ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.312 )
日時: 2022/07/27 20:39
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /JJVWoad)

 4

 じいちゃんがいつも浮かべていた優しげな笑みは、作られた狂気的な笑みに変わっている。歩き方もおかしく、足元はおぼつかない。まるで別人だ。
 そうだ。別人に違いない。じいちゃんがここにいるなんて、そんなわけがないじゃないか。ボクはじいちゃんの葬式に行かなかったけれど、大陸ファーストでは火葬が一般的だからじいちゃんの死体は燃やされたはず。だから本物のじいちゃんがここにいるなんてありえないんだ。だってじいちゃんは、ボクがこの手で、殺したんだから。
 別人だ。そうじゃないとおかしいんだ──そう自分に言い聞かせるけれど、心の奥で、目の前にいる壊れた人間はじいちゃんだと叫ぶ自分がいる。これは罰だと、この罰を受け入れるべきだと怒鳴る自分がいる。

「テンカイ・シールサークル」

 壊れた人間がそう唱えると、黒く光る魔法陣が出現した。それを見てドキリとする。偶然だろうけど、この【シール・サークル】はボクがカツェランフォートの屋敷で使った魔法だ。偶然だと思う、けど、どうしても暗示しているように感じてしまう。ボクの、『罪』を。

 魔法陣はボクが一度瞬きをしている間にボクの足元まで広がっていた。ギョッと目を見開く隙さえ与えられず、上の方向から凄まじい圧力をかけられ、ボクはその場に崩れ落ちた。
「ガッ」
 変な声が口から漏れた。ミシ、と不気味な音が地面についた腕から聞こえる。無理やり顔を上げると、壊れた人間は両手を掲げて黒い球体を生み出していた。たった一つ、しかも指先で転がせるような大きさだ。しかし脳内で『あれに触れてはいけない』と警告が鳴り響く。
 壊れた人間が手を振り下ろすと、その動作に合わせて黒い球体がボクをめがけて飛んできた。幸い速度は思っていたよりも遅く、重い体を動かす時間があった。間一髪で助かった──そう思ったのだけれど。

 ジュウゥッ

 肌が焼ける音と、焦げ臭いにおい。見ると、右手につけた手袋の一部が焼けて、じわりじわりと溶けていた。闇色に染まった醜い皮膚が顕になり、ゾクッと悪寒が背を撫でる。嫌悪感と、これは、そう、恐怖。じいちゃんに恐怖を抱いたことなんてあっただろうか。多少はあっただろうが、それは今この瞬間に抱いているものとはまた別の類のものだ。いや違う。目の前のアレはじいちゃんではないと、説得力のない言葉が強引に自分に言い聞かせようとする。壊れた人間は、もはや人間ではないのだと。人間の形を僅かに保ったなにかなのだと。自分が信じたいだけの現実を必死に念じる。

「ァァアアアァアアアアア!!!!」

 喉を裂く勢いで意味もなく叫び、その勢いのまま立ち上がる。ズシンと足をつけた衝撃で床に亀裂が走った。体にかかる圧力がさらに増す。でも今度は耐え抜き、ボクは鞄から投げナイフを取り出した。カツェランフォートの屋敷へ潜入するにあたって用意した、聖水を浸した投げナイフ。重みで手元が狂う両手に三本ずつ構え、乱暴に放つ。特に感覚のない右手から放たれた投げナイフが、いつもならありえないほど的外れの方向へ飛んで行く。だけどまぐれで正確に飛んだ投げナイフも全て不自然に軌道を変え、大きく弧を描いて戻ってきた。
 それらがまた手に戻るのかと言えばそんなことはもちろん無く、六本の投げナイフがボクの体を貫いた。

 鈍い痛みが体内で暴れ回る。

「あう……」
 ふと、ガチャンと投げナイフが大袈裟な音を響かせて落ちた。どうしたのかと見てみれば、投げナイフが突き刺さった右腕がどろりと焼けただれている。液状化した黒い肌が、雫となって床に滴る。
「ヒッ」

『アサヒ』

 壊れた人間が、ボクの名を呼んだ。

『オマエノセイダ』

 じいちゃんがそう言うと、波紋が広がるように他の壊れた人間も口々に言葉を零し始めた。
『クルシイ』
『タスケテ』
『アツイ』
『ツメタイ』

『コロ、シテ』

 ボソボソと呟くだけだったそれらの言葉はいつしか大合唱となり、ボクを飲み込もうとしていた。ザワザワと、ガヤガヤと。

「うるさいな」

 無意識のうちに言葉を吐く。突如、ずるんと腕が抜け落ちた。だけどおかしい。右手が動く。視界に映るこれはなんだ? 形状は確実に腕だ。まあいいか。
 ボクの意思に関係なく、右腕は急激に体積を膨張させ、粘性のある液体となった。【シール・サークル】に張り付き、魔法陣を床から引き剥がして破壊する。

『イマイ、マシイ』
 じいちゃんがぐるると唸ると、壊れた人間たちがボクに襲いかかった。飛びかかる者、突進してくる者、その全員をボクの右腕は覆い尽くす。自分の中で壊れた人間たちが動いている気配がする。なんだこれは。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

 右腕はもにゅもにゅと動いたあと、どぱっと赤黒い肉塊を撒き散らした。それはさっきまで人の形をしていたもので、完全に崩れてしまったものだった。
『コノッ、イマイマシイ!』
 じいちゃんの悔しそうな声は、もはやボクになんの感動も抱かせなかった。
 そうだ。クルシイのなら、もう一度楽にしてあげればいい。ボクにはそれが許されているのだから。

『オマエノセイデッ!!!!』

 じいちゃんの足元に再び黒い魔法陣が展開された。【シール・サークル】ではない。これは見たことがある。ボクはクスッと笑った。
「馬鹿だなぁ」
『……ιστή』
 祓魔の魔法陣。祓魔師であるじいちゃんが仕事をするところを何度か見たことがあって、これはそのときに展開していた魔法陣だ。

「じゃあね、死に損ない」

 ボクは魔法陣を乗っ取った。ボクの中の半分を占める聖なる力を魔法陣に流し込むと、黒い魔法陣は白い輝きを纏い、暗いこの空間を光で覆った。
 光はまるで陽炎のように、燃え盛る炎のように、じいちゃんを包み込んだ。

『コノイマイマシイネロアンジェラガァァァアア!!!』

 その断末魔を残し、じいちゃんは消えた。白い光も消え失せて、また闇がボクを取り囲む。その瞬間、ボクの脳内に大きな疑問符が浮かんだ。

「あれ?」

 いま、じいちゃんが──じいちゃんによく似た壊れた人間がいた気がしたんだけどな。見間違いかな? いやいや。少し考えればわかることじゃないか。じいちゃんなわけない。

 じいちゃんは、ボクがこの手で、殺したんだから。

 それに、ボクはじいちゃんの葬式に呼ばれなかったから正確には分からないけど、じいちゃんの死体は燃やされたはず。大陸ファーストでは火葬が一般的だ。だからあれはじいちゃんではない。幻覚だったんだろう。たぶん。
 そういえば、手袋どこかで落としたっけ? 左手はつけてる。外した記憶もないし。どこいっちゃったんだろう。

『ヒドイヨ、アサヒクン』

 鈴を転がしたような美しい、しかしどこか角張った不気味な声が背後から聞こえた。
 振り向くと、見覚えのある姿がそこにあった。
 体の大きさはビリキナくらい。ふわふわのショートボブの髪はクリーム色から黒色に変色していて、肌も枯葉みたいにくしゃくしゃだ。だけどやけにみずみずしい若草色の瞳が、異様なまでに存在感を主張している。背中の羽はなくなっており、代わりに黒いもやが羽の形をしてその精霊に──精霊だった存在に植え付けられている。

「リ、ン……」

 ボクはよろよろと後ずさった。そりゃそうだ。自らが手にかけた死んだはずの人物が続けて現れたら、それに対して抱く感情は恐怖以外の何物でもない。本当にあれがリンなのなら、さっきのじいちゃんも見間違いじゃないのかもしれないな。
『オボエテテクレタンダ』
 リンはケタケタと笑った。
『ヒドイヨアサヒクン。ワタシシンジテタノニ。ヤットジユウニソトヲミテマワレルッテオモッテタノシミニシテタンダヨ?』
 リンが言っているのは、ボクがリンを捕まえるために話したデタラメな話のことだろう。
 ボクはリンにこう言った。『ボクと仮契約を結ばないか』と。

 リンは焦っていた。外を見たいという想いから外に出てきたのに、姉ちゃんはリンに全く関心を示さず、なかなか自分がしたいこと、見たいことを叶えられなかった。そうこうしているうちに仮契約期間は終了し、いままで溜めてきた外の情報を忘れてしまう。
 ということをジョーカーから聞いて、リンに話を持ちかけたのだ。姉ちゃんとの仮契約期間が終了してすぐにボクと仮契約を結べば、リンは記憶を持ち越せる。当然リンは喜んでそれに承諾した。あっという間にボクに心を開いたんだ。

『ハジメカラコウスルツモリダッタンデショ? ズットワタシヲダマシテタンダヨネ?』

 そもそも、たとえ仮契約だとしても二人以上の精霊と契約を結ぶことは難しい。精霊は天使族と並ぶ『神に近い存在』。契約関係になると互いの力が互いの魂に作用するのだけど、その負担にこちらの魂が耐えられなくなるのだ。仮契約だろうが本契約だろうが魂にかかる負担の量は等しく、既にビリキナと契約しているボクがリンとも契約を結ぶとなると、単純計算でボクにかかる負担は倍増する。これは世間の常識とも言える知識だが、常識を教えられていないリンはこのことを知らなかった。その上姉ちゃんが二人の精霊と契約して、リン自身が姉ちゃんの契約精霊の一人だったから余計に信じてしまったんだろう。

『ヒドイヨヒドイ。アツカッタサムカッタツメタカッタイタカッタクルシカッタタスケテタスケテアツイクルシイコロシテコロシテコロシイタイテコロシテコロシテツメタイコロシテコサムイロシテコロシテタスケテコロシテコロシテコロシテコロシテコロシテコロシテコロシテ』

 これはもしや呪文だったのか。闇からボコッと音を立て、赤い液体が滴る巨大な触手が現れた。

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