ダーク・ファンタジー小説

作中の横文字に深い意味はなく語感で決めてます ( No.1 )
日時: 2021/01/31 18:09
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)


「落ち着いたか?」

 何とか追っ手をふりきることには成功したようで、私達は街から少し離れた草原の木陰で一息ついていた。流石にかなりの距離を逃げたため、彼も少し息を荒くしていた。初夏なのか晩夏なのかは分からないが、じんわりと暑い気温が私達から水分も奪っていく。額をつたう汗を僅かに拭い、それでもなお涼し気な表情を崩さない青年は私の具合を気にかけていた。

「何……とか……」

 対して私はというと情けない限りではあるが、もうこれ以上動けそうもなかった。切羽詰まっていた街中では緊張や焦燥が忘れさせていたが、私は元々運動は苦手だ。何分走ったのかは具体的に分からないが、もうこれ以上動けないと全身が音を上げていた。お尻は割れそうな程筋肉痛のようなものを訴えてくるし、膝にうまく力が入らず思うように立ち上がれない。息を吸ってもまだまだ酸素が足りないと肺が訴えているようで、私の呼吸はまだまだ静まりそうにもなかった。

「全然じゃねえか。無理に喋らなくていい、これから問いかける内容が正しい時は何も反応しなくていい。ノーだと答えたい時だけ手を挙げろ」

 何とか無事だということさえ伝えられない私に配慮してか、簡単なコミュニケーションで済むよう彼は提案した。もし彼も私と同じ、現代の住人であるならば、どれだけ肝が据わっているのかと感嘆する程だ。先ほどの話からするに、彼はこの状況を全く理解していないはずで、狼狽しても仕方がない。それなのに、ある程度事情を察している私よりもよほど冷静だった。

「俺たちは今、元居た場所と異なる場所にいる」

 否定する点はない。実際、私達は数分前までセントラルの研究施設にいた。しかし今は、その地点よりも遥か東に位置する場所にいる。だが、重要なのは別地点に飛ばされたことではない。それを伝えるにはもう少し息を整えてから、と思っていたのだが、彼はある程度真実を推測していたようだった。

「俺たちが暮らしている時代を現代とした時、今俺たちが置かれているのは大昔か?」

 街並みと人々の恰好が、現代とかけ離れていることがまず、現代ではないと判断した理由らしい。加えて、さっき街で走っていた際に、追ってきた男たちが時折『皇国』と口にしていた事実を、きちんと聞き取っていたようだった。皇国と呼ばれる国は、彼の言う『現代』においてヴァース大陸には存在しない。現在は帝国と称されている国の何世紀も過去の姿が、ヴァース大陸でいう皇国だ。

「再度の確認だ、もし本当は分からなかったとしても見捨てないから正直に答えろ。お前は今、正しい状況が分かっているのか」

 先ほどは切羽詰まった状況だったから、とっさに肯定したかもしれないと懸念したのか、そう尋ねてきた。見捨てないから正直に答えろとは、そういうことなのだろう。誤った情報は無知よりもよほど恐ろしいから、その確認は大事だと言える。だが、私はこれだけは自信を持って言える。今のこの状況に対し、私は多少なりとも理解が及んでいる。
 それだけはきちんと肯定するべきだと判断し、黙っているだけではなく首肯した。彼の目をじっと見る。多少なりとも、嘘はついていないと訴えかけることはできるだろうから。彼の瞳も、一欠片としてぶれることはなかった。ダークブラウンの瞳は、目の前にいる私を評価しているようにも見える。
 私は正しい情報を持っていると判断してくれたようで、その意は頷いて示してくれた。そっちの詳しい話は後で聞くと前置き、それからは一旦私自身の素性に関する問いかけだった。


「言語が同じだから当たり前だとは思うが、お前はヴァースの人間か」

「顔立ちは東か南かといったところだが、帝国の人間なのか」

「違う、ということは南か」

「そうでもないとすると……中立都市の研究生で間違いないな」

「そろそろ本題に入る。俺たちはタイムスリップした後ガルチューニ帝国……違うか、リーゲンシュタイン皇国だった場所に飛ばされた、という認識でいいか?」


 それまでの質問は肯定しようと否定しようとすぐに答えられるものだったが、ここにきて答えに窮する問いが投げられた。状況だけを分かりやすく理解するならばそれで間違いないため、そうだとも言える。だが、正確な真相はそうではない。上げた手を下ろしかけるも、再び上へと持ち上げようとする。その曖昧な姿に青年は怪訝そうに眉をひそめた。

「……答えにくいのか?」
「うん、少しね」

 ようやく流れる汗も呼吸も落ち着いて、会話ができそうなくらいの余裕ができたため私も口を開いた。これからは自分が問いかける番だと、率先して話すようにした。どの程度説明が必要なのかは彼の持っている知識に委ねられる。まず最低限の確認として、リプロヴァースの存在について尋ねてみた。

「リプロヴァースって、分かる?」
「名前だけ、って感じだな。セントラルのど真ん中の研究施設? 装置だったか? 何をやっているのかは知らん。歴史の研究に使ってるとかは知ってる」
「そもそも機密度も高いから知らなくても当然よね。最低限センターヴァースの人間にしか知らされてないし」
「センターヴァースって科学系の最高権威じゃねえか。爺婆のプロフェッサーと超絶優秀な見習い研究員しかいないって話だぞ。何で俺と大して変わらない歳のお前がそんな情報知ってるんだ」
「それはまた後で話すわ。校章を見たところ、あんた仕官学生の新入生ってところでしょ。同い年だから今後は砕けた言葉で話すわね」
「言葉遣いくらい好きにしろ。俺も最初からこうだったしな」

 むしろ年下だと決めつけていて悪かったなと、全く悪びれていない様子で告げてきた。とはいえ私も、普段偉そうな教授陣の相手をしているせいか、別段それで気を悪くするようなこともなかった。

「リプロヴァースは、科学と魔法の最先端技術をそれぞれ用いて建設された、一大設備よ。装置というには大きすぎて、施設と呼ぶには人間が滞在できるスペースが狭すぎる」
「イメージ的にはどでかい天文台みたいなものか」
「そうね。用途は文系寄りだけど」
「歴史の研究だもんな。それで、一体何のための設備なんだ」
「歴史を再現するの、リプロヴァース内部の仮想世界で」
「歴史の再現……?」
「よく表現されるのは、超大規模なシミュレーションストラテジーね。ゲームに例えられるのはあまり好きではないのだけど」

 彼自身もゲームはあまり触れてこなかったらしく、首を傾げている。他のたとえを持ち合わせていない以上、科学的な説明をするしかない。

「魔術の基盤となる魔素には、歴史の記憶が宿るとされているわ。これまで自分がどんな魔法術式に組込まれたのかっていう記憶がね。魔法とか魔素に関しては詳しくないけれど、その記憶をリプロヴァースが利用してることは確か。魔素から得られた情報と、文献から紐解いた歴史、二種の情報を用いて過去のヴァースを再現する。ディープラーニングやAI技術を流用した市民個人個人の再現、それを複数の量子コンピューターを連結した超巨大なシミュレーションシステムを通じて、高密度に魔素が圧縮された魔力空間内部で、其処に住まう人々の挙動さえ全て完璧にトレース、再構築した歴史の検証がリプロヴァースの役目よ」
「長いし分からん。もう少し簡潔に」
「ええと……録画した映像を再生するみたいに、実際に歴史上で何が起きたかを実体のない空間で再現するの。録画した絶対の事実と違って、おそらく歴史はこう進んだのだろうという仮の事実だけどね」
「なるほどな。歴史の研究をしようとしても実際に過去を見れる訳じゃないから、仮想世界で同じ世界情勢を整えて観察した事実を歴史検証の一部に使おうって訳だ」
「そういうことね」
「次から訊かれたらそう答えた方が良いんじゃないか」
「余計なお世話よ。それで、ここからが本題なんだけれど……」

 私達は今、千年前の皇国にいる。それは事実だ。しかしそれはタイムスリップをした訳ではない。タイムスリップをするともなれば、科学ではなく魔法術式でなければ成し得ない事象だ。しかし、妖精期や創世期ならまだしも、魔法の大権威である神秘的生命と別れを告げた現代世界においてそれほど高度な魔法は絶対に使えない。
 そのため、これは現実に起きたタイムスリップではない。

「今、リプロヴァースは文献が圧倒的に足りていない妖精期から鉄の時代へと移り変わった時期の研究を進めているところなの」
「妖精期って随分昔だな。大体千年前じゃねえか。……はぁ、成程な。言いにくそうにしてた訳が分かったよ」

 私に説明の役目を譲ってくれたと考えるべきだろうか。嘆息を一つ吐いた彼はそのまま黙ってしまった。彼の中では嫌な想像なのかもしれない。それでも、状況を一足先に把握していた私には、その
想像を肯定することしかできない。

「多分私達の……意識だけか肉体ごとかは分からないけれど、リプロヴァースの中に彷徨いこんだ状態よ。脱出する方法は……今のところ分からないわ」