ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.311 )
- 日時: 2022/07/16 22:35
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: uqhP6q4I)
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母屋から飛び出して来たのはその使用人だけではなかった。いや、飛び出して来たと言うよりはこれはもう、家が人を吐き出した、と言った方が合っているかもしれない。色とりどりの着物を乱しながら大量の人が血相を変えて吐き出される。見苦しいほどに。これが六大家に選ばれた家の人間の行いなのか。花園家って祓魔師の家系じゃなかったっけ? 魔物が出たならどうして祓わないんだ。そりゃあ魔物祓いが専門外の祓魔師は多いだろう。祓魔師の大半が得意とするのは悪魔祓いだ。魔物と悪魔では祓魔の勝手が違うということは知識としてだけではあるけれど知っている。でも、魔物に対抗する手段が全くないわけがない。
「退け! 退かないか!!」
その声を聞いて思わず顔をしかめたのを自覚した。大叔父さん──四葉さんの声だ。苦手なんだよねあの人。やたら偉そうだしそれ以外にも色々、波長が合わないというか。
人がほとんど吐き出されてから、四葉さんは両肩を男の使用人に支えられた状態で出てきた。無地の紫の着物はしわだらけで髪も崩れ、顔もしわくちゃ。老いを体の節々から感じられ、無様なことこの上ない。
「行こう」
出てくる人が少なくなってきて、ボクたちが家に入れるだけの余裕が生まれてきた。姉ちゃんがボクの右手を引いて歩き出すと、また四葉さんが叫んだ。
「この忌々しいネロアンジェラが!! お前のせいだ! お前のせいでッ!!!!」
ネロアンジェラ。姉ちゃんの名前を呼びたがらない大人たちがつけた蔑称。『黒い天使』という意味で、姉ちゃんの外見が天使族とよく似ていることからつけたものらしい。姉ちゃんの美しさは大人たちも認めているんだ。
姉ちゃんを探して、叫ぶだけの気力があるのか。大したものだ。そんなことしてないでさっさと逃げろよ。目障りだ。
姉ちゃんは四葉さんに近づく。あ、違うな。四葉さんにじゃなくて、玄関に、か。
「全てはお前のせいだ!! わしがどれだけ苦労したと……思っ」
四葉さんは唐突に膝を地面について嘔吐した。気持ち悪い。吐瀉物は真っ黒で、同じものが鼻から目から、身体中の穴という穴から這い出てきた。四葉さんの体はあっという間に黒いものに覆われた。
「キャアアアアアッ!!!!!」
それを周りが見て、また悲鳴が上がる。
「うげぇ、きもちわる」
ああ、声に出ちゃった。まあいいか。
姉ちゃんは四葉さんを見つめていた。そしてふと、呟いた。
「あなたと私は、似ているのかもしれない。
どうして、救いたいと思えないんだろう」
似てる? 姉ちゃんとこいつが? え、どこが?
姉ちゃんはすぐに四葉さんから目を逸らし、ボクの手を引く。逃げろ、なんて忠告の声すら聞こえない。周囲の人間は、姉ちゃんを疎んでいる。身内と呼べる全員は、ボクらを蔑んでいる。
開けっ放しの玄関から見える、中で蠢く黒い物体。あれが魔物。モンスターではなく魔物という名称の似合う、悪意や邪気の塊。それに臆することなく姉ちゃんは玄関をくぐり、手を引かれているボクもそれに続く。
母屋に入った瞬間、うるさい悲鳴なんかが聞こえなくなった。違和感がするほどに無音に包まれる。次にキーンと耳鳴りがした。耳が痛くなるくらいの静寂。それと、暗闇。何も聞こえない、何も見えない。
「姉ちゃん?」
自分の声もくぐもって聞こえる。
「あれ?」
おかしなことに気がついた。
姉ちゃんがいない。
取り残された。音も光もないこの空間に。なんで?
「姉ちゃん!」
右手では感覚がしないので左手で辺りを探る。左手で何かをするのはまだ慣れない。左手を伸ばして少し歩くと、ぬちゃ、と嫌な音がした。もう古いものとなってしまった一年前の記憶を辿ると多分この辺には壁があったはず。この感覚はなんだ?
肩から提げた鞄から杖を取り出す。恐れる気持ちを押さえ込み、杖の先についた水晶に魔力を込めて、辺りを照らした。
おぞましい光景が目の前に迫っていた。口から飛び出そうになった叫び声はそれを上回る激しい動悸に遮られる。
黒光りする液体が立方体の形でボクを囲んでいる。液体は流動性があり、大量の虫が蠢いているようで鳥肌が立った。それだけならよかった。まだマシだった。なにより恐ろしいのは液体に空いた無数の穴から覗く大量の目玉。橙や黄といった暖色の瞳を持った目玉だ。光を受けて数秒後、ギョロギョロとそれぞれ違う方向を向いていた目玉が、一斉にボクを睨んだ。
『……』
脳が言葉として受け取れない、不思議な言葉を聞いた。けれど何故か、なんとなく意味を理解出来るような気がする。
『……ケ』
聞き取れそうな気がする。しかしその猶予はなかった。足元が急にぬかるんで、ズッと足が沈んだ。足首までが見えなくなってしまった。この感覚には覚えがある。神界でテネヴィウス神が使った魔法によく似ている。床が足を包んで、自らが意志を持って這い上がってくるような感覚。あのときはどうやって助かったんだっけ。
そうだ、ジョーカーだ。ジョーカーが魔法陣を展開して、それで助かったんだ。じゃあ今回はそれは出来ないな。どうしようか。
そうこうしている間に横からも手が伸びてきた。左手に持っていた杖が絡め取られ、光が闇に呑まれた。直後、猛烈な恐怖に侵され、手足が震える。体温が急激に低下し、ボクは叫んだ。
「わあああああああっっ!!!」
もがいてもがいて必死に逃れようとするが、足はピクリとも動かない。
「ビ、ビリキナっ、助けッ」
鞄の中でうずくまっているはずのビリキナに声をかける。返事はない。ボクは鞄を開けて、鞄の口を下に向けた。
『……なんだよ』
ビリキナはゆっくりと上昇して、ボクの鼻の先まで来た。光を失った、下手くそな絵みたいな目と、以前のビリキナとはかけ離れた雰囲気。全く頼りにならない。それでも誰もいないよりはよかった。心細さがさっきと比べて雲泥の差だ。
『情けない顔してんじゃねえよ。自分が蒔いた種だろうが』
情けない顔をしたビリキナはそう言って、ノロノロと腕を動かし、ボクの顔に人差し指を向けた。
『これはお前の罪だ。贖罪だ。オレはもう、正直に言ってお前とは関わりたくない』
「なに、言ってるの? 冗談はやめてよ、行っちゃうの? ボクを置いて?」
『そういうところが嫌なんだよ。気持ちわりぃ。お前は面白いやつだったよ。前まではな』
腕をおろし、ビリキナが大きなため息を吐いた。
『違うな。お前が変わったことはあまり関係ない。お前の罪に巻き込まれるのが嫌なんだ。ただ、精霊であるオレは神には逆らえない』
そう言って、胸の前で両手を合わせ、祈るように手を組んだ。すっかり霞んでしまったビリキナの目が、まっすぐにボクを捉える。
『私は貴方に従いましょう。私の主にして、未来の神よ。
望みはなんだ。言えよ。少なくとも今はオレの方ができることは多い』
ビリキナの言葉の大半はよくわからなかった。とにかく助けてくれるってことだよね?
「たすけて! こわい、こわいよ。ここはもう嫌だよ……」
『わかったわかった。見苦しいから泣くな鬱陶しい』
「なっ、泣いてなんか!」
『ほんっと変わったよな、お前』
ビリキナは手を解き、脳が暗号としか認識できない呪文を唱えた。
『……』
パアンッ!
何かが弾ける音がして、暗闇は少し和らいだ。ボクを囲んでいた魔物は消えて、カランと杖が床に落ちた。
視界の先には、血みどろになってなおボクに近づいてくる『かつての』親類たちがいた。無理やり頬を持ち上げたような笑み。ぽっかりと空いた二つの穴。眼球は抉り出されたようでそこからの出血量が一番多い。それぞれが一歩進む度にぴちゃぴちゃと紅い飛沫が飛ぶ。
そう。歩いてくる人達は原型が多少崩れているんだ。でも、見間違えるはずがない。間違えるはずなどない。頭髪が薄くなってしまった頭に、大陸ファーストの人間ではやや珍しい彫りの深い顔立ち、年齢の割にはがっしりした体格。懐かしさと罪悪感が一度に押し寄せ、吐き気を催した。
「なんで、ここにいるの……じいちゃん」
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