ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.325 )
- 日時: 2022/08/31 08:48
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: yZSu8Yxd)
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「コンニチハ」
ふと気が向いて名ばかりの食堂に夕食を取りに行くと、珍しくゼノ以外の人物に会った。人物っていうか鬼かな。会ったことがない鬼だ。そもそもボクはⅤグループ寮に来てからここで暮らす人は、姉ちゃんを除けばゼノにしか会ったことがなかった。
「そんなに警戒しないでほしいナ。ハジメマシテ。あたいはルーシャル・ブートルプ。見ての通り、鬼族だヨ」
鬼族の最大の特徴は髪から覗く黄色い角だ。獣人族とも異なる形の角だから結構わかりやすい。あと一番鬼族に多い髪色は紫で、ルーシャル・ブートルプの髪色も紫だ。
「はじめまして。何のご用ですか?」
一応当たり障りのないことを言う。名乗るべきかなとも思ったけどそこまではする必要ないかな、聞かれてないし。
「花園朝日くんだよネ?」
名乗らなくてよかった。相手は既にボクの名前を知っていた。
いやなんで知ってるんだよ。
「はい。どうして知ってるんですか?」
「そりゃ有名人だからサ。知らないのかナ? 君が入った部屋は要注意人物の入る部屋でここ数年空室だったんだヨ。なのにこんな可愛い男の子が入ったんだからそりゃ話題にもなるサ。最近のⅤグループ寮の話題は君で持ちきりだヨ。なんてったって話す機会も話題もないんだからネ」
「そうですか」
だから何だって言うんだ、何が言いたい? 早く部屋に戻りたいから用件を言ってほしいな。
「見た目はこんなに可愛いのに中身はそっけないナ。そんなギャップもいいネ。ちょっと好みだヨ」
背筋に悪寒が走った。何だこいつは気持ち悪い。なんのつもりでそんなことを言うんだ。
「でもその顔はどうなのかナ。虫でも見るような目をしてサ。あたいにそんな趣味はないヨ」
ボクにだってそんな趣味はないよ。
「あの、何の用ですか?」
ボクが尋ねると、ルーシャル・ブートルプはニヤッと笑った。嫌な目だ、ボクを利用しようと企む目だ。昔からよく見てきた目。
「君とは接触するなってネイブから言われたケド、そんなの言われたら逆に気になっちゃうヨ。
ねぇねぇ君って何なのサ。どうしてあの部屋に入れられたノ? あたいたち以上の化け物なのかナ、ゾクゾクしちゃうヨ」
ボクは言葉に詰まった。とっさに右手を後ろに隠す。白手袋をつけているので向こうからボクの素肌を見られることはないと分かってはいるけれど。
ルーシャル・ブートルプは目ざとくボクの動作を見つけた。悪戯っぽい光を柑子色の瞳に宿し、ぐるっとボクの背後に回った。
「何隠したのサ、見せなヨ」
どくんどくんと心臓が大きく呼吸する。吸っても吸ってもまだ足りない空気を求めるように。冷たい汗が頬を伝う。悪寒がより一層強くなる。さっきまでの嫌悪感だけからくる寒気じゃない、きっとボクは恐れているんだ。この右手の黒を誰かに見られることを。
「あっ、あの」
ボクの口から出た声は震えていた。こんな声を出したら隠していることがバレてしまうじゃないか。気をしっかり持て、そう自分に言い聞かせるけれどその努力も報われず、ルーシャル・ブートルプに右手を掴まれた。
「何か持ってるノ? あれ、そういえば君って屋内なのに手袋なんてつけてるんダ。ねーナンデ?」
「やめろ!!」
ボクは思いっきりルーシャル・ブートルプの手を振り払った。いくら鬼だとしてもあいつは女でボクは男だ。ちょっと力は込めたけど苦労なくルーシャル・ブートルプの手から逃れた。
ルーシャル・ブートルプはぶすっと不機嫌そうな顔をした。
「何するのサ、イイジャン減るもんじゃないんだカラ」
ボクを睨みつける目はだんだん見開かれていった、心なしかルーシャル・ブートルプの体の筋肉も硬直しているように見える。どうしたんだ? そう疑問を抱くが先かそれを見つけるのが先か。ボクはルーシャル・ブートルプの右手に白手袋が握られているのを見た。さあっと血の気が引く音を聞いた。慌てて左手で右手を覆うが、もう遅い、ルーシャル・ブートルプは叫んだ。
「イヤアアアアアッ! なにその腕! キモイキモイ近寄るなバケモノ!!!」
いくらなんでも大袈裟じゃないか。そう思って右手に目をやると、ルーシャル・ブートルプの反応に納得した。
ボクの右腕には無数の小粒が浮かんでいた。それらは常に蠢き、まるで大量の虫が腕の上を徘徊しているようだった。
「うわぁ!?」
ボク自身も腰を抜かして尻餅をついた。ルーシャル・ブートルプはそんなボクを足で踏み潰した虫を見るような目で見て、背中を見せた。
「ま、まって、手袋、返して」
手袋を求めて右手を伸ばすと視界にまた右腕が映った。吐き気がして手を引っ込める。こうしている間にもルーシャル・ブートルプの背中はどんどん遠ざかっていく。取り返さなきゃ、手袋を取り返さなきゃ。
「オマチナサイ」
突然赤い光が刺した。走り去ろうとしていたルーシャル・ブートルプの動きが止まり、逆再生に似た動きでルーシャル・ブートルプが戻ってきた。
逆再生じゃない。時間が巻き戻ったように、だ。
「ネイブ、離セ!」
「ダカライッタデショウ。アナタガテヲダシテイイモノデハナイト。
アナタハチュウコクヲムシシタノデス。ワルクオモワナイデクダサイ」
ネイブがそう言うと、ルーシャル・ブートルプの体の一部が石化した。バキバキと音をたてて石になった部分がどんどん広くなる。ルーシャル・ブートルプの体はみるみる灰色に包まれて、やがて石像と化した。そして、その石像は灰色の光を発して、音もなく粉砕した。
びっくりして固まっているとネイブが言った。
「ゴアンシンクダサイ。キオクヲナクシタダケデス。コレヲドウゾ」
そう言ってネイブがボクに渡したものは、さっきルーシャル・ブートルプに取られた白手袋だった。
「え、あ、ありがとう」
「イエイエ」
ネイブは何も無かったように、いつもの調子でボクに言う。
「ドウゾ。コレガユウショクデス」
ネイブはまたどこからか食事の乗ったお盆を出現させ、ふよふよと浮かせてボクに与えた。
「ありがとうございます」
「マタカオヲミセニキテクダサイネ」
これは食事を受け取りに来た生徒に言う決まり文句らしい。ここに来ると毎度言われる。適当にはいとうなずいて、ボクは食堂を後にした。帰り道に食事を片手に頑張って白手袋をはめていると、そっと食事を誰かに取られた。
見るとそこには姉ちゃんがいた。
「持ってるから、つけて」
ボクは少し戸惑ったけど、姉ちゃんの善意に甘えることにした。
「ありがとう」
白手袋をつけて、姉ちゃんから食事を返してもらってから、姉ちゃんに尋ねた。
「珍しいね、姉ちゃんが部屋の外にいるなんて。どうかしたの?」
「朝日に伝えないといけないことがある」
「ボク?」
なんだろう。一緒にご飯食べるのかな?そうだったら嬉しいな。
「一週間後の今日の昼、学園長室に行く。予定空けといて」
「学園教室に?」
ボクは首を傾げた、なんでわざわざ学園長室に行くんだろう。
「どうして?」
姉ちゃんはその問いに答えてくれなかった。何を思っているのかわからない空虚な瞳はボクに向けられているはずなのに、ボクを映しているようには見えない。そういえば、光の反射でそう見えるのかな、姉ちゃんの白眼にほんの少しだけ青色が混ざっているような気がする。
「じゃあ、また一週間後に」
「え、うん、わかった」
うーん、腑には落ちなかったけど仕方ないか。どうせ一週間後になればわかるんだし。わからないままモヤモヤするのと比べれば何十倍はマシかな。
自分を言い聞かせる文句を脳内で並べながら、自分の部屋へ戻る。
「ただいま」
中にいるはずのビリキナに向かって言う。返事はない、言う気がないんだろう。いつものことだ。特に気にせず中に入って部屋の明かりをつける。目に飛び込んできた光景に思わず肩をビクッと震わせた。
「えっ」
驚きで固まっていたのはほんの数秒だった。机の上に食事を置いて、床の上にうずくまるビリキナに近づいた。
「ビリキナ、大丈夫?」
ビリキナは部屋の中央で倒れていた。黒い液体を半径一メートルほどの円状に吐き出して。ビリキナの体の大きさから考えれば、とてつもない量の吐瀉物だ。いや、例えこれを吐いたのがボクだったとしても異常事態となるだろう。それがボクの手のひらの大きさと同じぐらいのビリキナが吐いたんだ。
「生きてる?」
やっぱり返事はない。このまま放っておくのはいくらボクでもさすがに気分が悪いのでつまんで持ち上げた。魔法は使わない。黒属性のビリキナに対して白属性のボクが魔法を使うのはあまりよろしくないだろう。何かあっても困るし。
うげぇ、気持ち悪い。黒い液体でびしゃびしゃになったビリキナを見てそう思った。液体は吐瀉物にしてはかなりサラサラしていて色も黒単色だ。見ていると意識を奪い取られそうなくらいに純粋な黒。この黒だけを取り出して見てみれば、誰も吐瀉物だなんて思わないだろう。
こういう時はどうすればいいんだっけ。よくわからないのでとりあえず振ってみた。人体に対してはしてはいけないことだとは思うけど、まあ精霊だから大丈夫でしょ。
『ゲホッ』
ビリキナが咳き込んだ。口からがぼっと音がして、新たに黒い液体がビリキナの口から飛び出した。びちゃっと液体が床で跳ねる。幸いボクにはかからなかった、危ない危ない。
「生きてる?」
ボクはもう一回聞いてみた。ビリキナは恨めしそうにボクを見る。
『お前、人の心ってもんはねえのか』
さっきボクがビリキナの体をぶんぶん振ったことを指しているのだろう、ボクは頷いた。
「ないよ」
ビリキナは毒づく元気もないのか、くたりと体から力を抜いた。時々くぐもった音がして、なおビリキナは黒い液体を吐き出す。
「ちょっと。部屋汚さないでくれる?」
返事がない。ボクはハァとため息をついてビリキナを吐瀉物の上に置いた。これ以上吐き続けるんなら、この上にいてもらえた方が処理するときに楽だ。吐瀉物の範囲を広げられても困るし。どうせ片付けるのはボクなんだから、別にいいよね。
しばらく吐き続けるビリキナを眺めてビリキナが落ち着くのを待った。十数分もの時間ビリキナは吐瀉物を吐き出し続けていた。ハァハァと荒い息遣いをしながらきついまなざしをボクに向ける。
『お前なぁ……』
しかし何か言いたげではあったもののその体力がないらしい。そして助けてほしいと言いたげな目をしていながらもプライドが許さないのだろう、ビリキナは何も言わない。別にいいよ、言わなくたって。分かってるから。
「ちょっと待ってね」
ボクは部屋にくっついて設置されている洗面所へ向かった。洗面器にお湯を入れてビリキナの元へ戻る。
「はい。精霊は体を洗ったりしないだろうけど少なくとも気分はさっぱりするでしょう?」
多分。
ビリキナはぽかんと口を開けているだけで何も言わない。問答無用で洗面器の中に放り込んでボクは吐瀉物の掃除を始めた。
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