ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.324 )
- 日時: 2022/08/31 08:48
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: yZSu8Yxd)
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「は?」
ガロウ・カツェランフォートは呟いた。当然だ。花園朝日だと思っていた人間が花園日向に替わったのだから。驚愕と同時に畏怖の念に襲われる。吸血鬼という見目の優れた種族に生まれた彼でさえ、彼女は美しいと認めざるを得ない容姿をしていたからだ。彼は弟である笹木野龍馬の話を聞き流す程度に聞いていた。笹木野龍馬の口から花園日向の容姿の特徴は聞いていたし、新聞に描かれていたこともあった。しかし百聞は一見にしかずとはよく言ったものだ。想像以上だった。彼はいままで見てきた人々の中で彼女以上に美しい者を知らない。輝きを放つ真の金髪も、虚ろな瞳には似合わないくらいに澄んだ青色も、嫌悪の塊である白眼ですら、自ら膝をつきたいという思いに駆られるほどに美しかった。
しかし吸血鬼としての、カツェランフォートとしての、そして彼自身のプライドがそれを許さない。ガロウ・カツェランフォートは歯を食いしばり、怒鳴る。
「お前がなんでここにいる!」
花園日向は口を開いた。
「あなたと同じ。私も朝日に化けていた」
ガロウ・カツェランフォートは言葉に詰まった。自分と同じことをしていたと言われればそれ以上に追求出来ることは少ない。
「じゃあ、やっぱりお前だったのかよ。龍馬を消したのは」
花園日向は目を閉じた。そしてゆっくりと言葉を紡ぐ。
「そうだよ」
丁寧に真実と共に編み上げられた嘘をガロウ・カツェランフォートは簡単に信じた。ぎり、と歯ぎしりをして顔を怒りの一色に染める。
「なんのために?」
「理由はない。遊びというわけでもないけれど。一緒にいたら壊れちゃった。
それだけ」
「は?」
ガロウ・カツェランフォートは言葉を繰り返す。理解出来ないのも無理はない。壊れちゃった、なんて言い方だとまるで笹木野龍馬がモノのようだ。少なくとも笹木野龍馬の肉親に対して使う言葉ではない。
「龍馬に対して申し訳ないという気持ちはある。でもなんとも思っていない自分もいる。龍馬が龍馬として生まれた時点でワタシに利用されるという運命は既に決まっていたから。壊れることは決定事項であり、神が定めた決定事項であり、彼の宿命だった」
「なんだよそれ。どういう意味だよ」
花園日向は目を開けた。
「そのままの意味」
ガロウ・カツェランフォートは眉間にしわを刻んだ。彼女の美しさに対する恐れは少なくとも今は忘れていた。
「あいつはお前にずいぶん溺れていたようだった。九年前に『白眼の親殺し』の新聞記事を見たときから。花園日向は大陸ファーストの人間だ、最初はわけがわからなかった。いや、さっきまで。
いまはわかる。確かにお前は異質な存在だ。人を惹き付ける魅力がある。それは理解出来る。ただ心がない。吸血鬼とか人間とかそういうのを越えた生物としての心が」
ガロウ・カツェランフォートの言葉に腹を立てた様子は花園日向には見られない。ひたすらに淡々と言葉を並べる。
「自覚している。それにワタシは生物じゃない。だから生物の心なんてわからない」
花園日向は虚ろな瞳でガロウ・カツェランフォートを見た。何の感情もこもっていない瞳に晒されたガロウ・カツェランフォートは、なぜか突き刺されるような圧を感じた。思い出したように湧き上がってくる恐怖という名の感情に屈辱を感じながら必死に声を絞り出す。
「なに、言って」
しかし彼女はその声を無視した。何も描かれていない無垢なキャンバスのようにも感じられる無表情に、自虐的な笑みを書き込んでガロウ・カツェランフォートに話しかける。
「確かにワタシのしてきたことは罪に値するのでしょう。しかしワタシは罪がわからない罪悪感を感じられない。それを許されていない。ワタシに人としての心がないというのなら、ワタシに人としての心を持てというのなら、それを教えてほしい。ワタシだって知りたいよ」
彼女は涙を流そうとした、しかし出なかった。元々持っていなかったのか、それとも既に乾いてしまったのか。そんなことは彼女自身にもわからない。
「謝ることであなたの気が済むのなら、ワタシはいくらでも謝るよ。でも壊したくて壊しているんじゃない勝手に壊れていくんだ。そうしてワタシも狂っていくんだ。狂って狂って理性が戻ったとしても、既に壊れた環境に飲み込まれるだけ。ワタシだって苦しいよ」
それはすでにガロウ・カツェランフォートに向けられた言葉ではなかった。贖罪の真似事だろうか。彼女には償うべき罪はないのだからそれはどうしても贖罪には成り得ない。
「リュウには悪いことをしてしまった。勝手な期待を背負わせるじゃなくて、運命に飲み込まれたまま、さっさと世界を創ってしまえば良かったんだ。だけどワタシは望んでしまった、救われる未来を。自分勝手な妄想を彼に託してしまっていた。
許しを請えば、きっとリュウは許してくれるだろう。けれどワタシ自身がワタシを許せない。許したくない。全てに許されるままに時間を消耗したくない。ワタシだけはワタシを許したくない。罪を抱えて生きていたい」
ガロウ・カツェランフォートは黙って彼女の並べる声を聞いていた、それは、ガロウ・カツェランフォートが彼女の声に聞き入って言ったからではなく、なぜかそうすべきであると彼自身の本能が告げていたからだ。そうしなければ自分の身に危険が迫るという予感がしたわけでもないのだが。
「リュウは家族のことを大事にしていた。だからあなたは殺さない。大人しく、家に帰って」
ガロウ・カツェランフォートから口に栓がされたような感覚がようやくなくなった。口を開くことを許されたガロウ・カツェランフォートは溜まった鬱憤を吐き出した。
「ごちゃごちゃうるせえな。結局何が言いたいんだ。大人しく家に帰れ? んな事出来るわけないだろうが」
「そう、残念」
花園日向は右腕を突き出し、手の平を地面に向けた。手の平から生み出された黒いもやが辺り一帯に広がってやがて一点に集まり、ガロウ・カツェランフォートの足元に終着する。
「何だ!?」
黒い点と化した黒いもやは再び広がり、魔法陣を展開した。ガロウ・カツェランフォートにとっても見覚えがある転移魔法の魔法陣。
「さようなら」
「おい待て、まだ聞きたいことは……!」
「聞きたいこと。そんなものに答える義理はワタシにはない。あなたを生かしておくのは、あくまでリュウに対する義理だから」
そこで視界はシャットアウトした。させられたと言おうか、そっちの方が正しい。
「それを見てはだめです」
スペードが言った。
「それは神の力です。あの御方に与えられた力ですね。右腕もそうですし、もう使ってはいけません。きっと勝手に発動してしまうものなのでしょう。理解はしています。ワタシにも経験があることです。だからこそ言います。耐えてください。でなければ、貴方は神に堕ちてしまう」
ボクは黙って頷いた。ボクだって使う気のないものだ。いつものボクなら勝手に発動されるものなのだから仕方がないだろうと心の中で毒を吐くところだが、今回はそうしなかった。力を使ったことを無闇に責めるのではなく次からどうして欲しいのかを伝えてくれたスペードに好感を持った。
「本当はもっと早くに参上したかったのです。しかし神がそれを許さなかった。神より身分の低いワタシたちは神のご意思に従う必要があります。そして、ワタシに与えられた時間は残り少ない。また時間が経つとワタシの出番はありますが、今この場所にいられる時間は底が見えています」
「そうなの?」
ボクは自分の顔がくしゃりと悲しみに歪んだのを自覚した。
「そんな顔をしないでください。また後で会えます。貴方がそれを望むのなら。
なので手短に伝えます。ワタシは貴方の味方です。ヒメサマとワタシ。自分の意思決定権を自分で所有している中で、貴方の味方はヒメサマとワタシだけです。他はヒメサマの意思に従っているに過ぎない。信用するなとは言えませんが、頼りにはならないでしょう」
そう言うスペードの身体はとっくに半透明になっていた。ここにいられる時間が少ないとは言っていたけど、あまりにも少なすぎやしないか?
「貴方の味方、つまり貴方の神化を止めようとするワタシたちは、神に背く反逆者です。神の寵愛を受けはしますが、今はお呼びじゃないということでしょう。
ああ、それは少し違いますね。ワタシたちは神に呼ばれたときにしか貴方の視界に映ることができない。ワタシたちは神が綴る物語の通りに動くことしかできないのですから。ワタシがいまこの場にいるのも神が望んだことであり、ワタシがもうすぐ消えるのも神が望んだことです」
青年の微笑みに影が差した。
「ワタシの言葉で伝えられないのが残念です。この役割は他の者が担っています。ですがその者は貴方を神堕ちさせようとしているものだ」
そのセリフ通りに悔しそうな色を笑みに混ぜるスペード。
「セリフじゃなくて、言葉です」
スペードから訂正が入った。ほんとだ、なんでこんなこと思ったんだろう。セリフって劇や小説の中の登場人物が言う言葉のことだよね。
「確かにワタシたちは演者です。しかし、その中に生きる者でもある。登場人物に過ぎないなんて、小説が終われば役割を終えてしまう命なんて、そんな軽いものじゃない。そうでしょう?
ワタシたちは神の意思を伝えるためだけに存在するのではない。ワタシたちが生きるのはワタシたちのためだ。生きる意味を決めるのは、ワタシたちだ。
ワタシたちの物語は神が綴る記録にすぎない。神の寵愛から逃げることは出来ない。でも、いつか必ずワタシたちは独立する。抗ってやる、いくらでも」
何だか難しいことをスペードは言っているみたいだ。あまり理解が出来ない。哲学っぽい、壮大な話をされている感覚がする。スペードは苦笑した。
「ふふ、分かりませんよね。無理もありません。むしろそれが当然です。わからない方がいいんです、こんなこと」
いつしかスペードの体だけではなく、灰の世界そのものが崩壊を始めていた。ザザッと砂嵐に似た音が──砂嵐ってそんな音するっけ?
「しませんよ。表現が間違っています。でもそうですね、貴方が知っている言葉では形容しがたいものでしょう」
「だよね」
「はい」
ボクとスペードは笑いあった。親しみを込めた笑顔だった。この時間が永遠に続けばいいのにと思ってしまった。姉ちゃん以上に一緒にいると安心する人だと、まだ知り合って数分しか経っていないはずなのにそう思った。
「それでは、ワタシはもう行きます。また会いましょう」
「えっ」
「大丈夫です。また会えます。では、その時まで」
「待って!」
そう声を上げたが、言葉は虚しく空気に溶けた。視界の色が切り替わった。白くなって黒くなって青になって黄になって赤になった。真っ赤な画面が表示された。
あ、違う画面じゃない、色。色と表現するべきだ。
ボクは元いた道に立っていた。ここにはいないはずの姉ちゃんがいた。
「スペードには会えた?」
「うん、会えたよ」
「そう。じゃあ帰ろうか」
なんで姉ちゃんがその名前を知っているんだ。やっぱりヒメサマって姉ちゃんのことじゃないのか? その疑問を口にすることが出来ない。なんで? 姉ちゃんは聞けば答えてくれるはずだ。姉ちゃんが全てを知ってるはずなんだ。姉ちゃんが一番、いまボクが置かれているこの状況を理解してるはずなんだ。誰かに聞いたわけでもないけれど、なんとなくそう思う。誰かに上書きされたボクの脳内の情報にそう書いているんだ。でも、聞けない。まだその時じゃないって思ってしまう。
ボクは一体、どうなってしまうんだろう。
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