ダーク・ファンタジー小説
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.84 )
- 日時: 2021/04/16 20:49
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: wECdwwEx)
0
誰からも疎まれて、蔑まれて。おれは、存在価値すら持たなかった。
こんな世界、壊れてしまえばいいと思っていた。
だけど、日向と出会った。
おれが日向の救いであるように、日向も、おれの救いなんだ。
1
『おーきーろー!!』
頭の中で、声が響く。
寝起きの頭にこの声量は、気持ちが悪い。
おれはもぞもぞとベットから顔を出し、時計をみた。
「まだ朝か」
そして、再びベッドにもぐる。
『も! う! あ! さ! だ!
さっさと起きろ! おまえがぼうっとしてたら、おれまで意識が朦朧とすんだよ!』
おれの中に勝手に入ったのは、そっちの方だろ。
『誰のせいだ! お! き! ろ!』
ぎゃいぎゃいとわめく声に耐えかね、おれは体を起こした。
『しゃきっとしやがれ!』
うっせえなあ。わかってるよ。
コンコンコン
「龍馬、起きてる?」
このジャストなタイミングと声は、しっかり者の三女、舞弥姉だ。
「起きてるよ」
「入るわね」
がちゃりと音がして、ドアが開く。
艶のあるきれいな長い黒髪が特徴の、舞弥姉。男遊びが好きな長女と次女を反面教師としたことで、誰もが認める優等生に育った。人間の父親からは、それはそれは喜ばれている。
「おれ、どのくらい眠ってたんだ?」
「一週間くらいね。帰ってきて、すぐ眠ったんですって? よっぽど疲れてたのね」
音も立てない模範的な仕草で、ベッドの横のテーブルに、コーヒーが並べられていく。
「ココアじゃなくて良かった?」
舞弥姉が、くすりと笑う。
「からかうなよ」
おれはそれを一口飲んだ。
「あー。家に帰って初めて飲むのが、舞弥姉のコーヒーで良かったよ」
「お世辞がうまくなったわね」
「お世辞じゃねえよ! 人がせっかく誉めてんだから、素直に喜んどけ!」
「誉められてる感じがしないわ」
舞弥姉は、つんっと顔を背けたかと思うと、すぐにおれに向き直った。
「もしかして、何も食べてないの?」
「ん? ああ、そういやそうだな」
何気なく「初めて飲んだ」と言ったが、そもそも口に物を入れたのが、初めてだった。
「お腹空いてるんじゃない? お父さんがまだ寝ているけど、もう食べる? それか、血の方が良い?」
「別に、おれの好物は血じゃねえよ」
苦笑いしているのが、自分でもわかる。舞弥姉はどうやら、なにか勘違いしているようだ。
「そう? ストックはたくさんあるから、欲しくなったら言ってね」
人間の血が濃い姉が、人間の血の扱いに慣れている様を見て、改めて、成長環境が与えるものはすさまじいものだと、実感した。
2 >>85
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.85 )
- 日時: 2021/04/17 09:54
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: wECdwwEx)
2
舞弥姉が食事を取りに部屋を出た直後に、声が頭に響いた。
『何で血を飲まねえんだよ。理性吹っ飛ばそうぜ』
なんでだよ。
『俺が体を乗っ取りやすい』
知ってる。だから飲まないんだ!
『そうでなくても、おまえが理性飛んだところは見てて飽きねえからな』
それも含めて嫌なんだ!!
『つまんねえの』
それで良いんだよ。
おれの両親は、人間と〈吸血鬼〉。おれはいわゆる、〈半怪人〉。ハーフには様々な『異形』が生まれるが、その中でも、特におれは特殊とされている。
ヴァンパイアとしての血と、人間としての血の割合が、ほぼ一対一。しかも、その両方の『良い部分』のみを受け継いでいるのだ。
具体的に言うと、一般的なヴァンパイアの、人間とはかけ離れた優れた能力を持ち、なおかつ、太陽の光に弱いといった、ヴァンパイアの弱点がないのだ。
適応属性が闇ということもあり、≪光の御玉≫や≪聖水≫には拒否反応を示してしまうが、そこを含めても、他のヴァンパイアと比べると、弱点が異様に少ない。
故におれは幼い頃から、〔邪神の子〕として、期待に包まれて育ってきた。
それはいい。
だけど、不満が一つある。
血を飲むと、理性が飛ぶのだ。
良いところ、というのは、ヴァンパイアたちが欠点としている部分以外、ということだ。
他のヴァンパイアたちは、自分の理性が飛ぶことをさほど気にしてはいない。それはごく普通のことであり、恥ずかしいことではないからだ。
感情をコントロール出来るに越したことはないが、おれの家系の本家の祖父ですら、完全なコントロールは出来ない。
そして、おれは、理性が飛んだときの記憶が残る。
別に、それ自体も問題ない。
要は、日向の目の前で理性を飛ばすのが嫌なんだ。
思い出すのも嫌な記憶が、おれの頭の中で再生される。
苦い味が、口の中に広がるのを感じた。
『てかさ、なんでそこまであいつに気を回すんだよ。理解できねえ』
こいつに思考を読まれることには、もう、諦めた。
理解してもらう必要はないので、おれは無視した。
どどどどどっ
突如、部屋の外から、大きな音がした。
ばあん!
「お兄様!」
大きく開いたドアの向こうから、特徴的な、やや青紫色の光を帯びた黒髪の、ドリルツインテールの少女、ルアが現れた。
「ノックはしような?」
おれは努めて笑顔で言った。それに対し、ルアはわずかに頬を赤らめた。
「お兄様に、すぐにお会いしたかったものですから」
「ルアが来たってことは、明虎もいるのか?」
すると、ルアは機嫌を損ねたらしく、そっぽを向いた。
「あんなやつ、知りませんわ」
「そう言うなって」
どどどどどっ
「ルアー! 抜け駆けすんじゃねえよ!!」
先ほどのルアと全く同じ動作で、明虎が部屋に入ってきた。
新緑を思わせる鮮やかな緑色の髪に、おれは目を細めた。
「ふん! 出来損ないの人間が、ヴァンパイアのすることに口を出すんじゃありませんわ」
「はあっ?! おれと龍にぃは実の兄弟だぞ!? ただの従妹のおまえこそ、口出すんじゃねえよ!」
ぎゃいぎゃいと元気に喚く弟と従妹の声で、おれの耳は痛かった。
「なんの騒ぎ?」
舞弥姉が、またジャストなタイミングで部屋に入ってきた。
天の救いだ!
「龍馬、朝食を持ってきたけど、あとにする? こんなに騒がしいと、ゆっくり食べれないでしょう」
じと、と、舞弥姉が二人を睨む。途端に、部屋は静かになった。
「あら? 舞弥さん、お兄様の朝食が、何故、人間が口にするものですの?」
ルアが厳しい口調で言った。
「龍馬のリクエストよ」
舞弥姉はそう言って、机に次々と中身の入った食器を並べていく。
「お兄様?」
おれはため息を吐いた。
「おれは血に関しては潔癖なんだ。誰のか知れない血なんか、飲みたくない」
ルアは腑に落ちない様子だったが、しぶしぶ頷いた。
「そう、そうでしたわね。それなら、仕方ありませんわね」
ぶつぶつと、自分に言い聞かせるように、繰り返し唱えていた。
3 >>86
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.86 )
- 日時: 2021/04/16 20:52
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: wECdwwEx)
3
『おい』
なんだよ。
『めっちゃ見られてるぞ』
それくらい、わかってるよ。
おれは食べる手を止め、スプーンを置いた。
「ルア、明虎」
「はい!」
「なに?」
瞳をキラキラと輝かせ、二人がおれの言葉に応える。
「後でちゃんと遊んでやるから、向こうで本でも読んでろ」
おれがぎっしりと本で埋め尽くされた本棚を指差すと、二人はむうっとむくれた。
なんだ?
二人の(成長速度を考えて比べたときの)年齢はおれよりも低いが、ヴァンパイアの家系に属しているにふさわしいだけの知能が備わっている。少々二人の年代には合わない本もあるが、内容は理解出来るはずだ。何が不満なのか。
『二人の年代には合わないって、いかがわしい本でもあるのか?』
ねえよ! ばか!
「お兄様」
「龍にぃ」
「ん?」
「「ばかあ!!」」
そう同時に叫ぶと、仲良く(?)二人で部屋を飛び出していった。
「舞弥姉、おれ、なんか悪いことした?」
「あのね、龍馬。二人は、龍馬とお喋りしたかったのよ。遊びたいのももちろんだけどね」
あー、なるほど。
『あーあ。せっかく慕ってくれてるのになー』
お前に言われたかねえよ!
「食べ終わってからでいいから、二人のところに行ってあげなさい。なんだかんだ言って、龍馬のことが大好きなんだから」
大好き。その言葉にくすぐったさを感じ、おれは自分の頬がかすかに緩むのを感じた。
舞弥姉が微笑ましそうにおれを見ているのに気づいて、すぐにそれを消したけど。
「うん、わかった」
「あ、でも、ちゃんと味わって食べなさいよ。食材にはきちんと感謝して」
「それもわかってるから!」
おれは舞弥姉の言葉を遮り、食事を再開した。
4 >>87
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.87 )
- 日時: 2021/04/25 08:37
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: AUvINDIS)
4
おれは食事を終えて、二人がいると思われる、居間に向かっていた。
『別に行かなくてもいいだろ。ほっとけよ』
そんなことしねえよ。おまえと一緒にするな。
懲りずに何度も言われて、そろそろおれもイライラしてきた。
ろうそくの火だけが点々と灯る、暗く長い廊下を歩いて、おれは目当ての部屋に到着した。
『なんでわざわざガキのために五分もかけて移動するんだよ。呼べば来るだろ、あいつらなら』
だから、おまえと一緒にするな! 反吐が出る!
『きったねえな。吐くなよ?』
言葉の綾だ!
頭の中で押し問答を繰り広げながら、おれは扉をノックした。
コンコンコン
「ルア、明虎? 居るか?」
そう言い終わるや否や、勢い良く扉が開いた。
「げっ」
目に飛び込んできた巻き毛の黒髪。
気の強そうな紫の瞳と目があって、思わず声が出た。すぐさま肩に腕を回される。
「お姉さまに向かって『げっ』はないでしょう?」
『相変わらず香水臭い女だな』
おれはなんとも思わないが、一般からするとかなり強い力で、華弥姉はおれの首を絞める。かなりほっそりとした体型であるにも関わらず。体を流れる血がほとんど吸血鬼なだけある。
「華弥姉、離せよ。ってか、なんでいるんだよ。男と暮らしてんだろ?」
なにかわけありなのはすぐにわかった。吸血鬼、ということを念頭に置いても、華弥姉の顔は青白い。
華弥姉は、空いている右手で演技めいた動作をしながら、やれやれと首をすくめた。
「あんなの、ポイよ。聞いてよー。あいつったらすっかり太っちゃってさ、血が不味いのなんの。つい最近まで健康的だったのにね。私まで太っちゃうわ」
「つい最近って、何十年前だよ。成長速度が全く違うんだから、仕方ないだろ? 学習しろよ」
言った直後に、後悔した。
おれはあまり、この人(吸血鬼)が得意ではない。やたらとベタベタ絡んでくるタイプは、苦手だ。
「人間の血が一番美味しいんだって! 栄養価も高いしね。知ってる? 美しい人間の血を飲み続けると、若返るんだって! ちょっとあんた、バケガク通ってんでしょ? しかも、なんだっけ? Ⅱグループ? って、優良物件多いんでしょ? あんた顔も外面もいいんだから、交友関係広いでしょ? 良さそうなの何人か見繕ってきなさいよ。そうね、女がいいわ。あごがつかれないし。とにかく美味しい血を飲んで、口を洗いたいのよ」
一度に捲し立てられ、おれは自分でも、げんなりとしているのを感じた。
『あごの心配するって、こいつも老けたな』
こいつの相手をしているというのも、その理由の一つだろう。
「やだよ、めんどくさい」
「てかさー、なんであんたは血を飲まないわけ? 潔癖性とは言うけどさ、他のことはそうでもないじゃない? 綺麗好きとは思うけど。
この屋敷の貯血庫にあるのは、どれも一級品だし、保存方法にも細心の注意を払ってるから、舌の肥えてないあんたには十分すぎるほど美味しいわよ?」
おれの話を聞いているのか。
いや、それよりも。
華弥姉は話すことに意識を向けているらしく、おれの首を絞める強さが弱まった。
すぐさま、振りほどく。
「それなら、華弥姉がその血を飲めばいいだろ。好きなだけ口を洗え」
「舌の肥えてない、って言ったでしょ。あたしはSランクの血を求めてさ迷ってるのよ。一級品とはいえAランクの下の方の血なんか、飲めたもんじゃないわ」
舞弥姉が聞いたら、怒るだろうなあ。食材には感謝って。
食材、か。
「舌の肥えてないおれに、華弥姉の舌を満足させる逸品を見極められるわけないだろ」
「はあー。冷たいわねえ。だからあの二人もへそを曲げてるのよ」
華弥姉は、くいっと親指で部屋の中央の椅子に座る、ルアと明虎を示した。
特に何をするわけでもなく、茶色い革製の大きなソファに腰かけて、うつむいている。
さっきから騒いでいたのだから、おれが来ているのには気づいているはずだ。なのに、一向にこちらを見る気配はない。
おれは二人に近づいて、机を挟んだ向かい側に座った。
「ルア、明虎」
一瞬だけ、目が合った。
「「ふんっ!」」
明らかに拗ねている。
「ごめんな、二人とも」
『謝んなよ。悪いことしてねえだろうが』
「おれ、ちょっと疲れてたのかな。八つ当たりみたいなもんだ。ごめん」
『む、し、す、ん、な!』
「お詫びに、今日一日、二人がやりたいことに付き合うよ。それで機嫌を直してくれないか?」
沈黙が、この部屋を支配した。
『はーあ。このヘタレ。クズ。なあーにが『ごめん』だよ。悪いのはそいつらだろうが。あほらし。こんなガキ相手に頭下げんじゃねえよ!』
おれの頭の中以外。
「じゃあ」
ルアが口を開いた。
「読んで欲しい本がありますの! 異国の言葉で、わたくしには読めませんから」
「そっか、わかった。後で一緒に取りに行こう」
「はい!」
「あ、おっおれは!」
慌てたように明虎が言った。
「魔法教えて欲しい! 火属性の攻撃魔法!」
火属性か。
おれの適応属性は闇と水。しかし、明虎に教えるくらいのものならば、一人前以上に使いこなせる。
「ああ、いいぜ」
「剣術も教えて! あと、一緒に鬼ごっこしよ! それからかくれんぼと、えっと、えっと、あっそうだ! ステータス見せて!」
「ちょっと明虎! 多すぎますわよ!
お兄様! わたくしもまだしていただきたいことがありますわ!」
「わかったわかった。とりあえず落ち着け。順番に一つずつやっていこう。おれの体は一つだぞ?」
おれはいま、苦笑いを浮かべていることだろう。
しかし、全く、苦い感情はわき出てこない。
世界は、これを、『幸せ』と呼ぶのだろうか。
5 >>88
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.88 )
- 日時: 2021/10/03 19:13
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: OypUyKao)
5
「ふわーあ、じゃああたしは寝るから、あんまりうるさくしないでよ」
華弥姉が大きくあくびをした。
「棺桶にでも入ってりゃ良いじゃねえか。そのためのもんだろ?」
明虎が言った。その通りだ。おれも何度も頷き、同意を示す。
「寝心地が悪いのよ。ただでさえ最近まともに食事してないんだから、のびのびと寝るくらいさせてよね」
「華弥さんは、睡眠が深い方ですから、よほどのことでない限り起きないのではないですか?」
おれはルアの言葉にも、同じように同意を示した。
ごんっ
「いって!」
突然、頭に衝撃が走った。
「なんでぶつんだよ!」
「お姉さまに向かって失礼でしょう!!」
「なんでおれだけ?!」
それと、お姉さまってなんだよ!
「もう、華弥ねぇ! 早く寝ろよ!」
明虎が、華弥姉をぐいぐいと押しやり、部屋の外へ追い出した。ナイス!
「ええっ! ちょっとぉ」
ばたん!
「明虎、ナイスファインプレー!」
「へへっ」
明虎は、得意気に人差し指で鼻の下をこする。
「じゃあ龍にぃ! 何からする?」
おれは少し考えた。
「ステータスを見せるのを最初にするよ。一番手間が少ないしな。ちょっと待ってろよ。
ステータス・オープン」
ふおんっ
淡い青の光が、部屋全体に行き渡る。
大量の文字の羅列の中から、おれは操作用のボタンを探しだし、情報を一部、非表示にする。
ふと視線をそらすと、明虎とルアが、そわそわした様子で、おれの手元を見ていた。
無意識に、笑みがこぼれる。
ステータスは、スキル【鑑定】を使うか、特定のアイテムを使うかしない限り、本人の同意なく、見ることは出来ない。二人の目には、青みがかった白い横長の長方形の無地の画面しか写っていないはずだ。にもかかわらず、この状況。
『こいつら、ばかかよ』
黙れ。
「良し、出来たぞ。
ステータス・オープン・リリース」
ぶうんと音がして、一瞬、画面が光る。
「どうだ、見れたか?」
「うん!」
「はい!」
二人に見えているステータスは、こうだ。
『【名前】
笹木野 龍馬
【種族】
ハーフ〈ヴァンパイア/人間〉
【職業】
・魔術師 level358
・剣士 level179……
【使用可能魔法】
・水属性
└水魔法
├攻撃類
│└水矢……
└応用類
└害物排除……
・闇属性
└拘束類
└ブラックホール……
【スキル】
・空間同化 level23……
【称号】
・世界に優遇されし者
・邪神の子……』
「すげえ! すげえ! すげえ!」
「それしか言えませんの?」
ルアはあきれた口調で言う、が、ルアも興奮しているらしく、その目のきらめきのせいで、あまり効果はなかった。
「お兄様、さすがですわね! 職業のレベルが全て三桁を越えていらっしゃいますわ!
それに、スキルも! いくつか30に迫っているものもありますし、さらには越えているものまでありますわ!」
「使える魔法もめっちゃ多いし! 技見せてもらえないのが残念だけど」
明虎がぼそっと言った。
「ごめんな」
明虎が言う技とは、例えば剣技などの、魔法を使わない(使うものもある)技のことだ。おれは技を修得しすぎていて、ステータスに表示するとややこしいので、非表示にしている。
「ほお、これはすごいな」
後ろから声がした。全員気配を感じ取っていたので、特に驚くこともなく、振り向く。
「父さん、起きたのか」
「父ちゃん! 見ろよ! すごいだろ!」
「辰人さん、おはようございます」
全員が口々言ったことで、父さんは少し困惑しながらも、穏やかな笑みを浮かべた。浅葱色の瞳に、優しい光が灯る。
「おはよう、皆。朝から元気だね。そういえば、ルアちゃんは寝てなくていいのかい?」
「言われてみれば、そうだな。ルア、どうしてこんな時間から起きてるんだ?」
吸血鬼は、夜行性。ルアはおれと違い、正真正銘の吸血鬼。おれたちが住んでいるこの屋敷は、大陸フィフスにある。大陸フィフスは年中特殊な雲(諸説ある)に覆われ、太陽の光が届かない。故に、昼間に起きていても何ら問題はないのだが、生物は、摂理にはどうしても逆らえない節がある。だからこそ、華弥姉は眠りに行ったのだ。
「お兄様にお会いしたかったものですから。
普段からわたくしとお兄様は生活リズムが合わず、当然ながら、あまり会うことが出来ません。ですが、疲労したお兄様がお帰りになったと聞いて、きっとぐっすりお眠りになるのだと思って、起床時間と就寝時間を調節し、お目覚めになるのをお待ちしていたのですわ」
これには苦笑せざるを得なかった。なんとも、正確に行動を予測されている。
いまルアが言った通り、おれは普段、一般の人間と同じような生活をしている。一日おきに目覚め、寝て、また翌日に目覚め、寝て。
しかし、おれに吸血鬼の血が流れているのは事実。吸血鬼は、一度眠ると、少なくとも一ヶ月は眠ったきりになる。そこまで疲れがたまることはほとんど無いが、おれは疲れていた。ありがたいことに、バケガクも《サバイバル》後は二週間ほど生徒に休みを与えている。理由は、おれのような生活リズムの感覚が人間よりも遅い種族の生徒の休息ためと、教師たちの後片付け。
「わたくしも、今朝起きたばかりですのよ。真弥さんに、この日に起こすようお願いしていましたの。お兄様はだいたい一週間ほどでお目覚めになられますから」
「なあ、ルア。おれって、そんなに行動に変化ないのか?」
ルアの目が泳ぐ。
これはある種仕方の無いことなのだ。なんせ、
『面白味の無いやつってことだな、はっはっは!』
こいつが! いちいち! おれの行動に文句をつけるから!
今朝だって起こされたし!
「ルアは本当に龍馬が好きなんだね」
「それはもう。お慕いしておりますわ」
そう言ってルアは、おれにもたれかかる。
「おっおれだって龍にぃのことすきだぞ!?」
負けじと明虎もおれに抱きつ、いや、しがみついた。
父さんは目をほそめ、微笑んだ。
「それじゃ、私は朝食をとってくるよ。邪魔みたいだからね」
父さんは、穏やかな笑みに少し寂しさを混ぜて、首に手を当てた。成人男性にしては珍しい水色の長髪が、ふわりと手に当たる。
「邪魔って、そんなこと」
おれの言葉を、二人が遮った。
「じゃーね父ちゃん!」
「ごきげんよう」
「否定しようぜ?!」
6 >>89
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.89 )
- 日時: 2022/09/18 23:24
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: bGiPag13)
6
「……また、創造神が使っていたとされる呪文には、火、水、風、土、光、闇といった属性名は含まれておらず、その代わり、赤や青といった、色名が用いられていたと伝えられている」
そこまで読んだところで、おれは両脇から聞こえる静かな寝息に気づき、読むのを止めた。
「寝たか」
疲れを吐き出す溜め息と共に、微かな笑いが口から漏れた。
「こんな本を、子守唄代わりに読ませるとはな。末恐ろしい」
おれはそう呟き、たった今まで朗読していた『私達の呪文』という、呪文について書かれた書物を、丁寧に閉じた。
二人を起こさないようにゆっくりとベッドから降り、布団を綺麗にかけ直したあと、二人の頭を軽く、二度撫でた。
わずかに微笑むその顔を見て、思わずおれも笑顔になる。
『すっかり腑抜けやがって』
不機嫌な声が、頭の中で響いた。
『むかしっから思ってたけど、近頃、ますます毒気が無くなってきてるよな』
おまえに関係ないだろ。
『むかつくんだよ。見たくなくても、感覚はリンクしてるしな』
しるかよ。
『誇りもなにも持ってない。力はあるのに、それを使うことをしない。
あーあ。こんなことなら、【憑依】なんてするんじゃなかったぜ』
「う」
うるさいと、怒鳴ってしまいそうになった。
二人が寝てるのだ。静かにしないと。
『それだよ、それ。他人に気を遣うなんて、何でするんだよ? 訳わかんねえ』
吐きそうなほどの、怒りが込み上げた。
何に怒っているのか、何に怒ればいいのか、わからない。わからない。
物音を立てないように、暴れだしたりしないように、必死に自分の感情を押さえて、部屋を出た。
「龍馬?」
また、タイミング良く、いや、悪く、真弥姉に会った。
いまは、一人になりたかったのに。
「龍馬、その顔」
真弥姉は言葉を切った。そして、話題を変える。
「二人が起きて来たときのことは気にしないで。外の空気でも、吸ってきなさい」
ありがとうと言う気力も沸かなくて、おれは歩けているのかすらもわからずに、ふらふらと真弥姉の横を通った。
「これは、しまっておくわね」
おれの手から、本を抜き取り、小さく、そう言うと、真弥姉は、おれの部屋に入っていった。
おれは薬を閉まっている部屋に行き、戸棚をあさった。
何度も出し入れして、目を閉じてでも見つけられる小箱を戸棚から出し、開く。
これはおれしか開けられないように、魔法をかけてある。中身は、『オレ』と日向しか、知らない。
薬包紙に包まれた錠剤の一つを取り出し、水を汲む手間すら惜しんで口にいれ、飲み込んだ。
途端に、心臓が大きく跳ねた。
血の流れが、拍動が、胸に手を当てなくても、手放しで感じられる。
立っていられなくて、おれは倒れ込んだ。
これは、魂に作用する薬。一定の時間『あいつ』の意識を強制的に眠らせることが出来る代わりに、おれの体内に魔力が十分に巡らなくなる。
魔力を血液とするならば、魂は、心臓だ。魂を中心として、魔力は全身を回る。
血液の流れが止まれば、身体はその活動を意思に関係なく終了せざるを得なくなる。
魔力でも、それは同じだ。魔力によって体を動かしているに等しいおれのような魔法使いは、魔力の供給が鈍れば、死にも似た苦しみを与えられる。
__________
しばらく苦しんだ後、ようやく『あいつ』は眠ったらしく、薬の作用が弱まった。
「はあ、はあ、はあ」
錠剤は、もうすぐで底をついてしまう。
次日向に会った時に、追加の薬を頼もう。
意識がだんだんと正常に戻ってきたので、膝をついていた足をあげ、近くの椅子に腰かけた。
息を整え、目を閉じる。
おれだって、望んでこんなことしている訳じゃない。
おれは、あいつが、大嫌いだ。
おれを蔑んだ、『あいつら』なんか、大嫌いだ。
でも、おれが『出来損ない』だったのは、事実なんだ。おれの意識に、そう、刷り込まれている。刷り込まれているということを自覚しているのにもかかわらず、おれはそれを否定出来ない。
「ひなた」
情けない声が、漏れた。
「メンバーチャット・オープン」
やわらかな緑色の光が、暗い部屋に溢れる。
通知はない。日向からの着信はなかった。それでも、おれは、日向との個人のチャットを開いた。
だけど、パネルを操作しているうちに、手の動きは遅くなっていき、止まった。
「メンバーチャット・クローズ」
おれはメンバーチャットを閉じた。
そして立ち上がり、小箱をしまって、部屋を出た。廊下を右に曲がって、突き当たりまで歩く。
大きなはめ殺し窓に手を当て、念じる。
【闇魔法・破壊】
どろりと、窓が溶けるようにして、穴が開く。
おれは、背から羽根を出した。最近はあまり出していなかったので、かすかに、むずむずとした違和感がする。
おれは床を蹴り、穴から飛び出した。体は重力にさからうものをうしなったために、落下を始める。
ばさりと強く羽根を動かし、体を安定させる。
おれは壊れた窓に近寄り、再び念じる。
【闇魔法・修復】
時間が巻き戻るように、窓の穴は塞がっていった。
これで良し。
そう思ったところで、苦笑が込み上げた。
自分だって無理をするくせに、日向には無理をするなと言うのだから。
魂に作用するあの薬によって、おれの中の魔力は、いま、とても不安定だ。そのため、おれの魂は、魔力を必死になって循環させている。魔法を放つということは、その循環の流れに、外部から変化をもたらすということだ。そんなことをすれば、魂は循環のリズムを狂わせてしまい、魔力は暴走を始めてしまう。
だから、たぶん、おれの魂は、もう、ボロボロなんだと思う。だからあいつも、気が立ってるんだろうな。
いや、あいつはもとから、ああだ。
おれは首を振った。
わざわざ薬まで飲んで、あいつを眠らせたんだ。いまはそんなこと、考えなくていい。
おれは羽根を動かした。
高く飛んで、光の無い森を、一望する。夜目が効くので、見えないなどということは、一切無い。これは魔力とは何の関係もないのだから。
さて、今日はどこへ行こう。
当てなどまったく無い。ただ本能に従い、おれは、闇の中を彷徨った。
7 >>90
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.90 )
- 日時: 2021/04/25 08:46
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: AUvINDIS)
7
「うー」
おれはベッドでごろごろしていた。
暇だ。
おれには趣味なんてものはないし、ルアは本来の生活に戻って眠っているし、明虎は昨日教えた魔法を使うために、森へ魔物狩りへ出掛けた。真弥姉も、それについていった。
父さんや兄貴たちは仕事で、母さんも華弥姉も、爺ちゃんや他の皆も、二ヶ月は起きてこないだろう。
だからなんだろう。こんなことは、今しか言えない。
「あああああ、ひなたあああ!」
「龍馬様」
「うわあっ?!」
扉の向こうから、声がした。この声は、メイドのツェマだ。
聞かれたか? 聞かれたか?
「何の用だ?」
うん、何事もなかったことにしよう。いや、何もなかった。そうだ。声がひっくり返っていることは気にするな。
「お休み中に申し訳ありません。つい先程、学園より、呼び出しの旨を伝える手紙が届きました」
学園から?
「入れ」
「失礼いたします」
ツェマは最小限の音だけ立てて、おれの部屋に入った。
黒よりも青に近い、藍色のボブヘアーは、まったく動かない。洗練された動きだ。
扉を閉める。いつも思うが、おれの部屋の扉は、おれの体力に合わせてあるので、なかなかに重いはずだ。ツェマは確かに力を込めて閉めているようだが、それでも、不自然な動き、とまではいかない。女性の中でも小柄なはずなのに、どんな鍛え方をしているのだろうか。
まあ、〔邪神の子〕が幼い頃から、面倒を任されている者からすれば、当然と言えば当然なんだろうけど。
おれを、切れ長の黒い瞳が見る。
表情は少なく、ただ落ち着いた様子で、おれの近くに寄り、手紙を渡した。
おれはざっと目を通した。
「学園長からか。何のよ、う」
おれの口が、無意識に止まった。文面には、いつものメンバー、つまり、日向、蘭、スナタも呼び出しにあっていると、書いてあった。
「手紙の中身を拝見させていただきました。書いている通り、花園様もおよび出しにかかっているそうです。」
うわー! 絶対笑ってる! 絶対笑ってる! 表情は動いてないけど、声が震えてるぞ!
「では、失礼します」
声の出せないおれを知ってか知らずが、ツェマはおれの返事を聞かずに、細い腰を折って、去っていった。
8 >>91
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.91 )
- 日時: 2022/04/19 19:14
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: IfRkr8gZ)
8
おれはあと、二、三回転がると、ベッドから飛び上がるようにして、床に立った。
いそいそと壁に掛けてある制服のところまで行き、ハンガーから外す。
他の服は別の専用の部屋にしまってあるが、制服はいちいち取りに行かせるのは面倒だからと、部屋に置いてある。
シャツとズボンを着替えて、緑色のネクタイを締めるために、鏡の前まで行く。締め方はもう、体に染み付いているが、念のため、というやつだ。
ベッドのすぐ近くにある、姿見の前に立つ。
水色、と言っても、水よりかは空の色のような髪と目。髪質は結構ストレートで、他の男子と比べるとちょっと長いけど、髪が絡まったことは覚えがない。体はかなり鍛えてあるはずだが、体質なのか、目に見えた筋肉質、というわけはない。ただ、華弥姉にがっしりしていると言われたことがある。容姿は、吸血鬼の血を引いていることもあって、一般に言われる『美形』の類いに入る、らしい。それ故か、そこそこもてる。別に、嬉しいとか、そういった感情はないけど。本音で。
誰に向かって言い訳しているんだと苦笑しつつ、おれは目線を、鏡に戻した。
思わず、顔をしかめる。
右目が、少し、黒くなっている。
本当に、少しだ。ツェマの髪よりも、青に限りなく近い。けれど、確実に、黒くなっている。
少しずつ、少しずつ、おれの魂は、あいつに侵食されつつある。その証拠が、これだ。
いつかおれがおれでは無くなってしまうのかもしれない。たぶん前例がないことだろうから、どうなるのかはわからない。
だから、恐怖。未知のものへの、恐れ。
書物は大量に漁ったし、日向も協力してくれている。しかし、前例なんてあるはずもない。解決の糸口すら、おれは見つけられたことがなかった。
いや、いまはやめよう。おれ一人がぐだくだと悩んだところで、何の価値もない。
意味が、無い。
ネクタイを素早く締めて、部屋を出る。
迷路のような屋敷の廊下を歩いて、玄関、にしては広すぎる場所に出ると、ツェマがいた。
「お靴とほうきをどうぞ」
「ありがとう」
さっきのことがなかったように、いつものやり取りを終えて、おれは扉を潜り、門を出た。
ほうきにまたがり、飛ぶよう念じて、空へ。
学園へと、向かった。
9 >>92
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.92 )
- 日時: 2022/04/19 19:16
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: IfRkr8gZ)
9
おれは学園長室の扉をノックした。
コンコンコン
「入りなさい」
若い女性の声がする。
学園長、しかもバケガクのともなれば、それなりに経験を積んだ者が勤めるもの、と、世間では思われている。実際にそうなのだが、どうしても年配の男性を思い浮かべてしまう人が多いらしく、また、あまり表に顔を出さないので、よくびっくりされているのを思い出した。
「失礼いたします」
先に声をかけてから、入室する。
「CクラスのⅡグループ、教室番号三◯二、出席番号六番、笹木野龍馬です。お呼び出しを受けて、参りました」
おれの家にもあるような、大きなはめ殺し窓を背にしているせいか、艶のある女性にしては大柄な体の腰まで伸びた髪は、光を反射し輝いているように見える。
黒縁の眼鏡の奥にある、きゅっとつり上がった細い目が、かすかに、満足げに揺れた。
「うんうん。笹木野君は、相変わらず礼儀正しいね。
君も見習ったらどうだい?」
細くしなやかな指が両手で交互に組まれ、その上に顎が乗せられる。
学園長の視線が、おれから見て左に移った。
誰に言ってるんだ?
「うわっ!」
気づかなかった。おれのすぐ横に、日向がいた。他の二人はいない。日向はおれをちらりと見ると、すぐに学園長と視線を交わす。
二人が会話しているようだったので、水を差すようなことはしないが、どうしても言いたいことがあった。
日向、絶対おれを驚かそうとしたよな?
日向は表情に出さないだけで、ちゃんと感情はある。いまもそうだ。おくびにも出さないが、内心は笑ってるに違いない。
「別に、言わなくても、分かりきってる」
日向は言った。
「いやいや。たしかにそうかもしれないけどさ。それでも、いまは学園長と生徒って関係な訳だから、花園君は、きちんと礼儀を通さなきゃ」
苦笑いしつつ、学園長は言った。日向はまだ、入室の挨拶を済ませていないらしい。
日向は分かりやすく、嫌そうに眉を潜めた。
こうした、半ばふざけたような仕草を日向がすることは、滅多にない。それ故に、日向と学園長が旧知の仲であることを、暗に語っていた。
「君だって、下に立つ者が敬意を持って接しなかったら、怪訝に思うだろ?」
「別に」
日向は即答した。学園長はしばらく制止し、ため息混じりに言う。
「君に聞いた私が馬鹿だったよ」
どういう意味だと、日向は目で尋ねた。
「言葉の通りの意味だよ」
演技臭く、学園長は肩をすくめる。
10 >>93
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.93 )
- 日時: 2021/04/25 08:57
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: AUvINDIS)
10
タッタッタッ
廊下を駆ける音が、扉越しに聞こえる。
それが唐突にピタリと止まり、きっちり十五秒後、扉が叩かれた。
コンコンコン
「入りなさい」
「失礼します!」
「失礼します」
入ってきたのは、蘭とスナタだった。
二人一緒か、いつも思うけど、仲が良いな。
「CクラスⅢグループ、教室番号三◯四、出席番号十六番、スナタです」
「CクラスⅡグループ、教室番号三◯四、出席番号一番、東蘭です」
「良く来たね。でも、廊下は走らないようにね、スナタ君。
さあ、あとは花園君だけだよ。いつまでも駄々をこねてないで。
さあ」
蘭がおれに、こそっと耳打ちした。
「もしかして、日向、挨拶してないのか?」
「たぶん。ちなみに、おれよりも先に来てた」
「はは。安定してるな」
日向は、流石におれたちを待たせるという気はないらしく、しかし渋々といった様子を隠す素振りも見せずに、淡々と言った。
「Cクラス、Ⅴグループ、教室番号三◯二、出席番号十八番、花園日向」
「です、は?」
「です」
「うん、もういいや。これ以上彼等を待たせると、何故か君が怒るからね。
君がさっさと言えば済む話なのに」
「本題」
「はいはい」
ひとしきりやり取りを終えて気が済んだのか、学園長はいきなり、本題に入った。
11 >>94
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.94 )
- 日時: 2022/04/25 17:51
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: f0TemHOf)
11
「話というのは、おそらく予想しているだろう、ダンジョンのことだよ」
誰も驚く様子はない。学園長もそれが当たり前であるかのように、何の反応も示さない。
「どうだった?」
いつものごとく、情報量の少ない言葉。
おれたちが理解するよりも先に、日向が言った。
「成長を司る堕天した神が、くらげを育ててた」
学園長は首をかしげた。
「堕天? それは……」
「違う」
学園長が言葉を発するよりも先に、日向は答えた。
そして、それ以上話すつもりはないという意思表示として、顔を背けた。
冗談ではなく本気で、必要以上に拒絶の意を示した日向に対し、少し申し訳なさそうに、学園長が言った。
「冗談だよ。わかってる。
それにしたって、情報が少ないかな。一番知りたかったことはそれだから、流石だとは誉めるけど」
「理事長に、言われたくない」
学園長は苦笑した。
「まだそう呼んでるんだね、君は。
それもそうだ。それは謝ろう。君の理解力は把握しているから、どうしても楽をしがちだ」
日向は言葉にこそ出さないものの、「言い訳はいいからさっさと話せ」と、目で圧をかけていた。
「それもそうだな。さて、どうだった?」
今度は日向はなにも言わなかった。
「〈呪われた民〉を模したと思われる、少女の石像がありました。おそらく、堕天神と石像の少女は、同一人物かと」
人物ではないけど、と、おれは心の中で呟く。
そして、言葉を続けた。
「また、『世界に危険視され、世界にこの場所をダンジョンと指定された』と言っていました」
「世界に?」
学園長は、日向を見た。日向はその視線に気づき、じっと、学園長を見つめる。そして目を閉じ、ふいに、ゆっくりと首を左右に浅く振った。
「ふむ、世界とは、『本当の』世界、という意味か。
なかなか興味深い」
学園長はニヤリと笑った。
「ところでさー、何でおれたちを呼んだんだ? 呼んだんですか?」
蘭が言い直しながら、学園長に尋ねた。
それもそうだ。報告なんて、既に聞いていてもおかしくない。それに、情報源にわざわざおれたちを選ばずとも、さらに適切な人材なんか腐るほどいる。何せここは、バケガクなのだ。
とぼけた『ふり』をして、おれも学園長を見た。
学園長は不適な笑みを崩さずに、否、それに拍車をかけて楽しそうに口もとを歪め、視線を日向に移した。
もちろん、何も言わない。
「気が利かないな」
言葉とは裏腹に、学園長は笑みを保つ。
「それは……」
質問に対する答えをおれたちが聞こうとした、そのとき。
コンコンコン
予定外の訪問者によって、学園長室の扉が叩かれた。
12 >>95
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.95 )
- 日時: 2021/04/25 08:59
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: AUvINDIS)
12
「どうぞ」
「失礼します」
学園長の言葉を受け、入ってきたその人物を見て、おれたちは脇にそれた。頭を下げた状態で、静止する。
「AクラスのⅠグループ、教室番号一◯一、出席番号一番、エールリヒ・ノルダン・シュヴェールトです」
どうでも良いが、一が四つもある。どうでも良いが。
「やあ。早かったね」
学園長の言葉からすると、どうやら、彼の登場はあらかじめ知らされていたものらしい。
ならさきに言え。
同じ考えに至ったのであろう日向から、そんな雰囲気が漂ってきた。
同感だ。おれたちは、願わくば、この人たちにはなるべく遭遇したくない。
おれたちの関係は、『一般的には』不自然だからだ。
「AクラスのⅡグループ、教室番号一◯一、出席番号二番の、エリーゼ・ルジアーダです」
おれはちらりと、ノルダルート国王太子と、ルジアーダ伯爵令嬢を見た。
ばちっと目があった。学園長と話している王太子ではなく、端末、情報を効率良く共有、整理、管理するために作り出されたものを持った、令嬢と。
ぱっと目をそらす。しかし、ルジアーダ嬢はおれに興味を示したらしく、歩み寄ってきた。
「こんにちは、笹木野さん。頭を上げてください」
名指しで声をかけられては、無視するわけにもいかない。
おれは顔を上げて、まっすぐに、ルジアーダ嬢を見た。
「お久しぶりです、ルジアーダ嬢」
13 >>96
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.96 )
- 日時: 2021/04/25 09:07
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: AUvINDIS)
13
日向は表情ではわからないが、蘭とスナタは少なからず驚いたようで、目を丸くしている。
それはノルダルート王太子も同じなようで、こちらを見た。
「えっと、二人は、顔見知りなのかな?」
ルジアーダ嬢は、頷いた。
「はい。私の国[エンディナーメモス]は、[黒世界]の大陸フィフスにとても近い、島国です。そのため、繋がりの強い国から、大陸フィフスとの交易の国として、よく利用されています。私の父もしばしば直接交易の任を任されていて、幼い頃に何度か、私も現場に同行したことがあるのです。
彼とは、そのときに出会いました」
おれは、なにか、違和感を覚えた。
なんだ?
ああ、そうか。
『説明口調』なんだ。
どうしてだ?
ルジアーダ嬢の国が[エンディナーメモス]であることも。
大陸フィフスが[黒世界]に位置付けられていることも。
[エンディナーメモス]が大陸フィフスとの交易の場であることも。
ルジアーダ嬢の父上が、その任を任されていることも。
次期国王の立場なのなら、『知っていて当然のこと』なのに。
「笹木野君は、たしか、〔邪神の子〕と呼ばれているんだっけ? それで、祖父が、カツェランフォードの」
「カツェランフォートです」
ルジアーダ嬢が、こそっと耳打ちした。
「……カツェランフォートの現当主」
「お互いの交易の任を任された回が重なり、なおかつ、現場に連れていってもらった回が重ならないと会えなかったので、会った回数はさほど多くありません」
やはり、違和感。
14 >>97
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.97 )
- 日時: 2021/05/01 07:37
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: yV4epvKO)
14
日向なら、なにか知っているかもしれない。でも、人目があるから、聞けない。
【鑑定】してみるか。
唐突にその考えが浮かんだ。
うん、そうしよう。
おれは視線をノルダルート王太子に向けた。
【鑑定・対象:エールリヒ・ノルダン・シュヴェールト】
ぶうんと音がして、おれの中に、情報の渦が流れ込む。
青い光の中に取り込まれるような感覚。映像、文字、感情。様々な情報の中から、おれは、目当ての文字の羅列を暗記。
気配を悟られる前に、渦の中から自分の『気』を抜いた。
『記憶』と『暗記』は、違う。
おれは『文字の羅列を覚えた』だけで、『内容を理解』はしていない。
暗記したノルダルート王太子のステータスを頭の中で映し、改めて、その内容を『意識の視界』の中にいれた。
『【名前】
エールリヒ・ノルダン・シュヴェールト
【種族】
人間〈ノルダン人〉
【役職】
ノルダルート国王(仮固定)
【職業】
・魔術師 level 97
・剣士 level 103
【使用可能魔法】
・風属性
└風魔法
└補助類
└加速……
【スキル】
・寒冷耐性 level32
・察知 level12
・索敵 level11
・精眼 level 3
【称号】
・王族の欠落品』
『仮固定』に、重みを感じた。
それはつまり、それ以外の役職を認めないということ。
役職というのは、特別な職業だ。次期国王になれなければ、その枠はなくなる。
この人の宿命だ。
おれは意識を切り替えた。
特に、おかしな点はないように感じる。職業が二つだけなのも一般的で、三つあると重宝されるのを考えると、おれたちが異常なのだ。今更だけど。
スキルが少ないのも、〈人間〉の特徴。精眼があるのは、珍しい。
一つ気になるのは、『王族の欠落品』。
次期国王なのに?
15 >>98
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.98 )
- 日時: 2022/04/27 08:08
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: emG/erS8)
15
「学園長。ところで、どうしてこの人たちがここに?」
ノルダルート王太子が言った。
声を大にして、こっちの台詞だ、と言いたい。もちろん飲み込むけれど。
「ん? 君の要望だろう。花園君たちについて知りたいというのは」
学園長の言葉に、おれたちの顔に緊張が走り、ノルダルート王太子が慌てた。
「が、学園長!」
その理由も、なんとなくわかる。おれたちに直接聞かないということは、後ろめたいという気はしていたのだろう。
「事情が事情だからね。私もどこまで話して良いのかわからんし。下手に話してあとで花園君に怒られるのは嫌なんだ」
「怒られる?」
ルジアーダ嬢が、呟いた。
「私と花園君は、長い付き合いでね。生徒と教師という立場ではあるが、そこそこくだけた関係なんだ」
肩をすくめるような口調で、学園長が言った。
日向は、なにも言わない。
この時点で、既に怒られるのは確定しているけどな。
日向が発する、おれたちにしかわからない、そう『コントロールされた』負の気配に、おれは苦笑を押さえるのに苦労した。
そのことには、学園長も当然、わかっているのだろう。日向に視線を向けて、目配せをした。
挑発している。
何がしたいんだ、この人は。
しかし、日向からはなんの反応もない。どうやら、遊ぶ気は失せたようだ。いまはただただ、好機を待つ狩人のように、じっと、ノルダルート王太子を見つめている。
その目線を感じたのか、ノルダルート王太子は、日向を見て、気まずそうに笑った。
「もちろん、ただでとは言わない。まずは、自己紹介するよ。
顔を上げてくれたまえ」
全身をこちらに向け、一礼する。
「私の名は、エールリヒ・ノルダン・シュヴェールト。最北の国[ノルダルート]の、次期国王だ。
入学理由は、【部分喪失】。一般的な言い方をすると、極端に、物忘れが激しいんだ」
そういうことか。
おれはやっと理解した。
それなら、たしかに、『欠陥品』だ。
16 >>99
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.99 )
- 日時: 2021/05/01 07:38
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: yV4epvKO)
16
「私の名前は、エリーゼ・ルジアーダです。[エンディナーメモス]のリィカ・ルジアーダ伯爵の、一人娘です。
入学理由は、【魔法満干】。魔法発動に使う魔力に波があり、安定して魔法を使うことができません」
この流れは、おれたちも自己紹介をするものだ。
おれは三人を見回し、意志疎通を図った。
自己紹介くらいなら、大丈夫だ。
下手に拒否をすると、あとあと面倒になりかねない。
小さく頷き、口火を切った。
「笹木野 龍馬です。吸血鬼五大勢力の一つ、カツェランフォート家の当主の孫です。
人間と吸血鬼の半怪人で、〔邪神の子〕と呼ばれています。
入学理由は」
言葉を濁すな。耐えろ。
耐えろ。
「【二重人格】、人格異常です。学園へは、自主希望で入学しました」
二人の顔色が変わった。
「自主希望なんて、珍しいですね」
ルジアーダ嬢はそういうけれど、本当は、おどろいているのは、そこではないはずだ。
二重人格など、そうはいないし、いたとしても、良い印象は持たないだろう。
「東 蘭です」
おれに気を遣ったのか、蘭が言った。失礼に当たるかもしれないにも関わらず。
意外と気が利くんだよな、こいつ。
「天陽族の、呪解師の生まれです。
入学理由は、【不適合】。おれは呪いを『解く』よりも、『壊す』の方が性に合ってるので」
なるほどな。おれも、正直に言うんじゃなかったぜ。適当に【才能過多】とでも言えば良かったかな。一応、それも入学理由の一つだし。
「でも、一族きっての〔才児〕と呼ばれているんでしょう?」
「昔の話です。幼い頃は、力さえあれば評価されていましたから。いまは、力に加えて、丁寧さや、精密さなどが求められてきていて、どうも、おれには合わないんですよ」
本当はなんとも思っていないくせに、さも気にしている風に、やや自虐ぎみに話す。そのお陰で、庇うように、という格好で、すぐにスナタに話し役が回された。
17 >>100
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.100 )
- 日時: 2021/05/01 07:39
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: yV4epvKO)
17
「スナタです。名字は[ナームンフォンギ]の生まれなので、ありません。入学理由は、【意識跳失】、二重人格にちょっとにています。全然違いますけど、そう言われています。えっと、自分の感情が、たまに、自分ではおさえにくくなるんです」
おれたちのなかでは、スナタが一番『まとも』だ。
けど、な。
おれは日向をちらっと見て、日向にしか気づかれない(日向に気づかれないようにすることは、始めから諦めている)ように、ため息混じりに小さく笑った。
次は、日向だ。
気持ちを切り替えて、身構える。
現段階においてでも、日向はとても複雑な事情を抱えている。
言葉にする情報も少ないし、質問責めに遭うのは、致し方ないことで、容易に想像できること。
何があっても、守る。
おれたちの『領域』に、足を踏み込ませはしない。
「花園、日向、です」
日向は話し出した。
声は、震えていない。動揺も感じない。
熱の無い、落ち着いた、冷めた口調。
「在籍理由は、精神異常」
それだけ言って、口を閉じた。
もちろん、それで納得するわけがない。
「ええっと、具体的に教えてもらえたりは……」
言葉を濁す。
日向が嫌いな話し方だ。日向は、はっきりと話す方が好きなのだ。だからおれも、意識している。と言うよりかは、意識している期間が長すぎて、これが普通の口調になってしまった。
日向は、沈黙した。
「出来ない、か。
どうしても?」
沈黙を貫く。
だめだ。
日向の精神が、異常の警鐘を鳴らしている。
わかる。おれたちにはわかる。
表情ではない、漏れ出る微かな『気』。
「在籍理由、と言いましたね? 入学理由は?」
「なんで知りたいんですか」
ルジアーダ嬢の質問と被さるタイミングで、日向は言った。
「知って、どうするんですか」
疑問の音の無い、疑問に見える、拒絶の言葉。
日向はそこで、言葉を切った。
まずいな。相手は小国とはいえ次期国王。
敵に回すのは、日向の意志に、『面倒から避けたい』という意志に、反する。
その考えにまで至っていないはずがない。
限界だ。
・・・・
「生徒会長」
おれは、言葉を発した。
ノルダルート王太子にではなく、バケガクの生徒会長に。
「言葉を挟んでしまい、申し訳ありません」
まずは、不敬を謝罪する。
「彼女は、他者からの干渉を嫌います。
生徒会長として、生徒のことを気遣ってのこの行動であれば、彼女へは、逆効果にもなり得ます。
生徒会長のお心遣いは、とてもありがたいです。それには、感謝の言葉を並べさせてください」
おれは一度、腰を折った。
「ですが、私は、彼女の友人として、願います。どうか、過度な干渉は、控えてください」
あまり、家の権力は使いたくない。
勤めて丁寧に、おれは言った。
だけど、この人たちが、言葉をつまらせたから。
この場で、この人たちに対して、もの申す権利を有しているのは、おれだけだから。
「権力を、盾にしないでください。
日向のそばには、おれがいます。
大陸フィフスには、現在王も皇帝もいません。
吸血鬼内で五大勢力とも言われるおれの家系は、大陸内では王族や貴族と同じくらいの権力があります。
そのことを、決してお忘れなきよう」
強い口調で、突き放した。
矛盾だらけのおれの言葉は、かなり、二人に蕀のごとく、刺さったようだった。
18 >>101
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.101 )
- 日時: 2021/04/28 06:26
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: iTHoKTwe)
18
「日向、ごめんな」
二人が日向に謝罪し、学園長に断りをいれて退室した直後に、おれは言った。
なんのことかわからずに、日向は不思議そうに首を傾ける。
「『友人』なんて勝手に言ってさ」
日向は、じぃっとおれの目を見る。
気にしてないよ。
そう伝えたいようだった。
「は? 君たち、友人じゃないのか?」
驚きの中に呆れの混じった声で、学園長が言った。
「じゃあ、君たちの関係はなんだ? まさか色恋ではないだろう?」
「当然」
おれの頬が紅潮するよりも先に、日向が言った。
「三人は、私を救ってくれるの。だから私は三人を守るの。利害関係」
少なくとも、日向はそう思っているようだった。
「君のその盲目的な『信仰』にも、私としては不思議でならないんだけどね」
学園長は苦笑した。
「用事は?」
終わったのか、と、訊きたいのだろう。
「ああ、もう大丈夫だ。帰ってくれて構わない」
「あ、待って、日向! ジョーカーのこと、言わなくて良いの?」
踵を返した日向の背に、スナタが投げ掛けた。
「いい」
その足を止めること無く、日向は言う。
ジョーカー。
それは、誰なんだ?
学園長まで、知っているのか。
あの口ぶりからして、『組織』の一員。
あるいは……。
日向は、未だに、その正体を明かしてはくれない。
たぶん、それは、日向の口から伝えられるのを、待つべきなんだと思う。
でも。
なあ、日向。
おれは、さみしいよ。
悲しいんじゃない。少し、ニュアンスが異なる。
日向にとって、おれが蘭やスナタと違うのは、知ってる。
でも。
なあ、日向。
いつか、いつか。
おれに心を、開いてくれるか?
第一幕【完】
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.102 )
- 日時: 2021/05/01 07:40
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: yV4epvKO)
1
「リュウ」
「わあっ!!」
背後から、急に声をかけられた。
「ここ、図書館」
日向の言う通り、ここは学園内の図書館。大声を出してはならない。
それはわかってる。
「おどかすなよ」
恨めしげに見ることを意識して、日向に言う。
「なんでここにいるんだ?」
「つけてきた」
……わざわざ気配を消してまでか?
言葉にこそしなかったが、おれの目でわかったのだろう。
日向は唐突に本題に入った。
「薬、まだある?」
息が、ほんの一瞬だけ、止まった。
「いまも、飲んでるでしょ。魂の異常はあるけど、精神の状態は、いつもよりも安定してる」
敵わないな、日向には。
「うん、飲んでる。昨日飲んだ」
「何度も言うけど、多用は禁物」
淡々と、感情の無い声で、日向が言う。
だけど、わかる。日向はおれを、心配しているのだ。
くすぐったいような、変な感覚がする。
「わかってる。ちょっと、思考がまとまらなくてさ。気がついたら飲んでた。中毒かもな。はは」
笑って、ごまかそうとするけれど、喉から出た笑声は、これでもかというほどに、渇いていた。
日向は眉を潜める。
「無理も、だめ」
口調が変わった。微かに、強くなっている。
「薬、追加の分、登校再開したら、持ってくる」
苦しそうに、辛そうに。日向の言葉が、おれの中で、小さく響く。
日向には、本当に感謝している。
人は、その場しのぎだと言うだろう。
人は、薬をに頼るなと言うだろう。
人は、耐えろと言うだろう。
日向がおれに与える薬は、おれの身を滅ぼすもの。
医学的にも、害しか与えない。
だけど、薬が与える害よりも、『あいつ』が与える害の方が、おれにとっては、耐え難いものなんだ。
日向は、それを理解してくれている。
だからおれに、薬を与えてくれるのだ。
その場しのぎでも。
苦しくても。
辛くても。
『おれにとっての』最善を。
『おれが望む』、結果を。
日向はおれに、与えてくれる。
2 >>103
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.103 )
- 日時: 2021/05/01 07:40
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: yV4epvKO)
2
「日向、ありがとう」
日向は、おれを見た。
「おれを、否定しないでくれて」
珍しく、日向の瞳が、わかりやすく、揺れた。
学園長とのやり取りのような、ふざけた雰囲気ではない。
真剣な表情の中に、動揺があった。
「リュウが」
日向が言葉を発する。
「私を、否定しないから」
わかりやすく、切なさを感じさせる表情をした。
本気で、おれを想ってくれているのだ。
それだけで、おれの、生きる理由になる。
日向は、おれに、存在理由を与えてくれる。
どさっ
突然、音がした。
本が落ちるような、そんな音。
地面は揺れたりしなかった。本棚から落ちるなんてことはないはずだが。
そう思って、おれは音がした方向へ、振り向いた。
女の子がいた。
ぼさぼさではね毛だらけの黒い髪。
焦げ茶のような肌の色。
おどおどした、漆黒の瞳。
おれよりも少し高い、大柄な体型。
白布のベールからちらっと見える、羊のような、灰色の角。
身に付けるリボンの色は、Ⅴグループの証である、赤。
おれたちの会話を聞いていたのか、顔が真っ赤だ。
うん、端から見れば恥ずかしい会話をしていたのは、認める。
3 >>104
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.104 )
- 日時: 2021/05/01 07:41
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: yV4epvKO)
3
「あっ、あノ、エっと」
あわあわと身振り手振りで盗み見と盗み聞きをした理由を説明しようとして、辛うじて腕のなかに留まっていた本も、足下の本の山の一部と化す。
「あああああ」
この子は、何をやっているんだろう。
拾っては落とし、拾っては落とし。その繰り返し。
さすがにきりがないと、おれが手伝うために歩みだそうとする直前に、日向が動いた。
まっすぐに、彼女のもとへ。
「え」
思わず、声が出た。
日向が誰かのために行動するなんて、いままでなかったことだから。
「えっあっあっ」
驚いたように、怯えるように、あたふたと両手が動く。
無理もない。日向のことは、学園のほとんどが知っている。人殺しと関わるなど、嫌なのだろう。
いつだって、そうだ。
ぐっと唇を噛みしめ、おれも彼女のそばによって、しゃがむ。
「大丈夫?」
さらに顔を赤くしている彼女は、声を絞り出して、答えた。
「はイ! あっアのっあのっ」
「気にしないで。
もし話しにくかったら、自分の国、大陸の言葉で話してもいいよ?」
女の子は、目を丸くした。
「言葉が」
わかるのか、と、訊きたかったのだろう。
「あなたは」
しかし、日向の声に遮られた。
「本の扱いが、酷い」
あくまで冷たく、なんの温度も感じない声で、日向は言う。
そうか、本だ。日向は本のために行動しているんだ。
それもそうだ。面倒くさがりの日向がおれたち以外のために動くなんて、そんなこと、あり得ない。
あるとすれば。
「本は、歴史そのもの。歴史を粗末に扱うことは、神への冒涜」
抑揚のない声なのに、行動だけは妙に感情があって。
「神を敵には、回さない方がいい」
吐き捨てるように、呟いた。
4 >>105
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.105 )
- 日時: 2021/05/02 08:00
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: jBbC/kU.)
4
「それに、紙は木から作られた、森の産物。精霊も、怒ってる」
おれは精霊を『視る』ことはできない。『感じる』ことだけはできるけど。
日向には、それができる。実際にすることはあまりないみたいだけど、会話(念話)のようなものも、しようと思えばできるらしい。
「ご、ごめんなさい!」
女の子は、がばっと頭を下げた。
日向は相変わらずの無表情で、冷たく言い放つ。
「私に謝られても、困る」
全く困ったようすは見受けられない声。
ますます、女の子は赤くなった。
それを日向は無視して、とんっと小さな音だけたてて、大量の本を机に置いた。
その本の題名を目にしても、顔色ひとつ変えない。本当に、すごいと思う。
おれには、無理だ。
『呪われた民の行方』
『追いやられた白の民』
『滅ぼされた悪の根元』
その中のほとんどが、〈呪われた民〉についてのものだった。
おれはそれらを見た瞬間に、さっと顔色を変えたのを、自覚した。
「あっ、ありがとうございます!」
女の子は気づいていなかったようで、と言うよりかは、顔を真っ赤にしてうつむいているのでおれが見えていないのだろう。かろうじて、という雰囲気でお礼を言った。
「別に」
日向は淡々と告げる。
「わたし! ゼノイダ・パルファノエです!」
パルファノエさんは、唐突に叫んだ。
「は?」
訝しげな、日向の声。見ると、二人は視線を交わしていた。一方はなにやら熱がこもり、一方は対照的に冷えている。
「い、いえ、その、名乗らないのは失礼かと……、あっその! 決して花園先輩や笹木野先輩が失礼とかそういうことでは!
あっ! あああまた誤解を招くような言い方を」
一人で問答を繰り返すパルファノエさんを、日向は冷ややかに見つめていた。
5 >>106
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.106 )
- 日時: 2021/05/02 08:01
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: jBbC/kU.)
5
「なん」
日向が呟いた、いや、呟こうとした。
パルファノエさんは一種のパニック状態に陥っていて、それに気づいていない。
「どうした?」
気になったので、おれは日向に尋ねた。
少し間を空け、日向は言う。
「別に」
えー。
知りたいと、顔に出ていたのか、日向はおれの目をじっと見つめた。
真顔で見つめられるのには、やっぱり、慣れない。
「私の」
確信犯か、天然か。
どっちかはわからないけど、少し頬を赤くしたおれを無視して、日向は言った。
「名前を、知っていたから」
なんで知っているのか。
そう、言おうとしたのか。
おれの心を読んだかのようなタイミングと言葉で、日向は言葉を続ける。
「でも、興味ないから」
訊くのをやめた、と。
「リュウは名声、私は悪名。
どちらも、形はどうあれ世界に認知されている」
「そんなことっ!」
ちがう。悪名なんて、そんな。日向の名前は、決して悪名なんかじゃない。
「日向の名前は、悪名に『された』んだ!」
《白眼の親殺し》の一件で、日向は全世界の晒し者にされた。
記者に野次馬、大量の奴らが、日向の個人情報を洗いだし、絞りだし、それまでの過去から家族構成から、日向に関するほとんど全ての情報が、無償(記者の場合は職務なので新聞等の料金はかかったが)で世界に公開された。
そのおかげで日向と巡り会えたということが、なおさら強く、おれに嫌悪感を植え付けていた。
だからおれは、いままでの日向の大半を知っている。その代わりに、おれは自分の個人情報を日向に教えた。日向はそれを拒んだけど、どうしても、知ってほしかった。
「リュウ、ここ、図書館」
「わかってる!」
怒鳴ったあと、はっと我に返った。
こんなの、八つ当たりだ。
絶対しないように、気をつけていたのに。
頭が真っ白になって。
自分が嫌になって。
日向の顔も見ないで、おれはその場を駆け出した。
6 >>107
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.107 )
- 日時: 2021/05/09 00:55
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 6k7YX5tj)
6
「あー、あんなの、ガキじゃねえか」
おれは後悔の念に苛まれていた。
「謝るくらいしろよな」
他人事のように、現実逃避のように、呟く。
おれは、学園内の森にいた。家に帰ることもできたけど、それじゃあ逃げるままになってしまう。
かといって、謝る『くらい』のことすらできない。
「情けねえ」
おれがため息を漏らした瞬間。
『ああ、情けねえな。本当に』
聞くはずのない声。
頭の中で響く声を聴いて、どくんと心臓が跳ねた。
なんで。どうして。
まだ、薬の効き目は切れていないはず!
『よお。起きたぜ。わっかりやすく落ち込んでんな、交代してやろうか』
にやにやと笑う『あいつ』の顔が、脳裏に浮かぶ。
やめろ。
拒絶を示した。
『そう言うと思ったぜ』
言葉が続く。
『久々に寝て起きてみれば、お前はなにやってんだよ。まあたあいつのせいでくよくよしてんのか?』
おれは、ぎりっと歯を食い縛った。
こいつの言葉は、的を射ている。
薬の効果は、本来ならば、短くても三日は持つ。それが二十四時間も経たずに切れてしまったのは、おれの精神状態が原因だ。
『そのとおり。不安定なんだよ、いま、お前は。この意味が、わかるよな?』
は?
『運が良いぜ。こんなに短い期間に二回も乗っ取れるなんて』
おい。
『二回とも原因はあいつに対するお前の精神の揺らぎだしな』
おい!
「やめ」
やめろと言い切る前に、おれは意識を失った。
7 >>108
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.108 )
- 日時: 2021/05/09 00:55
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 6k7YX5tj)
7
…………………………
…………………………
…………………………
いまは、なんだ。
おれは、いま、どうしてる?
ああ、そうか。
乗っ取られたのか。
情けないな。
意識を乗っ取られている間は、おれは、魂だけの存在になっている。
意識は、五感。この間、おれは、外からの刺激をなにも感じることは出来ない。
出来るのは、考えること。
それだけ。
重さも体の輪郭も、なにも感じない。
感じるのは、体があるのだという、錯覚。
目が見えるのだという、耳が聞こえるのだという、錯覚。
それ故に生じる、なにも見えない、聞こえないことへの、不安、虚無感。
それだけ。それだけ。
いまのおれには、何もない。
出来ることは、考えること。
自分の過ちを、ひたすら思い返すこと。
なんで、あんな風に、怒鳴ってしまったんだろう。
決してしないようにしていたのに。
日向にだけは。
日向にだけは。
そうやって、抑えてきたのに。
どうして。
どうして。
どうして。
……嫌われたくない。
日向。日向。
唯一おれに、救いを与えてくれた存在。
唯一おれに、希望を与えてくれた存在。
唯一おれに、光を与えてくれた存在。
日向を失えば、おれは、生きている意味を失うんだ。
もしもいま体があれば、おれは震え出していたに違いない。
恐怖なんて生ぬるい。
日向には、日向にだけは。
嫌われたくない。
8 >>109
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.109 )
- 日時: 2022/03/02 07:52
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: f3ScG69M)
8
一瞬、一秒、一分、一時間、一日……。
時間が流れたという事実だけが、実感ではなく知識としてわかる。
それがどのくらいのものなのかまでは、わからないけれど。
おれの体は、いま、どこにあるんだろう。なにをしているんだろう。
日向は、どう思っているんだろう。
怒っていないのは、知っている。わかっているんじゃなくて、知っているんだ。
いつも、そうだから。
日向には感情が少ない。
日向に感情をもたらすのは、いつもおれたちだ。
ただし、それはおれたちに向けられたものに対して、おれたちが感じたものに対して生じる感情。
自分自身に関するものには、決して感情を抱かない。
そう、誰もが思っている。誰よりも近くにいるが故に、蘭もスナタもそう捉えているし、日向本人すらも、そう思っている。
でも違う。日向は、自分の感情に気づいていないんだ。
気づけないから、その感情を直に受ける。
それがたとえ、ストレスであっても。
日向は誰よりも不器用だ。それ自体には、蘭もスナタもわかっている。
だけど、おれほどには心配していない。おれが心配しすぎなのも、否めないけど。
でも、それだけじゃない。あの二人は、日向に近すぎる。
近すぎるから、理解しすぎているから、全体像を捉えられない。気にしないと見えないほどの細かい部分が、視界から漏れているんだ。
おれは違う。おれは、あの二人とは、明らかな違いがある。
だから、こんな感情が生まれるんだろう。
友情なんてものじゃない。
恋愛感情でもない。
憧れ、とも、なにか違う。
元々は、恩義のようなものだったはずだ。
一直線上にあるようで、全く別次元に存在するこの感情。
言葉のない、他の人のなかにはその概念すらない、この感情。
言い表すことなど出来ない、大きすぎるこの気持ち。
けれど、言い表すとするならば。唯一言い表すとするならば、この、なによりも壮大で、なによりも曖昧な、この言葉。
日向、日向。
おれは。
おれは、日向を、愛してる。
9 >>110
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.110 )
- 日時: 2022/10/06 05:15
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 4CP.eg2q)
9
唐突だった。
意識が戻ったということだけで言えば、そうではなかった、予兆はあった。
でも、それらが一度に起こったのだから、やはり、唐突だったと、感じてしまう。
まず、体があるとすれば、地面がそのまま大きく揺れたような感覚がした。
次に、体があるとすれば、地割れに体が落っこちるような感覚がした。
最後に、体があるとすれば、胸を強く蹴られたような、強い衝撃が加わった。
痛みはない。
意識の真底が痙攣したような、それでいて激しい振動が、突如としておれを襲った。
そして、気づけば、おれの視界には色が差し、おれの耳には森の木々のざわめきが聞こえていた。
こんなこと、滅多にない。
確かにいつも、気づけば意識はもとに戻っていた。
けれどこんな、言葉にすれば乱暴な衝撃と共に『覚醒』するなんて。
ああ、そうか。
『強行突破かよ、ったく』
なんとなく気だるげな声。
強行突破か。
間違いない。
「リュウ、平気?」
瞳の奥を微かに揺らして、日向がおれに問う。
光の差さない、虚ろな目が、まっすぐおれを見ていた。
おれはひざをついていて、日向を見上げる形になった。ひざをついているということは、あいつは日向と戦闘したのかな。そのわりには、おれの体にはどこにも傷はない。
木々の隙間から漏れた日の光が、日向の髪に当たる。逆光で日向の表情はよく見えない。けれど、雰囲気と声で、おれを気遣ってくれているのがわかる。
「うん、平気だよ」
おれがそう答えると、五秒ほどはそのままだったが、不意に、緊張の糸がほどけたように、日向は、ふう、と、ため息をついた。
「そう」
【闇魔法・潜在覚醒】
この魔法は、俗に言う黒魔法。黒魔法と闇魔法は同じものだが、そう言った方がわかりやすい。
なんせ、本来悪魔が使うものなのだから。
人間が奥底に秘める欲求を無理矢理引きずり出し、悪魔はその人間を言葉巧みにコントロールする。
正規の用途は、これだ。悪魔に正規もなにもないけど。
それを日向は、おれの意識を強制的にもとに戻す技として使うことを思い付いた。
魂に干渉する魔法なので、日向はあまり使いたがらない。
余談だが、黒魔法という名称は、この世界の創造神が使っていたとされている。そういえば、前に読んだ書物には、誤りがあった。
それにしても、なんで日向は今回この魔法を使ったんだ?
10 >>111
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.111 )
- 日時: 2021/10/03 19:15
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: OypUyKao)
10
「日向、なにがあったんだ?」
おれは立ち上がり、日向に尋ねた。
「リュウは結構落ち込みやすいから、探してたの。案の定『あいつ』の気配が強まってたし。
放置したら、自己嫌悪のサイクルに陥ると思って」
「ははは。その通りだよ」
おれは肩をすくめた。おどけたように言ったつもりだったけど、声がかたいことが自覚できる。
なんで、日向はこんなにも、おれのことを理解してくれているんだろう。
不意に目尻が熱くなり、慌てて抑える。
「どうしたの?」
不思議そうな、日向の声。
「ごめん、ちょっと待って」
『あーあー、泣くのか? みっともねえなあ』
うるさいだまれ。
いまはやめろ。いまは!
「リュウ」
日向が変わらぬ声で、おれに話しかける。
日向の白い手が、おれの首に順番に回された。
日向は自分の体とおれの体を密接にくっつけて、おれの肩に顎をのせる。
ぼんっと音がしそうなくらいの速度で、おれの全身の血液がめぐった。
それに比例して、体温が急上昇する。
「は、な、え」
声にならない声を絞り出すので精一杯で。
だって、日向が、近くにいる。手を伸ばさなくても触れられる距離に、日向がいる。
おれの体は硬直した。
「気にするな、なんて言わない」
耳元で、声がする。右耳に、息がかかる。
「でもね、リュウ。これだけは言わせて。
私はリュウが大好きだから。絶対に嫌いになったりしないから」
日向の声が、おれの心に浸透する。
「私は、あなたの味方だから」
「私は愛なんてわからないけれど」
「私はあなたを、愛してる」
その瞬間に、おれは泣き崩れた。
声を上げて泣いた、訳ではない。
日向のことを抱き締め返して、ただただ泣いた。
力加減は出来なかった。そこまで頭が回らなかった。
だけど日向はなにも言わずに、静かにおれが泣き止むのを待っていた。
「おれも」
伝えたかった。
これまで何度もこの言葉を交わし続けてきたけど。
「愛なんて、わからないけど」
家族はおれを愛してくれているんだろう。けど、それは知識でわかるのであって、実際に感じているわけではない。
「おれも、日向を愛してる」
この言葉でしか、この感情は表せないから。
心が通じ合うなんて、あり得ない。
言葉にするしか、自分の気持ちを相手に伝えることは出来ない。
だから、何度も何度も、これから先もずっと、おれはこの言葉を口にする。
おれたちの間に、恋愛感情はあり得ない。
友情でも、ない、と思う。
それらとは全く別の、この世界には概念すらない、この関係。この感情。
答えなんて無くても良い。
お互いが、この世界に存在さえしていれば。
おれたちは、それ以上を望まない。
11 >>112
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.112 )
- 日時: 2021/05/09 00:59
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 6k7YX5tj)
11
「日向、もういい」
「うん」
日向はおれから体を離した。
それから、おれの目を見て。
ほんの少しだけ、笑った。
どくんと、心臓が跳ねた。
作り笑顔なのは、わかる。
『あのとき』と比べてしまえば、わずかな違いがおれたちならわかる。
でも、あまりにも穏やかな笑みで。あまりにも優しげな笑みで。
おれはおもわず、見とれてしまった。
日向は最後にもう一度だけおれを抱き締めたあと、言った。
「じゃあ、リュウ、戻すよ」
「ああ、頼む」
それなのに、日向はなにもしない。
「?」
不思議に思っていると、突然、日向の左手が伸びてきた。
ひんやりとした感触が、右目の目元にふわりと感じた。
「っ!」
拭いきれてなかった涙があったのか。
恥ずかしいやら情けないやらで、またおれの心臓の音は大きくなった。
日向の右手が、おれから離れる。
途端に、頭で声がした。
『なあにやってたんだよ、お前らはよお。仲良しごっこか?』
うっせえな。関係ないだろ。
「リュウ」
「大丈夫だ。心配すんな」
日向を安心させるために、笑って見せた。さっきとは違って、うまく笑えているはずだ。
【光魔法・意識鎮静】
先ほど日向が使った【潜在覚醒】に対抗するために『開発』された、対抗魔法。
これを使うことによって、『あいつ』の意識を一時的に沈めることが出来る。ただし、おれたちの場合は特殊なので、術者、つまり日向がおれに触れていないとかからない。まあ、日向だから触れるだけで魔法の効果を発揮できるんだけどな。
12 >>113
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.113 )
- 日時: 2021/05/09 01:00
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 6k7YX5tj)
12
おれたちは図書館に戻ってきていた。てっきり日向はもう帰ると思っていたから、少し驚いた。
「日向も、なにか調べものか?」
「違う。新しい本が入ったから。そのつもりはなかったけど、ついでに」
『情報がすっくねえな、相変わらず』
同感はしたくないけど、同感だ。
まあ、日向と一緒にいる時間が増えたから、嬉しいけど。
「借りるのか?」
「うん」
そんなことを小さな声で話していると、またパルファノエさんに会った。
椅子に座って静かに本を読んでいたようだったが、物音に気がついたのか、こちらを見て、跳ねるように立ち上がった。
「は、花園先輩! と、笹木野先輩。あれ、えっと」
おれは苦笑いした。
「さっきはごめんね。急に走っていったりして」
「いえ! わたしこそ、なんだかごめんなさい。余計なことしてしまいましたか?」
「そんなことないよ。大丈夫」
二人でなにか話したりしたのかな。
そう思って日向がいた場所を見ると、もうそこには誰もいなかった。
ん?
『どっか行ったぜ。本でも取りに行ったんだろ』
わ、わかってるよ、そのくらい。
「あ、あの」
パルファノエさんが、おれに話しかけてきた。
「お二人は、仲が良いんですね」
あれ?
おれは彼女が人見知りだと思っていたので、急にこんなことを言われて、少しだけ戸惑った。
その少しだけ空いてしまった間に耐えられなくなったのか、パルファノエさんは両手で顔を覆った。
「すっすみませんこんなこと突然聞いたりして迷惑ですよねごめんなさい噂で聞いていた通りだったので気になってしまってつい」
「お、落ち着いて。大丈夫だから」
入学理由は、この時折くるパニックかな?
おれはそんなことを、やや現実逃避ぎみに考えた。
13 >>114
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.114 )
- 日時: 2021/05/09 01:01
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 6k7YX5tj)
13
「ううう、すみません」
しょんぼりと肩を落として、パルファノエさんは落ち込んでいた。
「おれは気にしてないから、そんなに気にしないで」
「はい、すみません……」
『こいつ、うじうじしてて気分わりいな』
黙れ。
「リュウ」
いつのまにか戻ってきていた日向が、背後に立っていた。
「用事、あるんでしょ。行ってきたら?」
うーん、それもそうか。この子に構う義理は正直言って、ない。単純におれが放っておきたくなかっただけだ。だけど、このままじゃいつまで経っても用事が済ませられない。
「うん、わかった、行ってくる」
でも、やっぱり気になるから、出来るだけ早く戻ってこよう。
おれは図書館を歩き回った。何度も来ているので、迷うことはない。
この図書館は、フロアごとに置いてある本が大まかにわけられている。
一階には、参考書などといった、生徒が勉強するためのものが置かれている。図鑑なんかもあったりする。
二階は、娯楽もの。小説だったり漫画だったり、とにかく見て楽しむものがそこにある。学習漫画が曖昧なラインで、一階にあったり二階にあったり、定まっていない。
そういえば、日向の口ぶりからして、借りたのは小説な気がする。おれたちがいたのは一階だから、うん、とんでもない速度だな。いまさらだけど。
三階が、一階にある本よりも、さらに詳しく内容が書かれた、専門書などがある。ジャンルも幅広いので、ヲタク……ああ、いや、物事に対する追求心がとても強い生徒に大人気だ。
そして、四階。ここがおれの目当ての場所だ。
「こんにちは、番人さん」
おれは四階用につくられた受付台に座る番人さんに話しかけた。
この図書館の管理は、兄弟でやっているらしい。どっちが兄で弟なのか、それどころか本当の名前すらもわからない、謎の人(なのかも不明)たちだ。見た目通りならば、かなり長い年月を過ごしてきたのだろう。長い髭も、ローブに隠れてよく見えない髪も、真っ白だ。ちなみに、一階にある受付台にいる人は、『守人さん』だ。慣れていないとたまに噛む。
「やあ、笹木野君じゃないか。久し振りだね。閲覧かい?」
番人さんは、真っ白なきれいに整えられた髭を撫でた。
「はい、お願いします」
番人さんは手早く手元の用紙におれの名前を記入した。これを見ていると、若いんだか老いているんだかわからない。
「よし、いいよ。入って」
おれは丁寧にお辞儀した。
「ありがとうございます」
番人さんから鍵を受け取り、鎖でぐるぐる巻き(厳密には違うが、そう見える)にされた扉にある、南京錠の鍵穴に差し込んだ。
かちりと心地よい音がして、南京錠が外れた。
鍵は帰りに返せば良いということになっているので、扉を押し開け、中に入る。
四階は、古代の書物が揃っている。
学園長が、バケガクの生徒のためにうんたらかんたらと各国の国王を押しきり、ここまでの、広い四階を埋め尽くすだけの書物を集めた。こんなところは、世界全体を見ても有数だ。
14 >>115
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.115 )
- 日時: 2021/05/09 01:02
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 6k7YX5tj)
14
おれが知りたいのは、『消えたAの時代』の話。でも、ないんだろうな。
この世界は、なんでもかんでもアルファベットと数字でわかれている。時代も、そうだ。
まず、大まかに、百万年ごとでアルファベット。いまは『Bの時代』。百万年ごとに『世界の終焉』とやらがくると言われている。定期的にくる終焉なんて、終焉なのかどうなのか、微妙なところではあるが。
そして次に、数字。Ⅰ~Ⅹまで、つまり、十万年ごとにわけられる。これは、いまはⅩ。そろそろこの時代も、終わりに近づいてきている。
次に、アルファベット。時代と区別するために、表記は小文字になる。a~jまでの、一万年ごとの十段階。いまは、j。
最後に数字。単位は『世紀』。これは間隔が細かくなり、百年ごとの百段階。いまは九十九世紀だ。
『誰にしゃべってんだよ、お前』
独り言だよ。
さてと、そろそろ探すか。
おれはぼうっとしていた頭を切り替えた。
ここには何度も来ているが、なかなかどこになにがあるか把握しきれない。なんせ、広すぎる。
Bの時代だけでも、これまでの約九十九万年分の書物があるのだ。この場所の存在を知ってから定期的に通っているが、つい最近、ようやく五万年ほど遡れた。自分の知識欲が邪魔してしまい、どうにもスムーズにAの時代を調べられない。
それに、Aの時代の書物があるのかどうかすら不明だ。『消えたAの時代』とまで言われている時代の書物が、ただのとは言えない学校であるこのバケガクにも、さすがにないだろう。
それでも、求めずにはいられない。もしかしたら、その『消えたAの時代』に、こいつをおれから放すヒントがあるかもしれな……
『だから、ねえって。いつまで夢見てんだよ』
そんなこと、わかってる。
わかってるけど。
「探さないよりかは、ましだろ」
早くこいつとわかれたい。
おれがこの世で最も嫌いな、こいつと。
15 >>116
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.116 )
- 日時: 2021/05/09 01:03
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 6k7YX5tj)
15
ん?
『どうした?』
いや、これを見つけてさ。
って、なんでおれはこいつと普通に話してるんだよ!
『なに一人で漫才してるんだよ。
その本がどうかしたのか?』
……。
おれは不本意ながら、会話を始めた。
これだよ。『キメラセル神話伝』。
『なんだ、神話かよ。いまさら神話なんか読んだって意味ねえだろ』
いやまあ、それはそうかもしれないけどさ。やっぱり、気になるんだよ。
『ふうん? まあ、好きにしたらいいだろ。てか、勝手にしろ』
言われなくてもそうするよ!
だんだんとイライラしてきたおれは、そこで会話を切った。他に人もいないので、その場で、分厚い本をめくる。
この世界には、神が存在する。太陽神に月の女神に、死神なんかもいたりする。
そして、『キメラセル神話伝』の中で、その神々の頂点に君臨する神がいる。
それが、『ディミルフィア神』。
万物の創造と破壊を司る神だ。この世も、ディミルフィア神が創ったと伝えられている。終焉の規則性を創ったのも。
この世界には、大きくわけて二つの宗教がある。しかし、どちらの宗教の神話に登場する神々も、全くと言っていいほど、同じだ。つまりは、『どの神を頂点とするか』、これでわかれているのだ。
そこまで考えて、おれは、本を閉じた。ろくに読んでいないけれど、内容は既に頭に叩き込んである。
そして、もう一つの神話、『ニオ・セディウム神話伝』があるのか探し始めた。
これは、ディミルフィア神と敵対関係にある、『テネヴィウス神』を、神々の頂点と崇める神話だ。
『キメラセル神話伝』の近くに置いてあるとは思わないが、もしかしたらあるかもしれない。
おれはキメラセル教信者でも、セディウム教信者でもない。つまり、なんの宗教にも属していないのだ。神を信じていないわけではない。神は存在する。その事を疑ったことは、ただの一瞬としてない。でも、信仰もしていない。
否、したくもない。
16 >>117
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.117 )
- 日時: 2022/06/08 18:15
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: gf8XCp7W)
16
「番人さん、番人さん」
おれは眠っていた番人さんを起こした。かなり気持ち良さそうな寝顔だったけど、おれも帰りたいから。
「ん? ああ、笹木野君か。今日も閲覧かい? えっと、鍵はどこだっけな」
番人さんは、がさごそと受付台の内側を探り始めた。
古代書は貴重なので、貸し出しなんか出来ない。閲覧以外にこのフロアに用事なんかないだろう。
じゃなくて。
「番人さん、逆です。閲覧が終わったので、鍵を返しに来たんです」
番人さんが持つ鍵を除けば、閲覧者用の鍵は一つしかない。無いものを探している番人さんに声をかけると、番人さんは笑った。
「フォッフォッフォッ、閲覧は終わったのか。目当ての本は見つかったかい?」
自分がボケていたことには一切触れず、何事もなかったかのように、番人さんは言った。
「いえ、本来の目的は達成出来ませんでした」
わざわざ指摘することでもない、というか、これはいつものことなので、おれもスルーした。
「ですが、面白いものを見つけました。二つの神話伝が揃っているなんて、珍しいですね」
国ごと、地域ごとにある図書館には、それぞれ一つの神話伝(もとの神話伝を複製・簡略化したもの)しかない。
それは、宗教間の対立を防ぐためだ。宗教は大体国や地域でわかれているので、二つの神話伝を揃えてしまうと、住民の大多数から批判されてしまうのだ。
しかし、あらゆる文化をもつ民族が集まったこのバケガクでは、二つの神話伝が揃っていた。いや、揃えることが出来た、というのが正解か。
大陸フィフスでは、再生と破滅を司るテネヴィウス神を崇めるセディウム教が主流だ。
よって、キメラセル教関連の書物は、なかなか手に入らなかった。
「神話に興味があるのかい? あまり君は、そういったものに関心があるようには見えないが」
おれは苦笑した。
「確かに、おれはどちらの教えの信者でもありませんけどね。でも、興味というか、知りたいとは思いますよ。神々のことを」
もう少し早くここに来れていたら、よかったのかな。
いまさら言っても、しょうがないか。
「じゃあ、番人さん、さようなら。
また来ます」
「ああ、待っているよ」
しわくちゃの手を小さく振って、番人さんはおれを見送った(そのままの意味で)。
17 >>118
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.118 )
- 日時: 2022/06/08 17:14
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: gf8XCp7W)
17
一階に戻ると、何故か、日向とパルファノエさんが話していた。当然ながら、仲良さげに、とはいかないが。
それでも、日向がおれたち以外と話すことは、義務連絡などを除けば、ほとんど無い。
日向の性格もあるが、それよりもまず、誰も、日向に自分から近づこうとはしないのだ。日向に話しかけるとしたら、おれたちを経由したり、逆に、おれたちに用があって、日向にそれを取り持ってもらおうだとか、せいぜい、そのくらいだ。日向本人に用があって話しかける、なんてことは、まずない。
そのはずなのに。
なにを話しているんだろう?
気になり始めると、その感情は止まらなくなり、気づくとおれは、日向に話しかけていた。
「日向、なに話してるんだ?」
日向の背後から話しかけたはずだけど、日向は驚いた様子など全く見せずに振り返り、答えた。
「私がどうしてセディウム語を話せるのか聞かれたから、答えてた」
大陸フィフスを含めた怪物族が住む大陸、[黒大陸]では、言語が統一されている。テネヴィウス神が、生み出した種族に直々に言葉を教え、その種族が世界に散らばったとか、様々な説があるが、どれも確証はない。
余談だが、キメラセル教の民族のなかで最も使われている割合が大きい言語のディミラギア語と、セディウム語はよく似ている。これについても諸説あるが、しっかりとした根拠を示せているものは少ない。
似ているが故に、一方の言語を知っていると、その知識が邪魔をして、わずかにちがうだけの言葉が理解しにくい。なので、意外かもしれないが、この二つの言語の両方を綺麗に話せる者は、少ないのだ。
つまり。
「わたしと同じⅤグループなのに、こんなに上手く二つの言語を話せるなんて、すごいです!」
こういうことだ。
おれは少し身構えた。実際に体を動かしたわけではないが、意識として、だ。
そんなおれとはうって変わって、日向は淡々と告げる。
「実技にも、筆記にも、『セディウム語』なんて科目はない」
そんな科目があれば、セディウム語を普段から使っている生徒に有利すぎるからな。得意不得意以前の問題だ。
バケガクはそこもきちんと配慮されていて、原則として会話や筆記テストはディミラギア語(現代ではキメラセル教信者の方が世界全体でみても割合が大きいため)が用いられているが、会話は強要はされないし、筆記試験に関しても、どうしてもディミラギア語が読めない生徒には、別に試験用紙が用意される。
そのためにはディミラギア語以外の言語が扱える教師が複数名必要で、そのぶん人材費も余計にかかってしまうはずだが、そこは、まあ、学園長の力量というわけだ。
18 >>119
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.119 )
- 日時: 2021/05/21 13:50
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
18
「なにか、勉強のコツとかあるんですか?」
「Ⅴグループの私に聞いても、意味ない」
日向が無表情のまま、言った。
うん、まあ、常識的に考えてそうだよな。成績が悪いからⅤグループなわけだし。
実際にどうかはともかくとして。
「帰る」
日向はおれを見て言った。
「日向の用事は終わったのか?」
この様子を見ると、おれが四階に行ってから、ずっとパルファノエさんと話していたように思える。パルファノエさんを気づかって帰らなかった、なんてことはまず無いし、どうして帰らなかったんだろう。
「うん」
日向の目が、じっと、おれの目を見つめる。
ああ、そうか。
心配してくれていたのか。
「ありがとな」
心の奥で、じわりと、温かいものが広がる。
パルファノエさんの前だから、言うのは少し迷ったけど。
でも、それでも。
伝えたいから。
日向は微かにすら表情を変えずに、ただ一度、浅く頷いて、おれに背を向けた。
「また教室でな」
いつものごとく、返事はないけど。
おれの心は満たされていたので、なにも感じない。
『なににやついてんだよ、きもちわりぃ』
なんで見えてないくせに笑ってるなんて言えるんだよ 。
『頬の筋肉の状態でわかるんだよ』
既にわかっていて、いまさらなことを話していると、パルファノエさんが顔を真っ赤にしているのに気づいた。
「じゃあ、おれも帰るよ」
「へあっ! あ、はい! ありがとうございました!」
「うん」
おれは一応笑顔を見せてから、パルファノエさんに手を振って、その場をあとにした。
19 >>120
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.120 )
- 日時: 2021/05/21 13:53
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
19
「お帰りなさいませ、龍馬様」
「うん、ただいま」
おれは屋内用の靴に履き替えて、ほうきをツェマに渡した。
特に用事もないので、部屋に戻るつもりで、長い曲がりくねった廊下を歩く。
すると、歌が聞こえた。
この声は、真弥姉か?
『……れー、ねーむーれー』
子守唄だ。ということは、明虎とルアに歌って聞かせているのだろうか。
どの部屋にいるのだろうと、おれは耳を澄ませた。
『どこにいようとどうでもいいだろ』
うるさい黙れ。お前の声で歌が聞こえなくなる。
声は、かなり遠くから聞こえているようだった。
これは、屋外だな。
おれは引き返し、玄関に戻った。そこにはまだツェマがいて、おれの靴を片付け終わったところらしかった。
「龍馬さま、どうかいたしましたか?」
「真弥姉が歌ってるみたいだからさ、ちょっと見てくる。靴、出してくれるか?」
おれはこき使っているみたいで申し訳無かったのだが、ツェマはほんの少しも嫌そうにせずに、腰を折った。
「承知いたしました。少々お待ちください」
ツェマはてきぱきと動き、僅か数秒でおれの足元(土足でもいいエリア内ではあるが)に靴を置いた。
「ありがとう」
礼を述べてから、おれは外に出た。
声の大きさで考えて、屋敷の敷地内にはいるはずだ。
声を頼りに探していると、見つけた。
連なって植えられた木々の中の一本に、三人で仲良くもたれ掛かり、真弥姉が中央に座って、眠る二人に歌っている。
『眠れ眠れ幼き子よ
眠れ眠れ春の風に
眠れ眠れ幼き子よ
水も土も火も風も
全ては汝に安らぎを
眠れ眠れ
光も闇も精霊も
全ては汝に温もりを
眠れ眠れ春の風に
眠れ眠れ幼き子よ
眠れ眠れ春の風に
眠れ眠れ幼き子よ
我らと共に』
この歌は、全世界に共通している、最も有名な子守唄だ。
おれも昔、よく真弥姉に歌ってもらっていた。
おれはうまく歌えないけれど。よく明虎に「音痴」って言われていたっけ。
第二幕【完】
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.121 )
- 日時: 2021/05/21 13:58
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
1
「日向、おはよう」
おれが教室に来る頃には、既に日向がいた。長期休みの明けの初日ということもあり、まだあまり生徒は登校していない。おれも、全体でみれば早い方だ。
「うん」
日向は頷いた。
「放課後、空いてる?」
そして、急にこう言った。
「え? うん」
どうしたんだろ?
ああ、薬の件か。
いまは、少ないながら何人かは教室にいる。あの人たちの前で薬は受け取れないもんな。
『お前ってさ、肝心なところで渇いてるよな。事実だとしても、もうちょっと期待とかしねえの?』
は? 期待? 何をだよ。
『いや、なんでもない』
?
まあいいや。こいつのことなんて気にしても、なんの得もない。
早く放課後にならないかな。
「あの、花園さん」
おずおずと、クラスメイトの松浦さんが、日向に話しかけた。
日向は無言で松浦さんを見た。それだけでは松浦さんは何も言わず、日向はため息を吐きそうな雰囲気を出して、言った。
「なに」
松浦さんはびくっと震えたあと、か細い声で用件を話した。
「は、花園さんに用がある男の子が、教室のドアのところにいて、それで、呼んでほしいって」
「わかった」
日向は礼も言わずに教室の入り口に向かった。
相変わらずだな。
思わずおれは苦笑した。
それにしても、誰なんだろ。日向に用がある男の子って。
いや確かに日向は正直言って愛想は悪いけどそれを補ってあまりあるくらいにかわいいし容姿端麗だしきれいだから一目惚れなんてされてても全く不思議じゃないしだけど日向は《白眼の親殺し》で有名だからそれを知らない方が珍しいからそれを踏まえて好意を持つなんてなかなか無いことだしでもそれでもこんな朝早くの人目が比較的少ない時間帯を狙って日向に会いに来るなんて一体どんな奴……
『だーっ!! うっせえな! そんなに気になるんなら見に行けば良いだろうが!!』
なに言うんだよ。気になるから見に行くなんてそんなガキみたいなことするわけないだろ。
『そうやってうじうじ考え込んでる時点で十分ガキだっつーの! さっさと行け! そして黙れ!』
おれはしばらく悩んだあと、ついに感情に抗えなくなり、日向のもとへ行った。
2 >>122
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.122 )
- 日時: 2021/05/21 13:59
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
2
とはいえ、あからさまに見るのもなんだか忍びなかったので、まずは窓から顔を除かせた。
すると、きれいな金髪が見えた。
男の子はおれに背を見せるような方向を向いて立っていて、顔までは見えない(日向は男の子と対面しているので、つまりこちらを向いているから、すぐに見つかってしまった)。
日向は陽光や月光を浴びると輝く金髪であるのに対し、男の子の金髪は、常に光を放っている。
「なんでここにいるの」
日向が言った。
「なんだよその言い方! 久しぶりの再会だってのに!」
男の子の怒ったような言葉には微塵も動揺せずに、日向は言葉を返す。
「なんのためだと思ってるの。私とあなたが離れたのは、あなたのためだっていうのに」
ん?
なんでだろう、日向の口数が多い。
日向が大事にするのはおれたちで、大事に『しようとする』のは、確か。
「あなたって、なんだよ。
実の弟に対してその言い方はないだろ?!」
家族だ。
日向に直接聞いたことはないけれど、昔、《白眼の親殺し》の新聞記事で、見たことがある。
日向には、年の近い弟がいる、と。
ただし、その名前はわからない。
「私と姉弟だなんて言うのはやめなさい。あなたの汚点になる。ただでさえ、名字と民族が同じだってことで私との関わりを疑われているんだから。
私がなんのために、必死になってあなたの名前だけは公表されないように根回ししたと思っているの」
その記事によれば、日向は当時既に、バケガクの生徒だったらしい。おそらく、学園長に協力してもらったのだろう。
3 >>123
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.123 )
- 日時: 2021/05/21 14:00
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
3
「なに言うんだよ! 姉ちゃんは」
「朝日!」
日向が強く言った。響くような音量ではなかったけど、心底に重くのし掛かるような、そんな声だった。
男の子は、はっと目を見開いて、うつむいた。
「ごめん、姉ちゃん」
「とにかく」
日向は声を重ねて、言った。
「自分の教室に戻りなさい」
男の子は動かない。日向はそれを見て、ため息を吐いた。
「放課後、裏の森で待ってて。場所はわかる?」
「え?」
「あなたがどうしてここに来たのか、とか、聞きたいことがあるから」
男の子は顔を勢いよく上げた。
「姉ちゃんと話せるの!?」
「少しだけだよ」
そう言う日向の声は、どことなく、優しかった。
「姉ちゃん」
男の子の声音が、やや低く、真剣みを帯びた。
「噂で〔邪神の子〕と仲が良いって聞いたよ。どんなやつ?」
「どんなやつ?」
日向は首をかしげ、言葉を繰り返した。
「姉ちゃんは、そいつのこと、どう思ってるの?」
今度は、眉を潜めた。
「そんなこと知って、どうするの」
「教えてよ!」
男の子が荒い声を上げた。
日向と、目があった。つまり、日向がおれを見たのだ。
日向は口を動かした。
『放課後、付き合ってもらっても良い?』
疑問符は勝手に付けたけど、 まあ、合ってるだろ。
おれはすぐさま頷いた。
「森に、その人も連れていくから。
早く帰って。そろそろ、他の生徒が登校する」
男の子は満足したように、大きく、強く、首を縦に振った。
「うん! じゃあ、また夕方に!」
4 >>124
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.124 )
- 日時: 2021/05/21 14:00
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
4
「これ」
だれもいなくなった教室で、二人きりになってしばらくしてから、日向はおれに、薬を渡した。麻布の巾着袋に包まれて。
「ありがとう。いつも、ごめんな」
かしゃりとおれの手のひらで音がするのを確認して、おれは言った。
日向は首を振った。
「巻き込んだのは、私だもの」
「望んだのはおれだよ」
そもそもは、おれの我儘から始まったんだ。
これは、おれが招いた結果だ。
「もう、行ける?」
日向が尋ねた。
「あ、ちょっと待って」
おれは肩から下げていた通学鞄に、巾着袋を入れた。アイテムボックスに入れてもいいけど、いちいち詠唱しなければならないので、このくらいのものなら鞄に入れる方が手間は少ないのだ。
「よし、いいぞ。行こうぜ」
日向は頷き、歩きだした。
森の中に入ったところで、おれはふと、気になった。
「日向、あの子がどこにいるのかって、わかるのか?」
「歩いていれば、じきに向こうから」
日向が言いきる前に、声がした。
「姉ちゃん!」
男の子、朝日くんの姿が見えた瞬間、薄暗かった森の中に、光が差した。
深緑の葉っぱは鮮やかな新緑に変わり、毒々しい気味の悪い模様をしていた幹は、彼を祝福するように、生き生きとしだした。
絵に表せば、彼が歩いた道に、花が咲き誇るような、そんな雰囲気さえ感じさせた。
と思ってみてみれば、何故か動物、しかも、愛でられるタイプの小動物が、朝日くんに寄ってきた。
くりっとした丸い目から覗く濃い桃色の瞳は、嬉しそうに輝いている。
その容姿を一言で表すと、『眩しい』、だった。
5 >>125
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.125 )
- 日時: 2021/05/21 14:02
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
5
「姉ちゃん、何変な顔してんだ?」
朝日くんは日向に近寄り、言った。気にすることではないけど、うん、近い。かなり、近い。足だけで見ると、十センチも離れていない。
眩しそうに目を細めていた日向は、すぐにいつもの無表情(さっきも無表情だったけど)に戻り、朝日くんの肩を押して、距離をとった。
「別に」
なんの動揺もしていないところを見ると、いつもの事なのだろうか。いやまあ、二人は姉弟なんだから、気にすることではない。うん。
『いや、どう考えても気にしてるだろ』
うるせえよ! だまれ!
「朝日、とりあえず、自己紹介」
日向が朝日くんに言った。すると、朝日くんは口をとがらせた。
「えー」
面倒くさがるような、それでいて甘えるような声。
朝日くんは、わかりやすいくらいに、日向のことが好きなんだな。
その証拠に、朝日くんは渋々といった様子を見せつつも(こういう所は姉弟なんだなと思う)、おれに向き直った。日向の言葉に反抗するという選択肢は、はじめから存在しないのだろう。
「ボクの名前は花園 朝日。GクラスのⅢグループの生徒。これ以外に、なにかある?」
日向は少しの間静止して、答えた。
「ない」
そして、日向の目がおれに向いたことを確認し、おれは口を開いた。
「はじめまして、おれの名前は笹木野」
「知ってるよ、そんなこと、言われなくても」
おれはびっくりしてしまった。Gクラスなら、明らかにおれの方が先輩という立場なのだから(バケガクでは、生徒間の上下関係はクラスで分けられる。種族での成長速度の違いを考慮した結果だが、改善点があると言われている)、言葉を遮るのは失礼に当たる。
まあ、それはいい。
おれがびっくりしたのは、その目。
はるか北の国にだけ生息すると言われている『氷の華』のごとく冷たい、冷ややかな目で、朝日くんはおれを見ていた。
6 >>126
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.126 )
- 日時: 2021/05/21 14:02
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
6
だけどそれはほんの一瞬のことで、朝日くんはまた、怒ったように、甘えるように、日向に言った。
「それで! 姉ちゃん、こいつのことどう思ってるの?」
日向は首を傾げた。
「大事」
首を傾げる、という動作はしたものの、その言葉に疑問符は付いておらず、はっきりと言い切る口調で言った。
「なんでなんで! 普段なら他人になんか興味持たないじゃんか! どうしてこいつならいいのさ!」
そうやって駄々っ子のように地団駄を踏みそうな勢いで日向に問いかける朝日くんを見て、おれは、この子は何歳なんだろうと現実逃避気味に考えた。
「どうしたの」
「え?」
「どうしたの」
日向が繰り返し、二回、朝日くんに問いかけた。
「そんな子供みたいなこと、昔の朝日はしなかった」
朝日くんはしばらくぽかんと口を開けて、それから、ぷくうっと頬を膨らませた。
「なんだよ! ボクが子供みたいだって言うの?!」
「そう言った」
「姉ちゃん酷いよー」
絶対おれ、蚊帳の外だよな。おれのこと忘れてないか? うん、まあ、いいけど。
と思っていたら、朝日くんが唐突におれを見た。おれを見た。
「ボクの方が姉ちゃんのことを知ってるんだからな!
『あの事件』のことだって、ボクの方がよく知ってるし!!」
そんなこと言われても、反応に困るな。
そりゃあ朝日くんは実の家族なんだから、おれよりも『日向』のことをよく知っているに決まってる。
「あれ?」
おれがどう答えようかと考えていると、朝日くんは不思議そうに日向を見た。
「姉ちゃん、事件のことこいつに喋ったの?」
もっと訝しげに反応するべきだっただろうか。
日向は厳しい目を向けた。いや、さっきから朝日くんに対して、向けていた。朝日くんと目が合い、その厳しさが僅かに緩んだ。
そして、ゆっくり首を振った。
「言ってない」
言葉を続ける。
「言う必要、無いから」
何の話だ? 事件のこと?
……ああ。
・・・・・・・・・・・・・・
「『両親を殺したのは日向じゃない』ってことか?
・・・・・・
それなら、わかってるぞ」
7 >>127
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.127 )
- 日時: 2021/05/21 14:03
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
7
「は?」
朝日くんに睨まれた。
あー、失言だったかな。
「いや、詳しいことは知らないぞ? ただ、日向が殺したわけじゃないってことをわかってるだけで、死因までは知らない。日向もそのことに関しては何も言わないし」
おれは慌てて言った。あまりにも、朝日くんの目が、なんというか、『冷たかった』から。
おれはこれまで、たくさんの『目』を見てきた。優しい目、暖かい目、冷たい目、空虚な目、醜い目。
それらの経験からして、おそらく朝日くんは、怒らせてはならない人物だ。まあ、この目は『怒り』ではない、『嫉妬』に近いだろうか、そんな感情が宿っている。
「ふーん、へー、そーなんだ」
そう、感情の薄い声がおれの耳に届いたとほぼ同時に、朝日くんの手が小さく動いた。
小さくというのは動作の話で、それに起こった出来事を指すわけではない。
つまり何が言いたいのかと言うと。
「うわっ?!」
どう考えてもおれの顔に直撃するような勢いと方向で、ガラス瓶が飛んできた。
すんでのところで避けられたけど。でも、ぎりぎりだった、本当に。
「朝日?」
日向が問いかけると、朝日くんはにっこりと微笑んで、さらりと言った。
「どうしたの、姉ちゃん」
日向は顔をしかめた。
「どうして聖水を投げたの。それと、どうして聖水なんて持ってるの」
せ、聖水?!
8 >>128
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.128 )
- 日時: 2021/05/21 14:03
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
8
おれは寒気がした。吸血鬼の血が濃いおれにとっては、聖水なんか焼けた鉄同然だ。おれは日光などには耐性がある分、ほかの弱点に対する反応が大きいのだ。
「どうせ当たらないと思ったから」
なぜ持っていたのかは明らかにせずに、朝日くんは言った。
いやいや、当たらなかったけど! 当たりそうにはなったぞ?! おれが避けなかったら当たってたぞ?!
日向は額に手を当て、ため息をついた。
「怒っていいよ」
顔がこちらに向いてはいなかったものの、この場の状況から考えて、おれに言ったことは確かだ。
「え? うーん」
別に怒るような事だとは思っていない。実害はなかったわけだし。
「えっと、じゃあ、次はないよ?」
あのスピードとコントロールに、そう何度も対応出来る自信はないので、とりあえずこれだけ言っておいた。
朝日くんはただにこにこするだけで、何も言わない。
「朝日」
けど、日向が声をかけると、ようやく口を開いた。
「うん、次は別のやつにする」
「いや、そういう意味じゃなくてだな」
「?」
朝日くんは無邪気を装い、首を傾げた。
……おれが警戒しておけばいいか。
諦め半分に、そう考えた。
「それで、朝日」
「なあに、姉ちゃん」
日向に声をかけられ、朝日くんが嬉しそうに目を向ける。
「どうして、バケガクにいるの」
9 >>129
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.129 )
- 日時: 2021/05/21 14:04
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
9
朝日くんは口をとがらせた。
「そんなこと気にする必要ないだろ!」
「あるから聞いてるの」
「ないよ!」
「答えて」
朝日くんはしばらく黙ったまま、日向を睨んでいた。まあ、睨んでいると言っても、小さな男の子が母親にするみたいな、やっぱり、どこか『甘え』を感じさせるような動作だった。
「簡単な話だよ」
朝日くんはため息混じりに言った。
「姉ちゃんに会いたかったから。だって、実の姉弟なのに、八年前のあの日以来、一度も会ってなかったじゃんか」
日向は何も言わない。
「だから、じいちゃんに頼み込んで、入学させてもらったんだ」
「自主希望ってこと?」
入学理由が、ということだろう。
朝日くんはわずか一拍おいて、返事をした。
「うん、そう」
日向は目を細め、じっと、朝日くんを見た。
そして、微かに口を動かし、何も言わずに閉じて、再び開いて、言葉を発した。
「そう」
なにか引っかかると、日向は目で言っていた。
朝日くんは、気づいているのかいないのか、わからない。
ただ変わらず、にこにこと微笑んでいる。
10 >>130
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.130 )
- 日時: 2021/05/21 14:06
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
10
「姉ちゃん、一緒に帰ろうよお。姉ちゃん家に泊まっちゃだめ?」
「だめだし聞きたいことはもうない。早く帰りなさい」
「えー! 姉ちゃん冷たいよ!」
そうやってかわいらしく(幼いという意味で)怒って見せていた朝日くんが、急に、ふっ、と笑った。
「姉ちゃん」
その微笑が、飛びっきりの笑みに変わる。
「あと、ちょっとだよ」
何を言っているんだろう。
日向もわからないらしく、おそらくその言葉の意味を問おうとして、口を開いた。しかし、日向が朝日くんに質問することは無かった。
「じゃあね、姉ちゃん、また今度!」
朝日くんは大きく手を振り、去っていってしまった。
日向はしばらく顎に手を置いて、考え事をしていたらしかった。別に急ぐ用事もないし、少しでも長く日向といたかったので、おれは日向を待った。
『お前さ、いくら心の中とはいえ俺が聞いてるのに、そんなこと言うの恥ずかしくねえのかよ』
は? なにが?
「ねえ」
おれがアイツに言ったほぼ同時に、日向の声がかかった。
何かあるのかと思って日向を見ると、ぎょっとした。
日向はおれを、睨んでいた。
いや、落ち着け。日向がおれを睨むわけが無い。だからつまり。
「なにか、知ってるの」
この問いかけは、『アイツ』に対して。
『知らねえよ』
嘲り笑うような口調と声音で、おれの口から声が漏れた。
その瞬間、背筋に悪寒が凄まじい勢いで走った。
ムカデが背中を這いずり回るような気味の悪さと、胃に氷の塊が唐突に出現したような寒気と、喉に腫瘍が出来たような違和感。
『過剰に反応しすぎだっての』
うるせえ! あたまのなかで響くだけでも嫌だってのに!
自分の口から『アイツ』の言葉が出てきたと言うだけで、虫唾が走る。
「ごめん、リュウ」
けど、申し訳なさそうにうつむく日向の姿を見て、その感情はあらかた吹き飛んだ。
許す。全然許す。
『言っとくけど、お前、かなり気持ち悪いからな』
いいよ。おれの中では日向が正義なんだよ。
『きもちわる』
ほっとけ!
11 >>131
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.131 )
- 日時: 2021/05/21 14:17
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KBFVK1Mo)
11
「お帰りなさいませ、龍馬様」
おれが家に帰ると、ツェマが迎えた。いやまあ、それは普段通りのことでなんら問題は無いのだが、いつもと違い、手に新聞を持っている。
これでは、手を体の前においてお辞儀をするという、メイドにとっては必須とも言える動作がとれない。ということはつまり、ツェマにとって、メイドとしての責務よりも、その新聞をおれに見せる方が優先度が高いということなのだろう。
自分の発想になかなか大袈裟な感を感じなくもないが、大まかな部分としては合っているだろう。
「ただいま。どうかしたのか?」
「お疲れのところ申し訳ありません。龍馬様にとっては重要かもしれない記事が、本日の夕刊で載っていましたので、後ほどのお時間が空いたときでも、読んでいただけないでしょうか」
そんな後で読んでもいいようなものを、わざわざ玄関まで持ってくるわけが無い。
「ううん、読むよ。貸してくれ」
おれは靴を脱いでから、ツェマに対して手を差し出した。
「承知致しました」
ツェマは浅く礼をして、おれに新聞を渡した。
その場で読んでも良かったけど、立ちっぱなしで読んでいるとツェマが気にするかと思い、移動することにした。
三分ほど歩いて、いつもの団欒部屋に行った。
「兄ちゃん、お帰り!!」
「ごきげんよう、お兄様」
元気いっぱいの明虎と、眠そうに目を細めたルアが、嬉しそうにおれに顔を向けた。
「ただいま」
無邪気な二人の笑顔に、ついついつられてしまう。
と、そのとき、ふと気づいた。
「あれ、ルイ、もう起きてるのか?」
赤紫のサイドドリルの髪を見つけて、おれは言った。
吸血鬼にしては歳の近い姉妹であるルアとルイだが、性格をはじめ、かなり差がある。似ているところは髪型と、吸血鬼の中でも飛び抜けて優秀であることくらいだろうか。
「何か問題ある?」
顔を向けたルイから発せられた、ぎろ、という効果音がつきそうな、鋭い眼光が、おれに突き刺さる。
「いいや? 珍しいなと思って」
「関係ないでしょ」
突き放すような物言いには、もう慣れっこだ。
おれとは違って、ルアとルイは純血の吸血鬼だ。昔、混血のおれが優秀なのであれば、純血の二人はもっと優秀に違いないと、プレッシャーに近い期待をかけられていた。その後のおれの功績によって、おれが特殊なだけであると、皆には認識を改めて貰ったので、現時点ではその問題は解決した。
しかしやはり、本人たちとしても気になる部分ではあるようだ。ルアはおれに教えを乞うようになり、ルイはおれに敵視を向けるようになった。どちらにせよ、本人たちの向上心を刺激しているようなので、特に気にしたことは無い。
12 >>132
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.132 )
- 日時: 2021/05/30 08:08
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: axyUFRPa)
12
「あら、お兄様、もう記事はお読みになりましたの?」
なぜか不機嫌そうな物言いで、ルアが言った。
「いや? まだだよ。これから」
「そうですの、ではどうぞこちらに」
そう言って、仲良く三人並んで座っていたソファからルアが降りる。
「いや、いいよ。ツェマ」
おれは苦笑して、一緒に部屋に入ったツェマを見た。
「かしこまりました」
ツェマは腰を折ると、部屋の奥へ向かい、すぐにそこそこ大きな椅子を持って戻ってきた。
「どうぞ」
「ありがとう」
おれは礼を述べてから、椅子に座った。
椅子はかなり重厚で、見た目通り、かなり重い。さすがにカツェランフォート家当主である祖父が座るには(これでも)器が合わないが、おれが座るにはいささか背伸びをしている感のある、豪奢な椅子だ。たとえば、ところどころに宝石が散りばめられていたり、たとえば、椅子の肘掛けや足や背もたれのデザインが精巧であったり。
服に着られているならぬ、椅子に座られているという意識がおれの中にあったとしても、誰にも責めないでくれと訴えられる自信が、おれにはある。
『そんな自信要らねえだろ』
う、まあ、それはそうだけど。
ツェマは華奢に見えて怪力……えっと、かなりの力持ちだ。重いだとか、そういうことは気にしてはいないが、その時々でわざわざ部屋の奥まで椅子を取りに行かせることが忍びない。
いや、別に、おれはツェマにこの椅子を持ってくるようにも、ましてやこの椅子に座りたいと思っているわけでもない。しかし、これは祖父に贈られた椅子であり、しかも二つ目なのだ。一つ目は、製作者には悪いが、すこし、いや、かなりデザインに嫌悪感を感じ、ついそれを口にしてしまった。
すると、祖父はその椅子を破棄し、椅子を作った職人や、デザインを考えたデザイナーを解雇にしてしまった。祖父はたいそう怒って、業界からも追放しようかと検討していたらしく、おれはそれを全力で阻止した。
とまあ、この椅子ひとつにかけられた費用も尋常じゃないし、かつてのカツェランフォート家の使用人二人の犠牲もあるし、使わないのも心が痛むので、使う機会があれば、なんの抵抗もせずに素直に使っている。
13 >>133
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.133 )
- 日時: 2021/05/30 08:14
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: axyUFRPa)
13
おれは新聞を開いた。でかでかと一面を飾られている記事は。
「『白眼の親殺しについて』?!」
おれは目に飛び込んできた文字を見て、おもわず大声をあげてしまった。
『お前、どうやったら意識外のそんな小さな文字を認識できるんだよ。どう考えてもトップの記事しか見てなかっただろうが』
その声と重なるように、ツェマが言った。
「流石です龍馬様。一面を飾った、シュリーゴ家の子息の婚約よりも先に反応をお示しになるとは」
「え、シュリーゴの?」
見つけた記事も気になったが、そちらはゆっくり読みたいので、先に一面を確認することにした。
ざざざっと目を通し、把握したという意味を込めて頷いて、目を戻した。
「お兄様、いくらなんでも反応が薄すぎますわ」
呆れたようなルアの言葉。
「へ?」
薄い反応をしたというつもりはなかった(オーバリアクションだったというつもりもないが)ので、間抜けな声が出てしまった。
「記事をよくご覧になりまして? シュリーゴ家は他大陸の貴族、つまり、他種族と婚約を結ぶということですわ。お兄様なら、それが何を意味するかなど、おわかりのはずです」
吸血鬼族は、同種族の者のみが優れた存在であるとする種族だ。他の種族の血を、本当の意味で自分の家系に流すなど、考えられないことなのだ。
そして、シュリーゴ家は、おれたちカツェランフォート家と並ぶ、吸血鬼五大勢力の一つ。
よって今回の婚約は、そんな考えを覆してしまえるほどのものだということ。
それくらい、わかってる。
「でも、おれだってハーフだ。吸血鬼族の意識が変わり始めたってことだろ?」
おれはそれよりも、はやく日向に関係する記事を読みたかった。
14 >>134
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.134 )
- 日時: 2021/05/22 09:16
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: OypUyKao)
14
『八年前、大陸ファーストを騒がせた『白眼の親殺し』。我々は、あの事件の犯人である花園日向のその後を知ることに成功した。
あの事件以来、彼女が悪影響を及ぼしてしまうとして住居をわけられた弟が、長い時間をかけて、姉と共に再び暮らしたいと、引き取り手である祖父母に訴えているそうだ。
彼は今年度より姉と同じバケガクに通い始めているらしい。……』
小さな場所にびっしり埋め尽くされた文字を見て、おれは驚きや怒りが沸いてきた。
日向が一人暮らしなのはもちろん知っていた。弟、朝日くんが祖父母に引き取られていることも。
けど、二人暮らしをするだなんて知らなかった。いや、もしかしたら、日向も知らなかったのかもしれない。だって、日向の様子からして、朝日くんを自分から遠ざけたかったように思える。
その証拠がまさしく、この記事だ。
言葉自体は、『花園日向のその後』となっているが、この記事はどう見ても朝日くんについてだ。つまり朝日くんに関する情報を、日向がガードしていなかったということになる。
つまり日向は、朝日くんに対してなんの干渉もしていなかったのだ。
そして、そうやって日向は、干渉しないようにしていたのに、この記事を書いた記者は、その八年間を壊した。それにその記者は、未だに日向を追い、日向の情報を発信し続けていたのだ。そのことには、怒りしか感じない。
当然、権力を行使して記者を探し当てるような真似も、ましてや業界から追放するような真似もしない。 そういったことは、あまりしたくないのだ。
それに、おれが日向に巡り会えたのだって、何を隠そうこの新聞を発行している会社、そしておそらくこの記事を書いた記者のお陰なのだ。全く恩を感じていないと言えば、それは嘘になる。今回の記事だって、それは同じだ。
そんな、自分はいいけど他人は駄目みたいな、自己中心的な考えが自分の中にあることを自覚して、おれは吐き気がした。これじゃあまるで、『あいつら』と同類だ。
胸糞の悪さを和らげるために、おれは二、三回、胸の辺りを、強く、撫でた。
15 >>135
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.135 )
- 日時: 2022/02/08 09:47
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 4rycECWu)
15
その日の夜。日付が変わった頃、椅子に座って本を読んでいると、不意に、耳に水が滴る音がした。
ピチョン……
その音を合図に、おれは顔を上げた。
「おかえり、ネラク」
月光すら差さない(普通の人間が見れば)暗い部屋に、ぼんやりと、淡い水色の光が満ちる。
おれのすぐ側に、ネラクがいた。後ろで一つに束ねた長い蒼色の髪は、かなり白色の羽にかかっている。
ネラクはなにも言わずに目を閉じ、「ふんっ」と力んだ。
鋭い、針のような光が一瞬だけ部屋を包み、そして、手のひらサイズだったネラクは、大きくなってそこに居た。
大きく、と言っても、おれよ三十センチは小さい。まあ、おれの背が高いというだけなので、今の背丈だと、ネラクは人間で言えば、十五歳くらいに見える。
ぼすっと比較的大きな音を立てながら、ネラクはおれのベッドに座り込んだ。しなやかな指が上質なベッドに食い込み、おれの視点だと両手はほとんど見えなくなる。
短いズボンから露出した細い足を組み合わせ、そして、おれを見た。
状況で言えばおれを睨むような体勢だったが、その瞳に宿る光に鋭利なものは感じない。単におれを見たというだけだった。
『暗いな』
男性にしてはやや高い、それでも女性と比べると低い、中性的とも言える声が、ネラクから発された。
「そうか?」
暗いということは、いや、ネラクが暗いと感じるであろうことは、わかっていた。しかし、おれはわざとすっとぼけた。理由はない。ただの契約関係同士のじゃれあいの一環だ。
部屋にある光源は、わずかに灯る弱いロウソクの炎だけだ。これは夜目があまり効かないネラクのためのもの。
他の吸血鬼は、明るいと見えないと言う奴までいる。おれはそんなことはないので、ありがたい。
16 >>136
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.136 )
- 日時: 2021/08/25 12:21
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: .lMBQHMC)
16
『で、どうしておれを呼んだんだ?』
あの新聞を読んだ直後、おれはネラクを呼び戻した。ネラクは普段、おれが行けないような、例えば古代の遺跡とかに行ってもらっている。理由は、おれの魂から『あいつ』を引き離す方法を探るためだ。
おれたちの関係は『本契約』。日向がベルと結んでいるような契約を、おれたちも結んでいる。
本契約を結んでいると、互いの『意思』を、何処にいようと伝えることが出来るのだ。テレパシーのような類ではなく、音ではなく、あくまで『思念』として、言葉で説明するのは難しいのだが、とにかく、それを使って、おれはネラクを呼んだのだ。
「日向の弟のことは、知ってるか?」
おれが尋ねると、ネラクは左の眉を、やや吊り上げた。
『なんだ、もう知ってるのか?』
おれは首を傾げた。疑問ばかりで話が噛み合わない 。
『花園 朝日だろ? あの人は彼の情報をガードしていたはずなのに、それが漏れているから、何かあったんじゃないかと思ってたんだ。
今回呼ばれたから、ついでにそのことを話そうと思ってたんだよ。まさか呼ばれた理由がそれとはな』
なるほど。
「おれは、今日、朝日くんに会ったんだ。それで、ちょっと気になるところがあってさ」
『と言うと?』
ネラクがおれの言葉を促す。
「日向のことが大好きらしい行動と言動ばかりなんだけど、なんて言うかこう、違和感じゃなくて、しっくりこないでもなくて、えっと……」
おれは意味無く両手を動かしながら、必死に言葉を紡ぐ。しかし、ピッタリと当てはまると思える言葉が見つからない。
『わかった。彼を調べればいいんだな』
その言葉を聞いて、ほっと息を吐いたのを、自覚した。
『なんだよその顔。それくらい通じるよ』
真面目な顔が打って変わり、怪訝そうな目で、ネラクがおれを見た。
「いや。ほんと、よく出来た相棒だなと思ってさ」
『なっ!』
本心から嬉しく、ほぼ無意識に出てきた言葉だった。
みるみるうちにネラクの頬が紅潮し、ネラクがベッドから跳び降りる。実際は元から床に足をつけていたので『跳』んではいないが、そう見えるほど、大袈裟な動作だったのだ。
『べ、別におれは、あの人のためにやるんだからな! 勘違いすんなよ!』
ビシッと人差し指を鼻に突きつけられ、おれはたじろいだ。
「え、あ、うん、わかったわかった」
照れているのだということは一目瞭然なので、笑いながら言ったことは、不可抗力なので勘弁して欲しい。
17 >>137
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.137 )
- 日時: 2021/05/23 12:42
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: o93Jcdrb)
17
翌日、いや、おれは今日寝ていないので、感覚としては、本日ということになるのだろうか、日向は学校を休んだ。
寝ていない理由は、ネラクからこれまでの探索結果と、これからの朝日くんを探る内容を話し合っていたからだ。それらが終わったのは朝の四時だったので、そのまま起きていたのだ。
ちなみに、ネラクは家で休んでいる。長期間働いてもらったので、しばらくはゆっくりさせてやるつもりだ。さすがにすぐに働かせるほど、おれは鬼畜じゃない。
「ねえ、リュウ」
いまは昼休み。今日は正門に入ってすぐの大木の前で弁当を食べている。
ここは学園屈指の昼食スポット。多数の生徒がごった返していて、日向はあまり好きじゃない。けれどスナタがこの場所を気に入っており、たまにここでも食べるのだ。
「どうした?」
おれは笑って、スナタを見た。
スナタはため息をついた。
「もう夏だって言うのに寒いよ。日向がいなくて寂しいのはわかったから、落ち着いて」
「別におれは魔法は使ってないぞ?」
「雰囲気の問題だって言ってるの!」
スナタに怒鳴られて、おれは気圧された。
「だ、だって、日向が学校を休むなんてこれまでなかったことだからさ」
それでもおれは、訴えた。スナタは共感の意を示すように、数回頷く。
「そうだよね。わたしも気になる。リュウのことだから、記事を見たかなんて聞かないけど、たぶん、あれが原因なんだろうね」
「でもさあ」
ずっと黙々と弁当を食べていた蘭が言った。
「あれが原因として、なんでわざわざ休むんだよ。急ぐ問題でもあるのか?」
「どうなんだろう」
おれは首を傾げた。
「答えはわかりきってるけど一応聞くね。メンバーチャットで聞いてないの? ちなみに、わたしたちは聞いてないよ」
おれは右の手で拳を作り、まっすぐにスナタを見て、言った。
「そんなことしたら会いたくなるだろ?!」
「うん知ってた」
苦笑というよりは諦めきったような笑みで、スナタはおれに言葉を返した。
蘭は無視して、また、黙々と弁当を食べている。
18 >>138
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.138 )
- 日時: 2021/05/25 18:58
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: Z.r45Ran)
18
『リュウ!』
おれがほうきで空を飛んでいると、ベルがやってきた。
「おお。よくわかったな」
『近づくリュウに、日向が気づかないわけないでしょ? 日向と交信しながら、探しに来たの』
おれは苦笑した。ついさっき大陸ファーストに入ったばかりだというのに、もうバレたのか。隠していたつもりはないけど。
今日の終礼で、誰かが日向の家にプリント等を届けることになった。先生が行くことも出来るけど、やはり、誰かに行ってもらった方が助かるそうだ。
おれが住んでいる大陸フィフスは、大陸ファーストからは程遠い。その理由は、大陸ファーストには、いわゆるエクソシストだったり呪解師だったり、そういった『闇』に対抗する役職や民族の人が住んでいるからだ。
おれは大陸外にもそこそこ顔が知れてしまっているので、大陸ファーストに行くのは危険だとは思ったが、まあ、特に何かを仕掛けるつもりもないので、怪訝には思われど攻撃はされないだろうと思ったのだ。
なにかされてもねじ伏せられる自信もあるし、なによりほかのやつに日向の家に行ってほしくなかった。
『日向に届け物? 預かっておくから、帰った方がいいわ。いま家に、日向のおじい様がいらっしゃっているから』
日向から、日向の祖父は、強力なエクソシストだと教えられたことがある。
『祓う』だけではなく『封じる』ことにも長けており、かの『七つの大罪』の悪魔を封じたという伝説もあるほど。
さすがは日向の家系だなと、そのときは他人事と思っていたが、いざ対峙するとなると、やはり身がすくむ。
そこまで考えた時、ふと、疑問が生じた。
「あれ? どうして日向のおじいさんが家にいるんだ? 別に住んでるんだろ?」
19 >>139
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.139 )
- 日時: 2022/05/22 08:19
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: bAc7FA1f)
19
そのまま空中に静止しているのもなんだか嫌なので、ひとまずおれたちは、ゆっくり日向の家に向かった。
『それがね、昨日、新聞で、朝日くんが日向と一緒に住みたいって言ってることがわかって、今朝、日向がおじい様の家に問いただしに行ったのよ。わざわざ学校を休んで、どういうことなのか、ってね。だけど、日向と日向のおばあ様を対面させる訳にはいかなくて、日向の家に移動したの』
ベルは肩をすくめた。
『リュウたちには言ったこと無かったけど、隠す必要もないから言うわ。
あのね、日向のおばあ様は、精神に異常をきたしているの。えっと、その、ほら、日向の目。
日向の家系、花園家は、大陸ファーストの民族の中でも、特に優秀な家系なの。リュウなら、おじい様の功績を、小耳に挟むくらいの機会はあったんじゃない?』
おれは頷いた。
『そんな家に、白眼を持った子が産まれれば、批判されるのは、想像することは容易でしょう?』
ああ、そういうことか。
たしか、日向に虐待をしていたのは、母親だったはずだ。
だけど、母親『だけ』が、なんて確証はどこにもない。
『日向のおばあ様はね、天陽族の出身じゃないの。役職は、おじい様と同じエクソシストだけどね。
それで、親戚中から結婚を反対されていたらしいの。でも二人はそれを押し切って結婚して、生まれた子は日向のお母様ただ一人。生まれた子が一人であること、その子が女性であること、容姿が天陽族の象徴である、金髪に萩色の瞳ではなかったこと。おばあ様はどこへ行っても罵詈雑言で叩かれて、精神がおかしくなっていったの。そんな姿を見て育ったお母様もね。
お母様の容姿はおばあ様と瓜二つだったの。黒髪に青眼。とても美しかったけど、そんなの、なんの気休めにもならなかった』
気づけばベルは、すすり泣きながら話していた。
『日向のご両親は、お互いが望んで結婚した訳では無いの。おじい様のこともあって爪弾きにすることも出来ないから、優秀な血を混ぜるために、特に優れた才能を持ったお父様を、お母様と結婚させたの』
ベルは自分で飛んでいたけど、おれは、ベルを手のひらに乗せた。ベルはそのまま座り込んだ。
『それなのに、日向が生まれた、生まれてしまった。その瞬間に、家族は壊れたの。お母様とは違って金髪ではあったけど、青眼はそのまま受け継いでいたし、なにより、白眼を持っていた。黒髪だとか青眼だとか、そんなことを言っていられる場合じゃなくなったの。どこの国でもそうだけど、特に、闇に対抗する、種族であり民族の一つである天陽族から、白眼の子が生まれただなんて、汚点と言うにも優しかったの。
日向本人は全く気にも留めていなかったけど、あんなに強い、というより空虚な精神を、お母様たちは持っていなかった』
その言葉は、日向自身にも何かしらの、言葉だったりを浴びせられていたということだ。そのことを無視する訳にはいかなかったけれど、いまは、ベルの言葉に耳を傾けた。
『それでもお父様は、お母様にも日向にも、堅実に接してくれていたの。
お父様は、優しい人だった。日向を一生懸命愛そうとしてくれていた。それが叶うことは無かったけど、それでも!
あんなに優しい人が、亡くなってしまうなんて!』
溜め込んでいたのだろうか、ベルはわあっと泣き出した。顔を手で覆い、ただ、小さな小さな針の先端のような水滴が、おれの手に落ちた。
20 >>140
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.140 )
- 日時: 2021/05/26 16:44
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: JIUk.xR2)
20
日向の家に到着する頃には、ベルは泣き止んでいた。
そしてなお、言葉を続ける。
『それにね、お父様は、お母様のことも、きちんと愛していたの。本当に優しかったのよ。お父様の優しさに触れて、闇に染まりきっていたお母様の心に、初めて光が差したの。他の誰にも、癒すことが出来なかったのに』
「なにしてるの」
音もなく日向が玄関から姿を現した。その表情は至ってなんの色もなく、ただ淡々と、ベルを見ていた。
「なんで、リュウがここにいるの」
そういえば、ベルはプリントをおれから受け取りに来たんだっけ。
「ひな」
「リュウは悪くない」
おれが謝ろうとしたことを、すぐに気づいたらしく、日向は、ぴしゃりとおれの言葉を遮った。
『ごめんなさい、日向』
ベルはおれの手から降りて、しゅんと項垂れた。
「ベルを責める気もない」
ため息混じりに日向が言うと、ベルはぱっと笑顔になった。
「でも」
しかし、否定の言葉が日向の口から出た途端に、叱られた子犬のような表情をした。
「リュウは、早く帰った方がいい」
えっ。
「ここ、大陸ファースト。プリントは、貰っておくから」
日向が、おれを気遣ってくれていることは、わかる。ここは、おれの敵しかいない。おれの敵になるような人々しか、住んでいない。
立ち去るべきなのは、立ち入るべきではなかったのは、知っている。
でも。
「なあ、日向」
ごめん、日向。
「日向は、ご両親のことを、どう思ってたんだ?」
おれがここに来たのは、日向のことを知りたいから。
日向の家に来れば、もしかしたら、日向のことがわかるのかもしれないと思った。
そんな、下心があった。
日向が干渉を嫌うのは知ってるけど。だけど。
おれは、知りたいんだ。日向のことを。
聞くべきではなかったことだとしても。
『知りたい』という欲に、抗えなかった。
やっぱり、おれは……。
日向はプリントを受け取ろうと上げていた手を降ろした。
「別に、なんとも」
出てきたのは、予想通りの言葉だった。
21 >>141
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.141 )
- 日時: 2021/05/27 17:27
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: zpQzQoBj)
21
日向はそれ以上、何も言わなかった。
『ねえ、日向。話してあげたら?』
おそるおそるといった様子で、ベルが言った。
『ごめんなさい、余計なお世話かもしれないけど。
でも、リュウは知りたいんでしょう?』
控えめにおれを見るベルの目は、不安に揺れていた。
日向は、何も言わない。
おれも、何も言わない。
ただ沈黙のみが、静かに、空間にのしかかった。
『ひな』
ベルは何かを言おうとしたけど、押し留まった。今にも泣き出しそうな顔で、日向とおれを交互に見る。
「知りたいの?」
純粋な疑問の音が、日向の口から発せられた。
おれは少し迷ったあと、頷いた。すると日向は、目を閉じ、そして、すぐに開いた。
「不思議だった」
驚いた。日向は話してくれるらしい。
「私を愛したところで、何も変わらない。なのに、父さんは、私を愛そうとした。
私が愛を感じることはないと、わかっていたはずなのに。
だって、愛そうとして愛するその感情は、有償の愛は、本物じゃない。私はそれを、『知識』として知っている。
リュウも、同じでしょ?」
ああ、そうだ。
おれは、無償の愛がわからない。
家族はおれを愛してくれているけれど、おれは、心でそれを感じることが出来ない。
客観的に見て、愛されているんだろうな、と思う。
それだけだった。
「母さんは、完全に私を無視していた。でも、食事やお金や部屋なんかは与えてくれていた。
母さんたちには、私のステータスを見せたことがあるの。確かにグレーゾーンではあるけれど、私にクエストを紹介してくれたり、魔物の素材を買い取ってくれるギルドだって、私は知っている。そのことも、伝えていた。
なのに、私の存在そのものを、無視することはしなかった。
不思議でしか無かった。むしろ、気味が悪かった。意味の無いこと、する必要のないことをする両親が。
それ以外に、何も感じたことは無かったし、そもそもあの人たちに、興味がなかった」
日向は一度言葉を切って、付け足すように、こう言った。
「母さんからは、虐待を受けていたけど、それについてなにか思うようなことは、微塵もなかったよ」
22 >>142
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.142 )
- 日時: 2022/05/27 07:40
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: AKhxBMxU)
22
視線を感じる。
ぼそぼそと、声も聞こえる。
日向の言葉を受け取り、理解したあと、おれは気配のする方向を見た。
まだ聞きたいことはあったけど、本来聞く気の無かったことを聞くことが出来たんだ。おれはここで、満足するべきなんだ。
「ねえ、もしかして……」
「きっとそうよ……」
そこそこ年を重ねているらしい女性二人と、その子供らしい三人の男の子、それから一人の女の子がいた。
「わー! よそ者だ! よそ者だ!」
「こわいこわい! あれってきっと〔邪神の子〕だ!」
「にげろにげろ!」
「きゃー!」
面白がったように騒ぎ立て、四人の子供たちは、あっちこっちに走り回る。
まずい!
「日向、おれ、かえ」
しかし、おれが言葉を最後まで続けることは叶わなかった。
今にも唸り声を上げそうな、猛獣のようなオーラを、日向は纏っていた。
冷たい目の中に、煮えたぎる真っ赤な炎をちらつかせながら、向こうにいる六人を睨み付けている。
自分に向けられたものではないとわかっていても、恐怖を感じずにはいられない表情だった。おれでさえそうなのだから、無論、あの六人はすくみあがった。
けれど、逃げるようなことはしなかった。
「ママー、こわいよー!」
「よしよし、大丈夫だからね」
「おー、こわいこわい」
わざとらしい声と動作で、おれの目の前で、いや、日向の目の前で、茶番が繰り広げられている。
なんなんだ、この人たちは。
虫酸が走る。
具体的な名称はわからないけれど、おそらくこの人たちは、天陽族にルーツがある種族だ。
大陸ファーストには、悪を『祓う』〈天陽族〉と、悪を『滅する』〈天陰族〉の、大きく分けて二つの種族が共存しており、それ以外の種族も、大抵はどちらかにルーツがある。
天陽族の特徴は金髪とその能力であり、瞳の色は限定されていないと聞いている。赤系統か黄系統……まあ、この世界に『純粋な赤』を持った種族は、例外を除き存在しないので、大雑把に言うと、ピンク、黄、橙や、それに近い色の瞳を持つとされている。
そして、この人たちの瞳の色は、薄桃色だ。朝日くんのような、あめ玉のような透明感のあるピンクではなく、白に近い、白のあの濁ったような感じが強く見られる、そんな色だった。虐げられるのは『混じり気のない白』なので、なんの弊害もないだろうけど。
──あちらの方が、よっぽど醜い。
23 >>143
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.143 )
- 日時: 2021/05/29 11:42
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: fVy8heSC)
23
「日向? なんの騒ぎだ?」
不意に、閉じられていた玄関のドアが開いた。
現れたのは、日向の祖父とおぼしき初老の男性だった。
年故か、それともストレス故か、白く色素が抜け落ちた髪は全体として薄く、頭皮が微かに見えている。
一見ほりの深い、整った顔は、大きなシワが刻み込まれており、人生の苦悩を感じさせる。
体型は年齢に比べると、がっしりしている。けれど、まだ現役だと聞いているので、それもそうかと思う。
男性はおれを見て約二秒後、大きく目を見開いた。
日向はそれを確認すると、おれの手を引いた。
「時間、もらうね」
もちろんおれがそれに逆らうわけがない。されるがままに、おれは日向の家に上がった。
「おじいちゃんも」
日向は男性を横目で見た。
「あ、ああ。わかった」
向こうにいる人たちを気にする素振りを多少見せはしたものの、特になんのアクションをとることもなく、家の中に入り、ドアを閉めた。
「お邪魔します」
とまあ、ほぼ成り行きでこうなったわけだが、おれが日向の家に上がったのはこれが初めてなわけで。
おれはあまり緊張するような質ではないが、さすがにこれは、体がこわばるのは仕方のないことだと言ってもいいと思う。
機会がなかったわけではない。実際、スナタは何度か遊びに来たことがあるようだった。その証拠に、スナタの好物の蜜柑が、日向の家には大量にある。
おれが他大陸の住民であることも、さして問題ではない。おれと日向の隠密行動スキルは、『そういう仕事』をしている人にも引けをとらないと言っても過言ではない。むしろ、そういう人たちの大半を凌いでいるとすら言ってもいい。要は、周りにばれなければいいのだ。さっきは少し注意を怠ってしまったけれど、本来ならば、おれは存在を気づかれることはない。
けれど、おれは、そうしなかった。
日向への過度な干渉を、おれが自ら拒んだのだ。
思い上がりでもなんでもなく、日向はおれなら、どんな頼みごとでも快く引き受けてくれるだろう。おれはそれを知っている。
でも、おれは、日向から語られるのを待った。日向から、『なにか』をしてほしかったのだ。それが叶うことはないとわかっていたけれど。
24 >>144
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.144 )
- 日時: 2022/10/10 22:05
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 9nuUP99I)
24
日向に連れられて、おれたちはリビングに行った。おれの家と比べてしまうと当然小さいが、一般的な広さだと思う。
四人掛けのテーブルには、朝日くんが座っていた。朝日くんの前と、その隣の席、そして朝日くんの向かい側の席に、ティーカップが置かれている。
「なんで、そいつがここにいるの?」
日向を見て笑顔になった朝日くんが、おれを見た途端、顔をしかめた。思わず、というよりかは、故意が混じったような表情だ。
「私が連れてきたの」
おれが口を開く前に、日向が言った。自分が何を言おうとしていたのかはわからない。けれど、おそらく、「ごめん」だとか、そういった類いのものだろう。
「姉ちゃんが? どうして?」
「リュウのことを、近所の人に知られたから。あのまま帰るのは、だめ。
座って。同じのでいい?」
最後の方の言葉は、おれに向けられたものだった。同じの、というのは、飲み物のことだろう。
おれは好き嫌いが全くない。血を飲まないのは、別に味が嫌いなんじゃなくて、単に暴走するのが嫌なだけだ。
なので、特に深い意味もなく、ほぼ無意識に日向のティーカップの中身を確認してから、頷いた。
「ああ、ありがとう」
なんの変哲もない、ただの紅茶だった。
遠慮しすぎるのも失礼なので、おれは男性と朝日くんに断りを言い、勧められた席に着いた。
おれも、あちらも、なにも言わない。沈黙が途切れたのは、日向がおれの分の紅茶を持って、戻ってきたときだった。
「ありがとう」
さっきのとはまた違った意味で礼を述べると、日向はおれと視線を交えた。これが日向の相づちだ。
そしておれは、男性を見た。緊張で心臓が高鳴っていたが、それが声に影響することはなかった。もともとおれは、ポーカーフェイスが得意だ。表情からも、緊張は伝わっていないはず。
「初めまして。私は笹木野 龍馬と申します」
「ご丁寧に、どうも。私は花園 七草です。
日向とは、どのような関係で?」
それは菜草さんも同じなようで、少なくとも、おれには七草さんの感情は計れなかった。
おれは迷った。おれと日向の関係は、かなり複雑だ。主に、おれたちの間にある感情が。
とりあえず、友達ではない。おれと日向が友達なんて、畏れ多い。おれと日向はそんな、『対等な関係ではない』。
かと言って、クラスメイトと言うのも、なにか違う。
そうは言っても、正直に、「具体的に言い表すことの出来る名称がない」と言っても良いものか。
悩んだ末に、待たせるのも良くないと考え、おれは言った。
「すみません。お答えしかねます」
「なに?」
訝しげな表情をした七草さんの瞳の光は、強く、鋭くなった。
言葉を続けようとしたおれを遮ったのは、朝日くんだった。
「なんで言えないのさ! やましいことでもあるの?!」
「朝日」
すかさず日向がなだめに入った。
「続き、あるから」
日向はそれを、察してくれていたようだ。
朝日くんのことが気にはなったが、七草さんが促すようにおれを見ていたので、そちらに意識を向けた。
「日向とは、友達ではありません。けれど、クラスメイトというだけの関係でもありません。おれたちの関係は、名前がないのです」
一人称を変えたのは、意識してしたことだ。さっきは『カツェランフォートの一員』として接していたが、いまは、『笹木野 龍馬』として話している。
七草さんは不思議に思っているような雰囲気を出して、日向を見た。
日向はその視線に気づいていたけれど、質問されていないので、なにも答えない。
さすがは親戚というか、それを良くわかっているようで、一秒だけ時間を空けたあと、七草さんはすぐに日向に対して言葉を発した。
「そうなのか?」
日向は面倒くさそうだった。
「私と龍馬は、互いの認識の仕方が異なるから、なんとも言えない」
25 >>145
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.145 )
- 日時: 2022/10/10 22:09
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 9nuUP99I)
25
「認識が、異なる?」
与えられた情報だけでは理解しきれなかったらしく、七草さんは日向の言葉を繰り返した。
「どういう意味だ?」
「どういう意味もなにも、言葉通り」
日向は腕を組んだ。
「私は龍馬を上に見てるし、龍馬は私を上に見てる。私たちの関係は、対等でもなければ、上下でもない」
その通りだった。そのことは、おれも自覚している。
けれど、こんな感覚は、一般の人には理解できないのだろう。七草さんは相変わらず首を捻っている。
「友達では、だめなのか?」
「だめ」
だけど、と、日向が付け加える。
「でも、それは私たちの認識。第三者から見れば、どうやっても、友人同士にしか見えない。
だから、おじいちゃんがする認識としては、それで良い」
七草さんは頷いた。
「そうか。では日向、龍馬、くんとは、いつ知り合ったんだ?」
言葉を少しつかえさせたのは、きっと、おれの呼び方に悩んだせいだろう。
日向は眉をつり上げた。当然ながら、その端正な顔立ちが崩れることはなかった。当然ながら。
「言う必要がない」
「それはそうかもしれないが、天陽族として、黙って見過ごすわけにはいかない。知り合った経緯だけで良いんだ」
そう言って、浅く頭を下げる。
「姉ちゃん、ボクからもお願い! 教えて!」
日向が大切にしようとする『家族』の枠組みに、祖父が入っているのかはわからない。日向が言葉を発した理由が、七草さんがその範囲に入っていたからなのか、それとも朝日くんが便乗したからなのか、おれは判断できなかった。
「六年前」
それは、おれと日向が『初めて出会った』頃のこと。
「龍馬がバケガクに入学した、六年前の入学式」
日向はそれだけを告げると、再び、口を閉ざした。
26 >>146
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.146 )
- 日時: 2021/05/30 12:59
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: axyUFRPa)
26
六年前のあの日。あのときから、おれの人生は始まったんだ。
おれがバケガクに入学した理由は、日向に会うためだった。実を言うと、おれは、上流階級の吸血鬼たちの通う[タラゴストリー]への入学が決まっていた。おれが望んだわけではなく、じいさまが決めたことだ。じいさまの命は絶対だし、おれも不満はなかった。学校なんてどこでも良かった。学ぶことは嫌いじゃないし、[タラゴストリー]で学べないことは、独学で学べば良いと思っていた。
けれど、おれは、《白眼の親殺し》の新聞記事を見てしまった。
『読んだ瞬間』ではない。『見た瞬間』。そのとき、おれの人生は、おれの進路は、決定した。されたんじゃない、おれ自身が、そう『した』のだ。
__________
「龍馬様」
ツェマに来客だと告げられ、応接間に向かうと、そこには、フロス嬢がいた。
「お久しぶりです、シュリーゴ嬢」
おれが向かいに腰を下ろし、笑い掛けると、フロス嬢は、目を見開いた。その目の中には、『驚き』よりも、『絶望』に近いような、そんな気がした。
フロス嬢がおれに好意を、『そういう意味での』好意を持っていることは知っている。けれどおれは彼女を突き放すために、わざと名字で彼女を呼んだ。
「ええ、久方ぶりですね、龍馬様」
フロス嬢はすぐに顔に笑みを張り付け、おれに挨拶をした。
「本日はどのようなご用件で?」
そんなものはわかりきっていたが、おれはとぼけたふりをした。
フロス嬢は顔をしかめた。
「わたくしたちの、婚約についてお話をうかがいに参りました」
フロス=シュリーゴ。
吸血鬼五大勢力のひとつ、シュリーゴ家の次女。名字の由来として、カツェランフォートは『猫の足』、シュリーゴは『コウモリ』を意味しており、どちらも動物に関係しているので、はるか昔より親交を深めてきた。なんでも、先祖同士が勢力争いの協力関係だったんだとか。他の五大勢力であるロット家とシャヴォーツ家も、同じようだったらしく、それぞれ『赤』と『黒』を示す。そう考えると、ベアンシュタイン家は、どことも協力せずに、吸血鬼たちの頂点に君臨したということになる。故にあの家の人々は、誇り高いというか、悪く言うと高慢な者が多い。
そしておれは、彼女の婚約者『だった』。フロス嬢の父君、グレイド様が、おれがバケガクに入学すると知った瞬間、婚約破棄を言いつけてきたのだ。
入学を決めた側であるおれは、もちろんそのことは承知だったが、フロス嬢はそうもいかない。全てが急に起こったように思えたことだろう。
フロス嬢は、少なからぬショックを受けているはずだ。もうその義理はないとはいえ、無視することは良心が痛む。
「はい。なんなりとお尋ねになってください」
おれはにこやかに、そう言った。
27 >>147
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.147 )
- 日時: 2022/05/27 08:04
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: AKhxBMxU)
27
フロス嬢は、ぎりっと歯軋りをした。
拳を机に叩きつけることはしなかったものの、手はぶるぶると震えている。
「なんなりと?」
低く、唸るような声がした。
「では、何故なんの相談もなく、勝手に[タラゴストリー]への進学をやめ、[聖サルヴァツィオーネ学園]へ入学することを決めたのですか? しかも、この時期になって、突然」
本来であれば、この春から、[タラゴストリー]に通うはずだった。入学を目前とし、急遽進路を変更したとなれば、唐突すぎると考えても、なにも不思議ではない。むしろおれが非常識なのだ。この進路変更は、バケガクにも、[タラゴストリー]にも、じいさまにも、迷惑をかけた。
「実を申し上げますと、私は前々から、御当主様に進路を変更したいという意志を伝えていたのです。もちろんすぐには首を縦に振っていただけませんでしたが、先日、ようやく許可をいただけたのです」
「ですから、どうしてこのような時期に?」
おれは困ったような笑顔を作った。
「簡単な話です。私がしつこく頼んだのです。シュリーゴ嬢の仰る通り、[タラゴストリー]への入学式まで、もう目と鼻の先でしたから、それはもう、必死に」
別に隠すほどのことでもないが、一応はぐらかしておいた。いま、おれとじいさまは、決裂状態にある。屋敷全体もぎすぎすしていて、そこを他家に付け入られるのは、色々とまずい。下手をすると、カツェランフォートの地位が揺らぐかもしれないのだから。
それに、フロス嬢も気づいたのだろう。小さくため息をつき、論点を『何故この時期に進路を変えたのか』からずらした。
「質問を変えます。どうして、そこまでしてバケガクに行きたかったのですか?」
フロス嬢の目から、怒りの感情が消えた。いや、腹の底ではまだ怒っているだろう。しかし、その目に宿る光が、怒りよりも、真意を見極めようとする色の方が強かった。
どういう風に答えようか、少し考えたあと、おれは告げた。
「口外しないというのなら、理由のわずかな部分だけでもよいのなら、そして、これ以上の追求を、この話以外も含めてしないと言うのなら、お話ししましょう」
おれの体から、重く冷たい『闇』が放たれた。
28 >>148
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.148 )
- 日時: 2021/06/01 20:49
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 06in9.NX)
28
「すみません、シュリーゴ嬢のことを疑うわけではないのですが、念のため」
おれから出た『闇』は、薄い布のように、フロス嬢の体に巻き付く。締め付けるというよりは、まとわりつくような動きだ。
【闇魔法・鎖の契約】
吸血鬼が使う魔法は、呪術といった類いのものが多い。それらは全て、何らかの媒介や媒体が必要だ。例えば、吸血鬼が人間を服従させる場合に、吸血を行う必要がある、とか。
しかし、おれが使う『魔術』は、それらを必要としない。厳密に言えば、媒体精霊と呼ばれる精霊の力を借りているが、この場合、それはないと考えて良い。
おれは類い希なる強力な闇魔法の使い手だ。なんの思い上がりでもない。事実だ。そしておれは、魔術だけでなく、吸血鬼本来が持つ呪術も操ることができる。
つまり、『黒魔法』に分類される魔法全てを操ることが出来るのだ。それも、なんの偏りもなく、均一に、強力に。
基本、操ることの出来る黒魔法は、魔術か呪術に分かれ、 適応しないどちらか片方は、操るどころか、発動することすらままならない。
故におれは、〔邪神の子〕と呼ばれているのだ。
ちなみにこの『邪神』とは、公には『ニオ・セディウム神話伝』に登場する、神々の頂点に君臨するとされる『王の一族』の長、『テネヴィウス神』のことであると言われているが、実際には、『才能はあるのにそれを活かさず、宝の持ち腐れだ』と嘲りの意を込めた、『一族の恥・ディフェイクセルム神』のことだと、おれは知っている。
ディフェイクセルム神は、一族の誰よりも強い力を持ちながら、一族の誰よりも長に貢献しない『役立たず』だとされている。
さらに、一族に反抗の意志を持っているくせにとても心が弱い、『誰よりも強く誰よりも弱い闇の神』らしい。
そのことを知ったとき、おれは笑みがこぼれた。
色んな感情が混じって、ぐちゃぐちゃになって、それしか出来なかったのを、いまだに覚えている。
「では、契約です。
『フロス=シュリーゴは、一つの望む回答を笹木野龍馬に与えられる代わりに、笹木野龍馬に、他のいかなる追求もしない』」
おれが契約の内容を告げると、フロス嬢は頷いた。
「契約致します」
すると、うねうねと四方八方に蠢いていた闇は、次々にフロス嬢の胸に入っていった。
「うあっ……」
苦しげなフロス嬢の声。
申し訳ないとは思うけど、こればっかりは、どうしようもない。
そして、フロス嬢の胸に、黒薔薇が咲いた。
パチンッ
おれが指を鳴らすと、黒薔薇は霧散する。
「契約完了です。では、お話し致します」
29 >>149
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.149 )
- 日時: 2021/06/02 21:21
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: CqswN94u)
29
「そんなに緊張しないでください」
おれは苦笑して見せた。
「理由としては単純です。私には、会いたい人がいるんです。その人が、バケガクにいるんです。
それだけです」
「そっ、そんなことで」
フロス嬢の体から、闇が滲み出た。
その事に素早く気づいたフロス嬢は、すぐに居ずまいを正した。
「他の誰にも、理解出来ないでしょうね。理解していただかなくて結構です。御当主様も、最後の最後まで、私の考えを理解してはいませんでした」
けれど、と、おれは言葉を続ける。
「私は、どうしてもその人に会いたかった。いや、いまも会いたいと思っています。その人のためなら、私はどんなことでもやってのけるつもりです」
おれが言っているその人物が誰のことなのか、おおよその見当がついているのだろう。なんせおれは、「『あの一件』以来変わった」と言われているのだ。むろん、言い意味でも、悪い意味でも。
勘違いされると困るので、おれは付け足しておいた。
「ああ、その人とおれは、面識はありませんよ」
フロス嬢は不思議そうな顔をした。けれどおれは、これ以上話すつもりはなかった。だって、無意味なのだから。
もう、おれに、干渉しないでほしい。
「申し訳ありませんが、私がお話しするのはここまでです。お引き取り願えますでしょうか」
「あ、あの!!」
フロス嬢が、控えめに叫んだ。
「『追求』ではなく、『質問』です。この話とはまた別のことなので、質問してもよろしいでしょうか」
質問の形の言葉でありながら、疑問符はついていない。よっぽど、おれに『拒否』という選択肢を与えたくないのだろうか。
「ええ、まあ、ものによっては、お答え致しましょう」
この『契約』の危険性は、フロス嬢も十分理解させられているはずだ。
その末になにかを尋ねたいとするなら、それは、かなり重要なことなのだろう。
おれは構えて、フロス嬢の言葉を待った。
30 >>150
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.150 )
- 日時: 2021/06/03 17:47
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: CqswN94u)
30
「この度の婚約破棄について、龍馬様は、どのようにお感じですか?」
おれは危うく脱力しかけた。
なるほど。そうくるか。
そういえば、フロス嬢がおれを訪ねてきた理由がそれだったっけ。
正直、婚約破棄されると聞いて、特になにも感じなかった。グレイド様は、おれが[タラゴストリー]に入学し、『怠けきった精神』を叩き直し、フロス嬢に見合う男に、と考えていたようだったから、この結果は、言わば当然だ。
フロス嬢に対しては、『吸血鬼として優れた女性』としか認識していなかった。もちろん恋愛感情なんて持ち合わせていないし、というかそもそも、おれはその感情がわからない。
「シュリーゴ家には、申し訳ないと思っております。これは完全なる私個人の私情で行ったことですので」
フロス嬢の瞳に、今度は誤魔化しきれないほど強く、絶望の色が見えた。
だけど、心は痛まない。だって、これは、仕方のないことなのだから。
おれは……。
「わ、かり、ました」
フロス嬢の声は、わかりやすく、震えている。
きつく握りしめた拳に巻き込まれて、黒色のドレスはしわくちゃになってしまっている。
「では、わたくしは、帰ります。失礼致しました」
「玄関まで送りましょう」
「結構です!」
思ったより、拒絶されてしまった。
でも、これでいい。突き放した方が、フロス嬢も、諦めがつくだろうから。
「そうですか。では、お気をつけて」
__________
31 >>151
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.151 )
- 日時: 2021/06/05 00:04
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: KG6j5ysh)
31
「はあっはあっはあっ」
カンカンと、おれが床を強く蹴る度に、金属音が、静かな階段に響く。
ギイッ
おれは屋上の扉を開け、ざっと回りを見回す。
「ここでも、ない」
『だーから、来てねえんだって。諦めろよ』
先生が見かけたって言ってたんだ! 今日こそ……。
『それ、ここ最近、毎日言ってるだろ』
うぐっ。
こいつの言う通りだ。
おれは、正式にバケガクの入学が決まり、入学式前でも学校に来てもいいというルールを知ってから、毎日バケガクに通っている。
無論、花園 日向を探すためだ。
しかし、全く、影も形も見えない。
目撃証言はとれるんだけれども。まるで心霊現象だ。
おれは気配で探る、ということも出来るけど、それは、会ったことのある人にのみ適応される。
花園日向には、会ったことがない、気配を知らないのだ。
結局、その日も見つけることは出来ず、おれは帰路についた。
__________
……。
「最後に、生活指導の先生から……」
……。
「以上を持ちまして、九九九一年度、聖サルヴァツィオーネ学園入学式を閉式致します」
生徒はそれぞれ順番に、会場から退場していく。
「あの、笹木野龍馬さん、ですよね?」
もうすぐおれの番というところで、隣に座っていた人に声をかけられた。
「はい?」
その人物は、おどおどした雰囲気の、男の子だった。男の子という言い方をしたけれど、標準である人間年齢で比べると、おれより年上らしかった。
おどおどしているのは、緊張で、のようだ。
「初めまして! おれ、いや、僕、狼族のセルヴァ=パラジアです!」
小声でいるだけの理性は保っているようだが、かなり興奮している。
狼族は、数少ないディフェイクセルム派の民だ。
セディウム教は、『テネヴィウス派』と、『ディフェイクセルム派』が存在する。どちらも『テネヴィウス神』を最高神として崇める点では共通しているが、テネヴィウス派の民族は、ディフェイクセルム神を『堕落した神』として認識している。
対してディフェイクセルム派は、ディフェイクセルム神を、『我らが目指すべき存在の象徴』として認識している。
それは、ディフェイクセルム神がディミルフィア神の味方についたことで、『中立派』としての価値を持っているだとか、彼らを産み出した神がディフェイクセルム神であるだとか、諸説は様々で、本人たちもよくわかっていないようだった。
しかし、理由が明らかではないとはいえ、ディフェイクセルム神に対して敬意を払っているのは、事実だ。
つまり、ディフェイクセルム派は、セディウム教信者でありながら、闘争意識が極端に少ない、希少な存在だと言える。
32 >>152
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.152 )
- 日時: 2022/01/22 17:37
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: FA6b5qPu)
32
『セルヴァ』、か。
名前の音が、ディフェイクセルムの『セルム』に近い。家が、特にディフェイクセルム派としての意識が強いのだろう。
話しかけてきたのも、それが理由だろうか。
「初めまして」
こういったことは初めてではない。おれは慌てることなく、至って無難に挨拶をした。
「えっと」
なんと呼べばいいのだろうか。
「セルヴァとお呼びください!」
即答された。疑問形で尋ねてすらいないのに。というかなんでセルヴァはこんなに敬意を払ってくるんだ。おれとディフェイクセルム神は違うのに。
……。
順番が来た。
「すみません、セルヴァ。実は今日、用事があって、話せないんです」
おれが言うと、セルヴァは明らかに落ち込んで見せた。
うん。ごめん。
「そうですか、わかりました。
あと! 敬語はお止めになってください!」
「じゃあ、お互いにやめようか」
おれは苦笑しつつも承諾し、そのまま退場した。
さて。
会場の出口を通った瞬間、おれはダッシュした。
はやる気持ちを抑えるには、やはり走ることが一番手っ取り早い。
『どこの体育会系だ』
うるせえ。
ん?
おれは急ブレーキをかけた。人の気配がしたのだ。おそらく、教師の。おれがいまいるのは廊下だ。入学早々教師に目をつけられるのは勘弁してほしい。
ついでに、花園日向の居場所も聞いてみよう。
「こんにちは、先生」
曲がり角から現れた女性が教師であることをしっかりと確認し、おれは声をかけた。
おれの進行方向に女性も進んでいたので、女性は振り向いた。
後ろで一つに括られた、赤に近い茶髪がふわりと揺れる。ややつり上がり気味の赤紫の瞳のなかに、おれが映る。
教師にしては少し派手な、赤を基調とした高級感のあるドレスと、色を合わせた魔女帽子がとても目立つ。
「こんにちは。笹木野君」
女性─ライカ先生が、にこりと微笑む。
「今日も花園さんを探しに来たの?」
「はい」
「だったら、さっき、学園長室へ入るのを見かけたわよ。行ってみたらどうかしら?」
「ありがとうございます!!」
おれはさっき意識した『廊下は走らない』という概念を、頭の中から完全に消去した。
この学園の地図は、頭の中に叩き込んでいる。学園長室は、この第一館の最上階だ。
「うおおおおおおっ!!」
おれは実際に雄叫びを上げながら、階段を駆け上がった。摩擦熱が生じるくらいの強さで階段を蹴っていたため、無駄なエネルギーをかなり使っていたのだろうと思うが、そんなことに気を回すだけの余裕はない。
ダァン!!
「うわあっ!」
思った以上に大きく響いた足音に、おれは自分で驚いた。興奮のあまり、階段を上りきった最後の一歩に、力を入れすぎていたらしい。
カチャ
そんなおれとは対照的に、必要最小限の音だけ出して、この階に一つだけしか存在しない部屋、学園長室のドアノブが回された。
キィッと静かに、扉が動く。
その瞬間、おれの心臓はまるで生まれたての赤子のようにはやく鳴り始めた。
扉がついている壁は、いまおれが立っている階段側で、ドアノブは、外から見て左についている。そして外開きの構造をしている。つまり、こちらからは、中から誰が出てくるのか、全くわからないのだ。
ライカ先生の話からして、いま出てこようとしている人物は、紛れもなく。
学校指定のローファーが見えた。ちらりと見えるスカートの端が、ゆらりと揺らめく。
そして、天使が現れた。
そのときは、いや、いまでも、本気でそう思っている。
緩くウェーブのかかった金髪に、光の差さない、深い海底のような青い瞳。人形のように、作られたかのように感じるほど整えられた顔立ち。
体は病的とまではいかなくとも、ほっそりとしていて、それが逆に、彼女の怖いくらいの美しさに、さらに神秘的な雰囲気を足していた。
肌も異様なまでに白く、しかもそれは焼けていないというよりかは、太陽のような、強すぎる光故のような、そんな気さえ起こさせた。
彼女ははじめ、扉を閉めるとき、ちらりと横目でこちらを見ただけだった。しかしすぐに、扉も閉めずにこちらを向く。
そして、おれの位置と彼女の立ち方から見えなかった、彼女の左目が見えた。
透き通るような、綺麗な『白眼』だった。
つまらなそうに閉じかけられていた目を、これでもかというくらい大きく見開いて。
おそるおそる、といったような、怯えるように声を震わせて。
彼女が、日向が、おれの名前を呼んだ。
「リュウ……?」
__________
33 >>153
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.153 )
- 日時: 2021/06/05 22:27
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 7WA3pLQ0)
33
「六年前? そんなに長い付き合いなのか?」
「六年は、長くない」
菜草さんの言葉に、日向がすかさず言い返した。
確かに、おれからすれば六年なんてあっという間だ。何せ、何百何千という単位の時を生きるのだから。
天陽族である日向はそこまで長くは生きないが、それでも、種族としての平均寿命は三百年。単純に計算すれば、六年は人生の約五十分の一。
そのことは菜草さんもわかっていたのだろう。ぐっと言葉に詰まった。
そしてさらにそのことに気づいた日向が、「じゃあなんで言ったんだ」とでも言わんばかりに冷ややかな目を向けていた。
「それもそうだな」
菜草さんはごほんと咳をして、改めて姿勢を正した。
「ひな」
「嫌」
菜草さんが言葉を開いた一秒後に、日向が言った。
「まだなにも」
「どうせ」
吐き捨てるような、声。
「龍馬と関わるなだとか、そういったことでしょう?」
だと、思ったけど。
違った。
声のトーンは明るく、弾むようで。
日向は机に右腕の肘を付け、手のひらに顎をのせた。
その顔にはうっすらと笑みを浮かべて。
おれはそれを見て、ゾクリと寒気がした。
いや、おれだけじゃない。
朝日くんも菜草さんも、顔を青くして息をのんでいる。
「ね? おじいちゃん」
狂気を隠したような、無邪気を装った笑顔で、日向は、小首をかしげた。
34 >>154
- Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.154 )
- 日時: 2021/06/05 22:26
- 名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: 7WA3pLQ0)
34
「ひ、日向?」
「なあにおじいちゃん」
ほぼ菜草さんの言葉に被せるようなスピードで日向が返した。
菜草さんは戸惑いを隠しきれず、というよりは隠そうとすることの余裕さえも失い、しどろもどろ、言葉を続けた。
「日向が怒るのは、当然のことだと思う。しかし」
日向はただ、にこにこと菜草さんを見ている。
「龍馬くんと関わるのは、日向にとって都合の悪いことしかない」
「それってさあ」
笑みを崩さず、日向は言う。
「どの口が言ってんの?」
その声からは、怒りは感じない。
単なる疑問として言っているようだ。
しかし、菜草さんは少なからぬショックを受けている。それが日向の思惑通りだということに、おれはうっすらと気づいていた。
「ねえ、おじいちゃん。おじいちゃんは私に何もくれたことはなかった。せいぜいあるとすれば、朝日を引き取ってくれたことかな。いつもいつも、気にかけていたのは母さんと朝日と、それから少しだけ、父さん。
気づいてないとでも思ってた? あなた『たち』が私を無意識に無視していたことは、わかってるの」
そしていま、このことをおれの前で話しているのは、さっきおれが日向に「日向のことを教えてほしい」と頼んだからだろう。
「それにさ。いまさらなんだよ? そんなこと」
日向は机から腕を離し、腕を組んで椅子にもたれ掛かった。
「むしろ〔邪神の子〕と親しくしていた方が自然なくらいだよ。それとね」
今度は右の手のひらを机に付けて、ぐっと身を乗り出した。
「次、私と龍馬を引き離すようなことを言ったら、おじいちゃんでも、それなりの『手』を打つよ?」
その瞬間、菜草さんの顔から血の気が引いた。
「朝日」
「なあにっ?!」
日向の言葉に、朝日くんが間髪入れずに答えた。
「同居の件、保留にして。だって八年も一緒に過ごしているんだから、おじいちゃんと意見が揃っている可能性があるでしょ?
龍馬。ごめんね長く引き留めちゃって。そろそろ家の外から人がいなくなってる頃だと思うから。玄関まで送るよ」
絶句している二人をよそに、日向はおれを半強制的に(無理矢理という意味ではない)立たせ、玄関まで歩かせた。
「あの! おじゃましました!」
なんとなく急かされているような気がしたので、しっかりと頭を下げて挨拶をする、ということは、叶わなかった。
玄関に着いて、おれは日向に声をかけた。
「日向?」
「なに」
見ると、日向はもとに戻っていた。
「平気か?」
日向は少しだけ間を空け、「うん」と言った。
おれも深くは追求せず、「そっか」と笑って、靴を履いた。
「じゃあ、おれは帰るよ」
「うん」
「日向」
「ん?」
「えっと……」
おれは口ごもった。
おれは、何が言いたかったんだろう。
「また、学校で」
日向は不思議そうに首をかしげた。
「うん」
第二章・Ryu's story【完】