ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.308 )
- 日時: 2022/05/04 22:25
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: bAc7FA1f)
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ボクたちの両親は、あの事件の日に亡くなった。ある意味必然に、ある意味偶然に起こったあの事件。姉ちゃん曰く、両親、特に父さんはこの世に心残りがあるらしい。きっと、ボクたちのことだ。そう思う理由は、ある日を境に姉ちゃんが日課としている行動にある。姉ちゃんが寝る前に毎晩行っている、名前はよく分からないあの行為。
家の奥の、姉ちゃんの部屋と同じこの階の、階段から一番離れた部屋には、両親の生前の思い出の品々が積まれている。部屋の中央には、当初床なんて見えないほど荷物が押し込まれた中に無理やり空間を作り、魔法陣が描かれている。何も知らない人が初めて見れば、それはそれは異様な光景だろう。この家に帰ってきたその日に確認してみると、毎日毎日行っているからか、部屋は随分と片付いていた。残っていたものは、ボクとはあまり関係が深くないものばかりだった。
「うん」
その品々は、ボクが産まれる前、花園家が最も暗闇を抱えた時期の思い出を閉じ込めたものだった。三人が揃って描かれた絵画や、姉ちゃんが幼少期に来ていた服や、姉ちゃんが昔買い与えられたおもちゃや。
「もう、捨てることにした。……燃やす」
やや口にするのをためらうように、姉ちゃんは言い直した。
「燃やしちゃうの?」
「母さんは十分妥協してくれた。私も、邪魔だし燃やしたかった。父さんが拒んでいた」
姉ちゃんは、直接的なものではないけど死者との意思疎通も可能なんだそうだ。それは両親も例外ではない。そもそも遺品を含む思い出の品の移送は父さんが望んでいたことらしく、母さんも姉ちゃんも乗り気ではなかったらしい。これは単なる予想だけど、母さんは乗り気でないどころか拒絶までしていただろう。姉ちゃんを思い出させるものを、あの人は視界にすら入れたがらないはずだ。
「そっか」
ボクは姉ちゃんの言葉に異論はない。姉ちゃんの意志なら、ボクは全てを受け入れる。思い入れがあるものなんて一つもないし、なんなら、ボク以外の姉ちゃんの家族を思い起こさせるものなんて必要ないとさえ思う。姉ちゃんの家族はボク一人だ。母さんも父さんも、姉ちゃんの意識の中から消え去ってしまえ。姉ちゃんには、ボクだけがいればいいんだから。
「部屋に戻って」
姉ちゃんは話題を変えた。
「寝て、休んだ方がいい。熱は下がったけど、回復し切ってはいない。魔法で直すよりも自然に治すべき」
ボクは頷いた。
「わかった」
姉ちゃんにおやすみを言おうとした直前に、思い出した。そうだ、そもそもボクは手袋を返しに来たんだった。
いつもの癖で、聞き手である右手で手袋を姉ちゃんに差し出す。
「姉ちゃん、こ──」
べちん、と手袋を床に叩きつけた。別に、これが目的の行動ではない。目的は、右手を姉ちゃんから隠すこと。手を早く動かすことを優先して、手袋を掴む力を緩めてしまった結果だ。
どく、どく、と、と心臓の拍動が足の底まで響く。驚愕、恐怖、負の感情がぐちゃぐちゃに潰されて、かき混ぜられて。気持ち悪い。吐き気がする。頭が痛い。
ボクの右手は、真っ黒に染まっていた。日に焼けたなんて言い訳は通じない。日に焼ける季節ではないし、大陸ファーストの人間は日に焼けにくい。でも、そうじゃない。それ以上に、この黒さは日焼け程度で引き起こされない。
まさに、闇色。いつかにバケガクで、ジョーカーが呪いだと言いながら見せてきた、あの黒色。今着ている寝巻きは長袖なので腕がどうなっているかは視認出来ないけど、たぶん、同様に黒く染まっていることだろう。
これも、代償だ。皮膚の色まで変わるのか! 誤魔化しきれない。さすがにこれは、いくらなんでも姉ちゃんに問われる。なんて答えたらいい? どう答えたらいい? 真実を告げるべきか、嘘を吐くか。姉ちゃんは多分、真実を知っている。だけど、だからと言って自分の口から告げる勇気はボクにはない。嘘を吐けば、嘘を吐いたとすぐにバレる。どうしたら……!
ボクが動けずに固まっていると、姉ちゃんが屈んだ。手袋を拾って何度か叩き、ボクに差し出す。
「これ、あげる」
そう言って、言葉を切った。
「え?」
言葉の意味が見えてこない。どうして? なんで問わないの? この色が見えなかったの?
いや、違うな。見えなかったんじゃない。姉ちゃんがいまので見えなかったなんてありえない。意図的に、無視しているんだ。
それに、この手袋をボクにくれるということが、姉ちゃんがボクの手を認識している何よりの証拠だ。姉ちゃんのすることには必ず何か意味がある。だから、これは、きっと。
「……ごめんなさい」
突然、姉ちゃんは謝った。わけがわからずさらに困惑する。
「ごめんね」
泣きそうな顔と、震える声で、そう言った。
「どうしたの? 急に」
本当にわからない。何を謝っているの? 謝られるようなことはされてないはず。ボクは姉ちゃんになにをされてもプラス思考だから見落としがあるのかもしれないけど、少なくとも思い当たる節はない。
「──これまで、何も祝ってあげられてなかったから。誕生日も、入学も」
なにか別のことを言おうとして、それを飲み込むような言葉遣いで告げられた。えー。なにを言おうとしたの? どうして嘘を吐くの? 別にいいけど。ボクも吐いてるから、おあいこだ。
姉ちゃんがボクに、手袋を渡す理由としてボクがそう納得することを望んでいるのなら、ボクはそれを受け入れよう。いいよ、姉ちゃん。謝らないで。姉ちゃんから何かをもらえるなんてことはボクにとっての至福だし、姉ちゃんのいつもとは違う表情が見られたことも至福だから。なんなら、泣いてもいいよ。涙を見せて。言わないけど。
「大丈夫だよ、気にしないで? ありがとう。大事にするね」
右手は背中に隠して血が滲むほど固く握り、笑顔を浮かべて左手で手袋を受け取った。
「おやすみ、姉ちゃん」
笑えているかな。姉ちゃんはいま、何を考えているんだろう。わからない。姉ちゃんのことが、わからない。ジョーカーには姉ちゃんの情報と引き換えに協力していた、協力させてもらっていたけれど、結局なにもわからなかった。振り出しに戻ってしまった。また、情報を集めなきゃ。早くしないと。時間がない。
なんのために?
「うん、おやすみ」
姉ちゃんの返事を聞くなり、踵を返して自室に向かった。
疲れた。頭の中が複雑に絡み合った糸のようにこんがらがっている。たくさんのことがあったし、たくさんの疑問もあった。頭の中の整理をする前に、いまはまず、休みたい。
……嗚呼、喉が渇いた。
第二幕【完】