ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.326 )
日時: 2022/12/09 07:52
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: gf8XCp7W)

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「落ち着いた?」
 ボクが尋ねると、ビリキナは胡散臭そうな顔をしてボクを睨んだ。
『親切にしてなんだよ、気持ち悪いな』
「親切にしてもしなくても怒るってどういうことだよ」
 ボクはため息をついた。
「で、なんであんなことになってたの?」
 ビリキナは顔をしかめた。
『それはだな……』
 なんだか歯切れが悪い。話すか話さないかをうんうんと悩んでから、ビリキナは口を開いた。
『覚えているか? オレがジョーカーから渡された酒をよく飲んでたこと』
「うん」
『あれだよ、あれの中に仕掛けがあった。ジョーカーの魔力が込められていたんだ。道理でおかしいとは思ったよ、オレはあんなに強くなかった。
 お前はオレの魔力を使ってカツェランフォートの屋敷で戦ってたよな。オレは精霊だから負けることこそなかっただろうが、あんなに高い純度の魔法は出せなかった』

 この世の全てのものは魔力を宿している。生物でも無生物でもそれは同じだ。そして魔力を宿しているものは自然そのままの姿のものだけではなく、それこそ酒なんかの加工されたものもそうだ。だからこそほかの魔力と混ぜることが出来て魔道具なんかを作り出すことが出来る。人工的に行われる聖水の精製も『魔力を混ぜる』という方法で作られる。ただし注意点がある。物質には耐えられる魔力量の上限が存在し、それを超えると魔力が溢れ出して物質が壊れてしまうのだ。

「え、まさか」
『そのまさかだよ。言っただろ。ジョーカーの魔力は神のそれと酷似している。精霊であるオレの器が神の力に耐えられるわけがない』
 それで吐いてしまったのか。じゃああの吐瀉物ってイロナシの魔力を具現化したものってことになるのかな。
「なら自業自得じゃないか」
 だって、イロナシからもらった酒を飲みたいって言っていたのは他の誰でもないビリキナ自身だ。やっぱり酒に溺れるのって良くないよね。大人になっても飲む気はないや。大人になれるかどうかもわからない。おそらくむりだ。
『うっせーな、わかってるよ』
 ビリキナはぷいっと顔を逸らした。拗ねないでよ。
『とにかく、オレの中にはいまジョーカーの魔力がある。あのリンって精霊にオレの魔力を注ぎ続けさせたのも、オレを介してジョーカーの魔力を注ぐためだったんだろうな。あいつの体がジョーカーの魔力に耐えられずに崩壊して、そして堕ちたんだ』
「ちょ、ちょっと待って!」
 まだ言葉を続けようとしたビリキナを遮りボクは大きな声を出した。せっかく言葉を用意していたビリキナは不快そうに肩眉を神げてボクを見た。
「その理論でいくと、ビリキナも悪霊化するんじゃないの?」
『そうなるな』
 なんでもないことのようにビリキナは言う。いやいや、何でそんなに平然としてるんだよ。一大事じゃないか! どうするんだ!?
 慌てるボクを呆れたような目でビリキナは見た。
『何度も言っただろ、オレたち精霊と人間の考えることは違うんだ。神のお遊びに付き合わされるのには慣れてる。そして付き合わされることはオレたち精霊の宿命だ、生まれたときから受け入れざるを得ないものだ。今更悪霊化するぐらいでギャーギャーわめいたりはしない』
「だとしても、つまりビリキナもリンみたいになるってことでしょう? ビリキナはそれでいいの? 本当に?」
 ビリキナは呆れた目の中に哀愁をほんの一滴だけ垂らした。
『決定権自体、オレたちにはないんだよ』
 そして、全てを諦めたような顔で微笑んだ。
『受け入れるしかないんだよ』

 こんなのってないよ。

 身勝手なのはわかってる、ビリキナをこんな目にあわせてしまった原因はボクにある。ボクがジョーカーの誘いに乗らなければ良かったんだ。自らの意思でボクから離れた姉ちゃんに早々に見切りをつけることができていればこんなことにはならなかった。姉ちゃんのことが知りたいなんて思わなければ、姉ちゃんのことを教えてあげるというジョーカーの誘いに乗らなければ、ボクの心がもっと強ければ、ボクもビリキナも運命を狂わされることはなかったんだ。ボクのせいなんだ、ボクの。ああ、だけど、ジョーカーの誘いに乗らなかったらボクは、ビリキナと出会うことはなかった。出会っていたとしてもこうして契約関係にはならなかっただろう。全ては必然という名の台の上になり立っている。いまボクが立っているこの世界線しかボクに用意されていた運命はなかったんだ。

 こんなのってないよ。

『神の寵愛を受けている以上、運命が狂うことは必然だった。
 自分のせいなんて思うなよ。元はと言えばオレがお前のババアに手を出したのが悪かったんだ。花園日向の正体にもっと早く気づいておけば良かったんだ。いや、もしかしたらオレは望んでいたのかもしれない、この未来を。精霊である自分に嫌気が差して、さっさと死にたかったのかもしれないな』
 ビリキナの憂いを帯びた笑みが自嘲的なものに変わった。ビリキナが死にたいと思うなんて想像もできない。
『オレたち精霊は神のおもちゃだ。精霊であるということ以外に何の価値もない、価値を得ることすら許されない。そんな運命に抗いたかったのかもな。今となっては当時の自分が何を考えていたのかなんて覚えてないよ』
 なんだかビリキナが遠くへ行ってしまうような錯覚に陥った。今この瞬間にビリキナの体が透明になって消えてしまうような、そんな感覚。思わずボクはビリキナに向かって手を伸ばした。モノクロの両手で、強大な神の力に耐えた小さな体を包み込む。
「お疲れ様」
『まだオレの役割は終わってねえよ』
ビリキナは苦笑した。いつもだったらボクを睨んで嫌味を言ってくるのに。そんないつもとは違う雰囲気も相まって、ビリキナが遠くに感じた。どうしようもなく、痛々しい。

 どうしても、愛おしい。

「ううん、終わらせよう」
 ビリキナはボクが言っていることを理解していないみたいだ。そりゃそうだよね。正気だったらボクだってこんなことは思い浮かばないはずだ。ボクもおかしくなっている。
 ボクは何でもないことのようにビリキナに言った。さっきビリキナがしたみたいに。
「ボクがビリキナを殺してあげる」
『は?』
 少し怒りが混ざった声をビリキナは出した。
『お前、今まで何聞いてたんだ? そういうのは許されないんだって言ってたんだよ、オレは。わかってなかったのかよ』
「違うよ」
 わかってる。わかった上で言ってるんだ。
 神の気まぐれで精霊は消されるんだったよね。

「ボクは神になるんでしょう?」

 ビリキナは目を見開いた。ボクがなにを言おうとしているのか察したみたいだ。
『おい待て、やっぱりお前はわかってない。お前の神化をオレは止めようとしているんだって言っただろう。神の意思でお前を止めようとしているんだ。お前が自分で神になることを選択したらそれこそオレはオレの役割を果たせなくなって、神から』
 ビリキナは声を止めた。
「天罰が下るの?」
 ビリキナが小さく頷くのを確認して、ボクは呟いた。
『ボクは神だよ』
 ビリキナを安心させるために、ボクはにっこりと微笑む。
「確かにボクは神なんかになりたくない」
 だってボクは人間だもの。人間として生まれてきたんだから、人間として死ぬのが当然でしょう? 種族を変えて生きるだなんてそんなことを急に受け入れられるわけがない。
『しかし、ボクは神だ』
「ビリキナに会えてよかったよ」
 普段は絶対言わないけれど、腹が立つことだってあるけれど。でも、姉ちゃんがいない生活の中でビリキナとの会話が心の支えになっていた部分も少なからずあることは自覚している。恥ずかしいからそんなこと言えなかったんだ。
『精霊であるお前の決定権は、ボクにある』
「これはボクのせめてもの罪滅ぼし」
 ビリキナには悪いことをしてしまった。ボクが狂ってしまったせいで、神と密接な関係になってしまったせいで、ボクが神になってしまったせいで、ビリキナも本来の運命とは違う運命を歩くことになったんだ。

『そしてこれはお前の運命だ』

「『ボクがビリキナを殺してあげる』」

 ボクの手に包まれたビリキナは力なく両手で顔を覆った。
『なんだよ、それ』
 大きく息を吸って、大きなため息として吐き出した。時折聞こえてくる嗚咽が、精霊として生きる辛さとか宿命とかの重さを感じさせた。精霊の中にも数多くの種族があって、その中でビリキナと同じ〈アンファン〉は契約主が変わると記憶がリセットされてしまう。記憶がなくなってしまうのって苦しいよね、経験したことはないけどわかるよ。そうなることが分かっているのだから、怖くもあるだろう。
『ビリキナはよく頑張ったよ』
 普段口を開けばむかつくことを言う、か弱い契約精霊にボクはいたわりの言葉をかける。
『ボクがビリキナを救ってあげる』
 ビリキナは何も言わない。ただされるがままに神の意思に従おうとしているのだろうか。最後の最後まで自分の意思を貫こうとはしないらしい。どこまでも精霊という宿命に染まりきってしまっているんだ。
『だってボクは神だから』

 もしも神様がいるのなら、どうかボクを救ってください。

 いないとわかっている神に向かって、ボクは何度もそう願い、そしてその願いは何度も打ち砕かれてきた、今だってそうじゃないか。
 そんな神にボクはならない。救いを求める声に応えていたい。ビリキナは救いを求めているんだと思う。言わないだけだ、言えないだけだ。だからボクはそれに応える。
『何か言いたいことはない?』
 ボクは優しく言うことを心がけながら、ビリキナに確認した。やっぱり何も言わない。わかったよ。きっとビリキナにとっては、このボクのおせっかいも神の気まぐれでしかないんだろう。でもボクは、ビリキナのこと嫌いじゃなかったよ。

『今まで振り回してしまってごめんね』

『せめてもの償いとして、貴方の最期に安らぎを与えます』

『お や す み な さ い』

 ビリキナはボクの手の中で息絶えた。
 精霊は美しく作られた存在だ。だからだろう、ビリキナの死に顔はあまりにも美しかった。この世のものとは思えない。ビリキナと一緒にボクもあの世に逝ってしまったんじゃないか、そんな感覚。ついさっきまで生きていた命が
ボクの手の中にある。自分がどんどん壊れていくのがわかる。それを心地いいと思ってしまっているボクはもう人間に戻ることは決してない。

 ビリキナの死体はどうしようか、お墓でも作ってやるべきか、それとも。

 ボクは悩んだ。悩んで悩んで窓の外が白んでいくのを見て、ひらめいた。
 考えているうちに一晩が立っていた。美しかったビリキナの死体はドロドロに溶けて真っ黒な液体と化していた。

 ボクは丁寧に両手でそれを掲げて、ゆっくりゆっくり飲み込んだ。

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