ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.313 )
- 日時: 2022/07/27 20:41
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /JJVWoad)
5
何が起こったのか、数秒理解が遅れた。気づけばボクの視界は光に溢れ、母屋の一部は瓦礫と化していた。ボクの身体は地面を跳ねて、口の中で砂を噛んだ。途端に不快感がボクを追う。
おそらくボクは、窮屈そうに母屋から顔を出しているあの触手によって外に投げ出されたのだろう。正しくは顔じゃなくて手だけど。
外はこの短時間で随分人が減っていた。残されていたのは逃げ遅れた十数名と、ぐにゅぐにゅ蠢く黒い、スライムみたいな物体。なんだこれ?
「キャアアァアアアァァア!!」
あー、うるさいうるさい。叫んでる暇があるなら逃げろよ。まあ、それが出来ないから叫んでるんだろうけどさ。
『タスケテアツイアツイヨクルシイヨシラナイチカラガワタシノナカニハイリコンデクルノキモチワルイヨタスケテタスケテタスケテタスケテ』
リンの姿はどこにも見えない。きっとまだ母屋の中にいるんだ。でも声は聞こえる。ボクの頭の中に流れ込んでくる。念じるみたいに。罪の意識を植え付けるみたいに。
タスケテ、か。なら、また楽にしてやればいいのか? コロシテと望むなら、叶えてやろうか。うーん、めんどくさいな。そんなことをしてやる義理がどこにある? どこにもない。
『どうするんだ?』
ビリキナがボクに尋ねる。
「別に、何も」
『それでいいのか?』
「何その言い方。どうしたんだよ」
『いいや。お前がそれでいいならそうすればいい』
「なにそれ」
ボクは肩を竦めた。この感情は呆れに近いかな。ビリキナが何を言っているのかいまいちよくわからない。無視していいかな。いいよね。いっか。
『ただ』
無視をしようと意識を固めた直後。
『自分の一つ一つの選択が、後の自分を決めるってことを理解しておけよ』
「……なにそれ」
まあ、いい。それよりもふと気になったことがあるからついでに聞いてみようか。
「ねえ、君の名前は何だっけ?」
『は?』
黄色い髪の精霊は、ガリガリと頭を掻いた。
『ビリキナ』
ため息でも吐きそうな顔で答える。
『って答えでいいのか?』
「それ以外の答えがあるの?」
『わからないから聞いたんだよ』
「何言ってんだか」
『こっちのセリフだっての』
「?」
自分でも何の会話をしているのかが曖昧になってきたので、ビリキナから視点を移して意味もなく母屋の方を見てみた。
『ミ・ツ・ケ・タ』
腹を抱えてケラケラと無邪気に笑う、どす黒く染まったリンがボクの左目に手をかけた。
「う、わっ!!!」
急なことに驚いてバランスを崩し、尻もちをついた。
『ネエアサヒクンコロシテヨコワイ ヨアツイヨク、ルシ●ヨ』
リンの声はだんだん壊れていく。リンの肌に、枯れた葉のような茶色の肌に、じわじわと黒が滲む。
リンの体がどろりと融けた。
どぼどぼとリンの体からスライムみたいな液体が溢れて溢れて、リンの体が大きくなる。
……嗚呼。この光景には見覚えがある。
これはなんだろう。いまボクがおかれているこの状況は。なんだか、誰かに導かれているような気がする。何度も何度もボクの『罪』を連想させるものに遭遇する。
誰だ? 誰がそうしている? 何の目的で?
「姉ちゃん?」
忘れてた。いつの間にか姉ちゃんはどこかへ消えていたんだ。どこに行ったんだろう。まだ母屋にいるのだろうか。
『アサヒ』
目の前に、姉ちゃんがいた。名前を呼ばれたから、立ち上がりながら返事をする。
「なに? 姉ちゃん」
金髪に成り損なったウェーブがかった黄色の髪と、黒に近い中途半端な灰色の肌。バケガクの制服を着て、赤いネクタイを締めている。
『ドウシタラアサヒハクルシムノカナ』
ぐちゃぐちゃと汚い音をたてながら、口があるであろう部分が裂けた。笑っているように見える。
『アサヒノセイデワタシハクルシンダ』
姉ちゃんは言葉を続ける。
『コロシテコロシ コロ●タ イコロシテコ、ロシタスケコロシタス●コロシテコロシテコロ○タ コロシタイ』
「殺したいの?」
ボクは表情を作った。
「ボクを?」
にっこりと、笑ってみせた。
理由は、わからない。笑顔を作ったつもりだけど、自然と、あるいは無意識に浮かんだ表情なのかも。
「姉ちゃんが?」
姉ちゃんはボクの問いに答えずに手の平をボクに向けた。
『……』
聞き取れない呪文を姉ちゃんが呟くと、辺りに散乱していたスライムもどきが破裂した。
「がはっ」
破裂したスライムもどきがボクの腹に直撃して、再び膝をつく。見ると、着ていた制服にべったり黒い液体が付いていた。うわ、ブレザーは一着しかないのにどうしよう。
しかしそれは杞憂だった。液体は服に染み込み、ボクの身体に染み込んだ。冷たいゼリー状の液体が、ボクの血液と混ざり、魔力と混ざり、心臓へ魂へ送り込まれる。そんな感覚。
「はあ……」
気持ち悪い。
だけど。
どうしてだか、とても気分が高揚する。
気持ち悪いのに、心地いい。
「は……」
ボコボコと、水が沸騰する時に聞く音と酷似した音が右腕から重たく響く。
「ハハハハハハハッ!!」
右腕から黒い液体が噴き出し、辺りにボクの身体の一部が散らばった。
『アサヒ?』
姉ちゃんの顔に白い円が二つ浮かんだ。驚いている表情だ。でもすぐに表情を変え、ボクをキッと睨む。
『……!』
地面が割れて、赤黒い触手が出てきた。一秒足らずでボクの髪に触れたそれを、ボクの右腕は受け止める。
ズシャリ
グシャリとも違う独特な音が流れ、ボクの目の前で触手が弾ける。中から緑の水が漲った。ビシャ、と顔にかかった水も肌に染み込んで、ボクの体に混ざる。
いまもなお噴き出し続ける右腕が姉ちゃんを狙って伸びた。
『…………』
地面に出現した奴隷紋。姉ちゃんの体を中心として展開され、ボクも範囲内に入っている。
ボクの右腕は地面を殴りつけ、ボクの体は弾き飛ばされる。
「か、はっ」
背中を強く打ち付けて、喉から声が絞り出される。体が痺れるけれど、右腕だけは変わらず動き続けている。視界に映った右腕は姉ちゃんの奴隷紋を破壊しようと試みていた。さっきじいちゃんの【シール・サークル】にしたように奴隷紋に張り付き、引き剥がす。引き剥がした奴隷紋は──ボクの右腕に現れた。
逆五芒星の形に切れ込みが入り、ボクの右腕は粉砕された。
「えっ」
右腕の欠片が飛び散って、ボクの体にもかかった。不思議な感覚だ。明らかにおかしな状況なのにおかしいと思えない。むしろこの思考がおかしなものとして脳が処理する。
『アサヒ』
姉ちゃんの顔が崩れた。
『コレハバツダ』
肌の色に、白が差した。一滴の黄色が入り込み、崩れたはずの皮膚は人形を思わせる硬質な美しさを暗に語る。
『朝日の』
太陽の光を受けて輝く金髪が、春に近づきつつある優しい風に吹かれて揺れる。
『貴方の』
開かれたまぶたから、夏の晴天を閉じ込めた青眼が覗く。二つの青い目が、ボクを捕らえる。
『バ つ だ』
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