:40
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 0j2IFgnm)

>>283
感想ありがとうございます!

瞬間移動の設定には悩まされましたね。自分としても満足のいく文になったのでそう言ってもらえると嬉しいです。
あはは……そうですね、他にもいろいろしせつがあるにはあるのですがなかなか書く機会もなくて。書くつもりはあるので、時が来たらご注目ください!時が来たら!

感想ありがとうございました!

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.285 )
日時: 2022/02/16 14:53
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: JJb5fFUo)

 11

「ポイント・セット」
 障害物にぶつかってはいけないのなら、馬鹿正直に真っ直ぐに進まずに元からぶつからないように軌道を指定して動けばいいんだ。

「物質変換・光」
 自分の体を光に変換。打ち込んだポイントに向かって落雷のように落ちていく。その間は一秒未満。光属性での【瞬間移動魔法】だ。
 大量の障害物(記者たち)の間を縫うように抜けていく。視界が一瞬の間で猛スピードで切り替わる。塵同然に見えていた影がどんどん大きくなる。一つ、二つ、三つとポイントごとに体が屈折する。

 学園を囲む森の木々の葉すら輪郭を捉えられるようになった、そう思うが早いか、ボクの足は地についていた。

「ッ……。目、閉じておけばよかったかな」
 最終ポイントとして指定した正門の前で、ボクは頭を抑えた。視覚情報が混乱して、頭が痛い。それに、吐き気もする。『魔法酔い』だ。

『いやいやいや、おかしいだろ! なんで一回見ただけで真似できるんだ?! てか【瞬間移動魔法】自体高位魔法なのにどうしてお前が扱えるんだよ!』
 ビリキナが叫んだ。
「ちょっと、バケガクに入ったんだから静かにしててよ。それに、それを言うならビリキナだって使ってたでしょ、【フルガプ】」
『オレサマのような精霊とただの人間を同じに見るんじゃねえ!
 あー、そうだったな、お前はあの女の弟だった。ったく、姉弟揃ってバケモンかよ。どいつもこいつも』
「!」

 姉弟揃って、か。

「へへ」
『何にやにやしてんだよ。あの女のとこに行くんじゃねえの?』
「なっ、わかってるよ!」

 教師たちはバタバタしていた。おそらく、あの記者たちの対応に追われているんだろう。急に現れたボクにビックリはしても「おはよう」と早口に言うだけで、すぐにほうきで飛んで行ってしまう。

 行かないと。

 姉ちゃんが近くにいることを再確認して、焦りがぶり返してきた。大きく開いた門の向こうにそびえ立つ校舎に向かって、歩みを進める。

 生徒はまばらだ。そういえば、ボクが上空で止まっていたように、他にも何人かバケガクの生徒が登校できずに困って上空に留まっていた気がする。いまバケガク内にいる生徒はボクのように無理やり入ってきたか、元々バケガク寮に住んでいるかのどちらかだろう。
 というよりも、まず今の時間帯が登校していない生徒がほとんどなのか。

 姉ちゃんは、教室かな? まずは教室に行ってみよう。いつも登校時間が早いし、いてもおかしくないし、なんならその可能性が高い。
 姉ちゃんが学ぶかんに入り、階段を上る。人のいない、やけに足音が響く長い廊下を進んでいく。もうすぐに着く、というところで、声が聞こえた。

「私とリュウは、距離を置いた方がいい」

 幻覚にしても現実にしてもやけにはっきりと、距離が離れているはずの姉ちゃんの声が聞こえてきた。

「ま、って、おれ、は……」
 息が上手く吸えていないような笹木野龍馬の声が、必死に姉ちゃんに訴える。

 姉ちゃんたちに見られないように、教室のドアのそばまで音無く近づく。そして、集中して二人の会話を盗み聞きをする。

「こうなることはわかっていた。それはリュウも同じはず。私とリュウは、ずっとは一緒にいられない」
「それは、そう、だけど……」
「実害があった以上、それを無視するわけにはいかない」
「いや、嫌だ! おれは、日向が、貴女がいないと」
「あなたを連れてきたことを後悔はしていない。ごめんなさい、私はそれが出来ない。何が悪かったのかがわからない。私は私の罪を自覚できない」
「違う! 貴女は悪くない! 全部、おれが、おれが!」
「静かに。人がいないとも限らない」
「あ、ごめん……」

 二人は何を話しているんだ?『貴女』なんて、笹木野龍馬がそんな呼び方をしているところは見たことないし、聞いたことがない。ボクが知らないだけか? だとしても、あまりにも不自然だ。

「リュウ、聞いて。私達は離れるべき。これ以上一緒にいると、あなたに害しか与えない。これは良い機会なのかもしれない」
「で、も、おれは、独りじゃ生きていけない」
「大丈夫と後押しもできないことはとても心苦しい。
 私のわがままなの。ごめんなさい。私は誰かを自分の運命に巻き込む覚悟ができていない。だから、もう、連れて行けない。ここまでしか、無理」
「だけど、おれは……!」

 ふう、と吐息が空気を揺らす音が微かに聞こえた。そして、一言。

「もう、疲れたの」

 そのたった一言だけで、空気は静寂に包まれた。

「……じゃあね」

 姉ちゃんがそう言った直後、椅子を引いて立ち上がる音がした。響く足音がどんどん大きくなる。

 まずい! どうしよう。こっちに来てる。でも隠れる場所なんてないし。いや、姉ちゃんのことだからボクがいまここにいることくらいわかっているはず。よし。このまま見つけられよう。

 ガラガラッ

「姉ちゃん、おはよう」
「おはよう」
 笑顔で言うと、姉ちゃんは無表情のまま言った。
「来て」
 話を盗み聞きしていたことを怒るでもなく、姉ちゃんが言った。なんだろう?
「分かった」
 拒否なんて選択肢は存在しない。ボクは頷いて、姉ちゃんの背中を追いかけた。

 12 >>286

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.286 )
日時: 2022/02/16 14:52
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: JJb5fFUo)

 12

「……」
「……」
 会話がない。

 それでもいい。
 それでいい?

 よくない。
 本当に?

 違う。ボクは。

「ねえちゃ」
「朝日」

 声が重なった。

「なに」
「なに?」

 また、同じことが起こった。

「ふ、ふふっ」
 ボクは笑った。息が合うって、こういうことを言うのかな。

「姉ちゃん、なに? 先に言っていいよ」
「そう?」
 姉ちゃんはボクと肩を並べた。正確には身長差で並んではいないけれど、真上から見たら並んで見えるはずだ。姉ちゃんは高身長で、対してボクは相当な小柄だ。姉ちゃんの胸あたりまでしか背がない。
「さっきの会話。気になることがあると思う。でも、何も聞かないで」
 ああ、あれのことか。
 気にならないといえば嘘になる。でも、姉ちゃんがそう望むのなら。ボクはそれを拒まない。
「うん、わかった」

「朝日は?」
「え?」
「何、言おうとしたの?」
「あっ、ああ、えっとね」

 どうして緊張するんだろう。いつもみたいに、話せばいいだけなのに。

「い、いまから、どこに行くの?」
 違う。そんなことが聞きたいんじゃない、言いたいんじゃない。
 ああ、さっき、無理にでも先に話せばよかった。寂しかったと、不安だったと。あの勢いのまま、家に記者が押しかけてきた時のまま、思考を恐怖に塗りつぶされたままでいれば、姉ちゃんに突き放されやしないかなんてことを考えずに済んだのに。

「私が過ごしてた部屋」
「それって、寮?」
「違う」
 じゃあ、どこなんだろう。でも、姉ちゃんが言う通り、少なくとも寮に向かっていないことは確実だ。いや、まて。あれ? いまボクたちが歩いてるこの道って、進んだ先にあるのってあの部屋だけじゃなかったっけ。

 コンコンコン
「入るよ」
 返事を聞く間もなく、姉ちゃんは学園長室の扉をガチャリと開けた。
「珍しいね、お戻りになるなんて」
 学園長は読んでいた本から目を離し、顔を上げてこちらを見た。
「……誰かを連れているのなら知らせてほしいね」
「気を抜くのが悪い」

 ピシャリと言い放ち、学園長の横をスタスタと歩く。

「朝日、おいで」
 いつも学園長が座っている大きな椅子の後ろの窓の横の、何も無い、影が落ちた白い壁の前で姉ちゃんは振り返り、ボクを呼んだ。
 一応学園長に会釈をして、ボクは姉ちゃんのそばへ寄った。

 姉ちゃんが壁に触れた。すると、壁が発光した。目を突き刺すような、意識が霞むような光だった。
 ふと、右手にヒヤリとした感触が広がった。見ると、姉ちゃんがボクの手を握っている。そして、姉ちゃんはボクの右手を引いて発光している壁の向こうへと足を踏み入れた。変な感覚だ。これは、隠し部屋という認識でいいのだろうか。

 くらむ視界の中、脳が揺らされるような激しい光の中で、ボクは学園長の言葉を思い出した。

『珍しいね、お戻りになるなんて』

 勘違いかもしれないけれど。

 お戻りになる、って、敬語だよね?

 13 >>287

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.287 )
日時: 2022/02/19 08:55
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: Tm1lqrhS)

 13

 その空間は、がらんとしていた。姉ちゃんらしいと言えばらしい。白いベッドと引き出しの付いた白い机と白い椅子。そして、果てが見えない、どこまでも続く白い空間。
「ここで、ずっと過ごしてたの?」
「そう」

 ベッドの上に座り、姉ちゃんは自分の横をポンポンと叩いた。
「座って」
「え、うん」
 戸惑いながらも姉ちゃんの言葉に従う。

 ベッドは思ったよりやわらかくて、でも弾力がある。すごく眠りやすそうだ。
「今日の朝、バケガクもそうだけど、家にも来たよね?」
 来たというのは、記者のことだろう。
「知ってるの?」
「あいつらの行動は読みやすい。それに、いくらでも動向は探ることが出来る」
 あ、それもそうか。新聞とか色々あるもんね。
「様子を見に行こうかとも思ったけど、私が行くともっと大事になるかもしれないって理事長に止められた」
 こころなしか顔を曇らせて姉ちゃんは言う。もしかして昨日の時点で家に帰ろうとしてたのって、ボクのことを心配したからなのかな。そうだったら、嬉しいな。

『どうか、幸せに』

 あの時の声も、『心配』が滲んでいた。

 ズキリと、心臓が痛む。

「姉ちゃん」
 昨日みたいに、服の裾をきゅっと掴む。
「お願い。どこにもいかないで」
 目尻が熱くなる。泣きたくない。でも、泣きたい。

「うん。どこにもいかない」

 冷たい温度が、制服越しに背中に伝わった。ひんやりとした温もり。それは離れがたくて、甘くて、寒くて、暖かくて。しばらくボクは姉ちゃんに抱きしめられたまま、姉ちゃんに頭を、体を、預けていた。

「怖かったね」

 ボクの背中を擦りながら、姉ちゃんが囁く。

「辛かったね」

 少し低い、聞き心地のいい姉ちゃんの声。

 気づけばボクは、泣いていた。

「姉ちゃん」
「なに?」
「姉ちゃん」
「うん」
「ボクね、寂しかった」
「ごめんね」
「ずっと会えなくて、ずっと会ってくれなくて」
「そうだね」
「もうこのまま、一生会えないのかなって、おもって」
「そうだったかもしれない」
「ボクは姉ちゃんに会いたかったのに、誰も許してくれなくて」
「辛かったね」
「わがまま言って嫌われるのが不安だった」
「怖かったね」
「想像しただけで体の震えが止まらなくて」
「うん、うん」

「本当はもっと一緒にいてほしかった。一緒にどこかに出かけたりしたかった。勉強も魔法も教えてほしかった。一緒に遊んでほしかった。理不尽な大人が大嫌い。姉ちゃんは綺麗で強くて、こんなにも優しいのに、ただ白眼だってだけで差別するのが許せない。大嫌い大嫌い大嫌い大嫌い」

 顔を上げて、姉ちゃんを見る。

「大好きだよ」

 依存でも偽りの人格でも、ボクは、俺は、姉ちゃんのことが大好きなんだ。昔も今も、これからも。たとえ思い込みであっても、ずっと。

「私、は」

 姉ちゃんの瞳が、悲しげに揺れた。どうして?

「朝日が大切。
 多分、好きではない、と思う」

 姉ちゃんは目を逸らさない。

「私は愛が分からない。その感情を理解出来ない。理解したいけど、それは不可能。だから、朝日のその感情に応えることは出来ない。朝日を大切に思うこの感情すら本物なのか分からない。でも、ね」

 ぎゅうっと抱きしめられる力が強くなった。

「大切にしたい。この感情は確かなもの。その結果私も朝日も間違えてしまった。
 ごめんなさい」

 ボクが苦しんでいたように、姉ちゃんも背負うものがあるのだろう。
 震える声が、ボクの耳に届く。

「大丈夫だよ」

 ボクは掴んでいた服を離して、姉ちゃんを抱きしめる。細くて冷たい姉ちゃんの体。
「また、こうして会えたんだから。ボクはそれだけで十分だよ」

 二度と会えないと思っていた。誰もそれを許してくれなかったから。みんな、みんな、ボクの記憶から『姉ちゃん』という存在を消そうとしていた。誰も彼もがボクを洗脳しようとしていた。心休まる時がなかった。
 それでも、いつかまた会えると信じていた。なんの根拠もない、ただ自分を生かし続けるために立てた仮初の希望。姉ちゃんを忘れてしまわないように、毎晩毎晩、少ない姉ちゃんとの思い出を数えて夜を過ごした。姉ちゃんを忘れるのが怖かった。大人の思い通りになるのが気に食わなかった。

 ボクが姉ちゃんを忘れたら、姉ちゃんもボクを忘れてしまうと思った。
 でも、覚えていてくれた。ずっと気にかけていてくれたんだ。八年間、ずぅっと。これ以上に幸せなことはない。これ以上を望む必要なんてない。

 涙は自然と止まった。どこにも吐き出せなかった『何か』が消えて、スッキリした。そして、泣いたせいかまぶたが重い。
 意識が消える直前に、姉ちゃんの声が聞こえた。

「お や す み な さ い」

 14 >>288

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.288 )
日時: 2022/02/26 10:25
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: reIqIKG4)

 14

 体がふわふわしたものに包まれている、そんな感覚。意識も不安定で、何を考えているのか、自分でも分からない。いや、そもそも何も考えていないのかもしれない。分からない。

 ボクは白いような黒いような空間に、ぽつんと浮いていた。冷たくもなく、暖かくもなく、光源の存在しない、明るくも暗くもない空間。光と影がうごめく空間。
 ここは、どこなんだろう。

 突然、ぐにゅりと影が動いた。それはボクの目の前で形を成す。ただ、それがなんなのかは分からない。人のようにも見えるし、ただの塊のようにも見える。
 影が、にたりと笑った気がした。

『君はよく働いてくれている』

 ザラザラした声が、辺りに響いた。口の中に砂を含んだような不快感がボクを襲う。

『もうすぐだ。もう少しで、世界はようやくあるべき姿に戻る』

 世界? あるべき姿? 何の話だ。

『君が自分の役割を全うした暁には、褒美を与えよう』

 いらない。そんなものに興味はない。
 ボクの役割? なんだそれ。

『君が望むものを与えよう』

 望むもの? 望むもの、なんだろう。姉ちゃんと一緒に過ごすこと。姉ちゃんを知ること? わからない。

『彼女を壊せ。君にはそれが出来る』

 彼女? 誰のことだ? わからない。

 わからない。

『頼んだよ』
_____

 体がふわふわしたものに包まれている、そんな感覚。触れているものはさらさらしていて気持ちいい。
 冷たい誰かの手が、ボクの頭を撫でている。

「う……ん」
「おはよう」
 姉ちゃんが言った。ぼんやりとした頭を動かして、姉ちゃんを見る。そして、自分の状況を確認する。

 ボクはベッドで眠っていた。姉ちゃんがかけてくれたのか、ちゃんと掛け布団も被っている。思った通りだ、すごく眠り心地が良かった。
 なにか夢を見ていたような気もするけど、なんだったっけ? ……思い出せないことは大したことじゃないよね。いいや。

「気分、どう?」

 姉ちゃんは首を傾げる。

「かなり良くなったよ」

 すると、姉ちゃんの表情が変わった。ほっとしたような、安心したような、そんな表情。
 胸が苦しいくらいに、熱いくらいに、気持ちが高揚した。

「じゃあ、戻ろうか」
 ボクははっとした、そうだ、ここはバケガクで、今日は授業がある。しまった、寝すぎたかもしれない。今は何時なんだろう。まさかお昼時?

「姉ちゃん、いま何時?」
「この空間に時間という概念は存在しない。出ればわかる」

 姉ちゃんはボクの手を握った。そして、またあの強い光が空間を支配する。

「また、何かあったら、話して」

 光に覆われた道を歩きながら、姉ちゃんがボクを見て言う。

「うんっ!」

 姉ちゃんは立ち止まり、ボクの手をぐっと引いた。その勢いに逆らわず足を動かすと、そこは学園長室だった。ボクと姉ちゃんは、学園長室の壁の前に立っていた。

「やあ、おかえり。随分と時間がかかったね」
 また本を読んでいた学園長がこちらを見た。薄明るい朝の陽の光が大きな窓から差し込む。
「戻る」
「うん、どうぞ」
「朝日、行こう」

 姉ちゃんに言われるがまま、ボクは出口に向かう。

「失礼しました」

 裏が知れない笑みを浮かべる学園長に、そう、声をかけて。

「今日の放課後、予定ある?」

 廊下を歩きながら、姉ちゃんが言った。

「んー、どうだろ。なんで?」

 すぐに思いつく用事はない。意識に引っかかるのはゼノとの勉強会だけど、これはゼノの予定もわからないとなんとも言えない。二人の時間が合う日にしようという話だったから。

「何も無ければ、一緒に帰ろうと思って。朝日が良ければだけど」
「すっごく暇だよ! 何もないよ!! 寄るところもないし、授業が終わったらすぐに帰ろうと思ってた!!!」
 ボクは必死に言う。こんなチャンスを逃してたまるか。それに、嘘は言ってない。今日は姉ちゃんが帰ってくるということで、ゼノとの勉強会は今日は無しにしてもらうつもりだった。姉ちゃんの帰宅時間がわからないから、少し迷っていただけだ。

「そう?」
「うん!」
「じゃあ、一緒に帰ろう。えっと」

 姉ちゃんが言い淀むなんて珍しいな。どうしたんだろ?

「五時頃朝日の教室に迎えに行くから、待ってて」

 そっか、クラスによって授業数や一限の時間数が異なるから下校時刻がずれるんだっけ。
「わかった。待ってるね」
 GクラスとCクラスでは、下校時刻の差は大きいだろう。でも、大丈夫。待てる。姉ちゃんと一緒に帰れるのなら、それくらいどうってことない。

 15 >>289

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.289 )
日時: 2022/02/26 10:26
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: reIqIKG4)

 15

「ってことがあったんだよ」
 弁当を片手に、ボクは歩きながらゼノに今朝のことを話していた。ただし、学園長室に行ったことやあの変な空間で話したことは省いて。なんとなく言わないでおこうと思ったのだ。
「ヨかッたね、アサヒ」
 ゼノはにこにこ笑いながらボクの話を聞いている。

「それにしても、今日はやけに人が少ないね」

 周囲を見ながらボクは言う。今は四限目が終わってから少し経ったくらいで、もうみんな、昼ごはんを食べる場所を押さえている頃だ。いつもなら。なのに今日は、流石に誰もいないということは無いが、普段と比べると圧倒的に人がいない。何かあったのかな?

「笹木ノ先輩が登校しテルってこトで、見にイく人が多いみタいだよ。行っテみる?」
「いや、いいよ。興味無い。それより、この機会を活かそうよ。『四季の木』の下で食べよ」
 ちょうど近くを通りがかったということもあり、ボクはそう提案した。

『四季の木』は、冬も葉を落とさない。白銀に輝く幹。純白の葉。そしてその葉の間からのぞく、銀灰色の実のような球体。
 不思議な木だ。季節によって顔を変える。冬の『四季の木』は特に綺麗だと有名だったが、これなら納得だ。まるで氷の彫刻のごとくそこに佇む大きな木。

「ウん、そうだね」

 ゼノも頷いたので、ボクたちは『四季の木』まで歩いた。思った通り、人が少ない。最近は冷えるので外で食べる人も減っているが、『四季の木』は相当な人気スポットなのでなかなか空いていない。でも、今日は空いている。
 今日は楽に食べる場所が見つかった。そうほっとすると、昨日同様、また見知った影を見つけた。今度は姉ちゃんではない。ほつれのないさらさらの桃色の髪を風になびかせ、膝の上に弁当を広げてる。『四季の木』の元でぴんと背筋を伸ばして、綺麗な動作でものを口へと運ぶ。その場の神秘的な雰囲気も相まって、一瞬だけ、本当にただ一瞬だけ、見惚れてしまった。

「あれ、朝日くん?」

 スナタはボクらに気づいたらしく、箸をとめ、顔をこちらへ向けて言葉を発した。

「久しぶり。そばにいるのはお友達? 初めまして。ⅢグループCクラスの、スナタです。よろしくね」
 スナタは座ったままでにこやかに自己紹介を済ませた。
「ワッ、わたしはゼノイダ=パルファノエです。ゴぐるープGクラスです!」
「パルファノエさんか、いい名前だね。良ければ隣どうぞ?」
「では、お言葉に甘えて。失礼します」
「そんなに固くしなくてもいいよ。気楽に気楽に!」

 こうも連日続くとなると、明日は東蘭か笹木野龍馬とでも鉢合わせそうだ。

「いい天気だね」
「そうですね」
「ハイ」

 今日は雲もなくて風もない。ただ痛いくらいの冷気が肌を刺激するだけだ。

「二人って、仲良いの?」

 ボクはゼノを見た。それはゼノも同じで、ボクらは顔を見合わせる。
「えと、たぶん?」
「オソラク」
「自信ないんだ? でも、一緒にお昼ご飯を食べるってことは、結構仲良いんじゃない?」

 そう思うのなら、なんでわざわざ質問して来たんだろう。

「喋ることないなあ。ね、なにか話題ない?」
 話題か。
「ゼノ、なにかある?」
「ふェっ?!」
 そんなに驚かなくても。
 ゼノはしばらくうんうんと唸って、ようやく絞り出すように口を開いた。
「きょウも花園セン輩とハ一緒じャナいんデすね」
「ん、ああ、日向? 声をかけようとは思ったんだけどね、教室の前の人垣が凄くてさ、諦めたんだよ。それに聞いた話によると、二人──日向と龍馬の間に不穏な空気が流れてるらしくてさ。そんな状態の日向を誘っても気まずくなる気がしてね」
「ケンカしたんでスカ?」
「いや、それはありえないよ。あの二人が喧嘩なんて、絶対にない」
 よほど自信があるのか、スナタは言い切った。確かに朝の会話は『喧嘩』ではなかったけど、どうしてそう思うんだろう?

「何があったかは、大体想像つくけどね」

 聞き取れるか聞き取れないかの狭間にあるような声でスナタは言った。どこを見ているのかわからない目は、一瞬、光を失ったように見えた。

 なんか、姉ちゃんも同じ仕草をよくしているはず。

「ああ、ごめん。なんでもない。ほら、食べよ! お箸が止まってるよ」

 16 >>290

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.290 )
日時: 2022/03/02 19:10
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: EabzOxcq)

 16

『お前、やっと一人になったな!!』
「悪かったよ」

 放課後、ゼノと別れてボクは森に来ていた。ビリキナのことを思い出して、帰るまでに一度は出さないと怒るから、出しておこうと思って。というか、朝から放課後まで一度も出せないのはいつものことなんだし、そろそろ慣れてもらいたいんだけど。ボクと契約して何ヶ月経つと思ってるんだ?

『ったくよぉ。自由に動き回れないこっちの身にもなれ!』

 ボクの鞄は、ジョーカーに渡された特別なものだ。ビリキナが放つ黒の魔力を鞄の中に封じ込める。ボクがビリキナと契約していることを悟られる要素を一つでも減らすためだ。ただ、鞄が開いている時はもちろん魔力ダダ漏れなので、ボクが閉めて、ロックする必要がある。ロックしてしまえば、ビリキナは自分では鞄を開けられない。

「ごめんってば。それより、今日は姉ちゃんが帰ってくるから、ずっとボクの部屋にいてね」
『酒用意しろよ! 酒!』
「わかってるよ」

 姉ちゃんとの待ち合わせ時間まで、かなり余裕がある。これからどうしようか。

『そういや渡しそびれてたんだけどよ、これ』

 ビリキナはそう言いながら、鞄の中をゴソゴソと漁った。そして取り出したのは、紙切れ。
『朝、人間共の間を通った時に渡されたんだよ。魔力の残り香からしてジョーカーだった』
「は? あの速度で?」
 きもちわる。
『いいから読めよ。あいつが気味わりぃのは元からだ』
「それもそうだね」
 ボクはビリキナから紙を受け取り、それを読んだ。

『最終ミッションのお知らせだよ。
 今日日向ちゃんが戻ってくるんだって聞いたから、もう頻繁に君の家に行けないってことで、予定より早く伝えることになった。
 ちょっと待ってね』

 最後の一文が理解出来ない。どういうことだ?

 そう首を捻っていると、急に、文章の一文字一文字が黒く光った。
「わっ!」
 手紙からペリペリと文字が剥がれ、宙に浮いて渦を巻く。ボクより、いや、姉ちゃんの背よりも少し高い程度の位置から、螺旋を描くように下へ下へとくるくると規則的な動きをする。それはだんだんと歪んでいき、そして。

「結構それを読むまでに時間がかかったんだねぇ」
 ジョーカーが現れた。

 正直、びっくりした。声に出して驚きそうになった。でもそうしたらジョーカーが喜ぶことは知っているので、懸命に衝動を抑える。
「急に背後から現れるのは飽きたかなと思って、今日は凝った登場をしてみたよぉ」
「そういうの要らない。どうでもいい」
「ひどいなぁ」
「用件は?」

 ジョーカーはクスクスと笑う。なんだよ、気持ち悪い。

「ボクがある組織に入っていることは、知っているよね?」
 何を今更。そこから出た命令をジョーカーが伝えていたんだから、知ってるに決まってる。
「その組織の最終目的に、もうすぐで、ようやく踏み出すことができるんだ」
「最終目的?」
 ただの組織でないことは明らかだ。リンのことも真白のこともそうだ。確実に正規ではない、裏社会と言うべきか。
「そう。だからね、朝日くん。君にはこれを渡しておくよ。はい」
 はい、と言って、ジョーカーは握り拳をボクに向ける。ボクが手を差し出すと、解かれた拳から小さな棒のような物が落ちた。
「なにこれ」

 見た目は円柱で、直径はちょうど片手で握って収まるほど。全体の長さは、ボクの手首から中指まで結んだ線分よりもやや短いくらい。先端には、一回り小さい円の突起がある。握る部分とそれは質感が異なっているように見える。

「ボタンだよ」
「ボタン?」

 ボクは自分が着ているブレザーのボタンを見た。この二つ、絶対に同じものじゃないだろ。飾りボタンですらないだろうし、どうやって服に付けるんだ。

 文句でも言ってやろうと口を開く前に、ジョーカーが笑いだした。

「ふっ、アハハハッ! 可愛いなぁ朝日くん、期待通りの反応だよ。アハハッ!」
「な、なにわらってんだよ!」
「いや、だってさ、アハハハッ!」

 よほどおかしかったのか、ジョーカーの笑いが引くまで時間がかかった。そんなに笑うことでもないだろ。知らないんだから。

「はぁ、ごめんごめん。
『装置』って、わかる?」

 ?

「わかんないか。えーとじゃあ、『魔法道具』」
 それならわかる。ボクは頷いた。
「これは【転移魔法】が付与された魔法道具だ。先端の丸い部分をおすと、元々設定されている場所に転送される。一度使うとそれっきりだから気をつけてね」
【転移魔法】を付与、か。魔法石といい、なんでもありだな。確かに【転移魔法】は発動時にいちいち魔法式を組み立てて発動するよりも予め用意してた方が楽かもしれない。でも、そもそも高位魔法を物に付与するということ自体が馬鹿げた話だ。そんなことが出来るなんて話、聞いたことがない。

「でねぇ、これをりゅーくんに触れながら押して欲しいんだぁ」

 17 >>291

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.291 )
日時: 2022/03/16 08:16
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: pRgDfQi/)

 17

 今まであまり気にしたこと無かったけど、『りゅーくん』って笹木野龍馬のことだよな? どうしていま笹木野龍馬の名前が出てくるんだ?

「あいつが、どうしたんだよ」
「あれぇ、言ったことない? 組織の目的はりゅーくんだよぉ?」
「は?」

 どういうことだ? 笹木野龍馬を仲間に引き入れたい、ということか?
 笹木野龍馬は権力もあるし能力も高い。味方につけば相当頼もしいに違いない。でも、本当に?

「準備も整ってるし、実行は早い方が望ましい。ただ、今日はむりでしょぉ?」
 当然だ。これを使った後何が起こるか分からないし、教える気もないだろう。折角姉ちゃんが一緒に帰ろうと誘ってくれたのに、それを棒に振るなどありえない。
「明日でも、明後日でもいい。とにかく、早く。少しでも早く連れてきてくれ。目的の達成のために」

 二つの穴がボクを見る。恐怖にも似た感覚が、ボクの心臓を焼いた。

「朝日くん。ボクはね、君にチャンスを与えているんだ」
 ジャリ、と、ジョーカーが一歩近づく。
「こんなことはボクにでもできる。むしろボクの方が適任だ」
 それに合わせて、ボクは一歩退く。
「君の代わりはいくらでもいる」
 一歩進む。一歩引く。繰り返し、繰り返し。そのリズムは徐々に加速し、そして。
「やっとここまで来たんだ。失敗は許されない、許さない」
 背中に大きな木の幹が当たった。行き止まりだ。もうさがれない。ジョーカーの顔が目の前にある。
「これはお願いじゃない、命令だ。拒否権はない」
 口は弧を描いているけれど、目に宿る光はあまりにも刺々しい。ボクは目を逸らすことが出来ず、逃げ出せない状況の中で固まった。

「ま、君のことは信用してるよぉ」

 ジョーカーはそう言うと、ふっと瞳の奥の光を緩めた。また、何を考えているのか分からない不気味な笑みを浮かべ、こちらを見る。
「りゅーくんと日向ちゃんの関係は、切っても切れないものだ。日向ちゃんのことを知りたいのなら、これは避けて通れない。
 君は日向ちゃんが関わることなら、殺人ですらしちゃうんだから、これくらい朝飯前だよねぇ?」

 殺人。そうだ、その通りだ。ボクはこの手でじいちゃんとばあちゃんを殺した。邪魔だったんだ、二人とも。

 ばあちゃんは姉ちゃんを毛嫌いしていた。母さんと一緒に暴力をふるっていた。何をしても泣かず、喚かず、騒がず、助けを求めることすらしない姉ちゃんを、何度も何度も殴った。あの生々しい肉を打つ鈍い音は、今もなお耳に残っている。ボクが姉ちゃんに会っていない間も、たまに癇癪かんしゃくを起こしては姉ちゃんのところへ行き危害を加えていたらしい。ビリキナが取り憑いた後は攻撃対象がややベルへと傾いていたけれど、意識の根本にある姉ちゃんへの憎悪は変わらなかった。
 ただ、ビリキナがばあちゃんをけしかけていたことについてはあまり気にしていない。悪いのは全てばあちゃんだ。ビリキナはばあちゃんに力を与えただけ。精霊の力をどう使うかなんて契約者自身が決めることだ。何があったとしても魔法を使って姉ちゃんを苦しめたのはばあちゃんだ。

 じいちゃんは、いい人だった。殺すつもりなんてなかった。少なくとも、ばあちゃんよりはマシだった。だけどあの日。笹木野龍馬が姉ちゃんの家に来たあの日の会話で気持ちが変わった。
『八年も一緒に過ごしているんだから、おじいちゃんと意見が揃っている可能性があるでしょ?』
 姉ちゃんのあの言葉で、気が変わった。ボクが姉ちゃんに求められるためには、じいちゃんは邪魔になると気づいたんだ。
 だけどひとつ、気になることがある。ボクがじいちゃんを毒殺しようとしたとき、じいちゃんはそれに気づいた素振りを見せた。箸を止め、ボクに何かを言おうとしていた。でも、何も言わなかった。気づいていたはずなのに、その毒を飲んだ。あのときじいちゃんは、何を考えていたんだろう。

「これは君のさいごの仕事だよぉ。これさえ終われば、組織の目的も、ボクの目的も、そして君の目的も、全てが果たされる」

 考えていてもしょうがない。組織の目的なんか、ジョーカーの目的なんかどうでもいい。ボクはただ、この命をもってやり残したことをするだけだ。

 でも、やり残した事が無くなったそのとき。ボクはどうすればいいんだろう。ボクの罪が裁かれたとき、姉ちゃんと離れ離れになったとき。
 自分が狂うことを抑えるために、自分が壊れることを抑えるために、現実逃避のために用意した柱が粉々に砕け散ったとき、ボクは。

「わかった。やる」

 手の中にある『ボタン』とやらをぐっと握る。

「ボクは、ボクのためだけに行動する」

 下からジョーカーを睨みつけると、ジョーカーは満足そうに笑った。

「よろしくねぇ」

 18 >>292

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.292 )
日時: 2022/03/16 08:17
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: pRgDfQi/)

 18

 カチッカチッカチッ

 一秒ごとに動く針をじぃっと見つめる。もうすぐ五時だ。姉ちゃんが来る。
 教室には、ボク一人だ。さっきまでちらほらいたけれど、もうみんな帰って行った。
「アイテムボックス・オープン」
 帰る用意はすませておこう。そう思ってほうきを取り出す。
「ビリキナ、鞄の中に入って」
『着いたらすぐに出せよ!?』
「分かってるから」
 騒ぐビリキナを押し込んで、鞄を閉める。鞄はいつもと比べると、少しだけ重い。

 あのボタンは、アイテムボックスではなく鞄に入れて持ち歩けと言われた。ビリキナ同様に、あのボタンから放たれる魔力を姉ちゃんに気づかれてはいけないらしい。
 それにしても、いつ決行しよう。明日? せっかく姉ちゃんが帰ってくるのに、早急じゃないか?
 明後日、それともその次の……。

 ゴーンゴーンゴーン……

 遥か彼方まで響きそうな鐘の音。終業を告げる音とはまた別の、五時を知らせる鐘の音。『通達の塔』から響いてくるあの音は、あそこにいる二人の仮想生物が鳴らしてるんだよな?

「朝日」

 少し離れたところから、心地よい、低めの女性の声がした。振り向くと、姉ちゃんは出入口に立っていた。

「帰ろう」

 片手には、昔、何度か乗せてもらったことのあるペガサスの羽ぼうきを持っていた。

「うん!」

 姉ちゃんと一緒に校門まで歩く。すると、ガヤガヤと騒がしい声が聞こえた。生徒が集まり、けれど何をするでもない。こころなしか戸惑っているように見える。
「どうしたのかな?」
「向こう、見て」
 姉ちゃんが校門を抜けたさらに向こうを指した。見ると、空に黒い斑点が広がっている。
「え、まだいたの?」
 考えるまでもなく、記者たちだろう。しつこいな。

「朝日、後で合流しよう」

 その言葉が、一瞬、理解出来なかった。

「あいつらの目的は私や龍馬だから、私が行けば注目は私に向く。大半は私を追いかけるだろうから、その隙に出て。撒いたら、追いかける」
「待って!」
 頭が判断を下す前に体が動いた。姉ちゃんの腕を掴んで、引き止める。
 何か言わないと。何か言わないと! でも、口が動かない。声が出ない。どうして、なんで!

『どうか、幸せに』
 行かないでよ、姉ちゃん。だってこの状況、昔のあのときと同じじゃないか。

「ボクを」

 拒絶しないで。

「置いて、いかないで」

 ボクの幸せは、姉ちゃんのそばにあるんだよ?

 姉ちゃんはボクを凝視した。驚いているように見える。口を開けて、閉じて。なにか言おうとしているのに、何も言わない。
 しばらく沈黙が続いた。そしてようやく、姉ちゃんは言う。

「わかった」

 ボクを安心させるためだろう。感情のこもっていない顔で、にこっと笑った。

「一緒に帰ろう」

「っ、うん!」

 それでもいい、それでいい。その気持ちがどうしようもなく嬉しい。ボクは大きく頷いた。
「理事長は、何をしてるのかな」
 珍しく苛立ったような声で姉ちゃんが呟いた。たしかに。生徒を安心させるためにこの場にも教職員は数名いて、記者たちがいる方へ駆けていく人や、そこから戻ってくる人もいる。でも、それらのどれにも学園長の姿はなかった。

『生徒の皆さんに連絡します』

 どこからともなく、女性の声が聞こえた。大人じゃない。たぶん、バケガクの生徒の声だ。どこかで聞いたことのある気がする。でも、どこだ?
「生徒会長の声だ!」
 誰かが叫んだ。そうだ。エリーゼ=ルジアーダの声だ。

『対応が遅くなり申し訳ありません。ただいまより、当学園の魔獣を放ちますので、先生方の指示に従い、十分に注意してください』

 その言葉で、一斉に混乱の声の嵐が巻き起こった。

「魔獣ってなに? どういうこと?」
「そんなのいたのか?!」
「怖いよ、なになに!」

 驚いていたのはボクも同じだ。でも、隣にいる姉ちゃんはひどく落ち着いている。
「遅いな」
 ただ、そう吐き捨てた。
「姉ちゃん、魔獣って?」
 ボクが訊くと、姉ちゃんの顔から表情が消えた。いつも通りの無表情がボクを見る。

「こういうことは、たまに起きるの。威嚇用の、つまり、戦力」

 そんなものがあるのか。ここまでくると、バケガクにないものを探す方が難しいんじゃないか?
 けれど言われてみて納得する。バケガクは独立した領域だ。どこにも属さないということはどこにも縛られず、どこにも守られることがない。ただでさえ神の建造物なんて言われる特別な場所なんだ。その何物にも代えることの出来ない価値を巡って戦争が起こったとしても不思議じゃない。それを防ぐためには、バケガク自体も戦力を持つ必要がある。
 そして、魔獣なんて危険なものは、戦力として使うことそのものが人道に反するとして世間から非難される。過去にもそんな国はたくさんあったと授業で習った。きっと、魔獣を使うという結論を出すのに時間がかかってしまったのだろう。

「で、でも、魔獣が暴れたりしたらどうするの? 制御できるの?」

 戦力として使おうとして国が滅ぼされたことなんて、それこそよく聞く話だ。完全に魔獣をコントロール出来るだなんて保証は、どこにもない。

「大丈夫」

 姉ちゃんは言いきった。

「それにもし何かあっても、私が守る」

 少しだけ、ほんの少しだけ力強い声を聞いて、ボクは安心した。そうだ、姉ちゃんがいる。姉ちゃんがいれば全部大丈夫。心配することなんて何も無い。

「うん!」

 嬉しくなって、ボクは笑った。

 バササッ

 突如、鳥が羽ばたくような音がした。空に満ちたオレンジの光の中に、黒が落ちる。
 空を見上げると、そこには本でしか見たことの無いような生物がいた。
 鷹の前身、獅子の後身。地上からでもその姿をはっきりと認識できるほどの巨体。翼は空を覆い尽くさんとばかりに広げられ、爪は大地を引き裂きそうなほど鋭く、足は筋骨隆々。空と陸の支配者の融合体である、あれは。

「グルフィン?!」

 まさかと思った。けれどあの姿はそうとしか思えない。
 魔獣なんて冗談じゃない。グルフィンは神話でしか出てこないような神に仕える神獣だ。太陽神に従属する、グルフィンそのものすら守り神として奉られる存在。なんでバケガクなんかにいるんだよ!
「よく知ってるね」
 姉ちゃんが褒めてくれた。
「え? へへ。でしょ?」
「うん、よく学んでる」

 グルフィンはボクらの頭上を通り越して、記者たちがいるあの場所まで飛んで行った。

『警告はしたはずだ。これよりこちらは攻撃態勢に入る。覚悟はいいな?』

 ぼわぼわと反響して聞き取りづらい学園長の声が聞こえた。遠くの方で叫び声がする。みると、ひとつの黒い塊と化していた記者たちが、塵のように散っていった。
 さすがにグルフィンを出されたら怖気付くんだな。警告はしたと言っていたから、その時点で逃げ帰ればよかったのに。それか、まさか本当に神獣を持っているとは思わなかったんだろうな。ハッタリで魔獣を使役していると宣言する国家だって一つや二つじゃない。バケガクもそうだろうと、あいつらは踏んだのだろう。

 周囲はまだ、肉眼でグルフィンを目の当たりにした熱から冷めていない。そりゃそうだ。魔獣を従えている国すら数少ない有力国家だけなのに、神獣を、古い歴史を持つとはいえ所詮はただの(かどうかはさておいて)学校が従えているなんて、誰が想像できることだろう。

「ギエエェェェエエエエ!!!!!」

 鼓膜が破れるのではないかと錯覚するような、グルフィンの咆哮。それを聞いて、まだ僅かに残っていた黒い粒も、消え失せた。
_____

 ようやく下校することが叶い、ボクと姉ちゃんは海の上を飛んでいた。闇に追われるように太陽の方角を向き、並んでほうきを進める。
「それにしても珍しいね、姉ちゃんが誘ってくれるなんて」
 せっかくなので何か話したい。そう思って声をかける。姉ちゃんは、自分から話すことは少ない。
「たまにはね」
 それだけ言って、口を閉じた。
「そのほうき、まだ使ってたんだね」
 それに、鞄も。確か鞄ってじいちゃんが昔入学祝いとして渡していたものだったよね。まだ持ってたんだ。それに、二つとも綺麗なままだ。多少はボロくなってるけど、古臭さは感じない。よっぽど丁寧に扱わないと、九年はもたないだろう。すごいなぁ。
「うん」

 素っ気ない返事ばかりだけれど、それでも楽しい。楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまうものだ。金色に染まった海ばかりだった視界に、うっすらと膜を張ったような白いドーム──大陸ファーストを覆う結界と、広大な陸地が見えた。
 ここから自宅までは大した距離ではない。会話も弾んでいたわけではないので自然と収まり、ボクらは黙って空を飛び、家の玄関の前に着地した。

「あ、待って姉ちゃん!」

 先に入ろうとする姉ちゃんを止めて、ボクは先に扉に手をかける。ガチャリと鍵を回し、ドアを開けて、不思議そうにボクを見る姉ちゃんに、とびっきりの笑顔でこう言った。

「姉ちゃん、おかえり!」

 姉ちゃんは数秒静止し、やや目線を緩めて、言った。

「ただいま」

 長かった。やっと姉ちゃんが帰ってきた。もうどこにも行かないよね? そうだよね?

「荷物置いてくるね」
 そう声をかけてからビリキナを置くために一度部屋に戻る。それからすぐにリビングへ行くと、姉ちゃんは難しい顔をして机の上の手紙を読んでいた。
「あ、それ」
 もう読んだんだ。早いな。

「これ、いつの?」
「一週間前後くらいかな」
「ふうん」
「行くの?」

 無視すると思っていたのに悩んでいたから、興味本位で聞いてみた。いや、興味本位じゃないな。もし姉ちゃんが行くのなら、姉ちゃんと過ごす時間が減ってしまう。これは大問題だ。
「うん。近いうちに行く」
「ついてっていい?!」
「え。ああ、いいよ」
「やったー!」

 喜ぶボクを見て、姉ちゃんは首を傾げる。確かに理解できないんだろうな。ボクも姉ちゃんも、本家にいい思い出なんかほとんどない。
 ただ、姉ちゃんと過ごした思い出があるだけだ。

 19 >>293

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.293 )
日時: 2022/03/16 08:19
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: pRgDfQi/)

 19

 あの騒動から一週間は経った。バケガクに記者が群がることも無くなったし、家の前に張り付くやつもいなくなった。たぶんあの日限りのことだったんだろうな。そう何度も大陸ファーストに部外者が入れるはずがない。
 てか、そこはちゃんと守るんだな。は無視して毎日のように家に押しかけてきたのに。あの事件の時に、大陸ファーストに楯突いたらどうなるのかを学んだのか? あのとき、あのときも今と同じように、あいつらがすぐに引いていたら、ボクは姉ちゃんと離れなくて済んだかもしれないのに。

 考えていても仕方ない、か。

 ボクは正面を見た。昼であっても暗い、太陽光とはまた違う不思議な光がぼんやりと目の前の屋敷を浮かび上がらせる。鬱蒼とした森に包まれるようにしてそびえるそれは、重々しい雰囲気を醸し出していた。ここから離れたところは真っ暗だったのに、どうしてここだけは明かりがあるんだろう。暗く感じるとはいえ人間のボクがなんとなくと見える程度なら、怪物族にとっては多少なりとも眩しいんじゃないか? それに点々と屋敷の窓らしきところからオレンジっぽい弱い光が漏れている。こういうものなのか?

 怪物族が住む大陸には、太陽の光を遮る雲のような物が上空にある。だからこの光は太陽光でないはずだ。いや、そもそもこれは光なのか? 日暮れの、あの真っ暗になる直前くらいの光。光源となるものは見当たらないので、まず間違いなく永続の魔法だとは思うんだけど。
 まあ、いい。こちらにとって都合のいい条件なんだ。深く考える必要は無い。

 今夜は新月だ。

 怪物族の力は満月の夜に最高に、新月の夜に最低になる。生活リズムもそれに影響され、怪物族の大半は新月の夜は眠りについている。吸血鬼も例外ではない。それにいまは夜ですらない。おそらく目の前の屋敷はほとんど眠っていることだろう。
 とはいえ、あそこは吸血鬼五大勢力の一派、カツェランフォートの屋敷だ。笹木野龍馬や当主はもちろん、他にも吸血鬼がゴロゴロいるはずだ。一人で人間百人分の力を持つ吸血鬼にあってしまえば、まず、死ぬ。

 だから、最善を尽くす必要がある。
 まずは気配。大陸ファーストの人間は特殊な気配をしているそうなので、敵対する怪物族にはすぐにバレることだろう。なのでいまはビリキナと魔力を混同させて気配を混ぜて、その上でジョーカーから預かった【気配消し】の力を使っている。

 次に髪、というか顔。金髪は闇の中でなくともあまりにも目立つ。幻影を被せて髪を染めるという方法もあるにはあるけど、それは自分が騙す相手よりも技術面で上回らなければいけない。なので今回はこれは使えない。だからボクはいま、目だけを出して、あとは髪も首も鼻も全て覆う形のマスク(布)をつけている。こんなことをしても怪物族の目にはボクの姿はハッキリと映るだろうけど、金髪よりは断然マシだ。

 そして服装。これもジョーカーから渡されたものだ。だからあまり着たくないんだけど、今はそうも言ってられない。それに、妙に体にあっていてまさに『戦闘服』だからこの状況にはうってつけの服なのだ。露出は少ないが、かと言って無駄に布がかさばっている訳でもなく、動きやすい。加えて【治癒】や【装備回復】なんかが付与されている。なんでこんなものをジョーカーが用意できるんだろうか。ボクが思っているよりも大きな組織なのかな。
 鞄はいつもの肩掛け式ではなく、ベルトと一緒になっているポシェットだ。これは魔道具で見た目以上に物が入る。その中身いっぱいに武器である投げナイフを入れている。姉ちゃんに護身術として習った武器の中で一番の得意な武器だ。その一つ一つに≪聖水≫を浸して来た。大変だったけれどやる価値はあった。一対一での力の格差が激しい怪物族との戦闘において頼みの綱はこれだ。ジョーカーも流石に≪光の御玉≫は用意できなかったようだ。いや、実際に聞いてみたわけではないのでもしかしたら言えば持ってきたかもしれない。

『楽しみだな』

 脳内でビリキナの声が響く。念話だ。敵に声を聞かれるのは避けたいので、しばらくは念話で話すことに決めた。なので使う魔法も無詠唱になる。ボクが無詠唱で使える魔法は限られているのでどこまで出来るのかはわからない。でも、やるだけやってみよう。

『そんなに呑気なことを言ってられる余裕があるんだね』

 呆れるやら羨ましいやら。

 ボクは【察知】で屋敷内のある程度の生命体の数を把握する。うわぁ、結構いるな。ほとんどが使用人だとは思うけど、それでも全員怪物族だろうと予測されるので気が滅入る。
 でも、今日を逃せばチャンスはまた次の新月までやってこない。

 笹木野龍馬がバケガクへの登校をやめた今となっては、どちらにせよこの屋敷に侵入しなければならないのだ。

【百里眼】で屋敷の中を覗く。けれど廊下を照らす弱いろうそくの灯りがどこまでも続くだけで、ほとんどの部屋の中は暗くて全く見えず、肝心の笹木野龍馬も見つからなかった。とは言ってもしっかり見たわけではないけど。

 でも、そうか。真っ暗なところもあるのか。なら仕方ないか。

『ビリキナ。視界を共有しよう』

 ビリキナは夜目が効くので、ビリキナと視界を共有すると、ボクも暗闇の中で目が見えるようになる。日中も闇に沈んだ大陸フィフスで行動するとなったときに考えた打開策がこれだ。
 ただ、この方法はあまり好ましくない。ボクがやりたくないというだけなのでそんなことを言ってられない状況になればそりゃあやるけど、出来ればしたくなかった。
 学園長の視界を共有したときは体を動かさなかったから平気だったけれど、自分以外の視界を見ながら移動したり、戦闘したりするのは非常にやりにくい。慣れるためにダンジョンに潜ったときに練習してはいるけれど、嫌いなものは嫌いだ。長時間の使用は酔って吐き気や頭痛がする。諸刃の剣をわざわざ振るいたいと思うような性格はしていない。

『行くよ』

 ビリキナに声をかけ、ビリキナと視界を共有する。見える光景がガラリと変わって足元がふらついた。それでも徐々に慣れて、すぐにしっかり立てるようになる。
 夜目が効くとか以前に、まず、ただの生物と精霊では物の見え方が違う。横にも上にも下にも視界が及ぶので、脳への負担は大きい。これに慣れるのにはかなり苦労した。
 いや、慣れたというのは少し違う。全方位を見ることに慣れたのではなく、『見たい方向を見る』ことに慣れたんだ。始めは全方位を一気に見てしまっていたけれど、そういうことはもうない。

 くっきりとその姿があらわになった屋敷を見据え、ボクは一歩を踏み出した。

 20 >>294

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.294 )
日時: 2022/03/30 21:53
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: l2ywbLxw)

 20

 大陸ファーストの人間と怪物族との価値観の違いはもちろん住居にも現れる。その一つが防犯面だ。大陸ファーストでは家の周囲に結界を張ることが多く、対して怪物族は個々の力を誇りに思い結界等には頼らない。防犯のための術式を使わずとも侵入者を追い払う自信があるのだ。おかげで結界に細工をするという面倒な手間は省けて助かる。
 そもそもカツェランフォート家に侵入しようなどと馬鹿なことを考える輩がそうそういないんだろうな。

 侵入自体は難なく成功した。けれど本番はここからだ。怪物族の五感は優れていると聞く。……神経使うんだろうな。

 庭にも人影が見えたのでひとまず近くの茂みに隠れた。出来れば屋敷の中に入れる場所が見つかるまで茂みの中を移動したいけど、葉や枝があって、動けばすぐに音が鳴る。移動できるタイミングが限られてしまうから、長居は出来ないな。

「今日は仕事が少なくていいわねー」
「ほんと。でも、今晩を越えたらまた増えるわよ」
「最近は龍馬様の様子がおかしなせいで屋敷内全体がピリピリしてるしやりにくいわ」
「ちょっと! 誰が聞いてるか分からないんだから口を慎みなさい!」
「あ、ごめんごめん」

 顔は見れないけど、声からして女──メイドか? 笹木野龍馬の様子がおかしいって、どういうことなんだろう。どういう『おかしい』なんだろう。ちゃんと【転移】させることが出来るかな。

 探りながら、行くか。そんな器用なことが出来るかは分からないけど。

 メイドと思しき女の足音が聞こえなくなってから、その足音が消えていった方向へ歩いた。もしかしたら使用人が出入りするための入口があるかもしれない。
 足元の枝なんかを気にしながら、極力を音を立てないように気をつけながら、歩を進める。すると、向こうから声が聞こえた。今度はメイドだけじゃない。男、でも、なんだか優しげな声。

「そう、残念だ」
「申し訳ありません」
「いやいや、ツェマが謝る必要は無いよ。気分転換にどうかなと思ったくらいだからね」
「はい」

「龍馬に、私が『一人で抱え込まないで』と言っていたと、伝えてくれるかい?」

 え?

 ボクは慌てて口を抑えた。危ない、声に出すところだった。
『なにやってんだよ』
『仕方ないだろ。だってあの口調、どう考えても笹木野龍馬の血縁者じゃないか』

『龍馬』と名を呼び捨てにしたことや、笹木野龍馬を気遣う言葉、そしてメイドらしき女が敬語を使って話していること。そのどれを取っても、まず間違いなく屋敷に仕える身ではない。
 まずい。こんなに早く吸血鬼に遭遇するなんて思っていなかった。声からして当主ではなさそうだ。でも、だれだ? いや、誰だって一緒だ。吸血鬼であれば、必ず人間よりも圧倒的な力を持っているんだから。

「承知致しました」

 そう言って、女は立ち去った。

 あれ、笹木野龍馬への伝言を任されたってことは、あのツェマと呼ばれた女は、いまから笹木野龍馬のところへ行くのか? なら、見失うわけにはいかない。でも、吸血鬼がいるから迂闊には動けない。どうすればいい? 考えろ、考えろ。

「どうしたものかな」

 ぶつぶつと呟く声と男の足音が遠ざかっていく。たぶん、メイドが向かった方向とは逆だ。一か八か、メイドを追いかけてみよう。男に気づかれてしまうかもしれないけれど、これ以上はメイドを見失ってしまう。既にメイドの足音は聞こえない。今から顔を出しても見つけられるかどうか。

 よし。
 そう意気込んで立ち上がろうと、足を動かした。足元の枯れ枝を踏み、パキンと小さく音が鳴る。
 大丈夫だ。この程度なら気づかれない。大丈夫。

 その時。

 水の滴り落ちる音がした。

『なにしてる?』

 その声を聞いた瞬間、心臓がドクンと跳ねた。

 近い。すぐ前にいる。何故だ? 全く気配を感じなかった。注意を払っていたはずなのに、どうして? ボクの【察知】や【索敵】の能力はずっと小さい頃から姉ちゃんにお墨付きをもらっている。でも、気づかなかった。

 ビリキナの声じゃない。頭に響くような、それでいて外から聞こえる不思議な──精霊の声。

 顔を上げると、目の前にいた。ボクより少し小さいくらいの背丈で一見ただの人間に見えるけれど、背中から薄い、膜のような羽根が生えている。
 宝石のような光を放つ、艶のある蒼色の長髪に、ガラス玉のような、淡い蒼の光を宿す大きな瞳。体はぼんやりと月光をまとい、神秘的な雰囲気をかもし出していた。

 こんな状況であるにも関わらず、ボクはその姿に見とれてしまった。彼はあまりにも美しかった。
 精霊という種族そのものが、まず、美しく作られている。伝説上の天使族もそうだけど、神に仕える者は誰もが美しい。

 でも、それ以上に美しい。どうしてだろう。美しいものに見とれるなんてこと、そうなかったはずなのに。確かにボクは精霊が、精霊の神秘性が好きだ。存在するかもわからない神を知ろうとはしなかったが、存在を感じられる精霊には非常に興味を持った。精霊を美しいとも感じた。精霊と本契約を交わすことにも憧れていて、だからこそ自分と真逆の魔力を持つビリキナとの本契約を受け入れたのだ。

『おい、逃げろ!』

 ぼんやりしていると、ビリキナからの叱責が飛んできた。
『そいつは〈スカルシーダ〉だ! そんくらい気づけバカ!』
 スカルシーダ。その言葉は聞いたことがある。姉ちゃんと離れたあと、ボクが自力で調べた言葉の一つだ。

 精霊という存在自体が、ボクらのような『神ではない存在』が『世界へアクセスする』ための媒体だ。媒体精霊だけでは無い。空間精霊、種族精霊を含めた全ての精霊がその役割を担っていることが明らかになっている。それが『普通』の精霊だ。
 しかし、〈スカルシーダ〉は違う。根本の存在理由が『神への従属』であり、個体数は正確な数値は判明していないが世界中でも五体はいないとされている。

 この世界に存在する全てのものは『神への服従』が絶対だ、と、ボクが読んだ本には書いてあった。例外を除くこの世の全ての生物が『光の隷属』、『闇の隷属』に分けられることからもそれはわかる。『隷属』というのは神に服従するということで、キメラセルの神々に服従するか、ニオ・セディウムの神々に服従するかということだ。
『服従』と『従属』は違う。天使族でさえ、神に謁見する権利を持つ者は有数で、少数だ。そしてその少数も、神と直接顔を合わせる訳では無い。〈スカルシーダ〉以外の存在が『服従』の範囲を越えることは決してない。数多の世界が混在するこの次元において、唯一『直接神に仕える』ことが許された存在。それが〈スカルシーダ──最も神に近い存在〉だ。

 でも、なぜ? どうして〈スカルシーダ〉がこんなところにいるんだ? 一生に一度見れるかどうかも分からないと言われる竜よりもよっぽど珍しい生物だぞ?

 青いスカルシーダは顔をしかめた。それでもその端正な顔は歪まない。

『声が二重に聞こえる。でも、二重人格ではないよな?』

 精霊は、精神に干渉することが出来る。声が二重に聞こえるというのは、ボクとビリキナの念話のやり取りのことだろう。

『それに、魔力の流れもおかしい』

 そしてなにかに気づいたように目を見開く。

『【一体化】か! どこでそんな技術を!? ……ああ、そうか。わかった』

【一体化】。それは精霊を身体の中に取り込む技術。これは姉ちゃんから教わったもので、比較的最近わかったことだけど、この技術があることすら知らない人が大半のようだ。

 青いスカルシーダは目を伏せ、そして開き、ボクを見た。冷たくて、静かで、透き通るような蒼い目は、不思議と姉ちゃんを連想させた。

『おれはネラク、第二の器。
 花園朝日。お前はどうしてここに来た?』

 21 >>295

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.295 )
日時: 2022/03/30 21:59
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: l2ywbLxw)

 21

 ボクの名前を知ってるのか? 顔を隠しているのに、ということは精霊には通じないだろうからいいとしても、どうして名前までわかるんだろう。いくら〈スカルシーダ〉でも、一人の人間の名前までいちいち覚えているわけない。この青いスカルシーダ──ネラクに会ったのは正真正銘これが初めてだ。

 全く心当たりがない。

『答えろ。さもないと、切る』

 ネラクがそういった途端、周囲を冷気が包んだ。魔法だ。足元の枯葉や枯れ枝が凍りつき、その氷は伸びて、鋭利な先端をボクの顔に向けた。

『ここがどういう場所なのか理解した上で来たのなら、この意味がわかるな?』

 怪物族はボクたち以上に五感が優れていて、吸血鬼は特に嗅覚が発達している。つまり、血の匂いに敏感だ。それにボクは大陸ファーストの人間で、怪物族とは敵対関係にある。たとえ一滴であっても、その血の匂いを奴らは逃しはしないだろう。いくら【一体化】をしているとはいえ、流石に血の匂いまでは誤魔化せない。

 でも。

 ここで引くわけにはいかないんだ。

「ぼ、ボクは」

 あからさまに声が震えている。怖いのか? ボクは彼に、恐怖心を抱いているのか?

 わからない。

『ビリキナの力で攻撃してごらん』

 どこからともなく、ジョーカーの声がした。後ろを見る。いない。右も、いない。左も同様だ。どこにいるんだ? いや、そもそもこの場にいるのか?
『おい、どうした?』
 ビリキナが怪訝そうにボクに問う。聞こえてないのか?
 前を見ると、ネラクも変わらずボクを見つめている。
 ボクにしか、聞こえていない?

 まあいい。どうせ引き返せないんだ。このままされるがままになって血の匂いを漂わせながら動くよりもここで魔法を使う方がよっぽどマシだ。

 匂いは、嗅覚は、壁や天井を越える。僅かな隙間から漏れ出てしまう。だけど魔力は違う。ほとんどの生物が魔力は触覚的に捉えている。もちろんボクのように視覚的に捉えるものもいれば、嗅覚的、聴覚的、そして稀に味覚的に捉える者もいるが、それは全体の割合で言えばほんのひと握りだ。匂いならば百の可能性で見つかる。けれど魔力なら、使ってすぐにこの場を離れてしまえば少なくとも匂いよりは見つかる可能性は低くなるだろう。

 その結論に至ったボクはネラクに手の平を向けた。

【フィンブリッツ】!!!

 無詠唱でこの魔法を使えるように、幾度となく練習を重ねた。黒い稲妻を手の平から打ち出す単純な魔法。闇魔法と雷魔法を掛け合わせた、闇の隷属の雷使かみなりつかいならば息をするように扱える、基本の攻撃魔法。
 そう。基本の魔法だからこそ、ビリキナの魔力を扱う上で習得すべき魔法だった。そしてこの類の魔法は、術者の技術によって威力は大きく左右される。他のビリキナの魔法を使うための力を養うためには、この魔法を極めるのが手っ取り早かった。〈スカルシーダ〉に勝てるだなんて微塵も思っていない。だけど今のこの状況で最も上手く扱える魔法は、これだ。

 打ち出された黒い稲妻は、まっすぐネラクに向かう。ワンテンポ遅れてネラクの表情は驚愕に染まり、彼は自身の周囲に薄い膜、バリアを張った。当然だ。ボクの魔法は弾かれる。こんな魔法が通るわけがない。
 次の一手を考えるボクの視界に、信じられないものが映った。
 稲妻は、いとも容易くネラクのバリアを貫通した。まるでそれが当然であるかのように、まるでバリアなどそこに存在しないかのように。そのまま吸い込まれるように、稲妻はネラクの身体を貫いた。身体の中央、腹部のど真ん中。稲妻の勢いは収まらず、ネラクの身体は吹き飛んだ。元々宙に浮いていたせいでもあるのか? いや、それはないだろう。もし仮に足を地に着けていたとしても、その程度の摩擦ではあの勢いは殺せない。

 精霊はボクらと似たような姿をしているだけで、中に血は通っていない。でも、確実に重傷を負ったはずだ。

 どうしたらいい? 逃げるべきか? いや、きっと追ってくる。でも〈スカルシーダ〉を殺せるわけない。その前に殺されてしまうだろう。どうしたらいい?

『精霊の殺害を確認しました』

 22 >>296

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.296 )
日時: 2022/03/30 22:00
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: l2ywbLxw)

 22

 最近は聞くことのなかった、どちらかと言うと女性的な声。感情のない淡々とした口調で、続けざまに言葉が降りかかる。

『称号【神に背く大罪人】・職業【精霊殺し】を解除アンロック。これにより使用可能武器【対精霊武器】・使用可能魔法属性【黒魔法】を解放します。職業【魔法士】を【魔術師】にランクアップ。使用可能武器が十に到達、【魔術師】level1に到達したことにより、使用可能魔法【武器生成】を解放します』

 時間という概念から完全に隔離された意識だけの空間。白いような黒いような訳の分からない空間で、ボクのステータス画面が大きく表示されていた。その中で、次々に文字が増えていく。それにつれて、ボクの脳内で欠けたピースがどんどんはまる。知識とピースが合わさり、形になる。

 この感覚は、久々だ。気持ち悪いのか心地いいのかわからない。確かに言えることは、『自分に出来ることが増えた』ということ。理解ではなく実感として得られる感覚。

『現在これらの武器が使用可能です。使用しますか?』

 声はボクに選択を迫った。画面が切り替わり、少数の武器の名称の一覧が表示される。属性付きの武器のようで、そのほとんどの属性が、先程解放された黒魔法だ。なぜ、大陸ファーストの生まれであるボクが黒魔法を? 精霊殺しと言っていたが、〈スカルシーダ〉があの程度の攻撃で死ぬわけがない。となると、まさか、リンか? あの紫髪むらさきがみの精霊は弱ってはいても死ぬような様子はなかったはずだ。リンが死んだのか? それとも、『堕ちた』のだろうか。

 それを確かめる術は今はない。故に悩むだけ時間の無駄だ。ボクは画面に向けて手を伸ばした。

 ここは時間という概念から完全に隔離された意識だけの空間。現実世界ではボクの体は眩い光に包まれていることだろう。ボクがここでいつまで過ごそうと、現実むこうでは一秒の時間すら経っていない。
 ボクは戦闘中にこの現象が起きることがとても嫌いだ。なんせ、集中が切れる。危険から切り離されたこの空間から敵からの攻撃が降り注ぐ戦闘に戻るときの頭の切り替えが苦手だ。
 緊張を維持しつつ、少しでも早く現実に戻ろう。そう思い、ボクが選択した武器は。

 伸ばした手から、黒いもやが噴き出した。今まで体感したことの無い未知の感覚。ビリキナの魔力を使って魔法を使うときのものによく似ている気もする。でも違う。これは、ボクの魔力だ。魂を中心にしてボクの体内を循環する、他の誰でもないボク自身の魔力だ。噴き出した大量の魔力もやはいつまで経っても収まらず、ボクは頭痛がした。魔力切れの兆候、とはなんだか違う。体の中を風が吹き抜けるような、そんな感覚。そういえば、ランクが【魔術師】になったとか言ってたっけ。魔力量が大幅に底上げされたのかな、魔力が尽きる様子はない。
 やがて、もやは一点を中心に形を成し、そして三つに分かれ、それぞれが一つの武器になった。短剣によく似た、しかしそれよりもやや単純な見た目の、『投げナイフ』。

 冒険者を含め、自分の武器として投げナイフを選ぶ人はとても少ない。そもそも投げナイフというものは、メリットよりもデメリットの方が目立つ武器だ。
 弓でもそうだけど、消耗が激しく戦闘中の回収も難しい、いわば使い捨ての武器なので、出来るだけたくさんの武器(投げナイフ)を持っておく必要がある。重さだったりかさばったりなんかの問題はアイテム・ボックスに入れることで解消されるけど、そうするとアイテム・ボックスの容量が少なくなって魔物を倒したときに手に入る素材が持ち帰れなくなる、という問題が発生してしまう。魔法を使わずに投げナイフで魔物を仕留めるのは至難の業だから、素材と言っても手に入るのは大抵魔石くらいのものだけど。

 切れ味も、投げた時は通常のナイフよりは切れるけど、近接戦になるとてんで役に立たない。遠距離攻撃の手段はそれこそ弓があるので、人に教えられる程の技術を身につけている人が少ない(習得が難しい)投げナイフよりも、数は限られるとはいえ一般の学校で習得出来る弓の方が扱う人は多いのだ。

 でも。それでもボクは投げナイフを選んだ。理由は単純。『姉ちゃんに褒められたから』、ただそれだけだ。欠点が多いという投げナイフの特徴も理解した上で、他の武器は二の次にひたすら投げナイフの技術を磨いた。
 たった八年間、されど八年間。何かの役に立つなんて思いもしなかった。姉ちゃんとの思い出が廃れてしまうのが怖くて、何度も何度も教わったことを繰り返していた。誰かに教わることもせず、遠い昔の記憶を頼りに。姉ちゃんから教わった姉ちゃんの技術が、他の誰かの技術にすり変わるのがどうしようもなく嫌だった。

『朝日くんの武器も、ボクと同じ投げナイフなんだねぇ』

 いくら長い間同じことを繰り返していたとしても、必ずどこかで歪みは出てきてしまう。一度歪んでしまえば、その歪みはどんどん酷くなる。自分の投げナイフの技術が誰のものなのか自信を持てなくなったときに、ジョーカーに出会った。

『すごいね、それって独学でしょぉ? 戦闘技術として評価すればヘッタクソで荒いけど、芯はちゃんと出来上がってる。磨けば光るだろうねぇ』

 最初は拒んでいた。受け入れる訳にはいかなかった。ジョーカーの技術と姉ちゃんの技術が同じであるはずがないから。ボクの中にある技術ねえちゃんが消えてしまうと思っていたから。
 でも、ジョーカーはこう言った。

『本当に君が『日向ちゃん』の投げナイフの扱い方を覚えているのなら、ボクの技を見て気づくことがあるはずだよ』

 そのときのジョーカーの表情は、今でもよく覚えている。いつもと同じ何を考えているのか分からない不気味な笑みの中に、一欠片の『優越感』が埋め込まれていた。
 ジョーカーの技術は、姉ちゃんのものとよく似ていた。どうしてなのかは分からない。もしかしてジョーカーも姉ちゃんに投げナイフを教わったことがあるのかもしれないとも思ったが、なんとなくそれは違う気がした。逆にジョーカーが姉ちゃんに教えたのか、それも考えたが、そうなると姉ちゃんの上にジョーカーがいるということになるので、それはありえない。
 ただ一つ言えることは、ジョーカーと姉ちゃんの間には無視ができない『何か』があるということだ。その事実に目を瞑ることはしたくなかったけれど、そのとき優先すべきだったのは、ジョーカーから戦闘技術を教わることだった。

『ボクなら、君が望むように出来るよ。約束する。投げナイフに関して言えば、ボクと日向ちゃんの技術はほぼ等しいよ』

 ジョーカーの言葉そのものを信じたわけでは無い。ボクはボク自身の目でそれを見て、その上で判断したんだ。

 ボクはジョーカーから技術を分け与えられた。今でもそれを後悔することは無い。利用できるものを利用したまでだ。

 23 >>297

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.297 )
日時: 2023/04/05 20:59
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: YC5nxfFp)

 23

 現実世界に戻ると同時に、【スキル・制御コントロール】を使用した。遠距離攻撃の命中率を上げるスキルで、ボクが八年の間に習得したスキルでもある。
 しかし、そのスキルが無効化された感覚がした。続けざまに声が聞こえる。

『【対精霊武器】は、魔法またはスキルと併用することは出来ません』

「!」

 そういう武器があるのは知っていた。でも、まさかいまボクが持っているこれがそれだなんて!
 けど、それに気づいたとしてももう遅い。ボクの視界にはネラクが映り、ボクの手はネラクに向けて投げナイフを放とうとしていた。

『【付与効果・一撃必中】を発動します』

 投げナイフが手から離れた瞬間、そう告げる声と共に右腕に激痛が走った。右腕の血管を全て引きずり出されたような、何かがブチブチとちぎれる感覚と、指先から肩にかけて激しい電流が走り抜けるような感覚が突如としてボクを襲う。

 パリィィイン!

 ガラスが割れる音とよく似た高い破裂音と、キラキラと光る透明感のある青い破片が辺りに飛び散る。

 そこからは、とても静かだった。

 ネラクが張ったのであろう魔法障壁を破壊し、投げナイフはネラクの体に触れる直前に、黒いもやへと形を『戻し』た。八方へ伸びる手のごとくそれはネラクを包み込み、そして捕える。黒いもやは、今度は『檻』に形を成した。

「はぁ、はぁ……」

 ボクの息を吐く音だけが、やけに虚しく響く。体はガタガタと震えている。無意識のうちに、痛む右腕を左手で抑えていた。見てみると、右腕に特に変化はない。ただ、全体が麻痺しているようで、力も入らなければ左手が触れている感覚もしない。その癖に痛みは治まらない。

 痛い。

「痛くない……痛くない……」

 ボクは左手を離し、立ち上がった。ずいぶん暴れてしまったから、屋敷にいる奴らが来るのは時間の問題だ。先を急ごう。

「笹木野龍馬のことを探りながら、ってのは無理そうだな」
__________

『おい、大丈夫かよ』
 ツェマと呼ばれていたメイドらしき女が歩いていった方向へ進んでいる道中、ビリキナからそう声をかけられた。
『なに。心配してるの?』
 わざと棘のある言い方をした。ビリキナがボクの心配なんてするわけないし、話しかけられても集中が途切れるだけなのでやめて欲しい。
『契約関係だからな、そう簡単に見捨てられねえんだよ。なあ、その腕で戦えんのか?』
『うるさいな。これくらいなんともないよ』
『知らねーぞ。ま、手当のしようもねーけどな』

 ボクのこの腕の状態の原因はおそらく、さっきの【対精霊武器】の【付与効果】である【一撃必中】の反動だ。
【一撃必中】のような強力な技(あるいは技術)は、主に【付与効果】と【特殊エクストラスキル】の二つに分けられる。【特殊スキル】でも反動はあるにはあるが、これほど強くはないだろう。そもそも【特殊スキル】というのは【習得スキル】から派生したもので、つまりは自分自身の力で得た『技術』だ。この場合身体、もしくは精神に与えられる影響は強い力を使ったことに対する『代償』の分だけだ。
 それが【付与効果】となると話は変わる。付与されているものが『魔法』ではなく『効果』なので、実際にはない力を無理やり引き出すため、『代償』に加えて身体に異常なほどの負担をかけてしまうのだ。酷い場合は骨折どころか身体の一部が消し飛んだりもする。でも、ボクは少なくとも見た目はどうともなっていない。なんでなんだろ?
 考えても答えが出ないことは、考えてるだけ時間の無駄だ。考えるのはあとでもできる。はやく、笹木野龍馬をみつけないと。

 物陰に潜みながら歩いていると、段々人影が少なくなってきた。そしてついに、メイドなんかも含めて一人も視界に入らなくなった。さっきボクが暴れた場所に人が集中してるのか?
 きっと、焦っているんだろう。ボクは思い切って走り出した。もちろん周囲に気を配りながら、だけど。慎重さを欠いた。

 声が聞こえた。

『……』

 近いとは言えないが、かといってさほど遠くもない。風に乗って断片的に聞こえる声。女の人かな、大人とも子供とも言い難い、ボクよりやや年上くらいの女性の声。

 ああ、違うな。これは。

 歌だ。

 姉ちゃんが、昔、たまに歌ってくれていたっけ。母さんが歌ってくれる歌とは歌詞や音程が若干違っていた。

眠れ眠れ幼き子よ
眠れ眠れ春の風に
眠れ眠れ幼き子よ

温かな雨にうたれて
眠れ眠れ
救いの雨に身をゆだね
眠れ眠れ
大地と共に

汝が草木に寝転べば
眠れ眠れ
大地は汝の寝床へと
眠れ眠れ
炎と共に

炎は汝の守り人
眠れ眠れ
安らかな眠りを誓う
眠れ眠れ
春の風に

そよ風は汝のゆりかご
眠れ眠れ
汝はただただ身をゆだね
眠れ眠れ
雨に降られて

水も土も火も風も
全ては汝に安らぎを
眠れ眠れ
光も闇も精霊も
全ては汝に温もりを
眠れ眠れ春の風に

眠れ眠れ幼き子よ
眠れ眠れ春の風に
眠れ眠れ幼き子よ

我らと共に

 だったっけな。

 なんだか懐かしい気持ちになり、つい、吸い寄せられるように声の主の元へと足を動かしてしまった。この歌声はとても優しげで、頭のどこかで、もっと近くで聞きたいと思ってしまったのだ。

『おい、後ろ!!』
 バリィィイイイッ!

 ビリキナの大声と壮大な雷の音が、突如としてボクの意識にショックを与えた。
 何が起こったのか、すぐには分からなかった。しかし、本能が『逃げろ』と叫んでいる。

 振り向くと、雷属性の魔法障壁と、それに『何か』が衝突したことによって発生した猛烈な光があった。ビリキナと視界を共有しているおかげで目が見えなくなることはなかったけれど、視界は真っ白で、そういう意味で何も見えない。
 落ち着くように自分に言い聞かせながら、【察知】で周囲を探る。

 囲まれてる。

 ……しまった。

「チッ」

 舌打ちをして、投げナイフを両手に三本ずつ構える。視界に色が差し、敵の位置を確認すると同時に【制御】を使って投げた。幸いなことに、大多数がさっきの光で目をやられたらしく、こちらへの攻撃の素振りが遅い。
 見つかった以上、もう前進し続けるしかない。正面の敵へ向けて放った三本のうち一本の投げナイフはギリギリのところで避けられた──けど、敵の頬をかすめる。

「ギャアアア!!」

 ジュウ、と肉の焼ける臭いの中へ飛び込み、悶え苦しむ二体の怪物族の間を通り抜ける。

 怪物族相手に聖水を使ったことはまだなかったけれど、想像以上の効果だ。
 ボクを囲んでいたのは、全員がボクの二倍はありそうな大柄で、見るからに屈強そうな男たちだった。なのに、投げナイフが突き刺さった男はおろか、かすっただけの男も、切り口が徐々に抉れ、真っ赤な穴があいていた。それを直視し、思わず吐き気に口を抑える。

「追いかけろ!」

 でも、走る足も、ナイフを投げる手も止めない。次から次に湧く男たちの位置を逐一把握しながら、屋敷の中へ入るための方法を探す。騒ぎが大きくなったいま、最悪壁を破壊するという選択肢もあるが、それは最終手段として置いておく。

『防御はオレサマがやってやる。お前はとにかく前に行け!』
『わかってる!』

 とにかく走り続けていると、開けた場所に出た。庭か? 屋敷の壁に囲われた空間で、美しい景観で彩られている。等間隔に植えられた木々、丁寧に手入れされた花壇に芝、ピカピカに光る敷石、キラキラと輝く噴水。そして、ずらりと並ぶ男や女。

「真弥様と明虎様を安全な場所へ!!」

 そんな声が聞こえてきた。

 真弥様と、明虎様? まさか、吸血鬼か?! いや、吸血鬼なら、というより怪物族なら避難はしないだろう。応戦はせずとも威厳を保つためにその場に居続けるはずだ。奴らはそう考えるはずだ。怪物族じゃないのか? だとしたら、誰だ? プライドが高い怪物族が『様』と呼ぶ、怪物族以外の存在?

 考えるな。動け。

 逃げるなら、あいつらのことを気にする必要は無いじゃないか。

 ボクは走り続けた。男たちが近づいてくる。その前に、ナイフを放つ。当たりさえすればいいのだ。怪物族である以上、聖水の効果を逃れる方法はない。

 バチッ

 時折、背後から何かが弾ける音がする。そんなものは気にしない、後ろは向かない。前へ、前へ。

「どけぇお前ら!!!」

 ドスの効いた大声が突進してきた。ただでさえ大きい他の奴らよりも二回りは大きい、巨大な棍棒を持った大男。兵の制服らしきものを着てはいるものの、毛むくじゃらの全身はほとんど隠れていない。青い狼の頭の中の鋭く光る黄金の目がボクを捉えている。真っ赤な舌が、大きく裂けた口から垂れていた。

 さあっと血が引く感覚がした。
 怪物族の中に存在する多くの種族の中で、『狼』の姿をしたものは、特別強い力を持っていることが多い。あいつは、〈ジャイアントウルフ〉だ。名前の通り体が大きく、とにかく並外れた筋力を持つ。移動速度は飛び抜けて速いということはないが、跳躍力も高く、一度の跳躍で建物三階分は飛ぶことが出来るらしい。

 ドス、ドス、と地面が揺れる。振動の音がどんどん近づく。たまらずボクは足を止めた。後ろからも敵が走ってくる音がする。

『おい! とまんじゃねえよ!!』

 手が、足が、震える。気を抜けば、意識が飛びそうになる。息が出来ない。

 怖い。

 恐い。

 こわい。

 ……こわくない。

 24 >>298

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.298 )
日時: 2022/03/30 22:28
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: l2ywbLxw)

 24

 後ろは気にするな。後ろの奴らは気にするな。前を、前を。
 投げナイフを構える。投げる。一つ一つの動作を丁寧に行い、投げナイフが飛んでいく様子もじっと見つめる。その間も足は止めない。大男を避けて、大男から見て左へ大きく回って走り続ける。目線は投げナイフに固定し、ボクが走る先々にいる敵の位置も把握する。
 右から剣撃が来る。無視。

 バチッ

 後ろから矢が飛んでくる。無視。

 バチッ

 前から魔法による氷の塊が降り注ぐ。これも、無視。

 バリッ!

 雷の魔法障壁が変形し、前にいる奴らを飲み込む。

 大男が動いた。目にも止まらぬ速さで棍棒を一振りする。投げナイフが木っ端微塵になるのが見えた。爆風がこちらにまで襲い来る。棍棒を振ったときに生じた風だ。それは木々を薙ぎ倒し、ボクを含めた範囲内のほぼ全員の体を吹き飛ばした。

 体が浮いた。足が地面から離れる。視界がものすごい速度で広くなる。

 視界の端で、さっき「真弥様」、「明虎様」と呼ばれていた子供が見えた。一人は姉ちゃんと同じくらいの年の女の子。一人はボクよりも小さな男の子。怪我でもしたのか、体のあちこちに包帯が巻かれてあったり、湿布が貼られていた。

 この騒動での怪我じゃないよね?

 ガッシャアァァァァアアン!!!!

 派手な音をたて、ボクの体は窓ガラスに衝突した。ガラスが広範囲に弾け飛び、ボクは屋敷内の侵入に成功した。そのまま廊下の壁に激突する。壁はヒビが入り、ところどころ崩れ落ちた。

「ケホッ」

 砂埃が舞って、咳が出た。服の効果のおかげで骨は折れていない。動ける。行こう。

 立ち上がった途端、床が揺れ、ボクはよろけた。

 ズシン、と、重い振動音がすぐ近くで鳴る。音の発生源を見ると、庭側の壊れた壁に出来た大穴に、大男が器用に立っていた。外から見たよりも屋敷の天井は高かったが、〈ジャイアントウルフ〉からすればまだ足りないらしく、背を丸め、足を曲げてそこにいる。

「死ね」

 手に棍棒は握っていなかった。生来備わっている鋭利な爪が、ボクの体を狙う。巨体に似合わぬ素早さで腕がボクの方へ伸びてくる。

「待て」

 しかし、その爪がボクの体を引き裂くことは無かった。廊下の向こうから聞こえてきた制止の声に従い、振りかぶったところで腕はピタリと止まる。

「なんの権利があってカツェランフォートの屋敷を破壊してんだ?」

 声の主を見た大男の表情がみるみる強張る。目は大きく見開かれ、分かりやすく体が震えた。
 ボクも声がした右側を見た。そこには二人の男女がいた。大人らしいが見た目はまだ若く、姉ちゃんとさほど年は離れていないように見える。見た目は。

「が、雅狼がろう様、それに、沙弥さや様まで……。一体なぜここに」

 男性は緑味のある長い髪が特徴的だった。髪の長い男性はたまに見かけるけど、あまりいない。束ねることもせずに後ろに垂らしている。切れ長の目の中にある水色の瞳は楽しげで、口元も歪んでいた。怪物族らしい高身長で、洋風の貴族らしい煌びやかな衣装を身につけている。
 女性は男性よりも深い青の髪を編んで、肩に垂らしている。キュッとつり上がった黒い目は男性とは違って冷たい光を宿している。こちらも貴族らしいドレス、しかし落ち着いた雰囲気のものを着ていた。男性ほどではないにしろ、やはり怪物族らしく高身長だ。

 その二人を見た瞬間、散らばっていた点が一つに繋がった。

 尖った耳に鋭い牙。二人にはそれがあった。それくらいなら怪物族なら当然だ。しかし、名前に『様』をつけて呼ばれていることと服装から、二人が吸血鬼であると確信する。つまり、笹木野龍馬の血縁者だ。
『沙弥』という名前から、『真弥様』と呼ばれていたあの人、そしてそばにいたあの男の子が笹木野龍馬の血縁者であると推測出来る。思い出した。笹木野龍馬は、人間と吸血鬼の〈ハーフ〉だ。確か父親が人間のはず。だから『あの男』は昼だっていうのに屋敷の外で歩いていたのか。

「俺は質問したんだよ」

 雅狼と呼ばれた男性は拳を握り、少し自分の体の方へ引いた。

「ヴッ!」

 すると、大男は苦しげな声を発した。そしてそれ以外の言葉を出さぬまま、体が後転し、庭へ落ちていった。

「まさか、『虫』を屋敷内に入れるなんてね」
「本当だよ」

「別に、殺したって良かったんだがなぁ」

 最後の言葉は、ボクに向けられた言葉だ。
 男性が、話しかけるように呟きながらボクに近づく。その一歩遅れて、女性もそれに続く。

「新月の日、しかも龍馬あいつがあんな状態になってる今日にわざわざこのカツェランフォートに入り込むなんて、ただの虫がすることじゃねえよな?」

『あんな状態』?

「なんか知ってんじゃねえの? お前」

 ボクは両腕を突き上げ、出来得る限りの力で振り下ろした。

「あ?」

 わざわざおしゃべりに付き合ってる時間はないんだよ。


 ドオ……ン


 重厚な爆発音にも聞こえる、強烈な落雷の音。

 精霊であるビリキナの大量の魔力を使って、巨大な雷を落とす魔法【焼失地帯】を発動した。

 倒すことが目的じゃない。

 雷は天井を突き破り、半径三メートルの範囲にある物を焼失させた。そして、それ以上の範囲に強い『光』を振りまく。

 怪物族は、夜目が効く代わりに光に弱い。暗い中に急にこれだけの光にあてられたら、しばらく目が見えなくなるはずだ。
 いくらビリキナがいるとはいえ吸血鬼と本気でやりあっても、力と時間を消耗するだけだし、命だって危ない。だから雷のサイズも抑えた。本来ならもっと大きく出来るけど、目的は『光』だから、あれくらいでいいのだ。

 ボクは二人がいた方とは逆を向き、廊下の先に進んだ。

『おい! 魔力を大量に使うなら先に言え!』
『そんな暇あった?』
『あのなぁ……。魔力練り直すから数十秒魔法障壁張らねぇぞ』
『わかった』

 それを聞き、ボクは一層周囲に気を配った。【察知】や【索敵】に加え、感覚そのものも使い、そう時間のかからないうちに来るであろう敵に備えた。

 そのつもりだった。

「え」

 気づけば、ボクの腹に、ナイフが刺さっていた。

 25 >>299

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.299 )
日時: 2022/05/02 06:31
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: bGiPag13)

 25

 目の前には、幼い女の子が立っていた。ナイフを真っ直ぐに持っている。構えとも言えない持ち方なのに、それはボクの体に深く食い込んでいた。
「え」
 あまりに突然で、ボクは二度目の言葉を漏らした。
「わたくしは手を出さないつもりでしたわ。雅狼さんと沙弥さんがすることですし、そもそも元はお兄様のお仕事ですもの。わたくしが手を出すなんておこがましいですわ」

 身長差ではボクの方が上のはずなのに、見下すようなオーラを感じる。冷ややかな紫の瞳が、ボクを睨みつける。

「けれど、先程の会話を聞いて気が変わりましたわ。あなた、何かをご存知ですの? お兄様の──いまのお兄様のことを。
 もし知っているというのなら、大人しくなさいませ。全てを仰るまで、殺しはしませんわ」

 お兄様? 誰のことだ? 屋敷に入ったばかりのときに聞いたことと合わせれば、笹木野龍馬か?

「あら?」

 女の子は、ズッと血塗れのナイフを引き抜いた。そして、ナイフに付いた血をぺろりと舐める。

「これは、大陸ファーストの……」

 そちらに気を取られているすきに、ボクは駆け出す。あんな小さい子の足では、ボクには追いつけないはずだ。

 そう思ったのに、五秒もしないうちに後頭部に強い衝撃が加わった。蹴り飛ばされたのだ。ボクが倒れ込む直前に、小さくトンッと着地する音が聞こえた。飛び上がって蹴ったのだろう。
「何故お逃げになるの? 殺さないと言っているのに。わたくしはただ、話をお聞きしたいだけですわ」
 立ち上がって、投げナイフを構える。後ろを振り向き女の子の姿を視界に捉えたと思ったら、女の子はボクの体に手を触れていた。

「少しは理性的におなりなさい」

 それは、粘り気のある液体を流し込まれたような感覚だった。急に体が重くなる。かしゃんと乾いた音をたて、手から投げナイフが落ちた。足に力が入らず、床に膝をつく。

「少し考えれば、お互いに利のある話だとお気づきになるはずですわ。
 随分純度の高い聖水をお持ちですのね。やはり大陸ファーストの人間かしら?」

 喉に何かが張り付いている感覚がする。上手く呼吸が出来ない。

「わたくしは知りたいだけなのです。お兄様を解放して差し上げたい。苦しむお兄様も、苦しみを隠すお兄様も、もう見たくないのですわ」

 何を、言ってるんだ?

「わたくしごときにそんなことが出来るなんて思っていませんけれど、それでもわたくしは……」

「ルア、甘いよ」

 声がしたと思ったほぼ同時に、首に鋭いものが突き立てられた。なんだ?

「ルイ!」
「龍馬さん自身がアレの原因を突き止めるために動いてるんだから、わたしたちが特別何かをする必要なんかない。侵入者は、さっさと殺すか捕まえて吸血奴隷にすればいい」
「わかってるわ。でも」
「でもじゃない。ルアこそしっかりして。人間の血が入ってるあの人にそこまで踊らされるなんておかしいよ」
「っ! お兄様を侮辱するのはやめなさい! お兄様は素晴らしい方よ! ルイこそどうしてそれがわからないの?!」
「だから、それがおかしいって言ってるの。だから、甘いままなのよ」

 ルイと呼ばれたもう一人の女の子が後ろから姿を現した。片手が血に染まっている。突き立てられたのは、爪だろうか。長い爪がしゅるしゅると縮んでいく。

『おい、どーすんだよ。お前、死ぬぞ?』

『…………』

「わたしは、あの人が嫌い。昔比べられたことがあるとか以前に、吸血鬼らしくないし、なんか、嫌」
「それはっ、そう、かもしれないわ。だけどお兄様は!」
「何度も言ったでしょ。わたしはわたしの意志を曲げるつもりは無い。龍馬さんは嫌い。何より吸血対象でもない人間の女を好いているっていうのが気持ち悪くて仕方ない。この話は終わり。
 こいつもすぐ死ぬ。部屋に戻って、それで寝よう。先戻ってるから」

 そう告げて踵を返し、ボクに目を向けることなく立ち去った。

「わたくしは、わたくしのやり方で」

 女の子は苦しそうに言うと、ボクを見た。

「答えなさい」

 ボクが答えられるはずのない質問を、投げかける。

「どうしてお兄様に、他人が宿っているんですの?」

 まだ、言葉は続く。

「お兄様は苦しんでいらっしゃるわ。悩みを話すのは真弥さんに対してだけですけれど、近しい者はみんな知っていること。誰しも苦しみを抱えているもの、そう言えばそれきりですわ。けれど、どうして苦しまなければいけませんの? お兄様が何をしたの?! 知っているなら、答えなさい!」

 そんなの、ボクが知ってるわけないじゃないか。
 というか、なんだよ。『他人が宿っている』なんて、何の話をしているんだ?

「答えないなら、殺しますわ。さあ、どうなさるの?」

『ビリキナ。ボクの体を動かして。出来るよね?』

 それは『乗っ取り』に近いものだ。ボクの体はもちろん、ビリキナにも大きな負担を与える。意識のある体を他者が動かすのは難しいのだそうだ。

『どうしろってんだよ』
『えっと』

『じゃあ、ボクがあげた魔法石を壊してみて?』

 さっきと同様に、ジョーカーの声が聞こえた。体が動かないからどこかにいるのかすらもわからない。でも、目の前の女の子は変わらずボクに視線を固定している。

『ジョーカーの、魔法石を、破壊して』
『なんでだ?』
『わかんない』
『は?』
『いいから、やって』

 この際、もう、なんでもいい。もうすぐ死ぬんだったら、なんでもやってやる。

『しゃーねーな』

 ボクの手はポケットを探り、中にある白色の魔法石を取り出した。破壊しようと力を込める。

「なぜ動けるんですの!?」

 さすがに硬い。だからこそ、魔法石を壊すなんて発想はない。それよりもまず、魔法石が壊れたら、中にある魔法が漏れ出て、魔法石として機能しなくなる。

『かてーな、クソッ』

 マスクをずらし、口の中に魔法石を放り込む。嫌な予感が脳裏を横切るより前に、ガリッと硬いものを噛む音と、ゴリッと奥歯が折れる音がした。

 プッとなんでもないことのように折れた歯と血、魔法石の破片を口から吐き出した。

『これでいいのか?』

 文句を言おうかと思ったが、そんな気力も起こらない。

「なにをして」

 女の子は言い切らなかった。ボクも言葉を失った。

 ありえないほど濃厚な魔力の渦が、ボクらを直撃した。物理的な力ではない、魔法的な力が意識を大きく揺らし、視界がぐるんと歪む。
 女の子が、ふらっと倒れた。ボク自身は意識が飛びそうだけど、ビリキナが耐えているのか体は動かない。

 何が起こったのか、わからない。魔法石を破壊しただけだぞ? 魔法石を破壊しただけでは、こんなことにはならない。きっと何かほかにあるはずだ。でも、何かって?

『なんだよ、これ』

 ビリキナが呆然と呟く。

『何が起こったの?』

 ビリキナは、『何か』を知っているのだろうか。そう思って尋ねると、ビリキナは語り出した。

『魔法爆発に似たようなもんだよ。魔法石の中の魔力が、魔法石が壊れたせいで外で暴れてんだ。
 どうなってんだよ! あんなちっぽけな石ひとつにこんだけの……しかもこの魔力は……。
 なあ、お前も感じるだろ?』
『感じるって、何を?』
『はあ?!』

 聞き返すと、怒声が飛んだ。

『感情がぶっ壊れてんのはいいけどな! 感覚まで鈍ってんじゃねぇよ!!!』

 そんなこと言われても、感じないものはどうしようもないじゃないか。

『この魔力はただ強いだけじゃない。オレサマみたいな精霊の力に近い。でも違う。これは』

 震えるような、恐怖を含んだ声で、ビリキナは言った。

『これは、神の力だ』

 26 >>300

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.300 )
日時: 2022/05/02 06:32
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: bGiPag13)

 26

『何言ってるの?』
『お前は信仰心が薄いみたいだけどよ、神は存在する。精霊であるオレサマが、神の力を間違えるはずねえ』
『百歩譲って神が存在するとして、じゃあ、ジョーカーが神だって言いたいの?』
『んなことオレサマが知るか。大体、神が簡単に人前に姿を見せると思うか? それもお前みたいな一般人の』
『じゃあ、何が言いたいのさ』

 ビリキナは、返事に詰まったらしい。少し時間を空けて、頭の中で声が響く。

『わからない。ただ、ジョーカーの力は神の力に酷似してる。でも、ジョーカーの魔力を直接感じたのはこれが初めてってわけでもないのに、いままで気づかなかった。よっぽど力を隠すのが上手いのか、それとも精霊よりも神に近い何か──怪物ばけものなのか』

 ばけもの、か。

『なんなんだよお前! 白眼だし訳の分からん魔法使うし! バケモノ! バケモノ!!』

 姉ちゃんは確かに、ばけものと呼ばれる存在なのかもしれない。それは痛罵の言葉ではない。ばけものが人智を超えた存在を指すのであれば。もし、もしも、神が存在するというのなら、姉ちゃんならば、神であると信じられるかもしれない。
 そういえば、東蘭も昔〔神童〕なんて呼ばれていたし、笹木野龍馬は〔邪神の子〕と呼ばれている。『神』とは一体何なのだろう。どれだけ優秀だとしても、どれだけ特別だとしても、所詮はただの〈人〉に過ぎない者に『神』の名を与えていいものなのか?

 それなら、ボクはどうして姉ちゃんなら『神』を信じられるなどと思ったんだろう。姉ちゃんは人間だ。人間であるボクの姉だ。
 どうして?

「ルア、大丈夫?」

 さっきの『沙弥』という名の女性が女の子のそばに駆け寄った。目が回復したらしい。あの男性も一緒にいる。
「それに、さっきの魔力は? まさか、あいつが?」
 女性が女の子に話しかける間、男性はボクをじっと見ている。先程までの余裕は全く見えない。警戒するように、観察するように、ただ、見ている。

「……意識が無いわ。当然よね。いくら純血の吸血鬼と言ってもさっきのを直撃したのなら、耐えられるはずない」

 そして、女性もじとりとこちらを見る。

「そしてそれに耐えているということは、発生源はあいつ。
 ろう兄。本気でかかるわよ」
「言われなくてもわかってる」

 二人の瞳は金色に変わり、爪は猛獣のもののように鋭く、長くなった。バキバキと音をたて、口から犬歯があらわになる。

 ボクはぼうっとしていた。諦めたわけではない。この先の未来を予想していたのかもしれない。いや、違うな。負けないことを確信していたんだ。勝つことを、ではなく、負けないことを。
 女の子にかけられた、おそらく呪術によって自分の意思で体を動かすことさえままならず、首の肉は抉られ、血液も致死量に至ると思えるほど出ている。さらにビリキナもボクも、魔力の底が見え始めている。成人済みの吸血鬼二人相手に勝てる要素なんてどこにもない。

「本気、か」

 限界を越えることが『本気』になるのなら、ボクはまだ本気を出していない。

 体が動かないなんて、誰が決めた?
 そんなのただの錯覚だ。

 体が重い? 気のせいだろう。
 魔力が尽きそう? まだ無くなってはいないじゃないか。
 痛みも重さも恐怖も、感情を捨てたボクがそんなものを感じるはずがない。全てはただの妄想だ、幻覚だ。

『狂気』を引き出せ。やってやる。

『吸血鬼五大勢力』? それがどうした。花園家は大陸ファーストの『六大家』の一つだ。大きな違いなんてない。そうだろう?
 俺は〔稀代の天才〕、花園七草の孫だ。どこの誰ともしれない女の血が混じっていようと、それは変わらない。

 俺と目の前にいる二人の間に、どれだけの力の差があるというんだ?

「展開──【シール・サークル】」

 俺は手を二人に向け、そう唱えた。直後、うるさい女の声が警告する。

『エラー発生、エラー発生。個体名【花園朝日】の魂に深刻なバグが検出されました。魔法の使用を続けると、修復不可能な魂の破損が予想されます。直ちに魔法の使用を中断してください。繰り返します。個体名【花園朝日】の体内で深刻なバグが検出されました。魔法の使用を続けると、修復不可能な魂の破損が予想されます。直ちに魔法の使用を中断してください』

 まあ、そうだろうな。杖もなしに『使えるはずのない』魔法を使ってるんだから。

【シール・サークル】は、『六大家』の当主なら当たり前に使えて、大陸ファーストの一般住民が習得するのはやや難しい、という程度の空間魔法。【封印対象】または【排除対象】を自分の魔法が作用する空間エリアに閉じ込める魔法だ。

 この世界には、『限界を越える技術』が存在する。

 自分の『才能』『能力』『魔法』を制御し、『限界』を設けているのは魂の役割だ。限界を越えたければ、魂を壊せばいい。簡単なことだ。
 魂の中には、自分自身に関する全ての情報が入力されている。故に魂の破壊は自我の崩壊に直結する。また、魂の破壊を行う際に肉体の拒否反応と精神の拒否反応、そして異常行為の補正のための『世界』からの強制干渉に耐えねばならず、耐えられなくともそれらが原因で自我が崩壊するそうだ。そして自我の崩壊により引き起こされるであろう具体的な症状は、主に【記憶障害】、【魔力異常】、それからこの場合の自我崩壊の正式名称【段階的自我崩壊】だ。

 それがどうした。

 ……そういえば、これ、どこで知ったことなんだっけ。魂を壊すって、どうやったんだ?
 まあ、いいや。気にするような事じゃない。どうでもいい。

 バチバチと激しい音が両手で鳴る。手の平くらいの大きさの光の玉を生み出し、二人に向かって投げつけた。

 ドゴォンッ!

 重低音が響き、壁の一部が壊れた。二人は【シール・サークル】の中にいたのでその場に留まっている。

「セル・ヴィ・ストラ!」

 女性が叫び、爪で【シール・サークル】を引き裂く。限界を壊したと言っても練度は大したことないので、まあそんなものだろう。予想内だし、むしろこれくらい出来て当たり前だ。

 そのまま、女性は直線に猛進してくる。幻術がなにかだろうか、数回女性の姿がブレて見え、かと思うとボクの肩は噛み砕かれようとしていた。

 あー、やっぱり接触してくるのか。
 そう思いながら、ボクは手に持っていた聖水の瓶を割った。魔法は使わず、握力で。
 投げナイフに聖水を使ってはいるけれど、だからって聖水そのものを持っていないとは限らないでしょ? 聖水は貴重品だから、浪費しないとでも思ったのかな。

「い゛ッ」

 呻いて、女性は離れた。幸い、服のおかげか多量の出血と多少肉が無くなった程度で済んだ。

 女性の心配をする前に、男性はボクに飛びかかり、たぶん、爪かな。爪でボクを引き裂こうとした。
 その前に両手を男性に向け、目を眩ませるくらいの量の光を放った。

「くっ!」

 男性は両手を顔の前、目の前で交差させ、バックステップで下がった。なんだ、もう学んだのか。
「なんで【白】と【黒】を同時に扱えるんだよ?!」
 驚愕に染まった声音で叫んだ。さあ、なんでなんだろ。俺にもよくわからない。でも、使えるんだから仕方がないだろ?

 使えるものは、使わないと。

 27 >>301

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.301 )
日時: 2022/06/02 05:02
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 46h1u6ru)

 27

 そうだ。使えるもので思い出した。ジョーカーから投げナイフを教わってからしばらくして、受け取っていたものがある。

『ボクの投げナイフは特別製だから、何かあれば使うといいよぉ。持っているだけでご利益があるかもね? 一本で充分とは思うけど、一応三本渡しておくねぇ』

 鞄を探り、目当てのものを取り出す。ギラギラと輝く鉄色の投げナイフ。ボクが普段使う投げナイフよりも、一般のナイフの形状によく似ていて、ずしりと重く、受け取ったときに最初に思ったのは、投げにくそうだなということだった。使わないだろうという気持ちもあった。ただ、投げナイフは消耗が激しい武器なので、あればあるほどいい。それだけの理由で持っていた。

 使ってみようか。

 深い考えはなく、単純にそう思った。

 柄を持ち、構えて、投げる。思っていたよりスッと投げナイフは手から離れようとしていた。
 なんだ、思っていたより投げやすいんだな、と思っていた、次の瞬間。

『【神創武具・スートの忠誠】の【付与効果・一撃必中】を発動します』

 無慈悲な歌声のように、無機質な声は告げた。
 え、と思う間もなく、ボクの体は『激痛』に襲われた。

 二度目の【一撃必中】。
 今度は、肩の関節が熱を帯びた。ゴキッと骨が外れる音がした。腕全体が熱を抱いた。血管がドクドクと蠢き、今にも破裂しそうだ。左手を右腕に当てる。左手が触れた感覚がしない。

 糸が切れたように、身体中が痛みを叫んだ。
 身体がぐらりと傾いた。

 首に、肩に、防ぎ損ねた名前も知らないような奴らに付けられた些細な傷すらもじくじくと痛む。いや、当たり前だ。針で刺しただけでも痛むのだ。人間の体とは、そういう風に創られていたはずだ。剣で、弓で、武器で傷を負わされたのなら、痛むに決まってる。そのことをいまのいままで忘れていた。

 熱い。

 身体の周りが熱に覆われているような、そんな感覚。不快な熱が、まとわりつく。熱と疲れと出血で、頭がくらくらする。ボクはとっくに限界を迎えていたのだと、そのとき初めて気がついた。こんな状態で魂を壊したのだから、そりゃあ、ぶっ倒れもするはずだ。

「は、は……」

 自分自身を嘲笑わらった。なんとも渇いた声だった。音ではなく空気と認識できるほどのか細い声。
 そうか、と、頭の中で呟く。『負けない』と確信していた理由を知った。ボクはボクが死ぬことを予感していたんだ。『勝つ』ではなかった。『負けない』と思った。自分で自分を殺すのだ。『殺されない』自信があった。

 痛みと共に、吐き気がするくらいの血の匂いも感じた。鼻が曲がりそうな刺激臭。ボクだけの血じゃない。女性や男性の血の匂いもすることは、血の匂いに敏感な吸血鬼でなくとも理解出来た。自分の着ている服に付いた血が、ボク自身のものだけでないことも。
 視界に投げナイフが身体に突き刺さった男性の姿が見えた。肩を抑えて掠れた息を吐く女性の姿が見えた。

 罪を自覚した。

 恐ろしかった。

 自分が自分じゃなくなる──人間じゃなくなる気がした。

 予感に過ぎない。予想でしかない。でも、確かにそう感じた。

 戦闘時間は、とても短いものだった。こんなに短いものか? そう感じざるを得なかった。女性は聖水を浴び、男性は投げナイフが刺さった首元を抑えてうずくまり、ボクはもう動けない。
『勝利』も『敗北』もない。

 何かがおかしい。

 脳内でほんのわずかな違和感を見つけた。けれど、それの正体を探す前に、男性と女性が動くのが見えた。近接戦は諦めたのか、呪術の兆候を感じた。

「……」

 ボクは目を閉じた。ここで終わりを迎えるのも、悪くは……。

『何を考えてる? 姉ちゃんのことはどうするんだ!』

 声が聞こえた。

「もう、やめてよ」

 疲れたよ。いいんだよ。もう、いいんだ。疲れた。これだけ体をボロボロにしてまで、これ以上何をするっていうんだよ。疲れた。疲れた。疲れた。

 大人しく、殺されよう。

 このままじっとしていれば、この世界に殺される。それでいいんだ。これがボクの運命だ。それがボクの末路だ。

 ボクは、もう、

 死にた──

「予想以上だ、ガキ」

 突如廊下に響く声。その声は、聞き覚えがあった。
 どこから聞こえてきたのかわからなくて、前にいる男性と女性を見ると、呆然と前(つまりボクの方)を見て、目を見開き、動きを止めている。

 振り向くと、そこには、見たこともないような凶悪な笑みを浮かべるあいつがいた。

「よお」

 海、というよりは空の色と形容するべき水色の短髪。透き通るような蒼色の瞳と、それ以外にも端正に整えられた顔のパーツ。男性が着ているような洋風の貴族らしい、それでいて派手すぎない洋服。主に黒と青で形作られているそれの足元は、べっとりとした赤で染まっていた。

 前髪が一房黒く塗られていたり、右目が夜空のような黒に変わっていたりとボクが知っている姿と少し違う。だけど間違いない。その顔は見間違うことはない。ボクがこのカツェランフォートに侵入した目的そのものである、笹木野龍馬だった。

「使いの分際で俺を呼んだんだから、腕の二つや三つちぎってやろうかと思ったんだがな。面白いもんが見れたからチャラにしてやるよ」

 使い? 呼んだ?  何の話だ?

 そう考える隙もなく、ボクの体が勝手に動いた。ビリキナが動かしているのだ。
 ボクは笹木野龍馬に跪いた。

『何してるの?』
『黙ってろ! お前が死にたくてもオレサマは死にたくなんかねぇんだよ!!!!』

 疲労困憊していたボクは必死さが滲むビリキナの声に気圧され、ビリキナに任せることにした。
 興味もないしね。

「龍馬!」

 男性が大声を張り上げた。

「華弥はどうした! まさか、その血は」
「俺と『こいつ』を一緒にすんじゃねえって、何度も言っただろうが」

 低い、苛立ちを隠さない声が、『男性の近くで』聞こえた。
 顔を向けた頃には、もう、男性の体は吹き飛んでいた。

 ドゴォンッ

 凄まじい破壊音が、廊下の先で聞こえた。

「あ? 何見てんだよ」

 ボクではない。笹木野龍馬は隣にいた女性に言った。

「い、いえっ」

 女性は青ざめ、ぱっと笹木野龍馬から視線を逸らした。

「ふうん?」

 満足気に笑い、ボクを見た。

「お前のことは気に入った。随分待たされたけどよ、殺さずにおいてやる。お前みたいな頭のネジがぶっ壊れたやつは好きなんだ」

 ゆっくりと、こちらに歩み寄る。一歩一歩、音が大きくなるごとに、怖いくらいの静寂を感じた。

「出せ」

 何を、というのはすぐにわかった。あの『ボタン』とやらのことだろう。それはビリキナも察したらしい。
『おい、どこにあるんだ?!』
『鞄の中』

 右腕が乱暴に鞄を探る度に、痛みが増した。でも、耐えることすら億劫で、ボクは黙って痛みを受けいれた。

 ビリキナは何故か焦っている様子で、落ち着けばすぐに出せるはずのボタンを出すのに手間取った。なんとか出せると、笹木野龍馬に差し出す。

「お前も来るんだろ?」

 ボタンを受け取ると、不思議そうに言い、ボクの右腕を雑に掴む。そして、ボタンの突起を押した。カチッと音が鳴り、突起は凹んだ。

 疑問はあった。ボタンのことを笹木野龍馬は知っていたようだった。笹木野龍馬の様子もおかしい。

 でも、とにかくボクは……もう、疲れた。

 28 >>302

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.302 )
日時: 2022/06/02 05:04
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 46h1u6ru)

 28

 どこかから、嗚咽混じりの泣き声が聞こえる。
 彼は、すぐ近くにいた。
 ボロボロの服とマントを身につけ、傷だらけの両手で何度も何度も涙を拭う。その繰り返し。
「なにしてるの?」
 問いかけても、返事はない。聞こえていないらしい。
 暗く、冷たく、たった独りの空間で、少年は泣いていた。
「どうしたの?」
 もう一度問う。返事はない。
 だけど少年はこちらを見た。その顔を見て、驚いた。髪は長く、結われて肩から垂らされ、姿も小さかったが、それ以外はあいつに瓜二つだった。
 息を呑む程に綺麗な『蒼』の瞳が、まっすぐに虚空を映している。

 どこかから、罵声が聞こえる。
 彼らは、やや離れたところにいた。
 似たような服を身につけ、髪色は、濃淡の違いはあるが全員同じような青系。顔は見えないが、何となく、兄弟なんだろうと思った。
「うっわ、きったね!」
「また吐いたのか。全く、情けないな」
「仕方ないよー。〔出来損ない〕だもん!」
 そう言う三人の少年と、何も言わずにクスクスと笑う少女。そしてその四人に囲まれてうずくまる、さっきの少年。
「こんなんが片割れの俺の身にもなれよ。もっと王家らしくしろ!」
 嘲笑を含んで少年を怒鳴りつける。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
 舌が上手く回っていない声が、小さく聞こえた。その声にも、聞き覚えがあった。

 どこかから、声が聞こえる。なんと言っているのかはわからない。さっきまでの暗い場所ではない、どこか。風景すら見えない。真っ白い光の中から、声が聞こえる。
 言葉は聞き取れない。だけどそれが先程までの悲しい言葉ではないことだけは分かった。
 光はとても暖かく、そして、冷たかった。

 どこかから、声が聞こえた。

「おーい、朝日くん?」

 ジョーカーの声だ。

「ん……なに」
「ああ、良かった。生きてたんだね」
「なに、を」

 声を出した瞬間に先程までのことを思い出し、ぼやけた意識を無理やり覚醒させ、自分の状況を確認した。
 視界が元に戻っている。ビリキナとの【一体化】が切れているんだ。顔に被っていたマスクも取られている。でも、身につけている服はそのままだった。
「お疲れ様、朝日くん。外も中もぐちゃぐちゃだったからとっくに死んだと思ったよ」
 その言葉を無視して、横たわっていた体を起こそうと身動みじろぎした。
「動かない方がいいんだけど……うん、座った方がいいね」
 矛盾したことを言いながら、ジョーカーは笑みを顔に貼り付けながらボクを見ている。

 ボクがいたのは、なんとも暗い場所だった。ぼんやりと青黒く光る円柱が等間隔に立てられていること以外なにも分からない。円柱は神殿にあるようなデザインと形で、見上げると、天井がなかった。どこまでも伸びている。
 それから、とても静かだ。ボクの呼吸音すらも響くほど。
 そしてなにより、この空間に充満する異様に濃密な魔力に吐き気を覚えた。空間そのものが『歪んでいる』と錯覚してしまうほど、異質な魔力。

「ここは?」

 ジョーカーは楽しそうに、いや、面白がるように笑った。

「うーん、そうだね。天界の[負の領域]なんだけど、信じる?」
「天界?」
「天界というか、神界だね。神々が住まう場所。ただ、人間である君が来るとなったから少々弄っているよ」

 急に突拍子のない話をされても、受け入れられるかと言われれば答えはノーだ。
「何言ってんの?」

「あはは。君らしい答えだけど、神の前でその言葉を口にするのは控えた方がいいよ」

 その言葉を聞いた途端、背筋に悪寒が走った。ジョーカーの言葉に恐れをなしたわけではない。

 本能が導くままに振り向いた。そこには、さっきまで居なかった──気づかなかった、『神々』がいた。

 中央の玉座にどかりと構える、獣よりも雄々しい、顔の見えない毛むくじゃらの巨漢。黒いもやをまとい、全体像を捉えにくい。ただわかるのは、離れていても感じる、ビリビリとした威圧感。
 腕を組んで仁王立ちをし、鋭い眼光をこちらに向ける、強面の、大きな男。正面から見ると髪は短く見えるが、後ろで編んでいるのがちらりと見える。下唇から飛び出た長い牙と、腰に差した大振りの剣が特徴的だ。
 玉座の肘掛けにちょこんと座る、男か女かわからない人物。ほかの二人と比べれば五回りくらい小さく、子供っぽさが滲んでいる。可愛らしい顔立ちで、肩甲骨あたりまでの髪の長さも相まって中性的な印象を受けた。口元には笑みが浮かんでいるが、その笑みは嘲笑に見える。
 通常の羊よりも毛の量が多く、体格も大きい黒羊に乗った少女。くるくるした髪に羊の角が埋まっていて、どことなくゼノに似ている。真っ黒な瞳には光が一切なく、虚ろだった。

 異様な四人が、石像のように、佇んでいた。

「彼らは君に興味が無いみたいだから、ボクが説明するね」

 ボクは何も言えなかった。薄々その正体に気づいていたから。気づかざるを得なかったから。疑う理由がわからなかった。ジョーカーの口の動きを凝視し、言葉を待つ。

「組織の名前は[ニオ・セディウム]。目の前にいる彼らはテネヴィウス神をはじめとした『六帝』だ」

 そう。四人──四神の姿は、本に描かれたニオ・セディウムの神々の姿にそっくりだった。
 獣の姿の最高神、テネヴィウス神。大剣を持った戦神、プァレジュギス神。性別を持たない、与奪を司るイノボロス=ドュナーレ神。六帝の唯一の女神、新月を司るノックスロヴァヴィス神。

『これは、神の力だ』

 ビリキナの言葉を思い出し、震える声を絞り出す。

「じゃあ、ジョーカーも」
「いや、ボクは神じゃないよ」
「で、でも、組織の幹部だって」
「ボクはね、元々組織にいたわけじゃないんだ。言ってしまえば協力関係にあるだけ。立場として『幹部』の肩書きを預かってたんだ。それももう、終わるんだけど。

 ボクは〈スート〉。ただそれだけだよ」

 スート。その言葉を、どこかで聞いた覚えがあった。どこだっけ?
 ああ、そうだ。確かあの時。

『【神創武具・スートの忠誠】の【付与効果・一撃必中】を発動します』

 ジョーカーから貰ったあの投げナイフの名前に、スートという文字が入っていた。神創武具とはその名の通り、神が創った武具のこと。そういうアイテムはダンジョンや遺跡で見つかったり、歴史ある国や家で厳重に保管されていたりする。だけど、そういう場合、当たり前だけどアイテムは一つ、多くても二つであることがほとんどだ。いくら数が必要な投げナイフだって例に漏れないだろう。少なくともボクはいままで神創武具の投げナイフの話なんて聞いたことがなかったから、本当にそうかはわからないけれど。
 なのに、ジョーカーはボクに『三本』の投げナイフを渡した。その上で、ジョーカー自身も大量の『同じ』投げナイフを持っていた。明らかにおかしい。そんなにたくさんの神創武具を一人が所有しているなんて、ありえない。

 それこそ、神でなければ。

 そして、【スートの忠誠】という名称。普通、武具の名称は、例えば剣なら『〜〜剣』、『〜〜ソード』というようにひと目でそれが何の武器なのかがわかるようになっている。たまに固有名を持つ武具で、『剣』や『ソード』などが省略された武具はあるにはある。でも、【スートの忠誠】のような、文のような名称の武具は聞いたことがない。さらに武具の名称は一般的にその武具の特徴がわかる名称になっているのに、その要素も含まれていない。スートってなんだ? 忠誠ってなんだ?
 わからないことだらけだ。

「ああ、そうそう。一応治癒魔法をかけておいたよ。まだ死なれちゃ困るからね。君は君の役割を、全うし切ってはいない」

 そう言われて初めて気がついた。体のあちこちにあった傷が治っている。所々破けてしまっていた服も元に戻っているし、染み付いた血も消えている。
 黒魔法による治癒は、基本的には外傷にのみ適用される。でも、疲れやそれ以外から来る気だるさもある程度解消されている。これは白魔法による治癒と考えていいだろう。つまりジョーカーは、白と黒の両方の魔法を使えるのか? ますますジョーカーについて不信感が増す。

 全ての生物は、白か黒のどちらかの隷属だ。それは決して覆らない。だから扱える魔法の種類も白か黒のどちらかになる。白の隷属の生物が黒魔法を扱うなんて有り得ない。逆も然り。ボクはボクの人生の中で、その有り得ない人物を一人だけ知っている。
 当然だと思っていた。当たり前だと思っていた。それに疑問を抱いたことがなかった。姉ちゃんなら、非常識なことも常識に思えた。

 初めからそうだった。少なくとも、記憶にある限りでは姉ちゃんのすることに違和感を感じたことがない。あまりにも、『違和感が無さすぎた』。

「りゅーくん、起きてるー?」

 ジョーカーはボクから離れた。見ると、そこには笹木野龍馬が倒れていた。転移前と同じ格好で、眉間にはシワが寄っている。苦しげな表情だ。

「気を失ったままだね。魂に相当負荷がかかってたから、疲れてるのかな?」

 すると、静かだった四神のうちの一神、イノボロス=ドュナーレ神が動いた。

「起こすよ。どいて」

 いつの間にかジョーカーの隣、笹木野龍馬のすぐ近くに移動していた。そして、ジョーカーが何かを言う前に、笹木野龍馬の腹部を強く蹴った。ドゴッと重い、打撲音。

「いつまで寝てんだよ! さっさと起きろ!! ハハハハ!!!!」

 あくまで楽しげに叫ぶ。あどけなさの残る顔に浮かんだ狂気の笑みは、子供が虫を殺すときのように、無邪気なものだった。

「ていうか、重くなったんじゃない? 幸せに生きてるみたいでよかったね!!」

 その言葉が意味するもの。それは、つまり。

 ボクは大体のことを察した。この状況になれば、誰でもそうならざるを得ないだろう。

「うっ……」

 何度も何度も蹴られ、笹木野龍馬は呻き声を上げた。それを聞いた直後、イノボロス=ドュナーレ神はしゃがみ、笹木野龍馬の髪を掴んだ。

「やあ。ようやく起きたんだね、〔出来損ない〕」

 29 >>303

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.303 )
日時: 2022/06/02 05:07
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 46h1u6ru)

 29

 絶叫が響いた。それが笹木野龍馬の声なのだと認識するのに時間を要した。正しい言葉は聞き取れず、声と言うよりも音に近かった。獣の咆哮によく似た、地の底から空気を揺らすような叫びだった。

 その悲しみが隠れた声に、聞き覚えがあった。

 イノボロス=ドュナーレ神は笑みを浮かべながら、瞳の奥に怒気を宿した。それを見たからか、笹木野龍馬は青ざめ、両手で口を抑える。

「うるさいなぁ、生意気。何様のつもり? は?〔出来損ない〕の分際で? 自分の立場忘れた?[王家]から離れて平和ボケでもしたの?」

 怒りを隠そうともせずににこりと笑う。それは転移前の笹木野龍馬が浮かべていた笑みに、そっくりだった。
 イノボロス=ドュナーレ神は、掴んだ笹木野龍馬の髪をグイッと自分に寄せる。痛みに微かに表情を歪め、笹木野龍馬はだらんと手を下げた。

「あの女にそそのかされてフローの肉体を消滅させて姿を消して。探したんだよ? まさか下界に降りてのほほんと暮らしていたなんてね。楽しかった? 自分の罪を忘れて過ごして、楽しかった?」

 そして、自分よりもやや体の大きい笹木野龍馬を軽々と突き飛ばした。
 イノボロス=ドュナーレ神の左腕が青黒く光る。ちょうど、周囲にある柱と同じ色だ。その手は目で追えるか追えないかくらいの速度で笹木野龍馬の顔を掠めた。何をしたのかわからないでいると、イノボロス=ドュナーレ神が語り出す。

「例え同じ[王家]の一員だとしても、『王家殺し』は重罪だ。それくらい、馬鹿なお前でもわかってるよね?」

『王家殺し』。王家というのは、[ニオ・セディウム]、つまり『六帝』のことだろう。この場にいる『六帝』は四神。二神──双子神が足りない。どちらか一人を笹木野龍馬が殺したということなのか? そして、笹木野龍馬は。

 イノボロス=ドュナーレ神は笹木野龍馬に、握っていた自身の左手を開いて見せた。遠目でそれが何か視認出来ないけど、笹木野龍馬の右目がなくなっているから、それが何なのかは明らかだった。
 不思議なのは、笹木野龍馬が右目から、右目があった場所から血が流れても何も言わないことだ。目線を下に向け、なぜかじっとしている。さっきあの叫び声を上げたのが嘘のように、とても静かだ。痛くないはずがないのに、表情に感情が現れてすらいない。時間が経つにつれて、まるで人形にでもなるかのように、静かに、無表情に、無感情になっていく。

「安心しなよ。お前の罪は新たな支配者マストレスによって許される。〔出来損ない〕のお前がようやく役に立つ時が来たんだ! むしろ喜べ! そして、馬鹿な自分を呪うといい。それか、お前みたいな〔出来損ない〕に手を貸したキメラセルの最高神。あの女もあの女だ! わざわざ自分の価値を下げてまでお前を助けようとして? 結局出来てない! お前が[王家]から逃げられるわけないのにね! ハハハ!!」

 今度は笹木野龍馬は表情を変えた。顔を上げ、驚いたようにイノボロス=ドュナーレ神を見る。苦しそうで、悲しそうで、今にも泣きそうな表情だった。けれどそれもすぐに消える。

「イノ、やめろ」

 プァレジュギス神が口を開いた。不機嫌そうで、それでいて無感情な声。

「茶番はいい。お前だって好んで〔出来損ない〕と話したいわけでもないだろう」
「当たり前ですよ。でも、だからこそ、絶望に叩き落とすのが楽しいんじゃないですか」

 イノボロス=ドュナーレ神は、少しの穢れすら知らないような幼い笑顔でプァレジュギス神に向かって言い放つ。

「もう、会うことも無いのですから」

 ボクに向けられた言葉でもなければ、そもそもイノボロス=ドュナーレ神の意識の中にボクはいない。なのに、どうしようもない恐怖を感じた。子供らしい笑顔がさらにその恐怖を際立たせる。

「嫌悪しかない『弟』に、最期の挨拶くらいしてもいいでしょう?」

 弟。

 第二帝であるイノボロス=ドュナーレ神には、あと三神、弟妹神がいる。弟神であり双子神であるディフェイクセルムとコラクフロァテ、妹神であるノックスロヴァヴィス神。
 もう疑いはない。笹木野龍馬は神だ。実際の神を目にしてわかった。神は実在する。信仰心のないボクにでもわかる。信じる以外の選択肢がない。それほどまでに強烈な存在感と魔力と威厳があった。そしてその神が「弟」だと言った。他の四神ほどの、神だと信じられるほどの要素は笹木野龍馬にはなかったが、『神がそう言っている』のだから、『それが真実に決まっている』。

 笹木野龍馬は双子神のどちらかだ。ボクは笹木野龍馬の真の名を既に導き出していた。

「ん?」

 イノボロス=ドュナーレ神が呟いた。自分の手に乗った笹木野龍馬の右目に目をやる。

 異常な光景だった。笹木野龍馬の右目がどろりと溶けた。イノボロス=ドュナーレ神の手から溢れるほど体積が増え、水が沸騰するように気泡が次から次へと物体から飛び出す。粘り気のあるそれはぼとりと地面に落ち、ぐにゅりぐにゅりと形を成した。

 双子神の力は、繋がっている。ディフェイクセルムが生物を生み出し、コラクフロァテが生物を融合させ、新たな生物を作り出す。

 ディフェイクセルムは、自身の血や涙、腕や『目玉』から生物を生み出す。

「あ……あ、あ」

 真っ青な顔で、笹木野龍馬は地面に座り込む黒い小動物──たった今生み出された生物を見た。黒いトカゲのような姿をしていて、それはすぐに霧となって消えてしまった。

「下界に行ったみたいだね」

 ジョーカーが言った。笹木野龍馬はようやくジョーカーの存在に気づき、同時にボクにも気づいたらしかった。

「え、ど、うして、朝日くん、が」
「ひっどいよねー。あいつがお前をここに連れて来たみたいだよ?」

 笹木野龍馬の言葉を遮るように、イノボロス=ドュナーレ神は立ち上がって、弾んだ声で言った。
「残念だね。あいつがいなかったらお前はもう少しくらいは夢を見ることが出来たのにね! ハハハハッ!」

 イノボロス=ドュナーレ神の顔を見て、言葉を聞いたあと、笹木野龍馬はボクを見た。笹木野龍馬と、目が合った。
 ボクは目を逸らした。なぜだか罪悪感に浸された。少しの沈黙、その少しの時間が重くのしかかる。自分のしたことが笹木野龍馬にとっての『悪』だという自覚があった。笹木野龍馬なんかどうでもいいと思っていた。いや、違う。どうでもいいと思っている。そのはずなのに、なぜ罪悪感を抱くのだろう。自分でもわけがわからない。

「巻き込んで、ごめん」

 しっかりとした口調で、そう言われた。イノボロス=ドュナーレ神と向かい合っていたあの情けない様子とは打って変わった、芯のある声。
 わけがわからない。
 笹木野龍馬はボクを責めるべきなのに。どうして謝るんだ? 

 驚いて笹木野龍馬を見ると、イノボロス=ドュナーレ神がまた笹木野龍馬を蹴っていた。今度は、顔を。

「はあ? なんだよそれ、つまんないなー。恨めよあいつを!! 毎度毎度絶望ばっかしてんじゃねーよ! 下界人相手にも『そう』なのか!?」

 それからチッと舌打ちをして、吐き捨てる。

「フローを殺ったって聞いたから、ちょっとはまともになったと思えば、それかよ。
 てか、お前喋れたんだ。いつも同じことしか言わないからてっきり……」
「イノ、いい加減しろ。父上をこれ以上待たせるな」

 プァレジュギス神が声を張った。ぎろっとイノボロス=ドュナーレ神を睨む。イノボロス=ドュナーレ神は肩をすくめて、悪びれない調子で言った。

「すみません。もう終わります」

 顔面が血にまみれた笹木野龍馬を放置して、元いた場所に戻って行った。それを待っていたと言わんばかりにジョーカーが笹木野龍馬に近づく。

「君には、正しい支配者マストレスのための生贄になってもらうよ」

 30 >>304

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.304 )
日時: 2022/06/02 05:08
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 46h1u6ru)

 30

 笹木野龍馬は座ったままジョーカーを見上げる。光を失った虚ろな目をジョーカーに向けて、か細い声で問いかけた。

「あの方に、なにを」

 言いきらずにそこまで言うと、また人形に戻った。その先は言わなくても通じるだろうという意思を、なんとなく感じた。

「あの方には、何もしないよ」

 ジョーカーは感情が見えない笑みを浮かべた。

「その必要が無いからね。君はボクを信用出来ないだろうけど、これは信じてもらっていい」

 同じく感情が見えない空虚な表情を浮かべた笹木野龍馬を見ながら、説明口調で語り出す。

支配者マストレスを、君はどこまで知っているのかな。君はあの方からろくに話を聞いていないようだけど。でも、その様子だと少しくらいは知っていそうだね」

 さっきから言っている、マストレスってなんだ? 聞いたことすらない言葉だ。

「ここは、『世界』だ」

 右手の人差し指で自身の足元を指し、ジョーカーは当たり前のことを言った。

「ここが神界だという意味じゃない。それは世界ではなく『領域』だ。ボクが言う世界というのは、神界も魔法界も悪魔界も天界も、全てをひっくるめた世界のことだ。
 そして、世界というものはここだけにあるものではない。同じような、あるいは全く違った世界が数多存在する。

 ここから先は少しややこしい。ボクは理解することは求めない。理解したければすればいい。ボクは契約に従って、説明をするだけだ」

 そう言いながら、ボクを見る。契約?

 ──ボクの、姉ちゃんを知るという目的のことを言っているのかな。だとしたら、姉ちゃんとどう関係するっていうんだ?

「この世界が生まれる前、ここではない別の場所せかい支配者マストレスはいた。そしてまたその前には、そこではない他の場所せかい支配者マストレスはいた。逆に言えば、支配者マストレスは世界の創造を繰り返し、世界を転々と移動している。そう。マストレスは支配者であり、かつ、創造者でもあるということだ。
 そうして種子マストレスが移動してきた道筋を、『世界線』と呼ぶ。

 また、世界線は枝分かれする。一人の種子マストレスが新しく世界を創造するとき、創造する世界は一つじゃない。厳密には、『Aという世界を作る種子マストレス』や『Bという世界を作る種子マストレス』が存在し、世界は無数に出来ていく。つまり種子も無数に増えていくということだね。そんな、一人の種子マストレスが生み出した無数の世界線をまとめて『次元』と呼ぶ。

 そして最後。世界線が枝分かれする前、無数に増える前の種子を、『芽生えの種子たね』と言う。この『芽生えの種子たね』は複数いる。つまり、次元も複数あるということだ。こういった、複数の次元を合わせて『時空』と呼ぶ」

 あまりにも情報が、多くて、頭の中がぐしゃぐしゃになりそうだ。それに加えてジョーカーは理解させる気がないから余計にわかりにくい。それでもボクは何とか思考回路を動かし、多少無理やりに自分自身に理解させた。

 でも、それがどうしたって言うんだ? ジョーカーは、何が言いたい?

「……と、ここまで種子たねの具体例としてマストレスを出してきたけど、マストレスはこの世界にいる種子たねの一人だけだ。他の種子たねはただの種子たねにすぎない。
 ただし、マストレスになる権利はどの種子たねにも平等にある。マストレスの象徴であり、種子たねがマストレスになるための条件が」

 ジョーカーは言葉を切り、表情を消した。睨むような目つきで、しかし宿す光は緩くもなければ鋭くもなく、ただ単純に、笹木野龍馬を見た。

「君だ、笹木野龍馬──いや、ひとり

 ひとり? また知らない言葉が出てきた。ひとり。笹木野龍馬が、ってことだよな。でも、ひとりってなんだ?『一人』ではないと思うんだけど。『独り』? それもなにか、違う気がする。

「君が特に知らないことは、君自身のことだろうね。君はあの方から直接聞くことを望んでいるようだけど、そんなの、待っていても無駄だよ。あの方は臆病だ」

 待って。まだ喋るの? これ以上情報を詰め込める余裕ないよ。
 ああもう! 仕方ない。ジョーカーの言うことを信じるなら、姉ちゃんに関係することなんだ。ジョーカーが嘘をついているという懸念はある。でも、根拠がない。少しでも姉ちゃんを知れる可能性があるのなら。

「何から語ってあげようか。君の役割なまえひとり。独と書いてひとりと読む。世界に一人いる種子に対し、一つの時空の中でたった一つしかない特別なたね。種子は、そしてあの方は、君を探すためだけに世界の創造を繰り返してきた。
 君は、魔力に色がついていることは、知っているには知っているだろう? 大きく分けて白と黒。白は最も純粋な魔力。黒はあらゆる魔力が混在し、その中に青や黄など、様々な色の魔力が混在している。まあ、純粋な黒、というものもあるんだけどね。ボクの力もどちらかと言えばそれに近い。
 下界人ひとびとは忘れているようだけど、白と光、黒と闇は等しい関係ではない。もしそうであるとするならば、大陸ファーストの民の象徴である金髪は明らかにおかしい。光で金の色を作ることは出来たとしても、光の三原色に『黄』はない。白の隷属、黒の隷属という表記は誤りだ」

 またか。また知らない言葉が出てきた。光の三原色ってなんだよ。でも、納得出来る部分もある。キメラセルの神々に服従する種族が白の魔法を使えるのなら、キメラセルの最高神、ディミルフィアが白と黒の魔法を使えることは多少の違和感がある。

「一度は気にしたことがあるだろう。この世界には、赤い見た目をした存在はいない。なぜ、という疑問に対する解答はあまりにも単純。『許されていないから』だ。
 だれも赤い魔力を持っていないということではない。紫だったり橙だったり、他の色と混ざった状態で、赤の魔力は存在している。ただ、純粋な赤の持ち主がいないだけだ。そして、種子たねを除き、唯一純粋な赤の持ち主である君も、普段はその特徴は隠れている。髪の色にも瞳の色にも赤は表れていない。だから君を含め、君が赤の持ち主であることに気づけない。それでも種子マストレスは、君が赤の持ち主だとわかる。自身の不十分な要素を埋める『道具』に、気づけないわけがないんだ。君がいてはじめて、『支配者マストレス』は完成する」

「どうぐ……」

 笹木野龍馬は言葉を繰り返す。

「ほら、思い出してみて。あの方の外見、足りない色は? 純粋な黒、数多の色が混在する黒を操るあの方に、足りない色」

 そこで、笹木野龍馬の目が大きく見開かれた。

「そう。そういうことだよ。理解出来た? 理解出来ても出来なくても、ボクはどちらでもいいけどね。

 種子マストレスは世界を創造し続ける。ある世界にひとりがいなければ次の世界を創り、そこにもひとりがいなければ次の。同じことの繰り返し。通常の精神ならとっくに朽ち果てているだろう。何万年何億年の規模じゃない。兆、京、垓……無限の刻を、あの方はそうやって過ごしてきた。それが種子マストレスの役割。この虚無のループを止める鍵となるのは君だ。嬉しいだろう? あの方を救えるのは君だけなんだ。あの方にとって君は唯一無二の、自らの解放のための道具なんだよ。
 他の種子たねは救われない。救われるのは支配者マストレスだけ。きみを使って新しい時空を生み出す。そこで支配者マストレスの役割は終了する。その時点で他の種子は最後に創り出した世界に、永久に閉じ込められる」

 ジョーカーはしゃがみ、笹木野龍馬と視線を合わせた。目を細め、自身の両手を笹木野龍馬の頬に添わせる。

「だけどそれでは退屈だ。ありきたりでこれまでの繰り返しで、あまりにもつまらない。それよりももっと面白いことが出来る。君の持つ、もう一つの特徴。君を使うことで、他の方法でもあの方を救うことが出来る。

 ──支配者マストレスの権限の譲渡だ」

 幼い、少女の声がこだました。

「ねぇ、まだ?」

 31 >>305

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.305 )
日時: 2022/06/02 05:10
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 46h1u6ru)

 31

「ロヴィの言う通りだよ。時間がかかり過ぎなんじゃない?」

 ノックスロヴァヴィス神の言葉に、イノボロス=ドュナーレ神が続く。苛立ちが見え隠れする声だ。でも、急かすようなことを言っている割には焦りの色は見えない。ただせっかちというだけかな。

「もう少し待って。あと一つ話せば終わるから」

 ジョーカーは手を笹木野龍馬の頬から外し、片手だけで笹木野龍馬の心臓あたりをなぞった。

「そういえば、りゅーくんに会うときはこの姿ばかりだね。と言ってもこれで二回目だけど。本来は『モノクロ』なんだよ。やりやすいように弄ってきただけであって」

 その言葉で、ジョーカーの格好に違和感を見つけた。

 普段の馬鹿みたいな格好は変わらない。白と黒の控えめな色合いなのに何故か派手な、あの格好。だけど、違う。いつもなら白であるはずの部分が、赤に変わっている。

「お喋りする気はないのかな? それでいいならそれでもいいよ。それでいいなら、ね」

 何も言わない笹木野龍馬に向けて、不気味な笑みを浮かべた。

「君に恨みがないとは言えないけど、別にそれを晴らそうなんて気はないんだ。する必要があるとも思えないし。ただ、ボクにもボクの目的がある。ごめんね?」

 言葉を投げかけながら、ジョーカーは笹木野龍馬の胸部に右手を突っ込んだ。爪が皮膚を、肉を裂き、ぐちゅりぐちゅりと段階的に手が埋まっていく。ジョーカーが手を動かすたびに、血液や血の塊、肉片や内蔵の一部が体内なかからこぼれる。

 時折乱暴に体内をかき混ぜるジョーカーの手を見ているうちに、錯覚でボクの胸や腹辺りが痛くなってきた。

「うっ」

 あまりにもグロテスクな情景に、思わず口を抑える。吐き気が胃から湧き上がり、喉を越えて口内で溢れた。

 これを出してはいけない。

 本能的にそう判断して、ボクは出てきたものを思い切り飲み込んだ。二重の意味での気持ちの悪さに苛まれる。喉が焼けるように熱い、痛い。

 笹木野龍馬は何も言わない。全てを受け入れるような、全てを諦めたような表情で、ジョーカーを──ジョーカーがいる方を眺めている。さっきからそうだ。痛みを感じないのか? それだけじゃない。意識が戻った直後を除き、ほとんど感情の起伏が見えない。笹木野龍馬って、あんなんだったっけ?

「あー、これならちゃんと動くね。全く動かしてない上に魂はボロボロだからちょっと不安だったけど、問題なさそうだ」

 そう嬉しそうに言うと手を引き抜き、左手に持っていたものを見せた。血に塗れているはずの手に、血は付いていなかった。

「これ飲んでくれる?」

 それを見て、笹木野龍馬が表情を変えた。虚無に包まれた瞳はそのままに、表情だけが歪む。
「ヒッ」
 短く鋭い息を吸い、座ったまま後ずさりした。数センチ下がった程度だったけど。

 ジョーカーが持っているのは、瓶だ。中に入っているのは赤黒い液体。笹木野龍馬の右目と胸部から流れるものと、とてもよく似た色をしている。
「はい。持てる?」
 差し出された瓶を、笹木野龍馬は黙って見つめるだけで何も言わない。ジョーカーも瓶を差し出した姿勢を維持して、黙ってしまった。不気味な笑みを、貼り付けたまま。

「〔役立たず〕、早くしてくれない?」

 先程にも増して苛立った声をノックスロヴァヴィス神は放った。

「お前が私たちを待たせてるの。早くしてよ」

「い……」

 笹木野龍馬の口から、音が零れた。恐怖に染まり切った表情をどこに向けるでもなく浮かべる。でも、言いかけた言葉をすぐに止めて、また表情から色が消えた。

「悪いようにはしないよ」

 ジョーカーが言った。

「怖いんだよね。何が起こるかわからないから。大丈夫。ちゃんと教えてあげる。

 彼らがしようとしていることは、言った通り支配者マストレス権限の譲渡だ。つまり、支配者マストレスの役割を持つ者を変える、ということだよ。

 支配者マストレスは権限であり役割であり、称号だ。条件タスクを満たせば称号が得られるという法則は、神々にも適用される。それは支配者マストレスであってももちろん同じだ。ほかの称号と違うことは、特別であり、一つの世界につき一人しかその称号を得られないこと、『二人目の称号取得者が出た場合、一人目はその称号を剥奪されること』、この二点だけ」

 指を一本ずつ立てながら説明するジョーカーの言葉を、笹木野龍馬はぼんやりと、しかし焦点をジョーカーに定めて聞いていた。

支配者マストレスになるための条件は、『世界の創造』、『世界の掌握』、『全魔力の解除アンロック』、『全魔法の解除』。この四つだ。あとは称号取得可能条件として『女性』であること。マストレスだからね。
 もうわかるだろう? そう。彼らはノックスロヴァヴィス神を支配者マストレスにしようとしている。下界人は支配者マストレスには成り得ない。彼女が神だから出来ることだ。白と黒の縛りが影響しない神だから。ただ、たとえ神でも一人だけでは全ての条件を達成できない。それが『全魔力の解除』。混ざった魔力を得ただけでは条件を達成したとは言えない。純粋な魔力でなくてはいけない。そこで、君の出番というわけさ。『彼』の与奪の力を使って、君から純粋な赤の魔力を抜き、彼女に与えようと、そういうわけだ」

 やっと話が見えてきた。全部を理解することは出来ないけど、なんとなく、わかってきた。つまりノックスロヴァヴィス神は、[ニオ・セディウム]の神は、神以上の存在になろうとしているんだ。そしてそのために、笹木野龍馬の力が必要。
 でも、だとすると。

 ジョーカーは何のためにそれに協力しているんだ?

「ほら、わかったでしょ? この方法なら、確実にあの方を支配者マストレスの役割から解放できるんだ。いや、むしろ支配者マストレスの役割からの完全なる解放はこの方法しかないと言い切ってしまっていい。
 だからさ、ほら」

 ジョーカーは表情を消し、持っていた赤黒い液体入りの瓶を、ずい、と笹木野龍馬に近づけた。

「飲めよ」

「あの方の……」

 ジョーカーの気迫に構わず、笹木野龍馬は言葉を繰り返す。その隙をついてジョーカーは笹木野龍馬の手の上に瓶を置いた。

 躊躇ためらうように、怯えるように、笹木野龍馬は手の中にある瓶を見る。
 ふと、笹木野龍馬の目の焦点が瓶から外れた。そして躊躇っていたことを忘れたように、操られているような動作で瓶の口を自分の顔に運ぶ。

 瓶の中の液体が、外へ漏れ出した。自分の中へ流れ込んだそれに対する拒否の意志として、笹木野龍馬は表情を苦しげにしかめた。それでも笹木野龍馬は液体を飲み込む。

「かはっ」

 笹木野龍馬の体が痙攣した。口から飲み込みきれなかった液体を吐き出し、瓶を手から落とす。瓶の中にも多少の液体が残っていた。
 首を抑え、倒れ込む。

「あ……あ゛……ア゛ア゛」

 聞き慣れた声が、ゆっくりと変化する。掠れた、喉から絞り出すような声。

 獣のような、呻き声。

「いつまでそうしてるんだよ、〔役立たず〕。さっさと立って、自分の役割を果たして見せろよ」

 イノボロス=ドュナーレ神が楽しげに言葉をぶつける。
「父上もそう思われますよね?」
 問われたテネヴィウス神は、答えない。ギラギラと光る目を、笹木野龍馬に向けるだけだ。

 皮膚が割れ、血管が裂け、数分前の比ではない量の体液が噴き出した。でもそれ以上に受け入れ難い光景が、ボクの目に飛び込む。

 まるで液体が沸騰するかのように、ボコッボコッと笹木野龍馬の体のいくつもの箇所が大きく膨らんだ。質量を無視して、笹木野龍馬の体が次第に巨大化する。腕はちぎれ、足は外れ、残っていた左目も飛び出した。そして体の内側から、ずるりと大きな獣の腕や足が現れた。裂けた皮膚からも、青色の豊かな毛並みが見えている。

 自分の目の前で、何が起こっているのかがわからない。自分が連れて来たその人の姿が、どんどんバケモノに変わっていく。

「か、怪物!」

 恐怖にかすれた声が無意識に漏れる。
 どこかで間違ってしまったのだと、その時に初めて気づくことが出来た。ただ自分の求めるものを手に入れたかっただけなのに。そうすることは、罪であったとでもいうのだろうか。

 法が認める罪を犯している自覚はあった。自分自身では認めていなかった。でも、気づいた、気づいてしまった。ボクがしてきたことは罪だったのだと。唐突に、突然に。

 その瞬間、罪悪感に苛まれた。誰に向けての、どの罪による罪悪感なのかはわからない。ただひたすらに、申し訳なかった。心臓が押しつぶされそうなほどの後悔の念に、吐き気がした。

 そこにいたのは、笹木野龍馬ではない。笹木野龍馬だった何か──神獣『フェンリル』だった。

 テネヴィウス神やプァレジュギス神よりも遥かに大きな、超がつくほどの巨体。遠くからでもわかる鋼鉄の青の毛皮と、特徴的な、真っ赤なルビーのような目。全体を見ると、狼に似た姿をしている。口からは鋭い牙が隙間から覗き、荒い息と微かな炎を吐いている。よく見ると、体の周りに『赤い』もやがまとわりついている。もしかして、魔力が体内から漏れて具現化したものか?

 フェンリルは、[ニオ・セディウム]の神々が従えているとされている神獣で、かつ、とてつもない怪力を持つが故に神ですら恐れる神獣でもあるという伝説がある。そのため、普段は鎖に繋がれているんだとか。まさか、笹木野龍馬──ディフェイクセルム神がフェンリルだったなんて。なら、神々が『畏れる』神獣ということか。

「うん、暴走状態になったね。
 いいよ。これで赤の魔力は取れる」

 ジョーカーがイノボロス=ドュナーレ神に言うと、イノボロス=ドュナーレ神は自身の左手を持ち上げた。その後ろで、手の形をした大きな青黒い影が浮かび上がる。

「はぁー。やっと? おっそいなぁ」

 あからさまなため息を吐きながら、影をフェンリルまで伸ばす。がフェンリルの体を鷲掴みにするような形をした。イノボロス=ドュナーレ神が左手を引くと、影もフェンリルから離れ、その中には赤いモヤの一部が握られていた。

 満足気な笑みをイノボロス=ドュナーレ神が浮かべた、その時。

 一筋の光が、イノボロス=ドュナーレ神の腹部を貫いた。

「え?」

 目を見開いて、光が降ってきたであろう方向、背後をイノボロス=ドュナーレ神が見る。その視線の先で、同じようにノックスロヴァヴィス神やテネヴィウス神、プァレジュギス神が光の雨にうたれていた。

 悲鳴は聞こえない。苦痛の表情も浮かべていない。ひたすらに顔に疑問符を浮かべ、力なくその場に膝をつく。

「アッハハハハハハハハ! 馬鹿だなあ!」

 イノボロス=ドュナーレ神に劣らないくらい邪気のない、狂気の滲んだジョーカーの笑い声が、辺り一帯に響き渡った。

 32 >>306

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.306 )
日時: 2022/08/19 10:35
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: TFnQajeA)

 32

 見方によっては雷の光にも見えなくもないあの雨は、数秒も経たずに闇に溶けた。あれは、一体なんだったんだろう。わかることは、目の前の神々が力なくその場に崩れていること、光の雨の主が神々に危害を与えられるほどの存在だということだ。

「馬鹿って、お前、わたし達に何を?!」

 ノックスロヴァヴィス神が叫んだ。腹よりは喉から叫んでいるような声だ。見ると、顔を真っ赤にしてジョーカーを睨んでいる。自身が乗っている黒羊の毛を掴んで、なんとか体勢を保っていられているという状況だろうか。

「ごめんね、りゅーくん。少しだけ待ってくれるかな」

 神の言葉を無視したジョーカーがそう言うと、フェンリルの周囲から鎖が現れた。フェンリルは抵抗したが、あっという間にその巨体を囲い、縛り上げてしまう。重たい呻き声をあげながら鎖から逃れようともがくも、鎖が重なったところからチリチリと小さな音が鳴るだけで、それ以外には何も起こらなかった。

「答えなさいッ、ふざけないで!! こんなことが許されるわけない。神に逆らうことは最大の禁忌!!! すぐにパパに罰される!」

 ノックスロヴァヴィス神の言葉を合図に、テネヴィウス神の腕が持ち上げられた。床の藍色が闇色に変わり、どろりと沼のようにぬかるんだ。
「うわっ」
 ボクは驚いて少し動いた。動くと軽くはない頭痛に襲われ、バランスを崩して手を床につく。すると、手が床に沈んだ。体の芯を凍らせるような冷たさに、手を引っ込めようとするも叶わず、むしろどんどん引きずり込まれていく。床自体が意志を持ってボクを取り込もうとしている。

「なんだ、これ」

 自分の力ではどうすることも出来ないと悟った。これは神の力なのだから。縋る思いでジョーカーを見る。助けてくれるわけがない。そんな義理はない。でも、じゃあ、他に誰に助けを求めればいい!?

 闇はジョーカーを襲おうと、床から飛び出して渦を巻いた。ジョーカーを取り囲み、すぐに黒で包み込む。

「……だから、馬鹿だと言ったんだ」

 闇に阻まれ、くぐもって聞こえるジョーカーの声は、聞き取りにくいが確かにそう言っていた。

 そして突然、床に魔法陣が浮かび上がった。半径百メートルくらいの大きな赤い魔法陣。これは、よく見る五芒星か? けど、術者であるジョーカーが向いていた方向からすると模様が逆向きだ。なにか意味があるのかな。

 現実逃避気味にそう考えていると、魔法陣が一際強く輝き、気づくと床は元に戻っていた。

「語る前に、まずは『正式に』自己紹介をしておこうか。
 ボクはジョーカー。モノクロジョーカー。黒と白のモノクロの魔力を宿す、〔初めの下僕スート〕。ヒメサマの力を最も多く受け継いだ仮想生物さ」

 仮想生物だって?!

 ボクはあの『通達の塔』にいた二人を思い出した。たしかあの二人も仮想生物と学園長は言っていたはずだ。
 仮想生物。つまりジョーカーも、『作られた』存在ということか?

 ……。

 待って。

 あの時、学園長は何と言っていた? 確か、そう。

『私はこのバケガクを管理・維持するためだけに作られた者でね』

 作られた、者。

 作られた、存在。そしてあの、二人の仮想生物。
 無関係じゃない、よね?

「カラージョーカーと区別するために、〔イロナシ〕なんて呼ばれたりしているね」

 カラー。モノクロの反対? もう一人ジョーカーがいるのかな。そのジョーカーもまた、作られた存在?

「それじゃあ、種を明かそうか」

 それまでとは打って変わった、落ち着いた口調。ジョーカーはゆっくりと、優雅とまで思える動作でシルクハットを取り、一礼した。顔には嘘くさい笑みを貼り付けて、──それでもどこか、楽しげだった。

「上には上がいる。下界でよく言われる言葉だけれど、それは神々にも同じことが言える。何も能力や強さだけを意味するものではない。子の上には親がいて、親の上には親の親がいる。神々もそうだ。君たちで言えば、[ニオ・セディウム]の神々の頂点に君たちがいて、君たちの最頂点が最高神テネヴィウス神だ。では、テネヴィウス神を生み出したのは誰だろう?
 下界では弱者が強者を打ち破るなんてことは稀に起こるけど、神の世界でそれは起こり得ない。何故に答える理屈は存在しない。ただそう定まっているだけだ」

 さっきのテネヴィウス神を見る限り、あの光の雨は力そのものを奪うものではないようだ。しかし神々は静かにジョーカーの言葉を聞いている。まるで、抵抗することを忘れたかのように。まるで、『抵抗』という選択肢そのものを忘れ去っているかのように。

「それに、君が支配者マストレスの称号を得るためにボクやイノボロス=ドュナーレ神の力を借りようとしたよね? あの方だって、一人で全てをこなすことは出来ない。一人で完結した存在だけれど、一人で完成しきった存在だけれど、だからと言って全てを押し付けてしまうのは酷というものだ。支援者が必要だ。ひとつの種子につき一人支給される、ナイトが。彼はあの方の忠実な下僕だ。彼が、君たちが支配者マストレスになることを許すはずない。ボクは偽りは言ってないよ。真実を隠していた。それだけだ」

 ナイト? 騎士のことだろうか。違う気もする。騎士は主を守るものであって、支援者とは言い難いんじゃないか?

「他に言い残したことは……。いっか。報酬に見合うだけの情報は与えただろうし」

 ジョーカーはボクに歩み寄った。コツ、コツ、と靴と床が当たる音が低い位置で響く。

「お疲れ様」

 根拠はないがなんとなく、感じた。ジョーカーとはもう会うことはない気がする。ジョーカーもきっと、そう感じているのだろう。

「もうすぐで君の役割も終わるだろう」

 ああそれと、と、何かを思い出したようにジョーカーは言った。

「そういえば、ヒメサマと日向ちゃんは別人だから、それは勘違いしないでおいてね」

 は?

「あとはボクらの仕事だ。今までありがとう。きっと君とは永遠のお別れだ。
 じゃあね」

 ボクの両肩に、ジョーカーの手が置かれた。にこにこと、いつもと全く変わらない本心ではなさそうな笑みがボクの目の前にある。

「また会おう」

 ジョーカーの言葉に困惑する暇も与えられず、ボクの体は両肩にかかった重みに従い、ぐらりと後ろに傾いた。
 その先に穴なんてなかったはずだ。しかしボクはその場所から真っ逆さまに落ちていった。



 あの空間の外に広がっていたのは、果てしない暗闇。ここは一体どこなんだろう。

 空で、満月が、輝いていた。

 33 >>307

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.307 )
日時: 2022/06/02 05:13
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 46h1u6ru)

 33

「はっ」

 焼けるような喉の渇きで目が覚めた。ずっと荒い呼吸を繰り返していたらしい。つむじから足の先まで気持ち悪い汗で湿っている。もちろん、愛用の寝巻きも。

「ここは……いたっ」

 頭痛がした。体がだるい。起き上がろうとすると、全身が痛んだ。この痛みには覚えがある。筋肉痛だ。
 でも、その痛みはすぐに意識の外へ追いやられる。痛みを忘れるくらい不可解な状況に置かれていた。

 ボクはベッドの上にいた。一日の始まりと終わりを過ごす、淡い黄色と白色の、ボクの部屋のベッドの上に。
 暗い部屋。カーテンの色も真っ黒で、今がまだ深夜であることは時刻を確認するまでもない。

 怖いくらい、静かだ。

 どうしてボクは部屋ここにいるんだ? もしかして、全部夢だったのか? そんなわけない。だって──
 いや、夢だったのかもしれない。ボクがあんな風に怪物族と対等に戦えるわけないんだから。

 とにかく、水が飲みたい。喉が渇いた。そう思ってベッドから降りようとすると、そばに机があることに気がついた。机と言ってもあまり作りがしっかりしているものではない。小さなもの、軽いものを置くことを想定して作られたものだ。その上に、コップが置かれているのがぼんやりと見える。暗くてよく見えないが、中に液体も入っているみたいだ。

 自分が持ってきた記憶はないし、そもそもこの机自体別室にあったものだ。姉ちゃんが持ってきてくれたのかな。
 後でお礼を言いに行こう。いまはまず、喉を潤したい。ボクはコップに手を触れた。

「え?」

 驚いて、慌てて手を引く。ゆっくりコップは傾いて、机とぶつかりカツンと硬い音を鳴らす。コップの底がボクに向いている。意思のないそれが、ボクを拒絶しているかのように見えた。

「『当たった』んだよね」

 コップが倒れたということは、そういうことだ。そういうことのはずだ。
 当たった感触が、しなかった。

「え?」

 疑問の音を繰り返す。おそるおそる、左手で右手に触れる。
 ──感覚がしない。
 けれど、左手が右手に触れる感覚はする。右手の触覚だけが失われているんだ。
 なぜ、どうして。一体、何があったんだ?

「あ……」

 思い出した。【一撃必中】の代償だ。やっぱりあれは夢じゃなかった。現実のことだったんだ。となるとはじめの疑問に戻る。どうしてボクはこの部屋にいるんだ? ジョーカーに体を押されて落っこちて、満月を見たところまでは覚えているんだけど。

 満月?

 ボクはベッドから降りて、カーテンを開いた。外は真っ暗だ。月なんて欠片すら見えない。
「そう、だよね。今日は新月だよね」
 自身を落ち着かせるために呟いてみる。

 空に瞬く小さな星々。姉ちゃんは昼や朝よりも夜の空を好んでいた。よく空を見上げていた。ボクも一緒に。綺麗だと思った。美しいと思った。だけどもう、くすんで見える。あれくらいの景色なら、似たものを光魔法で作り出せると思ってしまう。光だけなら、生み出せる。
 ボクは手を振って、暗い部屋に光を置いた。赤や、青や、黄。思い出せる限りの星座なんかも真似てみる。ほら、これと夜空と、なんの違いがあるって言うんだ。違うことといえば、本物の星の光とは違って部屋の中を微かに照らせることくらいだ。

 その偽物の光によって、コップが乗っていた机の上に他のものがあることに気づいた。これは?

 ボクはそれを手に取った。手袋だ。白い手袋。防寒具としての機能は足りてない。それにしては生地が薄い。どちらかと言えば、ファッションの一部として取り上げる部類のものだ。模様も飾りも一切ない、どこにでも売っていそうなものだ。

 どうしてこんなものが? 私物どころか、これを見た覚えすらない。姉ちゃんの忘れ物かな。だとしたら、届けないと。でも、手袋なんてつけてたっけ?
 部屋の光を消して、ボクは部屋を出た。廊下は部屋の中よりもさらに暗い。床が軋む音がやけに耳に残る。
 姉ちゃんは、どこだろう。部屋にいるのかな。まずはそこに行ってみよう。

 今が深夜であること、つまり深夜に訪れることが迷惑になることを忘れ、ボクは姉ちゃんの部屋に向かった。花園家は大陸ファーストの中でも屈指の名家だけど、この家はあまり大きくない。本家と比べても、一般の民家と比べても、狭いとまでは言えないが、広くはない。だから、ボクの部屋から姉ちゃんの部屋までの距離は短い。三十秒もすれば姉ちゃんの部屋の扉の前まで辿り着く。

 コンコンコン

 三回ノックして、反応を待つ。返事はない。

「姉ちゃん?」

 問いかけてみる。返事はない。

「っ!」

 嫌な予感がした。なんで? なんでいないの?
また、どこかへ行ってしまったの? そんな、まさか! いやだいやだいやだいやだ!!!
 急激に低下する体温と、激しい喉の渇き。精神と身体の両方から来る不快感に耐えかねて、ボクは叫んだ。

「姉ちゃん!!」

 直後、廊下に薄明るい光が満ちた。ボクの魔法じゃない。これは──

「どうしたの」

 ふと、すぐ横から声がした。驚くよりも前に、言葉を発するよりも前に、声の主にしがみつく。
 力加減を気にせずに抱きついたから、姉ちゃんはちょっとだけ不安定に体を揺らす。けどすぐに建て直し、ボクの背中に手を回した。最近、姉ちゃんはよく抱き締め返してくれるようになった気がする。
「姉ちゃん……ッ」
「うん」
 自分の手が震えているのがわかる。左右の手で感覚が大きく違うのが気持ち悪い。でもそれ以上に、姉ちゃんの声が、心地いい。姉ちゃんは、冷たくて温かい。
「ここにいるよ」
 姉ちゃんの手が動いた。ゆっくり、ゆっくり、ボクの背中をさする。そのおかげか、だんだん気持ち悪さがおさまる。

「朝日、具合どう?」
「具合?」

 なんのことだろう。姉ちゃんとくっついたまま、首を傾げて姉ちゃんを見上げる。暗くて姉ちゃんの顔はよく見えない。光を失った二つの瞳が、静かにボクを見つめていた。
 視界いっぱいに姉ちゃんがある。その事実が嬉しくて、ボクは姉ちゃんの胸に顔を擦りつけた。姉ちゃんから心臓の音は聞こえなかった。
「熱があったから」
 そう言いながら、姉ちゃんはボクの額に手を置いた。冷たさがボクにも移る。姉ちゃんの体温がボクに移る。
「そうなの?」
「うん。でも、良くなってる」
 言いながら、姉ちゃんの手が離れた。同時に、体も離してボクから距離をおく。……部屋に戻れって、言いたいのかな。

「姉ちゃん、また受け取ってもらえなかったの?」

 まだ姉ちゃんと話していたくて、まだ姉ちゃんのそばにいたくて。姉ちゃんが歩いてきた方向の先にある部屋を頭に浮かべながら、姉ちゃんに尋ねた。

 34 >>308

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.308 )
日時: 2022/05/04 22:25
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: bAc7FA1f)

 34

 ボクたちの両親は、あの事件の日に亡くなった。ある意味必然に、ある意味偶然に起こったあの事件。姉ちゃん曰く、両親、特に父さんはこの世に心残りがあるらしい。きっと、ボクたちのことだ。そう思う理由は、ある日を境に姉ちゃんが日課としている行動にある。姉ちゃんが寝る前に毎晩行っている、名前はよく分からないあの行為。

 家の奥の、姉ちゃんの部屋と同じこの階の、階段から一番離れた部屋には、両親の生前の思い出の品々が積まれている。部屋の中央には、当初床なんて見えないほど荷物が押し込まれた中に無理やり空間を作り、魔法陣が描かれている。何も知らない人が初めて見れば、それはそれは異様な光景だろう。この家に帰ってきたその日に確認してみると、毎日毎日行っているからか、部屋は随分と片付いていた。残っていたものは、ボクとはあまり関係が深くないものばかりだった。

「うん」

 その品々は、ボクが産まれる前、花園家が最も暗闇を抱えた時期の思い出を閉じ込めたものだった。三人が揃って描かれた絵画や、姉ちゃんが幼少期に来ていた服や、姉ちゃんが昔買い与えられたおもちゃや。
「もう、捨てることにした。……燃やす」
 やや口にするのをためらうように、姉ちゃんは言い直した。
「燃やしちゃうの?」
「母さんは十分妥協してくれた。私も、邪魔だし燃やしたかった。父さんが拒んでいた」
 姉ちゃんは、直接的なものではないけど死者との意思疎通も可能なんだそうだ。それは両親も例外ではない。そもそも遺品を含む思い出の品の移送は父さんが望んでいたことらしく、母さんも姉ちゃんも乗り気ではなかったらしい。これは単なる予想だけど、母さんは乗り気でないどころか拒絶までしていただろう。姉ちゃんを思い出させるものを、あの人は視界にすら入れたがらないはずだ。
「そっか」
 ボクは姉ちゃんの言葉に異論はない。姉ちゃんの意志なら、ボクは全てを受け入れる。思い入れがあるものなんて一つもないし、なんなら、ボク以外の姉ちゃんの家族を思い起こさせるものなんて必要ないとさえ思う。姉ちゃんの家族はボク一人だ。母さんも父さんも、姉ちゃんの意識の中から消え去ってしまえ。姉ちゃんには、ボクだけがいればいいんだから。

「部屋に戻って」
 姉ちゃんは話題を変えた。
「寝て、休んだ方がいい。熱は下がったけど、回復し切ってはいない。魔法で直すよりも自然に治すべき」
 ボクは頷いた。
「わかった」
 姉ちゃんにおやすみを言おうとした直前に、思い出した。そうだ、そもそもボクは手袋を返しに来たんだった。
 いつもの癖で、聞き手である右手で手袋を姉ちゃんに差し出す。
「姉ちゃん、こ──」

 べちん、と手袋を床に叩きつけた。別に、これが目的の行動ではない。目的は、右手を姉ちゃんから隠すこと。手を早く動かすことを優先して、手袋を掴む力を緩めてしまった結果だ。
 どく、どく、と、と心臓の拍動が足の底まで響く。驚愕、恐怖、負の感情がぐちゃぐちゃに潰されて、かき混ぜられて。気持ち悪い。吐き気がする。頭が痛い。

 ボクの右手は、真っ黒に染まっていた。日に焼けたなんて言い訳は通じない。日に焼ける季節ではないし、大陸ファーストの人間は日に焼けにくい。でも、そうじゃない。それ以上に、この黒さは日焼け程度で引き起こされない。
 まさに、闇色。いつかにバケガクで、ジョーカーが呪いだと言いながら見せてきた、あの黒色。今着ている寝巻きは長袖なので腕がどうなっているかは視認出来ないけど、たぶん、同様に黒く染まっていることだろう。

 これも、代償だ。皮膚の色まで変わるのか! 誤魔化しきれない。さすがにこれは、いくらなんでも姉ちゃんに問われる。なんて答えたらいい? どう答えたらいい? 真実を告げるべきか、嘘を吐くか。姉ちゃんは多分、真実を知っている。だけど、だからと言って自分の口から告げる勇気はボクにはない。嘘を吐けば、嘘を吐いたとすぐにバレる。どうしたら……!

 ボクが動けずに固まっていると、姉ちゃんが屈んだ。手袋を拾って何度かはたき、ボクに差し出す。

「これ、あげる」

 そう言って、言葉を切った。

「え?」

 言葉の意味が見えてこない。どうして? なんで問わないの? この色が見えなかったの?

 いや、違うな。見えなかったんじゃない。姉ちゃんがいまので見えなかったなんてありえない。意図的に、無視しているんだ。
 それに、この手袋をボクにくれるということが、姉ちゃんがボクの手を認識している何よりの証拠だ。姉ちゃんのすることには必ず何か意味がある。だから、これは、きっと。

「……ごめんなさい」

 突然、姉ちゃんは謝った。わけがわからずさらに困惑する。
「ごめんね」
 泣きそうな顔と、震える声で、そう言った。
「どうしたの? 急に」
 本当にわからない。何を謝っているの? 謝られるようなことはされてないはず。ボクは姉ちゃんになにをされてもプラス思考だから見落としがあるのかもしれないけど、少なくとも思い当たる節はない。
「──これまで、何も祝ってあげられてなかったから。誕生日も、入学も」
 なにか別のことを言おうとして、それを飲み込むような言葉遣いで告げられた。えー。なにを言おうとしたの? どうして嘘を吐くの? 別にいいけど。ボクも吐いてるから、おあいこだ。

 姉ちゃんがボクに、手袋を渡す理由としてボクがそう納得することを望んでいるのなら、ボクはそれを受け入れよう。いいよ、姉ちゃん。謝らないで。姉ちゃんから何かをもらえるなんてことはボクにとっての至福だし、姉ちゃんのいつもとは違う表情が見られたことも至福だから。なんなら、泣いてもいいよ。涙を見せて。言わないけど。

「大丈夫だよ、気にしないで? ありがとう。大事にするね」

 右手は背中に隠して血が滲むほど固く握り、笑顔を浮かべて左手で手袋を受け取った。

「おやすみ、姉ちゃん」

 笑えているかな。姉ちゃんはいま、何を考えているんだろう。わからない。姉ちゃんのことが、わからない。ジョーカーには姉ちゃんの情報と引き換えに協力していた、協力させてもらっていたけれど、結局なにもわからなかった。振り出しに戻ってしまった。また、情報を集めなきゃ。早くしないと。時間がない。


 なんのために?


「うん、おやすみ」

 姉ちゃんの返事を聞くなり、踵を返して自室に向かった。
 疲れた。頭の中が複雑に絡み合った糸のようにこんがらがっている。たくさんのことがあったし、たくさんの疑問もあった。頭の中の整理をする前に、いまはまず、休みたい。

 ……嗚呼、喉が渇いた。

 第二幕【完】