ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書きをお読みください】 ( No.340 )
- 日時: 2022/09/14 20:13
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: jk2b1pV2)
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ヘリアンダーは目を見開いた。海水が目に触れることも厭わずに瞼を持ち上げ、遠ざかっていく海面を見た。
(まだ戦える)
なにが彼を戦わせるのか。彼は優しすぎるのだ。それは愛ゆえであった。姉を、そして友を愛する心が彼の原動力であった。
救いたいという感情があまりにも大きい。花園日向もその感情は大きかったが彼には劣るし、なにより彼女と彼の救いたいという感情には明らかに違いがある。花園日向は確かに花園朝日を救いたいと思っていた。しかしそれはあくまで花園日向が花園日向という精神を維持するためだけに抱いていた感情だ。そう、自分のためなのだ。対してヘリアンダーはどうだろう。ヘリアンダーは自分の利益などは考えていない。彼はあまりにも純粋だ。
彼は姉と友、二人を愛していた。家族愛、そして友情。彼女が支配者のとしての宿命に苦しんでいると知ったときから、彼が支配者の元に逃げてきて助けを求めたときから、彼はなんとか二人を救いたいと思っていた。彼は無力な自分を呪ったりした。太陽神の力が通用するのはこの世界だけだ。彼が立ち向かおうとしているのはそれより大きな時空そのもの。彼は限りなくちっぽけな存在だ。
(まだ戦える!)
ヘリアンダーの魂に火が灯った。
スペードは腕を組み、頭を働かせた。ヘリアンダーの弱点が水であることを知っていたから、海の中に落とされたヘリアンダーが復活する可能性は低いと判断した。心も折れてしまったに違いないと思った。あながちそれは間違っていない。
「しかし、惜しい才能が消えてしまいましたね」
スペードはぼやく。スペードがヘリアンダーを必要としていたのは、ヘリアンダーが種と親しい間柄であるからだけではない。ヘリアンダーはスペードがいままで見てきた無数の存在たちの中でもいい意味で異質な存在だった。
支配者は人を狂わせる才能がある。だが彼は狂わなかった。支配者とあれほど近い関係を築いていながら心を壊さず病まず正常で居続けられるのは、彼の才能だ。そして諦めずに戦い続けられる彼の強い精神も評価していた。ヘリアンダーならば支配者を救うまで共に協力し合えると思っていた。それだけにスペードは彼に失望の念すら抱いた。
所有している力だけで言えば、スペードにとって、ヘリアンダーはちっぽけな存在だ。だとしても仲間がいるというだけでスペードの心にもゆとりができた。それが失われた彼は、どうするのだろうか。
どうもしない。
彼はこれまでと同じように孤独に戦い続けるだけだ。スペードは種に向き直り、戦いを再開しようとした。曇り空は太陽を失って暗転していた。
スペードの行動を止めさせるほどの出来事が起きた。大地が裂けるほどの地鳴りが起こった。スペードは宙に浮いていたため影響は少なかった。
種の攻撃か第三者の介入をスペードは考えた。が、この地鳴りを起こしている力の根源が海のほうにあることから力の主をいとも容易く推測する。
その推測は確信に変わった。海の中に巨大な火柱が立つ。爆発の煙すら炎に変わったような火柱。その大きさは彼らがいるこのバケガクの面積にも劣らないだろう。火柱は海を焦がした。
スペードは火柱の中に一人の青年を見た。頭頂部から毛先にかけて金から橙のグラデーションという珍しい髪色。彼が少し気にしているらしい童顔の中に埋め込まれている、炎の灯る橙色の瞳。白の衣服は彼が自ら生み出した炎に焼かれつつある。
不覚にもスペードは、このときヘリアンダーに見とれていた。スペードが見たヘリアンダーの魂はこれまで見てきた魂の中で見たことがないくらい純粋で無垢で、それでいて激しい炎を宿している。スペードは彼以上に美しい魂を持った存在を知らない。支配者の魂が持つ美しさは、ヘリアンダーのものとは少し違う。比較はできないのだ。
スペードは眩しそうに目を細めた。なにも火柱が放つ強烈な光に目をやられたのではない。スペードが眩しく感じたのはヘリアンダー自身だ。スペードはただのヒトであるヘリアンダーが誰かの為にここまで動けることを不思議に思った。
火柱が、海水が蒸発して剥き出しになった地面から消えた。燃え尽きたのか、いやそうではない。地面から離れただけで火柱は存在し続けた。円柱状だった火柱が、体積はそのままに形を球体へと変える。暗闇の中に光源が浮かぶ。
太陽はその存在を空から地上へ移した。太陽光は空間そのものを包み込み、世界の色を金に塗り替えるような勢いで大地を照らした。
ヘリアンダーはちっぽけな存在だ。支配者に種にスナタにスートたち、ヘリアンダー以上の存在は腐るほどいる。しかしそうだとしても、ヘリアンダーを核として誕生した太陽は彼がこの世界における二番目に地位の高い神であることを知らしめるには十分なほどの存在感を放っていた。それにはスペードの心も震えたし、種も自らにとって危険だとわかった。すかさずブツブツと言葉を並べる。
「άχχττηοςρητχάτςάρσσσρορηοηάχςοσς」
文字は具現化して空間を黒く染める。太陽の光も遮る濃密な黒。それを弾く白が横から割り込んだ。スペードが稲妻にも見える白い雨を降らせたのだ。黒い文字はボロボロになって剥がれていく。
ヘリアンダーの金、種の黒、スペードの白が衝突する。この場に下界人がいたならば、死体すら残せず消え失せることだろう。しかし神々の戦争を間近で視界に捉えることができたことによる幸福感で死の絶望を感じないかもしれない。
(これで、最後にしよう)
太陽の中心でヘリアンダーは目を閉じていた。深呼吸をして、熱い熱い空気を肺いっぱいに吸い込む。炎と同化し、自分すら太陽に溶け込んだのだと錯覚する。
ヘリアンダーは目を開き、縦に細くなった瞳孔を世界に主張する。文字に表し難い不思議な言葉を唱えた後に、彼は言った。
「戻ってこい、リュウ!」
「【キセキ・燦爛玲瓏】!!!」
世界は彼に魔法の使用を認めた。太陽からより強い光──火焰光が放たれた。火焔光は一見すると、種を中心とした半径一キロメートルほどの円状に大地を燃やしたように見えるが、その場にいた三人の神は種の魂に攻撃が集中していることを本能的に理解した。
「SnoSnoccoionSoSSncnnionooccinniSonoiincoon」
種の黒い文字は太陽を襲うために伸びていったが、太陽に到達する前にスペードの白い雨に打たれて消滅する。攻撃を遮るものがなくなったヘリアンダーのキセキは正確に種の魂、その弱点を捉え、そして見事に撃ち抜いた。
種は最後のあがきに一言だけ言葉を述べたが、それは白い闇に消えていった。
「Gartais tbii」
─────
リュウは困り果てていた。自分が一秒前なにをしていたのかさえ記憶が曖昧なのだ。頭を回転させてこの場所がバケガク内の西の海岸であることはすぐに理解できたが、今度はなぜここに自分がいるのかわからない。
「やっと、起きたのかよ……」
一番困惑したのはいま声を出した彼の存在。リュウは、彼がよく知り合った人物であることは理解していたがどうして彼が東蘭からヘリアンダーに戻っているのか、どうして傷だらけで服もボロボロなのかわからない。
「返事しろよ」
ヘリアンダーはリュウを睨んだ。リュウは数秒沈黙して慌てて言う。
「うん」
「本当に戻ったのか?」
見た目だけならリュウは元に戻っている。と言っても顔に被さっていた落書きが取れただけだが。人の言葉も話している。それでもヘリアンダーは信じられず、疑いの眼差しをリュウに向ける。リュウは彼に対してなにか疑われるようなことをした覚えはなかったので、さらに困惑した。
「戻ったのかって言われても、自分がいままでどうしたのか記憶がないからなんとも言えないな」
ヘリアンダーは盛大にため息をついた。リュウはなんとなく申し訳ない気がして、小さくなった。
「なんともないのか? 体に異変とか」
リュウは自信を持って首を横に振ることができた。
「そういうのはなにもない。ただ本当に記憶がないだけだ」
ヘリアンダーはそこで初めて笑った。やっとリュウが戻ってきたと感じることができたのだ。
「そうか」
安心故か疲労故か、ヘリアンダーは地面に倒れた。ガンッと強い音がして、ヘリアンダーは地面に後頭部を思い切りぶつけた。
「おい、蘭?!」
リュウはヘリアンダーの元に駆け寄った。
彼は東蘭ではなくヘリアンダーであるが、リュウは蘭という呼び名の方が呼び慣れている。とっさに飛び出てきたのは、ヘリアンダーが人間であったときの名前だった。
「疲れた、寝る」
「はぁ?」
呆れたように言うリュウの声にヘリアンダーは苛立たないわけでもなかったが、同時に安堵する自分もいるのを自覚した。苦笑混じりに微笑んでリュウに告げる。
「日向を救えるのはお前しかいない。あいつにはお前が必要なんだ。
あとは、頼んだ」
ヘリアンダーの体が黒くなった。目を丸くするリュウを見て言葉を続ける。
「しばらくは眠りにつくよ。数世紀くらい眠ってたって世界に支障はない。消えるわけじゃないから、太陽は変わらず空にあるままだしな」
曇り空の隙間から太陽の光が差し込んだ。だが、そんなことはリュウにとってはどうでもよかった。ヘリアンダーの体が地面に沈みかけている。そちらのほうがよほど重大だった。
「蘭、蘭!」
「寝るだけだって。また会えるよ」
ヘリアンダーは目を閉じた。
『お や す み な さ い』
スペードはヘリアンダーが眠りにつくことを知っていた。あれほど力を使ったのだからいくら神であっても休息が必要だ。最後に残された時間を使ってリュウに言いたいことがあることもスペードはわかっていたから、二人の会話を邪魔することはせずにただ見守っていた。そして、ヘリアンダーの体が地面に消えていったのを見て、放心するリュウに話しかけた。
「はじめまして」
支配者は自らの宿命と種としてのリュウの宿命をリュウに知られることを避けていた。だからあえてスペードもリュウの前に出ていったことがなかったのだ。二人は初対面だ。スペードが話しかけるとリュウはびっくりして肩がビクッと跳ねた。
「ワタシはスペード。ヒメサマの、あー……」
スペードは少し考えた、話すと長くなる。いまさら隠すことでもないし、これからのことに必要な情報は全て包み隠さず伝えるつもりだ。だがいまはリュウ自身も困惑していることだし、今は伝えるべきじゃないそう判断し言おうとしていた言葉の内容を変えた。
「ヘリアンダーはあなたのために、そして、花園日向のために戦ってくださいました」
スペードは支配者を花園日向と呼ぶことに抵抗があった。しかし彼女を支配者と呼んでもリュウにはいまいち伝わりづらい。花園日向のためにという言葉にリュウは反応した。
「日向になにかあったんですか?!」
リュウはなんとなくスペードに敬語を使わないといけないという念に駆られて思わず敬語を使った。それに違和感を覚えることは一切なかった。
興味を持っていることだし、支配者のことならばいくら記憶が混同しているとはいえ理解してくれるだろう、スペードはそう考えて支配者に起こったことをリュウに全て話した。宿命の話はスペード自身もややこしいと思っていたので省いて、支配者が種を探し求めていたことや、どういう理由であのように無感情になったのか、そして、リュウのよく知る花園日向の存在は記憶を失ったためにもういないこと、支配者はリュウとしての種の記憶をなくしていること。
リュウは驚愕し、悲しみにくれた。なにも言わないまま彼は海の向こうを見た。なにがあるわけでもない。スペードは彼がなにを見ているのかぼんやりとわかった。
「それでも」
リュウは呟く。
「おれは貴女を、愛してる」
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