ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.315 )
日時: 2022/07/27 20:42
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /JJVWoad)

 7

 姉ちゃんはバケガクに着くと、馬車庫へ向かった。Ⅴグループである姉ちゃんは馬車の操縦が許されていないし、それはボクも同じだけどそもそもそれ以前に技術面で操れない。それに馬車は定期便があってわざわざ馬車庫に行く必要は無いから、何をしに行くんだろうと不思議に思った。

 それ以上に不思議なものが、そこにはあった。
 馬車庫に来ることは何度かあった。そこは第一館からあまり遠くない場所で、校門に入って右側、きちんと整備された道を歩いた先にそれはある。広い敷地を持つこのバケガクにおいて、馬車は不可欠な移動手段。定期便に乗るのもいいけど、Ⅱグループ以上の生徒は馬車の操縦が許されているので、そっちに乗った方が自由に動き回れる。愛想を振りまいておけば馬車に乗せてもらうことくらいは出来る。
 客車と馬車馬は、当然ながら違う場所に収納されている。いや、馬に収納という言葉は不適切か。休ませている、とでも言おうか。馬車庫は本来客車を収めている場所を指すけど、バケガク生徒は馬小屋も含めてそう呼ぶことが多い。けど、姉ちゃんは本来の意味の馬車庫に向かっている。生徒が馬車庫に用があるとしたら、大抵自分で馬車を操る時くらい。そういうときはまず馬小屋へ行って馬を借りたり色々面倒な手続きをする。時間はそんなにかからないけど、確実に面倒臭そうな、手続きを。なのに姉ちゃんはそれをしなかった。まっすぐに馬車庫まで歩くと、木製の扉に手を当てた。扉の向こうでがちゃんと重たい音がして、勝手に開いた。

 まだ冷たさの残るこの季節。でも、それ以上に冷たい空気が外へ流れ出た。思わずぶるっと身震いする。ボクはあまり寒さを感じる方ではないのに。

 ボクは目を見張った。不思議なものが、そこにあった。
 馬車があった。確かにここは馬車庫なのだが、ちがうのだ。『馬ごと』馬車があった。

 漆黒の馬車は、形だけはほかの馬車と同じだ。ああ、違うな。色だけが違うんだ。あまりにも異質でほかの馬車とはかけ離れていると錯覚してしまった。
 馬車には聖サルヴァツィオーネ学園の校章が刻まれている。だからバケガクが所有する馬車であることは間違いない。だとしても、ここまで黒い馬車は他にない。こんなの、見たことがない。

「姉ちゃん」

 なんとなく、どうしようもない不安に駆られ、ボクは姉ちゃんに手を伸ばした。
「行こう」
 姉ちゃんはボクの手を取り、歩こうとした。けれどボクの足は動かない。姉ちゃんがボクを見て、首を傾げた。
「どうしたの」
 それから少しして、言った。
「怖い?」
 ボクは頷いた。姉ちゃんは数歩歩いた足を戻して、ボクのそばに来た。
「これは、Ⅴグループ寮へ行くための馬車。グループごとに、寮が分かれてるのは、知ってる?」
「うん。見たことはないけど、建物の造りとかも全然違うんだよね?」
「そう。個人の能力によって必要な設備は変わってくる。だからグループで分かれてるんだけど」
 冷たい風が、ボクらの間を通り抜けた。

「クラスでいいと思わない?」

 姉ちゃんがボクに、馬車に乗るよう促した。今度は逆らわない。そういえば、馬に取り付けられている馬具の色は鮮血に近い赤色だ。

「それは、ボクも思ってた」

 馬車の中は、思っていたより明るかった。外から見た時は窓なんてないように見えたけど、大きな吹き抜けの窓が空いている。
 ボクと姉ちゃんが隣合って座ると、馬車はのろのろ動き出した。
「あれ、御者っていたっけ?」
 確かボクが見たときは、御者席は無人だった。いくら大人しく従順な馬でも、御者は必ずいるものだ。御者がいないのに動き出す馬車なんて、そんなの聞いたことない。
「必要ない。あれは、馬じゃない」
「そうなの?」
「うん。仮想生物」
「ああ、なるほど」
 それならまだ理解出来る。久しぶりにまともな仮想生物を見た気がする。仮想生物にまとももなにもないけれど、[通達の塔]の二人といいジョーカーといい、わけのわからない仮想生物に会ったから妙な安心感がある。自分が正しかったのだと、向こうがおかしかったのだと、安心する。

「ネクタイやリボンは、常時着用。それが規則」
 姉ちゃんが話を戻した。
「理由はいくつかある。貴族や平民を区別するためとか、クラスよりも大まかに分けるためとか。でも、それは全て表向き」
 ガタゴトと揺れる馬車の音が、やけに大きく聞こえる。この馬車の揺れはほかの馬車と比べるとかなり小さい。それなのにいつもより音が大きく聞こえるのは、普段賑やかなバケガクに、人がほとんどいないから。
「朝日の周りにも、何人か、Ⅴグループの生徒はいたよね」
 ボクは首を縦に振る。なんなら、目の前にいる姉ちゃんがそうだ。
「真白は、朝日にはわからないかもしれないけど、私やゼノイダがわかりやすい。Ⅴグループは劣等生のグループじゃない。素行が悪いという意味ではない、問題を抱えた生徒という意味の『問題児』のグループ」
 問題児?
「能力、境遇、体質、それ以外にも色々『問題児』と判断される材料はある。問題児なら誰でもⅤグループになる訳じゃない。保護が必要だと判断されるほど、個人の抱える問題が個人あるいは他者に害を及ぼす場合にその個人はⅤグループに位置づけられる」

 ガタン、ガタン、馬車の揺れる音がやけに目の前の光景の現実味を薄れさせる。手を伸ばせば届く距離にいるはずの姉ちゃんが、まるで画面の向こう側にいるような錯か──画面って、なんだ?

「木を隠すなら森の中。問題児バケモノ生徒バケモノの中に隠すための制度。それがグループ。劣等生というレッテルを貼る代わりに、学園がバケモノを守ってる。寮がクラスではなくグループで分かれているのも、Ⅴグループ寮だけが他の寮と隔離されているのもそれが理由」
 姉ちゃんは手の平を虚空に差し出した。赤い光が姉ちゃんの手に集まって、その上にⅤグループを象徴する赤いネクタイが落ちた。
「理事長に話はつけてある」
 白く細い指で優しく包まれたネクタイが、二つの選択肢とともにボクに迫った。
「どうする?」

 これはつまり、ボクにⅤグループに入れということか。確かクラスやグループの移動は年度が切り替わるときに行われるはずだが、何事にも例外は付き物だ。
 受け取らなければ姉ちゃんと寮が分かれる。受け取ればボクは問題児の仲間入り。さあ、『どうする?』
 悩んだ時間はほんの数秒だ。ボクはネクタイを受け取った。結論の決め手になったのは、うーん、なんだろう。姉ちゃんの言う『劣等生というレッテル』とやらが罪を償うために背負う十字架みたいに感じたのかもしれない。
「リボンの方が良かった?」
 珍しく姉ちゃんが冗談を言ったので、ちょっと口角が上がった。
「いや、これでいいよ」
 姉ちゃんがくれたものをボクが変更なんてするわけないじゃないか。
「そう」
 ボクは受け取ったネクタイを掲げた。光沢のある布に染め入れられた赤色が、どろっとボクの手を伝う。なぜか目を引かれる紅にぼうっと意識を飛ばしていると、突然ガタンッと大きく馬車が揺れて停止した。どうやら目的地に着いたらしい。馬車の扉が開いて外の景色が顕になる。

 周囲から隠すように敷地をぐるりと囲む背の高い深緑の木々、それらに日光を遮られ影を反射するこぢんまりとした重厚な漆黒の宿舎、粗い石が散乱する雑草だらけの荒れた地面。大陸フィフスで見たカツェランフォートの屋敷が放つものよりも重苦しい雰囲気に息が詰まる。冷たくはないが不快なほどに生ぬるい風が背をなぞる。寒くはないのに、体のあちらこちらがゾワゾワする。
「オマチシテオリマシタ」
 髪の長い少女の形をした赤い塊がボクたちを出迎えた。手のようなもの、足のようなものはあるがそれらの境界線は見当たらない。特有の淡い輝きを全身に巻き付けるこれが、一目で仮想生物だとわかる。本来仮想生物というものはかなり特徴的な見た目をしているものだ。……仮想生物って基本喋れないから、目の前の仮想生物が俗に言う仮想生物と同じものかどうかは怪しいところだけど。
「ワタクシノナハネイブ。コノリョウノホゴシャデス」
 ネイブは歓迎の意を示すように両腕らしきものを広げた。
「ヨウコソ、ガクエンノマクツヘ」

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