ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.322 )
日時: 2022/10/07 13:02
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: Cnpfq3rr)

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 なんで、なんでいるの? だって、鍵は掛かっていたはずだし、鍵が開く音もしなかった。それに番人さんがいる。入れるわけないのに。なんで、スナタがいるんだ?
 困惑のあまり固まってしまったボクを放って、スナタはアハハッと楽しそうに笑った。
「ごめんね、驚かせるつもりはなかったんだけど。何読んでるの? ……へえ、キメラセル神話伝? 意外。朝日くんって神話に興味あったんだ。それとも」

 スナタはいつもと何も変わりない。灰がかった淡い桃色の髪に、思わず見とれてしまうような不思議な銀灰色の瞳の、気後れしない程度に整った顔立ち。小顔で行き過ぎない細身で、特別小さくはないけど大きくもない平均的な身長。姉ちゃんのように排他的なまでの美貌はないけど、一般的に見てかわいいと思われるような、親しみやすい外見。
 なのにボクの目には歪んで見えた。もちろん錯覚だ。気のせいだ。だけどそう見えるんだ。スナタの後ろでどす黒いなにかが燻っている。

「知りたいことでも、あるの?」

 いつも通りの柔らかい笑みを浮かべているけれど、目は笑っていなかった。スナタの瞳に映る光が、ナイフが反射する光に見えた。そんなわけないのに。仮にスナタが攻撃を仕掛けてきたとしても、ボクはスナタを返り討ちに出来る自信がある。男女差別をするつもりはないけど、女であるスナタが男であるボクに勝つのは少々難しい。性別の壁を壊すことができるほどの実力を持っているなら話は別だけど、スナタにそんな力があるとは思えない。
「あ、えっと」
 なのにどうしてだろう。底が見えない恐怖を感じる。こわい。こわい? 怖い? 恐い?
 あれ、どうしてだろう。気持ち悪い。
「朝日くんが知りたいことは載ってないかもね。神話はあくまで神話で、それぞれ個神のことは書いてないだろうから。ここにある神話伝は一般に出回ってるものとは内容が多少違うだろうけど、神話は神話だし」
 あたかもボクが知りたいと思っていることを知っているかのように話すスナタが不気味だった。言いようのない不安感に苛まれ、吐き気を催した。
「ワタシは、君には感謝している。お礼に教えてあげようか? お姉ちゃんもそれを望んでいるようだし」
「感謝?」
 なんのことだろう。スナタに感謝されるようなことをした記憶はない。それに、お姉ちゃん? スナタの家族構成は知らない。スナタに似た女性に会った記憶もないから、多分面識はないはず。

「うん。代わりに手を汚してくれてありがとう」

 満面の笑みで、そう告げられた。

「え?」

 意味がわからない。

「神は汚れた者を嫌うから。嫌われたくないもん。だからあの鬱陶しいアイツにも今まで手を出さないでいてあげたの。長く一緒にいれば情が湧くかなと思ったけど、やっぱり目障りだとしか思えなかったし」
「何を、言っ」
「え? わからない?」

 スナタはあくまで笑顔だった。その笑顔は『やっぱり』無邪気そのもので。

「リュウのことだよ。アイツをフェンリルにしたの、朝日くんでしょ? 知ってるんだから」

 言っていることはわかる。理解が出来ない。だって、あんなに仲が良さそうだったのに。
 そうだったっけ? 笹木野龍馬とスナタの仲が良好だと確信出来る出来事なんて、あったかな。そうだな、親しくは見えた。でもそんなの、いくらでも取り繕える。ボクが見てきた二人の関係に嘘偽りはないとどうして言える?

「そんなに驚くことかなぁ。朝日くんもわかるでしょ。ね・こ・か・ぶ・り」

 幼い子供に言い聞かせるように、一音一音をはっきりと発音しながらスナタは言った。
「ただのねこかぶりだよ。そっかー。君の目にも親しく見えたんだ。どう? 上手いでしょ、ワタシのねこかぶり」
 ふふっ、と楽しげにスナタは笑う。発言とあまりにも似合わないその表情は、美しさを感じると共に狂気が見えた。だけどすぐに笑顔は消えた。中の上くらいの顔はそのままに、右手の人差し指を顎に当てて、首を傾げた。
「うーん。ねこかぶりというより、うん、確かに『スナタ』は『笹木野龍馬』と仲が良かったね。それは事実。
『スナタ』が【意識跳失】なのも事実だし、『スナタ』は別に、二重人格ではないね」
 言葉を言葉と認識できない。音の羅列だとしか受け取れない。簡単に言うと、理解出来ない。スナタは何を言っているんだ?
「ワタシの個体名は間違いなく『スナタ』だ。だけどワタシは『スナタ』ではない。ワタシの魂に付属する名称は『名無し』。神の御意志によりこの世界にやって来た、〔異世界転生者〕だ。
 この場合の異世界の世界は、世界線の世界ね」
 なにがなんだかわからない。話し方からおかしくないか? まるで他人事のように話しているし、その割には中心にはちゃんとスナタ自身がいるように話す。

「あ、ごめんね。わたしばっかり話しちゃって。朝日くんも何かいいたいことあるんじゃない?」
 なにかどころか、聞きたいことだらけだ。乱雑に物が散らかされた部屋みたいに頭のなかがぐちゃぐちゃだ。出来ることなら今すぐにでも思考を放棄してしまいたい。
 スナタはボクを見つめている。それから、「ん?」とボクに発言を促した。

「あなたは──」
 何者で。
「姉ちゃんとは──」
 どういう関係で。
「姉ちゃんは──」
 何者で。
「異世か──」
 い転生とはどういうことで。
「ボクは」

 何を尋ねればいいんだろう。何から尋ねればいいんだろう。それすらもわからない。

「いまいちなにが聞きたいのかはわからなかったんだけど、とりあえずワタシは神ではない。
 お姉ちゃんたちは神だけど」
 自分が目を見開くのを感じた。お姉ちゃんって誰のことだ? だけどこれは確かだ。『スナタは神と繋がっている』。
「ありがとう、朝日くん。あとは君さえ消えてくれれば、ワタシは満足だ」
「え?」
 スナタが浮かべる微笑はまるで見本のような、いわば絵画に描かれている聖母の微笑だった。しかしその中に慈愛も慈悲も存在しない。冷たい冷たい無機質な表情。作り物とも思えないが、本心からくる表情とも思えない。

「ワタシはお姉ちゃんに戻ってきてほしい。あんなのお姉ちゃんじゃない、お姉ちゃんはおかしくなってしまった。本当にあいつは忌々しい。リュウってあだ名も元はワタシがつけたんだよ。ワタシたちがいた世界の神様の名前。あいつにあいつが知らないワタシたちの世界を見せつけてやろうとして与えた名前。あいつがワタシたちの中に踏み込んでこられないって教えてやるために出した名前だった。龍神様っていう神様がいたんだよ。
 なのにあいつはこう言った。ありがとう、って。意味わかんない。あの綺麗子ぶった精神が本当に嫌いなの」
「お姉ちゃんって誰なんだ?」
 ボクは言った。なんとなく予想はできているけど、はっきりと答えを告げてほしい。そう思ってスナタに問いかけた。しかし答えが返ってくることはなかった。スナタは顔をしかめて、さっきとは打って変わってイラついた声をボクに向けて放った。
「なんで敬語を使わないの? 誰に向かって話してるのかわかってる?」
 誰に向かってって、スナタではないのか? あ、そうか、スナタの具体的な年齢は分からないが、バケガクの制度上Cクラスであるスナタの方が先輩ということになっているからこの場合は敬語を使わなければいけなかったのか。
「すみません」
 ボクは頭を下げた。頭を下げることが恥だとは考えていない。自分を下げることも時には必要になることはわかっている。物事も円満に解決させるためにこちらが折れることも大切だ。しかしスナタは納得しなかった。眉間にしわを寄せたまま、見るとこめかみにも若干血管が浮き出ている。何をそんなに怒ることがあるんだ。普段温厚なスナタからは考えられない。本性はこうなのか? 案外怒りっぽいんだな。
「知ってる? ワタシの方が立場は上なんだよ。学園で先輩後輩ってだけじゃない。ただの人間であるお前と一つ上の世界から来たワタシではそもそもの次元が違うんだ。頭を下げるだけじゃない。本来なら手に手を床につけてひざまずくのが道理だ。ワタシがそれをしなくてもいいと許してやっている立場なんだ」
 スナタがなぜ姉ちゃんと仲良くしているのかが分からなくなってきた。こんな奴と姉ちゃんが友達であるわけがない。友達なのか、本当に? スナタはさっき笹木野龍馬を忌々しいと言っていた。もしかしたら姉ちゃんとも偽りの友好関係を築いていたのではないか? スナタが仲良くしていた人物といえば真っ先に思い浮かぶのは、東蘭だ。異世界転生とか魂とか言ってたっけ。魂と肉体が別物なのだとしたら、生まれ変わった時に性別が逆転していてもおかしくはない。まさかスナタが言うお姉ちゃんって東蘭のことなのか?

「お前は小さい頃からお姉ちゃんと仲良くしていたみたいだね。だからって調子に乗っているのかな。ワタシの方がお姉ちゃんをよく知っているんだから。ふざけるな」

 突然スナタはまた笑った。

「まあいいや。お姉ちゃんはもうすぐ戻ってきてくれる。あとちょっとなんだ。今までずっと努力してきたんだ。やっと心を開いてくれるようになった。その時になればわかるよ、お前が──お前も、ワタシにはかなわない、って」

「どういうことですか?」

 そうボクが言ったときには、もう、スナタは消えていた。ちゃんと敬語を使ったのに、答える気はなかったのか。

 窓なんてないのに、風が、さあっと音をあげて去っていった。ボクの手の中にあるキメラセル神話伝がぱらぱらとめくれ、白紙のページが開かれた。ページにはすぐに滲むように文字が浮き出た。他のページとは明らかに違う筆跡。
『神に選ばれた異世界人は、神を狂信していた。自らを神に捧げんとし、他の信者を敵視していた。異世界人はこう言った。我は神ならずして神より崇高なる存在である、と。名を持たぬ異世界人の魂は人の体に入れられた。人の身でありながら神と並ぶその姿に人々は恐れ……』

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