ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.323 )
日時: 2022/08/31 08:46
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: yZSu8Yxd)

 15

 さっきのスナタとのことがあってから、調べ物に集中できるはずなかった。ボクは一度図書館を出た。鍵をちゃんと番人さんの元に返し、誰もいない、教職員すら見当たらないバケガクの校舎の方へと歩く。世界で大規模な戦争が起こっているのだから、バケガクを含め全世界の学校は授業なんてものをしているわけもなく。登校する生徒もその生徒にものを教える教師もいない。探せばどこかにいるのかもしれないけど。平日なのに、いつもは生徒バケモノたちの賑やかな声で彩られるバケガクは頭痛がするほど静かだ。
 戦争はもはやカツェランフォート家と大陸ファーストとの間だけではなく、黒大陸と他大陸との戦争になった。兵士の数だけで競えるのなら、黒大陸は確実に敗北する。しかし戦争とは数だけの問題ではない。数が少ない分、一体一体の力が強いのだ。黒大陸は勢力を拡大し続けている。バケガクはこの戦争にまだ巻き込まれていないが、それも時間の問題だ。

 ガサッ

 それでもまだ危険はないと思っていた。それはまだ先だと思っていた。しかしそれは甘い考えだったと思い知る。木の葉の音がした場所を見ると、そこには見慣れない風貌の男が立っていた。それも一人じゃない。ざっと見て五人はいる。尖った耳と血色の悪い唇から飛び出た牙が、その五人の体格のいい男たちが黒大陸の住人であることを物語っている。森の中から現れた男たちに焦った様子は見受けられない。偶然ボクに見つかったわけではなく、初めからボクを襲うつもりで姿を現したのだろう。青黒い手にはナイフや剣、斧などが握られていた。ボクは自分の背に冷や汗が伝うのを感じた。明らかに成人だしバケガクの教員ではない。なのにここにいるということは黒大陸の兵士たちだ。ボクを襲うつもりで出てきたのなら、それはボクを殺すつもりということだ。
 武器、武器を取らなきゃ。逃げなきゃ。逃げる? なぜ? 逃げないなんて無謀だ。戦うなんて無茶だ。どうしてそう思う? ボクはカツェランフォートの屋敷に一人で乗り込んでイロナシからの指令を見事に果たした。カツェランフォートの血が流れる吸血鬼ともやり合ったんだ。こんな雑魚に恐れをなす必要なんてないじゃないか。そうだろう? ボクは体がとても小さい。それが戦いにおいて不利になることも多いけど、やりようによっては武器になる。体が小さいと敵は油断をする。その隙を突く。それは初撃でのみ活かせる。集中しろ。武器を取っている時間はない。魔法だ。魔法を使って──

「やれっ!」

 男の一人が合図をした。五人はいかにも戦い慣れている様子でボクに攻撃を仕掛ける。ボクはダンジョンに潜る時も基本ソロだから集団攻撃はしたことがない。学校の取り組みで複数人で潜ったとしても、攻撃するときは一人だった。危険度の低いダンジョンばかりだったからソロでも十分事足りた。自分でもやったことないのに集団攻撃に対して臨機応変に対応するなんて不可能に近い。
 落ち着け、集団攻撃なんてダンジョンのモンスターと同じだ。群れで行動するモンスターと。落ち着けば対処できる。ボクは大陸ファーストの人間だ。あいつらを処理する力はとうの昔に取得している。

 右腕が蠢いた。
 黒の隷属である黒大陸の怪物たちに効果があるのは白魔法だ。ボクは白魔法を使おうとしていた。白魔法というよりも、邪気を祓う聖なる奇跡。しかし、実際に起こった出来事は奇跡とは程遠かった。ボコボコと水が沸騰するような音が右腕から響き、ボクの右腕はずるんと落ちた。しかし腕がボクの肩から離れることはなかった。ドバドバとボクの肩は右腕であった灰色の液体を吐き出す。不規則で歪な弧を描き、ボクの右腕は男たちの内の一人に襲い掛かった。その軌跡の途中で液体が飛び散り、男たちにも地面にも、そしてボク自身にもそれがかかる。濁った黒に塗れて体の一部を変形させて戦うボクは、傍からは目の前の五人以上のモンスターに見えることだろう。

「な、なんだこいつは!」
 男が悲鳴に似た叫びをあげた、そりゃそうだろう、ボクが同じ立場だったとしても同じことをする。大陸とか種族とかそういう次元の話じゃない。ボクは人間ではなくなっていた。
 さっきまでの威勢はどこに行ったんだろうか、男たちはボクから逃げようとしていた。だけど、ボクの右腕は男たちを飲み込もうとする。これはボクの意思じゃない。勝手にボクの右腕が動いているんだ。こんなことしたくないよ。気持ち悪い。自分が自分じゃなくなるみたいだ。嫌だ嫌だ。人間じゃないみたい。みたいじゃないよボクは人間じゃない。嫌だ認めない。ボクは人間だよ。でも、認めたら、楽になるのかな……?

 暴れる灰色の液体を抑えることを諦めて、ボクはそっと目を閉じた。右腕の感覚はなくなったはずだけど、右腕が男たちの中の誰かに触れる感覚がした。いいよ。飲んでいいよ。もう疲れたよ。人間じゃなくなったっていいよ。疲れたよ。

「だめです」

 視界が黒くなって白くなって灰になった。
「自分を否定し続けることも良くないことですが、してはいけない肯定もあります。気をしっかり持ってください。貴方は大丈夫です」
 地面も空もなくなった灰色の世界に一人の青年が浮かんでいた。地面はないから立っていたとは言えない。身に纏う、体格にあっていない程にごついローブと、それに包まれる雪のように白い肌。光を吸い込む漆黒の髪と瞳は、混じり気のない純粋な黒に見えた。特に見目が整っているとは言えない平々凡々な見た目だが一つ一つのパーツが美しく、実際以上に綺麗に見える。
「貴方は大丈夫です」
 青年は繰り返す。青年の声は心に優しく響く低い声だ。男性らしい低い声。
「どうか恐れないでください。貴方は必ず救われます」
 視界が白くなって、黒くなって、ボクはさっき歩いていた森の中の道に立っていた。

 ガサッ

 物音がした方を見ると、怪物族らしい見た目をした五人の屈強な男が立っている。殺気立っていながらも冷静な目をした十の目がボクを捉えている。この光景は先程も見たものだ。一体どういうことだろう。
「やれっ!」
 男の一人が合図をする。
 何が起こっているのかいまいちよく分からないが、どうやら時間が戻ったらしい。わけの分からないことが起こるのはこれが初めてではない。とにかく今は目の前のことに集中しよう。
「【光魔法・閃光】」
 魔法とは世界にアクセスして情報を書き込む、または書き換える術だ。民族や個人によって無詠唱だったり長ったらしい呪文を唱えたりするけれど、要は世界にアクセスさえできればいいのだ。世界に対してどんな魔法を使うのかを伝えられればいい。
 ボクは魔法名を世界に伝えた。それだけで魔法は発動された。大陸ファーストの民にとっては基本の魔法ではあるが、世界全体にとっては高度な光魔法だ。当然黒大陸の民への効果は大きい。眩い光が手の平から打ち出された。
「ぐああっ!」
 ボクに一番近かった男が目を押さえて倒れ込んだ。しかし、天陽族であるボクがこの魔法を使うことはある程度想定されていたのだろう。なんせこの金髪だ。やっぱり天陽族の見た目は目立つな。有名だし。他の男達は目の前で腕を交差させて光を防いでいた。浄化の効果で多少のダメージはあるようだが、戦闘不能とまでは言えない。
 まだ聖水を浸した投げナイフは残っていたはず。あれを使えばひとまずここは乗り越えられる。
 ボクは鞄の中に左手を突っ込んだ。戦闘不能にこそできなかったが男たちの動きが止まっているいま、武器を取り出すチャンスはここしかない。手探りで投げナイフを取り出そうとすると、柔らかな感触が伝わってきた。

『痛ぇな、気をつけろ!』

「ビリキナ?!」
 ずっとカバンの中にいたのか? 気づかなかった。なんで今まで出てこなかったんだ。いや、いまはそんなことはどうでもいい。投げナイフを取り出さなきゃ。
『あ? なんだあいつら、鬱陶しいな。【フィン──】』

「お前はだめだ」

 どこからともなくさっきの青年の声がして、ビリキナの魔法はキャンセルされた。
『なんで、オレの魔法が』
 困惑している様子のビリキナを無視して、ボクは男たちに向かって投げナイフを投げる。投げナイフはボクが想像していた通りの軌跡を描く。
「セル・ヴィ・ストラ!」
 男のうちの誰かが叫んだ。青黒いもやが男たちの体を包み込む。おそらくあれは身体強化だ。カツェランフォートの屋敷にいた女も使っていた。
 男たちが持っている武器は全て近接武器だ。身体強化で脚力を強化して一気に間合いを詰めるつもりなのだろう。
 ボクは投げナイフを構えなおした。近接戦での投げナイフの切れ味はほぼないに等しい。だけどこの場合ナイフが、聖水があいつらの体に触れさえすればいいんだ。
 まず剣を持った男が突進してきた。大きく振りかぶって技を出そうとしていたのでボクは限界まで体をかがめて足にナイフを当てた。素早さなら負けないよ。自分の短所は把握してるんだ。戦えないときに逃げるために足腰は鍛えてるんだよ。
「なっ?!」
 左足が溶けた男は驚いた声をあげて転倒した。肉が焦げる匂いが鼻をくすぐる。もがく右腕を無理やり押さえつけて右手の投げナイフを左手に持ち替える。視界いっぱいに斧が真一文字に映り込んでいた。
「うわっ」
 力いっぱいに右足で地面を蹴って体を横にずらす。取り残された右腕が半分破損して飛んで行った。再生しようと右腕から灰色の液体が漏れ出る。まずい。また暴走する。いやだいやだ。ボクは人間のままでいるんだ。神になんてなりたくない。バケモノに成り果てるのは、いやだ!

「大丈夫」
 右腕が冷たいぬくもりに包まれた。

「貴方は大丈夫です」

 優しい声に侵される。暖かい言葉に意識を委ねて、導かれるがままに体を動かす。急に動かしたから右足が痛む。でもそれが人間である証のように感じられて心地いいんだ。痛いのも、辛いのも、悲しいのも、苦しい感情の全ても人間であるからこそなんだ。

 ボクは、人間でいたい!

「あ゙あ゙あ゙あ゙っ!」
 痛む足を、恐怖に震える足を奮い立たせ続けるために声を上げる。自分の存在の証明に。ボクはここにいるんだと世界に伝えるために。
 神よ、もしもボクを見ているのなら、どうかボクを見放してください。どうかボクへの寵愛を、やめてください。森羅万象の決定権を握る神よ。

「【浄化魔法・火焰光かえんこう】!!」

 いつの間にか右手に握っていた杖の先を残りの三人に向けて叫ぶ。これはボクが使える白魔法のうち一番強い魔法だ。解放された黒魔法は使わない。抗ってやる。ボクは黒に染まりたくない。
 真っ黒な手に握られた杖の水晶から、緋色の光が突き出した。炎にも見える光は四方に広がって三人を閉じ込める。
「ガァッ!」
 短い断末魔を残して『二人』が消えた。光の中に消し炭と化した二人が溶けていく。炎の中に黒が熔けていく。

「お前だったのか」

 突然、炎が木端微塵に粉砕された。残った一人が本当の姿を表した。その顔を見た瞬間に再び絶望に突き落とされた。青黒い肌は青白く、大柄な部分はそのままに筋肉質だった体はすらっとした細身に変化している。男性にしては珍しい、まとめてすらいない長髪は緑味のある青髪。切れ長の水色の目はキュッとつり上がっていて、その下の口は自信に満ち溢れていると言わんばかりに弧を描いている。あのときと似たような、黒大陸の貴族らしい煌びやかな衣装を纏っている。そんな格好でも戦えるという自負からか。
「あ、あ……」
「屋敷に侵入したのは花園日向だと思ってたけど、よく考えたら花園日向は天陽族の割に高身長だって話だったな。龍馬から一回くらい聞いたことあったけど忘れてたぜ」
 名前は雅狼だっけ。カツェランフォートの長男だ。
 ああ、神様はボクを逃がす気はないらしい。どうしてもボクに罪を押し付けたいらしい。なんで、なんでなの?
「投げナイフに聖水、天陽族。これだけの材料が揃ってて違うとは言わせねえよ? 龍馬の仇なんて臭いことは言わねえ。ただ、カツェランフォートの吸血鬼として汚点は潰す。侵入者であるお前は殺してやる」

「それは困る」

 青年の声がして、また視界が切り替わった。目の前が黒くなって白くなってあの灰の世界に立っていた。
「申し遅れました」
 青年はにこりと微笑んだ。
「ワタシの役割なまえはナイト、もしくはスペード。〈スート〉の一人です」

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