ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.334 )
日時: 2022/08/31 21:16
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 8GPKKkoN)

 26

「感情を持たないヒメサマが唯一執着ができる者はひとりだけだった。ひとりはヒメサマにとって特別な存在だった。道具という観点からしてもね。ひとりが現れたということはヒメサマは支配者マストレスの権限を与えられたということだ。支配者マストレスである以上、ひとりに執着せざるを得ない。ヒメサマはあいつになら溺れることができるんじゃないかって思ったんだ。そして人の真似事を、つまり依存の真似事を始めたんだね。本当は何とも思っちゃいないよ、あいつのことなんて。道具としてしか見てない」
 そうか、そうだったんだ。姉ちゃんは笹木野龍馬を愛してなんていなかったんだ。姉ちゃんは誰のものでもなかった。
「それは違う。ヒメサマはオイラたちのものだよ。そして、オイラたちはヒメサマのものだ。オイラたちは元はヒメサマだったんだ。ヒメサマは自らの力そのものを使ってオイラたちを生み出した。オイラたちはヒメサマの一部、ヒメサマそのものだ。元々一つだったんだよ」

 ダイヤは言いきった。

「もう一つの理由って?」
 ダイヤはおもしろくなさそうに口を尖らせた。
「反応薄いなー。イロナシってば君のことびっくりさせすぎたんじゃない? 慣れちゃったんでしょ」
「まあね」
 きっとそういうことなんだろう。行動でも言動でも、あいつには散々驚かされた。それに最近は驚くことばかりだ。
「いいから教えてよ」
「はいはーい」
 ダイヤはあからさまなため息を一つ吐いてからボクの質問に答えた。
「もう一つの理由はひとりにある。ディフェイクセルムであるひとりにね。ディフェイクセルムが他の神に、てか兄弟妹きょうだいにいじめられてたのは知ってるよね? それでディフェイクセルムはヒメサマの元に逃げてきたんだよ。と言っても初めからヒメサマを頼ったわけじゃなくてかくかくしかじか色々あったみたいだけど」
 口頭でかくかくしかじかって言われても伝わらないよ。そこって大事な部分じゃないのか。
「そう怒らないでよ。ややこしいんだよねこの辺は。詳しく話していたら時間かかるし、なによりオイラはあそこまでキミに伝えろって言われてないからさ」
 なるほど、結局はダイヤも自分の役割を果たしているだけということか。そういう奴ばっかりだな。ジョーカーも学園長もダイヤも。違ったのは、スペードだ。全員同じスートのはずなのに、スペードだけはなにか違う。理由があるのかな、気になる。

「スペードのことが気に入ったんだね」
 ダイヤはくすくす笑った。紅玉の瞳が楽の感情を映し出す。
「なに笑ってるんだ」
「別にー? 続き話すね。
 助けを求められたヒメサマはそれに応えた。その時から依存の真似事を始めていたからね、あいつの願いをなんでも叶えてやろうとしたんだ」
 願いを叶えるためにした行動が転生だったということか。とんでもない思考回路だな、常人じゃ思いつかないことだ。明らかにおかしい。
「でもそれがいいんだよねー」
 ダイヤはうっとりと目を細めた。頬を赤らめたことでダイヤを覆う赤色が増えた。ダイヤも他のスートと同じくヒメサマの狂気の虜になっているのだ。
「おっ、いいねいいね、神化が進んでる。その調子だよ、がんばって!」
 ボクはダイヤがなにを言ってるのかわからなくてキョトンとした。いまのどこでボクの神化が進んでいると判断したのだろうか。
「そんなことどうでもいいじゃん。
 かなり噛み砕いたけどこんなもんかな。なにか聞きたいこととかある?」
 聞きたいこと、うーん、どうしようかな、スペードのことも聞いてみたい。でも、なにを聞こう。

 ボクがそうやって悩んでいるとダイヤがボクの手を握って走り出した。
「質問なんてないよねー。ね、遊びに行こうよ! 向こうでフェンリルが暴れてるんだ」
「えっ、ちょっと!」
 ボクの話なんて聞く気がないんじゃないか。質問があるかどうか尋ねたのはそっちだろう。ボクはもやもやしたけどダイヤがボクの手を引く力はかなり強くて、転ばないようにダイヤの足に合わせるのが精一杯だった。
 荒れて固くなってしまった大地を懸命に蹴る。かなり長い距離を走って、ボクはそれなりに体力がある方だと思っていたけれど息切れがした。走り出したときと全く同じ速度でダイヤが走り続けるからだ。その速度も速いしダイヤが全く疲れた表情をしていないことから、人間離れした運動能力を持っていることがわかる。これで手加減しているんだからなおさらだ。
 走っている横で転がる死体はやはり様々な種族が入り混じっている。そして、やっぱりボクはそれを美しいと思うんだ。敵対していた種族が性別も年齢もわからなくなる体になって死を持って一つになる。これが世界が理想とする形なのではないか?

 腐敗臭と混じって血の匂いも濃くなってきた。走るにつれて死体の数も増えていく。遠くで、フェンリルの体が見えた。灰色に染まった空の下、もともと空にあった蒼を吸収してしまったかのような澄み渡った青い毛皮。見間違えるはずのない脳裏に焼き付いたあの蒼が、あの怪物が、かつての笹木野龍馬であることを物語っている。
 フェンリルの側には空中から現れた鎖がある。鎖は無差別に人を巻き付け、ときには突き、叩き潰す。そうやって人は命なき器に成り果てる。フェンリル自身も手足を真っ赤に染め上げて魂の抜けた肉体を貪る。あの巨体ではなかなか腹は膨れないだろう。腹を満たすために殺してるのかは知らないけど。
「あれ、もう疲れたの?」
 息を切らしているボクを見てダイヤが立ち止まった。質問に答えようにも呼吸が邪魔してうまく喋れない。ボクのこの様子を見て判断してくれ。十分体現しているから。
「あの鎖、ずるいよねー。オイラも欲しいや」
 いや、まずボクのことにそんなに興味がなかったみたい。フェンリルを見て呟いた。
「あの鎖がどうかしたの?」
 呼吸を整えながら尋ねてみる。
「知らない? 笹木野龍馬も使っていた武器だよ。鉄製のものならなんにでも形を変えることができるんだ。剣とか鉄球とか」
 そんな武器があるのか。確かに姿を変える武器は、あることはあるけどそれは大抵の場合二通りだ。なんにでもということは有り得ない。まあ、これは神の武器だと言われたら納得できる。驚くに値しない。
「他の神でもなかなか持ってないよ、あれは。いいなあ、いいなあ、触ってみたいなあ。ヒメサマは武器を使わないから珍しい武器に出会える機会ってあんまりないし」
「えっ、でも姉ちゃんは短剣を使ってたよ?」
 ボクが言うと、ダイヤはじろっとボクを睨んだ。

「だから、それは花園日向だって。花園日向とヒメサマは違うって言ったでしょ」
 肉体が違うだけじゃないのか、使ってるのは同じ人物じゃないのか。
「全然違うよ。性格も違うし持ってる力だって違う。狂気も静かだしさ」
 ダイヤはすぐに怒気をおさめた。改めてフェンリルに目を向け、ボクの手を握ってやや興奮したように駆け出す。
「もっと近くで見てみよう!」
「わああっ!」

 ダイヤの足に懸命についていく。フェンリルとの距離がぐんぐん縮まっていくのを体感して背筋がゾクッとした。言いようのない不安に襲われる。でも不思議と死の予感はしなかった。

 突然のことだった。

 フェンリルが消えた。空を覆い尽くすばかりのあの巨体が消え、代わりに目の前に、人型の『なにか』がいた。体格からして男性だ。洋風の貴族らしい、けれど華やかさはあまりない返り血がベッタリついた青と黒の洋服。かなり大柄で、ボクはおろか姉ちゃんの身長も越すのではないだろうか。
 顔は見えない。子供が黒のクレヨンで落書きしたようにぐちゃぐちゃに塗りつぶされている。とは言っても顔に直接塗られているわけではなく、落書きは空間にまで及んでいる。それに、ずっとぐにゃぐにゃと変形している。落書きだと思える範囲で、動き続けている。気味が悪い。気持ちが悪い。

 男はなにも話さない。

 落書きが裂けた。大きな満月が三つ現れ、次第に欠けた。向きのおかしな三日月が、笑っている。位置のバランスからしてそれらは二つの目と口を表すのだろうと分かるが、男の体格から推測されるそれらのパーツからは明らかにズレている。落書きが、笑っている。

「……」

 なにかが聞こえた。それがなんなのかはわからない。『なにか』だった。
「……α……πώ」

 ボクは後ずさった。命の危険ではないが身の危険を感じる。逃げた方がいい。いや、逃げなければいけない。どこに? どこにも逃げられない気がする。それでもいい。とにかく遠くへ逃げるんだ。なのに足が動かない。
 地面に足が縫いつけられたみたいだ。

「χlχlooτοσάςάdτοσρsorsηdοrρτάηalaςlooηρoaσχsςlo……」

 落書きが蔦みたいにしゅるしゅる伸びて、男が発した言葉が文字になって空中に現れた。初めは文章のように綺麗に並べられていた文字が、書く余白がなくなったために先にそこに書かれていた文字の上に重なっていく、そしてどんどんどんどん白い部分がなくなって、やがて空は文字の黒で覆い尽くされた。

「τlsσρoοlrάsσrρσoητaoοηάaχτoρςlχsάdalςηςoχlοood……」

 それでも男は言葉を出すのをやめない。横に収まりきらなくなった文字は上へ下へ、前へ後ろへ現れる。空だけでなく、空間そのものが文字に支配されつつある。
 逃げられずにいたたった数秒でボクの視界は真っ黒になった、真っ黒になった世界の中で三つだけ白く浮かび上がる三日月。瞬きをするたびに三日月がだんだん大きくなる。いや、違う。

 ボクに近づいているんだ。

三つの三日月がボクの視界に収まりきらない程に近づいた。三日月を顔のパーツと見たときに口に当たるそれが、まるでボクを食べようとしているかのようにふくらんだ。

 27 >>335