ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.303 )
日時: 2022/06/02 05:07
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 46h1u6ru)

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 絶叫が響いた。それが笹木野龍馬の声なのだと認識するのに時間を要した。正しい言葉は聞き取れず、声と言うよりも音に近かった。獣の咆哮によく似た、地の底から空気を揺らすような叫びだった。

 その悲しみが隠れた声に、聞き覚えがあった。

 イノボロス=ドュナーレ神は笑みを浮かべながら、瞳の奥に怒気を宿した。それを見たからか、笹木野龍馬は青ざめ、両手で口を抑える。

「うるさいなぁ、生意気。何様のつもり? は?〔出来損ない〕の分際で? 自分の立場忘れた?[王家]から離れて平和ボケでもしたの?」

 怒りを隠そうともせずににこりと笑う。それは転移前の笹木野龍馬が浮かべていた笑みに、そっくりだった。
 イノボロス=ドュナーレ神は、掴んだ笹木野龍馬の髪をグイッと自分に寄せる。痛みに微かに表情を歪め、笹木野龍馬はだらんと手を下げた。

「あの女にそそのかされてフローの肉体を消滅させて姿を消して。探したんだよ? まさか下界に降りてのほほんと暮らしていたなんてね。楽しかった? 自分の罪を忘れて過ごして、楽しかった?」

 そして、自分よりもやや体の大きい笹木野龍馬を軽々と突き飛ばした。
 イノボロス=ドュナーレ神の左腕が青黒く光る。ちょうど、周囲にある柱と同じ色だ。その手は目で追えるか追えないかくらいの速度で笹木野龍馬の顔を掠めた。何をしたのかわからないでいると、イノボロス=ドュナーレ神が語り出す。

「例え同じ[王家]の一員だとしても、『王家殺し』は重罪だ。それくらい、馬鹿なお前でもわかってるよね?」

『王家殺し』。王家というのは、[ニオ・セディウム]、つまり『六帝』のことだろう。この場にいる『六帝』は四神。二神──双子神が足りない。どちらか一人を笹木野龍馬が殺したということなのか? そして、笹木野龍馬は。

 イノボロス=ドュナーレ神は笹木野龍馬に、握っていた自身の左手を開いて見せた。遠目でそれが何か視認出来ないけど、笹木野龍馬の右目がなくなっているから、それが何なのかは明らかだった。
 不思議なのは、笹木野龍馬が右目から、右目があった場所から血が流れても何も言わないことだ。目線を下に向け、なぜかじっとしている。さっきあの叫び声を上げたのが嘘のように、とても静かだ。痛くないはずがないのに、表情に感情が現れてすらいない。時間が経つにつれて、まるで人形にでもなるかのように、静かに、無表情に、無感情になっていく。

「安心しなよ。お前の罪は新たな支配者マストレスによって許される。〔出来損ない〕のお前がようやく役に立つ時が来たんだ! むしろ喜べ! そして、馬鹿な自分を呪うといい。それか、お前みたいな〔出来損ない〕に手を貸したキメラセルの最高神。あの女もあの女だ! わざわざ自分の価値を下げてまでお前を助けようとして? 結局出来てない! お前が[王家]から逃げられるわけないのにね! ハハハ!!」

 今度は笹木野龍馬は表情を変えた。顔を上げ、驚いたようにイノボロス=ドュナーレ神を見る。苦しそうで、悲しそうで、今にも泣きそうな表情だった。けれどそれもすぐに消える。

「イノ、やめろ」

 プァレジュギス神が口を開いた。不機嫌そうで、それでいて無感情な声。

「茶番はいい。お前だって好んで〔出来損ない〕と話したいわけでもないだろう」
「当たり前ですよ。でも、だからこそ、絶望に叩き落とすのが楽しいんじゃないですか」

 イノボロス=ドュナーレ神は、少しの穢れすら知らないような幼い笑顔でプァレジュギス神に向かって言い放つ。

「もう、会うことも無いのですから」

 ボクに向けられた言葉でもなければ、そもそもイノボロス=ドュナーレ神の意識の中にボクはいない。なのに、どうしようもない恐怖を感じた。子供らしい笑顔がさらにその恐怖を際立たせる。

「嫌悪しかない『弟』に、最期の挨拶くらいしてもいいでしょう?」

 弟。

 第二帝であるイノボロス=ドュナーレ神には、あと三神、弟妹神がいる。弟神であり双子神であるディフェイクセルムとコラクフロァテ、妹神であるノックスロヴァヴィス神。
 もう疑いはない。笹木野龍馬は神だ。実際の神を目にしてわかった。神は実在する。信仰心のないボクにでもわかる。信じる以外の選択肢がない。それほどまでに強烈な存在感と魔力と威厳があった。そしてその神が「弟」だと言った。他の四神ほどの、神だと信じられるほどの要素は笹木野龍馬にはなかったが、『神がそう言っている』のだから、『それが真実に決まっている』。

 笹木野龍馬は双子神のどちらかだ。ボクは笹木野龍馬の真の名を既に導き出していた。

「ん?」

 イノボロス=ドュナーレ神が呟いた。自分の手に乗った笹木野龍馬の右目に目をやる。

 異常な光景だった。笹木野龍馬の右目がどろりと溶けた。イノボロス=ドュナーレ神の手から溢れるほど体積が増え、水が沸騰するように気泡が次から次へと物体から飛び出す。粘り気のあるそれはぼとりと地面に落ち、ぐにゅりぐにゅりと形を成した。

 双子神の力は、繋がっている。ディフェイクセルムが生物を生み出し、コラクフロァテが生物を融合させ、新たな生物を作り出す。

 ディフェイクセルムは、自身の血や涙、腕や『目玉』から生物を生み出す。

「あ……あ、あ」

 真っ青な顔で、笹木野龍馬は地面に座り込む黒い小動物──たった今生み出された生物を見た。黒いトカゲのような姿をしていて、それはすぐに霧となって消えてしまった。

「下界に行ったみたいだね」

 ジョーカーが言った。笹木野龍馬はようやくジョーカーの存在に気づき、同時にボクにも気づいたらしかった。

「え、ど、うして、朝日くん、が」
「ひっどいよねー。あいつがお前をここに連れて来たみたいだよ?」

 笹木野龍馬の言葉を遮るように、イノボロス=ドュナーレ神は立ち上がって、弾んだ声で言った。
「残念だね。あいつがいなかったらお前はもう少しくらいは夢を見ることが出来たのにね! ハハハハッ!」

 イノボロス=ドュナーレ神の顔を見て、言葉を聞いたあと、笹木野龍馬はボクを見た。笹木野龍馬と、目が合った。
 ボクは目を逸らした。なぜだか罪悪感に浸された。少しの沈黙、その少しの時間が重くのしかかる。自分のしたことが笹木野龍馬にとっての『悪』だという自覚があった。笹木野龍馬なんかどうでもいいと思っていた。いや、違う。どうでもいいと思っている。そのはずなのに、なぜ罪悪感を抱くのだろう。自分でもわけがわからない。

「巻き込んで、ごめん」

 しっかりとした口調で、そう言われた。イノボロス=ドュナーレ神と向かい合っていたあの情けない様子とは打って変わった、芯のある声。
 わけがわからない。
 笹木野龍馬はボクを責めるべきなのに。どうして謝るんだ? 

 驚いて笹木野龍馬を見ると、イノボロス=ドュナーレ神がまた笹木野龍馬を蹴っていた。今度は、顔を。

「はあ? なんだよそれ、つまんないなー。恨めよあいつを!! 毎度毎度絶望ばっかしてんじゃねーよ! 下界人相手にも『そう』なのか!?」

 それからチッと舌打ちをして、吐き捨てる。

「フローを殺ったって聞いたから、ちょっとはまともになったと思えば、それかよ。
 てか、お前喋れたんだ。いつも同じことしか言わないからてっきり……」
「イノ、いい加減しろ。父上をこれ以上待たせるな」

 プァレジュギス神が声を張った。ぎろっとイノボロス=ドュナーレ神を睨む。イノボロス=ドュナーレ神は肩をすくめて、悪びれない調子で言った。

「すみません。もう終わります」

 顔面が血にまみれた笹木野龍馬を放置して、元いた場所に戻って行った。それを待っていたと言わんばかりにジョーカーが笹木野龍馬に近づく。

「君には、正しい支配者マストレスのための生贄になってもらうよ」

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