ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.292 )
- 日時: 2022/03/16 08:17
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: pRgDfQi/)
18
カチッカチッカチッ
一秒ごとに動く針をじぃっと見つめる。もうすぐ五時だ。姉ちゃんが来る。
教室には、ボク一人だ。さっきまでちらほらいたけれど、もうみんな帰って行った。
「アイテムボックス・オープン」
帰る用意はすませておこう。そう思ってほうきを取り出す。
「ビリキナ、鞄の中に入って」
『着いたらすぐに出せよ!?』
「分かってるから」
騒ぐビリキナを押し込んで、鞄を閉める。鞄はいつもと比べると、少しだけ重い。
あのボタンは、アイテムボックスではなく鞄に入れて持ち歩けと言われた。ビリキナ同様に、あのボタンから放たれる魔力を姉ちゃんに気づかれてはいけないらしい。
それにしても、いつ決行しよう。明日? せっかく姉ちゃんが帰ってくるのに、早急じゃないか?
明後日、それともその次の……。
ゴーンゴーンゴーン……
遥か彼方まで響きそうな鐘の音。終業を告げる音とはまた別の、五時を知らせる鐘の音。『通達の塔』から響いてくるあの音は、あそこにいる二人の仮想生物が鳴らしてるんだよな?
「朝日」
少し離れたところから、心地よい、低めの女性の声がした。振り向くと、姉ちゃんは出入口に立っていた。
「帰ろう」
片手には、昔、何度か乗せてもらったことのあるペガサスの羽ぼうきを持っていた。
「うん!」
姉ちゃんと一緒に校門まで歩く。すると、ガヤガヤと騒がしい声が聞こえた。生徒が集まり、けれど何をするでもない。こころなしか戸惑っているように見える。
「どうしたのかな?」
「向こう、見て」
姉ちゃんが校門を抜けたさらに向こうを指した。見ると、空に黒い斑点が広がっている。
「え、まだいたの?」
考えるまでもなく、記者たちだろう。しつこいな。
「朝日、後で合流しよう」
その言葉が、一瞬、理解出来なかった。
「あいつらの目的は私や龍馬だから、私が行けば注目は私に向く。大半は私を追いかけるだろうから、その隙に出て。撒いたら、追いかける」
「待って!」
頭が判断を下す前に体が動いた。姉ちゃんの腕を掴んで、引き止める。
何か言わないと。何か言わないと! でも、口が動かない。声が出ない。どうして、なんで!
『どうか、幸せに』
行かないでよ、姉ちゃん。だってこの状況、昔のあのときと同じじゃないか。
「ボクを」
拒絶しないで。
「置いて、いかないで」
ボクの幸せは、姉ちゃんのそばにあるんだよ?
姉ちゃんはボクを凝視した。驚いているように見える。口を開けて、閉じて。なにか言おうとしているのに、何も言わない。
しばらく沈黙が続いた。そしてようやく、姉ちゃんは言う。
「わかった」
ボクを安心させるためだろう。感情のこもっていない顔で、にこっと笑った。
「一緒に帰ろう」
「っ、うん!」
それでもいい、それでいい。その気持ちがどうしようもなく嬉しい。ボクは大きく頷いた。
「理事長は、何をしてるのかな」
珍しく苛立ったような声で姉ちゃんが呟いた。たしかに。生徒を安心させるためにこの場にも教職員は数名いて、記者たちがいる方へ駆けていく人や、そこから戻ってくる人もいる。でも、それらのどれにも学園長の姿はなかった。
『生徒の皆さんに連絡します』
どこからともなく、女性の声が聞こえた。大人じゃない。たぶん、バケガクの生徒の声だ。どこかで聞いたことのある気がする。でも、どこだ?
「生徒会長の声だ!」
誰かが叫んだ。そうだ。エリーゼ=ルジアーダの声だ。
『対応が遅くなり申し訳ありません。ただいまより、当学園の魔獣を放ちますので、先生方の指示に従い、十分に注意してください』
その言葉で、一斉に混乱の声の嵐が巻き起こった。
「魔獣ってなに? どういうこと?」
「そんなのいたのか?!」
「怖いよ、なになに!」
驚いていたのはボクも同じだ。でも、隣にいる姉ちゃんはひどく落ち着いている。
「遅いな」
ただ、そう吐き捨てた。
「姉ちゃん、魔獣って?」
ボクが訊くと、姉ちゃんの顔から表情が消えた。いつも通りの無表情がボクを見る。
「こういうことは、たまに起きるの。威嚇用の、つまり、戦力」
そんなものがあるのか。ここまでくると、バケガクにないものを探す方が難しいんじゃないか?
けれど言われてみて納得する。バケガクは独立した領域だ。どこにも属さないということはどこにも縛られず、どこにも守られることがない。ただでさえ神の建造物なんて言われる特別な場所なんだ。その何物にも代えることの出来ない価値を巡って戦争が起こったとしても不思議じゃない。それを防ぐためには、バケガク自体も戦力を持つ必要がある。
そして、魔獣なんて危険なものは、戦力として使うことそのものが人道に反するとして世間から非難される。過去にもそんな国はたくさんあったと授業で習った。きっと、魔獣を使うという結論を出すのに時間がかかってしまったのだろう。
「で、でも、魔獣が暴れたりしたらどうするの? 制御できるの?」
戦力として使おうとして国が滅ぼされたことなんて、それこそよく聞く話だ。完全に魔獣をコントロール出来るだなんて保証は、どこにもない。
「大丈夫」
姉ちゃんは言いきった。
「それにもし何かあっても、私が守る」
少しだけ、ほんの少しだけ力強い声を聞いて、ボクは安心した。そうだ、姉ちゃんがいる。姉ちゃんがいれば全部大丈夫。心配することなんて何も無い。
「うん!」
嬉しくなって、ボクは笑った。
バササッ
突如、鳥が羽ばたくような音がした。空に満ちたオレンジの光の中に、黒が落ちる。
空を見上げると、そこには本でしか見たことの無いような生物がいた。
鷹の前身、獅子の後身。地上からでもその姿をはっきりと認識できるほどの巨体。翼は空を覆い尽くさんとばかりに広げられ、爪は大地を引き裂きそうなほど鋭く、足は筋骨隆々。空と陸の支配者の融合体である、あれは。
「グルフィン?!」
まさかと思った。けれどあの姿はそうとしか思えない。
魔獣なんて冗談じゃない。グルフィンは神話でしか出てこないような神に仕える神獣だ。太陽神に従属する、グルフィンそのものすら守り神として奉られる存在。なんでバケガクなんかにいるんだよ!
「よく知ってるね」
姉ちゃんが褒めてくれた。
「え? へへ。でしょ?」
「うん、よく学んでる」
グルフィンはボクらの頭上を通り越して、記者たちがいるあの場所まで飛んで行った。
『警告はしたはずだ。これよりこちらは攻撃態勢に入る。覚悟はいいな?』
ぼわぼわと反響して聞き取りづらい学園長の声が聞こえた。遠くの方で叫び声がする。みると、ひとつの黒い塊と化していた記者たちが、塵のように散っていった。
さすがにグルフィンを出されたら怖気付くんだな。警告はしたと言っていたから、その時点で逃げ帰ればよかったのに。それか、まさか本当に神獣を持っているとは思わなかったんだろうな。ハッタリで魔獣を使役していると宣言する国家だって一つや二つじゃない。バケガクもそうだろうと、あいつらは踏んだのだろう。
周囲はまだ、肉眼でグルフィンを目の当たりにした熱から冷めていない。そりゃそうだ。魔獣を従えている国すら数少ない有力国家だけなのに、神獣を、古い歴史を持つとはいえ所詮はただの(かどうかはさておいて)学校が従えているなんて、誰が想像できることだろう。
「ギエエェェェエエエエ!!!!!」
鼓膜が破れるのではないかと錯覚するような、グルフィンの咆哮。それを聞いて、まだ僅かに残っていた黒い粒も、消え失せた。
_____
ようやく下校することが叶い、ボクと姉ちゃんは海の上を飛んでいた。闇に追われるように太陽の方角を向き、並んでほうきを進める。
「それにしても珍しいね、姉ちゃんが誘ってくれるなんて」
せっかくなので何か話したい。そう思って声をかける。姉ちゃんは、自分から話すことは少ない。
「たまにはね」
それだけ言って、口を閉じた。
「そのほうき、まだ使ってたんだね」
それに、鞄も。確か鞄ってじいちゃんが昔入学祝いとして渡していたものだったよね。まだ持ってたんだ。それに、二つとも綺麗なままだ。多少はボロくなってるけど、古臭さは感じない。よっぽど丁寧に扱わないと、九年はもたないだろう。すごいなぁ。
「うん」
素っ気ない返事ばかりだけれど、それでも楽しい。楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまうものだ。金色に染まった海ばかりだった視界に、うっすらと膜を張ったような白いドーム──大陸ファーストを覆う結界と、広大な陸地が見えた。
ここから自宅までは大した距離ではない。会話も弾んでいたわけではないので自然と収まり、ボクらは黙って空を飛び、家の玄関の前に着地した。
「あ、待って姉ちゃん!」
先に入ろうとする姉ちゃんを止めて、ボクは先に扉に手をかける。ガチャリと鍵を回し、ドアを開けて、不思議そうにボクを見る姉ちゃんに、とびっきりの笑顔でこう言った。
「姉ちゃん、おかえり!」
姉ちゃんは数秒静止し、やや目線を緩めて、言った。
「ただいま」
長かった。やっと姉ちゃんが帰ってきた。もうどこにも行かないよね? そうだよね?
「荷物置いてくるね」
そう声をかけてからビリキナを置くために一度部屋に戻る。それからすぐにリビングへ行くと、姉ちゃんは難しい顔をして机の上の手紙を読んでいた。
「あ、それ」
もう読んだんだ。早いな。
「これ、いつの?」
「一週間前後くらいかな」
「ふうん」
「行くの?」
無視すると思っていたのに悩んでいたから、興味本位で聞いてみた。いや、興味本位じゃないな。もし姉ちゃんが行くのなら、姉ちゃんと過ごす時間が減ってしまう。これは大問題だ。
「うん。近いうちに行く」
「ついてっていい?!」
「え。ああ、いいよ」
「やったー!」
喜ぶボクを見て、姉ちゃんは首を傾げる。確かに理解できないんだろうな。ボクも姉ちゃんも、本家にいい思い出なんかほとんどない。
ただ、姉ちゃんと過ごした思い出があるだけだ。
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