ダーク・ファンタジー小説

Re: この馬鹿馬鹿しい世界にも……【※注意書をお読みください】 ( No.89 )
日時: 2022/09/18 23:24
名前: ぶたの丸焼き ◆ytYskFWcig (ID: bGiPag13)

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「……また、創造神が使っていたとされる呪文には、火、水、風、土、光、闇といった属性名は含まれておらず、その代わり、赤や青といった、色名が用いられていたと伝えられている」
 そこまで読んだところで、おれは両脇から聞こえる静かな寝息に気づき、読むのを止めた。
「寝たか」
 疲れを吐き出す溜め息と共に、かすかな笑いが口から漏れた。
「こんな本を、子守唄代わりに読ませるとはな。末恐ろしい」
 おれはそう呟き、たった今まで朗読していた『私達の呪文』という、呪文について書かれた書物を、丁寧に閉じた。
 二人を起こさないようにゆっくりとベッドから降り、布団を綺麗にかけ直したあと、二人の頭を軽く、二度撫でた。
 わずかに微笑むその顔を見て、思わずおれも笑顔になる。

『すっかり腑抜けやがって』

 不機嫌な声が、頭の中で響いた。

『むかしっから思ってたけど、近頃、ますます毒気が無くなってきてるよな』
 おまえに関係ないだろ。
『むかつくんだよ。見たくなくても、感覚はリンクしてるしな』
 しるかよ。
『誇りもなにも持ってない。力はあるのに、それを使うことをしない。
 あーあ。こんなことなら、【憑依】なんてするんじゃなかったぜ』
「う」
 うるさいと、怒鳴ってしまいそうになった。
 二人が寝てるのだ。静かにしないと。
『それだよ、それ。他人に気を遣うなんて、何でするんだよ? 訳わかんねえ』
 吐きそうなほどの、怒りが込み上げた。
 何に怒っているのか、何に怒ればいいのか、わからない。わからない。
 物音を立てないように、暴れだしたりしないように、必死に自分の感情を押さえて、部屋を出た。

「龍馬?」

 また、タイミング良く、いや、悪く、真弥姉に会った。
 いまは、一人になりたかったのに。

「龍馬、その顔」

 真弥姉は言葉を切った。そして、話題を変える。
「二人が起きて来たときのことは気にしないで。外の空気でも、吸ってきなさい」
 ありがとうと言う気力も沸かなくて、おれは歩けているのかすらもわからずに、ふらふらと真弥姉の横を通った。
「これは、しまっておくわね」
 おれの手から、本を抜き取り、小さく、そう言うと、真弥姉は、おれの部屋に入っていった。
 おれは薬を閉まっている部屋に行き、戸棚をあさった。

 何度も出し入れして、目を閉じてでも見つけられる小箱を戸棚から出し、開く。
 これはおれしか開けられないように、魔法をかけてある。中身は、『オレ』と日向しか、知らない。
 薬包紙に包まれた錠剤の一つを取り出し、水を汲む手間すら惜しんで口にいれ、飲み込んだ。

 途端に、心臓が大きく跳ねた。
 血の流れが、拍動が、胸に手を当てなくても、手放しで感じられる。
 立っていられなくて、おれは倒れ込んだ。
 これは、魂に作用する薬。一定の時間『あいつ』の意識を強制的に眠らせることが出来る代わりに、おれの体内に魔力が十分に巡らなくなる。
 魔力を血液とするならば、魂は、心臓だ。魂を中心として、魔力は全身を回る。
 血液の流れが止まれば、身体はその活動を意思に関係なく終了せざるを得なくなる。
 魔力でも、それは同じだ。魔力によって体を動かしているに等しいおれのような魔法使いは、魔力の供給が鈍れば、死にも似た苦しみを与えられる。
__________

 しばらく苦しんだ後、ようやく『あいつ』は眠ったらしく、薬の作用が弱まった。
「はあ、はあ、はあ」
 錠剤は、もうすぐで底をついてしまう。
 次日向に会った時に、追加の薬を頼もう。
 意識がだんだんと正常に戻ってきたので、膝をついていた足をあげ、近くの椅子に腰かけた。
 息を整え、目を閉じる。

 おれだって、望んでこんなことしている訳じゃない。
 おれは、あいつが、大嫌いだ。
 おれを蔑んだ、『あいつら』なんか、大嫌いだ。
 でも、おれが『出来損ない』だったのは、事実なんだ。おれの意識に、そう、刷り込まれている。刷り込まれているということを自覚しているのにもかかわらず、おれはそれを否定出来ない。

「ひなた」

 情けない声が、漏れた。

「メンバーチャット・オープン」

 やわらかな緑色の光が、暗い部屋に溢れる。
 通知はない。日向からの着信はなかった。それでも、おれは、日向との個人のチャットを開いた。
 だけど、パネルを操作しているうちに、手の動きは遅くなっていき、止まった。

「メンバーチャット・クローズ」

 おれはメンバーチャットを閉じた。
 そして立ち上がり、小箱をしまって、部屋を出た。廊下を右に曲がって、突き当たりまで歩く。
 大きなはめ殺し窓に手を当て、念じる。

【闇魔法・破壊】

 どろりと、窓が溶けるようにして、穴が開く。
 おれは、背から羽根を出した。最近はあまり出していなかったので、かすかに、むずむずとした違和感がする。
 おれは床を蹴り、穴から飛び出した。体は重力にさからうものをうしなったために、落下を始める。
 ばさりと強く羽根を動かし、体を安定させる。
 おれは壊れた窓に近寄り、再び念じる。

【闇魔法・修復】

 時間が巻き戻るように、窓の穴は塞がっていった。
 これで良し。
 そう思ったところで、苦笑が込み上げた。
 自分だって無理をするくせに、日向には無理をするなと言うのだから。
 魂に作用するあの薬によって、おれの中の魔力は、いま、とても不安定だ。そのため、おれの魂は、魔力を必死になって循環させている。魔法を放つということは、その循環の流れに、外部から変化をもたらすということだ。そんなことをすれば、魂は循環のリズムを狂わせてしまい、魔力は暴走を始めてしまう。
 だから、たぶん、おれの魂は、もう、ボロボロなんだと思う。だからあいつも、気が立ってるんだろうな。

 いや、あいつはもとから、ああだ。

 おれは首を振った。
 わざわざ薬まで飲んで、あいつを眠らせたんだ。いまはそんなこと、考えなくていい。
 おれは羽根を動かした。
 高く飛んで、光の無い森を、一望する。夜目が効くので、見えないなどということは、一切無い。これは魔力とは何の関係もないのだから。

 さて、今日はどこへ行こう。

 当てなどまったく無い。ただ本能に従い、おれは、闇の中を彷徨さまよった。

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