ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.299 )
日時: 2022/05/02 06:31
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: bGiPag13)

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 目の前には、幼い女の子が立っていた。ナイフを真っ直ぐに持っている。構えとも言えない持ち方なのに、それはボクの体に深く食い込んでいた。
「え」
 あまりに突然で、ボクは二度目の言葉を漏らした。
「わたくしは手を出さないつもりでしたわ。雅狼さんと沙弥さんがすることですし、そもそも元はお兄様のお仕事ですもの。わたくしが手を出すなんておこがましいですわ」

 身長差ではボクの方が上のはずなのに、見下すようなオーラを感じる。冷ややかな紫の瞳が、ボクを睨みつける。

「けれど、先程の会話を聞いて気が変わりましたわ。あなた、何かをご存知ですの? お兄様の──いまのお兄様のことを。
 もし知っているというのなら、大人しくなさいませ。全てを仰るまで、殺しはしませんわ」

 お兄様? 誰のことだ? 屋敷に入ったばかりのときに聞いたことと合わせれば、笹木野龍馬か?

「あら?」

 女の子は、ズッと血塗れのナイフを引き抜いた。そして、ナイフに付いた血をぺろりと舐める。

「これは、大陸ファーストの……」

 そちらに気を取られているすきに、ボクは駆け出す。あんな小さい子の足では、ボクには追いつけないはずだ。

 そう思ったのに、五秒もしないうちに後頭部に強い衝撃が加わった。蹴り飛ばされたのだ。ボクが倒れ込む直前に、小さくトンッと着地する音が聞こえた。飛び上がって蹴ったのだろう。
「何故お逃げになるの? 殺さないと言っているのに。わたくしはただ、話をお聞きしたいだけですわ」
 立ち上がって、投げナイフを構える。後ろを振り向き女の子の姿を視界に捉えたと思ったら、女の子はボクの体に手を触れていた。

「少しは理性的におなりなさい」

 それは、粘り気のある液体を流し込まれたような感覚だった。急に体が重くなる。かしゃんと乾いた音をたて、手から投げナイフが落ちた。足に力が入らず、床に膝をつく。

「少し考えれば、お互いに利のある話だとお気づきになるはずですわ。
 随分純度の高い聖水をお持ちですのね。やはり大陸ファーストの人間かしら?」

 喉に何かが張り付いている感覚がする。上手く呼吸が出来ない。

「わたくしは知りたいだけなのです。お兄様を解放して差し上げたい。苦しむお兄様も、苦しみを隠すお兄様も、もう見たくないのですわ」

 何を、言ってるんだ?

「わたくしごときにそんなことが出来るなんて思っていませんけれど、それでもわたくしは……」

「ルア、甘いよ」

 声がしたと思ったほぼ同時に、首に鋭いものが突き立てられた。なんだ?

「ルイ!」
「龍馬さん自身がアレの原因を突き止めるために動いてるんだから、わたしたちが特別何かをする必要なんかない。侵入者は、さっさと殺すか捕まえて吸血奴隷にすればいい」
「わかってるわ。でも」
「でもじゃない。ルアこそしっかりして。人間の血が入ってるあの人にそこまで踊らされるなんておかしいよ」
「っ! お兄様を侮辱するのはやめなさい! お兄様は素晴らしい方よ! ルイこそどうしてそれがわからないの?!」
「だから、それがおかしいって言ってるの。だから、甘いままなのよ」

 ルイと呼ばれたもう一人の女の子が後ろから姿を現した。片手が血に染まっている。突き立てられたのは、爪だろうか。長い爪がしゅるしゅると縮んでいく。

『おい、どーすんだよ。お前、死ぬぞ?』

『…………』

「わたしは、あの人が嫌い。昔比べられたことがあるとか以前に、吸血鬼らしくないし、なんか、嫌」
「それはっ、そう、かもしれないわ。だけどお兄様は!」
「何度も言ったでしょ。わたしはわたしの意志を曲げるつもりは無い。龍馬さんは嫌い。何より吸血対象でもない人間の女を好いているっていうのが気持ち悪くて仕方ない。この話は終わり。
 こいつもすぐ死ぬ。部屋に戻って、それで寝よう。先戻ってるから」

 そう告げて踵を返し、ボクに目を向けることなく立ち去った。

「わたくしは、わたくしのやり方で」

 女の子は苦しそうに言うと、ボクを見た。

「答えなさい」

 ボクが答えられるはずのない質問を、投げかける。

「どうしてお兄様に、他人が宿っているんですの?」

 まだ、言葉は続く。

「お兄様は苦しんでいらっしゃるわ。悩みを話すのは真弥さんに対してだけですけれど、近しい者はみんな知っていること。誰しも苦しみを抱えているもの、そう言えばそれきりですわ。けれど、どうして苦しまなければいけませんの? お兄様が何をしたの?! 知っているなら、答えなさい!」

 そんなの、ボクが知ってるわけないじゃないか。
 というか、なんだよ。『他人が宿っている』なんて、何の話をしているんだ?

「答えないなら、殺しますわ。さあ、どうなさるの?」

『ビリキナ。ボクの体を動かして。出来るよね?』

 それは『乗っ取り』に近いものだ。ボクの体はもちろん、ビリキナにも大きな負担を与える。意識のある体を他者が動かすのは難しいのだそうだ。

『どうしろってんだよ』
『えっと』

『じゃあ、ボクがあげた魔法石を壊してみて?』

 さっきと同様に、ジョーカーの声が聞こえた。体が動かないからどこかにいるのかすらもわからない。でも、目の前の女の子は変わらずボクに視線を固定している。

『ジョーカーの、魔法石を、破壊して』
『なんでだ?』
『わかんない』
『は?』
『いいから、やって』

 この際、もう、なんでもいい。もうすぐ死ぬんだったら、なんでもやってやる。

『しゃーねーな』

 ボクの手はポケットを探り、中にある白色の魔法石を取り出した。破壊しようと力を込める。

「なぜ動けるんですの!?」

 さすがに硬い。だからこそ、魔法石を壊すなんて発想はない。それよりもまず、魔法石が壊れたら、中にある魔法が漏れ出て、魔法石として機能しなくなる。

『かてーな、クソッ』

 マスクをずらし、口の中に魔法石を放り込む。嫌な予感が脳裏を横切るより前に、ガリッと硬いものを噛む音と、ゴリッと奥歯が折れる音がした。

 プッとなんでもないことのように折れた歯と血、魔法石の破片を口から吐き出した。

『これでいいのか?』

 文句を言おうかと思ったが、そんな気力も起こらない。

「なにをして」

 女の子は言い切らなかった。ボクも言葉を失った。

 ありえないほど濃厚な魔力の渦が、ボクらを直撃した。物理的な力ではない、魔法的な力が意識を大きく揺らし、視界がぐるんと歪む。
 女の子が、ふらっと倒れた。ボク自身は意識が飛びそうだけど、ビリキナが耐えているのか体は動かない。

 何が起こったのか、わからない。魔法石を破壊しただけだぞ? 魔法石を破壊しただけでは、こんなことにはならない。きっと何かほかにあるはずだ。でも、何かって?

『なんだよ、これ』

 ビリキナが呆然と呟く。

『何が起こったの?』

 ビリキナは、『何か』を知っているのだろうか。そう思って尋ねると、ビリキナは語り出した。

『魔法爆発に似たようなもんだよ。魔法石の中の魔力が、魔法石が壊れたせいで外で暴れてんだ。
 どうなってんだよ! あんなちっぽけな石ひとつにこんだけの……しかもこの魔力は……。
 なあ、お前も感じるだろ?』
『感じるって、何を?』
『はあ?!』

 聞き返すと、怒声が飛んだ。

『感情がぶっ壊れてんのはいいけどな! 感覚まで鈍ってんじゃねぇよ!!!』

 そんなこと言われても、感じないものはどうしようもないじゃないか。

『この魔力はただ強いだけじゃない。オレサマみたいな精霊の力に近い。でも違う。これは』

 震えるような、恐怖を含んだ声で、ビリキナは言った。

『これは、神の力だ』

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