ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.331 )
- 日時: 2022/09/01 06:54
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: /JJVWoad)
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東蘭は火が置かれた大地に立っていた。草木はとっくに枯れ果てて、土もすっかり乾いてしまった。東蘭の目の前にあるのはかつての東家。かつての彼が住んだ家。言葉通り全てが崩壊している。肉が焦げる臭いとまばらに転がる焼死体が東蘭を不快にさせた。
「この世界も、もうすぐ終わるのか」
東蘭がゆっくり呟く。そしてゆっくり考える。
「神であろうとこの世の理から外れることはできない。世界が終わるまで、あと二年。それまでに、なんとかしないと」
フェンリルが下界に現れ、[黒大陸]と他大陸との世界規模の戦争が始まり、しかしそれでも世界はまだ滅ばない。神であるフェンリルでさえもまだ世界を滅ぼすことはできない。そう定まっているからだ。世界が百万年ごとに滅ぶと定めたディミルフィアであってもこれに逆らうことは不可能なのだ。東蘭には二年の猶予が約束されている。しかし。
(全然足りない)
「おや、君は……」
東蘭に話しかけた者がいた。東蘭からするとなにもない誰もいないところからその人物が現れたように見えたが、それは向こうも同じだった。互いに不信感を抱きつつ、しかし話しかけられた以上、話しかけた以上、完全に無視をするわけにもいかない。東蘭は突然のことに驚いて思わず声がした方に目をやったのでとりあえず目は合った。
「はじめまして、ということになるね、ぼくはシキだ」
シキは相手の警戒心を解くために先に名乗った。
東蘭はシキがどうしてここにいるのかと不思議に思った。シキは和服を着ているが、どうやら東蘭のよく知る大陸ファーストで流通しているものとは形が違うようだ。なによりシキは茶髪だった。光の当たり具合で金に見えなくもないが。
これらの特徴から東蘭はシキが他大陸の出身だと判断した。
「おれは、えっと」
名乗りに困って、東蘭は言葉に詰まった。彼は東蘭ではあるが東蘭ではない。それに得体の知れない何者かに馬鹿正直に名を教えるのも気が引ける。そう考えたのだ。
シキは東蘭の思考を読んでいた、本当に読心術が使えるわけではなく同じような場面に遭遇したことがある、つまり経験したことから判断した結果だ。だからシキは自分の中で推測した東蘭の正体、その名を告げる。
「ヘリアンダー様でしょうか?」
東蘭は目を見開いたが、すぐに感情をおさめて落ち着いた声で肯定する。
「ああ、そうだ」
するとシキが跪く。両膝をついて両腕を組み合わせた。
「先程の馴れ馴れしい物言いをお許しください」
シキが東蘭の正体に気付いたのは名乗ったあとだった。シキは自分より尊い存在がそうはいないことを知っていたから、ついいつもの調子で話してしまっていたのだった。
「別にいい。堅苦しいのは嫌いだ」
「ありがとうございます」
今度はこちらから質問してやろうと東蘭が口を開く。
「なぜ、おれの正体がわかった? 普通わからないだろう」
東蘭の言う通りだ。ヘリアンダーという神はキメラセルの神々のうち二番目(一番はディミルフィア)の地位に当たる神だ。そんな神がどうしてこんな荒れた土地にいると思うだろう。
シキは微笑んで言葉を編んだ。
「裁きの痕跡を感じますから」
シキはぐるっと周りを見る。さらりと言っているがその言葉はさらに東蘭を驚かせた。
確かに東蘭はつい先程この大陸に裁きを下した。法を司る太陽神の名の下に。大陸ファーストが穢れた要因はいくつかあるが、その中でも特筆すべきことは身分ができたことだ。神は大陸ファーストの階級の象徴である六大家のうち、特に穢れた花園家と東家を崩壊させた。家を潰し、大陸内にいるこの二家の血が流れる人間を根絶やしにした。そして大陸全土のほとんどを燃やした。しかしそれを知る者は神々だけのはずだ。東蘭の視界に映るシキが彼の行った内容を知っているはずがないのだ。
神の力を明確に感じ取れるものなどそうはいない。せいぜいただ漠然と強大な力だと思う程度だ。東蘭はシキを睨んだ。
「お前、何者だ?」
シキの表情が苦笑に切り替わった。
「しがない旅人です」
旅人と聞いて東蘭はなにかが意識に引っかかるのを感じた。そして閃いた。
「しがない?」
東蘭はシキを鼻で笑った。
「どの口が言ってるんだ、〈橙の旅人〉」
「バレましたか」
そう言いつつシキも隠しているつもりはなかった。複数人いる十の魔族の中でも自分が一番有名であることを自覚しているからだ。気ままに世界中を旅しているうちに名が知れ渡ってしまった。正体を隠すほうが難しい。
「ここにいる目的は何だ? まさか観光ってことはないだろう。
こんなに荒れてるんだからな」
東蘭は自分を取り囲む景色を見た。見渡すかぎりの炎。草木はとっくに炭化して燃やすべきものなどない。なのに変わらず燃え続ける炎は宿るはずのない命さえも感じさせる。炎そのものが意思をもって大地を焦がしているかのようだった。
「そうですね。この光景を見に来たわけではありません」
シキは言うか迷った。神という絶対的な存在を前にして嘘を言うのは身の程知らず、そして命知らずの愚かな行為だ。
「隠すほどのことでもないのですが」
「なら言えよ」
それもそうだとシキは思った。うーんと唸り、頭の中で文章を組み立てる。
東蘭はそんなシキを見てやや苛立った。言うなら言う言わないなら言わないでさっさと決めろと念を送り、シキはようやく言葉を絞った。
「私の旅の目的を果たすため、ですね」
「旅の目的?」
「はい」
シキが世界中を旅する目的は、ただの娯楽でも名声のためでもない。シキには行きたい場所がある。その場所は行き着くことがとても難しい場所だ。シキは何百年と旅を続けているが、その場所へ行く方法は一向に見つからない。
「そうだ。一つお聞きしたいことがあるのですが、いいでしょうか?」
シキはヘリアンダーという神ならば自分が知りたいことを知っているはずだと思い出した。それを教えてくれるかどうかは別問題として。
「内容による。とりあえず言ってみろ」
東蘭はシキがなにを自分に聞こうとしているのか全く見当がつかない。話している相手が神であると知りながら、話し方は丁寧だがこんなにもくだけた調子で話せていることも気になる。東蘭はシキという名こそ知らなかったが〈橙の旅人〉がとてつもなく長い年月を生きていることは知っていた。長く生きていることで様々なことに対して肝が据わっているのかもしれないとも思ったが、神との対話は誰であっても緊張を持つものだ。そうでなければいけない。東蘭はシキのことが気になった。
「天界へ行く方法を教えていただきたいのです」
その一言で、東蘭の思考は終着点を見つけた。これまでのシキとの短い会話でシキの正体について複数の仮説を東蘭は立てていたのだが、それを一つに絞ることができた。そして東蘭はその仮説が合っているという自信があった。
東蘭はにやりと笑った。そんな東蘭を見たシキも、自分の正体を連続で見破られたことに気づいた。
「寿命を全うしたら行けるだろ」
シキの正体が分かっていながら、意地悪くそう言う。東蘭の予想通りの返答をシキはした。
「残念ながら私は不老不死なのです」
「そうだろうな」
それからすぐに笑みを消して、彼は無慈悲な言葉をシキに投げた。
「ヒトの身でありながら天界に行く方法は存在しない」
シキは目を丸くした。見つからないだけでその方法は存在すると思っていたからだ。神の言葉を疑えるわけがない。神がこう言っているのだから、それが真実だ。シキは絶望した。天界へ行く方法がないのであれば、自分はなんのためにこんなに長い時間をかけて旅をしていたのだろうと。
「話は最後まで聞け。なにごとにも例外はある」
シキはもう一度、目を見開いた。
「簡単な話だ。天使と交渉したらいい。本気で探せば見つかるはずだ。知っていると思うが、天使は下界によくいる。姿を巧妙に隠しているだけで」
東蘭は自分でこう言いつつ、それが難しいことだともわかっていた。天使はただその存在を見つけづらいだけなのではなく気難しい。天界という聖なる場所に生きたままの汚れた人の身を立ち入りさせることを許すとは思えない。そして、そのことはシキも理解していた。それでもシキは力強く頷く。
「わかりました。ありがとうございます」
東欄に言われる前からシキは天使を探していた。東欄にいま言われた方法を試したかったのだ。
しかし天使はなかなか見つからない。天使との交渉はいまの段階では唯一確実性のある天界へ行く方法であったがシキは半ば諦めかけていて、これ以外の方法を探していたのだ。
正直なところシキはがっかりした。神が天界に行く方法はないと言い、その例外としてこれをあげたということは、やはりこれ以外に方法はないということだ。
しかし、神の口から天界に行くことは可能だと聞かされた。シキの中の諦めを取るには、それで十分だった。
「用事は済んだろう。さっさと行け。おれはまだすることがある。暇じゃないんだ」
東蘭は西を見た。見たというより睨んでいると表現した方がふさわしい。シキもそれに倣って西を見る。東蘭がなにを見ているのか初めはわからなかった。だが、すぐに納得した。
「フェンリル、ですか」
東蘭は顔は動かさずに視線をシキに向けた。目だけで肯定を示し、つぶやく。
「救いたいヒトがいる。人ではないけれど」
「命を失うかもしれませんよ」
言った直後にシキは慌てて口をおさえた。余計なお世話だとわかっていたからだ。心の声が漏れてしまって焦った。東蘭は怒ることはなく、寂しそうに微笑む。
「神は死なない、そして死ねない」
その言葉は独り言だった。
「その悲しみを背負い続けるヒトがいる。おれはあの方を救いたい。あの方にはリュウが必要なんだ」
信仰心の薄い下界人は、神は人の作り上げた幻想だという。しかしそれは違う。人は概念に名前を付けただけだ。神が神という名を持っていなかったときから神は存在していた。神はかつてのヒトであった。ヒトの上にヒトができ、ヒトは神という名を与えられた。神とはいったいなんであろうか。神とはヒト以外の存在だ。ヒトとは人間であり動物であり植物であり怪物であり竜であり妖怪であり精霊であり天使であり悪魔だ。下界に住む全ての生命のことを指す。
神は、存在する。
そして、ヒトは神に成り得ない。
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一人の女が立っていた。腰まで伸びた髪は光を吸い込むほどに深い真紅。顔は見えない。女はこちらに背を向けている。その背から生える大きな二対の翼は天使のものとよく似ている。その翼も髪同様の深紅であった。元々そういう色なのか、それとも返り血で染まったのかわからない真っ赤な服は背の部分が大きく裂けて、痛々しい傷が左肩から腰に向かって刻みつけられている。その傷は翼にも及び、四枚あるうちの一枚が外れてはいないものの不自然に折れ曲がっている。
女はかがみ、そばにあった天使の死体の腹に手を当てた。持っていた短剣で腹を裂く。ぐちゅぐちゅと掻き混ぜるように腹の中を探って、女は天使の腹から赤ん坊を取り出した。おぎゃあおぎゃあと泣き喚く赤ん坊を強く抱き、小さな声で決意を示した。
「絶対に、守るから」
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