ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.316 )
日時: 2022/08/20 00:09
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 0vtjcWjJ)

 8

「マクツトイッテモミンナネチャッテマスケドネー」
 ネイブが飛び跳ねながらボクたちを寮の中へ招き入れた。あの馬車は気づいたら消えていた。
「寝てる?」
「ハイ。ア、デモオキテルコモイマスヨ」
 寮の入口である両開きの扉を小さな手で押し開けて、ネイブは呼び慣れた名を呼んだ。
「ゼノ、アタラシイヒトガキマシタヨー」
「はーイ」
 暗闇の向こうから、大柄な少女が小さく駆けてきた。見覚えがある。癖のあるくるくるの黒髪とそれによく似た色の瞳、焦げ茶の肌と全体的に黒い見た目をした怪物族。民族衣装らしい頭に被る白い布がより一層黒を際立たせる。ゼノイダ=パルファノエは驚いた顔をした。
「アサヒ?」
 友達ごっこの一環だ。ボクは左手をあげた。
「やあ、ゼノイ──」
 出てきた言葉を飲み込み、言い直す。
「ゼノ、久しぶり」
 ゼノは姉ちゃんを除けばバケガクで唯一気の許せる相手だ。もう会えないかもしれないと思っていた自分もいたから、また会えて嬉しい。会えなかったとしても特になんの感情も抱かなかったと思うけど、それとこれとはまた別の話だ。
「ヒさしぶり。どうシタの? どうしテネくタイの色ガ」
「ホラホラ、オシャベリノマエニマズハオキャクサマノアンナイデス。ワタクシハオジョウサマヲアンナイスルノデゼノハソチラノカタヲオネガイシマスヨ」
 ネイブは姉ちゃんを見て、「イキマショウ」と促した。それを確認した姉ちゃんは頷いて、ボクを見た。

「また後で」

 ボクは大きく手を振って、一度姉ちゃんと別れた。
「ねえアサヒ、ソれでどうシたノ?」
 ゼノは心配そうにボクの顔を覗き込む。そのときにふと気づいたように視線がボクの手に向いたけど、ひとまずは無視してくれた。
「どうしたって?」
「だカラ、アサヒはⅣぐるーぷだっタデしょ? ナんでⅤグルーぷのねくたイをツけてルの?」
 なかなか答えないボクにやや怒りを込めながら言葉を続ける。だけどその怒りはボクを心配してのことなのだろうと容易に想像できる。ボクは意地悪をするのはやめて、ゼノに話した。
「来る途中の馬車で、姉ちゃんにネクタイを渡されたんだよ。あ、ちゃんとボクにⅤグループに入るかどうかの意思確認はしてくれたよ」
「そうなんダ」
 そう返事をしたゼノだったけど、まだ納得いかない様子でうーんと唸る。
「でモ、そんなこトデきるの?」
 そんなこと、というのはきっと『年度が終わっていないのにグループを変えること』を指している。確かにボクもそれは気になる。何事にも例外はある。でもこんな年度の終わりが鼻の先であるこの時期に?
 今度はボクが唸った。しかしボクの口はあっさりと言葉を告げる。
「ボクがバケモノだから、いいんじゃない?」
「エッ?」
 ボクは右手の手袋に左手の指をひっかけた。ゼノも気になっているようだし、ボクがバケモノであることの証明にもちょうどいい。そう考えて手袋を外そうとした。だけど、右手の黒が見えた瞬間に手を止める。
 さあっと血の気が引いて、慌てて手袋を引っ張り黒を隠す。血の流れを激しくする心臓の音を聞きながらゼノの顔を見ると、きょとんとしていた。よかった、バレていない。

 危なかった。数秒前のボクは何を考えていたんだ。おかしくなっていた。おかしくなっている。ボクの頭は、ボク自身が、おかしくなっている。こんな気持ちの悪い肌を見せたら嫌われるに決まってる。ゼノは唯一無二の存在だ。恋愛感情とかそんなものは抱かない。あんな気持ちの悪い感情なんか抜きにして付き合ってくれるゼノは、失いたくない。別に失ってしまっても良いと言えば良いけれど、できることならそばにいて欲しい。これは恋愛感情じゃない。
 恋愛感情なんて冗談じゃない。教室にいると周りの奴らはボクとゼノが恋愛感情を抱いて付き合っているとか言って冷やかしてくる。反吐が出る。気持ち悪い。トラウマと呼べるほどのものでは無いが、ボクは恋愛感情というものに嫌悪感を抱いている。
 容姿とか能力とか家の権力とか、ある程度優れているボクに言いよる女は多かった。じいちゃんや姉ちゃんみたいに背が高くないのでまだマシだったかもしれないがそれでも多かった。多いと感じた。本当にボクに恋愛感情を抱いていたのかわからない奴もいた。でも、抱いてるとか抱いてないとかそんなことはどうでもいい。ただひたすらに気持ち悪かった。
 相手がボクに恋愛感情を抱いているかどうかは大抵すぐにわかる。わからないのもいたけど。男女の友情は成立しないとかいうあれが本当なんじゃないかと思うくらいあいつらの態度は両極端だ。でもゼノは違う。あの純朴な瞳に何度救われたことか。それに美しさを感じたことこそないが、気持ち悪いあの連中と比べれば月とすっぽんほど違った。

「もウ一ついイ?」
 ゼノが疑問符の残る顔をボクに向けたまま言う。
「ん、なに?」
 問い返しながら、感情が揺れた。ゼノの視線がボクの右手に向いているのに気づいたから。冷や汗の不快感をゼノに気づかせないように笑顔を取り繕う。
「そのテ袋ってあたラシク買ッたの? 格好イイネ」
 幸いゼノは何も気づいていないらしい。にこにこしながら手袋を褒めてきた。ボクはほっとして、繕った笑顔を安堵と共に本物に置き換えた。
「うん。姉ちゃんにもらったんだ」
 ゼノは羨ましそうに、へぇと言うだけでそれ以外に何も言わない。

「ア」
 ゼノが呟いた。
「ごメんね、早く部ヤにあン内しなきゃ」
 焦ったようにゼノはボクの手を引いた。と言っても手を繋ぐわけじゃなくて、動き出す合図としてボクの腕の裾を少し引っ張った程度。それを受けてボクはゼノの後ろを歩いた。ボクたちは身長差が激しいけど歩調の差にストレスを感じたことはない。ゼノはのんびりした性格なので自分でも歩くのが遅いと語っていたが限度があるだろう。ゼノがボクに合わせてくれているのは考えるまでもない。
「静カニ歩いてネ」
 歩いている途中に前を歩くゼノが振り返り、口元に人差し指を立てた。
 階段を上がったところでそう言われた。目の前にはずらりと並ぶ頑丈そうな扉。廊下に光はほとんどなく、夜目の効かないボクには厳しい条件だ。ん? いや、そんなことないか。案外見える。
 ボクは黙って頷いた。さっきネイブがみんな寝ていると言っていたから、その連中を起こさないように歩けということなのだろう。足音を極力たてないように気をつけながら暗い廊下を歩く。ボクはともかくゼノからも足音は聞こえない。気をつけているのはわかるけどそれでも意外だ。普段おっちょこちょいなのに足音は消せるんだ。
 ボクたちはしばらく歩いた。距離を考えても結構歩いた気がするがどうだろう。雰囲気に侵されて実際の距離よりも多く歩いたと勘違いしているだけかも。とにかくある程度歩いて、そこでゼノは立ち止まった。廊下の端。他の部屋は廊下を挟んで扉が向かい合わせに位置しているが、おそらくボクが入るのであろう部屋は廊下を歩いた方向に対し逆向きに位置していた。よって向かいというものは存在しない。こころなしか扉の大きさもちょっと大きい気がする。他の部屋と何かが違うと、ボクの本能は告げている。
 ボクの緊張に気づかず、ゼノは手に持っていた鍵を扉に差し込んだ。鳴った音はわかりやすく重たい。ガチャン、その金属音がなぜか、扉が開く音よりはボクを閉じ込める牢屋の施錠の音に聞こえた。やけに心臓が冷たくなって、緊張は解けた。

「オソイ!」
 扉を開けた先で、鱗粉にも似た赤い光を儚く散らすネイブが立っている。腰に手を当て、仁王立ちしていた。たぶん。実際に腰や手があるわけじゃないから人間の真似事だけど。ネイブはゼノに詰め寄った。
「ナニヲシテイタノデスカ? コンナニジカンガカカルナンテ」
「ご、ゴメんなさイ、ツイ……」
「ツイジャアリマセン。イマカラコノチョウシジャコマリマスヨ」
「はい……」
 ネイブの言葉に違和感を覚えながら二人を眺めていると、ネイブの首がくるりと動いてボクを見た。
「サアサア、ソンナトコロニツッタッテナイデドウゾナカヘ。ココガコレカラオキャクサマノオスゴシニナルヘヤデゴザイマス。ゴユルリトオクツロギクダサイ」
 やっぱり違和感がある。でもいまはそれを無視してネイブを見る。ネイブは不思議なオーラを放つ。ネイブがそばにいるとなぜか心が安らぐんだ。これがどうしてなのかは本当によくわからない。なんとなく姉ちゃんに似た雰囲気を感じるけど、それがなぜかもわからない。
「ゼノ、コチラヘ」
 ネイブはゼノのスカートを握って部屋を出ていった。本来なら手を握るところなのだろうが、身長が足りない。ネイブの背はボクの腰に届かない程度だ。

「さて」
 ボクは部屋の空気を吸った。じめじめはしてないけど、うーん、じわじわする。自分でも変な表現だと思う。でもそう感じるのだ。まるで暗いこの部屋に巣食う闇がボクの体を侵食して、染み込んでくるような感覚。

 右腕が、むずむずする。

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