ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.62 )
日時: 2021/04/01 18:12
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: eUekSKr/)

 1

 さらさらさら。川の流れる音がする。
 じゃぶじゃぶと、私は血にまみれたローブを洗う。
 はじめは川は真っ赤に染まっていたけれど、だんだん赤色は透明になってきた。

 ごそごそごそ。

 急に、これまでなかった音がした。私は音がした方向を見た。音の根元は、私のリュックだった。
『ぷはぁっ! あっつーい! なんでえ?』
 急にうるさくなった。
「何してたの」
 リンはキョトンとした。
『寝てた』
「ずっと?」
『うん』
 私は、はあ、とため息を吐き、作業に戻った。
『ねえ、ベル。暑いよおー』
『仕方ないでしょ。たぶんここは、火山地帯なのよ』
『火山ってなに?』
『火山っていうのは……』
 ベルは何をしていたんだろう。まさかベルまでずっと寝ていたとでも言うのだろうか。
 ずいぶんとローブの汚れが落ちた辺りで、リンが私のそばへ来た。
『何してるの?』
「洗濯」
『それはわかるよ。何洗ってるの?』
「ローブ」
『ろーぶ?』
「うん」
 すると今度はベルが、呆れたように言った。
『またやったの?』
「うん」
 ベルは腰に手を当て、仁王立ちの格好をした。
『そんなにポンポン殺しちゃダメって言ってるでしょ! 死んじゃったらそれまでなのよ?』
「うん」
『うん、じゃない! まったくもう』
 そう怒るベルに、リンが尋ねた。
『ベル、殺すってなに?』
『命を消滅させることよ』
 精霊は、無知な存在。だからだろうか。リンは、私が殺しをしたと知っても、いまいちぴんとこないようで、私を恐れたり、怖がったりは、しなかった。
『ふうん。
 あれ、みんなは?』
「向こうの温泉」
 私は顔も上げず、方角も示さなかった。けれど、ベルがその温泉を見つけ、場所をリンに教えた。その場所はそのままの位置では見えないが、少し移動すればすぐに見つけることが出来る。
『あれかあ。日向は行かないの?』
「うん」
『どうして?』
「必要ない」
 向こうには、他の生徒も集まり、雰囲気は宿泊学習の時のようだ。そこそこ距離があるが、賑やかで楽しげな様子が、こちらまで伝わってくる。
 そもそも三人が向こうへ行ったのも、スナタがお風呂に入りたいと言い出したからだ。
 時間の効率を考えて、私がローブを洗っている間に体を休めてくれば良いと、提案したのだ。
『三人一緒に入ってるのかな?』
 リンの何気ない言葉に反応し、ベルは顔を真っ赤にした。
『そんなわけないでしょ!? ちゃんと男女で分かれてるわよ! ほら!』
『ほらって言われても、私には見えないよ』
 ベルは必死になってリンに向こうの状況を説明していた。そんなにむきになる必要はないと思う。
『そ、それにしても』
 ベルは私を見た。
『日向もここ数日お風呂に入ってないでしょ? 魔法で綺麗にしてるとはいえ。思春期でしょ? いいの?』
「思春期なのは年齢だけ」
 私はたんたんと答え、ローブを洗う手は止めない。
『そういえば、日向の年齢って聞いたことなかったね』
「うん」
 リンは少しむっとしたようだ。理由は不明。
『何歳なの?』
 私は少し間を空けてから答えた。
「三十五歳」
『えっ?!』
『日向は天陽てんよう族の血が流れてるのよ』
『てんよーぞく?』
「ベル」
 私は手を止めた。ベルを見ることはしなかったけど、ベルは私の一言で察したようだった。
『また今度教えてあげる。
 ねえ日向。血を洗ってるってことは、もしかして、この水は冷たいの?』
「違う。私が冷やしてる」
『水浴びしていい?』
「うん」
 ベルより先に、リンが叫んだ。
『なんだあ! それを早く言ってよお!』
 そう言うや否や、リンは川に飛び込んだ。
 流されたりしないかな。
『リン! もっと上流に行かなきゃ! 血で汚れるわよ!』
 ベルも慌てて川のなかに入っていった。

 ローブはすっかり綺麗になり、水面には、私の顔が映し出される。
 頬に血がついた私の顔。
 ごし、ごし。
 もう乾いてしまって、強くこすらないと血は取れない。
 手が水に濡れていたからか、頬の血はすぐに取れた。
 ごし、ごし。
 それでも私は、何度も頬をこする。
 何度も、強く。

 2 >>63

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.63 )
日時: 2022/03/12 16:30
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: uqhP6q4I)

 2

 私はローブを乾かしながらスナタに言った。
「わざわざ、着替えたの?」
「え? うん」
 スナタは言葉を続ける。
「だって、せっかくお風呂に入ったんだもん。入浴と着替えはセットでしょ?」
「知らない」
「というか、本当によかったの? 日向も、今からでも入ってきたら?」
「しつこい。必要ない」
 それに。
「私は着替えは持ってない」
 スナタはたった今、自分で二つをセットだと言った。私はそのうちの一つを行えない。
「あきらめて」
 するとスナタは、目を丸くした。
「ええっ、持ってきてないの?!」
「洗浄魔法で着たまま洗えるから」
 それに、今私が着ているこの服は、弱いながらも汚損防止の効果魔法を付与している。上からローブを着ているから、なおさら着替えは必要ない。
「えー。日向ならアイテムボックスの空きは何十個もあるでしょ?」
「スナタ、それ、皮肉が入ってないか?」
 少し遅れてやってきた蘭が言う。
「なんのこと?」
 とぼけた調子でスナタが蘭を見た。
 何十ではないのだけれど。
 まあ、いいや。
「今日はこの辺で休むか?」
 リュウの提案に、私たちは頷いた。
「そうだね、お風呂にも入ったことだし」
 スナタはそう言うなり、蘭に言った。
「ねえねえ、あの狼の肉、出して」
「わかったから急かすなって」
 蘭が呆れたように言いながら、アイテムボックスから肉を出した。
さばくから、貸して」
 私は短剣を手に取り、蘭に言った。
「そのローブ、洗ったばっかだろ? おれがやるからいいよ」
 蘭こそ良いのだろうか。
「汚れるよ」
 蘭はにやっと笑った。
「おれの獲物だ。最後までおれがやる」
 その表情は、本当に楽しげで。
 気を遣っている、ということでは無さそうだった。
「なら、いい」
 私は肉の処理を蘭に任せた。蘭の処理スキルは中々のものなので、出来栄えは問題ない。
「スナタは薪を組んどいてくれ。前に使ったやつ、残ってるよな?」
「うん、たくさんあるよ」
「じゃあ頼んだ」
「はーい」
 二人は自分の役割をこなすべく、作業に取りかかった。
「最近、肉と魚しか食べてないよな」
 することが思い付かなかったのか、リュウは私に話しかけた。
「仕方ない」
 それしか食材がないのだから。前に手に入れた≪ジャンカバの実≫も、とっくに底を尽きてしまった。

 びしゃっ

「うわっ」
 リュウが飛び退いた。
 みると、リュウが立っていた場所に、血がついていた。
「おー、わるいわるい」
「わざとじゃないだろうな」
「あっはっはっはっ」
「否定しろよ。
 はあ」
 リュウはため息を吐いた。蘭は全く反省していない。
「暇なら、散歩でもしてきたらどうだ? 特に日向、休んでないだろ」
「必要ない」
「知ってる」
 蘭は苦笑いした。
「でも、行ってこいよ。たまには良いだろ。見回りがてら。な?」
 な? と言われても、困る。
『日向! 行こうよ!』
 リンが目を輝かせて、私に言った。
「行きたいなら、行けば良い」
『私が迷子になったらどうするの!』
「ベル」
 私はベルに、リンについて行くよう目で伝えた。
『わかったわ。リン、行きましょう』
『えー。日向も行こうよー』
「断る」
『なんでよお!』
「勝手に遊んで、戻ってきて」
 きりがないので、ベルにそれだけ言うと、私は黙った。
『むうううう。もういいもん!
 ベル、行こう!』
 リンはなぜか怒ったようで、やや速いスピードで飛んでいってしまった。
 リィンリィンと、涼やかな鈴の音が、静かに響く。
『あ、待って!』
 ベルが羽を動かし、シャランシャランと音が続く。
 二人の姿が完全に見えなくなると、リュウが言った。
「あー、で、どうする?」
「?」
「散歩、するか?」
 リュウはわずかに私から目線をそらし、気まずそうに頭をかいた。
「気まずいなら、無理して行くこと、ない」
 私の言葉に、リュウは、焦ったように早口で言う。
「いや! 気まずいとか、そんなこと」
 ない、までは言わなかった。やはり、気まずいのだろう。
「私に休息は必要ない。見回りなんてしなくても、モンスターが近くにいないのはわかる。リュウが無理して私と一緒にいることない」
 私の先ほどの行動が、リュウの気分を害してしまったのだろう。それなら、ある程度、距離をおいたほうがいい。
 そう思ったのだけれど。
「ちがう!」
 リュウは、慌てているのか悲しんでいるのか、よくわからない表情で、私に言った。
「あー、そのー」
 わずかな時間、リュウは私の目をみたあと。
「あたまひやしてくる!」
 そう叫び、どこかに向かって駆け出していった。

 3 >>64

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.64 )
日時: 2021/04/01 18:15
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: eUekSKr/)

 3

「ねえねえ、日向。もしかして、この階層に残ってるのって、わたしたちだけだったりする?」
 どうして私に聞くのだろうか。そう思わなくもなかった。けれど、わざわざ言葉にするほどのことでもない。
「風魔法で、調べたら?」
「あ、そっか」
 スナタはぶつぶつと詠唱を唱え始めた。
 ああ、なるほど。薪を組み終わって、暇なのか。
 スナタの言う通り、この階層には私たちしか残っていない。他の班は、時間が惜しいのだろう。なんせダンジョン攻略というのは、早い者勝ちなのだ。

 あれ?

 私たちだけ。ということは。

 嫌な、予感が、する。

「スナタ。リュウ、見てくる」
 詠唱途中だったから、返事こそしないけど、聞いてくれているだろう。
「気をつけていけよ」
 蘭も聞いてくれていたようだ。
「って、気をつける必要もないな。すぐ戻るか?」
「わからない」
 私の答えに、蘭は不思議そうな顔をした。
「何かあるのか?」
「わからない」
 今度は、戸惑うような表情を浮かべる。
「嫌な予感がする、だけ。現実になるかは、わからない」
 ようやく蘭も理解したようで、うなずいた。
「詳しいことは、あとで。」
 私はローブをはおり、立ち上がった。
「行ってくる」
「おう、行ってらっしゃい」
 リュウは、たしか、こちらの方に。
 川を沿って、歩く。歩く。

 あくまで、予感だ。絶対ではない。
 でも、だけど。

 失うわけにはいかない。絶対に。

 たいして距離はなかったように感じる。
 一分にも満たない時間にも、五分以上にも、十分ほどにも感じるだけの時間歩いた先に、リュウはいた。

 たそがれている。その表現が適切だ。

 足を組み、川辺に座り込んで、ぼうっとしている。特に何かをしている様子はない。ただひたすら、水面を覗き込んでいる。
 しかし、私の気配に気づいたのか、リュウは顔を上げ、かすかに笑った。
「おー、日向、どうした?」
 私は会話が出来る距離まで近づくと、リュウに尋ねた。
「馬鹿みたいな格好の男、見た? 何か、されてない?」
「は、え?」
 見てないのか。
「なら、いい」
 リュウは目を白黒させた。
「日向がよくてもおれはよくないよ。どうしたんだ?」
 私がその問いに答えようとした、その瞬間。

「馬鹿みたいって、そりゃないよぉ。ボクの正装だよ? これ」

 耳障りな声が、不気味に響いた。

 4 >>65

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.65 )
日時: 2021/04/17 09:44
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: wECdwwEx)

 4

 声のした方を見ると、やや遠い、壁の少し出っ張っている部分に、男が立っていた。
 黒い髪に、黒い瞳。目は細く、笑っているくせに鋭い光を放つ。
 赤と黒で統一された、派手な格好。
 視界に入れるだけで、反吐へどが出る。
 男は頭のシルクハットを取り、演技めいた動作でお辞儀をした。
「そこの、りゅーくんだっけ? 初めまして。ボクは〔黒の道化師〕。道化師と言っても、ボクの仕事は裏側だどね。
 仲間内でからかい半分で呼ばれてただけなんだけど、おおやけになっちゃった」
 リュウは、目を見開いた。
「黒の……? 〔十の魔族〕か!」
「ピンポンピンポン。大正解。知ってるんだね、えらいえらい」
 からかうように、いや、からかっている。男は、ジョーカーは、からかう言葉をリュウに言ったあと、なめ回すように、リュウを見た。
「日向、あいつ、なんなんだ?」
 リュウは私に説明を求めた。
「呼び名は、〔ジョーカー〕。本名は知らない。
 例の組織の、幹部」
 ジョーカーは微笑んだ。
「そーそー。例の、ね。幹部って言っても、ボスの下の下の下くらいだけど。
 ああ、警戒しないで良いよ。今回の目的は、君じゃないから」
 ジョーカーは、ふわりと飛翔し、とんっと小さな音をたて、私たちの前に立った。
 そして、まっすぐにリュウを見た。
「今回『は』って言ったけど、正直、君に興味ないんだよね。『日向ちゃん』と関われるから、ボスの下にいるけどさ」
 眉間にしわが寄るのがわかる。
「あれえ? 嫌だった? だって、ボクの知ってる日向ちゃんの名前を呼ぶのは、タブーなんでしょ?」
 楽しそうに。可笑しそうに。ジョーカーは言う。
「そのくせに、りゅーくんは良いんだね。細かいし面倒臭いくせに、穴はあるんだ。
 楽しいね」
 知るか。
「ってことだから、安心して良いよ。ボクはジョーカー。組織の切り札。だけど君に手を出さない。
 だから、日向ちゃんもわかってたんでしょ?

 ボクがいると知っていて、ボクを放置したんだから」

 リュウが、声を漏らした。
「え」
 そして、私に問う。
「日向、知ってたのか? こいつがいること」
「うん」
 ジョーカーは満足げにうなずいた。
「うんうん。君はボクがあとをつけていることに気づいてなかったんだね。当然さ。君と僕じゃあ、レベルどころか次元が違う」
 次元が違う。その言葉で、リュウは全てを理解したようだった。説明する手間が省けて、助かる。
 私はリュウの前に立った。
「何の用?」
 ジョーカーは嬉しそうに目を細める。
「日向ちゃんに聞きたいことがあるんだよね」
 そして、両手に三本ずつ、計六本の小さなナイフ、投げナイフを手にした。

「そこのりゅーくん、殺して良い?」

 5 >>66

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.66 )
日時: 2021/04/01 18:16
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: eUekSKr/)

 5

「は?」
 私が睨み付けると、ジョーカーは頬を赤らめた。
「あー、良いね。その表情、素敵だよ」
 気持ち悪い。
「さっき言った『手を出さない』っていうのは、あくまで『ボスの命令』が理由で手は出さないってことね」
 くるくると、ジョーカーの手の上でナイフがまわる。
「ボクはね、日向ちゃんが大好きなんだよ」
 唐突に、ぼそりと、ジョーカーが言う。
 リュウは何も言わずに、ジョーカーの言葉を聞いている。
「さっき冒険者を殺したときみたいな、わかりやすく頭のネジがぶっ飛んだような、あの、狂った、昔の日向ちゃんが」
 ジョーカーは言葉を続ける。
「いまみたいな静かな狂気は、ボクの好みに合わない」
 そしてナイフをそれぞれ指の間に挟み、私の後ろ、リュウに向けた。
「君を殺せば、きっと、日向ちゃんはおさえきれない狂気をボクに向ける」
 紅潮した、うっとりとした表情。
「見たい。見たい。ボクは見たい。
 あの日向ちゃんが、どうしようもなく!
 ああ羨ましい! 日向ちゃんの狂気を一身に受け、死んでいったあの三人が!!」
 気持ち悪い。

 何も、感じない。

 こいつは昔からそうだ。何も変わってない。

 そして、私も。

「日向ちゃん。ボクを止めてみなよ。そいつを殺すからさあ。怒ってよ。
 狂ってよ」
 馬鹿馬鹿しい。
「!」
 ジョーカーの顔色が変わった。
「おい、日向!」
 リュウは私を、私が自分の首に突き立てた短剣を見て、叫んだ。
「だめ?」
「だめに決まってるだろ! やめろ!」
 リュウは珍しく本気で怒っていた。
 わからない。なぜ怒るのか。その必要があるのか。

 理解したいのに、わからない。

「こうするのが一番早いよ」
「だめだ!」
 そう私たちが話していると。
「やっぱりそうか」
 呆れたような、がっかりしたような、ジョーカーの声。
 ……違う。
「お前が元凶なんだ」
 怒りの声。

 6 >>67

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.67 )
日時: 2021/04/01 18:17
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: eUekSKr/)

 6

「おれが、元凶?」
 これまで沈黙を貫いていた、リュウが呟いた。
 ジョーカーは答えずに、ナイフを投げた。

 ひゅんっ

 空気を切る音がする。
 私は魔法の障壁でナイフを防ぐことにした。あのくらいなら、これで十分だ。
 魔力を集め、薄く広げる。そしてそれをだんだん濃縮させ、層状にする。
 うん、一瞬で行った割にはそこそこの出来ではないだろうか。
「あっ」
 小さく、声が漏れた。私は急いで短剣を構え直し、飛んでくるナイフを見据えた。

 バリィィイン!!

 障壁が壊れる音。しかし、ナイフの勢いは緩まない。

 ガキッ

 短剣とナイフがぶつかり合った。バチバチと、火花が散る。
 重たい。ナイフを止めるだけで精一杯だ。力を溜めるだけの時間がなかった。
 というのは、ただの言い訳にしかならない。
 力を見誤った。それが招いた結果だ。
 気を抜けば短剣が吹き飛ばされる。もしかしたら、腕が折れるかもしれない。

 私はいい。リュウにこのナイフが当たらないようにしないと。

【風魔法・突風】
【白魔法・筋力補強】

 二度の魔法を同時に使い、ナイフを弾き飛ばした。

 キィィィィン

 金属音が響き渡る。
 地面に突き刺さったナイフを見て、ジョーカーは満足げにうなずいた。
「うんうん。流石だね。すぐに間違いに気づいたんだ」
 そして、にやりと笑う。
「『日向ちゃん』がボクと戦うのは、初めてだからね。以前と同じ戦い方じゃ、ボクとの力量の差には対応できない」
 そんなこと、わかってる。
 自分より弱いものに遭遇することがいままでなかったから、忘れていた。それだけだ。
 それだけ、ではある、けど、それで、リュウを、危険に、さらした。
「リュウ、動かないで」
 私は後ろにいるリュウに言った。
「絶対に守るから」
 返事が、ない。
「リュウ?」
 私は振り返り、リュウを見た。
 リュウは、目を見開き、驚いたような、絶望したような、そんな表情をしていた。
 私は理解が出来ず、戸惑った。
 でも、リュウに尋ねることはできなかった。
 リュウの目は焦点を失い、光が失くなっていく。
 目が虚ろになり、ガクンと膝をついた。
 しばらくその体勢で停止したあと、右手がびくんと動いた。
「あ、あー」
 声が出ることを確認するように、リュウが言う。
 そして、立ち上がり、顔を上げる。
 右目と前髪が一房ひとふさ、真っ黒に染まっていた。
 首を回すも音はならない。そりゃそうだ。体はリュウなのだから。
「あー? 何見てんだよ」
「リュウと話してたから」
 するとリュウは鼻で笑った。
「話してなんかねーだろ。こいつが何してたのかは全部わかってんだ」
「なら訊かないで」
 私はジョーカーに目線を戻した。ジョーカーは、困惑しながら笑っていた。
「えーっと、その現象、なに?」

 7 >>68

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.68 )
日時: 2021/06/05 23:57
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 7WA3pLQ0)

 7

「お前、ジョーカーか。『イロツキ』、いや、『イロナシ』だな、なんで『モノクロ』じゃないんだよ」
 リュウの言葉を受けて、ジョーカーは目を丸くした。
「どうして君がその言葉を知ってるんだ?」
 リュウはふふんと笑った。
「イロナシでもわからねえか。流石は俺だな」
 そして、胸に手を当て、意気揚々と説明する。
「俺はこの体に【憑依】してるんだよ。魂の融合ってやつだな」
「魂の、融合?」
 ジョーカーはあごに手を当て、ぶつぶつと言い始めた。
「そんなことが出来るのは……それでボクとアイツを知っていて……ってことは……」
 ジョーカーはにやりと笑った。
「なるほど、キミか。
 しかし、そんなことが可能なのかい? 日向ちゃん」
「なに」
「いや、どうなんだい?」
「現に、起きてる」
 ジョーカーは苦笑した。
「それもそうだね。
 ところで、どうしていま、出てきたの?」
「俺はこの身体の主導権が欲しいんだよ。こいつのせいで肉体が消滅しちまったからな。
 魂の融合を行うときに、人格の出入りの主導権は俺が握るよう設定しておいたんだが、なかなか簡単には出来ない。こいつもこいつで持ってる力が強大だからだろうな。
 でも、さっきのタイミングで、こいつの精神が揺らいだんだよ。で、出てきた」
「ご丁寧にどうも」
 私はジョーカーが投げつけたナイフを弾き飛ばした。

 ギィィイイン

 今度は力を十分に溜めていたから、先程よりかはましだ。しかし、手はビリビリと痛む。
「でも、それでもボクの目的は変わらない。君を殺す。そしたら日向ちゃんはまた狂ってくれるんだ!」
 今度は二連続でナイフが飛んできた。

 ガキィィイインッ

 私はもうひとつの短剣を瞬時に出し、ナイフを弾き飛ばした。
 今はナイフの距離が近かったから、まだ対応できた。だけど、ジョーカーが本気を出したら、危険だ。
「あれえ? 《サバイバル》のルールで、武器は一つってことじゃなかったっけ?」
「この短剣は、ついになってるから。二つで一つ。問題ない」
「そういうもん? じゃあ不規則に飛ばさなきゃだめだね」
 そう言うと、ジョーカーは、残りの二本を投げた。
 上へ下へ、右へ左へ。不規則で、二つのナイフの距離は近づき遠のき、軌道が読めない。

 仕方ない。

 じぶんできめたんだ。

 必ず、守ると。

「黒よ、世のことわりくつがえし、我の意にたがうものを無へ還せ」

 私が呪文を唱えると、赤く光る黒い魔法陣が地面に浮かび上がった。

 シュウウウウッ

 煙を上げて、ナイフが消滅した。
「これ、奴隷紋か?」
 リュウが屈み、魔法陣をよく見た。
「なあ、たしかお前って」
 リュウはそこで言葉を切った。
「おい! お前!」
 リュウの声が、遠く感じる。
 すぐ後ろに、いるはずなのに。
 どさり。私は地面に膝をつく。

「はぁーっはぁーっはぁーっはぁーっ」

 息が苦しい。体が重い。
 胸をおさえて、ただ呼吸を繰り返す。
「おい! えっと、日向!」
 リュウが私を大きくゆさぶる。
「う、るさい」
 まだ終わってない。ジョーカーはあと六本、ナイフを隠し持っている。
「なんて無茶をするんだ」
 ジョーカーは苦しそうに顔を歪めた。
「悪かったよ。ボクは君を苦しめたいわけじゃない」
 体をくるりと反転させ、小さく告げる。
「君を取り戻すのは、もっとあとにすることにするよ」
 そして、どこへともなく消えていった。

 8 >>69

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.69 )
日時: 2021/04/01 18:18
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: eUekSKr/)

 8

 息を吸っているはずなのに。
 足りない。足りない。
 この感覚は、嫌いなんだ。
「おい! しっかりしろ!」
 うるさい。
「なんでこんなことしたんだよ。その力を使ったら」
 リュウは私の右腕を指した。

「呪いが進行するんだろ?!」

 真っ黒に染まった右腕を、私は見た。
 呪い、か。
「それが、なに」
 私は声を絞り出した。
「この呪いは、死を招く、ものじゃ、ない」
 息を整えながら、私は言葉を発する。
「ただただ私の身体をむしばむ、毒のようなもの」
 どうしてこんなことを、話しているんだろう。
 頭が、働かない。
「放っておいても、どうせ、進行、するから、それなら、使えるうちに」
 リュウが言葉を遮った。
「お前、どうかしてるぞ」
 静かに、静かに、リュウが言う。
「我が身を犠牲にして守ったところで、なんになる? こいつだって、いつか寿命を迎えて死ぬだろうが」
「『リュウが生きている』ことが重要なんじゃない」
 止まれと思うのに、体が言うことを聞かない。
「『リュウを守れた』ということが、最重要」
 まあ、いい。いつかは話すつもりだった。
 しばしリュウは沈黙した。その後、ぽつりと言った。
「そういうことか」
 そう言うリュウの表情は、それまでの理解が出来ないという困惑ではなく、納得し、半ば興味が失せたような表情だった。
「ようやくわかった。お前とこいつで、そこのすれ違いがあったんだな。
 お前もわかってるんだろ? わかってて、言わなかった。どうしてかまでは知らねえけど」
 ずいぶんと、呼吸が楽になってきた。
「ついでに聞くけどさ、お前、あの二人とこいつじゃ、接し方に明らかに差があるよな。なんでだ?」
 答える義理は、ない。
「ここらではっきりしとけよ。こいつも気にしてたぜ」
「なら、貴方じゃなく、リュウに言うべきだと思う」
「俺が気になるんだよ」
「人格がリュウになっても、貴方はリュウが何をして何を感じて何を思っているかはわかるでしょう」
 リュウはある程度しかわからないと、言っていたけれど。
 リュウはまた、少しの間黙った。
 そして。
「わかった。今回出てきたのは、魂の濃度の俺の分が薄れてたからだしな。乗っ取るつもりはまだないから、今日のところは戻るぜ」
「二度と来なくて良い」
「それは無理だ」
 にやりと、リュウの顔で笑う。
「わかんねえと思うけど、身体がないって、結構不便なんだぜ」
 リュウは地面に座り込み、目を閉じた。
 次に目を開けたとき、髪の色も、瞳の色も、元に戻っていた。
 眠気を振り払うようにぶんぶんと頭を振ったあと、私を見て、すぐ怒鳴った。
「力を使ったのか!!」
 キーンと頭に響く。
「あっ、悪い」
 すぐに申し訳なさそうに頭を下げる。
「この感じ、たぶん、あいつが出てきたんだろうな。何があったんだ?」
 私は先程までに起きた出来事を、かいつまんで説明した。
「そんなことでその力を使うなよ!」
「そんなことじゃ、ない。私にとってリュウは、掛け替えのない存在だから」
 リュウは苦しげに胸をおさえる。
「おれだって、日向が大事だ。日向に苦しんで欲しくない」
 そう。苦しそうに。
「知ってるんだ。日向はおれが弱いと思ってるんだろ? だから、守るって言ってるんだろ?」
「私より、ね」
 苦しそうに、悲しそうに、笑う。
「おれも、日向みたいに、力が欲しいよ」
 私みたいに、か。

 無理、だろうね。

 9 >>70

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.70 )
日時: 2022/03/12 18:53
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: uqhP6q4I)

 9

「おー、遅かったな」
 ぱちぱちと燃える炎のわきで、蘭は座り込んでいた。肉はもう食べ頃で、肉汁が垂れたのか、炎の周りは水滴の跡があった。
「! おい、何があった?」
 蘭は私の腕を見て、リュウに詰め寄り、胸ぐらをつかんだ。
「お前がいながら、あの力を使わせたのか?」
「蘭」
 私は蘭を制止するため、その名を呼んだ。リュウを責めるのは筋違いも良いところだ。
「責めるなら、私を責めて」
 蘭は舌打ちをした。
「日向のことは、よくわかってるつもりだ。日向は、リュウを守るためにしか、その力を使わない」
 それは違いない。蘭やスナタがさっきのリュウの立場になっていても、私は決して同じことはしないだろう。
「何があった?」
 蘭は改めて、私に説明を求めた。
 わたしはどこまで話そうか、しばらく悩んだあと、一言だけ発した。
「ジョーカー、イロナシに会ったの」
 蘭の顔色が変わった。
「イロナシに?!」
「正確には、元・イロナシかもしれない。服が赤と黒で、モノクロじゃなかったから。でも、話し方も雰囲気も、少なくともイロツキではなかった」
 蘭は腕組みをした。
「日向がそう言うなら、そうなんだろうな」
「ち、ちょっと待て!」
 リュウが慌てたように会話に入った。
「蘭は、あいつを知ってるのか?」
 リュウの言葉に、蘭はぱちくりと目を丸くした。
「は? 日向から何も聞いてないのか?
 日向、どういうことだ?」
「リュウは、まだ、知らなくて良い。いずれ話す」
 私は突き放すように言ったけれど、リュウは納得した様子を見せない。
「おれが知りたい!」
「なんの騒ぎなの?」
 のんびりとした、スナタの場に似合わない声。
「せっかく気持ちよく寝てたのに。ジョーカーがどうしたの? 会ったの?」
 ふわああとあくびをして、大きくのびをする。
 もういいや。ここでこの話は終わらせよう。
「なんでもないよ」
 私はスナタにそう言って、ベルを探しに行くために歩みを進めた。この呪いの進行を緩めるために、ベルはいるのだ。
「スナタも、知ってるのか?」
 呆然とした、絶望したような、そんなリュウの声を聞かないように。
 耳を塞ぐ代わりに、目を閉じた。

 10 >>71

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.71 )
日時: 2021/04/01 18:20
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: eUekSKr/)

 10

「最下層は、もう次くらいかな?」
「そうだといいな」
 真白がいなくなって数日。私たちは五人でいたときの三倍ほどのスピードでダンジョンを攻略していた。
 真白のことを気にしなくて済むようになったからだ。真白は魔物を引き付けるし、そのくせに魔物の攻撃を防ぐ手段がまだ未熟。いちいち庇ったり守ったりしなければならなかった。
 いまは、魔物は隠れてしのぐか、固まっていればまとめて吹き飛ばすかしている。真白がいれば、これも出来ない。魔法や攻撃に巻き込んでしまうかも知れないからだ。
 蘭はもう、少しでも早くここから出たいようで、げんなりした顔をしていた。
「扉は、開いてるね」
 岩影から、スナタは次の階層への扉の様子を覗き見た。
「魔物も、全部倒されてる。行こう!」
 スナタが元気よく走り出た。
「あっ、スナタ! 勝手に行くな!」
 蘭も慌ててあとを追う。
「ブーメランだって言ってやりたいな」
 リュウが呟いた。たしかに、蘭も勝手に行っている。
「あの二人なら、仕方ない」
 私も諦めている。
「それもそうだな」
 リュウのその言葉で、私とリュウは歩きだした。
 扉の前に立つと、背筋がぞわりとした。
 扉に触れると、その寒気はさらに増した。

 なにか、いる。

「日向? どうかした?」
 スナタが心配そうに私の顔を覗き込む。
「早く行こう」
 この寒気は。

 高揚だ。

「日向、顔怖いよ」
「?」
 スナタが苦笑した。
「兎を見つけた狼の目をしてる」
「そう?」
 なんだろう、この感じ。
 私より強い、訳がない。
 だけど、力だけが、強さじゃない。
 どこか、懐かしい。

 この感情。

 無くなったはずの、あの感情。

「早く行こう」
 私はもう一度言った。

「楽しみで、仕方ない」

 11 >>72

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.72 )
日時: 2021/04/07 12:50
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: FpNTyiBw)

 11

「う、っわあ」
 スナタが眉をひそめた。
 最下層は、巨大な陥没だった。形としては円状。足場になるようなところは、ぐるっと穴を囲うように、幅五メートルほどだけある。底が見えない大穴に、溢れんばかりの水が溜まり、満ち干きを繰り返している。
 そしてその水面には、大量の人が浮かんでいた。その数、およそ、百五十人。
「これ、全員バケガクの生徒だよね? 死んでるの?」
 スナタがおそるおそるといった様子で言った。
 Cクラスのバケガクの生徒は、約三百人。半数は途中で退場したとして、残りの全員はやられたのだろう。中には教師と思われる格好をしたのも無様に浮いている。
「全員覚えがある顔だな。名前は流石にわからないけど。
 死んでるかどうかは、微妙なところだな。何人か引きずり上げてみるか」
 リュウが言った。そして、水に手をつけ、目を閉じる。
 使おうとしている魔法は、おそらく、【水流操作】。水の流れを操り、浮かんでいる人がこちらに流れてくるようにしたのだろう。
 でも、だめだ。
「うっ」
 リュウもすぐに気づいたらしく、水から手を引いた。
「どうしたの?」
「魔法が発動できない。というか、魔力が吸い取られる」
「ええっ?!」
 ダンジョンのラスボスには、よく、【魔法無効化】のスキルを持つ魔物がいる。
「でも、【魔法無効化】はそのスキルを持っている生命体に直接向けられた魔法にだけ適用されるスキルでしょ? どういうこと?」
「わからない。
 日向、何か知ってるか?」
 リュウが私を見た。
「たぶん、【フィールド造形権限】が、フロアのボスのスキルに組み込まれているんだと思う」
「それ、なに?」
「私たちはこの場所フィールドを、どうにも出来ないってこと。逆に、ここのボスは、どうにも出来るってこと」
「それって、あれ? 指一本動かしただけで建物が出来たり岩が壊れたりするやつ?」
「そう、それ」
「それってさ」
 スナタが絶望の色をその目にちらつかせながら、言う。
「神様が使う、神業かみわざじゃなかったっけ?」

 12 >>73

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.73 )
日時: 2021/04/07 12:55
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: FpNTyiBw)

 12

「神だけが、使えるわざじゃない。
 もしかしたら、加護を受けているのかも」
「加護?」
 スナタが首をかしげた。
「うん。どの神かはわからないし、違うかもしれないけど。それか、この間見た石像。あれが関係してる可能性もある」
 あの石像からは、なにか、異質なものを感じた。それに。
「蒼の扉。あれも気になる」
「そんなのあったなあ」
 蘭が言った。
「ちょっと私、潜ってくる」
「は?」
 私の言葉に、リュウが真っ先に反応した。
「待て、それならおれが行く!」
「リュウはだめ」
 水使いは普段、無意識のうちに水を操って泳いでいる。魔法が使えないこの水の中では、思うように体を動かせず、危険だ。
 それはリュウもわかっているらしく、唇を噛んで何も言わない。
 スナタは水泳は得意な方だけど、こんなよくわからない場所で泳いだことはないだろうし、蘭は、論外だ。
「近くの誰かを引っ張ってくるだけだから、そんなに長い時間は潜らないよ」
 言うが早いか、私はリュックをおろした。
「悪いけど、これ、持っててもらって良い?」
 私はリュウにリュックを差し出した。
「え? ああ、いいぜ」
 自分の私物を地面に置くと、それが世界にこのフィールドの一部だと認識されかねない。そうすると、【フィールド造形権限】の支配下に置かれてしまう。それは面倒だ。
 アイテムボックスに入れるのも、避けたい。あの中には何人か意識があるのも混じっている。Ⅴグループの生徒なら、アイテムボックスは五つしかない。ほうき、回復ポーション、武器。残りの二つはモンスターからドロップした戦利品などを入れるために空けておく必要がある。
 つまり、Ⅴグループの生徒は、大抵もうアイテムボックスを使いきってしまっているのだ。
 アイテムボックスに空きがあることを、知られたくはない。
「じゃあ、行ってくる」
「ちょっと待って! その格好で行くの?」
 スナタが飛び込もうとした私を止めた。
「うん」
 当然だ。ここで全裸になるわけにはいかないし、替えの服も持っていない。
「それはどうかと思うよ? ほら、私の服貸してあげるから」
 スナタはアイテムボックスを可視化して、私に見せた。その欄には、服がずらりと並んでいる。
「いらない」
 私は面倒になり、スナタにそう言うなり水の中に飛び込んだ。

 どぷんっ

「あーっ!」
 スナタの声が聞こえる。

 何も、聞こえない。

 深い。深い。
 真っ暗な空間が、どこまでも続いている。
 私は潜った。深く、深く。
 暗い。暗い。
 先が全く見えない。

 ん?

 視界の先に、ぼんやりと光る何か。
 青白い光。なんだろう。
 それはあまりに小さくて、私でも、その正体はわからなかった。

 早く戻ろう。深く潜り過ぎたかもしれない。

 コポッコポッコポッ

 音が聞こえる。

 コポッコポッコポッ

 その音が何なのかは、すぐにわかった。

 目の前に、丸い、両手に抱えるくらいのサイズの物体が現れた。
 一定のリズムで傘を動かし、ピョコピョコ移動している。
 この生物は、見覚えがある。丸い体に、短い触手。ということは、この運動は、拍動と呼ばれるものか。
 しかし、大きい。私が知っているそれは、手の平に乗せるとすると三、四匹は乗る。

 いや、考えるのは後だ。いまはまず戻ろう。全てはそれからだ。

 未知の生物に囲まれてはいるが、それは無視しよう。

 私は上へ上へと泳いだ。浮力も味方し、ぐんぐん上がっていく。

「……はっ」

 息を吐いて吸って、呼吸を整える。
 落ち着いたあと、妙なことに気がついた。

『蒼の扉へ進む者、王へ忠誠を誓う者』

「なるほどね」

 嗚呼、楽しい。

 13 >>74

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.74 )
日時: 2021/04/07 12:59
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: FpNTyiBw)

 13

 リュウたちがいない。代わりに、額によどんだ白い水晶が埋め込まれた人型の生物がいた。

 それも、たくさん。

 水面の上に、じっと立っている。後ろに手を組み、ただ、じっと。
 敵である私がいるにも関わらず。『王』の命令がないと動けないのだろうか。
「ん?」
 おかしなことに気がついた。

 こいつら、瞳がない。

 一人の例外なく、全員が白目を向いている。
 まさか、これで『白眼』を意味しているのか?

 帰ろう。まずはそれからだ。

 私は再び水の中に潜った。

 スキル【魔力探知】発動

 架空の波動が私を中心に広がっていく。魔力を持つものが、大量に見つかる。
 たくさん、たくさん、魔力保有者の集団があちこちにいる。おそらく、この目の前の集団と同じようなものなのだろう。

 見つけた。

 ひときわ強い、三つの魔力。リュウたちの魔力は特殊なので、間違うことはない。
 幸い、距離はさほど離れていない。すぐに戻れるだろう。
 私は移動を開始した。二、三分ほど泳ぐと、一度顔を出した。
「はぁ、はぁ」
 壁。この向こうに、リュウたちはいる。
 うん、よし、わかった。
 今度こそ、戻ろう。
 私は潜り、壁の下をくぐった。
 そして、水面から出た。
「あっ、日向!」
 スナタが叫んだ。
「ほんとだ! おーい」
 待つということが、出来ないのだろうか。
 私はその辺にいた誰とも知らないやつの腕をつかみ、引っ張って、水から上がった。その場所は最短にあった場所なので、リュウたちからは少し遠い。
 駆けてくる三人の姿が見えたので、私はこの場で待つことにし、座り込んだ。
 髪からは、数滴水が垂れてくる。
 しかし、髪も服も、すぐに乾いた。ローブに付与された効果だ。

 だんだん音が大きくなる。三人が近いのだろう。
 私は顔を上げ、直後にぎょっとした。
「ひなたぁ!!!」
 スナタが目に涙をにじませ、私の名を呼びながら、抱きついてきた。
 そのままわんわん泣くスナタに困惑し、私の頭の中は「?」で支配されていた。

 ? ? ?

「スナタ、ずっと心配してたんだよ。おれはそうでもなっかたけどな。日向が無事なのは分かってたから」
 蘭がなぜか得意気に言った。
「なに気取ってんだよ。さっきまであたふたしてただろうが。『何でおれは泳げないんだー』って」
「だーっ! うるせえ! 言うな!」
 蘭が顔を真っ赤にした。
「それを言うなら、お前だって何度も潜ろうとしてただろ!」
「おれは心配してないなんて言ってない。
 はい、日向。預かってたリュック」
「話をそらすな!」
「そらしてないだろ! 返しただけだ!」
 私は泣き続けるスナタの頭を撫でながら、騒ぐ二人に言った。
「そろそろ話しても、良い?」

14 >>75

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.75 )
日時: 2021/04/07 13:00
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: FpNTyiBw)

 14

「くらげぇ?」
「うん。とてつもなく大きかったけど、あの形は、くらげ」
「大きさって、どのくらいなんだ?」
 リュウが言った。
「私が見たキャノンボールクラゲは、このくらい」
 私は両手で丸を作った。
「でっか!」
「キャノンボールクラゲって、指で丸を作ったくらいじゃなかったっけ?」
 二人とも、顔をひきつらせている。
「このダンジョンのボスは、くらげ。だから、蘭は戦いにくいと思う」
 くらげは、水の中からは決して出てこない。魔法は無効化されるし、蘭の武器は弓、水中戦には圧倒的に不利だ。
「じゃあおれ足手まといもいいところじゃねえか。泳げねえし」
「そうだね」
「はっきり言うなよな」
 蘭はぷいっとそっぽを向いた。
「あと、この足場になる輪の外、そこにも水溜まりが広がってた。水位はだいたいここと同じ」
「この外側にも、まだあるのか?!」
「うん」
 リュウがびっくりしている。
「それなら、このフロアはとてつもない広さだな。壁は見えたのか?」
 私は首を振った。
「なにも。ただ、怪物モンスター化した人はいた」
「はっ?」
 リュウは口をぱかっと開けたまま、静止した。
「額に濁った水晶が埋め込まれて、白目向いてた。たぶん、〈呪われた民〉を模しているんだと思う」
 かなり不十分だったけど。
「『蒼の扉へ進む者、王へ忠誠を誓う者』。
 おそらく、あの扉に進んだものは、モンスター化する。そしてそのあと、ここに来るんだ」
「なんでそんなところを《サバイバル》の場所に選んだんだよ!」
「それは思う」
 蘭の言葉に、リュウが同意した。
 たしかに、おかしい。いくらバケガクと言えど、生徒たちの安全を守りきれないこんなダンジョンを選ぶなど。
 教師たちはここのダンジョンのレベルはあまり高くないと言っていたが、冗談じゃない。強制的にモンスター化させてしまうダンジョンなど、ここ数年、聞いたことない。せいぜいここの難しいポイントは、出口が一ヶ所しかないところだけだと思っていたのに。
「おーい、君たち!」
 やや遠くから響く、男性の声。
「誰だっけ?」
「ほら、フォード先生。てか、蘭。ここ来るまでに一緒に行動してくださってた先生だろ」
「そうだっけ?」
 リュウはため息をついた。
 フォード先生は駆け寄り、私たちを改めて見た。怪我の有無などを見ているのだろう。
「えっと、その子は大丈夫なのか?」
 スナタのことだろう。
「はい」
 スナタはもう泣き止んではいるものの、まだ離れてはいない。
「そうか。
 私はさっきここについたばかりだ。ほかに残った班がいないか確認しながら来たが、どうやらあとは君たちだけのようだ」
 他の奴ら全員雑魚か。
「んっ?
 !!! おい、君! 生きてるのか?!」
 どうしたのかと思いフォード先生の目線の先を見ると、気絶した男子がいた。
 あ、忘れてた。
「この子はいったい、どうしたんだ?」
 私が泳いでいったと言うと、色々面倒か。
「流れてきたのを、引っ張り上げました」
「流れて?」
 フォード先生は、ちらりと水面を見る。
「ふむ。たしかに、何人か流れて近くにいる生徒がいるな。引き上げるか。
 いま、[ノルダルート]の騎士団が向かってきているところだ。じき到着する」

 15 >>76

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.76 )
日時: 2021/04/07 13:01
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: FpNTyiBw)

 15

 どかどかどか。
 つい先ほど到着した騎士団が、慌ただしく生徒の救助を進めている。他の階層に残っていた教師も集まり、広大であるこの空間に、人がごった返している。
「君たち、よく生き残ってたね! すごいじゃない!」
 騎士団とは別の、ひいらぎ隊と呼ばれる、主に女性で構成された救急部隊の中の二人が、私たちの面倒を押し付けられた。
 一人はアンリ。ひたすら話しかけてくる。
 もう一人はケミラ。アンリの制止役。
「生き残る、じゃないでしょ。誰も死んでないわ」
 ケミラが言った。
「こ、言葉の綾よ!」
 アンリが慌てて言い直した。
「すごいね、ここまで魔物に倒されずに来れて」
「ありがとうございます」
 リュウがぺこりと頭を下げた。
「やだ、かっこいい! ねえねえ、名前は何ていうの? いくつ?」
 リュウは少したじろいだ。
「笹木野 龍馬です。年は……」
「へええ! たつまくんかぁ! 名前もかっこいいじゃない!」
 きゃあきゃあと黄色い悲鳴をあげるアンリを、ケミラがおさえた。
「ちょっとアンリ! 困ってるでしょ、やめなさい!」
「なによー。あ、もしかして、ケミラはこっちの子の方がタイプ? かわいい系好きだもんね。
 君は名前何ていうの?」
 蘭は表情をほんの一瞬ひきつらせたあと、営業スマイルで答えた。
「東 蘭です」
「らんくんね。女の子みたいな名前ね」
 蘭はそのことを気にしているらしく、笑顔に闇が差した。
「こんにちは。二人の名前は何ていうのかな」
 ケミラが私たちに近寄り、目線を下げて言った。
「私はスナタです!」
「花園、日向」
「スナタちゃんに、日向ちゃんね。ほんの少しの間だけど、仲良くしてくれると嬉しいな」
 ケミラがにこっと笑った。美人とは言えない容姿ではあるけれど、綺麗な笑みと言えるだろう。
「よろしくね」
「はい!」
 スナタが元気よく返事した。
「うわああああっ」
「きゃあああああああっ!」
 突然、鋭く悲鳴が響いた。
「ええっ? なになに」
 アンリが怯え、ケミラが私たちを抱き締めた。
 離してほしい。

 ばしゃっばしゃっ

 水面から、大量の人が現れた。足場につくと同時に、手当たり次第に魔力を振り撒く。
「引くな! 応戦せよ! 生徒を守れ!」
 団長らしき男が叫んだ。
 水面から現れた人、モンスターは、まさに、私が足場の外側で見た生命体だった。
 前が見えていないのか、壁にぶつかったり、水に落っこちていく奴もいる。
 モンスターが放つそれは、魔法ではなかった。強い魔力の塊で、それに触れると、どさりと倒れてしまう。
 流血などは何もない。倒れた兵士は無傷だ。しかし、いくら揺すぶられても起きる気配がない。
「なに、あれ」
 アンリの瞳が揺れている。
「アンリ! 魔法障壁を張るわよ!」
 ケミラが私たちを離し、ケープから杖を取り出し、アンリに近寄った。
「う、うん。わかった」
「しっかりしなさい! 不安定な心じゃ、精霊は応えてはくれないわよ!」
「わ、わかってるよ!」
 アンリも杖を出し、構えた。
「「光よ、我らを守りし壁となれ!」」
 呪文に反応し、光の壁が出現した。
「すごおい! 光魔法の【障壁】が使えるんだ!」
 アンリが魔力を注ぎながら、自慢げに言った。
「まあね! 二人じゃないと出来ないけど」
 ということは、この二人はこれまでも何度か組んだことがあるということか。
 でも、駄目だ。こんな障壁じゃ、あの魔力は防げない。
 兵士もだんだん数が減ってきた。
「あの」
 リュウが口を開いた。
「おれも、行っても良いですか?」
「ええ?!」
 アンリが言った。
「だめよ! あなた、まだ学生でしょ?! どんな学校であれ卒業して、正式な訓練も受けた兵士が次々にやられてるの! ここにいて? 安全だから」
 その直後。

 ぱあんっ

 飛んできた魔力により、障壁が破れた。
「アンリ! もう一回!」
「う、うん」
「蘭」
 私は蘭に声をかけた。
「蘭なら、出来るよね」
 蘭はすぐに私の言葉の意味を理解し、にやっとわらった。
「当然だろ」
 そして、指を鳴らした。
 すると、先ほどの障壁の何倍もの強度を持つ、光の障壁が、三重に私たちを覆った。
「リュウ、行け! 二人はおれに任せろ」
 蘭は親指を自分に向け、リュウに言った。
 リュウは大きく頷いた。
「ああ、頼んだ」
 リュウは駆け出した。
「あ、ちょっと! まって、待ちなさい!」
 アンリが怒気を含めて叫んだ。しかし、リュウの足は止まらず、さらに加速する。
「ケミラ! 私、たつまくんを追いかける!」
 その言葉と共にアンリが走り出すが、障壁に衝突し、頭を撃った。
「いったぁーい! ちょっと、開けてよ!」
 蘭が見下したように鼻で笑う。
「やめとけやめとけ。あんたが行っても足手まといになるだけだ。
 ここにいろよ、安全だから」
 押し黙るアンリを見て、蘭が楽しそうに笑っていた。
「くっくっくっくっ」
「猫の皮とるの、早かったね」
 スナタの言葉に、私は肩をすくめた。

 16 >>77

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.77 )
日時: 2021/04/07 13:02
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: FpNTyiBw)

 16

「…………」
「…………」
「あ、あのー」
 むすっと黙り込む二人に、スナタがおずおずと話しかけた。
「なに?」
 アンリが応えた。
「あー、えっと、リュウ、龍馬なら大丈夫なので、そろそろ機嫌を直してくれませんか?」
「別に、機嫌悪くなんかないけど」
 アンリはぷいっと横を向いた。
「なあ、日向」
 蘭が私に言った。私が蘭の方を振り向くと、蘭は話し始めた。
「リュウ、どうするのかな。魔法は使えないんだろ?」
「普通は、たしかに、そう。でも、リュウは違う。
 ここの階層は【破壊不能】。でも、それだけ。魔法をあのモンスター『だけ』に当てさえすることが出来れば、問題ないはず」
 大きな魔法によりモンスターを攻撃し、それがフィールドの造形物に当たると、魔法そのものが無効化される。
 もしもここのボスがあのモンスターをフィールドの一部だと捉えていれば、魔法が無効化されるかもしれない。だけど、その可能性は低い。
 この【破壊不能】は、【フィールド造形権限】により引き起こされた現象。権限はあくまで権限であり、権限を持っていても、作り出す能力がなければ意味はない。
 そして、生物など、ただのダンジョンボス程度が作り出せるわけがない。つまり、【破壊不能】は、あのモンスターには適用されない。
「リュウの魔法コントロールは、バケガク内でもトップクラス。
 聞くより見た方が早い」
 私は障壁の外側を指差した。
「ん?」
 蘭は私の指の先を見ると、目を見開いた。
「ははっ! すっげえ!!」
 障壁は淡い黄の光を放っているので、リュウの姿は少し見えづらい。
 しかし、蘭にははっきりと見えているようだった。
 リュウは水魔法【水矢】で、的確にモンスターの体を貫いていく。その姿は綺麗なもので、無駄な動きは一切ない。
 百発百中。
「流石だな、あいつ」
 蘭が感嘆の声を漏らした直後。

「失礼、声は聞こえるかな?」

 障壁の外から、声がした。
「あー、えっと、生徒会長だっけ? 王子の」
「うん」
 いまは跪かなくてもいいだろう。そんな状況ではない。
「エールリヒ様! いまご到着なされたのですか?」
「話はあとだ。すまないが、この障壁は東くんが?」
 エールリヒが蘭に向かって言う。
「はい。そうです」
「すまないが、他の生徒もこの障壁に入れてもらえないかな。個別で障壁を張ってはいるようなんだが、強度も広さも、これには及ばなくてね。協力願いたい」
 エールリヒの言う通り、他にも点々と障壁はあるが、どれも小さく、光の色も、とにかく薄い。『淡い』のではなく、『薄い』のだ。
「承知いたしました」
 蘭はうやうやしくお辞儀をして、一度障壁を解いた。
「では、人々を一ヶ所に集めよう。手の空いている者には私から指示を出しておく。
 そこの四人も、手伝ってくれ」
 エールリヒが私たちに言った。
「わかりました!」
「「はい!」」

 やめたほうがいいのにな。

 しかし、そんなことを口にして、なぜそう思うのかなどと質問責めにされるのは面倒だ。
「わかりました」
 私は素直に、従うことにした。

 17 >>78

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.78 )
日時: 2021/04/12 20:59
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: EM5V5iBd)

 17

「この子で最後だよ!」
 スナタが最後の一人を運び込み、蘭は再度障壁を張った。
「はあー、つっかれたー!!
 あれ? 日向、どこ行くの?」
 障壁のはしに向かおうとした私に、スナタが言った。
「あっち」
「それはわかるよ。
 まあいいや。ばいばい」
 私は頷き、人を運び込むときに調整した、周りに気絶した人があまりいない場所へと移動した。
 障壁にギリギリまで近づき、障壁に背を向ける。
 これでよし。準備は整った。
 人目があるから、魔法は使えないし、全力でも
走れない。
 少しでも、距離を稼いでおかないと。
「どうしてこんな端にいるの?」
 ケミラに声をかけられた。ここには、万が一のためにアンリとケミラ、そして、屈強な兵士五人、さらに障壁の外に兵士十人がいる。
 私はなんと答えようか考えたあと、言った。
「背を、向けたくないんです」
 あとは察してください、という含みを込めて、私は口を閉じた。
 私は、白眼によって、多くの人から差別の目を向けられてきた。バケガクに入ってもそれは変わらない。かげでこそこそ悪口を言われていたのも、知っている。
 そんなもの、気にしたことはないが、この人の追及を妨げるには最適の話題だ。
 狙いどおり、ケミラは黙った。それでもなにか言おうとしていることが、瞳が揺れていることでわかった。
 黙ってくれないかな。というか、どこかへ行ってほしい。
 そう、思っていたとき。

「う、うう……」

 足元で、うめき声が聞こえた。
 それと同時に、障壁の外が騒がしくなった。
「なんだあれは!」
 見ると、水面の中央に、少女が立っていた。
 目には包帯を巻き、額には半透明な水晶がある。髪は白で、かすかに、ふわふわと浮いている。身に付けているものは、大きな布きれ。それを、服に見えるように巻き付けている。
 淡い光を身にまとい、その姿は、神秘すら感じさせた。
「目を覚ましたの?」
 ケミラは少女に気づいていないのか、先ほどうめき声を上げた少年に意識が向いている。

 少女が口を開いた。

「王に敗れた者たちよ、王に忠誠を誓い、王の敵を滅ぼしなさい」

 幼い少女のような、成人した男のような、老いぼれた老人のような、不思議な声が、静かに響いた。
 すると。
「う、うう……」
 また、うめいた。今度は、一人じゃない。
 一人、また一人と、うめき声を上げ、目を覚ます。
「ああ、よかった! 大丈夫? ここがどこかわかる? 自分の名前は?」
 なにも答えない。瞳はぼんやりとしていて、聞いているのかすらも曖昧だ。

「立ち上がりなさい。王のために!」

 少女が声を張り上げた瞬間。

 ぎゅるんと、一斉に、倒れていた全員の瞳が回転し、白目を向いた。

 その額には、濁った水晶。

 18 >>79

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.79 )
日時: 2021/04/12 20:53
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: EM5V5iBd)

 18

「え、え、きゃああっ!!!」
 ケミラが悲鳴を上げた。こんな近くで叫ばれると、耳が痛くなる。
「なんだ、これは?!?!」
「とにかく、一度障壁を解いて!」
「わかりました!」
 蘭の言葉とほぼ同時に、障壁がなくなった。
 さて、どこまで力を出そう。
 そう、思いながら、走ろうとすると。
「逃げるわよ、日向ちゃん!」
 ケミラに背を押され、無理矢理走らされた。
 ?
「あなた、Ⅴグループよね? さっき、聞いたの。Ⅴグループの、生徒は、劣等生。非常事態の時は、優先して、守る、ようにって。
 特に、日向ちゃんは、なに? 実技の試験? で、ワースト、二位、なんでしょ? だから、特に、気にかける、ように、頼まれたの」
 息を切らし、はあはあと言いながら、ケミラが言う。
 途切れ途切れの言葉は聞き取り辛く、理解に一瞬の時間を要してしまった。
 なるほど。だから、さっき、私のそばに来たのか。

 突如、後ろから、強い魔力の気配がした。
 どうせ、またあの魔力の塊だろう。
 あいつらは、精神を支配された『人形』と化している。モンスター化によってか、魔力は底上げされているが、コントロール出来なければ、『魔法』は使えない。
 だから、『魔力』を振り撒くのだ。
 おそらく、あれに当たって倒れると、奴らと同じ道をたどるのだろう。

 魔力はまっすぐ私たちに向かっている。
 直撃は免れない。
 さあ、どう回避しようか。

「日向!!」

 リュウの声が、響いた。
 たくさんの悲鳴や掛け声に混じり、全体としては、ほんのかすかな声量ではあった。
 けど、聞き落とすわけがない。

 振り向くと、リュウがいた。

 私たちを狙っていたのは、女子生徒。リュウはその体を、見事に撃ち抜く。
 貫通した矢は、私から数メートル離れた地面に突き刺さり、【破壊不能】により、消えた。
「日向! 平気か?!」
「うん」
「あ、相変わらずだな」
「?」
「その無表情!」
 リュウが私の顔に、人差し指を突き立てた。
 そして、はあ、と溜め息を吐き、手を降ろす。
「ここに来るまでに、蘭たちとすれ違った。二人一緒だ。向こうは心配ない。
 日向、出来れば、おれと一緒にいてほしいけど、どうだ?」
「うん」
「ちょっと待ってください!!」
 ぜえぜえと肩で息をしている兵士が、すぐそばにいた。
「やっと、追い、ついた」
「おれを追ってきたのか?」
 追ってきた?

 どうして、わざわざ。

「笹木野さん、戦場から抜けるってことですよね?
 困ります! 戦力が減ると!! 笹木野さん、めっちゃ強いじゃないですか!」
 こいつ、リュウを、なんだと思って?
「日向」
 リュウが、私を制止するように、手の平を私に向けた。
 別に、いまは、なにもしないよ。
「おれにも、優先順位はあります。あのモンスター化している人々を倒すことよりも、おれは、日向を守る方が大事です。
 王子か隊長か騎士団長か、誰に指示されておれを追ってきたのかは知りませんが、そう、伝えてください」
「で、でも! あれを倒すことが、必然的にその子を守ることに」
「二度は言いません」
 リュウは、笑顔で、兵士の言葉をさえぎった。
「いま、こうやって話している時間が、勿体無い。
 そう思いませんか?」
 兵士は、ぐっと押し黙ったあと、静かに「わかりました」と言い、うなだれて帰っていった。
「あ、じ、じゃあ、日向ちゃんのこと、よろしくね!」
 ケミラはリュウに言うと、兵士を追って、駆けていった。
 この状況であの兵士の様子では、流石に心配にもなるか。
「じゃあ、日向。どうする?」
 リュウが言った。
「その辺で、留まって、モンスターが来たら、殺す」
「殺すって、まだ生きてるんだろ?」
 私は、少し、驚いた。
「気づいてたんだ」
「いや、むしろ、あいつらとほぼ接触してない日向が気づいてる方が、すごいだろ」
「そう?」
「ああ。だから、おれは、あいつらを殺してない。何人か死んでるけどな」
 別に、あいつらは、殺しても良い。

 あいつらは、殺しても、罪にならないから。

 19 >>80

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.80 )
日時: 2021/04/12 20:55
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: EM5V5iBd)

 19

 ボコオンッ!!

 急に、大きな音が響いた。
「うわっ?!」
 リュウが声を上げ、音がした方を見る。
 水面をはさんだ向かい側の、少し右にずれた辺り。
 作戦会議でもしていたのか、やや多くの人が集まっていたようで、そこを狙ったらしい。
「あの、少女が、くらげを操ってるみたい」
 中央に立っていた少女が、ふわりと浮かび、上へ下へ、右へ左へ手を振ると、それに応じるように、水面から巨大なキャノンボールクラゲが飛び出し、壁を砕いていく。
 それに巻き込まれ、さらに兵士たちが倒れていく。
 悲鳴で、うるさい。
 私は耳を塞いだ。
「日向?」
「平気」
 私は耳を塞いだまま、思考を巡らせた。
【フィールド造形権限】所有者は、この階層のボス。それは違いない。
 つまり、このフィールドを破壊できるのは、ボスのみ。
 そして、砕かれた壁。
 これらが意味するもの、それは。

 あの少女が、ボスだということ。

 でも、おかしい。〈呪われた民〉は、全て狩り尽くされたはず。
     ・・・・
 それは、確認済み。

 でも、あの外見は、どう見ても、〈呪われた民〉そのもの。
 まさか、突然変異?

 いや、違う。

 あの少女からは、生気を感じない。

 生身じゃない。

 あれは。

「なあ、日向」
 リュウが言う。
 私は耳から手を外し、リュウの言葉を耳に入れる。
「もしかしてさ、あの少女、化身じゃないか?」
「私も、そう、思う」
 化身。器や形を持たぬ神が、人の世に干渉するために用意する、仮の姿。
「神って感じはしないけど、それに近いような気がするんだ」
「うん」
 少なくとも、ボスがあの姿を作り、操っていることは、たしかだろう。

 ん?

「違う」
「は? どっちだよ」
「違う」
 あれは、違う。

「化身じゃない」

 20 >>81

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.81 )
日時: 2021/04/12 20:55
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: EM5V5iBd)

 20

「化身じゃ、ない?」
 リュウが首をかしげた。
「どういうことだ?」
 私が説明しようとすると、少女の目がこちらに向いた。
 にやりと、少女の口角が上がる。
 少女の手の平がこちらに向き、魔法が放たれた。
 それにリュウも気づいたらしく、私に飛びついて、大きく横へ跳んだ。
「わ」
 突然のことに驚き、私は声を漏らした。
「あっ、悪い! どっか痛めたか?」
 心配そうに瞳を揺らすリュウに、私は横に首を振って応えた。
 驚いたのは、リュウが私を守ったことに対して。
 そんなこと、すると、思わなかったから。
「平気」
 と、同時に、リュウの体から、鉄のような匂いがした。
「……」
 頭が真っ白になった。
「日向?」
 血の気が引いていく。

 おかしい。

 おかしい。

 おかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい!

「日向!」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」
「日向!」
 リュウの声が、遠ざかる。
「おれなら平気だから! 日向!」
「違う。違う」

 おかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい。

「私は、こんなんじゃない」

 おかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい。

「守らなきゃ、守らなきゃ、いけないのに」

 私は、こんなんじゃない。

「あ、あ、あ、あ」
「日向!」

 急に、体の周りが暖かくなった。

「大丈夫だから! このくらいの傷、なんともないから。
 しっかりしろ。な?」
 何度も、何度も、リュウが私の耳元で、訴える。
「おれは平気だから。おれは大丈夫だから。
 大丈夫。大丈夫。
 平気だから。おれは平気だから。
 落ち着け。ゆっくりで良いから。な?」
 少しずつ、荒れた息が落ち着いた。
 リュウは私から体を離し、肩を抱いた。
「よし。そのまま深呼吸して」
 言われるがままに、私は大きく息を吸い、吐き出した。
「よくできました」
 わしゃわしゃと、リュウが私の頭を撫でる。

 冷たかった心の中が、じんわりと、芯から温まっていく。
 やっぱり、リュウは、私の光だ。

 そうだ。落ち着け。
 落ち着かないと、冷静じゃないと、守ることなんか出来やしない。
 冷静に。
 あいつを殺す方法を、考えないと。

 今の私でも、あれを殺せる方法を。

 21 >>82

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.82 )
日時: 2021/04/21 07:03
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: qpE3t3oj)

 21

「ひなたー! リュウー!」
 遠くの方から、スナタの声がした。
 振り向くと、スナタと蘭が、こちらに向かって歩いて来ていた。
 私たちは合流し、現状を確認した。
「兵士は、三分の一はやられた。
 リュウが倒した奴らの中で、何人か、意識を取り戻したんだよ。それで、生徒がまだ生きてるってわかって、やり辛くなったみたいだ」
 私は、少女のことを話した。
「あの少女は、たぶん、神」
「かみぃっ!?」
聖力せいりきは感じないから、神としての力は、もう、ないと思う。
 神として降りたんじゃなくて、一つの魂として、降りた。おそらく」
 もしくは、神格を剥奪された、元・神。
 そういった神は、意外と、結構、いる。妖怪になったり、怨霊になったり、土になったり、木になったり。形は様々だけど。結構、いる。
「ダンジョンのレベルは低いって、先生言ってたのに!」
「あー、さっき、先生もぼやいてたな。
 今回の《サバイバル》の場所は、学園長が指定したらしいぜ」
「理事長が?」
 理事長。あいつが。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ

「えっ、きゃあっ!」
 スナタが悲鳴を上げ、蘭にしがみついた。
「な、なに? なに?」
「落ち着け! 地鳴りだ!」
「落ち着けないよお!!」
 地面が揺れる。
 足場に、亀裂が入る。
 私は、水面をみていた。

 水面は真っ白で、仄かに光を放っていた。
 水面はだんだん膨れ上がり、その度に、足場の亀裂が大きくなる。
「なにか、出てきてないか?」
 リュウが言った。
「ダンジョンボス」
 私はそれだけ言った。
 クラゲは、水中から出てこれない、はずだった。
 あの少女が、他にも加護を与えていたのだろうか。

 バコオンッ!!!

 大きな音を上げて、足場が崩れ落ちた。
「う、うわああああっ!!」
 蘭が、亀裂の間に、まっ逆さまに落ちていった。
「蘭!」
 私よりも先に、リュウが、蘭の元へ向かった。
 それなら、私は、スナタの方へ行こう。
 タンタンと足場を跳び移り、スナタの近くへ寄る。
「ひなたぁー、もうやだあ!」
 スナタが私に抱きついた。
「全滅」
「え?」
「見て」
 兵士もモンスターも生徒も教師も、全員、沈んだ。

 ザバッ

「おい、蘭! 起きろ!」
「うぅぅ」
 リュウが、蘭を、わずかに残った足場の残骸に上げた。
「よっと」
 そして自分も、別の残骸に乗る。

「邪魔者は、消したわ」
 私のすぐ後ろに、少女がいた。

 22 >>83

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.83 )
日時: 2021/04/24 08:21
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: wECdwwEx)

 22

 私はとりあえず短剣を構え、距離をとった。
「待って」
 無機質な声で、感情のない声で、少女が言う。
「ワタシに戦いの意思はないの。さっきの攻撃は、謝るわ」
 少女は、両手を広げた。
「話がしたいの。あなたたちなら、わかると思って」
 私はリュウたちの様子をうかがった。
 戦意は、ない。それなら、私は、戦わない。
 短剣は持ったまま、手を下ろした。
「話?」
 スナタが尋ねた。
「話というか、おねがい、ね。
 出ていってほしいの。ここから」
「どうして?」
 少女はすこし、間をおいた。
「ここは、世界にダンジョンと認識されてしまっただけの、ただの、ワタシたちの家。
 勝手だとは思うわ。ワタシたちも、ずいぶんと、あなたたちに被害をもたらしたもの。
 でも、だからこそ。
 おねがい」
「なんでそれを、わたしたちに言うの? わたしたちよりも、沈んだ人たちの方が、この場所をどうにか出来る権利を持ってると思うよ」
 また、少女は間をおいた。
「あの人たちの正義と、ワタシの正義は、相性が悪い。ワタシの正義を、あの人たちは、理解出来ない」
 そして、少女は語り出す。
「あの子は、ワタシが育てたの」
 少女が示した方向には、足場の円の十周りぐらい上回った大きさの、クラゲがいた。
「でかっ!!」
 蘭が声を上げた。
「元々は、他の子達と変わらない、ただのクラゲだったの。
 だけど、お察しの通り、ワタシは元・神。万物の成長をつかさどる、海神かいじん
 ワタシが加護を与えてしまったことで、この子達は、異常な成長を遂げてしまった」
 ぽこんぽこんと、キャノンボールクラゲが、次々に水面から顔を出しては、また水の中に消えていく。
「でも、それだけなの。それだけなのに、世界はこの子達を、あの子を、危険視して、この場所をダンジョンと指定し、この場所に閉じ込めた。
 ワタシはこの子達を守ると決めたの。
 理解は出来るでしょう? ワタシ、知ってるわよ。この間、あなたが冒険者を殺したの。その理由も」
 私はほとんど話を聞いていなかったので、そのまま無視した。
「それから、もう一つ。この場所の入り口を、外から隠してほしいの。中からは閉じられないから」
「ああ、いいぜ。その代わり、うちの生徒たちを返してくれ」
 リュウが言った。
「勿論よ。記憶は消させてもらうけど」
 話が進んでいく。
 こいつは、リュウに、怪我を追わせた。

 ……………………

 よくない。

 よくない。

 よくない、けど。

 ……………………

 でも、リュウが、それでも良いなら。

 さすがに、神格を剥奪されただけの神には、勝てないだろう。

 それなら。次に。次はないと。

 つぎ?

 次を、起こさせるの?

 それを許すの?

 だめ。思考が回らない。

「ねえ」

 口が勝手に動く。

「殺して、いい?」

 視界が揺れる。焦点が合わない。

 消さなきゃ。消さなきゃ。こいつを。

 だけど、だけど。いまの私の状態じゃ、またリュウたちに迷惑がかかる。

「殺すって、誰を?」
 少女の言葉に対して、私は、歪む世界の中で、少女を見つめた。
「ワタシなら、ワタシは、良いわよ。でも、そしたら、ダンジョンの均衡が保てなくなる。それでも良いの?」
 それはだめ。世界が壊れる。世界が、崩れる。

 リュウたちと、離ればなれになる。

『日向!』

 ベルの声。

『眠りを司りし春の風よ、契約に則り、我が主に穏やかなる眠りを与えよ!』

 その言葉が、私の魂に浸透し、私は、そこで、意識を失った。
____________________

「ひーなーたー」
 青白い光が、目蓋まぶたの上から感じる。
 ぺちぺちと、頬を軽く叩く音もする。
「がっこーについたよ! ひーなーたー!!」
「なに」
「うわあああっ!」
 スナタが華麗に吹っ飛んだ。
 周りを見渡す。
 ここは、学校の、正門。
「おっ、起きたか」
 私は、リュウの腕の中にいた。
「運んでくれたの?」
 すると、とたんに顔を真っ赤にして、ぱっと体を離す。
 すこしよろめいてしまった。
「ごめん。迷惑、かけて、ばっかで」
 リュウは私の頭に手をおいた。
「終わったぞ。全部」

 また、私は、なにも出来なかった。

「じゃあ、あとは任せたぞ。おれたちは寮に帰るよ」
「えっ、帰るの?」
「ん? 帰らないのか?」
「んー。蘭が帰るならそうする」
 そうやって、蘭とスナタは、仲良く二人で帰っていった。
「あー。で、おれが日向を運んだ件についてなんだけど。
 勿論スナタが運べたらそれが一番よかったんだろうけどなんせスナタは一番魔力が弱いからおれか蘭が運んだ方がいいってことになってだけど蘭は泳げないから万が一のときを考えておれが最適だろうってことになって決してやましいことはかんがえてなかったというかその」
 リュウの話は聞こうとした。だけど、不安に逆らえなくて。
 私はリュウの体にしがみついた。
「えぅっ」
 リュウが訳のわからない言葉を口にしたけど、反応する気力もなかった。

「そばにいて」

「どこにも行かないで」

 必死に、それだけ言った。

 リュウは何も言わない。

 だから、私は、リュウの服をつかむ力を強くした。

「大丈夫。おれは、どこへも行かないから」

 大丈夫。その言葉すら。

 だんだん、信じられなくなってくる。


 第一章・Hinata's story【完】