ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.287 )
日時: 2022/02/19 08:55
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: Tm1lqrhS)

 13

 その空間は、がらんとしていた。姉ちゃんらしいと言えばらしい。白いベッドと引き出しの付いた白い机と白い椅子。そして、果てが見えない、どこまでも続く白い空間。
「ここで、ずっと過ごしてたの?」
「そう」

 ベッドの上に座り、姉ちゃんは自分の横をポンポンと叩いた。
「座って」
「え、うん」
 戸惑いながらも姉ちゃんの言葉に従う。

 ベッドは思ったよりやわらかくて、でも弾力がある。すごく眠りやすそうだ。
「今日の朝、バケガクもそうだけど、家にも来たよね?」
 来たというのは、記者のことだろう。
「知ってるの?」
「あいつらの行動は読みやすい。それに、いくらでも動向は探ることが出来る」
 あ、それもそうか。新聞とか色々あるもんね。
「様子を見に行こうかとも思ったけど、私が行くともっと大事になるかもしれないって理事長に止められた」
 こころなしか顔を曇らせて姉ちゃんは言う。もしかして昨日の時点で家に帰ろうとしてたのって、ボクのことを心配したからなのかな。そうだったら、嬉しいな。

『どうか、幸せに』

 あの時の声も、『心配』が滲んでいた。

 ズキリと、心臓が痛む。

「姉ちゃん」
 昨日みたいに、服の裾をきゅっと掴む。
「お願い。どこにもいかないで」
 目尻が熱くなる。泣きたくない。でも、泣きたい。

「うん。どこにもいかない」

 冷たい温度が、制服越しに背中に伝わった。ひんやりとした温もり。それは離れがたくて、甘くて、寒くて、暖かくて。しばらくボクは姉ちゃんに抱きしめられたまま、姉ちゃんに頭を、体を、預けていた。

「怖かったね」

 ボクの背中を擦りながら、姉ちゃんが囁く。

「辛かったね」

 少し低い、聞き心地のいい姉ちゃんの声。

 気づけばボクは、泣いていた。

「姉ちゃん」
「なに?」
「姉ちゃん」
「うん」
「ボクね、寂しかった」
「ごめんね」
「ずっと会えなくて、ずっと会ってくれなくて」
「そうだね」
「もうこのまま、一生会えないのかなって、おもって」
「そうだったかもしれない」
「ボクは姉ちゃんに会いたかったのに、誰も許してくれなくて」
「辛かったね」
「わがまま言って嫌われるのが不安だった」
「怖かったね」
「想像しただけで体の震えが止まらなくて」
「うん、うん」

「本当はもっと一緒にいてほしかった。一緒にどこかに出かけたりしたかった。勉強も魔法も教えてほしかった。一緒に遊んでほしかった。理不尽な大人が大嫌い。姉ちゃんは綺麗で強くて、こんなにも優しいのに、ただ白眼だってだけで差別するのが許せない。大嫌い大嫌い大嫌い大嫌い」

 顔を上げて、姉ちゃんを見る。

「大好きだよ」

 依存でも偽りの人格でも、ボクは、俺は、姉ちゃんのことが大好きなんだ。昔も今も、これからも。たとえ思い込みであっても、ずっと。

「私、は」

 姉ちゃんの瞳が、悲しげに揺れた。どうして?

「朝日が大切。
 多分、好きではない、と思う」

 姉ちゃんは目を逸らさない。

「私は愛が分からない。その感情を理解出来ない。理解したいけど、それは不可能。だから、朝日のその感情に応えることは出来ない。朝日を大切に思うこの感情すら本物なのか分からない。でも、ね」

 ぎゅうっと抱きしめられる力が強くなった。

「大切にしたい。この感情は確かなもの。その結果私も朝日も間違えてしまった。
 ごめんなさい」

 ボクが苦しんでいたように、姉ちゃんも背負うものがあるのだろう。
 震える声が、ボクの耳に届く。

「大丈夫だよ」

 ボクは掴んでいた服を離して、姉ちゃんを抱きしめる。細くて冷たい姉ちゃんの体。
「また、こうして会えたんだから。ボクはそれだけで十分だよ」

 二度と会えないと思っていた。誰もそれを許してくれなかったから。みんな、みんな、ボクの記憶から『姉ちゃん』という存在を消そうとしていた。誰も彼もがボクを洗脳しようとしていた。心休まる時がなかった。
 それでも、いつかまた会えると信じていた。なんの根拠もない、ただ自分を生かし続けるために立てた仮初の希望。姉ちゃんを忘れてしまわないように、毎晩毎晩、少ない姉ちゃんとの思い出を数えて夜を過ごした。姉ちゃんを忘れるのが怖かった。大人の思い通りになるのが気に食わなかった。

 ボクが姉ちゃんを忘れたら、姉ちゃんもボクを忘れてしまうと思った。
 でも、覚えていてくれた。ずっと気にかけていてくれたんだ。八年間、ずぅっと。これ以上に幸せなことはない。これ以上を望む必要なんてない。

 涙は自然と止まった。どこにも吐き出せなかった『何か』が消えて、スッキリした。そして、泣いたせいかまぶたが重い。
 意識が消える直前に、姉ちゃんの声が聞こえた。

「お や す み な さ い」

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