ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.317 )
- 日時: 2022/08/20 00:10
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 0vtjcWjJ)
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突然、黒が動いた。
『久しぶりだね』
その言葉を受けて声を出したのはボクでありボクではなかった。
『はい』
『そんなにかしこまる必要は無い。キミはワタシの恩人に近い存在であるのだから』
『ありがとうございます』
黒は笑った。そう見えた。よく見えない。意識そのものに霞がかかったようだ。この感覚は、そうだな、夢だ。夢を見ているときに似ている。夢の中にボクとボク以外の誰かがいて、ボクが動いてるはずなのにそれをボクは第三者の視点で見ているような、あの感覚。ここにいるのはボクだけど、ボクじゃない。
『キミの仕事は最早終わっていると言っていい。後は時間が経つのを待つだけだ。キミは何もしなくていい』
『はい』
黒はボクに触れた。頬を撫で、額を覆い、目の縁に指みたいなものが当たる感覚がした。それに合わせてボクは目を閉じる。
『これは報酬の一環だ。遠慮なく受けとってくれ。それから、まだあの子のことを知りたいのなら、図書館に行くことをお勧めするよ』
目を開けると、そこに黒はなかった。代わりに見えたのは、並んで歩くネイブとゼノ。
「イイデスカ? ワタクシハアナタヲヒョウカシテイルノデス。アナタダカラオキャクサマノアイテヲタノンダノデスヨ?」
「案内を忘れていたのは、ごめんなさい。次からは気をつけます。でも──」
ゼノが言い淀む。ネイブはその背中を押した。もちろん物理的にではなく精神的に。
「ドウシマシタ?」
「えっと、どうしてあの部屋なのかな、と。他にも空いてる部屋はありますよね?」
今度はネイブが言葉を出し渋る。真実を隠すつもりはなさそうだが、どう話すべきかで悩んでいるらしい。
「『オキャクサマ』ダカラデス。アレハモウガクエンノセイトデハナイ」
「えっ?」
ゼノが困惑してネイブを凝視した。
「どういう意味ですか?」
「ソノママノイミデス。アナタモジキニシルトキガクルデショウ」
ゼノは納得したように見えない。さらに問い詰めるか否かを判断している最中、唐突に二人のそばにある部屋の扉が開いた。
「面白そうな話だネ、あたいも混ぜてヨ」
出てきたのはルーシャル=ブートルプ。深紫の短髪に柑子色の瞳と、派手、と言うよりも毒々しい色合いをした女。しかし体型も含め外見は整っていて、その毒々しい色は欠点ではなく立派な個性として溶け込んでいた。ここが寮ということもあり彼女は部屋着で、白い肌は見せつけるかのように汚らしく顕になっている。腕や太ももや胸元など。頭から飛び出した円錐状の黄色の角を見るに、鬼族であることは一目瞭然だ。
「ルーシャル、リョウノナカトハイエソノカッコウハイカガナモノカトオモイマスヨ」
「いいジャン。楽なんだヨ。ねぇねぇそんなことよりサァ、あの部屋埋まったんだネ。あたいはてっきり白眼が入ると思ってたから意外だったヨ」
ルーシャルが言うあの部屋とは、先程朝日が入った部屋のことだ。そもそもが特別製であるこの寮の中でも特に頑丈に作られたあの部屋は『要注意人物用』だった。あの部屋に入れられるほどの危険人物はそうそう現れないし、実際ここ数年間は空室だった。その部屋にあんな平凡な少年が入るなど誰が想像したことだろう。少なくとも朝日は見た目だけは歳の割に小柄で細身。危険どころかむしろ周囲から心配されそうな見た目をしている。
「まさかあんな可愛い男の子が入るなんてネ。好みじゃないけど結構美味しそうジャン」
ゼノがあわあわと口を動かすが、肝心の言葉が出ていない。そんなゼノを見かねてか、ネイブがルーシャルに言う。
「オキャクサマヲアノヘヤニオトオシシタイミヲカンガエナサイ。アナタガテヲダシテイイ『モノ』デハアリマセンヨ」
「モノ? 珍しいネ、あんたがそんな言い方をするなんテ。ますます気になるジャン」
ルーシャルはネイブの忠告など右から左へ聞き流す。ぺろりと舌なめずりをして、ゼノの眉間のしわが深まった。
「なにか文句でもあんノ?」
ゼノが向ける視線に気づいたルーシャルが声を荒らげた。
「いえ」
「なぁんか鼻につく言い方するネ。言いたいことあるなら言いなヨ、マモノオンナ」
怪物でもないバケモノでもないゼノに与えられた蔑称。ゼノの過去、すなわちゼノの姉のことを知る者はバケガクにおいて少数だが、長年共に過ごしている寮生だと隠し通すにも無理がある。魔物の家族なのだからお前も魔物だろ、ということだ。厳密には〈呪われた民〉は魔物でもなんでもないのだが。
ゼノはこの蔑称を嫌だとは微塵も感じていない。自分が慕う姉の家族であることを誇りに思っているからだ。呼ばれ出した当初は眉をひそめていたが、それは姉を魔物扱いすることが気に入らなかったからだ。
「コラ、ケンカヲウルノハヤメナサイ。ゼノハソンナチョウハツニハノリマセンヨ」
「ハイハイ。ネイブはうるさいナ」
鬱陶しそうにそう言いながらも、ルーシャルはニヤニヤとした顔を直さずにゼノを舐めまわすように見続ける。
「確か、あの男の子と仲良いんだよネ? あたいが手を出すと嫌な顔するってことはそういうコト?」
途端にゼノの顔は真っ赤になった。それは羞恥と怒りの感情が複雑に混ざりあった結果であった。先程ネイブに「ゼノハソンナチョウハツニハノリマセン」と言われたばかりだが、こればかりは言い返さねばゼノの気は収まらなかった。
「違います!」
「むきになってどうしたノ? そんなに強く否定するなんて逆に怪しいジャン」
「私と朝日は友達です。勝手なこと言わないでください!」
「ふぅン?」
ルーシャルが納得した様子は微塵もない。見下すような嘲るような目を隠さない彼女に、ネイブは大きく跳び上がって彼女の頭を叩いた。
「痛ァ!」
「イイカゲンニシナサイ、ゼノヲカラカウンジャアリマセン」
「なんであたいだけなのサ!? 虐待だヨ虐待!」
「アイノムチデス。ゼノハダイジナ、オキャクサマノオメツケヤクナノデス。アナタノセイデヤクヲオリルトイッタラドウセキニンヲトルノデスカ」
「お目付け役ゥ?」
ネイブは小さな見た目に反し、ルーシャルに相当なダメージを与えたようだ。ルーシャルは微かに涙目になりつつ頭をさすり、ゼノを睨む。
「このぼんくらにそんなこと出来るわけないヨ」
「ナントデモオイイナサイ。イキマスヨ、ゼノ」
「はい」
ボクは目を閉じた。瞬きをしてもう一度目を開くと、もうそこにゼノやネイブの姿はないし、もちろんルーシャル=ブートルプの姿もない。目の前にあるのはボクに当てられた部屋の大きな扉。これからなにをしようか、そんな疑問さえ浮かんでこないままにぼんやりと扉を見つめる。
「あのー……」
背後から声がした。誰かいたっけ? そう自問しながら声の主を確認する。
左右に広がった特徴的な形をした、銀にも見える灰の混ざった白髪と、赤青黄がそれぞれ混在する瞳の色。すらっと伸びた体に纏うものは色とりどりの派手な衣装。継ぎ接ぎだらけとも形容できそうなちぐはぐな服だ。腰を越える長い髪は性別を判断する材料には成り得ず、男にも女にも見えるし、なんならどちらにも見えない。よくわからない風貌だ。顔でも性別は判別できない。ただ、なんだか見覚えのある顔だ。
「驚かないんですねー」
「そういえばそうだね。で、誰?」
ボクが訊くと、そいつは答えた。左手を胸に当て、見本のようなお辞儀を見せる。
「申し遅れました。ワタシはジョーカー。イロナシと対を成すイロツキでございます」
なるほど。道理で見たことがあると思った。特にその馬鹿みたいな格好。白と黒のイロナシでさえ派手だったのに、そこに色が加わると目が痛くなる。
「なにしに来たの?」
「なに、と言いますかー」
イロツキは困惑したように微笑んだ。冷たい微笑だ。氷よりは極寒に晒した鉄と表現する方が適切だと思える、そんな冷たさ。
「ご相談に伺ったのです。そこの精霊をお貸しいただけませんか?」
「精霊?」
ボクは鞄から出て机の上に座っているビリキナを見た。イロツキに視線を戻して再び問う。
「ビリキナのこと?」
「はい」
「いいよ別に。好きにして」
二つ返事で了承したことを怒鳴ってくるかなと思ってもう一度ビリキナを見る。ビリキナは不自然なくらい体を強ばらせて固まっていた。よく見るとうっすら汗もかいている。どうしたんだろ。
「そうですかー! ありがとうございます! いやぁ助かったなー。なんせずっと一緒にいるんですもの。なかなか引き剥がせなくてー。いやはや流石でございます。貴方は二度も精霊を捕まえていてー」
イロツキの声は感情がわかりにくい。この台詞も何の意図で言っているのだろうか。本当に褒めているようにも嫌味のようにも聞こえる。どうでもいいや。
「さてさて契約主のお許しも頂いたことですしどこで話しましょうか? ワタシはここでもいいのですがー」
ビリキナは慌てた調子の声を出した。
『待ってくださいっ、場所を変えましょう!』
なにをそんなに焦っているんだ。そういえば反応からしてビリキナはイロツキのことを知っているらしい。イロナシの方はよく知らないみたいだったのに。
「ボクはいまから出るからここで話してもいいよ。勝手にして」
それだけ言い残して、ボクは身一つで部屋を出た。姉ちゃんの部屋はどこなんだろう。把握しておいた方がいいよね。ネイブに訊けばわかるかな? 前は学園長室の壁の中で過ごしていたって言ってたけど今回は寮にいるよね。ネイブが案内していたし。姉ちゃんを案内していたはずのネイブがさっきボクの部屋に先回りして待ってたということは少なくとも学園長室には行ってないはずだ。
部屋から出る直前、既に話を始めたイロツキの言葉を背中に受けて、ボクは部屋を後にした。
「あの方とあの御方、キミはどちらにつくつもりー?」
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