ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書きをお読みください】 ( No.336 )
- 日時: 2022/08/31 21:09
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 8GPKKkoN)
28
「これが、一時的に預かっていた君の記憶の全てだ」
影は言った。ぐにゅぐにゅと形を変えて、笑った顔のように見える。
「君はよく働いてくれた。予想通りだ。褒美として、君が望むものを与えよう」
ぐにゅぐにゅ、影は立体となってこちらへ伸びた。
「君に名前を与えよう」
かげは輝いた。ゆっくりと底から這い上がってくるような声に侵され、ボクは静かに目を閉じた。
「〈ラプラス〉。君に与える力は【万里眼】。過去、現在、未来を見通す眼だ。そしてもう一つ。霊道の〈案内人〉の役を与えよう。霊道の中は自由に動き回ってもらっていい」
ボクは目を開いた。そのときには影もかげも消えていて、女が二人いた。
「ハ、ハハ……」
花園日向の口から、渇いた息がこぼれた。それはいわゆる笑い声であり嘲笑であり自嘲の笑みだろうが、なんとなく、嗚咽にも聞こえた。
「アハハハハハハハハハハハハハッッッ!!!!!!」
花園日向は天を仰いだ。何重にも木霊するその声は彼女のものであり彼女のものではなかった。彼女は既に彼女ではなくなっていた。いや、既に、ではない。たったいまこの瞬間に『戻った』のだ。どうやら彼女の弟の実質的な死が糸を切ってしまったらしい。彼女の目の前には花園朝日であった器があった。二人の女は、それで花園朝日が死んだことを悟ったのだ。器は十秒ほど経ってから消滅した。
ゼノイダ=パルファノエは困惑した。涙で濡らしていた目元を拭い、花園日向だった少女に控えめに問う。
「どうして、笑っているんですか? 悲しくは、ないんですか?」
少女はくるりとゼノイダ=パルファノエを見る。笑ったその顔に空いた二つの穴からは、透明な液体が流れ出ていた。
「悲しい? なにそれ?」
少女は楽しげにくすくすと泣く。わかりやすい悲哀の笑顔を浮かべながら、虚無に染まっていた瞳に光が宿り始めた。
「知らない知らない。そんなの知らない。知れない知りたい知れない私はそんなの知れない。わタシの罪はわタしの罰はどうしてどうしてワタ私のせいで朝日は死んだ死んだのかな気配はするのだけどそれは朝日じゃないわからないわからないどうしてわからないのワタシは全てを知っているはずなのにわからない許されていない」
少女はにっこりと怒りをあらわにした。その矛先は誰に向いているのだろうか。
「抱く必要がない。ワタシのせいで壊れた者は腐るほどいる。抱く権利がない。ワタシは全ての罪が許される。ワタシは全ての罪が許されない。罪を抱くという行為が許されない。贖罪という行為が許されたい。罪悪感も背徳感も、ワタシは知れない知りたい知りたい」
操り人形のようにかくんと体を傾けて、少女はゼノイダ=パルファノエに詰め寄った。
「わかる? わからない? どうでもいい。悲しいも嬉しいも楽しいも怒りも哀れみも、ワタシはなにもわからない。それが許されていない」
誰よりも美しい光をたたえる金髪に、幼い子供のように無垢な青眼。虚無であった両の眼には色が差し、付き従う精霊はもういない。
「苦痛も悩みもなにもかも、ワタシは全てを奪われた。いや、元から持っていなかった。そしていま、奪われた」
頬を伝う渇いた涙はそのままに、少女は叫ぶ。
「この馬鹿馬鹿しい世界にも、救いがあると思っていた! アハハハッ、それこそ馬鹿みたい!! あるわけないあるわけない! この世界は馬鹿馬鹿しい!!! 同じことの繰り返し、同じ過去の繰り返し、同じ未来の繰り返し!! それに従うワタシも馬鹿馬鹿しい!!!! アハハハハハハハハッッ!!!!!!!」
少女は肩で息をした。最後に大きく深呼吸をして。
『こちら』を見た。
「自己紹介をしておきましょうか」
余裕に満ち溢れた笑みを浮かべる彼女。
「初めまして、神々諸君。ワタシは支配者。名を剥奪された種子の一人だ。聞きたいことは山ほどあるだろう。しかしワタシからはそれを告げられない。その役割をワタシは担っていない」
ゼノイダ=パルファノエの『恐怖』の二文字が刻まれた黒い瞳は少女を凝視している。しかしその文字は『驚愕』に変わった。彼女の瞳に映る少女が突然姿を変えたのだ。なにも異形になったわけではない。ただ成長しただけだ。元々高身長であった少女は背丈はあまり変わっていない。ただし体つきが明らかに女性のものに変わった。微かに残っていた少女の面影は完全に消滅し、ガラス細工のように華奢であった体には付くべき場所に肉が付いた。言ってしまえばそれだけの変化で、それらは大きな変化だった。
「おねえちゃん!!」
重たい空気に突如、明るい声が響き渡った。幼い子供が母親を見つけたときに出すような純新無垢な喜びの声。その声の主はスナタ──名無しだった。
「おかえり、おねえちゃん! 戻って来てくれたんだね!」
弾んだ声に満面の笑み。平凡な彼女の見た目の唯一の特徴とも言える銀灰色の瞳からは光が無くなっていた。その瞳の奥に宿るどす黒い独占欲が、スナタもまた、なにか別の存在に変わってしまったことを告げている。しかし彼女には呼ぶべき名はない。肉体に付属するスナタという名しか。
支配者はスナタを見た。
「なにを勘違いしているの? ワタシはお前のものではない」
「うん、わかってるよ。お姉ちゃんは誰のものでもない。むしろワタシがお姉ちゃんのものなんだ!」
スナタはうっとりと目を細める。頬をとろけさせて狂気すら感じる眼差しを彼女に向ける。彼女に陶酔しているようで、彼女に酔いしれている自分自身に酔っているようにも見えた。
スナタは支配者の狂信者だ。スナタは本来この世界が創られる前に種子が滞在していた世界の住人であった。二人は姉妹として生を受け、共に育ち、無限の時間を過ごした。あの世界の住民に『寿命』という概念は存在しなかった。スナタにとって種子は、退屈な悠久の中の唯一の光であった。スナタは生まれついての種子の狂信者だったのだ。
種子は種のいない世界に用はない。世界を一通り見て回ったあと、そこが種がいない世界だとわかるとすぐに創世の準備を整えた。当時の彼女にはまだ自らの宿命を疑う心はなかった。
異世界転生。支配者はそれをひたすらに繰り返して種を探し求めてきた。種子はなんの疑問も抱くことなく無感情に、そして機械的にそのときも異世界転生をしようとした。
しかし。
『ワタシも連れて行って!』
目ざとく種子の行動を付け回し把握していたスナタは彼女にそう言った。姉であった種子以外に親しいものがおらず、他者と友好関係を築くなど頭の片隅にすらその考えがないスナタにとって姉を失うことは実質的な『死』であった。
神は気まぐれだ。そのときの彼女もそうだった。彼女の正体に気づき彼女の行動を予測する者はそのときまでにも何度も何度も存在した。しかしそれに同行したいなどと言い出す者はいなかった。種子はただ『面白い』とだけ思い、たったそれだけの理由でスナタを異世界転生させた。種子である彼女にとっては造作もないことだ。一人であろうが百人であろうが一億人であろうが、彼女が指先一つ動かす数秒で運命はねじ曲げられる。ときによってはねじ切られることもある。スナタもまた、犠牲者であった。
「日向!!!」
スナタが支配者と二人だけの空気を作りあげた気になっていると、ふとそう叫ぶ青年がいた。鬱陶しそうにスナタはそちらに目をやる。
「なによ、蘭。ワタシとおねえちゃんの邪魔をするつもり?」
「邪魔とかじゃない!」
彼は姿の変わったかつての花園日向を見て、絶望の表情を浮かべた。崩れ落ちそうになるひざを懸命に支え、奥歯を強く噛んで言葉を絞り出す。
「遅かったか……」
とにかく悔しそうな顔をする彼。彼もまた、スナタとは違った意味で特殊だった。ディフェイクセルムと同様に、支配者によって神から人間に堕とされた存在。こちらも自らそれを望んだ。彼はかつてのヘリアンダー。ディミルフィアとして転生した支配者の弟だった。そして彼は再び神に堕ちていた。
支配者は唯一無二の存在だ。彼女は彼女の意志に関係なく精神を歪めてしまうほどに心酔する信者を生み出してしまう。スナタもスートも種も花園朝日もそうだった。しかしヘリアンダーは違った。彼は精神を侵されてはいない。彼はただ弟として、姉であるディミルフィアを救いたいと思っていた。それは純粋な家族愛から起こる感情であり、時空の頂点に君臨する支配者への畏敬の念であり、己の宿命に抗おうとして苦しむ女への慈悲でもあった。
「日向! 戻れ! 頼む、頼むから日向に戻ってくれっ!! じゃなきゃ、じゃなきゃ」
必死に訴えるヘリアンダーの声を支配者は確かに受け取った。その上で彼女は彼を鼻で笑う。
「何故?」
とっくに手遅れであることはヘリアンダーも理解している。それでも諦めるという選択肢を無視して彼女に訴え続ける。
「全部が振り出しに戻るからだよ!!! このままじゃ日向は本当に支配者に戻ってしまう! これまでの記憶もなくして帰って来れなくなる! あと少しだから! あと少しだけ耐えてくれ! 頼む!!!!」
支配者の思考の変化は世界にとって、そして時間にとって想定外のことだった。自分の宿命に疑問を抱くなど他の種子はしなかった。無条件に宿命を受けいれるか、もしくは宿命に伴う種子だけの特権に傾倒する。彼女は数えることもできない無限の世界と時間を越えたあるとき、ふとこう思った。『自分はなにをしているんだろう』、と。この異変はバグと呼んでもいいだろう。ひとたび生じたバグは猛烈な勢いで支配者を侵食した。自分がなんのために生きているのか、自分のすることになんの意味があるのか、この宿命を背負うのがどうして自分でなければならなかったのか。彼女はなにもわからなかった。そして、答えを求めてしまった。答えという名の、救いを。そんなものがあるわけないと知りながら、彼女は種と出会った。出会ってしまったとでも言おうか。種は彼女にとっての救いそのものであった。彼女を彼女の宿命から解放する鍵となる彼。
「リュウさえ、戻ってきたら……」
支配者は無情に呟いた。
「リュウって誰だっけ」
29 >>337