ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.318 )
- 日時: 2022/10/07 05:49
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: rrGGtC6v)
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「オジョウサマノオヘヤデスカ?」
まずはネイブを探そうと意気込んでいたが、呆気なく見つかった。一階に降りて正面玄関に行くとそこにいた。まあ確かに、仮想生物であるネイブに部屋なんか必要ないからね。ただ、少なからず人に近い姿をしたネイブが特に何もない空間にぽつんと佇んでいる光景は少し違和感がある。すぐに慣れるんだろうけど。
「うん。どこにあるの?」
「カゾクトハイエレディノヘヤニジゼンノモウシデモナクタズネルノハドウナノデショウネ」
ネイブは仁王立ちの真似をした。
「トイウノハジョウダンデス。オジョウサマカラ、オキャクサマガノゾマレレバヘヤヘアンナイスルヨウニトオオセツカッテオリマス。ドウゾコチラヘ」
ネイブはいつの間にか二人分の食事をふよふよと浮かせて、ボクの前を歩いた。
なんだよ。だったらはじめから素直に案内していればいいのに。変に勿体ぶっちゃって。口に出したりはしないけどさ、ちょっと面倒くさいよ。
「ジョウダンモコミュニケーションノイッカンデスヨ」
「え?」
ネイブが進む方向は階段の方ではない。姉ちゃんの部屋は一階なのかな?
一階の奥まで進むと、そこには下へと続く階段があった。なるほど、この寮には地下もあるのか。かなり大きな寮だな。そう思ったけどそもそもバケガクに通う生徒の数も膨大なのでなにもおかしくはないか。
「オキャクサマハオジョウサマガスキナンデスネ」
階段を降りながらネイブが言った。
「え? ああ、うん」
そうだね。ボクは姉ちゃんが好きだ。この世の誰よりも。昔からボクの一番は姉ちゃんのものだ。そして姉ちゃんの一番もボクであるべきなんだ。実際には、姉ちゃんはボクよりも笹木野龍馬の方が大切なんだろうけど。笹木野龍馬が消えてしまったいま、姉ちゃんの一番は誰なのかな。ボクだったら嬉しいけど、たぶん違う。なんとなく、そんな気がする。
「ナカガイイコトハヨイコトデス。オモイノシュルイコソチガエドオジョウサマモオキャクサマヲタイセツニナサッテイルノデショウ」
知ったような口をきくネイブに少々腹を立てつつ、ボクは頷いた。ボクが頷いた動作をネイブが確認することはないとわかっていたけど。
「大切にされている自覚はあるよ」
「ヒッカカルイイマワシヲナサイマスネ。ナニカキニナルコトデモ?」
ネイブはボクを見ていないと思っていたけど、どうなんだろう。歩いている方向と同じ方向に目鼻に当たるものがあると思い込んでいたが、もしかしたらこちら側に顔があるのかもしれない。そもそも全身が顔の役割を果たしているのかもしれないな。
「気になるってほどでもないんだけどさ。『家族として』大切にされているわけじゃないのはわかってるから、それがちょっと寂しいなって。それだけ」
「ナルホド。タシカニオジョウサマハオキャクサマヲカゾクトシテアイスルコトハデキマセンネ」
「改めて他人に言われると腹立つんだけど?」
「タニンデハアリマセンヨ。ワタクシハコノリョウノホゴシャデス」
「あっそ」
地下一階を素通りし、もう一つ階を降りる。地下二階に着いて、比較的階段に近い中途半端な場所でネイブは立ち止まった。
コンコン、コンコン
「オジョウサマ、オキャクサマヲオツレシマシタ」
静かな廊下に、ネイブの角張った声が染み込む。その声は女性的であったがやや低めで、聞いていて落ち着く声だった。
静かな廊下に、静かな扉の開閉音が鳴った。
「入って」
明かりらしい明かりもない暗い廊下に、存在を主張する美しい金髪が見えた。廊下の壁や床、部屋の扉の黒とは、正反対で異質な白い肌が気持ち悪いくらい妖艶だ。姉ちゃんの青眼と白眼にはやっぱり光や覇気がない。
「デハ、ワタクシハシツレイイタシマス。コレハオジョウサマトオキャクサマノオショクジデス」
「うん」
ネイブは姉ちゃんに食事を渡すと、静かに立ち去った。
姉ちゃんは黙って部屋に入ってしまったけど、扉を開けたままだし、さっき「入って」と言われたから入っていいんだよね?
「お、お邪魔しま、す?」
家族の部屋に入るのにお邪魔しますは他人行儀だし変かな。だけど他に適切な言葉を思い浮かばない。何も言わずに入るのも一つの手だけど、それはやめておいた方がいい気がした。
八年の月日を越えて家に帰ってきたあの日から、姉ちゃんの部屋に入るのにはなぜか緊張するようになっていた。昔から感じていた姉ちゃんとの距離が、長い時間が空いたことでより鮮明に自覚するようになったからだ。
場所が変わったからかな、いつもより緊張する。部屋の中は真っ暗で何も見えない。
「待って」
姉ちゃんが言った数秒後に明かりがついた。姉ちゃんの魔法だ。明かりがついたことでこの空間の全貌があらわになった。と言ってもボクの部屋と同じで移動したばかりなので物は少ない。明かりがついているにも関わらず廊下とよく似た暗い雰囲気の部屋。黒い壁に黒い床、灰色のベッドと机と椅子と。暮らすにあたって必要最低限の家具だけが揃えられた質素な部屋だ。本来ならここから家具を揃えたりするのだろうが、この家具たちは随分姉ちゃんに似合っていた。ネイブに渡されていた食事は机の上に置かれていた。
「座って」
姉ちゃんはベッドに腰掛ける。
「ここしかないから」
ボクは姉ちゃんの右側に座った。窮屈に感じないようにゆとりを持ってベッドに体を預ける。
「どうしたの」
姉ちゃんは目線だけを動かしてボクを見た。吸い込まれそうなほど澄んだ青眼は、光を失っているのに外からの光の反射で輝いて見える。
ボクはちょっと考えてから笑顔を作った。
「姉ちゃんに会いたくて」
「そう?」
「うん!」
せっかくだから何か話したいな。そうだ、特に興味はないけどこの寮について聞いてみよう。何から聞こう。不思議なことといえば『どうしてこんなに暗いのか』『どうしてここは隔離されているのか』『ネイブは何者なのか』、この辺かな。まだあるけどとりあえず。
「姉ちゃんはなんでここがこんなに暗いのか知ってる?」
姉ちゃんは数秒の沈黙のあと言った。
「さあ」
「知らないんだ」
「雰囲気じゃないかな。ここはバケモノの巣窟だから」
ふむふむ。確かにボクもこんな胡散臭い建物に自分からは近づきたくないな。
「それってここが隔離されているのと繋がりがあったりする?」
「そうだね」
今度の返事は速かった。頷くことなく肯定する。
「関連はある。でも逆。黒い見た目はバケモノから外部を守るためのもの、隔離は外部からバケモノを守るためのもの。バケモノと一言で言っても色々ある。破壊衝動や虐殺願望を常に抱いている人もいれば、物理的にも精神的にも魔法的にも弱い人もいる」
へー、ちゃんと意味があったんだ。
「じゃあさじゃあさ、ネイブは? なんでいるの? 寮の管理人なら人間でもいいよね。あいつも寮がバケモノの巣窟であることに何か関係があるの?」
仮想生物がああやって職を持っているところは見たことがない。仮想生物に与えられるのはあくまで役割だ。仮想生物を維持するためには術者は仮想生物に魔力を提供し続ける必要があるし、仮に永続で仮想生物を維持できたとしたら、僕たちは仮想生物に仕事の大半を押し付けて、しまいには廃れてしまうだろう。はじめは便利だと喜んだとしても、働くことをやめた生物は壊れる。便利なものでも適度に使わなきゃいけないんだ。魔法は便利なものだからこそ、慎重に向き合わなきゃいけない。
「管理人じゃない。保護者」
姉ちゃんから訂正があった。そういえばそんなこと言ってたっけ。保護者って親みたいだな。実際母親じみた言動もいくつかあったし。
「ネイブはこの寮だけにいるんじゃなくて、他の四つの寮にもいる。ここのネイブの体の色は赤で、他のネイブの体の色はそれぞれのグループを象徴する色に対応している」
あっ、ほんとだ。よく考えたら赤の魔力で作られたわけないからあの赤は意図的に付けられた色ということになるのか。
「なんで寮の保護者がネイブなのかは、学園の職員だから。学園で働く教職員の内、教員はこの地に生きる種族で構成されていて、職員はほとんどが仮想生物で構成されている。教員になれなかった少数の人が職員になっていることもあるけど」
聞いたことがある。バケガクは生徒、つまり子供だけでなく大人の面倒も見ていると。バケガクで働く人たちはバケガク卒業生であることが多い。その理由はバケガクに通うようなバケモノは社会に出ても就職先に困る場合が少なからずあって、バケガク卒業生じゃない先生も何かしらの社会一般で言う『欠陥』を抱えている。そして社会一般で言う『まとも』な先生の方が少ない。まともならバケモノが通う、社会的に評価の低いバケガクに勤めようなんて思わない。堅実で普通の生活を送ってきた人でバケガクに勤めたいと思う人は頭がイカれていて、やっぱり普通じゃない。図書館の番人さんや守人さんもきっと特殊な事情を抱えているんだろうと予想できる。あの二人もそうだし、バケガクの教職員は身元が不明な人が多い。
「仮想生物なら術者がいるよね。誰か知ってる?」
「理事長」
「だと思った」
自分で聞いといてなんだけど、じゃなきゃ誰が術者なんだって話だ。学園で働く職員の全員を把握しているわけじゃないが、学園の敷地の広さを考えれば大体の数は推測できる。その全ての仮想生物を維持し続けるなんて大量の魔力が必要となる。それこそ、そうだな、無尽蔵の魔力が。
……感覚がおかしくなっているのかな。一体の仮想生物だけでも永久に出し続けることなんてできないから学園の職員のほとんどが仮想生物だっていう言葉自体信じがたいもののはずなんだけど。
「理事長には底なしの魔力がある」
姉ちゃんは言う。
「言葉通りの意味。魔力を大量に保持しているわけじゃない。本当に制限がない」
一般的な思考なら学園長についてさらに追及するところなんだろう。魔力の底がない種族なんて聞いたことがない。だけど、ボクは学園長にさほど興味がなかった。
それよりも気になるのは。
「なんでそんなこと知ってるの?」
以前から思っていた。姉ちゃんに対する学園長の態度は、生徒に向けるものではない。姉ちゃんに敬語を使っていたし、姉ちゃんが学園に滞在していたときは学園長室の一部(?)を使わせていた。姉ちゃんがただの生徒ならそんなことはしないだろう。学園長自身に何かあるのは確実として、生徒としての姉ちゃんにも何かある。ボクはそっちの方が知りたい。
「在学日数が長いから」
「それだけ?」
姉ちゃんは沈黙した。だからボクは姉ちゃんの顔を覗き込んだ。言うことを悩んでいるのか、言う気がないのか、どっちだろう。
「まだそのときじゃない」
悩んでいるのか、その気がないのか、どちらでもないような表情を浮かべる。悲しそうで苦しそうな姉ちゃんの顔。いつもの無表情を崩すほどのことがいまこの瞬間に起こったのか? なにがあったんだろう。気付けなかった。残念。それにしてもそのときじゃないってどういうことだ? 教えてくれる気はあるってことでいいのかな。
「物事には順序がある。神が望む順序に従う必要がある。だからまだ、言えない」
「神?」
「うん」
「姉ちゃんは神と関係があるの?」
姉ちゃんはまた黙った。だが、今度はいつもの無表情で首を傾げた。
「朝日が言う神がどの神であるかによって、その回答は変わる。私が把握している神は四種類ある。関係があるという表現も曖昧で答えづらい。全種族と関係がある神もいる」
だからなんで姉ちゃんはそんなことを知っているの? 姉ちゃんは何者なの? 姉ちゃんは何を隠しているの?
「そうなんだ」
──じゃあ、姉ちゃんは神なの?
その問いを口に出す勇気は、ボクにはなかった。
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