ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.310 )
日時: 2022/07/13 17:17
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: WfwM2DpQ)

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 六大家ろくたいけ。統治者のいないこの大陸ファーストにはそう呼ばれる六つの家がある。この地に生きる民は等しく清廉で潔白で、誠実。醜い欲も汚い争いもないこの地に統治者は必要なかった。ただ、代表が必要だった。唯一神々によって外界から隔離された大陸ファーストの民はいつしか外界と関わるようになった、交わるようになった。

 天宮あまみや、東、花園、八葉はば神杜かみもり月銀つきしろ

 数多に存在する家の中で、これらの家が六大家に選ばれた。代表が決まり、交易が始まり、時を経て混血が生まれ、大陸ファーストが汚れだした。汚れた血が大陸に流れたからなのか、元々この地に住まう人間が汚れていたからなのか、それとも他の理由なのか。六大家はあくまで大陸の代表でありその地位は他の家と大差なかった。しかしどうしてか格差が生まれ、差別が生まれた。全てが厳正に均整に保たれていた大陸ファーストには権力という名のカーストが設定され、明確な上下関係が誕生した。優秀な血は六大家に取り込まれ、気づくと神の意思すら、ボクたちは無視していたんだ。

 そんな六大家の中で、最も穢れた家が、東と花園だ。

 ボクと姉ちゃんは、かつての自宅にして花園家の本家の目の前に立っていた。中からは怒号や泣き声や、時々叫び声も聞こえていた。ボクがここを出た一年前も花園家は崩れかけていたけど、ここまで酷くはなかった気がする。一年しか経ってないのにな。ああでも、白塗りの壁も茅葺き屋根も敷地を囲む長い壁も、少なくとも見た目だけは綺麗なままだ。重苦しい空気に包まれているだけで、手入れはきちんとされているらしい。
「そういえば、姉ちゃん。手紙が来てから随分経つけどなんで来たの? 無視しても良かったんじゃない?」
 ボクはいまさら思い浮かんだ疑問を姉ちゃんに投げかけた。だって、その手紙って一か月前くらいに届いたものだし。あの口煩い連中が揃って姉ちゃんに唾をかけるのが目に見える。

「この手紙は、ただの口実だから」
「口実?」
「うん。ここに来るための」

 ボクの疑問は晴れなかった。なにかほかの用事があるってことなのはわかるけど、じゃあ、どんな用事?

「えっ」

 少し離れたところから、声が聞こえた。質素な緑の着物を着た二人の女性が、口元を手で押さえてこちらを凝視している。見覚えがある。花園家の使用人だ。名前とか担当場所までは知らないけど。
 二人はこそこそと言葉を交わし、一人は母屋へ、一人はボクらの元に駆けてきた。

「花園日向様、花園朝日様。おはようございます。いまご当主様の元へ人を行かせましたので、ひとまずこちらへどうぞ」
 使用人として鍛えられた美しい動作で、女性はボクらを家の中へ導こうとした。門から母屋まではそれなりに距離があって、母屋に行き着くまでに見かけない人達を見た。多分、花園家の人じゃない。というか、他所の家の当主だとはっきりわかる人が、その中に一人いた。がっしりした大柄の男。他大陸出身と思われる女を侍らせて、程よく肉のついた顔を苦々しく歪めている。その男は幼い頃見たことがあったけど、たぶん、見たことがなくてもどこの誰かは一目でわかっただろう。顔立ちこそ似ていないが、黄か橙か区別のつかない特徴的な瞳の色と、なにより雰囲気がなんとなく似ている。

 東 りん。東家当主がいるのなら、東蘭もここにいるのかな。いや、どうだろう。東蘭はバケガクに入学してからほとんどこっちに戻ってないって話だったし。うーん、わからないな。
 姉ちゃんなら知ってるかなと思って、姉ちゃんを見てみる。そんなに気になってたわけじゃないけど、なんとなく。姉ちゃんの表情に感情は浮かんでいなかった。ただ、じっとどこかを見つめている。その視線の先に、答えがあった。
「日向!」
 バケガクの制服を着た東蘭が向こうから走ってきた。視界に捉えたタイミングが悪かったのでどこからやってきたのかはわからない。
 東蘭はやや息を乱しながら姉ちゃんに話しかけた。
「会えてよかった。新聞見たか?」
「うん」
 姉ちゃんの言葉を聞くと、東蘭は少しだけ悲しそうに笑った。
「……そっか」
 けれどその笑みをすぐに消し、真剣な眼差しで姉ちゃんを見る。
「本当にやるんだな?」
『やる』って、何をだろう。そういえばさっき東蘭は『会えてよかった』とは言っていたけど、姉ちゃんがここにいること自体を驚いている様子はなかった。たぶん、事前に連絡をとっていたんだろう。それなら、普段大陸ファーストにいない東蘭がここにいる理由もわかる。姉ちゃんに呼ばれたんだ。でも、なんで?

「やりたくなければやらなくてもいい。私一人でも出来る」
 突き放すように言った姉ちゃんに向かって、東蘭は怒りや悲しみや苦笑が混ざった、でもどれかと言えば怒りに近い表情を浮かべた。
「ただ確認を取っただけだろ。もちろんやる。というかそもそもおれがやりたいって言ったんだしいまさらやめるなんて言わねえよ。
 日向が望む未来のためなら、おれは何でもする」
 はっきりとそう言ったあと、東蘭がボクを見た。突然東蘭と目が合って、ボクは身構えた。
「朝日くんも連れて来たんだな」
 東蘭の視線がボクに定まっていたのはほんの数秒だけで、すぐに姉ちゃんの方へ戻った。
「うん」
「理由は……いや、なんとなくわかるしいいや。じゃあ、またあとで」
 そう告げるや否や、東蘭は来た道を引き返して駆けて行った。ボクたちも歩みを止めていた足を動かそうとして──また止めざるを得なかった。さっき母屋へ走って行った使用人が大慌てで母屋から飛び出して来た。その顔は恐怖一色に染まりきり、家の中で何かが起こったことは一目瞭然だった。

「だ、誰か!! 一葉ひとは様が!!!」

 一葉というのは花園家現当主で、おじいちゃんの弟の息子、いわゆるボクたちの従伯父いとこおじにあたる人だ。確か大叔父さんが、おじいちゃんが亡くなったときに空くであろう当主の座をずっと狙っていたらしく、実際に空いたとき、長年の根回しの成果で大した後継者争いも無くすんなりと一葉さんが当主の座についたらしい。少なくとも、前当主のおじいちゃんの孫であるボクが他人事のように語れるくらいには。
 で、その一葉さんがどうしたんだろうか。とりあえず姉ちゃんを見てみる。ボクの視線に気づいた姉ちゃんが口を開いた。

「魔物が出た」

「へえ」

 姉ちゃんの口から飛び出した衝撃的な内容よりも、それを聞いて全く動揺しなかった自分に驚いた。

 大陸ファーストを囲む結界は世界最大規模のものだった。強度も大きさも。いままで大陸ファーストに魔物が出たことなんてただの一度もなかったことだ。ボクはどうしてこんなに落ち着いているんだろう。外で魔物に遭遇したことが何度もあるから? それとも最近色んなことがあって感覚が麻痺しているから?

 どうでもいいや。
 それと、そうか。母屋から悲鳴や怒声が聞こえてくるのは近い未来に待ち受けている戦争を恐れているからだと思っていたけど、魔物が出たからだったのか。そうだよね。結界の効果をまだ信じている呑気なあいつらが起こっていない戦争を恐れるなんておかしいと思ったんだ。それにしても、それなりに広さのある大陸ファーストの中で花園家の本家に魔物が出たのか。いや、もしかしたら他のところでも出てるのかもしれないけど。なんだか面白いな。

「行こう。おいで」

 姉ちゃんはボクに言う。姉ちゃんが何を言っているのかわからなくて、ボクは目を数回瞬きした。
「え?」
「中に用がある。朝日にもそれを見てもらう必要がある。そのために今日は連れて来た」
 わざわざ面倒臭そうな中に自ら入るのか。姉ちゃんにしては珍しいな。
「うん、わかった」
 別に、嫌なわけではないしね。

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