ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.327 )
日時: 2022/09/01 06:53
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /JJVWoad)

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「何のつもり?」
 スナタが言った。冷ややかな視線を真っ黒な少年に向けて、呆れたような口調で彼に言う。
「なるほどね」
 疑問の言葉を口にした直後に全てを理解したと言わんばかりに不敵に笑う。
「人間の肉体を取り込んでまで、再び神に堕ちてまで、ワタシを止めたいって言うの? しかも太陽神の力じゃ敵わないと思ってもう一つの力を解放したんだ」
 スナタは笑った。腹を抱えて可笑しそうに笑う。その声には、その表情には、明らかな少年への嘲りが含まれていた。
「馬鹿みたい。そんな事したってワタシには敵わないってどうしてわからないの? わかった上で刃向かうの? くっだらない」

 赤青黄(純粋な赤は彼が持っているはずがないのでこの場合は橙や紫などに含まれる赤)を乱暴に混ぜ込んで作り上げられた黒で塗られた髪と瞳、そして布を何重にも重ねたような、ローブにも見える衣を着た少年がスナタを睨みつける。黒いブーツを履き、黒手袋をつけている。顔以外を複数の色から成り立つ黒で支配されている彼。彼はカラスに似ていた。

「無駄な足掻きってことはわかってるよ」
 少年というのはもう失礼にあたるのかもしれない。彼は童顔ではあるが体はとっくに成人と呼べるまでに成熟しているし、憎々しげに語られた声は立派な男性のものであった。
「だったら、なぜ?」
 彼をバカにする態度はそのままだが、スナタは本当に理解できないようだ。その疑問は本物だ。
「何度も言っているだろう! おれはあいつを救いたい!!」
 スナタは彼を鼻で笑った。
「それはこっちのセリフよ。大丈夫、お姉ちゃんはワタシが救うんだから。お姉ちゃんの幸福はワタシのそばにあり、ワタシの幸福はお姉ちゃんのそばにある。当然でしょう? だって唯一の姉妹なんだから。たった一人の家族なんだから」
「お前でもおれでもダメなんだって!!」
 彼は必死に叫ぶ。スナタは眉間にしわを寄せて不機嫌そうに呟いた。
「うるさいな」
 そして、彼に右手を向ける。それから放たれたものは魔法でも何でもない、ただの権力だ。重力にも似た乱暴でしかない力は彼の体を吹き飛ばし、彼を壁に打ち付けた。
「かはっ」
 ズドンという大きな音と砂埃。スナタの五感からそれらを訴えるものが無くなったとき、彼の姿が映った。

「おれたちじゃダメなんだ」

 彼は何度も立ち上がる。吹き飛ばされるのはこれで何度目だろうか。
「リュウじゃなきゃ」
 スナタはキッと彼を睨みつけた。銀灰色の瞳の中に、憤怒の感情が宿る。
「その名前を出さないでくれる? 不愉快」
 彼は力なく笑った。
「スナタだってわかってるんだろう? 自分じゃ無理だって。あいつのことは救えないって」
 その笑みはスナタへのものではない。自分自身への嘲笑だった。

「リュウ以外にあいつを救えるやつはいないって」

「うるさい!!」
 スナタがもう一度力を放つ前に、彼は手に持っていた巨大な鎌を構えて飛び上がった。服の裾がふわりと持ち上がり、彼の身体を纏うもやのようにも見えた。
 彼は死神。万物の生と死を司る者。神の中でも直接魂を扱う権限を与えられた特別な存在だ。彼はスナタに対して大きく大鎌を振り下ろした。
「だから、無駄だって言ってるでしょ!」
 スナタは再び彼に手を向けた。今度は彼の腹に向かって局部的に猛烈な痛みを与える。
「ぐっ」
 苦しげな声を漏らし、彼は墜落した。

「じゃま」

 スナタは狂ったように唱えだした。
「邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔!!」
 頭を乱暴に掻きむしり、スナタの柔らかな灰がかった桃色の髪が乱れた。
「あーもうなんで邪魔するの?! せっかく生かしておいてあげたのに恩を仇で返すつもり?」
「そんなことを頼んだ記憶はねーよ」
 腹を押さえ、彼は立ち上がる。
「もう立ち上がってこないでよ! いいかげんにしてよ、もう! ワタシはただ、お姉ちゃんと幸せに暮らしたいだけなのにっ!!」
 先ほどまでの怒りはどこに消えたのか、スナタは悲哀の表情を浮かべた。
「お前になにがわかるっていうの? 一人ぼっちは辛いんだよ。ワタシが元いた世界の人たちはみんな冷たい人たちだった。感情なんてほとんどなくて、会話なんて本当に数えるほどしかしたことない。寿命なんてないから、出会ってから数百年も経っても、だよ? そんな世界に一人取り残されるなんて耐えられるわけないじゃない!」
「あいつについて来たことが悪いことなんて言わないよ」
 それはまるで幼い子供を諭すような声だった。
「お前をこっちの世界に連れてくることを選んだのは、あいつだ。それに文句を言うつもりはない」
 彼はスナタにゆっくり近づいた。
「おれが言いたいことは、そういうことじゃない」
 スナタの瞳が揺れた。それ以上の言葉を聞きたくないと言いたげに、目を閉じて耳を塞ぐ。

「おれたちじゃあいつを救えない」

 そう告げる彼の表情も苦しげだった。

「あいつにはリュウが必要なんだよ」

「うるさい!!!」
 スナタが怒鳴った。
「ああ、わかってるよ、認めればいいんでしょう!? わかってるわよそんなこと! ワタシじゃ足りない! ワタシじゃお姉ちゃんを幸福にはできない!!
 だって、だって!」
 スナタはボロボロと涙を流した。悔しそうだった。心が押し潰されそうという心情を体現するかのように、胸あたりの服をぎゅっと掴む。

「ワタシはただのおもちゃだもん」

 ポツリと一言、そう言った。
 彼はこの会話の間にスナタとの距離を縮めていた。既に目と鼻の先。スナタが悲しみに顔を伏せている隙に大鎌を振り下ろす。今度は当たった。体の中央、魂に突き刺さった大鎌をぐりんと回転させてから彼は引き抜こうとする。スナタの瞳がギョロッと彼を捉えた。
「なにするの」
 それは疑問ではなかった。単なる警告だ。大鎌とスナタの体との間で火花が飛び散る。バチバチという音と、雷にも似た閃光。これは神々の戦いだと知らしめるような激しい光景。二人だけの戦争。
「あああああっ!」
 スナタが叫ぶ。スナタは大鎌を引き剥がした。
 スナタは荒い息で大鎌を持ち上げる。大鎌はバラバラに分解し、再び彼の手の中で組み立てられた。
「無駄だって言っているのにどうしてわからないの? ただの神であるお前と一つ上の世界から来たワタシでは、勝者はワタシと戦う前から決まってる。世界が決めた結論に逆らうことは不可能。そうでしょう?」
「わかってる、わかってる!」

 互いは互いの正義のために戦っているのでありそこに悪は存在しない。それをスナタは理解しない。双方がそれを理解しなければ和解は成立するわけがないのだ。彼はスナタまでも哀れだと思った。
「なあ、スナタ」
 彼はスナタに語りかけた。優しい優しい声だった。他者を嫌う彼はスナタに心を開こうとしていた。彼は優しい、人間が求める神だった。人を哀れみ、慈しむ心を持った神だった。優先順位こそ低かったが、彼はスナタも救おうとした。
 彼が人嫌いであることには理由があった。優しい彼は救いを求める声に応えようとした。しかし気付いたのだ。神という絶対的な地位にある自分の力をもってしても救えない命があることに。最善を尽くしても、どんなに大きな手の平で下界人ひとびとを掬おうとしても、どうしてもこぼれてしまう命があった。彼は次第に心を病んだ。そうして彼は決意したのだ、人を愛さないことを。人を愛する心がもたらした彼の負の感情は、人を愛することをやめることであっという間に癒えた。そうだ、彼は下界人ひとびとが憎らしいのではない。ただ愛していないだけなのだ。

「大人しく死んでくれないか」
 それでも彼はスナタを救おうとした。なぜならばスナタは彼と、彼が下界人ひとびとを愛することを辞める前に出会っていたからだ。彼はスナタに向けて既に愛する心を持っていた。神として、人を愛する心が。
 しかし、その想いはスナタには届かない、もしくは届いているのだろうがスナタはそれを不要なものとして捉えている。

「や・だ」
 スナタは即答した。べぇ、と舌を突き出し乱暴な口調で彼に言う。
「絶対やだ。元の世界へ帰れってことでしょ? 肉体が死んだって、ワタシはいくらでも転生する。お前が求めてるのはそういうことじゃないもんね?」
「ああ、そうだ」
「言ったでしょ、ワタシはあの世界にとどまりたくなかったからここにいるの。自分の意思で帰りたいなんて思わない。それと」
 スナタは嘲笑した。
「ワタシはワタシの意思で元の世界に戻ることはできないの。残念でした」
 彼は顔を歪めた。悲しみに、いや、哀れみに。
「なにその顔。ワタシのことをかわいそうとでも思っているの? ふざけないで。これがワタシの幸せなの。ワタシが望んだ幸福なの、勝手にかわいそうって決めないで」
「いや、かわいそうだよ」
 彼は大鎌を構え直した。彼はまだ諦めていない。
「一つのことしか信じられなくなっている。それはとても悲しいことだ。執着するものが一つしかないなんて。
 それでいいと本人が言うのなら、それでいいのかもしれない。でもスナタの場合は違う。そのままだと、スナタは身を滅ぼす」
「それでいいよ」
 スナタは悲しみも怒りも感じられない、先程までとはまるで違う表情を浮かべた。頬を赤く染め、うっとりとなにかに見とれているような顔。左頬に手を当てて狂気が垣間見える瞳を彼に向ける。
「ワタシはお姉ちゃんに殺されたい。ああ、なんて素敵なの! 甘美な響き。お姉ちゃんが直々にワタシに手を下したとしたら、それはどんな幸福を感じられるのかな?」

 彼は説得をあきらめた。少なくとも、いまは。
 彼は永遠に届かぬ刃をスナタに突き立てた。

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