ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.305 )
- 日時: 2022/06/02 05:10
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 46h1u6ru)
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「ロヴィの言う通りだよ。時間がかかり過ぎなんじゃない?」
ノックスロヴァヴィス神の言葉に、イノボロス=ドュナーレ神が続く。苛立ちが見え隠れする声だ。でも、急かすようなことを言っている割には焦りの色は見えない。ただせっかちというだけかな。
「もう少し待って。あと一つ話せば終わるから」
ジョーカーは手を笹木野龍馬の頬から外し、片手だけで笹木野龍馬の心臓あたりをなぞった。
「そういえば、りゅーくんに会うときはこの姿ばかりだね。と言ってもこれで二回目だけど。本来は『モノクロ』なんだよ。やりやすいように弄ってきただけであって」
その言葉で、ジョーカーの格好に違和感を見つけた。
普段の馬鹿みたいな格好は変わらない。白と黒の控えめな色合いなのに何故か派手な、あの格好。だけど、違う。いつもなら白であるはずの部分が、赤に変わっている。
「お喋りする気はないのかな? それでいいならそれでもいいよ。それでいいなら、ね」
何も言わない笹木野龍馬に向けて、不気味な笑みを浮かべた。
「君に恨みがないとは言えないけど、別にそれを晴らそうなんて気はないんだ。する必要があるとも思えないし。ただ、ボクにもボクの目的がある。ごめんね?」
言葉を投げかけながら、ジョーカーは笹木野龍馬の胸部に右手を突っ込んだ。爪が皮膚を、肉を裂き、ぐちゅりぐちゅりと段階的に手が埋まっていく。ジョーカーが手を動かすたびに、血液や血の塊、肉片や内蔵の一部が体内からこぼれる。
時折乱暴に体内をかき混ぜるジョーカーの手を見ているうちに、錯覚でボクの胸や腹辺りが痛くなってきた。
「うっ」
あまりにもグロテスクな情景に、思わず口を抑える。吐き気が胃から湧き上がり、喉を越えて口内で溢れた。
これを出してはいけない。
本能的にそう判断して、ボクは出てきたものを思い切り飲み込んだ。二重の意味での気持ちの悪さに苛まれる。喉が焼けるように熱い、痛い。
笹木野龍馬は何も言わない。全てを受け入れるような、全てを諦めたような表情で、ジョーカーを──ジョーカーがいる方を眺めている。さっきからそうだ。痛みを感じないのか? それだけじゃない。意識が戻った直後を除き、ほとんど感情の起伏が見えない。笹木野龍馬って、あんなんだったっけ?
「あー、これならちゃんと動くね。全く動かしてない上に魂はボロボロだからちょっと不安だったけど、問題なさそうだ」
そう嬉しそうに言うと手を引き抜き、左手に持っていたものを見せた。血に塗れているはずの手に、血は付いていなかった。
「これ飲んでくれる?」
それを見て、笹木野龍馬が表情を変えた。虚無に包まれた瞳はそのままに、表情だけが歪む。
「ヒッ」
短く鋭い息を吸い、座ったまま後ずさりした。数センチ下がった程度だったけど。
ジョーカーが持っているのは、瓶だ。中に入っているのは赤黒い液体。笹木野龍馬の右目と胸部から流れるものと、とてもよく似た色をしている。
「はい。持てる?」
差し出された瓶を、笹木野龍馬は黙って見つめるだけで何も言わない。ジョーカーも瓶を差し出した姿勢を維持して、黙ってしまった。不気味な笑みを、貼り付けたまま。
「〔役立たず〕、早くしてくれない?」
先程にも増して苛立った声をノックスロヴァヴィス神は放った。
「お前が私たちを待たせてるの。早くしてよ」
「い……」
笹木野龍馬の口から、音が零れた。恐怖に染まり切った表情をどこに向けるでもなく浮かべる。でも、言いかけた言葉をすぐに止めて、また表情から色が消えた。
「悪いようにはしないよ」
ジョーカーが言った。
「怖いんだよね。何が起こるかわからないから。大丈夫。ちゃんと教えてあげる。
彼らがしようとしていることは、言った通り支配者権限の譲渡だ。つまり、支配者の役割を持つ者を変える、ということだよ。
支配者は権限であり役割であり、称号だ。条件を満たせば称号が得られるという法則は、神々にも適用される。それは支配者であってももちろん同じだ。ほかの称号と違うことは、特別であり、一つの世界につき一人しかその称号を得られないこと、『二人目の称号取得者が出た場合、一人目はその称号を剥奪されること』、この二点だけ」
指を一本ずつ立てながら説明するジョーカーの言葉を、笹木野龍馬はぼんやりと、しかし焦点をジョーカーに定めて聞いていた。
「支配者になるための条件は、『世界の創造』、『世界の掌握』、『全魔力の解除』、『全魔法の解除』。この四つだ。あとは称号取得可能条件として『女性』であること。マストレスだからね。
もうわかるだろう? そう。彼らはノックスロヴァヴィス神を支配者にしようとしている。下界人は支配者には成り得ない。彼女が神だから出来ることだ。白と黒の縛りが影響しない神だから。ただ、たとえ神でも一人だけでは全ての条件を達成できない。それが『全魔力の解除』。混ざった魔力を得ただけでは条件を達成したとは言えない。純粋な魔力でなくてはいけない。そこで、君の出番というわけさ。『彼』の与奪の力を使って、君から純粋な赤の魔力を抜き、彼女に与えようと、そういうわけだ」
やっと話が見えてきた。全部を理解することは出来ないけど、なんとなく、わかってきた。つまりノックスロヴァヴィス神は、[ニオ・セディウム]の神は、神以上の存在になろうとしているんだ。そしてそのために、笹木野龍馬の力が必要。
でも、だとすると。
ジョーカーは何のためにそれに協力しているんだ?
「ほら、わかったでしょ? この方法なら、確実にあの方を支配者の役割から解放できるんだ。いや、むしろ支配者の役割からの完全なる解放はこの方法しかないと言い切ってしまっていい。
だからさ、ほら」
ジョーカーは表情を消し、持っていた赤黒い液体入りの瓶を、ずい、と笹木野龍馬に近づけた。
「飲めよ」
「あの方の……」
ジョーカーの気迫に構わず、笹木野龍馬は言葉を繰り返す。その隙をついてジョーカーは笹木野龍馬の手の上に瓶を置いた。
躊躇うように、怯えるように、笹木野龍馬は手の中にある瓶を見る。
ふと、笹木野龍馬の目の焦点が瓶から外れた。そして躊躇っていたことを忘れたように、操られているような動作で瓶の口を自分の顔に運ぶ。
瓶の中の液体が、外へ漏れ出した。自分の中へ流れ込んだそれに対する拒否の意志として、笹木野龍馬は表情を苦しげにしかめた。それでも笹木野龍馬は液体を飲み込む。
「かはっ」
笹木野龍馬の体が痙攣した。口から飲み込みきれなかった液体を吐き出し、瓶を手から落とす。瓶の中にも多少の液体が残っていた。
首を抑え、倒れ込む。
「あ……あ゛……ア゛ア゛」
聞き慣れた声が、ゆっくりと変化する。掠れた、喉から絞り出すような声。
獣のような、呻き声。
「いつまでそうしてるんだよ、〔役立たず〕。さっさと立って、自分の役割を果たして見せろよ」
イノボロス=ドュナーレ神が楽しげに言葉をぶつける。
「父上もそう思われますよね?」
問われたテネヴィウス神は、答えない。ギラギラと光る目を、笹木野龍馬に向けるだけだ。
皮膚が割れ、血管が裂け、数分前の比ではない量の体液が噴き出した。でもそれ以上に受け入れ難い光景が、ボクの目に飛び込む。
まるで液体が沸騰するかのように、ボコッボコッと笹木野龍馬の体のいくつもの箇所が大きく膨らんだ。質量を無視して、笹木野龍馬の体が次第に巨大化する。腕はちぎれ、足は外れ、残っていた左目も飛び出した。そして体の内側から、ずるりと大きな獣の腕や足が現れた。裂けた皮膚からも、青色の豊かな毛並みが見えている。
自分の目の前で、何が起こっているのかがわからない。自分が連れて来たその人の姿が、どんどんバケモノに変わっていく。
「か、怪物!」
恐怖にかすれた声が無意識に漏れる。
どこかで間違ってしまったのだと、その時に初めて気づくことが出来た。ただ自分の求めるものを手に入れたかっただけなのに。そうすることは、罪であったとでもいうのだろうか。
法が認める罪を犯している自覚はあった。自分自身では認めていなかった。でも、気づいた、気づいてしまった。ボクがしてきたことは罪だったのだと。唐突に、突然に。
その瞬間、罪悪感に苛まれた。誰に向けての、どの罪による罪悪感なのかはわからない。ただひたすらに、申し訳なかった。心臓が押しつぶされそうなほどの後悔の念に、吐き気がした。
そこにいたのは、笹木野龍馬ではない。笹木野龍馬だった何か──神獣『フェンリル』だった。
テネヴィウス神やプァレジュギス神よりも遥かに大きな、超がつくほどの巨体。遠くからでもわかる鋼鉄の青の毛皮と、特徴的な、真っ赤なルビーのような目。全体を見ると、狼に似た姿をしている。口からは鋭い牙が隙間から覗き、荒い息と微かな炎を吐いている。よく見ると、体の周りに『赤い』もやがまとわりついている。もしかして、魔力が体内から漏れて具現化したものか?
フェンリルは、[ニオ・セディウム]の神々が従えているとされている神獣で、かつ、とてつもない怪力を持つが故に神ですら恐れる神獣でもあるという伝説がある。そのため、普段は鎖に繋がれているんだとか。まさか、笹木野龍馬──ディフェイクセルム神がフェンリルだったなんて。なら、神々が『畏れる』神獣ということか。
「うん、暴走状態になったね。
いいよ。これで赤の魔力は取れる」
ジョーカーがイノボロス=ドュナーレ神に言うと、イノボロス=ドュナーレ神は自身の左手を持ち上げた。その後ろで、手の形をした大きな青黒い影が浮かび上がる。
「はぁー。やっと? おっそいなぁ」
あからさまなため息を吐きながら、影をフェンリルまで伸ばす。影がフェンリルの体を鷲掴みにするような形をした。イノボロス=ドュナーレ神が左手を引くと、影もフェンリルから離れ、その中には赤いモヤの一部が握られていた。
満足気な笑みをイノボロス=ドュナーレ神が浮かべた、その時。
一筋の光が、イノボロス=ドュナーレ神の腹部を貫いた。
「え?」
目を見開いて、光が降ってきたであろう方向、背後をイノボロス=ドュナーレ神が見る。その視線の先で、同じようにノックスロヴァヴィス神やテネヴィウス神、プァレジュギス神が光の雨にうたれていた。
悲鳴は聞こえない。苦痛の表情も浮かべていない。ひたすらに顔に疑問符を浮かべ、力なくその場に膝をつく。
「アッハハハハハハハハ! 馬鹿だなあ!」
イノボロス=ドュナーレ神に劣らないくらい邪気のない、狂気の滲んだジョーカーの笑い声が、辺り一帯に響き渡った。
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