ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.307 )
- 日時: 2022/06/02 05:13
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 46h1u6ru)
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「はっ」
焼けるような喉の渇きで目が覚めた。ずっと荒い呼吸を繰り返していたらしい。つむじから足の先まで気持ち悪い汗で湿っている。もちろん、愛用の寝巻きも。
「ここは……いたっ」
頭痛がした。体がだるい。起き上がろうとすると、全身が痛んだ。この痛みには覚えがある。筋肉痛だ。
でも、その痛みはすぐに意識の外へ追いやられる。痛みを忘れるくらい不可解な状況に置かれていた。
ボクはベッドの上にいた。一日の始まりと終わりを過ごす、淡い黄色と白色の、ボクの部屋のベッドの上に。
暗い部屋。カーテンの色も真っ黒で、今がまだ深夜であることは時刻を確認するまでもない。
怖いくらい、静かだ。
どうしてボクは部屋にいるんだ? もしかして、全部夢だったのか? そんなわけない。だって──
いや、夢だったのかもしれない。ボクがあんな風に怪物族と対等に戦えるわけないんだから。
とにかく、水が飲みたい。喉が渇いた。そう思ってベッドから降りようとすると、そばに机があることに気がついた。机と言ってもあまり作りがしっかりしているものではない。小さなもの、軽いものを置くことを想定して作られたものだ。その上に、コップが置かれているのがぼんやりと見える。暗くてよく見えないが、中に液体も入っているみたいだ。
自分が持ってきた記憶はないし、そもそもこの机自体別室にあったものだ。姉ちゃんが持ってきてくれたのかな。
後でお礼を言いに行こう。いまはまず、喉を潤したい。ボクはコップに手を触れた。
「え?」
驚いて、慌てて手を引く。ゆっくりコップは傾いて、机とぶつかりカツンと硬い音を鳴らす。コップの底がボクに向いている。意思のないそれが、ボクを拒絶しているかのように見えた。
「『当たった』んだよね」
コップが倒れたということは、そういうことだ。そういうことのはずだ。
当たった感触が、しなかった。
「え?」
疑問の音を繰り返す。おそるおそる、左手で右手に触れる。
──感覚がしない。
けれど、左手が右手に触れる感覚はする。右手の触覚だけが失われているんだ。
なぜ、どうして。一体、何があったんだ?
「あ……」
思い出した。【一撃必中】の代償だ。やっぱりあれは夢じゃなかった。現実のことだったんだ。となるとはじめの疑問に戻る。どうしてボクはこの部屋にいるんだ? ジョーカーに体を押されて落っこちて、満月を見たところまでは覚えているんだけど。
満月?
ボクはベッドから降りて、カーテンを開いた。外は真っ暗だ。月なんて欠片すら見えない。
「そう、だよね。今日は新月だよね」
自身を落ち着かせるために呟いてみる。
空に瞬く小さな星々。姉ちゃんは昼や朝よりも夜の空を好んでいた。よく空を見上げていた。ボクも一緒に。綺麗だと思った。美しいと思った。だけどもう、くすんで見える。あれくらいの景色なら、似たものを光魔法で作り出せると思ってしまう。光だけなら、生み出せる。
ボクは手を振って、暗い部屋に光を置いた。赤や、青や、黄。思い出せる限りの星座なんかも真似てみる。ほら、これと夜空と、なんの違いがあるって言うんだ。違うことといえば、本物の星の光とは違って部屋の中を微かに照らせることくらいだ。
その偽物の光によって、コップが乗っていた机の上に他のものがあることに気づいた。これは?
ボクはそれを手に取った。手袋だ。白い手袋。防寒具としての機能は足りてない。それにしては生地が薄い。どちらかと言えば、ファッションの一部として取り上げる部類のものだ。模様も飾りも一切ない、どこにでも売っていそうなものだ。
どうしてこんなものが? 私物どころか、これを見た覚えすらない。姉ちゃんの忘れ物かな。だとしたら、届けないと。でも、手袋なんてつけてたっけ?
部屋の光を消して、ボクは部屋を出た。廊下は部屋の中よりもさらに暗い。床が軋む音がやけに耳に残る。
姉ちゃんは、どこだろう。部屋にいるのかな。まずはそこに行ってみよう。
今が深夜であること、つまり深夜に訪れることが迷惑になることを忘れ、ボクは姉ちゃんの部屋に向かった。花園家は大陸ファーストの中でも屈指の名家だけど、この家はあまり大きくない。本家と比べても、一般の民家と比べても、狭いとまでは言えないが、広くはない。だから、ボクの部屋から姉ちゃんの部屋までの距離は短い。三十秒もすれば姉ちゃんの部屋の扉の前まで辿り着く。
コンコンコン
三回ノックして、反応を待つ。返事はない。
「姉ちゃん?」
問いかけてみる。返事はない。
「っ!」
嫌な予感がした。なんで? なんでいないの?
また、どこかへ行ってしまったの? そんな、まさか! いやだいやだいやだいやだ!!!
急激に低下する体温と、激しい喉の渇き。精神と身体の両方から来る不快感に耐えかねて、ボクは叫んだ。
「姉ちゃん!!」
直後、廊下に薄明るい光が満ちた。ボクの魔法じゃない。これは──
「どうしたの」
ふと、すぐ横から声がした。驚くよりも前に、言葉を発するよりも前に、声の主にしがみつく。
力加減を気にせずに抱きついたから、姉ちゃんはちょっとだけ不安定に体を揺らす。けどすぐに建て直し、ボクの背中に手を回した。最近、姉ちゃんはよく抱き締め返してくれるようになった気がする。
「姉ちゃん……ッ」
「うん」
自分の手が震えているのがわかる。左右の手で感覚が大きく違うのが気持ち悪い。でもそれ以上に、姉ちゃんの声が、心地いい。姉ちゃんは、冷たくて温かい。
「ここにいるよ」
姉ちゃんの手が動いた。ゆっくり、ゆっくり、ボクの背中をさする。そのおかげか、だんだん気持ち悪さがおさまる。
「朝日、具合どう?」
「具合?」
なんのことだろう。姉ちゃんとくっついたまま、首を傾げて姉ちゃんを見上げる。暗くて姉ちゃんの顔はよく見えない。光を失った二つの瞳が、静かにボクを見つめていた。
視界いっぱいに姉ちゃんがある。その事実が嬉しくて、ボクは姉ちゃんの胸に顔を擦りつけた。姉ちゃんから心臓の音は聞こえなかった。
「熱があったから」
そう言いながら、姉ちゃんはボクの額に手を置いた。冷たさがボクにも移る。姉ちゃんの体温がボクに移る。
「そうなの?」
「うん。でも、良くなってる」
言いながら、姉ちゃんの手が離れた。同時に、体も離してボクから距離をおく。……部屋に戻れって、言いたいのかな。
「姉ちゃん、また受け取ってもらえなかったの?」
まだ姉ちゃんと話していたくて、まだ姉ちゃんのそばにいたくて。姉ちゃんが歩いてきた方向の先にある部屋を頭に浮かべながら、姉ちゃんに尋ねた。
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